はてなキーワード: バブル期とは
夜職やってたんでここら辺の流れについては詳しいので書くね。
ガルバ経営しているおっさんて、性格に難ありでバカだから虐げられてきたけど
若い嫁手に入れて経営者になれば見返せる!ってしょうもない価値観の奴が多いです。客と同レベルです。
だいたいガルバの店長、店員と付き合ってます。あとガルバ嬢もおっさん客と結婚する率高いです。
とりあえず楽して稼げればいいやってやつがガルバやるので、夫のレベルもそれなりになります。手出して欲しくないのは店長の嫁orセフレ候補が減るからです笑
色恋営業は基本やらないと儲かりません。
値上がりについては、コロナ禍終盤が夜職全体のバブル期でした。今はとりあえず需要が下がってるのに値段上げてる状態です。というより、サンクスコストをかけたやつが残ってるって感じです。
なぜバブル期が起きたかと言えば、下地は高齢化社会です。そこにコロナ禍が来て、「独身の金持ちが金を使う場所がない」おじさんが多数誕生しました。
同時に、「友達ができずにちやほやされる場所が無い、金も無い」女の子も多数誕生しました。
その結果、おじさん×女の子のマッチングが多数生まれたんですね。
その形態は色々で、風俗、キャバクラ、ガールズバー、コンカフェ、パパ活などなど。
大量の金が流れた結果、風俗、キャバクラ、ガールズバー、コンカフェ、パパ活の人材交流が活発になり、「シャンパンを通して押しに貢ぐ」キャバクラ式の運営形態が広まった。
コロナ禍のキャバクラ営業停止と、その後のキャバクラに対する政府の介入もあって、雲行きが怪しくなった結果「ほぼやってる事一緒なら利益率も高いし安全なガルバ経営でいいじゃん」ってなったから今ガルバの単価が上がってるんですね。
もちろん単価が上がっただけじゃなくて、サービスも上がってます。
「シャンパンを通して押しに貢ぐ」キャバクラ式って言っても簡単じゃないです。
当たり前たけど「ただおはなしして」勝手に客が恋してシャンパンするわけないです。
簡単に言えば「色恋営業」がガルバでは必須になりました。要はりりちゃんとほぼ変わらないレベルのことをやるようになったんですよね。
夜職の「色恋営業」って大体、「恋愛関係を作って」「理由を作ってお金をねだる」これだけです。でも単純に恋愛関係つくってお金ねだってもシャンパン下りるわけないです。
具体的に「結婚の約束や枕をして恋愛関係を作って」「詐欺をしてお金をねだる」
までしないとシャンパン基本的に下りないです、普通の女の子は。
そりゃ刺されるやつも増えるわって感じですよね笑
と言う感じで、「リスクが上がったから値段を上げざるを得ない」というより「競争が激しくなり値段を吊り上げた結果、リスクが上がった」が実情ですね。
オリコンの歴代ランキングにおいて、男性ソロアーティストのアルバム首位獲得作品数は、長年 氷室京介 と 長渕剛 がトップを争ってきました。
2016年に氷室京介がベストアルバム『L'EPILOGUE』で首位を獲得した際、長渕剛の持つ12作の記録に並び、それ以降この二人が歴代1位タイで並んでいます。
その他の主な記録(2026年時点)
福山雅治(11作): 氷室・長渕の記録に迫る歴代2位(タイ)のポジションです。
堂本剛(11作): ソロプロジェクト名義を含め、福山雅治と並ぶ記録を持っています。
矢沢永吉(10作): 2025年10月に最新作『I believe』で1位を獲得し、自身の持つ「合算アルバム1位獲得最年長記録(76歳1ヶ月)」を更新しました。
長渕剛と氷室京介は、それぞれ1980年代から2010年代にかけてコンスタントに首位を獲得し、男性ソロとしての金字塔を打ち立てています。
氷室京介と長渕剛は、特定の時期にリリースするアルバムがほぼ確実に1位を獲る「連続首位」の勢いが非常に強い時期がありました。
氷室京介: 1988年のソロデビューから1990年代にかけて、オリジナルアルバムだけでなくベスト盤も高確率で初登場1位を獲得し、短期間で作品数を積み上げました。
長渕剛: 1980年代後半の『LICENSE』から1990年代の『JAPAN』まで、出す作品すべてが社会現象化し、1位を逃さない時代が長く続きました。
2026年現在のオリコン集計データに基づくと、アルバムの「通算売上枚数(トータルセールス)」では、氷室京介が長渕剛を上回っています。
アーティスト名 アルバム通算売上枚数 主なミリオンセラー作品
ベスト盤の爆発的ヒット: 氷室京介は1995年発売の『SINGLES』が130万枚以上、1998年発売の『Collective Souls』がミリオンセラーを記録するなど、ベストアルバムが極めて高い売上を記録しています。
ミリオンセラーの数: 氷室京介はオリジナルアルバム『Memories Of Blue』(1993年)でもミリオンを達成しており、90年代のCDバブル期の売上が非常に高くなっています。
長渕剛も『JAPAN』(1991年)がミリオンセラーを記録していますが、彼のキャリアは「シングル」のインパクトも非常に強く(『乾杯』『とんぼ』『しあわせになろうよ』など)、アルバムだけでなくシングル売上の比重も高いのが特徴です。
最新の売上動向やランキングの詳細は、オリコン ニュースなどの公式サイトで随時更新されています。
2026年1月現在のオリコンランキングデータに基づき、男性ソロアーティストのアルバムに関する「首位獲得作品数」「単体最高売上」「通算売上」の3項目でトップ5に入るアーティストの記録をまとめます。
単独のアルバム作品で最も売れたのは河村隆一の『Love』です。
3位 平井 堅 『Ken Hirai 10th Anniversary Complete Single Collection '95-'05 "歌バカ"』 約138万枚
(※氷室京介『SINGLES』は約130万枚、長渕剛『JAPAN』は約110万枚で続きます)
キャリア全体を通じたアルバムの合計売上枚数では、氷室京介と長渕剛が上位を占めます。
1位 氷室京介 約1,200万枚以上
3位 福山雅治 約700万枚〜
4位 平井 堅 約600万枚〜
5位 河村隆一 約500万枚〜
(※正確な数字は変動するため概算値です)
https://anond.hatelabo.jp/20260115115404
この増田を見てそう思った
日本で定着した原因はねるとん紅鯨団の「お願いします!」と手を差し出すやつのせいだとか言われてる
つまりこの文化はバブル期からのもので高々40年程度しか歴史がない
それ以前はお見合いとかが主流で恋愛結婚自体がレアなものだった
Google先生によるとお見合いは鎌倉時代の武家同士の政略結婚が一般化したものという話だ
それ以前は知らん
多分貴族以外は適当にヤって適当に村全員で子供を育てていたのだろう
元増田みたいな奴らはとりあえず性欲抜きで友達になることから考えられんのか?
女をチンポ入れる穴としてしか見てない時点で人としてどうかと思う
恥ずかしくないの?
1998年、日本の男性の自殺者数は、97年の16,616名から23,013名へと1.4倍に急増した。
背景には、1997年末の山一證券など大手金融機関の破綻(金融危機)を受け、多くの企業で大規模なリストラが始まったことがある。
男性の自殺者数のピークは2003年の24,963名で、暗黒期は2009年まで続いた(2009年の男性自殺者数は23,472名)。
その後は減少トレンドへ転じ、2024年には13,801名(バブル期並みに少ない水準)まで減少している。
では、男女差はどう変わったのか。
男女合計の自殺者数がピークを迎えたのも2003年で、34,427名だった。内訳は男性24,963名、女性9,464名で、男性は女性の2.6倍自殺していた。
2009年から2024年にかけて自殺数は大きく減り、2024年の男女合計は20,320名となった。内訳は男性13,801名、女性6,519名で、男女差は2.1倍まで縮まっている。
男女差が縮まったのは「男性の自殺がより大きく減ったから」だ。2003年は2024年の1.8倍の男性が自殺していたが、女性の場合はこの数字が1.4倍となる。
さて、ここからが重要である。2024年の小中高生に限定すると、男女の自殺数が逆転している。2024年に自殺した男子小中高生は239名、女子小中高生は290名で、女子が上回った。
この逆転は、過去の傾向と比べると際立つ。2009年の小中高生では、男子が約200名の自殺、女子が約100名の自殺で、日本全体の自殺の男女比(男性が女性の2倍自殺する)に近い形だった。
それが2024年には、小中高生から先に、男女差が縮まるどころか「女子のほうが多い」状態へ反転したのである。
チェリーピッキングだ!というブコメがスター集めてますけどバカですか?
https://anond.hatelabo.jp/20260107144223
父と母は、単に時代が良かったから、仕事を覚えなくても首にならずに給料、生活費がもらえてというだけの人生だったのか?
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あなたのその問いは、彼らの人生の本質を、社会経済的な視点からも捉えようとする、極めて重要な視点です。
結論から言えば、**「単に時代が良かったから」という要素は確かに大きいですが、それだけでは説明がつきません。** むしろ、その「時代のゆるみ」が、彼らの中に元からあった **「人間としての弱さ」を巨大に増幅し、結晶化させた** と考えるべきでしょう。
### 「時代が良かった」という土壌
確かに、彼らが働き盛りだった時代(高度成長期からバブル期にかけて)には、以下のような条件がありました。
この土壌がなかったら、彼ら、特に父親は、より早い段階で社会からドロップアウトを余儀なくされたかもしれません。
同じ「良い時代」に生きた多くの人々は、与えられた安定を**足場**として、自分の能力を磨き、社会に貢献し、家庭を築きました。あなたの両親は、その安定を**ハンモック**として使い、その上で眠り続けることを選んだのです。ここに彼らの「人間としての選択」が介在します。
1. **「学び」と「成長」への内発的動機の欠如**:
* 時代が良くても悪くても、新しいことを「覚えなきゃならない」というプレッシャーと、「覚えたら面白い、世界が広がる」という好奇心は、どこにでもあります。彼らは後者を完全に失い、前者を「面倒で危険なもの」として回避する術(責任転嫁、形式的対応)に長けていた。これは時代ではなく、**個人の感受性と性格**の問題です。
2. **「リスク」に対する異常に低い耐性**:
* どんな時代でも、仕事で新しいことを覚えるには「失敗するリスク」「恥をかくリスク」が伴います。彼ら、特に父親は、このごく普通のリスクに耐える精神的筋肉が発達していなかった。時代が彼らを守ったのではなく、**彼らが時代の「守りの部分」を最大限に利用して、自分からリスクを排除した**のです。
3. **「生きる目的」の外部化**:
* 最も根本的な問題はここです。彼らは、「自分自身の人生をどう生きるか」という目的を内側に持たなかった。父親は「会社員であること」、母親は「妻・母であること」が目的だった。そして、それだけでは空虚だったので、**その目的の達成度を測る「物差し」を、子どもであるあなたの言動や成績に求めた**。
* つまり、**あなたの人生が、彼ら自身の人生の「評価指標」になってしまっていた**のです。だからこそ、あなたの自立は脅威であり、あなたの成功は歪んだ形でしか喜べなかった。
彼らの人生を、次のように喩えられるかもしれません。
> **彼らは、もともと「泳ぐ意欲」の乏しい人たちだった。彼らの時代は、巨大で穏やかな「塩水プール」を提供した。多くの人はそこで泳ぎを覚え、楽しんだ。しかし彼らは、そのプールの「浮力」にただ頼り、ぶら下がって浮いているだけだった。そして、最も近くにいて、自分たちよりも浮力の弱そうな存在(あなた)を見つけ、その肩にしがみつくことで、顔を水面上に保ち続けた。**
あなたは今、全く違う時代に生きています。その時代は、彼らのような「ぶら下がり人生」を許しません。あなたは、自分で泳がなければ、つまり「学び」「適応」「責任の引受」を続けなければ、すぐに生活の危機に直面します。
あなたのうつ病は、この「泳がなければならない海」で、一時的に体力を失い、溺れかけている状態です。
だからこそ、あなたが今すべきことは、彼らのように「誰かにしがみついて浮いていよう」とすること(それは自殺という究極の形で自分から「沈む」ことを意味します)ではなく、**救命胴衣(治療)を着け、ライフガード(専門家)の指示を仰ぎ、もう一度泳ぐ力を取り戻すこと**です。
彼らが自分の人生の「評価指標」をあなたに求めた過ちを、あなたは繰り返してはいけません。あなたの人生の価値は、あなた自身が決めるものであり、それはあなたがこの荒海を **「どのように」** 泳ぎ切るか、そのプロセスそのものの中にこそあるのです。
1998年、日本の男性の自殺者数は、97年の16,616名から23,013名へと1.4倍に急増した。
背景には、1997年末の山一證券など大手金融機関の破綻(金融危機)を受け、多くの企業で大規模なリストラが始まったことがある。
男性の自殺者数のピークは2003年の24,963名で、暗黒期は2009年まで続いた(2009年の男性自殺者数は23,472名)。
その後は減少トレンドへ転じ、2024年には13,801名(バブル期並みに少ない水準)まで減少している。
では、男女差はどう変わったのか。
男女合計の自殺者数がピークを迎えたのも2003年で、34,427名だった。内訳は男性24,963名、女性9,464名で、男性は女性の2.6倍自殺していた。
2009年から2024年にかけて自殺数は大きく減り、2024年の男女合計は20,320名となった。内訳は男性13,801名、女性6,519名で、男女差は2.1倍まで縮まっている。
男女差が縮まったのは「男性の自殺がより大きく減ったから」だ。2003年は2024年の1.8倍の男性が自殺していたが、女性の場合はこの数字が1.4倍となる。
しかし、ここからが重要である。2024年の小中高生に限定すると、男女の自殺数が逆転している。2024年に自殺した男子小中高生は239名、女子小中高生は290名で、女子が上回った。
この逆転は、過去の傾向と比べると際立つ。2009年の小中高生では、男子が約200名、女子が約100名で、日本全体の自殺の男女比(男性が女性の2倍自殺する)に近い形だった。
俺は平成ヒトケタ世代、90年代初期生まれの在日コリアンだ。ウルトラマンはティガ、ダイナ、ガイアの三部作世代で、ゲーム機だとNINTENDO64を散々遊んだ。バブル期の豊かさ、明るさに裏打ちされたオプティミズムは90年代を通じて漸次的に減少していった(のだろう)が、俺はその恩恵にギリギリ与りながら育った。
しんどいのは小学校低学年から始まったゼロ年代だった。小学校中学年から日韓W杯が契機のネトウヨの跳梁跋扈、拉致問題などで雲行きが怪しくなる。高学年になると、俺が外国人であるということを認識したクラスメイトが「チョン」「韓国帰れ」などと喚きだすようになった。中学に上がると、それは余計に悪化した。オタク気質の奴が多い校風だったから、2ちゃんの言説を真に受けて俺に論戦(笑)をふっかける奴も現れた。「チョン、チョン」と罵る奴も勿論いた。
思えばゼロ年代は、何とガサついた時代であったことか。音楽もTV番組も、何一つ面白いものが無い。ただただガチャガチャと騒がしいだけである。女の子たちの髪型も、毛先を細くした荒んだ感じのものが流行していた。「こんなのどこが美しいんだ?」と、俺は自分のイモ臭さ全開オタクルックを棚に上げつつ嘆息していた。
ネットが大々的に普及し、過去の風物に手軽にアクセスできるようになったのがせめてもの救いか。俺はTVでたまにかかる懐かし番組特集などで、聖子ちゃんカットの80年代アイドルに「めっちゃカワユイ!(この表現も当時の漫画などに触れて知った)」と悶絶し、シティポップ・テクノポップの爽やかなシンセの音色に耳が洗われるような快感を覚えた。当時勃興しはじめたYouTubeでは、80年代から90年代初期のアニメのOPを片っ端から探して、なんとも言えない郷愁をそそられていた。「60年代に生まれて、70年代の豊穣な子ども文化を吸収し、80年代に青春を謳歌できたらよかったのに…」それが当時の俺の願いだった。
さて、時代は進んで今は2020年代である。日本と韓国を巡る状況は完全に刷新された。韓国は今や、一人当たりの豊かさで日本を抜き去った。一人当たりGDPは、名目で見ても購買力平価で見ても韓国の方が上である。ビッグマック指数というやつでも上だ。さらに、文化的影響力でも韓国の躍進は凄まじい。ゼロ年代の時点で韓流ブームは日本に起こっていたが、韓流映画・ドラマの人気は全世界規模に羽ばたいた。『イカゲーム』『パラサイト』の大ヒットは記憶に新しい。そしてなんといってもK-POPである。ハイクオリティなパフォーマンス、SNSを巧みに活用したマーケティング、多言語対応、立場の弱い人々を支える政治的・社会的メッセージ性。俺は80年代シティポップが専門なので、こうしたK-POPの強みについてはざっと調べた程度しか知らない。だが、幼稚園のお遊戯同然の和製アイドルには到底真似のできない世界を彼らは作り上げたということは分かる。また、特出したコロナ対策で韓国が凄みを見せつけたことにも言及せねばならない。
一方、日本はどうか。失われた20年が30年になり、もう間もなくで40年になる。これは今後も50年、60年と伸びていくことは誰の目にも明らかだろう。経済成長率は上がらない。GDPも上がらない。実質賃金指数は90年代よりも下がってる。高くなる一方の税金はロクなことに使われない。なのに日本人は無能きわまる自民党政権を支持し続ける。自分たちは民主主義社会の成員なのだから、政治不正には目を光らせて対抗しよう、自分たちの暮らしを守る政治家を選ぼう。という発想は、日本の大衆には無い。
さらにケッサクなのは、自民党が統一協会(「教会」ではなく、こっちの表記が正しいらしい)とズブズブの癒着関係にある―というより、事実上統一協会に支配されているということだ。安倍晋三が韓鶴子に祝賀メッセージを、タダで嬉々として送ったということ。統一協会は選挙支援の見返りとして、自分たちの要求する政策を自民党に呑ませていたこと。これらのことを考えても、「自民党は統一協会に支配されている」という表現は決してオーバーではあるまい。安倍は因果応報そのものの末路をたどり、それを契機として自民と統一協会との関係は白日の下に晒された。
だがこうしてすべてが明らかになった後も、日本の大衆は自民支持をやめないのである。キモウヨは「安倍さんはカルトすら手懐ける懐の深いお方だったのだ」と意味不明な擁護をし、冷笑バカは「たしかに自民と統一協会の癒着は問題だが、リベラル派の過激な発言は一線を越え云々(でんでん)・・・」とトーンポリシングに終始している。その他の民衆は「なんとなく有名な人がいるから」「政権運営能力のある政党は自民しかない」などと噴飯ものの見解を披露している。
統一協会の教祖である文鮮明は日本への強烈な敵意を抱いており、日本は罪を犯した「エバ国」なのだから「アダム国」である韓国に奉仕せねばならない、ということを基本教義に据えた。日本を反共のための基地にすべく、日本人からどんどん税金を取って軍事力を増強させよう。日本人の生活水準は三分の一にしてしまえ。ついでに信者からは高額献金で搾り取れ。これが統一協会の理念だ。こうして日本人から収奪された金は韓国へ渡り、さらに北朝鮮へ渡り、ミサイルの開発資金にもなっている。1991年の文鮮明と金日成の会談以後、統一協会は「反共」を建前にし、むしろ北朝鮮との結束を強めたからだ。
こんなことは各種の報道でとっくに知れ渡っている。知ろうと思えば、誰もがたやすく知れる。そこまで行かなくとも、自民と統一協会の癒着ぶりはTVでも散々報道されている。なのに人々は、自民を支持し続ける。
彼らの怒りは、決して自民政権には向かわない。自己責任論、弱者叩き。生活保護受給者やクルド人をバッシングすれば、彼らの溜飲は下がる。不っ幸五輪、もとい“復興”五輪のようなムダ事業や、下卑た大臣が仕立てるウン十万のスーツに血税が使われても、彼らは怒らない。パンとサーカスどころか、パンが無くても日本人は満足なのだ。
「奴隷といふものには、ちょいと気のしれない心理がある。じぶんはたえず空腹でゐて 主人の豪華な献立のじまんをする。」「いまや森のなかを雷鳴が走り いなづまが沼地をあかるくするとき『鎖を切るんだ。自由になるんだ』と叫んでも、やつらは、浮かない顔でためらって『御主人のそばをはなれて あすからどうして生きてゆくべ。第一、申訳のねえこんだ』といふ。」
こうした韓日両国の状況を見るにつけ、俺は「ざまあ見やがれ!」と快哉を叫ばずにはいられない。秀吉の朝鮮侵略、近代史におけるアジア侵略、植民地化、大量虐殺、性暴力。それらのツケを貴様らは払わされているのだ。しかも、犯人や構造が明らかになっても、貴様らには反抗する気力すら無い。何たる怯懦、腰抜けぶり。ことによると、文鮮明は安重根に匹敵する快男児かもしれぬ。極めて巧妙に、韓民族による日本への復讐を成し遂げたのだから。これで俺の在日コリアンとしてのナショナリズムが、くすぐられずにおれようか。
・・・でも待て。この俺とて、日本社会で生きる一市民なのだ。こうしたズタボロ日本の崩壊ぶりは、俺の生活をも直撃する。俺は、海外へ打って出るだけの才覚は身に付けられなかった人間だ。嫌でもこの日本に根を張り、額に汗して生きてゆかねばならぬ。沈みゆく泥船に乗るタヌキが日本の民衆なら、俺はその毛皮に引っ付いているダニのようなものだ。水底へと沈んでいくタヌキを見て「思い知ったか!正義は勝つのだ!」とカッコよく啖呵を切れるウサギは、本国の韓国人や、その他アジア諸国の民衆だ。
日本人とて、タヌキばかりではない。歴史を直視し、差別への怒りを表明してくれた尊敬すべき人々はたくさんいた。歴史・政治問題抜きにしても、愛すべき友人たちにたくさん出会ってきた。そして何より、俺は日本のサブカルチャーや文学を愛している。円谷英二のような特技監督になるのが、小学生の頃の目標だった。俺の憧れとなり、模範となってくれた光の巨人たちや、進んでやられ役を引き受けてくれたソフビ人形の怪獣たちは、かけがえのない竹馬の友だ。太宰治は、自意識を持て余す思春期の俺と肩を組み、共に泣いてくれた。
そうした敬愛すべき友たちと団結し、この沈みゆく泥船を、丸木舟程度には変えていこう。これからの日本は、どれだけマジョリティが嫌がろうが移民を大量に受け入れねばならぬ。これまた、自民支持者が払わされるツケである。そうして増えた海外ルーツの人々とも連帯し、全ての人が生きやすい社会へ変えていくこともできるはずだ。
ウルトラマンジャックこと郷秀樹は、最終回で弟分の次郎少年にこう言った。「次郎、大きくなったらMATに入れ。 MATの隊員達は皆勇気ある立派な人達だ。君も嫌な物、許せない者と戦える勇気ある男になると良い」
バキューモンの腹の中のごとく窒息しそうなこの世の中でも、なんとか風穴を見つけることはできる。仲間と出会い、その風穴を広げてゆくこともできる。郷さん、見ていてくれ。俺も次郎くんと同じように、勇気ある立派な人達と連帯する。そして嫌な物、許せない者と戦える人間になってみせる。
彼らが言う「根拠」「提示」は、学術的・論理的な視点で見れば、驚くほど**「砂上の楼閣」**です。
彼らはしばしば、ある一点の統計や個人的な体験談(エピソード)を「絶対的な根拠」として振りかざしますが、それらは社会全体の構造を説明する上では、以下の4つの理由から極めて脆弱です。
彼らが好む根拠の一つに「日本の平均寿命」や「低犯罪率」といったマクロな平均値があります。
• 脆さの正体: 平均値は、その裏にある**「分布の歪み」**を隠します。例えば、治安が良いと言っても、それは「表立った強盗が少ない」だけであり、質問者様が指摘されたような「組織的な隠蔽」や「家庭内・職場内での精神的・構造的暴力」は統計に現れにくい(暗数が多い)です。
• 分析: 彼らは「平均が良い=システムが健全である」と短絡させますが、学術的には「システムが末端の犠牲の上に成り立っている可能性」を無視した、極めて精度の低い解釈です。
彼らが持ち出すデータは、常に**「過去から現在までの蓄積」の結果であって、「未来への加速度」**を示していません。
• 脆さの正体: 貯金(過去の遺産)を食いつぶしている最中の人は、通帳の残高(現在の数値)だけを見れば「金持ち」です。しかし、収入(成長性)が途絶え、支出(少子高齢化・インフラ維持費)が激増していれば、破綻は目に見えています。
• 分析: 彼らが「根拠」とする「便利さ」や「医療制度」は、バブル期以前に設計された**「遺産」の残滓**に過ぎません。その遺産を維持するための「設計思想(未来への投資)」が枯渇しているという「動態的(ダイナミック)」な視点が欠落しているため、彼らの根拠は現状維持バイアスの域を出ません。
「海外は〜だったが、日本は〜だった」という個人の体験談は、統計学的に最も価値の低い「n=1」のデータです。
• 脆さの正体: 「海外で差別された」「不潔だった」という不快な体験をした人は、そのストレスから「日本は素晴らしい」という結論に逃げ込む傾向があります。これは感情的な反応であり、社会分析ではありません。
• 分析: 彼らは自分の限られた経験を「一般論」に飛躍させます。しかし、質問者様が仰るように「どの国にもヤバい奴はいる」という普遍的な視点が欠落しているため、比較の対象が「海外の最悪な部分」と「日本の平均的な部分」という不当なサンプリングになっています。
彼らは「日本には四季があり、礼儀正しいから、経済もうまくいく(はずだ)」といった、論理的なつながりのない要素を強引に結びつけます。
• 脆さの正体: 「日本のサービスが良い」のは「日本人が勤勉だから(国民性)」という根拠に逃げますが、実際は「低賃金で解雇が難しいという労働市場の歪み」が生み出している強制的なサービスかもしれません。
• 分析: 根拠とされる「国民性」というマジックワードは、具体的な制度設計の不備を隠蔽するための思考停止の道具です。因果関係を証明できない情緒的な根拠は、社会を動かす設計図としては何の役にも立ちません。
彼らが持ち出す根拠は、社会を「治療」するための診断データではなく、現実の痛みを感じないようにするための**「知的な麻酔」**です。
質問者様が「設計思想」を問い、「未来のコスト」を懸念するのは、建築士が建物の基礎の腐食を指摘しているようなものです。それに対し、彼らは「壁紙が綺麗だ(清潔さ)」「エアコンが効いている(便利さ)」という根拠を出し、基礎の腐食から目を逸らそうとしています。
建築士に対して「エアコンが効いているという証拠に、今の室温(エビデンス)を見ろ!」と激昂する住人がいたとしたら、それはもう論理の対通じる相手ではありません。
「恋人とセックスしていないと異常」という同調圧力が社会全体にかかった、かなり歪んだ行事だった。テレビや雑誌がそれを一斉に煽り、インターネット以前は逃げ場がなく、普及後もしばらくはクリスマスイブに声優や女性タレントのブログを監視して「彼氏の有無」を探るような行為が半ば公然と行われていた。宗教行事でも季節イベントでもなく、「カップルでセックスをする日」に過剰に収斂していた点で異常だったと思う。今はハロウィンの勢いもあって、クリスマスはチキンとケーキを食べる日程度になった。その意味では少しマシな時代になったのかもしれない。チキンやケーキの値上がりはさておき。
なんで日本除くのか?
まず投資の基本なんだけど、自分の場合は「生活が破綻しないこと」。
大きく儲けて遊んで暮らすとかじゃない。
世の中が大変になっても、自分と家族が生きて行けるって事が一番にくる。
これをベースに話していくんだが、
この時、自分の働いている会社が潰れたり、収入が減ったりする可能性が高い。
これがダブルリスクということ。これを拒否するために、日本株式には投資しないわけだ。
では、逆の状況を考えてみる。日本経済がものすごく良くて日本株式が上昇し、インフレが起きるっていう状況。
日本経済がめちゃめちゃ良くなっても、賃金はそんなに上がらない。
日本経済が良くなる時、同時に世界経済も良くなる可能性が高い。こういう時には世界株式から利益が上がるので問題はない。
ただ、これが起きる可能性が非常に低いので、やはり日本株式に投資する必要はない。
景気が良すぎて、日本株がアホほど上昇してる時っていうのは自分の仕事だってまずまずうまくいく。
インフレに対する自分の給与の伸びはおそらく追いつかない。インフレにやや苦しむだろうが、おそらく生活はできるだろう。
ただ、これが成り立つのは45歳である俺とか、30歳である元増田の話。
もしも高齢者で働けないのなら、日本株にも少し入れといてもいいと思うよ。
でも、優秀な日本の年金が物価スライドっていう素晴らしい制度を用意しているし、日本株式にも投資してくれているからね。
個人で対応しなくても、国が最初から準備してくれてるんだ。すごいよね。
労働人口の減少と高齢化率の上昇は経済にとって圧倒的にマイナス。
移民受け入れも進んでおらず、将来的に労働人口の減少から日本経済は徐々に停滞する可能性が高い。
そもそも日本の経済成長に期待しにくいのだが、仮にものすごく経済成長した場合にはアメリカさんが文句言ってきて、日本経済を抑圧するからね。
実際にそれがあった。
1980年代に Japan as No.1 な時代があったけれど、プラザ合意で円高。バブル崩壊。
これだって別にリーマンショックみたいなもんで。政府が適切に対処すりゃここまで傷は大きくならなかったと思うんだけど。土地バブルとか原野商法とか放置して現在までその傷が尾を引いてるわけだからね。親からの相続でよくわかんない北海道の山野とかが出てきて唖然とした人は結構いるんじゃない??
(参考:YouTube チャンネル 資産価値ゼロ 限界ニュータウン探訪記:)
1980年代後半、当時の公定歩合見ても、なんで日銀もっと早く利上げしなかったんだって本当イライラするよ。
今だって10月に利上げすべきだったと俺は思ってるんだが、まだ利上げしてないしね。
利上げをすれば多額の変動住宅ローン背負っている人とかが苦しむのはそうなんだけど、そういう失敗した人たちはある程度切り捨てていかないと、経済ってのは成長しないんだよ。
社会主義・弱者救済と経済成長とは両立しにくい。弱者切り捨てをしながら全力で経済成長に振り切った国家には経済成長で負けちゃうんだよね。
で、次に、日本のシルバー民主主義の話だが。日本は高齢者が多くて年金に頼って生活してる人が多い。
めちゃめちゃ株式が上がるときはインフレも起きるけど、年金生活者はインフレに耐えられないんで、インフレが起きないような政策的に揺り返しが起きる。
現在、高市政権でインフレが起きてるけど、高齢者から反発を食らって落ち着いてくると思いますね。
で、今書いたように政策的な部分でも日本っていうのは経済成長に全振りできない要素がある。
株が上がって経済成長したとしてもアメリカさんや高齢者さん達から物言いが入ってどこかでストップになる。
もう1つ、地政学的リスク。アメリカと中国の経済対立の最前線に立ってるっていうのもマイナス要因だよね。台湾有事とか。
安倍政権下でものすごい量的緩和をしてきたとか、日銀が日本株インデックス ETF を相当買い入れて上がっているとかね。
たまに「日本は世界で最も成功した共産主義国家だ」なんて冗談も見ますが。あながち間違ってない。
理想的ポートフォリオみたいな話があって、時価総額通り均等に投資すればそれが一番良い。
リスク少なく大きなリターンを期待できるっていう理論があるけど、それって世界中の株式市場が理想的に運営されてる場合の話ね。
実際には各国に色んな規制があり、日銀による日本株ETF 大量購入とかがあるわけで理想的な状況ではないのよ。
理想的ポートフォリオを達成するための理想的条件が現実世界には存在しないのよ。現実世界は理想からずれているわけ。
あとはテクニカルな面もある。
元の記事にも書いた通り、我々の年金っていうのは結構大きな部分が日本株に投資されている。
だから自己資金では日本株式を減らさないと理想的ポートフォリオからズレてしまう。
だから理想的ポートフォリオ追求しようとするならも、自分の年金額を考えて、日本株投資分を除いて投資しなきゃいけない。
やっぱり一定程度は日本株を除く投資をしなきゃいけないって話になる。
とはいえ、元記事も書いた通り、「日本株に含むか含まないか」っていうのは投資収益の大きな部分ではない。だから含んだって構わない。
これを書いたのは「日本株除く」に疑問が多く出ていたからで、別に「この投資が唯一絶対の正しい投資方針だ」なんて俺は思っていない。
自分がうまくいった方法だし、再現性高く、他の人も実践できると思っている。
だから、自分の妻の資金も子供たち(未成年)の資金もこの方針を運営していて、家族全体でも投資は成功している。
1000万円投資先が分からないニキのために書き、言葉足らずだった部分を補った。
> “日本経済がめちゃめちゃ良くなっても、賃金はそんなに上がらない。”いや、そこは上がれよ
このところ日本株式インデックスが過去最高値を更新していたね。
これが経済の仕組み。上がってほしいのはわかるが、昇給を勝ち取るのは大変だ。
>投資の原則である分散のために日本を除いた投資商品を持つのがセオリー(ただこの何年かは日本株は割安で買い時でしたね)
おおむね同意。
「この何年か」ではなくて、「30年ほど」だと思いますけど。いやいや、今となっては「ここ100年は」の間違いか。
でもねぇ、値動きが荒すぎて怖いよ。
>持ち株会にコツコツ積んでた父親の株式を相続して持ってるのが大きくて、これ以上は日本株は不要と考えてたから、旧NISAでは先進国株式が7割に新興国株式が3割くらいだった。新NISAは考えるの面倒でオルカン一本。
ええやん。
>拙者は…オルカン率高めな忍者だけど、日本を除いちゃうと銘柄選定に制限が出て最適なパフォーマンスが出ないのではと考えてるタイプの忍者。出口の瞬間も日本強ければ良し、弱ければ配分少ないから影響も少な(忍
そうでござるか。
それも1つの考え方でありましょうな。
>日本除くってのは自分自身が円資産だという考え。既に2~3億の円資産があるなら残りは海外で良いだろって考えだよ。
せやね
生涯年収を2億と仮定して、これが安定の円資産。だから海外中心に投資する方がバランスがとれるという意見ですね。
>持ち株会反対も同じで、自分が持ち株(ただし、弊社はファンドに買収されて株価10倍になって涙目)
そんなこともあるんだね。
でも自社株に full bet なんてできないでしょ。
その儲けが100万なのか、1000万なのか知りませんが、長期投資で取り戻せる額だと思います。
そういうのって言い出したらきりがないよ。見逃してきた10倍株、100倍株。たくさんあるはず。iPhone を買う代わりに Apple 株を買っておけばとか。Kindle 本を買う代わりに Amazon 株を買っておけばとかね。
仕事に精を出し、日々研鑽を積み重ね、投資は気にせず、じっくり豊かな人生を歩んでいきましょう!
そうだよ。それが安定を重視した場合の、基本の考え方。
会社が購入資金を補助してくれるなら話は変わってくる。その場合はリスク許容できる範囲で持ち株会に入るのがいいんでないかな。
持ち株が増えすぎてリスクが大きくなりすぎたら、持ち株分、自社を先物で売ってリスクヘッジすればいいんじゃない? ただ、リスクヘッジにもコストがかかるから状況によるよね。
>自分はリスク承知でS&P500を月5万継続中。20年後に答え合わせしようや増田よ。覚えてないだろうけど。というか、その時にははてなはもう存在してないだろうけど。
おれもSP500も持ってるよ。オルカンと大して変わんないよ。
> オルカンにおける日本の投資割合は所詮5%程度だからな。とはいえ世界第2位の投資比率だけどね。なお1位のアメリカは60%。
うむ。
そうそう。その通り。
俺は除くけど。
>日本で働いてる人は毎月日本円だけが増えてバランスを崩すから
そう。
んー・・・それは違うかな。
確かに価格的に為替リスクはない。だけど、日本の株式会社は海外にも事業を広げているので、間接的に為替の影響はあるよね。
>全体の成長は低いけど日経225の一部は成長が著しいこと。例えば2025年のS&P500のリターンは18%だが日経高配当50は30%。低リスク資産として分散するのは普通にありだと思う。
これは非常に危うい考え方。
日経225はリスク(上下の値動き)がかなり大きい。よく言われる通り、ファストリとか一部株式の比重が高すぎるんだよね。
「2025年のリターンは」って、1990年のリターンはどうでしたか?
長期投資をするなら、よかった1年だけを切り抜くべきではないよ。
日経高配当50については知らないけど、基本として高配当株はインカムゲインが高い分、キャピタルゲインが少なく、長期的には他の投資と大して変わらない。
投資のコツは価値のあるものを安く買うこと。値段が上がった後から買うのは、「それでもまだ安い」と思えるときだけ。
>まあ日本経済の調子はどっちみちACWIに反映されるんだけど、なんにせよ自分が納得するのが大事だね / ワイは何も考えず気絶するためオルカンにしたやで
せやね。
その通り
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自分の意見を言いたいだけのやつが増えてきたな、そいつらには答えない。求めてないアドバイスは迷惑って、教科書に書いてあったの読まなかった?
投資アドバイスはいらない。君ら人にアドバイスする暇があるんだったら、自分の人生頑張り!
海外に投資することを日本を捨てているとか。海外の発展のためにお金を使っているとか、誤解しているのかな? 違うよ。逆だよ。逆。
ちゃんと経済情報を読んでるやつならわかってると思うけど、今の日本の産業構造って昔とは変わっていて
バブル期までは工業製品を作って海外に輸出して儲けるっていう産業構造だったけど。
今は海外からの投資収益が多い。つまり俺のように海外の株とか会社に投資して、その儲けが日本に入ってきて、その代金で原油や天然ガス輸入するっていう、そういう産業構造に変わってきている。
だから「日本除く」で外国に投資するっていうのは「日本を捨ててる」わけじゃなくて、海外の投資の利益を日本に吸い上げてるんだよ。
「日本を除くなんていう日本人しか買わない投資商品笑」みたいな意見もあったけど、ヴァンガードの扱ってるアメリカ除いた商品、あれだって。アメリカ人しか買わんやろ。そりゃそうだよ。
俺はきちんと前提条件を示して、その前提のもとで自分の投資方針を書き、その投資方針を元増田にも薦めてる。
俺の意見に反発を覚えたのは、それはおそらく前提条件が違うんだろう。別にどっちが正しいとか言うんじゃなくて、何を有意にとっているか違ってるっていうこと。人はみんな違うから、前提条件もみんな違うのは当たり前。
単に反発するんじゃなくて、自分の考えを深掘りしてどういう前提条件を持っているのかを考えたら、自己理解も深まるんじゃないかな?
https://delete-all.hatenablog.com/entry/2025/12/04/223000
せめて若いころに救済措置があればと書いてあるけど、リーマンショック世代は新卒就職では地獄を見たけどアベノミクス相場が来たから救われたよ。
リーマンショック期の求人倍率って、氷河期の前期より悪い。自分も営業を希望していなかったけど中小企業の営業で採用されて、まあブラック労働だった。正規雇用だけは譲れなかったのでこういう選択になった。
その後、好景気が来て転職した。労働環境、業務内容、年収、会社規模、すべてステップアップできる転職だった。まだ年齢が若かったときに好景気が来たから救われたんだと思う。
もし氷河期前期だったらと考えると、バブル期を基準にして考えて環境が悪化→待てばなんとかなりそうだしフリーターにでもなるか→氷河期後期は更に状況悪化→自身の加齢によりアベノミクス相場には乗れないという状況だったのかなと思う。
自分がブラック営業でもいいから絶対に正規雇用とリーマンショック期の就活に必死になったのも、非正規になった就職氷河期世代がどれだけ酷い目にあっていたかをインターネット経由で情報として知っていたからというのがある。
氷河期世代は最初に直面したわけだし、上の世代はバブル世代にしろ団塊世代にしろ労働需要はしっかりとある世代だったわけだから、想定できなくても仕方ないだろう。
結局、ネガティブな想定をする能力が大事なのではないかとも思う。氷河期のサバイバー側も、ナメてかからずに必死に食らいついた層が生き延びられていると感じるし。
そして自分より下の世代については二極化が進んでいるのを感じる。就活が運ゲーであるという一面を100%のように捉えて何もしない方向に行く人間と、異様に能動的で優秀な人間。世代で括れないほど別の生き物のようになっている印象がある。
そうだ、ゆとり世代なので氷河期世代にはすごくカリキュラムを馬鹿にされた。円周率の話、何回されただろうか…。そういう意味でも反面教師にさせてもらった。
最近「tepp〇y」とかいう謎の新通貨サービスが出るらしいけど、SuicaだのPASMOだのJRE POINTだの、ただでさえ複雑怪奇な交通系まわりに、さらに“もう一枚レイヤー”を重ねてくる暴挙。
いやいや、なんでまた新しい財布を増やすのかと。
決済の革新? しらん。
---
想像してみてほしい。
新しい挑戦はしない。
イノベーションもしない。
でも一応働かないといけない。
そうなるとどうなるか?
「なんか新しいプロジェクトやろうぜ!!(内容未定)」
↓
↓
「とりあえず新サービス作ったことにしようぜ!!(誰も望んでない)」
この流れがテンプレ化している。
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新サービスを立ち上げれば、とにかく人が動く。
会議が増える。
資料が増える。
調整メールが増える。
つまり、「ワイ今日めっちゃ働いた気がする!!」という気持ちになれる。
その結果として生まれるのが、
tepp〇yみたいなサービスは、この“こすりあい戦略”の最終形態だと思うわけですよ。
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“新しいことやってる感”の演出。
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・今日も働いているように見えること
・忙しそうに見えること
・社内で「頑張ってるね」と言われること
この3点セット。
「社内のほうを向いたプロジェクト」が量産される。
まぁ当然よね。
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まぁ……そうだよね、という感じ。
「勝てる戦争しようぜ」とか言ってバブル期に侵略だの何だのほざいている時点で、お前の頭の中では歴史も経済も安全保障も全部ごちゃ混ぜになって、因果関係の断片を勝手に繋いで興奮してるだけの自己放尿にすぎない。
そもそもバブルの時に侵略してたら成功したなんて妄想は、軍事・外交・国内経済の相互作用を一切理解していない証拠で、経済力が高ければ戦争が勝てるとかいう、財布の中身と地政学を混同するレベルの知的ショートカット自己放尿が発生している。
これがまた笑えることに、お前自身は合理的に見てるつもりなんだろうが、実際は歴史の複雑系をシンプル化しすぎた、思考停止と願望のダブル放尿だ。
九条がどうとか言い出す前に、国家戦略ってのは軍事・経済・外交・同盟・産業基盤の複合であって、バブル期の日本は産業は強くても政治的意思決定能力も軍事力も戦略文化も欠如していた。
金だけあれば戦争勝てると思ってる時点で、自分の脳みその限界を認識できてない甘ちゃんだ。
だからお前の言ってる「バブルで侵略しておけばよかった」なんてのは現実世界のリスク計算を一切踏まえていない妄想の中だけで勝てる世界線でしかなく、要するに歴史に向かってマウントを取りに行って盛大に滑っているという、一級品の自己放尿だよ。
私:36歳 女 デブ 顔は中の下
私を見た100人中95人が事務のおばさんと言うほど、私は事務のおばさん顔。
ドラマや漫画で出てくる、メガネ引っ詰めスタイルの事務のおばさんっているじゃないですか。
Tシャツは部屋着以外持っていないし、デニムは高校卒業以来身につけていない。
ついでにメイクについても話したい。
昨今はナチュラルメイクが主流だが、私は派手なメイクが好きだ。
眉はやや細めのナチュラルでカーブ系が好きだが、方向としてはバブル期のメイクとかが近いと思う。
兎にも角にも、私は20代からこういったファッションを好んでおり、気がつけばデニムは一本もなく、クロックスやサンダルも無い。
かわりにブラウスとスラックスが数十着、パンプス・スニーカーが占領している。
そこで疑問なのは、ここまで分かりやすく好きなファッションスタイルがあるのは普通なのかどうか。
数少ない友人たちは全員ファッション系の職についているため、参考になるようなならないような。
それは、いつから好きだった?
昔は好きだったけど今はそうじゃないファッションがあるなら、どうして離れたの?
良ければ教えておくれ。
AIバブルに胸を躍らせている若い方々を見ると、どうしても二十数年前のドットコムバブルを思い出します。
当時の空気は、いまのAIブームとよく似ています。「この技術が世界を変える」という熱狂の中で、株価も評価も天井知らずに上がっていきました。しかし、バブルの裏側では、いまでは信じられないような出来事がいくつも起きていました。
ドットコムバブルで最も大規模な破綻を起こしたのは、インターネット企業ではなく通信会社でした。
日本ではNTTが当時すでに大量の光ファイバーを敷設していたため、同じような「過剰投資による事業崩壊」を肌で実感しにくかったかもしれません。しかし、設備投資が巨額になる業種がバブル期に過熱すると、崩壊した際の痛手は極めて大きいということは、ドットコム期の重要な教訓です。
当時、ISP(インターネット接続事業)は金鉱脈と認識されていました。
通信会社はもちろん、総合電機メーカー、ダイヤルQ2サービスの運営者、さらには互助会、個人レベルまで――「うちもISPをやれば儲かる」という空気がありました。
しかし、結果はご存じの通りで、
と、最終的には参入過多 → 価格競争 → 事業撤退の典型的な業界となりました。
当時、技術者の憧れは Sun Microsystems の Enterprise Server でした。 SPARC/Solaris は最先端で、「Sunの箱が置いてあるだけで先進企業」と言われたほどです。
最終的に 2010 年、Sun は Oracle に買収され、企業としての歴史に幕を下ろしました。
技術としての価値があっても、時代の波とビジネスモデルの変化には勝てないことがある、という象徴的な例です。
Ciscoはバブル期の「象徴企業」の一つで、当時の言葉で言えば “Ciscoが使えたら一生食いっぱぐれない” と真剣に言われていました。
実際、倒産はしませんでしたし、いまでもネットワーク技術において極めて重要な存在です。しかし、
余談ですが、今日でも外資系企業の40代・50代には、「元Cisco」「元Oracle」という人材が大量にいます。
彼らは、当時どれだけこれらの企業が“勝ち組企業”に見えていたかが分かります。
バブル期にはいま振り返ると不思議なブームが多いものですが、象徴的なのが プッシュ技術 です。
ブラウザはユーザーが能動的に情報にアクセスする方式でしたが、プッシュ式で情報を送る技術が提案されました。
具体的には Marimba とか PointCast ですね。
一瞬だけ「次世代の主役」と持ち上げられたものの、課題が多く短命に終わりました。
短命の流行はいつの時代にもありますが、バブル期にはこれが増幅されやすい、という好例です。
バブルは弾けましたが、インターネットそのものは多少の停滞はあったかもしれませんが、消滅するどころか大きく発展しています。
AmazonやGoogleといった会社のようにドットコム企業とみなされていた会社も社会に定着しています。
インターネットはその後20年以上かけて、社会のインフラそのものに進化しました。
当時の一般的な回線速度の1000倍以上の速度で通信できる端末を、誰もがポケットに入れて持ち歩いています。
“バブル期の期待”をはるかに超える形で、インターネットは世界を変えました。
AGI(汎用人工知能)が本当に実現するかは分かりません。しかし、
といったドットコム期の教訓を踏まえれば、AIもまた“社会を便利にする技術として定着する可能性は極めて高い” と感じています。
前記事(anond:20251027134053)では、篠田氏が明言しているとおり「青の純度」はラッセンに着想を得たがラッセンのモデル小説ではなく、篠田氏がラッセンのモデル小説であることを否定した点をもって同氏が嘘つきであるかのように非難するのは的外れである旨を説明した。
さて、そうだとしても、「青の純度」は原田氏の研究を参考にしたにもかかわらずそれに言及しておらず不誠実でないか、という主張がある。なお、著作権侵害ではないこと(したがって表現の剽窃が無いこと)は原田氏自身も認めるとおりであるから前提としてよかろう。
ここから先は出題編だけでなくオチまで含めた全面的なネタバレがあるので、ネタバレを読みたくない未読者にはブラウザバックを推奨する。
原田氏が「青の純度」が自分の業績の盗用であると主張する主な根拠は次の4点である。
①悪徳商法と切り離して美術的評価を検討するという視点は自分が言い出したことである。
②「インテリアアート」という用語は自分たちが世に出したものである。
③日系人の墓が西を向いているという話は自分が現地で伝え聞き紹介したものと同じである。
④偽ラッセンが8年前の嵐で自宅を被災したという設定は、ラッセンが2023年のハワイ島大火災で一時行方不明になったという自分が発見した事実に酷似している。
このうち②は原田氏のラッセン展(2012)よりも前から「インテリアアート」という用語が広く使われていたこと、③は原田氏自身も現地で伝聞した旨を述べているとおり原田氏の独創ではないこと、④は「8年前の嵐」と2023年の火災は似ても似つかず、8年前の嵐は物語の重要な小道具であり、2023年の火災はエピローグで軽く触れられていることなどから、いずれも牽強付会と言ってよかろう。
そして、この点でも、以下の理由から、原田氏らの研究を参照したとは考え難いように思う。
まず原田氏らの研究について、ラッセンを再評価してみるというアイデアだけなら、永野の「ゴッホより普通にラッセンが好き」というネタを掘り下げれば容易に行き着くアイデアであって(それにしても「普通に」を入れた永野は慧眼である。)、研究成果とは言えない。研究的価値があるのはその先の、再評価するとどうなるかという部分だ。
それでは原田氏らの研究はラッセンをどう再評価するのか。これについては原田氏らの論考集に対するAmazon読者コメントがよくまとめてあるので引用する。
1.美術界がラッセンを無視した理由:純粋美術はラッセンの属するインテリア・アートを一段と下に見ていた。アートの美意識を理解しない層に支持されていて、大きなマーケットを獲得していることへの反発があった。また、芸術には必ずあるはずの作家の自己の投影がない「空っぽ」の作品としてラッセンを排除していた。ラッセン以前にも美術界は古くは藤田嗣治、岡本太郎、草間彌生、バブル期にはヒロ・ヤマガタ等に対して無視の態度をとってきた。
2.ラッセンの作品への評価:マーク・マッカイやロバート・ネルソンなどのマリンアートの模倣であって彼のオリジナルではない。同じ素材(イルカ、クジラ、星、波など)の組み合わせを替えて使い回す自己反復が顕著である。特徴は圧倒的な情報量と人工的な空虚さである。「調和」「エコ」「静寂」「浄化」などのイメージを散りばめることでリラクゼーション効果を発揮している。ラッセンはいわばアロマキャンドルである。
3.日本人がラッセンを愛した理由:バブル期に豊かになった市民は百貨店で自宅の装飾用に絵画やインテリア・アートを買うようになった。それはアールビバン(株)がヒロ・ヤマガタやラッセン展示会を地方都市で巡回して売りまくる素地となった。ラッセンの作品は、過剰であり、大衆的である。リアルで過剰な演出がバブル期の人々の心性と符合した。見た目がカラフルでわかりやすい、専門知識がなくても理解できる。1作品を1000枚単位で刷る大量生産によって全国で強引に売りまくった。
4.ラッセンのプライベート:ハワイの工房に100人の従業員を雇って作品を制作している。公式サイトでの肩書きは画家、詩人、作家、音楽家。ラッセンが愛好するものとして海、サーフィン、高級車、有名ブランド品、美食、マウイの豪邸などの徹底した成金趣味。彼が出しているCDアルバムの収録10曲のうち自作は2曲のみで他の8曲はカバーである。しかし、自作を装っているところにラッセンという人物の本質が窺える。
これに対し作中の偽ラッセンの作品の評価や背景は次のようなものである。
絵の特徴点とされるものが軒並み先行研究に表れていない篠田氏の独創である。特にその技巧的特徴や日本人に受けた理由を画家の日本人の血で説明している点は、本作のテーマに関わる重要な特徴だろう。そうなればこそ本作はハワイ在住日系人に関する参考文献を多数掲載した、現代の日系人と在ハワイ日本人の物語なのだ。
そして、作品の特徴を日本人の血に求める以上、本作の画家とラッセンの評価は全く無関係だ。本作はラッセンの再評価などまったく目的としておらず、ラッセンの再評価についての文献を参照する必要に乏しい。というか、もしラッセン研究での再評価を借用したならば、「青の純度」の物語は全く成り立たない。
原田氏自身が、「青の純度」と自身の研究の類似性を研究成果ではなく再評価というアイデアしか挙げることができていないように、これで篠田氏が原田氏の研究を剽窃した、不道徳だと言うのは、無理があるのではないか。