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はてなキーワード: 経営方針とは

2026-05-06

安全専門家が考える、平和教育辺野古事故の関連性

辺野古高校生(と活動家)が犠牲となった痛ましい事故について、平和教育や反基地活動のものにどの程度関連付けて議論すべきかは、非常に専門的な知識判断を要する。

まず事故の直接的な原因についてのみ検討すると、本件は直接的に抗議活動を行っていた最中事故ではなく反基地活動平和教育と言った要因は無関係であると考えられる。自分マリンアクティティについての専門家ではないので観光事業者分析した記事引用する[1]。複合的な技術的要素が重なって発生した事故である一方で、基本的安全管理体制の不足が指摘されている。しか不適切安全管理が行われること自体は反基地活動平和教育といった目的がなくとも世界中で発生している事象であり(知床観光船やJR九州高速船の事案は近年かつ大きく報道されたこともあり記憶に新しい)、即座に反基地平和教育と結びつけて議論することは適切ではない。

一方、安全について議論する際に直接的要因のみにフォーカスするだけでは片手落ちである。実際、発生してしまった多くの事故では経済的理由によって安全優先順位が劣後したケースが少なくなく(つまり利益を優先して安全を軽視している)、組織全体に背景要因となる文化が染み付いているような場合は直接的要因を潰しても必ず似たような理由で再び事故が起きる。

では辺野古事故において、平和教育や反基地活動重要は背景要因ではなかったのだろうか。推測を含む部分はあるが、到底無関係とは言えないだろう。まず今回の事故を起こしたヘリ基地反対協議会過去にも死亡事件を起こしており、事故を起こしたにもかかわらず必要安全管理策を取らなかった、明らかに安全文化が劣後した集団である。その背景要因として、反基地活動という崇高な目的が、彼らの手段集団内で正当化した可能性は否定しきれない。また同志社国際高校についても、本来実施すべき安全確認プロセス平和教育という目的、あるいは普段から深い繋がりのある団体であるからと言った理由ですっ飛ばされた可能性はあるだろう(客観的事実として、そもそも繋がりのない団体かつ通常の団体提供するサービスであれば旅行代理店のチェックは最低限入る)。

何よりも、この様な重大事件を引き起こした後でも、平和教育や反基地活動の正しさという思想から発生した行為の正しさは維持しようとする姿勢のものが背景要因としての重要さを物語っている[3][4]。仮に経済的に行き詰まった業者安全を軽視して船を運航し、「事故を起こしてしまたことは問題だが、会社が潰れるか、社員を路頭に迷わせるかどうかの瀬戸際であり、利益を優先する経営方針は間違っていない」と主張したらどうなるだろうか?またそもそも、こんな主張をしておきながら政府が「沖縄県民への基地負担問題だが、沖縄基地日本だけでなく世界の秩序の安定化に必要であることは正しい」と主張した場合にどの面を下げて批判できるのだろうか?

そこそこの期間安全専門家として生きてきたが、実は経済的目的変数重要視されている場合はやりようがある。なぜなら重大な事故経済的利益ダイレクトに影響するからだ。一方で、反基地活動のように理念のもの目的変数である場合事故が発生してもその評価関数自体は維持されやすく、内部で正当化可能なため、安全改善フィードバックが回りにくい。事故の経過を観察するに、これは本当に問題の根が深い。反基地活動を再開するのであれば、理念よりも安全を優先する文化をまずは整えてからにすべきである

[1]https://note.com/irukaoyaji/n/n77b7bedf08f5#2edc8ca8-3290-42d4-8b00-9891d0ff4f36

[2]https://www.sankei.com/article/20260423-C4NDGHI7ERLITJAJFZ5DQI2IDM/

[3]https://note.com/unknownbuttruth/n/n058ea58c5c8e

[4] https://www.sankei.com/article/20260505-2M6P2PZPTRLRRLPWMEPHDBYRGY/

2026-05-04

サイゼリヤ経営方針なんて知るかよ、なんでもいいかパスタの質落とすな、って話だろ???

なんでサイゼリヤ経営方針としてのコスト管理と7割の客が満足すればそれでいいという評価基準を知っているからって突然マウントとって、パスタの質が落ちるのは必然なんだよバカどもが!!、ってみたいな感じなるのかがよくわからん

2026-04-07

真のウォーターフォールを求めて

概要結論

自分の書きたいこと、言いたいことだけ書いて終了な文書多くないですか?

貴方が今書いているその書類、何が書かれているべきか意識するべきです

誰かがその書類を見て必要な行動を起こせるよう、その書類には必要情報が十分含まれている必要があります

慣習のウォーターフォール

企業での開発において、基本的試行錯誤はない

今までやってきたことをそのままなぞるだけ

なぜその書類を書いているのかといえば、前回もそうだったか

ウォーターフォールっぽいものキモを以下に列挙する

  1. 偉い人が書類Aを書く(あるいは承認する)
  2. 書類Aを基にして書類Bを作成する
  3. 書類nを基にして書類n+1作成する
  4. ...
  5. 書類Nを基にして最終成果物Xを作成する
  6. 最終成果物Xが書類Nの要件を満たすかチェックする
  7. 書類n+1書類nの要件を満たすかチェックする
  8. ...
  9. 書類Aが偉い人の要望を満たすかチェックする

我慢できないメテオフォー

偉い人はお出しされた最終成果物だけを見て文句を言うが、自分が作った(あるいは承認した)書類Aのことは顧みない

フォールしないウォーター

偉い人は自分が何を求めてることを知りはしないが、他人を働かせることにはとても興味がある

成果物文句さえつけていれば仕事をした気になれる

なにから始めるか

例えばwebサイトを作るとするじゃないですか

すると以下のように上流へたどっていくことになる

  1. 最終成果物webサイト
  2. webサイトを生成するためのソースコード
  3. ソースコードを生成するための設計
  4. 設計書を生成するための仕様書
  5. 仕様書を生成するための要件定義書
  6. 要件定義書を生成するための偉い人のありがたいお言葉、関連部署のそっけない反応

要件定義書完璧ものとするために偉い人と関係者質問攻めにするが、肝心なことは言わないし決めないが、おそらく何もわからないのだろうし、私に問い詰められたところでビビることしかできないだろう

また実際に動くものを目にしないと何もわからないのも世の常だ

クビになるまで偉い人を問い詰めるのが私の仕事なのかもしれないし、しかしそれはただのコミュ障では?という気もする

現実とは?

なにから始めるか2

例えばwebサイトを作るとするじゃないですか(2度目)

その意思決定の源流には「会社認知度を上げるため」とか「新しい案件をとるため」とかあると思うんですよ

だったら経営方針書類をまず一番最初に持って来て、今期の決算までに何とか形にしたいとかなんとか、偉い人のコメントを添えるべきだと思うんすよね

いきなり「なんかカッコいいサイト作って」って言われたら、無限工数予算で最高のものを作ろうと案を出すけど、「それじゃだめだ、高すぎる」みたいなそっけない否定しかしないのであれば

一生質問攻め確定っすわ

お前が最初書類として、必要情報を何も出さない、決めない、後出し多数

せっかくのAIも何の役にも立たねえ

一生俺の質問攻めから逃げられると思うな!

ちょっとお前冷静になれよ

「じゃあ質問内容と決めてほしいことをまとめてリストにしてよこせ。以後は二度と質問するなよ?」と言われた

そんなの無理に決まってるじゃんか!

結局、必要事項を初手で完璧確認するというのも無理な話で、密なコミュニケーション取ろうなどというつまらなくてめんどくさい話になっていくわけだが

どんな情報を基に決めるべきかは経験で導き出すしかないのだろうか

やっぱリングに上がれ

どちらが上か白黒つければ文句でなくなるんじゃないか

やはり決闘は全てを解決するのではないか

始まったのか?いつ?

もうわけがからない

俺にはこの世の全てをうまくコントロールすることはできない

もうどうにでもなーれ

2026-03-16

トラック物流に「黄信号」 運転手不足が加速 完全自動運転は道半ば 見えた有力手段とは

なぜ起こる?観光産業の人手不足…問題の本質は「人がいない」からではない!このままでは需要があるのに対応できない、経営者が決断すべきこととは?

人手不足とは、神話のようなものだ。

人が集まらなければ賃金を上げるしかないし、賃金を上げるためには自社サービスの料金を上げるしかない。それができないのなら、それは人手不足ではなく、単なる経営不振だ。

例えば、現場から状況の厳しさについて苦言を呈されたとき経営陣はその声に対して真摯対応することがあっただろうか?

多くの社員は、会社を訴えて損害賠償請求をしたいわけではなく、ただ会社経営状況を改善したいだけだ。

しか日本企業というのは基本的に、末端の、特に若手社員低賃金酷使することで成り立ってきたから、いまさら経営方針を改めるということができなくなっている。

から弁護士を立てて、それは違法ではありません、パワハラではありませんと、会社経営のもの放棄して自己保身に終始する。

パワハラで訴えて慰謝料をふんだくってやる、なんて誰も一言も言っていないにも関わらず。

ただ、これは各々にとって合理的選択でもある。社畜改宗することはできないし、庶民インフレで騙すことができる。経営幹部の逃げ切り成功は堅い。

最初賃金を上げた会社人手不足を解消して一人勝ちできるかというと、そこまで単純な話でもない。

物流に関して言えば、サービスの質を圧倒的に劣化させたアマゾン一人勝ちだ。なぜならこれが、一人当たりGDP世界40位となった日本の、本来の姿なのだから

老木が斃れる日は近い。ゾンビ企業も不死身じゃない。果たして日本人は、倒壊に巻き込まれて圧死する直前まで、それらに寄生して蜜を吸い続けるのだろうか?

夢は醒めるし、幻も消える。いつまで信じるかは自由だが、まあ、勝手にやってくれ。

2026-03-12

anond:20260312082104

社会的合意を歪める経営方針には問題があると思う

2026-02-21

なぜ、ホンダF1プロジェクトは失敗を繰り返すのか?

2026年F1開幕前テストでのアストンマーチンホンダの状況は悲惨だ。

ライバルチームが開幕に向けて着々と準備を整えていく中、アストンマーチンホンダだけはまともな走行すらままならず大きく遅れている。

主な原因は、ホンダが新しく作り上げた2026年用のパワーユニット不具合に起因する。

遅いとか速いとか、そういう問題以前にトラブルが起こり続けて、まともに周回を重ねることが出来ない。

この遅れを取り戻すには数カ月規模の時間必要とも言われている。

数カ月単位の開発の遅れ、それはスピード信条とするF1世界では、「死」を意味する。

悪夢マクラーレン・ホンダ時代の再来ともいえる極めて悲観的な状況だ。

またもやホンダは全世界に向けて、無能晒すことになるのだろうか?

では、なぜホンダF1プロジェクトは、節目ごとに「大ゴケ」してしまうのか。

原因はかなりハッキリしていて、「会社としてF1に対して腰が据わっていない」この一言に尽きる。

わかりやすくするために、F1に参戦する同じ巨大自動車メーカーであるメルセデスと比べて話そう。

ホンダ:いつでも切り捨て可能な「社内プロジェクトF1

ホンダF1は、良くも悪くも「本体の都合でいつでも切れる社内プロジェクト」という扱いになっているようにしか見えない。

こういうタイミングになると、真っ先に「やめる」「縮小する」の選択肢に上がるのがF1だ。

何十年も歴史を見ていれば、参戦→撤退→また参戦→また撤退、というこの往復運動がどれだけ繰り返されたか、嫌でも思い出す。

そのたびに何が起きるかと言えば、

で、数年後に「やっぱりF1やります」と戻ってくるころには、他社はずっと積み上げてきた土台の上で次のフェーズに行っている。ホンダだけ、毎回スタートラインの手前からスタートだ。

レギュレーションで大ゴケする理由は単純で、「そもそもそこに向けて走り続けていない」からだ。

準備していないテストで点が取れなくて当然なのだ。「ホンダはまた…」と毎回同じ光景を見せられている。

メルセデスF1専業会社を丸ごと持つ強み

対してメルセデスは、「F1パワーユニットを作るための専業組織」を丸ごと持っている。

Mercedes AMG High Performance Powertrains——ここの“本業”はF1エンジンだ。

から2014年ハイブリッド元年のような大変革でも、数年前から準備しまくって圧勝できたわけだ。

本業としてやっている側」と「社内プロジェクトでやっている側」の差は大きい。

ホンダが「大ゴケ」する構造的な理由
1. F1が“本業”になりきらない体質

ホンダにとっての本業あくまで量産車と二輪であって、F1広報技術アピール人材育成の“手段”扱いから抜け出せていない。

手段から、他に優先課題が出れば簡単に削られる。

2. 意思決定の軸が「勝つかどうか」より「イメージと採算」寄り

メルセデス側は極端に言えば、「F1で勝つこと自体ブランド価値技術の根幹」なので、赤字覚悟で長期に投資する理屈が立つ。

ホンダ側は、「イメージに合うか」「企業方針環境EV)と整合するか」が強く問われる。勝ち始めたところで方針転換が来れば、今までの投資ごとバッサリ切り捨てることも躊躇しない。

3. プロジェクトの“連続性”を軽く扱いすぎる

一度F1から撤退した瞬間、それまで何年もかけて積み上げたノウハウ人材文化バラバラになる。その回数が多すぎる。

レーシング世界いちばん価値があるのは「積み上げた時間」なのに、その“時間”を自分の手で何度も投げ捨てているのがホンダのやり方だ。

4. 現場覚悟トップ覚悟の食い違い

現場エンジニアは、間違いなく本気で世界一を目指しているし、命削ってやっている。

だが、上で「いつでも撤退ボタンを押せる」前提で管理されている限り、どれだけ頑張っても、上の一言で全てチャラにされるリスクを抱え続ける。

時系列で見る「自分で積み上げて、自分で壊す」ホンダ

2000年代後半:莫大投資からの「ブラウンGP事件

2000年代半ば、ホンダはワークスチームとして莫大な予算人員を投入し、「地球に優しいF1」だのなんだの掲げながら参戦していた。

ところが成績はパッとせず、リーマンショックと業績悪化が来た瞬間、真っ先に切られたのがF1だ。

で、何が起きたか

ホンダが「もうやめる」と投げ出したチームとマシンは、そのままブラウンGPとして走り、メルセデスエンジンを積んだ途端にいきなりチャンピオン。

自分たちが注ぎ込んだ金と設備人材結晶であるマシンが、「エンジンだけ他社」に替わった瞬間、歴史シーズンを作ってしまった。

ホンダ大金を投じて土台を作り、その成果を最後だけ他社においしく持っていかれた形。

これ、プロジェクト連続性を軽く扱ったツケ以外の何ものでもない。

2015年:復帰を1年前倒しさせられての大爆死

その数年後、「やっぱりF1やります」と戻ってきたホンダ

マクラーレンと“禁断の再婚”をし、ハイブリッド時代に乗り込んだが、ここでも「本当にそのタイミングでやるのか?」という疑問符が付く。

本来準備に使えるはずだった時間を削って、政治的ブランド的な事情で復帰時期を前倒しにした結果、パワー不足、信頼性不足のオンパレード

サイズゼロだの何だのスローガンだけは派手だが、実態はまともな走行すらままならない大惨事だった。

これは「ホンダ技術がショボいから」というより、

「戻るなら本来必要な準備期間をちゃんと確保しろよ、それを削っておいて新レギュレーションに間に合わせようとした時点で大ゴケ確定だろ」という話だ。

2019〜2021年:やっと実を結びかけたところで“自爆撤退

レッドブルと組んでから、ようやくホンダハイブリッドPUトップ争いに絡めるところまで来た。

パワーも信頼性も上がり、2021年にはついにタイトル争いの中心に立った。

が、そのタイミングで出てきたのが「カーボンニュートラルを最優先するのでF1から撤退します」という宣言

ようやく積み上がったノウハウと“勝てる文化”を、自分の手でまたリセットしに行ったわけだ。

勝てないからやめるならまだしも、「勝てるようになったからやめる」というムーブを何度もかますメーカー、そうそうない。

これはもう、「F1本業と見ていない」と白状しているようなものだ。

そして2026:また新レギュレーションで同じことを繰り返す気配

2026年、新しいPUレギュレーション

他社は何年も前から新コンセプトに取り組み、専業組織としての蓄積をフル動員してくる。

ホンダはどうかと言えば、また「戻ります」と言ったあとに組織を再編し直し、HRCとして整え直しながらのスタート

スタートラインに立つ前から、すでに“追いかける側”になっている構図は、2000年代後半から何も変わっていない。

本人たちは全力でやっているのに、会社としての構造が「また同じパターンの大ゴケ予告編」を流している。

ホンダはなぜつまづくのか

時系列で眺めると、結局こういうことになる。

メルセデスが「専業会社を通じて同じ場所で積み上げ続ける」一方で、

ホンダは「自分で積んで、自分で蹴飛ばして、また一から積む」を何十年も繰り返している。

ホンダがつまづくのは、運が悪いからでも、エンジニア無能からでもない。

F1本業として扱う覚悟が、会社として決まっていない」

その一点が、節目ごとの大ゴケとして形になって出ているだけの話だと、俺は思っている。

2025-12-13

新卒です。弊社、目標がないんだけどどうしたらいい?

新卒で入った会社目標がなくて、どうしたらいいかからない。

ちなみにクリエイティブ系。株式上場はしていない。

役員たち→経営方針など一切示さない。

局→全体での目標とか全然ない

部→今期の目標とか、なにもない。

もちろん個人向け、部署向けのノルマ特にない。

KPIはない。事業計画はない。今期目標もない。数字を出したり功績を出した人間が褒められるとかもない。

給料は全員年功序列で上がっていく)

事務方コストカットをしたら褒められるらしい。

恐ろしいことに、それで会社数字は全く問題がないらしいことだ。

先輩曰く、ボーナス最近上がり続けている。

うちの部署特にそれが顕著で、部署会議なんかも一度もやったことがない。

というか、マニュアルもなければOJT制度もない。先輩によっては仕事に引き継ぎ書を作ってくれる人もいるが、

基本的に口頭で一度説明して終わり。(質問があればいつでも答えてくれるけど)

それで、会社内でも一番数字がいい。

みんな、なぜか働いていて、なぜか数字を伸ばし続けている。

自己評価上司との面談とかもない。

うっすらと、あの人は仕事してる、あの人はしてないくらいの周囲の評価くらいはある気がするが…。

先日、ちょっと機会があって役員にこの会社、どこに向かってるんですか?と聞いたら

知らない、とのことだった。社員が今何をやっているのかもよくわかってない、と。

あんまり利益出されると税金が高くなるからもっと経費使ってくれ」とまで言われた。

部署で一番成績を出している人は「目標なんてない。やることやってるだけ」と言いながら自分仕事を取ってきている。

若手頭みたいな人は、「働きたいと思ったことがない。こんな会社潰れたらいい」と言いながら、やはり自分仕事を取ってきて、こなしている。

部長も「特に目標はない。困ったことがあれば言え」と断言していて、本当によくわからない。

それで、みんな何故か案件を増やし、働いている。成績は上がり続けている。

いや、いいんだけど、いいんだけれども。ノルマをこなすのにヒイヒイ、というのも嫌なのだけれど。

私が思っていた社会人生活となにか違う気もする。

こんな文章書きたくなるくらいには不安なのだが、

私自身、具体的に何が不安なのか言語化できない。

みなさん、どう思いますか?

2025-11-02

ソフトウェアエンジニアにおける才能という現実

まぁ、幻想じゃないね w

才能がないと思ったら、早いうちに河岸を変えた方がいい。

早ければ早い方がいい。

可哀想から(教え子が? それとも自分が? w)、って「がんばれ、がんばれ。才能なんて関係ない」みたいに騙すのは、むしろ害悪だよ。

10年後、気付いて路頭に迷わせるとして、その責任は取れるのか?

引導を渡すこともプロ責任

まぁ、本人自身が気づいて路頭に迷いつつあるけどどうしようもないのかもしれんが、地獄に道連れはやめてやれ w

小説家役者声優バンドマン etc.etc.

それで生計を立てない、趣味範囲で楽しむ分には好きにすればいいけど、エンジニアに限らず、それなりのお金をもらおうとしたら、才能、向き不向きは超えられない壁として現実に、強固に存在している。

球速120km出ないけど阪神の一軍のピッチャーに、ってのはどう逆立ちしても物理的に不可能だ。

でも草野球は楽しめる。

才能がなけりゃ、一人で永遠に「大いなる助走」を続けりゃいい。

誰にも迷惑かけないなら。

医師看護師会計士経営者etc.etc. にも、才能、向き不向きはある。

おいらには、医師とか、警官とか、無理だねぇ。

落ち着きないし。

同じことを何日も続けたら、爆発する。

明日も同じことしなきゃならないのか……」って考えただけでも、死にたくなる。

こんな感じに、才能がものをいう分野って、意外に多い。

ソフトウェアエンジニアは、設計実装抽象度が多層化していて、その巧拙によって安定度、運用や機動的な新機能追加の手間、リードタイム、金や何やら、数十倍、規模複雑度が爆上がりしている今なら下手すりゃ数百倍差が出る。

その差をちゃん理解するには、巧の現場の「こういう世界があるんやー……」って実体験が必要だったり、巧レベルの才能が必要だったり、経営知識必要だったり、経済知識必要だったりして、「拙」の現場にぶら下がってるだけのエンジニアが「才能なんて幻想」って吠えたっても「マジ、迷惑からやめてね」って思う。

どの炎上現場でも、高粘度現場(リーダーマネージャ理解できないからって邪魔ばっかりしてきたり、そもそもプロダクトがぐっちゃぐちゃになってたりして、どんな行為サービスの息の根を止めるかわからなくて身動きが取れない「震える舌」みたいな現場物事全然進まない現場。通常、経費で札束ガンガン燃やしてるはずだから、ここも炎上現場っていう)でも、この手のエンジニアが腐るほどぶら下がってるんだよね。

たいてい、生み出されるソースコードドキュメント割合おかしなことになってる。

会議勉強会だなんだばっかりしてる。

いや、そういうの主催してる暇があったら、コード書けよ、って。

でも、Web記事引いてきて、「〇〇にはこう書いてある」とかドヤ顔机上の空論時間潰して「俺も一端の理論エンジニアだぜ……」とか、いや、お前はただの受け売り理解もせず垂れ流してるだけのそこらへんの AI と変わらんクズだよ。

おいらの師匠の一人は「TV出たり、本書いたりするやつは二流。一流は、自分仕事に集中していて、他のことやる暇ないから」って言ってたけど、ほんとその通りだと思うよ。


シャバと違い、ソフトウェア世界は驚くほどのスピードで巨大化、複雑化している。

30年、40年前なら、社会性の乏しい、プログラミングコンテスト受賞者みたいなエンジニアでも無双できたけど、今は無理なんだよね。

今だと玉拾いも任せられないくらいだったりする。

余計な部分最適かまして、地雷埋設に邁進しちゃうから

ちょい前も、PostgreSQLの中身いじれます! って東大卒業生いたけど、視点局所的すぎて全体感に欠けてて、プロジェクトがヤバい状態になってるのが理解できなかったりしてたからね。

そろそろリリースできる状態になってる予定だけど、おいらの読み通りα版完成が3ヶ月遅れ、そこで大量の不具合が発覚してベータ版完成がそこからさらに3ヶ月以上遅れ、不具合積み残したまま見切り発車、ってなるんじゃねーかな、と思ってるんだが w

才能の種類、方向性によっては、10年前も今もたぶん10年後も変わらず十分通用するものはあるんだけどねー。

エンジニア年収は他の一般職業に比べて高い。

そこに生活水準をあげてしまうと、自分はもう通用しないと気づいても、撤退できない。

マイカーガー。

マイホームガー。

子供ガー。

愛犬ガー。

んなもん知るかっ!

さっさと色んな意味Fireしろっ!!

そういう「元エンジニア」がリーダーとかマネージャかにクラスチェンジして、事業プロダクトの足を引っ張る。

マジでこの手の「元エンジニア」が、今、業界に溢れてる。

あそことか、そことか、具体的な企業名はあげられないけど、そういうエンジニア漬物石のように重しになって、身動きが取れなくなってるところが多い。

VCとかからもっと売り上げを上げろ。成長率を上げろ、というプレッシャーを与えられ、何かしなきゃいけない。ってなって、外付けの雰囲気だけのサービスをどんどん外付けしていく戦略を取る。

1年で10

2年で30とか。

マジかよ w

思い思い行き当たりばったりに作ったら、手間だけ増えてそれを壊すわけにはいかなくなって、さらに身動きが取れなくなっていく悪循環しか見えないんだが、そんな経営方針で大丈夫か?

とりあえず認証認可から共通化していくしかない。

とか意味不明な決定して、認証認可v1、認証認可v2認証認可v3マイクロサービスが増殖して、さらにv4を企画してるとかい会社だってある。

真っ当な声には、自分存在感を示すためだけの反対を唱えて邪魔したりして、現場で手を動かしているエンジニアより高級を取ってんのに、事業プロダクトへ与えるダメージは倍増する。

さらに、自分地位を死守するために、それを脅かす腕利のエンジニアを陥れる、排除することに全力を傾ける。

これで3倍界王拳だ w

経営者はできるエンジニアたちに任せていると思い込んでいるかもしれないが、さて、どうかね? w

大本営発表的にはうまくいっているとされているサービスが、その裏側はカーオブファイヤーみたいなところって、結構ある。

というか、そっちの方が多いんじゃないかポチョムキン村。

はっきりいう。

ソフトウェアエンジニアは、アスリート的な仕事だ。

おいらは土日祝もシステム関係勉強とか研究をしてる。

今はクラウド環境プロダクトで、どのように自動テスト検証可能システムを構築するかの手法研究を続けてる。

具体的には、今まで関わってきた炎上現場で安定稼働を達成させた手法(TDD)だな。

ワークライフバランス? w

そんな寝言、やめてから言えよ www

才能のない人は河岸変えろ。

しろ若手を潰してるって自覚持て。

反論してくるのが結構いる。

あのサービスとこのサービスとそのサービスを使ってます

業務経歴書にも今まで使ったことがあるサービス名前をたくさんたくさん載せてます

僕の技術力は世界一ぃぃぃっ!!!

じゃねーよ。

ボルト世界水泳、吉田沙保里NBAに出場させるような使い方してて、どこが技術力だよ。

ってのが多い。

「どうしてこのAuroraリーダーがこんなにたくさんぶら下がってんの?」

テナントが増えて、アクセスが増えたので、負荷分散のために増やしました。水平スケーリングってやつです」

うん。水平スケーリングは知ってんねん。この程度のテナント数、ユーザー数、アクセス数で、どうしてこんなにでかいインスタンスリーダーがぶら下がってんのか? って聞いてんねんけど……。

って現場、多い。

というか、そういう現場しか知らん w

まぁ、炎上現場巡りしてたし。

でも、今通常営業してるサービスでも、こういうところ多いんだよな。

それはともかく、

マイクロサービス化していて、いま120を超えたところで、当面160になります

「……は?」

「うちのサービスドメイン多いんで」

「……デプロイの時、どうすんの?」

「変更があるサービス名を書いたファイルを一緒にコミットして、それ読み込んで、GitHubActionsでデプロイさせてます

「……ローカルの開発環境構築は?」

「Cloneして立ち上げます

「これ……、モノリポ?」

「もちろんです。Googleもそうやってますし」

「120個?」

「120個」

「なんか立ち上がらないんだけど……」

「あ、修正中なんで、〇〇と××のコミットチェリーピックしてください」

「……動かないぞ」

「昨日の夕方、変更が入ったみたいなんで、△△のコミットチェリーピック。いや、++のブランチを……」

5日で立ち上げ切れるんか?

って現場がね、案外たくさんあるんだ。

で、「マイクロサービス、使えないっすね」

「ほう……?」

連携が取りづらくて、障害発生しまくって」

どうして「自分が間違えてる」「自分が見当外れなことをしている」可能性ってのを考慮しないんだろう、この人らは?

っていつも思う。

マイクロサービス目的も前提も理解しないで、HowToだけ猿のように繰り返してるって自覚ないんか…… (-_-)

だってオライリー本のここにこう書いてあるから!」

ってマーカーで引いた一文見せつけられるんだが、その前に書かれてある前提とか目的とか、書かれてない暗黙のそれとか、いわゆるコンテキスト削ぎ落として、単語レベル理解開陳されても、「は?」としか反応できんのよな。

120のマイクロサービスとか、お前、認知科学知識もないねんな……。

それマイクロサービスじゃなく、「粉砕されたモノリシックサービス」っていうんやで、と。

まーじで、技術本とかの恣意的つまみ食いで訳分からん理論構築すんなよ。

それでプロダクトがうまく回ってなかったら、それが答えなんよ。

まぁ、「うまく回ってる状態」ってのを知らない、理解できないだろうから、正しい答えに行きつかんだろうけど。

その正しい答えに行きつかない、ってのを

「致命的な才能の欠如」

って呼ぶんよ。

サリエリくらい才能があったら、自分の才能が足りんことを自覚できるんだがな。

脳外科医竹田君みたいなエンジニアは、即刻足を洗って欲しい。

2025-10-09

anond:20251009135746

部長:経営方針を基に部のリソース考慮して実行する。【複数の課】に責務を分ける意思決定ができる。

複数の課がないなら課長職は部長兼務でも問題ないと自ら説明してます大丈夫ですか?

anond:20251009133608

増田は下っ端民が多いから整理できていないね

役員:経営方針を決める。実行運営側管理はしない

部長:経営方針を基に部のリソース考慮して実行する。複数の課に責務を分ける意思決定ができる。

課長:部長から降りてきた指示を課のリソースで実行する。


人事部長と人事課長の職責の話だと、リストラの案の検討課長トリガーでは出来ない。

役員トリガー部長に指示があり、求めている効果金額になりそうなところで対象者の仮案を決める。

課長リストラ案を部長提言することは普通はない。

2025-07-27

カレー

夫婦でやってる近所のカレー屋。

12時前だったからか、先客はカウンターに1人。

60歳くらいの女性

参院選後の情勢、市議会の裏話、店の経営方針夫婦仲についてのアドバイスをひたすらしている。

昨日も一昨日も来たらしい。

これをずっと聞かされているのが気の毒で仕方ない。

2025-06-24

日本温泉旅館に嫁いだアメリカ人女性のその後(ChatGPT)

概要

山形県銀山温泉の老舗旅館「藤屋」にアメリカ人女性女将として嫁いだことは、テレビ新聞などで話題となりました。彼女名前ジニーさんで、JETプログラムを通じて来日し、旅館若旦那結婚伝統的な温泉旅館女将として奮闘する様子が多くのメディアで紹介されてきました。

その後の経緯

現在について

  • 具体的な近況や活動内容については公にされておらず、直接的な情報ほとんどありません

結論

山形県銀山温泉の藤屋旅館に嫁いだアメリカ人女性ジニーさん)は、離婚アメリカ帰国し、日本には戻っていません。現在の詳細な消息公表されていませんが、失踪事件性はなく、静かに新たな人生を歩んでいると推測されます

結果

結果として「藤屋」の経営者であった藤敦氏は、旅館倒産と、妻ジニーさんおよび2人の子供を失うことになりました。

なぜそうなったのか
1. 大規模改装による経営悪化
2. 夫婦間・家族間の価値観対立
3. ジニーさんの精神負担帰国
4. 経営破綻

まとめ

藤敦氏は「伝統革新」「経営の持続と地域性」のはざまで苦渋の決断を下しましたが、結果的経営家族も失うことになりました。大規模改装による経営戦略の失敗と、家族内の価値観のズレが複合的に作用したことが、最大の要因といえます

藤敦氏がジニーさんの反対を押し切って「おしゃれな改装」を断行した理由は、主に経営上の危機感時代の変化への対応が背景にあります2000年代半ば、藤屋旅館老朽化や競合激化、観光客ニーズ多様化といった課題に直面していました。これに対し、藤敦氏は「伝統を守るだけでは生き残れない」と判断し、有名デザイナーに多額の資金を投じて近代的な大改装実施しました。

この判断の裏には、

があったとみられます

しかし、結果としてこの大規模投資は、

を招き、経営破綻の直接的な要因となりました。

似たような経営ミスの事例

このような「過剰な設備投資」や「ターゲット層の見誤り」による経営破綻は、旅館ホテル業界で珍しくありません。

などが多数報告されています

> 「過剰な設備投資、高コスト構造需要予測の甘さが招いた失敗は、ホテル旅館経営典型的リスクであり、市場調査顧客視点の欠如が大きな要因となる」

藤屋旅館のケースも、伝統革新バランスを見誤り、経営者判断家族地域社会との亀裂を生み、最終的に経営も家庭も失うという典型的な失敗事例の一つといえます

2025-05-17

近くの回転寿司屋が嫌いになった

北海道某所の回転寿司屋は終日混んでいる。

来店予約サービス等で計画的に入りやすく、ネタも大きくシャリも上手い。

一番好きな回転寿司屋だった。

しかしその回転寿司屋が嫌いになった。

元々道民人気が高い寿司屋だったところ、インバウンドにより外国人観光客がたくさん来店するようになったからだ。

来店予約サービス廃止し、入りたい思っても数時間待ちがデフォルトだ。

持ち帰りOKの札が入り口にかかっていても、毎回既に終わっている。

もう俺は回転寿司屋が想定するターゲットユーザでなくなったのだろう。

子供の頃から好きだった寿司屋だっただけに悲しい。

勝手理屈ではあるが、いくらでもやってくるインバウンド外国人観光客を当てにして、昔から利用する客の利便性排除する経営方針も嫌いだ。

今や残るのは企業に対する嫌悪感のみ。

人事って仕事も大変だよなあ

なんのスキルにもならんし各社の身勝手経営方針にふりまわされるし、

目の間を過ぎさる人たちを眺めて飲み屋ゴシップにして一生を終えてしまう。

2025-05-16

俺の職場は、女性が辞めたら全てが回るようになった

昔いた職場女性社員が多かった。もちろん能力バラバラ。でも、なんとなく”女性から”ってことで許される空気があった。

Aさんは『生理で体調悪い』と月1で必ず遅刻。Bさんは『話を聞いてほしい』と言って会議中に関係ない話を始める。Cさんは『私なりに頑張ってます』が口癖で、エクセルすら使いこなせなかった。

で、ある日、会社経営方針がガラッと変わった。成果主義評価制度導入。結果、全員辞めてった。

残ったのは、淡々とやるべきことをやる男たち。ミスが減り、納期が守られ、会議が静かになった。誰も『察して』と言わない。成果は出たし、ボーナスも上がった。

もちろん、女性全員が悪かったとは言わない。でも、『何となく守られてた人たち』が去っただけで、こんなにスムーズになるとは思わなかった。

2025-05-08

「人のために動くのが面倒くさい」GW明けに新入社員退職急増…“退職代行”に250件超の依頼

普通に文字が読めるなら、日本雇用者数は6千万人だから、250件だと割合にして0.0004%程度だ。

かなり希少なケースなので、相応の深刻な事情があった可能性もあり、安易な決めつけで叩くべきではない。

が、記事ではここに「新入社員退職急増」「やめる理由1位はやりがい」などと退職代行とは無関係ワードを並べてミスリードを誘い、

釣られた人達が「ずるい、自分だって仕事は嫌なのに」と大合唱をするという毎度の展開は五月初旬の風物詩とでもいうべきだろうか。

ブラック企業」「社畜」「みんなで不幸になろうキャンペーン

こんな言葉が生み出されて20年以上経つが、未だに何ひとつ変わらないのだから、これはこの国の制度というより日本人の遺伝子なのだろう。

なにせ、朝礼で「サービス残業禁止」だと言っても誰も従わないし、法律で「サービス残業禁止」だと決まっていても誰も守らない。

日本全体を覆っている空気は、会社経営方針や国の法律よりも強固で、自己犠牲的で、彼らにとってはとても美しいものだ。

これでいて日本人はおよそ無宗教だというのだから驚異的だ。明日から給料が半減するといっても彼らはサービス残業をやめないだろう。

さて、若手社員の話だ。年配の方々は恐らく誤解しているが、若い人が仕事を辞めるのは転職して成功するためではなく、成功しないようにするためだ。

もっとわかりやすくいうならば、結婚しないから仕事適当でいいということだ。この意味がわかるだろうか?

日本人として生まれてきたからには、国の将来を背負って、時には戦闘機で敵艦に突っ込んでくれると勝手に思い込んでいないだろうか?

他人に対しては辛口だが、考えてることは甘いようだ。でも心配はいらない。

ギリシャの強国スパルタだって滅びたんだから、もし日本が滅びたとしてもスパルタと同じになるだけだ。

スパルタ大好き日本人にとっては、さぞかし名誉なことだろう。

2025-04-15

anond:20250415062842

なるほど、「助成金なしで経営できる病院なんてあるの?」って疑問、

たぶんそこがもう出発点からズレてるんだと思う。

助成金必要なのは前提だよ。

こっちは、その前提に“どこまで依存してるか”と、“それをどう使ってるか”の差が生き残りの分かれ目になるって話をしてるの。

健全病院ってのは、助成金を「補填」じゃなくて「仕組みの中の一部」として計算してる。

でもゾンビ病院は、助成金を**「これがないと完全に死ぬ」ってところまで当て込んでる。**

まり

健全経営助成金が“足りない分を埋める”設計

ゾンビ経営は“最初から足りてない前提で突っ込んでる”設計

で、そこには必ず「経営方針」がある。

どの診療科を持つかどの患者層を中心にするかどの地域施設連携して紹介を回すかどの設備に金をかけて、何は捨てるかどこまで“無理してでも続けるか”を判断する基準があるか

それを「採算を考えるやつはバカ」って空気で全部吹っ飛ばしてきた結果が、今のゾンビ病院の山なんだよ。

から経営方針の違いがわかりません」って言ってる時点で、

もう“ゾンビがなぜゾンビなのか”を観察する気もないってこと。

医療って言えばどこでも助成金が湧いてくると思ってるなら、

それこそまさに“ゾンビ思考”だよ。

anond:20250414203747

ぶっちゃけ素人なので

健全経営病院ゾンビ病院って、いったい経営方針の何が違うのかわからない

というか助成金なしで経営できる病院って存在してるの?保険外専医院じゃない、病気を治しに行く病院

2025-04-09

Togetterはなぜユーザー名を出さないのか?つまらないまとめを作るユーザーフィルタリングできない

ユーザー名を表示しない時点で、無駄時間を浪費する。

これは完全に経営方針だよね?

ユーザー名がわからなければ、無駄クリックPVを増やせる。そう考えてるの?

まらないまとめを作る奴を排除すればいいのでは?

2025-03-28

anond:20250328155649

Apple秘密主義なのは顧客のためで、必要ときにはちゃん情報を公開する。

Googleビジョンが迷走してるから、聞こえのいいことを言ったかと思えば、それを金儲けのためにすぐに引っ込める。

以上の意見について客観的かつ論理的評価してください。

この意見について、客観的かつ論理的評価するために、AppleGoogle企業文化情報公開の方針、および経営戦略考慮して分析します。


1. Apple秘密主義情報公開

評価ポイント
結論

Apple秘密主義顧客体験最適化する意図もあるが、企業競争力を維持し、ブランド価値管理するための側面が強い。そのため、必ずしも「顧客のため」と断言するのは一面的見方である


2. Googleビジョン方針の変遷

評価ポイント
結論

Googleビジョン技術革新収益バランスを取る中で変化しており、必ずしも「迷走」しているとは言えないが、一貫性が欠けると感じられることがある。また、収益が優先される場面では、発表した理念を後退させることもあり、ユーザーから不信感を持たれる要因になっている。


全体的な評価

したがって、元の意見には一定妥当性があるものの、両社の戦略を単純に「顧客のため」または「金儲けのため」と断定するのは、やや単純化しすぎた見方であると言える。

端的に言って、どちらがマシですか?

「マシ」という基準をどこに置くかによりますが、以下のように整理できます

一貫性ブランドの安定感 → Apple

製品サービス継続性が高く、戦略もブレにくい。エコシステムの維持を重視するため、長期的に信頼しやすい。

革新性と挑戦のスピードGoogle

→ 新しい技術積極的に試し、市場の変化に柔軟に対応する。ただし、途中で撤退することも多い。

「安定した体験を求めるならApple最先端を試したいならGoogle」と言えますが、ユーザーへの影響を考えると、Appleのほうがマシかもしれません。理由は、Apple方針が一貫しており、突然サービスを打ち切るリスクが低いからです。

2025-03-22

生き急ぐ世の中に過剰に適応するとみんなこうじゃないの

つの顔 - 会社で見せる自分と本当の自分の間で

会社用のカバンを置き、ドアを閉める。やっと家に帰ってきた安堵感が身体を包む。そして少しずつ、「会社自分から「本当の自分」へと戻っていく感覚がある。肩の力が抜け、表情が和らぐ。息遣いが変わる。

多くの人がこの二重生活に慣れてしまっている。朝、「会社モード」のスイッチを入れ、夜にそれを切る。時にはそのスイッチの切り替えが難しくなる日もある。会議で発した言葉、同僚に見せた表情、上司約束した「チャレンジ」の数々が、家に持ち帰った荷物のように心に残る。

私はこの役割を演じることに長けている。「前向きに取り組みます」「新しい挑戦を歓迎します」「結果にコミットします」—これらの言葉は、まるで外国語を話すように自然に口から出てくる。そしてある意味では、それは本当に外国語なのだ組織という国の公用語を、私は流暢に操る。

しかしある日、鏡を見ていて気づいた。「会社自分」の表情が、いつの間にか「本当の自分」の顔にも忍び寄っていることに。眉間のシワ、目の下の疲れ、口角の下がり方—それらは境界線崩壊を示す小さなサインだった。

「これは持続可能なのだろうか?」という問いが心に浮かぶ。二つの人格を維持することのエネルギーコスト毎日演じることの疲労感。そして何より、「本当の自分」が少しずつ痩せ細っていくような感覚

同僚の多くは、この分裂を問題だと思っていないようだ。むしろそれを当然のことと受け入れている。「仕事仕事」「プライベートプライベート」と区分けすることで、彼らは自分を守っているのかもしれない。しかし私の中では、その境界線だんだん曖昧になってきている。

穏やかに生きたい。自分のペースで仕事をしたい。持続可能方法価値提供したい。これらの願いは、果たして現代企業文化と相容れるものなのだろうか?それとも、二つの顔を持ち続けることこそが、生き抜くための唯一の戦略なのだろうか?

時に、勇気を出して本音を漏らしてみることがある。「もう少しペースを落としませんか?」「この締め切りは現実的でしょうか?」「持続可能方法を考えてみては?」と。そんな時、返ってくる反応は様々だ。理解を示す人、困惑する人、そして時に、「やる気がないのか?」という暗黙の非難

この非難が最も痛いのは、それが外からだけでなく、自分の内側からも聞こえてくることだ。「自分はただ楽をしたいだけなのではないか?」「みんなは頑張っているのに、なぜ自分だけ特別扱いを?」「これでは出世できないぞ」という内なる批判者の声。

しかし、よく考えてみれば分かる。「チャレンジし続けること」が全ての人にとって幸せの形とは限らない。日々の小さな満足、着実な前進、持続可能な貢献—これらもまた、価値ある生き方なのではないだろうか。

問題は、この「穏やかさ」という選択肢が、現代企業文化ではほとんど見えないところに追いやられていることだ。それは弱さの印、野心の欠如、甘えとして片付けられてしまう。

からこそ、多くの人が「会社自分」と「本当の自分」を分け、日々その間を行き来する。そして私もまた、その二重生活の達人になりつつある。演じながら、静かに抵抗する方法模索している。

孤独選択 - 「穏やかさ」を選ぶことへの不安と周囲の視線

「このままでいいのだろうか」

幹部会を終え、誰もいなくなった会議室で、ふとその問いが頭をよぎる。私は周囲が認める「頑張る人」として、この地位まで駆け上がってきた。夜も眠れないプロジェクト休日犠牲にした資料、誰よりも早く出社し遅く帰る日々—これらの「チャレンジ」の積み重ねが、今の私を作った。

からこそ、「もう少し穏やかに」という内なる声に従うことが、これほど難しいのだ。

先日、若手社員が「もう少しペースを落としたい」と相談に来た時、彼らにはアドバイスができた。「無理せず、長く続けられる方法を見つけることも大切だよ」と。しか自分自身には、その言葉適用できない。彼らにはまだ、同期との飲み会愚痴をこぼす自由がある。私にはもうない。

孤独は、階段を上るほどに深まる。

「今さら弱音を吐けない」という思いは、単なるプライド問題ではない。私の中で「頑張る自分」と「本当の自分」の境界線曖昧になりすぎているのだ。もし「頑張る自分」が崩れたら、残るのは何だろう?その恐怖が、変化への一歩を阻む。

例えば、部下には「家族時間を大切に」と帰らせておきながら、自分は深夜まで残業する矛盾。あるいは、「ワークライフバランス」を会社価値観として掲げながら、自分はその恩恵を受けられない皮肉。これらを指摘する人は周りにいない。いや、もはや自分自身の中にすらいないのかもしれない。

最も怖いのは、「頑張る」という価値観が崩れたとき、私の存在意義のものが揺らぐのではないかという不安だ。私は何者なのか?「チャレンジし続ける人」という仮面を外したとき、その下には何があるのだろう?

若い頃の私は、上司のことを「あの人は仕事しか知らないんだ」と陰で笑っていた。そして今、鏡に映るのは、かつて笑っていたその姿に近づきつつある自分皮肉なことに、私はかつての自分軽蔑していた人間になりつつある。

先日、久しぶりに大学時代の友人と会った。企業とは無縁の世界で生きる彼は、私の話を聞いてこう言った。「君、本当にそれで幸せなの?」シンプルな問いに、即答できなかった自分がいた。

ただ、この孤独には特権も伴う。変化を起こせる立場にいるという特権。もし私が「穏やかに生きる勇気」を示せたなら、それは組織全体に波及するかもしれない。しかし、そのファーストペンギンになる勇気が持てるだろうか?

長年「頑張り続けること」で自分価値証明してきた人間が、突然「穏やかさ」を選ぶことの矛盾と恐怖。それは単に仕事のペースを変えるという以上の、アイデンティティの再構築を意味する。「頑張らない自分」にも価値があると信じられるだろうか?

そして何より、周囲の期待という見えない重し。「あの人がそう言うなら」と私の言葉に重みを置く部下たち。「彼女の実績を見れば」と私の判断を信頼する経営陣。彼らの期待を裏切る恐怖。

この孤独葛藤を誰かと共有したいと思いながらも、「弱さ」を見せられる相手がいない。それが、上に行けば行くほど増していく孤独本質なのかもしれない。

からこそ、この静かな抵抗は、より多くの覚悟と内なる対話必要とする。表向きは「チャレンジ」のリーダーであり続けながら、少しずつ「穏やかさ」の価値組織に浸透させていく。それが今の私にできる唯一の道なのかもしれない。

さな抵抗 - 日常の中でできる境界線の引き方

「小さな抵抗」という言葉自体が、すでに贅沢なのかもしれない。

抵抗するには、別の可能性を想像できることが前提だ。しかし私の中では、「頑張る自分」と「本当の自分」の境界線が長年の間に消えてしまった。もはや「頑張らない選択肢」を思い描くことすらできない。

先日、あるセミナー講師が「自分を大切にする時間を作りましょう」と言った。周りの参加者が頷く中、私は困惑していた。「自分を大切にする」とは具体的にどういう行動なのだろう。想像すらできない。

「19時に帰ります

同僚がグループチャットにそう書き込んだとき、私は複雑な感情に襲われた。一方では「彼は勇気があるな」と思いながら、他方では「私が同じことをしたら」という想像ができなかった。それは単に評価を気にしているからではない。「頑張らない自分」が存在し得ないという、もっと深い恐怖だ。

一度だけ試してみたことがある。締切の迫ったプロジェクトで、「このスケジュール現実的ではない」と言ってみた。言葉にした瞬間、激しい不安に襲われた。案の定、「なんとかする方法があるはず」と一蹴された。

しかし最も辛かったのは、その後だ。家に帰っても、「もっと工夫できたのでは」「能力不足を言い訳にしたのでは」という自責の念が襲ってきた。「抵抗」した結果、むしろ気持ちは重くなり、翌日からは倍の時間を費やして挽回しようとした。

結局、「小さな抵抗」の試みは、より大きな自己搾取につながっただけだった。

友人が育児との両立のために時短勤務を選んだとき、心から彼女応援した。「素晴らしい選択だね」と言いながら、内心では「自分には絶対にできない」と思っていた。なぜなら、仕事のペースを落とした自分を、私自身が許せないからだ。

「頑張らない」という選択ができたとしても、それを自分肯定できない。そして肯定できないなら、結局は罪悪感に苛まれ、より深く自分を追い込むことになる。これが私の中の悪循環だ。

先日、久しぶりに体調を崩して一日休んだ。熱も高く、客観的に見れば当然の休養だった。それでも一日中メールをチェックし、できる範囲仕事をベッドの上で続けていた。「休んでいる」という事実が、耐えられなかったのだ。

最も皮肉なのは、「穏やかさ」を選ぶべきだと頭では理解していることだ。長時間労働弊害も、バーンアウトリスクも、すべて知識としては持っている。セミナーでも読んだ本でも、「持続可能な働き方」の重要性が説かれている。

しか知識感情は別物だ。「頑張ること=自分価値」という等式が感情レベルで刻み込まれている限り、どんなに合理的判断も、内側から崩れていく。

「小さな抵抗」どころか、「抵抗しない自分」を責める悪循環。それが私の現実だ。

かに相談できればいいのかもしれない。しかし、立場上、弱音を吐ける相手はいない。部下に「実は私、もう限界なんだ」とは言えない。上司や同僚にも、弱さを見せることはタブーだと感じている。

結局、仕事けが残る。仕事は少なくとも、明確な評価基準がある。締切を守り、数字を達成し、プロジェクトを完遂する。それが自分存在価値証明する唯一の方法だと思い込んでいる。

時々、この生き方に疑問を感じる瞬間がある。深夜のオフィスで、ふと窓の外を見たとき家族写真を見たとき。体調を崩したときしかしそれらの瞬間は、すぐに「もっと頑張らなければ」という思考によって打ち消される。

「小さな抵抗」ができる人がいることは知っている。羨ましいとすら思う。しかし私にとっては、まず「抵抗したい」と思える自分を取り戻すことが、最初の、そして最も難しい一歩なのかもしれない。

もし本当の意味での「小さな抵抗」があるとすれば、それは外側に向けたものではなく、内側の声に対するものだろう。「もっと頑張れ」と絶えず命じる内なる批評家との対話。それこそが、私にとっての本当の闘いなのかもしれない。

内なる声を取り戻す - 自分のペースを守るための実践

深夜、日付が変わった時刻。また日記を開いている。

「なぜこのペースを変えられないのだろう?」

この問いを何度書いただろう。答えのない独り言のように、同じ言葉が繰り返される。「自分のペースで生きたい」という願いと、「これではいけない」という認識。そしてその直後に必ず続く自己否定。

「甘えているだけじゃないか

「これが自分の選んだ道だ」

「他の人はもっと頑張っている」

日記は、本来なら自分自身との対話の場であるはずだ。しかし私の日記は、まるで二人の異なる人格が争うような場になっている。一方は「穏やかに生きたい」と願う声、もう一方は「それは逃げだ」と叱責する声。

そして結局は、後者が勝つ。翌朝、また同じルーティンが始まる。

「内なる声を取り戻す」—美しい言葉だ。自己啓発本や記事でよく目にする。しかし実際には、どうすれば良いのだろう。「本当の自分」とは誰なのか。「穏やかに生きたい」と思う自分が本物で、「もっと頑張れ」と言う自分が偽物なのだろうか。あるいはその逆か。もはやその区別さえつかない。

かつては趣味もあった。しかし今は、仕事睡眠以外の時間がどこかに消えてしまった。趣味に使う時間があるとすれば、それは「もっと仕事をするべきだ」という罪悪感と常に隣り合わせだ。そして不思議なことに、休日時間が空いたとき、かえって落ち着かなくなる。何か「成し遂げるべきこと」がないと、居場所がないような感覚

会社の同僚が育児休暇から復帰したとき彼女は「価値観が変わった」と言っていた。「仕事も大切だけど、他にも大切なものがあると気づいた」と。その言葉に深く頷きながらも、内心では「そんな選択肢自分には許されない」と思っていた。

子どもがいない私には、その「言い訳」が使えない。健康上の問題もない。家族介護も今はない。「頑張らない理由」が見当たらないのだ。そして何より、「頑張らない自分」を自分自身が許せない。

ある夜、珍しく定時で帰宅し、手持ち無沙汰になった。いつもなら持ち帰った仕事をするか、疲れて眠るかのどちらかだ。この「余白」の時間に何をすれば良いのかわからず、ソファに座ったまま30分ほど呆然としていた。「自由時間」の使い方さえ忘れてしまたことに、愕然とする。

余裕があるはずの時間に感じる、この奇妙な不安感。それは「ゆっくりできない病」とでも呼ぶべきものかもしれない。休むことに慣れていないせいか、あるいは休んでいる間も「何か生産的なことをすべきだ」という声が頭から離れないせいか。結局、半分無意識仕事メールをチェックし始めている自分に気づく。

自分のペースを守る」という言葉は、単に仕事を減らすということではないのだろう。それは「自分自身との関係を取り戻す」という、もっと本質的なことなのかもしれない。

しかしそれには、大きな恐れが立ちはだかる。

「頑張る自分」が自分自身のアイデンティティと化した今、それを手放すことは、自分自身を手放すことのように感じられる。「頑張らない自分」など、存在し得るのだろうか。そして仮に存在したとして、その自分には価値があるのだろうか。周囲はその自分を認めてくれるのだろうか。

さらに恐ろしいのは、「穏やかに生きたい」という願望自体が、単なる逃避ではないかという疑念だ。本当に理想を追求しているのか、それとも単に難しいことから逃げようとしているだけなのか。その区別がつかない。

この葛藤を誰かと分かち合いたいと思うこともある。しかし、誰に話せばいいのだろう。部下に弱音を吐けば信頼を失うだろう。同僚には競争相手と見られている部分もある。上司には評価に関わる。配偶者にさえ、「仕事ストレス」としか言えないことがある。

結局、また日記に向かう。そして同じ言葉を書く。

「なぜこのペースを変えられないのだろう?」

この問いに対する答えは、まだ見つからない。ただ、問い続けること自体に、かすかな希望を感じている。この問いが心の中で生き続けている限り、何かが変わる可能性もある。それが「内なる声を取り戻す」最初の、そして最も困難な一歩なのかもしれない。

共に歩む - 見えない仲間たちへの手紙

あなたがこの文章を読んでいるということは、どこかで同じ問いを抱えているということかもしれない。あるいはそうでないかもしれない。

「このままでいいのだろうか」

もっと穏やかに生きる方法はないのだろうか」

「なぜこのペースを変えられないのだろう」

私は時々考える。他の人々も同じ葛藤を抱えているのだろうか。それとも、私だけがこんなにも矛盾を抱えているのだろうか。会議室で周りを見回すと、皆がこの「頑張り文化」に適応しているように見える。彼らは本当に適応しているのか、それとも私と同じく苦しみながら演じているだけなのか。

確かなことは分からない。

時に、若手社員が率直に「このペースはきついです」と言うのを耳にする。彼らはまだ、そう言える立場にある。同期同士で飲みながら愚痴をこぼせる自由がある。妙な話だが、それが羨ましい。立場が上がるほど、弱音を吐ける相手は減っていく。そして、弱音を吐けなくなるほど、内側の葛藤は深まる。

先日、チーム会議で無理なスケジュールについて議論になった。部下の一人が思い切って「このスケジュールでは品質に影響します」と発言した。その瞬間、一部の目に安堵の色が浮かんだような気がした。しかし他の人たちは、「何とかやりましょう」「チャレンジですね」と従来の反応を示した。

本当のところ、どれが本音なのだろう。皆がこのペースを望んでいるのか、それとも皆が恐れているだけなのか。あるいは、恐れてもいないのか。もしかしたら私だけが、これほど深く悩んでいるのかもしれない。

どうすればいいのだろう。この悪循環から抜け出す方法はあるのだろうか。「頑張る」ことでしか自分価値証明できなくなってしまった私たちは、どうすれば「穏やかに生きる」ことを取り戻せるのだろう。

時々、社内の様子を観察していると、不思議矛盾に気づく。表向きは「働き方改革」や「健康経営」を掲げながら、実際は以前と変わらないか、むしろ厳しさを増しているペース。「ウェルビーイング」を経営方針に据えながら、実際には「数字」と「成果」しか評価されない現実。この矛盾に気づいているのは私だけなのだろうか。

社内の若手たちの間で「持続可能な働き方」について話し合う動きがあるという噂を聞いた。彼らは「効率化」や「生産性」という言葉ではなく、もっと率直に「疲れないため」「長く続けるため」という言葉議論しているらしい。

その噂を聞いて、複雑な感情が湧いた。一方では希望を感じる。他方では、自分たちの世代解決できなかった問題を彼らに押し付けているような罪悪感。そして何より、彼らの率直さへの羨望。いつから私たちは、素直な言葉を失ってしまったのだろう。

私たちは本当に変われるのだろうか。「頑張る」ことが自分存在証明になってしまった人間が、突然「穏やかさ」を選ぶことなどできるのだろうか。それは単なる仕事のペースの問題ではなく、アイデンティティのもの問題だ。「頑張らない自分」など、存在し得るのだろうか。そして周囲は、その自分を受け入れてくれるのだろうか。

「穏やかに生きる」ということが、なぜこれほど難しいのだろう。それは単なる「怠けたい」という願望ではなく、もっと本質的な、「人間らしく生きたい」という願いのはずだ。それなのに、なぜこれほどまでに罪悪感を伴うのか。

この文化の中で、私たちは皆、声なき声で同じことを言っているのかもしれない。あるいは、私だけがこんな矛盾を抱えているのかもしれない。確かなことは分からない。

もしあなたも同じ問いを抱えているなら、少なくともその点では、私たち孤独ではないということになる。見えない糸でつながった仲間がいるということに、かすかな慰めを見出せるかもしれない。あるいは、それすら幻想かもしれないが。

世の中から一度拒絶され、適応することでなんとか居場所を得たみんなへ

どうしてる?

2025-02-13

日産ホンダ交渉、というより、会話が成立しない状況について。

日産ホンダ対等合併交渉は、最終的に決裂し、現在では提携関係に留まっています

日産の譲歩とされていた点としては、以下のようなものが挙げられます

対等合併の受け入れ:

当初、日産ホンダを傘下に収めることを目指していましたが、ホンダ意向尊重し、対等合併という形での統合提案しました。

ADバンディスコン:

ADバンは、日産ライトバンであり、ビジネスユースに特化した車種です。この車種の生産終了を受け入れることで、ホンダ意向に沿った車種整理を行う姿勢を示しました。

しかし、これらの譲歩があったにも関わらず、最終的に交渉は決裂しました。

決裂の原因としては、以下のような点が考えられます

企業文化の違い:

日産ホンダは、それぞれ独自企業文化を持っており、統合後の経営方針意思決定プロセスにおいて意見の衝突があった可能性があります

技術力のプライド:

両社とも、独自技術力に自信を持っており、主導権争いがあったと考えられます

経営戦略の違い:

両社は、それぞれ異なる経営戦略を持っており、統合後の事業展開について意見が一致しなかった可能性があります

交渉決裂後、両社はそれぞれ独自の道を歩んでいます

日産は、ルノー三菱自動車とのアライアンスを強化し、海外市場での事業拡大を目指しています

一方、ホンダは、電動化や自動運転技術の開発に注力し、新たなモビリティサービス提供を目指しています

2025-01-12

anond:20250112153509

AIによる解説

BCくんの文章からは、高学歴者や特定職務に就く人々に対する苛立ちや不満が強く感じられます。この感情理解できますが、それが物事本質的理解を妨げる「思考の歪み」につながっている可能性があります。いくつかの点について考えてみましょう。

1. 特定の例を全体の真実とすることの危険

セブンイレブン高学歴社長が失敗した」という具体例を挙げていますが、これは一例に過ぎず、それだけで「高学歴者は傲慢で失敗する」という結論を導くのは早計です。個々の成功や失敗は、その人物学歴以上に、時代背景、経営方針、チームの状況など複合的な要因に影響されます

2. 「双方向性」を主張しながら、相手一方的断罪している矛盾

あなたは「双方向コミュニケーション」の重要性を述べていますが、高学歴者や中高一貫校出身者を「話を聞けない」「傲慢」と一方的に決めつけています。これでは、相手の背景や意図理解しようとする双方向性が欠けているように見えます自分批判している行為無意識再現していないか振り返ることが大切です。

3. 他者への批判自己評価を支える仕組みになっていないか

学歴が高い人ほど傲慢」「話を聞けない」という見方が強調されていますが、これは自分自身学歴職務経験へのコンプレックスを相対化しようとする心理の表れかもしれません。批判エネルギーを、自己の成長や新たな視点の学びに転換することで、より前向きな思考が生まれるはずです。

4. 解決策に目を向ける

問題点を挙げるだけではなく、「ではどうすれば、より良い組織や社会になるのか」という視点重要です。たとえば、「各方面から意見を吸い上げる」という提案は素晴らしいですが、それをどう実現するかを建設的に議論することが求められます

BCくんが持つ「次の人や一緒に仕事をする人のことを考えて仕事をするべきだ」という考え方は非常に大切です。ただし、その理念を広めるためには、感情的な批判ではなく、冷静かつ公平な視点での議論必要です。自分否定する相手と同じ行動や思考をしていないか見つめ直し、少しずつでよいので、自分経験や考えを他者に伝えながら共感を広げる道を探してみてください。それが、BCくん自身が考える「本当に優秀な人」の第一歩にもつながるでしょう。

2025-01-09

自分貧乏人だと思いたくないネット民必死に「クオリティも高い!」って喚く中

「うちは安いだけが取り柄の貧乏御用達店です」って経営方針絶対さなサイゼリヤって偉いよな

2025-01-08

NTT退職ツッコミ

https://foobar138428.hatenablog.com/entry/2024/12/22/162351

  • 10年頑張っても年収は500万円台

さすがに700万は行くぞ

みんな戸建て買ってるが?というか戸建てのレベルにもよるが?

というか最近マンションの方が高いんだが?

NTT給与って管理職になるまで我慢でそれ以降は「高給まったりなのは知ってるのでは?

そんなやつおらんやろ

そんやつおらんやろwwwww

ちゃんハラスメント相談に報告したのか?

正規ルートなら完全シークレットで調査が入ってハラスメント事実なら幹部レベルでも一発アウト処分なんだが?

え、上司企画部長あなたどの役職

というか企画部長個人業績を妬むってどういうこと?部下の個人業績なんてあればあるだけ自分評価になるんだから歓迎するでしょ

これはマジ

社員なら誰でも社員名簿見れるんだから人事担当である必要は無いぞ

そして転職希望者なんてほぼ全員なんだから意味が無いぞ

病歴等は異動の時に考慮されるけど昇格には関係ないぞ

技術なんて昔から無いぞ

シスコルーター買ってきて置いとくだけの商売だぞ

しょーもない論文だけ量産して大学教授天下りするのが研究所仕事だぞ

IOWNって社員ですら何か分かって無いんだが何のことを言ってる?APNのこと?

APNなんて誰も期待してないしどうやって株価操作するの?

IOWNは詐欺っていうか、ただのビジョンリブンの経営方針っていうだけだよね

ムーンショットとか流行たころに前の社長が言い出したよくわからない概念がIOWNで

全ての研究否定肯定もしないから毒にも薬にもならない、それがIOWN

  • 転職することができました

おめでとうございます

最近では仕事をほぼ放棄して最低評価だけで会社に籍を置いたまま

副業個人事業主だとかスタートアップだとかに参加して1人ダブルインカムを実現しつつ

手厚い健康保険退職金だけを頂くような輩が多い中で転職したのは大変勇気ある決断ではないかと思います

新しい会社でのご活躍を祈念しております

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