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はてなキーワード: 中間子とは

2023-12-22

子供一人育てただけでどや顔しないでほしいよな

子供一人でも、東大に入れました~とか重度の障害児の親ですとかならこちだって尊敬心もわいてくるもの

普通の健常者の子供一人育て上げて、「大丈夫、俺でも子育てできたんだから。そんなに難しく考えなくても大丈夫だよ、はてなのみんなも子育てできるよ(慈悲深い笑みを浮かべながら)」

ふざけんじゃねえ!!!!!

子沢山の家庭の親がどや顔するんならともかく

家の中できょうだい喧嘩すら起きないような平和な家庭で

大丈夫だよ、俺でも子育てできたんだよ」とか言わないでほしい

だって一人っ子って教育費が一人分で済むし、父親母親二人で一人の面倒を見るのよ。丁寧に丁寧に子育てできるよ。親の目も行き届くよ

たっぷり両親から愛情を受け取って子供メンタルも安定するよ。大人二人と子供一人の家庭なら家のなかでのトラブルも起きにくいよ

きょうだいがいるとさ、親の目も行き届かないことがあるしきょうだい喧嘩も発生するし

あと、三人きょうだいだと中間子のための親のケアがおろそかになるケースが多いらしいよ

2023-11-29

終わらせたい家

父方の実家が嫌いだ。

最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。



父の実家田舎だ。

緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。

いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。

その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。


家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシ大量発生する。

敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。

畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。

その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。

祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないもの大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金のものだ。

ワープロパソコンピアノ


祖父は六人兄弟長男で下はみんな妹。

正月や盆にはその親族大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画サマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)



私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)

家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。

その頃にはすでに人口過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。

長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。


家業建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植え稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。

当然ヒマだったし、それなりに成長してから仕事が振られるがそれも嫌だった。

小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植え稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。

仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事ときには父母揃っている姿をよく見た。

羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。

一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。

運動会頑張ったか今日レストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族ドラマ世界のようだった。


田舎自然環境農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。

道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。

そして田舎特有距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。

私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。

姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。

しか田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供子供、と一括りにされている。


そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。

妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。

中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。


母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。

ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃん対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。

私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。

人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。

そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。

「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。

上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)

姉妹の中だけではなくそこでも比べられた。

更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。

親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。


高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。

父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)

なんで夫婦問題祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質気持ち悪かった。

元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。

それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。

そもそも両親の離婚の根っこにも祖父母の干渉があった。

幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚のものダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。

離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。

(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)

離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。

父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったとき最後だった。

もっと会えばよかった、みたいな後悔は別になかった。

私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。

その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台チケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。

流石にそれは、と二人になだめられて舞台は諦めて葬式に出た。

父の葬式ときにも父実家は最低だった。

誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。

私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初最後の私の怒声だっただろう。

嫌味おばさんが人生終了レベルトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。

父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。

姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。

数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。

姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。

最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。


姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。

自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしま可能性があるかと思うとボケときなんかが恐ろしくてたまらない。

なるべく迷惑をかけずに一人で生き、静かに死にたい

別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社かにお願いしておくから適当無縁仏かに放り込んでおいてほしい。

最近はそういうことを考える。

子供は欲しくない」「あの家の遺伝子はここで絶ったほうがいい」が三人の共通認識なので、家庭環境って大切だなと思う。

2023-03-02

anond:20230302001009

でもノーベル賞を取る人って、キラキラエリート全然いないよね。

ビジネスエリートキラキラ経歴とは全然違う。

なんなら成り上がり感がある。

ではここでノーベル賞物理学者 湯川秀樹の経歴を見てみましょう。

1907年明治40年1月23日東京府東京市麻布区市兵衛町(現:東京都港区六本木)に地質学者・小川琢治と小雪の三男として生まれる。

1908年明治41年)、1歳の時に父・琢治(和歌山県出身)の京都帝国大学教授就任に伴い、一家京都府京都市移住する。このため、麻布の家には誕生後1年2ヶ月しか住んでない。

1歳から大学までは京都大学を出て一時大阪西宮いたこともあるが、人生の大半は京都で過ごしたことになる(ただし、ノーベル賞受賞の対象となった中間子論を発表したのは、湯川大阪帝国大学に勤めていた時であり、当時は西宮苦楽園生活していた)。

湯川自伝に「私の記憶京都に移った後から始まる。やはり京都が私の故郷ということになるのかもしれない」と記している[2]。

母方の祖父・駒橘は元紀州藩藩士であり、また湯川自体先祖代々和歌山県出身であるため“和歌山出身”と紹介されることもあるが、本人は京都市出身と称している。

和歌山県出身実業家松下幸之助郷里に「松下幸之助君生誕の地」の石碑があり、題字は同郷ということで湯川の筆によって書かれたが、湯川本人は和歌山暮らし経験はない。

5、6歳の頃、祖父・駒橘より漢籍素読を習った。駒橘は漢学の素養豊富で、明治以後は洋学を学び、晩年までずっと『ロンドンタイムズ』を購読し続けた人物であるという[3]。湯川自伝に「私はこのころの漢籍素読を決してむだだったとは思わない。…意味もわからずに入っていった漢籍が大きな収穫をもたらしている。その後大人書物をよみ出す時に文字に対する抵抗は全くなかった。漢字に慣れていたからであろう。慣れるということは恐ろしいことだ。ただ祖父の声につれて復唱するだけで、知らずしらず漢字に親しみその後の読書を容易にしてくれたのは事実である。」と記している[4]。

2022-04-10

大人からになってから反抗期

目上の人の言う事に一々反発する人や

上司にだけやたらよそよそしく、同期や後輩とはやたら仲良い人を見かけたりしませんか?

私はまさにそれなのです。

大人になってから反抗期」なのです。

"長い物には巻かれろ"

日本企業での出世の定石と言われて久しいですが

私はそれが出来ないのです。

どうも目上の大人の言うことに反発してしまうのです。

上司の指示が、規則組織の慣例に倣うことであってと、自分ポリシー若い社員利益にならないと思うと、すぐに反抗してしまうのです。(具体的な対案も出せないまま反抗してしまます。)

この性格なので、私の個人的趣味志向に合う同期や後輩には好かれるのですが、私の仕事ぶりはからっきしなので、上司仕事熱心な後輩には全く好かれない現状です。

ふと自分がこうなってしまった原因について考えてみたのです。

アダルトチルドレン」というキーワード用途が正しいかはともかく思い浮かんできました。

私は中間子だったので、長女や末弟と比べ「ただそこに居ること」に対する愛情を受けることが少なかったのです。

親への愛情の渇望がいつしか反抗心になり、それがいつまで経っても埋められない心の穴となっています

幼い頃に親に愛されようと「良い子」を演じすぎたことが、目上の人に本心を曝け出せない性格を作ったのも原因かと思います

もう29になってしまいました。

私はこの反抗期からもはや抜け出せないのかもしれません。

もし、これを読まれた方にお子さんが産まれたならば、どうぞ是非小さい頃から尊敬できる大人との関わりを深めていける場を設定してあげて欲しいと思います

時代いくら進んでも人と人との関わりが消えることはありません。そして人生の先輩から学ぶ機会は多いに越したことがないのだと思いますわたしにはその感受性すら備わることもありませんでした。

私のような失敗をしませんように。

2021-06-24

anond:20210624013034

なんも抑圧されずに育った中間子なのに性癖ねじ曲がっちまった俺が悪みたいな物言いはやめろ

2021-02-01

中っ子の半キ○ガイとか

ひどすぎ.長男はお人好しとかなのに.

でも確かに中間子の人って屈折した性格の人多い

2018-11-06

姉であり妹でもある人

相反する二属性を併せ持つ中間子が最強だ

2018-10-05

一人っ子が苦手

客観的に見てひとりっ子って自分勝手な人多すぎない?

毎回「わたしあなたママじゃないんだよ」って言葉を飲み込みそっと距離を置くけれど、空気読まないから連絡しつこいし辟易する。

・言ってることがとりあえず意味不明で話が独りよがり論理破綻著しい

兄弟いないから壁と対話して育ってきたのかな?って言うような話し方。実際そうなのかもな)

・とにかく人の注目を集めてないと不満

(過剰な天然アピール悲劇のヒロインごっこetc

・人の料理から!3尾しか入ってない大きいエビを!取る!!

(正直これに一番怒ってる。頭おかしい)

デートの誘い方がキモイ&しつこい

(嫌がってるのとか空気読まない・読めないのは一人っ子特有のものを感じる。欲しいものは手に入って当たり前だと無意識に思ってそうなところが本当無理)


「欲しいものは毎回手に入るわけでもない」「他人にも感情があるし、嫌だと言うこともあるしその権利を有している」

こんな当たり前のことが、兄弟がいないというだけで理解できないものなのだろうか。

全く理解していないわけではもちろんないと思うけれど、表面的な知識としてかこれらを理解していない気がする。

当然だけど一人っ子の中にもまともな人はいると思う。自分勝手人間割合一人っ子に多いと言うだけで。

けどこれを目にして逆ギレしてる一人っ子自分の胸に手を当てて考えて欲しい。

ちなみにこんなところでぐちぐち言ってる暗いわたし中間子です……。

中間子変人多いってよく言われるけど、実際そうだと思う。

一人っ子の異常性が際立ってるのと、中間子ってあまり多くないから目立たないけど

まともな一人っ子のみなさん、ならびに事情があって子どもを一人しか持てなかった方はごめんなさい。

2016-08-29

家族ってなんだろう

初めてのますだで吐かせてください。今とても辛く混乱しています

自分には妹と姉がいる。

姉は小さな頃は母にべったりのお母さんっ子。

妹は末っ子から一番可愛がられていて、まあ少々わがまま人間に育った。

中間子自分は親から見ると多少グレたこともあったが、今では母にはまあまあ頼られているといった感じ。

で、姉は結婚して子どもができても母とべったりだった。

お互いに依存している状態だった。

そんな関係なので、お互いのプライベート踏み込み合い、お互いに傷つけあうことも多くなった。

確実に共依存状態で、姉はそれを断ち切ろうとした。

それはいい。

だが、姉は母を「毒親」と決めつけ、母からの連絡を断絶し(メール電話拒否する、引っ越し先を伝えない)、

影で母の批判悪口を言いつづけていた。妹や私に。

妹は「そうだよねー」などと同調していた。そりゃそうだろう。

本人のいないところで上から目線批判することはとても気持ちがいいものだ。

だが、私は母の気持ちを察するととても聞いていられなかった。聞くに堪えなかった。

母は姉が連絡を拒んでいる理由もよくわかっていない。

私は最初、母とも姉とも連絡を取っていたが、両方に良い顔をするのが耐えがたく、姉との連絡を絶った。

「両方に良い顔をできないので」と理由を言って、姉に連絡をすることをしなくなった。

母はここ何年も、痴呆の父の介護をしていた。

母なりの考えがあり介護サービスなどに頼ることはしていない。

結果的にそれは良かったんだと思ってる。

父は数日前、肺炎をこじらせ、病院に運ばれた。

おそらく病院からは出れないだろう。

苦しんでおらず、穏やかな様子で、自分が死に対面しているということを父は理解できない。

それが本当に救いだと思ってる。

そして今回よくわかった。

姉はクズだった。最低のクズ人間だった。

また続き書きますすみません

2016-06-07

血液型はわからないけど

一人っ子はわかる。

テレビバラエティ芸能人見てて「あ、こいつ」って思って検索したら結構確率一人っ子

それは我儘してるとかではなく、自分の目には浮き出て見えるんだよな。

自分一人っ子からかもしれない。

何故なのだろう。この判別が出来ると気づいたのは成人する前だった。

特殊能力ではなく何かの特徴を見ているんだと思うけれど。よく、わからない。

単純に自分と似通ったところに気付いているだけかもしれない。80パーセントくらいで当てる自信がある。

残りの20パーセント兄弟と年齢や環境が離れていた、とかに該当することが多い。一人っ子期間が長い子供時代を過ごしただろうということが分かるエピが出る。

長子とか末っ子とか中間子かいう人は

そういうの気付く?

長男っぽい~」とかじゃなくハッキリと、「あ、こいつそうだな」って分かるんだよ。

2014-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20141021110838

湯川秀樹中間子論文を書いたのが27歳のとき。(まあ湯川秀樹は超金持ちお嬢様結婚して安心してヒモやったわけだけど)

朝永振一郎QEDの基礎を作ったのが21歳のとき。(天才すぎワロタ

2014-09-14

ノーベル賞受賞者の生まれ、育ち、血筋、親の出身、最終学歴データ

ノーベル賞出身関係

2011年までの日本ノーベル賞受賞者18人の出自

人物名 国内最終学歴 出身生育地

鈴木章 ─── 北海道大 ─ 北海道まれ北海道育ち

田中耕一 ── 東北大 ── 富山県まれ富山県育ち

南部陽一郎東京大 ── 東京都生まれ福井県育ち

小柴昌俊 ── 東京大 ── 愛知県まれ神奈川県東京都育ち(1歳から小4まで東京/中学から神奈川/高校東京)

小林誠 ─── 名古屋大 ─ 愛知県まれ愛知県育ち

益川敏英 ── 名古屋大 ─ 愛知県まれ愛知県育ち

利根川進 ── 京都大 ── 愛知県まれ富山県東京都育ち(小学校富山/中学から東京

白川英樹 ── 東工大 ── 東京都生まれ岐阜県育ち(小3から岐阜)

朝永振一郎京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち(小学校から京都

湯川秀樹 ── 京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち

下村脩 ─── 長崎大 ── 京都府まれ長崎県育ち(幼少期に長崎/中学でまた長崎)

福井謙一 ── 京都大 ── 奈良県まれ大阪府育ち

江崎玲於奈東京大 ── 大阪府まれ京都府育ち

川端康成 ── 東京大 ── 大阪府まれ大阪府育ち

野依良治 ── 京都大 ── 兵庫県まれ兵庫府育ち

佐藤栄作 ── 東京大 ── 山口県まれ山口県育ち

大江健三郎東京大 ── 愛媛県まれ愛媛県育ち

根岸英一 ── 東京大 ── 満州国まれ神奈川県育ち(小学校から神奈川

国内最終学歴

東京大7

京都大5

名古屋大2

北大東北大・東工大長崎大1

■生まれ

東京都愛知県4

大阪府2

北海道富山県兵庫県奈良県愛媛県山口県満州国1

■育ち

京都府3

東京都神奈川県富山県愛知県大阪府2

北海道福井県岐阜県長崎県兵庫県愛媛県山口県1

http://kamomenome.exblog.jp/14156659/(元ソースから間違いを修正

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湯川秀樹(出生地東京都)両親は和歌山県 ※中間子論は計算間違いであった

朝永振一郎(出生地東京都)親は長崎県埼玉県

江崎玲於奈(出生地大阪府)親は大阪府三重県 ※助手アイデアパクリ

福井謙一(出生地奈良県

利根川進(出生地愛知県)親は広島鳥取青森

白川英樹(出生地東京都)両親は岐阜県

野依良治(出生地兵庫県)親は長野県福岡県

小柴昌俊(出生地愛知県)両親は千葉県

田中耕一(出生地富山県

南部陽一郎(出生地東京都)親は福井県福島県

小林誠(出生地愛知県

益川敏英(出生地愛知県

下村脩(出生地京都府)両親は長崎県

根岸英一(出生地満州)親は東京都

鈴木章(出生地北海道)両親は山形県

山中伸弥(出生地大阪府)親は福井県兵庫県

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湯川秀樹和歌山田辺藩紀州藩

朝永振一郎(父・長崎大村藩、母・埼玉川越藩)

江崎玲於奈大阪)親は大阪三重

福井謙一奈良

利根川進愛知県出身)親は広島鳥取青森

白川英樹東京都出身)両親は岐阜県

野依良治(父・長野、母・福岡)父の仕事関係兵庫県で育つ

小柴昌俊(両親とも千葉)父が豊橋連隊所属のため豊橋まれ

田中耕一富山

南部陽一郎(父・福井、母・福島関東大震災に遭い福井移住

小林誠愛知

益川敏英愛知

下村脩京都)両親は長崎県 父が福知山連隊所属のため京都まれ

根岸英一満州)親は東京都本籍日本橋目黒根岸家に戦災で親戚が大勢つめかけたため神奈川移住

鈴木章(両親とも山形から北海道移住

山中伸弥大阪府出身)親は福井県兵庫県

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小柴昌俊

わたしは1926(大正15)年9月19日に、愛知県豊橋で生まれた。軍人だった父の

小柴俊男がそのころ豊橋陸軍第18連隊所属していたからだ。

小柴昌俊物理屋になりたかったんだよ』朝日新聞社

母親は、はやといって、千葉木更津農家の末娘だった。木更津高等女学校を出て、

父と結婚した。どういうなれそめで知り合ったのかは知らないが、父も千葉館山

まれから誰か紹介する人でもいたのだろう。

父は農家の三男に生まれて、中学に通うのも親せきの造り酒屋小僧代わりに働きながら

学費をだしてもらった。さらに進学する学資はないから、学資不要陸軍学校へ進んだらしい。

小柴昌俊私の履歴書 科学求道者日経ビジネス人文庫

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野依良治

祖父の塩川三四郎は1873年生まれ政治家を志して長野県から上京し、東京帝国大学法学部

卒業した。そして、渡辺千秋長野県出身)の次女・千夏と結婚した。

「野依」は母方の血筋で、福岡県東部築上郡吉冨町に行き着く。「立野屋」の屋号をもつ

庄屋で酒づくりをなりわいとする大地主であった。

野依良治私の履歴書 事実真実の敵なり』日本経済新聞社

祖父:塩川三四郎 長野

父:野依金城 上京

http://kingendaikeizu.net/gakusya/noyori.htm

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下村脩

>父の生家は長崎県雲仙市瑞穂町にあり代々庄屋を勤めた名家

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E8%84%A9

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朝永振一郎の父三十郎は、東京真宗大学在職中に旧川越藩士大枝美福の長女ひでと結婚している。

(『素粒子世界を拓く』京都大学学術出版会

朝永振一郎「なぜ京都にいながら東京弁使っているかっていいますと、おふくろが埼玉県まれで、

おやじ長崎まれで、中学の頃東京に出て、ずうっと東京にいた。そういうわけで、家庭では

東京弁を使っておりました」(『回想の朝永振一郎みすず書房

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南部陽一郎

私の父は仏壇屋の家業を継ぐのを拒み、文学者になろうと家をとびだした。東京で私が生まれた。

母は福島県出身だった。しかし私が2歳のときあの大震災に遭い、一家はやむなく福井に戻った。

(『ほがらかな探究 南部陽一郎福井新聞社

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利根川勉「私の親父は守三郎といいまして、福山藩(広島県)の貧乏侍の息子でした。ところが

同じ貧乏侍の利根川という叔父子供がなくて、岡本という家から養子に行きました。

家内の父方は弘前藩士青森県)の家系でした」(利根川進受賞時に父・勉氏へのインタビュー

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鈴木章

北大理学部受験した時、母は「落ちてくれ」と本気で祈っていた、と譲さんは明かす。

恩師は「章君を大学に進ませて」と勧めたが、家計に余裕がない。町で理髪店を営んだ

山形県出身の父の定輔さんは1946年に51歳で死去。長男鈴木さんは16歳だった。

(「タウンガイド札幌2010年10月11日)(母ナエも山形県出身

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2014-07-18

中間子は試作品でも愛玩動物でもない。ただの無。

http://anond.hatelabo.jp/20140718021723

中間子は上の子おもちゃにされるが、下の子の体の良いお世話係でもある

の子も下が二人目、三人目となれば次第になれるので、体の良いお世話係も板についてきてそれなりに世話ができるようになる。

それまでは妹・弟というのは単なるおもちゃだ。なお、もう一人下にできると、中間子は長子の下僕になる。

しかも下の子が泣けば上二人は怒られるわけだ(より怒られるのは長子だと思うが)

②はじめてなのに、誰も気づかない

長子はだいたい親が張り切っているものだが、二人目になると飽きて長子にまるなげすることが往々にしてある

しかし長子と中間子が同じ道を目指すわけでもないし、そもそも長子のアドバイスはまるで役に立たないことのほうがずっと多い

結局情報収集からなにから自分で全部やることになる。

面倒なので長子が言ってたってことにすると何でも通るが、長子にはうまいことやってるとか睨まれるので納得がいかない。

ちなみに一番下は親も「これが最後だし…」とかって乗り出してくる逆にかわいそうかなとは思うが、大人の意見大事ときもあるので羨ましかったりもする。

③長子が解禁になったタイミングで解禁になるのはよいが、早いタイミングから責任も発生する

長子は下の子が産まれるまでは一人っ子で、つまり末っ子と同じ状態なわけだが、彼らが自力で何かできるようになると年端の行かない下の子らも同程度かちょっと下手なくらいのことを自力でできるように強要される。

外泊みたいな楽しいことならいいが、子供時代は手伝いとかおつかいとか、正直そんな小さい子にやらせるなよとおとなになって改めて思うことを普通にやれといわれるし、もちろん成功するのが当たり前、失敗したら怒られる。

あと、長子に対しては初めてなので色々口うるさい人がいるが、下の子らには「あれ?いってなかったっけ?」みたいなことがたくさんある。末っ子はいつまでも赤ちゃんなので大人は甘いが、中間子はそういう時は長子側なので、結局何も教えられず自力で何でも解決していかなければならない。ちなみに長子はあてにならない。たいてい大人からの助言が入っていて自分では考えなくて良いからだ。

④長子と末っ子ばかり甘やかされる

長子は「初めての子から

末っ子は「これが最後から

時にうまく長子に擬態したり末っ子擬態して親の目をかすめ取ることもできるが、基本中間子独立心が強いことが多いような気がする。多分目をかけられていないせいである。

そもそも親が末っ子妊娠した時点で中間子末っ子ポジションではなくなるのだ。長子ほど親の愛情を注がれていないにもかかわらず、早ければ乳児、遅くても幼児のうちに自立しなければならないのは子供には辛い。まぁ慣れますけどね。

お下がりとかも末っ子はたいてい「お下がりばっかりで可愛そう」とか言って新しいものを買い与えられるのはどうかと思うが、たしかに三人目、四人目になればお下がりもぼろぼろだし新しく買い与えられるのはしかたがないのかもしれない。しかしかわいそうがられるのはいいもんだナ。ちょっとそういう扱いされてみたいナ。

2013-08-15

http://b.hatena.ne.jp/entry/karapaia.livedoor.biz/archives/52136874.html

なんか私の周囲、意外と中間子ってのが多いんだけど、彼らは嫉妬というものの取り扱いがとても面白い

結論から言うと、極めて嫉妬いか嫉妬しないか、両極端。

ありていの、上が上らしく、下が下らしい兄弟の中で最初に大人になるのは間違いなく中間子で、大人というのは、好きなオモチャ理不尽横取りされたところで多少の我慢をするものだし、即座に泣き喚いたり殴りかかったりするわけじゃない。

ちなみに上の子も下の子も割とこういうのは大きくなるまでやる。上の子は年齢の関係で体力的に下の子よりも勝るケースが多いので、そのノリで「勝つる」となんか自信過剰になるらしい。下の子は…まあ説明する必要いからやらない。ちなみに一人っ子っていうのは比較的鷹揚な態度に出る。素で鷹揚だから、そのまま苛められっこになっちゃう子から上の人から可愛がられていい思いする子まで幅があるらしいけれども。

でも上の子も下の子も、嫉妬心ストレート感情100%、独占心100%の例が大部分で、中間子嫉妬心って異質なのだ。人工的な嫉妬心というか、妙に芝居がかった嫉妬心という印象があって、周囲はちょっとそんな彼を哀れんじゃうというか苦笑しちゃうケースも結構あるみたいなのだな。

だってさ、「これはボクのオモチャなんだ!」って主張するためにわざわざお太鼓叩いて笛吹かなきゃいけないんだぜ。上の子は黙って力づくでもぎ取り返すし、下の子は親や一番上の目の前でとりあえずワーッって泣くだけ。上の子も下の子も、たったそれだけで周囲に所有認知させることが可能なのだ

ところが都合のいい立場に追い込まれがちな中間子は、その嫉妬心ってのは実に他者に認められがたい。

から彼らは、関係ないイベントを目の前で一生懸命計画する。それが当人が思ってるより周囲に丸分かり。なぜだか。頭のよしあしは関係なく基本的に分かりやすいひねくれ方をする人が多いんだと思う。

はてブコメント欄から結構伝わってきたので、ちょっと書いてみた。

 
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