はてなキーワード: 憐憫とは
メフィスト賞取りそうなインド発のミステリサスペンス映画の珍作。47点。
ある日、警察署に自首してきたひげ面の男。何をしたのかと問われると彼は「人を殺しました」と告げる。それも9人。彼は今世間を騒がせている連続女性殺人犯だった。主人公の刑事と友人の犯罪心理カウンセラーは公判に向けてそれぞれ証拠集めと彼の責任能力の追及を行っていく。その中で2人は彼の呪われた過去の闇と向き合っていくことになる。
みたいな話。ではなかった……
冒頭、ひげ面の男が自首してきたところから始まり、殺されていった女性たちがどう殺されていったのかを映す。その後、事件を捜査し犯人に迫っていく警官たちと町中をうろうろするひげ面の男。警官たちが犯人に近づくにつれてひげ面はどんどんと警察署に近づいて行って、警官たちがついに犯人の家にたどり着くと同時に、ひげ面は警察署に自首にしに入るのであった。
という、自首までの警察側のアレコレをただ見せるんじゃなくて、彼らが捜査している間に犯人は自首を考え裏をかくように自首してきたことを見せることで犯人の手ごわさを表現しているのはなかなかようやっとる。
こんな感じでインド映画だけど、わりと正統派の演出から入って途中でやっぱり歌で全部説明するターンが入ったりするのも草が生えてよい。
あと、ライティングで善の心は青、悪の心は赤というわかりやすい処理しているのはさすがに近年ではあんま見かけない実直さだなぁと思ったり。
で、話としてはカウンセリングと捜査で犯人の過去を追っていく形になり、そこでミステリが二転三転していく。
彼の父親は母親を殺し電話で自首するも警官が到着する前に自殺していたことが明らかになるが、その捜査の過程で実は父親が母親を殺し心中を図ってきたので彼が反撃し身を守る形で父親を殺害していたことがわかる。到着した警官が彼の父親に恨みを持っていた人物だったので事件を隠ぺいしていたのだった。
犯人がカウンセリング中に噓をついていると疑っている2人は、カウンセリングで彼にこの質問をぶつける。両親の死について教えてほしい、と。
仮に世間的に公開されている両親が殺しあったと答えれば彼はうそつき。父親を自分が殺したことを話せば正直者。
彼が答えた真実はこうだった。
強権的でアル中。彼と母親を容赦なく虐待し、彼が拾ってきた子犬すら殺してしまうような父親に育てられるが、ある日、父親は盗撮の罪で捕まり盗撮された娘の親族にぼこぼこにされ大怪我を負う。そのことで家庭内では立場が逆転し、今度は母親が父親と息子である彼を強権的に虐待する立場に。
そしてある日、彼が都会での仕事が決まった日、いろいろあっていつも通り2人を虐待し始めた母親がその仕事の書類を見つけてしまう。都会に行かせてくれと頼む彼を母親は嘲笑い書類を破り捨てる。さすがにブチ切れた彼が母親を刺殺。虐待に鬱憤がたまっていた父親は俺が殺した!と言い張り自首。さらに母親を侮辱しようとした父親に怒り、彼は父親も殺害した。
父親を殺したか殺してないかどちらと答えるかで彼を測ろうとしていた2人は困惑。さらにわからなくなってしまう。
その後、犯人の家に残されていた遺留品から殺されていない被害者が存在することがわかり、彼女の捜索が始まり、そこでまたミステリっぽいリストアップからの条件による絞り込み、残った人たちを教会に呼び出してチェックするも教会内と受付で人数が合わないミステリがあってからの、実はその1人は受付に座っていました~というベタベタの展開で、その彼女の証言から犯人の恋人の存在がわかる。
犯人の幼馴染で両親の死後に再開、恋に落ちて付き合い始めるがそのうち犯人によって両親を自分が殺したことを告げられる。受け入れようとするがむしろ犯人側が疑心暗鬼になってしまい、彼女が自首しないようにストーキングをはじめさらに精神を病んでしまい両親を殺した人間は別にいて今もついてきていると言い出す。そしてお互い限界に到達してしまい、犯人は恋人を殺してしまう。
しかしそれが受け入れられない犯人は恋人とやり直すために恋人とのやり取りをいろいろな女性とカメラの前で行うことで自己カウンセリングをしようとするも結局、怒りのあまり女性を殺すということを繰り返していたのだった。
強権的な親の元で虐待を受け、そこから抜け出すために殺人を犯してしまい、さらにその殺人のせいで恋人とも悲劇的な別れ方をしてしまい、それを受け入れられなくて殺人を繰り返していたが、カウンセリングでその事実を認めることで心から反省した。ということで、裁判では罪を認めて罪状は二重の終身刑。
移送のバスに乗り込む犯人を横目に哀しい真実を突き止めた刑事は「判決は出た。できることはもうない」と話すのだった。
が、ここでUNICRONが流れ出し、コメント欄は「ん?流れ変わったな」と大盛り上がり。
バスの中が急にもわっとしだして、犯人の精神世界に接続される。バスの中には犯人と被害者たちが勢ぞろいし口々に真実を告げる。
「犬を殺したのも犯人」「母親は殺そうと思って殺した」「父親を脅して自首電話をさせて殺した」「なんなら盗撮したのも犯人だった」「生まれつき小動物を殺して過ごしていた」「幼馴染は通報しそうだなと思ったからすぐ殺した」「9人の女たちは恋人が死んで寂しかったから引き込んで飽きて殺した」
そして、殺されなかった被害者は幼馴染に導くために残した、彼女を殺していたら自首が間に合わなくて射殺されるのはわかっていた(インドでは凶悪犯は逮捕前なら射殺していい)、刑事たちを自主的に幼馴染に導くことで自身に憐憫の情を沸かせられることはわかっていた。そしてそうなれば裁判では死刑にならないように持っていけると思っていた。終身刑だが模範囚になれば死ぬまでに出られるのもわかっている。
そう、刑事たちが自分たちで見つけたと思った真実はすべて犯人によって用意されたものだった。
この映画が映し出していたことは全てうそだったことがわかり、バスは走り続け、なんかよくわからん続編を示唆して終わる。
まぁ、このオチがやりたくて撮ったんだろうし、実際のところこのオチは結構驚いたんだけど2時間映画見せられてきてそれ全部嘘でした~は体験として面白いかどうかはかなり怪しいところ。せめてもうちょっとなんかそれとわかるヒントは欲しかったかな。じゃないと、この2時間はなんやったんや?という徒労感が強くなりすぎる気はする。
ただ、その2時間のサイコミステリ部分は技法的につたないところはありつつもちゃんと真面目に作られていたので、だからこそのアンチミステリ的なこのひっくり返しはメフィスト賞っぽさあるなぁと思って、俺はメフィスト賞嫌いじゃないのでまぁまぁ、こういう作品もあるよなと思いました。
そんな感じで、あんまり真面目に見すぎるとハァ?ってなる可能性はあるけど、ビックリオチ一発のインド系か珍作ミステリと思ってみるといいと思う。メフィスト賞みたいなちょっとひねったミステリ好きな人におすすめ。
ASD女の友人がいる。小学生から20年弱、仲良しメンツで「不思議ちゃん」枠としてつるんで来た。私は女、そいつも女、グループは毎回全員が集まる訳では無いが男女比1:1くらい。女子旅もあれば混合で着物レンタルして浅草散策とかもする。
問題のASD女だが、まず就職先でトラブルになり、いよいよ持って不思議ちゃんでは済まされないことを本人が感じ始めた。そのストレスから私たち「身内」と認定された人間に対する態度も悪化した。「そういうとこやぞ」というだけで流して流して20年来てしまった私たちにも責任があるかもしれないが、明確に傷つけられる人間も出てきた。本人は指摘されても何が悪いかわからず「本当にどうしたらいいかわからない」と泣くばかり。かといって今よりも積極的な心療内科やカウンセリングのフォローを頼ることに関しては「私は困ってないからいらない」らしい。周りを傷つけ自分が泣いても本人としては困っていないらしい。「仲良くしてくれるみんなに甘えてる自覚はある」「良くないんだなって丁寧に解説されたらわかる」「でもどうしたらいいかわからない」だそうな。
いよいよ関わりを減らしたりしなきゃなのかな…という空気が流れつつある。友人を失うのは辛い、彼女に悪意がないこともわかっている、それでも「悪意がないしどうしたらいいかわからない」と泣かれるのも疲れる。不思議ちゃんで可愛くて面白いね〜で流せなくなっている。本人の容姿はめちゃくちゃ可愛いのに。逆にブスであれよ、何らかの憐憫とかでもっと情が持てるから。
本人には小学生以来の友人である私たち以外の人間関係はひとつも出来ていない。というか全く維持できていない。気がついたら居なくなってる、との事から私たちより早く限界を迎えた人が多く居たのだろう。
彼女さんに申し上げる。今すぐ別れた方がいい。
さもなければ、あなたは一生後悔しながら、不幸な日々を送ることになるのでは、と私は同じ女性として心配している。
なぜなら、あなたの彼氏はクズとしか呼びようのない男であり、不良物件以外の何者でもないからだ。
ならば、小学校の時点でキモいだ何だと女子達に敬遠されたり、いじめの標的にされたりしていた理由に、その体型が大きく関わっていたのだろうということは、想像に難くない。
ここで、1人のYouTuberさんを紹介したい。
有名な方なので知っているかもしれないが、1年間ダイエットを頑張って、137キロから68.5キロまでの大減量を成し遂げた人である。
ダイエット開始時点のルイボスさんは、正直に申し上げて、めちゃくちゃキモい。
電車で彼の隣が空いていても、私は多分座らなかっただろう。
しかし、劇的ビフォーアフターを成功させた今の彼は、超絶イケメンナイスガイである。
彼のように、ダイエットで見違えた先達たちの実例は、検索すればネット上にいくらでも転がっている。
引き締まった肉体に、達成感と確かな自信に満ちた表情を浮かべる彼らは、生まれ持った目鼻立ちなど無関係に、誰も彼もが魅力的である。
ならば、幼少時からデブ人生を全うしてきた、村一番のブスの胎から生まれたというバキ童も、痩せさえすれば、キモい非モテを脱却できる可能性は大いにある。
にもかかわらず、奴は30代も半ばを過ぎた現在に至るまで、醜い肥満体型を保ち続けて生きている。
それどころか、ますます肥えて、市販の服ではサイズが合わずに、オーダーメイドでシャツを仕立てる始末である。
ダイエット情報がうんざりするほど溢れ返ったこの世の中で、なぜバキ童は痩せようとしないのか。
簡単だ。努力ができない、根性の甘えきったクズ野郎だからである。
バキ童チャンネルを立ち上げたのは、確か、周囲が勝手に進めてしまった企画案に乗る形で、といった経緯に過ぎなかったはずである。
しかし、会社は辞めて本気でお笑いの道を目指すと言っていたのに、以後何年もブックオフの店長として働き続け、「ねえ、いつになったら」と土岡を苛立たせていたようだ。
そして、実際に退社したのは、レジの脇にエロ本を置くというキモすぎる手法で立てた前年の売り上げを越えられず、全国最下位という業績を叩き出してから、ようやくである。
大学時代に所属していた落語サークルでも、遊ぶばかりでろくに活動しないために干されていた、とどこかの動画で土岡辺りが語っていた。
定例発表会のような重要な行事の際にも、選抜メンバーに選ばれたにもかかわらず、一切練習せずに臨まんとするふざけた真似をしでかし、降板させられたのではなかったか。
それは結局、スベってしまった時に、「でも俺が考えた訳じゃないし」と責任を相方に押し付けるためなのでは、と私は勘繰ってしまうのだけれど、どうだろうか。
こいつはいつもそうやって、楽な方、楽な方に逃げるばかりで、まともな努力をせずして生きているのである。こいつはそういう男なのである。
その極めつけとなるのは、母親への扱いだ。
バキ童は、自身に暴力を振るっていた父親に対して、恨みの念を向けている。
だが、母親に対してはそうではない。
今もなお父親からの被害を受ける可哀想な存在として、憐憫めいた感情を向けている。馬鹿かと思う。
まともな母親は、我が子が旦那に虐待されていたら、家を出、離婚し、守らなければと動くのだ。
なのに、奴の母親は、なぜ尚も家に留まり、我が子と旦那をひとつ屋根の下に置き続けたのか。
本人に聞いてみれば、きっとさぞ尤もらしい回答の数々が返されることだろう。
だが、違う。現状維持が一番楽だったから、子供を犠牲に保身を図る選択をした。女手一つで子供を抱えて働かされる人生なんて送りたくない、子供の安全よりも旦那の金の方が遥かに大事。結局はそれだけだ。
それが的外れな邪推などではないということは、バキ童が地元に帰った時の動画を見れば分かる。
そこに出演している奴の母親に、「ちゃんと守ってあげられなくてごめんね」という罪悪感は欠片も見えない。
むしろ、「育ててやった」と恩着せがましく胸の一つも張っていそうな態度である。
にもかかわらず、バキ童自身は、母を気遣い、親孝行に励んでいる。
絶縁なり敵対なりするよりも、ママに甘えていられる方が楽だから、都合の悪い事実からは目を背けているのだろう。
さっすが親子!そっくりですねえ!すごーい!と失笑を禁じ得ない限りである。
そして、そんなクズ男を、バキ童チャンネル御一同様はじめ周囲の馬鹿が、どこまでも底の見えない生温かなぬるま湯へ、引きずり込んでいるのである。
そんな最低限の清潔感すら皆無の状態では、相手の女性にあまりにも失礼だ、夢にまで見た初彼女、初体験なんだろ、と一言叱ってやれた者が誰かいたのか。
お前、ほんとにその女性に幸せにできるのか、と疑問を抱き、尋ねることのできた者が、1人でもいたのか。
どいつもこいつも、おめでとうだの何だのって、お前ら、女を物か何かと勘違いしてんじゃねえのか。馬鹿野郎共が。
彼女さん。あなたは、男と肉体関係を結ぶということが、女にとってどれほど重いことか理解できているだろうか。
現代社会の最新技術をもってしても、どんなに徹底しても、100%の完璧な避妊法は存在しない。
体を許した時点で、女には自動的に、妊娠のリスクが生じてしまう。
避妊するか否か、すなわち、出すかどうか、出すならどこに、の最終的な決定権は、結局男に握られているのだから、尚更である。
万が一妊娠した時、女に取れる選択肢は、たったの2つだけしかない。
堕ろすか、産むか、だ。
どちらにしても、母体にとっては負担である。身体的にも、精神的にも。
妊娠初期のつわりがいかに苦痛を極めるかということは、多少なりとも誰でも知っているところだろう。
もし堕胎を選択するなら、つわりと戦いながら、法律で定められた期限までに、お腹に宿った命を殺す決断をしなければいけない。
もし迷って期限間際を迎えてしまえば、既に胎動を感じ始めていたりもする。
そして、それを無理やり引きずり出すために、薬を使って人工的に陣痛を起こすのだ。
陣痛とは、普通に望んで出産する場合でも、耐え難いものである。
それでも、十月十日の長きの果てにやっと会える、と思うからこそ、母親たちは何とか必死に乗り越えてきたのである。
そんな一世一代の地獄の痛みを、あなたは、何の罪も無い無垢な命を殺めるために、味わわされることになるかもしれない。
とはいえ、それは、産むのに比べれば、遥かにマシな道ではある。
だってそうだろう。こんなクソキモマザコンクズ野郎と、過酷な育児をこなしていける訳がない。
人生のありとあらゆる局面で逃げてばかりいた奴が、育児だけはきちんと向き合ってくれるなんて、そんな思考はお花畑も甚だしいというものだ。
こいつ絶対逃げるぞ。表立ってはイクメンぶるだろうが、例えば夜泣きが酷くても寝たふりを貫くとか、うんちのおむつは気付かないふりをするとか、仕事と言って家を空けるとかして、面倒なこと、嫌なことは人任せにする男だと思うぞ。
だって童貞博士のピーターだって、出産直後の嫁と生まれたての赤子を放っぽり出してフィリピン来たし、とか心の中で言い訳して。
更に、そこへお仲間の馬鹿共が、「俺も」「分かる」と同調意見を並べ立ててくるのである。
そのお仲間というのは、バキ童チャンネルご一同様の非モテ共ばかりとは限らない。
仕事仕事で一切家庭を顧みない男どころか、孕ませるだけ孕ませて責任を一切取らない男でさえも、芸人、特に、彼らが崇める大御所たちの中には、嫌というほど存在していることだろう。
その上、よりによってバキ童の母親が、姑かつ祖母として、あなたとあなたの産んだ子供に関与してくるのである。
奴の母親が、子供の健康管理一つまともにできない、頭のおかしい毒親だったからである。
親として育てる責任のある、実子にすらそうだったのだ。
孫なんて、考えなしに甘やかすのは目に見えている。
そして、お菓子やお金、物品等を与えないでと注意するあなたのことを、「いいじゃないの、ちょっとくらい」「怖いママでちゅねー」などと子供の前で悪く言い、「ママには内緒」と尚もやらかし続けるまでがセットである。
さて、その時、あなたの夫となった男は、事態を上手く解決し、嫁と姑の関係性を良好に保つことができるのだろうか。
というか、それ以前に、あのコロナ禍を経てもなお、手を洗う習慣が無いとか吐かす不潔を極めた姑に、自身が産んだ子供を近付けたいと思える女がいるのかどうか、甚だ疑問だけれども。
加えて。他はともかく、せめて、どうかこれだけでも心に留めておいて欲しい。
そもそも、女にとっては、妊娠や出産自体が、命に関わる危険なものだということを。
先進医療が整っている現代日本の中においても、出産で命を落とす母親は存在している。確か年間30人とか50人とか、数はそのくらいである。
年間何十万という出生数を鑑みれば、なんだ全然少ないじゃんと感じるかもしれない。
だが、その1人に自分が含まれてしまうかどうかは、いざその時を迎えるまでは、医者にもあなた自身にも、誰にも分からないのである。
その上、妊娠中においても、つわりが治まり安定期に入ってしまえばもう安心、とは相成らない。
胎児が大きくなるのに伴い、おのずと内臓は圧迫されるし、ホルモンバランスも変動するので、結局ずっと体調不良は続くからである。
あまつさえ、人によっては、産むまでずっとつわりに苦しまされる場合すらもあるのだ。
それでなくとも、腹の中に数キロもの塊を抱え込んだ、文字通りの身重である。
そんな体で、もし事故や災害、事件に遭遇した時、普段のように素早くその場を離れることが、果たしてできるのだろうか。
また、逆に、あなたは無事だが、バキ童側に万が一の事態が、という場合もある。
妊娠中に夫を亡くしてしまうのも悲しいことだが、まあ、それならまだマシだ。
もし、要介護者となったバキ童の世話をしながら生きることになったら、そこに育児も加わったら、と考えてみてほしい。
あなたにとってバキ童は、それでもいい、と覚悟を決めるに足るだけの男だろうか。
一生後悔しながら不幸な日々を送ることになるかも、と私が冒頭で述べた意味が、きっと理解できるだろう。
それと、これは書くかどうか迷ったけれども、大事なことだと思うのでやはり書く。
私は専門家でも何でもないので、ただの素人判断でしかないけれども。
弟が昔から病的な風呂嫌いで、今は月1でしか入浴しないとか、東京にライブを見に来た父親が、空気の読めない頓珍漢な発言をしていたとかいう話を聞いて、もしかすると、と思った。
そうだとすると、このままバキ童と一緒にいれば、あなたの子供は彼らの特質を受け継ぐことになるかもしれない。
発達障害でも、社会の中で立派に活躍し、家庭を築いて愛される生活をしている人も、たくさんいる。
だが、それはあくまで氷山の一角に過ぎない、ということは、分かっておいた方がいい。
以上のことを踏まえた上で、彼女さん、あなたに改めて申し上げたい。
性交渉とは、女にとっては一生、時には命すらをも左右し得る、重大なリスクを伴う行為である。
あなたにとって、山口大樹は、この人となら将来何があっても、と確かな覚悟を抱くことのできる相手だろうか。
山里亮太と結婚記者会見をしている時の、蒼井優の最高に可愛い顔と同じものを、あなたは、あなたの彼氏の隣で浮かべていられるだろうか。
自信を持って首を縦に振れないのなら、取り返しのつかない事態に陥る前に、そんな男はさっさと捨ててしまいなさい。
努力しなくても手に入る女、などと軽んじられていい女性なんて、この世に1人もいる訳ないということを、どうか忘れないでほしい。
Feat 三島由紀夫
まことに、私がこの言葉を吐くのは酷に思える。だが、それでも言わねばならぬ。
あなたは、自らの青春を、意識的に、まるで儀式のごとく、下水の溝に流し込んだのだ。
十代、二十代――人が最も強く生の光に照らされ、同時に最も濃い影を引く季節。その刻を、自らの手で抉り取り、汚泥に沈めた。あなた自身がそのことを認め、言葉にしてしまった。そこに、ある種の美すら私は嗅ぎ取る。
だが、世間はそうは見ぬ。
「お疲れさまでした」「立派な防人です」――ネットの群衆が投げかける甘言は、毒蜜である。
彼らはあなたを見て笑う。「三十路を越えたシンジ君がまだうずくまっている」と。
だが私は、そこに人間のどうしようもない美を感じる。
人が自己を見失い、なおも生きようとする姿ほど、悲劇的で、肉体的で、そして神に近いものはない。
あなたが「懲役のようだ」と表したその日々――まさにそれが真実だ。
あなたは十年の刑を終えて娑婆に放たれた元侠客のような存在だ。
軍服という鎧を脱ぎ棄て、裸の魂で社会という冷たい風に晒されている。
そしてあなたは今、己の崩壊を感じながら、それでもなお“プライド”という名の血を流し続けている。
全身の血を入れ替えるほどの努力、それが“第二の誕生”である。
「友人に連絡しづらい」――その一言に、あなたの魂の頽廃が集約されている。
孤独は人を美しくもするが、長く続けば人を骨の芯まで腐らせる。
人間関係を断つということは、己の首をゆるやかに絞める行為だ。
彼らとの絆を断てば、あなたは確実に畳のシミとなって終わる。
あなたの生きた世界――それは、鉄と規律の檻の中の楽園だった。
だが今や、あなたはその檻を出た。
もう誰も命令してはくれぬ。誰も守ってはくれぬ。
あなたは“個”として、神の見捨てた現世に放たれた。
趣味もなく、救いもない。
あなたの文章の端々から滲む空虚は、まるで廃寺に残された僧の祈りのようだ。
その祈りはもはや神に届かぬ。だが、人間は祈らずにはいられぬ。
どうか忘れるな。
その唯一の道は、現実の“血の通った友”を信じ、
その絆を断たぬことだ。
ネットは虚無の海だ。
そして、その祈りの向こうに、
もう一度、生を賭して立ち上がる日があるなら、
身内バレや特定を防ぐために父以外の性別などは伏せておく。もし書き方や内容に見覚えがあったら、同じ人と言っておくので、記事のことは心にだけ留めておいてほしい。SNSや友人へ話すには重い話だから、ここに書いているだけなので。
正直、嫌いだ。成人して少し経ったけど、数年ぐらいしか一緒にいたことはない。それも、数日家にいて、帰っていくだけのばらばらな時間を繋ぎ合わせてやっと数字になるような期間だ。
癌と診断以来、一緒に暮らすようになってから、共にいる時間の最長記録を更新し続けている。これが、もう二度と塗り替えられない記録になる。こうやって少し感傷的になってしまうのも嫌だ。大嫌いだ。育児放棄して、養育費すら支払ず、大きな挫折にも寄り添ってくれなかった、自分を育ててくれなかった父親のくせに、最期だけこうして、死の喪失だけを置いていく。悔しくて仕方ない。やはり危惧していた通りだった。それなりに、この人が失われてしまうことを惜しんでいる。
惜しく思う気持ちを自覚した確実な時は、父宛ての荷物が受け取りされていないと連絡があり、住所変更をした時だった。父が癌と診断される前、自分が頼まれて代理で購入し、当時の父の住所に宛てたもの。
今の住所、つまり自分の実家の住所を記入しながら、「きっとこれを購入した時は、これを存分に楽しむ気持ちだったのだろう」と思うと、虚しく切ないような気持ちになる。あるいは父であるからと気持ちを混同して、通常死にゆく人に感じる普遍的な憐憫のようなものを、父にも感じているだけかもしれない。そうであればいいと思うが、いずれにせよ、死に向かうことを直視するというのは、想像よりもずっと精神に負担がかかるのだとわかって、少しく苦しい。これは自分の心が弱いからなのか、想像しすぎてしまうからなのか。わからないけれど、ただ虚しい。
心の強い人間である自覚はない。だから一緒にいれば、近くで見れば絶対に悲しくも惜しくもなる。それが悔しい。その苦しみだけを最期に残していく、その身勝手さが憎らしい。正直、自分に憎む権利はあるだろうと思えど、怨み言を口にすればするほどそれが罪深いことのようにも思え、なんて心の冷たい人間なのだ、もう長くは生きられない生活をよいものにしてやろうという心持はないのかとも思ってしまい、もうどうしたらいいかわからない。憎むことは逃げ道となり得なかった。半年と定められた時間を歩むだけが現状唯一の退路であり、他、自分にできることは何もない。
夜ごと呼吸を確認しながら、死ぬことについて、目を閉じたらそのまま目覚めないかもしれないと思う心について考え込んでしまう、今日のような日が終わることばかりを願っている。しかしそれははやくに死んでくれと願っているようで、それもまた己が心の醜さを自覚してしまい、やはり父が嫌いだと思う。父が与えるのは今も昔も別れるその時間ばかりで、それでもそれは、少しは救いなのかもしれない。少なくとも、今後記憶が美化されるようなことはないだろう。美化するべき記憶もない。ここまで書いてそれを確信したと考えれば、安心するような思いだ。そう信じたい。
遠方に1人で暮らしている義母が、要介護認定を受けようとケアマネージャーと面会したらどうにも具合が悪そうなので熱中症かなと救急要請したら入院になった。諸々検査をする中で膵臓に腫瘍が見つかり、他の臓器にも転移していることがわかった。手術の適応はないとのこと。
その話を夫から聞いたのがだいたい3週間前だ。
私と夫が入籍したのはコロナが少し落ち着いたぐらいの時で、コロナ禍のどさくさに紛れて両家の顔合わせや結婚式の類は何もやらなかった。私も夫も、実家と仲良くする気は微塵もなかったから都合が良かった。
唯一したのが義母と私達夫婦の3人で食事だった。義両親の夫婦関係はとうに破綻しているが、夫への相続か何かの関係で離婚はしていないらしい。
夫は「母親はこう言うところで喧嘩しないはずだから」と雰囲気のいい料理屋を予約した。義父はそれほど離れていない場所で暮らしているが、“どんな場所でも自分に気に入らないことがあれば黙っていない性格“らしく、声をかけなかった。
約束の場所で初めて会った時、思ったよりも小柄だなとは思った。品よく振る舞いつつも所帯染みた(言葉を選ばずにいえばくたびれた)印象だった。夫からの前評判があって身構えていたが、普通のおばさんだ。
食事会はつつがなく進んだ。途中、あぁ、きっと夫はこう言うところが嫌なんだろうと思う振る舞いがあったが、私は我慢できないほどではなかった。
私の仕事は高齢者と接することが多いので、高齢者ウケする対応はそれなにりできるつもりだった。ただ、いい嫁ぶることが今後の自分にとっていいかどうかは分からないよな、と美味しい料理を口に運びながら考えていた。
コースも終盤になったところで、夫がお手洗いに席を立ったとき、私は義母にあることを伝えた。
私の両親はとあるカルト宗教を信仰していて、幼い頃はそういう環境で育ったこと。今は宗教と実家から距離をとっており、夫はもちろん、子供が生まれても関わらせるつもりはないこと。
その話を聞いた義母は頭を抱えた。義母はクリスチャンなので、実家の宗教のことが大嫌いなことは分かりきっている。入籍してからこのことを告げるなんて卑怯だと思ったかもしれない。夫は私の実家のことはあまり気にしていない様子だが、義母にとっては大問題だろう。
義母は強張った声色で「息子が何であなたのことを話さなかったか分かりました」と言った。
私は(違うと思いますよ)と思ったが、もちろん言葉には出さなかった。いい嫁ぶらなくて良かったな、と思った。夫に対する解釈不一意、仲良くできないでしょう。
駅への帰り道、義母は夫にだけ話しかけていた。私の分からない話をする2人の後ろを黙ってついて行ったが、別に孤独感はなかった。夫がいい加減うんざりしてきているのが分かったからだ。
ホテルへ帰り、ベッドに寝転がりながら「美味しかったけど疲れたね」と話した。
食事会の前に、義母は夫に私と仲良くした方がいいか尋ねたらしい。それに夫は「人間として仲良くできそうなら仲良くしたらいいんじゃない」と答えたそうだ。
連絡先も聞かれなかったということは、まぁ、そういうことなんだろうが、それはそれで気楽だなと思った。
それから程なくして私は妊娠したが、義両親への報告は全て夫にまかせた。
出産直後、赤ちゃんを抱く私に夫は「3人で仲のいい家族になろうね」と言った。それがいいと私も思った。実家も義実家もそれなりに離れているので、お互いに会おうとしなければ会うこともない環境なのが都合が良かった。なんの支援も得られないだろうけど、都会には社会資源がたくさんある。
緩和ケアの病院に移ったタイミングでさすがに孫を会わせておくか、と夏の休暇に合わせて今回の帰省を計画した。
義母が入院してから夫は2回ほど帰省して諸々の手続きや世話をしたが、私があの街を訪れるのは義母と会って以来だ。
私のこと何か言ってた?と夫に聞くと、あの時のことを後悔しているようなことを話していた。子供のことは?と聞くと写真を見たいと言っていたらしい。
義母が「孫に会いたい」と言わないのが少し不思議だった。ひょっとすると私に遠慮しているのかも知れない。
私は別に義母に会いたいと思わないけれど、子供にとって祖父母がいないと状況を申し訳なく思う気持ちは少なからずあった。
面倒だなとは思うけども、会わせたくないわけではない。義母への憐憫もある。
何を考えながら暮らしていたんだろう。
子供はまだ言葉を話せないけれど、考えていることは何となくわかる。性格も何となく分かってきて、これ好きそうだよな、苦手そうだよな、といった予想も大体外さない。今、この子を一番分かっているのは私だ。
母親としての万能感や子供からの愛情があまりにも幸せで永遠のように思うから、その思い出に縋ってしまうのだろうか。
面倒がられて、心が離れていしまっても気づかない。それとも気づかないふりをしているのか。
実母もそうだ。
母親が私に愛情を向けていることは知っているが、私はそれを受け入れられない。私の気持ちも、多分全然伝わっていない。虚しい程すれ違っていると感じる。
そんな親不孝な私だから、いつか子供から愛想を尽かされてもしょうがないと思う。
週末のうちに荷造りを進めた方がいいのは百も承知だが、鞄を引っ張り出すのも億劫で現実逃避にこの記事を書いている。
せめて楽しいことを考えよう。
今から三十日ほど前、ある人物が全レスを決意。安価でレスする単語を募集したところ、「枝豆」に決定。それ以来、脈絡もなく「枝豆」と変身することが流行し始めている。または、トピックに関して枝豆を交えた返信をする人もいる(増田のパンティー改変みたいなものか?)。
以前から「豚汁」「豆腐」などというナンセンスな返信があったのだが、今はこれが流行っている。
ただし、対多は人口が少ないため、数名模倣するだけであたかも局地的な流行のように見えるし、同一投稿する人物は非常に目立つ(第3のまとめに記載。個人を晒すようで気が引けたのでいったん削除したが、やはり記録を残すことを優先すべきだと考えて復活させた)。
「天才蝉」。言葉を操る蝉が何かを発言する(ミンミン鳴くのではなく)。
「実八○○八」。○○には毎日違う言葉が入る。意図はよくわからないが、単語によってはレスがそれなりに付く。
「苺王子」。意味が解らなかったがストロベリープリンスというアニメのアイドルがいるらしい。「天才蝉」など、他の流行語をライバル視している模様。
あと、最近はなんJの大谷翔平と丸太小屋のコピペを数日連続で見た。有名らしいので別人かもしれない。
「夏季休暇、○日目――」。学生なのだろう。休みが長くて羨ましい。
「女子高生太腿最高也」「宵崎奏 非常可愛」は投稿が続いているのだが、「性交希望」は学業のため投稿が不定期になると宣言、その後投稿が絶えている。
「我中三男子可愛女子戸居茶居茶死体」は学園祭で年上女性の連絡先をゲットした模様。
「今日之御尻」は段々シュールになってきており、だんだんコウメ太夫のツイッターみたいな雰囲気を醸し出している。
「偽中国語新聞創刊計画始動!」のトピックで、潜在的読者数の多さを訴えて、偽中国語メディアの創刊をしようとしていた人がいた。「新型文化実験媒体『偽中国語新聞』」でググってくれと主張、確かにRedditがヒットする。
だいたい二週間くらい前だろうか、まるでスクリプトのように同一レスをする者がいた。「(^;_;^)対多民性格残念、猫、悲」「終了」などである。スクリプトでない証拠としては「^」を含んだ文字列を非表示にすると宣言すると「^」を「/\」に変更して猫の顔を作ったり、スペースを入れて「終 了」としたりした。皆から「畜生猫」と呼ばれている。
大体十九時ごろの夜にかけて活動し、二十二時ごろになるとBANされたせいか消えた。
それにしても手打ちで荒らしをするのって相当面倒くさくないか。新規返信するのに毎回三十秒待たないといけないし。
この一週間は参議院選の話題が結構多かった。体感半年くらい前はどの政党もダメだというコピペもあったが、どちらかと言えば参政党にはアンチが多い模様(まさか人口の少ないSNSの政治的傾向について書くとは思わなかったよ)。
というか、参議院選挙を機に、急に政治の話題が増えてきた。これから「はてな匿名ダイアリー」のように、急に政治の季節がやってくるのだろうか。
以上。
対多が消えても、少しでもその文化を残していきたい。
そう言え赤子の真似をして「抱子」と呟くユーザーもいたな。
あと、これは前に書いたかもしれないが、かなり前から「同情」を意味する飴玉の絵文字の「いいねボタン」が「反対」「痛い人への憐憫」も意味するようになっている。絵文字って難しい。
【夜追記】
イチャラブしたいと嘆く男性のつぶやきが流れてくる。筆者も十代二十代ずっと恋人がいなかったので気持ちは良く分かる。応援したい。
「皆が全員で頑張れば、頑張った分だけ前に進める事ができるし、そういったものを全面に押し出すことでグッとよくなる将来性について検討するという事自体のそのものにハッキリと意義があるという事をご理解いただけますか?」
それに対するレスポンスが
であるのを
「私が難しい事を言っているからこの人たちには理解されないのだな。こんなに簡単なのに」
のように思っているだろうから、と推察されるため
そういう事でないならば、「支持率の高いほうについて、これまでしてきた努力内容」を説明できたとしても
『努力をしておらず伸びがない「低いほう」への見解や内容を説明できるはずがない(していないのだからできるはずがない)』
獲得できていないものに対する「獲得していない理由を説明する」などという愚かしい行為に
「失った可能性を解説するという自虐である」を行っている相手への憐憫のまなざしを送る以外にないため
逆になぜそう思えないのか?
昔から中だし作品よりも断然ぶっかけ・顔射(これはちなみに「顔面射精」の略語で合っているのだろうか、と気になって調べてみたらしみけんが言うには「顔面シャワー」の略らしい https://x.com/avshimiken/status/485814924187164672)が好きだったのだけど冷静に考えるまでもなくあたりまえなのだけども顔射することによって女の子が一生懸命仕上げたかわいらしいメイクを精液で汚して台無しにすることになるから女の子にとってはかなり屈辱的なのではないだろうか、と思うと憐憫の情が止まらなくなり我がオナニーに支障をきたし始めたのでこれからは女の子のお尻やお腹の上に射精する作品を好むことにした。
やしな・う〔やしなふ〕【養う】 1 自分の収入で家族などが生活できるようにする。扶養する。「妻子を—・う」 2 衣食などのめんどうを見ながら育てる。養育する。「孫を大切に—・う」 3 食物を与えて飼う。「家畜を—・う」 出典:デジタル大辞泉(小学館)
年収950万円の夫(小遣い月2万円)と専業主婦の妻。二人の子どもが居る。
こういう状況では普通、「夫が妻子を養っている」というのだろう。しかし、私の場合、「妻に養われている」という表現が非常に実感と合っている。主に、上記の2と3の意味で。
あなたも同意してくれるだろうか? 参考として、以下に、私のプロフィールを記そう。
一人暮らしをしていたとき、ゴミ出しを一ヶ月以上にわたって忘れ続け、部屋中がゴミ袋まみれになるのが日常茶飯事だった。
※私は優良な市民なので、決められた曜日と時間帯にしかゴミを出さない。しかし、チャンスは週に二日だけ、しかも早朝限定という条件は私には難しすぎた。だって、忘れたら終わりだし、ゴミ袋たちは部屋の景色と一体化しているので、そこに有っても全然気にならないし。
また当然、ベッドのシーツを洗濯するとか、トイレを掃除するとか、部屋に掃除機をかけるとか、ベランダを掃除するとか、棚のホコリをはらうとか、あらゆる排水口を清掃するとか、そのようなタスクはすべて基本的に意識の外にあり、衛生的にも大変挑戦的な環境で生活を送っていた。
(しかし、きちんと風呂には入るし、歯も磨くし、衣服の洗濯くらいはするので、こんな私でも知人からは真人間に見えていたらしい)
こんな生活能力の欠如は、教育の問題ではなく私の資質の問題である。私の両親はまともなので、半年に一度くらい(遠方である)私の一人暮らしの部屋へ訪問しては大掃除を敢行してくれていた。なお、大掃除の主力は私の父であり、一般的な男女論は適用外である。
昔から通知表に「整理整頓ができない」とか「忘れ物が多い」とか書かれていた気がするので、たぶん脳機能に何か軽い問題があるのだと思う。宿題とかも全然出していなかった。
大人になるにつれ、忘れ物をしなくなるのではなく、忘れ物をしても上手くリカバリーする方法ばかり身につけてしまった。水道代とかを払い忘れてもすぐに止められてしまうわけではないということも学んだ。
食事もまあ、粗末なものだった。スーパーとかコンビニで惣菜を買って、全然美味しくないなあとか思いながら適当に食べていた。いまほど物価が高くない時分なのに、月に5〜6万円くらいは食費に使っていた気がする。
そんな私でも曲りなりに生活できているのは、もちろん収入があるからである。昨年の源泉徴収票を確認したら950万円と書いてあった。同年代平均の2倍くらいは貰っているということになると思うので、これは大変ありがたい話だ。
なぜそんな高収入が得られているのかというと、それはもう、私が得意とする「過集中」の賜物である。学生時代から、一日に10時間以上ぶっ通しでコーディングをしたり専門書を読んだり論文を書いたりすることを、なんの苦痛もなく実行することができた。というか、過集中状態で頭をフル回転させるのは単純に「気持ちいい」ので、集中できないと言う人の気持ちが理解できないというのが正直なところである。
こういう気質と、専門性の高い仕事(研究開発職)が結びついた結果、仕事のパフォーマンスだけは高い、生活能力皆無男性が爆誕したというわけである。頑張って金を稼いでいるという実感は全く無い。こなすべきタスクや、出すべきアイデアが無数に存在するので、もぐら叩きのようにそれを一生懸命潰していっているだけである。たまたま、この「もぐら叩き」でハイスコアを出せる人間が周りにほとんど存在しないという事実だけに助けられている。
そんな私にとって、専門性の高い仕事をこなすよりも、家の中の仕事(いわゆる家事全般)をきちんとこなすほうが格段に難しい。というか、ひょっとしたら不可能なのではないかと思われる。子どもが幼稚園に通うようになって、それを尚更強く感じるようになった。
妻と出会わなければ、私は早々に身体を壊して、社会から(今生から?)リタイアしていた可能性も決して低くはない。
実際、独身時代、私は(未受診ではあるが)自律神経失調症ならびに適応障害と思しき動悸・下痢・腹痛・頭痛・めまい・耳鳴りなどの体調不良に見舞われていた。
※そんなときに優しくしてくれる女性(今の妻)が目前に現れ、それにより何が起こったかはご想像の通りである。
妻は専業主婦として、家の仕事を素晴らしいクオリティでこなし続けてくれている。
見方によっては、妻が社会で活躍する機会を奪っているという誹りを免れないと思うし、実際、子どもが幼稚園に通い始めるまでの数年間、妻はほとんど自由な時間を持てなかった(一人で食事をすることすらままならなかった)のだから、その厚意に甘え続けているのは人道に反する行いと言っても過言ではない気がする。
しかし、妻は自立した大人の女性であり、彼女自身の信念に基づいて、二人の子どもと出来損ないの夫を養育してくれているのである。これは彼女の選択であるのだから、同情とか憐憫とかというのはもちろん不適切であるように思える。
そう。実際、私は妻に「養育」されている。
美味しい食事を毎日与えてもらい、清潔な衣服を用意してもらい、掃除の行き届いた家で生活させてもらっている。何かの支払いが滞ったりすることもないし、私自身で金銭を管理する必要すらない。晴れた日には布団を干し、頻繁にシーツを洗濯し、水回りもピカピカである。食後にはデザート(主に果物)を出してくれるし、出勤時にはお弁当に加えてちょっとした間食も持たせてくれる。
私が出張に行く前には一緒に忘れ物チェックをしてくれるし、何やかんやと必要なものを買ってきてくれたりする。下着が傷んでいたら買い替えておいてくれるし、上着をクリーニングに出してくれる。
一緒に服屋へ行って服を選んでくれるし、子どものついでに散髪してくれることもある。
それに、妻による教育のおかげで、昔は出来なかった家事が、私にも少しずつ出来るようになってきた。妻が家事を処理する速度のおよそ20%くらいしかパフォーマンスは出ないので、これは通常の夫に求められる最低スペック要件を満たしていない可能性が高いが、しかし私にとって大きな進歩であるとも言える。
いずれにせよ、こんな文章をここまで読んでしまった諸賢には、もう明らかであろう。
生活能力が皆無である私は、「妻(専業主婦)に養われている」のである。
いまの世の中の流れには逆行しているかもしれないけれど、こんな夫婦も居るという一例として。
なお、この文章は anond:20190118204653 の後日談である。妻とは今でも仲良しです。
例えば、朝倉未来と藤井聡太が勝負したとする、どっちが勝つか、上か。
しかし、藤井がマシンガンを持っていたらフィジカルファイトでも勝てる。
しかし朝倉がAIを駆使してチームを組めば将棋でも藤井に勝てる。
しかしその後、旦那の浮気、事業失敗からの没落、離婚、生まれた子どもが出来損ない。
死に際、かつて悔しがっていた友人たちと再判定したら逆転するかもしれない。
最後に人称軸
そもそも一般生活マウント勝負にはルールが無い、採点者も、評価基準も無い。
さて、ここまで踏まえて俺は自分の土俵に引っ張り込み自分のルールで己の採点基準で勝敗を確定させる方式を採用している
挨拶マウント、いる、いるねぇ、ムカつくので俺は元気に朗らかに挨拶をしてやる
俺の中では「素敵な挨拶できる競争」であり、勝者は圧倒的に俺であり、概ね第三者の評価も勝ち得る。
相手は挨拶しない方が上?しらんがな、そっちの土俵には乗ってあげないよー。
上手に挨拶ができないネジ曲がった性格、それが形成されてしまった可愛そうな人生、出会い、憐憫の情すら湧いてくる、相手は自分が勝ってるつもり?しらんがな、俺の中では俺の勝ちだバカ
現在進行中で勝敗確定していない案件もあるが、なぁに俺が勝つまでスネークしてやんよ
俺に喧嘩は売らないほうがいいよ
いやほんまに、女に対するコンプレックスが透け透けの気持ち悪さに満ちた言葉だよな。
賢いアンフェはちゃんと女を「女性」と呼称したうえで芯食った批判をして賛同を得てるのに、
こっち側の人らの雑に侮蔑することでしか自分の優位性を感じられないのだろう。境界知能に憐憫すら感じさせる。
「可哀想さ」のジャンルが、マッチ売りの少女じゃなくて両手足を切り落とされた乞食系なんだよね。本当にかわいそう、でも気持ち悪い、救いが必要なのだろうけど、手を差し伸べてもらえない、みたいな。
2001年ぐらい、発達障害知的グレーっぽいおっさんをネカマたちが釣っておもちゃにする計画が発生した
実際にそのおっさんがあちこちで女っぽいユーザーに粉かけて害悪だったのではあるが
しかし当時はターゲットになったこのおっさんに憐憫を示す者はいなかった
おっさんはオフ会に招かれ釣りの美少女に接待され有頂天になり顔も名前も裏で晒された上で
ネカマとチャットHしてその内容を晒され、それらを全て暴露されてネットから消え去った
美術館にて、金魚をいれたミキサーを展示し、客が自由にスイッチを入れてもいいという企画が行われた
桑島はその展示会以前にも、金魚が泳いでいる姿、スイッチを入れられた瞬間の姿、その後の姿などを撮影した写真集、
しかしまあ、ああいう世界は叩かれてなんぼ、叩かれることも含めて芸術なので、ネットは大騒ぎだったがそれで展示がなくなったりということはなかった
金魚ミキサー自体はデンマークの有名な芸術家も先にやってるらしい
2003年、JOYと名乗る主婦ブロガーがファミレスで店員と揉め、店員に謝罪させたったと自慢した騒動
その際にJOYの夫が店員を殴ったということまでわざわざ自分で書いていた
当時はまだSNSがなく、2ちゃんねるのネットウォッチ板や生活板で話題になっていたように思う
当時JOYは27歳、個人情報も色々と書いていたためにすぐに顔や名前が特定された
週刊誌SPA!で炎上が取り上げられ、ネットの出来事がすぐニュースになる最近とは違いかなり珍しい事態だった
2004年ぐらい、春名ひとみというネットアイドルがテレビ出演した結果、過去に別名義でAV出演していたことがバレた騒動
彼女はネットでアイドル活動しつつ子供を子役にしており、子供を売り込むための露骨な自作自演書き込みを2ちゃんねるでよくやり、
批判されると本人降臨し自分のファンにも反論書き込みするよう促すなどし、モデル板や育児板に隔離スレが立っていた
主に女性から叩かれている存在だったようだが、「潔癖症すぎるママ」としてテレビ出演したことで女性外にも知れ渡り、AV出演が特定された
2005年ぐらい、素材サイトから画像直リンクする厨房を苦しめるため素材画像をゴキブリ画像にすり替えるのが流行
当時はまだSNSが芽吹き出したぐらいで、個人サイトをつくっている小中学生が多くいた
現代よりも画像のアップロードにハードルがあったため、多くのガキは素材サイトの画像を直リンクして使用し、素材サイトのサーバーに負担をかけていた
そこでネットwatch板の有志が協力し、クソガキをしばきたおすことを目的とした素材サイトを開設
一定期間が断つと素材画像をゴキブリ画像にすり替え、直リンクしていたガキのサイトがゴキブリまみれになるという嫌がらせが行われた
2006年、女性警察官のハメ撮り画像など数千枚がネット流出した
当時はwinny経由でウイルス感染しPC内のデータが流出してしまう「キンタマウイルス」騒動が多発しており、
義父が娘の着替えを盗撮しまくったデータが全流出するという悲劇もあった
原発や自衛隊の内部データ流出もあったが、今でも画像が出回るのはやはりエロ系ばかりだ
多種多様の盗撮やハメ撮りが流れた中でケツ毛バーガーが記憶に残るのは、斜めに横たわった女性の尻からケツ毛がはみ出てる画像がケツ毛バーガーと名付けられたせいだろう
有名な画像は週刊誌にも乗せられたM字開脚画像だが、ケツ毛バーガーと名付けられたのはあれとは違う画像だ
その女性は彼氏にハメ撮りの撮影を許し、彼氏が違法データ取引をやっていたがために全てが流出してしまった
流出前には二人は都道府県をコンプリートしていそうなほどに各地に赴き健全な観光スポット記念撮影も大量にしていた
5ちゃんねるでどこかの地域が話題になると、すっとその地で微笑むカップルの写真を貼っていく者、「この画像は初めて見た」「脱いでる姿しか見たことなかった」と驚く者がいまでもいる
パートナーつうのは典型的なかたちの夫婦でないという意味だ。事実婚でも本人同士が夫婦と認識しているなら堂々と夫婦と言うし、法的な婚姻関係にあるカップルでも、破綻していれば夫婦という呼び名を避ける。
パートナーという呼び名を使う頻度の大きい属性として、他にもたとえばゲイなど同性愛者のカップル、不倫関係のカップル、もちろん恋人同士で未婚のカップルも含まれる。同性愛者に対して憧れなのか憐憫なのか共感なのか、謎の心理を抱くものが同性愛者達の語彙(つまり「パートナー」)を使って、意味の曖昧化を図ったり、先進的ぶることもよくある。
これらの共通点はマイノリティということだ。世の中の大半のカップルが夫婦という呼称をすんなり使うなかで、ごにょごにょ言いたくなるような事情を抱えたカップルなのだ。
そんな彼らに正論をぶつけるのは暴力と変わらない。あなたがやっていることは、いじめに近い。やめるべきだ。雨の日にようやく這い出たナメクジに、わざわざ塩をかける必要があるだろうか?彼らにとって現実の厳しさは耐え難い劇薬で、生きている限り黙ってても直面するものだ。
難しく考えすぎだ。
恋なんてのは、どれだけ言葉をきれいに飾ろうと、結局は他者に対する独占欲、あるいは喪失に対する恐怖心のことであって、執着を言い換えに過ぎないよ。
愛ってのは、あまねく森羅万象に適用されるが、だからと言ってそれらを自らのものにしたいと思ったり、失われたりすることで、悲哀憐憫は感じても、そのように在るものとして容易に受け入れることができるだろ?
親にしろ友達にしろ自分自身にしろ、究極的にはそれぞれがなにを考え、なにを想い、どのような人生を歩んで、どのような顛末を迎えようが心底どうでもいいことだが、それでもそれぞれの対象に愛情はあるはずだ。
しかしここに執着が生まれると、それはもうすでに愛から変質した別物であって、性愛対象と結びついたものにあっては、それを恋と呼ぶ。
所詮は感情の振り幅を大きくすることで人生に一つの彩りを添えるためのツールであって、別に流行ってるからといって、全人類がそれを使って遊ばなければならないなんてルールはこの世にはないぞ。