はてなキーワード: 四条河原町とは
当方、齢37である。来月末に引っ越しをする。大学卒業から約15年、暮らしてきた実家近くのアパートを離れるのである。
社会人としての稼ぎが少なすぎて、実家の手を借りなければ生きられない。よくメシを食べに行っていた。情けない社会人だった。それは結婚しても変わらなかった……幸い、子どもはいない。
妻は、いいやつだ。こんな貧乏暮らしの人間と結婚してくれた。見栄っ張りなのが玉にキズである。親戚や近所同士の集まりでも、コモンカード(MTGで言うと「モグの狂信者」 わかったぞ! わかったぞ! わか……)に等しい私を、高年収の正規サラリマンとして紹介することがあった。
よくできた妻だと思う。私にはもったいないくらいの。悪態をつくことはあるけど、裏切ったりしない。近所の実家にお米や野菜をたかりに行く時も、一緒に付いてきてくれた。
もし、この世界がエロ漫画の世界で、あらくれ氏が描くみたいなオッサンに妻が寝取られてしまったとしても、私は許すと思う。私に尽くしてくれる良妻である。
大学時代、ぜんぜんダメな子だった。偏差値50台の二流以下の大学で、学生時代はアルバイトばかりやっており、部活もサークルもせずにダラダラ過ごしていた。就職活動はひどいものだった。
「Fの就職チャンネル」で就活生の動画(ex.大学4年の6月から就活始めたりする)をたまにやってると思うが、まさにあんな感じの、圧倒的ダメダメ就活生だった。
さて今回、引っ越しをするのは、晴れて正社員としての採用が決まったからである。関西の南の方に住んでるのだが、隣県での採用が決まった。大まかな括りだと機械操作オペレータである。年収+はなんと約200万円。
今まで、この田舎にある小さい製造会社で毎日毎日、機械や仕様書・図面と格闘してきた。25才の時、契約社員として雇ってもらった。それまでは近所にある町中華の店でアルバイトしていた。
正直キツかった。専門知識は一切ない私立文系人間である。マジで辛かったよ。しかも、小さい会社なのに出張まであるんだからな……だがしかし、ついに培ってきたワザが評価されたのだ!!
今年の4月になってから(妻の強い勧めで)転職サイトに登録してみたところ、私のワザというのは、意外と需要のあるスキルだったようである。(ビズリーーーーーーーーーーチッ!!)
大したことは思いつかなかったが、とりあえずやってみたことを列挙する。
・少し高級な中華料理屋で暴飲暴食
・昔の思い出グッズを漁る(MTGカード、進研ゼミ中学版、ガラケーの写真など)
・地元神社の奉納祭り役員への立候補。当日記を書き始めた頃に無事終了
あとは、里山登りかな。幼い頃、祖母に連れられてよく里山散歩をしていた。小高い山の頂上から見下ろす町並みは壮観だった。
なにぶん田舎なので、里山がたくさんある。グーグルマップで見てみると、東京の方でも端っこの方は青々とした山が広がっている。あんな標高数百メートル以内の山を、ひたすらに登っていく。
自宅の裏から繋がる山道の入口から始まって、よいしょよいしょっと里山を登っていく。私が子どもの頃は、近所の人はみんな林業してたから、開けた地形がけっこうあった。里山というよりは丘陵に樹木が生えてる感じだった。
亡き祖父の話によると、戦時中はどの里山もはげ山状態だったらしい。戦争で石油燃料が不足したため、国民単位でみんな柴刈りをやりまくったのだ。グーグルマップで言うと、あの青々とした山がほぼ肌色だったということだ。
今は林業をする人はおらず、里山は荒れ放題である。てっぺんまで行っても町の景色など見えやしない。雑木の群れが頂上を覆い隠している。
樹木が生い茂ってないところだと、町の景色が見えたりする。山の標高は低いけど、限界効用が低いとでも言えばいいのか、珍しい景色なので壮観である。汗ダラダラで意識が朦朧としてるのもある。脳がマヒしている。
https://tadaup.jp/15183559802496/
高校時代の卒業アルバムも読んだっけ。柔道部に籍を置いていた。
高校卒業式の直後、部活メンバーみんなで柔道場でお祝いをするのだが――その時の写真が出てきた。
なんと、みんなからの寄せ書きも残っていた!! 超恥ずかしいけど公開してみよう。別にいいだろ。増田にこういう投稿するの、人生最初で最後なんだからさ。
(部員一同)
増田さんは、□△高校の相川さんがロリロリで好みなんですよね!!
相川さんを是非モノにしてください
増田先輩の行動で一番驚いたのは、■▲高校の藤田さんの写真をこっそり撮って、救急箱に貼っていたことです
閉会式の時、柔道着の藤田さんが目を閉じて、優勝旗に顔を傾けているやつです
とにかく3年間お疲れ様でした。先輩にはクソお世話になりました!!
増田先輩の柔道、粘り腰で凄かったです。どんな時でもあきらめずに、ベストを尽くしてました
冬の大会で4人抜かれてから5人抜きした時はマジでびっくりしました!
増田先輩の変態エクストリームハートには緊張させられっぱなしでした。
早く警察に捕まってください!!笑
増田先輩へ
増田先輩
お疲れ様でした!!
けど、引退した後もたくさん乱取り付き合ってくれて、たくさん寝技も教えてくれて、感謝してます
いままでありがとうございました♡
増田君が入部してきた頃にはどうなることかと心配をしました。ご卒業おめでとうございます。キャプテンとしての重責、大変ご苦労様でした。柔の道は、将来どこかで役に立つ時がきます。力必達(※つとむればかならずたっす)。何事も最後まで諦めず努めてください
・先輩ご卒業おめでとうございます これからも頑張ってください
・3年間お疲れさまでした 面白い先輩でした笑
・これからも今までみたいに頑張ってください
これはひどいwwwwwwを地で行く内容である。こんなん、人に見せられるもんじゃねーだろ。
でも、いいよ。増田民へのサービスだ。いつもお世話になってるからな。
そんなこんなで先月に就職が決まってから、結局最後までできなかったことがある。大学時代の思い出の開封である。
それ以外の思い出BOXはすぐに開封できた。実家にある元自分の部屋にある段ボール箱のテープを、ビリッとやればそれでよかった。でも、大学生時代は後味が悪すぎる。就職すらできずに、逃げるようにして卒業したんだから。正直、嫌な思い出である。トラウマと言っていい。
いや、大学の卒業式は出席したのだ。謝恩会にも。問題は、マクドナルドでの思い出である。
マクドでアルバイトしてたんだけどさ、卒店式っていうのがある。文字どおり店舗からの卒業式である。毎年3月にある。
卒店式だけど、マクドナルドって経営や店舗運営が外資ルールだから、エリア内の店ごとに売上を競わせるんだよな。
それで、いい結果を出してる店舗だとそれなりの貸館施設で、いまいちな結果の店舗だと近所の公民館を無料で借りて、ジュースやお菓子をテーブルに並べて卒店式をやる。
大学時代にアルバイトをしてたマクドの店は、成績がいいところだった。京都にある四条河原町店という名門店舗である。店舗番号は100番以内、つまりマクドナルド黎明期に作られたお店のひとつだ(今でもあるのかな)。
当時の私は就職活動に失敗して、無職neatでの卒業が決まって落ち込んでいた。
そんな時、自分のひとつ年下の後輩のスウィングマネージャー(※できるアルバイトが社員の仕事をする。時給+50円)から話があった。「増田さん今までお世話になりました。卒店式、ホテルグランヴィア京都でやりますからね。店長が、すげー男を見せてくれた(※足りない分は自腹切ったらしい)んすよ!! 自分、増田先輩のために送辞読みます」とか言ってた。
でも、私は嬉しくなかった。就職活動に失敗してニート確定の自分が、そんな場で送辞を読まれたって嬉しくもなんともない。畜生というやつだ。
結局、卒店式には出ないって後輩君に伝えた。すごくガッカリしていたよ。だって、彼が初心者の頃、私がずっと付いて教えていた。彼が嫌なことあって、アルバイト中に不貞腐れてる時でも、構わずにとにかく、いろいろ教えていったよ。
この子は才能があるから、すぐにうまくなるだろうと思ったけど、やっぱりすぐに上手になった。
ただスキルがあるだけじゃなくて、なんというか、仕事の本質がわかってるというか。能でいうところの上手(うわて)みたいな感じである。世阿弥がさ、『風姿花伝』で伝えてるような、社会人技能について嵩があって丈もあって(※今でいうとT型人材)、本質的なことがわかってる子だった。
一度だけ、後輩君から催促を受けた。二度だったかもしれない。あの時のことは覚えてる。
あれは事務所だった。「卒店式出ましょうよ」というシンプルなものだった。しかし私の答えは……。
「そんな気分じゃない。早く就職しないと。すぐにできないかもしれんが」と言ったら、「増田さん。AJCCで2回も勝ったじゃないですか!! 余裕っすよ」と言ってた。
※AJCC…マクドナルドの技能大会。「2回勝った」とは、地区大会と府大会で部門別優勝したの意。関西大会では、府大会と違うメンツでオペレーションになったので、コミュ障だった私はボロボロの成績だった
その後の後輩君とのやり取りは覚えてない。最後の方だと「あのな、後輩君。どんだけ綺麗に、上手く、速く、素早く、ハンバーガー作れたってな。社会じゃ何の役にも立たねーんだよ!」と悪態をついた。
それで、後輩君は黙ってしまって、それ以来やつとは会話していない。最後の勤務日も、淡々と仕事を終わらせて――いや違う、確か女性の学生客がトイレでゲロ吐いたんだっけ――それの片付けを夜に終えて、私にとってのマクドナルドは終焉を迎えた。
帰りに、同じくマクドナルド河原町三条店(※こちらは関西最古の店舗らしい。今でもあるのかな)に寄って、チョコパイかベーコンポテトパイを買って帰った。マックポークだったかもしれない。マックチキン……( ;∀;)
しんみりしてしまった。
学生時代の思い出を開封するのは心理的にキツイ。けど、時間は限られている。いったん妻とこのアパートを出たら、帰ってくるのは十数年後になるかもしれない。妻はうちの実家嫌いなので……。
そんなのはちょっと、想像したくなかった。というわけで、アパートの自室の押し入れを開けて、学生時代の禁断に近い思い出の段ボール箱を開封した。
そしたら、いろんなものが出てきた。当時のガラケーとか、大学時代の成績表とか、学位記とか、マクドナルド辞めてから郵送で届いた卒店式の寄せ書きとか、昔の授業ノートとかだな。産業社会学部のゼミのみんなで撮った記念写真もあった。京都駅の近くで行われた社会科学の研究展示会で賞を取った時のやつだった。当時の日記も出てきた。
その日記、最後の方だけパッと読んでたんだが、どうやら学生時代の私は卒業時に108万円の貯金があったらしい。なんでそんなにあったかというと、大学1回生の時からマクドナルドで週5で働き続けていたからである。いわゆる超修行をしていた。ここまで働いてると、身体が脳をハックするようになる。
……厨房の注文画面が「ピッ」と鳴ったら、考えるよりも前に身体がハンバーガーを作り始める。考えるんじゃなくて、調理行程を『感覚』が捉えるようになる。トングとか、ソースガンとか手に取るんだけど、なんかさ、感覚がさ、一体感がすごい。トングが身体の延長というか、もはやマクドナルドというお店自体が、自分と一つになってるような、そういう感じ。
例えば、トングを握ってパティ(肉)を掴んでる時って、体のどこがそれを認識してるのだろうか。
指先だと思うかもしれない。けど、その指を支えているのは筋肉組織と関節であり、それらをさらに骨組織が支えている。物質に触れている指先というのは、入口である。
骨組織と言ったけど、トングでパティを掴んだ時の刺激って、関節の中を電気信号が走って、最後は脳に伝わる。ということは、刺激というのは、結局は指先じゃなくて『脳』が認識している。
でも、その刺激って指先が認識してると人は解釈することができるし、実際にしている。脳が認識してると捉えることもできるし、体の先っちょが認識してると捉えることもできる。
こういう解釈が成り立つということは、指先が触れてるトングそのものが、パティの感触を認識してるってことにもならないだろうか。
剣道の達人だと、竹刀が体の一部みたいになっていたりする。サッカー選手だったらボールである。そうだ、ここでの私にとっての肉体の最延長は、指先じゃなくて、トングなのだ!!
もう少し延長すると、店舗で働いている自分というのは、床に立っている。呼吸をしている。ほかの従業員やお客さんの存在を感じ取っている。ということは、其処に存在している以上は、その床を、空気を、ほかの店舗スタッフを、お客さんを、なによりマクドナルド四条河原町店という、その存在が――私という人間の延長として考えることはできないだろうか。
実際、国際赤十字とか、国連とか、国際NPOとかで働いている人、それ以外にも人類福祉のための活動してる人って、地球とか、人類社会そのものを自分の延長として捉えてるんじゃないか? そう感じざるを得ないようなニュースがたまに飛び込んできたりする。
それはさておき。108万円の貯金、結局どうしたんだっけ。
あー、そうだ。グータラだった自分は、フリーター生活とともに2年もしないうちに霧消したんだった。でも、あのお金があってよかった。あれがなければ、秋から始まる奨学金の返済に対応できなかった。
あの頃(23~25才)の私は、アルバイトではダメだと、奨学金の返済に耐えられるだけの仕事を探して、探して、探しまくって、ようやくたどり着いたのが今勤めている金型の製造工場だった。
始めは出荷場での勤務だったけど、オペレータの給料が高いというので転属を申し出たのだ。これらは当時の日記を読み返して初めてわかった。案外、人は記憶を改ざんするものである笑
ちなみに、まだ奨学金を返済できていない。普通の社会人だったら、繰り上げで30前半くらいには全額返済できていると思われる。今はその程度の稼ぐ力すらないけど、これから妻と一緒に創り上げていきたい。
2024年9月15日 YOUTUBEチャンネル 『令和の虎CHANNEL』主宰などを務める、株式会社MONOLITH Japan代表取締役 岩井良明氏が死去した。
彼のことを高く評価する向きもあるようだが、私は彼に対して否定的な評価を有している。
今回、彼の死去を機に、岩井良明氏が団長を務めていた同志社大学応援団でおきたリンチ事件について書こうと思う。
※お断り。岩井良明氏は死去しており、死者に対する名誉毀損は「虚偽の事実を摘示した場合」にのみ刑事上処罰されます。また、民事上も概ね同様です。よって、本記事が名誉毀損等にあたることはないものと考えています。死去により、生存する人物としての保護の対象ではなくなり、歴史上の批判にさらされることになることをご理解ください。
まず、問題の「同志社大学応援団のリンチ事件」とはどのようなものであるか、当時の新聞記事(1982年5月23日朝日新聞朝刊)では以下のように報道されている。
『同志社大学(松山義則学長)の応援団で、新入生が団員にしごきの「リンチ」を加えられて全身打撲の大けがを負ったことが22日明るみに出た。大学側は事態を重視して同日、応援団と同部に所属する吹奏楽部の対外活動を禁止するとともに団関係者から事情聴取を進めている。
大学側の調べによると、20日夜から21日未明にかけて、京都市上京区烏丸上立売下ルの同大大学会館別館(学生会館)の応援団部室で、商学部に今春入学した団員の一年生A君(18)に対し応援団の二年生部員五人が「応援方法を指導する」と言って、殴るけるなどの乱暴を加えた。A君は21日朝、自分で近くにある同大学の厚生館診療所に行き治療を受けた。全身に打撲傷を負っていたため、不審に思った医師が尋ね「リンチ」がわかった。事態に驚いた大学側はA君をタクシーで下宿へ送る一方、応援団関係者から事情を聴くとともに29、30日に西京極球場で予定されている伝統の対立命館大戦にも応援団を出場させない方針を決めた。新発足した関西学生野球リーグで同大にとっては二位をかけた大事な試合。
27日夜には京都の繁華街・四条河原町に同志社、立命館の両大学の学生がそろって繰り出し、応援団が主役を演じる恒例の「同立前夜祭」が行なわれる予定だったが、これも中止される見通しになった。
同大学応援団は一般学生の応援の指導をするリーダー部と、伴奏の器楽演奏をする吹奏楽部に分かれており、団員は百人を超える。大学側はこの不祥事で、リーダー部だけでなく吹奏楽部の自粛を決定。これに伴い同吹奏楽部は22日京都市・岡崎で開かれた京都府内八大学の合同演奏会への参加を辞退した。
同応援団は数年前にも暴力事件を起こし、大学側から団の活動を二年間に渡って禁止されたことがある。
同志社大野球部OBの一人は「伝統の同立戦を控え、立派な応援ぶりを期待していたのだが…。勇ましいのは結構だが行き過ぎは困る」と残念がっていた。』
これに対して、岩井氏はブロク(2006年に掲載した記事、現在は削除)で、リンチ事件は実在しない。リンチ被害者の狂言である、自分の背中を自分で叩いたのだ、と主張している。
令和の虎CHANNELにおいても「冤罪」などと述べている。
これについて
・まず、当時の新聞記事からわかるように、被害者とされる人物が何者かからリンチを受けたというのは「医師の診断」により発覚し、同志社大学側が把握したとされている。
医師が全身の傷を検査し、加害による負傷に間違いないと診断したのである。そこに疑いの余地はない。
・岩井氏はブログで「あれほど暴力はあかんって言い続けて来たのに。」と述べている。しかし、岩井氏のブログでは、自身が下級生時代先輩団員から暴力を受ける様子が克明に記録されている。例えば、1981年の出来事として「その後、我々三回生はリーダー部長にどつかれ、二回生は三回生にどつかれ、一回生は二回生に半殺しにあった。」との記述がある(2006-11-24岩井氏ブログ記事)。暴力、しかも「半殺し」が横行していた応援団で「暴力はあかんって言い続けて来た」というのは無理がある。
・当の応援団自身が、リンチ事件の存在を歴史上の事実として認めている。同志社大学応援団は現在は復活して存在するが「リンチ事件は存在した、二度と発生させない」という見解を有しており、代々悪しき事例として語り継いでいる(同団ではこれを「継承」と呼んでいる。)。(なお、私が応援団に関わっていた当時、岩井氏が「同志社大学応援団の総監督に就任したい」との意向を有しており、他のOBらがそれを阻止していた、という話を見聞きしたことがある。)
これらの事実にも関わらず、岩井氏は結局最後までリンチの事実を認めることなく、被害者を貶めて来たのだと評価せざるを得ない。
岩井氏自身がリンチの実行行為に関与していないとしても、応援団の最高責任者として監督責任を有していたことは明らかであり、責任があるはずである。にもかかわらず稚拙な論理で冤罪を主張し、死ぬまで事実を認めなかったのは、残念である。
去年、プラッツ近鉄時代から20年くらい世話になってる京都駅のソフマップが閉店した。京都駅周辺で初めて出店したデジタルモノに強い家電量販店だから、なんやかんやで重宝したわ。ここでパソコンも2回買ったし、大学帰り、会社帰りでよくゲームも買った。
まあ、晩年はそのプラッツ近鉄跡にできたヨドバシに行くことの方が多かったけどね……。
やっぱり最後にテナントを構えてたイオンモール京都は、京都駅からは微妙に遠く、休みの日にイオンモールに行ったときについでに寄る店で、仕事帰りに寄る店という感じではなかったのが大きい。せめてアバンティ京都のままなら寄ることも多かっただろうけど。
ちなみにソフマップが出店されてた頃のアバンティ京都はティーンズ向けファッションビルとしての色合いが強く、本来の客層とソフマップに寄る客層が完全に分かれてたのが面白かったりする。そんな、アバンティもアニメイトが出店されたり、ドンキが出店されたりしてだいぶ空気も変わってしまったが。
ソフマップ京都店の思い出話はさておき、なんか最近、ソフマップがメチャクチャ少なくなってないか……?
梅田のソフマップはなくなったし、日本橋ではジョーシンと張り合うように出店されまくってたのに、今じゃ大型店が1つあるだけ。昔は京都の四条河原町にも出店されてたりもしたが……。
店舗リストを見てても、ビックカメラに間借りして出店されてるケースも多いし、なんでこんなに減っちゃったんだろ。みんなパソコンを買わなくなって、デジタル家電だけで食ってくのはしんどくなったんかねぇ。
久しぶりに京都の街を歩いた。
ちなみにこんな音が出る。
千と千尋の神隠し「あの夏へ」 https://www.youtube.com/watch?v=OyOUaDy9_LU
その前にこのTikTok動画を見てた。カリンバではないが、これもいい。
https://www.tiktok.com/@enbiggen/video/7013546281284996357
お店に中に入る。
店員さんに聞くと、探しにくいところにひとつだけ在庫があった。
ただ箱に入ってるので、試し弾きができない。
諦めて店を出た。
家に帰ったが、やはり欲しくなった。
GECKOというメーカーのカリンバを3300円くらいで購入した。
今から楽しみだ。
昼頃書いたが流れたのでトラバで再掲
「11/8(木)京都市の横暴な自転車撤去・10の問題点」― https://note.mu/jss/n/na102e3abebcf
上の記事に批判的なブコメが集まっている。トップブコメの内容はこうだ。
"id:sakuya_little 好きな場所に好きなだけ停めさせてくれなきゃヤダヤダ!駐輪場も無料にしてくれなきゃヤダヤダ!というアホ"
京都市というのは幅広い面を持つ市である。二寧坂や四条河原町といった観光地や歩道の輸送力が逼迫している場所であれば、即時自転車撤去というのはやはり理に適っているだろう。しかし四条河原町で言えば、阪急のターミナル駅が存在する交通の要所であるのに、駐輪場は先斗町駐輪場・七之舟入駐輪場ぐらいしかなく、昼間はほぼ必ず満車である。大規模地下駐輪場を整備せず、自転車撤去政策を推し進めるのはやはり横暴と言えるのではないだろうか?
さらに言えば、地下鉄東西線の東山駅は、地下鉄駅があるにも関わらず、自転車駐輪場が存在しない。そして当然のように自転車撤去強化区域に指定されている。どうしろというのか?市内の慢性的な交通渋滞を減らすためには自転車の活用しか短期的に打てる政策がないという状況で、この有様である。パークアンドライドのパークがなければライドもできない。地下駐輪場の整備は急務かつ義務であろう。
そして本題である。こうした圧倒的に駐輪場が不足している状況で、百万遍以北のような歩道の大きさに余裕があり観光地としてあまり見られていない場所では、市内の自転車撤去を少し緩やかにして、例えば店に入るときに店頭に20分程度自転車を駐輪し、買い物が済めばそのまま乗り去る、という自転車の使い方が出来た方が、自転車が交通の妨げとなって迷惑を掛けられるデメリットよりも、利便性によるメリットが大きいのではないか?さらに言えば、買い物を自家用車でなく自転車で行うことで、交通渋滞を減らし、結局は道路容量の有効活用に繋がるのではないか?
方法は簡単である。駐輪撤去の巡回で、自転車にシールを張って、シールが貼られた自転車は撤去すれば良い。無秩序な駐輪を減らしたければ、京大内にあるような自転車ラックを歩道内に整備し、ラックから外れた自転車は撤去でも問題なかろう。こうしたビジョンを基に、元記事の著者は「駐輪場の無料化」ということを主張したのではないだろうか?
まあここまで書いて、この記事に付く反応は予想できるのだ。自転車が歩道にあるとやはり迷惑であると。家の前に駐輪されて我慢できるのかと。私は全く気にならないのである。歩道なんてすれ違える程度に道幅が確保されていればそれでいいじゃないかと感じてしまうのである。そこは価値観の違いなのだろう。私は、程度にもよるが、駐輪による迷惑よりも、自転車の利便性による快適さを取りたいと思ってしまうのである。
「11/8(木)京都市の横暴な自転車撤去・10の問題点」― https://note.mu/jss/n/na102e3abebcf
上の記事に批判的なブコメが集まっている。トップブコメの内容はこうだ。
"id:sakuya_little 好きな場所に好きなだけ停めさせてくれなきゃヤダヤダ!駐輪場も無料にしてくれなきゃヤダヤダ!というアホ"
京都市というのは幅広い面を持つ市である。二寧坂や四条河原町といった観光地や歩道の輸送力が逼迫している場所であれば、即時自転車撤去というのはやはり理に適っているだろう。しかし四条河原町で言えば、阪急のターミナル駅が存在する交通の要所であるのに、駐輪場は木屋町駐輪場・七之舟入駐輪場ぐらいしかなく、昼間はほぼ必ず満車である。大規模地下駐輪場を整備せず、自転車撤去政策を推し進めるのはやはり横暴と言えるのではないだろうか?
さらに言えば、地下鉄東西線の東山駅は、地下鉄駅があるにも関わらず、自転車駐輪場が存在しない。そして当然のように自転車撤去強化区域に指定されている。どうしろというのか?市内の慢性的な交通渋滞を減らすためには自転車の活用しか短期的に打てる政策がないという状況で、この有様である。パークアンドライドのパークがなければライドもできない。地下駐輪場の整備は急務かつ義務であろう。
そして本題である。こうした圧倒的に駐輪場が不足している状況で、百万遍以北のような歩道の大きさに余裕があり観光地としてあまり見られていない場所では、市内の自転車撤去を少し緩やかにして、例えば店に入るときに店頭に20分程度自転車を駐輪し、買い物が済めばそのまま乗り去る、という自転車の使い方が出来た方が、自転車が交通の妨げとなって迷惑を掛けられるデメリットよりも、利便性によるメリットが大きいのではないか?さらに言えば、買い物を自家用車でなく自転車で行うことで、交通渋滞を減らし、結局は道路容量の有効活用に繋がるのではないか?
方法は簡単である。駐輪撤去の巡回で、自転車にシールを張って、シールが貼られた自転車は撤去すれば良い。無秩序な駐輪を減らしたければ、京大内にあるような自転車ラックを歩道内に整備し、ラックから外れた自転車は撤去でも問題なかろう。こうしたビジョンを基に、元記事の著者は「駐輪場の無料化」ということを主張したのではないだろうか?
まあここまで書いて、この記事に付く反応は予想できるのだ。自転車が歩道にあるとやはり迷惑であると。家の前に駐輪されて我慢できるのかと。私は全く気にならないのである。歩道なんてすれ違える程度に道幅が確保されていればそれでいいじゃないかと感じてしまうのである。そこは価値観の違いなのだろう。私は、程度にもよるが、駐輪による迷惑よりも、自転車の利便性による快適さを取りたいと思ってしまうのである。