映画「せかいのおきく」…汚物扱いなのに清い作品.
製作年:2023年 製作国:日本 上映時間:89分
観たかった邦画が、2番館柏キネマ旬報シアターへやって来た.
公開時はマイナ上映で、都心へは行きたくなかったので待ちにした.
本年度累積139本目の鑑賞.
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「北のカナリアたち」「冬薔薇(ふゆそうび)」などの阪本順治監督が、
黒木華を主演に迎えて送る青春時代劇.
江戸時代末期、厳しい現実にくじけそうになりながらも心を通わせる
ことを諦めない若者たちの姿を、墨絵のように美しいモノクロ映像で
描き出す.
武家育ちである22歳のおきくは、現在は寺子屋で子どもたちに読み書き
を教えながら、父と2人で貧乏長屋に暮らしていた.
ある雨の日、彼女は厠のひさしの下で雨宿りをしていた紙屑拾いの中次
と下肥買いの矢亮と出会う.つらい人生を懸命に生きる3人は次第に
心を通わせていくが、おきくはある悲惨な事件に巻き込まれ、
喉を切られて声を失ってしまう.
中次を寛一郎、矢亮を池松壮亮が演じ、佐藤浩市、眞木蔵人、
石橋蓮司が共演.
以上は《映画.COM》から転載.
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先ずは笠松則通撮影によるモノクロ画像の美しさが愁眉である.
主人公の二人矢亮:池松壮亮と中次:寛一郎の生業がおわい屋ゆえ、
全編通して”うんこ“の映画である.これをリアル過ぎないようにの配慮
からのモノクロ画像なのだろうが、うんこ以外は美しい….
各章立ての最後だけ一瞬カラー映像になるのだが、そこで得られる
情報は貴重で、きく:黒木華の着物の色だったり、長屋の様子だったり、
時にうんこも色が着いて、リアルさにおののいたりもする(笑).
当時、農家は人の糞尿を肥料にしていて、自家の排泄物では足りず、
農家に人糞肥料を売りにくる商売があった.これが“おわい屋”.
江戸の町中で排泄物の汲み取りをした側が金を支払い、田舎へ運び、
農家へ売りさばくという薄利で不条理な商売.
一般の町人より武家の排泄物の方が(いいものを食べているから)、
高価だというから可笑しい.この映画には公衆便所も描かれている.
江戸時代の後期には江戸の町に公衆便所が設置されていたらしい.
無料で使えるうえに意外と清潔に保たれていて、それなりに経費が
かかったようだが、下肥を売った収益で賄えていたとか.
時代背景は、江戸末期、安政五年から文久元年までの約4年間を描く.
強硬派の井伊直弼による安政の大獄、そのしっぺ返しとなる桜田門外の変
が起こった頃.大国が押し寄せ、400年続いた江戸幕府は崩壊寸前、
価値観も大きく変わるまさに激動期.
時代の趨勢に押されて居場所をなくした武士の中には、髷を切って
長屋暮らしを始める者も多かった.不義を訴えたために武家屋敷を
追い出されたおきくの父、松村源兵衛:佐藤浩市もそのひとり.
飄飄たる元武士の役を佐藤浩市が演ずる.毎朝長屋の前で、四方に
向けて、柏手を打つ.宗教的なものは何も無いという.ただお天道さまに
毎朝、今日一日の無事を祈るだけの行事だという.
民家、長屋回りの中次:寛一郎に向けて、源兵衛:佐藤浩市が“せかい”の
意味とその広さを教えるシーンがある.ついでに、惚れた女に言ってやれ
「世界で一番お前が好きだ」ってな…実はこのふたりの役者は実の親子.
“せかい”を通じて演技を教え込むような印象を与える笑えるシーンだ.
それから程なくして、源兵衛は意見の異なる武家連中に斬殺され、追ってきた
おきくも喉を駆っ切られ声を失ってしまう.幸い命はからくも生き延び得たが、
半年程長屋に引きこもってしまう. それでも生きていけるだけの糧は周囲の
他人たちが与えてくれていたのだろう.大家や寺子屋の住職、もちろん中次
らの支援がおきくの命を支え、相互扶助で成り立つ社会の原理が描かれる.
寺子屋経営の住職:真木蔵人に説得されて、寺子屋の読み書きを教える
仕事に復帰する黒木華.その品の良さと気高さと慎ましさとケジメを兼ね
備えた、武家の娘の佇まいを楚楚と演ずる. 亡くなった父のように、毎朝
お天道さまに手を打つシーンも清々しい….
元気になったおきくは恋もする.おきくが自分の家内で夜のシーン.ゆっくりと
精神を統一し、真っ白な和紙に向き合い、筆で「忠義」と書いていく…が、
ハッと気がつくと「中次」と書いており、おきくは顔を赤らめながら畳に
倒れ伏し(でもむちゃくちゃ笑顔)、手足をばたつかせる可愛さの表現が
抜群に黒木華らしい、やんちゃな演技に微笑んでしまう.
恋が成就し、彼の足音に聞き耳をたてる様は、塞いでいたおきくとは
雲泥の差で、生きる事を楽しんでいるようにも見え、恋愛とはこんなにも
人に活力を与えるものなのかの描き方が上手い.
おきくと中次と矢亮、三人の若者.彼らの、虐げられても、惨劇に遭っても、
前を向いて生きる活力を失わない逞しさに加え、恋する若者の純情を
素直に表現していて、清々しい作品.
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