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艦長日誌(その3) ~握手するドクター~


艦長の在仏苦労日誌の第3弾です.

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握手するドクター

その冬から娘は幼稚園に行くことになり、
たまたまアパートの一階に幼稚園があったのでそこに入園した。

フランスの幼稚園は健康診断書があれば、いつでも入れるらしい。
健康診断書をもらう為 初めてドクターの所に行くことになったのだが、
まずドクターに看てもらう為には予約をしなければならない。

それは電話でするのだが(ただ単に時間だけ言えば良い)
それが私にとってはまたまた緊張するものだった。
2時と12時などは言い分けられないし、
聞き分けられないのでいつも午前とか午後とかを
使って簡単な方にしてメモに書いておいた。

ドクターの部屋に入って驚いた。
うちと同じアパートなのだから
少し間取りは違うものの普通の家(アパート)である。
そこにさすがフランス エレガントな家具が配置され、全然病院らしくない。

普通の家のサロンのような待合い室で待っていると
2、3分でドクター自身が迎えに来る。
(ドクター1人しかいないから当然だが)
そして握手して患者を迎え入れる。何だか友だちの家を訪問したみたいだ。

ドクターも白衣など着ていないで、
おしゃれなセーターを着ていたりするので患者の方もリラックスする。
ドクターモルバンは30代前半のお医者様で一応英語を話す。

フランスは完全に医薬分業だからドクターに処方箋をもらって薬局で薬を買う。
ある時、私は一人で近所の薬局へ娘の薬を買いに行った。

処方箋があるといっても薬剤師の説明は聞き取らなければならない。
薬の飲み方をまちがったら大変だから完璧に理解しなければならない。
その時どうしてもわからない単語があったので、
持参のメモ用紙を出して「ここに書いてください。」
(この言い方は暗記しておいた)
と頼んで書いてもらい、これもいつも持参のポケット辞書で調べたのだが、
結局単語1つわかっていても言われていることはわからなかった。

店先でそんなことをしているのだから
暑くもないのに汗はかいてしまうし、
「どうやって薬を飲ませたらいいのか」
と思いながら疲れを感じながら、とぼとぼと家に帰ったのである。

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副長補足:写真は文中の“いつも持参のポケット辞書"
     ごらんの通り,すり切れるほどお世話になった.
     (もちろん,艦長も副長もだっ)
     在仏中,出かける時財布を忘れることはあっても,
     このポケット辞書を忘れることは決して無かった.

艦長日誌(その2)~フランスの生活(2)~


艦長の18年前のフランス生活スタートの日誌,その2

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フランスに着いたと同時に洗濯物もたくさん出たので、
すぐ初めての洗濯をすることになった。
これがまた日本の洗濯機と大違いの物で、お湯で洗うのは良いとしても
絞りが甘くてもう少しよく絞れないものかと思う。
絞りが甘いのによく干せないのはとてもストレスがたまる。

外に洗濯物を干せないことは聞いてはいたが、
こんなによく絞れないのでは外に干したい。ぜひ干したい。
幸いうちには小さなベランダがついていたのでそこに干すことにしたが、
その為の物干し機を大至急買わなくてはならない。

どうしても必要な物がいくつもあるのでスーパーに行く。
大抵のスーパーは車で行かなければならない所にあるので夫が休みの時しか行けない。
スーパーは巨大で備え付けのシャリオ(買い物カート)はくさりでつながれ
10フラン(約200円)入れないと取れない。
最後にシャリオを返すと10フランは返ってくる。
日本でも今はこのようなシステムの所もあるが当時私は初めてだった。

肉は大きな塊になっているし、野菜、果物は計り売りで
自分で袋に詰めて秤に乗せると金額がシールとなって出てくる。
もちろん野菜の名前はわからないが、秤に絵が描かれているので助かった。

フランスのスーパーにはあまりたくさん魚はない。
あっても切り身にしてパックに入っているなんてことはないし、
新鮮さの面であまり信用できない。
だから私はスーパーの魚をお刺身で食べることはしなかった。

全体的にみて食料品はとても安い。
ワインはもちろん死ぬほど安い。だが紙製品は高くて閉口した。
フランスに着いた時から色々なものがあまりに日本と違いすぎて
別世界にいるような気がしたが、
いつまでもそういっている訳にもゆかず生活はすぐ始まったのである。

初めて夫が出勤し私たちだけになった日、電話がかかってきた。
夫だろうと何気なく電話に出た私は一気に緊張した。
それは銀行からの電話でもちろんフランス語だった。
私はまったくわからず冷や汗をかきながら英語で話してくれるよう頼んだ。
相手は気持ちよくすぐ英語にしてくれたが、その発音に問題があるのか、
私の方に問題があるのか全然わからない。
わからない、ごめんなさい、とあやまって電話を切るしかなかった。

一度にどっと疲れた私は先が思いやられたが、
フランス語はどんなにがんばってもあれを聞き取れるようにはならないだろうと
早くも悟ったのである。

フランス語に関してはそうであっても生活はしていかなければならないので、
とにかく早くこの地に慣れなければと思い、
市内地図とポケット辞書を持ち私は一人で何日も街を歩き回った。
それによって大分外人恐怖症が改善されたと思う。

その時から不思議に思ったのだがフランス人は
こちらが何人であろうと関係なく時間や道を聞いてくる。
こちらはどこからみてもアジア人なのに。
様々な民族が集まっている国はこうなのかと初めて肌で感じた出来事だった。
ちなみにフランス人は時計をしていない人が多い。
時間の発音はむずかしいので
私は最後まで時間を聞かれると腕をつきだして腕時計を見せていた。

  ーーー これでフランス生活スタート編はおしまい ーーー

     写真は当時のレンヌ市の風景

艦長日誌(その1)~フランスの生活(1)~


古いハードディスクを掃除してたら
艦長がキーボード入力練習用に入力した
フランス出稼ぎ時代の日誌が出てきた.

当たり障りのない部分だけ紹介しちゃおう.
ベタ打ちゆえ読みづらいかもしれないが
興味ある方はご一読を.

かれこれ15年前の,ある日本人家族の
異国の生活,格闘(?)日誌として
読んでいただけると幸いです.

  -----フランス生活スタート------

1989年 10月10日  娘と私は夫の赴任地フランス レンヌ市に到着した。
レンヌ市はパリの西約400キロメートルにあるブルターニュの州都である。
パリまでは高速道路で4時間、フランスの新幹線で2時間かかる。
こじんまりとした町で市内のはじからはじまでバスで20分ほどだ。
ここブルターニュは東洋人が少なく、レンヌの日本人はこの時30家族ほどだった。

一夜明けた明け方、娘に起こされた。
時差ボケで早々と目が覚めてしまい、お腹がすいてしまったのだ。
仕方ないので夜中の3時だというのにビスケットを食べさせた。
私も早く目が覚めたが部屋の感じがあまりに日本と違うので何だか落ちつかない。

大体このアパート(マンション)はとても変わった造りだ。
いわゆるメゾネットタイプで玄関を入った階に2寝室とシャワー&洗面所、
階段を降りたところにリビングルーム(フランス式にはサロン)、
台所と大きめの寝室が1つ、お風呂とトイレがある。
天井も高いし、広さもあるのだが何となく暗い。不便でもある。

第一にお湯の量が足りなくてどうしようもない。
このアパートでは一軒ごとに一日のお湯の量が決まっていて、
それが我々家族には到底足りない量なのだ。
台所でたくさんお湯を使ってしまうとお風呂の分がなくなってしまう。
日本と違ってバスタブも大きいし、一人分ずつお湯を捨てるのでなおさらだ。
最後に入る人(大抵は夫であるが)は水風呂になっていたりする。

だから台所ではお湯を使わないようにするので洗い物がつらい。
台所が電気コンロなのも不便である。
炒めものがうまくできないし、煮物もこげつきやすい。
電気コンロ用のなべじゃないとうまくいかないらしい。
そういえばフランスのなべは底が厚くて本当に平らである。
その台所から食事をするサロンまでがまた遠い。
食事を運ぶ為にすぐさま大きなお盆を買わなければならない。

     --続く--

副長補足:写真はそのアパートの外観(左)と室内(右)
     こんなアパートでも家賃は約15万円だった….

マザーグースから


艦長作品でも大型の作品.

マザーグースの絵本からの
トールペイント.

歪んで見えるのは副長の
写真のせい.

ネコが弾き,犬が踊り,
牛が宙を舞う….

リモコンBOX


艦長の作品,実用品シリーズ.

リモコン入れのBOX.

ついつい増えがちなリモコンの置き場.

重宝してます….