はてなキーワード: 就活とは
真面目に人生を歩んできたつもりだった。
高校時代は3カ年皆勤を受賞、推薦入試でもないくせに生徒会も本気で部活も毎年全国大会で上位に食い込んでいた。
大学は地方国立に進んだ。大学の授業を一度も欠席したことはないし、長期休暇には資格勉強や読書に励み、就活も大学2年から取り組みインターンにあししげく通って内定を勝ち取り、卒論では学士のくせに学会で賞を取るような真面目人間だった。サークルやアルバイトもやっていたが、飲み会は年数回程度だった。
しかし、社会人になって飲み会でヤリチン同期に出会ってすべてが変わった。
エロ漫画とかでしか存在しない概念だったヤリチンが、実在するんだと知った。
最初は嫌悪感しかなかった。というか普通に意味が分からなかった。付き合う前にするって何???って。
しかし学生時代ヤリチンだった同期は何人も居るし、彼女もセフレも居る同期だったり、彼女とFantiaに動画を上げて稼いでる同期とか、遠距離で彼女は居るけどヤリチンを東京でやってる同期とか、ナンパで営業力を磨いている同期とか、相席屋でお持ち帰りしまくる同期とか、そういう人がこの世界にはたくさん居ることを知った。
そしてみんな夜遊びのフェーズを大学生で終えている(ように感じた。実際大多数は遊んでなんかいない。インパクトのある話が伝搬してるだけ)。
彼女こそいたことはあるが、付き合う前にそういうことをするのは絶対にありえないと思っていた。そんな常識が壊れた。
自分は大学時代遊んでないんだ。そしてその大学時代はもう一生来ない。
そう思うと心が粉々になりそうなくらいの劣等感を感じた。
23歳だった。社会人としては若くても若者としてはアラサーが迫っていた。
23歳の遊びは若いねで笑われても、33歳がそれをやったらただのキモいでしかない。23歳でもキモいかもしれないが。
今が一番若い。
大学時代は終わっているがまだ今ならこのコンプレックスを取り除けるのではないかと思った。
若い頃のコンプレックスは一生引き摺るものである。半世紀を過ごしたおじさんが学園ソープに行くように、私自身にだって学生時代のコンプレックスがいくつかあった。
若いうちに遊んでないというコンプレックスが日に日に大きくなってくるように感じた。山月記のようにいつか虎になってしまうのではないかと思った。
そんなことを考えたとき、まだ今なら遊んでないコンプレックスを無効化できる。そう思った。
遊び終わった男がいいなんて世間では言われる。
平均初婚年齢を考えると残された時間は短い。結婚を前提としたとき、次付き合うまでに遊び終わった男になっていたい。
同時に女性から見ても、まだ結婚を考えず遊んでみたいと思う需要もある時期なのではないかと考えた。
さらに彼女が居ない今こそ、遊んでおくのが良いのではないかと思った。
それを考え始めると遊ばない=死のような感覚になった。
今を逃すと将来が真っ暗で永遠に一人だと思うようになった。
さらに自分は真面目な自覚があったし、それを改善することが至上命題となっていた。
加えて女性に対してのコミュニケーション力もコンプレックスであった。
技術カンファレンスの懇親会で同性同士のコミュニケーションは磨いてきた自負があったが、対女性となると極めて難しい。
これも早めに直したい。
まとめると遊びは
を目的として始めた部分が大きい。
欲の強さはかなりある方だが、そういう行為は正直好きな人とだけ楽しめていれば十分だと思っていた。
経験人数を増やしたい気持ちもないし、お持ち帰りする過程にもワクワク感を抱かないタイプである。
仕事のストレスがえげつない時期で正直死が迫っていたのだと思う。
狂っていた。
本質として相手を傷つけて得られる幸せや快楽はクソだと思っている。
いくら自分のためだとしても、タダ乗りは絶対にしてはいけない。
また1回目の行為は調査だとナンパ本にだって書いてある常識である。
楽しんではいけない。相手が何が好き化を調べる調査である。明確に客は女性で自分は施術者である自覚を忘れてはいけない。
遊びはどちらが好きになった瞬間終わりである。
期間を決めることにした。目標設定において期限を指定しないことはあまりにも意味のない行為である。
ヤリチンになれている・いないに限らず半年で一旦区切りをつけることは最初から決めていた。
これはマッチングアプリの料金プランとしてコスパが良いことに加え、思考に関わる習慣化の期間は約6ヶ月と言われていることにも起因している。
遊びという行為を経験しておりそれに対して不快感を抱いていない限られた知り合い(男女両方含む)に事情を話し定期的に話をする機会を設けてもらった。
これはスクラムにおけるSprint Review的な立ち位置となると同時に、依存先を増やしてメンタルコントロールをしていた側面も大きい。
数をまずはこなすことにした。
デート後に毎回記録をしていた。
好きな食べ物や嫌いな食べ物、アレルギーやMBTIなどの基本情報は大前提として
を毎回デート後に書き起こしていた。
これは経験学習効果を最大限増やすという意味合いもあるし、なにより相手を傷つけないためが大きかった。
相手に間違われるのはあまりにもつらい。それに相手が楽しくないことは絶対にしたくない。ポリシー違反。
人間を物として見てると言われそうだが、自分の中ではそれが最大限の誠実性だった。
最悪自分が傷つくのは自業自得だとしても、女の子を傷つけるのは良くないし、特に一生傷を追わせてはいけない(偉そうなこと言える立場でないのはわかっているが)。
例えば容姿を気にしている相手に容姿に対する指摘をするとか、体型を気にしている相手に体型の指摘をするとか。
そういうのは相手の人生を余裕で狂わせる。整形を繰り返したり、拒食症になったり。(自分が直接そうさせたことはないが、そういう風にされたことがある人を見たことがある。)
クラブナンパでは、クラブに1人で突撃し最初に同性と仲良くなり、そこ経由で女の子を紹介してもらうことで多少は仲良くなれたが、その後があるほどの関係性は構築できなかった。
相席屋や合コンは付き合ってくれる男さえいれば女の子と話すまでは確実だが、一方でお持ち帰りという部分に関しては極めて難易度が高い。
個人的に複数人の場での立ち振る舞いより、1対1のほうが得意であった。
結果として自分自身と相性が良い「マッチングアプリ(恋活系)」を中心に進めていくこととなった。
Tinderは最上級の課金をしても基本出会えず、性癖マッチ系は男女比が破壊的で現実的でなかった。どちらも自分でコントロールできる範囲で改善が難しかったため本業にはしなかった。
あたりで知識を蓄えた。
最も良いのは遊んでいる・遊んでいた男女に相談することである。疑問を対話形式で解決できることによる学習効果は大きい。
YouTubeに関しては有象無象で精度も低いが、複数人が言っている内容などある程度学習意義があった。(多くは会員制有料サイトへの誘導であるため注意)
各種書籍に関してはかなり効果が大きかった。特に「話を聞かない男、地図が読めない女(アラン・ピーズ 著)」は男女平等が叫ばれる中で必読の書籍であるように感じた。平等と公平の必要性もわかる。
少女漫画はふざけているかのように見えるが、女性にとっての1つの理想を知るうえで重要な資料である。(というかお持ち帰りした女性におすすめされた)
ヤリモクになることを通して、うまくやれてるヤリチンにある種の尊敬を抱いた。
(うまく、と書いているのは本能で行動し相手を傷つけて遊ぶ男や色恋や沼らせることで女性を依存させて遊ぶ男、恋人という安定に甘えながらヤリモク浮気をするような本物のクズ達には尊敬を抱けないためである)
難易度は正直人生でも相当上位に食い込む。大企業に内定を得るよりも断然難しい。就活は相当苦労した記憶だったが、それを遥かに上回るものだった。
運よく限界が来る直前に救いが何度もあったことで耐えれたが、辛さに耐えられずに人生が終わる可能性だって十分にあるくらいには精神的ダメージの大きいものであった。
一方で経験学習は明確に回る。性という人間の根幹を牛耳る部分が刺激を受けることで良くも悪くもアメとムチがデカかった。
食料が手に入るようになった現代で唯一本能的なPDCAを回せる場所であったのではないかとすら思った。
ドタキャンされたり嫌われたりは日常的にあって、かなり人格否定が発生するのが辛い。
仕事とかならプロジェクトのxxが悪いとか、スクラム開発ならPBIが悪いとか色々言い訳できるのだが、女の子から嫌われたり断られたとき、人格否定されたように感じてしまう。
(実際にはそんなことはなくて、たいてい相手側の都合とかタイミングのケースが多いが、論理でそうわかっていても感情はそうならない)
ヤリモクをやる前の事前調査で、ヤリチンをやっている友達数人に聞いたところ、まずは20人と会ってからだという話を聞いた。
これは遊び終えた上で振り返っても間違いないと考えている。
まずは数をこなして学習することが大事だし、正直相手のその日の体調や気分など運による部分が大きいというのもある。
会う直前や電話の直前で突然ブロックされることは相当な回数ある。半年間で20回は優にあった。
大半のケースは会うのが面倒なケースや他に良い相手ができたケースだと思われるが(というかそう思わないとやっていけない)とても辛い。
一番辛いのは会う約束をして当日待ち合わせ場所で待った挙げ句パターンである。
「ちょっと遅れるね」のメッセージを最後に何時間も真冬に待たされた挙げ句ブロックされたケースだってある。普通に数日落ち込んだ。
さらに厄介なのは一方的に好意を向けられた挙げ句、会う直前に突然ブロックされることだ。
簡単に好意を向ける人間は、簡単に他の人にも好意が向いて自分なんて存在は容易に捨てられる。
当たり前だが世界は甘くない。
ホテルに誘ったときに「そういうの無理なんだけど」って言われるのはまだ希望がある。貞操観念がしっかりしていて素敵だなと思う。
ちょっと嫌なのは、最後の最後に「今日女の子の日だから次ならいいよ」と言われた挙げ句、解散した瞬間にブロックされることである。これが結構ある。
基本的に初回でできなければ次は絶対にない。(1個人の統計としては1回だけ例外があったが割合としては相当低い)
またホテルに行ってやることやって、またしようねと笑顔で解散した次の日にブロックされるケースもある。
ホームで電車に乗り込む直前まで甘々にくっついてきたのに、である。本当に人を信用できなくなる。
いろいろな人と話すことができた。(実際に行為まで及んだのはごく少数であることは留意してほしい)
幼稚園の先生、小学校の先生、営業職、事務職、フリーター、様々な学部の大学生、専門学生、SE、舞台スタッフ、作業療法士、看護師など、職業や学種だけでも普段絶対関われない人と関われた。
出身地も日本全国様々だったし、それぞれの人生も唯一無二のものだった。
夜ご飯だけでも2時間は話を聞けるし、2件目、ホテルとなるとピロートークも含めてその人の人生の深淵まで触れられることもある。
理系人生だと女性と接する機会は極めて少ない。そんな自分にとっては知らない世界ばかりだった。
知ったところで何になるんだと言われるとそれまでだが。
常に、と書いているのはセフレという存在が極めて不安定な存在だからである。
自分なりに相手を満足させるように努力していても、当たり前のように関係が向こうから千切られるので常に新しい相手を供給し続ける必要がある。
セフレがほしい男は無限に居ると思うが、女性は大概そうでない。遊び前提で出会っても暗黙的に、なんなら本人は気づいてなくても付き合ったり結婚したりする未来を考えているケースが極めて多い。
というかそれ以外ほぼない。ごく稀に例外はいるが本当にごく稀でしかない。
途中で女の子側から消えていく。それは恋人になれないということに絶望を感じたり、単純に飽きられたり、私このままじゃだめだと思ったり。
だから常にセフレとなる候補を探すために新規の女の子と会い続けないといけないため、永遠に安定が来ない。
セフレという言葉に理想を描く人間は無限にいるが実際は想像以上に空虚な存在である。
自分にだけ一途でセフレな女の子という幻想は捨てるべきだ。矛盾している。
自分がセフレになる時点で他の男にも簡単に落とされて持っていかれるような存在であるし、仮に長期間セフレが維持できるほど好意を持たれていたらいつか相手が今の関係に満足できなくなって終わる。
一途なセフレは存在しないのでちゃんと誠実に遊ばず恋人を目指すべきである。
一時的に誰かの薬に立てている実感こそあったが、自分はこの人を一生幸せにできないんだと感じで絶望を感じることが多々あった。
穴の空いたポケットにビスケットを詰めているような感覚。すぐ落ちて無駄になっていく。
どれだけ優しくしたり貢献しても、すぐ離れて蓄積がない。
恋人だったらそうはならない。1年付き合って培った信頼とか共通認知とかがある。
遊びにはそういうのが一切ない。体験版でプレイするたびにリセットされるRPGと同じ。
結婚相談所で結婚して数年たったある晩のことだ。家族でNHK総合を見ていたら、福祉番組で場面緘黙症が紹介された。
私はポツリと白状した。
就活でメンタルを病んで面接やら勉強やらができなくなったことを夫には結婚前にカミングアウトしていた。しかし、場面緘黙症で面接になると何も話せなくなることは言っていなかった。すると夫は答えた。
「そういや僕も場面緘黙症だった。」
夫は他人が辛い過去を話す時に「僕もそうだった」との嘘をつく人間ではない。だから本当に場面緘黙症だったんだと思う。
夫婦揃って場面緘黙症経験者は切ないな。遺伝しないよな。でも仮に子どもが場面緘黙症になってもどうにかサバイブできるよと伝えたい。
結局のところ〇〇はしたくないとか〇〇は苦手だから避けたいという部分に重きを置いて物事を選ぶのは後ろ向きに見えるけど全く悪くない選び方だと思う
特に仕事だと〇〇がしたい、〇〇が得意みたいな接近型だけで選んだ結果どうしてもついてまわる苦手意識、嫌悪感のある他の業務とか人間関係とか社内の立ち回りとかが足を引っ張って思うようにいかないみたいなケースも少なくないんじゃなかろうか
向き合ってしっかり取り組めば自身の弱点克服に繋がるなんて言うけどそれは自分だけの問題でないケースもある
強靭な精神と克服するに見合うだけの報酬が先に見えないとしんどいよやっぱり
そもそも苦手意識は必要があって克服に向かうのであってハナから克服しなくてもいい環境ならしなくていい
苦手を克服するより嫌いでないものを強みに変える方が楽だしストレスもかからないし間違いなくモチベーションに繋がるんじゃないか?
就活とかってあなたは何が出来ますかとか何が得意でどんな経験をしてきましたかとかプラス面を掘ろうとするけど正直ミスマッチを減らすって面ではあんまり得策じゃないように思う
勤続15年、大学を出てちょっとブラブラしてから入っているのでもう既に転職不可能点(ポイント・オブ・ノータリーン)は突破しているだろう。
ハッキリ言うが、自衛隊という組織にいる人間に本気で国防をする気の奴はいない。
トップに大局的な視野なんてないし、下っ端に愛国心なんてない。
自分のやってる仕事への責任感はなく、ただ漠然とした「怒られたくない」という子供じみた願望に追いやられながら皆働いている。
将官も佐官も、叩き上げの曹長だろうが皆して「なんとなく怒られるのはちょっと嫌だなあ」という気持ちだけで働いている。
重大事故が起きた時彼らが考えるのは「怒られたくないなあ」だ。
事故によって国家に与える影響も、仲間たちが受けた被害も、実際の被害者への罪悪感も、「怒られたくないなあ」に比べれば微々たるものだ。
談合や不正による数々の事案でさえも、現場の認識は「適当な仕事してたのがバレて怒られたら怖いなあ。言い訳頑張ろうね❤」だ。
◯ね。クソが。ゴミが。なんだテメーらは3佐や2佐や1佐がその感覚で仕事してんじゃねーよ舐めてんのかよ。
一納税者を代表して縊り殺したろうかと思うほどに、上から下まで「怒られるのはやだなあ」が仕事の中心になっているクソガキの集まりだ。
マジで嫌になってくる。
効率も結果も二の次で「これなら怒られずに済みそう」を定規にして仕事をしている自分がいる。
死にてえ……死にてえよ……。
その場しのぎを繰り返した人生なんて生きるんじゃなかったと毎日の後悔が止まらない。
クソガキみたいなお偉いさん、チンピラみたいなロートル、ガキそのものな新人、そういった連中に混じった真人間は体を壊したり転職したりで次々消える。
辛い。助けてくれ。心が折れそうだ。
ちゃんと勉強して、ちゃんと就活して、ちゃんと将来のことを考えて、ちゃんとした組織で働いて、ちゃんとした人間になって、ちゃんとした毎日を送る、ただそれだけでも幸せだったんだろうなあ。
全部が遠い話だ。
俺はこのまま「怒られるのは嫌だなあ」と言いながらダラダラ働いて、早めの定年を迎えて、ガキみたいなメンタルでもやれるような仕事(警備員とか)について、それでなんとか食いつないで、それで死ぬんだあ。
うわぁ……人生って辛い……
彼とは大学時代に知り合った。同じゼミで、最初はそんなに仲が良かったわけじゃない。けど、就活がうまくいかなくて、お互いにボロボロになっていくうちに、自然と話すようになった。あの頃は、誰もが「なんで俺たちだけこんな目にあうんだ」って思っていた。自分たちが悪いんじゃなくて、時代が悪いんだって、本気で思っていた。
ぼくはどうにかブラック企業の内定をもらって、そこに滑り込んだ。辞めたり転職したりはしたけど、結果的にそこで食いつないできた。
彼のほうは、どこにも引っかからなかった。それっきり、実家に引きこもってしまった。
会うたびに「小説家になるんだ」って言ってた。
本は本当にたくさん読んでいたし、語彙も豊富で、文章のセンスもあった。
ぼくなんかより、ずっと頭がよかったと思う。
彼はブログを始めて、毎日のように長文を書いていた。内容は、いわゆる「社会批評」だった。いや、社会批判と言ったほうが近いかもしれない。流行りものは全部バカにして、テレビも芸能人もSNSも見下して、「俺は違う」と繰り返していた。
最初は面白かった。よくそんなこと思いつくな、と思ったし、時にはハッとさせられる鋭さもあった。でも、だんだんと、書いてる内容が偏ってきて、冷笑というより、妄執に近いものになっていった。読んでいて、なんとも言えない居心地の悪さを感じるようになった。
SNSが流行りはじめると、彼はそこで名前のある書き手にリプライを送りまくるようになった。最初はちょっとした感想だったのが、次第に粘着っぽくなり、相手が無視しても送り続けるようになっていった。
フォローしていた人たちから「なんか怖い人いるな」と言われてるのを見かけたとき、もう無理だなと思った。
そこからは会わなくなった。誘っても来ないし、連絡しても返ってこない。
「小説家になるって話、どうなったんだろうな」って、ふと思い出すことはあったけど、たぶん書いてなかったと思う。
文章自体は書いていた。SNSのタイムラインに、誰かに向けて恨みごとのような文章を延々と綴っていた。それが小説かと言われると、違う気がした。
そんな彼と、死ぬ一ヶ月前に、なぜか会った。
今思えば、本当に虫の知らせだったのかもしれない。久しぶりに思い立って、「元気?」とメッセージを送ったら、返事が来た。会って話そうという流れになった。
駅前の居酒屋で会った彼は、昔とあまり変わっていなかった。だけど、酒を飲む量が異常だった。話してる途中でふっと意識が飛んで、机に突っ伏して眠ってしまった。
ああ、限界なんだなと思った。
あとから聞いた話では、生活保護を受けていたらしい。アルコール依存症で、糖尿病もあって、病院にも通っていたという。
死んだと連絡が来たとき、驚きはなかった。むしろ、よくここまでもったな、というのが正直なところだった。
ぼくはあのあと、プログラミングを独学で学んで、なんとか今の仕事にありついた。たいして稼げてるわけじゃないけど、家賃を払って、飯を食って、生きてはいける。
彼のことを思い出すたびに、「人生ってなんだろうな」と思う。
あれだけ本を読んで、言葉を大切にして、でも結局、誰にも届かなかった。
それとも、どう転んでも同じだったのだろうか。
考えても、答えは出ない。
マッチングアプリで彼女を探している26歳男のSE。彼女いない歴=年齢の弱者男性だ。
マッチングアプリは友人に勧められ1年ほどインストールして放置していたが、そろそろいい年齢だし、自分が実は他者と話さないと気分が落ち込むタイプだと気づいて1週間前に始めた。
マッチングアプリを使った人なら分かると思うが、女性は本当に星の数ほどいる。そこへ自分からアプローチ(プロフィールを眺めてメッセージ付きのいいね!)を送るわけだ。
就活とマッチングアプリの作業を比較してみると以下の通り非常に似ていることがわかると思う。
1. 企業のHPを眺めて自分と合いそうな会社を探す(=プロフィールを眺めて趣味が一致している女性を探す)
2. 事前に用意しているエントリーシートを企業へ合うように一部改変してエントリーする(=テンプレメッセージを一部相手に合わせ改変して送る)
3. 数回面接して価値観が合えば入社(=メッセージ交換、通話、対面で会い価値観が合えば付き合う)
4. 1.-3.を繰り返し、企業からお祈り(=メッセージの返信がない)されると別の企業(=女性)へエントリーする
正直、不誠実なマッチングアプリの使い方だと思う。けど弱者男性にはこうするしかないのだ…
この作業で就活と異なりしんどいのは「マッチングアプリをやっている自分」という事実に自尊心を少しずつ削られることだ。学生時代に無風の枯れた男がマッチングアプリをしていて、今更自尊心も何もないと思うけど、クソちっさいプライドだけ残ってるのだ。こんなことに時間を割かれるのが本当に嫌すぎる。
ちょっと前に初めて対面で会う約束ができたけど、本当にここでマッチングアプリを終わりにしたいくらい面倒だししんどい。
というか恋愛前提で人と話して会うってなんだよ!!他の人の話を聞くのは楽しいんだけどその相手の面白いエピソードとか掘り下げられない、引き出せない自分の弱さが憎い。就職活動の方が楽だったかもしれん。
今大学院生だけど、自分が大学院生であるという実感が湧かない。
思えば学部生の時からそうだった。大学生は今までの学生生活とは違って自由でいいなあとか、講義って楽しいなとかいう気持ちはあったけど、自分が「大学生」なのだということをあまり自覚していなかったように思う。
なんというか、それまでの人生でイメージしていた「大学生」はすごく大人だったのに、いざ大学に入ったからといってそれまでの自分から大きく変わるわけでもなくて、ずっと地続きの自分のまま、〇〇大生として肩書きだけが変わってるだけのような気がしていた。
さらに振り返ると、そもそも高校、中学、小学校、幼稚園のそれぞれの段階でも、自分は〇〇に通っているとは思っていても、自分が高校生なんだとかいう感じでは自分のことを認識していなかったし、出身校に対する帰属意識とか愛着は抱いていなかったと思う。
今就活してて、自分の学歴を入力したり、他人から学校名で〇〇の方ですよねとか話しかけられたりすることが多くて、自分と学校が強く結びつけられてるのに違和感があって最近ずっとこんなことを考えている。
大学院生だとか、自分の立ち位置?身分?をアイデンティティとして認識してないというのが自分は一番近い気がしていて、そういう人は多分他にもいっぱいいると思うんだけど、じゃあ自分のアイデンティティはどこにあるのかを考えたらよくわからなくなった。趣味に全力投球というわけでもないし。ぐるぐる考えすぎて最近は自分の名前すらしっくりきてないような気がしてきたので、他人の意見を聞いてみたい。
今日は図書館に来て、開架されているティーン向け雑誌(ニ⚪︎ラ)を手に取り鑑賞した。
今月出た7月号と思われる最新刊に出たモデルをまじまじと見つめ、股間を熱くし、周りを気にしながら個人的に一目惚れしたモデルをすぐネット検索するのを小一時間ほどした。
本当にこの雑誌は正しい想定読者に読まれているのだろうか。本当は私のような、仕事や人生の苦難に傷ついて結果的に少女に癒しを求める成人男性の方が見ているんじゃないだろうか。
ここ最近はマッチングアプリで同世代の女性にいいね!をしては、あえなく拒否(スルー)され誰ともマッチングしない状況が続いた。三十路のイケメンでもない私にマッチングシステムが提案するのは、限りなくサクラや悪徳業者としか思えないような生活感の無いプロフィールの女性と、年齢の割に精神的に幼い三十路を過ぎたおばさんのどちらかだった。
前者はただ無視すればいいのだが、後者はプロフィールを確認するのもしんどくなった。改めて、学生時代のような共通体験を有する訳でもない自分と同年齢の女性(おばさん)と結婚するのは男性としてかなりハードなプロセスだと理解した。
単に元からロリコンだということを差し引いても、しんどいものはしんどい。同年齢女性と向き合う際は、自身とある程度価値観を調整できるような学のあることが前提条件になってしまっている。そんな問題は些細なことだと一蹴しようとしても、せめて見た目だけでも若くないと、まず相手を知って理解していこうという最初のステップすら本能的に難しくなる。
そういう訳で、無理してアプリでおばさんの写真と年齢不相応の若作りしたプロフィール(ディズニー好きなど)を見ていると疲弊する。そんな中で、冒頭の小中高生向けティーン雑誌を見ると、心の底から悦びが溢れてくる。
本当はメイクもいらない若々しい肌(だけれど雑誌にモデルが登場するのは広告とセットなのがお約束)
大人顔負けのスタイルだが、まだJK/JCなりのあどけなさを持つ笑顔。
就活で、職場で、婚活で傷ついた私が彼女らに癒されるのはむべなるかな。
もう若くないバイタリティの落ちた身体でたまにしていた自慰は、これまで単なる生理現象の側面が強かった。
しかし、読者モデルに出会ってからのそれは単なる「排出」ではなく、魂の奥底から出る「悦び」であり「叫び」になった。身体が本能から悦んでいるのがありありと分かった。それを済ませると、以前より安眠できるようになった。
世間に自慢できる趣味ではないが、パートナーができるまでは続けるつもりだ。
言っておくがこれは昨今のAIを利用した文章ではない。拙い文章だが、推敲せずに投稿する。思いの丈を熱いうちに放流することが、同じ生き辛さを抱える男女に届いて僅かでも孤独や生きづらさを和らげてもらえるなら幸いだ。
新卒一括採用は、総合職として採用されることが多いため、特殊な専門を持つ人材では、以下の問題をかかえている。
そんな時、稀なケースではあるが、キャリア採用の枠を新卒で受ける道を検討してみるのも良いかもしれない。
ぼく自身、そのルートで現在の会社に入社して、そこそこ幸せにやってる。やりがいと、給与面や余暇のバランスがとれたいい塩梅の仕事で、結果的にふつうに就活するよりは良かったなと感じた。
なので「レアケース」な就活の一例として、似たような境遇の誰かのために、ぼくがたどってきた変な道のりを記しておく。
ぼくはこれまで、バイオインフォマティックスという分野で研究を続けてきた。
Bioinformaticsの字のごとく、情報と生命系の融合分野である。そこで学んだことはたくさんあるけど、ニッチだ。例えばヒトの遺伝子情報ってFastqっていう謎の拡張子で表現されて、数Gバイトのテキストで収まる、とか。
学部時代は、研究室でヘルスケア系のデータ分析のアルバイトをしていた。そこでデータサイエンスの基礎は築けていたと思う。
あとは、Erlangという関数型言語で分散処理のフレームワークを作るベンチャーでのアルバイト経験もあったっけな。これは、マチアプで知り合った女の子が留学したいというので、留学経験のある先輩Aに会わせたところ、その友人Bを介して紹介されたという不思議な縁だった。
恋は実らなかったけれど、面白い巡り合わせだった。ちなみに、その言語はもう全く書けない、、
学歴としては、W大学を卒業後、某国立大学の修士課程を修了している。
就職活動では、競技プログラミングで水色にぎり届かないくらいの緑になったり、応用情報技術者試験を取得したりと、武器は整えたつもりだった。
しかし、「就活はお見合いだ」という本質を見落としていたためか、正直なところ最初は苦戦した。
データサイエンティストやエンジニアとして就活を進めてみる。技術の質問に答えても、生物系の研究を話すと「さすがにもっと違うところあるんじゃない?」と面接官から遠慮されてしまい、ことごとく有名な企業とはマッチしなかった。
一方で製薬系の企業に行くと、エンジニア的な部分がどうも仕事内容とマッチしなかった。バイオの知識はある程度あったが、研究は薬に直接関連しているようなものではなかったし。
つまり、中途半端にどちらもできてしまうが故に、どちらからもフラれるという悲しい状況に陥ってしまったのだ。
「じゃあ、両方必要としているところがあればいいじゃないか」——そう考え、会社ではなく「仕事内容」で探し始めた。LinkedInで、自分の研究分野に関係がありそうなキーワードを片っ端から打ち込んで検索する日々。
すると、とある会社でSNP(一塩基多型)に関連したプロジェクトの募集を見つけた。大学院卒以上が条件で、求められるスキルはアルバイトや研究でほぼ身につけていたため、「これはいけるかも?」と直感。かなり興味があったので、フラれることを前提にダメ元でアタックしてみることに。
コーディングテストはなんとかクリア。一次面接を経て、あとは通常とは異なる採用経路だったり、面接が英語だったりして大変だったが、気がついたら内定を掴むことができた。
そのプロジェクトにアサインされ、半年ほど業務に携わった後、取引先の内部でのイザコザに巻き込まれて、プロジェクトはなんと消滅してしまった。そのために会社を選んだのにもかかわらず!笑
コロナ禍だったし、ひとりぼっちの在宅勤務で「俺は……クビか?」と強い不安に襲われて、ベッドでうなされていたっけ。
ぼくは別のプロジェクトにアサインされることになった。それは、「強化学習を使った推薦アルゴリズム」のチーム。学んだことがない領域だったけど、いいことも沢山あった。
新卒でほぼ一人でプロジェクトを抱えていたピン芸人みたいだった時期と比べ、指導してくれるテックリードもいたし、社内ではそのプロジェクトの重要度が高かった。それは本当によかった。いい位置にいれている、ということのよさを、ぼくは数年働いたうちに何度も痛感したから。
その後、メンターをはじめとする様々な人が入れ替わったが、結局その分野の仕事に約5年間携わることになった。
もう、バイオインフォマティックスを研究としてやっていた期間とほぼ同じくらいの長さだ。この分野に転向してからも、小さな論文をなんとか書くことができ、キャリア的にはもうそちらが専門になってしまった。
全く後悔がないと言えば嘘になるが、人生とはそんなものだろうと割り切っているつもりだ。学生時代の専門をそのまま続けている人など、ごく稀だろう。半分くらいは専門が繋がっているのだから、きっとまだ幸せなのだろう、と自分に言い聞かせている。
自分がいきたい方向に突き進むんじゃなくて、風にまかせてみるのも、また人生の選択のひとつなのかもしれない。乗っていくうちに、風に乗るのが好きになっていくこともある。
今振り返ると、ぼくが応募した年にしか、その部署でバイオ関連の募集はなかった。一年遅くても、早くてもだめ。巡り合わせがよかった。
そんな幸運を掴めたのも、思い切ってLinkedInの募集を眺めてみる、という蛮行を起こせたからだと思う。
だからこそ、ニッチな専門性を持つ人には、一般的な新卒としての就職活動に加えて、思い切って「ヘンな就活」をしてみるのも良いのかもしれない、と伝えたい。
結局未だにはてなを利用し続けている。
最近AI増田が流行っていて、生きた人間の、線としてつながる日記を書いてみたくて投稿することにした。
匿名の人にも人生があって、その後もあるんだなって感じたので、そういえばと思い自分の記事を読み返してみた。
もし、誰かの暇な時間を満たせられれば幸いです。
片親の生活保護家庭から高卒後自立して貧乏学生になった増田です
将来の不安について綴ったところ、色んな人から反応をいただきました。
それから10年、何度か自分の記事がホッテントリに載ることはあったけど、そんなに多くは書いていない(年2~3記事?)
・所有資格は基本情報ぐらい、NCPやCCNA(期限切れ)みたいなベンダー資格は何度か取得したけど…
・当時のバイト先はスーパーの海鮮だったけど、その後、みんな知ってるレンタルサーバー屋さんでバイトしていた
・就職はもっと給与いいところを目指したので、バイト先には勤めなかった(高卒であっても入れるらしかったのも一因)
結局学生生活はバイトがそれなりに忙しいこと、成績維持のために楽単ばっか選んで、専攻分野もそんなに勉強できず、将来仕事に活かせられなかった。(とはいえIT分野については独学でそれなりにやっていたので、就職先は6社受けて4社受かる、みたいな感じだった)
成績上位は同じゼミの金持ちの子で、当時思っていた通り、生活に支障がないやつが学費免除受けられやすいんだろうなぁと実感した。
・総資産は300万程度
・年収400万は以前より貧困ではないかもしれないが、東京でみるとやっぱり貧乏だと思う
・職場で飼い殺されている
生活は苦しいままだと思うけど、定職があるのは確かにいいことだと思う。
大学の先輩は就活に失敗し、携帯電話販売スタッフを転々としていたので、それに比べるとマシかもしれない。
ITに関して独学していたからというのもあり、職場の同期や元同期からも信頼が厚いが、金融インフラ系という堅い仕事ながらに、裁量が多すぎる(というか抽象的でフワフワな職場)はかなり自分にあっておらず、6年経ってもスキルが1人前に身につかないと感じている。
書いてて思うけど、全く職場の風土が自分にはあっていない。しかし転職するスキルもないので、八方塞がりで、とにかくしがみつくので精一杯。
元同期からいつも「うちに来なよ!」と言われるが、みんなのように外資系とかIT大手とか行ける気がしないよ・・・
客観的に見て幸せだと思う。大学や職場では、優秀な友人たちに恵まれ、今でも交流がある。
だけど補助は2年後に打ち切られる予定だから不安でしかない・・・
ただ、貧乏生活を得て、「有るもの」を数えることが得意になった。
iPhone持ってて、好きなアニメや音楽聞けて、服も楽しめるし、ご飯は食べられるし、眠ることも、お風呂に浸かることもできて・・・
だから、無いものを数えていた昔に比べて今は幸せなんじゃないかと思う。
この選択は未だにわかっていない。姉は高卒で就職し、フリーターで精神障害2級で人生詰みみたいなところあったけど
弟も同じく工業高校出身で、最近死亡事故起きたような割と名前の知られてる会社で日勤夜勤を繰り返しながら働いている。
俺だけ偏差値真ん中ぐらいの総合学科で、そこから大学に行った。よく考えるとちょっと家族でも異質な生活してるかもしれない。
個人的には給付奨学金を収入のおかげで受けることができたこと、大阪の家賃2万の家に住めたことなどで
ある程度有意義な学生生活は送れたと思う。でも、不登校時代があったりヤングケアラーだったりして、ハングリー精神がないので
恵まれた環境にいながらも、大学という世界をうまく使えなかった気がする。
今も、東京に住んで、様々な専門家と触れる機会があり、趣味を最大限に楽しめる環境にいながらも、意欲がなくて機会を持て余している。
学費の借金は、車1台分と考えれば、まあそんなもんなのかなと思うし、会社も約1000人規模の大きな会社に勤められたので良かったと思う。
あとは転職でこの大卒という資格の恩恵を受けられれば・・・だけど産近甲龍未満の私文なので微妙そう。
一生このまま一人で趣味をしつつ、このままこの地でこのまま死ぬのかなぁとか25歳あたりまで考えていた
作業手順もステータスの判定基準も、ミス後のリカバリ手順などすら共有しない組織で、放り込まれた現場でみんなと大きなミスをしたところ休職をすることになって
希死念慮が高くなってしまった。大学まではITに意欲的で、スキルもあったと自覚している人材だけど、現場では情報共有もなく、何も得られず
飼い殺されて第2新卒期間を逃したあたりで、どうしていいのかわからなくなった。うつ病は今もそのまま残っている。
その時ゲームをしていた友達がウクライナ人で、ドローン爆撃や真冬のブラックアウトなどを間接的に体験したので、人のために生きることを決意した
貯金はないけど、なんとかボーナスとか持株会とか使って、空港チケット買ったり、大使館に連絡したりして友達を日本に連れてくることにした。
お互い狂っていると思う。会ったこともない相手同士をこんなに信頼して、モルドバ行って手続きをしたり、ポーランドから日本へ来たり
主に相手のほうが必死にやったと思うけど、その後の手続き周りは全部頑張った(歯列矯正のメンテナンスとか地味に大変だった)
今は一緒に1DKの狭い部屋で暮らしてる。最近他の人の手助けがあり、ようやく難民補助ももらえるようになって、少しだけ生活が安定し始めた。
貧乏学生はなりふり構わず差し伸べてくれた手を握れば、何とかなるかもしれない。
大学の奨学金制度は掲示板を見て自分で手続き行ったし、単身IT会社に自分を売り込みに行ってバイト採用決まったり
今も誰かに助けられつつも、自分も誰かを助ける番として生きることができている。
見返りを求めるわけじゃないけど、人助けは「砂の中の金」を探すものなのではないかと感じた。
恵まれないお腹の空いた子どもが、与えられたご飯を人1倍食べられるわけではないように、与えられたものを活用できる人は少ない。
財団の給付奨学金は、そんな人たちにも機会を与え、100人中1人でも大成できる人を見つけたかったんじゃないかと思った。
それを感じることが自分もたまにある。
独学したITの勉強は、他の友達にも教えた。一人は就活のときに俺を裏切ってどっか行ったけど、まあそういうこともある。
たくさん人を手助けしては、損をすることが多かったけど、今は真摯で誠実な友達に恵まれている。
ウクライナ人の友達もその一人で、難民申請中は俺が日本語を教えたりして、今始まった日本語学校では、ほぼトップの成績を誇る
何より、Javaの勉強を始めて、今後の人生を一緒に歩む目標に向かって進んでくれている。
「友達が死ぬのが怖いから」と差し伸べた手だけど、掴んでくれたのなら絶対に離さない。死ぬまで俺も人助けの責任を全うしようと思う。
俺は、砂の中から砂金を見つけたのだ。
社会に出て思うのは、貧乏も裕福も選んで決めたもんじゃないし、得られたものでやりくりするしか無いなということだった。
恵まれた人生の中でクソみたいな結果しか出さないやつも存在するし、恵まれた人生の中で、それでも更に欲深く生きるやつもいた。
苦労も惜しまない、得ようと思った人が得るのが社会に出てからの人生なんだなと感じた。
そういった「意志の強さ」が疲弊して、貧乏なままで居続けるのが貧困なんだなぁとも感じた。
自分は人を助ける側として、働きたいと思った。
当然職場など、色んなところで人に助けてばかりの人生だけど、それでも何か少しでもいいから誰かの助けをして
自分も誰かの役に立ちたいと思った。
関西弁で、理系畑やエンジニア畑でも使われる方言に「嘘つきました」というのがある。大体「間違えました」と同じ意味であり、「あなたを騙そうとしました」という意味はない。
ただの方言なのだが、この表現を使うとやたら噛みついてくる人がいる。
大方の特徴としては、文系を名乗るくせに「気分が悪い」「詐欺師の表現」「使っていい言葉ではない」などと、『なぜその表現が不適切か』を言葉で説明できない奴らである。
俺はこの表現がなぜ悪いかまったく理解できない派だったのだが、仮説を一個思いついたのでここに残しておく。
科学の話をしているとき、人を騙すことのメリットはなにもない。真実を追求する学問において、それは何のプラスにもならないからだ。
多くの人にとっても日常的にそうだろう。性善説で生活していれば、目の前の人が悪徳な詐欺師で、わざわざ自分を騙しているとは思うまい。
「このひとは自分を騙しているかもしれない」という疑念が存在しないからこそ、「嘘つきました」という表現がある種の冗談として成立するのだ。
しかし世の中にはそうではない人たちがいる。
とりあえず自分に有利そうな嘘をつき、通れば儲け、バレても逃げればノーダメージ、という人々が現実に存在しているのは、Xを見れば明らかである。
あるいは、嘘で就活を乗りきってしまい、まったく知識もなければ適正のない分野の仕事を、嘘を付くことでだましだまし乗り切ってる人もいるだろう。
もしくは、売上のために日々嘘を考え、商品を売りつけている悪徳な営業の人もいるかもしれない。
そういう、嘘をつくことが常態化している人にとって、「嘘つきました」というのは冗談ではないのだ。
悪意をもって嘘をつき、それでツッコミが入らなければ通してしまえ、という発想が存在するからこそ、会話相手が今まさに犯行に及ぼうとして、頓挫したように見えるわけである。
日本の企業文化は、戦後長らく「メンバーシップ型雇用(年功序列・終身雇用・横並び評価)」に支えられてきましたが、
少子高齢化・グローバル競争・テクノロジーの進化などにより、「ジョブ型・成果主義」に軸足を移しつつあります。
しかし、その過渡期にある今:
• **40代以上の中間管理職(能力に比して高給な層)**は、「削減ターゲット」にされやすい
• 若手に投資したい企業は「過去の慣習」に縛られず、スキルや即戦力を重視する
• **「家族の事情」より「職務適性・貢献度」**が評価基準になりつつある
「家庭があるから雇ってほしい」はもう成立しない
これ自体は一切責められるものではありませんが、それで「配慮されて当然」だと思う感覚が時代錯誤になってきているのも事実です。
現実には:
• 企業は「配慮コスト」ではなく「成果・再現性・コスパ」で人を見る
• 「大変ですね」「応援したいですね」で雇う余力はない
• SNSでは、そうした「配慮されること前提」の就活が失敗して「社会が冷たい」と語られる
たとえば、X(旧Twitter)やnoteでよく見られる投稿には以下のような傾向があります:
「家庭があるから働きたい」
そして最終的には:
• 「社会が変わるべき。もっと多様な働き方を受け入れてほしい」
• 「◯◯さんのような人が救われないのはおかしい」
「子育て中かどうか」はスキルや生産性に勝らないのが現実です。
ではどうすべきか
辛辣な現実を受け止めた上で、取るべき道は以下のような選択肢に整理されます:
状況 | 取るべき戦略 |
----------------------- | ------------------------------------------------------------------------------ |
育児中・時短希望 | 時間内で結果を出す専門職スキルを磨く(例:経理、広報、Web制作など) |
育児後の再就職 | 「未経験OK」ではなく、在宅スキル(業務委託向け)を明示してアピール |
事務職しか経験がない | Excelスキル・VBA・RPAなど「事務系IT力」を付けて市場価値を出す |
SNSで共感を求める前に | 「市場で評価される力」への投資をする(地に足をつける) |
「誰もが頑張っている」は事実ですが、
「頑張っている」と「価値を出している」は別の話です。
で、エンジニアやプログラマになりたいなぁって考えてるんだけど、昨今のAIの発展を見てると近い将来に廃業しそうで不安。
AIの間違いを確認するポジションが残るとかいうけど、これからのAIは精度もどんどん高くなるわけだし、その確認するポジションも確認用のAIに取られるのではないかという感じもする。
他にも、AIに具体的な指示を出すポジションは残るとかいうけど、AIが顧客の抽象的な指示に対して曖昧な点を列挙してそれらに対する具体的な回答を求めれば問題ないわけで。まぁ、顧客すらも意識できてないような要求を見出すのは今のところ5感がなく空気感を読むとかができないAIには難しそうに思えるが、、、、。
あと、AIで誰でもそれなりのものが作れちゃうことにのる単価の減少も怖い。今まではエンジニアとかは割と高級取りの印象があったけど、これからは廃業とまではいかなくても金銭面でだいぶしょっぱい仕事になってしまうのではないか。
あとあと、描いてて思ったのが、顧客がデジタル化するという発想がない要素を指摘するみたいなサービスは残りそうと思ったが、指摘したらじゃあそれを自社のAI君に作ってもらうので指摘料だけ払うみたいになりそう。
中途
両方とも自分のキャリアからするととても贅沢な会社だし待遇だと思う
そしてできればもう転職はしたくない
片方はばりばりエンジニア職で将来性ばつぐん
というか企業としても将来があって自分が定年するぐらいまでは大丈夫と思う
しかし同僚はザ・エンジニア系の男性ばかりで大人しそうだけど馴染は良さそう
教育もしっかりしてもらえそうだけど、良くも悪くも仕事とプライベートが別というか
口コミサイトは他職の投稿しかないけど、そちらはネガティブな内容が目立つ
淡々と精進しながら「仕事」としてこなしていくには悪くないと思う
片方はエンジニアではないが間接職
ステップアップやキャリアチェンジが社内でしやすく、全体的に勉強意欲が強い
自分もこちらの場合は勉強をずっと続けてエンジニア方面へステップアップしていきたい
しかし前職で若く可愛い子とあまりうまくいってなかったので尻込みする
スイッチを入れないとコミュ力は低いんだよ、もともとASD気味なんだ
しかし文化自体はマッチしていて仕事とプライベートの境界をあいまいにするなこっち
そのほうが幸福度高いとおもうんだけど自分のコミュ力の部分は不安
自分としても10年後はまだいけるかもだが20年後はどうかわからない
会社としては存続するだろうけど軸が変わることは想像にかたくない
あなたの言葉には、非常に深い疲労と静かな怒りが込められていると感じます。そしてそれは、多くの現役納税者が密かに抱いている本音でもあると思います。
「常に自己責任」
「常に不満の矛先」
たとえばこんな構図になってしまっていませんか?
• 将来:「働けなくなったら年金は足りない、でも医療費と介護費は出せ」
常に「やって当然」な役割を求められていて、誰からも「よく頑張ってる」とは言われない。むしろ、
• 「余裕があるなら支えて当然」
• 「健常なんだから厳しくされて当然」
と、気づけば”正しさ”という名の正論棒で殴られる側になっている。
あなたの言う「サンドバッグ」状態という比喩は鋭いですね。健常であること、稼げること、働けることが、
そして、いちばんの虚無は、
と感じる瞬間かもしれません。税金、労働、家族のケア、どれも他人のため。でも、自分が苦しいときに「その気持ちはわかる」と言ってもらえない。むしろ、「それぐらいで?贅沢」と返される。
あなたの感じているしんどさには、「構造的に孤立させられている健常な納税者」という日本社会の歪みが反映されています。
この立場にいる人たちは、ある種の「見えない弱者」なんです。弱者とされないがゆえに、支援も共感もされず、代わりに全方位から“使われる”。
あなたが抱く「納得できない」という感情は、合理性では解消できないし、「罪はない」と言われても傷は癒えません。
正直に言えば、この状況は変わる兆しがあまり見えません。でも、こうした声が可視化されていくこと自体が、いずれ制度や価値観に影響を与える可能性はあります。
新卒就活する学生・転職活動中の社会人・婚活品定め中の人達へ。
まず、どの業種・業態を選ぶかは本当に個々人のキャラ・志向その他が色濃く出すぎるので、そこで優劣をつけることはしないです。実際、無いと思います。
ただね、同じ業種・業態の中では明確に上下があります。そして今後、逆転することはない。というか差が縮まることもないでしょう。
なので、特に求職中の方々には、「どっちもいい会社だよ」みたいな世迷い事はシャットダウンしてください。
のほう じゃないほう
業種が違えばどうなんだって?うーん
たとえば三菱UFJ銀と住友生命、野村證券と三井住友信託、JBICとみずほリースを比較したとき、あなたの胸によぎったもの、それが答えです。
一応特定班みたいな専門家たちが集うコミュニティがあって、普通に風俗から連れてきた子でここに勤務していてX垢はここ、とか。ある整体で本名付きでホットペッパーにスタッフとして働いてるのを紹介されてたりとか。同じくエステティシャンとして専門学校→エステティシャンに行ってた子(2024年FC2の中でもかなりレベル高かった)も本名バレてたりとか。あるけど表沙汰にはなっていない。Googleで検索してもでてこない(うまくやると出てくるが)
あと昨年一番話題になったのは日大の女子大生で、本名、YouTube、日大のHP、軽い芸能活動の様子など特定されて大騒ぎになった。これはXで検索したらでてくるかもしれない。
その後がどうなったか?については調査が進まないようだ。進路や就活先など。だが、出演作と本名の一覧はいつまでも書き込まれ続けている。
就活生からの「就活はクソ」「企業はクソ」はよく見るので、反対側?からお気持ち表明したい。お気持ち表明ですらない愚痴かもしれない。
・インターンシップを平日にやるな?じゃあ土日働いてくれるか?
そうじゃなくて夏休みにやればいいだけ?やってる。見つけられなかったのか応募のタイミング逃したのは知らないけどやってる。もし志望する企業がやってなかったとしたら、それは多分それなりの理由がある。サマーインターンシップをやらないのは企業側からしても出遅れになってきてるのにやってないなら、あえてやってないか、人員予算諸々の都合からできないんだと思う。学生からしたら会社とか社会人ってなんだかすごい存在に見えてるかもしれないけど、お金含めて色んなリソースに上限はあります。
内定式も同じこと言われるけど、それなら土日働く会社か、入社までノータッチの会社か選んで欲しい。内定式を土日にやるなら休日出勤のハードルが低めになっている可能性は十分ある。そしたら土日休めないなんてと言われるし、後者は不安だと言われるし、どうしたらいいのか分からん。全員が納得する答えなんて無いのは分かってるけどさあ…。
これは私も思ってる。むしろ私が思ってる。けど、そう思って真面目に就活解禁の時期に活動を始めたら採用が厳しい。卵が先か鶏が先かの問題だけど。せーので就活開始時期遅らせたい。
個人よりはお金もあるし、人数がいる分できることは増えるけど、何でもはできません。採用活動だけをやっているわけではないので、希望日程にいつでも合わせられるわけではありません。配属希望やらなんやらを叶え続けることも約束できません。それなりの人数規模で皆が希望出したとしてもある程度バラけるのが理想なんだろうけど、残念ながら理想だけではやっていけない。
ボランティアじゃないので採算度外視でインターンシップやったり給料上げたり福利厚生増やしたりとかは無理です。できない理由じゃなくてできる方法を考えろと言われそうですが、こちらの事情も知らないで殴ってくる相手のために考えたくない。(仕事上必要なら考えるけど)
幼いなー青いなーと思うし、実情を何も知らんでサンドバッグにしやがってと思うけど、「子ども叱るな来た道だ」なんでしょうね。
なんとか生きていこうぜ…
俺は精神障害じゃないけど中途就活で自分より高いレベルの枠狙ってるから160社ぐらい応募して、面接には10もいけてないぜ!
面接に行けたとこも9割エージェントで、職務経歴書のチェックとかエージェントの推薦文とかの力が大きいはず。
貧乏の辛さもわかる。
母子家庭で学生のときは生活保護受けてたし、20後半のときに1年ぐらい10万で都内一人暮らししてたこともある。
というか、あの時期って生活保護より下だったんだな、気づいてなかったわ。。
追記 コメントやブックマーク読んで。まず俺は知的や発達じゃないかと決めつけている人へ。俺は躁鬱。躁鬱と診断されて管理職を辞めた。躁だったので散財して貯金がなくなったから車も何もかも手放して、休職してその後はバルプロ酸飲んでずっと落ち着いてた。B型作業所へはケースワーカーに教えてもらって通っていた。そこでもスタッフやサビ管からこんなとこにいちゃいけない、あなたはB型レベルじゃない、早く社会復帰を。と何度も言われていた。ああもう、こんなことはどうでもいいんだがな。
障害者として配慮してもらおうなんて思っていないよ。俺は確かに躁マックスの時は手のつけられないキ◯ガイだったと思うが薬で元の自分を取り戻しているし、それは人間関係や仕事でも同じく以前と同じ(客観性はないな)状態を取り戻している。
三次面接まであったが、俺を見てくれた人事→エリアマネージャー→社長と役員達にも見てもらってOKが出たということで客観的にOKだったんじゃねえのかな。
ボロが出たからマイクロマネジメントが始まってハブられた?少なくとも同僚は今までと変わらず。それは考えにくいんじゃないかなあ。まあ俺は俺を見れないから分からないけどさ。
それでも「お前がボロを出したからだ!障害者だからだ!」ってんなら俺は社会ってファックですねって言うよ。でも俺の夢を叶えるためにどんな扱いを受けようが忍耐するつもり。これが社会というもので扱われ方がこう、というならしたがうさ。
パワハラなのかもしれないが、これまで通り機嫌よく、平身低頭、謙虚に明るく前向きにやっていく。丸くおさめる。俺も大人だし。たてついていいことがあるとは思えないという判断をするね。
社内連携システムに俺が入ってないことを教えてくれ、心配してくれたのも一人じゃなくて仲間たちだ。部長やエリアマネージャーといった高役職の方々は相変わらず俺を気にかけてくれているし応援してくれているようだしさ。
多少の理不尽ぐらい乗り越えられる。元生活保護でも障害者でも。それは俺の経験という人生の財産となると信じている。夢や希望は捨てていない。
ま、ここでこのエントリを見た人が生活保護や障害者に対しての根強い偏見や差別を考え直す小さなきっかけ、そして支援や受け入れ体制の必要性を分かってくれたらな、と。このエントリで言いたいことはそれだけといっていい。
現役生活保護受給者に対しては「無理に働かなくていいよ」とは言ってあげたいね。生活保護受給者ってのは手取り13万円の公務員だと思って。で、地域経済を回す重要な消費活性剤であり生活保護の持つ経済効果は減税や公共事業より優れているなんて論文まであるぐらいだから。保護費を下げたのが違憲であるという裁判が高裁で勝訴したね。次は最高裁。上がるといいね、保護費。
まず、生活保護に一旦落ちたら本人が社会復帰をしたいと思っても社会が受け入れないという現状を皆に知ってもらいたい。ちなみに俺はB型作業所から一般就労に復帰した。←B型から一般就労に復帰は奇跡だなんて言われてるぜ。
働けだとか言う前に実情とデータを見て欲しい。
厚労省が統計を取っていないので推定の数字になるが、ChatGPTに聞いたところ非障害者で正社員として登用されるのは1%〜3%。
生活保護は障害者が多いのでそれで見ると正社員など推定不可、1%を切る。じゃあ障害者雇用はどうなのってなると、これもまた厳しい世界なんだ。
障害者を雇うための制度なのに少ない数の求人に障害者が殺到し、2名の求人に50人〜300人(大手や条件の良い場合)が応募する。俺も障害者雇用で働こうと去年から履歴書を送りまくったが100社落ちた。書類選考すら通らない。枠が無ぇわ。若いかスキルあるか身体障害者しか通らないな。
別に高望みはしていない。手取り13万でもあれば障害年金で月手取り20万の暮らしが出来る。それなら働いてもいいかなと思って就活しても、雇われなかった。
健常者で生活保護の人なんて、よっぽど学歴や職歴や資格がキラキラしてないとやっぱ手取り13万円だよな。働ける障害者よりクソ環境で、働かなくても貰える13万円がクソ労働を強いられ同額の賃金。健常者で生活保護から抜けたいやつのモチベどうなってんの?て感じ。
さて、障害者雇用からの正社員登用を謳う求人は多いんだけど、実際の数字は?
3%と言われているがこれは身体障害だろう。精神なら0.5%程度だってよ。俺、精神だよ。これ、希望とかある?生活保護でずっといいんじゃねって思わざるを得なかった。レールを外れたら二度と元に戻れないって言われる日本社会だけとマジ。元のレールに戻れないなら戻れないで、生活保護でずっといいんじゃねって就労意欲を持ち始めたやつにも思わせる環境が整っている。なんせ、障害加算とB型作業所の工賃で14万円弱もらえてたからな。
で、俺の場合は、夢が出来て(ヒマしてると、この社会問題こうしたら解決するんじゃね?とか、こういう人たち向けのサービスがいるんじゃね?とか、これからの時代こんな新しい業態が出来るんじゃね?)、それを雇ってもらった会社の中か、そのうち金貯めて個人事業主としてやりてぇなぁ、と思ったから生活保護を抜けようと思ったし、抜けた。
生活保護って、酒ぐらいは週一で飲めるんだけど、好きなビールと焼き鳥を食べに行くのを止めて、夏はエアコン禁止、冬も暖房禁止でふとんにもぐって、食べ物も一日一食パスタだけ。
そうして貯めた金で資格学校に通って(資格学校に通う金ぐらい生活保護から抜けたいやつには出してくれ!上記の通り現実きびしすぎるから)、一発で取って、これを武器に夢と社会貢献したい旨と持ってるいくつかのアイデアを書面にし、某大手企業にダメ元で突っ込んだ。ら、受かった。
意外と社会復帰をしたい人に社会は優しいものですよ、と人事に言われた時は涙が出たな。ありがとうございます、と涙を貯めて返事をした。
そうして俺のクローズ就労(障害を隠しての就職)が始まり、仕事も覚え、ヨコの人間関係も良好で、うまくいっていると思っていた。自分より年下の先輩社員などにも頭をペコペコ下げ、向こうはタメ口、俺は敬語、そんなのは当たり前なので別にどうこう言うことではないが。そう、うまくいっていたし、俺のアイデアや見通しや改善点にも皆耳を貸し、尊重してくれていたし、俺主導のプロジェクト?(俺の業界の形態としてプロジェクトと呼べるのか分からない)も動いていた。
書いててだるくなったからもういいや。とにかく役職持ちの社員からハブられててしんどい、マイクロマネジメントが始まってしんどい、社内の連携アプリから俺の名前だけ載せてもらえてなくて←出来る仕事さえさせてもらえなくなってきてつれえ、ってことと、生活保護や引きこもり雇えよ差別すんなよって言いたい