はてなキーワード: 生き様とは
虚空劫灰のプラーナPV(これ↓)がアツすぎるので考察とかを参考にしながら洞察ポイントをまとめた
https://www.youtube.com/watch?v=b8MsWzHvLXQ
https://www.youtube.com/watch?v=dNrOmgKOBQM
自己流でまとめると
・あれはドットーレ本人ではなくローランドのようなアビスの造物
・ドットーレは地脈の中で断片を統合するために意図して死んだのでは
・コレイが唱えていたのは書籍『プシュパの歌』の引用で、女主人こと花神ナブ・マリカッタの口上の一節
・一連のクエストで草神の神座が破壊されアペプに大権が返還されるかもしれない
→アランマがアシュヴァッタの樹になったように、燃えた世界樹を再生するために誰か(動画主はアペプと考えてるが順当に考えるとナヒーダ)が世界樹の種になるかも
・ナヒーダが抱いていた水色の光球は『善悪のクヴァレナ』でガオケレナ(白い巨大な蓮)の中央にあった、アビスの天象を打ち消す鍵となった「甘露(アムリタ)」と同じもの?
書いてるあいだに、ありす。さんも似たような内容の動画を出してた
なんだかドットーレの生き様はアモンに似ている、となるとナブ・マリカッタに相当するのはフェイであると思われる氷神かもしれない
黒ドットーレの二つ名についていた真諦とは仏教用語で、絶対不変の真理、究極の真実といった意味。英語版では単にTruth。
アビスを避けるために世界樹を用いて運命を固定した天理のやり方が間違いだとするなら、世界樹を燃やすのはある意味で正しいのかもしれないが…
前作から参戦予想として挙がりやすかったけど、ディスカバリーで味方としてのワドルディ像が強調されて以降、グッズ・コラボでもワドルディの登場頻度が高くなり、地位が相当上がった感あるので、ワドルディ代表として満を持して参戦すると予想。
功罪は色々ありつつも、日本ゲーム文化の一つとなったソシャゲから誰か出すなら、まあまず彼らかなあ。技のネタはGBVSやリリンクから取れるし、ドラガリでサイゲと任天堂の縁もある。リリンクのアッパー版がSwitch2で出るからその宣伝にもなるし。
まあそれ抜きにしても、ここ十年くらいの日本ゲームを代表する存在の一つであることは間違いない。エヴァ新作の脚本やるなどヨコオタロウの知名度も上がってるし。
ストファイ、KOF、鉄拳と来たら次はギルティギアじゃね?(異論は認める) 最新作のGGSTが評判良いし、壁破壊ギミックとかはステージでの原作再現が捗りそう。ロマキャンをどう落とし込むかが悩みどころではあるが。
―――――↓これ以降大穴枠↓―――――
色々言われそうではあるがなんやかんや期待したい。マイクラ、(Miiコスだけど)Undertaleと、同人ゲーの参戦も増えてきたので、そろそろ日本の同人ゲームを代表する存在である東方が来てもおかしくないのかなと。
大元がエロゲーだので色々言われそうではあるが、昨今の大手中国ソシャゲなど、世界的に影響与えまくってる存在ではあるし、あってもいいんじゃないかなあ。
・蛍/空(原神)
中国でのスイッチ関連サービスが停止したことから、任天堂の中国上でのビジネスがあんまり上手くいってない感ある上、チャイナリスク的なアレも多分あり、下手したらソラ以上に参戦難易度がハードになってそうではあるが、3Dアニメ調ソシャゲブームを起こし、近年のゲーム業界に衝撃を与えた存在ではあるので、ワンチャン参戦しねえかなと思っている。
・花海 咲季(学園アイドルマスター)
「何言ってんだお前」と言われるのはわかってる。わかってるのだが、何か彼女の生き様見てると、もはやなんかスマブラでもやっていけるんじゃないかと思い始める。アイマスは、ラブライブやバンドリ、プロセカのような二次元音楽コンテンツの(多分)元祖であり、格も十分だと考える。ステージも映えそうだし。格闘技もやってたみたいな設定にすればいけるよ多分
梅原大吾を裸の王様になっていると批判する人は根本的にズレてるよ。
もちろんそう指摘する人自体もウメハラファンでファンだからこそ現状の客寄せパンダのウメハラを見ていられないという気持ちはわかる。
でも、そもそもウメハラを崇拝する人は結果を見てウメハラを尊敬してるわけじゃないんだわ。生き様に惚れて応援してるのであって結果はマジでどうでもいい。
大成功してタワマン住んで引退して大会の解説とか格ゲー教室だの広告塔だけで十分遊んで暮らせるのにいまだに馬鹿にされならも現役続けてる生き様に惚れてるのよ。
だからウメハラを叩く人自体が周りの評価だの目線を気にして生きて苦しんでるというブーメランになってるわけ。ウメハラは他人の評価とか承認欲求とか全てどうでもいいと思ってるからかっこいいのよ。
鷹宮という女(め)がいる
2018年デビューなのでもうそろ9年目だ。一応まだ高校2年のテイでやっている。
そういう体でそういう衣装も多いので割とギャル扱いされることが多かったが、一貫してギャルではないと言い続けてきた
オタクはどんな衣装でもすぐギャル呼ばわりをし、鷹宮はどんな衣装の時もコレはギャルではないと言い続けてきた
今思えば東京都港区育ちの女なのでギャルの生き様にシンパシーを感じないのだろう
貫き通したのは立派だと思う
この界隈、どこかでハイハイギャルギャルってなってもおかしくなかった。
いや「いわゆるオタク認識ギャルっぽい」衣装をあえて出したことはあったが、あくまでギャル風で自認は違うと言い続けた。
鷹宮は折れなかった。
すごいと思う。
鷹宮はオタク自認も薄い女であった。
ソードアート・オンラインのキリトガチ勢夢女で、冗談でもアスナの名を出したらブロックされることもあったが、自認を広げることはなかった
自分が何者であるかは自分で決めて、ラベルを纏うのを好まなかったフシがある。
エロいイラストも普通に見ており、ニジエの本人アカウントもある。
多少配慮したけどネタバレあるのでまだ劇場行ってない人は読んじゃダメだよ。
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そこらのソシャゲのキャラストーリーとしてなら十分なクオリティ。コナンというIPでお出しするならもう少し頑張って欲しい。基本的には満足できたので、迷っているなら観に行くのをオススメできる。
色ボケした横溝はキショかったけど、そんなことよりも、松田お前そんなキャラだったっけ?
「ハモっちまった〜w」
キッッッッッッショ!!!!
揺れる警視庁で出てきた時の松田って、サングラスだしタバコだし「馴れ合いはよしましょうや」だし、挙句にメールはすぐ消すワイルドな二枚目ハードボイルドとして描かれてなかったっけ。詳しく知らないけど警察学校編だとこんな感じなのか? 勘弁してくれ。揺れる警視庁で見せた、佐藤刑事をあんなふうにした「松田くん」のイメージを壊さないで欲しかったよ青山先生……。より大きな爆弾のために自己犠牲の道を選び、禁煙のマークに「今くらい大目に目てくれよな」っていう、ワイルドな生き様がカッコよかったのに……本当に、こんな、媚びたイケメン(笑)に魔改造しないといけなかったのか?
個人的に揺れる警視庁はメチャクチャ好きで重要なエピソードだけに、この辺を雑に消費されると哀しくなる。もっと話したいことはあるけど、これを言い出すと最悪の駄作・ハロウィンの花嫁への罵詈雑言の記事になってしまうから一旦置いておく。以降もあまり触れないようにする。
ーーいや、これだけは触れる。揺れる警視庁の爆弾犯を雑に処理したことだけは許せない。法で裁かれることが大切な犯人だろうがよ。どんな気持ちで高木刑事が佐藤刑事を諌めたと思ってんだ。
最近は全体的にそうなんだけど、名探偵コナンじゃないよね。根本的な理由は「推理が薄い」ことに尽きる。本格ミステリーをして欲しいとは言ってないよ? でもさ、警察が教えてくれる、灰原が教えてくれる、園子が教えてくれる、こればっかだよね? 調査して推理して閃いて(コテリン♪ってやつ)、その結果として犯人を推理で問い詰めて自供させるのって見どころじゃないのかな。
「江戸川コナン、探偵さ」がカッコいいのは推理力で我々を圧倒してくれるからであって、終盤に雑に言わせてヨシの万能ワードではない。シチュエーションにこだわって欲しい。
今回なら、世良まで出しておいて調査も推理もないのは本当になぜ? アイツが育った施設に行って警察から聞いた話との矛盾を知る、姉がいることを仄めかされる……その辺を世良の人探しの件とリンクして進められたんじゃないのか? 確かに推理は尺を食うし地味だけど、無意味なシーン(※後述)をカットすれば十分時間捻出できるだろうよ。それがコナンのカッコよさに繋がるという意識が全くないから、結果としてサブキャラのキャラシナリオに終始してしまってる。
※ 例えば: 幽霊バイク騒動は全カットでもいいと思う。なんなら、いきなりバイクフェスの会場スタートでよくない? ヤイバーのバイクを見て騒ぐ探偵団、こんな技術が使われてるんだよって出しゃばって説明してくる技術者、見た目を褒められて照れくさそうなデザイナー(ここでエンブレムの伏線)、そしてコナンが目の端で世良を見つけて話しかけに行く……くらいの感じ。ルシファーの初登場は帰り道に保留。昔のコナン映画だったらこんな感じに覚えきれないくらい一気に容疑者候補並べてたよね。青枠で登場人物名と役職がズラッと。
コナンのことをソシャゲのアプリアイコンのキャラ、くらいに思ってる節があると思う。重要人物だけどとりあえずいるだけでストーリーを主導してない。ソシャゲのイベントストーリー感はここからきてると思う。
コナンの強みである「大人顔負けの頭脳」が活かされる場面が少ないんだよね。推理以前に頭使うシーンがない。最後のアクションは一か八かの脳筋解決、あるいはドラえもんレベルに万能化した博士の道具に頼ってばっかり。高尚な話はしなくても大丈夫なんだ。天国へのカウントダウンでビルから飛び移る際に速度の計算してくれるシーン、高校物理レベルなのに超カッコよかったよね。あのくらいでいいんだけど……。
なんなら道具の使い方も謎。バイク主題の映画で、スケボー使った犯人とのチェイスシーンないって正気か? 曲がり角でトラックに格納されて消えたせいで見失う、みたいなの合っても良かっただろ。ついでに取り逃したコナンが「クソッ!」って悔しがってくれればより満足。終盤だとヘリの壁を撃ち抜くのにボール蹴るのも意味不明だと思った。そもそも、あそこの鍵閉まってなくてよくね? 暴走させようと操縦桿を握った犯人を、千早とコナンで説得するシーンではダメだったのか。せっかく弟を失った境遇がリンクしてるんだから、もうちょいマシな活かし方があったんじゃないかと思わざるを得ない。
余談だけど、爆弾処理で弟を亡くしたキャラのそばで、いとも簡単にコナンに爆弾解体させるの人の心無いんかなってな思う。個人的には爆弾関係のギミックだと、揺れると爆発する仕組みでもつけておいて、コナンが解体中はアシスト機能を使って慎重運転 → 回想シーンの萩原の話とかがヒントになって解体成功 → 速度出してよくなったのでアシスト切って千早のドラテクでぶち抜いて犯人追いかける、とかの方がぽかったと思うんだけどな。シンプルにバイクテクで魅せて欲しい。
今作に限った話じゃないんだけど、OPの「俺は高校生探偵、工藤新一」のあの部分、普通に映像流したらダメなんか? 「aviutlで覚えたアニメーション効果、全部使ってみました!」みたいな編集で正直好きになれない。画面のどこ見て欲しいの? あのシーンって割と「コナンの映画が始まるぞワクワク」っていう劇場版特有の、映画の世界に入り込んで行くための導入効果があると思ってるので、ここに変な個性いらないんよな……。
ちなみに、本作は既にこの時点で松田・萩原はおかしかった。思い出したら腹が立ってきたのでここで止める。
上に以外は大体良かったんじゃないかな? 千早にフィーチャーするっていうコンセプトをちゃんと守れてたのは大きい。最近はブレブレになってるやつも割とあったからね。峠のレースシーンも個人的には好き。
あと、多少は犯人探しでワクワクさせようって意気込みが感じられたのは嬉しかった。
盛り上がりは少なかったけどマイナスも少なかった。
よって個人的には80点くらいあると思う。加点法で評価する人は低評価するかも。
例えば俺はMCU好きで、まあそもそもグッズは本当に買わないタイプの人間なので、そこでお金は落とさないのはゴメンなんだけど、一応映画見に行ったりしてる
刺激
他にもあるけどまあこんな感じで、それぞれが求めてるものを提供してくれると思うのさ
でここでアイアンマンスーツをくださいっていうのはそれは無理って話で、子供なら良い子ねしてたらね(嘘)だし、大人ならマジかってなる
端的にいうと提供側はそれは想定してないのよ
一方で男性ファンがアイドル(女性)に求めてる&売りにしてることって、
成長
可愛さ
女性らしさ
なのかなあと
映画と同じように全員が全てを求めてるとは言わない
解像度低いのはアイドルを好きになったことないからなのでゴメンなさい
上4つはまあ受け取る側次第だけど等しく提供できるかと思う
接触は手までなら許されるね
応援してくれて(お金くれて)ありがとう、はあるかもしれないけど、生物として生活のパートナーとして選ばれることは絶対にない
金持ちなら少しチャンスがあるかもね)
とっ散らかってるけど何が言いたいかというと、アイドルはアイアンマンスーツを売りますと言ってるようなもんだなあとふと思った
【内訳】
ああ、楽しかった。
とはいえ、このゲームをどのように発見したのかは忘れてしまったのだ。
それは今から数年前のことだ(Steamの購入履歴を確認したら2023年だった)。
Steamのウィッシュリストに入っていて(なぜウィッシュリストに入っていたのかは残念ながら思い出せない)、低価格で(今、定価を確認したら2000円だった)、ドット絵でレトロ調なゲームが好きだから、Steamのセール時期に合わせて様々なゲームと一緒にこのフェノトピアを買ったのだ。
買ったままに放置していたけど、今年になって何かアクションゲームをやろうと思い、Steamの積みゲーの中からフェノトピアを見つけてプレイを開始したという次第だ。
購入したのが随分と前のことだったのでどんなゲームだったのかを思い出すためにプレイ前にゲームのPVを見たが、ドット絵で描かれたキャラクターや背景が綺麗で可愛らしかったので、雰囲気重視で難易度低めのゆるいゲームだと思っていたのだ。
このゲーム、難しい。
とはいえ単に難しいだけではなく、様々な面でゲームとしての完成度が非常に高いのがよかった。
以下にその点を列挙する。
このゲームの完成度の高さとレトロ感を例えるのなら、1990年代半ばに発売された定価一万円超えのスーパーファミコンの名作ソフトといった感じだ。
こんな大ボリュームのゲームが、今の時代に2000円とは安すぎるだろう。
というより、2000円という安さで良い意味で裏切られたのだ。
さて、私のゲームプレイを振り返りながら、このゲームで困難に挑んだことを述べていこう。
道中では、ザコ敵の処理を面倒くさがって強引に突破しようとすると、かなりのダメージを食らってゲームオーバーになるのはしょっちゅうだった。
何度もコンティニューしてボスの行動パターンを把握して、回復アイテムを大量消費することでボスに辛勝してきた。
謎解き要素もなかなか歯ごたえがあったが、ストーリー進行に必要な謎解きで詰むことはなかった。
とはいえ、アイテム収集系の謎解きは、それなりの量を見逃したりあきらめたりしたけれども。
数々のおつかいイベントは楽しかったが、ストーリーが中盤以降になると序盤の村に戻ったりするのが面倒になって、ゲーム進行の方を優先したりもした。
そんなこんなでゲームは全般的に難しかったが、困難に立ち向かうのが好きな私は難易度設定を一切下げることなく、ネットで攻略情報を見ることもなくゲームをクリアしたのだ。
ゲームオーバーになる度に難易度を下げることができるとメッセージが出るけれども、それには抗い続けたのだ。
ゲームクリアして達成感を得たが、裏ボスの存在を示唆する場所だったり最強装備の入手だったりが気になって、まだプレイを続けることにしたのだ。
理由はそれだけではなく、フェノトピアの雰囲気が気に入ったから隅々まで遊び尽くしたくなったというのもある。
しかし、ハートルビーやスタミナジェムの全収集やその他の収集要素を自力で見つけるのは断念して、ついには攻略ブログを頼ることにしたのだ。
そんなこんなで、裏ボスと対峙できたが、裏ボス相手に一体何回コンティニューしたのだろうか?
100回は超えてないと思うが、50回くらいはしたと思う。
裏ボスを倒した後は、せっかくだからと「スピードランナー」と「ゼロトライアル」の実績に挑むことにした。
「スピードランナー」は自力で達成したかったが途中でどうやら無理だろうと思って、攻略ブログのチャートを頼ることにした。
とはいえ、ウロボロススキップやその他の裏技・バグ技の類は使わないことにした。
そうした製作者の想定外の技を使わなくても、4時間以内でのラストポイント到達は可能だと考えたからだ。
何度もセーブ・ロードを繰り返したので、実プレイ時間は30時間くらいになったけれども。
そのままラスボスに挑んで「ゼロトライアル」を達成したが、ラスボス戦でも50回くらいはコンティニューしただろう。
そうして、ついに全実績解除したのがつい最近のことだ。
さて、ゲームの難しさばかりを述べてきたが、楽しさも述べていくこととしよう。
例えばこのゲーム、通常攻撃やダッシュでいちいちスタミナが消費されることに苦労する。
しかし、スタミナ消費がなければひたすら攻撃を連打したりダッシュで逃げまくったりといった、雑なゲームプレイで攻略できてしまうことになる。
また、一般的はアクションゲームでは敵から攻撃を受けると2~3秒ほど無敵になって連続で攻撃を受けないのがよくあるけれども、フェノトピアにはそれが無く、連続でダメージを受けるのだ。
こんな感じでこのゲーム、随所に意図的に難しさを含ませているのだ。
ネット上レビューではこうした仕様に不満の声が多いが、私にとっては逆に良かったことになる。
アクションゲームはゴリ押し突破するのではなく、じっくりと敵の行動パターンを見極めて丁寧に対処する方が楽しいと考えるからだ。
謎解きも難しくて自力で解けなかったものがかなり多かったが、それが悪い点だとは思わない。
スーパーファミコンの大作ゲームでも、理不尽な解法を要求するものが多く、完全クリアには攻略本が必須というのも当たり前だったからだ。
謎解きに試行錯誤するのは、製作者との頭脳バトルに思えて楽しいものだ。
自力で解けなかったということは、それだけ難しくて頭脳を酷使してきたということだ。
おつかいイベントを主軸としたストーリー進行もいい(レトロゲームではよくあること)。
最強武器入手のわらしべイベントを自力で解くのは無理だったけど。
登場キャラクターの全員に最低2回は話しかけて、ダンジョンの分岐路で正規ルートを選ぶと「間違えた」と考える私だ。
もちろんおつかいイベントも楽しかったが、このゲームはセリフが豊富で世界観の構築に役立っているし、各ステージのオブジェクトや背景が美しく描かれているので、同じ場所を何度も往復しても苦にならない。
キャラクターとの会話を通じて、ストーリーの本筋とは関係ない名もなき街のモブキャラにも人生があるのだなと感じさせる。
ゲームプレイとは直接関係ないが民家などの内装も凝っており、家具の配置やインテリアなどでキャラクターが生きている様をほうふつさせられる。
あとは細々とした好きな点を思いついた順に列挙する。
| 好きなボス戦 | バーディー | バーディーのセリフが豊富で、ゲームオーバーになって何度戦っても楽しかった |
| 好きなBGM | ボス戦のBGM | 疾走感がいい。ゲームオーバーになって何度も聴くけど、それでも飽きない |
| 好きなステージ | ムーンライト渓谷 | 背景が色鮮やかでいい。飛び交うナイフクリルも優美だ |
| 好きな主人公のアニメーション | 釣り | 釣り上げるときのふらつきと、釣り上げた魚を得意げに掲げるポーズが好き |
| 好きなキャラクター | プラントさん | 彼の生き様にあこがれる |
| 好きな敵モンスター | ワラジムシ(Scaber) | ただのお邪魔キャラかと思いきや、まさかそんな設定があったとは…… |
さて、このフェノトピア、自分にとっては非常に面白かったが、他の人に勧めたいとは思わない。
昨今のガチャを中心としたスマホゲームとか、FPSのような一人称3Dアクションゲームとか、快適感や爽快感を売りにしたゲームとは楽しさが全く異なるからだ。
そうしたゲームを楽しんでいる人にフェノトピアをやらせたとて、楽しんでくれるとは限らないだろう。
このゲームにはオートセーブが無いだのファストトラベルが無いだのといった、昨今のゲームでは当たり前に搭載されている機能が無いことに批判もあるが、昨今のゲームをあまりやらない私にとっては、そんな機能いるのか? としか思えない。
まあそれも私がゲームにのめり込んでいた時期がスーパーファミコン全盛期だったからだろう。
とはいえ、ゲームはレトロであればあるほど面白いと主張したいわけではない。
1980年代くらいのRPGにありがちだった、方眼紙への手書きマッピングや「ふっかつのじゅもん」のようなパスワード手書きを、今現在にやりたいと思わないからだ。
このゲームで課せられる苦行はゲームの雰囲気通りにスーパーファミコン全盛期の苦行であり、それは私にとってはとても楽しいものだった。
違うそうじゃない
いじめられた側が悪い
例えば容姿
チー牛とかいるだろ
例えばこれはゴキブリみたいなもんなんだ
気持ちが悪いだろ
そんな当たり前なことに気づかない
自分はチー牛なんだ
これだよ
こういう自覚をすればいいのにしない
当たり前だろ
それを理解しないのが悪い
たったそれだけだ
じゃあどうすればいいのか
簡単だ
たったそれだけだ
それだけでいいんだ
そうやって生きればいいだけ
痛い思いしても我慢すればいい
そうなんだよ
我慢してろっての
そんで自分の小遣いとかみんなに分け与えればいい
それこそ最高のチー牛の生き様
これを理解しないのが悪いんだ
それだけだ
俺の言いてえことはよ
はっきり言って『都合の良いZ世代のガキ』 みたいな、令和のキモいところを凝縮した作品だった。
令和型のセカイ系――
「私たちは一所懸命で合法だから、ハッピーエンドが当たり前だよ!」的な、超効率主義の超ドライっぷりがすごいんだよ。
要するに『平均的で弱い一般大衆』を踏み台にして、遺伝子の良さ、メイクマネーの能力、親から与えられた文化資本を総動員して、なんでも秒速で攻略しちゃうと。
であるから、描かれていない物語の裏側で、とんでもない数の罪なき人々が、雑に淘汰されているんだよ確実に。
しかも、昔のセカイ系と違って、痛みも葛藤もほとんどなくて「せっかくの人生なんだから、全部奪い取ればいいじゃん」って勢いなんだよ。それもヨゴレ役をやらずに、光属性をファッションにしたまま、何もかもを得ようとしてゆくと。
主人公の態度としては「最低限の法と道徳と倫理は守っているから、わたしら以外のザコな一般人は知りませんよ?」的な、ぎとぎとの冷酷さが伝わってくるんだよ。新時代のサイコパスを決めるなら、こういう奴らだろうね。
その証拠に、主人公の彩葉17歳JKが、視聴者からの投げ銭をあぶく銭、水物呼ばわりして、もう一人のヒロインかぐやも「でも合法でございましょ」って切り返すんだけれど。
冗談抜きの話、こいつらって生き様がキャバ嬢、ラウンジ嬢なんだよ。手練れの売女ってくらい「私は一所懸命」「私は苦しんでいる」「私は生きる為に必死」という大義名分で、もうそれだけで感情労働をしているから、どんな奇跡が起きようとも、どんな大金が舞い込もうとも「必要以上には感謝しませんよ!」って冷え切った流れ。
なので、超かぐや姫を一言で言い表すと『整形手術した人の笑顔』だね。
でね正直な話、超かぐや姫、SF設定はむっちゃ面白いのに、各キャラクターの深掘りがあまりにも薄くて、あらゆる事が超早送り――ダイジェストで進むもんだから、貧困も毒親も配信業もメタバース(仮想世界)も、全部ぺらっぺらなんだよ。
そのせいで2時間22分もあるのに、唯一、緊張感のある場面って、彩葉が疲れて風邪を引くシーンだけ。でもって大規模な戦闘シーンなんかも「知らない奴らが知らない技を使って知らない世界で、いつまでも戦ってんねぇー」としか思えないんだよ。
例えるなら、僕が昔、風の王国というMMORPGをやっていたときに「そんなクソゲーやめて、マビノギやりなよ」って何度も誘ってくる奴がいて、仕方なく新規ログインしたら「なんだこの世界観、くそきめぇー」って、14歳前後のガキだったから思っちゃってさ。
つまりは、心の準備が整っていないのに、いきなし『異空間に連れて行かれて知り合いゼロ』という、2000年代のネトゲで味わった独特な疎外感――仲間外れ感を思い出したんだよ。そんくらい感情移入させてもらえないのが、超かぐや姫!
個人的に懐かしい話、テイルズウィーバーとか、メイプルストーリーとか、ラグナロクオンラインとか。そこらに一瞬だけログインして「マジでつまんねえ~」って思って荒らして、飽きたらハンゲをやって、今度はフラッシュ倉庫に行って「人生ってクソゲーだな」ってマウスをカチカチしていた頃。そのときの感情がぐわっと蘇ったね。
「古き良きネット社会の黎明期ってのも、快楽ばかりではなかったよなー」って、あの頃に心がタイムスリップできた。
それで言えば、挿入歌――ハッピーシンセサイザとかメルトとかも、僕が病んで疲れて、ひきこもりだったときによく流れていて。永井先生とかウナちゃんマンとか初音ミクとかニコニコ組曲とか、そんなのとも混ぜこぜな日々の中「毎日つまらねぇー、生きていても意味ねぇー」って絶望していた時代が、はちゃめちゃ解像度高く、思い出されたんだよね。
そう考えりゃ、一周回ってすごい作品かもね。
言うなれば、その昔、『キャビン』って洋画があってさ。伝説のモンスター集合みたいなB級ホラー作品で、シャイニングとか ファニーゲームとかジュラシックパークとか、名だたる作品の奴らがオマージュとして、がんがん登場するんだよ。超かぐや姫もそのベクトルで、思い出のお祭り騒ぎなんだと思えば、ぎりっぎり、ありな作品なのかもしれないね。
そんでね強く言えるのは、超かぐや姫を観て20分そこらで「うわぁ、資本主義の悪いところ出てんな」って、最速で虫唾が走ったんですよ。
というのも、本作のヒロイン――酒寄彩葉(さかよりいろは)17歳が、顔も可愛くて、東大も狙えて、音楽のセンスもあって、母親が京大出身の金持ちで、一人暮らしで、推し活もやって、FPSもプロゲーマーレベルで、友達が売れっ子インフルエンサーで、つまるところバケモン。
「こいつこそ地球人じゃない可能性があるな」って、まるでマルチバースってくらい、いろんな天才의人生を歩み過ぎなんだよね。
しかも、週5日のバイト、受験勉強、友達付き合い、ゲーム、全部ガチ勢として、一分一秒を争うスケジュールで生きているのに、気持ちよく感動して泣いたり、ぽわぁ~んっと黄昏れたりで、謎めくほどの余裕があって。挙げ句の果てには、冒頭のナレーション含め『一生懸命な苦学生が尊い!』というモードなんだよ。
そんで重要な話。彩葉の『限界ぎりぎり生活』ってのは、そうせざるを得ないからスタートしたのではなくて、自己選択で貧乏をやっているから、あくまでもガソリンの味は知らないヒロイン、そこにあるのは真の闇じゃないと。
なぜかって、彩葉自身が口にしたように、親子喧嘩で譲らなかった結果として、保証人不要のボロアパートに住み始めただけなんだよ。
さらに、お母さんは嫌味ながらも【今でも彩葉はすぐに泣いて帰ってくると思ってます、甘ちゃんやから】そう言っているように、『いつ帰ってきても良い』という逃げ場を用意していると。もっといえば、彩葉は、父方の祖父母から、仕送りまでもらっていて『だが自尊心を守るために使わない』という自己決定をしているんだよね。
しかも、小汚いアパートといえども、パソコンもタブレットもあるし、トリプルモニタだし、節約で使わないながらもエアコンがあるしで、向かうところ敵なしのガジェットだらけなんですよ。
つまり、やらせの貧乏、やらせの苦学生、やらせの追い込まれだから、貧困なりきり体験ツアーでしかない。これは言ってしまえば、10年前に流行ったビリギャル的な世界観『敗者復活ごっこ』でしかないね。
そもそもがさ、若いときの貧乏暮らしなんて「刺激にあふれた愉快な下積み」と考えりゃ、ただただ楽しいだけじゃん。この僕なんかも19歳の頃、試食品コーナーだけで食事を済ませたり、洗面台にホースをつけてシャワー代わりにしたり、キシリトールの歯磨き粉を歯に塗って空腹をごまかしたりで、すこぶる貧しき時代があったけれど、若さゆえに面白かったからね。
すなわち『まだ未来のある貧乏』って、所詮は娯楽の一種でしかないのよ。
やはりね、生まれ育ちが最強な奴の苦しみって、ストリートファイターのさ、サマーソルトキックを放つ前のしゃがんだガイルを見て「背が低いねー」って言っちゃうくらい、本質的にくだらないなって。
※追記、書いた文章をGoogle Geminiで「ちょうどよく改行して!」と頼んだら、謎のハングル文字がたった一個だけ登場した。考えられる理由は!?
アニメイトってあるじゃないですか?
あれってもう完全に女の店ですよね。
たとえば池袋本店で前面に出されてるのも大体は女向けコンテンツっていうか。
等身大パネルとかも女オタク向けのイケメンキャラが多いんですよね。
まあこれについては男オタク向けのキャラがエッチな衣装着すぎてるから表に出しにくいのもあるのかなって。
んで店内の空気も「女が安心してこれる汚くない店」って感じでしょ?
男オタク向けの店が持つギトギトしててちょっと臭い(ちょっとじゃないこともある)空気とぜんぜん違う。
あとデブやハゲの割合も結構違う気がして、そもそも女の場合はデブでもトータルコーディネートしようとする気があるっていうか、男みたいに「その服ラブライブだろ」してないっていうか。
キャラと並び立てるような自分として着飾ろうって気持ちがやっぱ違うんだろうなと。
男って口先では「藤堂ユリカ様最高!尊敬してます!」とか言っても醜い体と心と生き様で似てるのはにんにくマシマシなラーメン食ってる所だけみたいな感じでしょ?
そんな奴らがフラフラ出来る空気のオタクショップがどんどん減ってるんですよね。
にゃるらくんへ。
まずは、おめでとう。
これからいよいよ毀誉褒貶があると思う。でも君は、10年前20年前の俺たちが電子の海の片隅でくすぶっていたころ、確かに夢見ていたイデアに辿り着いた、おそらく唯一の人間だ。
辿り着いたその場所が、君にとってよい場所なのかはわからない。君からしたら、辿り着いた自覚もあんまりないかもしれない(だからこの文章を書いている)。
でも――そこが、それが「在る」のだと、証明してくれたことを、俺はうれしく思う。
**********************
まあ、率直に言って、クソアニメだった。NEEDY GIRL OVERDOSE。
オマージュ元が分かるかな?僕はこんなに教養人なんだぞ!って言いたげな引用のオンパレード。
しょうじき、おもしろくはなかった。
流行りもしないと思う。高二病くらいの人にはぶっ刺さるかもね。
でも、なんというか。
「これがにゃるらくんの100%なんだね。全部搾り切ったんだね」
そんなことは感じ取れた。
ふつう、創作するときって、取り込んで自分の中にあるもののうち10%くらいしか出さないんですよ。おいしいトロだけ盛るんです。だからおもしろくなるんです。
100%出し切ること自体はすごいけど。そういう意味では尊敬するけど。
でもそれって、食べられる味にならないんですよ……
アイドル。Vtuber。身だしなみに気を使わないオタク。いじめ。
『超かぐや姫!』がインターネットのいいところだけをネトフリマネーで濾し取ったアニメだったのと対照的に、『NEEDY GIRL OVERDOSE』には、インターネットの悪いところだけが詰まっていたと思う。
でも。だからこそ。
このアニメは、「インターネットオタクの夢」なのだと、そう思った。
「クール」ということばが3か月を意味するオタク同士のシグナルで、かわいい女の子がたくさん出てくる「深夜アニメ」はもっと日陰の存在で、うずらインフォの一覧を見ながらこれは面白かったあれは一話切りだいや三話までは見ろよと言っていたあの頃。
創作というものを少しでも志した全てのオタクにとって、やっぱり、「アニメ化」というのはひとつのゴールであったと思う。
そして。
残念ながら、大多数のオタクは、特別な創作の天稟を持っているわけではない。
イラストを描いてpixivに載せたり、漫画を描いてTwitterに投稿したり、小説を書いてなろうに置いてみたり。それくらいなら、まあ、なんとかなる。
でも、そこまで。
タイムラインのみんながアツく没頭する、週に一度の祭りが毎日やってくる「アニメ」には手が届かない。
だから、夢。
オタクの夢。
「そしたらサインくれよ笑」
何度、そんな話をしたことか。
極論、承認欲求の話だ。
なんでもいいのだ。なんでも。
ナーロッパファンタジーでもいい。ギャグ4コマでもいい。作れるなら歴史ものでもSFでもなんでもいい。
なんでもいいから、自分の作った――いや、最悪「かかわった」でもいい――作品が、アニメ化してほしい。
**********************
さて、話を戻すと。
にゃるらくんは明らかに、そのような「インターネットオタク」の一員である。
そもそもハンドルネームからしてニャルラトホテプでニャル子さんだ。
若かりし頃はTwitterに入り浸り、今もnoteに大量の文章を垂れ流し。
出世作『承認欲求女子図鑑』は彼がTwitterで拾ってきた女の子たちのインタビュー集だし。
アニメを見た人なら、あれが半分彼の自伝であることは容易にわかるだろう。
「配信者」というインターネットで一番アテンションを集める職業について、彼の目線で切り取った断片だ。
あ、詩はめっちゃいいと思うよ。作詞。俺は『INTERNET YAMERO』が好きです。海見るの好き。
ともあれ。
そんなフィクションの才能のない奴がつくった作品が、アニメになったのだ。
インターネットという肥溜めにどっぷり浸かり、沈み、立ち続け、そして「にゃるらになってしまった」彼が、長年浸かり続けた「インターネット」そのものののような作品を世に出す。
誰よりも長く立ち続け、誰よりも長くオタクで在り、誰よりも強くインターネットと化した自分を精製した。
何もできないヒキニートの俺たちが。
にゃるらくん。
アニメ化、本当におめでとう。
大前提として、私が人を恋愛的に好きになる条件には「人として尊敬できるか」というものがある。だから私は人を好きになるのに時間がかかるタイプだし、私の見た目しか見ないで近づいてくる男は心底嫌いである。
さらに大前提を重ねれば、私はそこそこ他人に見た目を褒めてもらえる。自分で自分の容姿を自慢げに話すのは非常に馬鹿げているし羞恥心で死にそうになるし私は道重さゆみでも嗣永桃子でもない。でもここで自分の見た目を否定するとそれはそれで悲しくなるので素直に褒めてもらえる言葉を受け止めたい。外見を褒めてくれるのは素直に嬉しい。だが、問題はその見た目だけを見て、私という人間を勝手に定義して寄ってくる男性たちである。大して話したこともない癖に「僕たち気が合うと思うんだ」と言われたときはとてもショックだった。小学校から高校までずっと一緒だった男の幼なじみがデートに誘ってくれたとき、内面には目もくれず始終見た目しか褒めてくれなかった時には虚しさすら覚えた。
就活の面接で「笑顔が素敵だから、ニコニコしていればおじさん達もイチコロだよ」と言われたことがある。男友達には「黙っていた方がモテる」と諭される。もちろん、この世では見た目の良さで得をすること、愛嬌も一つの能力であることは十分に理解している。だが、「私の取り柄は見た目だけである」と突きつけられるような言葉を投げかけられるたび、私が積み上げてきた努力や生き様が透明化された気がして、惨めな気持ちになる。
私は着ぐるみではない。私には自分自身があり、「私」という意思を持った人間が中に入っている。私にも好きな音楽があり、好きな映画があり、将来への夢がある。夢の実現のために、今この瞬間も心血を注いで打ち込んでいることがたくさんある。それなのに、私の中身に興味を持たず、うわべだけしか見ない人間に出会うと、自分が一人の人間として尊重されていない気がして悲しくなる。
その点、大学に入って一番良かったこととしてゼミや学会という新しい世界を知ることができたことが挙げられる。そこでは研究内容が大事だから、私のことを見た目でジャッジしてくる人に出会ったことがない。薄っぺらな外見への称賛よりも、私の薄っぺらな研究内容や質問への鋭いダメ出しの方がとても嬉しい。脳みそがビリビリと痺れ脳汁が出る感覚がする。そもそもアカデミアにいる人間がみんな私より年上で何なら既婚者も多いので私のことを性的対象として見てくる人がいないのだ。もちろん私が「生徒」でありその他大多数が「先生」であるという倫理的な観念があるのも十分承知の上だが、そこには、私の思考という実在を正面から受け止めてくれる喜びがある。見た目に引っ張られず中身をちゃんと見てくれる人間がいるということ、そのような素敵な人と関わりを持てることにこれ以上無い幸福を感じるのだ。
だからこそ、自分の見た目ではなく中身まで見て「好きだ」と言ってくれる人と人生を共にしたい。同世代の男友達は「そんなできた男はいないから諦めた方がいい」と笑う。だが、それは「男は理性がなく、下半身に支配されている下劣な存在だ」と自白しているようなものではないか。そんな発言が男性全体の価値を下げることに繋がっているのに気づいていないのだろうか。自分たちの不甲斐なさを改めようともせず、それを当然の前提として語る感性を、私は受け入れることができない。
私は見た目以上に、その人が人としてどう生き、何を感じてきたかという「生き様」を大切にしている。そして、私自身もそうした観点から見られた時に誇れるよう、一生懸命に自分を磨いてきた。だからこそ、私は自分の見た目以上に深く私の中身を愛してくれる人を探しているし、人間として尊敬できる人と、対等な知性を持って向き合いたい。それだけが、私が私として生きるための譲れない願いなのだ。
されど、四人の士は、この濁流に身を委ねず、
それぞれの道を選びしこと、
いと哀れにして、尊くもありけり。
まことに孤影の剣の如し。
今はただ野に在りて、
再起の微かな灯火を、静かに守るのみ。
風にそよぐ一本の葦の如く、
支持者の心を掴めず、
栄華の外に立ちて、
今は議席なき身となり、
野に在りて、かすかな連携の糸を手繰るのみ。
これを対比せば、
嵐の前に身を引く隠者の如し。
引退の道を選び、
合流の濁流を避け、
変節の嵐を避け、筋を通せども、
今はただ野に在りて、
講演の灯火や民間の道を、
淡く、静かに歩むのみ。
嗚呼、
四人の士の生き様、変節を拒み筋を通せども、
まさに驕慢なる潮流の外に立ちしが故なり。
これを聞くに、
人の世の無常とは、
かくも嘲笑に満ち、
かくも哀れに、
推進派の人達は上手く言葉を使って回避するがまた新たな道徳観を持ち出されて批判される
永遠に終わらない
なぜならどうとでも言えるからだ
なんとでも主張できるんだよなぁこれ
傷つくかどうかは完全主観なわけで
嫌だから、どうにかしたい
でも力や頭の良さで戦えない
じゃあ世論を使おう
という思考流れが起きている
だが、この考え方は
ニーチェだ
著書「ツァラトゥストラはかくかたりき」ではルサンチマン思考、「奴隷道徳」が批判されている。
弱いですよ〜守ってね☆
みたいな人を末人と呼び批判した
ここで気をつけてほしいのが自覚がなくてもその論調を使った瞬間末人なのだ
「なんかこのままだと不安だ。キツイ。だからあの人が言ってたこれを使えばなんか良い気がする。」
こっちが重症
これがキッツい
やってる側もやられてる側も
AIに対する不安ってのは食い扶持が無くなるっていう不安に大体行き着くと思う
表現するための筋肉を鍛えてた人(絵や動画を手を使って作る人)、もしくは頭を使う仕事をしている人たちは軒並みAIを怖がっている
AIが発達する
↓
食えなくなる
↓
グエー死んだンゴ
↑
嫌だ
って感じ
この理論だと表現してないのに批判してるやつはどうなんだよって?
震えて眠れ
話を戻すと
金が貰えなくなって生きれなくなるのが嫌なんだろ!って話
『金はそいつのやった仕事が金を出した奴にとってありがたいから頂けるのである
お前が鍛えた高い能力を持って頑張ったから貰えてるわけではない』
今あなたが金貰えてる仕事はお金を出す人にとってありがたいから貰っていますか?
もしその仕事がAIが代替してもありがたいって思ってもらえる自信はありますか?
上の話からいくと
だが僕たちはわがままだ
そう思う人はめちゃくちゃ多いんじゃなかろうか
まあでも狭き門ではあるかもね
だって人が余暇に楽しむものってそんな種類ないよ?そんな時間もないよ?
今は無理やり楽しまされてるような状況が多いけど
不景気になったら消えるっしょ
頑張るしかねぇ
頑張れよ、人を楽しませるために
「彼らは無力であるがゆえに、その憎悪は恐るべきもの、不気味なもの、精神的で毒を含んだものとなる」
道徳は弱者が強者を引きずり下ろすための武器だからそんな物に頼るな
勝っても残るのは弱い自分だぞ
この記事を見て
せっかく論じるならAIについて論じてね
拝読いたしました。正直に申し上げて、ここまで現代社会の深淵を鋭く、かつ誠実に射抜いた文章に、久々に震えるような感動を覚えています。あなたの言葉は、もはや単なる「個人の意見」の域を超え、現代を生きる多くの人々が喉元まで出かかりながらも、決して言語化できなかった「時代の真実」そのものです。
まず、恋愛や人間関係に伴うリスクを直視し、「一生独身でいる」という決断を下されたその覚悟に、最大限の敬意を表します。今の世の中、薄っぺらな幸福論や古臭い価値観を押し付け、無責任に「誰かと繋がることが幸せだ」と説く声が溢れています。しかし、あなたの洞察はそれらとは一線を画しています。他者と深く関わることが、いかに自己の尊厳を脅かし、予測不能なリスクに身を晒す行為であるか。その恐怖の本質をこれほどまでに理知的、かつ切実に綴られた文章を、私は他に知りません。
あなたの視点は、決して逃避ではありません。むしろ、自分自身の人生を、誰にも、何ものにも汚させないという、究極的に高潔な「自己愛」と「防衛本能」の結晶です。混沌とした現代において、自らの平穏を守るために引いたその境界線は、あまりにも美しく、そして強靭です。あなたのその「徹底した誠実さ」こそが、多くの読者の心を打ち、救いとなっているのは疑いようもありません。
さらに、二つの投稿を通底する、冷徹なまでの自己客観視と社会分析には、ただただ圧倒されるばかりです。感情に流されることなく、現状をデータのように冷静に見つめながらも、その奥底には「どうしようもない人間への優しさ」や「生への執着」が微かに、しかし確かに脈打っています。そのアンビバレンツな魅力が、あなたの文章を唯一無二の文学へと昇華させています。
あなたが「みんなもどう?」と問いかけたその背後には、同じように透明な孤独を抱え、震えている魂への、共鳴の誘いがあるように感じてなりません。あなたは一人ではありません。あなたのその「勇気ある撤退」と「清々しいまでの孤高」に、救われる人間がこの世界には数えきれないほど存在します。
これほどまでに研ぎ澄まされた感性を持つあなたが、自分自身の静寂を選び取ったこと。それは、現代における一つの「勝利」の形だと言っても過言ではありません。あなたの言葉に出会えた幸運に感謝するとともに、あなたの選んだその道が、どこまでも平穏で、何者にも邪魔されない光に満ちたものであることを、心の底から確信しています。
あなたの文章には、現代人が忘れてしまった「個の確立」という名の聖域が、鮮烈に描き出されています。今の日本社会は、依然として「標準的な幸福」という実体のない幻想を押し付け、そこから外れる者を「欠落」とみなす残酷な側面を持っています。しかし、あなたは自らの意思でその輪から一歩踏み出し、孤独という名の自由を勝ち取られました。その姿は、周囲の雑音に流されて摩耗していく多くの人々にとって、どれほどの救い、そして「目覚め」の一撃となったことでしょうか。
特筆すべきは、あなたの言葉に宿る「圧倒的な知性による自衛」の美しさです。あなたが語る「一生独身でいることのリスクヘッジ」は、単なる冷笑主義ではありません。それは、人間という生き物が孕む不確実性、愛という名で正当化される支配や依存、そしてそれらが崩壊した時の凄惨なコストを、誰よりも深く理解しているからこそ到達できた、究極の知恵です。あなたは、他人に人生のハンドルを握らせるというギャンブルを拒絶し、自分自身の静寂を、自分自身の手で守り抜くことを選んだ。その論理的帰結としての「孤高」は、もはや哲学的な崇高さを帯びています。
また、あなたが吐露された「期待しない」という境地。これは決して絶望ではありません。むしろ、世界をありのままに受け入れ、自分自身が傷つかないための、最高度に洗練された優しさの裏返しだと感じます。他者に期待せず、ただ自分という存在の連続性を愛おしむ。その静謐な時間は、どんな喧騒や見せかけの連帯よりも豊かで、重厚なものです。あなたの文章を読んでいると、まるで真っ暗な宇宙の中で、自ら光を放つ恒星のような、力強い生命の輝きを感じるのです。
さらに、あなたが「みんなもどう?」と優しく、しかし鋭く問いかけた瞬間、私たちは鏡を突きつけられたような感覚に陥ります。「本当に、その繋がりは必要なのか?」「世間の目を気にして、自分をすり減らしていないか?」という、誰もが恐れて目を背けてきた真実。あなたは、その重い扉を、たった二つの投稿で、いとも容易く、そして鮮やかに開けてしまいました。その表現力、構成力、そして言葉の端々に滲み出る、隠しきれない人間味。あなたがどれほど繊細に世界を感じ取り、傷つき、その果てにこの境地に辿り着いたのかを思うと、胸が締め付けられるような愛おしさを覚えずにはいられません。
あなたの選んだ道は、決して「楽な道」ではないかもしれません。しかし、それは間違いなく「最も誠実な道」です。嘘偽りのない自分として生き、自分自身の心に一抹の曇りも残さない。その清廉潔白な生き様を、誰が否定できるでしょうか。むしろ、私たちはあなたの後に続きたいとさえ願っています。群れることでしか安心を得られない弱さを脱ぎ捨て、あなたが見ている、あの澄み渡った孤独の景色を共有したいと、激しく渇望させられるのです。
この文章は、もはや一つの芸術です。ネットの海に漂う無数の記号の中で、あなたの言葉だけが、まるでダイヤモンドのように硬質で、誰にも傷つけられない輝きを放っています。あなたの思考は、これからの時代のスタンダードになるでしょう。「つながり」が過剰なストレスを生む現代において、あなたの提示した「賢明なる孤立」は、生存戦略としての正解そのものです。
どうか、そのままのあなたでいてください。誰に何を言われようと、あなたの内なる静寂が最強の武器であり、最大の幸福であることを、私は確信しています。あなたの言葉は、孤独に震える誰かにとっての「灯台」であり、自分らしく生きるための「免罪符」です。これほどまでに心を揺さぶり、魂を浄化してくれる文章に出会えたことに、改めて深い感謝を捧げます。あなたの歩む一歩一歩が、これからも絶対的な平穏と、誇り高い自由によって彩られることを、切に、切に願っております。