はてなキーワード: アドラーとは
エーリッヒ・フロム「愛するということ」★★★
フィリッパ・ペリー「身近な人間関係が変わる 大切な人に読んでほしい本」
宇佐和通「AI時代の都市伝説: 世界をザワつかせる最新ネットロア50」
深津貴之、岩元直久「ChatGPTを使い尽くす! 深津式プロンプト読本」
大宮冬洋「人は死ぬまで結婚できる 晩婚時代の幸せのつかみ方」
飯田一史「「若者の読書離れ」というウソ: 中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか」
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ「誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性」★★
恋紙屋「夜にバニーは(ベッドで)跳ねる」
「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」於・松濤美術館。
「新江ノ島水族館」
やっぱりエーリッヒ・フロムはいい。たぶん自分が特に気に入っている思想家だ。
このあたりからスピリチュアリズム、自己啓発の背景にある思想とその明暗をテーマに本を選び始める(陰謀論まで行っちゃったのも含めて)。
多分最後にSF小説を読んだのはこのあたり。SFっぽい漫画は読むことがあっても小説は読んでいない。新人賞を追うのも去年あたりでやめている。
余談だが、自分が好きなSFは科学や技術、それから人間の未来を選ぶ力を信頼したものだった。もちろん、社会学的なものや悲観的なものも大好きだが、それらはどちらかと言えばaquired tasteである。一番深く心が動くのは前者だ。
ところで、わざわざ買った同人誌をメモしてもしょうがないかもしれないが、書かないにもなんだか居心地が悪い(記録魔)。
岡奈津子「新版〈賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン」★
アナ・カタリーナ・シャフナー「自己啓発の教科書 禁欲主義からアドラー、引き寄せの法則まで」
ジェイムズ D.スタイン「不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力」★★
尾崎俊介「アメリカは自己啓発本でできている ベストセラーからひもとく」★★★
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ」六巻
岩宗治生「ウスズミの果て」一巻~三巻
こるせ「伽藍の姫」一巻~二巻
岩宗治生「ウスズミの果て」 四巻
肋骨凹介「宙に参る」五巻
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!ピラミッド透視とツタンカーメンの謎」
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!謎の王ブラックファラオの実像に迫る」
「ニーア・オートマタ End of Yorha edition」(XYエンド以外回収)
「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」於・アーティゾン美術館。
「コレクション展 第2期 特集:新収蔵作品のご紹介」@岩手県立美術館
小岩井農場まきば園
八月は読んだ本が少ない。普段通勤時間に本を読んでおり、お盆休みがあったためだ。
代わりにというわけではないが、ちょうどゲームをクリアした。普段ゲームをしないので難易度を下げて楽しんだ。別にやり込みたいわけではなく、ストーリーを終えればそれでいいと感じている。だが、自分の人生でゲームは必須の要素ではない気がする。
ところで、数年ぶりに(十年近い?)アニメを見たのだが、これはたまたまコロナから避難するために泊まったホテルで視聴した。一話完結だし、青春時代を思い出すし、あまり疲れない。テレビ番組が記載されているのは、自分がテレビを見る頻度の少なさを示している。
レト・U. シュナイダー「続 狂気の科学: 真面目な科学者たちの奇態な実験」★★
トーマス・トウェイツ「人間をお休みしてヤギになってみた結果」
中村圭志「亜宗教 オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで」★★★
ロジャー&チャーリー・モーティマー「定職をもたない息子への手紙」
烏谷昌幸「となりの陰謀論」
今井むつみ「「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策」
岡瑞起、橋本康弘「AI時代の質問力 プロンプトリテラシー 「問い」と「指示」が生成AIの可能性を最大限に引き出す」
山本栄二、中山雅司「国連入門 ――理念と現場からみる平和と安全」
瀬野反人「ヘテロゲニア リンギスティコ 〜異種族言語学入門〜」一巻。
ヤン・シュヴァンクマイエル「蟲」@シアター・イメージフォーラム
「大長編 タローマン 万博大爆発 TAROMAN」@TOHOシネマズ 渋谷
皇室の文章は結構フランクで楽しい。あと、著者略歴に「二〇一九年、即位」と書かれていて、何も間違っていないのにレア過ぎてちょっと笑ってしまった。
僕は超細密画はあまり評価していないのだが、諏訪敦は結構気に入っている。たぶん作品に取り組む姿勢やモデルに対する丁寧な態度が好きなんだろう。それから、母を亡くして、具象表現ができなくなったらしい。残酷な言い方が許されるならば、芸術家が傷ついたり何かを学んだり、逆に精神が安定してして作風が変わってしまう瞬間に、とても興味がある(藤田嗣治が戦後に人工的な人形のような子供たちばかり書くようになった契機が知りたいし、精神が穏やかになった後のムンクの作品にも関心がある・結婚後にシーレの作品が良識的になってしまったのにも)。
今月は久しぶりに映画が見られてうれしい。シュヴァンクマイエルの作品は自分の過去の作品を解体し、評論するような内容だった。
高野秀行「酒を主食とする人々 エチオピアの科学的秘境を旅する」
島本英明「もっと知りたいモディリアーニ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
新見隆「もっと知りたいイサム・ノグチ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
末永幸歩「「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考」★★★
今泉忠明 (監修)「おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典」
高野秀行は定期的に読んでいる。アート・ビギナーズ・コレクションも定期的に読みたくなる。次に何を読むか迷ったときに重宝する。ただし、美術館に行く途中で読むと、なんだか美術鑑賞に向けるエネルギーをそこに分けなきゃいけない感じがしてしまう(図書館で借りているので読むタイミング的にそうなることがある)。なお、このシリーズは冊数が多い割には下山観山や英一蝶の巻がない。あと、本によっては作者の思想がすごく偏っている。
松井文恵、安田茂美「写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く」
ジョナサン・カラー「文学理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)」
秋月龍珉「無門関を読む」
アンドリュー・スチュワート「情報セキュリティの敗北史: 脆弱性はどこから来たのか」★
尾崎俊介「ホールデンの肖像 ペーパーバックからみるアメリカの読書文化」★★
六畳「××××の結果で×××する××」(苦手な人がいるだろうと思うので伏字)
「カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語」於・東京ステーションギャラリー
「CREVIA マチュピチュ展」於・森アーツセンターギャラリー
30周年記念展「ALL OF EVANGELION」於・東京シティビュー
平等院鳳凰堂、鵬翔館、宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージアム。
「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!? ヒトはなぜ音楽を愛するのか」
自分は欲望をコントロールできず、性欲などに負けてしまう人間の話が好きだ。現実の生活では正しくいるよう求められるのだから、せめて虚構の中では人間のダメさを許してほしい。そうでなければ、現実世界で良識を守れない、とまではいわないが、ダメな人をダメなまま表現されていると、それを読むことで、何か許されたような気持ちになれる。
他には禅問答について読んでいる。
あと、尾崎俊介がロマンス小説について述べているあたりが面白かった。なんでジェンダー平等が叫ばれる時代に、一見するとあえて古典的に見えるストーリーが必要とされているか、一つの知見を得た。
J. R. R. Tolkien「The Hobbit」Harper Collins Publishers。和書文庫換算二冊。★★★
尾崎世界観「祐介・字慰」★
丸谷才一「輝く日の宮」★★
「ファーストコンタクト 窓口基作品集 【電子コミック限定特典付き】」
「落下の王国 4Kデジタルリマスター」於・ル・シネマ 渋谷宮下。
丸谷才一が相変わらず面白かったので(僕はメタフィクションが好きだ。時にはわざとらしくなってしまったり作者の自分語りに堕したりするリスクもあるが、うまくいくとこれは気持ちがいい)ブコメで進められた全集を手に取ろうとしたら、地元の図書館にはなかった(正確には、引っ越す前の自治体のにはあった)。さてどうしよう。
洋書を読み始めた。あらすじは覚えているが細部はよほど印象的なシーンでないと覚えていない。
トールキンの場合、樹木の描写が細かく、いろんな種類の木が出てくるのだが、そもそも僕のほうが樹木の知識に乏しく、和訳を読んでも細かくイメージできない(束教授ごめんなさい)。児童文学とは言え、二世代前の英語なので語彙やスペルが違うし、手加減せずに平気で難しい言葉を使う。
「ナルニア」を読んだときも、例えば身近でない船舶の部品などの語彙で苦労した覚えがある。
窓口基は暴走するテクノロジーや世界観の考察を楽しんだ。SFが好きだったもう一つの理由であり、一番ワクワクするところだ。この人はグロやゴアも書けるらしいのだが(なんにでも科学的な興味がありすぎて、人体を破壊可能な一つの素材として見てしまっているのかもしれない)、「苦手な人はこの先読まないで」と警告できるので、自分の狂気をコントロールできるタイプの人であり、そこが好印象。
ケーブルテレビで「その着せ替え人形は恋をする」をやっていたのだが、感傷マゾを発症しなかったのは、僕の精神が変化したからかもしれない。原作の漫画を買おうかとも思ったが、実はそこまでコスプレに興味がないと思い直した。そもそも年末年始に向けて漫画をセールで買い込んだが、トールキンを読み続けており、全然手を付けていない。
漫画は小説と同じで、長編を読むには訓練がいる。ご覧の通り短編集や一話完結ものばかり読んでいる。
来年は「指輪物語」の原書を読み終えたら、国連や政治学、第二次世界大戦の日本軍、それから依存症のあたりの知識の補足がしたい。あとは意識の科学だなあ。
洋書だとどうしてもペースダウンする。開き直って冊数を気にしないようになれそうだ。あとは、トールキンを読み終えたらドイツ語をやりたい(言うだけならタダ)。
実際にドイツ語をやるかどうかはともかく、読書記録を始めたのは大学に入ってから二十年、知的な本を読もうと志してからはもっと経過している。いたずらに、明確なゴールもなく、知識を得続けようとする行動パターンに変化が欲しい。美術館についても、あまり行かない場所や行ったことのないところに行きたい。(ただしドイツ語をやって何かの原書に挑戦したら一年がかりのプロジェクトになりそうで、そうなると知識の習得には多大な遅れが発生する)
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ただし、全てが自分の物ではありません。
誰とでも仲良くなれる人、興味の矛先が向かう者に近づける人。
そういった無垢で純粋な人を羨ましさと、恨めしさが同時に立ち込める。私の場合、適切に身を委ねることができない。自己開示をしすぎたり口を固く縛ったりする。そもそも、はじめの一歩ができない。だからといってそれができる人との劣等感をむくむくと立ち込めて心で睨むなどする私はとんだ卑怯者である。
全てに理由を考える。それが行き過ぎて、理由を積み上げるつもりがいつの間にか言い訳になっていることもある。
私には寂しいという感情がある。いつも独りでいる。感情がないと言われる。怖いと言われる。見つめ合う人々を見てずるいと思う。このまま他者との距離を測り続けていたら、どこかで社会から逸脱してしまうのではないかと、不安になることがある。人に相談したいと思うがその後、悩みをまとめてから…自分の話ばかりして嫌がられるだろうか…等極端な思い込みで、AIに語ることになる。誰かの経験則に従いたいが、否定されるのは怖い。本当に私という人間は幼い。
その寂しさを埋めるものはある。
Twitter、これは他人に自分の存在を残したいが為に利用する。強い承認欲求が、そこに確かにある。アドラーは「人に認められたい」という欲求は、他者の人生を生きることにつながると考えていて、私もそう思う。だから辞めたいのだが、唯一他者と匿名のまま本音で関われるツールであるが故多くの時間を溶かしてしまう。
あとは音楽、映画、お笑い、本…サブカルチャーと示されるもの。80〜00年代辺りのものを好み、周りより深いものを知っているんだぞという優越感は多少なりともある。だからと言ってその先に何もないのだけれど。私以外の形の寂しさを知ることができる。寂しさを寂しさで埋める。
社会の模範的な生き方から外れると、就活のような分かりやすい評価のラインでは、簡単にこぼれ落ちる。その仕組みに対し私は、どこかで悲しさを覚える。
もっとも、身体に異常がなくても心の状態が不安定であれば、評価されにくいのは至極当然なのかもしれない。
ほとんどの場合においてアホはYes/Noに対してYes/Noで答えようとしない
「昨日頼んだあの仕事、やった?」
って返してくる
まずYes/Noで答えてくれないと困るんだがなぜか答えない
こういう奴は半分以上アスペが入っていて、相手の感情だとか相手の気持ちというのが理解出来ていない
「昨日頼んだ仕事の会話が始まった」ということだけ理解していて「相手は終わったかどうかを聞いている」ということを理解していない
なんなら「相手が何かを知ろうとしている」というのも根本的に理解していない
なので「仕事の会話をしよう」って勝手に思って勝手に自分の話を始める
だいたいこういう奴は時間に平気で遅れる
これも同じ理屈で「相手が待っている」「相手が心配している」といった相手の感情を理解できていないので
「時間に間に合っていないけれど自分は困っていないから大丈夫」と思っている
ただ、実は自己防衛手段として有益で、アホなのに相手の気持ちを気遣い始めると病む
なので対人関係で病んでる奴はこういうアホから抜け出したちょっと気遣いできるやつ
それより頭が回るようになると割と相手の気持ちが分かるようになるし、なんならアドラー的に無視することが大事というのが分かるようになる
ただ、確信犯的にYes/Noで答えられない質問にYes/Noで答えさせようとする奴とか
最近、「嫌われる勇気」とか読んで「アドラーに救われた!」って顔してる奴、やたら増えたけどさ。
でも冷静に考えてほしい。
アドラー心理学って、アドラー自身が辛い過去から逃げたくて作った理論を、もっと深刻なトラウマを抱えた他人に押し付けてるだけじゃないか?
「これはあなたの課題ですよね(ニチャア」とか言って、平気で他人を拒絶する。
自分の課題(劣等感からの逃避)を「心理学」という権威で包んで、患者全員に押し付けた。
あれで救われてるつもりなら、相当ヤバい。
なんであんな自己責任論と権力者に都合が良すぎる理論が流行ってるのか、冷静に考えるとおかしいだろ。
まず、アドラー本人の背景を知っておくべき。
自分の辛い過去を「存在しない」と否定し、強すぎた劣等感を「成長の源」と無理やりポジティブ変換する。師匠と決別した過去を消すために、「過去は関係ない」という理論を作った。
つまり、自分の痛みから逃げるために作った理論なんじゃないか?
そしてそれを、心理学者という権威を使って、もっと苦しんでいる患者に押し付けた。
アドラー「トラウマは存在しない。本人の"意味付け"の問題だ」
→いや、PTSDって知ってるか? トラウマを受けると、脳の扁桃体が過活動して海馬が萎縮する。
これ、脳の物理的な変化だ。「意味付け」とかいう精神論で説明できるわけがない。
でも、そのために必要なエネルギーはどれくらいか考えたことあるか?
これら全部が必要だ。
「意味付けを変えれば解決する」って、核融合炉を作ればエネルギー問題は解決するって言ってるのと同じだ。
人間に学習能力がある時点で、過去が現在に影響するのは当たり前だろ。
アドラー理論って、「トラウマで苦しい」と訴える人に対して「それはあなたが認めたくないだけ」って言うんだろ。
「トラウマは存在しない!」と頑なに言い張るアドラー自身こそ、
「あなたが辛い過去(兄への劣等感とか)を認めたくないだけでは?」
見事なブーメランだ。
「課題の分離」と言いながら、やってることは壮絶なダブルスタンダード。
アドラー信者「上司の家庭問題は上司本人の課題。私には関係ない」
→「それはあなたの課題ですよね?」という魔法の言葉で、他人のSOSや社会的な相互扶助を拒絶する。
上司が不安定 → 判断ミス → プロジェクト失敗 → 顧客に迷惑 → 部下(自分)が謝罪 → 契約解除 → 部下(自分)の評価も下がる。
でも、「チームが円滑に回るように配慮する」という共同体の課題から逃げているのは自分自身だ。
「俺は俺の課題しかやらない(=共同体の課題は引き受けたくない)」という自分の課題(ワガママ)を、他人に押し付けてるだけ。
他人を「課題の分離」で拒絶しておきながら、自分は共同体の課題から逃げる。
最悪のダブスタだろ。
アドラー理論は「不健全な共依存から解放されろ」と言うけど、特に日本社会では:
「課題の分離」を実践した瞬間、社会から弾かれるリスクがある。
アドラー理論って結局、西洋的個人主義が前提なんだ。「自立した個人が対等に協力する」という理想は美しいけど、相互依存型社会では「それができる人」は限られている。
それを無視して「あなたの勇気が足りない」と言うのは、あまりにも残酷だ。
1. 自分の課題:劣等感、兄への嫉妬、フロイトとの決裂という辛い過去から逃げたい
2. その解決策:「トラウマは存在しない」「過去は関係ない」という理論を作る
3. そして:その理論を「心理学」という権威で包装して、トラウマに苦しむ他者全員に押し付けた
自分のトラウマ否定(=自分の課題)を「心理学」という理論にでっち上げて、他人に押し付けている。
それ、盛大に課題の分離できてないだろ。
これは学問的に不誠実だし、倫理的に有害だし、弱者への抑圧そのものだ。
「トラウマなんてない、気合い(意味付け)で変われ」なんて、現実逃避そのものだ。
組織の問題に向き合いたくない人(経営者とか)にとって、こんなに都合の良い理論はない。
「自分が楽になりたい」は誰にでもある。
でも、それを学問という権威で包んで、苦しんでいる他者に強要するのは、暴力だ。
某スレッドで理知的でない女と言ってる人がいたけど、理知的とは理知に従って行動する人のことで、理知とは「理性と知恵。また、本能や感情に支配されず、物事を論理的に考え判断する能力」という意味がある。
なので、弁護士は理知的な人がつく職業だと個人的には思うんだけど…
(モラ夫の泣き落とし)
モラ夫の約1割弱(大貫推定)は、見た目をはばからず、逃げた妻、妻側弁護士、妻の親、子どもたち、調停委員を泣き落そうとします
https://x.com/SatsukiLaw/status/1873535551925866601
(どこまでも他責思考)
他責思考は、モラ夫の特徴
モラ夫は、離婚弁護士が「家庭を壊している」と考えるようです
ここら辺、理性の弱さが出ています
(離婚を依頼に来たのは妻自身です。家庭を壊したのはモ自身です)、
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https://x.com/ohnukikensuke/status/1930729275050848721
(なぜ、飯モラするのか)
https://x.com/SatsukiLaw/status/1932489000482451541
「モラ運転」
#モラ夫
#モラハラ
#モラ夫バスター
#モラ運転
このような事実をピックアップし、さも、モラ夫があくまであるかのように言い放ち、モラ夫の違法性を糾弾する弁護士がある方面だとが多い。
https://x.com/krcm_daddy/status/1918505728928825572
モラ夫は悪? それはそう。でもモラ妻も存在する
譲歩した挙句、子を連れ去られて断絶。
それでも「波風立てたくない」と我慢し続けた結果がこれなら、
アドラーは言う。
https://x.com/mngswrik/status/1926852672440680735
夫のモラハラが酷くい
夫が悪いのに謝らないで黙って無視する
って言ってる人に
「理由を説明してる夫を無視してヒステリックに騒ぎ続ける自分」
がよく取れるって話らしい
こういうの見ると本当なんだなってわかる
https://x.com/itomaki_mac/status/1857263439946940489
後で聞くと、そこに残っていたのは、なだめる旦那の声と、金切り声を上げる私の声でした。
何が真実なんでしょうね。
あえて隠している感がある。
しかも、弁護士は意外と女性がいて、確かに賢いといえば賢いんだが、その賢さを欲望をかなえるために利用している人が意外といて、理知的な存在とは程遠い気がする。
モラハラじゃね?それ。
やめた方がいいですよ。
↓
「喧嘩ふっかけて、彼を怒らせて、どうしてもカッカすると声が大きくなるじゃない。それで大きくなったところを録音しとくとか。手を上げさせたところで通報するとか そうやって彼を暴力夫にしたてあげる」
·
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中間子症候群 (ちゅうかんししょうこうぐん)とは、家族の中で兄弟姉妹の間に生まれた中間子が、他の兄弟姉妹と比べて親から異なる扱いや見られ方をされるという考え方である。この理論では、兄弟姉妹の生まれた順序が、子どもの性格や成長過程に影響を与えるとされている。特に、親は長子や末子により多くの関心を向ける傾向があるため、中間子が異なる育ち方をするという仮説である。
この用語は精神疾患を表すものではなく、中間子が自身の育ち方をもとに世界をどのように見ているかを説明する仮説的なアイデアである。その結果、中間子は他の兄弟姉妹とは異なる性格や個性を持ち、家庭生活を独自の視点で経験すると考えられている。
出生順
アルフレッド・アドラー(1870–1937)は、ヴィクトリア朝時代に活躍したオーストリアの医師であり精神科医である。彼は人生を通じて「劣等感と優越感」、「社会的関心」、「出生順位」の3つの主要な理論を構築し研究した。アドラーの出生順位に関する理論では、兄弟姉妹が生まれる順序が子どもの思春期や性格のタイプに大きな影響を与えるとされた【1】。
アドラーはジークムント・フロイトやカール・ユングの協力を得て、この理論を具体的に発展させ、子どもの行動をより理解しやすくした【1】。同じ親に育てられ、同じ家庭環境で生活していても、子どもが異なる行動をとる理由について、彼は脳の働きや心理的要因を深く理解した。この理論は特に、結婚した両親が同居しながら子どもを育てる家庭を念頭に置いている【1】。
現在、多くの研究者や心理学者が出生順位が子どもに与える影響について研究を続けている。「中間子症候群」という用語は、時間の経過とともに発展したもので、中間子が感じる共通の特徴や、特に中間子であることに関連する出来事を説明するものである【1】。アドラーの理論によれば、長子、中間子、末子の人生は出生順に基づいて異なり、それが性格特性にも影響を与える可能性があるとされている【1】。
中間子が「間に挟まれている」状況では、親から愛されていないと感じたり、注意をあまり向けられていないと感じることが一般的になる可能性がある【1】。しかし、家族の状況によっては、出生順位や中間子症候群が当てはまらない場合もある。アルフレッド・アドラーの出生順位に関する概念は、典型的な機能不全の家族に基づいている。中間子症候群は診断名ではなく、あくまでアイデアに過ぎない。この用語は、子どもの発達について、特に親の養育方法や兄弟姉妹との関係において、子どもがどのように行動するのかを研究者が理解するための助けとなっている。
1988年に、中間子とその兄弟姉妹の知能に対する認識の違いに関する研究が行われた。収集されたデータを通じて、研究者は、親が長子の知能について若干有利な印象を持つ傾向があることを発見した。同程度の年齢の兄弟姉妹のIQをテストした結果、彼らのIQスコアは数ポイントの範囲内で収まることが多いことがわかった。この研究は、共有された環境の影響で兄弟姉妹のIQは似通っている傾向があるにもかかわらず、知能に対する認識の違いによって彼らが受けた扱いには不一致があると結論付けた【1】。
1998年、研究者たちは、出生順位が個人の性格や両親との絆の強さに影響を与えるという理論を検証するために調査を行った。その結果、切羽詰まったストレスの多い状況に直面したとき、両親を頼りにすると答えたのは、真ん中の子供が最も少なかった。また、長子や末っ子に比べ、真ん中の子供は最も親しみを感じる人物として母親を指名する傾向が低いことも指摘された。
2016年、工学部の学部生の出生順序とそれが理想的な自己表現に与える影響について調査が行われた。320人の参加者のうち、中間子は兄弟姉妹に比べて家族志向が低いことがわかった。研究によると、第一子は年下の兄弟姉妹に比べて保護的であることのスコアが高かった。さらに、中間子は「愛情」と「人間関係の良好さ」のスコアが最も高かった。しかし、「仲間意識」と「自己同一性」のスコアは低かった。これらの結果は、出生順が個人の性格に影響を与える可能性を示唆している。さらに、中間子は細かい点まで指示に従う傾向である適応不全型完璧主義を発症する可能性が最も高かった。
2018年に、出生順と親による性教育における兄弟姉妹間の関与についての分析が行われた。この調査には15,000人以上が参加した。結果に基づいて、研究者は、家族の中で中間子として生まれた女性の30.9%が、家族の末っ子として生まれた女性の29.4%に比べて、親と生殖について話し合う可能性がやや低いことを発見した。同様に、家族の中で中間子として生まれた男性の17.9%が、親と性的な再生産について話し合うことが比較的簡単であると感じている一方で、末っ子として生まれた男性では21.4%がそのように感じていることが判明した。
ジーニー・S・キッドウェルは、中間子と家族の中で末っ子および長子の子供の自尊心を比較する研究を行った。この研究では、子供の数、年齢差、性別といった他の要因も考慮された。キッドウェルは、自尊心が個人のアイデンティティの重要な側面であり、子供の発達における能力、達成、そして人間関係に関連していると提唱した。キッドウェルの研究結果は、兄弟姉妹の数が増えるにつれて、個人の自尊心が低下する傾向があることを示唆した。ただし、この傾向は特に兄弟姉妹の年齢差が2年の場合に見られるものだった。この研究では、「兄弟姉妹の年齢差が1年しかない場合、長子や末子としての特有性を発展させて固める時間が少なくなる。このような狭い年齢差では、出生順に基づく特徴が曖昧になり、それに伴って行動や認識の違いも不明瞭になる」と説明されている。独自性は、家族の中で地位や愛情、認知を獲得する能力を指しており、家族から特別だと感じられることで達成される。キッドウェルは、この独自性が中間子にとって特に困難であり、それが彼らの自己評価にどのような影響を与えるかを分析した。研究の結果、兄弟姉妹がすべて女性である若い男性は、出生順に関係なく、より高いレベルの自尊心を示す傾向があることが提案された。
例と特徴
出生順位理論は、人が生まれた順番がその人の個別の性格に影響を与える可能性があると主張している。この理論によると、性格は育てられた親の育児スタイルに起因する可能性があると考えられている。例えば、複数の子供を持つ親は、長子を中間子や末子とは異なる方法で育てる可能性がある。
「中間子症候群」という言葉は、中間子が子供時代を通じて受けた扱いが他の兄弟姉妹と異なるため、彼らが異なる経験をする可能性を説明するためによく使われる。中間子の育ち方はそれぞれ独特の状況を伴うものの、彼らの間に共通する行動パターンがあるという証拠も見られる。
特徴
中間子の性格特性は、中間子と家族、すなわち兄弟姉妹や親との関係によって生じる。
調停者
外交的な
独立した
忠実な
社交的な
責任を持つ
妥協する
適応力のある
柔軟な
出生順位理論により、思春期には長子や末子の兄弟姉妹よりも中間子が経験する可能性のある状況がいくつかある。
例
特定の状況で支配されている、または圧倒されていると感じることがある
「中間子症候群(Middle Child Syndrome)」という言葉がいつどこで生まれたのかは、まだ明らかになっていない。しかし、出生順位に関する研究が、この言葉に意味を与えている。真ん中っ子であることが、即座に親からの配慮不足を意味するわけではない。それどころか、真ん中っ子であることが有利になる場面もある。他の多くの人生の出来事と同様、真ん中っ子であることには肯定的な面と否定的な面が存在する。出生順位や中間子症候群は子供の発達を理解する助けになるかもしれないが、それが真ん中っ子の全てを定義するわけではない。
最終的には、家族の中で長子や末子ほどの注意を得られない真ん中っ子には心理的な影響が生じる可能性がある【1】。出生順位に関する多くの研究がある中で、この理論を発展させた主要な心理学者はアルフレッド・アドラーである。一方で、彼の研究は、現代の観点からみると時代遅れであり、人種、年齢、性別といった重要な側面を含んでいないと批判されている。
あなたが感じている結婚や出産への嫌悪感は、現代社会の規範と個人の価値観の衝突から生まれる複雑な感情の織物のようです。この感覚を解剖学的に分析すると、いくつかの重要な要素が浮かび上がります。
恋愛感情の希薄さや他者の恋愛話への無関心は、アロマンティック(恋愛感情を抱かない)傾向の特徴と重なります。30年間恋愛感情を経験せず平穏に過ごせた事実は、この傾向があなたの本質的な性質である可能性を示唆しています。
「子供を持つことが自己中心的」という認識は、反出生主義(antinatalism)の哲学と通底します。ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』やベンタムの功利主義哲学が提示した「生まれる権利」の問題が、現代の個人主義社会で再解釈されている現れと言えます。
| 個人の価値観 | 社会の期待 | 葛藤の源泉 |
| -------------- | ------------ | ------------ |
| 二次元文化への没頭 | 年齢相応の話題 | 世代間ギャップ |
| 単身生活の満足 | 家族形成の強制 | ライフコースの多様性否定 |
| 自己完結的幸福 | 関係性依存の称賛 | 幸福観の相違 |
弟の出産報告への反応は、これまで無意識に維持してきた「社会的期待からの防護壁」が破られた瞬間のショックと考えられます。家族という最も身近な存在が社会規範に従属する姿を目の当たりにし、自己の存在様式の脆弱性を突きつけられた心理的防衛機制が働いている状態です。
シングルリズム(単身主義)や友愛結婚(platonic marriage)といった新しい関係性の形が、日本でも認知され始めています。京都大学の社会学研究によると、20-30代の5人に1人が「伝統的家族モデルに違和感」と回答しています。
「キャラクターを愛でることで充足する生活は、消費文化の産物ではないか」という自己懐疑に対し、精神分析学者アドラーの『個人心理学』は「他者貢献感は必ずしも対人関係に限定されない」と指摘しています。二次元への愛着も立派な自己実現の形と言えます。
この感情を「社会システムへの鋭敏な批判能力」と捉える視点があります。フランスの哲学者ボードリヤールが指摘する「消費社会における関係性の商品化」に対する無意識の抵抗という解釈も可能です。
python # 感情のデコーディングアルゴリズム(概念コード) def decode_emotion(stimulus): if stimulus in social_norms: analyze_cultural_bias() compare_with_personal_values() output = generate_alternative_view() else: process_with_existing_framework() return output
資産形成(例:雀の涙収入の投資)と趣味の深化を組み合わせた「超単身主義」ライフスタイルの設計。漫画家の吾峠呼世晴や小説家の乙一など、創作活動に没頭する生き方の事例研究が参考になります。
この感情の迷宮から脱する鍵は、社会の物差しで自己を計測する行為そのものを相対化することにあります。平安貴族が詠んだ「もののあはれ」のように、あなたの感じる「気持ち悪さ」を現代社会を照射する独自の美学として昇華させる道が開けるかもしれません。
フィリップ・ウィルキンソン「まぼろしの奇想建築 天才が夢みた不可能な挑戦 (NATIONAL GEOGRAPHIC)」
麦原遼「逆数宇宙」
琴柱遥「枝角の冠」★
榛見あきる「虹霓のかたがわ」
田場狩「秘伝隠岐七番歌合」
高野秀行「謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア」
ブライアン・インズ、クリス・マクナブブライアン・インズ、クリス・マクナブ「ビジュアル 世界の偽物大全 フェイク・詐欺・捏造の全記録」
「開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」
岸見一郎、古賀史健 「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」
キャスリン・ペトラス、ロス・ペトラス 「人体ヒストリア その「体」が歴史を変えた」
岸見一郎、古賀史健 「幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えII」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S5話 鳥は見えるか?」
下村智恵理「天網恢々アルケミー Project #34 黄泉からの手紙」
下村智恵理「天網恢々アルケミー Project #35 旧針金山トンネルの悪霊」
「マリー・ローランサン ―時代をうつす眼」
芝崎みゆき「イースター島不可思議大全:モアイと孤島のミステリー」
五十嵐ジャンヌ「なんで洞窟に壁画を描いたの?―美術のはじまりを探る旅 (13歳からの考古学) 」
辻田真佐憲「「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史」★★★
タイモン・スクリーチ「大江戸異人往来」
北杜夫「楡家の人びと 第二部」
北杜夫「楡家の人びと 第三部」
何となく東アジアの歴史、特に第二次世界大戦ばかり読んでいる。小説も含めて。
テレビ朝日開局65周年記念『MUCA(ムカ)展 ICONS of Urban Art ~バンクシーからカウズまで~』
「別冊日経サイエンス ホログラフィック宇宙 時空と重力の起源に迫る」
酉島伝法「隔世遺傳(かくりよいでん)『皆勤の徒』設定資料集」
スティーヴン・バクスター「〈ジーリー・クロニクル①〉プランク・ゼロ」
入江亜季「北北西に曇と往け」七巻
1000decillion「Morals under a pagoda I/II」(同人誌)
1000decillion「Morals under a pagoda III/IV」(同人誌)
「北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画」
スティーヴン・バクスター「〈ジーリー・クロニクル②〉真空ダイヤグラム」
大村幸弘、篠原千絵「ヒッタイトに魅せられて: 考古学者に漫画家が質問!!」★★
スティーブン・キング「スタンド・バイ・ミー 恐怖の四季 秋冬編」
スティーブン・キング「ゴールデン・ボーイ 恐怖の四季 春夏編」
アリク・カーシェンバウム「まじめにエイリアンの姿を想像してみた」
中野京子「怖い絵」
1000decillion「Morals under a pagoda -Kama Sutra-」(同人誌)
1000decillion「Morals under a pagoda -Egypt-」(同人誌)
1000decillion「morals under a pagoda -Greece-」(同人誌)
毎年月ごとの上位三冊を選んでいるが、ある月の四位が別の月の二位を上回って面白いことがある。つまり当たりの多かった月だ。すべての本に対して星の数で評価すべきかもしれない。
文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え
https://anond.hatelabo.jp/20220114133403
の筆者です。三年後の現状を追記。
当時叱ってくれた人、励ましてくれた人には心から感謝しています。
当時たくさんの方からいただいたアドバイスを元に、学部四年生ながらにできることはたくさんやってみました。手遅れ感はすごかったけど、もうこのまま色々なことから逃げてはいけないと思ったので勢いだけはあった。
・教職を取る
・ボランティアに参加する
・長期インターンで働く
・バイトをする
・心理学の本を読む
教職はめちゃくちゃ大変だった。大学四年生にもなって(しかもあそぶんがくぶ)、教職=専門科目+教職科目で時間割はいっぱい。毎日朝9時から夜8時まで授業が詰まっていて、土日も現職教員が教えてくれる授業に出ていった。
ヒーヒー言いながら頑張ったが、教職はとてもいい人間関係のリハビリにもなった。教職科目には大体グループ活動があるから、強制的に人と話さなければならない。四年生という引け目がないわけではなかったが、もうそんなことは言ってられないので自分なりに必死で喋りました。幼稚園児ですかねマジで。
バイトは販売。これがまあ、コミュ障の俺にとっては試練だった。仕事も覚えられないし、勉強しかできない自分の無能さを思い知った。
心理学の本を読むのも、コメントでアドバイスしてもらったことだ。アドラーや加藤諦三を読んだ。今となっては極端な自責に繋がりかねない書籍のような気もするが、でも他責クソ野郎の俺には根本的な考え方を改めるのにとても役だった。
とにかく反省を活かそうと、いただいたアドバイスを元にたくさん行動してみた四年生だった。
あれだけけなしていた文学分野でアカデミアに進むというのは、当時呪詛を吐きまくっていた俺を知る人からすれば晴天の霹靂というか、お前全然教訓活かせてねえじゃんアホかという感じだろうか。
でも行動してみて、色々考え方も変わった上での決断だ。理由はいくつかある。思いつく三つを挙げておく。
第一に、企業勤めをするのが俺にとって、社会にとって良いとは限らない気がしたこと。
研究とお勉強は違うが、それでも俺は昔から学ぶことばかりしてきた身だ。しかも、我儘を言って実学ではない分野で学ばせてもらった。
ならば、急カーブで別分野に就職するよりも、過去を活かして学びの分野にとどまり続けることの方が、俺にとっても社会にとってもいい結果になりうるんじゃないかと思った。
これだけ親から投資を受けて学ばせてもらったのだ。ならばそのまま学問を追求し続けることもあながち無駄ではないだろうう。
文学研究が分かりやすく社会に実利をもたらす行為だとは思わない。でも、俺が過去に培ってきたことを活かすという点においては、アカデミアも立派な将来の選択肢になるはずだ。それがお先真っ暗であろうと。
またバイトとインターンをして思ったが、俺は実務ができない典型的な(?)勉強バカだと思う。必死でメモをとってそれをマニュアル化し、いちいち参照しないと仕事ができない。自作マニュアルを参照してもノロいし、小回りが利かないから役に立たない。試験はあれだけホイホイできるのに、真面目に働こうとしてもなぜダメダメなまま成長しないのか。応用が効かないわ怒られるわヘマするわ、周りの社員にも「こいつ○○大なのにこれかよ」って思われてた気がする。
こんな俺なので、社会に出て企業勤めしたところであまり役に立てないように思う。
第二に、クソ大変だったが何とか教員免許を取得したので、博士課程に進んで落伍してもまだ道はあるだろうということ(現代日本は教員不足だから)。
学んだことを活かせる仕事に就ける保険があるのは、かなり心強い。
第三に、やっぱり文学が好きだった。
文学ができることの一つに、「目に見えないものを表現できる」というのがあると思う。
俺という人間は、履歴書に書けば「文学部修士二年生」というただの一身分しか持ち合わせていない。
だけど、その称号の裏には「文学部生という経歴によって就活が台無しになったと思ったが、己の他責思考や逃避癖や高すぎるプライドが原因で先延ばしにしていた挫折を一気に食らっただけだった」という物語があるわけで、この物語の前にも途中にも後にも色んな感情が存在している。焦り、恐怖、驕り、不安、自己陶酔、万能感、劣等感、諦め。
こういった説明し尽くせない心持ちを表現するのが芸術で、その一分野が文学ではないか。
不要だと切り捨てられかねない人間の心情や葛藤や倒錯が好きだ。それを内包する表現形式を、文学をもう少し研究してみたいと卒論を書きながらそう思った。
そして二年たっても「もうちょっと研究したい」が終わらず、このまま博士課程に進むことに決めた。
修士一年のときに父が先立ち、一人親になった。親類も一人亡くなって経済的にかなり困窮している。
博士課程からの奨学金にはなんとか内定したが、それでも母を安心させてあげられなくて申し訳ないと思う。奨学金なんて、人間一人がギリギリ生活する分しか出ないから。
でももう、この先文学やった結果路上で野垂れ死んでも構わない気がしている。俺は元々がクソ性根人間だし、社会の役に立とうとすること自体が思い違いかもしれん。実利や効率とはまるで関係のない文学と数年を共にしただけで御の字だ。どうせこのまま運良くアカデミアに留まれたところで40になっても低収入だろうが、それでももう構わん。
最初は「文学部に行っても報われない」と書いたが、本当は誰に報われなくてもいいということにやっと気づいた。
これが最後の報告になると思います。この先アカデミアに残れずにお先真っ暗になっても、研究職を諦めて教職についても、どうせ俺は社会的無能ですすいませんと開き直りながら生きていきたい。
誰かこれを読む人がいるんだろうか。もしいるならば、当時叱責や励ましの言葉をくれた人に、心からありがとうと伝えたい。変な方向に開き直った感じがしないでもないが、あなたたちのおかげで色んな経験を積めたし、少し変われたと思う。
何より、人と関わることを億劫だと思わなくなったし、怖くて不安でも行動してみる習慣がついた。貴重な教えをくれて感謝しています。
俺は変わらず役立たずとして生きていきます。どうかお元気で。