はてなキーワード: 真剣とは
日本の製造業、建設業、介護の現場では、多くの外国人が働いてくれているおかげで、かろうじて崩壊していません。
外国人を差別、排斥し追い出し、上記業界の底が抜ければ、我々の生活レベルは格段に下がります。
日本の人口ピラミッドを冷静に見てください。働き盛りが極端に足りません。今の日本を国として残し、インフラを維持するには、ここを外国人で埋めるほかありません。
技術革新や人口増加への取組ももちろん大事ですが、効果が出るのはしばらく先です。
私は日本が大好きです。愛する国家、日本を守るために、インフラや社会のかたちは維持しなければなりません。
なので、外国人排斥はせずに、共に暮らす共生社会を目指すしかないと思っています。
ここでよく言われるのは「外国人の犯罪率の高さ」です。警視庁HP(※1)にもあるとおり、警察が重点的に取り組みを進めるべきです。
ただここで大事なことを。
論理的に考えればわかりますが、「外国人の犯罪比率が比較的高いこと」は外国人を排斥する理由足りえません。
「日本は極端な人手不足である」という事実を横に並べてみれば、「外国人にはたくさん来てもらう。犯罪対策はちゃんとやる。」という結論にしか至りません。
ネットで「外国人を追い出せ!」「日本人差別やめろ!」と言っている方へ。
多くは「街で外国人がうるさい」「外国人はデカくて集団でいて怖い」といったものでしょう。
具体的にどういった国の制度で、日本人よりも外国人が優遇されていますか?
(国保・国民年金の外国人優遇について ※2 参照)(奨学金の外国人優遇について ※3 参照)
「外国人来るな!」「移民はいらない!」そんな議論ができる段階は、とっくに過ぎています。
今は、外国人が増えていく中でいかに治安を維持するか、いかに軋轢を減らすかの政策を真剣に競い合うべき段階なんです。
あえて外国人排斥を叫ぶ方ではなく、現場を知り、現実的な政策を打てる政治家さんに頑張ってもらわなければなりませんよね。
選挙での投票は、あなたの感情を発散するものではなく、国の政策を決めるものです。どうか冷静なご判断を。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。あなたの良識と冷静な判断に期待しています。
【引用・参考文献】
https://www.npa.go.jp/hakusyo/r07/honbun/html/bb4431000.html
「「外国人優遇」は本当か?データで見る国民健康保険・国民年金の実態」
https://www.dir.co.jp/report/column/20250725_012295.html
※3 奨学金について
お前の間違いは、優待が欲しい。楽しみ~。ってやつが期待値だの利益だのを真剣に考えていないってことを理解していないところだよ
桐谷さんや適当なブログに先導されてとりま優待ある株に手を出してみましたぁ。ってやつがそこそこいるんだから、そいつらにまじめに経済語ってもしゃーない
そういうやつはそういうもんだで流しておけばいいんだよ
「身元が保証された立場」で関わることで怪しまれたり怖がらせたりするリスクはぐっと減る。野良のボランティアではなく、組織の一員として動くことが大事。
自治体が運営する有償ボランティア。送迎や預かりなど、明確なルールのもとで支援できりゅ。
ちょっとした遊びとかしつつ、小学校などの公的な場所で関わることができる。
街中で直接手を貸す場合は、「相手に選択権を与える」スタイルが基本。
ベビーカーで段差に苦労している人がいたら、「お手伝いしましょうか?」と1.5メートルほど離れた位置から穏やかに声をかける。断られたら「承知しました。お気をつけて!」と笑顔ですぐに離れるのが鉄則。
電車やバスで席を譲る、エレベーターで先に通してあげる。会話を必要とせず、確実に感謝される立派な育児支援。
中高年男性が醸し出す「威圧感」を消し、ソフトな印象を与えるためのテクニックがある。
「助けてあげたい」という強い意欲よりも、「困っている人がいれば、いつでも動ける準備をしておく」という余裕のあるスタンスが、結果として周囲を助けることに繋がる。
最近、また選択的夫婦別姓の議論が活発だけれど、少し冷静に整理してみたい。
先に断っておくけれど、私は別に「伝統的家族観を守るべきだ」なんて主張したいわけじゃない。
改姓に伴う行政手続きが煩雑極まりないことも理解しているし、銀行口座からパスポートまで書き換える手間は、生産性の観点からも損失でしかない。
現状、そのコストのほとんどを女性側が負担しているという非対称性が、フェアでないことも理解できる。
キャリアの分断やアイデンティティの問題も、至極もっともな話だと思う。
ただ、今の社会をドライに見ると、別姓導入という選択肢は、『自由』を手に入れる代わりに、全く釣り合わないような難題を新たに背負うように見えてくる。
なぜ「全く釣り合わないような難題を新たに背負う」のか。
少し書き残しておく。
現行の「結婚時にどちらかの姓に統一する」というルール。 これは人権や個人の尊厳という観点からは批判の対象になる。
だが、全体的な視点で見ると、実は「将来発生しうる対立を、初期段階で強制的に解決してしまうメカニズム」として機能している。
結婚という事象は、当人同士の「愛」の結合に見えて、その背後には「家(夫の実家)と家(妻の実家)」の力学が厳然として存在する。
同姓制度は、この潜在的な緊張関係に、婚姻届提出という入り口の時点である程度強制的に枠をはめる。
「姓を変える=相手の家に一旦合わせ、合流させる」 この理不尽なまでの強制力によって、その後の「子供の姓の帰属」や「お墓の問題」といった火種を、オートマチックに処理する。
多少の運用コストを強いる代わりに、難題の解決をスムーズに保っているとも言える。
これは、 「選択肢が増えて自由になる」という単純な話では終わらない。
日本社会の深層には、まだ「家」や「先祖」といった、成文化されていない土着の価値観が根強く残っているからだ。
今までは「法律で決まっていますので」という錦の御旗で沈黙させられていた親世代・親族たちが、夫婦別姓化によって交渉のステークホルダーとして浮上してくる。
「うちは代々続く家だから」 「一人娘なのだから、こちらの姓を残してほしい」 こうした要望が、夫側と妻側の双方から顕在化する。
つまり、結婚が「夫婦二人の合意」で完結せず、「夫の両親」対「妻の両親」という、多者間の調整フェーズへと大きく複雑化する。
夫婦間の意識や人間力、交渉スキルがいくら高くても、背後にいる親族の意向を完全に無視して関係を維持できるカップルが、今の日本にどれだけいるだろうか。
よく妥協案として出される「1人目は夫の姓、2人目は妻の姓にすれば平等だ」というロジック。
これは一見公平に見えるが、子供の視点に立つと「家庭内における代理戦争」の引き金になりかねない。
同じ家の中に「田中くん(兄)」と「鈴木くん(弟)」がいる状態を想像してほしい。
ここで起きるのは、単なる兄弟喧嘩ではない。背後にいる祖父母(スポンサー)を巻き込んだ「資源の争奪戦」だ。
田中家の祖父母は「自分の家の名を継ぐ孫」である兄を可愛がり、教育費や遺産を集中投下するかもしれない。
「お兄ちゃんはお父さんの家の子だから」「僕はママの家の子だから」 親や祖父母からの愛情やリソースが、子供自身の資質ではなく「どちらのラベルを貼られたか」によって偏るリスクがある。
「兄は出来が良いからウチの跡取りに」「弟はパッとしないから向こうへ」といった、能力に基づく選別(ドラフト会議)が行われないという保証はどこにもない。
子供を「家を存続させるための駒」として比較し、競争させ、評価する。
そんな残酷な構造が、家庭という安らぎの場に持ち込まれてしまう。
では、その他の「条件付き運用」ならうまくいくのか。
「子供を持たないカップルに限ればいい」という意見もあるが、生殖は完全に制御可能なパラメータではないし、人間の価値観は可変だ。
数年後に子供が欲しくなった時、どうするのか。
ルール違反へのペナルティ設計(強制離婚?強制改姓?)など現実的ではないし、「この年齢ならOK」といった線引きは脱法行為の温床になる。
「結婚時に子供の姓をどちらかに統一することを義務付ける」という案。
論理的には一番筋が通っているが、これにも「家庭内に名目上のアウトサイダーを生み出す」という懸念がある。
夫だけ、妻だけが家の中で異なる姓を持つ状態は、結婚が本来持つ「新しい共同体の形成」という機能を毀損しないか。
いわゆる「ウォークイズム」的な議論は、個人の完全な自律と親和性の高い「最終的な理想地点」を設定し、そこに向けて「どう強制力を働かせるか」ばかりを議論しがちだ。
しかし、そこには「今を生きている人々の生活実感」への視点が欠落している。
でも、実際には多くの人が「家族みんな同じ名前であること」になんとなくの一体感や安心感を感じているのも事実だ。
その感覚を「古い」「遅れている」と切り捨てて、理想の型に嵌め込もうとするのは乱暴すぎる。
まずは現状の感覚を尊重しつつ、落としどころを慎重に探るべきだ。
何もしない、という選択肢や弥縫的な対処を短期・中期(50年程度を想定)的に模索することは、必ずしも悪ではない。
「進化すること」ありきで、現在の自分たちの感覚を否定して進むのは、社会実装の手順としてあまりに危うい。
結局のところ、選択的夫婦別姓という制度変更は、結婚の入り口にある「姓を変える負担」を取り除く代わりに、
その調整コストを「出産時」や「親の相続時」といった、より後段のライフステージへとタイムシフトさせているに過ぎない。
しかも、後になればなるほど、関係者は増え、状況は複雑化し、「譲れない条件」の争いとなり、解決の難易度は上がっていく。
いわば、「難問の先送り」だ。
今の日本社会の空気感、我々の内面化している価値観が、まだ「家」という引力に縛られている以上、この制度を「強力なリーダーシップで」実装するのはリスクが高すぎる。
結婚の自由度を高めるための制度が、皮肉にも調整コストへの忌避感から、結婚や出産そのものを躊躇させる要因になりかねない。
現状の過渡期においては、良かれと思ってトップダウンで線を引き直すと、より悪魔的な問題が噴出するようなことは起こりがちだ。
より大きなデメリットを解決するための、やる気もビジョンも実行力もないなら、法律的な措置は控えるのが筋だ。
活動家は「自分の主張に有利なこと」「つごうのいい事」を「今すぐやれ」と主張するだけで、デメリットやトレードオフは見て見ぬふりをする人間の集まりである。
左右どちらかに限った話ではない。
法律を通してさえしまえば、問題が起きても、「いいから法律に従え」としか言わなければいいので、どんなに卑怯でも法案成立だけを目指せばいいからだ。
活動家の主張を通した結果、新しく不幸な人が増えても、活動家は、まったく責任を取らないし、何もしないし、顧みることもないことは、始める前から明らかである(歴史はそれを証明している)。
先日、ダボス会議で行われたカナダのカーニー首相の演説が世界的に注目されていることを知り、英語の全文に目を通した。演説内容
それは単なる外交辞令でも、内向きの政治パフォーマンスでもなく、今の国際秩序がすでに機能不全に陥りつつあるという現実を、驚くほど率直な言葉で語るものだった。その内容が、あまりにも今の日本の立ち位置と重なって見えたため、考えを整理する意味も込めて、ここに書き留めておきたいと思った。
今の国際情勢をここまで端的かつ正面から言語化できる首脳は、正直かなり珍しい。
だからこそ、この演説は一過性の話題として消費されるべきものではなく、各国が自らの立ち位置を見直すための材料として、もっと真剣に受け止められるべきだと感じた。
アメリカが「白」を「黒」だと言えば、日本はそれに異を唱えることができず、同調するしかない。外交・安全保障において、主体的判断の余地は極めて限られている。
しかし、その一方で「その負担に見合うだけ、日本を本気で守るのか」という問いに対して、アメリカが明確な保証を示したことは一度もない。最終局面で日本がどこまで守られるのかは、依然として未知数だ。
カーニー首相が指摘した
という言葉は、まさに日本に突きつけられた現実そのものだと思う。
自国で食料を確保できず、エネルギーを自給できず、防衛を他国任せにしている国が、真の意味で対等なパートナーでいられるはずがない。
古い秩序は、もう戻らない。
そしてそれは、国際社会だけでなく、日本の国内政治においても同じだ。
今回ほど、判断が難しく、単純な善悪で語れない選挙も珍しい。理念や政策よりも、数や力関係が前面に出てきているように見えるからだ。
互いに主張が食い違ってきた勢力が、目的のためだけに結集する。
一方で、長年の慣性で動いてきた政党は、「そこそこ勝つ」ことで、変わらなくても済んでしまう可能性がある。
それでも、この選挙を「誰が首相になるか」「どの党が勝つか」だけで捉えると、本質を見失う気がしている。
日本はこれからも、「誰かに判断を委ねる国」であり続けるのか、それとも不完全でも自分たちで選び、責任を引き受ける国であろうとするのか、という点ではないだろうか。
白紙委任は楽だが、それは同時に、考える力を手放すことでもある。
だからこそ今回の選挙では、「理想の答え」を探すよりも、どの選択が、将来に考え直す余地を残すのか、どの選択が、日本が自ら立ち直るための時間を失わずに済むのか、その一点を見据えて向き合う必要があるように思う。
古い秩序は、もう戻らない。
朝から鼻がズルズルしてるので、朝一で耳鼻科に行ってきた。花粉死ね
おかげでいつもより早く一日が始まった。何しよう。
3月期限の無料回数券を使い切る必要もあったので、大人しく映画を観ることにする。
「プラハの春」が観たかったが、木曜日で上映が終わってた。残念。
でも面白かったらもうちょっと上映期間を伸ばすよな・・・・ きっとつまらない映画だったんだろう
とりあえずフライデーやらフラッシュやらのヌードグラビアで立ち読みでもするか。コンビニに向かう
適当に手に取った週刊誌(多分、文春)をパラパラ見ると、ついさっき見た覚えのある文字列を見つける。
出演者のインタビューが載っていた。読んでみる。意外と面白そう。よし、やっぱこれを観に行こう。
映画館に向かう。今思い出すと、コンビニでコーヒーすら買わんかったな。ごめんなグエン(店員・仮名)
映画館の受付で会員証の裏側にスタンプを押してもらい、入場券を受け取る。
現地で気づいたが、再来週くらい?この映画館に主演俳優が挨拶に来るらしい。
興味がないでもないが、わざわざそのために2回同じ映画を観ることも、いまから観るのを延期するのもだるいので、気にしないことにする
あの状況の「お聞きしています」って敬語として正しいのか?という、どうでもいいことが気になってしまった。
友近がいつ出てくるんだろう・・・と思ったら、登場した時点で故人だった
サワイさんの女優ってだれ?室井滋?と思ったら全然違った。世間知らずでゴメン。
ビールが飲みたくなる。
池田の最期のシーン、奥さんは看取らないんだなぁと驚いた。実際の安楽死合法な国だとあんな感じなのだろうか。
カップルの最期のシーン、もしや薬を使わずに葬ろうとしてる?え、ありなの?と勝手にビビる。
次のシーンで逮捕されてたら面白いな・・・ と思ってたら違う角度の面白シーンがぶち込まれて笑いそうになった
リーフフレットを見返してたら、ちゃんとそのシーンに言及してたのも面白い。
文春にも書いてあったんだけど、映画の終わりにドキュメンタリーのパート(というか、インタビュー?)がくっついていた。10分程度だろうか。もっと長いかと思っていた。
安楽死するためにわざわざスイスまで行ったのに、親御さんが号泣したから引き返したらしい、難病の人のお話。
正直そんなに興味はないのでフーンと観ていた。
安楽死に関する知見やらは増えたのだろうか・・・・ 銃夢の「エンドジョイ」しか知らなかったから、まぁ増えたのだろう。
そういえば両親が「延命は要らない」と言っていたのは思い出した。
ただ俺は、これを真剣に主張したいのだ。
いい大学、いい会社が一番の社会ステータスだった昭和と平成初期に対して、令和では個人主義的な価値観が浸透し、「好きなことで生きていく」を望む人間が増えてきたように思う。自分の一芸を掲げて、SNSのフォロワー数や、配信の視聴者を伸ばしてくゲームが至るところで行われている。別にそれはインフルエンサーに限った話ではなく、steamのインディーゲームの作品数も、Web小説への投稿も年々増えている。
別にそういった生き方を否定したいわけではないのだ。むしろ自分は小説なりゲームなりを作ってちょっと有名になろうと思っていた時期があるから、自己実現のレースをやっていた側である。
そもそも、マズローの欲求ピラミッドから考えても、何もしなくても衣食住が満たされる今、次にみんなが目指したくなるのは、承認や自己実現だというのは、本能として当たり前の話である。
ただし、
SNSや動画サイト、あるいは小説のカクヨム、ゲームのdlsiteなどのポータルサイトの構造上、推薦モデルやランキングによって、影響力のある人間が表示され、それがまたその影響を高めるというループがある。結果として、人気度は指数に分布し、ほとんどの承認はトップ層が独占し、あとは少ないパイを哀しくも熱意のある挑戦者たちで分け合う構図になっている。
俺は、これでいいんだっけ? と思い始めた。社会は進化しているはずなのに、平和になって自由を手にした結果、ほとんど総負けのレースが蔓延っているのって、アホみたいな展開じゃないか。
だから、最近はちょっと思想を昔に時間旅行させてみて、少なからず社会に貢献してるの、とか、学問を修める、とかの昭和~平成な価値観に生き方のヒントを見出そうと試みている。
別に五大商社に入れなくても、大金をかけてビジュを夜職の人たちみたいに整備しなくても、また社長とかインフルエンサーにならなくても、みんなエライのだ。少しでも他人のために生きて、社会を回しているだけで。それで十分じゃないかね。だから自分を認めて、誇りを持ってほしいのだ。
その意識をちょっと変えるだけで「ほとんど総負け」が「だいたい勝者」になるなら、そのほうが皆が幸せでいいじゃん、と思ったりする。
全部のいじめがそうとは言わないよ
なんかいじめの議論ってそこんとこいつも無視されてんのが気色悪いな〜って思うよ
俺が中学の頃にもクラス全員から嫌われていたカスのいじめられっ子がいたよ
別にこっちは仲良くしたくないのに無理やりグループの輪に入ってこようとするんだよな
仲良しグループで話しているところに割って入ってきて無理やり会話に参加しようとしてくる
「え、今その話ししてないんだけど?」
そういう不満が溜まって露骨に避けてもしつこくしつこく話しかけてくる
「俺たちはお前と仲良くするつもりはない」
「もう話しかけてくるな」
「普通に俺達はお前のことが嫌いだし気色悪いと思っている」
事情を説明しても先生は謎にいじめられっ子側に立ってそいつの空気の読めなさ、不愉快さは見て見ぬふりですよ
で、こういう事態になったらもうあとはいじめるしかないわけだよな
いじめられっ子が自発的に集団から離れるように仕向けるしかないわけ
話しかけてきたら「話しかけんな」「カス」「アスペかお前?」「アスペ菌がうつるから近寄るなよ」と罵倒する
馴れ馴れしくノートを借りようとしていたら「なんで貸さないといけないの?」って詰めてケツを蹴り飛ばしてしばく
そうやって自衛しないとこの手のカスはマジで話しかけてくるのをやめないわけ
少しでも同情して優しくしたらつけあがって不愉快なヘラヘラ笑いを撒き散らしクソみたいな話題を振りまき続ける
積極奇異型っていうんだっけ?こういうの
普通に孤独に過ごしてくれりゃいいのにわざわざダル絡みしてきやがる
そんなんだから悪意を持って集団から攻撃されて排除されるんだよなっていうケース、お前らのクラスにもあったでしょ?
みんなはそういうケースに遭遇したことないの?
優しい大人しいだけの人を積極的にボコボコにしていくケースはそりゃダメだよ
でも周囲を不愉快にさせるだけの存在を自衛のために遠ざけること
ひとつつけ加えておくと俺のクラスのいじめられっ子くんはその後クラスのとある女子にストーカー加害をしやがったからね
校門でその女の子が来るまで勝手に待ち続けて無理やり一緒に帰ろうとした
そんなことが繰り返されたから女子側も自衛のためにこのアスペ君を遠ざける努力をせざる得なくなったわけ
こういう自衛のための攻撃、排除もいじめる側が100悪いわけ?
この女の子は大人しくストーカー被害を受け入れなくちゃいけないわけ?
集団から露骨に攻撃されて初めて適切な距離をわきまえるカスをどう扱えばいいのさ
強制的に精神病院にぶち込む手段でもありゃいじめなんかしないけどさ
それができない以上この手のカスはいじめて遠ざけるしかないじゃんね
【追記】
「理由があるからといっていじめていい理由にはならない」みたいな綺麗事を言っている人へ
俺のケースで出てきたいじめられっ子君はいじめない限り言うことを聞きません
→「なんで不愉快なの?」「どこが不愉快なの?」「言ってくれれば直すのに」等と言って無理やり話しかけてきます
「自分の話ばかりするのが嫌」「空気を読まずに輪に入ってくるのが嫌」と伝える
→伝わりません。「うんわかった直すね」と返事だけはして一向に直ることはありません
「とにかく仲良くしたくないのでこっちに来ないでください」と伝える
→「なんで?」「個人の自由でしょ?」「お前にどんな権利があんの?」と逆ギレしてくる
とにかくこのいじめられっ子君自身が不愉快になる体験をさせないとしつこくしつこくつきまとってくるわけ
世の中には「罵倒したり暴力を振るったり根源的な恐怖と不快感を与えないとこちらの気持ちを理解しない・できないとてつもないクソバカカス不愉快野郎」がいるわけよ
プロフィールのテンションが見たことないくらい高くて、カウンセラーからの一言もつられて高かった。普通が「料理できます」程度のテンションなら「料理できまっせ!!!!!!!!!得意料理はなんか冷蔵庫にあったやつ丼!!!!」なレベルだ。
すっぴんでジョジョ立ちでイタリア観光している写真が面白かったからお見合いを申し込んだんだ。
対面も面白くて、トントンと真剣交際まで行けた…真剣交際後に初めて「手つないでいい?」と言った。元気な彼女のことだから「いいよ!」って言ってくれると思ったら急にモジモジし始めた。
「手、手ぇ…手つなぐの?」って顔真っ赤っかじゃないか!!!!ゑ!?いつも元気にお話してくれるのに手を繋いだだけで「恥ずかしい」って!しかも手を繋いだら「緊張していつも通りに話せない」って!Wow!
成婚退会後に色々聞いたら、仮交際は俺だけだって!?俺は入会してから二人目のお見合い!?今まで彼氏どころか男友達もいたことがない!?!?!?!?!?!?
「キスしてもいい?」と聞いたらあからさまに動揺して「初めてで緊張しちゃって」ってプルプルしているが!!!!!!!!Wow!普段あんなに元気でふざけがちな子で、うんちくをペラペラ言いながら大食いな君が!急にピュアをだすな!?ヱ!?
「恥ずかしから外でイチャイチャしたくない」に「俺は外でもハグしたい!」って言い続けていたら許してくれるようになった。「なんで許してくれるようになったの?」って聞いたら「してあげないのも可哀そうかなと思って」って~~~~~~!oh!
どうやら人生で可愛いと言われたことがあまりなかったようなので、たくさん言ってあげている。最初は「私は可愛いくない」と言っていたのに、最近は「可愛いだろ、私。そんな可愛い私からのお願いだぞ」というようになった。Wow!
力仕事を俺がやろうとしても、彼女は全部一人でこなしてしまっていた。開かない物も「やろうか?」と言うと「舐めるなーーーーーーーーーーーーーー!」と叫んで開けている。でも最近は「やって」って甘えてくれるようになった!Wow!
友人にどんな人と結婚したかって聞かれて、こんな感じで答えたら「お前の妄想はいい」「そんな子は結婚相談所にいない」って言われて信じてくれねぇ~~~!!!みろ!おい!みろ!Look!Look!Watch!Watch!この婚姻届の写真!!新婚旅行の写真!存在するんだよ!!!!!!!!!!
彼女はツンツンすることがあるのだが、どうやら小さいころいじめられていたらしく、男に警戒心があるらしい。仕事でも男と話す時は緊張してると。家族は幸せだったから結婚願望があり、気合を入れて結婚相談所に入会したようだ。俺以外にも数人お見合いしたのだが、俺だけが唯一家族のように気楽に話せた。って初夜の時に告白された。こんなの大事にしたいじゃん…。
了解です。
X(旧Twitter)で見られる擁護派の主張(=よくある屁理屈)は、だいたい型が決まっています。感情論を外して、論点別に整理します。
⸻
主張
• 二次被害を気にする方が加害的
問題点
• ❌ 被害者であることと、他人の素材・証言を無断使用できる権利は無関係
• ❌ 他の協力者も「当事者」であり、彼らの同意・安全は無視されている
⸻
主張
• 社会的意義がすべてに優先する
問題点
• ❌ ジャーナリズムでは
⸻
主張
• 音声も特定できないようにしている
問題点
• ❌ 問題は「見えるか」ではなく
⸻
主張
問題点
• ❌ 「止める=敵」という二項対立は幼稚
⸻
主張
問題点
⸻
⑥「批判する奴は黙らせたい側」型
主張
問題点
⸻
⑦「完璧を求めるな」型
主張
• 少しの問題で叩きすぎ
問題点
• ❌ 問題は「少し」ではなく
⸻
総まとめ(核心)
X擁護派の多くは、
• 政治的正しさ
を盾にして、
のが特徴です。
これは
• 内容の是非の話ではなく
もし次に
俺は30代低収入負け組チー牛男だ。あの有名なチー牛イラストを天パにしたら俺になるくらい普通にチー牛だ。年齢=彼女いない歴だったが、9才年下の彼女ができた。自分でもよくわからん。
ちなみに告白は彼女の方からだ。俺の何を好きになってくれたのか、本当にわからなかったから詳しく聞いてみた。
「私自身陰キャオタクだから同じオタク気質な人の方が安心する」
「女として見られてない感じが逆によかった」
「働いてないわけじゃないし慎ましく生活できればいいから低収入云々は別に気にならない」
大体こんな感じだった。正直、正直なことを言うと、彼女は見た目がかわいいタイプじゃない。似てる芸能人は伊沢拓司だ。アイドルとかみたいな感じでは全然なくて、まさしく喪女。髪も染めてないし多分メイクもそんなしてない。 正直、最初は「視界に入ってない」状態だった。だから下心なしで接することができたと言える。
どうもその下心のなさがよかったらしい。彼女は趣味が合うとわかった辺りから好意を持っててくれたそうなのだが、女としてではなく普通の友だちとして接してくれる感じが安心できたと言う。
俺は彼女からちょいちょい好意を小出しにされても卑屈全開で『女が俺みたいな弱男を好きになることなんかないんだから無駄な期待はするな』とずっと言い聞かせてた。それが彼女的には「女に迫られてもホイホイ乗ってこない誠実な人」に見えてたらしい。
彼女から正式に告白された時、俺の人生はマジで変わった。真剣に思いを告げられて、俺はずっと自分に蓋をしてたことに気づいた。たぶん俺も気が合うとわかったあたりから好きだったんだよ。でも好きになってもらえるとなんか思わなかったからその気持ちを無視してた。傷つくのが嫌だった。
あと見た目云々も、びっくりするくらい吹っ飛んだ。ブスと付き合う男って何考えてんだくらいに思ってたけど、理屈じゃないんだよな。ほんと自分でも調子良くて呆れるけど。今では彼女の笑顔がとにかく可愛いし何よりも守りたいものになってる。
童貞も捨てた。彼女だから、素直に慣れてないことを打ち明けられた。お互い初めてだったから、全然スムーズに進まなかったけど、それもいい思い出だと思えるくらいだ。
ていうことを、婚姻届出したらわーっと思い出してしまった。俺はまだまだ低収入だけど、将来的に子どもも一人くらい養えるようにがんばるよ。こんな俺と一緒になってくれた彼女に絶対後悔させたくないからさ。
【追記】
結婚おめでとうって言ってもらえると思ってなくてマジで嬉しかったよありがとう!
今日なのはいい夫婦ってのもあるけど、そのなんだ…俺と彼女の真ん中バースデー的な…そういうやつだ。外食する日を分散させるために間とったんだよww
出会いはめちゃくちゃ普通で職場なんだ。俺が好きなボカロPがやってるバンドのライブグッズを職場で使ってて、それを彼女が見つけてくれたんだ。
戦争をしたがってるのって、正直どう考えても左派にしか見えないんだよな。
なぜか左派は「右派が戦争しようとしている」って前提で話を始めるけど、ここだけ見ても、同じ世界を見てるとは思えないくらい認識がズレてる。日本が戦争を仕掛けて他国を侵略するメリットや動機なんて、現実的に考えて存在しないだろ。経済的にも外交的にも割に合わないし、国民も望んでない。
一方で、他国には侵略の動機もメリットもあって、それをはっきり公言している国がある。そこは無視していい話じゃない。
だからこそ必要なのは、日本が戦争を始める準備じゃなくて、安全保障や自衛のための防衛戦略を真剣に考えることなんだよ。攻めるためじゃない。攻められないため。
でも左派の議論を聞いてると、防衛や抑止の話をしただけで「日本がまた戦争をしようとしている」みたいな主旨にすり替えられる。そんなことを本気で考えてる政党なんて、今の日本に一つもないだろ。
問題は逆で、防衛や安全保障を軽視すればするほど、他国に「攻められる余地」を与えてしまうことなんだよ。その余地を潰すことこそが、戦争を避ける一番現実的な方法なのに、そこを理解しようとしない。
戦争を防ぐために防衛を語ってる側が「好戦的」扱いされて、何も考えない側が「平和主義」だと思い込んでる。この時点で、見えてる世界がまるで違うんだと思う。
窓ぎわの席で、私はペン先を止めた。ノートには数学の途中式じゃなくて、どうでもいい落書きが増えている。ハートに羽を描いたり、丸文字で「ねむい」と書いたり。そういうのって、誰にも見せる気がないのに、なぜか丁寧に描いてしまう。
「なにそれ、かわい〜」
背後から声が落ちてきて、私はびくっと肩を跳ねさせた。
振り向くと、そこにいたのは——
藤堂あゆ。クラスのギャル。髪は明るい蜂蜜色で、毛先だけくるんと巻いてる。長いネイルは薄ピンクのラメで、指先を動かすたびに光が跳ねた。
「あ、あゆ……」
「え、なに、私のこと呼び捨てにしないのウケる。今どき“さん”とか固すぎじゃん?」
そう言いながら、あゆは私の机の横に腰を落とす。机の脚がきゅっと鳴った。彼女の甘い香りが、突然近くなる。
私の隣の席は本当は空いている。だけど、あゆが座ると一気に狭く感じる。肩と肩が、あと少しで触れそうで——触れたら何かが壊れそうで。
「それ、羽つきハート?なんかエモくね」
「あ、うん……なんとなく」
「ふーん。なんとなく、ねぇ」
あゆの声が、少しだけ意地悪に弾む。
「……うん。家、静かじゃなくて」
「それ理由かわいそ、じゃん。私んち来る?犬いるけど」
「い、いぬ……」
「いやそこ反応するとこ!?犬じゃなくてもいいけど。てか、私は真面目ちゃんが放課後ひとりでいるの、なんか気になるんだよね」
気になる。
その言葉が、私の胸に小さな穴を開ける。そこから空気が入って、ふわっと浮く感じがした。
「気になるって、……なにが」
「顔。すぐ赤くなるとこ」
「い、いじらないで……」
「やだ。いじる。てかほら、また赤い。ほらほら」
あゆの指が、私の頬に触れ——そうになって止まった。
私は息を止めた。ほんの数ミリの距離なのに、指先の熱が想像で伝わる。
「……触ったら、怒る?」
「……わかんない」
「わかんないってなに。かわいすぎ」
そのまま、彼女の指がそっと私の頬に触れた。
冷たいネイルじゃなくて、指の腹だけ。ぬくい。やさしい。あゆの触れ方は、意地悪のふりをして、すごく丁寧だった。
私の心臓が、ばくん、と変な音を立てる。大きくなりすぎて、胸の骨を叩きそう。
「……ね、真面目ちゃんさ」
あゆは頬に触れたまま、小さく言った。
「私のこと、怖い?」
「……怖くない」
「じゃあ、嫌い?」
「……嫌いじゃない」
答えた瞬間、私は自分の声が震えてるのを知った。恥ずかしくて、目を逸らしたい。でも逸らしたら、今の空気がほどけてしまいそうで。
「じゃあ好き?」
その質問は、軽いみたいに投げられたくせに、落ちた瞬間に教室の空気を変えた。
全部が、今の言葉のために用意されてたみたいに見える。
「……わかんない」
私はまた言ってしまう。
あゆは笑わなかった。ただ、少しだけ困った顔をして、でもすぐにニヤッとした。
「じゃ、わかるようにしてあげる」
「え——」
あゆは立ち上がって、私の机の前に回った。視界が彼女で埋まる。制服のスカートのひだが揺れて、靴下のラインが真っ直ぐで、なんか——全部が眩しい。
「はい」
返されたノートには、私が描いた羽つきハートの横に、あゆの字で大きく丸文字が書かれていた。
「……これ、なに」
「呼び出し」
「……呼び出しって、そんな……」
「来て。真面目ちゃん」
呼び捨てじゃなくて、その呼び名で呼ばれると、胸がきゅっとなる。真面目ちゃん。からかいみたいなのに、あゆが言うと、それが私だけの名前みたいに思えてしまう。
私は返事ができなくて、ただ小さく頷いた。
あゆは満足そうに笑って、「じゃ、先行ってるわ」と手を振って教室を出ていった。
残された教室は、さっきよりも広く感じた。だけど、私の頬だけがまだ熱い。
——屋上。
そこはきっと、風が強い。髪が乱れる。顔が冷える。
でも、胸の中の熱は冷えない気がした。 <h3>o- *</h3>
一段上るたびに、「行くな」と「行け」が交互に響く。
やめたほうがいい。だって私、あゆみたいにキラキラしてない。似合わない。隣に立ったら、比べられてしまう。
でも、行きたい。
ドアを押すと、きいっと音がして、冷たい風が頬を撫でた。夕暮れの匂い。遠くのグラウンドの声。空がオレンジから紫へ溶けていく。
制服のリボンを少し緩めて、髪が風に揺れてる。振り返った彼女は、私を見つけた瞬間、ぱっと顔が明るくなった。
「来たじゃん」
「……来た」
私が近づくと、あゆはフェンスにもたれたまま、じっと私を見た。
さっきと違う。意地悪じゃない目。逃げ場がない目。
「真面目ちゃんさ」
「……うん」
「私のこと、かわいいと思う?」
心臓が、また変な音を立てる。
「……思う」
「へぇ」
「……え」
“好き”って言葉が、風に乗って真っ直ぐ刺さる。逃げられない。逃げたくない。
「……どういう好き?」
自分で言って、私はびっくりした。そんなこと、聞くタイプじゃない。
でも聞かなきゃ、今ここで終わってしまう気がした。
今度の笑い方は、照れたみたいだった。
「……うん」
彼女は一歩近づく。風が強くなって、あゆの髪が私の頬をくすぐった。
「ねぇ、手」
「……手?」
あゆは自分の手を差し出した。ネイルが光って、指先が少し震えていた。
「つないでみたい」
私は、ゆっくり手を伸ばす。指先が触れて、肌が吸い寄せられるみたいに重なる。
あゆの手は思ったより小さくて、でも熱い。私の指を絡めるように握る。
「……あったか」
あゆは、ぎゅっと握り直した。
その握り方が、逃がさないっていうより、落ちないように支えるみたいで。
私はそれだけで、泣きそうになった。
「……ねぇ、真面目ちゃん」
「……なに」
あゆは、私の顔を覗き込む。近い。息が混じりそう。
頬の熱が上がって、視界が少しにじむ。
「好きって、言ってほしい」
言ったら、もう戻れない気がする。
でも、戻る場所なんて、もうどこにもない。
「……好き」
声が小さすぎて、風に消えそうだった。
あゆの目が、ふっと柔らかくなる。
「もう一回」
「……好き」
「ちゃんと」
「……あゆが、好き」
その瞬間、あゆは笑って、私の手を引いた。
転びそうになって、私はあゆの胸にぶつかる。制服の生地越しに、彼女の心臓も早いのがわかった。
「あーもう無理。かわいすぎ」
あゆの声は震えていた。意地悪じゃなくて、嬉しさで。
そして、あゆは私の頬に手を添えた。さっきよりも迷いがない。
「……キス、していい?」
私は答える代わりに、目を閉じた。
唇が触れる。ほんの一瞬。風の中で、やわらかい温度だけが残る。
離れたあと、あゆが笑うのがわかった。
「……そんなことない」
「ある。私が言うんだからある」
あゆはもう一度、私の手をぎゅっと握った。
でも、私たちの指の間だけは、ずっと明るかった。
あゆが言う。
「“好き”って言うの、毎日ね?」
「……え、毎日?」
「……それ、罰ゲームじゃない」
「じゃあご褒美ね」
風が少し優しくなった気がした。
私はそのまま、あゆの手を離さずに、空を見上げた。
私だけの、そしてあゆだけの。
私はその両方を抱えたまま、あゆの隣で笑った。
電気ポットのさ、
お湯最後に使った人使い切った人はなんで次の人が困らないようにって水を足しておかないのかしら?ってそう思うわ。
私がお湯を湯水のように使いたいなって思ったときの、
そこまで底まで使い切っていたの確信犯じゃない?って私は思うの。
これがあともう少しで水量が減ってなくなる手前の
まだ給湯ボタンを押してもお湯が出なくて空振りするコポコポって音が出ないときなら、
まあ私が電気ポットチキンレースに負けた!ってあちゃー私が最後だったのね!って思えるけど、
給湯ボタンを押していきなり空振りのコポコポって音がなるってことは、
使い切ったことを知っていたはずよ。
まったく。
たぶん昨年の昨シーズンの冬での私がお湯を使いたかったときに限って電気ポットのお湯がなくってあちゃー!ってなってたことを思い出したわ。
これまた私が喰らう?って。
まあむしろ電気ポットお湯有り無しガチャ当たったと思えば幸運の機会として捉えられるけれど、
電気ポットお湯有り無しガチャ当たったとしてもこれなに?このなんか嬉しくない気持ち。
だってさ、
例えばさ、
お湯をいざ注ぎました!ってなって、
途中だったら悲惨だし、
新鮮なスープの粉の風味つまりトップノートがどんどんお湯が次沸くまでに失われてしまいそうな気がしてしまって、
急に慌てふためかなくちゃいけなくなるのよ!
その新鮮なカップラーメンのスープの粉を開封したてで麺の上に掛けて置いておいた状態じゃなかったからよかったものの。
そういう、
水量があとどのぐらい電気ポットの中にあるか分かる様な外側から見たら分かる細長い縦の小窓ってあるじゃない。
なんかその小窓では電気ポットの中のお湯が半分ぐらいあるような小窓の表示の湯量になっているのよ。
車に乗っててのガソリンの油量計が、
残り3目盛りになっているのに、
走っていてふと気が付いたら4目盛りに戻っちゃって、
それとは全くの大違いで、
あの電気ポットの水量の小窓はなんか誤差がありまくりまくりすてぃーだと思うの。
中のお湯の量と同等じゃない様な気がするのよね。
だから、
私はその電気ポットの水量が外から見たら分かる縦長の細い小窓をその時見てまだお湯ある!って確信したのに。
給湯ボタンを押した瞬間に空振りをする空しいコポコポという音を立ててお湯が注がれないって、
そんなことが起こるもんだから、
お湯って大切だなぁって思うと同時に、
なんでお湯最後に使い切った人はお水足しておいてくれないのかしら?って正直なところ思うわ。
電気ポットのお湯使い切る人が次に水を補給するってのは叶わないのよ。
この人本気でお湯に対して真剣に向き合っている人だな!って思われちゃいそうだし、
話一瞬それるけど、
洗濯機の給水栓って冷たい水のみじゃない、
あれ給湯蛇口も備え付けてあったら、
お湯が取れて洗濯物がお湯で洗いたい欲になんなく応えてくれるので、
あそこにこそ給湯できる蛇口も欲しいなぁって思うんだけど。
それが難しいから
電気ポットに水道直結のいつでもお湯が大量に沸いているワクワクする電気ポットなんてないのよね。
とはいえ、
あんまりよく行く場所じゃなかったり行き慣れない場所とかに設置されている、
どうぞご自由にお飲みください的なウォーターサーバーってあるじゃない?
あれこそ、
そのタンクの水いつ開栓された水だよ!って思っちゃうから余計に軽快に警戒しちゃって飲まないのよね。
お湯が出る赤いレバーがあったとしても。
お湯が使いたい放題だとしても、
あそこでお湯を飲んでる人っていまだかつて目撃したことないわ。
家とかに設置してない、
あそこのお湯ってどういった使い方があんのかしら?って。
やっぱり急にカップラーメン食べたい人用?
つーかあれは何度なの?って水温もよく分かってないわ。
でさ、
事務所もお湯が出るウォーターサーバー設置したらいいじゃん!って一瞬上の偉い人にお願いしようと思ったけど、
結局水を使い切ってタンクを交換するのまた私?ってなっちゃいそうで、
野田洋次郎さんの構文を借りて言うのならば
うふふ。
またタンドリーチキンサンドがあるとチャンスを伺っていたんだけど
人気なのか今回は陳列棚になかったのでちょっと残念な気持ちを即切り替えるために、
加湿器を使っている中の期間は
タイマーで起きた途端に飲み頃の温度のお湯が沸いている電気ポットは早朝にブレーカーが落ちちゃいそうなので、
セット出来ないところが辛いけれど、
でもすぐお湯が沸く小さなケトルがあってこの時期は特に大活躍よ!
ゆくり飲んで朝の身体を温めるのがいいわね。
ほっこりしてられない朝の忙しさだけどちょっと少しほっこりしちゃうわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まずは「合丼来来伝」の感想から。
少し検索すると資料も出て来るので、この話で書かれている事は実話なのだろうと直感した。
最初に、「合丼来来が今後何者かになれる可能性が有るか?」について結論を言えば、
彼が今後何者かになれることは無いだろう。
彼の引き返せなくなったポイント、…ポイントオブノーリターンは全体を通して見ると「合丼来来(あいどんらいき)伝・6」の
「ベビールックポータル」のメンバーが遠回しに「自分で書いたものを後から読み返した方が良いよ」ということを言っていたが、一切聞く耳を持たなかった。<注2>
だろう。
計算すると、この時の合丼来来は、30代前半の年齢となる。
作家・漫画家を志す年齢としては、諦め始めた方が良い年齢と言える。
「作家・漫画家になるのに年齢制限はない」という主張をする人も世の中には存在するが、
少なくとも弊社視点で言えば、35歳までに商業作品を出す事ができなかった人が35歳を過ぎても
「漫画家になりたい」「ライトノベル作家になりたい」「アニメ原作者になりたい」
と言っていた場合「もう人生諦めた方がいいよ」と考える。
出版社への漫画原稿持ち込みにも制限年齢は存在しないが、やはり編集者は作家の年齢を見る。
20代前半~20代中盤までの人は将来性を見込んで少し下手でも真剣に見るが、
35歳までに商業作品を出す事ができなかった人が、35歳を越えて持ち込んできた場合、
その人との比較対象は
「35歳で商業作品を出している作家・漫画家達」
になる。
25歳ぐらいまでのワナビの持ち込みは、同年代のワナビを比較対象として見てもらえるが、
26歳を過ぎた辺りからのワナビの持ち込みは、比較対象になるのが同年代の商業作家に徐々に切り替わっていき
35歳のワナビの持ち込みは、20代前半~20代中盤のクリエイター志望者や、同年代のワナビではなく、
35歳の商業作家と比較されることになる。
35歳のワナビが35歳の商業作家に比べて劣っていれば「話にならない」のだ。
35歳のワナビがそこから一発逆転を狙うなら商業作家以上のクオリティの作品を持ち込まなければ
「見込みが無い」を20枚ぐらいのオブラートで包んだコメントをされることになるだけだ。
遠慮なく指摘するタイプの漫画編集者なら35歳を越えて持ち込みしてくる人で
過去に連載経験が無く、35歳の商業作家を越えるクオリティの作品を出せない人には
「もう人生諦めた方が良い」と実際に言っている人も居る。
合丼来来の場合は、30代前半で「おむつ倶楽部」という雑誌で小説を出したと書かれている。
但し、その小説は本来商業レベルに載せられる作品ではなく
毎回編集長が
と、編集長に半分以上修正されていたとも書かれている。
この、編集長に修正されていたという点を鑑みるに、彼の本来のレベルは商業レベルでは無かったが、お情けで掲載されていたことが見て取れる。
ここで、「ベビールックポータル」のメンバーから言われていた通り「自分で書いたものを後から読み返す癖」を付けて、
編集長が自分の作品をどう直しているかを見て、その直し方を自分で取り込んで行けば、その後も商業での掲載を
続けさせてもらえて何者かになれていた可能性は有る。
しかし、彼はそれをしなかった。
そこが、彼にとっての「ポイントオブノーリターン」…「引き返せなくなった地点」だ。
そこで彼の道は閉ざされ、彼は救いようのない存在になったと言える。
漫画編集者視点で「合丼来来が今後何者かになれる可能性が有るか?」について結論を言えば、
「彼が今後何者かになれることは無い」という結論になる。
25歳ぐらいまでのワナビの持ち込みは、同年代のワナビを比較対象として見てもらえるが、
26歳を過ぎたワナビの持ち込みは、比較対象になるのが同年代の商業作家に徐々に切り替わっていき
35歳を過ぎたワナビの持ち込みは、同じ歳の商業作家の作品と比較されます。
35歳を過ぎても「漫画家になりたい」「ライトノベル作家になりたい」「アニメ原作者になりたい」と思うなら、
最低でも自分と同じ歳の商業作家の作品を越えるクオリティのものを作れないと話になりません。
これは、漫画だけの話ではなく、ライトノベルでも同じです。
サイレントヒルf全エンドクリア。終えられたことへの達成感。評価としては★3ってかんじかな…。
修との駆け落ちエンドがいちばん好き。でも世間では寿幸フィーバーらしくて驚いた。
なんでも用意してくれるおぼっちゃまからの求婚はファンタジー?時代?すぎて刺さらなかったな。
本当に最近は女性の人生についてフォーカスしている作品が多くてそれは嬉しいんだけど、今回のはなんか…踏み込んだ割には結末が古風でハシゴ外された感。真エンドのお母さんとお父さんのシーンとか反吐がゲロゲロでた。現実でも口の中酸っぱくなるほどに出た。謝ったからって許せるものじゃない。雑巾の汁お茶に入れたことあるって、それがなんだっていうの?ストレスのはけ口として虐げられて、話し合いもできないからせめて雑巾の汁啜らせてそれでなんの問題が解決できるの?土下座アピより話し合えよ、対等に話し合って2人揃って雛子に謝れよ、そんときは土下座なんかせず目を見て真剣にやれよ、と、ここまでドス黒い気持ちになる。私のトラウマにブッ刺さりすぎている。
私は親のことが嫌いだが、感謝をするなら今の時代に産んでくれてありがとう…なんていうかよ!産めなんて頼んでねーよ!バーカバーカちんちん⭐︎30歳超えてもすぐこんな思考になるけどそれでいいし発信できる令和でよかった〜。
月曜日の8:00。正確には7:59:58に着席し、2秒の呼吸調整を経て書き始めている。
これは偶然ではなく、僕の週間認知パフォーマンスが局所的に最大化される開始時刻だ。異論は統計的に誤差扱いでよい。
先週までの進捗を要約すると、超弦理論の「理論であること自体がもはや仮説にすぎない層」に踏み込んだ。
具体的には、10次元時空上の超対称σ模型を出発点としながら、その背後にある圏論的構造、特に∞-圏としてのブレーン配置空間と、自己双対性を持つ拡張TQFTの対応を、通常の幾何学的直観を完全に放棄した形で再定式化している。
弦の摂動展開を次数で整理する発想はもはや役に立たず、代わりにホモトピー型理論と導来代数幾何の言語で「物理量が定義可能であること自体の条件」を記述する段階に来ている。
ウィッテンですら「美しいが、何を計算しているのかはわからない」と言いそうな地点だが、問題ない。計算できないものの存在条件を精密化するのが理論物理の一つの正道だからだ。
先週の成果として特筆すべきは、モジュライ空間の境界に現れる特異点が、実は欠陥ではなく高次対称性の痕跡として再解釈できる可能性を示した点だ。
これは弦が「振動する対象」であるという比喩を完全に捨て、圏の射が自己反映的に折り畳まれる現象として理解する立場に近い。
ルームメイトに説明を試みたところ、「つまり、何もわかってないってこと?」と言われたので、黒板に3段階の随伴関手を書いて黙らせた。彼は5秒で視線を逸らした。予想通りだ。
MTGでは、確率論的に最も安定するマナカーブを再検証し、友人Aのデッキが「強いが美しくない」ことを数式で証明した。
彼は納得していなかったが、それは彼が証明と説得の違いを理解していないからだ。
FF14では、レイドのギミックを位相空間として捉え、失敗パターンがどのホモロジー類に対応するかを頭の中で整理している。
隣人に「ゲームは娯楽でしょ?」と言われたが、僕は「最適化問題は常に真剣だ」とだけ返した。
アメコミについては、世界改変イベントの多さが物語的一貫性を破壊している点を、時間対称性の破れとしてノートにまとめた。
友人Bは途中からカレーの話を始めたので、会話は終了と判断した。
習慣についても書いておく。月曜日の朝は必ず同じ順序で行動する。起床、歯磨き42ストローク、コーヒーは温度62度、椅子の角度は床に対して正確に90度。これらは迷信ではなく、意思決定に使う脳内リソースを節約するための最適化だ。
隣人が「細かすぎ」と言ったが、細かさは知性の副作用であって欠陥ではない。
まず、先ほどの理論をもう一段抽象化し、物理と数学の区別が消える点を明示する。
次に、昼までにFF14の固定メンバーに最短攻略手順を共有する。
午後はMTGの新デッキ案を検証し、友人Aに再び敗北の必然性を理解させる予定だ。
夜はアメコミを読みながら、なぜ多元宇宙が安易な逃げ道になるのかを論理的に解体する。
8:21。予定より1分早い。非常に良い月曜日だ。