はてなキーワード: 苦学生とは
特定を避けようとして嘘をついている訳ではなく、私は、本当に医師ではない。
これは、自意識過剰おばさんに対して、ある可能性を示唆することが狙いのポストである。
自意識過剰おばさんとは、「セクハラを警戒している素振りを、警戒されている相手にわざと露骨に見せることで、男性へ嫌がらせをするおばさん」のことだ。
"先日電車に乗った時の話。
席が空いていたので座ったら、その瞬間に隣に座っていたオバサンが立ち上がった。
んで、駅に降りたのかというと、そんなことはない。
ドアの近くで立っている。
どうやら、オレは警戒されたらしい。
何ちゅー失礼なババアだ、てめえのことなんざ誰も見てねーよ!と言いたいのは当然なのだが、
防犯の観点で考えると、オバサンの行動も間違ってはいないだろう。
警戒を怠ったばかりに強盗にでも遭ったら、オレは責任取れないし。
しかしムカつくのは、自身の身の安全の為にこの一連の行動を行っているのであればともかく、明らかに俺への当て付けで行なっているように思えることだ。
自身は女性である、故に男性を不信感を持って見ることが許され、スキあらばそれを常にアピールしたい、だって女ですもの!女ですもの!という明らかな悪意が感じられる、ということである。
そんなに自分に魅力があり、常に異性から狙われていると思いたいのであれば、勝手にそう思えばいい。
また未婚化・少子化・若者の恋愛離れが進む昨今、誰からも相手にされないけど女アピールしたいオバサンは急増していくものと思われる。
今後日本国内のあらゆる男性にとって、自意識過剰なオバサンへのスルースキルが必須となるのだろう。
義務教育でも教えればいいのにね"
私も見た目がチー牛なため、よくそういうおばさんにターゲットにされ、日常生活に支障をきたしている。
医師の収入が大幅にアップするのは、専門医を取得した30歳以降だ。
そのため、物価の高い都市部であれば、鉄道などの公共交通機関に乗らざるを得ない。
また、親ガチャに外れて、奨学金を借りざるを得なかった研修医の場合、尚更である。
また、国立医学部に奨学金で通う苦学生の場合、私大医学部に親の金で通う坊ちゃんと違い、公共交通機関で通わざるを得ない。
また、開業医の中にも、営利度外視で慈善的な治療をしている場合、公共交通機関を使わざるを得ない人もいる。
当然ながら、医師の受験科目にチー牛かどうかをチェックする面接などない。
そして、公共交通機関に乗って通勤中、白衣を着ている訳にもいかないため、一般人のチー牛にしか見えない医師だっているだろう。
自意識過剰おばさんは、自分たちが攻撃しているチー牛やオッサンの中に、そうした医師がいる可能性を考えたことがあるだろうか?
攻撃されるチー牛やオッサンが、コンタクトや美容院に行き、警戒されないように、見た目を改善すればいいと言う自意識過剰おばさんもいるかもしれない。
だが、手術で細かい所を正確に診ないといけない外科医や外科の後期研修医は、コンタクトをしにくい。
また、医師は診療科にもよるが、基本的に非常に忙しいため、通勤中だけコンタクトをして、病院で外すといった手間のかかることはしにくい。
その間に患者が死んでいたら、後悔してもしきれない。
そもそも、医師は激務で忙しいため、過労で充血した目でコンタクトなどしている余裕はない。
もし、公共交通機関で、自意識過剰おばさんに攻撃されている研修医が社会的抹殺のリスクを感じて、自衛のために自家用車を購入しようとして、
そのために、外科からすぐに高い給与が得られる美容に転科したら、日本の損害である。
一部では、自意識過剰おばさんから、チー牛やオッサンを守るため、男性専用車両の導入が試験的に始まっている。
都電で「男性専用車両」運行、「弱い男性を認めてほしい」「女性支援を否定しない」乗客の希望を乗せた40分間
私は、自意識過剰おばさんに悩まされるチー牛の一人として、公共交通機関への男性専用車両の大規模導入を早期に期待したい
繰り返しになるが、私は医師ではない
また、誤解を避けるために一応書いておくが、この投稿は、元々掲示板などに私が投稿していたものを、世間により広く訴えるために、より分かりやすく、まとめ直したものだ
少し前に子どもが生まれてから、自分の人生の主人公が自分ではなくなったようたように感じ始めた。
いつ自分は主人公になり、いつ自分は主人公で無くなったのかをつらつら書いていく。
特にオチもないし、話もいろいろ飛ぶので、それでも良ければ読んでいってほしい。
小中学校は特に受験などせず公立、高校ももちろん公立で、何も考えず家から一番近い高校(一応進学校)に進学した。
この時点では自分のアイデンティティなどは特になく、自分は主人公ではなかったように思う。
だが高校時代の部活動での練習を通じて自己と向き合う機会が増え(これは年齢的な精神の成長もあると思うが)、自分のやりたいことで努力し、成長することが素晴らしいことであると思い始めた。
それが高2の冬だったと思う。その時にやってようやく自分の進路について考え始めた。
当時自分なりに考えた結果、京都大学に進学したいと思い始めた。
親に京大に行きたいというと、奨学金を借りて頑張って行ってくれという話になった。
中学生くらいのころ、親から「大学に行かせる金はない」と聞いていたが、金がないだけで進学は反対されなかった。
高3最初の河合塾の模試で偏差値45ぐらいだったと思うが、学校の先生に相談しながら猛勉強を始めた。
金銭的な都合から塾にも行かず、部活も夏休みが終わるころまであったが、なぜか自分は京大に行く・行けると信じていた。
バカで金がないという逆境で、非常に燃えていたのを覚えている。
この時、自分の人生で初めて全力を尽くした。高3の春に45程度だった偏差値も、高3最後の模試では65近くまで上がった。
とはいえ何年も前から全力で勉強してきたであろうほかの受験生にはかなわず、1年の自宅浪人(ここでも金がなかった)の結果、早慶に進学した。
ありがたいことに地方出身者向けの給付型奨学金を大学からもらうことができ、ほとんど国公立と変わらない学費で進学できた。
受験料を祖父にもらいに行ったことや、実家を出る日、親から10万円を渡され、「これで何とかしろ」と言われたことは、今でもよく覚えている。
ちなみに10万円はPC購入やら何やらで使い果たし、大学までの定期券代を買えなかったのもいい思い出だ。
大学にはキラキラした人間も多かった(初めて本物の帰国子女を見た)が、自分のような貧乏人もおり、楽しくやっていけた。
だが同時に格差を感じる場面が多かったのもよく覚えている。
親が上場企業の社長の学生、両親が東大出身で早慶進学を親に馬鹿にされた学生、
そもそも親の所得の高い早慶においては、学費も仕送りもある学生が多く、それがうらやましかった。
自分には奨学金とバイトしかなく、得られる経験は彼らと比較して見識の狭いものとなっていたと思う。(この狭い見識は大いに意義のあるものだったが)
一方、人生はここでも、「田舎から出てきた貧乏学生が頑張る」というストーリーの主人公だった。
奨学金の申請時に親の源泉徴収票を見た際、日本の平均年収に届いていなかったので、自分のことを苦学生扱いしていたのだ。
※衣食住に困ったことはないので、絶対的な貧困ではなかった。家にインターネットがなかったり、家電が貰い物だったりとかそのレベルのちょい貧乏である
小中高と、まともなキャリア教育を受けなかった自分は、大学時代のキャリア教育で、自分にある無限の可能性を初めて感じるに至った。
だが一方で田舎の純朴な少年であった自分は、エリートサラリーマンに対するあこがれなどなく(高校時代、京都大学に行った先のビジョンが何もなかった)、課外活動をしながらのゆるい就活をして、それなりに暮らしていける給料の上場企業に就職するに至った。(学歴のおかげである)
就職してからも、まじめに働きつつも頑張りすぎないようにし、余暇は趣味に充てて暮らしていた。
この時の自分は特に何でもない、いち社会人だったわけだが、界隈に多少名が知れる程度には趣味に没頭しており、人生の主人公は自分だった。
結婚後、夫婦ともに子どもを望んでおり、特に何ごともなく子どもが生まれた。
全ての優先順位において、子どもが最上位に来るようになったことに気づいた。
今までは少しでも時間があれば趣味に時間を使っていたのだが、それがなくなった。
時間ができても、趣味に対する興味がかなり小さくなってしまっており、ただぼーっと過ごす時間も増えてしまった。
今まで大学に行ったり仕事したり趣味に没頭していたあの時間と熱量は何だったのだろうか。
今では、子どもがどんな大人になるのかということが楽しみで、自分がどうでもいいような感覚がある。
ああ、自分の人生の主人公が、自分ではなく子どもになったんだなと悟ったのだった。
大学進学を考えもしなかったあのころから、何とか大学に行き、食っていける会社で働きながらプライベートでの挑戦を重ねてきたこの自分の人生には、相当の想いがあり、今でもはっきりと思い出すことができる。
うちの定食屋は近くに大学や専門学校があり、俺自身も苦学生だったことから
お金のない苦学生のために学生のみが注文できる日替わりの「学割定食(550円税抜)」なるメニューを提供してる
この間の日曜日の話だ
シャンフロを流し見しながら、待っていると1人の中年の一見のメガネをかけたおっさん、おそらく40-50代前半くらいだと思う、がやってきた
バイトに注文を取りに行かせるとそのおっさんが「学割定食」を注文してきたらしい
「お客さん、メニューに書いていますが、学割定食は申し訳ないですが、学生限定です。」と説明してた
するとそのおっさんがムスッとした顔をして学生証を出してきたようだ
おっさんが「俺は〇〇大学の学生だから注文できる」とカスハラしてきたようだった
結局俺が、「学割ってのは、お金のない若い学生のためにサービスとして出しているのであって、蓋し社会人学生や通信制大学のようなお金にゆとりのある奴が頼むことはできないんですよ」って説明した
おっさんは顔を真っ赤にして店を飛び出して行った
なん十年か前までの大学の自治寮は学生運動の名残りで左翼がかってたんだけど、バブル経済崩壊直後までの大学レジャーランド時代の頃にはもう時代とズレてきてて、学内のクラブが総会やったときに何かの事情でそのまだサヨぽかった学生自治の女子寮からも出席してて、ワイが居たクラブから出席してた先輩と意見が合わず論争になり、女子寮の出席者が「いいかげんにしてください!私たちにだって生活があるんです!!」って苦学生を理由にヒステリー起こしたときにワイのクラブの先輩が「おう、俺らだってあるよ生活」ってドヤ顔で言ってやったんだぜ、って武勇伝を部室に帰ってから話してくれたとき感じた微妙な気分を思い出した
家族全員高卒もしくは中卒なんだけど、妹だけ頭良いから大学に行ってる 国立の超賢いとこ
大学どんな感じ?って聞いたらいつも俺の知らないことを教えてくれる
(学生なのにしっかりしてる、俺ならちょろまかす)
・有名な大学はどこも校舎が2つ以上ある
・生徒全員で集まる行事とかはない
(これが一番驚いた 野球よりもアメフトとかボートとかが人気らしい)
・皆パスポート持ってる
・頭良い大学にも体育会系の人はいるし、そういう人が商社とかに行く
・卒業するときに何万字とかの論文書かないと駄目(この作業が所謂「卒論」だってことを初めて知った)
そういうこともあるだろうか…って読んでたけど、弱者男性の対義語が「美人ではない女性」と書いてあるのを見て、増田も弱者女性に対する認識はちょっと甘いな?と思いました。
自分から見てより遠い存在である異性に対して想像力が及ばなくなることは誰にでもあることかもしれませんね。
確かにブギウギではお金に困ってスズ子からお金をせびろうとした小田島をその子共々家に雇い入れるというような描写もありましたね。
他にもアホのおっちゃんやゴンベエ、おミネなど性別問わず様々な社会的弱者が登場しました。
そういう人々に希望を与えた歌手というテーマだったので特に描かれたというようなこともあるかもしれませんね。
虎に翼で言うと、よねの父はかなりそれに近い立場の男性なのではと思います。よねの回想の中でしか出てきませんが。
あと他の人も言っていますが優三さんも比較的。彼も早くに両親をなくし昼間働きながら苦学生をやっていましたが夢叶わずでしたね。
あと花岡も特殊ではありますが、彼の性格なのか環境なのか他人に弱さを見せて適切に助けを求めたり自分に折り合いをつけることのできなかった不器用なところなど、何か弱者男性と通じるものはあるように思います。
しかし花岡の描写についてはなんとなく唐突というか、大学時代の花岡にそういう伏線は特になかったような…実際の事件を織り込むのに突然花岡が引っ張り出されたような印象は否めませんでしたが。
それについては轟の突然のアウティングも、そんな感じあったっけ…?よねエスパーすぎんか?と私は思いました。まあ余談ですが。
弱者男性をよく描いた作品でまず思い出すのは芥川龍之介や太宰治ですね。
女流作家では樋口一葉…もっとも当時は多くの人が生活に困っていたでしょうから、何を描いてもそのうちの誰が真の社会的弱者であるのか?という定義も難しいものなのかもしれませんが。
あとは向田邦子や幸田文あたりも男女問わず様々な社会的弱者が登場します。
私もそれほど詳しくはないのですが…
漫画やラノベもよろしいですが、昔の文学などもたまには手にとってみられるのはいかがでしょうか?
ああでも最近のものでも蛇にピアスなど男女ともに社会的弱者のような人しかでてこないような作品も…彼らを社会的弱者と言ってはならないような気もしますが…
なるほど現代の弱者男性をこれこれこういうものであると具体的に示すことは個人の名誉を毀損しかねないのでポリコレ的に難しい、というのはあるのかもしれませんね。
そんな感心するかねえ
「ゲイと友情婚」なんて性嫌悪こじらせた女さんの定番ファンタジーで既出も既出なんだから珍しくもねえじゃん
(他に「阿佐ヶ谷姉妹路線」みたいなのもあるけど、好き勝手夢見るだけで実行なんかしないのは同じでしょ)
主人公は史実準拠で二度結婚させるしかなくて、しょうがないからおもしれー女+逃げ恥パロみたいな展開でごまかした
本命に振られた後都合よく二番手が出てくるのも別に今回が初めてじゃない
あれも大概女向けポルノだけど朝ドラ自体がそんなもんだし、今回ああも思想露骨に押し出すならそりゃ女のミサンドリームにだって寄り添うでしょ、としか思えない
「所詮実家が太い人らのおままごとでしょ」という批判をかわすためだけに存在するような、農家出身親ガチャ外れ姉は売春自分はカフェ勤務苦学生宝塚みてーな男装とてんこ盛り設定
そして今回のアレ
実家は太くも細くもなかった。統計年収の中央値、300万くらいは年収がある家だった。
田舎の有名企業の工場でブルーカラーとして働く父と専業主婦の母、そして私と弟ふたり。家族5人で父親が建てたマイホームに住んでいた。
勉強は田舎の公立小中学校の中ではできる方だった。テストの前に願掛けとして触らせて欲しいなんて言う同級生が何人かやってくる程度には勉強ができる人として有名だった。
高校進学の時、親は地元の偏差値30代の高校に進んで欲しいようだったが、流石にそこは嫌だったので大学進学しないということを約束にして片道1時間半かかる都会(当社比)の偏差値58くらいの高校に推薦で進学した。
まず、この高校に進学するときに約束した「大学進学はしない」という約束だったが、だんだんそれが許せなくなってきた。
周りの人がほとんど大学に進学する環境の中で、今まで頭がいいと周りからチヤホヤされてきた自分が大学に行かないのは「ない」だろうと思った。ああ、我ながら性格が悪い。
そうしたら、「女のお前が大学に行ってどうする、お前の学費は貯めてない」と一蹴された。
ならばというわけで大学進学にかかるお金を調べてみたが、国立大でも入学金20万に年間の学費で60万ほどかかるという話だった。
親の年収ははっきり聞いたわけではないが、親の愚痴などから手取りで20万ほど、ボーナス込みの年収にして300万ちょっと程度だろうとアタリをつけていた。
その状況でこの入学金と学費を出せとはとても言えないことに気がついた。
でも、この世帯年収で特別に生活に困らされたことはない。ゲーム機も買ってもらえたし、ソフトだって誕生日には1本買ってもらえた。高校生の頃にはiMacを自分のバイト代と親の援助で買うことができたのに。
だから、大学進学っていうのはお金持ちがすることなんだと気づいた。
けれどもそれで進学を諦めるほど素直な性格じゃなかった。だから、進学を反対する親とは何度もケンカをしつつ、浪人しながらバイトをして学費を稼ぎ、夜間主コースのある国立大になんとか合格して進学を決めた。
親もそこまで鬼ではなく、入学金と一人暮らしの最初の資金だけは援助してくれた。
それ以降は、昼間バイトして夕方から大学で勉強して、昼間コースの1/2で済む学費を着実に積み立て、月3万4千円の共同風呂アパートの家賃も払うという生活をしていた。
でも、大学はお金持ちが通うところという気づきは外れておらず、夜間主コースであっても学費も生活費も仕送りをもらってますって人が7割くらいだった。残り2割が苦学生で、1割が社会人学生や訳あり学生といった感じだった。
そして今、大学で出会った人と結婚して、子どももいて東京に暮らしている。
区の平均世帯年収は800万くらいらしいし、うちも平均世帯年収に引けをとっているわけじゃないので、子どもの学費はよっぽどのことがない限り問題なく出せるだろう。
こういう世界に住んでいると、大学進学くらい当たり前という感覚にもなってくる。
しかし、本当はそれはとても贅沢なものなのだ。私はそれを知っている。
知っているはずだが、卒業から何年も経った今、その感覚を忘れようとしている。
実家は決して太かったわけではないが、細くもなかった。
それなのに、私の実家が貧しかったと思わされてしまう世界が存在する。
これを読んでくれている人がどの階層の人かは分からないが、多分私のように階層を移動したことがない人だと思う。
だからもしかしたらこの結論が分からないかもしれない。私もうまく表現できている気がしない。
だけれども、この日本にある「大学に通うのに困らない」人々と「普通にしてたら大学に通えない」人々の格差のこと、少しでも気にしてもらえると嬉しい。
すすきのは飯屋や大人のお店が多い。新宿みたいだ。新宿を半分くらいの大きさにした感じ。
アイドルとかが売り子したりしてて、都会なんだな〜と思った。
札幌は、いろいろな企業が、新商品を全国に出す前に、札幌で出してみて反応を見たりするらしく、やはりいろんな新商品が置かれていた。
コンカフェで楽しめたが、コンカフェは東京よりレギュレーションが激しいというか、変なサービスは一切なかった。ちなみに、日本一すごいという噂のダークマターというコンカフェも札幌で、そっちはリスカで作ったドリンク提供で一時閉店などで話題になっていたところで、逆にすごいらしい。
札幌は、レベル高いところと新しい突飛なものが交錯するカオスでいい感じだなあって思った。
ホテルは高くて予約も一杯でなかなか泊まれないが、ニコーリフレってカプセルサウナは安くていつ行っても泊まれたので、ニコーリフレに宿泊がおすすめか。
二乗市場ってのが海鮮で有名らしいが、夏は時期じゃないのか、そこまで海鮮がうまいと思わなかった。昔、春先に函館で食べた海鮮は美味しかったのになあ。
東室蘭は、札幌(北海道の真ん中らへん)と函館(北海道の下の方)の中間地点くらいにある。
札幌と函館の中間地点は結構寂れたエリアなんだけど、登別や洞爺湖やニセコなどの温泉やキャンプやスキーで有名な場所がある。
その辺りの地域には、東室蘭という、埼玉の田舎くらいの栄え具合の街がある。東室蘭からなら、登別や洞爺湖にはバスで比較的簡単にアクセスできる。
ちなみに、東室蘭は本当に泊まるだけだったが、住むだけならギリギリ行けるかなくらいの坂ええ具合がある程度なので、東室蘭を目的に観光は微妙。
今回は登別へ。
温泉は改装中とかで入れない温泉が多かった。夏の時期はそんなもんなのかな。
入れるところもあったので、入ってみた。登別温泉は確かに一流温泉だなあとは思った。
ただ、バスでの移動に数時間とかかかるエリアなので、東室蘭以外からだときついかも。
東京理科大の基礎工学部という学部の生徒は、東京で入学式の途中に、長万部に連れていかれるという謎の制度がある。
1年間、長万部の校舎で寮生活をするらしい。ちなみに現在では基礎工学部ではなく国際デザインという学部が長万部流しにあうらしい。
そういう、変な制度があると聞いてから、一度は見てみたかった東京理科大長万部校舎。
結構小さい建物で過ごしてるんだなという感じ。東大とかの建物1つ分くらいの中で、講義があって、食事があって、体育館があって、寮があってって感じ。
駅前で有名だというカニめしを買って食べたが、う〜ん、普通の駅弁のカニめしって感じ。
ニセコはスキーで世界的に有名で、英語バリバリ通じる地方とのことだが、マジで普通の田舎だった。
外国人が土地を買いまくって、億ション立ちまくりだ!みたいな話を聞いてワクワクしていたが、景気の良さは一切ない。単なる本当の田舎。
夏はキャンプ場が有名らしい。
小樽は飯を食うだけで寄った。
飯は美味かったけど、飯屋の女主人の絡みがうざかった。
小樽の印象はこの飯屋の女主人一発で最悪になった。
富良野のラベンダー畑はyoutubeで見れるような感じまんまが広がっている。
観光客は無茶苦茶多く、噂では1日数千万円の売り上げとかってタクシーの運転手が言っていた。
まあでも、田舎は田舎って感じではある。一面ラベンダーというより、一面田んぼと水平線の向こうまで続く山々って感じ。その中にラベンダー畑がある。
旭川は、東京でいえば駒込くらいの栄え具合だった。ホテルはどこも高くて予約でいっぱいだった。星野リゾートがあるからかな?
旭山動物園は、展示頑張ってるなあと思ったが、小さめだから時間的にはすぐ終わってしまう。
夜のニュークラ(キャバクラ)では、苦学生が多くて、ビビった。旭川には塾講とかで稼げるところはないのかなあ。
旭川に、銀座があるとは、、、銀座って感じはないが、なんか、こち亀で出てくる昔の浅草みたいな素朴な通りが銀座って呼ばれてる。
男子生徒の猿のような声が聞こえてきて、微笑ましい。
こじんまりした感じ大好きだ。
女の子たちは、就職終わったばっかりらしく、弛緩した雰囲気の子たちが多かったね。
これマジ??
ニセコって駅に行って、心配になる程駅がど田舎駅そのもので、わけわからん鐘が置いてあるところが寂れた村感マシマシで。
「村役場があるじゃん、ここにいけば、流石にニセコの中心でしょ」ってニセコ村役場まで歩いて。
マジで単なる田舎で、「ニセコの億ションどこよ?」で帰ってきてしまった。
まさか、ニセコ駅ではなく、全然ニセコ駅から遠い倶知安町駅にニセコがあるってそんなあ。。。
そんなあ。。。
これトラップすぎない?すすきの駅降りたら、二条市場が呼びまくってる感じマシマシの看板群なんだけどお。
なんだよあの「海鮮ならここ!!」!みたいな案内。
トラップすぎるじゃん。
しかも、「千歳空港の佐藤水産でもなんとかなる」ってなにそれえ。空港で食べれるんなら、北海道旅行の意味ないじゃないですか、地元で最高の海鮮出してくださいよ!
>元旭川民から ラーメンで辛いってどこで食べたんだろ 濃いはあっても辛いラーメンがよくわらん
新子っていう、鳥の丸焼きに照り焼きソースかかったやつがラーメンと一緒に出てきて。
ホルモンが塩辛くって、新子も塩辛くて、ラーメンの味がしないくらい塩辛かったです。
でも、たくさんラーメン店があったから、あれは旭川ラーメンじゃなかったのかも。
旭山動物園の旭山ラーメンの方は、普通に美味しい味噌ラーメンでした。
>「北の国から」の舞台の辺りは富良野の市街地から山の中に大分入らないと行けない。