はてなキーワード: 電柱とは
むりやりに大絶賛してみる!
まず制作陣がガチで天才だから、この物語への主な批判ポイントが、そのまますべてSF設計の土台なんだよね。
たとえば、キャラの葛藤がないとか、ご都合主義のAIっぽさとか、リアリティがないとか、散々な言われようだけれど。
それって『超かぐや姫』の核心なんだよね。
なぜかって……本作は、『神に喧嘩を売ってでも人間を作りたい』ってのがメインテーマだから。
超簡単に表現すると、人間らしさが消えちゃった彩葉と、ほんとうは人間じゃないかぐやが、「パンケーキを食べておいしい!」と感じたい話。
これこそが『超かぐや姫』の始まりであり、終わりに至るまですべて。
その為には、超早送りでびゅーんっと駆け抜けて、配信界の頂点にたどり着いて、「資本主義バンザイ!」でドパガキから集金しまくって、神の領域に挑戦しなきゃならない。
まるで全部乗せのパンケーキ、すべて持った超人のエネルギーで。
言うなれば、『令和のセカイ系はサイコパス』、うじうじと理屈を語るよりも、葛藤さえもハイスピードで終わらせて、きみとぼくの為――彩葉とかぐやの為だけに、神の理屈をねじ曲げにゆく。
(※セカイ系とは? 「きみ」と「ぼく」という、 ちっちゃな関係性が、 国家や社会をすっ飛ばして、世界のあり方に直結する話)
すなわち、新時代のセカイ系は、狂気で踏み込む決断主義、なにもかも舐め腐って、日本の古典――竹取物語をぶち破らなきゃならない。
天の羽衣を脱ぐ、綺麗事を捨てて、パンケーキの為だけに成り上がる話。
そこまでやらなきゃ、宇宙一の負けヒロインであるかぐやを、地獄の円環構造から救えない。
逆に言えば、それを実現させるまでは、まるで水と粉のパンケーキ、感情移入できないくらいぱっさぱさ――人間味がない、AIみたい、機械的なんですよ。
たとえば、主人公の酒寄彩葉17歳JKは、【楽しんでる場合やあらへん……いちばんやないとあかん】って母親に冷たく言われ続けたせいで、完璧主義のマシーンになっちゃったと。
つまり、学生なのに週5日のバイトで一人暮らし、東大を目指す受験勉強、プロゲーマーばりの腕前、こんだけ詰め込みすぎなのは、いわゆる『過剰適応』って奴。
いじめられっ子がなぜか笑うのと一緒で、『苦しさを100%抑圧』している。
まるで広末涼子の爆走185キロ、人間って一度狂うと止まらないんだよ。
さらに彩葉は、Vtuber月見ヤチヨの歌声に惚れ込んで、ガチガチに推し活もやっていると。
ここでも批判の声――「推し活が記号的、ただの舞台装置」みたいな意見があるけれど、これはSF的にも心理面でも必要不可欠なんですよ。
どういう事かって、彩葉は疲れすぎな日々に、お母さんからの罵倒が幻聴として聞こえていて、それを防ぐためにイヤホンをつけて、ヤチヨのRememberを聴き始めたと。
それもあって、○人的スケジュールなのに、なぜか感動できたり黄昏れたりと、一見余裕があるように見えるのは、その瞬間だけが抑圧からの解放――人間性を取り戻せているから。
その証拠に、「推しがいなければ生きられない」という考えで、食欲がない鬱状態のときも、推しさえ見ればちょっとずつ食べられる、そんな描写もされていて。
もはや推しというより神様――だからこそ彩葉は、月見ヤチヨの神棚アクリルスタンドを大事に飾っているんだよね。
しかもSF的にエグいのは、『超かぐや姫』って本質的に『神○し』のお話になっていて。
「パンケーキを食べたい」というエゴの為に、冗談抜きでドパガキも資本主義もハックして、運と才能とお金と人脈でフルスイングする。
そして、もう一人のヒロインかぐやは、さっきも言ったとおり、本来、人間ではなくて、じゃあ何者かって、月に住んでいたむなしい存在――肉体のない思念体なんですよ。
なので、地球に舞い降りて人間の肉体を得てすぐに、「自由な毎日が楽しいなぁぁ!」って欲望が大爆発する。
その最たる例としては、彩葉が睡眠を削ってまで働いて、がんばって貯めたお金――12万円を使い果たしたことがあって。
ちなみにこのシーン、「彩葉の怒りがあまりにも薄い!」って批判が多いんだけれど、それへの反論は秒速で終わるんだよね。
まず彩葉のため込んだ12万円は、超現実主義なお母さんの呪縛なんだよ。
【この世で頼れるんは自分一人や】、【今日の百円は明日の千円や】みたいな、冷たい言葉を吐かれすぎて、「心が壊れても頑張らなきゃ」という呪いになっている。
つまり、今までずっと無駄なく効率的に生きてきて、完璧主義の廃人になっていた彩葉に、無駄遣いでショック療法――かぐやはこれでもかとご馳走を振る舞った。
人間を人間たらしめるクオリア――簡単にいえば、おいしいという感情、「生きている!」という感覚を取り戻せたと。
その結果、このあと少しして風邪を引くんだけれど、それは別な言い方をすれば、やっと風邪を引けたんだよね、甘えと弱さを出しきって、これでもかと人間らしく。
今まで母親の祟りにやられて、完璧超人のマシーンだった彩葉が、かぐやによって人間性を蘇らせたってこと。
そう考えると、もはや妖怪人間ベムよろしく、「早く人間になりたい」ってのが、『超かぐや姫』のキモなんですよ。
そして、この物語のマジで恐ろしいところは、かぐやが元々暮らしていた月の世界なんだよね。
ここってのは味も温度もない巨大な水槽みたいで、喜びも悲しみもなくて、生きることも死ぬこともできない、永遠なる空っぽの場所であると。
でもって月の住人たちは、ゲームのNPCと同じで、無感覚の日々を繰り返すという、究極的にむなしいシステムに閉じ込められていて。
そんな中、かぐやだけが奇跡というかバグの発生によって、「寂しい! 退屈! 死にそう!」って、みるみると自我が芽生えて、月から飛び出しちゃったんだよ。
そして流れ星のようにキラキラと、『もと光る竹』という宇宙船に乗って、そのまま地球の電柱にビリビリビリってぶつかってゆく。
すると、一瞬でゲーミング電柱になるんだけれど、これは月のテクノロジー、地球環境に馴染むべく、そこに最適化された肉体――今回は赤ちゃんの体を用意して、かぐやの思念体が入り込んでゆくと。
そんでドパガキよろしく、タブレットでネットサーフィン、高速で情報収集をすることによって、その知識量に合わせてハイスピードで、女子高生くらいの見た目に変化するんだよ。
なので、普通の人間たちとは違って、文字通り、恥も外聞もないから、持ちうる力は『すべて出す』を地でゆく、このあと一瞬にして配信業でのし上がるんだよ。
そもそも、かぐやが彩葉のお金で勝手に、ライバーになる為のスマートコンタクトを買って、メタバースの世界ツクヨミにログインして、大観衆の前でいきなり叫ぶ売名行為までやって、終始、大暴れするんだよね。
なのでよくある批判――「子育ての苦しみがない」、「生配信の世界は甘くないぞ!」ってのは、筋の通ったやり方で回避できる。
そうこうして、「パンケーキがおいしい」と思えるくらい、かぐやは人間の幸せを覚えてゆく。
でも残念ながら、『かぐやは月の秩序を乱すバグ』と見なされて、月の世界へと戻されてしまう。
これは日本の古典である『かぐや姫』の結末通りで、強制的なバッドエンドを迎えると。
まず月に戻されたかぐやは、また何もない水槽の中に入れられて、虚無の永久ループに閉じ込められると。
しかも以前と違うのは、主人公の彩葉と出会って、笑ったり歌ったり、パンケーキの甘さを感じたりで、幸せを知ってしまったからこそ、その絶望はより深いんだよね。
5億年ボタンの比じゃないさみしさ、『生と死の狭間』にある闇のような場所で、永遠のひとりぼっち。
でもそんなある日、38万キロの彼方――地球惑星から、懐かしい歌声が聞こえてきて、「もう一回だけ地球に行こう! 彩葉に会いたい!」って、奇跡で飛び起きることができた。
でも運命は残酷で、「また宇宙船に乗って地球に出発だ!」ってときに、タイムトラベル機能をオンにしたもんだから、なんと制御不能でバコーンって隕石と衝突して、8000年前の地球にぶち飛ばされたんだよね。
すると何が起きたか、宇宙船のシステムがエネルギー切れ、月のテクノロジーが使えないせいで、最適な肉体を作り出せない、前と違って赤ちゃんにもなれない、ただの思念体――魂だけで放り出されたと。
それはつまり、声も出せない、誰とも話せない、誰の目にも見えない、永遠に続く孤独がはじまった。
これは昔の名作、『STEINS;GATE』のトラウマ回と似ていて、とある女の子が不完全なタイムマシンに乗ったら、時間跳躍のときにダメージを食らって、自分の名前以外すべてを忘れちゃったんだよ。
とてつもない使命、大切な約束があったのに、のうのうと生きてしまったことを悔いて、【失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した】、そう書き綴って……そのまま自殺するんだよね。
そして、かぐやの場合はより怖い――寂しくても退屈でも永久に○ねないから。
なので、「彩葉! 彩葉! 彩葉!」って発狂するんだけれど、それは声にも叫びにもならなくて、いつまでも絶無なんだよね。
泣きながら膝を抱えようにも、そこには涙も膝もない。
けれど1%の奇跡として、宇宙船に乗り込んだときに、地球で彩葉からもらった、たまごっちみたいな携帯ゲーム機、そこに『犬DOGE』という柴犬、電子のペットがいて。
その結果、シャットダウン直前の、宇宙船による最後の力で、たまたま近くにいた、かわいいウミウシ――海のウサギとも呼ばれる生物をスキャンして、そこに犬DOGEの軽いデータをぶっ込めた。
これはつまり完成済みのハードウェア、しょぼいけれどロボットの出来上がり。
だから、ウミウシにログインした犬DOGEをハッキングして、思念体のかぐやが入り込んで動かせるってこと。
そうこうしてウミウシのかぐやは、不老不死の日々を進んでゆく、それも8000年。
縄文時代、平安時代、戦国時代、あらゆる時代に漂って、大量の出会いと別れがあって、もちろん戦争による○し合いもあって、破壊と再生が延々と繰り返される中、かぐやは孤独な観測者として、それらを眺め続けたんだよね。
毒も薬も酸いも甘いもカオスも、すべて飲み込みながら。
そうやって膨大な時が流れて、人類は血みどろの歴史の果てに、電話に冷蔵庫にテレビに、そしてインターネットという、高度な文明を誕生させるんだよ。
そんなある日、かぐやはウミウシの身体のままで、パソコンのキーボードを押して、『Hello,world!』って入力した。
つまり、8000年の時を経てとうとう……想いを伝えられるようになった、孤独な旅がやっと終わった。
その瞬間かぐやは壮大な夢を思い描くんだよ。
それってのは、地球での血なまぐさい争いとか、ひとりぼっちとは無縁な、ユートピアの仮想空間を作ること。
要するに、『水も波も立たない巨大な水槽である』月の寂しさを、他の誰にも味わって欲しくないってこと。
だからこそ、ここでの仮想通貨『ふじゅ~』は、水のように、あぶくのように湧き出てくる。
まさにドパガキよろしく、人の心が踊れば踊るほどに、無尽蔵に金が降り注ぐんだよ。
そうしてかぐやは、ウミウシの身体をよじりながら、htmlを書いてアクセス解析もして、とにかく試行錯誤しているときに、はっと衝撃的なことに気づく。
それってのは、自分がゼロから築き上げてゆく仮想世界が、かつて彩葉と遊んだツクヨミだってことに。
そして、彩葉が歌声に惚れたVtuber月見ヤチヨは私なんだってことに。
すなわち、ぐるぐると同じ輪廻を巡って、この8000年の孤独も含めたループが、何百回、何千回、何万回も続いているのかもしれない。
これをむりやり表現するならば、『メタ的ディストピア円環構造』だね。
つまり、『感情を持った思念体』のかぐやが、月から地球に来て赤ちゃんとして生まれる→彩葉と幸せな時間を過ごす→月の世界に戻される→歌が聞こえて脱出を決意……でも隕石に衝突→8000年前の地球に吹き飛ばされる→そして今の今に繋がる――
めちゃくちゃ残酷なことに、この円環構造の中で、常にかぐやは自我があって、しかもその時間の大半、メタ的視点――実体のない魂のような存在として、声にならない声を上げながら、ずっとひとりぼっちで過ごしている。
そしてこの、『メタ的ディストピア円環構造』をぶち壊すには、バグを伝染させる必要があった。
もっと単純な話、心の底から「パンケーキがおいしい!」と思えること。
彩葉のケースで言えば、月のシステムみたいな完璧主義をやめて、泣いて甘えること、自分の意思で進路を決めること、ホンモノの反抗心で母親にぶつかること。
そのうえで最大の敵は、退屈で○にたくなるほど整った、穢れなき月のAI的世界なんだよね。
だからこそ、ドパガキも資本主義も運も才能も醜さも、Rememberという推しの曲もすべて総動員して、綺麗事抜きの人間らしさで殴り返した。
ありとあらゆる手段で、『竹取物語』の運命――かぐや姫は月に帰るという、神様の結末を破壊する為に。
それはつまり、彩葉の推し――神様だった月見ヤチヨ(かぐや)に、『終わりのある人間としての人生』を与える、今度は自分が神様よろしく、生命を誕生させるってこと。
ちなみに当初、メタバース(ツクヨミ)の世界では、かぐやを連れ去りに来る、月人(つきじん)という大勢の敵を、ゲームのシステムに落とし込んで、プロゲーマーの力とチートによって倒そうとしたんだよ。
現実世界じゃ負けるに決まっているから、ゲームの敵キャラにダウングレードさせようとした。
でもそんな甘っちょろい敵ではなくて、まるで勝ち目がなかった。
その結果、映画の途中でスタッフロールが出て、「めでたし めでたし」って、皮肉なエンディングが軽く流れるんだよね。
でも彩葉はその終わりを許さずに、ツクヨミという仮想空間――一億総ドパガキ社会ってくらい、ユーザー数の多い場所で、ハイスピードで配信者として売れて、べらぼうに儲けたお金と、人脈をフル活用して、10年間、ロボット工学をはじめとした科学技術を学んでゆく。
なぜかって、かぐやの思念体を入れる義体――それも寿命のあるホンモノの生命体を作りたいから。
これこそが『超かぐや姫』のすべて。
つまり、愛とは綺麗事ではない、愛≒平和ではない、愛とは能動的なバグなんだという、パンケーキを食べておいしいと感じる話。
↓『本音のおまけ』
冒頭で、「むりやりに大絶賛してみる!」と宣言したとおり、映画版の『超かぐや姫』は、ファミ通の文庫版も読んで、SF設定もメモして、登場人物の背景も学んで想像して――つまり、こちら側でかなり踏み込んで視聴しないと、ちんぷんかんぷんな事ばかりだ。
とはいえ、90年代2000年代を振り返りゃ、映画であれ音楽であれゲームであれ、たった一本、たった一枚、たった一作を繰り返し……狂ったように楽しむものであった。
たとえば、FFや聖剣伝説をやるときにはアルティマニアという、ごっつい攻略本を買ってプレイ前から読みふけっていた。
そう考えりゃ、『超かぐや姫』の円環構造よろしく、ぐるぐるとリピートする事が大前提の作品があっても良いのかもしれない。
しかも『超かぐや姫』 の場合、知識と考察を重ねるごとに、「この複雑な円環構造のSF設計を考えると、これはこれでアリかもな」と思えてきて、じわじわと評価点が高まる。
仕事がブラックすぎてやめたものの、蓄えもなく実家も頼れなかったため、はじめて働いた風俗だった。
いまでも綺麗なワンルームマンションで電車の音を聞きながら、客が来るまでの間、暖房の効いた部屋でエロ自撮りしていた頃を思い出す。
そりゃあ確かに最初は不安だったけど、講習を受けたときにAVのようなこともなかった。
際どい部分は触られたものの、際どい部分を触る仕事の講習なので気にならなかったし、講師の男性(店長)はめちゃくちゃ申し訳なさそうにしていたし、ちんこもたっていなかった。
今調べたら店はだいぶ前に閉店していた。彼は今何をしているのだろうか。
2ちゃんねるの有料サービス「2ちゃんねるビューア(●)」の利用者の個人情報が流出した事件です。ねらーたちは流出したデータを独自に分析し、プロバイダ情報や書き込み履歴から、特定の政治家や法曹関係者が匿名で過激な書き込みをしていたことを次々と暴きました。
真犯人が他人のPCを遠隔操作して犯行予告を行った事件です。当初、警察は誤認逮捕を繰り返しましたが、ねらーたちは「真犯人が残した暗号」や「猫の首輪につけられたSDカード」に関するヒントをネット上で考察し、警察の捜査ミスを浮き彫りにさせるとともに、真犯人逮捕への議論を加速させました。
あるネットショップが高級キャビアを格安で販売していましたが、ねらーたちが「卵の形状や色が不自然」「輸入経路が不明」と指摘。自ら購入してDNA鑑定に出した猛者まで現れ、最終的にそれがランプフィッシュの卵であることが判明し、詐欺を暴きました。
2ちゃんねる掲示板に、自作の偽札画像をアップロードした人物が現れました。ねらーたちは画像に含まれていたEXIFデータ(位置情報や機種情報)や、背景に映り込んだわずかな情報から住所を特定。通報により、実際に偽造通貨行使の疑いで逮捕者が出ました。
札幌市内の商業施設などで爆発物が発見された際、掲示板に犯行を示唆する書き込みがありました。ねらーたちはその書き込みの文体や、投稿された写真の影の角度から撮影時間・場所を推定し、警察への情報提供に貢献しました。
掲示板に「私が三億円事件の犯人です」と告白するスレッドが立ち、大きな話題となりました。しかし、ねらーたちが当時の気象データ、信号機の設置時期、地理的矛盾を徹底的に突き合わせ、投稿者の話が創作であることを証明しました。
政府が非公開としていた衝突映像がYouTubeに流出した際、ねらーたちは即座に動画を保存・拡散。投稿者「sengoku38」が神戸海上保安庁の職員であることや、投稿に使用されたネットカフェの場所などを特定する動きを見せ、事件の社会的インパクトを決定づけました。
線路内に車で立ち入ったり、危険な運転動画をSNSに投稿したりする「炎上案件」において、ねらーたちは背景の看板、電柱の番号、車の写り込みから、数時間以内に大学名や氏名を特定。多くのケースで大学による処分や警察の捜査に繋がりました。
飲食店レビューサイトでの「やらせ投稿」が疑われた際、ねらーたちは不自然に高評価を繰り返すアカウントの共通点(投稿時間、IPアドレスの推測、語彙)を解析。ステマ業者の存在を世に知らしめ、運営側の対策を強化させました。
SNSや掲示板で家族が行方不明になったという書き込みに対し、ねらーたちが「目撃情報の集約」や「背景に映るわずかなヒントからの場所特定」を行い、実際に発見に結びついたケースが複数あります(※ただし、ストーカー行為に悪用されるリスクとの裏返しでもありました)。
広告のフォントとか印刷回り、広告のライトや電柱あたりからも有識者なら調べられそうだけど、
自分は「英会話」の看板から現在も残っている英会話教室を当たってみたけどそれらしきものは該当せず。
ABCBカフェが「千葉市若葉区都賀駅西口(http://www1.ttcn.ne.jp/kawasemi/mangazenkoku/kanto/chiba.htm)」にあったことと、電柱の「都賀産婦人科」「200m(直進?)」から、現在の都賀レディースクリニック(https://tsugaladies.com/clinic/history.html)が移転したとは言え近隣だろうと考えて当たってみたけどわかんなかった。(移転が近隣であれば、京葉学院 小・中学部 都賀校のあたりが場所的にはいちばん怪しい)
真ん中の赤文字の看板は「麻雀○○」くらいしか読み取れないし、麻雀店はすぐなくなってそう。
「1980年代後半だと高額ながらかなり良いレンズのデジカメも登場していた」のはかなり懐疑的。時代的にはどうしてもフィルムだろう。しかしフィルムスキャンの画像には見えない。
(3ページ目)【カメラ30年史】一眼レフ、ブリッジカメラ、コンパクト 平成初期に誕生した名機はこれだ! | AERA DIGITAL(アエラデジタル)
看板だけの拡大写真と全景写真を比較すると、「ほとんど同じ画角だがわずかにズレている」だけだとわかる。つまり近寄ったのではなく、同じ立ち位置からズームした可能性が高い。すると、それぞれ等倍だという前提なら、ちょうど3倍ズームのようである。そんなデジカメは80年代には存在しない。(DS-Xは換算60mmの単焦点 https://www.digitalkameramuseum.de/en/cameras/item/fujix-ds-x)
なるほどありがと
2000年前半の高画質一眼とかかな
Geminiにも聞いてみた
【結論】
右の黄色い英会話看板も含めて、「看板デザインと印刷の雰囲気」はかなりデジタル(少なくともDTP以降)っぽく、看板自体は1990年代後半〜2000年代以降に新調された可能性が高いと思います。一方で、建物本体の意匠は80年代(あるいはそれ以前)でも十分あり得るので、「古い建物+新しめの看板」が同居している、と見るのが自然です。
黄色い英会話看板は、ベタ塗りの黄色に高彩度のロゴ・文字がのっているタイプで、色の発色がかなり均一かつ派手です。これは手書きペンキより、インクジェット/シート貼り/デジタル入稿印刷の質感に近いです。
ABCB側の緑地看板も、地色がムラなくフラットで、文字のエッジがかなりシャープです。80年代でもシルクスクリーンやカッティングはありましたが、「英会話のロゴと併せて同じ業者がまとめて出した感」があり、平成以降の匂いが強いです。
2000年前後から地方の駅前でも「サイン屋がPCで版下を作り、大判インクジェットやカッティングプロッタで出力する」スタイルが一気に広がっているので、その波に乗って付け替えた看板、という解釈がかなりしっくり来ます。
建物は、タイル貼りの柱・アルミサッシ・1階にやや奥まったエントランス、という構成で、70〜80年代の雑居ビルによくある造りです。
こうしたビルはそのまま何十年も使われるので、「建物は70〜80年代築のまま、テナントと看板だけが90〜2000年代にどんどん入れ替わる」というのが現実的なパターンです。
したがって、
ネトフリ公開当初にもう見たユーザーなんだが、映画館公開されて大体の人はもう見たっぽいから感じたことを。
でも色んなコンセプトわかりやすいところだけ詰め込みすぎてちゃんとオタクやってればやってるほど、届かなくないか?
日本文学をメインの題材にしてるのはわかるけど、おそらくここのファンはマジで全く相手にされてない。
自分は20年前のニコニコ動画でボーカロイドに出会ってからずっとボカロオリジナル曲聞いてて、懐かしいボカロ曲といえば?で「メルト」「ワールドイズマイン」、「ハッピーシンセサイザ」はもう思い浮かばなくなってしまったような層だけど、原型なくなるくらいアレンジして、ボーカルも違うからあんまり「懐かしい!」ってならなくて、「私を構成」する42枚をボカロCDで埋めれるようなユーザーのためのアニメじゃないんだなと思った。
バンプも、あのバンドのファンって「藤くん」とか「チャマ」とか言って箱推しで喜びたい人ばっかりだし・・・
VRコンタクトはフルダイブVRや電脳メガネ、細田守作品を混ぜたような流行りの仕様で、途中途中に実際の有名どころのVRゲームオマージュがあって映像としてはすごく楽しかったんだけど、実在のゲームのオマージュがあるからって没入感が向上するわけはなく、もっと戦ったりライブする理由を観客にしっかり意識させる作りだったらもっと良かった。
Vtuber×かぐや姫とタグ付けできるくらいにはV活動してるけど、Vのオタクって「よくばりセット」とかやってた時代と違って人格のオタクで、キャラへの愛着や百合豚を喜ばせるには味が薄い。どうしても尺が短いから。
本作は「アイの歌声を聴かせて」に似てるって声があって、そちらを見た時に1クールあったら「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」みたいなウケ方したのかな?と思ったけど同じ気持ちだ。
配信でのみ公開→劇場公開決定という話だったから、それほどいい映画なのかあ・・・と思って観てみた感想が表題
→この映画の見どころは、キャラクターデザイン(見た目のみ)とアニメーションの2点
ただし、キャラクターの心情、行動原理、世界観、物語の構成、映像や音楽の演出等は最悪で、
映画を観慣れた人間には、この内容で2時間半はキツいと言わざるを得ない
→要は、物語の展開に必要な性能を持たされているのはわかったが、必要のない設定が多いと思った(チェーホフの銃)。また、
努力や精神的な成長や考え方の変化がみられず、キャラクターとして魅力的でないため、かぐや→彩葉の感情に共感できなかった
アニメーションが綺麗でよく動くのはとてもよかった
下記は詳細:
・かぐやとマブになった経緯
→これが描かれていない
同棲したり、共同で配信活動したり料理したり夏祭りに行ったりという描写はあるが、他に何もない
かぐやが電柱から現れ、当初は経済的な感覚が欠落していたり、普段の生活を乱したりするので、彩葉はかぐやを
迷惑に思うのが普通だと思うが、急に布団に入られたりしても嫌がるような描写は当初からなく、どんな感情か想像できない
そうしてかぐやに対する見方を改めるような、精神的な距離を近めるような表現が全くないまま、
月に帰る段になると、いつの間にかそういう感情を持っていたような描写を入れてくる
百合をやるならこういうところを重視する必要があると思うが・・・・・・
・優等生
→オチ(機械の肉体を作り、かぐやの精神を実質的に受け継いだヤチヨを移植して現実に顕現させる)にたどり着くためには、
→ただし中盤では法学部志望であったようだが、そう設定した必要あったか?
(文系選択であったが理系に進路変更した、という点で彩葉のかぐやを想う気持ちの強さを示した?)
→父親は理解者であるが母親はそうではない、という主旨の描写があったが、具体的な内容はわからなかった(言及あった?)
→終盤で母親とよりを戻したらしき描写があったが、内容が明かされず、よくわからないうちに解決していた
→おそらく序盤のかぐやとのシェアハウス状況を作るために、親元を離れた単身状態にする必要があったため?
・兄
→序盤、存在の示唆すらなかった理由は?プロゲーマーの一が兄であると明かされたときも驚きや感動の流れではなかった
→かぐやとのシェアハウス状態から引っ越しをする際の保証人という物語上の役割があったが、
そもそも彩葉が単身生活を開始できていることから、母親は彩葉の保証人をする意思はあると予想される
→例えば、単身生活開始にあたっては保証人になってもよいがその先は不可、みたいな合意を親としていたのか?
→兄設定必要あった?ただのプロゲーマー(かぐやや彩葉の実力や人間としての魅力とかを認めてパトロンになる)で十分では?
・ゲームが上手い
→プロゲーマーの相手ができるほどの実力がある(プロゲーマーで、昔からずっとゲームをやっていたという描写のある兄とほぼ対等)が、
・ピアノが上手い
→かぐや用の新しい曲を作るという話があったが、どの曲だったのかわからなかった
→ライブシーンでシンセを弾いているが、どの音か判別できない(主人公が楽器をやっているのにソロパートすら設けないのか?)
・友人について
→出てきた2人はインフルエンサーのようだったが、その情報いる?
→どんな存在なのかやどんな気持ちなのかがわからないので、キャラクターとして魅力的でない。彩葉→かぐや・ヤチヨの感情に共感できない
アニメーションが綺麗でよく動くのはとてもよかった
下記は詳細:
・正体について
→「かぐや」は月の人(実存)で、彩葉との交流後、天の羽衣を着せられた際に地球での記憶や感情を失ったが、
月に帰った後に彩葉の歌を聞き記憶を取り戻し、地球に再度向かうことにした。道中の事故でかぐやは死亡したが、
地球に到着できたFUSHI(元・犬DOGE)が地球でかぐやの情報を伝え残していったことで、8000年程度かけて、
「竹取物語」として、また色々な媒体でかぐやの情報が蓄積され、多少の尾びれはついているがそれらの情報を統合するかたちで、
現代になって生成AIかそれに類する技術により、ツクヨミ上でヤチヨとして、かぐやと同様の行動や回答を出力できるような
(表面的には)情報生命体というべき人格を得た、という経緯と思ったが・・・これで理解正しい?
→初の料理でも(コストや材料のやりくりの観点が抜けているが)上手くできる、という描写があるが、
自力でVtuberのLive2Dモデル?を作成した際は上手くできない、のは理由がある?
→配信活動を開始した後、全員がクリエイター!などと言っているツクヨミで、なぜトップ帯のランカーとなれたのか?
かぐやを他と差別化するのは何だったのか?あたりがダイジェスト的に映像が流れるばかりで、何もわからなかった
→彩葉からかぐやに対する感情と同様に、こちらもわからないうちに終わった
かぐやの目的が、月の定型的な生活に耐えられず地球の感情的で刹那的な生活に憧れたから、というものとして、
彩葉はたまたま最初に遭遇した地球人で、またあくまで戸籍のないかぐやの居候先として便利だった、というだけになってしまう
(彩葉からかぐやに何か提案をした記憶がない。かぐやは自ら上記の目的達成のため配信活動を始めていた)
つまりこの映画を百合に分類するとして、それに導く感情や過程が見当たらない
→何がメインの物語なのかよくわからない。おそらくアニメーションは重視しているようだが、他の全ての面で面白くない
下記は詳細:
→かぐやを迎えてからの彩葉の生活維持(かぐや幼少期(1~2日)を除く)、
ヤチヨとのライブのためのかぐやの配信活動、ヤチヨ顕現のための彩葉の研究開発、
普通はその過程で、キャラクター同士の感情の変化があったり、何かを強く目指している理由が漏れ出たり、
視聴者にキャラクターの魅力を感じさせるいい機会だと思うんだが・・・・・・
→要は、開始時点と終了時点の状態はわかるものの、その中間で起こっている(と思われる)変化が何であったか、
それが重要な点のはずだが、それを映さないようにしているようで、始めから終わりまでスッキリできない
→特に、彩葉がヤチヨのための義体開発を、高校卒業から10年で達成できるとは思えない
高校を出て、大学が4年、修士博士で5年、飛び級しても10年は無理だ。監督は研究とかそういうの知らないのかな?
彩葉が年寄りになった頃にやっと出来上がって、「おばあちゃんになっちゃった」「私もおばあちゃんだよ」みたいにした方がいいオチでは?
(インターステラー的な終わり方)
→ゲームのルール紹介が序盤に数秒あったが、ダイジェストの一部という具合で、注意して聞いておくべき部分には見えないが、
中盤ではこれのために長い時間が割かれていた
ゲームのルールがわからないうえ、ルールを把握する必要があるほどの重要パートでもないとみられるが、
本当に長い時間このゲームをやっているので、このまま観てていいのか?ネトフリだし巻き戻して確認した方がいい?という不安が最後まで拭えない
→重要シーンではないのだが、とりあえず3DCGモデル(キャラクターやステージ)を作ってしまったので、カネもかかってるし、
使い切らなきゃあなあという製作側の意思が滲んでいて、観ているこちらが恥ずかしい感覚になった
→かぐやが月に連れ戻される場面もこの空間だったが、単に(全手描きより)戦闘シーンにしやすかったからに見えた。必要性は全くみられない。
現実(地球)よりもツクヨミの方が月に近い世界であるなら、かぐや防衛のためにはツクヨミにインせず現実空間で保護すべしという判断にならないのか?
(「竹取物語」ではかぐや姫奪還の月の軍勢には太刀打ちできなかったので、ツクヨミだからまだ健闘したんだ、と受け取ればいいのか?)
→本当につまらない。ライブシーンはせっかく仮想世界たるツクヨミなのに現実と大差ない演出で(監督はマクロスシリーズとか見ないの?)、
楽曲もちゃんと歌わない(歌唱中にセリフ調の部分があったり、笑い声が入ったりして、傾聴して聴けるほど長くすらない)
まともに歌声が聴けるかどうかのロングトーンがあるのは冒頭のヤチヨ(CV早見沙織)の曲(これも短くてワンコーラス聴けない)だけで、
せっかく早見沙織を起用しているのにその程度なのは本当にもったいない・・・・・・
他の主人公格が歌重視の声優ではなさそうなので、まあ残当とも思えるのだが、あのキービジュアルで音楽軽視なの?
→こういう物語が紙よりも薄い作品は、劇伴や映像表現で無理やり感動させるくらいしかないんだけど、全然やる気が感じられない
数日前に観て、モヤっとした気持ちが晴れないので書いた。
幻覚を見たか、でなきゃ仮想現実での出来事と思うだろ!? そんな…現実世界で本当に誰かが電柱をファックして妊娠させたなんて思わねえよ!
かぐやが電信柱から生まれたということは、これが現実であれば誰かが電信柱とファックしたことになる。そ、そんなことが許されていいのか?! ダメでしょ
でもこれがVRであれば、電信柱のアバターの人とお砂糖するのも自由! 多様性ヤッター!! あなたも差別主義者でなければバンザイしなさい
つまり、電信柱が妊娠したということはそこは電信柱が妊娠する世界でなければならない。いろはとかぐやが出会ったのは現実世界ではなかったのだ
さもなくば電信柱孕ませ棒が暴れん坊将軍だったことになる。それは流石にダメだ
ラスボスが母性になるのはチェンソーマンとか水星の魔女で履修したよな?! じゃあ説明しなくてもいいはずだ
超かぐや姫!が特大ハッピーエンドで終わる作品であることはしつこいくらいの前振りで完全に確定しており、そのために乗り越えなければならない最大の障壁は「かぐや姫は月に帰らねばならない」ということだ
そして百合である以上「別れ」とはあまりに強いエモであり、避けて通ることはできない。百合は別離をする。するが、その別れ方が重要なのである
社会や周囲からの圧力に負け、繋いだ手を離してしまうのはバッドエンドルートへつながる別れだ。超越的な流れに流されるまま、抗いきれずに大切なものを全て失ってしまう、高畑勲のかぐや姫が描き出した悲しい結末を、かぐやは決して受け入れずハッピーエンドを手に入れると誓った
だから、いろはとかぐやの別れは自分自身の意思に基づく、力強い前進としての能動的な別れでなければならない。でなければハッピーエンドには辿り着けないのだ
かぐやが逃げ出し、そして連れ戻される「月」といろはがかつて逃げ出した「実家」が同一のものであることが情報開示されることにより、この能動的な別れという選択肢がいろはの中でアンロックされる
「かぐやの身代わりとして、自分が月へ帰る」といういろはの決断である
そしてこの作品においてヤチヨ=母は完全な悪役ではない。母が家元である以上、彼女は超かぐや姫!のソシャゲで矢継ぎ早にセーラー服や水着を着て娘より稼ぐ人気キャラでなければならない
母はヤチヨと同じモーションでいろはを抱き締める。兄が口にした「母さんはお前の反抗を待ってる」という言葉の通り、娘が自らの意思で選択することを不器用に待ち続けていた彼女の、ここまで娘視点で見て来た悪辣な母親像が、実像とは異なるものであったことがなんやかんやで明かされ、大団円の家元ハッピーエンドだ
それでよくないですか
まあ公式はああ言ってるけどさあ。でも家元真実こそが真実な気もするんだよ
だ…だって…俺はrayなら藤原基央のrayが聞きたいしワールドイズマインは初音ミクで聞きたいしさあ。ドラえもんの同人みたいな展開からの何故か二人が三人でライブするのは積み上げてきたものの帰結としてのハッピーエンドとして、あんまりぴんと来ないし…非家元リアリティショックでエモがりを中断させられると、なんか終盤のツッコミどころが気になっていまいちノれなかったんだよ
いや
わかるよ
まあ仕方ないよ。家元は……母親が水着とかセーラー服とか一杯着てことあるごとにピックアップされるのは諦める。でもやっぱヤチヨの中には死んだ親父とか母親とかが入ってるよ。だよな?
家元は諦めるけど家元真実は諦めないよ?父親が入ってる逆家元ルートでもいい
AIの開発者がAIと重なって急に語るやつはやろうよ。その上でヤチヨが自我をもって生みの親に反抗してもいいからさ?そういう被造物に対する反応にも旨あじとか栄養は一杯あるしな。ヤチヨが自立して……かぐやといろはのおねえちゃんになってもいい。それならタイムラインで百合と同じくらい目立ってても怒られないよな
姉妹ってのはそういうもんだ…
でも土壇場で月に帰りたくないって泣くかぐやのために、代わりにいろはが月へ向かう展開は欲しいだろ?!!!だっておねえちゃんだもんなあ!!!
ほら、月から迎えが来てさあ!!
どくな!!!
いろはのことは姉扱いしないのに兄貴はお兄ちゃんって呼ぶかぐや概念は……実在する!!!!たとえ冗談でもお兄ちゃんと結婚するとか言い出しちゃうかぐやにいろははさっさと嫉妬しろ!!!!はやく姉妹百合をやれ!!!!間に合わなくなっても知らんぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!
俺はした! もし君がまだ「超かぐや姫!」を見ていないのならばネトフリを契約し今すぐ視聴することをお勧めする!!
とは言いつつこんな記事を見に来る奴はどうせもう見ているだろうから俺はようしゃなくネタバレをするが、まだ見ていないごく一部の君はネタバレを喰らって憤慨するだろうが超かぐや姫!をまだ見ていないのにこんなところにくる君が悪い。成仏しろ
じゃあ前置きが終わったので俺が超かぐや姫!を最初にみたときの話?をするんですけど?主人公がこんなハイスペックなのは隔世の感を感じるなあなどと思いながら見てたら、なんかのアレで電信柱が光るわけです。一旦そこまで話を飛ばします
一般的な作劇上のセオリーにおいて、なんかもう無茶苦茶な嘘をついて良いのはひとつだけ、それも作品冒頭だけなんですね~
フィクションというのは土台嘘なのだが、よいフィクションはルールのある嘘という点においてただの虚言クソやろうのホラ話とはちがう。作品がどのくらい噓をつくのかというレギュレーションを最初に示し、その範囲で物語をなんかする
皆さんわかりますか?この話はニンジャがスゴイ!!みたいな奴は最初にやるからゆるされるのであって、あとからニンジャが出てきて殺したらそれはダメだということです。でもニンジャが出て殺す前提の作品にサプライズニンジャメソッドは適用されない。いいね?
しかしこの作品はふたつ嘘をついている。「VRのなんかがスゴイ!!」「かぐや姫は実在した!!」のふたつである。じゃあこの作品がもうダメかというとそんなことはなくて、この二つの嘘が後で統合されれば全然問題はないです。竹林の竹が実際には全て地下茎で繋がった一本の竹であるようにね。具体的にどういうことか例を挙げると「ニンジャがスゴイ話」を最初にした作品で、「ドラキュラは実在した!!」のはダメではあるのだけれど、ここに「ドラキュラはニンジャだった」という情報開示をすることで、ニンジャがスゴイ話にドラキュラが出てくる回はスゴイ名エピソードになりえます。皆もニンジャがスゴイ話にドラキュラが出てくる回を読もうね
まあ何が言いたいかというと、要するにこの作品の「VRのなんかがスゴイ!!」「かぐや姫は実在した!!」という二つの嘘は、最終的に「かぐや姫はVRのなんかだった!!」という情報開示により統合されることが予想されるということだ
この話の序盤はかなり無茶苦茶な剛腕で進めているので、たぶん嘘の統合はそんなに難しくないのでこの制作陣であればうまくやれるでしょう。話を続けます
この超かぐや姫!の制作陣がうまくやるだろうという予測もなにも別に無根拠ではなくって~、作劇的に情報を置きに行ってる感がすごいしたからなんですね~
この作品のいわゆる1stターニングポイントまでの4分の1、かなり詰め込んでいる4分の1で、いろはがかぐやを拾って、育てて、VR世界でライブを見ててっぺんを取る!と決めるところまで、かなりハイテンポで進めないとこのストーリー分量は4分の1には収まりきらない。それでいていろはの友人たちとの絡みなどこの時点ではあまり利きのない布石も打っている。かなりキツいタイムスケジュールであるにもかかわらずだ
一方で、「いろはは音楽やってる」という情報の開示はライブの後、いざ配信するぞ、という段になるまで表に出てこない。これはかなり考えられた情報開示のタイミング調整であり、この情報の初出は冒頭部分でついやってしまいがちでありながらここまで引っ張っても問題なく、かつ後出しすることでかえって重要な情報であることを匂わせすることできるのだ。そうだね。わざわざ後だししたということは、この後大事に使う場面が来るってことだね。「主人公の作曲」要素はあとでテストに出ます。覚えてお香(匂いは記憶と強く結びついている)
で、電信柱が孕んで子育てをしてライブを見て配信を始めるのだが、そこでなんかいけ好かない感じの奴らがでてくるのである。
こいつがなんと帝である。帝であるからには結婚を迫り、しかも後ろにいるのはメス男子だったのだ!!!!!!!
しかし待ってほしい。この男、帝なのに顎があまり尖っていないのである。じゃあ良い奴なのか?!!それともこいつもメス男子なのか?!!
メス男子であってほしい
しかし待ってほしい。顎が尖っているかどうかで人を判断してはいけない。多様性のなんかがあれなのでそうゆうのはよくない。たとえ顎が尖っていても帝はいうまでもなくドブカスだし初期城之内君は結構なカスだ。でも闇遊戯も初期はカスだよ。じゃあこいつもカスの可能性があるので気をつけましょう
(しばらく視聴)
ところがどっこいここで衝撃の真実ゥ!! 帝はおにいちゃんで、しかも結構妹LOVEだったのだ。結果としてこいつの矢印は妹がタゲ取りして、しかもねちょねちょした感じの恋愛方面ではない処理をされてしまった。びっくりである
びっくりであるが同時に上手くもある。かぐや姫が男と結婚させられそうになるくだりなんてのは今時マジで誰も望んでいないのでうまいことゴミ箱にポイするにあたって、初登場時に納豆くらいねちょねちょしそうだった帝は後を引かない東南アジアの納豆を乾燥させて粉にしたやつのおせんべいくらいのカラッとした感じで話をさっさと終わらせてしまった
ほならお兄ちゃんはこれ以降後ろの奴とメスになっててくださいね。たぶんこのアニメは2人は幸せなキスをして終了するアニメなのでその背後でついでに幸せなキスをしててほしいランキング第一位!!
おちついて聞いてほしい。CV早見沙織はすべからくママだという主張に関しては反論の余地はないのだが、今回はそれとは別にヤチヨの中の人は高確率で主人公の母親であるという話をしている。家元リアリティショックに負けてはいけない
中盤の時点でいろはの抱える問題の根っこが解決しないままお兄ちゃんがおしまいになったということから、このままいろはのストーリーラインは家族関連の話で進めていくことは窺い知れたし、中ボスに過ぎないお兄ちゃんの後にさらなる大ボスが控えており、その大ボスとの対決がいろはのクライマックスになることは予想に容易い
大ボスはもちろん母親に決まっており、作品を走る二つのストーリーライン、いろは関連のルートとかぐや関連のルートは最終的に有機的に統合され、混じり合って一つのハッピーエンドへ到達するのは間違いない
そしてその二ルートの統合は「VRのなんかがスゴイ!!」と「かぐや姫は実在した!!」の二つの嘘の統合によってなされるはずであり、「かぐや姫はVRのなんかだった!!」という解へとつながる情報開示の鍵はおそらくヤチヨの握っている謎であるはずなのだ
前提として、ヤチヨはなんらかのなんかを抱えている
あそこまで話の中核に据えられて、主人公がご執心でありかつあの距離感を出してくるAIが特に何の因縁もないシンプルAIだったらびっくりである
つまりヤチヨはただのAIなどではなく、中に人が入っている(Vの中の人のような形に限らず、エヴァの中に母親が入っている、といった例を含む)パターンのAIであろうことは間違いないし、ここで中に入っている人が今まで一切話に登場しなかった知らない人であることはまああり得ない。常識的に言って既に登場した、あるいは名前が挙がった人物の中にヤチヨの中の人候補は絞られる
そしてここまでで大きな存在感を示していながら、その実態がほとんど描写されていない、物語のコア部分に据えても問題のないキャラクターといえば、そう、母親だね。あるいは父親という線もあるが、その場合は恐らく父と母の複合になるだろう
ひとまずはヤチヨ=母と捉えるのが一番座りが良い
(あるいは父を継いだ)母こそがヤチヨAI、ひいてはツクヨミ世界の開発者であるとすれば、なんか「これ必要か?」と感じざるを得ないいろはやお兄ちゃんのやたらハイスペックな描写にも、異常技術と異常ワーカーホリックっぷりでツクヨミをワンオペで作っちゃった仕事面ではバチクソ有能な母の遺伝という説得力が産まれる。
そして音楽をやっている(※重要情報覚えてお香)いろはに音楽をやらせたのは両親、つまり母は音楽をやっているし、ヤチヨはライブをやっている
母はライブができる
思い出してほしい。映画冒頭でいろはと母との確執について解説したのはヤチヨ(CV早見沙織)である。ヤチヨ=母がいろはは母親とバチクソ仲が悪いのである~という韜晦に自嘲を隠したナレーションをするのはまさに二周目視聴で「そういうことだったのかよ」となる演出であり、らしさを感じさせる要素である
加えて言えば激推ししているライバーの正体がいがみ合っている肉親であるというのはあまりにも鉄板の展開だ。この鉄板で肉を焼いて御飯を三杯食える
そしてここまでいろはによるかぐやへの楽曲提供はなんやかや過去曲だけで乗り切っており、曲を書けなくなってしまったいろはが心理的な障害を乗り越えて再び曲を書く、という展開がクライマックスへ繋がることはもうそんなん誰が見ても明らかである!!(明らかだね!!!)
そして「親と途中まで一緒に作った思い出曲」が出てくるときた(しかも「なぜかその曲のフレーズがヤチヨのデビュー曲と重なる」という確変演出付き)
いろはラインの「家族との確執ルート」の障壁を乗り越えることがかぐやのための曲の完成へ繋がり、完成した曲の存在が八方塞がりのかぐやルートにおける突破口になる。これはふたつのストーリーラインの統合としてこれ以上なく綺麗な形であり、ライブシーンを主軸に置く本作のクライマックスにふさわしい展開である。
でもうちのおかんがいうにはおかんは家元じゃないらしいねん。おかんが言うにはいろはとかぐやの2ショットにヤチヨが挟まって来ても全然良いって言うねんな
自他共に認める百合作品に主人公の母親が挟まって来たら普通ちゃぶ台ひっくり返すもんな
おれのタイムラインにはヤチヨに狂うオタクが結構氾濫していて、ヤチヨはメディアでいっぱい露出して、なんかすごいオタクがヤチヨに興奮しているんや
そう、我々は知っている!
ソシャゲで娘を差し置いて大量の衣装違いをことあるごとにピックアップされて作品の稼ぎ頭になっているふしだらな母を!!!!
うわぁあああああああああ!!!!
超かぐや姫!は……!!
主人公の母親が主人公を差し置いてタイムラインを制圧し、作品の稼ぎ頭になる家元作品だったんだァアア〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!
どうサバを読んでもアラフォー以上のおまえの母親は可愛い衣装で歌って踊る母は完璧で究極のアイドルであり金輪際現れない 一番星の生まれ変わりなのである
おまえは伝説のアイドルの隠し子であり妹も居る。妹の名前はかぐやといい、おまえの母親が電信柱孕ませ棒で電信柱をファックして妊娠させた人間にもなれず電柱にもなりきれぬ哀れで醜い可愛い我が娘だ
すくえるのである。この話はバッドエンドで終わるかぐや姫を超え、超絶ハッピーエンドを掴み取る超かぐや姫!である
こうゆう作品とかの奴に関していうとだいたいの場合、主人公の対立する主人公の母は主人公の鏡像であり、主人公の辿るかもしれない未来のひとつの具現である。
出来のよい作品ほど、このたぐいの過去から未来への継承とゆうやつを上手くやる。作品のタイムスケールを広げて壮大にし、前の世代の悲願や次の世代の希望を主人公の肩に載せることですごくすごいことになる。この時間軸方向に話を大きくして、というのはなんか8000年とか言って単にデカい数字を持ち出して壮大な話なんだぜ!!とぶちあげるだけではダメである。そうゆうのはクソみたいななろう系がステータスオープンして999999999999とかやるのと同じくらいの効果しかない
丹念に描いた本編の構造をコピペして、同じ骨子を持つ構造を繰り返した別の物語を匂わせることで、本編と同じ強度を持つ構造に視聴者が細部を空想で肉付けする余地をちらつかせることができて物語的強度が担保されるのである
超かぐや姫!の場合、過去が母=ヤチヨ、現在がいろは、未来がかぐやだ
家出したいろはと家出したかぐや、ふたりが逃げ出した実家と月は同じものであり、その月もまた過去に何かに反発した母が必死に造り上げたものだった
そうゆう一本の軸があるからその強靭な屋台骨に沿った世界が立ち上がり、大きく物語の世界観が展開できるのである。二つのストーリーラインがなんかあんまり絡み合わずにそれぞれ勝手になんかうまくいった感を出してもダメだよダメダメ
物語構造上、先にいろはのクライマックスが来るのでこっちを先に語ろう
とりあえずいなくなったヤチヨを探してツクヨミ中を駆け回るいろはの前に釘宮理恵が現れて、ヤチヨの下へと案内してくれるシーンから話を始める
「本当に真実が知りたいのか」と問うウミウシに、いろはは迷いなく知りたいと答え、その結果としていろははツクヨミから強制ログアウトをさせられる
ウミウシの案内に従って走るいろはだが、その道中の景色はあまりにも見覚えがある景色だった。
案内は何の変哲もないマンションの一室の前で途切れ、いろはは玄関ドアの前で立ちすくむ。なぜってそこはいろはが誰よりもよく知る場所だったから
画面に映る「酒寄」家の表札。ここで視聴者にも家元真実の一端が開示される
なぜ実家に?
ヤチヨの下へと案内してくれたはずの釘宮が示したのはいろはが飛び出した酒寄家のドア。こんな場所にヤチヨが居るはずがない……
しかし見慣れた我が家へ足を踏み入れたいろはが目にしたものは…
ツクヨミですらない現実の実家のリビングで、当たり前のようにくつろぐ月見ヤチヨの姿である!! そして一瞬のノイズが走り、ヤチヨが振り返る!!!
「あら、珍しいのね。どうしたのいろは」
こ、このヤチヨのCVは早見沙織ではない…ッ!!CV坂本真綾!!! ヤチヨが…実家のリビングで母親の声で喋っているッッッッ!!!
家元リアリティショックで指ひとつ動かせないいろはの視界から、徐々に実家のリビングのテクスチャが剥がれていく。その晒された地金に映るのは薄暗いサーバールームと母親の姿。そして点滴に繋がれやせ細った自分の姿――!!
イヤ…幻術じゃない……!
そもそも物語開始時点ですでにVRの中であり、この話は徹頭徹尾仮想現実の中で進行していたのだ。いつからVRでないと錯覚していた?
現実においてはかぐやと出会う直前で過労で倒れて緊急搬送され実家近くの病院へ運び込まれていたのだ
そしてヤチヨAI、ひいてはツクヨミの開発者である異常技術モンスターである母親が、ツクヨミのプロトタイプとして過去に制作したのが「月」
目を覚まさないいろはを療養させるため、「月」の辺縁に再現された現実世界を月の外側だと勘違いしたかぐやが逃げ出してきたのが物語の発端である
超かぐや姫、舞台は今より少しだけ未来の日本、電柱がある住宅街や街の様子からどれだけ遠くても100年いくかいかないかくらいだろうか。
主人公である酒寄彩葉はバイトしつつワンルームのアパートに住んでおり、時折友達とゲームをして遊んでいる。
このゲームというのが「ツクヨミ」なる仮想空間でアバターを用いて遊ぶ、いわゆる「VRゲーム」だ。
人々はコンタクトレンズのようなデバイス(スマートコンタクト=スマコンと言うらしい)を使用し、目を瞑る事でゲーム体験を楽しめる。
作中の描写を見るに手や足などで操作するデバイスはなく、モーションキャプチャで動かしているのかと思いきや、
隣同士で激しく遊んでもぶつかったりしない所を見るに、脳波か何かを読み取って動かしているんじゃないだろうか。
とても恐ろしい。
技術としては大変凄く、ちょっとぼんやり光っているのも何やら近未来感あって格好いい。
現在でもVRゴーグルというものはあるのだが、いかんせん重く、取り回し辛いのが現状である。
俺コンタクトレンズだめなの。
それでも電柱ぐらいは避けるべきだな