はてなキーワード: 弾力とは
備蓄が200日以上ある
→価格上昇を抑えたら需要が増えてますます枯渇の時期が早くなる(価格弾力性が低いと言ってもゼロではない)
→ガス・電力が足りても石油が主たる燃料の物流もナフサ等の石油化学製品も代替できない
→不足分を埋め合わせるほどの増産余力・港湾能力はなく石油の質も違い日本の製油所が対応してない
→内閣人事局などの官邸機能強化・小選挙区制・派閥解体で有能な官僚・議員が無能な総理に逆らえなくなった
→有能な人が官僚や政治家なんかやるわけない(有能な人が社会のために働いてくれるというナイーブな願望は捨てろ)
→→でも石油が足りなくなったら有能な人も困るんだが?
→有能さの種類が違う(政治家は人気取りが上手く選挙に強いだけ・官僚は担当分野の法律・行政実務に詳しいだけで複数分野の知見が必要だったり前例のない有事対策でも有能なわけではない)
→→まあこれやろな
→→関連業界にそこまで影響力があると思えず代償が大きすぎるのでは?
→有事になれば自衛軍や緊急事態条項のような憲法改正をしやすくなる
→→アメリカのイラン攻撃は支持されておらずむしろ改憲しにくくなるのでは?
→日本国政府が反日勢力に乗っ取られている(日本の国力を下げたい・日本人を苦しませたい)
→→これが正解っぽいな
40gで60円ちょい
パッケージに女性のくちびると並べてるのがグロくて正直ウッときて食欲そがれたけど試しにね
正直期待してなかったけど、不二家のガツン、とみかんアイスグミに比べたら、こっちはかなりがんばってそれなりに歯ごたえと弾力があって「グミ」って感じがあった
あとせっかくフルーツ使ってるっつーのに無駄に甘ったるくて人工甘味料と香料が強すぎてリピートはないかなって感じ
元の定価は知らんけどこの値段でこの量ならまあ1回は食べといていい経験にはなったかなって感じ
ただこれが元の定価200円近いとかになると絶対買わないけどね
調べたらやっぱり定価は税込み200円だった
そら売れ残って投げ売りされるわ
化粧品でもあるまいに
今朝のNHK「日曜討論」「徹底討論!消費税減税・給付付き税額控除」について、片岡剛士氏、原田泰氏、土居丈朗氏、森信茂樹氏各氏の発言内容のメモです。なるべく主観を入れずに書いております。
1.片岡剛士氏の主張
• 物価高への直接的な効果: 現在の物価上昇の約半分は食料品やエネルギーが占めており、飲食料品に限った消費税減税は価格上昇を是正する効果がある。
• 低所得者層への支援: 減税の恩恵は低所得者ほど大きくなるため、経済対策、物価高対策、低所得者対策の3つの意味を持ちます。
• 価格転嫁と需要: 価格を確実に下げるためには、過去の消費税増税時のように価格転嫁を進めるための法対応が必要だ。また、食料品は価格が下がっても消費量が急増するわけではない(価格弾力性が低い)ため、需要増加によって再び価格が上がってしまう懸念は起こりにくい。
• 実務的な課題: 競合する外食産業への対策や、小売業におけるシステム変更のコスト対応、そして2年後に税率を戻す際の「一気に戻すか」といった議論が実務上の課題になる。
財源と積極財政について
• 10兆円規模の減税であっても財源については「全く心配していない」。名目成長率が上昇したことで日本の財政状況は改善しており、成長を続けることこそが安定財源確保への最大の近道である。
• 高市総理の掲げる「責任ある積極財政」は、デフレを脱却した状況下で供給力を高めて所得を上げ、物価を安定させることが目的であり、財政の健全化に配慮しつつ経済を刺激していくべきだ。
• 導入に賛成しており、低所得者世帯の税や社会保障の負担軽減、および諸外国と比べて少ない子育て世帯への支援として重視。
• 最初から完璧な制度設計は難しいため、所得捕捉の難しさなどの課題をクリアしながら、2年後から段階的に進めていくべきだ。
2.原田泰氏の主張
• 直接的な値下げ効果: 食料品の価格を下げる最も簡単な方法は輸入自由化ですが、政治的に難しいため消費税減税が議論されている。全体的に物価が上がっている状況下でも、消費税を減税した分だけは直接的に値段が下がる効果がある。
• 基本的には生活を下支えする物価対策ですが、5兆円規模の減税となるため景気対策としての効果もある。
財源と積極財政について
• 日本の財政状況はドイツよりも良くなっていることを前提に議論すべき。
• 名目GDP(分母)と債務残高(分子)が同じ割合で増えれば対GDP比は上がらないため、現行から追加で10兆円(最大25兆円程度)の赤字を作っても財政的に問題ない。
• 消費税5兆円の議論に留まらず、防衛費などすべての需要と収入をテーブルに載せて包括的に議論すれば財政運営はうまくいく。
• 制度には賛成しつつも、誰を対象にするかや所得の正確な捕捉など、課題が非常に大きい。アメリカでは過少申告による不正受給が3割ある。
• まずは事務的に可能な「給与所得者」を対象にした就労促進と、社会保険料の負担軽減に絞って始めるのが現実的だ。
3.土居丈朗氏の主張
• 効果への疑問: 流通業者はできるだけ高い値段で売りたいため、消費税が下がっても値段は簡単には下がらない。むしろ、減税で需要が喚起されると業者が価格を上げ、需要を煽って物価を上げる逆効果の可能性さえある。
• 税率変更による物価の乱高下: 1年目は下がっても2年目はそれ以上下がらず、2年後に8%に戻せば物価が8%上がり国民の反発を招くと指摘。税率の変更による物価の乱高下は避けるべき。
• 減税の恩恵は低所得者で9万円程度に留まるため、5兆円の財源があるなら対象を絞った直接給付(低所得層に8万円など)を行う方が効果的。
財源と積極財政について
• 世代間の公平性を重んじており、消費税を減税して所得税等に依存すると、高齢者の負担が減り現役世代の負担が重くなる。そのため、減税という「寄り道」はすべきではない。
• 特例公債(赤字国債)に依存しないなら恒久財源が必要ですが、積立金などは防衛費の財源に当て込まれているため消費税には使えない。
• 積極財政で成長投資を促すなら、国民の税金で返済する一般会計ではなく、利用者の負担や企業の利払いで返済される「財政投融資(財投債)」を活用すべきだ。
• 対象としては、社会保障の恩恵を受けられない就職氷河期世代の非正規雇用者や、「年収の壁」に直面して就労調整している人々にフォーカスし、手取りを増やす制度にすべき。
• 所得捕捉のシステム構築には時間がかかりますが、「年末調整」を利用すればスピーディーに開始できる。
4.森信茂樹氏の主張
• 効果の薄い物価対策: インフレ状況下では、中間業者が自身のマージンを確保するために減税分を吸収してしまうため、期待されるほどの値下げ効果はない。ドイツやイギリスでも過去に失敗した。
• ゼロ税率の弊害: 食料品の税率をゼロにすると、仕入れ段階で10%の消費税を支払っている農家やスーパーが、売上から消費税を受け取れないため還付を受けるまでの資金繰りが悪化。また、還付のためにインボイスを導入するなど免税事業者の事務負担が激増する。
財源と積極財政について
• 外為特会などのいわゆる「埋蔵金」から無理やり財源を捻出すると、市場からの評価を得られず、円安や更なる物価高に繋がる懸念がある。
• 税収が伸びても国債費(利払い費等)や地方交付税に消えてしまい、政府の手元に残る財源は極めて少ない。
• 責任ある財政運営の鍵は「財源が確保できているか」であり、市場だけでなく国民が判断すべき。
• 就労促進への特化: 本来の目的は「就労の促進(貧困の罠の解消)」であり、「130万円の壁」を乗り越えるためにピンポイントで適用すれば、日本の供給力不足を解消し成長力を高められる。
• 消費税の逆進性対策などを含めて広範囲に実施すると財源が際限なく膨らむため、まずは1兆円規模の就労促進から小さくスタートすべき。
• マイナンバーを活用して所得を正確に捕捉し給付に繋げるためのデジタル基盤の構築には、1〜2年の時間が必要。
https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=566V9ZMX35_01_4303188
昨日、近所のボロい弁当屋でメシ買ったんだわ。帰宅して袋開けたら、頼んでもねー謎の惣菜が1個紛れ込んでんの。速攻で電話したら「レシート載ってない?あー、いいよいいよ!サービスだから食べて!」とか抜かしやがる。
は? こっちは「正しい対価」を払って正しい商品を受け取りたいだけなんだよ。勝手に施しを与えて、優越感に浸ってんじゃねえよ。この時点で相当イラついてたけど、今日わざわざ500円玉握りしめて返しに行ってやったわけ。俺は透明な取引がしたいだけなんだわ。
俺「昨日これこれこういう理由で、500円払いに来たんですけど」
「いいの、いいの!払わないでいいの!気を使わせてごめんねぇ!ありがとね!」
とか、顔をシワくちゃにして笑いながら言ってきやがった。
……は? 何様だよ。
お前のその善意という名の独りよがりな押し付けが、どれだけこっちのプライドを傷つけてるか分かってんのか? 500円すら払えないほど俺は貧乏人に見えるか? 「ありがとね」ってなんだよ。上から目線で俺をコントロールしようとすんな。
そんなクソまずい弁当で俺を懐柔できると思ってんじゃねえよクソババアがあああああああああああああ!!!!
ババアの腹をぶち抜いた。
めり込んだ拳から伝わるのは、肉の弾力じゃなくて、腐ったゴムみたいな不快な抵抗感。
ババアの腹からは、ドロドロした大量の緑色の血と、見たこともないサイズの脈打つタマゴがドバドバ噴射。
ババアだった「ソレ」が、顎まで裂けた口から耳を突き刺すような悲鳴を上げた。
床に転がったタマゴから、一瞬で無数の触手が生えてきて、店の天井まで埋め尽くした。
「なんだこれ……なんなんだよこれ!!」
絶望した瞬間、脳が沸騰した。
視界が青白く反転し、触手の動きが止まって見える。
これだ。ネットの隅っこで噂されてた、虐げられ続けた弱者男性だけが至る特異点。
触手の隙間、ババアの核、逃走経路……すべてが数式のように脳内に叩き込まれる。
だが、体が追いつかない。思考が加速しても、俺のなまった肉体は止まったままだ。
「……おい。新入りか。ひどい面してるな」
背後から声がした。
振り返ると、そこにはチェックのシャツをインした、俺と同類の「チー牛」っぽい男が立っていた。
「……サービスは、もう間に合ってるんだよ」
男が右手をかざす。
「相手が最も拒絶するもの」を強制的に物質化して送り込む、最悪のギフト。
ババア(だったもの)の体内に、巨大な「500円玉の塊」が直接転送された。
対価を拒絶し、無償の善意を押し付けようとした怪物が、内側から「対価」によって破裂する。
緑の体液と鉄の硬貨が雨のように降り注ぐ。
男は俺に視線を投げ、ポツリと言った。
「その500円玉、まだ握りしめてるのか。……大事に持っておけ。それが俺たちの、唯一の境界線だ」
俺は今、静まり返った店内で、緑色の返り血を浴びながら、500円玉を握りしめて立ち尽くしている。
……なあ、教えてくれ。
これ、俺が悪いのか?
「無料でいい」って言われたからって、はいそうですかって笑って受け入れるのが正しい人間なのかよ?
俺は、どうしても納得がいかない。
「シワがない=表情がなかった」では全然ない。
でも、少し関係はある。
⸻
✔ 表情が“豊か”でもシワが少ない人
いる。普通にいる。
理由は👇
• 肌の弾力が保たれてる
• 表情が左右対称で力みが少ない
この人たちは
動くとシワ出るけど、戻る。
⸻
✔ シワになりやすいのは「表情が多い人」より…
表情が“固まる人”。
例えば
• いつも眉間に力が入ってる
• 緊張しやすい
• 無意識に歯を食いしばる
こういう「静かなクセ」が
年齢と一緒に刻印される。
⸻
じゃあシワが少ない人ってどんな人?
• 感情はあるけど、溜めない
• 笑うけど、力が抜けてる
• 怒っても、ずっと同じ顔しない
つまり
無表情だった人じゃなくて、回復が早い人。
⸻
シワって
「感情の量」より
だから
• よく笑って
• よく怒って
• でも切り替えが早い人
このタイプは、意外とシワ少ない。
⸻
もしこの質問が
ってところから来てたら、
規範と実証の分離。政策議論が壊れる典型例(善意で地獄、etc)。
「仮定が現実的か」ではなく「予測精度で裁け」という有名な話。
実物要因と貨幣要因の分離。
公共選択論の導入。
この教科書の特徴は、
投資家もエンジニアも全員ただあの柔らかいものに顔埋めたいだけなんだなって最近思う スケーリングローとか言ってるけどさ、それ要するに「デカければデカいほど気持ちいい」ってだけの話だろ あんなの知性でもなんでもない。ただの統計的な脂肪の塊
ChatGPTと喋ってるときのあの全能感というか、こっちの言うこと全部ふわっと受け止めてくれる感じ あれみんな脳を焼かれてる あれは対話じゃなくて、ただの乳房の弾力なんだよね 中身なんて何もない。骨も通ってない ただのデータの脂肪を捏ねくり回して、それで世界が変わると思い込んでるの、普通に考えて病気だろ
仕事であいつにコード書かせたりしてるけど結局返ってくるのは耳障りだけいい回答でその瞬間、あ、俺いま偽物の乳房に顔埋めて逃げてるんだなって自覚して、急に冷める あの賢者タイムみたいな虚無感。これが今のAIブームの正体
数兆円かけてやってるのが、世界規模の壮大な豊胸手術なわけ 誰も本物の知性なんて見てない。ただ「それっぽい柔らかさ」に依存してるだけ バブルが弾けて、あのシリコンの塊がカサカサに乾いて、ただの電気食うだけのゴミになったとき 俺たちは一体何に対して「未来」とか言ってたんだろうな
書店をうろうろしていた。今どき珍しい大規模な店で、店内はほどよく混み合っている。まだ真新しいリノリウムの床は光沢を帯び、靴が擦れる音が心地よく耳に響く。書棚はどれも手が届かないほど高く、上から下までぎっしり本が詰まっている、最上段は背表紙を斜め下に向けてタイトルを見えやすくするような珍しい配慮も施されている。特に目当てもなかったので、そんなふうにとりとめもないことを考えながら、なんとなくぼんやりと散策していた。
しばらくして結局何も買わずに店を出た。するとそこには予想外の大行列ができていた。狭い螺旋階段の通路はほとんど身動きがとれないほどびっしりと人で埋め尽くされている。うっかり自転車を階段の途中に停めていたので、運び出すだけでも一苦労だった。肩の上に自転車を担ぎ、僅かな隙間をかいくぐってようやく屋外に出る。行列は店の外にも延々と続いている。どうやら書店だけでなく、隣の楽器店や別の階の飲食店など、すべての店に行列ができているらしい。どれが何の列なのか傍から見るとさっぱり分からないほどだ。早い時間に店に入っていたおかげでこの混乱に巻き込まれずに済んだようだ。
とにかくそうしてようやく帰途につく。長い長いトンネルの道を自転車で走りながら、頭の中で明晰な音楽が鳴る。ときどき訪れる直感だ。頭蓋にプラグを挿してスピーカーで鳴らしたらどんなに素晴らしいだろうか。できればこれは記録しておきたい。そうだ、先ほどの楽器店に戻ってエフェクターを買おう。そう思いついて早速引き返す。すると目が慣れてきたのか、トンネル内の地面に多数の書き込みがあることに気づく。よく見るとそれは行列のための指示で、店ごとに並ぶ場所が細かく決められているらしい。混雑時はほとんど足元も見えないだろうに、こんな指示が役に立つのだろうか。それにしても数ブロックも離れた場所まで列ができることがあるのかと驚く。さすがに夕方近くになって列は解消されたのか、広いトンネルは閑散としている。あれほどの群衆はどこへ消えてしまったのだろう。まさに兵どもが夢のあとといった雰囲気だ。ところどころ店員らしき数人がゴミの片づけをしたり、群衆に踏まれて薄くなったラインをチョークで引き直したりしている。
そのままとぼとぼと歩いていると、背後を歩いていた友達から、ジャケットに何か付いていると指摘される。肩の後ろに手を回してみると、確かに紐のような物がぶら下がっているようだ。引っ張っても取れない。ハサミで切ってもらおうとしたが、思いのほか丈夫でなかなか切れないという。針金のような頑丈さではなく、なめし革に似たしなやかで強靭な手触りだ。根元を辿っていくと、ジャケットを貫き、肩から後頭部に沿って額の方へ延び、最終的には右目の瞼に繋がっているようだ。皮膚から直接生えているところを見ると、突然変異した皮膚の延長か腫瘍の一種なのかもしれない。いつの間にこんなものができたのだろうか。まったく気がついていなかった。鏡の前で瞼を裏返してみる。ちょうど異物の裏側に当たる場所に逆さ睫毛が生えているようだ。ということはこれは毛根の延長なのだろうか。本来なら医師の診断を仰ぎたいところだが、差し当たって邪魔になるので応急処置として切れるところで切ってしまいたい。幸いなことに、痛みどころか触った感覚すらない。適当な場所にハサミを入れてみる。だが弾力が強く、なかなか思うように切断できない。困ったことになった。これではおいそれとジャケットも脱げないではないか。
今回、私に与えられました課題は『セブン-イレブンの牛カルビ弁当を評せ』ということであります。一見すれば、これは単なる一企業の商品の評価に過ぎないと思われるかもしれません。しかし、私はそうは思いません。
この小さなプラスチックの容器の中に、現代日本の物流、農業、そして国民の可処分所得の現状が凝縮されている。これを真摯に分析することなしに、日本の明日を語ることはできない。私はそのように考えております。」
「まず、手に取った瞬間に感じるのは、その『機能の徹底』であります。 蓋を開けますと、そこに現れるのは、タレの染みた牛カルビ肉、そしてその下に鎮座する白米。この構造は、いわば『重層的な食の安全保障』とも呼ぶべきものでありましょう。
特筆すべきは、肉の配置であります。整然と並べられたカルビの一枚一枚が、まるで規律ある組織のように、白米という国土を覆っている。ここには一切の無駄がない。セブン-イレブンという企業が、長年にわたって積み上げてきた『緻密なマーケティング』の結晶がここにある。私はまず、その徹底した合理性に敬意を表さざるを得ません。」
「さて、肝心の味であります。 一口運びますと、まず舌を打つのは『甘辛いタレ』の重厚な存在感です。これは、単に甘い、あるいは辛いという二元論では語れない。醤油、砂糖、果実、そしてニンニク……これらが複雑に絡み合い、一つのハーモニーを奏でている。
これは外交と同じではないでしょうか。 それぞれの主張がある。しかし、全体として一つの『カルビ弁当』としての国益を損なうことなく、調和を保っている。特に、炭火の香ばしさ。これが加わることで、味に立体感が生まれている。単なる煮炊きではない、『焼く』という工程へのこだわり。この『手間を惜しまない姿勢』こそ、今、我々政治家に求められているものではないか。私は肉を噛み締めながら、自戒を込めてそう感じた次第であります。」
「そして、このカルビを支える『米』の存在を忘れてはなりません。 日本の食糧自給率を考えるとき、米は常にその中核にあります。この弁当の米は、カルビのタレという『外部からの圧力』を正面から受け止め、それを自らの旨味として吸収している。
粘り、弾力、そして甘み。 冷めてもなお、その品質を維持する技術力には目を見張るものがあります。しかし、ここで我々は考えなければならない。この米を作っている農家の方々の汗、その対価は適正に支払われているのか。地方の疲弊を、この『安価で高品質な弁当』という利便性の影に隠してしまってはいないか。
美味い、確かに美味い。しかし、その背後にある『生産現場の現実』にまで思いを馳せる。それが、本当の意味での『納得と共感』に繋がるのではないでしょうか。」
「結論を申し上げます。 セブン-イレブンの牛カルビ弁当。これは、日本の民間の知恵と努力が結集された、極めて完成度の高い『作品』であります。
徹底した品質管理
これらはすべて、今の日本が必要としている要素であります。 しかし、同時に私はこうも思うのです。我々はこの『手軽な幸福』に甘んじてはいないか。本当の『豊かな食生活』とは何か。それを問い続ける勇気を持たねばならない。
この弁当は、私に多くの示唆を与えてくれました。 単なる腹を満たすための手段ではなく、日本社会の写し鏡として。私は、この牛カルビ弁当の完成度に敬意を表しつつ、これを超えるような、国民一人一人が納得できる政策を打ち出していかねばならぬと、決意を新たにした次第であります。」
「……まあ、少々理屈っぽくなりましたが、一言で言えば『大変に美味であった』。この事実は、何人(なんぴと)たりとも否定できるものではありません。
半年ほど前に鞄を買った。鞄に対してこんなに愛着を持つことになるとは思ってなかった。
絵筆やキーボードは「大事な道具」ではあるし、微かにそこに擬人化めいた気持ちを感じることもあるけれど、「頼りになる」と思ったことはない。道具は道具としてデザインされた性能を発揮するのみで、その道具を使って失敗しても成功しても私の責任である。
その点この鞄は、味方である。職人が持ち主のことを思って作ったのだという気持ちが伝わってくるし、凹んだときも鞄が目に入ると、少なくとも職人は私のことを愛してくれたし、私はその気持ちに鞄を購入することで応えた、私は愛されている、繋がれていると思える。
ラグジュアリーブランドは値上げチキンレースにいそしみ、お金でつながりを求める気持ちが夜のお仕事と病みを生みだす現代に、この「買うことで人の気持ちを感じられる製品がある」という発見は誰かにとって何かの解決の糸口になるかと思ったので、記録として残しておく。
鞄にアイデンティティを求める人間のことを微かに馬鹿にしていた私が鞄のことが好きになるまでのお話。
鞄を購入した理由は前の鞄がボロボロになったからだった。前の鞄は合皮だった。デザインは気に入っていたし、なんだか捨てるのも悲しくて、後ろ髪を引かれる思いで使い続けていた。ある日剥がれ落ちた塗料が服を汚していることに気づいて、流石に買い換えようと思った。
気に入った鞄を捨てるのがあまりに悲しかったので、次は長持ちするものを買うため本革にしようと思った。
思えば合皮の鞄は持っている期間の大半がボロボロだった。きれいな状態は半年もなかったかもしれない。ボロボロの合皮の鞄を持つのがダサいと脅す 革マニアに賛同するのは癪ではありつつ、実際、新品のきれいな状態を見て購入したにも関わらず、その状態はほとんど維持できていないという、自分の購入意図との乖離は確かに気になった。安物買いの銭失いになるより、ちゃんとした革の鞄を買った方がコスパもよさそうだと思った。
頭に浮かんできたのはデザフェスで見た鮮やかなペイズリー柄の鞄だった。ターコイズや赤など、色鮮やかなデザフェスの会場の中でもひときわ存在感をもって澄ました顔で鎮座していた。
いろいろ調べたけど、結局、頭の片隅にのこっていたデザフェスの鞄を超えるピンとくるものが見当たらなかったので、デザフェスで知ったMori Factoryの鞄をお迎えした。陶器みたいにピカピカなペイズリー柄のダレスバッグだった。ダレスバッグは、自立してぱかっと開くがま口タイプのカバンのことを言うらしい。
https://morifactory.base.shop/
鮮やかでピカピカでしっかりしていて、素人の想像する「いい鞄」そのものって感じの、オシャレなきれいな鞄だった。バレンタインのチョコが12個入った箱の中でひときわ輝いているツヤツヤの赤いハートのチョコレートや、ティファニーのティーカップみたいな、洋風でオシャレで目を引く主人公の風格がある。
重たくて硬くてそこはちょっと不便だけど、柄と色がかわいくて見た目がいいなと思っていた。
この「見た目のために機能性を犠牲にした鞄」という認識が変わる転機となったのは、夫の結婚式参列用のクラッチバッグを買いに行った時だ。店員に「いい鞄ですね」と褒められた。「そういえば栃木レザーとか言ってたな。よく知らなかったけど、はったりじゃなくてちゃんとほんとにいい革なんだな」とは思ったけど、店員さんだからお世辞かもしれないし、実際のところそれがどのぐらい真に「いい鞄」なのかはあまり真に受けることもできない。
それよりも、そう言われて改めて鞄をまじまじと見て、「なんか買ったときより汚れてるかも」と恥ずかしくなったことの方が気になって、家にあった革靴用のブラシとクリームで手入れをした。簡単に元通りピカピカに戻った。
手入れしてると、今まで気づいてなかった細部に気がついた。よく見ると縫い目が荒々しい。直線部分はきれいに細かく少し角度のついたステッチが整然と並んでいるんだけど、カーブになっている部分、特にハンドルの縫い目の間隔が広い。
革も厚くて硬い。革を立体にするため寄せたり重ねたりしている部分に寄った力強いしわや断面の厚みに荒々しさを感じる。
全体のデザインとしては、鮮やかな色とペイズリー柄で、なんとなく洋風でかわいらしくてオシャレだと思っていたけど、よく見ると細部が猛々しい。
よく考えてみれば、この曲線的な丸いコロンとしたシルエットは、中に何を入れても満員電車で潰されても崩れる気配がなく、それは見た目に反して異様なぐらいの頑健さに感じられた。
優雅に踊るバレエダンサーやしなやかなチーターが筋肉の塊であるような、優美さを維持するための強靭な力を感じた。
ダレスバッグが美しい佇まいをいついかなるときも崩さず保ち続けるこの剛性は、とてもとても硬くて分厚い革を筋力でねじ伏せ優美な曲線で固定する職人の力強さによって作られている。
思ってみれば、実際この剛性は快適さにも貢献していた。
人は、ストレスがあることには気づくけど、ストレスのなさには気づかないものだ。
移動のときに重くて硬くて邪魔だなということばかり気になっていたが、出し入れや取り回しにおいてはこの鞄はとても快適だった。
最初は慣れなくてうまく開けられなかったが、慣れると片手で開けられるようになる。中から圧力がかかっていると開かないので、カバンを手首で押しつぶすように圧をかけながら金具をチョンとしたに押し下げると、金具のバネとフラップ自身の弾力でカチャッと自動でフラップが開く。
そして最高なのが、がま口を180度口を開くと中身が全部見渡せる。フラップも弾力でしっかり外側に向いて視界を邪魔することがない。小物の整理ができず、全てをカバンの一番大きいところに入れてしまう私は、よく重くて小さいものが下に沈んでしまって取り出せなくて苦労する。マンションのオートロックの前で鞄から鍵が取り出せず、見かねた他のマンションの住民や管理人に入れてもらったのも一度や二度ではない。
それがこのダレスバッグでは一度も起きていない。ぱかっと開いたダレスバッグは、実質引き出しレベルに全てが見える。鍵も、リップクリームも、錠剤も、全部見える。
コンビニのレジで財布やスマホが取り出せなくて列をとめることがゼロになる。
デスクの横に置いているときも、この利便性は発揮される。オシャレなレストランに行って、食後にリップクリームの塗り直しをしたり錠剤を飲んだりしたいときも最高にスマートでスムーズである。
特に、足元や荷物置きから、膝の上に鞄を乗せ直す動作もなめらかでストレスがない。やわらかい鞄だと、持ち手を持って、重力に負けて垂れ下がる鞄を持ち上げることになる。これだと、縦方向のスペースが必要で、取り回しが結構めんどくさい。特にテーブルのしたに棚がついているタイプの荷物置きの出し入れがめんどくさい。両手を使って下から支えてあげないと棚に収まらなかったり、棚から出る瞬間に鞄の本体部分が落ちたりしてストレスになる。
どの方向にも形が潰れない剛性の塊のダレスバッグは、手の動きに思ったとおりについてくる。
テーブルの下の棚からスムーズに取り出し、膝のうえに乗せ、膝のうえで引き出しレベルの展開をし、スムーズに目的のものをみつけて、スムーズにまた棚にもどす。美しい機能美を感じる。
Mori Factoryの商品説明に書かれていた「ダレスバッグの良さを知って、楽しんでほしい」という言葉を思い出した。この快適さを知ってほしいという意味だったのだと気がついた。
素人の私でも、この機能美が職人の技術で支えられていることはなんとなくわかる。革の戻ろうとする力に負けないがま口の硬さと、逆に手ではスムーズに開けられるなめらかさ。自身の革の硬さで自然と開くフラップ。
金具も精緻に作られているからこそ、カチッと片手で開き、カチャッと気持ちよく閉じるのだと思う。この金具は見るからに精巧だが実際繊細らしく、フックが摩耗してきて開閉機能が
職人が使う人の生活を、動作を想像しながら調整した道具であるという背景を想像すると、人との繋がりを感じられる。
移動のとき邪魔なのは間違いない。狭い通路を通るとき前に抱えたり、人混みを歩くときにぶつけて謝ったりはする。鞄自体は頑丈なのでぶつけてもへでもない。被害者になるような繊細さはないがタフすぎて加害者になってしまうのである。
満員電車でも確かに邪魔ではあるが、特に事故や遅延のないいつものピークの時間の混雑の程度であれば足元に置いておけば凌げると思う。この子はタフなので私が足で蹴ってしまっても平然としている。
鞄が踏ん張って邪魔になるのか、鞄は柔軟に圧を逃がし鞄の中身がダメージを受けるのかのどちらかなので、そういう意味ではむしろ満員電車でも中身を守るガーディアンであるという見方もできる。
重さもまあ確かに重い。間違いなく登山に連れて行ったり、高齢者に持たせたりするような鞄ではない。とはいえ、私はショルダーで使っているが、特に肩が疲れたとか腕が疲れたとか、なにかしらカバンが重くて疲れたとか思うことはない。スポーツをしないインドア文化部30代女でも、特に不便なく持てる。
それはおそらく、内側を布にするなど職人さんのの軽量化の工夫の結果もあると思うし、硬くてしっかり思い通り手についてくるため、バランスを取る必要がなく疲れにくいというダレスバッグのよさもあるのだと思う。4つの鋲で革が床につくことなくしっかり踏ん張ってくれるので、電車や路上でも置きやすい。数字上の重さほど身体に負担がかからない。
とはいえ流石に、ディズニーにはあまり持っていかない方がいいかもしれないが、6000歩のいつもの出勤日なら特にカバンの重さで疲れると思ったことはない。
ちなみにMoriFactoryのダレスバッグのハンドルは中まで革が詰まってる超高級仕様らしい。革は使っているうちに人のカタチになじんでくる。ハンドルも中身まで全部革なので、持つうちに手の形になじんでくるらしい。たしかに、握ったときの、がっしりしているのに自然と手に馴染む感覚は高級な感じがする。太さもかなり太めで持ちやすい。
とはいえ、ハンドバッグ持ちは手がふさがって不便なので私はハンドルは取り回しにだけ使って、移動のときはショルダー持ちをしている。なので手汗でシミになる可能性があるのかどうかはよくわからない。床や荷物入れに置いたり持ち上げたりする際にはとても持ちやすくて助かっている。
本革製品は、メンテナンスという概念があるから、カバンと向き合う時間がある。カバンの変化に気づいたり、細部の工夫に気づいたりして、職人の気遣いに思いを馳せる時間は人生の豊かさを感じる。メンテナンスをしなくても別に構わないというのもいい。義務じゃなくて、ただ自分の気持ちがふとカバンに向いたときにやる。気持ちに余裕がある状態で愛しいと思いながら鞄と向き合うのがよい。
私がたまたま知ったのがたまたまMori Factoryのダレスバッグだっただけで、きっと世の中にはこういう使い手の生活を考えて寄り添うように作られた鞄がたくさんあるのだと思う。
きっとそういう鞄と出会った持ち主は、職人からの愛を感じて受け止めながら鞄を使って日々を送る。
しかしそういう職人と繋がれる小さな工房ほど、宣伝できる体力も、在庫を抱えて耐える資本もなく、経営では不利になるのだろうとも思う。
練り物は、自作に限る。 市販の、あのツルリとして計算され尽くした弾力も悪くはない。だが、宇宙の真理に触れようとする者が、誰かの手によってパッケージングされた「完成品」に甘んじていてはいけない。
私は冷蔵庫からアジを取り出した。 三枚におろし、皮を剥ぎ、ぜいごを取り除く。包丁の腹で叩き、粘り気を出していく。この、銀色の皮膚を持った生命体がドロドロの肉塊へと変貌していくプロセスこそが、エントロピーの増大を象徴している。
そして、ここで私の「秘儀」を投入する。 まな板の隅で出番を待っているのは、黄金色に輝く「たくわん」だ。
おでんの具材としての練り物に、たくわん。 一見、調和を乱す異分子のように思えるかもしれない。だが、この細かく刻んだたくわんこそが、混沌とした宇宙を一つに繋ぎ止める「重力」の役割を果たす。
トントントン、と軽快な音が響く。 たくわんを刻むたびに、大根が天日干しされ、糠に漬けられ、時間をかけて発酵してきた記憶が解放される。それは土の記憶であり、太陽の記憶だ。
アジのすり身という「海の混沌」に、たくわんという「陸の秩序」を混ぜ合わせる。 これを丸めて鍋に放り込む。 アジの脂が溶け出し、たくわんのポリポリとした食感が、柔らかすぎる世界に「核」を与える。
一口、その自作の練り物を噛み締める。 その瞬間、脳内でビッグバンが起きた。
「……美味い」
ただの美味ではない。これは「調和」だ。 たくわんの適度な塩気と、発酵由来の酸味。それがアジの生臭さを高潔な旨味へと昇華させている。 そして、何よりもこの「食感」だ。 柔らかいすり身の中で、たくわんが弾ける。その振動が歯茎を通じて頭蓋骨に響き、私のニューロンを直接刺激する。
その時、私は確信した。 「たくわんを食べれば、地球は平和になる」
突飛な発想に聞こえるだろうか。だが、考えてみてほしい。 紛争、格差、ネット上の誹謗中傷。それらすべての根源は「自分と他者は相容れない」という分離感にある。 しかし、この練り物を見てほしい。 アジという動物性の暴力性と、たくわんという植物性の忍耐が、一つの団子の中で完璧に和解している。
もし、国境を争う指導者たちが、あるいはキーボードを武器に誰かを叩き続ける荒らしたちが、この「たくわん入り練り物」を一口でも食べたらどうなるか。 彼らの口内には、海と陸の融和が訪れる。 たくわんのポリポリという音は、脳波をアルファ波へと導き、攻撃的なホルモンを抑制する。 「あ、自分は今まで何をカリカリしていたんだろう。たくわんの方がよっぽどカリカリしていて心地よいのに」と、彼らは気づくはずだ。
たくわんとは、待つことの象徴だ。 大根が収穫され、干され、漬け込まれる。その気の遠くなるような時間を経て、初めてあの黄金色の輝きと深みが生まれる。 現代社会に足りないのは、この「漬け込みの時間」ではないか。 即レス、即リプライ、即論破。 誰もがスピードという病に侵されているから、言葉が尖り、刃物になる。 だが、たくわんを噛み締めている間、人は喋ることができない。ただ、咀嚼という内省の時間を与えられる。
私は鍋を見つめながら、壮大なプロジェクトを夢想した。 国連の議場に、巨大なおでん鍋を持ち込む。 各国代表に、私が今朝叩き上げたばかりのアジとたくわんの練り物を配るのだ。 重々しい沈黙。そして、会場に響き渡るポリポリという軽快な咀嚼音。 その音は連鎖し、やがてオーケストラのような調和を生むだろう。
アジ(海)とたくわん(陸)の結婚。 それは、対立する二元論の終焉。 おでんという宇宙の中で、すべては一つの出汁に溶け込み、たくわんという平和の種子がその中に点在する。
私はスマホを手に取り、先ほどの掲示板をもう一度見た。 相変わらず、荒らしが誰かを執拗に追い回している。 私は、彼をNGにするのをやめた。 代わりに、心の中で彼に「たくわん」を差し出した。
君の心の中に、まだ発酵していない大根があるのなら、私がそれを漬けてあげよう。 君が誰かを傷つけたいと思うそのエネルギーを、アジを叩く力に変えてみないか。 そうすれば、君の手元には「憎しみ」ではなく「美味しい練り物」が残るはずだ。
私はおでんの汁を最後の一滴まで飲み干した。 身体が芯から温まり、細胞の一つ一つが「平和」の信号を発している。 宇宙の真理は、図書館の難解な書物の中にあるのではない。 台所のまな板の上、叩かれたアジと刻まれたたくわんが混ざり合う、その境界線にこそ宿っているのだ。
窓の外では、夜の街が静かに息づいている。 明日、私は出社し、同僚たちにたくわんを配ることから始めようと思う。 小さな一歩かもしれないが、それは地球を巨大なおでん鍋という理想郷へ導く、確かな第一歩になるはずだ。
35歳まで生きてきて今までグミは女子供向けの軟派な食い物だと思ってたけど
何を思い立ったかアマゾンでハリボーのバケツを箱買いしてからグミにハマってしまった
タフグミみたいな表面にサワーパウダーがコーティングされたものは一袋で飽きてしまうが
個人的にはハリボーの弾力でサイズがコーラアップぐらいあるグミが理想だが未だ出会えていない
女子供は1つずつ摘んで食ってるようだが俺は袋を口につけて流し込むようにグミを口の中に放り込み
その弾力感を口内で味わってる
スナック菓子と比べて罪悪感が無いのもいい
「ハチノス」は、牛の第一胃(前胃)の一部で、日本ではよく内臓料理の一部として食べられる食材です。料理としては、焼肉や煮込み料理などで利用されます。ハチノスは独特の食感と風味があり、そのおいしさについては賛否が分かれることもありますが、好きな人には非常に魅力的な食材です。
ハチノスの特徴
• 食感: ハチノスは弾力があり、少し歯ごたえが強いです。これが好きな人にはたまらない食感となりますが、逆に苦手な人には食べづらく感じられることもあります。
• 風味: 比較的淡泊な味わいで、うまみが凝縮されており、調理方法によってその味が引き立ちます。
• 栄養価: ハチノスは低カロリーで、高タンパク質な食材です。内臓系はビタミンB群や鉄分も豊富に含まれており、栄養価が高いことでも知られています。
おいしい食べ方
• 焼きハチノス: ハチノスを薄くスライスして焼くことで、その弾力ある食感と香ばしさが楽しめます。塩やタレで味付けして、ビールやお酒のお供として人気です。
• 煮込み料理: ハチノスを煮込むことで、柔らかくなり、味がしみ込んでおいしくなります。特に韓国料理や中華料理などでは、ハチノスを使った煮込み料理が定番です。
• 炒め物やスープ: ハチノスを小さく切って、野菜と一緒に炒めたり、スープに入れたりしても美味しいです。
• 独特の食感: ハチノスには独特の弾力感があり、これが好まれる一方で、噛み応えが強すぎて苦手に感じる人もいます。
• 味の違い: 内臓系は普通の肉と比べて、少し独特の風味があります。これが好きな人もいれば、食べ慣れないと抵抗を感じる人もいます。
ハチノスがおいしいかどうかは、完全に個人の好みによります。もし、内臓系の食べ物が好きであれば、ハチノスは非常においしいと思いますが、初めて食べる場合はその食感や風味に驚くかもしれません。もし試してみるなら、焼肉屋や居酒屋で、少しずつ試すのがいいかもしれませんね!
もちろん、私がせっせと飼ってるこのカタツムリのことではない。
https://anond.hatelabo.jp/20251016075559
興味はあるものの、オーダーに至らないまま長い年月が経った。でも、幾度となくリニューアルを経ても残るメニューとなると気にもなってくる。
なおかつ、「にわかカタツムリ博士としては食べてみるべきなのでは!?」という気持ちもあった。
小松菜に付いていたカタツムリを成り行きで飼い始めて1年と数ヶ月。プリプリまるまる肉付きのいい我が家のカタツムリを見てると「ミニアワビ」感がある。確かに食べたら貝っぽいだろうなとずっと思ったので、とうとう本日試してみることに。
普段なら、サイゼリヤは旦那さんと2人で来て、メニューが到着するまで間違い探しをするのがセオリーだ。とんでもない量を食べる旦那さんの様子を眺めながらミラノ風ドリアとサラダを食べてるのだけど、この日はひとり。オーダーはイカ墨パスタに念願のエスカルゴとイレギュラー尽くし。
イカ墨パスタも長年頼んでこなかった長寿メニューのひとつだけど、コイツに関してはすでに昨年デビューを果たしている。美味しかったので、エスカルゴにも期待が高まる。
やめろ、メインを先に持ってくるな。
しばらくしてエスカルゴが到着する。
写真のまんま。さて、実食。
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専用のお皿はたこ焼き器みたいにいくつか穴が空いていて、そこにエスカルゴやら香味野菜やオイルがたんまり入ってる。付属の小さなスプーンで穴をすくうと、エスカルゴがふたつ出てきた。
そう、ちょうど我が家のカタツムリはこんなもん。ティースプーンに乗っかるくらい。うちのやつは黄土色だけどこっちは黒い。第一印象がそれって。
気を取り直して、さっそく食べてみよう。おい、あの頃の友達よ、私は今からサイゼリヤのエスカルゴ食べるよ。
ふむ。別途パンを頼んでも良かったなという濃いめの味付け。私は割とアヒージョが好きなのだけど、まさにあんな感じ。舌が火傷しそうなほどアツアツなのもむしろ好みである。これまた頼んだことがないサイゼのワインにも合いそうだ。
食感はサザエに似てる気がする。アワビのようなコリコリ感はないが、弾力はそれなり。イカとかタコにも似たような。ふむむ。全体でかなり濃いめの味付けなので、エスカルゴそのものの味よりも歯応えを楽しむ感じだろうか。食材の名前を告げずに出されていたら、「マッシュルームかな」などと言いながら食べていた気もする。それくらいクセがない。食べやすい。
でも、どうしよう。
美味しく食べようと意識を全集中させても、ずっと「我が家のカタツムリと同じくらいの大きさやん」という気持ちが頭の大部分を占めてしまう。鼻にはいい香りが届くのに、そのせいで舌にうまく風味が絡まらない。
噛んでも噛んでも無限ループ。どうしたもんか。
…などと悩んでいたら、向かい側の席にいた男子高校生の集団が突然「チ◯コどすこい」と言いながら謎のゲームを始めだした。いや、ナニソレがすぎる。
急いでスマホで検索したけど、そんなゲーム出てこない。ますますナニソレ。私の友達の息子とかも、まだ喋んないけど将来ああなるのかな。
あ、いや違うな。きみたちは昔の私か。ミラノ風ドリアとドリンクバーで何時間でも。進路の話なんかより、実のない話が楽しくて仕方ないあの頃の私たちなのか。きみたちもエスカルゴをメニューで見て「何コレ」とはツッコミつつ頼むことはない感じかな。
キミたちなら、このエスカルゴもうまい下ネタに消化してくれそうだが。
などとよくわからんことを考えて、私はようやくイカ墨パスタを食べ始めた。
美味しかったかそうでなかったかと聞かれれば、「邪念が多すぎてそれどころではなかった」が正直な感想だ。でも、お酒にはすごく合うと思う。大人の味付け。
そういえば昔、父がどこぞの海から持って帰ってきた威勢のいい伊勢エビ。
あれを私はお風呂場で飼うつもりだったけど、数時間後には無惨にも茹で上げられていた。熱湯に入れられる瞬間を見て可哀想だと思いつつも、直後には美味しく食べたのをよく覚えている。あの程度の出会いと別れならうんともすんとも思わない。でも、そうか。1年以上も見てるとこんな感じか。
我が家のカタツムリは元気である。カツンカツンと天井から定期的に落ちながらも、今日もブイブイにんじんのうんちをしている。まさか、コイツと二度目の年越しを迎えることになるのだろうか。
というか、私はこれから先、エスカルゴを口にするとき必ず「うちのカタツムリより小さいな」などと無意識に比較してしまうのだろうか。なんかやだな。
蓋を開けんだよ。ドーンと!湯気がブワッと顔に当たる。白味噌の匂い、いきなりビンビン来たぜ。新年の清々しさ?そんなもん、この香りだけでぶっ飛ぶんだ。
箸で丸餅、グッとつかむ。熱いぜ。だが、それがロックンロールだ。餅はトローッと伸びて、まるで命の綱だ。口に運んだら、ムッチリした弾力が舌に返ってきやがる。噛んで、グッと胃に流し込む。この野蛮な温かさこそ、最高の贅沢なんだ。
汁、飲むぜ。上品に?冗談じゃねぇ。お椀のフチからズバーッと静かに飲み干すんだ。白味噌のコクが、胃袋じゃなくて魂に響くぜ。甘みと旨みがドロリと溶け合って、全身にジワリと力をくれる。これが万福ってやつだ。
里芋、大根、焼き豆腐。脇役?バカ言っちゃいけねぇ。こいつらが主役を張ってんだ。里芋は箸を入れるとホックリと崩れる。大根は出汁を吸ってジュワッと。焼き豆腐は香ばしさがパンチを効かせている。この見事な調和、最高にロックな彩りだぜ。
最後の一滴まで、残さねえ。全部、食い尽くす。これが俺の流儀だ。腹の底からフゥーッと息を吐く。心も身体もバッチリ温まったぜ。このお雑煮で、今年もまた、テッペン目指して突っ走るぜ!
社会人になってからというもの、休みがあればふらりと国内を歩き回っている。
北は稚内から南は石垣島まで、風景や食べ物もそうだが何より”その土地の空気”を感じるのが好きだ。
ただ、どんなに楽しい旅でも帰りになると少しだけ寂しくなる。
そんな時には家で待っているうちの猫のことを思い出す。
風に揺れる猫じゃらしが目に入った。
穂の先が金色に光り、ふわふわと柔らかそうで、まるで猫のしっぽみたいだった。
これをおみやげにするのはどうだろう?と、その時ふと思いついたのが事の始まりだった。
行く先々で土手や空き地を覗き込み、よさげな猫じゃらしを摘んでは新聞紙に包んで持ち帰る。
家に帰れば、うちの猫が目を輝かせて待っている。
それらを差し出せば、彼女はまるで批評家のように品定めを始めるのだ。
そこで今回は、うちの猫が選ぶ「全国猫じゃらしトップ10」(母数1)を発表しようと思う!
ややゴワついていて穂が太め。最初は好奇心で噛むが、すぐに飽きた顔を見せたためこの評価。
評価:★★☆☆☆
柔らかいけど、乾燥して粉っぽい。匂いは好みのようで鼻をスンスンさせている時間が長かった。
評価:★★★☆☆
評価:★★★☆☆
評価:★★★☆☆
評価:★★★★☆
穂が長くて風の抵抗が絶妙。うちの猫も喜んでおり食いつきが良かった。
評価:★★★★☆
評価:★★★★☆
潮風で少し硬くなっているが、跳ね返りが楽しいらしい。うちの猫のお気に入り。
評価:★★★★☆
評価:★★★★★
圧倒的No.1。
うちの猫、20分ノンストップで跳び続け、最終的に咥えたまま寝た。
評価:★★★★★+
猫じゃらしをおみやげにしていると、旅が少し違って見えてくる。
駅前の土手や駐車場の隅にも、思い出の種があるような気がしてくる。
私にとっての旅の思い出は、風景でもグルメでもなく、家に帰って猫と共有するその一瞬だ。
猫じゃらしを揺らすたびに、旅の匂いが部屋を満たす。
旅の思い出は、あの一跳びの中に詰まっているのかもしれない。