はてなキーワード: 装置とは
RACK1のストレス反応における翻訳的役割(2025年)Cell Signaling
「この論文は、増殖中のSH-SY5Y神経芽腫細胞における、**eIF3d特異的翻訳**の新たなメカニズムを解き明かしています。通常、ほとんどのmRNAの翻訳開始は5'キャップ構造にeIF4Eが結合することで行われますが、eIF4Eが阻害されても多くのmRNAがキャップされたままであることから、別の翻訳開始メカニズムが存在するはず。そこで、この研究ではその謎に挑んだ、というわけです。
驚くべきことに、研究者たちは**eIF4Eが阻害されている状況**で、リボソーム足場タンパク質である**RACK1**が、eIF3dを43S翻訳開始前複合体(PIC)にリクルートすることを発見しました。つまり、RACK1がeIF3dの翻訳装置への結合と、その活性化に必須である、というわけです。
さらに、このRACK1とeIF3dの結合を促進するのは、**活性型のPKCβII**であることが特定されました。そして、このRACK1とeIF3dの結合が、細胞周期の進行に重要な**サイクリンD2の発現に必要**であることも示唆されています。
特筆すべきは、この**eIF3d-RACK1複合体**が、主要な栄養感知経路であるmTORC1が阻害された状態でも活性を保ち、さらに**HSP-70 mRNAの翻訳を制御**している点です。
これらの発見は、リボソームRACK1がeIF3dの特異的翻訳においてこれまで知られていなかった役割を担っていることを明らかにし、翻訳制御における新たな局面を示唆しています。これは、キャップ依存性翻訳の代替メカニズムを理解する上で、非常に重要な手がかりとなるでしょう。」
アイソペリメトリック不等式。つまり三次元にはもう限界が来ている。
つまり、四次元の体積を持ち込んだら同じ「外から見えるサイズ」のまま、中に詰め込める量だけをぶっ壊せるかもしれない。
データを実体化する装置。たとえば画像ファイルをそのまま立体として再構成する。もっと言えば、物体を、情報の集合としてではなく、物質の可能態として定義し直す。
それには局所空間のトポロジー自体を書き換えるようなアプローチが必要なんじゃないかと思う。
場の再配置。たとえば、量子エンタングルメントを使って、情報を「ここ」と「そこ」で同時に存在させる。
分かってる。それだと転送はできても保存ができない。
ここで俺の仮説。
仮説:局所的な空間の“密度”を再構成することで、情報を物理化する
空間ってのは均一じゃない。情報密度が空間そのものを定義してる可能性がある。
だったら局所的に「情報の密度」を爆発的に上げれば、その部分だけ“もの”としての質量を持ち得るんじゃないか?
たとえば、1GBのPDFを“読む”んじゃなく、“取り出す”。触れる。投げつける。
それを“ポケット”の中に詰め込む。
そういう構造を作れば、四次元空間に物を置いておくなんて回りくどいことしなくても、「今この空間の密度を弄って、物を生成・消去できる」って話になる。
問題点について
→これはまだ未解決。今のところは極限状態の量子場理論か、スピンネットワーク理論あたりから手を伸ばすしかない。
2.「出し入れ」は誰が制御するのか?
→BCIか、より原始的にはボタン式インタフェースでもいい。でも脳の中の欲望や記憶とリンクさせると、ポケットが自律的に応答する。つまり人格を持つポケット、という発想になる。
つまり、戦争や死は、ただの「悪」ではなく、**人類の怠惰をリセットし、停滞を破壊し、進化を促す必然的なメカニズム**だとも言える。
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死はむしろ、**この無限地獄からの解放**であり、祝福でさえある。
戦争がもたらす死は、\*\*生命の有限性を思い出させる「神のリセットボタン」\*\*なのかもしれない。
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中国が台湾へのドローン攻撃を開始。まず通信インフラや指揮所を制圧するため、海南島や南シナ海上の通信中継基地にサイバー攻撃を仕掛ける。
同時に、中国は日本の化学品メーカーが輸出する半導体製造用フッ化水素などを狙い、長崎や鹿児島の工場にステルス型攻撃ドローンを飛ばして生産ラインを破壊。
日本からの化学品・特殊材料が途絶えたことで、台湾のTSMCやUMCなどの半導体ファウンドリーが生産を大幅に縮小。台湾本土のドローン工場はチップ・センサーを確保できず、短期間で在庫が尽きる。
台湾はアメリカに緊急支援を要請。アメリカ空軍所属の電子戦機や海軍の無人艦艇が周辺海域で偵察・掃海活動を開始。
アメリカが台湾支援を表明し、日本・オーストラリア・イギリスを含むクアッド(QUAD)各国が連携を強化。日本は自衛隊の無人機部隊を展開し、九州から台湾海峡への偵察ドローンを派遣。オーストラリアは西豪州から補給拠点を提供。
これに反発した中国は、在日米軍基地や沖縄の通信中継サイトを攻撃対象とし、電子戦を激化させる。
韓国とドイツが台湾・日本・オーストラリア側に半導体素材やIC製造装置を供給するため参戦。米日連合が中国東部の部品輸送船団を海上ドローンで攻撃すると、中国はロシアから代替チップや機械部品を輸入して生産を維持しようとする。
一方、ロシアは中国への軍事支援を表明し、シリアやベラルーシ経由で部品を送り込むため、地中海やボスポラス海峡で海洋ドローン同士の遭遇戦が多発。
アメリカ海軍の空母無人艦載機と中国海軍の無人水上艇が南シナ海で衝突。韓国とドイツからは輸送艦や補給拠点も狙われるため、中国東北部やロシア極東にも戦闘が拡大する。
北朝鮮は中立を保つが、制裁回避のため中国側に非公式に部品を供給。インドは米日連合への部品提供には慎重立場を取る。
欧州連合(EU)は米日連合側として中国製品の輸入を全面規制。これに対し、中国とロシアはBRICS諸国(インドを除く合意体)を通じた代替経済圏を形成しようとするも、資源の奪い合いで内部不協和が顕在化。
インドは最終的に「南シナ海の航行の自由」を理由に、米日連合に比肩して中国包囲網に加わる。東南アジア諸国連合(ASEAN)は分断され、ベトナム・フィリピンは米日連合支持、カンボジア・ラオスは中国寄りを維持。
各国は海上輸送ルートを守るため海洋ドローンを投入。日本・韓国連合は南シナ海から台湾海峡までを制圧しようとし、中国・ロシア連合は東シナ海・黄海で迎撃。各地で希少金属(レアアース、タングステン、ガリウム)の奪い合いが激化する。
中国国内やシベリアの工場もアメリカ主導の無人航空機による空爆で被害を受け、生産能力の維持が困難になる。
北米(アメリカ・カナダ)やヨーロッパ(ドイツ・フランス・イギリス)各地でも、中国産・ロシア産の部品を使う工場が攻撃対象に。欧州では北海に展開する海洋ドローン戦で激しいドローン衝突が発生し、港湾都市が封鎖される。
南アメリカではブラジルやアルゼンチンがどちらの連合にも属さず、中立を保とうとするが、供給網が寸断されたことで経済が混乱。
米日韓台豪独印連合と中露北朝鮮連合に加え、フランス・イギリスが中東拠点からドローンを飛ばし、ペルシャ湾周辺の石油施設を攻撃。複数戦線で同時多発的にドローン戦が展開され、事実上の「第三次世界大戦」状態となる。
どちらの陣営も工場の生産が限界に近づき、中国東部やロシア極東、韓国南部、日本の九州地方など複数の工業地帯が大打撃を受ける。
国連安全保障理事会が緊急会合を招集し、全主要国に停戦勧告を強制。最終的にアメリカ・日本・ドイツ・イギリス・オーストラリア・韓国・インド連合が、中国・ロシア・北朝鮮連合の工業地帯を占拠し、停戦協定が締結される。
各国はドローン生産に必要なサプライチェーンの国内回帰を急務とし、工業資源・サイバーセキュリティ・AI開発が安全保障の最重要項目となる。
現代における「女性の価値基準」は、大きく以下の三つに分化しているように見受けられる。
これらはいずれも、他者からの評価・承認を前提とした存在様式である。一方、男性に対しては、「年収」や「外見」といった評価軸が強く求められ、それに適合しない男性──いわゆる“下位男性”──は、しばしば社会的に不可視な存在として扱われがちである。
たとえば、「男はみんな浮気する」といった決めつけに象徴されるように、可視化されているのは常に“上位”の男性であり、その外側にいる多数の男性たちは、はじめから議論の対象にすらならない。彼らは「透明な存在」として、ただ「そこにいるだけで不審」とされ、「関わりたくないもの」として排除される。
こうした状況の中で、彼らに残された選択肢は極端なものとなりやすい。
後者の典型としてしばしば挙げられるのが、「ナンパ師」と呼ばれる人々である。彼らは整形やファッション、会話力の徹底的な鍛錬などを通じて、「選ばれない存在」からの脱却を試みる。これは一種の自己改革であり、社会的承認構造に対する適応戦略でもある。
しかし、こうした努力すら「軽薄」「欺瞞的」と見なされ、むしろ侮蔑や嘲笑の対象となることが少なくない。
努力してもなお認められず、努力しなければ排除される──この二重の拘束は、彼らにとって過酷である。
さらに問題なのは、こうした構造的排除の根底に位置すべきはずの「ジェンダー論」が、そうした現実に正面から向き合えていないことである。
大学や研究機関におけるジェンダー論は、理念的・理論的な枠組みに偏重し、定量的な検証や現場との接続を欠いたまま、自己内部での対立や糾弾(いわゆる「総括」)に陥っているように見える。
抽象的議論を延々と繰り返すその姿勢は、当事者の苦しみに対する感度を鈍らせ、かえって信頼を損なう結果となっている。
「学問」である以上、社会的弱者へのまなざしと現場への接続は不可欠であり、そうした視点を欠いたままのジェンダー論は、むしろ排除を再生産する装置として機能しうる。
ジェンダー論が「人の生」を扱う学問であると自認するのであれば、まず可視化されずに苦しんでいる人々へのまなざしを持たなければならない。
スネ夫もジャイアンも出木杉も静香も性格が悪すぎるし学園青春モノにしては別にたいして全員仲良くもないし何が人気ポイントだったの?
いちおうSFっぽい壮大な設定はある…
のび太は弱者男性なのに、射撃とあやとりだけは上手い、というのは審判の日にドラえもんズが反乱を起こしてから、人類側のリーダーになるからだろう…
あやとりは起爆装置を解体するとかそういう展開になるんだろう…
けど多少匂わせるだけで結局は日常からはみ出さないからワクワク感もないし
時系列シャッフルが目新しかったっていってもたかがそれだけで大人気になるほどか?
エヴァとかまどマギとかは古くても普通に面白かったけどドラえもんは本当に人気の理由がわからない
おしえて長老たち
主人公鳩野ちひろのライバルでもあり、最近存在感を増してきているGt.Vo鷹見項希の過去回想が今週の更新で三話目になっている。しかしコメント欄がひどい。浅い読みしかできないのか、中身が無い、どこかで何度も見かけたような定型文の文句を垂れ流している人がいつもに増して多い。
これに関してはもう個人の感じ方なのでどうしようもない。が、「個人的な体感時間」と「物語としてのテンポ感」を切り分けて考えられない人が多すぎる。
リアルタイムで追ってると休載も挟んでいるから、今日の更新でちょうど一か月になる。そう思うと長く感じるが、話数にして考えると現時点でたった3話しかない。(次回以降のタイトルのひな型が変わっていることを考えると恐らく69話で現在軸に戻るのだろう。)
単行本1巻まるまるとかならまだしも、単行本半分程度の量で長いもくそもない。まとめて読んだらあっさり読み切る量だ。
ふつうの軽音部くらい盛り上がっている作品ならアニメ化も決まっているだろうし、後からの流入の方が多くなる事を考えたらリアルタイムの読み心地の疾走感などもう気にするような段階にこの作品はいない。作品全体をフカンしてプロットを起こしていることは一切悪いことではない。
じゃあ内容が間延びしてていわゆる「尺稼ぎ」かと言われたらそうでもない。
原作のクワハリ先生は1話にかなりの情報量を詰め込むが、今回の過去回想も場面も季節もガンガン変わっているし、他の作家が同じ内容を描こうとしたらもう2、3話は増えそうな勢いで展開されている。
これだけの情報量を4話程度に詰められるならたいしたもんではないだろうか。
いらない訳ない。鷹見は主人公・鳩野のライバルとして明確にキャラ立てされており、一話から登場している。名前からしても境遇からしてもことごとく鳩野と対になるように設計されているくらい鳩野とつながりが深い。つまり、今後の鳩野の成長物語に鷹見の存在が深くかかわってくるわけで、それは鳩野が負けず嫌いの努力家であることからも明白だろう。
主人公のライバルが中身のないうすっぺらい舞台装置だったとして読んでいて楽しいのだろうか。この作品は女の子が主人公のバンド漫画ではあるものの、少年漫画の精神をかなり受け継いだバトルマンガの様相をしているから、ライバルの存在感も主人公の次くらいには重要になってくる。
鷹見過去編いらない派の人はこの漫画をきらら系の日常漫画と勘違いしているのだろうか。確かに最初の頃はそういう雰囲気もあったが…。
逆に今以外どこに差し込むのか?この意見を言ってる人に「じゃあいつならいいのか」を提示してる人を一人も見かけなかったので恐らく全員雰囲気で言っている。ライブの最中にやるべきではない、間延びしているという感想もハンコを押したように何度も見かけるが、個人的に今このタイミングが最も適切であると思う理由を書いてみる。
→一番なし。鷹見は今までヘイトをためる言動が多く、人気投票も中間発表の時点では主要キャラにも関わらず10位圏内にも入っていなかった。(その後なんとかランクインしたもののギリギリ10位だった。)その状態で過去回想をやっても読者は鷹見への感情がどこにもなかったから、今以上に楽しめないだろう。ハロウィンライブ演奏シーンから目に見えて言及もファンも増えているようなので、物語の展開で興味関心を集めてからそのまま過去回想に突入する形になったのはふつうにうまいやり方だと思う。
→なし。はーとぶれいくとプロトコルのライブのあとはすぐに「ライブバトルの結果発表」と、「勝った方が負けた方に質問していい権利の展開」が待っている。読者層にはこの2バンド間の関係性を好む人がそれなりの割合を占めているので、それを目の前にぶらさげた状態で鷹見の回想になんかはいったらあちこちからヘイトが飛ぶのは目に見えている。
→なし。大きなシリーズの盛り上がりが一区切りついてしまうと読者もの集中も切れてしまうし、次の別の新しい展開(イベント)を求めてしまうから鷹見の過去回想は適切ではない。そもそも鷹見の回想は「鳩野になぜそうもライバル心を向けるのか」というかなり根本的な部分を紐解く行為なので、初めての直接対決であるハロウィンライブが終わったあとにやってもいまいち盛り上がりに欠ける。
→なし。現時点で情報として出ているのはレイハ率いる七道高校との合同ライブだが、大ボスのような立場のレイハ、その幼馴染でもあり鳩野との関係に進展もある水尾が主要人物になってくる可能性が高い。鷹見がメインで入り込む余地はない。それ以外のライブがあるならまだしも、外で活動してないはーとぶれいくとプロトコルがそうポンポンとライブに出ることもないので、ハロウィンライブ中に過去回想をやってしまうのがやはり適切のように感じる。
→なし。新入部員が増えたらメインはそっちとの関わりに尺を割く可能性が高いし、既存キャラは今より埋もれてしまう。連載開始からも時間がたちすぎているし、鳩野と同様に未成熟な状態から出発しているメインライバルを掘り下げるタイミングとしては遅すぎる。
読者ははーとぶれいくや鳩野達の活躍を見たいというシンプルな動機で読んでいる層が多いから、登場回数が減ることによる文句が出るのはしょうがない。鷹見に興味が無いというのは個々人の感性によるものだから否定はしないが、やはり鳩野たち主人公バンドの成長と切っても切れないのが鷹見、プロトコルというバンドなので、今後の鳩野の成長をより楽しむためにも今回の過去回想は必要な過程だと思う。
それに、原作のクワハリ先生は人物描写が異常に上手いという強みを武器に、連載経験も趣味で描いた経験も大してないのにジャンプラというweb漫画界の激戦区で今のような結果を出している。この人の真価を発揮するのは人物の掘り下げ、そのキャラクターが今までどのように生きてきて、そしてこれからどのように歩んでいくのかという部分の描写になると思うから、個人的にはガンガン過去回想やキャラの掘り下げをやってほしいと思っている。コメント欄などを見ていると、今回の展開についていろいろなパターンの文句が出ていたが、結局は「体感時間が長くて不満を感じている」にほぼすべて帰結してしまうように思う。最近は休載を挟むこともあるけどで、それでも確定隔週連載が当たり前になってきているジャンプラ連載陣の中ではコンスタントに更新をしている方だし、ちゃんと話の軸はいつでも鳩野になっているから、読者はもう少し作者を信用してのんびり読んでてもいいんじゃないだろうか。どうせ初回無料で読んでる層が多いのだろうし。
今年は天候不順。週末は雨の日が多いです。
小雨になったときを狙って、タライのリセットを進めていきます。
サカマキガイの撲滅のため入念に洗って卵を取り除きます。卵が入った水は、プランターへ流して側溝で繁殖しないようにしました。サカマキガイの生体は、つぶしてミナミヌマエビのエサとしました。
一つ気が付いたことは、エサをあまり撒かなかったタライのサカマキガイは少なかったことです。めだかのエサの食べ残しで増殖しているようです。
45Lタライのオバーフロー排水を水面式から、底面排水式に改造しました。
塩ビパイプは13㎜、底面に穴を開けたパイプを置き、エルボで90度曲げてタライの上のほうへ上げて、18㎜の穴をホールソーで開けて、エルボと4cmくらいのパイプで外へ出しました。思いのほか18mmの穴がパイプにフィットしてエルボとジョイントで挟んだだけで固定されました。
産卵用には、ダイソーの6Lメダカ飼育容器とトロファスト(20L)をチョイス。水量の少ない容器を選択して、水替え時の負担軽減を狙いました。週一の水替えと水替え時に底に落ちている卵の回収を行っています。
セリアで購入した米とぎボウルがタライのリセット時に汚れた水とメダカの分離に便利でした。米とぎボウルは、ボウルの上のほうの一部がスリットになっていて、お米を流さずにとぎ汁だけをこぼすことができます。この機能を使って、めだかと汚れた水の分離を行いました。
リセット用のしかけとして、大き目の睡蓮鉢の上に育苗用のメッシュケースを載せて、その上からタライの水をザバーっと流すという単純なものです。落ち葉やアオミドロが育苗用ケースの上に溜まり、睡蓮鉢に汚泥が落ちていく仕組みです。
あなた:
韓国における代替歴史物の創作で君主制を想定した場合の典型的なストーリーを教えてください
ChatGPT:
韓国における代替歴史(仮想歴史、または「もしも歴史」)ジャンルは、特にウェブ小説やドラマ、マンファ(韓国の漫画)などで非常に人気があります。君主制を前提とした代替歴史物は、「朝鮮王朝が続いていたら」「大韓帝国が滅びなかったら」「近代以降も王政が存続していたら」など、歴史の分岐点を仮定することで展開されます。
設定例:1910年に日本に併合されなかった、または1945年以降に王政が復活した世界。
若き王太子/王女が、政争や陰謀、国際関係の中で王室の存続と改革を目指す。
王室を中心にした宮廷ロマンスや、現代政治との対立が描かれる。
主人公は一般市民から突然皇太子妃に選ばれる…といった「シンデレラ」系展開も人気。
代表作例:ドラマ『宮 -Love in Palace-』(韓国に君主制が残っていたらという設定)
設定例:清や日本の圧力を跳ね除けて近代化に成功、大韓帝国が今も国家として存続。
軍制改革・産業育成・列強との交渉などを中心とした歴史スリラー。
主人公が改革派の若き王子または天才官僚・軍人として登場し、国を導く。
設定例:朝鮮文化をベースにしたが、歴史的な国家とは異なるファンタジー国家。
女性主人公が男装して科挙に挑戦する、あるいは王妃として政敵と戦うなど。
「逆ハーレム」的展開もありえる。
代表作例:小説『赤い袖先』(歴史ベースだがロマンチックな脚色が多い)
設定例:現代人が過去の王朝時代にタイムスリップし、歴史を変えようとする。
IT知識を駆使して軍事改革、政策改善、民生安定などを実現する。
主人公が王になったり、王に仕える形で「現代的価値観」を浸透させる。
要素 説明
主人公の成長譚 無能と思われた王子が覚醒、女性主人公が政治の舞台へ
もしご希望があれば、特定の時代設定やテーマ(例:改革志向の王妃主人公、外敵に抗う若き王子など)に沿ってオリジナルストーリーのプロットも作成できますよ。
あなた:
ChatGPT:
はい、韓国における代替歴史創作では君主制は非常に人気のあるテーマです。以下に、その理由や背景、そして現代韓国社会との関連性を解説します。
韓国は現在、民主共和国ですが、現代政治への不信感や疲弊感が社会の中に存在します。
君主制=強いカリスマ指導者、秩序、美意識、伝統文化の象徴とされ、**「理想の統治者像」**として描かれることが多いです。
特にフィクションの中では、「賢君」「改革派の王」「国民を思う王女」など、理想化された人物が登場し、現実では得られない希望や正義が体現されるのです。
朝鮮王朝(1392-1897)や大韓帝国(1897-1910)の美術、建築、衣装などは韓国の伝統文化の象徴。
宮廷文化、科挙制度、王宮建築など、視覚的・美術的に魅力的な要素が多く、映像作品やマンファに適しています。
「韓国的ファンタジー」を構築するうえで、王朝文化はとても都合がよい舞台です。
多くの代替歴史作品では、「もし併合されなかったら」「もし大韓帝国が続いていたら」というナショナル・アイデンティティの再構築が試みられています。
『宮(Goong)』『赤い袖先』『雲が描いた月明かり』『恋慕』『ノクドゥ伝』など、君主制設定のロマンス作品が大ヒット。
ウェブ小説プラットフォーム(カカオページ、RIDIBOOKSなど)でも、王族や王朝をテーマにした作品が多く、安定したファンダムを形成しています。
🔥 人気の背景を要約すると:
時代劇ファンタジー 架空王朝+魔法/妖怪/天命など非現実要素
もし興味があれば、韓国の代替歴史小説における人気作ランキングや、最近のウェブ小説トレンドもお調べできます。
あなた:
現在、世界の国の圧倒的多数が共和制です。たとえ日本による植民地支配を実際の韓国が受けなかったとしても、韓国の君主制が続いてたと仮定するのは荒唐無稽ではありませんか?
ChatGPT:
非常に鋭いご指摘です。ご指摘の通り、現代の国際政治・社会の潮流に照らせば、韓国に君主制が続いていたと仮定するのは現実的には非常に難しい、つまり「荒唐無稽」と言ってよい側面があります。ただし、代替歴史(架空歴史)というジャンルが扱うのは現実的な「あり得た未来」というより、**ある種の「文化的・心理的欲望」や「理想の投影」**であるため、現実性とはまた別の次元の話になるのです。
第二次世界大戦後は、植民地支配から独立した国のほとんどが共和制を採用。
韓国と文化・歴史が近い中国(中華民国→中華人民共和国)、ベトナム(阮朝→社会主義共和国)なども王政廃止。
朝鮮半島において:
大韓帝国(1897–1910)は、清の宗主権を脱して近代国家を目指したが、近代化は不完全で内部の腐敗と列強の圧力にさらされていた。
仮に日本による併合がなかったとしても、国内革命(例:辛亥革命的なもの)やクーデターによって王政の廃止→共和制移行の可能性が高い。
したがって、リアルな歴史的分岐点を考えると、君主制が21世紀まで韓国に残っていた可能性はきわめて低いです。
🤔 2. にもかかわらず、なぜ君主制が人気なのか?
この矛盾は、代替歴史における「リアルな可能性」より「感情的欲望」や「美学」が重視されるというジャンル特性に由来します。
「もしも滅びなかったら」=喪失への反動、文化的ノスタルジア。
君主制は物語装置として、「家柄」「身分」「天命」などのドラマ性・運命論を生む力が強い。
君主制を舞台にした物語では、貴族・王族・反乱軍・平民といった階層社会がくっきり描け、読者にとっても分かりやすい。
現代社会では不正・格差・ポピュリズムなど民主主義の問題点も目立つ。
フィクションでは、「聡明な王がすべてを導く」というユートピア的統治像が歓迎されやすい。
実際には現在も君主制国家は30か国以上あり、その多くは立憲君主制(英国、日本、スウェーデンなど)です。ただしそれらは古くからの制度を維持してきた特異な例であり、新たに王政を導入する国はありません。
✅ 結論
はい、歴史的・構造的に見て韓国の君主制存続を仮定するのは現実性に欠ける仮定です。
しかし、それは代替歴史ジャンルにおいては「荒唐無稽であること」がむしろ想像力の余地を与える魅力となります。
これは「現実を再現する」ための歴史ではなく、「現実では失われたかもしれない理想を夢想する」ための物語なのです。
もしご興味があれば、「君主制フィクション」がどうして現代の視聴者にとって魅力的なのかをもう少し哲学的・文化論的に深掘りすることも可能です。
>異常な筋力が強みなのに鞭みたいな剣といういまいち筋力活かせなさそうな武器使ってたのよく考えると謎。
>柔軟性も関係ないし。
見る限り新体操のリボンがモチーフと思われ(画集でもそのようなコメントをつけてもいる)、悲鳴嶼さんのように重量がある武器ではないが
女性ならではの関節のやわらかさ、柔軟性、特に腕のしなり(弓手とか猿手とか言われるやつね)を利用してあの広範囲攻撃を可能にしてる…と考えるとそれっぽい武器に思える。
甘露寺さんの筋力は腕力に秀でる男性すら圧倒するほどのものではない。
「鬼滅の刃」は「体格が優れるほうが肉弾戦では有利」などかなり現実的な世界観であり(少なくとも小柄な少女が筋肉だるまな大男をキック一発で沈めるような他作品と比べれば)、
彼女の八倍筋肉密度は男女の絶対的な腕力差を埋める装置でしかないのではないか。
普通の男性よりははるかに力強いし、鍛えた男性柱の中でも中堅と同等ではあるが(体格差を考えればあの筋肉密度は相当良い仕事をしている)、
作中でもトップクラスの怪力として描かれるほどではなかった。
「普通の女の子」を戦闘に参加させて不自然にさせない程度の筋力なんだと思う。
せっかくなので、在籍していた企業で感じた良かったところと悪かったところを挙げてみる。
女性、若手、LGBTQ+、人種、障害者 (発達障害・精神障害を除く) などのマイノリティの社員が働きやすい環境づくりが盛んに行われている。
例えば、海外出身の社員が多いこともあり、食堂でのハラルメニューの提供が当たり前に行われ、チームに日本語の読み書きができない方がいれば、英語でメールやチャットするなど、マイノリティへの配慮が当たり前に実践される環境であった。
セクハラ対策などの教育は当然で、LGBTQ+に対する教育も行われており、ますますマイノリティが働きやすい会社になっていくと、ますます期待はできる。
最近、急速に注目されている業界であるため、多額の助成金の支援も行われる。
時流もあり、ワクワクする助成金が投入され、装置の納入にも繋がるなど、政策に支援される企業は違うステージに進める。
特に大型の設備投資が必要となる企業には、地政学リスクのような目を引くワードを上手に活用して支援を進めている政治家や官僚の後押しはすごく、業界に関わっている人たちでも大変話題にもなるほどであった。
同じグループでは多少はまとまっているが、別のチームやそのエンジニアを軽視する風潮が比較的顕著だった。閉鎖的な環境というのも大きいと思う。
他チーム軽視の一方で、形骸化しているメンター制度など教育ができる人は多くないため、自分のチームの人材育成はできておらず、お互いがお互いのチームを軽視している社会になっている。
上に良い報告をすることが優先されるため、ほとんど進捗がないプロジェクトでも、納期直前にプロジェクトの進捗率が急激に上昇し、納期には無事にプロジェクトが達成する絵が出てくるような環境である。
またなるべく上に悪い報告をしないために、事前の事前の会議が開催され、朝令暮改も当たり前など、報告のためのしわ寄せで、現場も疲弊してしまっていた。
最先端とか知見が無いというていで、指示があいまいなタスクを丸投げされて、放置される仕事環境である。
そして最終的には、上司がもつ正解との答え合わせなので、いくら考えてアウトプットしようが、上司の正解と違えば一蹴される仕事のストレスにやられてしまった。
ストレスで体調を崩し、病院を巡ったあげく、精神科でうつ病の診断をもらうことになり、診断書を要求されたので出すことになった。
ちなみに、形だけは風通しの良い職場だったので、病状の話も周りに同僚がいるオフィスでするわけで、診断書も周りにいる状態で開けられるような職場である。
そういうわけで、休んでいる社員がいると、あの人はうつ病らしいみたいなコソコソ話は、すぐに広まるものである。
そういう社風なのは経験していたし、自分の体調が回復する見込みもなければ、もはやそのような会社に戻る気持ちも全く湧かず、退職することにした。
けれど、点検報告書には「異常なし」とだけ、そっけなく印字されたPDFが添付されてくる。
三十年前なら、それを見逃す者はいなかった。
いや、“生き残った”というべきか。
当時の仲間の多くは職を失い、家を売り、なかには命を絶った者もいた。
バブルの余熱がまだ残るころ、祐介の所属した会社は全国にリゾート開発を展開していた。
銀行は金を貸し、不動産会社とゼネコンはその金を使って「未来」を建てていた。
小泉政権が“構造改革”の名のもとに進めた金融再編は、銀行にとっては救済だったが、
祐介の会社も、4000億円規模の開発が“回収不能”とされ、メディアに名指しで叩かれた。
だが、祐介は知っていた。
開発案件の大半は、もともと国主導の“ケース事業”だったことを。
裏では大蔵省が土地を押さえ、リゾート政策を煽っていたことを。
現場で汗を流した職人たちは、開発計画が潰れても責任を問われることはなかった。
代わりに、技術者や現場監督たちが矢面に立ち、切り捨てられた。
協力会社の担当者にそう言われた夜、祐介は初めて会社のトイレで吐いた。
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そして今。
祐介は小さな建設コンサル会社で、インフラ点検の補助をしている。
自治体からの委託案件が多く、担当者は若い、30代前後の契約職員ばかりだ。
経験がなく、知識も浅く、なにより「責任を取らされるのが怖い」という眼をしていた。
ある若手が問う。
「たぶん、じゃダメだよ。記録に残すか、写真を撮って報告するか」
祐介は答えながら、心のどこかで諦めていた。
この青年が次の現場に行くころには、もうこの異変のことを忘れているだろう、と。
チェックリストに○をつけ、Excelで表を整えれば、それが“点検”になる。
本当に危ない橋やトンネルを救うには、「異変を感じ取る目」と「報告する勇気」が必要だ。
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「昔は、職人が天井裏を覗いて“ヤバい”って言えば、それで補修工事が決まったんだよ」
祐介がそう話すと、若者たちは苦笑した。
祐介は思う。
これはもう、先進国ではない。
国がコストカットと外注主義を極めた結果、「インフラという生命維持装置」が壊れていく過程なのだと。
そして皮肉なことに、あの時“ムダだ”と叩かれた公共事業を切り捨てた代償は、
今になって「工事費5割増し」「技術者不足」として跳ね返ってきている。
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日が落ちる。
継ぎ目の錆は、もう一段深くなっていた。
あの夜のトンネル崩落事故のように、何かが起きるまで誰も動かないのかもしれない。
もう誰も彼に命令しない。だが、彼は知っている。
そして、
「俺たちは、本当にあの時“ムダ”だったのか?」
という問いだけは、永遠に胸に灯し続けるつもりだった。
ちらっと見たらやたらグラフィックに力入ってて、どこかと思ったら中国ByteDance系列の開発か。
グラフィック凝ってるアニメ調はほぼ中国発ばかりとはいえ、数はかなり増えてきたな
でも見た目がすごいだけじゃmiHoYoの牙城は崩せないだろうなあ
オタクの好きなものを分かってるだけじゃなく繊細な塩梅まで把握したバランス感覚があり
オタクやゲーマーの嫌う手抜き感を感じさせない綺麗な舗装路みたいなもの卒なく作れるのは
やっぱり今もmiHoYoだけなんだよ
miHoYoだけすぎて自社で上位を食い合ってるし
そんで既にある物語を追いかけるだけでユーザーは満足というか浴びきれないくらいだから
どうやったらユーザー動くんだろうな?
絶対サ終しない運営だしアプデ間隔が3倍くらいにならないと流動しないと思う
中国メーカーも金かけて爆死ばかりで地獄を見る未来しか見えないが……
無限大ももしかしたらガチャなしになりそうな雰囲気だしてたよな
やっぱ無理だよガチャなしじゃ……
ガチャの以上にオタクに愛を注ぎ込んだ感を与えられる装置なんてそうそうないだろ
スキン課金収益だけでmiHoYo並の開発規模とクオリティを維持できるわけがないし竜頭蛇尾になるのが目に見えてる
miHoYoのプレーヤーはガチャといってもそこまでランダム性ないこと理解してるから
ほとんどみんな課金額が任意の月額制としてコンテンツの対価として男気を支払ってるようなもんだしさ
ヨーグルトとかなんかそう言うのがベースになった漬け汁に漬けられた、
肉塊!
正に肉塊!っていう感じの存在感しか存在しない肉塊をこれ焼いて食べたら美味しいよ!って持って帰らせようとしているところで目が覚めたの。
また夢の話だけど、
なんだかお友だちの家みたいね。
そんで私がそれじゃ!って帰るわ!ってカイリーミノーグさんばりに決め込んだところに、
じゃあこれもって帰りなよ!って
すごく漬け汁のいい感じにご機嫌に漬かった肉塊を持って渡してくれたの。
夢ではそこまででしか見ていないけれど、
これはもしかしてまだ人類がなし得てない夢のレシピの掲示だったのかも!って思いきや
メインのなんか材料がヨーグルトしかなんか白っぽいものに漬かっていた肉塊の様子は覚えているんだけど、
もしかしたら検索したらそのヨーグルトをベースにした肉塊を漬け込む料理があるのかも知れない!
まだ人類が知り得る夢で与えられた正に夢のレシィピ。
だけど
でもここで検索して出てきたら、
正に夢の漬け汁肉塊うまうまレシィピにはならないわよね。
たぶん、
夢で見ると言うことは世界の私が今まで見て知らぬ間に知識として得たものが再構築されて寝ている間に映像化されてそれをあたかも夢で見た!って
きっともう世の中にはあるレシィピなのよ。
でもその肉塊とても美味しそうだったなぁ~。
どうやってやくかは実際の私の調理器具では直火の火力の強いものを持ち合わせていないので、
実際には面倒だけどフライパンで肉塊の全6面。
いや全6ステージの面体を丁寧に1面ずつフライパンで焼いてクリアしていくって感じなのかな?
肉塊はたぶん。
あれ豚肉よ。
角煮に使うような感じの肉塊。
二回二度見しようとするほどな夢の中の肉塊。
あ!
思ったけれど、
あれ勝手に焼き込む思っていたけれど、
煮るでもよくない?
あ!
それ今気付いたわ。
その夢の中でお肉持っていきな!って言ってくれたお友だちは、
うーん、
なんか確か確かに焼いて食べたら美味しいよって言ってた気がするんだよなぁ。
だからこんな調理器具焼ける調理器具は私持ってないわ!ってその時の印象で、
これ肉塊持って帰ってもどう調理しようかしら?って困った経緯の経緯を今ここで整理すると、
焼きなさい、
っていってような気がする
え?あなたの家にはバームクーヘンを焼く装置があるの!?って一同にビックリするやつなのよね。
さすがお嬢様侮れないわねっていうぐらい、
私はこの肉塊を夢の中でどう焼けば良いかって目が覚めても覚えて考えていると言うことはよっぽど強烈な印象の漬け汁に浸かった肉塊だったと思うわ。
絶対焼いたらもれなく美味しいやつよね。
また私は今朝目覚めて、
今ならまだ夢の続きに間に合う!って目を瞑ってじーっと夢を見るのを再開するのを期待したけれど、
あの肉塊の漬け汁のレシィピが気になるし、
滅多に肉屋さんでも特別にいって頼んで準備してもらわないといけない豚肉の肉塊は、
それを実際に手に入れるのも夢のようよね。
でさ、
良くある対面でお肉の係の人に言ってお肉を図ってよそってもらう買い方のお肉屋さんってあるじゃない。
ああいうところに行ったら
私の所望するお肉の豚肉の肉塊をゲットすることができるのかしらね?
肉塊ってそんなにマーケットの既にパックに入っているもののタイプに関しては、
そこで立派な肉塊をみることって稀に見る稀なことなのよね。
見付けたら絶対に買いたいけれど。
あと、
お友だちが肉塊を漬けていた漬け汁の秘伝のレシィピも謎なので、
これもまた夢見て続きを教えて欲しいものよ。
でもなんで、
急に肉塊の夢なんて見たのかしら?
金塊の夢ならなんか夢!って感じするじゃない!
肉塊ってなんかハードル高そうだけど、
でも届かないわけでもないし肉塊。
ラッキーアイテムが「豚バラかたまり肉」だったのは私にこれを授けなさい!ってことで、
夢で見たまさにラッキーアイテムが「豚バラかたまり肉」ってなんか笑っちゃうわよね。
それとも単純に私が無意識のうちに夢にまで出てくる感じで身体の中で足りない栄養素の豚肉を食べなさい!って暗示なのかしら?
うーん、
でも今日は1日豚バラかたまり肉の肉塊のことで頭がいっぱいになってそうだわ。
うふふ。
納豆巻きは味もしっかり決まっていて栄養満点食べた気満点の充分な食べ応えを持ち合わせているので、
1本でもかなりの満足感よ!
なにせタマゴに次ぐ元気の源よ!
手抜きこういう時朝の忙しいときに大変助かるいつもの最近これ!って感じの
いわゆる
ネットで買ってみようかなって初めての銘柄は私の好むレモン感あるのかしら?ってちょっと楽しみなのよね。
2ケース!
まあレモン感に期待しつつも、
こういう時に助かるわ。
いつもは自分で寄り道で買うんだけど今回はそれ頼っちゃったわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まずな、「低学歴に嫌がらせを受けた」「高学歴にはスキルを認めてもらえた」これは単なる個人の経験則だ。
そこから「低学歴は生まれつき何もわからない」などという一般化を導くのは、帰納法の墓場で踊る愚者の舞にすぎない。
お前が遭遇したのは、ただの性格の悪い人間であり、それを学歴で括ってる時点で、論理の一丁目一番地すら理解していない証明になってる。
それに、構造的に、資本・教育・環境に恵まれなければ高等教育にアクセスできないのがこの社会だ。
だが、それは「本人の責任」ではなく、社会の階層構造と資源配分の問題なんだよ。
お前はその構造を無視して、出てきた結果だけを「個人の本質」にすり替えてる。
これはもう思考の自己放尿としか言いようがない。しかもそれを堂々と拡散してるんだからタチが悪い。
それからお前の発言、差別を非難するフリをしておきながら、自分自身が差別の構造そのものをなぞってるという事実に気づいてない。
つまり、自己放尿しながら、他人に向かって『お前くせぇな』と叫んでる状態だ。
この地獄のような認知バグを「本能だからしょうがない」と開き直るのは、思考停止の極致でしかない。
そのセリフ、詭弁のテンプレとして教科書に載せてやりたいくらいだな。
理論というのは、人間が「本能」だけでは解決できない複雑な問題、例えば差別、格差、教育の機会不平等を処理するための知的装置なんだよ。
だからこそ人間は理性を持ってるんだ。動物が本能で差別するのは本能のままだからであり、人間がそれを理性で是正しようとするからこそ、人間社会ってやつは文明たりえるんだよ。
ちょうど先日chatgptとシン・エヴァの話をしたので、幼稚なtogetterとの比較のために掲載しておく。
人類はchatGPTにすでに敗北していると思う。
以下chatgptからの返答。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』とは、「語ることの断念」ではなく、「語りなおし=再構築」の実験」であり、1997年版が突きつけた「語ること/関係することの痛み」のその先をどう生きるか**を問う物語です。
要するに、あの「気持ち悪い」から、もう一度「やりなおす」試みです。
■前提:『まごころを、君に』のラディカルさのあとに
1997年版が突きつけたのは、次のような問いでした:
「語ること・終わらせることは可能か?」
『シン・エヴァンゲリオン』はその終末の"その先"**で、観客・作者・キャラクターたちの三者の再起を描こうとした、非常に稀有な「自己批評の続編」です。
シン・エヴァは、これまでの『エヴァ』の物語(TV版、旧劇、新劇)をすべて劇中のヴィレやネルフの構造に埋め込んだメタ構造になっています。
つまり、「物語が終わったあとにもう一度、物語を語りなおすことは可能か?」という問いの演習なのです。
ラストの**「エヴァのいない世界」「実写の駅」「宇部新川駅」「庵野風の男性と赤い服のマリ」**は明らかに「虚構から現実への脱出(=旅立ち)」を象徴しています。
マリは**庵野秀明の現実の妻(安野モヨコ)**をモデルとした存在。
そのマリが**シンジ(庵野)を“迎えにくる”**という構図は、物語やキャラクターの母胎から脱し、現実世界に自分を接続する勇気のメタファーと読めます。
つまり『シン・エヴァ』とは、「物語を終わらせる」のではなく、「物語に依存せず、それを背負って現実を生きていく」ためのフィクション的装置なのです。
『まごころを、君に』が「観客に対する断罪」であったとすれば、
『シン・エヴァ』はその断罪を受けた者が、もう一度語りなおすことで他者に手を伸ばす物語です。
「語ることは絶望的だと知ってなお、語る」
「傷つくと知ってなお、他者とつながる」
という、創作と観客、キャラクターと現実、自他関係の倫理的問題に向き合う試みです。
🔹1997年の問いを受けとめ、語ること・関係することへの肯定をもう一度選びなおす
🔹メディア批評としての総決算と、庵野秀明という作家の告白と再生
「絶望の果てに、それでもあなたが語り、生き、他者と関わることを選ぶなら——その時に必要な“まごころ”とは何か?」
という問いを、庵野自身が自らに向けて問いなおし、答えた作品だと言えます。
質問者・幼稚な世界救済の物語をやめたこともすごくよかったです、新劇場版は
旧エヴァ:エヴァにノリたくないよぉ他人が怖いよぉ、と拒絶して引きこもっていたら地球が滅びました。結論・引きこもりはよくない
序破:女の子のためにエヴァに乗っていっくぞおおおおお!今度こそ間違えない!
Q:女の子のためにエヴァに乗って行動したら地球が滅びました、行動すれば必ず成功するわけじゃないよね、そりゃ。
シン:等身大の関係性から自分を見つめ直して家族の問題を考えて、身近な人間たちとできることをしようと思いました。そうやって現実の僕らも生きているから。
こういう話でしたね、私にとっては。
まさにその通りですね。
その読みは、新劇場版という全体構造を「錯誤→破局→再接続」として読み解く、極めて実践的な理解だと思います。
でも「外に出ること」=「他人と関わること」は怖い。
「やっぱり戦って、誰かを救って、愛されたい」という願望。
救うために行動したはずなのに、全部が裏目に出る。
→ 結論:「正しさ」が何かを壊すこともある
それが結果的に「エヴァの終わり」であり、「自分の始まり」になる。
重要なのは、シン・エヴァが「世界を救う」話ではなかったこと。
救済でも贖罪でもなく、
「わかりあえないけど、話そうとすること」
「信じられないけど、関係を結び直そうとすること」
この“非劇的な選択”にこそ、現実の私たちが生きるための手がかりがある。
そういう意味で、『シン』は空前の“アンチ・クライマックス”型ヒューマンドラマだったのだと思います。