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はてなキーワード: 山月記とは

2024-11-26

リアルの知り合いや友人に対しては絶対にやらないのだが、こと好きな作家については好きな子に意地悪するようについつい悪口を言ってしまう。悪口というか、作家自身作品のものの特徴を面白おかしく書いたり話したりしてしまう。たとえばドストエフスキーなんかだと、「ギャンブル狂いの作家が、クソデカ感情を抱えて人の話を聞かないヤバい奴の話を書いている」と描写してしまうし、三島由紀夫だと「マッチョを目指しながらも繊細な感受性を備えた作家が、もしもこうだったらという想定を観念的に構成してそれを人工的で息苦しい文体表現する」なんて言ってしまうし、グレッグ・イーガンだと「理系文系よりも一段階上場所にいると隠さない、人間の肉体や精神に手を入れまくる究極の理詰めなワールドビルダー」だとプレゼンちゃう

よした方がいいとわかっているのだが、物事をざっくりと要約して伝えるのが癖になっており、そこで妙なウケを狙ってしまう。愛情ゆえに作品批判すれすれまで行き、時々それを増田投稿しては怒られたりしている。「夏目漱石長編は人付き合いと金の話だ」となんてうそぶいたりするが、そういう作家は他にもいるだろう(ちなみに漱石はそれ以外の小品が好き)。

それでもどういうわけか、中島敦だけはいじる気にならないので、自分の中では彼をどこか神聖視しているのだろう。全集を読んだ数少ない作家だし、残りの人生を一人の小説家だけ読むことを許すと言われれば、選ぶのは彼だ。

とはいえ他人が「山月記」をいじってもパロっても別に腹は立たない。不思議ものだ。

2024-11-06

もうトランプ優勝じゃねーかよ!😟

虎にちなんでタイガース優勝セールやろうぜ!

あと、山月記の虎もトランプにしよう!

2024-09-28

anond:20240928212753

宇宙が始まる前が明らかになった時か、宇宙が終わった後に分かるのかもね

少なくとも自分たちが生きている間に明らかになることはないだろう

山月記じゃないけどさ

2024-09-19

慣用句かいう「お前、シェイクスピアぐらいは読んだことあるだろ?」みたいな前提に基づいた表現はどうかと思う

ぼっち・ざ・ろっく!というアニメがある。

俺はこれを娘と見ていたのだが、娘が「猫背のまま虎になりたい?どういうこと?」と聞いてきた。

いきなり娘に山月記の話を始める自意識歪めママにはなりたくなかったので「虎みたいに強くなりたいってことだよ」と説明した。

ああ、なんてことだ、本来意味の3割ぐらいしか伝わっていない。

猫背のままで?」と娘は返してくれなかったので、ただ「強くなりたい」という歌だと思ってしまたかも知れない。

でもそこで掘り進めるのは感想押し付け狭量ママみたいだから辞めた。

ぼっちちゃんが強くなりたいのは事実だ。

でもそれは弱いままの自分に対して否定と肯定を織り交ぜた強さだ。

李徴のように自意識過剰な自分存在に対して「心が弱いままでも、物理的には強くなれるなら、そんな不健康な強さを自分ロックとして貫きたい」と宣言している、はずだ。

ギターヒーローとしての強さと、後藤一人としての弱さ、その二つを合わせた自分を「ぼっち・ざ・ろっく」として肯定してくれたことで、走り出した思いを載せた歌詞、のはずだ。

から「虎」意味しているのは「強くなりたい」では不正解なのだ

「弱い自分を抱えたままで、強くなりたい」なのだ

猫背のままで」と合わせて2回分の弱さと1回分の強さで、2:1で弱いに偏ったままの歪な強さ、それしか出来ないならそれを目指すという決意なのだ

たとえば世の中によくあるのは「健全精神健全な肉体の両立。つまり強くなることで両方手に入れる!」という完全に前のめりな精神、最終的に0:1で強さが圧勝する強さ、それを目指すことが肯定されがちだ。

そんな世界に押しつぶされ、自分を偽りながら手に入れた見た目だけは0:1だけど実際には1:1の強さなギターヒーロー、そして結局残った1:0で切り捨てた弱さばかりの自分の心、それらを混ぜ合わせて生まれる2:1の弱さ多めの強さ。

ぼっちちゃんロックを」と背中を押されたことで、弱さ成分多めなままの自分を光の下に曝け出すことを選らんだから手にした1:0じゃない自分、それが「猫背のままで虎になりたい」なんだって、俺は思ってるから

でもこんなこといきなり言われても相手は困るだろうな。

まずは山月記を読まないと始まらない。

一生始まらないんだ。

なんてことだ。

生山月記を読まなかったら、一生分からないんだ。

慣用表現って確かに便利ではあるんだけど、こういうどうしようもない不親切さを抱えてるよなあ。

2024-09-06

山月記は最高のなろう小説になる可能性がある

ラストは李徴が大勢の虎を率いて人間の村や街を襲い、虎頭の王として君臨する

転スラとかオーバーロードみたいな感じ

2024-09-04

山月記と残尿感の違いがわからないことないなんて言わないよ絶対

2024-09-01

お前らは「山月記」の李徴ではない

 

物質的にすら満たされない「何ものでもない」不安とないまぜになったお前らのシニカルごっことは次元が違う。

勘違いしないでおこう。

俺は李徴だ!うおおお!じゃねんだよ。

臆病な自尊心尊大羞恥心!まさに俺のことを書いてくれてる!気持ちいいいい!

じゃねえんだよ。

身につまされろよ。

そういう精神性がほぼ否定される文脈で書かれてるんだよ。ロクなことにならねえぞと言ってくれてるんだよ。

お前らの場合自尊心羞恥心尊大なんだよ。臆病であることを誇り羞恥心尊大に見せびらかしてるんだよ。李徴と逆だ。

お前らみたいなのはいつでも虎視眈々と自分の傷口に塩を塗り付けてそれを人に見せびらかす機会を狙ってる。

要するに自傷癖とオナニーの合体した感傷マゾだろ。

山月記にかこつけてそれをやるな。

本当に自分が李徴だと言うのなら自分にとっての袁傪を大事しろ、今からでも。

最近山月記を読んだ感想を公開していた某氏のことではない。その人の反応は上で書いた内容には当てはまらない。それにかこつけて山月記うおお!しているあなたたちに言っている。

夏休みの宿題山月記のつづきを書きなさい」

山月記Ⅱ―逆襲の李徴

李徴は人虎の王となり、中国大陸じゅうの虎を従えるようになった

彼らは人々の村や街を襲い、人々が恐れる存在となっていた

その噂を聞き、李徴の元に赴いた袁傪だったが、李徴は、おまえなど知らぬ、とマジで記憶を失っていた

しかし、袁傪と李徴が会話を繰り返すうちに、一瞬過去記憶がよみがえる李徴、

「俺に!この俺に人としての記憶が残っているうちに!俺を殺せ!袁傪!」

というありがちな展開を迎えるも、懐に飛び込んだ袁傪は再び人としての記憶を失った李徴に逆に殺されてしま

虎たちの勢力拡大の勢いは衰えを知らず、中国大陸どころかシルクロードを伝って西方まで、虎の勢力圏は拡大する一方であった

人間たちは従属の証として、女豹の顔をしたようじょを李徴に献上した

ロリペドであった李徴はたいそうお喜びになったが、そのようじょこそが人間が女豹のマスクを被った刺客であった

ようじょが防犯ブザーを鳴らすと、李徴はたちまち力を失い、バターとなって溶けてしまった

享年49才、高齢童貞弱者男性の早すぎる死に、民は涙を流すこともなく、平穏な世の中が戻ったのであった

2024-08-31

山月記の李徴って最後MAXに加入したんだっけ?

教養はできるだけ手短にランク判断する情報

教養に何の意味があるか分からないと言ってるのを見かけたが教養はその人の育ちを手短に判断するための情報だぞ。

欧米ではシェイクスピアが分かるか分からいかで育ちや知的レベルが分かってしまうので、日本人はその辺りの暗黙の教養がない状態留学して苦労した人がいたりする。

日本でも春はあけぼのだとか山月記だとか吾輩は猫であるとか走れメロスだとか国民が広く共有している教養としての文化があるわけだ。

先に述べた春はあけぼのレベルだと小学校中学校教科書で学ぶから日本義務教育程度は受けていると分かる。

もうちょっとレベルが上がると戦国武将歴史に関わる教養になってきて、それが分かるとある程度ちゃん勉強してるなというのが分かる。

格言を使えば何を言いたいかショートカットして伝えられたりする。

ネットスラングで例えるとggrksショートカットされてて何を伝えたいか詰まってる。

ggrksが分からない相手だと、こいつはネットリテラシーが低いからこいつとこの話題に付き合ってもしょうがないとか判断ができたりする。

教養というのは当たり前に我々の文化に浸透して根付いているものなのでその有益性や活用について自覚してない人が多いかもしれないが、昔は非常に重要だった。

教養有益性を感じにくくなったのは日本教育レベルがある程度高くなり普遍的になったため、育ちや知的レベルを手短に判断するのに活用しにくくなっただけだ。

現代ではもうちょっと違うもの教養判断に使われていくだろう。

ビジネス用語だとアジェンダとかアサインとかイニシアチブとかエスカとかある。

相手が分からないと、ビジネス用語必要な界隈にいないのだなと判断できる。(逆に自分ビジネス用語を使う界隈にいるなどの余分な情報相手に与えるケースもある)

教養が指すのが何かは文脈によって時々変わりあまりにも広い範囲単語として使われているケースもあるが、本質としては相手ランクを手短に判断したり、お互いのランク一定水準以上だと確認し合うために使われたり、そういう用途になっていると考えて良い。

2024-07-23

山月記ちびくろサンボってその話何回擦ってるんですか?ってレベルの古臭いネタだけどネットの老人は好きだよね

2024-07-20

山月記の李徴に足りないのは覚悟であって、正解は中途半端な人虎ではなく、徹底して虎になることなんだと思った

なんか、山月記感想で多いのは、偉い悪人に頭を下げる公務員職が嫌だからって安易に辞するべきではない、みたいなのが多すぎるんだけど、

でも、公務員やってて、俺は汚職に関わるぐらいなら仕事辞めるから、みたいな人は、そもそもその仕事向いてないわけでしょ?

どんな仕事でも表に出せない裏側があるのは分かるけど、それを飲むのも仕事の適正なわけで、李徴はまあ潔癖だったんだろうけど、向いてないことには変わりないよね

ビッグモーター社員だったとして、街路樹の切断を担当させられても、それをそつなく実行できる人がビッグモーター社員に向いてるんであって、

俺、法に背くぐらいなら仕事辞めるわ、という人は仕事無理に続けてもつらいだけでしょ

でも、そんな社会に嫌気がして、詩で生きると決めた割に、人虎という中途半端な姿になってしまうということは、まだ虎になりきれていないということ

もう元の公務員に戻ることはできないのだから、残る道はただひとつで、それは徹底して人を捨てて、虎になるということだと思う

仕事を捨て、世間体を捨て、家族を捨て、世を捨て、詩だけに狂う、狂人になれということだと思う

逆に言うならば、究極の詩を作るためには、詩を作るマシーンというか、人生全てを詩に捧げる狂人になるしかないということだと思う

悲しいかな、これがなろう系とかであれば、人虎になった李徴は悪い役人をやっつけて、地方領主にまつりあげられたり、

そのうえ詩人として成功したり、モテたり、異世界ハーレムだったりするのだろうけど、

現実はそんなことはなく、昼夜を問わず詩を作ることだけに人生を費やし、人知れない場所死ぬのだろう

まり、これは私のことである…😟

2024-05-14

こどおじ引きこもりワイとしては『山月記』より『それから』の方が得るものが多かったやで

2024-05-12

anond:20240512184626

ブルースカイミスキーに移行や分散したとしても、そこで存在感出せないと伸びないってのは変わらないからXのせいじゃなくね?

壁打ちだけで伸びる天才の域ではないとの自覚がありながら、営業創作としては邪道でやりたくない。

己の内なる創作魂が抑えきれなくて絵を描いてしまうわけではなく、承認欲求と金のために創作している。

人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆んど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論もちろん、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云いわない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨みがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。

中島敦 山月記

https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html

anond:20210403145708

消費期限を過ぎた大袈裟構文を擦ることでしか自己表現できない独創性皆無のキョロ充三軍オタクしか使わない表現一覧

・そのうち癌にも効くようになる

きのこたけのこ戦争があーだこーだ全般

・今からでも入れる保険

山月記代表される義務教育レベル文学ネタ

・落ち着いて聞いてください

・「それはひょっとしてギャグで言ってるのか」の画像

・「オイオイオ死ぬわアイツ」の画像

ポプテピピック画像リプ全般

・拙者〇〇大好き侍

・〇〇高校校歌

ちびまる子ちゃんたまちゃんに物申させる

腕組みする大沢たかお

・叫ぶアシタカ

ドラえもんの「戦争なんてそんなもんだよ」の画像

2024-02-29

中学までの義務教育で教える事って、

社会人として最低限抑えておきたい教養を国が設定している物で、

言い方変えると「こんくらい知ってないと困るし恥ずかしいよ」っていう物だよね?

から例えばなんだろ・・・山月記ネタ漫画を誰だったかが書いてたけど、

あれは学校の授業で習うからネタになるんだと思ってるんだけど、どうなんだろ?

はてなぁの言う教養とは

山月記を読んでいるかどうかで決まる。

2024-02-28

anond:20240228200503

山月記は、どっかの国語教師ネットで書いてた、

中途半端に虎になるから駄目なんであって、なるなら徹底的に虎になれ、

という感想個人的には好きなんだよな

日本社会は一度脱線したら人生終わりなことが普通だけど、

だったら徹底的に逸脱して、線路からどんどん離れていけ、という考えは、結果として野垂れ死んでも正しいと思ってるし、

自分はそうやって生きてきてしまった感があるので、今となっては私も立派な獣人族の人虎ですよ

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