はてなキーワード: ケラケラとは
やっちまったこととしては業務時間外の雑談。取り留めもないことをキャッキャ話してたつもり。でも本人はキャッキャと思ってないかもしれない。早く帰りてぇなあと思ってるかもしれない。
先日、派遣元の営業から電話が来て指摘されたことがある。それが実は人生で初めてで最初はびっくりした。時間に厳密な人々とのコミュニケーション経験がなさすぎて、鈍感になってるんだなと。少し仕事の話になったとしてもケラケラ笑えるレベルの話で気にしたことがなかった。
今回と前回で相手の派遣は別の人。確か派遣元会社も違う。相手目線から「またやってるわコイツ」と思われない(たぶん)のは、まだ救いなのかも。
とはいえ、やっちまったことは仕方がない。忘れた頃にやっちまいがちなのはどうにかせねばな。
週明け、「業務時間外に雑談で呼び止めんな」とクレームを受けそうな人にこっそり懺悔しに行こうと思う。流石に派遣本人に言うのは圧を感じさせそうだし、なんか違う気がするから。
あーあ。
(追記)
めんどくさいこと苦しいことがたくさんだけど報酬が子供がかわいいしかない
子供のかわいさで乗り越える
自分が産んだ子供が全員小学生に上がったお母さんは「人生が楽しい!」って感じでケラケラ笑ってる
頭が悪い親でも昔はむちゃくちゃが許されたからあたおかでも育児やってたんだよ
今の親はね、体罰NG、配偶者の愚痴を子供に言うのNG、お兄ちゃんorお姉ちゃんなんだから我慢しなさいNG、未就学児のお留守番NG、ヤングケアラー禁止
昔の親は子供が親の気に入らないことやれば拳で殴ればよかったし、きょうだいゲンカが起きれば「上の子が我慢しなさい」で解決できてた(できてねえ!)し、子供が2、3歳とかでも子供だけで外で遊ばせていたよ
https://anond.hatelabo.jp/20240609075743
https://web.archive.org/web/20200107215433/http://ashihara-hina.jugem.jp/?page=1
ブログをほったらかしてる間に、可愛いモノをいろいろ頂きました。
さっき頂いたばかりの「お菓子の家」
観て楽しむモノですが、ほんのりジンジャーブレッドの香りがもれる。。
かわいくて甘くておいしいモノに囲まれてると、子供の頃「ヘンゼルとグレーテル」読みながら
どっぷり溺れた高揚感を思い出しますよ。
魔女に食われそうになってでも、お菓子の家にかぶりつきたかった。(どん欲)(飢えてたのか)
渋谷「VIRON」系列です。ココハナの担当さんが、並んで買って来てくれました!
トーストせずにそのまま食べるのが一番おいしい。モチモチふわふわほんのり甘い系。
カゴいっぱいの、デニッシュ・バゲット・マフィン・クロワッサン!
さすがに食べきれないけど、至福。
最近、ずっと使ってたボロボロのガラケーをやっと機種変しました。
まだなんとか使えるんですけどね。メッキが剥げてボロボロで見る度ヘコむ、
しかし手に馴染んでるし愛着あるしで多少後ろ髪ひかれながら買い換えてみたら、
「もうだめだな、、」って思いながら、ボロボロの携帯を眺める時間が、そこそこストレスに
なってったっぽい。
「合わない」と思いながら、好転を期待して持ち続けるのか、早めに捨てるか捨てないか、
よくそういう話になるんですよ。もちろん、携帯に限らず。もちろん、みんな意見はバラバラ。
あっさり捨てると「潔いね!クールだね!」なんて言われがちですが、、、
5S軽っ!!
1
日記---
姉が、鍋つかみとコースターと、あと、クリスマスのオーナメントを作ってくれました☆
のせてみた。
鍋つかみは、こんな風に手を入れて使います。
マジメに料理するよ!!
1
日記---
ココハナ11月号発売中です☆
新連載スタートです!
宜しくお願い致しますね~☆
告知もほったらかして旅に出ておりました。
初の顔出しです!どーーーん!
ちっさ!なにやらカッコつけて座ってる!けど脚短っ!
ちょっと他人様にお見せできない様な、ナルシスト感満載&アホ丸出しの
あー。たのしかった!
変わったフルーツいっぱい食べた。
アイス食べすぎた。
呪われすぎ。
帰国したら、嬉しいお知らせが
最近うちに来てくれるようになったアシスタントさんの、初連載決定!!
おめでとう~!
うちの仕事場では、ケーキを何等分すべきか時々議論になりますよ。
美しさを優先すべきか、欲望を優先すべきか。。
私は断然、欲望派。
1
お仕事---
「cocohana(ココハナ)」11月号・9/28sat発売より
新連載スタートです☆
その後少しお休み頂いて(っていうか、その間に描きためる。。。)、また再開予定です。
第2回目は「メロンパン」
第3回目は「サンドウィッチ」
第4回目は「3色パン」
資料だもんね~とパンいっぱい食べてたら、若干体重が増えて戻りません。
(近況)
1
お仕事---
先日、「タイピスト!」を観に行きましたよ~。
いっつも思うけど、「可愛い」と「人間くささ」はちょっと仲が悪いです。
人間はなかなか「可愛い」だけじゃ成立しないので、「可愛い」を貫けば貫くほど、
心理を含めその存在の「生々しさ」は、やっぱりどうしても遠くなる。
周りの人たちの反応が、「可愛すぎてスバラシイ!大好き!」と「可愛いだけじゃね、、?」との
真っ二つなのが、なんか面白かった。
「かっこいい」と「人間くささ」も若干仲が悪い。
こないだ届いたDVD。ライアン・ゴズリングが主演じゃないけど準主役のギャング映画です。
基本、ギャング映画は苦手なんですよ。
暴力を楽しむスタンスに迷いがあるので、「わ~~ニヒルでカッコいい!!」になかなか酔いきれないんですが。。
その点これは、「ザ・エンターテインメント」!勧善懲悪、ストレートで感傷に浸る暇がない。
「アイツとアイツが絶対裏切る!」と思ったら、裏切らない。
ドンパチやられても痛くない。
人が死んでも悲しくない。
スーツ姿のライアン・ゴズリングをひたすら堪能する映画です。(個人的に)
巷には
「すっごくカッコ良いけど愛せるわけじゃない」とか
「カッコ悪いけど憎ったらしいけどなんかもう好きなんだけど!」とか
一筋縄じゃいかない感情がわんさか溢れているので、物語の中で「素敵なシンプル」を味わうのは、
癒しだな~。
何度か言ってますけど、ライアン・ゴズリングが大好きで。
いつまでたっても日本で未公開、日本語訳のDVDも未発売の映画、
「HALF NELSON」輸入盤DVDをこないだ勢い余って買ってしまいました。
アホなので知らなかったです。。。
詳しい人に教えてもらって、なんとかPCで視聴。
こちらの映画のゴズリングは、「カッコいいとこもあるけど情けなくてダメ過ぎてでも結局憎めない」
そんな感じです。たぶん。なんで「たぶん」かっていうと。。。
私、、、英語聞き取れないんですよ、、、、。
、、、、、、、、、、、、。(買うな)
だれか、日本語訳出してください。
1
本・映画---
先週末、内部も公開されてましたね。
スピリッツ編集部のほんの遊び心から始まったお遊び企画「落書き大会」が、
いいな~楽しそうだな~私も先生方の絵を生で観てみたいな~♪なんてフワフワ思っていたら、、、
22日夜に、作家限定内覧会&追加の落書き大会が開催されました!
新人さんから超ベテランの先生方まで100人近く(?たぶん)夜のオバQビルに集結しまして、
もはや空調もきかなくなっちゃったロビーと地下廊下にひしめき合って汗をダラダラかきながら、
でも皆さんほんと子供のような笑顔でケラケラにこにこ笑いながら、思い思いの落書きに
没頭されてました。
「豪華」だとか「贅沢」だとか「えっこの壁とドア持って帰ってうちの仕事場に設置したい、、!!」
とか、もちろん色々色々色々あるんですけど、、。
スゴイ先生方と同じ空間にいさせて貰っておいて、ショボイ事言っちゃいますけど、、、
子供の頃、ノートに落書きばっかしてたのに、「仕事」になったとたん落書きしなくなっちゃったな~、
私は笑っちゃうくらい絵が下手過ぎて、こういう場でなんの役にも立たないんですけど、
単純に、この空間を体感できたことが、ものすごーく嬉しくてめちゃくちゃ楽しかった!!
やー、こんなテンション上がったの久しぶりですよ、ほんとに。
ケラケラ笑い過ぎてほっぺた痛かった。
私がデビューした頃は「ベツコミ編集部」も、この本社ビルに入っておりまして。
当時まだピチピチヨチヨチ頭ん中今よりさらにお花畑だった私は、初めてこのビルに足を踏み入れた時、、、
「わ~でっかい会社だ!!」「わ~入館証とか渡されちゃった!!」みたいな。
毎日通われてる編集さん&社員の方々とは比べ物になりませんが、それでもやっぱり
色んな思い出がありますよ。
新社屋、3年後か。長いな~。あっと言う間かな。
1
お仕事---
私も良いカメラ欲しいけど、メカ音痴なので使いこなせる気がしなくてまだ買えてない。
特等席!
あと、「ぽっぽ焼き」。黒糖の、、細長いかすていら的なモノ?ちょっと八ッ橋っぽい味がします。
なかなか巡り会えなくて困ってたら、友人の彼氏がチャリであちこちの屋台をめぐって
探して買って来てくれました。男前!!
あとは、純喫茶風な店で久々にティーフロートとか珈琲フロートとかクリームソーダとか。
こういうの、たまに食べたくなるなる。
基本、爆発系が多い(笑)
至近距離で観過ぎてるせいか、迫力あり過ぎで毎度ゲラゲラ笑ってしまう。
音楽に合わせて花火が打ちあがるんですけど、「北の国から」がサンバ調にアレンジしてあってゲラゲラ。
「さだまさしはこのアレンジを許可するの?」「いや、しそうだよね。なんとなく(てきとう)」とか
今年、久々に新調した浴衣の柄があまりにかわいいのでさらしてしまえ。
洋服でバンビはなかなか勇気がなくて背負えないですけど、浴衣でモノトーンなら
子供っぽくならないし平気で背負えてしまう。かわいい。見てるだけでニヤニヤする。
1
日記---
仕事中、カフェラテばっか飲んじゃうので、体内浄化すべくさっそくゴクゴク。。
先日頂いたばかりのタンブラーです。
ぜいたく~。ソーダ買ってこよっと。
今描いてる漫画、食べものが沢山出てくるので 作画にいつもよりずっと
下絵終わってからアシスタントさんに入って貰うと もう間に合わないので、
下絵やりながらペン入れやりながらアシスタントさんに指示出しながら
作業を続けてるわけですが。。つまり頭ん中とっ散らかってます。
休憩したら仕事しなきゃ。
1
日記---
「Piece」の100万部超えのお祝い会をして頂きましたよ~♪
昨年末に超えてたらしいんですけど、色々有難いことに祝い事が重なってバタバタしてたので、
先週ゆっくりと。
若干、血が滴ったように見えなくも?ないですが?(笑)、水飴で書いてあるそうです。
すごい!ピースダック!!
お花もいただいてしまいました。。
左のオレンジの薔薇はプリザーブドで、ついこないだまで担当してくださってた編集さんが
「芦原さんのイメージに合わせて作りました」と、プレゼントしてくださいました。
この仕事をしてると、時々ふつうじゃ考えられないような豪華なおもてなしをして頂く事があって、
楽しい事も美味しい事も大好きなので、もの凄くもの凄くものすごーく嬉しくて
私はなんて贅沢な時間を頂いてるんだろうと、毎度毎度新鮮に感動します。
なんで感動するのかっていうと、たぶん未だ慣れてないからです。
とてもフツウの庶民的な家庭で育ったので。
その場その場は100%楽しくて、でも「こんなに沢山色々して頂いても、私何も返せないんじゃ?」
っていう微かな罪悪感も、後からうっすらと。
こういう罪悪感は全く持たない方が良い気もするし、多少は持っておいた方が良い気もするし。
罪悪感の出処を掘り下げてみると、いつも必ず「自信の無さ」なんですよね。
「期待されても何も出ませんよ~」っていう、逃げの防御。
相変わらず地味目ですけど、柔らかくて楽しい物語になるといいな、と。
小麦粉大好き!
1
お仕事---
巻末に、ドラマ撮影現場にお邪魔した時の、レポート漫画も載ってますよ~。
最後までお付き合い頂いた皆様、ほんとうに有難うございました!
そして・・今月発売の「Cocohana(ココハナ)」に、すでに名前が小っちゃく載ってましたね。
「ココハナ」11月号(9月28日ごろ発売?)~新シリーズスタートです☆
まだまだ先ですが、がんばってコツコツ描いてますので、チェックしてみてくださいね!
「えっ?なんで急に集英社?小学館と喧嘩したの??」とか深読みされそうな気が
しないでもないですが。。
小学館は専属契約が存在しないので、デビューしてからずっと、実は「フリー」なのでした。
何の保障もない、毎日が綱渡り状態のこんな仕事を選んじゃって私ったら大丈夫かしら??なんて
思いながら漫画を描いてきたけれど・・気が付けば時代の方が変わってきちゃって、
今や本当に「安定」した仕事なんて思いつかないですね。
進化なのか退化なのかはよく分かんないですけど、「変わっていくこと」は、個人的に、ワクワクする。
仕事以外も色々試せたらいいな。
https://anond.hatelabo.jp/20240609075716
https://web.archive.org/web/20200107215433/http://ashihara-hina.jugem.jp/?page=1
ブログをほったらかしてる間に、可愛いモノをいろいろ頂きました。
さっき頂いたばかりの「お菓子の家」
観て楽しむモノですが、ほんのりジンジャーブレッドの香りがもれる。。
かわいくて甘くておいしいモノに囲まれてると、子供の頃「ヘンゼルとグレーテル」読みながら
どっぷり溺れた高揚感を思い出しますよ。
魔女に食われそうになってでも、お菓子の家にかぶりつきたかった。(どん欲)(飢えてたのか)
渋谷「VIRON」系列です。ココハナの担当さんが、並んで買って来てくれました!
トーストせずにそのまま食べるのが一番おいしい。モチモチふわふわほんのり甘い系。
カゴいっぱいの、デニッシュ・バゲット・マフィン・クロワッサン!
さすがに食べきれないけど、至福。
最近、ずっと使ってたボロボロのガラケーをやっと機種変しました。
まだなんとか使えるんですけどね。メッキが剥げてボロボロで見る度ヘコむ、
しかし手に馴染んでるし愛着あるしで多少後ろ髪ひかれながら買い換えてみたら、
「もうだめだな、、」って思いながら、ボロボロの携帯を眺める時間が、そこそこストレスに
なってったっぽい。
「合わない」と思いながら、好転を期待して持ち続けるのか、早めに捨てるか捨てないか、
よくそういう話になるんですよ。もちろん、携帯に限らず。もちろん、みんな意見はバラバラ。
あっさり捨てると「潔いね!クールだね!」なんて言われがちですが、、、
5S軽っ!!
1
日記---
姉が、鍋つかみとコースターと、あと、クリスマスのオーナメントを作ってくれました☆
のせてみた。
鍋つかみは、こんな風に手を入れて使います。
マジメに料理するよ!!
1
日記---
ココハナ11月号発売中です☆
新連載スタートです!
宜しくお願い致しますね~☆
告知もほったらかして旅に出ておりました。
初の顔出しです!どーーーん!
ちっさ!なにやらカッコつけて座ってる!けど脚短っ!
ちょっと他人様にお見せできない様な、ナルシスト感満載&アホ丸出しの
あー。たのしかった!
変わったフルーツいっぱい食べた。
アイス食べすぎた。
呪われすぎ。
帰国したら、嬉しいお知らせが
最近うちに来てくれるようになったアシスタントさんの、初連載決定!!
おめでとう~!
うちの仕事場では、ケーキを何等分すべきか時々議論になりますよ。
美しさを優先すべきか、欲望を優先すべきか。。
私は断然、欲望派。
1
お仕事---
「cocohana(ココハナ)」11月号・9/28sat発売より
新連載スタートです☆
その後少しお休み頂いて(っていうか、その間に描きためる。。。)、また再開予定です。
第2回目は「メロンパン」
第3回目は「サンドウィッチ」
第4回目は「3色パン」
資料だもんね~とパンいっぱい食べてたら、若干体重が増えて戻りません。
(近況)
1
お仕事---
先日、「タイピスト!」を観に行きましたよ~。
いっつも思うけど、「可愛い」と「人間くささ」はちょっと仲が悪いです。
人間はなかなか「可愛い」だけじゃ成立しないので、「可愛い」を貫けば貫くほど、
心理を含めその存在の「生々しさ」は、やっぱりどうしても遠くなる。
周りの人たちの反応が、「可愛すぎてスバラシイ!大好き!」と「可愛いだけじゃね、、?」との
真っ二つなのが、なんか面白かった。
「かっこいい」と「人間くささ」も若干仲が悪い。
こないだ届いたDVD。ライアン・ゴズリングが主演じゃないけど準主役のギャング映画です。
基本、ギャング映画は苦手なんですよ。
暴力を楽しむスタンスに迷いがあるので、「わ~~ニヒルでカッコいい!!」になかなか酔いきれないんですが。。
その点これは、「ザ・エンターテインメント」!勧善懲悪、ストレートで感傷に浸る暇がない。
「アイツとアイツが絶対裏切る!」と思ったら、裏切らない。
ドンパチやられても痛くない。
人が死んでも悲しくない。
スーツ姿のライアン・ゴズリングをひたすら堪能する映画です。(個人的に)
巷には
「すっごくカッコ良いけど愛せるわけじゃない」とか
「カッコ悪いけど憎ったらしいけどなんかもう好きなんだけど!」とか
一筋縄じゃいかない感情がわんさか溢れているので、物語の中で「素敵なシンプル」を味わうのは、
癒しだな~。
何度か言ってますけど、ライアン・ゴズリングが大好きで。
いつまでたっても日本で未公開、日本語訳のDVDも未発売の映画、
「HALF NELSON」輸入盤DVDをこないだ勢い余って買ってしまいました。
アホなので知らなかったです。。。
詳しい人に教えてもらって、なんとかPCで視聴。
こちらの映画のゴズリングは、「カッコいいとこもあるけど情けなくてダメ過ぎてでも結局憎めない」
そんな感じです。たぶん。なんで「たぶん」かっていうと。。。
私、、、英語聞き取れないんですよ、、、、。
、、、、、、、、、、、、。(買うな)
だれか、日本語訳出してください。
1
本・映画---
先週末、内部も公開されてましたね。
スピリッツ編集部のほんの遊び心から始まったお遊び企画「落書き大会」が、
いいな~楽しそうだな~私も先生方の絵を生で観てみたいな~♪なんてフワフワ思っていたら、、、
22日夜に、作家限定内覧会&追加の落書き大会が開催されました!
新人さんから超ベテランの先生方まで100人近く(?たぶん)夜のオバQビルに集結しまして、
もはや空調もきかなくなっちゃったロビーと地下廊下にひしめき合って汗をダラダラかきながら、
でも皆さんほんと子供のような笑顔でケラケラにこにこ笑いながら、思い思いの落書きに
没頭されてました。
「豪華」だとか「贅沢」だとか「えっこの壁とドア持って帰ってうちの仕事場に設置したい、、!!」
とか、もちろん色々色々色々あるんですけど、、。
スゴイ先生方と同じ空間にいさせて貰っておいて、ショボイ事言っちゃいますけど、、、
子供の頃、ノートに落書きばっかしてたのに、「仕事」になったとたん落書きしなくなっちゃったな~、
私は笑っちゃうくらい絵が下手過ぎて、こういう場でなんの役にも立たないんですけど、
単純に、この空間を体感できたことが、ものすごーく嬉しくてめちゃくちゃ楽しかった!!
やー、こんなテンション上がったの久しぶりですよ、ほんとに。
ケラケラ笑い過ぎてほっぺた痛かった。
私がデビューした頃は「ベツコミ編集部」も、この本社ビルに入っておりまして。
当時まだピチピチヨチヨチ頭ん中今よりさらにお花畑だった私は、初めてこのビルに足を踏み入れた時、、、
「わ~でっかい会社だ!!」「わ~入館証とか渡されちゃった!!」みたいな。
毎日通われてる編集さん&社員の方々とは比べ物になりませんが、それでもやっぱり
色んな思い出がありますよ。
新社屋、3年後か。長いな~。あっと言う間かな。
1
お仕事---
私も良いカメラ欲しいけど、メカ音痴なので使いこなせる気がしなくてまだ買えてない。
特等席!
あと、「ぽっぽ焼き」。黒糖の、、細長いかすていら的なモノ?ちょっと八ッ橋っぽい味がします。
なかなか巡り会えなくて困ってたら、友人の彼氏がチャリであちこちの屋台をめぐって
探して買って来てくれました。男前!!
あとは、純喫茶風な店で久々にティーフロートとか珈琲フロートとかクリームソーダとか。
こういうの、たまに食べたくなるなる。
基本、爆発系が多い(笑)
至近距離で観過ぎてるせいか、迫力あり過ぎで毎度ゲラゲラ笑ってしまう。
音楽に合わせて花火が打ちあがるんですけど、「北の国から」がサンバ調にアレンジしてあってゲラゲラ。
「さだまさしはこのアレンジを許可するの?」「いや、しそうだよね。なんとなく(てきとう)」とか
今年、久々に新調した浴衣の柄があまりにかわいいのでさらしてしまえ。
洋服でバンビはなかなか勇気がなくて背負えないですけど、浴衣でモノトーンなら
子供っぽくならないし平気で背負えてしまう。かわいい。見てるだけでニヤニヤする。
1
日記---
仕事中、カフェラテばっか飲んじゃうので、体内浄化すべくさっそくゴクゴク。。
先日頂いたばかりのタンブラーです。
ぜいたく~。ソーダ買ってこよっと。
今描いてる漫画、食べものが沢山出てくるので 作画にいつもよりずっと
下絵終わってからアシスタントさんに入って貰うと もう間に合わないので、
下絵やりながらペン入れやりながらアシスタントさんに指示出しながら
作業を続けてるわけですが。。つまり頭ん中とっ散らかってます。
休憩したら仕事しなきゃ。
1
日記---
「Piece」の100万部超えのお祝い会をして頂きましたよ~♪
昨年末に超えてたらしいんですけど、色々有難いことに祝い事が重なってバタバタしてたので、
先週ゆっくりと。
若干、血が滴ったように見えなくも?ないですが?(笑)、水飴で書いてあるそうです。
すごい!ピースダック!!
お花もいただいてしまいました。。
左のオレンジの薔薇はプリザーブドで、ついこないだまで担当してくださってた編集さんが
「芦原さんのイメージに合わせて作りました」と、プレゼントしてくださいました。
この仕事をしてると、時々ふつうじゃ考えられないような豪華なおもてなしをして頂く事があって、
楽しい事も美味しい事も大好きなので、もの凄くもの凄くものすごーく嬉しくて
私はなんて贅沢な時間を頂いてるんだろうと、毎度毎度新鮮に感動します。
なんで感動するのかっていうと、たぶん未だ慣れてないからです。
とてもフツウの庶民的な家庭で育ったので。
その場その場は100%楽しくて、でも「こんなに沢山色々して頂いても、私何も返せないんじゃ?」
っていう微かな罪悪感も、後からうっすらと。
こういう罪悪感は全く持たない方が良い気もするし、多少は持っておいた方が良い気もするし。
罪悪感の出処を掘り下げてみると、いつも必ず「自信の無さ」なんですよね。
「期待されても何も出ませんよ~」っていう、逃げの防御。
相変わらず地味目ですけど、柔らかくて楽しい物語になるといいな、と。
小麦粉大好き!
1
お仕事---
巻末に、ドラマ撮影現場にお邪魔した時の、レポート漫画も載ってますよ~。
最後までお付き合い頂いた皆様、ほんとうに有難うございました!
そして・・今月発売の「Cocohana(ココハナ)」に、すでに名前が小っちゃく載ってましたね。
「ココハナ」11月号(9月28日ごろ発売?)~新シリーズスタートです☆
まだまだ先ですが、がんばってコツコツ描いてますので、チェックしてみてくださいね!
「えっ?なんで急に集英社?小学館と喧嘩したの??」とか深読みされそうな気が
しないでもないですが。。
小学館は専属契約が存在しないので、デビューしてからずっと、実は「フリー」なのでした。
何の保障もない、毎日が綱渡り状態のこんな仕事を選んじゃって私ったら大丈夫かしら??なんて
思いながら漫画を描いてきたけれど・・気が付けば時代の方が変わってきちゃって、
今や本当に「安定」した仕事なんて思いつかないですね。
進化なのか退化なのかはよく分かんないですけど、「変わっていくこと」は、個人的に、ワクワクする。
仕事以外も色々試せたらいいな。
自分は1年未満で成婚退会した身で、馬力入れて色んな女性と出会ったけど、
金のかかる相談所は、マッチングアプリと違って、さぞまともな婚活女性がいるのでは?と思うだろ?
違うんだよ。
自分から男にお見合申し込んで来たにも関わらず、お茶代のお礼を言わない、そもそも「お時間ありがとうございます」も言わない、お別れの挨拶もしない。
↑普通にいる。
初対面のお見合の席で失礼なことを言ってくる。
家族の病歴を根掘り葉掘り聞く、離婚理由を聞いてケラケラ大声で笑う、「婚活って大変ですよね〜」と雰囲気台無しの興ざめする話題を出す。
↑これも普通にいる。
仮交際になってもLINEの返事は3日後が普通、オシャレなお店に連れて行ってあげてるから来てくれるだけなんだろうな…という人
↑これも本当にいる
一貫して感じたのは「男が何かしてくれて当たり前」みたいな女性が多かったかな。
お茶代出しても「それは男が出して当たり前でしょ」と心では思ってるんだろうな。
いや、出すけどさ、その態度は人としてどうなの。
植草先生だって、動画で同じ態度の女性を叱ってたけど、叱られる態度だと思うんだ。
結婚相談所ってマッチングアプリと違って自分と相手方の仲人の監視の目があるの知ってるのかよ!?!?
だから、これから相談所で婚活する男性に気をつけてほしいことは、可能な限り短期決戦したほうがいいよ。
「こいつら、何で自分からお見合申し込んできて、お茶代(2000円とかする)男性負担なのを知ってるのに、こんな偉そうなの?」
って思うもん。
言うのもなんだけど、自分、一応は年収も学歴も平均以上で、勤務先も名が知れてるし、家事両立できるし(そんな残業ないから)、
四十いってて同年代希望(別に子供絶対ほしいとかないから)だけど、同年代の女性ってこんなんなんだって思ったもん。
正直に言う。ごめん。
でも、一応は目立つようなプロフィールだったから(同年代の中ではかなりお見合沢山きたほうだと言われた)、運よく選ぶ立場・・だったのだろうな・・(人様を選ぶような人間ではないけどさ・・・)
「ありがとう」が言える人少ないんだよ。
基本的なことができない人多過ぎんか?(男は知らんよ、男性とはマッチングできないから)
頑なに飲み会避ける人たまにいるじゃん。
忘年会・新年会みたいなのだけじゃなくて、送別会みたいなのも避ける。
そういう人って普段のコミュニケーションからちょっと難しいイメージがある。報連相しないとか。
とにかく飲み会は避けて通る。
でも仕事の上で必要なコミュニケーションは取るし、別に人当たりが悪いわけではない。むしろ朗らかだし、相手の意図を汲んでくれるし、人のフォローもするし、仕事できるいい人だった。部内だけじゃなく外からの評判も良かった。
でも本当に飲み会は来ない。家族いるからとかじゃなく、独身一人暮らしペットなどもいないと本人が言っていた。
超まれに参加することもあるけど基本毎回不参加。参加した時は普通にニコニコしてて、誰かの話にケラケラ笑ってくれて、すごく感じのいい人だったからますます謎。
その人が辞めることになったんだけど、部で辞める人にいつも書いてる色紙をその人はお断りしたらしい。
回ってこないから、書かないのかな?誰かやってる?って比較的仲良さげな人に聞いたら、申し訳ないから色紙とかプレゼントとかやめてって言われたそうな。
そんなに関わりないような自分のところにまでご挨拶来てくれた。
「◯◯の時お世話になりました」って、多分2年くらい前のプロジェクトでの話が出て、そういえばその時お手伝いしたなあって思い出した。そんくらいのレベルなのに、フランセのミルフィユくれた。いい人。甘いの好きじゃない人にはゆかり(えびせんべいのやつ)だったらしい。
大学生のころ、元カレがいたのだが、彼の家にお泊まりして、トイレを借りていると、彼は鍵をコインを使ってこじ開けて扉を開けてきた。
半ケツで頑張って扉を閉めようと歩く私を見て、彼はケラケラと笑っていた。
一度だけでない。何度も何度もしてきた。
私は本気で嫌がり、やめてと言ったつもりだが、複数回そのいたずらは続けられた。
そのうち飽きてやらなくなったように思う。覚えてないけど。
恐らく私が嫌がるさまを見て楽しんでいるのだ。
今でもトイレの前に人が通ると、こじ開けられるんじゃないかと怖くなる時がある。
まあその元カレとは半年で別れ、もう2年になろうとしているので、すっかり過去の話なのだが、 思い返せば元彼との関係はデートDVのケがあったかもしれんな。
いや、もうあんまり覚えてないけど、まあ私視点の話だからなんとも言えないけど、 巷のデートDVチェックリストにはそれなりに当てはまるなぁ…みたいに思う。
・私が傷つくことをわざと言って私が傷付くさまを楽しむ 例えば巨乳の二次元キャラクターと私の身体を見比べてあからさまに馬鹿にするとか。
・LINEなどの内容をすべてチェックする。その上でつまらんなどと文句をつける
・YouTubeの履歴を見るのは本当にやめてと何度か言ったけど結局見る。その上で変なのを見てたらからかい、そういうのがなかったらつまらんと文句を言う。
・研究室で私が他の男子と楽しそうに喋っていると怒る。やめろという。やめなかったけど。
・他の男子と少し話していただけで、その男の子のことを好きだろうと言って私を責める。私が好きなのは君だから安心せいって言ってるのに。
・避妊具なしでの性行為を強要する。私は自衛のために低用量ピルを飲んでいた。精神的に不安定になったのはこのせいもあったと思う。
・疲れているので家に帰りたいと言っても無理やり自分の家に泊まらせる。
余談だが、彼はずっとオカモトゼロツーの避妊具を使用していたけれど、のちに他の人に避妊具レビューをしてもらったところ、「これは非常に分厚く感じて刺激が得られないので、これを使っていたらナマでしたくなるかもしれない」と言っていたので、そのせいもあったのかもね。
・不機嫌になると、(自分が馬鹿にされたと感じる、がトリガーに感じていた)、私の話を無視する、不機嫌を私に当たり散らし、私が謝り倒しても無視を続ける。
無視も、「僕は傷ついたのであなたを無視しますよ」のアピールがあからさまなのだ。「つーん」とマジで口に出し、顔を反らして不機嫌そうな顔をする。
①
上島竜兵が死んだ時、特別大ファンというわけでもなかったのに何故か家でオンオン泣いた。その時はわからなかったけど、私は上島竜兵が生きているだけで社会の懐の深さを勝手に感じていたんだと思う。バカがつくほど(おそらく)優しくて、優しいが故に少しポンコツでも生きていける世の中の余裕を私は彼に見出していて、だから彼の芸風を見ても辛くなることがなく、ケラケラと笑って見れたんだと思う。社会のシステムだけではこぼれ落ちてしまうかもしれない、とびきり優しい人は、生きているだけで社会そのものが本来持ちうる懐の深さや余裕を証明していた。その人が、おそらく世の中で最も辛い自死を選んだことに完全に打ちのめされたんだと思う。
②
「くもってら ドーナッツ 食べたくなったけど
チバユウスケが書いた「誰かが」の歌い出しには、そういう世の中にまだあるかもしれない懐の深さや暇を感じる。ドーナッツを見て「なんでこの穴空いてんだ、かわいいな」と、思える世の中にある一瞬の暇や余裕を感じる。このワンフレーズを聴くだけで元気が出る、大好きだ。「誰かが」でチバはその後、こう宣う。
「誰も教えてくれない でもわかっていることがある
誰かが泣いてたら 抱きしめよう それだけでいい
誰かが笑ってたら 肩を組もう それだけでいい」
なんだよそれ。信じられないくらいシンプルな話に落ち着いて、子供っぽさすらある。でもその子供っぽさに私はこの1年間、本当に随分支えられた。エブリバディ・ニーズ・サンバディーって言ってくれたから、駄々をこねれたこともあった。
③
「涙がこぼれそう」も大好き。私はこれをただの酔っ払いの曲だと思ってる。だってあまりにも見覚えのある光景が多すぎるから(笑)。夜中に泥酔して、ロータリーで寝っ転がってて、転んだ拍子に口とか切ってるんだよ。立ち上がりたくねー、てかここどこだよとか思ってると男女が横でキスとかしててマジで情けなくて泣けてくる。夫くーん、ここどこ〜迎えに来て〜とか電話したくもなる。んで、気づいたら朝になってて、おっしゃ!帰るか!って。覚えがあまりにもありすぎる。
チバが死んで、多くの人がこれを追悼ソングに選んだ。でもこれは、チバが酔っ払いのことをかっこよく歌ってくれたもの。私にとってはそう。
④
そもそも、私はあまりうるさい曲が好きじゃない。Birthdayだってミッシェルだって、学生の時にちょろっと聞いたけど、はまらなかった。なのに、youtubeディグで、民生の「世界の終わり」をみつけて、心がブルブルと震えて、アベフトシのことを知り、解散ライブの映像を見て、知りもしないバンドの聴いたことのない曲でポロポロ涙が出た。
⑤
思えば、うるさい曲を好んで聴くようになったのは、大人であることを求められるようになった社会人になってからかもしれない。
⑥
「息もできない」は、世界の終わりのライブ映像を狂ったように見続ける私に、10年来のマブが「これも好きなはずだ」と教えてくれた。そして、完璧にBirthdayにハマった。ほんと、今年「息もできない」を狂ったように聞いた。Aメロの文字数に比べると、Bメロの文字数は極端に少なくて、その言葉少なさを保ったままサビに駆け抜けていく。
⑦
チバユウスケが作る歌、特にbirthday以降は、すべてがシンプルな話に帰着していく。そこが好きだ。大人になったことや忙しさを盾に、正当な理由ばかりが上手くなっていく中で、取りこぼしてしまいそうになる単純なことを思い出させてくれる。歩いて家に帰る夜道、お風呂に入っている時、大音量でイヤフォンから「アイラブユーは最強、愛し合う姿は綺麗」とチバが叫んでくれる。
⑧
チバがインタビューで大きい愛と小さい愛の違いを問われた時の回答が好き。
「愛だけで何もかもが作られていればいいなとは思うけど。それは無理なんだよ。無理なのは知ってるんだけど、それでも愛で行こうよ、と俺は思うけどね。(中略)いろんなところにポツポツと愛があるじゃない。それがあればすごくいいことになるっていう風に思っただけ。マジックの人がいて、そこにロウソクがあってさ、パチン(指を鳴らす音)ってやったら、火がついたのよ。小さな愛って、ちょっとそれに近いっていうか。なんか“おぉ〜”と思って。違うかな(笑)。」
【追記】
ブクマですげー怒られててこわい。
もちろん今は隠し事してた俺も悪いって思ってるけど、あそこまでショック受けるとは思わなかったしデマがあっという間に広まって当時は冷静な判断が出来なかったんだよ。
あといくらキモいからって人の顔見て吐き真似してキモがるの本当にやめろマジで。
【再追記】
なんか二回も結婚してる設定にされてるけど一回もしてねえよw
どっちも結婚直前まで関係を深めたけど一人目は仕事が忙しくて全然会えない時期が続いて振られる、二人目はパンデミックの最中に反ワクかつ中国大嫌いなネトウヨになっちゃって、色々話し合った結果価値観が合わないねって別れたんだよ。俺は中国と台湾のアート市場に凄い可能性を感じてるんで。
特に二人目の人は画家やってて俺のビジネスパートナーでもあり、一緒に個展を企画開催したり画集の出版までしたのにあんなことになって本当に残念だわ。
【再々追記】
いや、なんか…久しぶりにいとこの夢見て、昔を思い出して嬉しくなって独り言感覚で走り書きしただけなのに、ここまで多くの人にマジレスさせちゃって本当にすまん。
ただ、だいぶフェイクも入ってるので支離滅裂な内容になってるだろうし、色々誤解を招く内容になってるからしょうがないか。
でも中学のときからたびたび女のイジメグループのターゲットになってたので、連中のような醜悪な女集団は絶対に現実に存在するとだけは強く言っておきたい。
hiruhikoando ずいぶんと親族間の結束が強い親戚だなという感想。華僑的な 増田 男女
俺の家系は一家揃って韓国系(在日朝鮮)なので日本の一般家庭とはたしかに違うかもね。
take-it “詳細を事細かに話した”=彼女にもいとこと同棲してるのを説明したと思われるのに、ブクマカにここまでフルボッコにしてるの、怖い。お前ら、何があったんだっていうか羨ましいのか。マンガみたいな青春。
そう、ちゃんといとこの事情とか話して(だいぶ慌ててまくし立てた記憶があるけど)あの冷たい拒絶だから当時18歳の俺にはどうしようもなかったよ。漫画は全然わからんが喘息持ちの人と一緒に暮らすのを羨ましがる奴がもしいるなら、あの病気の怖さを知らんのだろうなと軽蔑する。
moeshine 元カノ側も「一時期は男という性別自体が嫌いになるくらい拗らせ」ててもおかしくないような話な気が
俺が中退してすぐ後にmixiで元彼女の日記見たらパイプ煙草咥えてるマッチョな彼氏と付き合ってる報告上げててその後結婚したらしいから幸せだと思うよ。
mirakukira 韓国系なら先に書けよ、キモイと言われるのも納得だわ
こういうの久しぶり。2000年代前半は色んなとこでお前チョンかよって蔑まれたけどもう慣れたわ。
あとsnegってなにってググったら確かにそれっぽい話で俺も笑ったわ。えろげー一切知らんけど。
ので色々思い出したので独り言。
大学一年の冬に俺が二股かけて女を弄んでるっていう根も葉もない噂が学内に流れて、当時付き合ってた子に会いに行ったら、両手を口元に当てて今にも膝から崩れそうな勢いで号泣してて、取り巻きの女二人が俺に向かってアイツキモっと連呼しながら俺を見るなり口元に手を当ててオエッと吐き真似をする始末。
「なにこれ?」
と思って当時同じ大学に通ってて訳アリで同じアパートに暮らしてた幼馴染に聞いてみたら「どうやら同学年の連中の殆どがアンタと私が付き合ってると勘違いしてるっぽいぜw」とケラケラ笑いながら言ってきて。
俺は笑い事じゃないんだが?ってガチで心底イラつきながら泣いてる彼女に詳細を事細かに話したんだけど、泣きながら
「気持ち悪い」
とか言って一蹴される始末。
それ以来、女の
「気持ち悪い」
発言と口元に手を当ててショックを受ける仕草がホントにマジで無理になったんだけど、これやる奴ガチのマジで漏れなく苦しんで死んでほしいしキモいのはお前の方だ馬鹿野郎。感情的でストレス耐性低い奴ホント無理。
俺が同棲してたのは同い年のいとこの女の子で、彼女は喘息持ちでしょっちゅう命の危機に曝されるほどの発作に襲われながらも、大病した旦那に先立たれ太鼓で有名な手かざし系カルトにハマった母親のせいで高校一年頃から病院に連れて行ってもらえなくなって、その後インフルエンザと後遺症の気管支喘息にかかってマジで死にかけたりしてたらしい(喘息って拗らせると本当に死ぬので皆気を付けて)。
その現状を知った俺の両親が高3一学期にいとこを自宅に連れてきて保護し入院させ、それ以降、まあ幼馴染だし長期に一緒に暮らすの小学生の夏休み以来だなって高校卒業まで姉弟みたいに暮らしてて、最初はガリガリで小学校低学年くらいの体格しかなくて死ぬんじゃないかと心配してたけど内心は一人っ子の俺に姉弟が出来たみたいで楽しくて、お互い絵を描くのが好きだったから無事に同じ美術大学に進学して実家を離れルームシェア状態になって以降、学校では殆ど話さないけど通学路とか電車内では色々家の事とかバイトや買い物のこととかで話すことがあって、その様子が同級生に噂になったらしいけど、浮気だとか二股だとか取られる発想は当時の俺には全く無くて、付き合ってた彼女がそういうデマを信じて泣かれたときはマジで頭が真っ白になって未だにトラウマになってる。
付き合い始めた頃に、訳アリで同居人居るから俺の家でデートは難しいかもって何度も言ってたのにさ…。
ただ、その一件でスーッと恋愛感情が冷めて、一時期は女という性別自体が嫌いになるくらい拗らせた。
で、その件以降同学年の女子の殆どに嫌われキモがられて、大学に居づらくなって2年の夏頃に中退し小さな広告代理店に就職し、大学に通ういとこと社会人の俺という関係で同居生活は新たな局面を迎えるわけだが、その頃の生活は正直言って楽しかったし、いとこと疑似夫婦みたいな関係性で、結婚生活ってこんな感じなんかなあとボンヤリ思って、ならこれも悪くないな、幸せだなと思ってた。
「これ夫婦みたいやね」
って時折言うと笑いながら照れ隠しっぽくポカポカと殴る蹴るのプチ暴力を受けるのもなんか良かった。
ただ、幼馴染で照れ臭いし小柄で病弱な幼馴染のいとこを異性として見ることは中々出来なくて、振る舞いも向こうはオラオラ系姉で俺はのんびり系弟だったし、テレビ見てるときに膝に座られたり寒いときにハグされてコタツに潜るくらいで限界な感じ。だけど夏場の無防備な薄着の彼女には内心ドキドキしてた。
でも、休日に意味もなく近所の住宅街や公園を徘徊してその風景を渋いとかつげ義春っぽいとか寸評して携帯で写真撮りながら通りかかった喫茶店や飲食店で写真お披露目会をしつつお腹を満たしたり、ちょっと遠くにある安いスーパーまで駄弁りながら散歩がてら歩いて食料確保したり、真夏の夜に近所のビデオレンタル店に出向いてB級和ホラーを始めとするビデオを借りて深夜まで鑑賞会を開いたり、中古CD屋でマニアックな洋楽のアルバムをディグったり一緒に古本屋で何時間も立ち読みしたり。
ある年にいとこがクリスマスと新年を彼氏と過ごすって二週間ほど外泊してたときはちょっと、いや相当寂しかったし嫉妬したっけ。いつもは俺と過ごして大晦日には近所の寺に鐘つきに行ってたのに…。
家事一般は、いとこが同居中に2回喘息で入院してたし(入院費8万くらい取られてやばかった)よく体調崩してて心配で俺が料理を筆頭に掃除も洗濯も色々やってたんだけど、金が無さすぎて給湯器が買えなかった同居一年目の冬のある日、手が霜焼けで痛くて食器洗いが苦痛って言ったら黙って洗ってくれたのは未だに覚えてる。
その後コーヒーメーカーと炊飯器が滅茶苦茶電気代食うってのに気付いてリサイクルショップでドリッパーと米炊き用の土鍋を買ったら劇的に電気代が安くなって、この世の覇者みたいな気分でお互いやったぜって喜んでた。
んで年明けてからリサイクルショップでナショナルの古いレンジとビクターのテレビデオとメーカー不明のコタツ買って、ナショナルのレンジは今も俺が使ってるけど、あのテレビで色んな深夜番組やら映画を録画して暇なときに一緒に観たり。
忘れもしない、草なぎ剛が泥酔全裸前転で世を騒がせたときに、いとこが就職先を見つけて独り立ちするからって、そのお祝いにアパート隣接の枝垂れ桜が咲く公園で酒盛りしながら俺が裸になってシンゴーって叫びながらでんぐり返しをして、いとこを爆笑させたことを。
んで、いとこはその後良い人と結婚してお子たちにも恵まれたようで、幸せそうな姿を今もSNSで確認出来る。
一方、俺はと言えば二度結婚に失敗してもう生涯独身でいいよって思う昨今だけど、今思うと俺、いとこのこと好きだったんだろうな。
後悔してもしょうがないけど。
彼女と会うまでは、ずっと「足りない」「できない」とか思い込んでいた人生だった。
彼女は僕ととにかく違っていた。
一般には明るいと形容されるのかもしれない。情緒が安定していて、多くのことを前向きに捉えられる人だった。
どんどん惹きつけられた。生涯で1番勇気を出してアプローチしたら、なんと付き合えることになった。
かなり嬉しかった。
彼女は、一緒にどこに行っても、何をしても「幸せだね」と何かにつけて言ってくれた。彼女は自身のことを「嘘が苦手なタイプだ」とよく話していた。僕もそう感じた。僕も、彼女はなんでも素直に話してくれているように感じられた。
単純に育ちがいい人なんだと思われた。
何かと勘ぐりが強い僕には、そんな彼女とのやり取り一つ一つが本当に衝撃的だった。いつでも、素直で正直で、それでいて感情的には終始しないやりとり。一緒に過ごす時間は、僕の体に染みついた皮肉さや生きづらさを少しずつ溶かしてくれた感じがした。
ある日、彼女にそんな感覚のことを伝えた。すると、彼女はケラケラと笑って「あなたって本当に面白いね。ずっと一緒にいてもわかんないことばっかりだね」と言った。
それからほどなくして、ようやく「ああ、俺はもう十分に恵まれていたじゃないか」と思えるようになった。回復できたと思った。健康な人に癒してもらう中で、暖かい気持ちのようなものが自分を満たしていいくれたんだと思った。
次の日にプロポーズした。
この人といると楽しい……とかも、もちろんそうだけど、この人と過ごせること、その毎日が本当にありがたいことに気がつけたんだ。
そして、同時にこんな幸せな時間はずっとずっと続いていく訳ではないことにも気がついた。
ありがてぇ、ありがてぇ。
感謝を込めて、彼女の肩を揉むと「あー、幸せだわ〜」と言ってもらえるんだ。何言ってやがんだ、それはコッチのセリフだよ。
僕は幸せです。
彼女とは、ずっと一緒にいたいです。
ずっと続いていく訳じゃない、この日々を大切にしなくちゃなぁ。
気に入られるように、毎日がんばるぞー。
俺は逆に男らしくなろうと思った。
友人に愚痴とか弱音を吐くと、いつもニヤニヤされる。
学校生活の辛さを話すたび、嬉しそうにされるんだよ。
「お前は小せえことで悩んでていいな」と。
握力が30キロなくて、女友だちにも運動どころかゲームでさえ勝ったことない。
バイタリティの時点で敵わない、思考のスピードのレベルが違う気がする。
テストの点数とかで勝ってる知り合いもいない。
吉田くんのことは男性として見れない、と先んじて言われて、告白は未遂に終わった。
勇気を持ち合わせてるのかも結局証明できてないし、だから恋人って架空だ。
みんな友人カテゴリには入れてくれてるらしいが、誰にでもどこか舐められてる。
「胸板薄っすw」とか背中叩きながら言われて笑いものにされる。ケラケラと。
気安いスキンシップはいいけどさ。持って生まれた骨格じゃw って返すけど。
実は傷付いてるからな。
俺は男らしくなりたい。
自慰行為…、相手がいないから代わりに自分で自分を、慰める毎日から成長したい。
だけど男らしさなんて、時代に逆行した、間違った考え方に思えてる。
輪郭がボヤけて。
何を、すればいいのかな。
悪友5人で集まって近所のショッピングセンターや野球場や図書館などの施設に行き、ミニスカートの若い女がエスカレーターに向かったら数メートル空けて尾行し、下から覗いてパンチラをハントするのだ
リーダーのS君はボットン便所の市営住宅に住む貧しい家庭の子だったが、俺たちハンターは彼を慕っていた
研究熱心で、どこの店のどのポジションからパンチラが拝めるか常に研究し、情報を共有してくれていたからだ
俺たちは小汚い彼の家に集まって旧式のパソコンにS君が田んぼで拾ってきたエロ本の付録のCD-ROMを突っ込んで解像度の低いエロ画像を見るのも好きだった(まだインターネットは普及していなかった)
彼の女子高生の姉の下着がそこら中に干してあって見放題だったからだ
小学校は同じだったが学区の関係で離れてしまったという経緯で、気のおけない中だったのは間違いない
ただ、やはり普段付き合う人間が違えば価値観も少しずつズレてくる
その二人は次第に「やばくねえ?」みたいな事を言いだしてパンチラハントを渋りだした
関係が切れた訳ではないが、中2に上がる頃にはハンターとして参加することはほぼなくなっていた
S君は変わらず熱心だった
靴に鏡を貼り付けて能動的にパンツをハントしたり、当時出始めでまだ低性能だったデジカメを何処からか調達してきて、カバンに仕込んで盗撮するまでエスカレートしていた
俺ともう一人残ったJ君はそれをサポートする立場としてS君を支えた
良くないことだという認識はあった
しかしやめられなかった、女子にも大人にも相手にされない田舎の落ちこぼれの中学生にとって、それは唯一の熱中できる遊びだったのだ
その遊びは中3の夏まで続いて、唐突に終わった
S君が亡くなったのだ
S君は父親が運転するバイクに二人乗りしていて事故を起こし、増水した川に突っ込んで死んだ
その後は俺もJ君もパンチラをハントする気分にはなれなかった
いや、そもそも俺とJ君はパンチラハンター以外で絡むことはほとんどなく、クラスも遠くてお互いの家も電話番号も知らなかった
そのまま関係が自然消滅してもおかしくなかったが、夏休みも終りが近づいたある日、S君の姉に呼び出されて二人でS君の家を訪ねることになった
俺とJ君は自転車で合流したもののエロ画像とパンチラの話しかしたことがないからほとんど無言で市営住宅に向かった
俺たちが仏壇に線香をあげるのを、高校の制服を着たS君の姉が後ろで仁王立ちで見ていて、終わると
「きょうはどうもね。あとうちら引っ越すことになったから、あんたらさあ……」と言って二階に上がっていった
話が途中で途切れたのでどうしたらいいもんかJ君と顔を見合わせていると、
「これ、要るでしょ」
といって段ボール箱をかかえて戻ってきた
そこにはS君のコレクションの田んぼで拾ったエロ本や盗撮写真のデータが収められたCD-ROM、それに使ったデジカメ、手鏡、巨大なノートパソコン、パンチラポジションが詳細に書かれたノートが詰め込まれていた
「パンチラハンターなんでしょ。バカだね男って。あたしのパンツも何枚かあげよっか?」
と言って姉はケラケラと笑ったが、俺とJ君は感極まって号泣してしまった
5人で集まって馬鹿騒ぎしていた頃の記憶が嵐のように蘇って、情けないと思うのに涙が止まらない
もう最後には姉ももらい泣きして、三人で抱き合うみたいにして泣いた
遺品はJ君がほとんど引き取った
俺はデジカメだけ受け取って、その場でなんとなく三人の自撮り写真を撮った
しかしちょうどそれでバッテリーが切れたのか、液晶が切れて動かなくなった
充電用のケーブルは見つからなかったということで、無用の長物になってしまったが、一応持ち帰った
帰りの道中、「もう解散かな、パンチラハンター」とJ君に言ったら「いや」と低い声で否定した
J君はその数ヶ月で声変わりが急激に進んでいた
その大人みたいな声が、俺の中に重々しく響いたのを覚えている
家にあるケーブルでなんとか充電できないかと悪戦苦闘していた俺を見て「新しいの買ったほうが早い」と父親が新品のデジカメを買い与えてくれた
これがきっかけで俺は写真にハマり、数年後には東京の某芸術系大学の写真学科に進んだ
一方J君は地元の高専に入り、ソフトウェア開発の道に進んで関西の大学に編入
J君もS君の遺品のノートパソコンで勉強したんだろうと勝手に俺は思ってる
彼とも中学を出てからはあまり関わりはなかったが、盆とか正月には地元で会って近況報告くらいはした
俺たちは氷河期世代ど真ん中で、その後の人生もうまくやれたとは思わない
まもなく中学時代の同級生の女と結婚したが、すぐに事業所縮小でリストラの憂き目にあい二年で離婚した
噂によるとその後また再婚したみたいだが、コロナ以降は一度も会っておらずどうなったかわからない
俺は大学を出てからそこそこ有名な写真家に師事したが芽が出ず野に放たれた
しかし写真は諦めきれず、不動産屋の広告に乗せる新築マンションの写真を撮る安い仕事をもらって東京の安アパートで何とかギリギリ生きていた
仕事中、高級タワマンのエントランスの長いエスカレーターをみると胸がざわついた
地方でカメラマン崩れに仕事はなく、高齢者に混じって非正規の警備員をやっている
施設警備をしていると、エスカレーターの下で怪しい動きをする男の子たちを見かけることが有る
「お前ら、バレバレだぞ」
いたたまれなくなって諭すと、「うっせージジイ!」と悪態をつきながら逃げていく
そう
J君の実家はもう取り壊されていて無くなっている
調べれは引越し先も調べがつくと思うが、あえてそうしようとは何故か思わない
今朝、夢にJ君とS君の姉が出てきた
女子高生のままのS君の姉が「あたしら結婚したから」と照れくさそうに言っていた
こちらは若くはなく、最後に会ったときの熊のような髭面メガネだった
「証拠見せようか? ほら」
最近見てなかったけどこの人が持ってたのか、と夢の中の俺は思う
液晶画面には、俺が撮って一度も見ていない三人の自撮り写真が表示されていた
しかも、中央の俺が無邪気に自撮りしている後ろでJ君とSの姉が手を握って見つめ合っている
この頃から繋がってたのかよ、と夢の中の俺が思う
「そうだよ。確かめてみな」
目を覚ましてから、押入れの中身をひっくり返してあのデジカメを探した
昔は知識がなくてどうにもならなかったが、充電器などなくても記録媒体を取り出してマルチリーダーで読めばデータは吸い出せるだろう
しかし見つからなかったし、そのことで必要以上に感傷に襲われることもなかった
ただこれだけは言っておかねばならない
ある時期男は顔じゃないって友人に主張しまくった
友人は皆「やっぱり誰も相手にしないようなのは、中身もダメなんだよ」と言い張った
一人と別れたらまた次、分かれたらまた次と、一人一人のブサイクと本気で向き合った
恋というものは、付き合ってみていいところが見えてきたら生まれていくと甘く見てた
「私と付き合ってくれないかな」と告白すると、返事は「ばかじゃねーの?」って言うやつと「オレのこと好きなの?なんで?なんで?」系が多かった
ばかじゃねーの?って言ってたやつも、直後「付き合ってあげてもいいよ」みたいなOKの言葉を吐いてくれた
まずデブ、「太ってたって頭の中身とは関係ないでしょ、誰にも迷惑かけないじゃない」という私の思いはすぐに裏切られた
「俺って恰幅がいいってよく言われるんだよね、強そう?あいつ見てよガリガリ ぶつかったらふっ飛んじゃうよ」
「女は細くないとね、○○ちゃんちょっとウエスト締めたら?ご飯半分貰おうか?」
体型なんて問題ないと言っていた私の体型をデブに文句付けられるなんて
ずっとそんな感じでいちいちイラっとするような言動をする人だったので数日で別れた
別れた後「え、まだ何もしてないのに」って言葉に耳を疑った
それはそうと、他のデブも試してみなければ
「俺の逞しい体に惚れたの?」
やっぱりデブは自分を逞しいと思ってるのかな、そう思いつつ肯定
「○○ちゃん、野菜も食べなきゃ」とたこ焼きを食べてる私にポテトチップスを差し出す
「バカだなあ、これはポ・テ・トじゃがいもだよ~その抜けたところがかわいいんだけどね」
まあジャガイモでもいいけど、といいつつポテトチップスに手を伸ばした次の瞬間、デブは私のたこ焼きにマイマヨネーズをたこ焼きの体積以上ぶちまけた
私が人に迷惑をかけないと信じてたデブが、今私の昼食を台無しにし、私を太らせようとしている
でも、これはやさしさなんだと思い込もうとした
ごめんね、と謝られてその後残りのたこ焼き入りマヨネーズを平らげてくれた
ウオオと焦って皿をガードする私の腕にマヨネーズ
一日でマヨネーズかけるなって言う事を忘れた上、勝手に他人の食べ物にマヨネーズ、私の腕にもマヨネーズ
怒りが爆発しないように下を向いて心を落ち着け
「忘れただけかもしれない、もう一度言えばいいさ」と思い、正面を向いた私の前には食べる気を失った私のスパゲッティを抱えて食べてるデブが居た
次のデブへ
それから何度かデブと付き合ったが、「デブがコンプレックスで痩せたいとウジウジする割りに、解決方法をアドバイスすると言い訳をするやつ」
「逞しいということに自信持ちすぎてるやつ」「デブだけどこれでいいんだという自然体のやつ」が居た性格的には「他人の食べ物と自分の食べ物の境がないやつ」が非常に多く、「自分の味覚をみんなの味覚だと思うやつ」も多く、他人の食べ物なのに、分けてもらうことを前提に選ばせたり、勝手に調味料をかけたりするやつも居た
「自信を持っているデブ=ずうずうしい」の図式もできてきた
後は「彼女は痩せていてほしい」と体型上の要望が強いやつが殆どだった、面倒なのは「痩せていて欲しいが、自分と同じように食ってくれ」バカ?普段以上に食えば太るわ
こんな理不尽な願望もずいぶんと投げかけられた
私はデブはおおらかで優しい人が多く、デブだからもてない、デブだから付き合いたくないというのはただの偏見だという考えを捨てるしかなかった
そして次にブサイク、「顔が悪くても、人の好みなんてそれぞれでしょ。キモがられてる人だって普通と変わらないはず、あんたたちがいじめっ子なのよ」という主張をしてきた私だが
一般的な好みで言うブサイクでなければ意味がないので、何人かにキモイ男を挙げてもらったりして選んでいった
私の知人からしたら「自分がキモイと言った人と○○が付き合ってる・・・私あの子の好きな人の悪口言っちゃった」と不安に思ったのか
それもブサイク6人目くらいまでの話だが
それはさておき、告白してみた「私と付き合ってください」
今回は個々のケースは書かず、大まかにまとめてみる
何故か酷くあわてだす人が多かったが「え?ウン」「・・・(頷くだけ)」も多かった
「今日はいい?」「そろそろいい?」「俺のこと好きなんだよね、やりたい?」「どんなエッチが好きなの?」「2人の記念すべき日はいつだろうね」「いつやれるの?」
キモがられてても、普通とかわらない、その先入観は間違いだった
コミュニケーションがろくに取れない、二言目には下系か、じろじろ私を品定めしてくるだけだ
元から親しかったわけじゃないから徐々に親しくなっていって、恋が芽生えたらセッ○スって言う普通のルートを通ってくれない
付き合うまでに親しくなり、チャンスがあればと狙い続け、付き合う前にやってしまった人も居る
普通の会話もし、仕事や勉強の話もし、おいしい食事を食べ、徐々に距離を縮める
それが出来ない
それはきっと、私が付き合ってくれと言ったから、期待が膨らんだんだと
自分を反省し、真面目に「今まで話したこと無かったし、少しずつ進んで行きたいんだ」「まだお互いよく知らないから」と説明した
8割のブサイクが、とたんに不機嫌になった
半分はその後ロクに口を利いてくれず、かと言って「別れるしかないのかな?」と言うと別れたくは無いらしい
うち一人は「別れる前にすることがあるだろう」だそうだ
別の数人目のブサイクは「別れなくてもいい方法があるんじゃないの?」らしい
そうだ、別れなくても、歩み寄ってくれ、距離を縮めていけたら別れなくて済むはず
数人目でそう確信した私は、それ以後は「まだやらない」と説明した後不機嫌になるブサイクに対し、仲を進展させるため、親密になるため距離を縮めようと
友人を紹介したり、いろんなところへ誘って頑張った
すると、男友達を紹介すると、「あいつ馬鹿そう」「偉そう」「男とちゃらちゃら遊んでるの?」
女を紹介すると「あの子はすぐやれるの?」「あの子俺の事見てたよね」
「飲みに行く時に誰か誘おう」と持ちかけると、ブサイクが指名するのは全て女
実際飲み屋で、キャバレーのように周りは全て女で、ブサイクが一人真ん中に居るような光景になることもあった
逆に友人を紹介してもらうと、その友人は女友達を呼べと騒ぎ暴れ
上から私の服を覗く、彼氏のブサイクは見せ付けるようにスキンシップを求めてくる
うんざりした
「まだやらない」宣言の後、不機嫌にならないブサイクはどうだったか
結局誰とも会話は続くようにならなかった人を紹介しても話さない、2人で居てもジロジロ見てくるだけメールでは細かいところをチクチクと褒めたりけなしたり
「今日耳に毛がでてたよ」「昨日眉毛整えたんだね、まぶたの上の毛がなくなってた」
「やっぱり無理みたい」と振られたこともあった
結局誰とも長続きしなかった
ブサイクは今まで付き合ってきたどの普通の男とも根本的に違ってた
友人達からの「男の趣味が悪い」というレッテルと、数人のストーカーが私に残された
友人に「だまされちゃった、デブはおおらかじゃなかったし、やさしくもなかったよ、選ばれたブサイク達はどう贔屓目に見ても普通の男とは違う常識の中で生きてたよ」と泣きつくと
「だから言ったでしょ」と優しく抱きしめてくれた
最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分を直視することから逃げてきた。
幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベルの胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しかし祖母は毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。
私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代や地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎の人間としてはかなり)知的好奇心や教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。
祖母は80歳を過ぎるまで苛烈な自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。
物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的な人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい、名前を挙げられた女の子たちに向かい、祖母を止めない母親に向かい、自分にも向かった。
私はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格。容姿も趣味も人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代に一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。
肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。
私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。
土地が二束三文で買える田舎町にある実家は敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室がひとつ、風呂も台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。
母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。
母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分の不手際が契機となり、怒鳴られ人格を否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。
小学校5年からは学校でいじめの標的になった。担任の女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道のいじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択の余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。
家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初は祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校でいじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動がいちばん盛んな頃に短大に進学して、父親が警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。
それから長い年月が過ぎた。
祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。
母は合わない職務で鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い。知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。
この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分を憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。
脳内には14歳の私が世界の万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれた規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。
ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。
私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。
『〇〇ちゃん男みたいwwwwww』
と笑われた。
気を遣ったのか
いつも通り会議が始まった。
無邪気な笑顔で。
20代前半の無個性女がある日突然イジリー岡田一歩手前の髪型になってたらウケるよな、そりゃ。
でも私イジリー岡田になりたくてなったんじゃないんだよ。
美容室で失敗されたわけでもないんだよ。
家にあるリカちゃん人形の全て髪型をコシノジュンコヘアーに変身させ
母は美容師だった。
子供の頃は黙っているだけでそれなりのセンスでそれなりの髪にしてくた。
私は何もせずとも比較的おしゃれな子だった。
でもどこかで自分のセンスを試したいという気持ちがあったのだろうか。
前述のリカちゃん人形に加え、紐状のカーテン、運動会などで使うセロファンで作ったポンポン、
マフラーの先っちょいっぱいでてるアレ。
私にとっては全てが髪に見えた。
そして次の瞬間にはハサミを入れているのだ。
能動的にハサミを入れ始めるようになってから徐々に気づくのだが
私には全くセンスが無かった。
思い切りが良すぎる。大胆すぎる。雑。粗い。下手。
なんでこんなことしたの?もったいないよー!
床に散らばった残骸。その全てに後悔した。
残骸は何度掃除してもなかなか消えないし。
数日経ってもひょっこり顔を出し、2度と戻らないものを思い出させる。
どうして上手にできないんだろう。
あきらめを知った私は
大好きだったハサミを封印した。
はずだった。
どうして上手に勉強できないの?
どうして上手に仲直りできないの?
どうして上手に営業できないの?
どうしてどうしてどうして。
鏡の前にいるのが自分じゃないように見えた。
この頭からぶら下がってる長い何かを切れば本当の私が出てくるんじゃないのか。
本当の私ならきっとなんでも上手くやれる方法を知っている。
きっと幸せになれる。
きっと神になれる。
(髪だけに)
(は?)
この時が私の私による初めての断髪。
泣きながら母に電話した。
ありがたいことに母は結構遠くに住む私の元にすぐに飛んできてくれて
応急処置をしてくれてなんとか“外には出れる“状態にはしてくれた。
これと同じようなことが1年間で3回も起こって、
ロングヘアーがあっという間に現在のベリーイジリーショートまでなった。
私こんなに綺麗じゃないし面白くもないし
イジリー以下だよ、以下。
母はこの20余年間で私がひどく衝動的で傷つきやすい性格であることを
流石に熟知してくれていて、
今回応急処置の時に「大丈夫だよ、個性的にはなったけど、変じゃないよ」と言ってくれた。
でもさすがに今回ばかしはダメだったのでは。
次の日が来るのが怖くてその日は一睡もできなかった。
みんななんて言うの、なんて思うの。
全く姿を現しそうにない眠気を見つめていても無駄だと思ったので、
確かに重くのしかかる疲労を押し除け、とりあえず朝ごはんをなんか食って
机に座ってPCを起動した。
『〇〇ちゃん男みたいwwwwww』
と笑われた。
気を遣ったのか
いつも通り会議が始まった。
無邪気な笑顔で。
率直で裏表のないその人柄が信頼できると思った。
本当にミュート忘れてたところに思わずこぼれちゃったんだと思う。
そんなことわざとするような人じゃない。
きっと私が数時間でも寝ていれば泣いたりはしなかったかもしれない。
笑い飛ばしてたと思う。
後からその場にいた数名から心配や『似合ってるよ♪』等お世辞のLINEが来て
少し元気が出た。大丈夫になった気がする。
優しさってそれぞれだな。
ミュートBBAのように素直に笑い飛ばしてくれる方が時には優しさになるし
他のみんなのようにその場では一旦スルーして後からケアしてくれるのも優しさ出し
人の数だけ優しさがあるんだよね。
私はどんな優しさを持ってるんだろう。
もしかしたらどんな“上手さ“よりも役に立つものだったりして。
それはそれとして給料低いのと上司がバカなのとこれから在宅なくなるって聞いて色々だるいんで退職しますー。
お世話になりやした〜。ペッ
今日初めて落雷を目の前で見て腰抜かすほどビビったけど17時頃街路樹の剪定終わって撤収作業しとったら急に暗雲立ち込めてきて土砂降りになってきてゴロゴロ雷なりよって高いところ落ちるから避難せえ言われて車ん中で収まるの待っとったら落雷始まってめっちゃ近いやん怖いな思ってたらすぐ側の池に極太の雷落ちよってあれ腹に響くような物凄い音するし絶対地面揺れたし衝撃波みたいなん初めて浴びたし呆然としてたら同僚が雷打たれても生きとった奴結構おるんやでってほざきよって金属製品身に付けてたらそっちに雷逃げるから腰に工具一杯着けてるうちらは大丈夫やなとか言ってわろてたけどだったらあんた外に出て一発打たれてみ思ったし靴も下着も作業着もゲリラ豪雨でビチャビチャなってたから帰宅即全部風呂で洗ったけど今月生理キツくて慢性的に頭と腰痛いし屈む姿勢取ると痛みが悪化するからクソ大変やったし何が大丈夫やねん思ったけど今年初めて稼働させた冷房に当たりながら冷水に溶かした特濃の粉末のポカリジョッキでグビグビ飲んで落ち着いてから台所に移動して人参玉ねぎセロリをフープロで粉微塵にして冷凍しておいたのを最近お気に入りの藤田金属の鉄のフライパンで飴色になるまでシュエしてソフリット作って別皿に取り置いてそのスュックをオレンジジュースとバターでデグラッセしてソースにして半分にレジュイールしたところに前日に香草と塩胡椒とニンニクオリーブオイルでマリネして一晩置いて70度で90分湯煎した豚肩ロースを投入してソフリットをフライパンに戻してソースをアロゼしながら香ばしくポワレにして同じく昨晩ヨーグルトと蜂蜜を和えて裏漉ししたマッシュポテトの上に乗せたヴィアンドを作ってみじん切りにして塩もみしてバターと一緒に1分レンチンした玉ねぎとパセリと賽の目に切ったトマトをレモンとオリーブオイルでマリネしたオードブルと一緒に食べてデザートに明治宇治金時練乳入りを器に崩してかき氷みたいにシャクシャク食うたけどおいちかったので今日もなんとか幸せだったけどセルフクンニ軟体開発女学院の続編を書く気にはならないし何がセルフクンニやふざけとんのか確かに中学生の頃クリ吸いされた過ぎてセルフクンニの練習してなんとか出来るようになったけど思ってたほど気持ちよくなかったし自分で書いたしょうもない下ネタにケラケラ笑ってて何がおもろいねんアホちゃうか
桃太郎: おやっ、桃が川に流れている!
おばあさん: わたしはおばあさんだよ。助けてくれてありがとう!
桃太郎: おばあさん、一緒に暮らそう!お宅で何か力になれることはありますか?
おばあさん: ありがとう、桃太郎。鬼がこの近くに住んでいて、村の人々を脅かしているの。助けてほしいの。
桃太郎: 分かりました!おばあさんと一緒に鬼をやっつけに行こう!
犬: わんわん!私も行くよ!力になるから頼んだぞ!
猿: おれも行くさ!一緒に戦おう!
キジ: ふん、お前たちに負けるわけにはいかない。私も行くよ!
鬼: お前たちなんかに負けるわけない!
桃太郎: やれ!犬、鬼を噛みつけ!
猿: ケラケラケラ!
おばあさん: みんな、私も力を貸すわよ!鬼め、お前のやり方は許せないわ!
鬼: ばばあめ、お前なんかにやられるかよ!
おばあさん: 見くびるな!おれ!
おばあさん: しゃっくりしゃくり、鬼に向かっておばあさんのパワーを放つ!
鬼: ぐぅっ!な、何だこの力は!?
おばあさん: わしのパワーを見せつけたわね!村の人々を守るために、このおばあさんが戦うのよ!
鬼: やめてくれ!ごめんなさい!もう悪さはしません!
桃太郎: よし、鬼も改心したみたいだね。もう村の人々を脅かさないでね!
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
.
.
私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。