はてなキーワード: 糾弾とは
NHKと民放どちらも居直っている。諸悪の根源。大本営発表。もはや右でも左でもなく、金と権力の間で揺れ動くばかりのオールドメディア。真実は何も明かされず、ワイドショーでは毎日三面記事ばかり取り扱っている。そのくせやけに影響力が大きく、着々と日本を斜陽国家に追い詰めている。高市の工作疑惑や辺野古の事件は一切報じられない。
反共とは名ばかりのアメリカの奴隷。反高市の派閥もいると言うが詭弁であり、同じ党に居座っている時点で同罪である。アメリカのためにせっせと軍備を増強している。
某団体からお金を貰ってSNSを荒らし回っている。アンタッチャブルな存在。闇。しかし世論形成に大きく影響しており決して無視することは出来ない。
国という一番大きなアイデンティティに縋るしか無くなった可哀想な人たち。本当は同情してあげるべきなのかもしれない。「日本は凄い→日本人の俺凄い」を繰り返さなければやっていけない。そういう人たちをカモに小銭稼ぎする、悪魔に魂を売ったビジネスウヨも存在する。
サナ活民、小野田推しオタク、レイシスト、スカッとジャパン民など、ごくごく平均的な国民。前回の自民党に投票した者の多くはB層である。マスコミの言いなり。権力者に都合の良い庶民。完全に飼い慣らされている。国民の一員として、正しい情報を得る努力をしてほしい、というのは酷な要求だろうか。
カルト右翼。オーガニック極右。自民党支持者よりさらにまずい連中を束ねている。差別主義者。
まだ絶滅しきってない。反戦に乗じて暴力革命を企てるという矛盾を犯す謎の集団。長期的な視点が無く、集団で衝動的に行動することで快感を覚える。平和的デモを脅かす存在。
新左翼とは異なると主張するが不穏な存在。共産主義の失敗は歴史が物語っているにもかかわらず未だに共産党を名乗っている時点でおかしい。
本当の諸悪の根源。世界の警察(笑)。戦争でしか儲けられない資本主義の奴隷。現代でも日本を半植民地化しており、統一教会などの反共勢力により一層力を増している。トランプ政権が終わるまでこの調子かと思うと暗澹たる気持ちになる。
野蛮な国家。中世の価値観をずっと引き摺っており未だに領土拡張を狙っている。見れば分かる通り。
迷惑な隣人。ここで言う中国とは、中国人のことではなく中国共産党のことである(とわざわざ付け加えておかなければレイシストが喜ぶ)。無闇矢鱈に東アジア情勢を動揺させている。中国人を全員悪者扱いするというのは誤りだが、中共を擁護するのは完全に誤りであり、ここを擁護している左翼とは距離を置いた方が良い。
かなり頑張っている。倫理的に誤ちを犯した人々を糾弾しすぎた(松本、中居など)ため、多くの人から恨まれており国民の敵になっている。
Xの一部には極左にも極右にも転ばず、正しい道を征こうとしている人々が見られる。しかしXにいるお前らは個人主義すぎるため何にも結実していない。世論(B層)を1ミリも動かせていない。デモに行ってる人たちは素晴らしいがデモには将来性が無い(し、左翼に利用される危険性がある)。一番有効なのは自分たちで政党を作って政治活動を行うこと。それがいちばん難しい。デモにも行かないお前らは一生タイムラインの前でろくろ回してるだけ。
返信やはてブがあればそこにある意見も参考にしてほしい。上記の記述が100%正しい訳ではない。真実は他人から与えられるものではなく自分で探し出すものだ。トンデモな陰謀論に陥らない程度の、それでいて権力に飼い慣らされない程度の情報リテラシーを日本国民は身につけるべきである。
>>「笑ってる?」高校生死亡事故のバス運行会社 体を揺らし、笑みも浮かべ…会見での営業担当の“ヘラヘラ”仕草に疑問続出
最近の国内外色んな作品を見ていて思うんだけど、ポリコレやコンプラの関係なのか作中であんまり露骨な差別描写は出来なくなって、
でもその割に差別に反対する描写だけはきっちり入れる事が多いから、チグハグになってる作品が多いと思う。
作中では差別があるとしてもせいぜい現代の先進国程度の差別で、理想に限りなく近い社会として描かれる
女性が仕事を持って働き尊敬されていたり、有色人種が白人に混じって責任のある役職に就いていたりする。
だけどイスラム圏の酷い所か奴隷制度時代のアメリカ並に酷い差別があるのを前提とするかのように、強い言葉や暴力でもって差別に反対する様子が描かれるという。この不均衡。
差別がそこまで酷くないんだから穏当な手段で立ち向かえば十分なんじゃないかと思うのに、何故かそうはならない。
舞台となる国は中世ヨーロッパでの小国でありながら、身体に障害のあるアジア系女性が仕事を持って働き王にも認められている。全体的に人種差別や性差別が見られない。主人公の家庭は父が早期に亡くなり母と祖父と主人公の三人暮らしだが、祖父が100歳の老人になるまで元気に生きている。現代の先進国でも難しいくらいに理想的な社会だ。
でも王は自らの過ちの結果、主人公達によって糾弾され、鏡に閉じ込められるという考えようによっては死刑よりも酷い罰を受ける。
あの展開ならば初期状態のロサスをあそこまで理想的な国にする必要あった?主人公達の努力で差別が解消されたという展開じゃ駄目だったのか。
これに限った話じゃなく、こういうの色んな作品で多いと思う。
日本の一部の表現規制派(特に非実在青少年描写や萌え系創作への厳格規制主張勢力)と現実の性産業の間には、表面的な敵対を超えた構造的共犯関係が存在する。仁藤夢乃氏(Colabo代表)を象徴とする支援・フェミニズム系活動家は、現実の女性性商品化を「男性の構造的搾取」と糾弾しながら、フィクション規制に殊更熱心だ。
自らの商品化行為を「被害」として聖化し、他者(主に創作者・消費者)の参入を排除することで道徳的・政治的優位を独占する。その結果、女性の性産業への流入が促進され、搾取の悪循環がかえって強化される。
性産業従事者やその支援者は、需要(男性の欲望)と供給(女性の性的商品化)の相互作用の当事者である。キャバクラ・風俗・パパ活で男性の歓心を買い、金銭を得る行為は明確に自発的な換金選択だ。
「私たちは『買われた』展」(Colabo主催、2016年開始)は、その典型例である。少女の主体性を極力薄め、買う男性の責任を最大化する演出により、換金事実を「完全被害」に転換する。
現実の自発的商品化(加害的側面:市場を維持・拡大する供給者)は「生存戦略」や「エンパワーメント」として相対化され、外部(男性全体やフィクション)に全責任が投影される。クソ客エピソード、男性性欲の構造批判、DV・パワハラの一般化が、性産業従事の導線として機能する。仁藤氏の場合、高校時代にホストから「救われた」「話を聞いてくれた」と語り、女性が金を払う側(ホスト需要)を肯定的に位置づける一方、男性が金を払う性産業は徹底非難する。この選択的二重基準は、女性もまた性的搾取の加害者である事実を隠蔽するための、心理的・戦略的方便である。
この責任転嫁が可能になる背景には、女性の性を「本物の被害者」だけが管理・語るべき聖域にしようとする独占志向がある。
この独占のインセンティブは明確だ:
• 自らの加害性(需要を満たし市場を活性化する供給行為)を認めれば被害者アイデンティティが崩壊するため、フィクションを攻撃することで責任を外部化する。
• 萌え系表現は「無抵抗な少女像」を低コストで大量供給し、現実の性産業従事者の相対的価値を低下させる競合である。女性の性商品を自分たちだけで「本物」として独占することで、表現市場での優位を確保し、寄付・行政委託・メディア露出を守る。
男叩きで共感を集め、「夜職で自立」「強い女性は性産業で勝てる」と募集・斡旋へシームレスにつなげる。
この独占志向は、現実の性市場変化でより露骨に現れる。国内性産業需要(特にキャバクラ・風俗)の減少傾向に対し、供給側は強い主体性を発揮して適応した:
• キャバ需要の減少 → 「港区女子」として高所得層の飲み会を自ら漁り、潜在客を積極的にスカウト(パパ活化)。
• さらに低迷 → 海外ブローカー斡旋による出稼ぎ風俗・売春(東南アジアなど)へ移行。借金漬け、強制リスク、違法滞在を伴うケースが後を絶たない。
女性の性商品独占志向は、かえって性産業参与を促進する。男叩きで不満を煽り、「復讐としての夜職」を肯定すれば、需要減少下でも女性は「主体的に」市場に留まり、より危険な選択を行う。支援団体はインセンティブ構造(女性側の主体的適応と加害的側面)を直視せず、被害者の聖性維持と表現規制に注力する。結果、本質的支援は後回しになり、搾取が再生産される。
真に女性を守るなら、性市場の需要供給の両面是正、リスクの徹底開示、現実的自立支援に集中し、性的搾取者が表現市場規制に介入するインセンティブを断つ必要がある。
dorawiiより
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三牧聖子
米国の政治社会を蝕んできた分断の克服の道を探るべく、トランプ支持者や保守派と長年対話を重ねてきたホックシールド教授の貴重なインタビュー。大変勉強になるが、他方、注意して読まないと、分断の克服より、分断をさらに深める逆効果になりかねない部分があるように感じた。
インタビュー中の「ある研究によると、自分と意見が違う相手との会話を自分から打ち切ってしまう割合は、保守派よりもリベラル派の方がはるかに高い」「保守派の方がまだ相手の話を聞く姿勢を持っている」という言及だ。もちろん、注目されるべき調査であり、この結果から、リベラル派が自省することは大事だろう。しかしここだけ切り取られて、「保守派よりも、保守派の差別主義や排他主義を糾弾するリベラル派こそが不寛容で、分断を生み出している」という単なるリベラル批判の言説になってしまえば、分断を深める結果にしかならない。
この貴重なインタビューに、若干欠けていると思われるのが、現代アメリカ政治において、真に重要な対立軸は、リベラル・保守、あるいは左派・右派ではなく、上下、つまり格差問題であるという視点だ。私見では、現在この問題を最もよく理解し、取り組んでいるのは、民主党の左派たちである。新たにNY市長となったゾーラン・マムダニを筆頭に、従来の民主党の在り方を批判しながら台頭してきた民主党左派の政治家たちは、多様性や差別をめぐる文化闘争自体は否定しないが、それが権力者や億万長者によって利用され、富の格差という核心的な問題から人々の関心を背ける役割を果たしてきたこともよく理解している。トランプや共和党が、不法移民やトランスジェンダーの脅威を常に煽り続けるのはなぜなのか。庶民が左右に分かれて文化闘争に汲々とし、互いに怒りをぶつけ、憎み合い続ければ、自分達たちは安心して巨万の富を蓄え、低い税率などの恩恵を受け続けることができるからだ。そこで民主党左派の政治家たちは「1%の億万長者」を主敵にして、「労働者の党」という看板と「労働者の誇り」を民主党に取り戻そうとしている。
非合理的な関税政策で物価上昇を促進し、戦争まで引き起こして庶民の窮乏を加速させておきながら、人々の感情やプライドをくすぐる術を熟知するがゆえに延命させられてきたトランプ政治。「労働者の誇り」を掲げる民主党の新たな世代が、トランプ政治を打ち破れるかどうかに注目していきたい。
A24制作のMAGA MAGAしい不条理アクションホラー映画。13点。
友人に会いにNYに戻ってきた謎のチャールズ・ブロンソンだが一足遅く友人は地元のチンピラにぶち殺されていた。友人の死に目にうっかり立ち会ったチャルブロはやってきた警官に逮捕され拷問を受け留置所で大立ち回りを披露していたらクズの署長から「お前自警団だろ。この街のダニを掃除しろ」と依頼され釈放される。街のダニとチャルブロの戦いが今幕を開ける。
まぁこれ1985年という俺が生まれる前の映画なんでA24が作ってるわけないんですけどね、という話は置いておいてもここしばらくのA24が撮ってきたとても現実のものとは思えない現実の問題をカリカチュアした悪夢の寓話のような作品。つーか、従軍世代のための西部劇ポルノ。
チャルブロは正義の執行者であり老人やマイノリティを守る保安官として、地元のギャングたちを容赦なくぶち殺していく。最初は釘を打ち付けた板を床に轢いたり、Bigネズミ捕りでチンピラを吹っ飛ばしたりしていたのが、だんだん車上荒らしを呼び込むために中古車を買ってきてまんまとやってきた奴らを撃ち殺したりしはじめて、お、おうってなる。
さらには「チンピラを追い詰めるために相棒を呼んだ」とか言い出して、住人が「そんな奴がいるのか!?」って期待してるとクソデカマグナムが届いて「こいつさ」って言う爆笑展開。身を守れるものは銃だけ。そして強大な敵には強大な銃が必要。強大な男には強大なチンポがついているうにな。HAHAHA!
その思想はさらにヒートアップし、殺された友人は実は箪笥に戦争から持ち帰った重機関銃(M1919A4)を保存していて、敵の大群にむけてそれを手持ちで乱射する展開になる。おじいチャルブロがM19を手持ちで撃つ時点でファンタジーだけど砲塔を素手でガッツリ握ってて草。そこアチアチなるで。そして最終的には敵のボスのチンピラに偶々持っていた携帯式ロケランをぶっ放してFinish!Wao!
わざと高級カメラを見せびらかしてひったくってきた相手を背後から問答無用でクソデカマグナムで撃ち殺してそいつの身体にデカい穴が開くんだけど、その後ドンドン威力が低くなっていくのもよくわからんし。何よりひったくり犯を背後から撃ち殺す展開はどうなんだ。
まぁこの作品のチンピラももう本当に意味が分からなくて。普通こういう映画のチンピラって例えば実は地元の裕福なおっさんがや警察署長がこの地域から住人を追い出して再開発を進めるために雇ってるみたいなバックストーリーがあるもんだけど何もなくてただひたすらに無軌道に目的もなく犯罪を繰り返す。犯し、盗み、殺し、燃やす。そして、彼らはトレードマークとして頭にペイントを施していてそのボスは逆モヒカンに髪を借りそこに赤いラインを引いている。もう明らかにネイティブインディアンを彷彿とさせるビジュをしている。
そして彼らによって従軍世代の老人たちが虐げられ、しかし同世代のヒーローが現れ男性性の象徴のようなデカい銃を振り回し敵を撃ち、それに感化され警察も最終的には正義を取り戻す。虐げられてきた退役軍人世代の老人がリスペクトを持たない理解不能な最近の若者たちを"オシオキ"する様を、古風ゆかしい西部劇のフォーマットで描いていると言える。
たぶん、このシチュでシコれる人たちが当時は多かったんだろうし、そういう社会でもあったんだろうけど現代に生きる俺の感覚からするとう~ん、ええんか?って感じ。真昼間から街のど真ん中で人を撃ち殺して拍手喝采、承認される様はどうしたって異様に映る。
あと、何で出てきたんかわからん警察の腐敗を糾弾するポジションで登場したのにそれはすぐなかったことになってチャルブロに股開いた後、チンピラにぶっ殺される美人弁護士とかも典型的な冷蔵庫で笑っちゃう。意識が残ったまま車に乗せてそのまま爆殺焼き殺して「キャータスケテー」とか言わせる悪趣味っぷり。ここは評価。
まぁそんな感じかな。
アクション的にも特に見るべき要素はないし何かギミック的におぉっと思う展開もない。例えば釘を打ち付けた板をトイレの床に敷いて敵を撃退する展開が序盤にあって、最終盤に家にチンピラのボスが侵入してくるときに同じトイレの窓から入ってくるのでははぁんと思って見ていたら特に何もない、みたいな意味不明さ。ちなみに家に戻るのもスパマグの弾が切れたから取りに戻るというアホ展開。
Amazonで星4.5で評価数700近くあったので期待して見たんだけど、どう楽しむべきなのか非常に苦しむ映画だった。まぁ、チャルブロが出るような西部劇好きにはオススメなのかな?知らんけど。
戦前は町内会長で地域の顔役として政府の命令に従って食料品の配給活動や治安や防災対策に尽力していた
当然政府に逆らって平和主義者や反体制勢力を見逃すと治安維持法で逮捕や死刑もあるので、そう言うことはしなかった
戦後は平和主義者に転向して平和運動や被爆者の人権擁護運動に取り組んだってキャラなんだが
作中でゲンが「お前戦前は政府に協力してた転向者だろ!」って糾弾するシーンがあるんだが
政府に協力しないと弾圧されてるんだから政府に協力するのも仕方なくね?
面従腹背してたのかもしれないし、戦後私財を投げ打って平和運動や被爆者の人権擁護運動に取り組んだのなら、むしろそれは良いことじゃんって思った
そうやって自分が正しい存在であると疑わない傲慢さへの糾弾から逃げてると
dorawiiより
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日本基督教団(UCCJ)と部落解放同盟(解同)の公式連携は、1975年の「確認と糾弾」を契機に始まり、現在も継続しています。以下に公式サイトからの直接引用を示します。
(出典:日本基督教団部落解放センター公式「設立の経緯」ページ)
(出典:部落解放同盟機関紙「解放新聞」2010年7月5日号、教団側も公式に報告)
教団はこれを2年に1度の全国規模会議として定期的に共同開催しており、フィールドワークや講演なども共同で行っています。
日本基督教団が議長教団を務めた時期があり、部落解放同盟が主導する宗教者ネットワークの中心的な役割を果たしています。
部落差別撤廃を教団の宣教課題として明文化し、継続的な連携を位置づけています。
日本基督教団は公式に1975年の確認と糾弾を受け入れ、部落解放センターを設立して以降、部落解放同盟と共同会議・フィールドワーク・狭山事件支援などで組織的に連携しています。これは教団の社会派活動として公式に位置づけられたものです。
• 日本基督教団部落解放センター公式サイト https://blc-uccj.org/
• 設立の経緯(最も重要なページ) https://blc-uccj.org/日本基督教団と部落解放センター/history-of-establishment/
• 日本基督教団公式サイト内の言及 https://uccj.org/secretariat-publicationbureau-pensionbureau(事務局ページ)
(出典:https://blc-uccj.org/日本基督教団と部落解放センター/history-of-establishment/)
• 教団は部落解放全国会議を部落解放同盟とともに共同主催(2年に1度)。
• 「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議(同宗連)」に参加・議長教団を務めた時期あり。
これらはすべて日本基督教団の公式ウェブサイトに掲載されている一次情報です。 特に「設立の経緯」ページは、1975年の確認と糾弾から部落解放センター設立までの経過が詳細に記述されており、最も信頼できる公式記録です。
ここ数年で、ハラスメントに対する意識、罰則が高まったと思う。
オヤジの時代だとラフプレー程度に看過されてた振舞いも、今じゃ一発レッドカード。
何なら、ラフにやって人よりも成果出すくらいなら、常にフェアプレーで凡打の方が評価は高い。それでいいのか日本経済、と思う時はあるけど、仕方ない。
仕事をする上で、自身の成果物に対し上司のレビューを受けることが多々あると思う。
その時受ける指摘の全てが同じ「重さ」ではない。かつ上司も部下への指摘なんぞイチイチ覚えてるほど暇じゃない。
受けた指摘のうち7割を対応し(裏を返せば3割は捨て)て、その中にクリティカルな指摘の対応が含まれてさえいれば、だいたいは通るもんだと思った方がいい。
当然、10割を求められるシーンもある。それは7割出して、嗜められたてから気付けばいい。
その時は「忘れてました、すいませーん(やるとはいってない)」でOK。上司もこれに対してきつく当たろうものならレッドカードが待っている。
呪術廻戦の登場人物が似たような話をしているが、結局ハラスメントが生まれないような会社を作る「原因療法」の努力をせず
生まれてきた「xxハラスメント」を悪として個人攻撃する「対処療法」に逃げているに過ぎない。
「あるプロジェクトを任せられたが、スキルセットの備わった人材も集まらず、短工期、周りの社員も知らん顔」みたいな
構造的に詰んでいるホットスポットが、社会の至る所にある。そこに落とされ歪んだ結果、周囲に強く当たる様になってしまった人は、果たして本質的な加害者なのだろうか。
これはマジ。感染る。俺がそうだった。
というより、君の仕事のスキルは多かれ少なかれ上司のスキルに影響を受ける。
学ぶことは「まねぶ」こと。悪癖も意図せず継承されかねない思った方がいい。
「上司ガチャ」なんていう低俗な言葉も流行ってるが、一番大きな影響はこのスキル継承だと思ってる。
④に少し被るが、誰にも頼らず独学で仕事を覚えるのは難しい。それができるなら皆初めからフリーランスで良いわけでなので。
一方、上司も感情のある人間なので、嫌いな奴に手間暇かけて自分のスキルを継承したいとは思わない。
新人の教育は上司の義務だと思ってる様なら大間違い。会社もさほど評価しない。
上司からすりゃ、お前と人事評価を捨て、自分の仕事だけしてさっさと帰った方がマシな迄ある。
なので、餌をもらう立場のうちは可愛げのある新人を演じておくことを薦める。
「俺にちょっと時間かけて教育してくれたら、お前の手足になって多少なりと役立ちますよ」感を出しておけ。上司ひとりではなく、同じフロアに居る周りの大人にわかるように。
ガキのうちから仕事できるフリなんていらない。バカになっておけ。数年したらこんなクソ上司なんて喰ってやるくらいの野心を秘めて。
それでも餌をくれない上司は信義則に反するので、まともな会社なら周りの大人が助けてくれるはず。
「業種・職種的に向いてませんでした」なのか、「この上司嫌です」なのかに依ると思う。
転職、言い換えると自己都合退職とすると、会社責となるため、お前を退職に追い込んだ上司はほぼノーダメ(「まーたこいつやりよった」感が部署内に漂う程度)
一方で、異動しますとなった場合、人事的に少なからずメスが入る。上司も処分迄はされずともカタギな出世ロードからは外れる可能性はある。
最近は転職がよりカジュアルになってきている。会社を続けるしかなかった時代に比べれば、選択肢が増えて良いことではある一方、
お前の職歴に手術痕が残る結構な「劇薬」だということは理解した方がいい。
お前のファウルを誘うきったないプレーをするバカどもが、会社内そこらじゅうにいるものと思った方がいい。
軽い小言、リスペクトに欠ける対応、50:50じゃない業務分担、あからさまではない悪意、必然的に休憩中作業を強いる口頭での指示、色々だ。
(いずれも文書に残らない、その場の「音」として流れ去る言葉・指示というのがまた厭らしい)
彼らはお前の仲間じゃない。本当の仲間は社外に求めた方がいい。
今の日本社会において、ハラスメントはレッドカード。それに準じ、キレるのもイエローカードだ。
元産経新聞記者で医療ジャーナリストの那須優子氏は、2026年4月27日、X(旧Twitter)で以下の投稿を行いました。
と付け加えました。
• 日本基督教団を「部落解放同盟」と同定し、「プロテスタントを名乗った左翼活動家の隠れ蓑」と表現。
• 自身が30年前に産経新聞で担当した同志社特集を通じて、教団と北朝鮮の関係を「裏の顔」として認識していたと主張。
• 教団が北朝鮮拉致問題に十分向き合わなかったことを「読者と拉致被害者家族への裏切り」と批判。
• 横田早紀江さん(拉致被害者・横田めぐみさんの母)が福音派の信徒として祈りを捧げていた点に触れ、「あまりに残酷すぎて」と強い感情を込めて記述。
那須氏の発言は、同志社国際高校の辺野古沖事故を背景に、宗教団体としての日本基督教団と政治・社会運動の関与を強く問題視したものです。表現は断定的ですが、教団の部落解放同盟との長年の協力関係や象徴天皇制反対声明、北朝鮮関連の交流実績などは公式資料や過去報道で確認できる事実に基づいています。
那須優子氏の2026年4月27日投稿を中心に、主張の事実関係を検証します。公的資料・公式サイト・報道に基づきます。
• 日本基督教団は1975年に部落解放同盟(大阪府連・東京都連など)から「確認と糾弾」を受け、部落差別問題特別委員会を設置。1981年に部落解放センターを大阪に設立。
• 以後、部落解放同盟と共同で「部落解放全国会議」を開催(教団が主催・共催)、フィールドワーク、講演、狭山事件支援などを実施。
• 「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議(同宗連)」で議長教団を務めた時期もあり、公式連携は継続中。
• 教団公式サイトや部落解放センター資料で確認可能。ただし、教団全体が一枚岩ではなく、社会派活動の一環です。
• 教団は2019年の天皇代替わり時に大嘗祭への国関与を強く反対する声明を発表(政教分離・天皇神格化批判)。
• 戦後「戦争責任告白」(1967年)以降、社会派神学の影響が強く、天皇制・靖国問題で批判的立場を維持。
• 那須氏の過去投稿で「産経新聞夕刊特集時代に同志社特集を手伝った」と繰り返し記述。同志社(ミッション系)と教団の関係を取材した可能性は高い。
• 詳細な記事確認は限定的ですが、彼女の記者歴(産経→医療ジャーナリスト)と一致します。
• 日本基督教団は日本キリスト教協議会(NCC)に加盟。NCCが北朝鮮の朝鮮基督教連盟と交流し、訪朝・「制裁非礼」謝罪文を送った事例あり。
• 拉致問題への言及が薄いとの批判は、保守系メディアなどで長年指摘されています。
• 横田早紀江さんは日本同盟基督教団(福音派)の信徒(1984年受洗)。日本基督教団社会派とは異なる教派。
教団の北朝鮮寄り交流が拉致被害者家族の祈りと対立する構図は事実として存在します。
那須氏の発言の事実の骨子は概ね正しいです。教団と部落解放同盟の公式協力関係、天皇制批判、北朝鮮交流、拉致問題対応の温度差などは確認できます。
ただし、「=」や「隠れ蓑」などの表現は強い価値判断・一般化を含み、教団内の多様性(社会派 vs 教会派)を考慮していない点は考慮が必要です。
戦後日本の歴史を「左翼勢力と法治国家の戦い」という軸で概観すると、左翼(主に日本社会党・社民党、日本共産党を中心とした勢力)がイデオロギー優先の「反体制闘争」を展開し、これに対し政府・体制が法治主義・国家主権・現実的秩序維持を掲げて対峙してきた構図が浮かび上がります。
日本社会党(現・社民党)は、1970年代以降、北朝鮮との関係を深め、帰国事業(在日朝鮮人の北朝鮮送還)で共産党とともに役割を果たしました。北朝鮮による日本人拉致問題が表面化した1990年代~2002年の小泉訪朝時まで、社会党系は「拉致は存在しない」「北朝鮮の主張を真摯に受け止める」姿勢を崩しませんでした。
拉致被害者家族の訴えを「右翼のプロパガンダ」と退け、国家主権侵害という法治の根本問題を棚上げ。2002年以降も土井たか子氏ら党指導部が北朝鮮寄りの発言を続け、党内離党者まで出る事態に。
これは左翼が「弱者(在日・平和勢力)」を守る名目で、実際の被害者(拉致家族)に置き去りにした典型例です。
日本共産党は資本主義の「搾取」を糾弾しながら、自らの機関紙『しんぶん赤旗』の運営で同様の問題を抱えています。近年表面化したのは、党地方議員による自治体職員への赤旗押し売り・強要です。新宿区では管理職50人超が「心理的圧力」を感じて購読(一部10年近く)、区長がハラスメント調査を実施。庁舎内集金や「断れば恨みを買う」空気があり、他自治体(金沢市など)でも同様の指摘が相次ぎました。
さらに党内部では、赤旗配達専従者の無報酬・過酷労働が「ブラック企業」と内部告発されています。
• 党は「搾取のない社会」を標榜するが、自らの労働者を「永遠の党員被害者」として動員。
• 法治国家(公務員の中立性・ハラスメント防止)の枠組みを、議員特権で揺るがす構造。
沖縄では戦後、米軍統治下の「独自性尊重」教育から始まり、復帰後も反基地・反日・「平和教育」が左翼勢力により定着しました。これが「教育産業」として機能
• 最近例:辺野古沖事故(修学旅行船転覆)で「偏向教育ではないか」との指摘(自民党部会)。
• 教科書検定でも「日本軍が住民をスパイ扱いして殺害」との記述が合格。
• 沖縄の若者が「永遠の被害者(基地被害者)」として位置づけられ、法治国家(安保・防衛)への対立を再生産。経済的自立より「反基地依存」が固定化。
2019年前後、入管施設で長期収容抗議のハンガーストライキ(ハンスト)が急増(約200人規模)。一部は仮放免(一時釈放)を得る手段として使われ、釈放後すぐに記者会見・デモで「ヒーロー」としてスピーチ(例:イラン人・クルド人男性が東日本センター仮放免後、品川で制度批判)。
• 模倣効果でハンスト連鎖 → 健康被害(栄養失調・死者発生、ナイジェリア人餓死例など)。
• 入管当局は「仮放免を餌にハンストを誘発する」と苦慮。前科者も約4割。
• 左翼勢力は「人権」を掲げ法治(退去強制・収容の適正運用)を攻撃するが、結果として収容者全体の健康を害し、弱者を「永遠の被害者」にした。
これらの事例に共通するのは、左翼勢力が弱者(在日労働者、沖縄県民、不法滞在者)を「体制との戦いの道具」として利用し、解決より対立の永続化を選ぶ点です。これは極めて残酷な手法です。
・被害者は本当の救済(労働条件改善、基地負担軽減、移民問題の法的手続き)を得られず、「永遠の被害者」として政治的に消費される。
・法治国家の枠組み(主権・法の支配・現実的秩序)を破壊することで、左翼の存在意義を維持。
・結果:社会全体の分断深化、資源の浪費、真の弱者救済の遅れ。
戦後史を通じて、左翼は「平和・人権」を錦の御旗に暴力的デモ(成田管制塔占拠など)や事実無視を繰り返しました。左翼の「弱者利用」戦略は今も形を変えて続き、移民政策・教育・歴史認識で影響力を残しています。
弱者を真に守る道は、被害者化ではなく、法治の下での解決です。こうした歴史を直視しない限り、日本社会の「共生」は絵に描いた餅に終わります。
他科の先生と比べると結果に何の責任も持ってない無責任な人たちだよね
なんの成果も出さない割に権力だけは強いし薬だけはやたら出すけど
外科医や内科医と同レベルに社会として大切に扱う価値なくない???
でもそれが割と多くの人から糾弾されないのって、一般人のポジショントークなんだよね
精神科医って一般労働者と共犯になって社会や企業から不当に金銭を得ているようなもんじゃん
なんかとりあえず「う~ん、これは鬱病」ってやって、「また来てください。薬出しますから。」って言っておけば
一生儲かるし、それを言われた患者もしばらくは国が面倒見てくれるようなもんだからね
それがこの日本でメンタル病んでるとされた人が爆増した理由でしょ
一般労働者も公金チューチューやってるのが今のJAPANなんだよね
終わってるよ
恥を知れ
「商業BLの公式カップルを男女カップルに改変する二次創作(ヘテロ化)」を巡る議論について、主要な論点を整理して解説します。
商業BLなどで描写された公式のゲイカップルを異性愛に改変する二次創作は非常に稀であるという意見が大勢を占めています。
少年漫画の主人公×ヒロイン、乙女ゲームの攻略対象イケメン×女主人公などの公式男女カップルをBL化することは一般的である一方、その逆(BLのヘテロ化)が「腐女子への嫌がらせ」「セクシャルマイノリティの否定」と見なされることへの是非が議論されています。
この論点では、同性愛というマイノリティ属性を異性愛へ回収することの政治的な危うさが語られています。
まず確認すべきなのは、マジョリティキャラをマイノリティキャラにする改変が、二次創作では決して例外的な行為ではないという事実である。公式に主人公とヒロインの男女関係が描かれている少年漫画においても、男性キャラクター同士を恋愛関係として再構成するBL二次創作は長年にわたって広く行われてきた。また乙女ゲームのように、公式には女性主人公と男性攻略対象との関係性を楽しむ作品においても、攻略対象同士を結びつけるBL二次創作は珍しくない。そこでは、原作にある男女関係や女性キャラクターの位置づけが後景化されているが、こうした改変は二次創作文化の内部で相当に広く認められている。腐女子がヘテロ文化に対して越境するのは常に許容されてきた。
二次創作とは、原作の明示的設定を保持する営みであるよりも、原作に含まれる人物配置や関係性を素材として別の可能性を試す営みだ。公式カップリングの変更、恋愛対象の変更、関係の強調や省略といった操作は、その文化の中心的実践の一つである。したがって、ある改変が許容されるか否かを論じる際には、まず「原作から逸脱している」というだけでは否定の理由にならない。
ところが、この原則は常に対称的に適用されているわけではない。たとえば、商業BL作品の公式男性カップルを男女関係へ置き換える創作や、同性愛者・レズビアン・アセクシャルなどの設定を持つキャラクターに異性愛的関係を与える創作は、しばしば単なる改変としてではなく、属性の否定や少数者表象の抹消として批判される。ここで注目すべきなのは、批判の当否以前に、同じ「属性の変更」が一方では創作的自由として扱われ、他方では倫理的逸脱として扱われている点である。
もちろん、この差異には社会的背景がある。現実社会において異性愛は制度的にも文化的にも強い地位を持ち、同性愛や無性愛は長く周縁化されてきた。そのため、マイノリティ表象を異性愛へ回収する表現が、現実の抑圧構造を想起させやすいという指摘には十分な理由がある。しかし、その事情を認めたとしても、なお問われるべきは基準の整合性である。なぜなら、少年漫画や乙女ゲームのBL化もまた、既存の異性愛的関係や作品設計を変更し、ときに女性キャラクターや女性主人公の役割を弱め、消去し、置換する行為だからである。それにもかかわらず、こちらは「二次創作だから」で済まされやすい一方、逆方向の改変だけが「存在の否定」として特権的に糾弾されるなら、そこで働いているのは原作尊重の原則ではなく、改変の方向に応じて変動する価値判断である。