はてなキーワード: 食器洗いとは
音楽大学に進学しても良いと言ってくれた両親のことを、当時高校生だった私は信用できませんでした。アップライトピアノも買えない(買ってくれない)んだから音大の学費を出してもらうのは無理だろうと思ったし、両親は私に家計の話を詳細にはしてくれなかった。
私は音大に進学しても自分がお金に困ることになるだろうと予想し、受験することを諦めました。そして地元の一般大学に入りました。
妹の大学入学後、両親は、「見てわかる」作品を持って帰ってくる妹のことばかりを誉めるようになりました。私はそれが嫌でした。特に、父親。
私は文学部に入ったから課題ではレポートを書くことくらいしかやらなかったけど、そこそこ良い成績を取り続けた4(5)年間だったし、課外活動もそれなりに頑張りました。でも私は「見てわかる」成果をもっていなかったし、両親は私よりも妹に興味があるようでした。
当の妹は、家の外でのコミュニケーションはそつなくやるくせに、家族とのコミュニケーションを疎かにします。家事も全くしないし、食器洗いを私にやらせるし。近頃は明け透けに私を軽蔑した態度をとります。
両親は生活や学業にかかるお金を全て負担してくれたし、成人した子どもたち3人に対するケア労働を不足なくこなしました。こんなにも恵まれた家庭に育ったくせに甘えたこと言ってんじゃねえよ、と自分でも思います。でも私は実家のことが嫌いだった。私は実家に閉じ込められていました。
・風呂を洗う
・PTAとかは俺が優先。俺の都合が悪い時は妻が行く。
・夕食の準備(週2~3回は総菜)
・休日の昼食
・土曜にワンオペになりがち。
でも身支度の時間も家事とすると、多分妻のほうが長くなる。化粧に15分かかるとか、風呂の時間も髪乾かすのも時間がかかるし、妻の買い物は長い。
俺は家事をしている時間以外は自室にいる。リビングには俺の居場所がない。これも妻からすると不満。俺だけ子供から逃げてるように感じるらしい。
妻から見ると、俺が晩飯も用意しろって感じだと思うけど、そこまでしなくてもいいよな。月に4、5回妻が残業とか飲み会のときは俺が晩飯も用意してるし。
よーし便乗して我が家の話もするぞー。
子1人(保育園児)
都内在住。双方ともに祖父母は遠方かつ高齢なので手伝ってもらえない。
8時
俺妻: 起床。
9時
妻: 仕事開始
10時
俺: 仕事開始
12時
17時
妻: 業務終了し子のお迎え。
18時
妻: 子の勉強(ひらがな、カタカナ、足し算引き算、文章問題)
19時
全員: 夜ごはん。
子はほぼお米と肉(特に刺身)しか食べない。野菜食べてくれない。
19時半~21時
妻: 食器洗い(食洗器)
妻子: 子の髪の毛乾かす。
21時
子: 就寝
俺: 寝かしつけ
妻: お風呂
21時半~24時
俺: 子供が生まれてから1年間は在宅をさせて貰っていた。からの、コロナでフルリモートへ。裁量労働を生かして深夜以外の時間にちまちま業務をこなしている。
妻: 子供が生まれて2年間育休。からのコロナでフルリモートへ。定時出勤定時退社を基本としつつフルフレックスで柔軟に。
これがリモートワークで無かったら尋常でなく大変だったろうな、と思っているので言及元の増田を尊敬している。
普通にしていると自分の時間なんてほとんどないので、週替わりとかで子供を一人で連れて行ったり、一人で外出したりする時間を作っている。
出不精な我が家は家にいるとゲームをやりがちなので、土日のどちらかで体操教室のようなものに通わせている。運動音痴な両親なので運動絡みの教育はアウトソースするのだ。
ママ友パパ友がなぜかできてしまっているのだが、話を聞くと家庭によって特色があって、パパ側が本当に全く何もしない家庭もあれば、パパ側がほとんどを負担している家庭もある。
一方で、金に物を言わせてシッターに大部分を任せている家庭もあって割と衝撃を受けたことも。
おかねのちからってすげー。
年末年始は帰省してダラダラ過ごして今日から仕事始めなのだが、すこぶる調子が良い。
まず、日中全然眠くならない。普段なら午後4時以降はぼんやりしてほぼ開店休業みたいな有り様だったのが、今日は勤務時間中はほぼ100%の出力で働いていた。
退勤後もなお元気があり、今日は帰宅してから筋トレしてごはんを作って食べてシャワーを浴びて食器を洗ってduolingoで英語を勉強したのだが、まだ増田を書くくらい元気がある。
ふだんなら筋トレとシャワーと食器洗いと英語勉強のうちどれか1つか2つくらいが限界で、あとはダラダラyoutubeを見ていたところだ。
ADHDの診断を受け服薬を始め10ヶ月ほど、暮らしが上手く回るようになってきた。実家から一人暮らしの家に戻り強く実感している。コンサータでなくストラテラ(正確にはストラテラのジェネリック)を飲んでいて、ぼんやりとした思考がくっきりしたように思える。何とか病院に通い服薬を続け整った現状や気づきを大まかに記録しておく。
主な変化
服薬前の自分はライブのために2桁万円のチケットを買う人間だった。そこに好きなアイドルがいるから。今この瞬間が楽しければ良く、一時期消費者金融数社にお世話になったこともある。それに対して罪の意識も無かったし(最終的に本当に首が回らなくなり夜職を始め何とか完済できた)仕方ないくらいに思っていたはずだ。けれどもアトモキセチンを飲み始めてからこの行為は異常だと言うことに気がついた。チケットを買う頻度が明らかに減り、行けたら行く、のスタンスになった。いままで恋だと思っていた行動が発達障害による衝動性から来てたの思うと少し悲しい。濁流のように感情が溢れてその全てをツイートすることも減った。
担当医とカウンセリングをする中でやらなければいけないことを生活に組み込む事が大切と言われ、暮らしのシステムを変えることにした。手始めに
・所持しているものを減らす
・連続して通わなければいけないものは必ずその日のうちに予約を取る
など自分内のルールを決め生活の中のエネルギー消費を限りなく減らすようにした。加えて諦めが大事になることも学んだ。自分は人より弱く、ルーズで、浪費癖があり、信用されにくい人間だと言うことを自覚しアルバイトにしろ交友関係にしろ無理な予定を入れないようにした。できる!と思ったものは8割方できないのだから。また、見た目だけでなく使いやすさを優先した物選びをするようになった。本当はおしゃれな家具や棚が欲しい。けれども今の自分にはまだ早い。弱さを受け入れ欲と上手く付き合っていくことが自分なりの発達障害との共存の仕方なのだと感じている。
金銭のルーズさだけは未だにどうにもなっておらず自転車操業ではあるのだが、気の迷いで夜の仕事をやっていた時よりは明らかに生活リズムも精神も安定している。服薬し衝動と向き合い、これまで以上に全てを何とかしていきたいと思う。
そんなもん嘘に決まってんだろ。これ言ってんの自分で料理も他の家事もしたことがないおっさんばかりだわ。
お前の母親は年始、暇そうにしてたか?料理や食器洗いから解放されてたか?
おせちを食べるにしても、餅を焼いたり雑煮を作ったり、食器を洗ったりで、家事から解放されるはずなぞないんだが。
あのな、お節料理は年末年始に市場や商店が閉まるから、事前に買いだめした食材を日持ちするように調理してるんだよ。別に三が日に休むためにやってるわけじゃないの。食材が買えないから店が開いてるうちに買って、腐らないうちに日持ちするように調理してんの。いいか、休んでるのは店の方。店が休むから普段やることのない余計なことをやるはめになってんの。
専業主婦に楽させたいなら他の家族が家事やればいいだけのことなんだよ。なのに、正月自分が家事を代わってやるわけでもなく、「主婦は正月は楽できていいね」なんてあほかと
◼️追加
ページ開いたら内容が復帰できてたのでまた載せます。使い方分かってなくてすみません。
禿げても好きです。(良くないとコメントがありましたので言い切り)
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逆はなかなか言いにくいので、匿名で放流する。
夫のことが大好き。
一緒にゲームをしてくれる。バトル系も私より上手いのに、貶したりしないでアドバイスやコールをしてくれる。
ストーリーもネタバレしないで待ってくれて、終わった後に感想を共有してくれる。
開拓系ゲームも一緒にやってくれる。ゲーム勘と察しの悪い私と効率化を全力で楽しむ夫でやるので、畑とか工場は大体夫作になる。私はモンスターを倒して素材を取ってきたりする。
料理もしてくれる。節約のためにお弁当を作ったり晩御飯を多めに作ってお弁当用に冷凍してくれたりする。私が作ったお弁当や晩ごはんにも、毎回美味しかった!とか、ありがとうとか、このレシピあとで送っといてとか言ってくれる。
野菜が安いスーパーや八百屋を開拓して、仕事帰りに買ってきたりしてくれる。
色んなところに遊びに連れ出してくれる。昔話してて、家族に旅行に連れてってもらったことないって話をしたら、これから俺と行こう!って言ってくれる。実際にポロッと言った行きたいなーを本気にして計画を立てたりしてくれる。
2週間に1回は近場でちょっと遊びに行ったり外食に連れ出してくれる。
近所の居酒屋とかチェーン焼肉とかチェーンしゃぶしゃぶで、すごく高くていい物!てわけじゃ無いけど、一緒にご飯を食べると楽しいので、その予定があるだけで嬉しい。
私は話しすぎるタイプのコミュ障で、人から話しかけられたらめちゃくちゃ喋るけど、自分から人に話を聞いたり質問したりするのが苦手で、ブワーーっと喋った数時間後に布団の中で延々と反省会して病むタイプ。
けど夫は、質問したり会話のきっかけを作るのが上手くて、私がブワーーっと喋るのも上手く聞いて楽しんでくれる。
私がボケたら的確にツッコミを入れてくれるし、私の話に笑ってくれる。夫にウケたくて、つい話を盛ったりふざけたりしても笑ってくれる。
他にも寝る前に布団を温めておいてくれたり、自分1人だと栄養価無視の食事する私にサプリを買ってきてくれたり、PMSや生理前のメンタルや体調不良を理解してくれてたり、勧めた映画やアニメを一緒に観てくれたり、ジムに一緒に行って筋トレを一緒にしてくれる。
結局夫の方が先に痩せた。
付き合い始めた時は見た目は全く好みじゃなかったけど、今は夫の目もハの字の眉毛も鼻も骨格も好き。薄毛を気にしてるけど、禿げあがったとしても頭蓋骨の形も好きだから好きでいると思う。
もちろん夫にも悪い部分や嫌な考え方や言い方、直して欲しいところはあるんだけど、
(こうして欲しいとか言葉で言ってないのに勝手に期待してその通りにならないからといって不満に思うのはやばいよね)とか思って冷静になる。
夫と出会ってなかったら、セルフネグレクト気味で自分を大切に出来ず、金銭感覚が終わってるせいで貯金もろくになくて保険にも入ってなくて、刹那的な考え方と生き方を今でもしてたと思う。
今完全にまともになれたとは思ってないけど、前よりは1億倍マシになっていると思う。
結婚して数年経つけど、仕事中しんどい時とか1人で出かけた時とかふとした時に、夫が日々くれた何気ない優しさを思い出して、大好きだなぁと思う。
分担だからしないといけない、というよりは夫の優しさに対して私もできることをしたいと思う気持ちが原動力になって大嫌いな食器洗いや洗濯や掃除もやれてる。夫が私に優しくしてくれるだけ、私も優しくしたい。
これから先10年、20年かけて、生涯の親友みたいになっていけるといいな
喧嘩しても、子供ができても、できなくても、仕事や生活が辛い時があっても
ずっと一緒にいさせてね
食器洗いとかお風呂掃除とか、家事は基本お任せしてる。妊娠が分かる前からだからかれこれ2か月くらい。
8:2くらいかな。
言わなくてもやってくれてるし。
気を使ってくれてるのはわかるし、私が甘えてんのもわかるけどもう頑張れない
私はつわりのせいで睡眠がめちゃくちゃ浅くなってて、満足な睡眠時間も取れないのに、隣でぐーすか爆睡してるのとかめちゃくちゃムカつくし、
睡眠を取り返そうと休日昼寝してたら、リビングで友達と通話しながらゲーム始めるからうるさくて起きてしまった
あと私がしんどくてうなりながら床で寝てると、スマホいじりながら背中をたたいてくるのもやめろ。
私はスマホ以下か。
昨日も私がつわりでトイレで吐いていたら、アイマスしながら背中さすりに来やがった。
(さすがにアイマスは床に置いてたが)
子ども入れる保育園のことも、分娩する病院のことも、一切調べてない。私が全部調べた。
「君が何を求めてるかわからないから調べられなかった」じゃねーよ私も調べて知ったんだよ。
で、それを昨日伝えたらごめんって言ってベッド出ていきやがった
起きたら産婦人科の紙とか散らばってて勉強した素振りこそあったけどそれ何のアピールにもなってねえから。
なんでそれ言われてからやるんだよ、
私がしんどい時に私の代わりにやれよ
夫との子どもだから頑張りたいけど、夫の助けがないと何も頑張れないのに、
夫は何の手助けもしてくれない
台所にて。
手のヌルつきが水洗いだけで落ちない時。
食器洗い用洗剤つけて洗うのが手荒れの一因ではと思い至り。
ヌルついた手で押して汚れたディスペンサーのポンプ頭部、もう一度ハンドソープ付けて洗う。
面倒そう。
水洗いもOK。
良さそう。
よし買おう。そのうち。
と思ってたところ。
はてブ経由の棘で、
「ハンドソープのディスペンサー、ボトルは洗って乾燥できるが、ポンプ部は洗っても完全乾燥は難しい。
よって衛生面を考慮すれば数回詰め替えたらディスペンサー丸ごと買い替えろ」と。
棘は手動ディスペンサーの話だったが、完全乾燥難しいのは電動も同様だろう。
数回詰め替えで買い換える?
もったいないお化けに祟られそう。
2年前の看取り増田です。
心から、みんなに幸あれ。
びっくりするくらいの幸あれ。
あれから長く厳しいロスがあり、思い出しては泣き、
少しづつ涙は出なくなり、ほんのり悲しいけど、
そろそろ次のご主人さまかな。なんて。
そして、ついに。
ついにご縁があり新しいご主人がいらっしゃった!
徐々に思い出す愛おしいこの感触。
ツヤツヤ感とモフモフ感。
瞼を舐められるジョリジョリ感。
姿が見えなくて焦ると足元から見上げてるどした?顔。
キーボードのビープ音。
早朝の号令。
うんち出たから片付けなさい。
ここ揉め、次ここ、あとここ、おい手を止めるな。
今は触んな。
今は揉め。
だから今は触んな。
遊べ。
幸せ。
ああ、最高です。命令してください。
もともと自分の育った家庭環境があまり良くなかったので、一人の方がよほど気楽だと思っていたのだけど、
同棲をはじめてから毎日「幸せだな…」と思う瞬間があり、これは自分でもかなり意外なことだった。
料理を作ってもらったり、食器洗いや洗濯、ゴミ出しなどの家事をしてもらうこと。
買い物で重いものを持ってもらうこと。
体調を崩した時に、心配され、看病してもらうこと。
風邪をひかないようにと、そっと布団をかけ直してもらうこと。
等等。
たぶん、親以外から親以上の愛情を感じることがあり、それに幸せを感じている。
特に体調を崩した際に彼に看病された時は幸せゲージが振り切れた。
幼い頃、私は頻繁に体調を崩す子供だったのだが、熱を出すと決まって母親は不機嫌になった。
父親が家庭に協力しないタイプなので、私が体を壊すと母親の負担が大きく、今となっては不機嫌になるのも仕方ない…かと納得はできるのだが。
当時、母親は看病はしてくれたものの、熱で意識が朦朧としている時に金切り声で説教をされて悲しくなったことを思い出す。
だから大人になり、一人暮らしができるようになってからは、コロナにかかろうがインフルにかかろうが、どんなに体調が悪くても不機嫌な人が近くにいないだけマシ、だと思っていたのに、
彼は心から私の体調を心配してくれ、おかゆやら飲み物やらを用意してくれ、喉を痛めないよう加湿器を焚いて、あたたかい冬用の毛布を押入れから出してくれるなどした。
熱で苦しくて、母親に怒鳴られて、静かに布団で泣いていた子供の頃の自分が報われた気がして、
今度は幸せで涙が出る。
彼は、私の父親のように私を殴ったり、怒鳴ったりすることもない。むしろ慈しんでくれる。
毎日幸せを噛み締めているが、人生を真面目にやってきたボーナスタイムが今この時なんじゃないかなあと思う。
近頃のネットでは、変な異性と番うより1人で生きていくほうがずっとマシである、という意見が目立つ。
概ね私も同意なのだけど、信頼のおける人と一緒に暮らしていく幸せが大きすぎることを知ったので、
そういう人と出会うチャンスも諦めないで欲しいとも思うようになった。
昨日、妻に「いつ寝てるの?」と言われ、そこから夫婦喧嘩というか一方的な怒られが発生した。
■見てくれた人に何を求めているか?
何だろ?
ただ愚痴というか吐き出したいのかも。
とはいえ何も無いのもアレなので、何でもいいので思ったことを書いてほしい。
■前提(長い)
6:30 起床、洗顔等
6:40 朝食が米食なら炊飯&みそ汁作り、パン食ならゴロゴロタイム
8:40 妻を起こす
9:20 妻と朝食をとる
10:30 ひとりで食材買い出しや家電量販店・家具屋を巡ったり、妻と住宅設備のショールームを巡ったり(中古戸建を購入するので、リフォームを計画中)、家でゴロゴロタイム
12:00 家にいる場合はお昼ご飯の調理開始(妻が作ることもあり)
16:30 上の子の保育園へのお迎えをして家で遊ぶ、日によってはお迎え後に近くの公園や施設で遊んで18:30に帰宅
18:00 家にいる場合は夕食の調理開始(妻が作る場合もあり)
19:30 上の子と下の子をお風呂に入れる(この間に妻が洗濯物を畳んでくれる)
21:00 上の子の寝かしつけ(妻がやる場合もあり)、その後はゴロゴロタイム&起きた下の子のお世話
0:00 就寝
1:00〜4:00 下の子が泣き始めたタイミングで起きてお世話開始、オムツを替え、ある程度ミルクを飲ませたら妻を一瞬起こして添い乳してもらい、添い乳後のゲップ出しと寝かしつけ実施後は上の子の保育園の登園バッグを準備し、ゴロゴロタイム
※お腹の中にいる時から下の子は夜行性で、夜間は眠りが浅くて10〜20分寝たらまた起きたりするので、そのたびに寝かしつけが必要。なので基本的に起き続けておく必要がある。逆に日中はすぐ寝てくれる。
4:00〜6:00 下の子の夜間2回目のお世話&寝かしつけ
※5時を超えている場合はだいたいすぐ寝てくれて、そのまま次の授乳まで寝続けてくれる
6:00 就寝
休日は日中、上の子を遊ばせに午前は公園、午後は商業施設に行ったりする感じ。
日中や深夜を除いた夜間の下の子の授乳は基本的に妻のおっぱい+ミルク(妻が昼寝しているときはミルクのみ)で、増田はミルクとゲップ当番。寝かしつけは妻と半々くらい。日中に増田(休日は、+上の子)だけが出かけている場合は妻のワンオペが発生する。
ゴロゴロタイムは動画見たり、ネットサーフィンしたり、今後引っ越す予定の新しい家について考えたり、夫婦で話したり、下の子が起きてる場合は遊んだり、10分ほど寝たりしている。
■怒られた経緯
妻が数日体調を崩して、その間は増田がほぼワンオペだった(添い乳はしてもらってたけど)。
そして妻が復帰した昨日、妻がお風呂に入っている間に上の子と下の子が同時に起きたので、早く寝かしつけたくて、下の子を抱っこ紐で抱っこしながら片手で首を支え、上の子を片手でおんぶした体勢で、暗い部屋の中でスクワットをしていた。
無事に寝かしつけたあとの夫婦の会話で、ここ数日ありがとう・ごめんね、という言葉とともに、「ずっと思ってたけどいつ寝てるの?」と増田に問いかけた。
1回目の夜間授乳までと、2回目の夜間授乳後、たまにお昼に少し、と正直に答えたら、重労働を見た直後のせいか、妻からそんなにされると私の存在意義がおっぱいをあげるだけになるからやめてほしいと怒られたという経緯。
そんなことはない。
家の片付けは妻がしてくれてるし、ご飯も作ってくれたり、洗濯物を畳んでくれている。
増田がご飯を作っている間は上の子の世話をしてくれ、上の子の夕食のフォローやその後の歯磨きと遊びは妻が行ってくれている。
なので、そこまで卑下しなくてもいいのではと思う。
とはいえ気にすると言うなら、何かを妻にお願いしたほうがいいんだろうけど、妻は寝ないと機嫌が悪くなるタイプだし、下の子は寝返りをうたないのでまだお世話はチョロいから、渡して納得感のある仕事ってそんなにない。
ジム行くのはいいんだけどさぁ…体力余ってるなら家事やってくれない?ってなる。
共働きだから洗濯物なんてすぐ山積みで、食器もまだシンクにたまってるし、掃除も残ってる。
なんでジムに行くのが優先で、こっちは家事に追われてんの?マジで意味がわからない。
もちろん、何度か声をかけたことはある。「ちょっと、ジム行く前に洗濯物くらいやってくれない?」って。
でも、夫の返事はいつも同じ。「そういうんじゃないから」って。
そういうんじゃないってどういうこと!?家事は筋トレに入らないわけ?
こっちは毎日腕を回して皿を洗って、腰を曲げて掃除してるんだよ。それも立派なエクササイズだと思うんだけどね!!
夫の理屈では、どうやらジムで鍛えることと家事はまったく別物らしい。
でも、こっちからしたらどっちも体を動かすことなんだから、ジムより家事を優先しろと納得するまで言いたい。
もう「5kgの食器洗いスポンジ」でも作ってもらって、それで洗い物させるくらいしかないんだろうか?
たまには休みたい…。
家事って、いくらやっても終わらないのに、夫は何も気にせずジム行って、汗かいてシャワー浴びて、スッキリした顔で帰ってくる。
こっちは、ジム行かなくても、毎日家事で汗だくになってるのにね。
家事って、体力だけじゃなくて、気力もいるんだよ。
使い方もよくわかっていませんが、どこか匿名の場所に吐き出したかったので失礼します。
そんな私は障害を言い訳に何もかも諦めて人に頼るのは嫌で、けれどどうしても苦手なことがある自分に自己嫌悪を抱いて生きてきました。
そんな時、どんなに私が嫌がっても常にそばにいてくれたのが母でした。
ずっと母のことは苦手だった私ですが、今日明確にその理由を自覚してしまい、心が折れそうになっている状況です。
いつからこんなに関係が歪んだのか、母は私の人生の最初から歪んでいたのかはわからない。けれど、ひとりごととして書かせて頂きたくこの場所を選びました。最初に言いますが、ものすごく長いです。それに特に目的もない文章であり、私視点のものの見方が多分に入った不公平な記録であり、ただの私の愚痴でしかない部分も大きいです。勢いだけで書き殴り、文章校正もろくに行っていない駄文ですが、お目汚し失礼いたします。
現在、私は18歳。生まれた時からアスペルガーとADHDであり、小学校の時に診断された(伝えられたのは中学の時)と聞いています。中学の途中からいじめで不登校(別室登校をする日も多かったですが)となり、通信高校に進学。今の法律だと成人と扱われる年齢で、あと1ヶ月もしないうちに19となります。本来は大学生か社会人になっている年齢なのですが、去年のいざこざが主で課題どころじゃなくなり、留年となってしまいました。現在は高校生活4年目を過ごしています。
また、普通のことなのかもしれませんが自立を目指しており、まず誰かに金銭的に頼らず、家事も全て一人でして、完全に自分だけで日常を完結させることを目指しています。不出来で未熟である故に、バイトは面接でずっと落とされているのですが……
母は50代。私が生まれてからの範囲だけで肩書は何度も変わったが、今は看護学校の生徒兼、土日勤務の老人介護施設職員として生活しています。
他、いわゆる面白い人で、いわゆる気弱という単語で想像する押しの弱い性格ではないけどどこか気力が弱いと感じる父と、高校生かつ彼氏もいて青春を謳歌している妹の4人が私の家族でした。父は今現在は単身赴任中ですが。
現在の家は端的に言って地獄。使った後のものを捨てられず、ゴミを撒き散らして片付けもしない私と。それに怒る母。料理した後の食器を洗わない私と、それに怒る母。調味料は出しっぱなしの私と、怒る母。部屋に籠る私と、怒る母。
正直片付けは明確に私が悪いです。昔から苦手なのに矯正しきれなかったし、最近は何をするのも面倒で悪化しているほどですから。
ですが、私視点の言い訳にしかならないのは重々承知ですが、料理関連は私としても文句があり、私はたとえば肉を焼いたフライパンも、それを乗せた皿も、食べるのに使った箸も一度に洗いたいのですが、母は私が食事をしている間フライパンが放置されるのが我慢ならない様で、リビング中に響き渡る小言を言いながら勝手に食器を洗ってくれます。そうしては
と怒るのです。単に私が先に洗えばいいのはわかっているのですが、後述するトラウマもあり食事はできるだけ早く済ませたいのと、そもそもどうしても母と顔を合わせて、大小さまざまなトラブルが発生するリビングに私は長く居るのが嫌ですから。母もいちいち怒っていては疲れるでしょう、というのは言い訳にしかなりませんが。
洗い物の量にも怒るため、例えば結構火に気を使う必要がある料理で2回バターを使うタイミングがある場合、2回目のバターを皿に取り分けるとまた皿が増えるのでバターのケースを10分程度出しっぱなしにしていると
「腐るでしょう」
先述しましたが、こんな状態でリビングにいては私も疲れてしまいます。我慢できれば良いのでしょうが、毎日こんな環境に晒されていては精神が壊れてしまいますから我慢もできなくなっていきます。なので部屋にこもって過ごすことにしたら、
「なんで歩み寄ろうとしてくれないのか」
と部屋の外から叫び出す始末(部屋の戸は勝手に開けるなときつく言ったためもう開けてこないようになりました)。
あと私が母を嫌いな理由に、会話を露骨に誘導してくることがあります。
たとえばラーメン屋に一緒に行った時。
「席どこにしようか、お座敷は嫌だよね?」
「でもママは嫌だよ?」
これはほとんど本来の会話そのままで、最初から嫌だと決めつけて聞いてくるのがまず少し私は不愉快で。だから今までははいはいと従ってきましたが、自立のために意見を言えることも大事であると多方面から言い聞かされているため反論すると母の意見に誘導しようとするのです。最初から母が嫌なだけだと言って欲しい。あと、もう法律上成人となったほどの私にいまだに一人称「ママ」なのが気持ち悪いと思ってしまうのは単に私の心が狭いだけなのでしょうか。
その後テイクアウトがあると知り、メニューを開いて会話した時も
「テイクアウトどれがいい?」
「餃子、妹が食べてるのみて美味しそうだった」
「あれは冷凍食品だよ」
「あっこれも美味しそうだよ」
「餃子にするって言ってるじゃん!!私は餃子って言ってるの!!もう変える気もないんだって!!!」
「なんでそんな畳み掛けるように言うの?壁を感じる」 と。私は数日前から妹と母がいる状況で「この餃子はどこで売ってる?」などと聞いたり、とにかくずっと前から餃子が食べたくて、食べれる機会があったら餃子と決めていたのです。なのに3度4度聞き返す。遠回しに餃子を却下しようとしていると思うのは私の捉え方がひねくれているのでしょうか。
こんな中でも私は定期的にリビングにいく必要があります。私の部屋にはキッチンも冷蔵庫もないため、食事の時は必ずいく必要があるからです。今日、日曜日の朝もそうでした。仕事か何かで母がいないことを祈りながらリビングに入ると、普通に母がいました。とりあえず食事だけ済まそうとすると、またしても「なんであれができない」「なんでこれができない」と説教の嵐。最初にも書いた通り、私は発達障害です。もちろんそれを言い訳にはしたくありません、最終的には自分の脚で立って生きていきたいのです。ですが、スタートラインが少し後ろにあるのも、『できない』ことが多いのも悲しいながら事実で、この『できない』ことにより私は自分のことが嫌いになっています。要は『できない』という言葉は、『できない子』であるというレッテルは、私の心の傷なのです。気遣えなんて言いません。私が少し自制すれば済む話でした。なので、今朝のきっかけは私だったと思います。
「できないなりに必死にやっているんだ、成長するまで少し待ってくれ」
内容としてはこんな感じでしたが、多少怒鳴るような声と顔で言ってしまったかもしれません。そこから言い合いになり、できないなら頼れという母の主張と、私は自立しようとしている、家を出ようとしているという主張の対立に話が進みます。少し頼るくらいいいじゃないか、と思われる方もいると思いますが、母は私が『できない子』であることを前提に助けの手を伸ばすのです。そして私が何かを成し遂げると
「できない子なのに頑張っててえらいね!」
といった要な意味合いの褒め方ばかりするのです。
なので、私は母に頼るのが絶対に嫌でした。意地を張っているだけです。ですが、本当に私は母が嫌いでした。
「なんで歩み寄ろうとしないの?なんで相手のことを理解しようとしないの?」
「ラーメン屋も会話を楽しみたかっただけで圧なんてかけてない、そう捉えるお前が悪い。こっちがどんな気持ちで誘っているかも知らないで」
「そう捉えるお前の性格が嫌われる原因だ」
「周りより成長が遅いのに大人になったつもりでいるな、成人だけどお前は子供でいいんだ、子供でいろ」
「今の話の何割が本当?本当によく考えて出した答え?もう一度よく考えて本当の気持ちを教えて」
「頑張って大人びないの」
「料理とかで誰かに助けを求めな?…他に探してるの?そっか、それは私じゃないんだね。じゃあ料理する場所も私のキッチンじゃないよね?」
「どうせこの話も言いくるめようとしてるって思われて終わりだ」
など、優しいようで私の行動を誘導してくる説教が延々と続きます。
極め付けに言われた言葉が私の母を母だと思う心にとどめをさしました。
「結論としてはママは(私)に子供でいてほしいんだよね、お世話したいんだよ。できないこと助けてあげたいんだよ」
母は、私がずっと『できない子』であることを求めている。そして、できない子の世話を続けることを望んでいる。母の理想の可愛がり方ができればそれでよく、そうじゃないなら要らない。そう認識した私は、ひとしきり部屋で泣いた後この文章を書き殴ることにしました。
思えば昔からずっと苦手でした。
比較的最近の出来事だと、私が留年するきっかけになった妹を119で搬送してもらった去年の話。毎朝毎晩家族喧嘩が勃発しており、私はその時はまだ事なかれといった感じで、とりあえず適当に流したり、会話を無理に遮ったりして根本的な解決を試みたり文句を言ったりしないまま毎日を過ごしていました。そんな毎日のとある朝、寝坊した私を妹が泣きそうな顔で起こしており、部屋に入るなと言っただろう、と言う前に妹はスマホの画面を見せてきました。
「声が出なくなった」
と。私もかなり気が動転し、できるだけれいせいになりながら妹のかかりつけの精神科やさまざまな外来を巡りました。ネットの知り合いで集まったサークルで聞いた話でしかありませんでしたが、声が出ないのは重大な病気の可能性もあるとのことで、私は救急車相談ダイヤルなどを一旦挟んだのちに、妹をこのまま失うのが怖すぎて、救急車を呼ぶと言う判断をしました。
結局妹はそこまで重大な病気ではなく、声も早ければ当日中に戻ると言われました。私は安心したのですが、その後駆けつけた両親からの説教の内容に私は耳を疑いました。
多少、怒られる覚悟はしていたのです。親になんで頼らなかった、と。ですが今回妹が怖がっている親に会わせるわけにはいかない、私がどうにかしないと、と思っての独断でした。説教の覚悟はしていました。
「なんで救急車を呼んだ、社会に迷惑をかけた、本当に助けが必要だった人がいたらどうするつもりなんだ」
なんでこういう説教なんでしょうか。妹がその、助けが必要な人だったら、妹はどうなっていたか。結果何もなかっただけなんです。妹は声が出ない、どんなに頑張っても出ない、という通常ありえない、明らかな何かしらの症状が出ていたのに。
リアルの知り合いに頼れる人なんていませんでした。結局またネットの友人(一応年単位の付き合いであり、毎日少しずつ親の話を聞いてもらって、ネット上という前提である程度信頼していた相手でした)に相談し、強硬手段として親を110通報したのです。 そこから私たち姉妹は叔母さんの家に保護され(結局妹が帰りたいと言い出したので5日程度で帰りました)、少なくとも2種類の緊急番号を実行した私と親の間には明確な溝が残りました。
この件で私は心身をかなり病んでしまい、最終的に精神科病棟に3ヶ月入院することになりました。それが高3の最終課題提出時期と被り、私の留年は確定しました。
この一件があまりに大きいのですが、それ以外も昔から『毒親』と言ってしまった時に怒鳴られた数日後
といったら、
と絶叫のように怒鳴りつけてきたり、小学校の頃まだサンタを信じていた妹がクリスマスにシルバニアの家が欲しいと言えば最初から
「さすがに子供っぽいよ」
と難色を示し、結局当日には全く関係ないラジコンヘリを枕元に置いて妹を泣かせたり、
私が学校の授業で2歳の頃の誕生日パーティの写真を使い、写っていたビール缶が誰のか友達に聞かれた時に母と答えたら
「なんで私が酒飲みだってバラしたの、おじいちゃんでもおじちゃんでもよかったじゃん」
と大泣きしたり、いろいろなことがありました。
こんな母でも若い頃はちやほやされて、某大手ソースメーカーのパッケージデザイン部門に勤務していた頃、専門知識もないのにその見栄えを買われて『味の専門家』なんて肩書きでテレビに出たりと、まあ中々に話題の中心にいる人物だったようです。
少なくとも、私は母に対等に人間として扱われていない、ということだけははっきりわかりました。
自立しようとすると途端に態度が冷たくなるんです。私が母と食卓を囲みたくなくて自分で料理をするようにした際も、
「私の料理が食べられないのか」
と露骨に機嫌を悪くし、会話の機会が減ればそれだけで怒鳴りつけてくるほどに苛立つ。会話を増やして結果喧嘩も増えれば、譲り合わない(=母の主張を飲まない)私が悪い。
おそらく、母にとって自立した私はどうでもいいどころか無駄に喧嘩を売ってくるうざったい存在なのでしょう。
いつまでもよしよしと可愛がることができる子供でいてくれないと、母は愛してくれないのでしょう。
そもそもきっと、最初から愛してなんていなかったのかもしれません。愛していたとして、それは人間を愛する感情より、小動物をケージの中に閉じ込めた上で餌をやり撫でる感覚に近いのだと思います。事実旅行などは向こうが一方的に決めて連れ回してきますし。
こんな私ですが、母のことはもちろん大嫌いです。と同時に、捨てきれない執着と苦しみを同時に抱いています。
私はあの人間が大嫌いですが、「母」という存在にいまだに夢をみているんだと思います。「母」に無条件で抱きしめられて、他より劣っていたとしても、逆に他より優れていたとしても、私が私であるだけで愛してくれるような存在をいまだに求めているんだと思います。
私にとっての「母」は、対等に愛してくれないあの人しかいないんです。どんなに嫌いでも、憎くても、私は愛情を求めるたびにあの人の顔が脳裏に浮かびます。
結局はこんなことを書かせてもらったとしても、最終的には私が踏ん張って逃げ切るしかないんです。なのにこんなことを書くのは、きっと肯定が欲しいからなんだと思います。
別にできない存在として、仕方ないなあと甘やかされたいわけじゃないんです。ただ、私が母に対してひねくれた見方をしているから苦しいだけで、母は普通に愛してくれているのか。それとも、私が苦しいと感じるのは別段おかしいことではないのか。その答えが欲しいだけで、こんな長文を書いているんだと思います。そして、ひねくれているだけだと言われたら余計に傷つくし、単にあなたは悪くないという肯定が欲しいだけであることも自覚してはいるんです。それでも自制ができなかった。
本当に、お目汚し失礼しました。もし最後まで全文読み切ってくれた方がいましたら、綺麗事も誇張も抜きで幸せを祈らせていただきたいです。
ネットの先の顔も性別も年齢も、書いてあることが真実かすらも不確かな相手の戯言を最後まで聞いてくれる人は、どこかで成功して本人が満足できる人生を送って欲しいですから。綺麗事にしか聞こえないとはわかっていますけれど、祈りたかったので祈らせてもらいました。ありがとうございました。