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2025-02-28

オピオイド覚醒剤の違いとは

ChatGPT:

オピオイド覚醒剤の違い

オピオイド覚醒剤は、作用の仕組み・効果依存の点で大きく異なります。以下に違いを整理します。

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1. 作用の仕組み**
分類オピオイド覚醒剤(中枢神経刺激薬)
主な作用鎮痛・多幸感・鎮静覚醒・興奮・快感増強
作用する受容体オピオイド受容体(μ, κ, δ)ドーパミンノルアドレナリン放出増加
脳への影響脳の痛み・報酬系作用し、快感や鎮痛をもたらす脳の報酬系を直接刺激し、興奮と快感を生む
具体的な神経伝達物質内因性オピオイドエンドルフィンなど)を模倣ドーパミンノルアドレナリンセロトニンを過剰放出

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2. 効果副作用**
分類オピオイド覚醒剤(中枢神経刺激薬)
主な効果鎮痛・快楽・鎮静・多幸感覚醒集中力向上・疲労軽減・快感
副作用呼吸抑制便秘・眠気・依存不眠・幻覚・興奮・動悸・依存
致死リスク高い(呼吸抑制で死亡)高い(心臓発作・脳卒中・興奮による事故

オピオイドは鎮静作用があるため、「ぼんやりする」「眠くなる」などのリラックス効果が強い。

一方、覚醒剤は逆に「目が冴える」「ハイテンションになる」「やる気が出る」といった効果を持つ。

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3. 依存性の違い**
分類オピオイド覚醒剤(中枢神経刺激薬)
身体依存非常に強い(禁断症状あり)中程度(長期使用であり)
精神依存強い(快楽と痛み回避のため)非常に強い(快楽を求める)
禁断症状強い痛み、不安下痢、発汗、震え強い抑うつ不安無気力、過食

オピオイド身体依存が非常に強く、使用をやめると激しい禁断症状(離脱症状が起こる。

覚醒剤は主に精神依存が強く、使用をやめると強い抑うつ無気力アンヘドニアが続く。

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4. 主な薬物の例**
分類オピオイド覚醒剤(中枢神経刺激薬)
合法モルヒネフェンタニルオキシコドンADHD治療薬(メチルフェニデート・アデロール)
違法ヘロイン違法フェンタニルメタンフェタミン覚醒剤)、コカイン

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5. 致死リスクの違い**

オピオイド過剰摂取オーバードーズで呼吸が止まり死に至ることが多い(フェンタニルによる大量死など)。

覚醒剤長期使用心臓・脳へのダメージが蓄積し、突然死や精神病的行動による事故死が多い。

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結論**

オピオイドは「鎮痛・鎮静・幸福感」、覚醒剤は「興奮・快楽覚醒作用という正反対作用を持つ。

どちらも依存性があり、過剰摂取による死亡リスクが高いが、オピオイド身体依存が強く、覚醒剤精神依存が強い。

2025-02-26

Claude 3.7 sonnetに小説を書かせてみた

### キッチンの向こう側

わたし大学に入った年、父が死んだ。それは五月の、少し肌寒い日だった。まだ新しい大学生活に慣れていない時期に、世界の一部が崩れ落ちた。病院から電話があったのは、授業の途中だった。廊下に出て電話を受けたとき、窓から見えた空は妙に青すぎて、それが不謹慎に思えた。

葬式の日は雨だった。それから、雨の日には必ず父のことを思い出すようになった。その年の夏は、異常に雨が多かった。いつの間にか、世界全体が湿っぽい灰色に染まっていった。

大学教室は、思ったより広かった。高校までの教室とは違って、誰も生徒のことなど気にしていなかった。教授は前で一方的に話し、学生たちはそれぞれの方法時間を過ごしていた。ノートを取る人、スマホをいじる人、居眠りをする人。わたしは、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。

彼女、いつも一人だね」

後ろの席から聞こえてきた声に、振り向かなかった。どうせ他人の噂話なのだろうと思ったが、それはわたしのことだった。気づくと、ひとりでいることが当たり前になっていた。

父は料理人だった。小さな和食店を営んでいて、わたしが小さい頃からキッチンの向こう側で包丁を握る父の姿を見て育った。父の料理の音と匂いが、わたし記憶の一部になっていた。ザクザク野菜を切る音、出汁が沸く香り、魚をさばくとき真剣な表情。そんな父が、ある日突然、脳卒中で倒れた。病院に運ばれてから二週間、意識が戻ることなく逝ってしまった。

「お母さん、店はどうするの?」と聞いたとき、母は疲れた顔で微笑んだ。

「閉めるよ。わたしには、お父さんみたいな腕はないから」

父の店は、わたしの第二の家だった。学校から帰ると、いつも店の奥で宿題をした。客が少ない時間には、父が横に座って数学を教えてくれた。「料理数学も、バランス大事なんだ」と言っていた。その店がなくなるということが、父の死よりも現実味を持って迫ってきた。

大学の授業は、興味を持てるものが少なかった。文学部に入ったのは、本が好きだったからだけど、専門的な分析理論を学ぶことに、空虚さを感じていた。教室の中で、みんなが真剣議論しているときも、わたしの心はどこか別の場所にあった。

アパートに帰ると、静かすぎる部屋がわたしを迎えた。実家から離れて一人暮らしを始めたのは、新しい環境心機一転たかたからだ。でも今は、その選択が間違っていたような気がしていた。テレビをつけっぱなしにして、誰かがいる気配を作り出した。

夜は不思議な夢を見ることが多くなった。父がキッチンに立っている夢。でも、振り向いた父の顔が、誰か他人の顔になっている夢。高い塔から落ちる夢。海の底で、誰かが名前を呼ぶ夢。朝起きると、枕が涙で濡れていることがあった。

母は週に一度、電話をくれた。「大丈夫?」という質問に、いつも「うん、大丈夫」と答えた。大丈夫じゃなかったけど、母を心配させたくなかった。父が亡くなってから、母は急に年を取ったように見えた。電話の向こうの声は、いつも疲れていた。

料理、してる?」と母が聞いた。

インスタント食べてる」と答えると、母は少し悲しそうな声で笑った。

「お父さんが聞いたら、怒るわね」

そうだった。父は、わたし料理を教えようとしていた。「いつか、一緒に店をやろう」と言っていた。でも、わたしは興味を示さなかった。今になって、もっとから学んでおけばよかったと後悔していた。

五月が過ぎ、梅雨が来た。毎日雨が降り、湿度が高く、部屋の中の物まで湿っているような気がした。教科書のページがくっつき、髪は広がり、布団はじめじめしていた。そんな中、わたし図書館で多くの時間を過ごすようになった。

図書館は、静かだった。でも、一人でいることが苦痛ではない唯一の場所だった。本の間を歩きながら、偶然手に取った小説に心を奪われた。それは、ある料理人物語だった。幼い頃に両親を亡くし、料理世界で生きていく若者の話。その主人公が作る料理描写が、あまりにも父の料理と似ていて、読みながら泣いてしまった。

図書館で働き始めたのは、六月の終わりだった。アルバイトを探していたところ、図書館募集があった。静かな環境で、本に囲まれて働けるのは、わたしにとって理想的だった。本を整理したり、返却された本を棚に戻したりする仕事は、単調だけど心地よかった。

「君、いつも同じ本を読んでるね」

ある日、司書鈴木さんがそう声をかけてきた。五十代くらいの女性で、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。

料理本が好きなの?」

「父が料理人だったんです」と答えると、「だったんです」という過去形自分違和感を覚えた。

「そうなんだ」と鈴木さんは言った。「わたしの息子も料理人になりたがっていたけど、途中で挫折してしまってね」

何気ない会話だったけど、鈴木さんとはそれからよく話すようになった。彼女は、わたしの父のことを知りたがった。どんな料理を作っていたのか、どんな人だったのか。話していると、不思議と心が軽くなった。

七月に入ると、大学は前期試験の準備で忙しくなった。わたしは、ほとんど授業に出ていなかったことに気づいた。図書館必死勉強したけど、内容が頭に入ってこなかった。試験当日、問題用紙を前にして、頭の中が真っ白になった。鉛筆を握る手が震えた。

大丈夫?」隣の席の女の子が小声で聞いてきた。

首を横に振ると、彼女心配そうな顔をした。

試験終わったら、一緒にお茶でもどう?」

の子名前は、里奈といった。同じ文学部学生で、いつも授業の前の席に座っていた。優しい声と、少し丸みを帯びた顔が印象的だった。試験のあと、二人で大学近くのカフェに行った。

「実は、前からしかたかったの」と里奈は言った。「でも、いつも遠くを見てるみたいで、声をかけるタイミングがなくて」

彼女は、思ったことをすぐ口にする人だった。わたしとは正反対タイプ。でも、その率直さに心地よさを感じた。

「父が亡くなったの」とわたしは言った。口に出したのは、里奈が初めてだった。

「そうだったんだ」と彼女は言った。特別言葉はなかったけど、その反応が自然で、わたしは少し安心した。

その日から里奈とはよく一緒にいるようになった。彼女存在は、灰色だった大学生活に少しだけ色を加えた。彼女が話す他の学生の噂話や、教授の変わった癖の話を聞いていると、自分大学生活の一部になれたような気がした。

八月になると、実家に帰った。母は、少し痩せていた。家の中は、きれいに片付いていたけど、父のいない空間は、まだ違和感があった。父の形見のように、包丁だけはそのまま台所にあった。

「使ってみる?」と母が言った。

わたしは恐る恐る包丁を手に取った。重かった。父の手になじむように作られた包丁は、わたしの手には大きすぎた。でも、握っていると不思議安心感があった。

「お父さんの料理ノート、見つけたの」と母は言った。「あなたに見せようと思って」

それは、古いノートだった。日付と料理名、材料や作り方が細かく書かれていた。途中、「娘に教えるとき注意」と書かれたページがあった。そこには、わたしが苦手そうな工程や、間違えやすポイントが書かれていた。父は、いつかわたし料理を教えることを想定していたのだ。

そのノートを持って、わたし台所に立った。まずは簡単出汁から作ってみることにした。ノートに書かれた通りに材料を用意し、火にかけると、懐かしい香り台所に広がった。父の料理の原点とも言える香り。その香りに包まれながら、わたしは初めて父の死を実感として受け止めることができた。涙があふれ出た。

「お父さんは、きっと喜んでるわ」と母は言った。二人で出汁を使った簡単味噌汁を作り、久しぶりに一緒に食卓を囲んだ。

夏休みが終わり、大学に戻ったときわたしの中で何かが変わっていた。父のノートを持ってきて、週末になると自分料理を作るようになった。最初は失敗ばかりだったけど、何度も挑戦するうちに、少しずつできるようになっていった。

「へえ、料理するんだ」と里奈は驚いた顔をした。彼女を招いて、初めて人に料理を振る舞った日、緊張で手が震えた。でも、「おいしい」と言ってくれた里奈笑顔を見て、少し自信がついた。

後期の授業が始まりわたし文学の授業を真面目に受けるようになった。特に、食をテーマにした文学に興味を持ち始めた。食べることは生きること。料理することは、誰かに愛情を伝えること。そんなことを、文学の中に見つけられるようになった。

図書館では、鈴木さんにわたしの変化を指摘された。

最近、顔色がいいわね」と彼女は言った。「何かいいことあった?」

料理を始めたんです」と答えると、鈴木さんは嬉しそうに微笑んだ。

「それは素晴らしいわ。いつか、わたしにも作ってほしいな」

十月になると、大学学園祭の準備が始まった。里奈に誘われて、文学部喫茶店企画を手伝うことになった。わたしは、迷わず料理担当を志願した。メニューを考えるとき、父のノートを参考にした。シンプルだけど、心のこもったメニュー

学園祭当日、わたしたちの喫茶店は予想以上に人気だった。特にわたしが作ったさつまいもスープが好評で、あっという間に売り切れてしまった。「秘密レシピは?」と聞かれると、「父から教わったの」と答えた。それは嘘ではなかった。父のノートから学んだレシピだった。

喫茶店を訪れたお客さんの中に、一人の男性がいた。三十代くらいで、どこか父に似た雰囲気を持っていた。彼は、スープを飲み終わると、わたしのところにやってきた。

「このスープ、とても懐かしい味がする」と彼は言った。「昔、よく行っていた和食店の味に似ているんだ」

わたしは驚いて尋ねた。「もしかして、『桜木』という店ですか?」

彼の目が大きく開いた。「そうだよ。知ってるの?」

「父の店です」とわたしは答えた。

彼の名前健太といった。父の店の常連客で、大学時代によく通っていたという。父の料理ファンで、店が閉まったあと、同じ味を探していたらしい。「君のスープを飲んだとき、店主の技を受け継いでいると思ったんだ」と健太は言った。その言葉に、胸が熱くなった。

学園祭が終わり、健太とは連絡を取り合うようになった。彼は料理研究家として活動していて、様々な食の知識を持っていた。わたし料理相談に乗ってくれたり、時には批評してくれたりした。彼との会話は、いつも刺激的だった。

「君のお父さんの料理は、シンプルだけど深みがあった」と健太は言った。「それは、材料を深く理解していたからだと思う」

それを聞いて、わたしは父がよく言っていた言葉を思い出した。「料理材料との対話だ」と。

十一月になると、寒さが増してきた。大学教室も、以前より寒く感じるようになった。でも、周囲の景色は、以前より鮮やかに見えるようになっていた。授業中に窓の外を眺めても、もう虚無感はなかった。ノートには、びっしりメモが書かれていた。

図書館仕事も充実していた。鈴木さんは、わたしに古い料理の本を紹介してくれた。古典的和食技法や、忘れられつつある郷土料理の本。それらを読むたびに、父の料理の原点が少しずつ見えてきた。

「君、将来は何をしたいの?」とある日、鈴木さんに聞かれた。

わたしは少し考えてから答えた。「まだわからないけど、料理文学、両方に関わる仕事ができたらいいなと思います

「それは素敵な夢ね」と鈴木さんは言った。「食べることも、読むことも、どちらも人間の根源的な喜びだもの

十二月大学冬休みが近づいてきた。試験勉強をしながら、クリスマスには何を作ろうかと考えていた。里奈を誘って、一緒にパーティーをする計画を立てていた。

「ねえ、健太さんも誘ったら?」と里奈提案した。彼女健太のことを、「料理のお兄さん」と呼んでいた。

「でも、年上だし、忙しいかも」とわたしは迷った。

「聞いてみなきゃわからないでしょ」と里奈は言った。

思い切って健太を誘うと、意外にもすぐに承諾してくれた。「楽しみにしているよ」というメッセージに、なぜか心臓が速く鳴った。

クリスマスの日、わたしは朝から料理の準備をした。父のノートを見ながら、特別メニューを考えた。前菜スープ、メイン、デザート。どれも父の教えを基本にしながら、わたしなりのアレンジを加えたものだった。

里奈が先に来て、一緒に部屋の飾りつけをした。「すごいね、こんなに料理が上手になるなんて」と彼女は言った。「大学に入ったばかりの頃は、本当に別人みたいだったよ」

健太が来たとき、緊張でドアを開けるのに時間がかかった。彼は、ワイン花束を持ってきてくれた。「いい香りがするね」と部屋に入るなり言った。

三人での食事は、想像以上に楽しかった。里奈のおしゃべりに、健太の食の話、わたし料理。それぞれが持ち寄った空気が、部屋を温かく満たした。

乾杯しよう」と健太が言った。「新しい出会いと、古い記憶に」

グラスを合わせたとき、窓の外では雪が降り始めていた。

「この料理、本当においしい」と健太は言った。「君のお父さんの味を感じるよ。でも、それだけじゃない。君自身の味がある」

その言葉に、わたしは思わず泣きそうになった。父の料理を超えることなんて、まだまだできないけれど、自分の味を見つけ始めているということが嬉しかった。

里奈は、わたし健太の会話を見ながら、にやにやしていた。「ねえ、二人とも、もしかして…」と言いかけて、わたしに肘で軽く突かれると、「何でもない」と笑った。

夜が更けて、里奈が帰ったあと、健太はもう少し残った。「話があるんだ」と彼は言った。真剣な顔つきに、緊張した。

「実は、料理本の企画をしているんだ」と健太は言った。「伝統的な和食技法を、現代視点解説する本。その中で、君のお父さんの料理も紹介したいと思っている」

わたしは驚いて言葉が出なかった。

「もちろん、君の力も借りたい」と彼は続けた。「文章を書くのが上手だし、何より君はお父さんの味を知っている」

その提案は、あまりにも突然で、すぐには返事ができなかった。でも、胸の中に温かいものが広がるのを感じた。父の料理を、このまま消えさせたくない。そう思っていた気持ちが、形になるチャンスだった。

「考えさせてください」とわたしは言った。健太笑顔で頷いた。

「急がないで。でも、君なら素晴らしい仕事ができると思う」

その夜、久しぶりに父の夢を見た。でも、以前のような悲しい夢ではなかった。父がキッチン料理をしていて、わたしもその隣で一緒に料理をしている夢。父が微笑みながら、わたし料理を褒めてくれる夢。

朝起きると、決心がついていた。健太に連絡して、企画に参加する意思を伝えた。「ありがとう」という返事が来た。「一緒に、素晴らしいものを作ろう」

年が明け、大学では卒業論文テーマを考え始める時期になった。わたしは迷わず、「文学における食の表象」をテーマに選んだ。文学の中で、食がどのように描かれているか。それは人間関係や文化時代背景をどう映し出しているか。そんなことを研究したいと思った。

指導教授は、最初は驚いていたけれど、わたしの熱意を見て応援してくれるようになった。「面白いテーマだね」と彼は言った。「これまであまり注目されてこなかった視点かもしれない」

健太との料理本の企画も進んでいった。週末になると、彼の仕事場に行って、父の料理について話したり、実際に作ってみたりした。記憶を頼りに再現する料理もあれば、父のノートを見ながら作る料理もあった。

「お父さんの料理には、物語があるね」と健太は言った。「一つ一つの料理に、理由がある」

それは、わたしも感じていたことだった。父の料理は、単においしいだけではなかった。そこには、父の生き方や思いが込められていた。

春になり、キャンパスには桜が咲いた。入学してから一年が経っていた。あの頃のわたしと今のわたしは、まるで別人のようだった。でも、それは成長と呼べるものだった。父の死によって崩れ落ちた世界は、少しずつ新しい形で再構築されていた。

図書館では、鈴木さんが新しい料理コーナーを作ることになり、わたしは本の選定を手伝った。「君のおかげで、こんな企画ができたのよ」と鈴木さんは言った。「ありがとう」

里奈とは相変わらず仲良くしていた。彼女演劇サークルに入っていて、春の公演に向けて忙しくしていた。「主役なんだよ」と嬉しそうに報告してくれた。「絶対に見に来てね」

公演の日、わたし健太を誘って一緒に観に行った。里奈舞台の上で、いつもとは違う輝きを放っていた。見ていて、胸が熱くなった。帰り道、健太と二人で歩きながら、「人はそれぞれの場所で輝くんだね」と言った。

「君も輝いているよ」と健太は言った。「料理をしているとき、話をしているとき、いつも目が輝いている」

その言葉に、顔が熱くなった。

五月、父の一周忌が近づいてきた。実家に帰って、母と一緒に準備をした。一年前とは違って、二人で料理をすることができた。母も、わたし料理の上達を喜んでくれた。

「お父さんの店、もう一度開かない?」と母が突然言った。

「え?」と驚いて振り向くと、母は真剣な顔をしていた。

あなたがやりたいなら、手伝うわ」

その言葉に、胸がいっぱいになった。まだ学生で、経験も少ないわたしが店を開くなんて、無謀かもしれない。でも、どこか心の奥で、いつかそうしたいと思っていた。

「考えてみる」とわたしは答えた。「でも、もう少し勉強してからかな」

母は微笑んで頷いた。「そうね。急がなくていいのよ」

一周忌の日、父の写真を前にして手を合わせた。一年前は、ただ涙が出るばかりだったけれど、今は感謝気持ちが湧いてきた。父がいなくなって、わたし料理を始めた。それは、父との新しいつながりを見つけることだった。

「ありがとう」わたしは心の中で言った。「これからも、見守っていてね」

大学に戻ると、夏休み計画を立て始めた。健太が、料理取材地方を回る予定があり、わたしも一緒に行かないかと誘ってくれた。日本各地の伝統料理を学ぶ旅。それは、わたしにとって大きなチャンスだった。

「行きます」とわたしは即答した。健太は嬉しそうに笑った。

「君と一緒に旅ができるなんて、楽しみだよ」

あれから一年。父の死から始まった暗い日々は、少しずつ明るさを取り戻していた。料理文学という、二つの世界を行き来しながら、わたし自分の道を見つけ始めていた。それは、決して一直線ではなく、曲がりくねった道かもしれない。でも、その道の先に何があるのか、少しずつ見えてきたような気がした。

キッチンの向こう側で、父が包丁を握っている姿は、もう見ることができない。でも今は、わたし自身包丁を握り、父から教わったことを大切にしながら、自分料理を作っていく。それが、父への最高の感謝になるのだと思う。

そして、この物語を書き記すことも、きっと父は喜んでくれるだろう。料理言葉。どちらも、人の心に届けるための手段わたしは、その両方を大切にしながら、これからも歩いていくつもり

2025-02-15

anond:20250215124838

食パン毎日食べると塩分過多になる可能性があり高血圧リスクを高める要因の一つとなります

食パンに含まれ塩分

一般的に、食パン1枚には約0.5〜1gの塩分が含まれています厚生労働省が推奨する1日の塩分摂取量は6g未満ですので、食パン2枚で1〜2g塩分摂取することになります

血圧リスク

日本人の平均塩分摂取量は約10gとされており、過剰な塩分摂取は高血圧を引き起こす大きな原因の一つです。高血圧は、血管に負担をかけ、動脈硬化心筋梗塞脳卒中などの様々な疾患のリスクを高めます

食パン以外にも注意

食パン以外にも、加工食品外食には多くの塩分が含まれていますラーメンうどん漬物ハムソーセージなどは特に塩分量が多い食品として知られています

対策

食パンの種類を選ぶ:

塩分控えめと表示されている食パンを選ぶようにしましょう。

食べる量を減らす:

食パンを食べる量を1枚にするなど、意識して減らすようにしましょう。

他の食品にも気を配る:

食パンだけでなく、他の食品塩分量にも気を配り、バランスの取れた食事を心がけましょう。

減塩調味料を使う:

醤油味噌などの調味料減塩のものに変えるのも有効です。

カリウム摂取する:

カリウムには塩分排出する働きがあります野菜果物積極的に食べるようにしましょう。

その他

血圧は、塩分摂取だけでなく、遺伝肥満運動不足ストレスなども原因となります健康的な生活習慣を心がけることが大切です。

専門家への相談

血圧が気になる場合は、医師栄養士相談し、適切なアドバイスを受けるようにしましょう。

2025-01-31

高額療養費制度改悪人生設計が狂った

8月から高額療養費制度の上限が上がるってニュース、みんなどう思う?

俺は結婚して子供が生まれときに、いろいろ考えた末に「医療保険に入るより貯蓄を進めたほうがいい」と判断したんだよ。理由シンプル高額療養費制度があれば、万が一の医療費もある程度カバーできるし、それなら月々の保険料を払うより、その分を貯蓄に回したほうが賢い選択だと思ったから。

で、今年、俺は脳卒中入院した。突然の出来事でめちゃくちゃ焦ったけど、高額療養費制度を利用して何とか支払いを済ませた。まさに「この制度があるから医療保険に入らなくても大丈夫」って考えていた通りだった。

なのにだよ。今になって国が「やっぱり上限上げます」って、あっさり制度を改変。いやいや、そんなの許されるの?俺はこの制度を前提に人生設計を組んでたんだよ?その前提を後出しで変えられたら、計画が崩れるに決まってる。

しかも、今さら医療保険に入ろうと思っても、もう遅い。脳卒中入院した経歴があるから保険料は爆上がりか、そもそも入れない可能性すらある。俺の選択が「間違っていた」ってことにされるのか?いや、違うよな?間違ってたのは国のほうだろ?

これって泣き寝入りするしかないの?訴える方法はあるのか?こんな理不尽、どこにぶつけたらいいんだ?誰にこの怒りを伝えたら、少しでも状況が変わるのか?

本当に助けてほしい。

2025-01-20

anond:20250120001040

脳卒中意識戻らない人を自宅で何年も生かしておけるわけないだろ...

ばあちゃんが死んだ。

ばあちゃんが死んだ。

僕の40の誕生日の前日に死んだ。

享年95歳の大往生

葬式など諸々終え、家に帰ってきて、やっと落ち着いたところ。

今の心情を自分自身でもいまいち掴みきれてないので、書いてみる。

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親族のみの葬式

とにかく人が多かった。

からない親族が多い。

子ども4人、孫12人、ひ孫19人、子どもや孫の配偶者、ばあちゃん兄弟、その子、その孫。

サマーウォーズより多いんじゃね?

ばあちゃんは寺の娘だったので、親戚には坊さんがいる。

3人の坊さんが経を読む。

坊さんはばあちゃんの甥、坊さん含め親族のみの葬式

先頭で経を読んだのは、ばあちゃんの甥の中で一番下の甥。

通夜葬式はひ孫達が騒ぐ騒ぐ。

ばあちゃんも坊さんも許すから全然オッケー。

ゆるい良い葬式だった。

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経を読み終えたタイミングで謎のフルート演奏

から聞いたのだが、斎場サービスらしい。

完全に場違いフルートに、皆ポカーンとし、奏者も可哀想だな…と思いつつ聴いて、葬式を終えた。

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親族の中でも近い人だけ火葬場へ。

僕も火葬場に向かった。

棺を焼く前に経を読み、最後挨拶

普通と違ったのは、坊さんも参列者と同じように、最後に声をかけた。

一番下の甥の坊さんは泣いていた。

僕は泣けなかったからか、何か知らんがそれを見て僕自身が救われた気がした。

その後棺は焼くことになり、焼けるまで1時間程度待つことになった。

後で聞いたのだが、そのドサクサに紛れて義理の息子である親父は泣いていたらしい。

なんでやねん

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孫の中で僕は上から2番目。

年長の孫であるいとこ、一番下の甥の坊さん、3人で話をした。

最初に、一番下の甥の坊さんに、フルートの時プルプルしてたから泣いてたかと思ってたらアレ笑いを堪えてなかった?とツッコむところから話は始まった。

坊さんあるあるとか色々話をしたあと、当然ばあちゃんの話に。

ばあちゃんの話になると必ずゲームの話が出てくる。

ばあちゃんがいつからゲームやってたのか、とか、何故やってたのか、とか、どんなゲームをやってたのか、とか色々話した。

俺の初めてゲームはばあちゃんお下がりディスクシステムのやつだった、パチンコにハマってたから抜け出すために息子(僕から見ると伯父)が買った、そういえばパチンコにハマってた時期もあった気がする、その前はルービックキューブだったらしい、俺が持ってないPS4とか持ってたぞ、ゲーム好きだったけど上手いわけじゃなかったかレベルアップでのゴリ押し結構多くて1セーブプレイ時間400時間とか700時間だったぞ、、、。

僕らは子どもの頃に話して以降30年近く話をしてなかったが、話題は尽きなかった。

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あっという間に、時間が過ぎ、ばあちゃんは骨になった。

なんというか、あっけなかった。

色々終わって帰ってきた、子どもらも寝かしつけ、一息ついたのが今。

微妙に落ち着かずふわふわする感じがあったので、消化するために文章に残すことにした。

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ばあちゃんがどんな人だったのか。

性格キャラ的なものを今風に言えば、天然系、不思議ちゃん、なのに、生命力強い、どんな環境でも楽しんで生きる、そんな感じ。

やたら印象に残る言動をする人だったので、ばあちゃん話題には事欠かない。エピソード力が強い人だった。

何故か鞄を持ち歩かず、ショルダーバックくらいの袋に荷物を詰め、そして下着の胸の辺り、ちょうどブラのパッドのあたりに、その袋を縫いつけ、小太りというか巨乳に見える感じになっていた。

何かを出す時は胸元から出すことになるが、昔は服の中に手を突っ込みゴソゴソして荷物を取り出してたが、そのうち上手く取り出せないからと、半分脱いで取り出すようになった。

普通に外でもそれをやるようになったので、買い物行く時は子どもや孫の誰かが連れていき、事前に財布を預かって、ばあちゃんの財布から支払う、というのが慣習となった。

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そういえば、ばあちゃんから直接昔の話を聞いたことはほぼなかったことに気付いた。

年寄りは昔話が好きな印象あるけど、ばあちゃんから思い出話をほとんど聞いたことない。昔手に入れた意味分からん謎のハックテクニック、を教えてもらえる程度。こちらの心配する、子どもや孫など周りのこと、ゲームのこと、とにかく今の話しかしなかったからかもれしない。

でも、ばあちゃんの周りからは、ばあちゃんの今まであったことはよく聞いた。

ここからのばあちゃんの昔の話は、皆の話の集合での話なので、何が本当なのかは分からない。

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ばあちゃんは、山奥の陸の孤島のような村にあるお寺の娘だった。

それが若い頃、じいちゃん駆け落ちで峠を越えた、と聞いた。

結果、じいちゃんが良いとこの人だと分かり、許してもらい帰ってきた。昔っぽい。

あとで聞いたのだが、じいちゃんバツイチ寡夫?だったらしく、ばあちゃん結婚した当時、ばあちゃん20、じいちゃんは44。そりゃ反対するわな。

それに加え、じいちゃんを知るであろう寺近くの老人達から稀にじいちゃんの話を聞いたことがあるのだが、どれも掴みどころがない。水墨画を描いてた、木こりだった、スキー板を作って売ってた、馬に乗って駆けてた、等々。皆のいうことが毎回違いすぎて何をしてた人なのかがマジでからない。今で言うフリーターだったのでは、と思ってる。

その後、ばあちゃん子どもを4人産んだが、3番目の子である僕の母が4,5歳のときに、じいちゃん結核で死んだ。

ばあちゃん身体を壊し、病院入院

生活ができないので、子どもらは、伝手のある寺が運営する児童養護施設生活することに。

何年かそんな生活が続き、長男(僕から見れば伯父)が中学卒業してすぐ働き始め、生活ができるようになったので、ばあちゃん兄弟らを集め、また一緒に生活し始めた。なんという「ひとつ屋根の下」。(ひとつ屋根の下、当時母はめっちゃハマって見てた)

その後しばらく経ってから長男は僕の母を除いた兄弟とばあちゃん自営業を始めた。

ここから人生に関しては、ばあちゃんにとって比較順風満帆人生だったと思う。

たぶん。

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僕はばあちゃんに一番可愛がってもらった孫だったように思う。

ばあちゃんファミコンをやるひざの上に乗ってたのが僕だった。

おかげで、僕は立つのより早くゲームをやっていた。

ある程度大きくなると、ばあちゃんの家によく泊まりに行った。

今思えば理由は単純で、高橋名人名言ゲームは1日1時間!!」を家では親が守らせようとするが、ばあちゃんの家では、朝から晩までゲームをやっていても怒られない。

ばあちゃんも、ゲーム攻略に詰まると、孫を積極的に呼んで、攻略方法を聞いたり、分からなくてもプレイしてやってみてくれとせがんだ。

僕が一番可愛がられたが、他の孫達も顔を出せば、同じように攻略をせがまれたので、孫らは皆ばあちゃんとみんなゲームをした経験が一度はあるように思う。

息子(僕から見て伯父)の自営業職場とばあちゃんの家が一緒になっていて、ばあちゃん生活は、昼間は働き、ご飯風呂趣味の畑仕事、残った時間はほぼゲーム、が大半だった。

昔はマリオとかアクションをよくやっていたが、途中からドラクエFFといったRPGが好きだった。

先にも書いたようにゲームやるからといって賢かったり上手かったりするわけじゃなかった、いわゆる下手の横好きだったので、とにかく朝から晩までゲームをし、攻略ノートを作ってメモをし、自分攻略ノートを見ながらプレイしていた。

何度も何度も飽きずにトライエラーを繰り返しまくるので、ばあちゃんセーブデータは、装備やアイテム微妙なのに、レベルが異常に高いことが多かった。

おかげで、途中からやった僕ら孫たちは、ばあちゃん説明するハマりポイントをひと通り振り返ったあと、装備を整え、ちゃんゲーム内の説明みてやれば、案外すんなり先に進めた。

ゲームをやるとばあちゃんから駄賃がもらえた。

ばあちゃんの駄賃は、できるだけゲームにつかった。

他の孫たちもゲームプレイし終わったら、中古屋でなく、ばあちゃんゲームを流した。

ばあちゃん自分ゲームを買っていた印象がほぼないが、とにかくばあちゃんの家にはゲームがたくさんあった。

ベッドの下の収納ボックスには、ソフトがギッシリ詰まっていた、

初代ファミコンスーパーファミコンPSPS2、64、ゲームキューブ、xbox…僕も大きくなるにつれ頻度が減り、就職地元を離れてからさらに頻度が減ったので、僕の知らないゲームハードもありそう。

見た記憶では、古いハードソフトはなかった気がするので、時折捨ててたのかも。

孫らで集まって話をした際に出てきたゲームタイトルは皆違ってた。

FFドラクエテイルズスターオーシャンゼルダ武蔵伝、等々。

ばあちゃんの妹の孫とかい若い男の子も来てて、ばあちゃんとのゲームの思い出話をしてたのは驚いた。

それもあって、親族のみの家族葬だったのに、縁のある親戚までも集まり、やたら人数の多い通夜葬式になった。

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ばあちゃんの僕の可愛がり方、溺愛ぶりはちょっとすごかった。

親戚一堂からは、溺愛しすぎて恋人みたいだ、と笑われていた。

義理の息子である親父もかなり溺愛してたので、本物の息子一堂から、本物の息子より息子してる、と親父も笑われていた。

ばあちゃんは、下駄が好きでよく履いてたのに、胸元に袋が入っていたから、ハキハキ歩くことができず、ペンギンみたいな歩き方になっていた。

不安定ゆっくりな歩き方だったので、当然荷物はまともに持てないし、隣を歩く僕の服の袖のあたりをつかんだりすることが多かった。

僕がいない時は、親父が並んで服の袖をつかまれていた。

僕や親父はその認識だったのだが、妹いわく、妹と一緒だと、不安定な歩きのままズカズカ先に歩いて荷物を持ってる妹に早く行くぞと先行してく、僕や親父の前だと猫を被ってる!!男尊女卑だ!!と愚痴っていた。

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孫らから流れてきたゲームで躓くと、当然元々ゲームの持ち主の孫に攻略を聞くことが多かった。

ひとつ印象に残っているのは、FF 10

平原マカラーニャの森あたりにいて、攻略手伝って欲しいからと、泊まって欲しいと、ばあちゃんにせがまれ、泊まることになった。

一緒にプレイし、ご飯も食べ、風呂も入り、寝る前にもう1プレイ

ちょうどそこで、マカラーニャの森の超ロマンティックなラブシーン。

当時、高校生だった僕は、真夜中に部屋を暗くして、ばあちゃんと並んで何観てるんだろう……と絶妙な気分になっていた。

ふと、横目でばあちゃんを観ると、キラキラした目で、★★素敵★★みたいなリアクションで、滅茶苦茶一生懸命みてたので、まぁいいか、と諦めにも近い気持ちになった。

その後少し経って、新しい孫がまた産まれ、ちょうどその孫の名前FF10ヒロインと同じ名前だったので、滅茶苦茶喜んで良い名前だ、と褒めていた。

葬式最後フルートが、美空ひばりの「川の流れのように」だったので、「ザナルカンドにて」をかけてあげれば良かったのにな、とフルート演奏を聴きながら、このことを思い出していた。

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葬式の参列者の話などを聞くに、僕がばあちゃんのところにあまり行けなくなった後も、他の親戚やゲームの関わりもあって、楽しくは過ごせていたようだった。

それが、6年前、真夏の早朝に、もうひとつ趣味であった畑仕事の途中で、脳卒中で倒れ、近くの通行人発見され救急車で運ばれた。

ばあちゃんは、脳死状態になった。

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主治医や長年お世話になっているかかりつけ医によると、意識回復する可能性は万に一つもない、そんな状態とのことだった。

ばあちゃんは、これまで大病患って、入院して死にかけたことは何度かあった。

入院のなか、どうしても回復傾向が見られない、という状況になってから、僕に連絡が来て、急遽地元に帰ってお見舞いに行くと、ばあちゃんゲームの話になり、そういえばプレイ中だったあのゲームの続きがやりたい、早く治して退院せねば!!と急にやる気になって、そこから超回復、という展開があった。

今回は流石にダメそうだった。

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流石にばあちゃんももう90だったので、そういう覚悟をしておかなきゃ行けないことは分かっていた。

病院に見舞いに行った際、分かっていても、それがただ寝ているようにしか感じられなかった。

手術のあとに寝てます、みたいな感じで、ただ寝てるだけ。

もう起きることは無いのに、そんなふうにしか感じられなかった。

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僕がその後ばあちゃんの顔を見れたのは、少し経って、ばあちゃんの家で介護するようになってからだった。

ばあちゃん介護に行く母について、ばあちゃんの家に行った。

病院よりも設備簡素になったためか、ああ、これは本当にもう目覚めないんだな、と今さらながら実感した。

そんな中、母はばあちゃんの世話をしながら、前よりちょっと良くなったとか、こうやってやると反応する、など色々話をした。

もう目覚めない、と分かると同時に、まだ生きてる、とも感じられる。

死んでるのだが、生きてる。

ばあちゃんが死んだと聞いて、葬儀の一連の流れを終えた今、本当に死んだ今この時よりも、あの瞬間が正直しんどかった。

今、思い出すだけでも、心が重い。

死が突きつけられるのに、世話をすればちゃんと生を感じられる。

その中で世話をし続けられるのか。

母すごいな……と。

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あとは死ぬだけ。

それを受け入れるための有余の時間が与えられた感じだった。

ゲームができない、楽しみに一生懸命になれないばあちゃんは、ばあちゃんなのか。

身体なのか、脳なのか、心なのか、それとも人格なのか、習慣なのか。

生と死に対することをぼんやり思いにふける。

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そういえば、ばあちゃん霊感が強い、というのがもっぱら周りの評価だった。

悪霊や死んだ人が見える、というより、死ぬ寸前の人が魂だけになって飛んでいるのを虫の知らせのような感じで分かるのだ、とか。

それで、遠方や疎遠になった知人の安否を確認し、それを当てることが多かったので、霊感が強いとされていた。

稀に、じいちゃんが迎えに来ると、まだやりたいことがあるから迎えに来んどいてくれーー!!と必死にお経を読むことがあるのだ、とか。

僕は実際にどの話にも立ち会ったことは無いが、確かにばあちゃんはその辺りの勘が冴えているような雰囲気があった。

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ばあちゃんの話を信じるとすると、脳死のばあちゃんには、ばあちゃんはいないことになる。

ばあちゃんがどこに行ったかは分からないが、ばあちゃんは生きているが死んだ。

あとは身体死ぬまでに、その死を受け入れてくしかない。

幸い、受け入れるまでの時間を6年も貰ったので、ばあちゃんの死、葬儀はなんとか受け入れることができた。

コレがポックリいかれていたら、悲しすぎてどうなっていたか想像できない。

正直助かった。

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心の準備は整えていたとはいえ、僕の誕生日の前日に亡くなり、僕の40歳誕生日がばあちゃん通夜になるとは、流石に予想つかなかった。

何もできないはずの死ぬ瞬間まで、印象を残す人だった。

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ばあちゃんの教え、みたいなのは、本当に全然覚えてないのに、ばあちゃんとの思い出はたくさん出てくる。

老人介護おむつを買いに行った際には、コレ凄く便利でトイレに行かなくても良いかゲームができる!!とドヤ顔したり……

我が弟が母の付き添いでばあちゃんの買い物に付き合うため家に呼びに行ったら全裸ゲームしてたり……(前日夜風呂上がりに服着替える前にゲームをやり始めたら止まらなくて翌朝までやり続けていたのが真相

僕がいとこと一緒に富士山近くに旅行した際、いとこに「富士山のかけらだ」と言って渡したそこら辺に落ちてた溶岩石が、何故か数年後ばあちゃんちの神棚に飾ってあり、いつの間にか凄い石だとして御神体みたいになってたり……

なんかあり過ぎて、もう思い出せない。

でも、何かあるたび、何気ない面白かった思い出が掘り返される。

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自身もばあちゃんと同じく、子どもが4人いるので、悲しみに暮れている暇はない。

悲しくてしんどい、みたいな感覚はないのだが、なんか気持ちふわふわして落ち着かず、何かにつけてやる気が起きない。

この文章も、このままではいけないと思いを決して、何度かに書き分けながら、書き進めている。

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やる気がでないので、ぼーっと異世界転生ものアニメを観ても、ばあちゃんだったらマジで異世界にすら行きそうだな、行ってて欲しいな…と想像してしまう。

ココまで書いた文章自分でも振り返ってみると、ばあちゃんの最大の教えは楽しむこと、それ自体のような気がしてきた。

から初七日とか四十九日かに法要やるってことは、亡くなってからそれくらいの日数はこの感覚は抜けないのかもしれない、と諦めることにした。

とりあえず楽しめるようになるまで、このままぼーっとふわふわすることにしよう。

2024-11-15

中年

ゴメンね 素直じゃなくって (更年期障害)

夢の中なら云える (昏倒)

思考回路ショート寸前 (脳卒中)

今すぐ会いたいよ (医師の診察)

2024-11-05

病気打線を組んだら

1. (右) 風邪

みんな一度はかかる「風邪」!軽いけど頻繁にやってくるから油断ならない!リードオフにはピッタリの存在だぜ!

2. (二) インフルエンザ

冬になると猛威を振るうインフルエンザ風邪より強力で、広がるスピードも早い!ここでチームの流れを一気に加速!

3. (中) 肺炎

呼吸が苦しくなるほどの重症度、肺炎!その存在感はハンパないクリーンアップ一角で強烈なインパクトを残すぜ!

4. (一) がん

誰もが恐れる最強の病「がん」!打線の真ん中で、圧倒的な存在感を放ってる!ここぞという場面で絶対的なパワー!

5. (左) 心筋梗塞

予告なしで襲ってくる心筋梗塞!いきなり来るインパクト相手ビビらせる存在だ!5番で突然の一発を期待!

6. (三) 脳卒中

一度来ると大変なことになる脳卒中後遺症もあるし、ここでしっかり支える頼れる三塁手って感じ!

7. (遊) 糖尿病

ゆっくり進行していく糖尿病、でもなかなか侮れない!日々の管理重要で、守備範囲の広い遊撃手としてチームを支える!

8. (捕) 胃腸炎

急にお腹がヤバくなる胃腸炎!突然来るから焦るよね!下位打線だけど油断すると痛い反撃が来るぞ!

9. (投) 高血圧

普段あんまり目立たないけど、実は影でじわじわ来る高血圧!他の病気を呼び寄せるエースで、試合の流れを握るキーパーソンだ!

2024-10-19

夜勤奴隷すぎるからやめとけって話

生命に関わるデメリット多すぎ&キツイ底辺職だらけ

夜勤仕事には、次のようなデメリットがあります。

体内リズム変調による睡眠障害、慢性疲労情緒不安定、高血圧糖尿病心臓病、脳卒中などの生活習慣病うつ病リスク高まる

日中の眠気や疲労感が増す

家族や友人との予定が合わせにくい

・夜間は少人数体制のため負担責任が増える

日光を浴びる機会が減少する

食生活の乱れ

夜勤によって睡眠不足に陥ると、体調管理が難しくなり、生活リズムが乱れます。また、体内時計に影響するため、正常なメラトニンの分泌が行われないことで浅い眠りや慢性疲労引き起こします。

夜勤仕事選択する場合は、これらのデメリット理解した上で、健康管理に力を入れる必要があるでしょう。

主な夜勤職種は以下の通りです

清掃員

工場勤務

介護士

コールセンター

ホテルスタッフ

タクシー運転手

トラック運転手

土木作業員

警備員交通誘導員

倉庫作業員

飲食店スタッフ

コンビニ店

実体験でも実証済み

質問

よくインターネット掲示板夜勤はやめとけと言う意見を聞きます現在夜勤をやってる方は、夜勤についてどう思いますか?体に不調など現れていますか?

回答

知り合いが深夜帯のスーパーの総菜工場で働いていました。

人間夜は寝ないとだめだとのことです。体内時計が狂うと体を壊しやすくなるそうです。

あとその時間帯は外国人留学生や、ダブルワークのおじさんおばさんが多いと言っていました。留学生はともかく、そんな時間帯に働くのだから訳ありの人ばかりだったそうです。

コンサルサイト「今すぐやめろ」

まり夜勤をするという事は人間構造に逆行している間違った行動をしていると言え

そのための弊害として様々な健康被害が出てしまうという事です。これは同然の代償です。

メガネ転職コンサル

ですので、いま夜勤を続けて健康だと主張しているにもう一度言います

人間の基本構造に逆らいこれから夜勤を続けますか?と強く言いたいです。

夜勤劇薬です。一時的に稼げる、採用されやすい、自分には合っている

この様に言っている人がいますが必ずこのツケは、あなた身体で支払う事になります

これは例えではなく命を削って仕事をしていることを決して忘れないでください。

そしてここまでの話を聞いて夜勤仕事に疑問を持っていた、いつか辞めようと思っていた人は

この記事をキッカケに本気で考えてみてください。そして、できるだけ早いうちに転職して昼の仕事に就きましょう。

繰り返しますが、不健康になってまでやる仕事はありません。

健康第一です。ぜひ本気で動きましょう。

もうこれ半分人権侵害だろ

2024-10-13

3大高齢者が飲んでる無駄なお薬

anond:20241013110516

一応言っておきます偏見です。

痛み止め(ロキソニンカロナールなど)

リウマチ等で常に痛みがある人は仕方ないんだけど、普段そんなに痛がらないのに常飲している人がいる。

謎です。


血圧治療薬(アムロジン・アダラートなど)

ほぼほぼ高齢者高血圧症という病名がついてきます。で、降圧剤をずーっと飲み続けます

どこまでその人の健康意味があるんだろうか?と思わなくはない。

補足:新書でやたらと高血圧治療薬に関して批判的な本が出版されているのですが、高血圧症治療に関しては日本高血圧症学会策定しているガイドラインを参考にした方が良いです。(いきなり真面目笑)


認知症治療薬(ドネペジルとか)

これも結構多くの高齢者が飲んでる上に誰も止めない。初期認知症の進行を遅らせる程度の意味しかなかったはず。

一定期間飲んだら飲み終わりにしたら良いのに、基準がない(あったらごめんね)。

みんな雰囲気で処方されて雰囲気で飲んでいるだけ。

年間どの程度処方されているか分かりませんがそれなりに多いんだろうなと予想します。

脳卒中、腎機能低下、糖尿病あたりが既往である人は薬飲む量が増えちゃう

以上、無責任発言でした。

2024-10-08

介護3Dプリンタとレーザカッタに興味あるって言ったよね!?

本当だろうな。なんか信用できないワイ。

今まで作ったもの晒す。もしお前らから反応が薄かったらただの💩╰⋃╯増田に戻ります

CPAP用の顔面マスクベルオーガナイザー

間違い無くこれが最高傑作

睡眠時無呼吸症候群と言う病気がある。寝ている途中に呼吸が止まり、血中酸素濃度が下がり血圧が上がり、と身体無茶苦茶負担がかかる病気で、睡眠が浅くなるだけではなく色々な病気を引きおこす。

ワイの母が脳卒中になったのはこれが原因ではないかにらんでるぐらい、重視している。(2回再発した後にこれが発覚して治療開始したらそれ以降再発なし・血圧も安定した)

しかし、実は診断がつけばわりと対処ははしやすくて、これを機械的解決するのがこのCPAPと言う装置。人工呼吸器の一種で、高圧で空気を送り込む事で、睡眠時の呼吸をサポートする装置。これを使えば手術などはいらないのだ。

ただ、母は寝相が悪く、寝ているときにこれが外れてしまうことが悩みだった。外れると効果が無いのは当然として、かなりの騒音と、凄い勢いで空気が出てくるので冬場は寒くて目が覚めることも。


そこで、3Dスキャナで母の顔をスキャンし、3Dプリンタで顔面の形をオフセットした形をもつ市販マスクの外側に被せて鼻から頬のあたりまであるマスクを作り、市販マスクゴム3Dプリンタ製のマスクに通して母の顔に合う様にしたことでズレないようにした。

効果はてきめんで、夜中にマスクがズレて付け直すという作業が全く無くなった。締め付けも弱くて大丈夫になって母も着け心地がよくなったと評判。

メンテナンスに来たCPAP代理店のお兄さんにも感心してもらって、メーカーから問い合わせがあって3Dデータを渡したりもしたくらい、これははっきり最高傑作だと言えます。これはガチ結構試行錯誤したし。

距離ドライブ用、座席補助器具

レーザーカッターのヒットはこれかな。

車椅子を乗せられる車を持っていると言ったけど、乗り心地的にはやっぱり車椅子ってそれほど良くなくて、ガタガタと揺れる場合は長距離は難しい。

そう言う時は頑張って普通座席に母を乗せることになるんだが、そうすると今度は肘掛けに相当するものがないため、身体が倒れていてしまう。


そこで、母の身体3D スキャンし、その形を保持する形を作って、それをポリウレタンフォームのいたの厚みでスライスしてカットパスを作って、レーザーカッターでカッティング

さらアクリルパネルベニヤ板で外側を固定しつつ、捨てられていたチャイルドシートの金具をもらってきて座席に固定できるようにした。

これによって、長距離の移動でも立位を安定できるようになって、ドライブ好きの母をドライブに連れて行けるようになった。

特に認知症不安な面が強く出る時なんかは、こうしてドライブに連れていくと安定するので役立ってる。

ただ……脆いんだよね。すぐ壊れる。うちょっと改善したいが時間がない。固い材料にすると今度は座り心地が悪くなりそうでもある。

ただ、データはあるので、壊れてもすぐにリピートできるのもデジタル化しているメリットではあるんだが。

車椅子カスタム肘掛け

家の中の移動では、スタンドリフトという介護器具を使って母を移動させている。リフトを使って車椅子に座らせたら、次に肘掛けに手をやらせて、その間にリフトから足を降ろすと言う事をするのだけれど、どうしても肘掛けを手探りで認識できずにぽろっと手を落としてしまうことがある。確率的には半分ぐらいなのだが、もう一日何回もトイレに着替えに食事にと繰り返すので、地味にストレスになっていた。


そこで、肘掛けの先端にハマるようにプラスチックキャップみたいなものを作って、そこに丸い突起を付けて、ちょうど手で包み込むように握れるようにした。これで安定して車椅子の肘掛けを認識できるようになって移乗が楽になった。

Switchボットボタンを巨大ボタン化する

リモコンボタンは分かりづらいし、押しづらい。

そこで、3Dプリンタで、手のひらよりちょい小さいぐらいのボタンを作り、その中にSwitchbotのボタンを仕込んで、さらにそれをレーザーカッターカットしたパネルにはめ込んで、巨大ボタンスイッチを作った。

それをキーにしてやることで、色々なものを本人が操作できるようにした。部屋のライトON/OFFボタンテレビONにしてNHKを出すボタントイレ行きたくなったら押すボタン

(非常用ボタンは別のローカルで完結するシンプル装置でやってます

小物類

マスクアダプタ

これは俺が考えたわけじゃなくてあちこちで出回っていたアイデアだけど、コロナ禍でマスクをしなければいけない時に、ずっと耳掛けのマスクをしていると耳が痛くなる。そこで、3Dプリンタとゴムマスクを引っかけて頭の後ろで固定するアダプタを3Dデータをもらって作って出した。

すると、お世話になってる施設の人からもほしいと言ってもらって、大量に量産した。今は市販のやつがあるのでお役御免。

オリジナルお盆

食事をするときに、食器を倒してしまったりする。一方でモテないと困る、と言う事を両立するために、レーザーカッターで穴を開けたアクリル板を用意し、背の高いコップなどをはめ込み式にした。

各種危険ボタン押せなくするカバー

湯沸かし器や、コンロなど、危険ボタン結構あって、こういったものを変に弄られないようにそのボタンやツマミにぴったりな形で回せなくするカバーを付けてくっつけている。まぁ壊されたりしたこともあったが。

カスタムメイドちゃわん受け

握力が落ちてくるとちゃわんを持つのがつらくなる。そこで、ちゃわんにぴったりあって持つのサポートするアダプタを作った。 市販のもの存在するけど、どうもしっくりこなかったので。ちょうどお茶碗に握り込める取ってがついたような形にした。

バーの延長とか、取っての延長とか

人間が立って使う事を前提にしているものは、ほとんどが車椅子からだと手が届かない。そう言ったものにアダプタを付けたり、紐を付けたりするためのアダプタとかを作ってはめている。

スタンドアップリフトカスタム握り

スタンドアップリフトはちょうど良いところを掴んでもらわないと姿勢が崩れてしまう。

そこで、ちょうど姿勢が安定するところに3Dプリンタで作った握りをつけ、そこを的確に握ってもらうようにした。特に親指が握りしめられるように凹凸を付けてあるので、安定するようになった。まぁ、なくてもそんなに問題があるわけじゃない部分だけど。

レーザーカッターで小物の整理とかむちゃやってる

レーザーカッターで発泡ウレタンフォームの板に、小物がはまり込む形で切らせて、小物が確実簡単に整理でき、尚且つなくなったらすぐにわかものが作れる。さらにこれをハードタイププラケースに入れてやると、完全オリジナルの薬ケースのできあがり。

通常は錠剤なんだが、漢方薬で飲み薬があるため、こんな物を作った。

名前ホルダとか(あんまり介護関係ない)

アルマイト処理したアルミプレートは、ある波長のレーザーを宛てるとアルマイト処理した表面だけが吹き飛ばされてアルミの地を出す事ができる。それにを塩素漂白剤に入れてやると、アルマイトが剥がされた所だけが酸化して白くなって浮き上がってくる(入れすぎると全部参加して白くなる)。

こうしてやるとまるで金属彫刻をしたかのような仕上がりになる。これを利用して、金属製お名前キーホルダーを量産して付けてます軍属かッ。 だけど相当な事がない限り絶対に忘れないいってのは大きいし、そう言う唯一無二の印を付けておくと忘れ物が少なくなります

どうやって作ってんの?

近くの工業試験場に公設のfablabが併設されていて、そこで一時間1000円とかでレーザーカッター使い放題(材料は持ち込み)、3Dプリンタは材料費だけで出し放題なので、ここを使っている。

3Dスキャナーも半日3000円とかで借りれるし、持ち出さな場合レンタル中でなければ、1000円の中で使い放題。

データ作成学生版の3D CAD (あ、ワイ放送大学学生です) で作ってますスキル介護で離職する前から持ってるスキルです。

レーザーカッタの利用方法もっと簡単で、精密でなくてよければ、紙にカットしたい線を書いてスキャンさせると、その線にそって同じようにアクリルMDFを切ってくれるモードがあり、簡単ものはこれで作れる。

事例は3Dプリンタの方が多いけど、実際はレーザーカッターの方が出番が多い。ダイソーMDFの板を買っていってカットとかよくやる。

3Dプリンタは自分でも持っていたけど、こちらを使う様になってからこちらの方が便利なので自分のものは使わなくなってしまった。


3Dプリンタばかり話題になるけど、実際には3Dプリンタよりもレーザカッターの方が手軽で強度もあって使う機械は多いと思う。自分で書いた線の通りに板を切ってくれる装置だって考えてみて。

アクリルMDF木材系の板・ダイソーで売ってる)なら接着材でかなりの高強度でくっつける事ができる。発泡系の材料なら低出力でも分厚いカットも出来るし、アイデア次第だよ。パワポが使えれば使えるからぽまえらもやってみてね。

anond:20241008173542

おっ

本職の人や。感謝やで。

車椅子のまま載せる事のできる車は、時短にかなり有効からつこてると言うのがワイの場合

車に乗り移りさせて、座らせるのはかなり時間がかかる。失敗して落としたりすると最悪なんやで。

一方、車椅子のままのせるのは、慣れてしまえばサクサクできるんや。要するに金で時間を買った。


本問医療介護タクシーを利用しない理由は、ワイの済んでるところが過疎地の山奥で介護タクシー訪問医療選択肢が少ないというのが第一だけど

予約して計画立てて動かすというのは存外にストレスで、仰る通り金額的にはベース車両に+20万円ぐらいで対応にできるのが大きい。

病院にさっと連れていって済ませて、その足でデイに送り届ける、とかそういうのは介護タクシーじゃ厳しいから。それから緊急時に困るのも計算した。

予想外だったのは、スロープ付き車両って台車のまま荷物の乗せ下ろしができるので普通に便利だったわ。


介護スタートについては、ワイの場合そもそも祖母からスタートしていて、家の中に介護をする文化があったこと、母に特に介護必要になったのが徐々にではなくて脳卒中というライフイベント発生を経て要介護1からスタートだったこからあんまり経験がありません。

すいません。

2024-10-07

anond:20241007234035

一つ実例を言っておくね。

母は脳卒中、父は骨折と癌で一気に弱ったけど、祖母はそうじゃないんだ。

から色々な病気を持っている人で、農家の女だったから変形性関節症をやって人工骨をいれ、若い頃の病気で片目は見えなかった。

だけど、介護らしい介護必要になったのは、晩年の数年だけで、後はデイサービスに通い、仲間とおしゃべりをし、時には女学校の友だちと交流

しか自分健康ではないという自覚がある人だから、無理をしなかったし、使える制度は使いながら、自分で面倒を見れるところは面倒を見ていた

介護保険制度ができたら長い事要支援2、最後は要介護2まで使ったけど、100歳を超えてまで生きて大往生だよ。


フレイルの時にどれけ適切にケアできるかにかかっていると言えるし、増田が介入しなきゃいけない、ワークよりもライフに重点を置かなきゃいけない期間を短くできし、介護の手間を減らすことができるかも知れない。

色々な事例があるよ。

anond:20241007225745

親がだんだんと弱ってきて、介護必要になりそうだという予感があるなら、もうその時点で地域の包括支援センター相談してみるといいよ。

まだ早い、なんてことはなくてね。なぜかというと、介護保険制度そもそも本格的な介護に入る前から予防するということも想定された制度になってるから

介護保険は、介護状態になったら使う「要介護」というレベルの前に、介護を予防する「要支援」という等級があって、そこから介護度が進行しないように予防する。

支援は立ち上がるときにどこかにつかまらないと立ち上がれない、とかであればほぼほぼ降りる。ここから介護制度につながっておこう。


この期間のことを「フレイル」あるいは「プレ介護」と呼ぶことがある。この期間から介入しておくことによって、本格的に介護必要となる時期を遅らせることができることが分かっているし

本人の健康寿命も延びていくので、できるだけ早期に準備を始めよう。

脳卒中骨折などのイベントで一気に介護度が上がるケースもある中で、この状態のうちに気づいて動ける増田幸運だよ。

特にだんだんと体が動かなくなると家にこもりきりになるのがいけないので、週に1回、介護予防デイサービスデイケアを利用するようにするとよい。フレイルの間のこれらサービスの利用は、増田にはほとんど負担にならないはずだ。

また、往々にしてあることだが、本格的に介護必要になってからデイサービスに行くようになると、なじむのが大変だったり、あるいは本人にあったデイサービスを選ぶということが難しくなるケースがある。

この期間を利用して、本人も家族も支え、支えられることに慣れ、また自分にあった介護施設を探せるようにするとよいかもね。


ワイは親父の介護必要になった時点で介護離職して正直後悔している。

行政系の下請けみたいな一社パートタイムみたいな仕事をしつつ、知識を使ったエンジニアの端くれの仕事自営業ということにはなるんだが、行政系の仕事最低賃金ボーナスはないし、エンジニア仕事ほとんど技術を忘れないようにするためにやっているようなものだ。金にはならない。

今になって思うと、自己負担が発生するにしても、デイサービス訪問介護を組み合わせれば、残業なしの時短勤務+介護休暇で対応する方法はあったとわかるんだが、まぁ後悔先に立たずだよな。


実際に介護をやってみると、介護場合多く発生するのは、半日まるごと飛んでしまうとか、連続的に長時間拘束されるとかはあんまりない。デイサービスかに預けられちゃうから

一方で、ちょくちょくスポット的に仕事を抜けないといけないことが多く発生する。それで集中力を切らされるし、連続して仕事ができなくて能率が上がらないということが起きる。何か阻喪をしたら対応しなきゃいけないし、ご飯を作るとか日常家事もある。

自営業でいらっしゃるということだけど、そういうことに耐えられる仕事なのかどうかというところが一つポイントかもしれない。

また、フレイル期間の要支援を経ずに、いきなりライフイベントがあって介護必要になるケースが実際には多いのだけれど、この場合介護体制を整えるまで数ヶ月ぐらいはバタバタすると思われる。会社勤めだと介護休暇はこういう所で使う設計らしいが、フリーランスだとどうしたらいいんだろうな。。。

ただ、一つ言えることは、たいていの人間老いていくので、同じ状況にあるのは君だけじゃない。不安に思うのは自然なことだ。だからやりようはいくらでもあるということ。

介護情報戦。繰り返す。介護情報戦

介護保険は、世界的に見ると非常に優れた制度だと言われている。うまく使おう。

介護に関するクソバイス (増田編)

やあ!

みなさんこんにちは

ソバイス男こと増田です。

何を隠そうこのワイ、母親介護17年(糖尿→脳卒中骨折認知症で要介護4。この間祖母介護も4年被ってる)、父親介護11年(骨折肺がん認知症予備軍で要介護3)を自宅みている馬鹿ベテランなんですね。もちろん独身KKOです。

と言うワケで、アドバイス欲を満たすための生贄を見つけたので、クソバイスするよ。

さあLet'sクソバイス

ストレス解消方法について

ストレス解消はルーチンにして日常に入れ込むことが大切。

水分補給と同じで、ストレスがたまったら解消するのでは間に合わないことが多いので、ルーチンにれる。

例えば俺の場合、毎週木曜日仕事完全休暇という仕事なのだが、この休みに合わせて、木曜日は両親ともにデイサービスに送り出している。

そして、木曜日ストレス解消の日、自分を甘やかす日と決めて、何もしなかったり、だらっとアニメを見たり、本を読んだりしてる。

また、3ヶ月に一度ぐらいショートステイ夫婦揃って出てもらったら、泊まりエンタメにも行く事にしている。

自分場合は、だいたいは夜行バス大都市圏まで出て、大きなシネコンで一日映画三昧したりって感じですが、こう言う日を確実に大切にすること。

そしてこれは「開いたらやる」じゃなくて「何があってもやる」と決めてスケジュールに入れること。有給休暇と同じね。

そうじゃないと自分が持ちません。


なお、ショートステイは定期的に利用しておかないと、緊急時対応してもらえないので、その訓練も兼ねています

緊急時ってのは、俺に何かあった時が最大。そのほか、どうしても外せない義理ときとか、高校生の頃に心を救ってくれた声優さんがx年ぶりにコンサートするとか、そういうときね。

災害ときとか、色々なときに泊まりで預けられるようにしておかないと詰む。

増田愚痴

それでも愚痴を言いたいときあるよね。そういうとき増田愚痴りましょう。

𝕏?とかああいアカウントがあるのはオススメしない。

増田なら💩💩🎠🦌とか書いても誰も何も言わないし、きゃっきゃしてりゃいいので。

そのための増田。まぁ、実践しているのだと思いってそこは安心しました。

技術的な話

まぁこれはやってんだろうと思いますけど一応通り一辺倒だけ。

まさにクソバイス

さらに細かい話 状況がハマったら活用してね

そのほか よくある質問と回答


  • てか、なんで施設に預けずにお前見てんの?
    • 金がないから。
    • 人間そんなに簡単に割り切れる生き物ではありません。
  • なんでそんなにがんばってるの?
  • かわいそう
  • 俺は見捨てるわ
    • ワイにもそうやってイキってる時期がありました。ちゃん現実を見つめて備えとけよマジで
  • 終わったら俺も介護される側じゃん
  • 介護に巻き込まれた時点で人生終わりでは?
    • まぁ、終わったということを受け入れるとそれなりに楽になるよ。

2024-08-03

anond:20240803085444

加工肉に限らず、赤肉=牛や豚の肉に発がん性があることが既に判明しています

牛や豚の肉は栄養豊富で、不足すると脳卒中を起こしやすくなりますが、食べ過ぎると大腸がんになるのです。

2024-07-22

受動喫煙による1年間の死者は1万5000人

受動喫煙による1年間の死者は1万5000人なんだそうだけど、実感と合わなくて不思議に思う。

交通事故とかはわかりやすいんだよね。老いも若きも明確にこれが原因で亡くなったとわかる。

例えば、受動喫煙有りで70歳で脳卒中で死んだ人がいたとして、受動喫煙していなかったら何歳まで生きられていたんだろうか。

71歳なのか100歳なのかで意味合いも変わってくると思う。

平均寿命によっても価値観は変わるんだろうな。人生50年の時代に酒タバコ我慢してもしょうがないし、

100歳まで生きられるはずが70歳で死んだらもったいない気もする。

2024-07-12

きっと祖母が死んでも泣けないと思う

4年前、祖父が死んだ。脳卒中だった。

日中窓の近くで寝そべって新聞を読んで、テレビを見ているだけ。糖尿病で大の酒好き。心配した母がお酒を取り上げると料理酒にまで手を出す人だった。

でも私は祖父のことが大好きだった。囲碁将棋を一緒に遊んでくれた祖父が、父のいない私の父親代わりになってくれた祖父が、大好きだった。

冷たくなった祖父を見て私はわんわん泣いた。人目も憚らず泣いた。葬儀屋さんに「お爺様が亡くなられてこんなに泣くお孫さんは見たことない」と言われたくらい泣いた。

祖父が死んでから祖母の老化が一気に進んだ気がした。

顔面の神経痛があるため病院で薬が複数種類処方されているが、カレンダーテレビを見ているのにも関わらずなぜか日付感覚あいまいなせいで用法容量通りに飲めない。

そのせいでしょっちゅう「薬が効かない」「痛い」と喚く。母が曜日時間帯ごとに薬を小分けにし、わかりやすくしても文字を読まないのか読めないのかわからないが、これでもちゃんと飲まない。

更年期障害を抱えながら、一家の唯一の稼ぎ手として休まず働く母はこの事にイライラを募らせ祖母を何度も怒鳴りつける。

祖父が死んだタイミングで色々と親戚間で揉めてしまい(私はよく知らないので割愛)引っ越しているのだが、四年目にしてまだお風呂を沸かすことも、お風呂場の換気をすることも、インターホン越しに会話することも出来ない。

文字が見えない」と言い訳するので、じゃあ新しい眼鏡を買えというと黙りこくって無視をする。祖母絶対自分の否を認めない。

私の部屋には鍵が無い。そして私はやましいことがあるとか部屋が汚いとかではないが自室に入られることをすごく嫌っている。だから母は部屋に勝手に入らないし、何か用があってもノックをしてくれる。

しかし、祖母は嫌だと伝えても何度も部屋に勝手に入ってきた。自分ストール仕舞ってその場所を忘れたのに、「私が取った」と思って勝手に部屋を漁った。

明らかに物の位置が変わっていたので「また部屋に入ったのか」と聞くと「知らない、入ってない」としらばっくれた。何度も問い詰めたらついに「入ったわよ!だからなんだっていうの!?」と逆ギレされた。

「私は自室に入られるのが嫌いだから入らないでくれ」と怒るのはこれで四回目だった。

電子レンジボタンが見えていないので、何も入れていないのにあたためを押し始める。ガスもついていることに気づかず放置をして、私が家にいなかったら火事になっていたのではないかと思うこともあった。

だが、祖母認知症でない。MRIをとって正式に異常無しとされた。

私や母はしばし祖母を怒鳴りつける。私は今大学生で、社会一般的に見れば大人とはいえずとも「ハンカチ持った?」や「傘持った?」と聞かれるような年齢ではないと思う。

しかし未だに祖母はこれを聞いてくる。そのうえ曜日感覚がないため日曜日にも「今日学校?」と聞いてくる。

そして、それに「日曜日から学校は無い」と答えたとしても、覚えていられないので次の週にはまた「今日学校?」と聞かれる。

気が狂いそうになる。毎日毎日同じような質問をされ、答えたとしてもその回答を覚えてもらえない。やめろといってもやめない、いくら教えても覚えない。毎回尻ぬぐいを私がさせられている。

当然、会話をしたくなくなる。私と祖母はめったに会話をしない。

私が祖母と話すのは祖母がまた間違ったことをしてそれを怒るときか、祖母が「今日バイト学校?」と聞いてくるときだけだ。答えたって忘れるんだから無駄なので聞かないでほしい。

よく「それでも家族なんだから」とか「小さい頃はお世話になったでしょ」とか「年を取ったらそうなるのは仕方ないことだから受け入れなさい」とか、そういう言葉を目にする。

そんなこと考えられないくらいに、辛いのだ。そういう人たちは実感していないからわからないのだ。自らの心を傷つけられてまで、加害者にどうして優しくしなければならないのだ。

祖母に「部屋に入らないでくれ」と頼む私は、悔しくて辛くて泣いていた。家族なのに、目の前の祖母が、老婆が憎くて仕方なかった。

目がよく見えないから汚れがほとんどついたままになるためするなと言われていた皿洗いを勝手にして、案の定汚れが付いたまま仕舞おうとし、いつも仕舞っている場所がわからないためぐちゃぐちゃに仕舞い、母を激怒させた日があった。祖母はそれでも「ごめんなさい」とは言わなかった。「あら?そうかしら?」と、とぼけるばかりだった。

しばらくして、母はトイレで吐いていた。

血圧も患っている母は祖母とのやり取りで一気に血圧が上昇したため吐き気の症状が出てしまったのだ。「気持ち悪い、頭がいたい」と便器に向かって胃液を吐く母の背中を擦った。

祖母は耳が遠いのでそれには気づかず、ぼーっとテレビを見て、笑いながら誰かと電話をしていた。

その時の私は、一晩中殺人を犯した際の刑期について調べていた。

自分は軽度のうつ病を患っている。中一で自殺未遂をしたあの日から「何かあったら死ねばいいや」とある意味無敵の人状態になってしまっている。

私が祖母を殺す前に、祖母が他の理由で死にますように。

祖母が死んでも、きっと私は泣けないと思います

2024-07-07

anond:20240706023024

うちもおんなじ感じだった。

祖母脳卒中で半身不随と認知症で要介護5になった。

父が在宅介護するといったのに介護は母に任せて家に帰らず毎日飲み歩いていた父。

夫婦喧嘩や母が下の子だけを連れて家を出ることもあった。

完全に機能不全家庭だったと思う。

今は、ぼちぼちの距離感にいるけど

あん状態だったけど一緒に住めてよかった」

親孝行した風な事を言った事を覚えている。

あれは、家族犠牲の上に成り立っていという認識がないことをこれからも許さない。

そして、家庭?生活?を優先して子供を守らなかった母も許していない。

増田安心して暮らせるように祈っています

2024-06-16

父親脳卒中起こした時にそのまま死んどけば良かったのに

機嫌が悪いと訳わからないことで因縁つけてくんのほんと終わってるわあのクソ豚

2024-06-07

虫歯予防効果があることからガムなどによく使われる甘味料のキシリトール摂取量が多いと、心臓発作や脳卒中などの心血管疾患のリスクが増加することが、新しい研究で判明しました。

人間の浅知恵なんて・・・・ふっ

2024-05-12

発達障害あるある相貌失認

相貌失認グラデーションがあって、

身内の顔ですら覚えられず、相手から声を掛けて貰えないと二度と相手を見つけることができない深刻なものから

身内の顔はなんとなく覚えられて、気合いを入れたら短時間なら同僚の顔を覚えていられるものまで、様々である

まれつき以外にも、脳卒中事故なので、後天的相貌失認になることもある模様

 

自分比較的軽度の相貌失認で、家族の顔をだいたいなら認識出来てるし、気合い入れれば短時間なら同僚の顔を覚えていられる

けど近年は在宅勤務だから、顔合わせることないから忘れるんだよね、完全に

mtgは必ずカメラONな某外資みたいな文化ならなんとかなったかもだが、なんかOFFが多いのよな・・・帯域食うから

 

同僚だけでなく、親戚の顔も覚えていられないし、親族の顔すら覚えていられない・家族もだいたいなので、一緒に旅行に行った友人くらいじゃあ覚えていられるわけがない

と言うか自分の顔も覚えていない。つくべきところに目鼻口がつき、顔に傷がないことに感謝すべきだと思っているし、感謝しているが、あんまり興味がない

 

こんな感じなので、生まれてこのかた、芸能人にも、身近な人にも、推しはいない。だってみんな見分けつかないか

あと、誰かと一緒にいないと孤独がどうのこうのとか言うのもない

 

セクシャルマイノリティって少数派だからマイノリティーなのに、なぜかネットゴロゴロ特に同人界隈にゴロゴロいる

同じくらい相貌失認居てもおかしくないのに何故か居ないよね

2.5次元とか声優とかその他芸能人推し活はしたいからなんですかね?あるいはブス不細工なあたち!をやりたいからなんだろうか?

2024-04-06

父親脳卒中起こした時に死んどけば良かったのに

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