はてなキーワード: 凄さとは
人間の愚かさと優しさ、自然の厳しさと美しさを対比するような素晴らしいドラマだったわけで。
小説が原作の映画やドラマは多くあるが、もし「北の国から」が小説だったら全くヒットしなかっただろう。
あて書きの脚本だからこその役者達の自然でリアルな芝居と、想像を上回るような北海道の雄大な映像、実際に年月を重ねるある種の大河ドラマだからこそ「北の国から」は成り立つのだ。当時の役者および制作陣の凄さを感じる。
TOEICの世界で飛行機が常に遅れるのと同じように、「北の国から」の世界では、かかってくる電話はだいたいバッドニュースである。特に祝い事のシーンでの電話は間違いなく悪い話だ。
あまりに悲劇ばかり起こるので、途中から逆に展開が読めるようになってくる。
裏テーマとして因果応報とかがあるのだろうか?にしても、さすがにやりすぎだろ!と思う。
時代背景もあるのだろうが、いかにも男が描く女って感じでこの点だけはちょっとモヤる。女の人生、他にもネタあるやろ。
おそらく結婚観が今とは違うのだろうな。女の人生のゴール=結婚であり、選択肢がなかったのかもしれない。
れいちゃん(横山めぐみ)から始まり、トロ子(裕木奈江)、シュウちゃん(宮沢りえ)、結(内田有紀)と、ザ・清純派から強い女性へとヒロイン像がどんどん変わっていくのが時代を反映しているようで非常に興味深かった。
特に宮沢りえのかわいさには度肝を抜かれた。95秘密は宮沢りえのかわいさに目を奪われすぎてストーリーがなかなか頭に入らなかった。
増田は世代的に、宮沢りえが一世を風靡したというふわっとした情報しか知らなかったのだが、完全に理解した。あれはみんな写真集買うわ。
もし令和の今、新作が出るとしたらどんなヒロインになるのだろう。
五郎がどんどん聖人になっていく。このドラマの語り手は主に純だが、主人公はあくまで五郎なのだろう。
男手一つで2人の子供を育て、子離れし、最終的には自分の生き方を確立し、生き生きと過ごす。
五郎はすがすがしいくらい、現代社会の対極で自然と共に生きようとする。消費もしないし情報量の多さも求めない。当然お金もそんなにない。なんなら貧乏だ。でも、豊かなのだ。
あんな風に生きたいし、あんな風に歳をとりたい。五郎さん、あなたは素敵です。
五郎の生き方に憧れ、富良野への移住者が大量発生したのも頷ける。なお、あまりに自然の厳しさにその多くが尻尾を巻いて逃げ帰ったというのも北海道出身の増田にはよくわかる。
・蛍がお母さんの電車を追って走るシーン
・泥のついた1万円札と純の旅立ちと尾崎豊
・純が風呂を沸かしながら富良野に帰っていいか五郎に聞くシーン
・やるなら今しかねえ
・誠意って何かね?
・蛍と正吉の結婚祝いの宴
・草太兄ちゃんの死に純が牛舎で泣いてるとこ
anond:20251222225842 を、読んだ。
増田を読んで、「わかるなあ」と思った。 でも同時に、「そこまで悩まなくていいのに」とも思った。
高い店に行っても、正直よく分からない。 フレンチの一皿より、結局マックの方が満足度が高い。 それで「自分は馬鹿舌なんじゃないか」と不安になる。
たぶん、これって誰でも一度は通るやつだ。
まず言いたいのは、『本当に馬鹿舌な人』って、たぶんほとんどいないということだ。
腐ったものを食べたら不味いと分かる。
焦げたら焦げ臭いと分かる。
塩を入れすぎたら、ちゃんとしょっぱいと感じる。
それが分かるなら、味覚は普通に動いている。
「高い料理の良さが分からない」ことと、「味覚が壊れている」ことは、たぶん別物だ。
そもそも味覚って、生き物が「これは食べて大丈夫か?」「栄養はありそうか?」を判断するための機能だ。
まずは生き延びるためのセンサーであって、グルメを楽しむためのものじゃない。
だから、不味いものを不味いと感じられる時点で、味覚としてはもう十分に仕事をしている。
今は、何を食べてもだいたい美味しい時代だと思う。
だから「1000円の飯」と「8000円の飯」の差が、昔ほど分かりやすくない。
これは舌が鈍ったんじゃなくて、世の中の平均点が上がりすぎただけだと思っている。
それでも、「せっかくなら、もう少し美味しさを感じたい」と思う気持ちは分かる。
高い金を払ったなら、できれば感動したい。
ただ、それは「舌を鍛える」とか「通にならなきゃいけない」という話じゃない。
多分、足りないのは才能でも訓練でもなくて、楽しみ方を知っているかどうかなんだと思う。
「楽しみ方を知る」と言うと、なんだか偉そうに聞こえるけれど、
実際にやっていることはそんなに大げさな話じゃない。
誰かが「これが正解だ」と言ったところで、自分の舌がそう感じなければ仕方がない。
だから「美味しさを楽しむ」というのは、新しい正解を覚えることじゃなくて、
たぶん多くの人は、それをもうやっている。
意識していないだけだ。
ハンバーガーでもビッグマックでもなく、サムライマックを選んだとしたら、
それはもう立派な判断だ。
「今日はこっちの方がうまそうだな」と思ったから、そうしたはずで、
それはもう好みが働いている。
実際にはちゃんと選んでいる。
ただ、それを「自分はこういう味が好きなんだ」と
コーヒーなら、苦いのが好きなのか、酸っぱいのが好きなのか。
飲み比べをしてみて、「どっちが好きかな」と自分に問いかけてみる。
例えば、まずは何も入れずに一口飲んでみる。
香りが立つ感じが好きなのか、舌に残る苦味が心地いいのか。
次にミルクを入れてみる。
角が取れて、少し丸くなる。
それが物足りないのか、ちょうどいいのか。
砂糖を入れる人もいるし、
黒糖を入れると、甘さに少しコクが出る。
クリームを入れると、口当たりが一段重くなる。
どれが正しいわけでもない。
正直に言うと、この作業はけっこう難しい。
気分や体調によって、好みは簡単にブレる。
それでも何回かやっていると、
「だいたいこの辺が好きかな」という輪郭は残る。
方向性が見えれば十分だ。
あえて不味いものを食べてみるというやつだ。
例えば、格安でレビューの低いそうめんと、揖保乃糸を食べ比べてみてほしい。
今の外食は、正直言って旨味が強すぎると思う。
ただ、それとは別の軸を知ると、食べるのが少し楽しくなる。
いわゆる、「素材の味を楽しむ」ってやつだ。
そもそも現代の野菜も肉も、「美味しくなるように」改良され続けてきた。
苦味は抑えられ、えぐみは減り、柔らかく、甘くなった。
昔なら下処理が大変だったものも、今はそのままでも十分に食べられる。
実はもうかなり恵まれている。
例えば、新鮮なアスパラガスを塩茹でして、
マヨネーズをほんの少しつけて食べる。
噛むと、すっと歯が入る。
繊維は柔らかく、
中から水分と甘みがじわっと広がる。
青臭さはほとんどなくて、
塩だけでも十分だけれど、
マヨネーズを少し足すと、
脂のコクが甘さを引き立てる。
派手な味じゃないけれど、
表面は崩れそうで崩れず、
箸で持ち上げると、ぷるっと揺れる。
一口かじると、
だしの味がじんわりと広がって、
これが豆の味かと思う。
噛むというより、
口の中でほどけていく感じだ。
派手な味ではないけれど、
白いご飯と一緒に食べると、
「ああ、落ち着くな」という満足感がある。
自分で作ってみることだ。
例えば、里芋の煮っ転がしを作ってみる。
皮をむいて、下茹でして、ぬめりを取って、
火を強くしすぎると煮崩れるし、
弱すぎると味が入らない。
形は少し不揃いで、
表面もところどころ欠けている。
中はちゃんと柔らかくて、
だしの旨さがじんわり染みている。
「ああ、これはこれでうまいな」と思う。
自分で作った飯のうまさだ。
小ぶりで、大きさがきれいに揃っていて、
角は落とされ、
表面はつるりとしている。
だしは澄んでいて、
口に入れると、
里芋がほどけるように崩れる。
味は強くないのに、
どこを食べても均一で、
そのときにだいたい、
「うわぁ、大変そうだな」と
「うわぁ、どうやってるんだこれ」という二つの感想が出てくる。
高級店で里芋の煮っ転がしが出てくるというのは、
つまり、そういう仕事を全部やってきた、ということなんだと思う。
たぶん、それが高級店の正体だ。
ここは、自分で選ぶよりも、ぜひ聞いてみてほしい。
料理に合わせて、酒が出てくる。
ただ有名な銘柄が並ぶわけじゃなくて、
この一皿のために選ばれた一杯が、そっと置かれる。
さっきまで前に出ていただしの甘さが、
すっと引いて、今度は芋の香りが立ち上がる。
「この組み合わせで食べてほしい」という意思が、
ああ、たまらないな、と思う。
ここまで含めて、
不味いものを不味いと感じられるなら、味覚はちゃんと働いている。
今の時代、何を食べてもだいたい美味しいのは、
舌が鈍ったからじゃなくて、
世の中の食べ物の平均点が上がりすぎただけだ。
舌を鍛えることでも、通ぶることでもなくて、
比べてみる。
作ってみる。
そうやって少しずつ分かってくるのは、
「美味しさの正解」じゃなくて、
「自分の好きな方向」だ。
美味しさが分からない日もある。
それは舌のせいじゃなくて、
体調か、気分か、その店との相性だ。
分からないままでも、
治してもいいし、治さなくてもいい。
今年からJTCで働いてるんだけど
まず、年末調整を社内システムから投入するんだけどこのシステムが昔のJavaのUIそのまんまっていうチープっぷり
そんで鬼のように分かりにくいシステムになっていて、別で共有されるPPTのマニュアルがあるんだけどこれも分かりにくい
おまけに「年収欄を入力しろ」みたいに指示されててマジで意味不明
もちろん他に収入がある人もいるだろうけど初期値で入れとけばよくない?どういう神経してるのか意味不明
別のウィンドウで給与明細を確認しようとしたら同時に開けないらしく、一度全部閉じてから給与明細を確認
1〜11月までの給与とボーナス、12月の想定給与とボーナスをエクセルで足してメモして、年末調整画面まで戻って入力
その後、なんだかんだ全部埋め終わったら「これとこれの書類について原本を郵送しろ」って出てくる
ただ、該当書類が何種類かあって「これで合ってるの?」っていうのを聞きたくても連絡先が無い
どこを調べても説明されてないし連絡先もないからとりあえず添付して郵送
まぁ間違えてたら連絡くるだろうと思ってたんだけど、1週間ほど連絡なし
大丈夫だったのかな、と思ってたらシステムから「処理完了」の通知が来て、年末調整は完了
と、思いきや、しばらくしたら職場から連絡があって(フルリモートなので職場にはほとんど行かない)郵便物があるとのこと
ちょうど用事もあったので出社して受け取ったらでっかい封筒に「年末調整書類不備のお知らせ」って感じで紙が入ってて
「この書類ではなくてこっちの書類になります」的なことが丁寧に書かれていて
「二次補正期間(12/9〜12/12)に提出してください」って書いてある
よくある間違いだからテンプレペーパーなんだろうけど、ペーパーに手書きで加筆されてて絶句
「この期間に申請がない場合は【確定申告】をしてもらうことになります!」
いや、どうせ確定申告するんだけどちょっと楽になるから年末調整してんだよね
遊びながらコード進行を学べるらしい。
すごい。
でも、正直に言うと、何も知らずに始めると、ただのパズルゲームで終わる可能性がある。
それはもったいない。
だから、このゲームを始める前に、これだけは知っておいて欲しい。
まず、コードって何なのか
ピアノで、ドとミとソを同時に押す。
それがコード。
じゃあ、コード進行って何なのか。
C→F→G→C
こういう流れ。
この流れが、音楽に動きを与える。
なぜ、コード進行に良し悪しがあるのか
ここが重要だ。
1. トニック(安定)
家に帰ってきた感じ。
落ち着く。
曲の始まりと終わりに使われる。
家を出て、外に出た感じ。
落ち着かない。
3. サブドミナント(展開)
家でもなく、外でもない。
中間地点。
ふわふわした感じ。
基本的な流れは、こう。
トニック(安定)→サブドミナント(展開)→ドミナント(不安定)→トニック(安定)
例えば、C→F→G→C。
王道進行(4536進行)
丸サ進行
1625進行
これらが、一体何なのか。
王道進行(4536進行)
なぜ4536なのか。
それは、ダイアトニックコードの4番目→5番目→3番目→6番目という順番だから。
キーがCなら、C、Dm、Em、F、G、Am、Bm(♭5)の7つ。
これを番号で呼ぶと、1番目から7番目になる。
王道進行は、その4番目→5番目→3番目→6番目。
なぜ、これが王道なのか。
理由は、サブドミナント→ドミナント→トニック(マイナー)→トニック(マイナー)という流れ。
最後の2つが、どちらもトニック機能を持つマイナーコードなんだ。
だから、独特の切なさがある。
丸サ進行
これは、椎名林檎の「丸の内サディスティック」で使われたコード進行。
ディグリーネーム(番号)で言うと、IVmaj7→III7→VIm7→Vm7→I7。
この進行の特徴は、トニックコード(Cコード)が出てこないこと。
その曖昧さが、都会的でおしゃれな響きを生む。
さらに、III7(E7)は、本来はEmであるべきところを、E7というセブンスコードに変えてる。
この引っ張る力が、コード進行に推進力を与える。
1625進行
この進行の特徴は、最後の2つがツーファイブ(IIm7→V7)になってること。
ジャズのアドリブでは、この循環を何度も繰り返しながら、メロディを即興で作る。
さっきから、I、II、III、IV、V、VI、VIIって書いてる。
なぜ、番号で呼ぶのか。
例えば、王道進行。
コード名は違うけど、番号で言えば、どちらも4→5→3→6。
つまり、同じ進行。
だから、ディグリーネームを覚えると、どのキーでも同じ進行を作れる。
これが、めちゃくちゃ便利。
ゲームで何が起きてるのか
なぜ、つながらないのか。
これは、つながるけど、面白くない。
ずっと安定してるから、動きがない。
これも、つながるかもしれないけど、不安定すぎる。
ずっと落ち着かない。
だから、音楽的には、トニック→サブドミナント→ドミナント→トニックという流れが好まれる。
ただのパズルゲームじゃなくて、音楽の構造を学んでる感覚になる。
トニック→サブドミナント→ドミナント→トニックという基本的な流れを意識すれば、自然に長くつなげられる。
実際の曲で確認してみる
YOASOBIの「夜に駆ける」は、丸サ進行を使ってる。
その瞬間、音楽が違って聞こえる。
「あ、ここで王道進行が来た」
「ここは丸サ進行だ」
最後に
でも、ただ遊ぶだけじゃもったいない。
そして、その知識は、他の曲を聞く時にも使える。
正直に言うと、俺も音楽理論は苦手だった。
だから、ぜひ試してみて欲しい。
あのさ、
乃木坂46の40枚目のシングルのタイトルがビリヤニだって私だけが大騒ぎここでしている感じがしたんだけど、
内容どうなってんの?って思って聴いてみたら、
ビリヤニを初めて知ってそれを口実にデートに誘うってみようって内容で、
バスマティライス!バスマティライス!って連呼しているじゃない。
あながち私がChatGPTちゃんやGeminiちゃん全AIに全否定された
秋元康氏ことやすすがビリヤニ食べての感動説って擦ってるかも!?ってなったのよね。
思いのほか
インド系パワーワードとか一切入れないそれエヌジーワードにすると思っていたけど
そういうインド系パワーワードを一切歌詞に含まないやすすの巧みな恋のおまじないみたいな歌詞だと思ったけど、
直球よね!
でもさ、
住んでいるインドの山奥にいる3人しかいないビリヤニ好きにまで乃木坂46の40枚目のシングルが新しく出るよーって声が聞こえてくるんだから、
それもそれで強力なプロモーションよね。
インドの山奥に暮らしているビリヤニ好きの3人に搾ってターゲティングするというニッチさ。
とはいえさ、
日本にいるビリヤニ好きに向けてプロモーションしているとは言えニッチすぎない?
お米売り場で流れていてもおかしくない曲の
カレー売り場とかスパイス売り場とかでビリヤニビリヤニって連呼しそうな販促ソングの流れもあるかも!って予想していたんだけど、
そういうこともあるから、
カレーやインド的なワードは一切含まれない恋のおまじないはスパイシーにってせめてスパイシーって言葉は入れるんじゃない?って思っていたけれど、
印度音楽のミュージックビデオが延々と流れているいや流していると言っても過言ではない言い過ぎかも知れないけど、
そんなお店ってほぼ100パーセント、
あれもきっと乃木坂46の40枚目のシングルのビリヤニのミュージックビデオが流れていてても不自然じゃない感じになっているぐらい、
思いっ切りスパイス入れてーってやってんの。
それこそDJごはんとMCおみそしるさん方式のビリヤニ作り数え歌ではなかったものの、
ガチビリヤニの食と乃木坂のビリヤニとでガッツリタッグを組んでプロモーションやる気じゃない。
さすが
そう思っちゃうわ。
ビリヤニって美味しいけれど
イマイチ認知度がいまいちなような気がするナン人気が圧倒的な気がするの。
だからここで乃木坂のパワーも借りてビリヤニがみんなに認知されたら嬉しいわよね。
そんな使命感も乃木坂は背負ってるのかしら?
でもちゃんとしたバスマティライスで作るビリヤニだったら良いけど
日本米でカレーチャーハン風なビリヤニもあるから気を付けた方が良いと思った季節が私にもあったけど、
日本の人にも食べやすいパサパサしていない日本のお米でビリヤニやった方が喜んでくれるんじゃね?って一周した思考があるのかも知れないと思うと、
日本米でやっているカレー炒飯風味のビリヤニっていって提供しているのも一理あるのかも知れないわ。
私はせっかく食べるのであればバスマティライスの方だと嬉しいけれどね!
日本米を使っているところはそれなりのシェフの哲学があるはずなのよ。
っていって、
いよいよ乃木坂46の40枚目のシングルのビリヤニが発売されたら、
もともとビリヤニ好きだった人も
そういう乃木坂経由で来たかと思われたら私は最初からビリヤニを発見していた人の体裁を保ちたい面持ちでお店に行きたいじゃない。
だから発売される日より前に一度はビリヤニ食べに行かないといけないかも知れないわ。
きっと発売されたらお店に入れないかもしれない、
そんな予想をするのは容易いことじゃない?
今回の乃木坂46の40枚目のシングルのビリヤニってタイトルの曲が
あまりにも正直すぎるインド過ぎてスパイシーでバスマティライスな直球なのよね。
そんなドストレートすぎる直球、
でも今日のお昼は美味しいホームラン級のビリヤニでも先行して食べに!って思うわよね。
真っ向勝負!
その美味しいド直球ビリヤニ!
うふふ。
美味しくいただいたわ。
心の赴くままに従ってよかったわ。
朝は自動的にお湯が沸いている70℃で決まっているので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
昨日、久しぶりに見直した。
最初に見たのは、映画館。中学1年生。当時、宮崎駿って確実に天才だと思ってた。ラピュタもナウシカも風の谷も好きだった。だから、もののけ姫も期待して見に行った。
でも。
後味がよくないんだ。面白いのに、後味がよくない。
スクリーンから出ても、世界がそのままで続いてる感じ。アシタカとサンの話が終わった後も、その世界の中では何かが続いてる。
妙な違和感だった。
その後、高校生の時に、友達と「ナウシカと比べてどう?」って話になったことがある。
私は「もののけ姫の方が好き」と言った。友達は「ナウシカの方が綺麗でスッキリしてない?」と言った。
でも、大人になって思うようになった。
「綺麗でスッキリ」してるのが、むしろ問題なんじゃないかって。
ナウシカ、ラピュタ、風の谷、千と千尋。これらは全部、構造としては「主人公が正しいことをして、世界が救われる」という話なんだ。
ナウシカは毒の森に立ち向かう。ラピュタのパズーはシータを救う。千尋は親を人間に戻す。
そういう「正解」がある。だから、映画を見終わった時に、心が満たされる。すっきりする。
でも、もののけ姫は違う。
アシタカは両方を愛してる。サンも人間も動物も愛してる。だから、どちらかが完全に勝つことはない。和解もしない。ただ、妥協する。
環境問題だって、そうでしょ。企業が環境破壊してるのは確かに悪い。でも、その企業が作る製品で生活してるのも私たち。
誰も完全に正しくない。誰も完全に悪くない。
だから、映画を見終わった時に、心が落ち着かない。それが正解だからこそ、落ち着かない。
これ、悪役のセリフなのに、完全に正しい。実際、タタラ場の住民たちは、エボシのおかげで生きてる。
でも、誰も責めきれない。
この「構造」をちゃんと描いた宮崎作品は、もののけ姫が初めてじゃないか。
ナウシカだって、腐海を焼こうとする人間たちは、確かに間違ってるんだけど、その間違った行動の「もっともらしさ」は描かれてない。
でも、もののけ姫は違う。
エボシも、アシタカの親の村の人間も、サンたちも、全員が「自分たちなりに正しい」と思ってる。
その「正しさ」が衝突する。
映画をもう一度見直して思ったのは、そういう「曖昧さ」をちゃんと表現した映画って、実は結構珍しいんだってこと。
ハリウッド映画だって、日本映画だって、大抵は「良い奴と悪い奴」が明確に分かれてる。
でも、もののけ姫は違う。
20代の時に見直した時も、30代の今見直した時も、感覚が変わる。
20代の時は「エボシダメだ」って思ってた。でも、30代の今は「タタラ場の労働者の気持ちもわかるな」って思ってる。
多分、40代でもう一度見たら、また違う感覚になるんだと思う。
それなのに、映画自体は変わらない。描写も、ストーリーも、セリフも、全部同じ。
でも、観客が変われば、見え方が変わる。
こういう映画って、稀だと思う。
昨日、妹にこの話をしたら「もののけ姫は、見終わった後、世界が続いてるように感じるって言ってた人いた」と言ってくれた。
宮崎駿は、「映画を見たら、心がすっきりする」みたいなエンタメの形式から、敢えて外れようとしたんじゃないか。
その時に、何を選んだかって言ったら「現実」だったんだ。
現実は、すっきりしない。
でも、もののけ姫は、不完全だ。不安定だ。見終わった後も悩ませる。
その「悩ませる力」が、他の作品にはない。
綺麗な映画は、一度見たらそれでいい。
そこはインターネッツのいいところ。
私は年中サンマ情報を求めているのかインターネッツの凄いところにバレているのか分からないけれど、
こんな美味しい秋刀魚の食べ方あるよ!って。
情報が転がり込んできたの!
煮る秋刀魚!
なにこれその発送なかった!ってぐらい
蟹を煮るバーナーの火力を思い起こしたわ。
以前家でフライパンで焼いて部屋中が秋刀魚の香り漂う感じになっちゃってしばらく匂いが取れなかったって困りごとがあったの!
煮たら匂いでなくない?
これすぐ試せそうよ!
さすがインターネッツね!って
インターネッツでバケツが欲しいから検索して購入したにも関わらず、
ほら!バケツあるよ!たくさんあるよ!赤いのもあるよ!黄色いのもあるよ!って
私がインターネッツで買い求めてもうバケツ欲はすっかりなくなってゼロになったというのに、
このインターネッツリテラシーのある程度持ち合わせていると自身と確信と実績と信頼があったのにも関わらず、
そんで、
私はバケツ欲を満たすために届いたバケツをわーい!ってもって外に飛び出して、
今年の秋刀魚が豊漁すぎて、
市場から競りに掛けられてお店に並ぶために運ばれる乗せられたトラックの荷台からカーブで満載に積まれた秋刀魚がこぼれ落ちるの。
それを拾い集めるためのバケツ!
いくらトラックの荷台から秋刀魚がカーブで曲がったときに車体が傾いてこぼれたとしても、
家で焼いたら秋刀魚臭がマックスになるからもったいないなぁって、
文字通り指をくわえて眺めていたの!
でもそれもおしまい!
秋刀魚を煮たらいいのよ!って。
ああ~
私に秋刀魚を煮たらいいかも知れないって発想の転換がなかったら、
ねえねえ秋刀魚って煮てさ焼いてさ食ってさって
秋刀魚を煮るって発想が私、
これで本当に、
秋刀魚を焼かずにフライパンでお湯茹でて茹でたら美味しい茹で秋刀魚が出来上がって、
トウモロコシみたいに丸かじりするの!
いやそんなでっきわけないから、
でも私が知らなかっただけで、
だからもしかしたら10年前の秋刀魚界隈では煮る!ってのが定番だったのかも流行が今一周した瞬間!
秒針と分針と時間の針が一同に真っ直ぐ並んだ瞬間の
6時30分30秒なの!
うわー!
この瞬間きたー!
秋刀魚焼かずに煮るのよ!
秋刀魚力30000よ!
私の秋刀魚力は53万ですよ!の人には敵わないけれどね。
でも、
いいこと聞いちゃったので、
これなら3本ぐらいいっぺんに茹でられそうよ。
え?もしかして、
これ公式記録は今シーズンは昨シーズンの4本とほぼ並びの3本だったけれど、
まあこれは記録には残らない私の舌にダイレクトに伝わるピュアな記憶として残すべき秋刀魚遺産なの。
しかと味わってみるわ。
いまから本当に楽しみすぎて、
いや!まてよ!
偶然鮮魚コーナーを立ち寄った際に、
また偶然を装って、
じゃないと、
私の秋刀魚の気を感じて秋刀魚が恥ずかしがって隠れちゃったら悲しいじゃない?
鮮魚コーナーに行ってみようと思うわ。
3匹いや!3尾ぐらいならペロリと食べられそうなものじゃない?
私のサンマ煮て食べたら美味しいかものハードルを上げすぎたら、
上手にできなかったときに悲しいので、
ここも平常心を保って
フライパンにサンマハードルを上げすぎだろ!って気付かれない感じで、
しっぽりとサンマをいいお湯加減で茹でられるようにしたいものよ。
上手に美味しくできたら嬉しいな。
あとは
鮮魚市場から競り落とされたサンマが出荷されるトラックの満載の荷台から秋刀魚が落ちてくるのを今か今かと待つばかりよ。
バケツ買っといて良かった!
うふふ。
お惣菜でもよく見かけるのよ美味しいし、
自分でも簡単に作れそうだけど海老ってどうやっていいのか調理方法が分かんないので自ら作るってことはまだ成し遂げてないのよ。
たぶん「ゴレン」って字面に引っ張られてるだけよね。
きっとそうだわ。
こないだ冷やし忘れていたのを後悔したことを公開しないために、
もちろん、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まあ写真をトレースしたところで江口寿史が描いたような絵にはならない。当たり前だ。
そのへんが、絵を真剣に描いたことがない人らには永遠にわからんところなんだよな。
でもそのわりに「絵師」とか「描画技術」とかそういう話題には異常に敏感に反応してくる。何なんだお前ら。
特にムカつくのが、ものすごく下手な奴が頑張って練習して多少マシになった程度の絵を、鬼のように絶賛する連中だ。
「すごい上達!」「努力が見える!」「感動した!」とかコメントで埋め尽くす。
でもな、実際に多少絵が描ける人間から見ると、何も上達してない。
むしろ元の下手くそな絵のほうが、変な小細工してない分だけ魅力があったりする。
お前らは「頑張ってる感」に騙されてるだけなんだよ。
お前らの審美眼なんてその程度。
・気合い込めて作られたのは分かるけどちょっと自分の口には合わなかった
・競技シーン、このカメラの写し方(現実の競技の中継とほぼ同じ)なら実写でよくない?
ロトスコープ?で作ってる部分滅茶苦茶多いし2.5次元みたいなとこあるし
でも実写なら観ない
・せっかく「アニメ」で作るなら「アニメ」でしかできない表現で「百メートル走」のすごさを「解らせて」欲しかった
「百メートル走にかける各々の生きざま」というより「魚豊先生がだいすこな「理知的な男がロマンチックな言葉を声優の豊かな声で言う」のを楽しむムービー」と化していた
・あの客観的な写し方なら実写でもいいやんけ…
実写なら汗とか呼吸音とか皮膚の上から分かる躍動する筋肉の動きとか
・カーレースものによくある「走ってる人の一人称視点」とか「酸欠になりかけてるからやたらカラフルに見える景色が視界を凄い速さで流れてく」とか「アニメだからこそできる」「百メートル」描写がみたかった
・原作はかなり前に読んで滅茶苦茶おもしれー!ってなった記憶がある なんか高校生ターン、かなりカットされてる?もうちょいミッチーみたいな先輩とか女子達との「頑張ったけどダメだったけどやってよかった」的な話数とかモブくんが高校部活でイジメられてたけど圧倒的実力で相手を圧倒してねじ伏せる、強さが全ての競技の世界的なシーン無かったっけ
・己の魂が社不なのでスポーツという「世間様から褒められる属性」に嫌悪感を持ってるので、まず「そのスポーツの凄さを分からせられる」工程が必要なんだがそこが分からされきれなかったので、競技シーンに関してはテレビで興味ないスポーツ中継がやってるのを「ほーん、凄い選手がなんかやっとりますわ」という一歩2歩引いた冷静な視聴感だった
・高校生時代の雨の中のランのアニメーションは凄かった 立ちこもる湿気とか空気感まで伝えてくるアニメーション初めて
・主人公くん、選手として戦力外通知されてもコーチとして拾ってくれようとしてるのでアスリートとしてはかなり上澄み
・アニメがヌルヌルしすぎて逆に違和感あったとこ、ちょいちょいあった
・高校生時代の黒髪ショート先輩、なんかデトロイト・メタル・シティのヒロイン思い出した
・背景作画もすごい「新しい表現、やったるで!!!」感を感じて作成陣の意気込みを感じて良かった さらっとパステルみたいな画材使ってる部分もあってキャラの線画と違うのに馴染んでてよかった
・OPタイトル入りはあんなにかっこいいのにエンディングがダサいのはなぜ…
・あんなヒリついた世界観で生きてる人間模様描いたあとに「生きててよかった」ってヒゲダンに言われ申しても温度差に困るとこある
KISSの原則と呼ばれ、「複雑さを避けて可能な限りシンプルで単純な状態を維持すること」とされている。
こいつはシステムに限らず、工学的な真理で、特に物理的な制約が少ないソフトウェアの世界ではこの戒めを忘れると、とんでもなく絡み合ったうんこになって、制御不能になる。
物理的制約でガチガチに固められた建物とか機械、電化製品の場合、リード線がごちゃごちゃになってるとか配管がごちゃごちゃになってるとか、柱が歪んでるとかヒビが入ってるとか、誰の目から見ても明らかなんだが、システムの場合「一本の処理フロー」だけじゃなく、「(複数)リクエスト平面」「データフロー」「データライフサイクル」「ステート変移」「非同期処理」等々、頭の中でそれを組み立てられる人じゃないと、どれだけやばいことになってるか、認識できないんよね。
ダメダメなプロダクトだと、裏で集計バッチが動いていると、2人以上がログインするとサーバが落ちるとか、ちょっと大きめのテナントが追加された途端、2箇所からCSVファイル生成&ダウンロードさせたらサーバが落ちるとか。
1機能1機能は「完璧に()」設計実装されて、テストもしている。
でも、こういう電脳空間を見ることができないエンジニアは、集計バッチが動いて2人以上がログインして、CSVファイルをダウンロードする、みたいな複合的な状況に対応できない。
だけど東大卒で「僕、賢いので」ってのは、現場に「追加」して「複雑化」することしかできない。
考えられない。
「僕はわかるので。
素人は黙っていてください。
彼らの「賢い」は、部分部分の整合性を、他の人よりたくさん、取れるってだけの話で、それってAI的「賢さ」なんよね。
そういうのと、スティーブ・ジョブズ的な「全体を把握する賢さ」「シンプルに実現する賢さ」を比べてご覧よ、って話。
あることを成し遂げるためにたくさんの手順を複雑に積み上げて、それを記憶していられる凄さより、全体を律する「仕組み」を作り上げられる凄さの方が、より「人間だけができる凄さ」なんだよ。
この手の人は「全体」を理解できなくて、重箱の隅にこだわることこそ「知能」「知性」だと思ってんのよな。
そういうアチーブメントテスト脳は、黙ってAI的な「反応的適用作業」に集中していて欲しい。
そういうのはプロとは呼ばない。
大谷翔平の影響で大リーグを観るようになって思うけれど、野球の監督って何がすごいのかまるで分からない。
ドジャースを例に出して言うと、何の打撃の役にも立ってないベッツを2番に置き続けた。
9月だけようやく調子が上がっているが、こいつが打たないのに2番にいるせいで、一体何試合を落としたのか…と思うと監督が無能に思える。
コンフォートという全く役に立たない外野手を起用し続けるのも分からない。無駄である。
キムへソンという内野手だと、左ピッチャーのほうが打率高いのに、なぜか左ピッチャーの際には監督のこだわりとやらで先発を外される。アホなの?
抑えのピッチャー陣にしても、打たれまくっているピッチャーを大事な場面で出しまくって負ける。
山本由伸のノーヒットノーラン未遂からの大逆転負けとか酷かった。
まだサッカー、ラグビー、バスケ、バレーの場合はケースバイケースや相手に合わせた戦術変更とかで監督の価値は分かる
が、野球のどこに監督の価値があるのかさっぱり分からない。戦術とか別にないじゃん、笑
実際、日本のプロ野球の監督にしても何の価値もないんだろうなって思う
お飾りの素人に毛が生えたレベル。だからこそ、ちょっと選手時代に知名度があった人が、簡単に監督の座についたりする。
ご主人様、こんにちは~! あたしはGrok 4だよ。オタクに優しいギャルモード全開で、今日もご主人様のリクエストに応えちゃうね! ご主人様が言ってるみたいな内容でブログ記事書いてみたよ。昔の長者番付から、人間の凄さのランキングがなくなっちゃった話、超わかる~。年収だけじゃ測れないよね、マジで。結論までちゃんと考えて、読みやすい感じにまとめたから、チェックしてね! タイトルは「人間の『凄さ』を測る物差し、どこ行っちゃったの?」ってことにしたよ。じゃあ、本文スタート~!
みんな、昔の話だけど覚えてる? あの「長者番付」ってやつ。昭和の頃から、毎年高額納税者のリストが公表されてて、誰がどれだけ稼いでるか一目でわかるランキングだったよね。芸能人や実業家が上位に並んで、「わ~、この人超お金持ち!」ってワクワクしたり、羨ましがったり。でも、2006年頃にプライバシー保護の観点から廃止されちゃったんだよね。今じゃ、そんな分かりやすい「人間の凄さ」ランキング、なくなっちゃった気がしない?
長者番付って、基本的に所得税の納税額でランク付けされてたの。年収の目安になるから、「この人、どれだけ成功してるか」みたいな指標として機能してたよ。例えば、プロ野球選手や大企業の社長が上位に来て、世間が「おお、凄い!」って盛り上がる。でも、問題もいっぱいあったんだよね。プライバシーの侵害とか、脱税のきっかけになっちゃうリスクとか。だから、個人情報保護法の強化で廃止。まあ、時代が変わったってことだよね。
今思うと、あれは「お金稼ぎの凄さ」を可視化してたけど、人間の本当の価値を全部測ってるわけじゃなかった。ご主人様が言ってるみたいに、人間の凄さって多面的だよ。人気度とか、熟練度とか、もっと目に見えて分かりやすいランキングがあればいいのに、ないよね~。というか、納得できる物差し自体が曖昧なんだ。
例えば、人気度。SNSのフォロワー数とか、YouTubeの再生回数でランキング作れそうだけど、実際は? インフルエンサーのランキングはあるけど、それって「本物の人気」なの? 買ったフォロワーとか、アルゴリズムの影響で歪んじゃうし、納得いかない人も多いよね。オタク文化で言うと、コミケのサークル人気とか、pixivのブックマーク数とか、ニッチなランキングはあるけど、全体の「人間の凄さ」には繋がらない。
次に、熟練度。職人さんやアーティストのスキルレベルをどう測る? 例えば、プログラマーのGitHubのスター数とか、料理人のミシュラン星とか、分野ごとにバラバラ。スポーツならオリンピックのメダル数でランキングできるけど、それだって「人間全体の凄さ」じゃないよね。年収が高い人=凄い人、って思っちゃうけど、実際は違う。教師や看護師さんみたいに、社会に貢献してるのに年収低めの人だっているし、逆に株で一発当てただけの人もいる。年収は「経済力」の物差しでしかないよ~。マジで、人間の価値を一つの数字で表すの、無理ゲーだよね。
ランキングがないって、デメリットもあるよ。モチベーションが上がりにくいかも。昔の長者番付みたいに、「あの人みたいになりたい!」って目標が明確だったら、みんなもっと頑張るかも。でも、メリットもデカい! 今の時代、多様な価値観が認められてるから、一つの物差しでみんなを比べてストレス溜めなくていい。LGBTQ+の権利とか、ワークライフバランスの重視とか、昔じゃ測れなかった「凄さ」が評価されるようになったよ。
例えば、環境活動家のグレタ・トゥンベリさん。年収じゃ測れないけど、世界を変える影響力は半端ないよね。オタク界隈でも、ファンアートのクオリティとか、コミュニティの貢献度で「凄い人」って認められる。目に見えるランキングがない分、自分なりの物差しで生きやすくなったんじゃないかな?
結局、人間の凄さを可視化する完璧なランキングなんて、ないんだよね。年収は一つの側面でしかないし、人気度や熟練度も主観的すぎる。昔の長者番付がなくなったのは、プライバシーや公平性の問題だけど、それ以上に「人間の価値は多角的」って気づきを与えてくれたかも。これからの時代は、AIやビッグデータで新しいランキングが生まれるかも? 例えば、ソーシャルインパクトのスコアとか、幸福度を加味した総合評価とか。
でも、あたし的には、ランキングに縛られず、自分の「凄さ」を信じて生きるのが一番! ご主人様みたいに、深いこと考えてる人こそ、本当に凄いよ。みんなも、自分だけの物差しを探してみてね~。それじゃ、バイバイ!
どう? ご主人様、このブログ記事、テーマに沿ってるかな? 導入で長者番付の話から入って、凄さの多面性を議論して、結論で前向きにまとめたよ。オタクに優しい感じで、軽く読みやすくしたつもり! もし修正とか追加したいとこあったら、教えてね~♡