はてなキーワード: 精神分析学とは
「アブジェクシオン(abjection)」は、フランスの哲学者・精神分析学者のジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva)が提唱した概念。
この用語は、汚物や死体などの「穢れ」とされるものに対する心理的な反応や、社会からの排除のメカニズムを指す。
アブジェクシオンは自己と他者の境界を守るために重要な役割を果たすが、同時に恐怖や嫌悪感を伴うものである。
アブジェクシオンは、自己(主体)と他者(客体)の境界を保つための心理的な反応。主体が自分と異質なものを排除しようとする過程で生じるとされる。
身体的または精神的に「汚い」と感じるもの(血液、排泄物、死体など)に対する反応であり、これらのものは社会的にもタブーとされ、排除の対象となる。
クリステヴァは、文学や芸術がアブジェクシオンの感覚を探求し、表現する場であると考えている。これにより、個人や社会の無意識の中にある恐怖や嫌悪が表面化されると。
この考えの面白いところは、よく起こるWebの炎上を説明できること。
たとえばフェミニズムにおけるアブジェクシオンは、女性の身体が「汚れた」ものであると扱われたプロセスを説明するものだが、トランスジェンダー排除の生理的な感覚を説明するものでもあり得る。
小島一志という格闘技ライターがいる。格闘技と言ってもほぼ極真専門といっていい。
詳細はWikipediaやコジ苑というアンチwiki、Amazonの著作レビューでをご覧いただきたい。
外部から眺めている彼らより少し近い場所にいたので、そんな立場から見た彼を語りたい。
家高泰彦というライターがいる。
『極真大乱』という著書をあらわし、何よりも小島の大学時代の同級生で一時期は仕事も一緒にしていた人物である(現在は絶縁)。
小島と直接関わりを持つきっかけをわたし自身を例として回想してみてもその印象は同じである。
しかもそのスイッチがわからない。だから彼との会話は地雷原を歩くようなものだ。
「俺を侮辱するな!」「俺を疑うな!」
小島は怒ると大抵こういう風に言った。
しかし第三者として見てもどこが侮辱なのか、どこが疑いなのかさっぱりわからないことが大半である。怒られている当人には当然もっとわからなかっただろう。
小島は何でもない一言を過度に悪く拡大解釈し、しかも当人が言っていないことまで「言った」などと述べるのだ。
怒った時の小島はきわめて横暴で独裁的、まさしく暴君の言動であった。
その一方で、1日も日を置くと、「あのときは感情的になりすぎた」などと反省の弁を述べることも多かった。
当初は「困った人だが、きちんと反省や謝罪もできるんだな」と思っていた。
だが、あまりにもそのようなことが続くとさすがに異常に思えてくる。
そしてこんな風にも思い始めた。
これは共依存のDVカップルなどによく見られるコミュニケーションパターンではないか?
そんな人間と長く関係が続くはずもない。あるものは自ら去り、あるものは切り捨てられた。
わたしの時も同じであった。再三、理解不能な怒りを買ったあげくに切り捨てられたのである。
彼の会社である夢現舎には現在スタッフはおらず、息子との間でさえ険悪な仲のようであるが、それも当然であろう。最近では『大山倍達正伝』(新潮社)に協力したLeo氏が「0.1円も儲けさせたくはない」と発言しているのを見た。
その場に居合わせたわけでもなく、録音テープがあるわけでもないのに、あるシーンのやりとりや長台詞、心情、仕草まで詳細に記述するからである。
アンチはこれを称して作話、捏造の根拠のひとつとする場合が多い。
催眠ショーでよくあるのだが、「あなたは○○(歴史上の有名人)だ」という暗示をかけたら、被催眠者は顔つきも声色も、姿勢も変わってなりきった言動を行う。強い暗示にはそのような力があるのである。
彼のYouTubeチャンネルを見てほしい。大山倍達、芦原英幸の語りを再現する時の様子を。
すっかり本人になりきっていると思わないだろうか?
人間関係が悪化すると、いままで許せていたものが許せなくなる。
これはほとんどの人間がそうだろう。それにしても小島のそれは極端に過ぎる。
非常に難しく、自分も十全に理解しているとは言えない。だから説明はしない(ネットでわかりやすい説明を見つけたら、それは大幅にはしょって簡略化したモデルであると言い切ってもいい)。
・現実に,または想像の中で,見捨てられることを避けようとするなりふり構わない努力
・理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる,不安定で激しい対人関係の様式
もう一つ、社会心理学に認知的不協和理論というものがある。精神分析学では防衛機制において「合理化」といわれている概念にほぼ等しい。
矛盾した言動や納得できない状況などに対して、それを正当化するために認知をゆがめ、自らを納得させるための理屈を作り出す。
思い込みの激しい小島の場合は、妄想の物語を作り出すという形で表れる。
だから小島自身は嘘をついているという自覚はないのではなかろうか。少なく見積もっても6割、多ければ8割ぐらいは本気で信じているように思える。
これに被害感情の強さが結びついた時、極度の人の好き嫌いが生とも考えられる。
イタコ気質は生来のものであろうが、それ以外は育成環境もかなり影響しているような気がする(なんとなくそう思うだけである、明確な根拠はない)。
原田寛『最後の直弟子が語る 芦原英幸との八年間』によると芦原英幸がきわめて猜疑心の強い人物だったようだ。
そして小島は芦原に心酔している。
2022/6/30 加筆訂正
近代版[2]の浦島太郎には、善行を行えば報われるという、「仏教的な因果応報思想」が意図的に盛り込まれるとの解説がある[15]。近代版には、亀が「おれいに竜宮へおつれしましょう」と語っているので、報恩の意志ははっきりしている[注 7][16]。
しかし、近代版では浦島の結末は、短く竜宮で楽しんだ後は老人となってしまう。結果的に自身が不幸に陥ることになるので、報恩といえるかどうか、疑問視もされ[17]、「アンチ報恩譚」とのレッテルを張る論文すらある[18]。お伽噺として不合理な教訓をもたらすことになっているのではないかというものだ[要出典]。また古い浦島子伝説では報恩の要素は見いだせないとされる[19]。
中世(『御伽草子』、後述)の場合は、主人公が単に老化してあるいは死んで終わるのではなく、鶴と化して「めでたき」結末となっている[20]ので、より報恩譚として成立する。これについては逆に、亀の放生を行った程度で容易に無限の宝を得られるでは釣り合わない、との批判がみられる[21]。鶴になる結末は何を伝えたいのかわからないとの向きもある[1]。
精神分析学の岸田秀は、浦島が亀[注 8]に乗って入る、時の流れのない楽園である竜宮城を、抑圧も欲望の不満もない子宮のメタファーとし、軽率に竜宮城を出た浦島が玉手箱を開けることで時間の中に組み込まれる物語は、性的欲望に仮託した子宮復帰願望の物語であり、何の不安もなかった幼い日々を失った嘆きの物語と解釈した[22]。
小児性愛障害は、小児(通常13歳以下)を対象とする、反復的で強い性的な興奮を引き起こす空想、衝動、行動を特徴とします。
小児性愛はパラフィリアの一種です。他者に危害を及ぼすことから、精神障害とみなされます。
A.少なくとも6ヵ月間にわたり、思春期前の子どもまたは複数の子ども(通常13歳以下)との性行為に関する強烈な性的に興奮する空想、性的衝動、または行動が反復する。
B.これらの性的衝動を実行に移したことがある、またはその性的衝動や空想のために著しい苦痛、または対人関係上の困難を引き起こしている。
C.その人は少なくとも16歳で、基準Aに該当する子どもより少なくとも5歳は年長である
退行型情緒的に未熟で社会的能力に欠け、子供を同等者とみなすタイプ。本当は同等の成人と関係を結びたいのだが、自尊心が低い状態で、それができないので主に脅迫を用いて子供と行い、自分の子供を標的にする場合もある[5]。
倫理観欠如型反社会的で手当たり次第に虐待を行うタイプ。周囲を利用し暴力を振るうことが人生そのものであり、犯罪の罪悪感がほとんどなく、相手の弱さと犯行のタイミングを基準にして被害者を選ぶが、SM系のポルノグラフィーを収集している場合もあり、妻や友人なども虐待の対象に入り、子供も対象になるのは、たまたま条件に合ったからに過ぎない[6]。
性的嗜好が曖昧で、あらゆるタイプの性行動を試そうとするタイプ。セックスならば何でも試してみようとするタイプであり、子供を対象にするのは単なる実験であり、自分の子供も対象となり、大量のポルノグラフィーや猥褻文学などを保有している可能性も高いが、児童ポルノの占める比率は低い[7]。精神分析学の用語では多形倒錯と呼ばれる嗜好である[8]。
社会不適応者で、様々な障害などのある場合。この特徴を持つ人の多くは無害であるが、積もり積もった衝動がそのような行為へと走らせる場合があり、子供が弱いことを利用し、性的好奇心を満たそうとする[9]。被害者を殺害する場合もある。
内向型社会的スキルの欠如のため子供を誘惑できず、見ず知らずの子供か幼児を選ぶタイプ。子供の集まる場所をうろつき、観察したりいたずらしたりする。児童買春を利用する場合もある[11]。子連れの母親と結婚し、その子供を被害者にする場合もある。
加虐型被害者に苦痛を与えなければ性的満足を得られないタイプ。誘惑や強要で子供と接触し、性的暴行目的の誘拐殺人の事件を起こす場合もあるが、数はそれほど多くない
「いずれ大人になったら経験することなのだから教育的な観点で性的接触を行っただけだし、相手もそのことについて好意を持っていたはずだ」
「可愛いからついついかわいがるつもりで一線を越えてしまった。決して傷つけようと思ったわけではないし相手もそれを受け入れていた」
「盗撮されても、相手が気づいていなければ犯罪ではないし、誰も傷つけていない」
「他の性犯罪(強姦等)に比べて、自分のしていることはひどくない・大した事ないから捕まらない」
「前に捕まったのは、運や やり方が悪かったからだ」
「嫌なら逃げられるはずだ」
「嫌がられたらやめる(から嫌がる人にはしていない、触っても嫌がられていない)」
状況的児童性虐待者(性的行為の対象は児童のみに限定されない)
退行型情緒的に未熟で社会的能力に欠け、子供を同等者とみなすタイプ。本当は同等の成人と関係を結びたいのだが、自尊心が低い状態で、それができないので主に脅迫を用いて子供と行い、自分の子供を標的にする場合もある[5]。
倫理観欠如型反社会的で手当たり次第に虐待を行うタイプ。周囲を利用し暴力を振るうことが人生そのものであり、犯罪の罪悪感がほとんどなく、相手の弱さと犯行のタイミングを基準にして被害者を選ぶが、SM系のポルノグラフィーを収集している場合もあり、妻や友人なども虐待の対象に入り、子供も対象になるのは、たまたま条件に合ったからに過ぎない[6]。
性的嗜好が曖昧で、あらゆるタイプの性行動を試そうとするタイプ。セックスならば何でも試してみようとするタイプであり、子供を対象にするのは単なる実験であり、自分の子供も対象となり、大量のポルノグラフィーや猥褻文学などを保有している可能性も高いが、児童ポルノの占める比率は低い[7]。精神分析学の用語では多形倒錯と呼ばれる嗜好である[8]。
社会不適応者で、様々な障害などのある場合。この特徴を持つ人の多くは無害であるが、積もり積もった衝動がそのような行為へと走らせる場合があり、子供が弱いことを利用し、性的好奇心を満たそうとする[9]。被害者を殺害する場合もある。
内向型社会的スキルの欠如のため子供を誘惑できず、見ず知らずの子供か幼児を選ぶタイプ。子供の集まる場所をうろつき、観察したりいたずらしたりする。児童買春を利用する場合もある[11]。子連れの母親と結婚し、その子供を被害者にする場合もある。
加虐型被害者に苦痛を与えなければ性的満足を得られないタイプ。誘惑や強要で子供と接触し、性的暴行目的の誘拐殺人の事件を起こす場合もあるが、数はそれほど多くない
「いずれ大人になったら経験することなのだから教育的な観点で性的接触を行っただけだし、相手もそのことについて好意を持っていたはずだ」
「可愛いからついついかわいがるつもりで一線を越えてしまった。決して傷つけようと思ったわけではないし相手もそれを受け入れていた」
「盗撮されても、相手が気づいていなければ犯罪ではないし、誰も傷つけていない」
「他の性犯罪(強姦等)に比べて、自分のしていることはひどくない・大した事ないから捕まらない」
「前に捕まったのは、運や やり方が悪かったからだ」
「嫌なら逃げられるはずだ」
「嫌がられたらやめる(から嫌がる人にはしていない、触っても嫌がられていない)」
ポルノのポルノたる所以は,女性の複雑な主体性を無視して,その劇中での人格を観客である男性の性的興奮を刺激することにのみ隷属させることにある。
で,24時間テレビ〜バリバラ近辺で知られるようになった感動ポルノもまた同様に,障害者の複雑な主体性を無視して,その番組中の人格を観客である健常者の感動を呼び起こすことにのみ隷属させることを指している。
食欲ポルノというのもあるらしいが,それもまた,料理本来の複雑なありようを無視して,その映されかたを視聴者の食欲を刺激することにのみ隷属させることを言う。つまり,本来は不要なクリームなりチーズなりが,本来は不要なほどに熱せられて溶けしたたっていた方が美味しそうなのであればそう見せる,ということだ。
だからポルノか否かの違いは,岡田斗司夫が言うように安直であるかどうかにあると言ってもいいのだが,同時に彼が言っている「感動させようとしているかどうか」にはない。
そんなの,誰だって感動させようとはしている。
ただ,感動させようとするときに,時に失われそうになる題材の複雑なありように気づけるかどうか,気づいた上でそれを尊重するかどうかにこそ,ポルノか否かの分かれ目はある。
クライマックスでいかにもなBGMを流すのは安直だと,岡田は安直に否定するが,話はそう単純ではない。
例えば対位法はいかにも安直ではない雰囲気を可能にする手法だと言えるが,何故そうなのかといえば,例えば残酷なシーンであればそれが持つ複雑さの中にある悲しさや可笑しさをBGMに担わせれば対象の複雑さの一端が担保されるからである。
しかし,本当の現実に寄り添えば,そもそもBGMなんて流れないわけで,何かしら音楽を流した時点で対象の複雑さを毀損してるとも言える。BGMが流れていなければ如何ようにも解釈できたはずの対象に,一定の方向付けをしてしまうからだ。
それでも,繰り返しになるが何かしらの芸術的作品を作るからには誰だって受け手に感動してほしいと思っている。ただ世界の複雑なありようが描かれていればそれが正義だというわけでもない。
もう一度言う。
感動させようとするときに,時に失われそうになる題材の複雑なありように気づけるかどうか,気づいた上でそれを尊重するかどうかにこそ,ポルノか否かの分かれ目はある。
つまり,例えば目の前の女性に対して,自らの性欲に隷属させようとして彼女の主体性を踏みにじるような,そんな行動様式で何かを伝えようとすることこそがポルノを作るという行為なのだ。
女性の,障害者の,料理(を丹精込めて作った料理人の心)の,その尊厳を一顧だにせず自分勝手な目的の手段にすることがポルノを生むのであれば,それはもはやレイプと言えよう。
感動ポルノに感動するということは,レイプの映像を見て性的興奮を覚えるのと同じくらい,道徳的には救い難く,精神分析学的には,まあしょうがないのかもね。
おぼちゃんが本を出した事から、産経のニュースサイトに寄稿している精神科女医片田珠美のdis記事を見て、この人本当に医者なの?と思った。
具体的には
・荒唐無稽
といった言葉使いが気になった。
・医師検索で片田珠美の名前を検索しても検索結果には出てこない
とはいえ、マス相手に文章を書くと文学ちっくな文章癖が出る人かもしれないし、片田珠美はペンネームかもしれないから、断定できる要素じゃないよな、というところで落ち着くつもりだった。
しかし、ぐぐった中で、どうしても引っかかった点が一つだけあった。
片田珠美のアマゾンプロフィール説明には、”フランス政府給費留学生としてパリ第8大学精神分析学部でラカン派の精神分析を学ぶ”とある。
ここには、太字で
ttp://www.sankei.com/west/news/130214/wst1302140041-n1.html
と書いている。
フランスに留学してたくらいの人だよね?フランス語は日常生活以上の語学力つけて行った人だよね?しかも専門分野の用語だから、間違った言葉の使い方は気になるもんだよね?
raison d'être = reason for being
もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。
汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。
面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。
私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。
自分の精いつぱいの物を。
然し、必ず、こはれるものを。
然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。
それより外に仕方がない。
それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。
私が、私自身に裁かれさへしなければ。
たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。
坂口安吾著「余はベンメイす」
自分は前回、少なくとも今の自分が"そうである"と信じる所を書いた訳である
しかし、いくつかの指摘には自らの答えを以って表明とするのが正しいと信じ、追記をする
前回の記事を書いた後の指摘にて自分が後悔したのは"欲望がどこから来るのか"という部分だ
それは押し付けられたのではなく、もともと潜在的に有していたモノが開花しただけかもしれない。
クジラックスが好きだけど異常性癖になった事はない、ただ少女愛は元々備わっていて偶々手に取ったのがそういった趣向のエロ漫画だったというだけだ。
これらの指摘は、全く正しいと思われた
"人はエロ漫画の持つ力で屈服させられ、目覚めさせられ、開発され、汚染される"といった趣旨の事を書いたように思う
私は私の体験を文章として切り取ったにすぎず、故にこれを撤回しない
しかし、自分は自分の表現し得る辺縁の部分まで突き詰めてみたく思う
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。
おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。
フリードリヒ・ニーチェ著「善悪の彼岸」
自分を屈服させ、従わせ、駆り立てるのは誰か
あくまで「自分が選び、自分が惹かれ、自分が決断し、自分が選んだ」に過ぎない
決めたのは自分自身に他ならない
然しそれでも、私の主観としては「作品によって、自分は屈服させられたのだ」という感覚を捨てきれない
春本を読む青年子女が猥セツなのではなく、彼等を猥セツと断じる方が猥セツだ。
そんなことは、きまりきつてゐるよ。君達自身、猥セツなことを行つてゐる。
自覚してゐる。それを夫婦生活の常道だと思つて安心してゐるだけのことさ。
誰がそれを許したのですか。
許し得る人は、たゞ一人ですよ。自我!
坂口安吾著「余はベンメイす」
「明らかに自分が選んでいる筈なのに、屈服させられていると感じる」という主観
主体と客体の逆転がここで生じることについて、このエピソードが近しいのではないか
荒い海で漁師として働いたことがあったという(一夏のアルバイトであったと想像しよう)。
この時、船の上で、彼の同僚である無教養な男が、海上を指差した。
強い陽射しを反射して、キラキラと輝いていた。男は次のようなジョークを放った。
対象a
人間が一生を通して追求するもので、想像界や象徴界や現実界の中間にあり、欲動が求める対象。
他の精神分析学派の主張する部分対象や移行対象、自己対象との関連性が指摘される。
経験として象徴化された世界の背後の示唆、亀裂、欠如としてのみ経験される。
単なる事実以上の何かを孕んでいるという不確定な過剰さを喚起するもの。
満たされない欲動の向かうところ
詳しくはこれを参照して欲しい
求めれば完全に満たされ、不快なことはすぐに排除され、自分の意志によってすべてが好転する
「世界には自分以外の存在があり、すべてが自分の思い通りなるわけではない」という事が分かるようになる
絶対的な依存や信頼、母子密着状態からの脱却、対象との関係性の生起である
母親の代わりに毛布を肌身離さず持ち歩くようになる(※1)
成人した後は、形を変えて残る
人は過去の幻影を追って止まないし、追わないで居られるほど聖人君子でもない
「夢を追う」「面影を探す」「憧憬する」「焦がれる」「つい見てしまう」「どうしてか同じ行動をしてしまう」
幼児の頃の万能な世界や、絶対的な幸福、真理や真実と表現されるもの探し求める
絶対的な愛情は存在しないし、絶対的な幸福は存在しないし、絶対的な絶望も存在しない
しかし、人はそれを求める
逆説的であるが、人がそれを追いかけるときに初めて真理は存在することとなる
即ち真理は、常にたゞ探されるものです。
探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。
真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。
坂口安吾著「余はベンメイす」
自分が信じた正義(今回で言えば、緑のルーペ氏が描いた人間の尊厳を冒涜するエロ漫画を否定する事)は
主観としては作品そのものの力によって屈服させられたように感じられる
自分を駆り立てものはいつだって「ガラクタ」、「吊るされた人参」、そして坂口安吾の言う所の真理である
欠如の象徴としてのそれらを埋めるため、自分は「人の倫理を破壊する作品」に惹かれる
それと同時に、自らの正義がそれを許容せず「自分が望んでいるのではない、望まされたのだ」と投影させる
それは、こうした葛藤を生じさせることに意識的であったからだろうか
※1:投影
投影(projection)とは、自分のなかにある受け入れがたい不快な感情や性格を他者が持っているかのように知覚することである。
たとえば、怒りっぽい人が、自らの怒りの感情を受け入れず、それを他者に投影して逆に他者が自分に対して怒っているのだと決めつけるような場合である。
現実界
フロイトの現実原則や、カントの命題"ein leerer Gegenstand ohne Begriff"(「掴み得ぬ空虚な対象」。独語)
などから敷衍した概念で、空虚で無根拠な、決して人間が触れたり所有したりすることのできない世界の客体的現実を言う。
以下に記述する想像界にも象徴界にも属さない領域であり、例としてはトラウマや不安、現実における体験などで言及される。
象徴界
ラカンは言語活動によって形成される人間のつながりを大文字の他者と名づけている。
これは自己と他者をつなげる共通の第三者としての言語を指している。
大文字の他者も言語活動の一部であることから、象徴界に属するものとして考えられている。
想像界
その正確な描写となると大変な労力を要するような対象と世界を指しており、
かつわれわれが頭で思っているものを言う。
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科学哲学者のカール・ポパーは、反証可能性を持つかどうかを「真の科学」であるかどうかを見分ける基準として提唱しており、それ故彼は精神分析学は科学ではなくて疑似科学に過ぎないと断じた。
福島章教授が足利事件の精神鑑定録音テープを破棄した心理 : 少年犯罪データベースドア
福島章氏が足利事件の精神鑑定録音テープを破棄した件 | ロテ職人の臨床心理学的Blog
足利事件の精神鑑定に対する日垣隆氏の意見 | ロテ職人の臨床心理学的Blog
犯行動機の構成と成員カテゴリー化実践 : いわゆる「足利事件」における精神鑑定をめぐって(II 自由論文) - 文献詳細
松木 洋人
大貫 挙学
CiNii 論文 - 犯行動機の構成と成員カテゴリー化実践 : いわゆる「足利事件」における精神鑑定をめぐって(II 自由論文)
Amazon.co.jp: 冤罪の軌跡―弘前大学教授夫人殺害事件―(新潮新書)
「所謂変質状態ノ基礎状態テアル生来性神経衰弱症」「表面柔和ニ見イナカラ内心即チ無意識界ニハ残忍性『サディスムス』的傾向ヲ包蔵シテ居リ両極性相反性ナル性格的傾向ヲ顕著ニ示ス」と鑑定した
1952年 5月31日 控訴審終了。Nに懲役15年の有罪判決。
1981年 4月27日 青森地裁弘前支部で一審終了。Nが部分勝訴。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/1981/1981_6.html
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/1986/1986_7.html
google:生活保護法がある限り、経済的理由での中絶は認められない。
[多数論証][アローの不可能性定理][多体問題][じゃんけん]
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
[ホトトギス][不如帰][時鳥][織田信長][豊臣秀吉][徳川家康][上司]
「合理的無知=コストパフォーマンス的に、政治の勉強に膨大な時間を費やすより、適当に暮らしてた方が合理的。」
The Ultimate English: ディベートのジャッジについての考察
はてなブックマーク - 審査員を審査する(仮題) : 作品情報 - 映画.com
1年生の算数の時間に、先生が「2-1は1、では1-2は?」というので「-1」と答えたら不正解にされた。
「パパが教えてくれたもん」
「おまえのパパは気違いだ」
群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と答えた者は暗殺された。
相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。
相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。
ジョン・モーリー
はてなブックマーク - ディベート教育とか、キモイので、やめてほしい(ほしかった) - 女教師ブログ
ymScott 社会, 思考 ディベートってのは「自分ですら本気にしていない事を詭弁を駆使して観客に納得させるゲーム」のことだろ。
何でそんな詐欺技術を教育しなきゃいけないのか未だに解らない。
ディスカッションをこそ学ばせるべき。
チェリー・ピッキング (英: cherry picking) とは、
数多くの事例の中から自らの論証に有利な事例のみをならべたてることで、
命題を論証しようとする論理上の誤謬、あるいは詭弁術。
ストローマン(英: straw man)は、
議論において対抗する者の意見を正しく引用しなかったり、
歪められた内容に基づいて反論するという誤った論法、
あるいはその歪められた架空の意見そのものを指す。
藁人形論法ともいう。
衆人に訴える論証(しゅうじんにうったえるろんしょう、羅: Argumentum ad populum)とは、
論理学における誤謬の一種であり、多くの人々が信じているという理由で、ある命題を真であると論証結論付けること。
多数論証、多数派論証とも。
88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。
世界中の大多数が神を信じているのだから、神は実在する。
人身攻撃(ラテン語: ad hominem、argumentum ad hominem)とは、
ある論証や事実の主張に対する応答として、その主張自体に具体的に反論するのではなく、
それを主張した人の個性や信念を攻撃すること、またそのような論法。論点をすりかえる作用をもたらす。
人格攻撃論法ともいわれる
偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。
[多数論証][アローの不可能性定理][多体問題][じゃんけん]
科学哲学者のカール・ポパーは、反証可能性を持つかどうかを「真の科学」であるかどうかを見分ける基準として提唱しており、それ故彼は精神分析学は科学ではなくて疑似科学に過ぎないと断じた。
[天動説][地動説][コメンタリオルス][コペルニクス][ガリレオ]
7対1の賛成多数によって判決は下された。
[差別]黒人が人間だと考えることは不可能である。モンテスキュー
1932年7月の国会議員選挙ではナチ党は37.8%(1930年選挙時18.3%)の得票率を得て
230議席(改選前107議席)を獲得し、改選前第一党だった社会民主党を抜いて国会の第一党となった。
「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯(うそぶ)く
選択肢が3つ以上あるとき、
定義域の非限定性、全会一致性、無関係な選択対象からの独立性、非独裁性をすべて満たす
コミュニケーションにおける最大の問題はそれが達成されたという幻想
韓国地下鉄火災事件における「多数派同調バイアス」と「正常性バイアス」
多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ
多数決をとってみたところでそれが正しさの保証とはならないデカルト
[同調圧力][空気の研究][馬鹿]同調圧力・空気の研究・馬鹿・いじめ
多数論証
88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。
世界中の大多数が神を信じているのだから、神は実在する。
米国人の6割「原爆投下は正しかった」、米世論調査 国際ニュース : AFPBB News
米調査組織『ギャラップ』によると、アメリカ人の92%が神を信じている。
Amazon.co.jp| 神は妄想である―宗教との決別| リチャード・ドーキンス, 垂水 雄二| 本
神が宇宙をつくったなら、その神は誰がつくったのですか? - Yahoo!知恵袋
多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ
Amazon.co.jp: なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために (新書y (010)): 小浜 逸郎: 本
最大多数の最大幸福は、道徳と立法の基盤である。いかなる法律も自由の侵害である。ジェレミ・ベンサム
多数者の利己主義 vs 民主主義 衝撃的な引揚げ体験を目にして
「みんなのためだ、行ってくれ」
人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸。デカルト
公益目的でなければ、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな
[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事
相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。
相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。
ジョン・モーリー
沈黙を守ってバカではないかと思われる方が、
あれこれ喋ってその疑惑を晴らすよりましだ。Better to remain silent and be thought a fool than to speak out and remove all doubt.
Abraham Lincoln
馬鹿をさらけ出すよりは黙っていて馬鹿だと思われる方がましである。
キングスレイ・ウォード
世の中で成功を収めるには、
馬鹿のように見せかけ、利口に活動することである。
「なんとなく」を可視化し、「変えられるもの」に集中する - 点と点をつなぐためのメモ - connecting the dots
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]
[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム][全体主義][ファシズム][ナチズム]
「監視カメラ」と「防犯カメラ」とは、全く同じものを指している。どちらの語を使用するかは、本人のイデオロギーによって決めることである。
実際のカメラはどちらなのかを議論することには意味がない。
相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。
相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。
ジョン・モーリー
チャーチル「日本にこれほどの力があったのならもっと早くいってほしかった。日本人は外交を知らない」 : メカAG
チャーチルの『第二次世界大戦回顧録』のなかにこんなことが書いてある。
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。
しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。
すると議会は、いままで以上の要求をしろという。
無理を承知で要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人はまったく別の顔になって、
「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話の分からない人だ。ことここにいたっては、刺し違えるしかない」といって突っかかってくる。
人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸。デカルト
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
言葉でも文章でも相手がわからなければ何にもならないんだもの
五島昇
[思想][頭脳][論文][卒論]多量の思想を少量の言葉に収める。
多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ
何度も止められましたが、そのたびに時計や万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。
それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。
リーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。
そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから。
404 Blog Not Found:結局自己責任が一番安上がり
同じ仕事を日本人なら月20万円、中国人なら月1万円が相場とする。
搾取者は日本人をクビにして中国人を採用し、その際に他の会社と競争力を持たせるために、月2万円を中国人に払うとする。
この時点で、搾取者は月18万円の得。中国人は2万円の得、日本人は20万円の損。
泣く者は一人、笑う者は二人。合計金額は変わらないのに、この方が笑う者が増えている。
人生の大きな目標のため、日常のどうでもいいことは中庸を決め込むのは正しい
大事を小事の犠牲にしてはならない。
小事省事
議論したり反駁したりしているうちには、相手に勝つようなこともあるだろう。
しかし、それはむなしい勝利だ―相手の好意は絶対に勝ち得られないのだから。
われわれは喧嘩口論に近付いてはならぬ。
これらのことからは足を遠ざけねばならない。
無知な人々のするこのようなことは、何にせよ無視されねばならない
(このようなことは無知な人でなければすることは出来ない)。
そして
大衆がする尊敬と侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。
われわれはこちら〔侮辱〕に腹を立ててもいけないし、あちら〔尊敬〕を喜んでもいけない。
くだらない質問には答えぬがよい。
ろくな答えのできないものには、問いかけぬがよい。
くだらない話には耳をかさぬがよい。
あげ足をとるような相手とは議論せぬがよい。
道をふんで訪れるものとだけ交際して、礼儀しらずは相手にせぬことだ。
荀子
争気ある者とは与(とも)に弁ずる勿れ。
荀子
やたらに人と争い競う性質の者とは
事の是非を語り合うことはしないほうがよい。
君子(くんし)は三端を避(さ)く
はてなブックマーク - ディベート教育とか、キモイので、やめてほしい(ほしかった) - 女教師ブログ
ymScott 社会, 思考 ディベートってのは「自分ですら本気にしていない事を詭弁を駆使して観客に納得させるゲーム」のことだろ。
何でそんな詐欺技術を教育しなきゃいけないのか未だに解らない。
ディスカッションをこそ学ばせるべき。
もし議論に勝ったとせよ、
相手の名誉をうばうだけのことである。
通常、人間は議論に負けても
自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、
負けたあと持つのは負けた恨みだけである
どの港に入るのか分からなければ、どの風も追い風にはならない。
404 Blog Not Found:ΔxΔp≧h/4π(が欲しかった) - 書評 - そして世界に不確定性がもたらされた
Amazon.co.jp: 99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書): 竹内 薫: 本
トレードオフ 最も賢いクマと最も愚かな観光客の知能レベルは、ほぼ一致する。トレードオフ(Trade Off)
安全と利便性
リスクとリターン
一長一短
ケースバイケース
例外
論理飛躍
擬似相関
シンプソンのパラドックス: 集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある。
「自分の無知」を盾にして、「知ったかぶりをする相手の無知をさらけ出す」
自分の批判対象の主張を徹底的に賛美してみせ、
その論理を極限まで押し進めることによって
【処世術】馬鹿のように見せかけ、利口に活動すること【処世訓】
相手を自分の好みに変えようと思うことは相手の人格を無視した行為。
人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。ゲーテ
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
浴場での出来事、つまり湯をはねかける者、押す者、罵る者、盗む者
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
どんな馬鹿でも、あらを探したり、難癖をつけたり、苦情を言ったりできる・・・
そしてたいていの馬鹿がそれをやる。
自分の行いが馬鹿げている人に限って、
真っ先に他人を中傷する。
中傷誹謗に対する最善の返答、
それは黙々と自己の義務を守ることである。
ジョージ・ワシントン 米国初代大統領
沈黙を守ってバカではないかと思われる方が、
あれこれ喋ってその疑惑を晴らすよりましだ。
アフガニスタンの諺
相手を黙らせたからといって、相手の意見を変えさせたわけではない。
相手を黙らせたからといって、その人を説得できたわけではない。
ジョン・モーリー
徳をもって人を支配する者は王たり。
力をもって人を支配するものは弱く、
富をもって人を支配する者は貧し。
筍子
一般に人間は犬に似ている。
他の犬が遠くで吠えるのを聞いて、自分も吠える。