はてなキーワード: 対峙とは
「陛下、こちらがご希望の『馬鹿には見えない服』でございます」
王はおしゃれが大変好きで、流行りものには人一倍に敏感であった。その熱意といえば、新しく城下町にやってきた胡散臭い仕立て屋が「馬鹿には見えない服」を作るなどという馬鹿げた噂に飛びついて、巨額の報酬を約束して彼らを召し抱えるほどだった。王は完成がたいそう待ち遠しかったのか、従者や大臣を頻繁に視察にやった。当然全く見えない服は彼らをひどく困惑させたが、陛下がご期待なさる服なのだからと自身に言い聞かせ、彼らは仕立て屋の説明をそのまま自らが見たものとして王に報告した。
その日は仕立て屋が命じられた服を完成させたと報告した日の翌日だった。王は視察をさせた人々を集め、完成した服を仕立て屋自身の手で、最も大きな広間で披露させた。自らの着るものをよく自慢していた王といえど、服の一着をかくも大げさに披露させることは全く無かった。それゆえその場の人々は皆、その服はかの王でさえ感激するほどの代物なのかと考え、互いに記憶していた服の特徴を口にして褒め称えてみせた。王は嬉しそうな様子で、いくつかの者に感想を述べさせた。その内でひときわ若さの目立つ頭の良い大臣は、
「これ程見事な服飾は見たことがありません。陛下のような偉大な男にこそ相応しい立派な服だ。これはあなたの王朝において後代まで、あなたの名を知らしめる家宝になるでしょう。」
とさえ述べた。
しばらくして王は、仕立て屋に尋ねた。「お前はこれが馬鹿には見えないと言う。例えば、形而上学の偉大なる命題から道端に根を張る草の名まであらゆることを知る博識なものがいて、されど口が鈍く動きはのろまで、人々から馬鹿だと罵られているとする。彼にはこの服が見えるか?」
仕立て屋は自身を持って答えた。「もちろん、彼は賢いので見えます。」
王は続けて尋ねた。「するとこの服は、その者がどのように見えるかではなく、その者にある真なる知性を見抜くということか」
仕立て屋はやはり自信ありげに答えた。「左様でございます。彼が人々からどのように見えても、その知性によって彼はこの服を見ることができるでしょう。同様に、たとえ人々から賢いと思われていても、その者が賢さを偽っているならば、服はその者には決して見えません。」
王はその答えに対して満足げに笑みを浮かべたあと、このように言った。「では、その服が『真なる知性を見抜く』ということを知っているお前も『真なる知性を見抜く』ということになる。そうでなければ、お前から見てもその者は馬鹿なので、お前がその服の持つ特性に気付かないはずだからだ。」
男はこれまで想定通りの問答が続いていたので、王のこの主張に対して戸惑った。しかし結局、うまい言い訳を見つけられなかったその男は「そういうことになりましょう」と答えてしまった。
王はそこで、今までとは打って変わって、少し表情を硬くしてこう言った。「ならば、その服はいらないから、お前を大臣として我が宮廷に迎えよう。この服よりはるかに多くの金貨をお前に支払うことにする。お前はそれによって人々を見極めて、私の臣下となるものを選びなさい。そうすれば、私は宮廷を強くし、城下町を豊かにし、その服よりも更に立派な新しい服を毎日着ることができるであろう。もしお前が誤った者を臣下としたなら、お前は私に嘘を吐いたのだから、私はお前の手足を切り落として市中を引きずり回し、火あぶりにする。けれどもお前は真なる知性を持つ者を見極めるのだから、そのような事は起こらないだろう。」
男は内心焦りながら、流石と言うべきなのか、次のように返した。「陛下、この身に余る大変な名誉ですが、私よりこの服を買うほうがよろしいでしょう。服を使えば同じように知性を見定めることができます。私は日銭を必要としますが、服には必要ありませんから。」
しかしその答えは王の予想した通りのようだった。「されど、服は話さない。先程のような一見して賢さが分からない者は、どのような知性が宿っているのか、誰かがそれを私に伝えなければ無意味だろう。」
ペテン師は、そこで黙り込んでしまった。よく見ると、先程まで服を褒め称えていた人々も、皆顔をしかめていた。しばらくの沈黙のあと、王はこのように言った。「お前が自らの過ちを認め、街を離れるのであれば、お前の不敬な嘘を許すことにしよう。たとえ詐欺師であっても、このような下らないことのために、私は人を死なせたくはない。」
その一言があって、この愚か者は自らが対峙する男の賢さを悟ったのか、「陛下、我が罪をお赦しください」と涙して応じた。
王はその後、あの若い大臣に再び尋ねた。「お前はあの服を見てどのように感じたか」
大臣はうつむきながら、「陛下、お戯れを」とかすかな声で言った。賢き王はこの者をしばらく見つめた後、今までになく真剣な面持ちで人々に言い放った。
「なるほど諸君らは仕立て屋の嘘を見抜いていたに違いない。それでも諸君がこの嘘を私の前で真実であるようにふるまったのは、私がこの服に随分と執着しているようで、その気持ちを台無しにしたくないと考えたからだろう。私はそのように気を利かせてくれた諸君らを誇りに思う。けれども、私が真に諸君らに求めていることは、そのような偽りの気休めではない、本当の忠誠なのだ。忠誠というのは主君の気を良くするためのおべっかではなくて、例えそれが主君の意に反していたとしても、誤っていることは誤っていると諌める気高き心なのだ。」
そう言い終えると、賢者は立ち上がり、人々の前を堂々と歩き去った。彼が着ていた、GWに仕入れた真新しい金ビキニは、広間に差した正午の陽に照らされ眩しく輝いていた。
○ご飯
朝:アーモンド。エナドリ。昼:焼きそば。目玉焼き。夜:たまごやき。沢庵納豆冷奴。キュウリ。トマト。ギョニソ。バナナ。ヨーグルト。間食:柿の種。あずきバー。
○調子
ゲーム三昧。
ここから後半戦なのでもう一息。
・5段階評価:3
・あらすじ
魔法を学ぶ「学園」の新入生アリシアと、その担任教師ベルディリア。
「学園」では教師に座学を教わる教師派と生徒同士の実践で魔法学ぶ生徒派の権力闘争が盛んだった。
ベルディリアは生徒派のリーダーライルと、生徒会長の幼馴染アマリリスを新たに担任するため「学園」を駆け回る。
・印象に残ったセリフ
ベルディリア「手が空いたら…… また会いにくるから。その時でいいか?」
妹に食事に誘われての言葉。そっけないように見えて選択肢の選び方次第では速攻で会いに行けるので、妹にはだだ甘いのが可愛い。
・印象に残ったキャラ
ベルディリア。生徒大好き甘々ティーチャーにして、妹大好き甘々シスター。同じ教師のヴァイスや学園長には辛辣な態度を取るのが面白い。
・感想
舞台も一変し今度は魔法学園もの。新入生のアリシアがいきなり退学させられるビックリな導入から、魔法の種を見抜くためのサスペンス展開に、妹可愛がるイチャイチャムードにと、多種多様なお話だった。
主人公のベルディリアは大人には辛辣な態度だが、子供たちはデレデレ甘々な優しい人なギャップが可愛いキャラだ。
今のところ、恒例の管理者に関する怪しい噂や過去キャラの暗躍などもない独立したエピソードになっているが、ライルの人形が青っぽいのが気になるところさん。
生徒会長とアマリリスが共依存してそうで、あっさりとアマリリスが独り立ちしたのも、流石に生徒会長がこれだけで終わらないよな? と不安がある。
・5段階評価:2
・あらすじ
彼はその復讐のため「学園」にはいるが、そこで築いた関係値はそれだけではなかった。
・印象に残ったセリフ
「お前なら、きっと勝てるさ。頑張れよ!」
学園長の息子であることを黙って、目的の打倒学園長も隠していたライルを率直に真っ直ぐ応援するモブの生徒。いい子だ。
・印象に残ったキャラ
ライルの母。明らかに何かの伏線が張られたが、先行きが不透明なので不穏な気配。
・感想
学園長が実は良い人でした、というサゲはありえなさそうだが、まだライル目線でしか語られていないため判断は保留したい。
ペルソナを被った本音じゃない付き合いだったけど、ライルと生徒派の面々の関係値は優しく暖かい雰囲気で好きだ。
・5段階評価:2
・あらすじ
リリウムの創造の魔法の根幹はアマリリスのついた小さな嘘だった。
・印象に残ったセリフ
アマリリス「あの絵本を、本当は好きじゃなかったって。……そこからやり直したいって。」
リリウムとアマリリスを繋ぐ絵本への本当の気持ちを吐露する言葉。それが二人の関係値自体の否定じゃないのがもどかしい。
・印象に残ったキャラ
リリウム。アマリリスのためなら第三者の命を無下にしてしまう程だったのは驚き。反省とかでどうにかなるレベルを超えているように思うので先が気になる。
・感想
二人のベッタリな関係値のオリジンが語られるが凄惨な過去話は読んでて辛かった。
とはいえ、ただの好奇心旺盛な女子生徒を龍に変えて使役するのはやりすぎなので、しっかりと懲らしめられて欲しい。
・5段階評価:2
・あらすじ
姉に守られ続けてきたカステル。
しかし、教師の仕事に夢中な姉が自分よりも優秀なライルとアマリリスに構う姿が許せなくなり……
・印象に残ったセリフ
お姉ちゃん大好きカステルが力に溺れていそうな顔でいったセリフ。読者目線では甘々お姉ちゃんのままだが、あの甘さじゃ妹には足りないのが怖い。
・印象に残ったキャラ
ベルディリア。過去編でも妹思いでなんと神を打破している模様が描かれた。この辺が管理者と繋がるのかしら、気になる。
・感想
ライルやアマリリスと比較してもなお駆け足な回想と現状のシーンで、恋する妹はせつなくてお姉ちゃんを想うとすぐ闇堕ちしちゃうのだった。
いや、茶化す気はないんだけど、爆速で闇堕ちしてビックリしちゃった。
・5段階評価:3
・あらすじ
それぞれの因縁の相手と、ベルディリアから教わったことを生かして決着を付ける面々。
そのベルディリアは、ネルヴァの力を振るうカステルと対峙し大苦戦。
しかし、教え子二人の協力と、神を宿す力でそれを奪い、無事に管理者の介入を許さずに事件を解決するのだった。
しかし人間の感情を理解したネルヴァは遂に策を実行に移すのだった。
・印象に残ったセリフ
ライル「そっちは任せる。こっちは任せろ。」
ライルは学園長、ベルディリアはカステルのもとにそれぞれ向かう際の頼れる言葉。
端的な言葉で力強くて好き。
・印象に残ったキャラ
ベルディリア。一貫して最初から最後まで、いい先生で、いいお姉ちゃんだった。管理者にしてやられることもなく、防衛してみせたのもお見事、良いキャラだ。
・感想
前章で揶揄ったカステルの闇堕ちの早さだが、なんとそもそも物語の開始時点ですでにカステルはネルヴァと接続していた衝撃の展開。
生徒二人の結末のテンポが小気味よく、かつベルディリアの言葉がキーとなるまとまり具合で面白かった。
教師としてのベルディリアがある種完成しきっているからこその、優しいだけじゃない叱れる姉の様相が足りなかったと生徒たちかた教わるのも綺麗な構成だった。
なんとなく立ち寄った近所のハードオフ。ジャンクコーナーの隅っこで、そいつと目が合った。
店内には中古レコードも置いてある。
昔から「レコードは音が良い」なんて意見を聞いたことがあるけど、どうせノスタルジー補正だろ?と思っていた。
サブスクで十分。そう思いながらもなんとなく無視できず、気づけば会計を済ませていた。
今の時代、スマホをタップすれば0.5秒で音が鳴る。なのに俺は慎重に、まるで壊れ物を扱うように針を下ろしていた。
「プツッ……」とスピーカーから漏れた、小さなノイズ。その直後、音が溢れ出した。
…は?なんだこれ。全然違う。「音が綺麗」とか、そういう次元の話じゃない。
そこに、人がいるんだ。
レコードから流れてくるのは、生きて、呼吸して、体温を持った肉声だった。
解像度が違うんじゃない。
温度が違う。
「音楽を消費している」のではなく、「音楽と対峙している」感覚。
聴き終わったレコードを光に透かして裏返してみた。何本のも筋が見えた。
レコードは消耗品だ。針を通すたびに溝は削れ、音は形を変え、いつかは失われていく。
現代のデジタル信仰からすれば、それは劣化であり欠陥なのかもしれない。
ステージに立つ歌手だって一曲歌うごとに喉を擦り減らし、命を削って声を届けている。
彼らの全盛期の輝きは、その瞬間にしか存在しない「消耗」の結晶だ。
一枚の円盤が削れていくスピードと、俺の人生が過ぎ去っていくスピード。
それが重なったとき、音楽はただのBGMから、二度と取り戻せない体験に変わる。
たった3,300円のジャンク品が、俺の価値観を塗り替えてしまった。
ハードオフの隅っこで埃を被っていたあの一枚は、かつて誰かの宝物だったのかもしれない。
そして今日から、それは俺の人生に「色」をくれる宝物になった。
もし最近何かに感動してないな、って思うなら今すぐ近くのハードオフへ行け。
昨日、なんとなく立ち寄った近所のハードオフ。ジャンクコーナーの隅っこで、そいつと目が合った。
店内には中古レコードも置いてある。
昔から「レコードは音が良い」なんて意見を聞いたことがあるけど、どうせノスタルジー補正だろ?と思っていた。
サブスクで十分。そう思いながらもなんとなく無視できず、気づけば会計を済ませていた。
今の時代、スマホをタップすれば0.5秒で音が鳴る。なのに俺は慎重に、まるで壊れ物を扱うように針を下ろしていた。
「プツッ……」とスピーカーから漏れた、小さなノイズ。その直後、音が溢れ出した。
…は?なんだこれ。全然違う。「音が綺麗」とか、そういう次元の話じゃない。
そこに、人がいるんだ。
レコードから流れてくるのは、生きて、呼吸して、体温を持った肉声だった。
解像度が違うんじゃない。
温度が違う。
「音楽を消費している」のではなく、「音楽と対峙している」感覚。
聴き終わったレコードを光に透かして裏返してみた。何本のも筋が見えた。
レコードは消耗品だ。針を通すたびに溝は削れ、音は形を変え、いつかは失われていく。
現代のデジタル信仰からすれば、それは劣化であり欠陥なのかもしれない。
ステージに立つ歌手だって一曲歌うごとに喉を擦り減らし、命を削って声を届けている。
彼らの全盛期の輝きは、その瞬間にしか存在しない「消耗」の結晶だ。
一枚の円盤が削れていくスピードと、俺の人生が過ぎ去っていくスピード。
それが重なったとき、音楽はただのBGMから、二度と取り戻せない体験に変わる。
たった3,300円のジャンク品が、俺の価値観を塗り替えてしまった。
ハードオフの隅っこで埃を被っていたあの一枚は、かつて誰かの宝物だったのかもしれない。
そして今日から、それは俺の人生に「色」をくれる宝物になった。
前作は見てない。
クッパ相手とは言え他人の描いた絵に、特に流れもひねりもなく「ゴミだね」って言うとかひどくない?
それをやらせるために挑発されたとはいえ、手のひらサイズの相手を地面にたたきつけて踏みつけるとかひどくない?
それ以外はまああまり気にならなかったけど、まあ向こうのカートゥーンだなあという軽さがちょっとイメージ違い。
クッパのいう事を軽々しく信じるし、まだ問題楽観できるタイミングでもないのにデートがどうとかマリオを茶化すのがすごく不快。
緊張感の中で癒しになるような軽口ではなくただ空気読めないだけ。
ストーリー上の活躍は一応あるけど別にヨッシーだけでも良かった。
別にいなくても良かった。物語上の役割はルイージとどちらかだけでこなせた。
途中で高所のアイテムを取るのに苦労するシーンがあるが、登るまではベロでアクロバット決めまくりのくせにいざ取るときは短い手を伸ばして時間をかける(その間にトラブルが起きる)。ベロを伸ばせば一瞬だったろう。別にできなかった理由はない。
なぜ自分一人(+キノピオ)で飛び出す?家臣の同意は得られなくてもマリオ達に助けを求めることはできたでしょ。
感情を完璧にコントロールしろとは言わないけど、中盤のイライラしている時のムーブがダサすぎる(これは演出のせいがデカいけど)。
小さい時の威厳のなさはやばい。
敗北後の情けない状態なのはわかるが情けなさすぎ。まあ仕方ないか…。
けど中盤の改心ムーブとJrに対してよいパパであろうとする心意気は情けなさと良い塩梅であったと思う。
王の帰還からはそこまでの情けなさを帳消しにするさすがの大魔王っぷり。
悪ではあるが悪なりに筋が通ってる。パパ大好き。
ラストバトルのパパに続いての名乗りがアツい。
かっこいい。
けど持て余してる感じを受ける。後半で天文台の操縦するけど、ただ「フォックスというパイロットがいたから」任されて見える。
天文台を戦闘機の様に操って度肝を抜かす、わけではない。普通にキノピオからローリングやってと言われてやる。できて当たり前みたいな扱いで驚けず盛り上がりを欠く。
部下が全滅しても余裕たっぷりの大物ムーブが良い。最後の尋問のヘタレ具合はご愛敬。
ゲーム再現を差し込む関係でところどころ無理無駄がある。仕方ないけど。
無線で助けを呼んだら来ました、とか何のひねりも驚きもないよね。
無線や天文台の操縦の件がわかりやすいが、情報の公開の順番が違うだけで驚きと感動に繋がったであろう展開を先に説明してしまうせいで「うおーすげー!」という感動より「なるほどそうなるのか」という心の落ち着きができてしまう。
クッパJrが頑張ってヴィランやってるのにマリオ一行がふざけすぎでは?
ゲーム要素の再現は個人的には大分ノイズだったけど作品の性質上仕方ない。
昔から馴染んだゲームだけに違和感でかかったけどキャラクターの解釈違いはまあ仕方ないとは思う。
ルイージとヨッシーは(アクションや賑やかし以外で)物語上の大した働きをしていないし役割はまとめられたのではないか。
子供なら無条件に楽しめるか、と言われたらわりと子供って"物語の都合"みたいなところに敏感だったりするので軽々しくハイとは言えないかな。
僕が大好きなパンティーも石油がないと出来なくなるのかもしれないと思うとドキドキする。
それにしてもイランさんという国にとっては、今やってるホルムズ海峡封鎖は自分たちに国の力を最高にアピール出来る機会になってるんじゃないだろうか?
今まで、力関係としては、アメリカさんの力が100としたらイランさんはその数字に遠く及ばないすごく低い数字
(イランさんに失礼すぎるから数字は書かないけれどみんなだいたい、そういうイメージを持ってたんじゃないかな?)
という感じ、とてもじゃないがイランさんがアメリカさんとまともに対峙できるわけはない、と思っていた。
でも、イランさんは力で負けるならば、頭で勝とうとしているのだな、というのがよくわかった。
とにかくへこたれない仕組みを作り上げている。
国の最高権力者が亡くなって、国の中のいろんな組織や人が互いに権力争いのような状況になっているのに、現場の人たちは粛々と自分たちがやるべきことをやって、そしてそれを成功させている。
普通、アメリカさんとかに空から急所を攻撃されると国が麻痺してしまう。
空からの攻撃だけで、負けはしないけれど、いっときは麻痺が起こってしまうはずなのに、イランさんは麻痺が起こらずにしっかりと前を向いて体が動く状態だ。
ベネズエラさんとかは、今回の攻撃の規模よりずっと小さいピンポイント攻撃でも完全に動きを止めてしまってアメリカさんは思い通りのことをした。
これは単純にイランさんとベネズエラさんの国家の規模の差とだけ片付けられることではないのではないかな?
イランさんはずっと、もしもに備える組織づくりを我慢強くしてきたことがよくわかる。
そういう弱者(と書くのを不快思う人もいるかもしれないゴメンナサイ)が強者に踏み潰されないための策を、頭を使ってずっと忍耐強く準備してきたという、その行為そのものは称賛に値すると思う。
ただ、僕はすごく勝手なことを言うけれど、出来ればもっと平和なことを目的にしてそういう準備が出来ている方が1億倍もいいのにな、思う。
それでも、ひょっとしたら、と思うのは、これからイランさんは何かあればホルムズ海峡を封鎖するよ、っていう脅しが効くんじゃないかな?ってことだ。
最初の方の話に戻るけれど、今回の件はイランさんの底力を各方面に思い知らしめることになったように思う。
今回のことが過ぎれば、もうアメリカさんはしばらく手を出さないかもしれない。
そうなったら怖いのは中東と呼ばれる地域の国の人同士で、イランさんをなんとかしなければならないな、という合意とか決意が生まれて新しい紛争が始まらないか?
ということだ。
戦後日本の歴史を「左翼勢力と法治国家の戦い」という軸で概観すると、左翼(主に日本社会党・社民党、日本共産党を中心とした勢力)がイデオロギー優先の「反体制闘争」を展開し、これに対し政府・体制が法治主義・国家主権・現実的秩序維持を掲げて対峙してきた構図が浮かび上がります。
日本社会党(現・社民党)は、1970年代以降、北朝鮮との関係を深め、帰国事業(在日朝鮮人の北朝鮮送還)で共産党とともに役割を果たしました。北朝鮮による日本人拉致問題が表面化した1990年代~2002年の小泉訪朝時まで、社会党系は「拉致は存在しない」「北朝鮮の主張を真摯に受け止める」姿勢を崩しませんでした。
拉致被害者家族の訴えを「右翼のプロパガンダ」と退け、国家主権侵害という法治の根本問題を棚上げ。2002年以降も土井たか子氏ら党指導部が北朝鮮寄りの発言を続け、党内離党者まで出る事態に。
これは左翼が「弱者(在日・平和勢力)」を守る名目で、実際の被害者(拉致家族)に置き去りにした典型例です。
日本共産党は資本主義の「搾取」を糾弾しながら、自らの機関紙『しんぶん赤旗』の運営で同様の問題を抱えています。近年表面化したのは、党地方議員による自治体職員への赤旗押し売り・強要です。新宿区では管理職50人超が「心理的圧力」を感じて購読(一部10年近く)、区長がハラスメント調査を実施。庁舎内集金や「断れば恨みを買う」空気があり、他自治体(金沢市など)でも同様の指摘が相次ぎました。
さらに党内部では、赤旗配達専従者の無報酬・過酷労働が「ブラック企業」と内部告発されています。
• 党は「搾取のない社会」を標榜するが、自らの労働者を「永遠の党員被害者」として動員。
• 法治国家(公務員の中立性・ハラスメント防止)の枠組みを、議員特権で揺るがす構造。
沖縄では戦後、米軍統治下の「独自性尊重」教育から始まり、復帰後も反基地・反日・「平和教育」が左翼勢力により定着しました。これが「教育産業」として機能
• 最近例:辺野古沖事故(修学旅行船転覆)で「偏向教育ではないか」との指摘(自民党部会)。
• 教科書検定でも「日本軍が住民をスパイ扱いして殺害」との記述が合格。
• 沖縄の若者が「永遠の被害者(基地被害者)」として位置づけられ、法治国家(安保・防衛)への対立を再生産。経済的自立より「反基地依存」が固定化。
2019年前後、入管施設で長期収容抗議のハンガーストライキ(ハンスト)が急増(約200人規模)。一部は仮放免(一時釈放)を得る手段として使われ、釈放後すぐに記者会見・デモで「ヒーロー」としてスピーチ(例:イラン人・クルド人男性が東日本センター仮放免後、品川で制度批判)。
• 模倣効果でハンスト連鎖 → 健康被害(栄養失調・死者発生、ナイジェリア人餓死例など)。
• 入管当局は「仮放免を餌にハンストを誘発する」と苦慮。前科者も約4割。
• 左翼勢力は「人権」を掲げ法治(退去強制・収容の適正運用)を攻撃するが、結果として収容者全体の健康を害し、弱者を「永遠の被害者」にした。
これらの事例に共通するのは、左翼勢力が弱者(在日労働者、沖縄県民、不法滞在者)を「体制との戦いの道具」として利用し、解決より対立の永続化を選ぶ点です。これは極めて残酷な手法です。
・被害者は本当の救済(労働条件改善、基地負担軽減、移民問題の法的手続き)を得られず、「永遠の被害者」として政治的に消費される。
・法治国家の枠組み(主権・法の支配・現実的秩序)を破壊することで、左翼の存在意義を維持。
・結果:社会全体の分断深化、資源の浪費、真の弱者救済の遅れ。
戦後史を通じて、左翼は「平和・人権」を錦の御旗に暴力的デモ(成田管制塔占拠など)や事実無視を繰り返しました。左翼の「弱者利用」戦略は今も形を変えて続き、移民政策・教育・歴史認識で影響力を残しています。
弱者を真に守る道は、被害者化ではなく、法治の下での解決です。こうした歴史を直視しない限り、日本社会の「共生」は絵に描いた餅に終わります。
ISM Code(国際安全管理コード)とISPS Code(国際船舶・港湾保安コード)
なんかやらかしたらISM Codeに沿ってあれこれ今後の改善案を考えるものなんだけど、
自分で書いてみると頭来てけっこう感情的な文になっちゃったんで、
Copilotくんに冷静にあくまでISM Code/ISPS Code基準でサマリーと改善案をだしてもらったら割とおもしろかったので共有してみる
なお、背景として自分がカッとなった主因でもある今朝の産経の記事を読み込ませた
一応大前提として、ISM CodeとISPS Codeは500トン以上の船に適用されるので、今回の抗議船は対象外
ただ、安全や保安にかかる理念や手法なんかは船の大きさにかかわらない話なので参考にはなると思う
政治的立場や主張の正否を一切評価せず、国際的に確立した海事安全・保安の枠組みから検討することを目的としている。
その中心に据えたのが、ISM Code(国際安全管理コード)と ISPS Code(国際船舶・港湾保安コード)である。
これらのコードの特徴は極めて明確だ。
「動機・善意・思想は一切考慮せず、構造と結果のみを評価する。」
ISM Code は、世界中の海難事故の分析を通じて確立された原則に基づく。
操船技量の問題よりも、天候判断の問題よりも、「無理な目標設定、撤退を許さない組織文化、安全を止められない構造」が主因である。
亡くなった船長について、報道では「抗議活動の中核的人物であり象徴的存在だった」とされている。
ISPS Code は、事故ではなく「人為的な脅威・対峙・緊張」を扱う。
ISPS の核心は次の一文に集約できる。
「善意を信じるな。行動と状況だけを見よ。」
抗議船が意図的に
• 社会的注目を集める
こと自体が、ISPS Code では「保安リスクの定義」そのものに該当する。
船舶の「注目度と緊張度はさらに上昇し」、Security Level は引き上げられる。
本件を質的に変えた最大の要素が、「抗議活動に無関係な修学旅行生の同乗」である。
産経新聞は、この同乗が
• 今回に限った例外ではなく
と報じた。
この一点で、本件は「活動家自身がリスクを選んだ事故」ではなく、
「リスクを判断・拒否できない第三者を structure として危険に組み込んだ事案」と転換される。
これは ISM Code 上、「単発事故ではなく反復的不適合(major non‑conformity)」 に該当する。
謝罪や哀悼と、「是正措置(Corrective Action)は別物である。」
後者が欠如している限り、再発防止は達成されたとは評価されないだろう。
本件は、国際基準に照らすと次の条件が同時に成立している。
この時点で、「主張の正当性・善意・教育目的は評価軸から完全に外れる。」
「守るべき人を、守れない船に乗せてはならない。」
以下は、「思想や立場に一切忖度せず」、 国際的に「最低限これがなければ失格」と評価される改善条件である。
最優先かつ絶対条件。抗議・対峙・近接を含む海上行動に未成年を同乗させない。
• 船長が直接連絡できる Designated Person Ashore を設置
• 接近距離の上限
• 即時離脱条件
成立しうるのは次の 3 つのみ。
これ未満は国際標準では不可。
これを受け入れられない活動は、
これを書くことが何のためになるのか、何の意味があるのか全く分からないけど、書いていた方がいいと思ったんだ。
いや、自分だけかもしれないけどさ、送り火と迎え火を全然やってないんだよ。
今更気づいたんだけど、ここ10年やってないんだよ。
実家に菩提も無いのが理由だけどさ、あまりにもやってなくないか…?って。
自分もこれをナツアチチから思い出したこととは到底思えないけどそのまま話すぞ。
でも、そもそも「送り火や迎え火って何だ?」って思った人もいるよな。
俺も母方の家が田舎にあって親戚多めじゃなければ絶対知らなかった。
盆に京都で大文字ってあるだろ。あれが送り火だ。盆に地獄の蓋が開いて、そこからご先祖様が現世にバケーションにやってくるのだけど、ご先祖様の宿泊先は家なんだよな。
それで場所が分からないとおそらくご先祖様が困るから、家の前で火を焚いて「ここだよ~」って教えてあげる必要があるんだよな。
でも「オートロック付きマンションに菩提や仏壇があって、ご先祖様を迎える必要があってもマンション下で迎え火やったら何号室かわからないんじゃないですか?」とか
「そもそもどれも同じ煙で差別化できなくない?そもそも地獄なのに空から見る前提になってない?」とか不安になるよな。
わかる。でも大丈夫らしい。それで盆の初めは迎え入れる迎え火、盆の終わりはさよならを告げる送り火を焚くんだってさ。
でも自分の家に仏壇や菩提がなければ、ご先祖様の宿泊先にはならないから盆に火を焚く必要はないんだよな。
それに、家の宗教が仏教でなければ身近な文化行事じゃないかもしれない。
だから行事的に経験がない人がいて当たり前というか、まあそうだよという部類ではあるんだよ。
あと、世の中的に葬式をあげられることも普通じゃなくなっていることも。CMでも小さなお葬式って流れてくる。
あれもちゃんとパッケージングされてて聞こえがいい。ただ、世の中的には人の死にお金をかけられる余裕がわりと本当に無くなってきているんだろうな。
それなのに街ではキラキラのトラックや壊れたカセットテープかと思うくらい同じメロディーを流すミニトラックが走ったりしててさ。
エピクロス主義をかじった人間がめっちゃ現世利益に講じているんだわ。
焼きが間に合わなくて火葬場の予約が取れない中さ、あのトラックが横を走っていったんだよ。正直笑えたよ。
何なんだろうな、この感じ。
幼い頃に沢山世話にはなった。けれどもどうしても相容れない部分があった。
そうした人間の葬式を執り行う側になった時にすごく難しい気持ちが湧いてきてさ。
これで終わる、という気持ちとついに逝ったか、という気持ち。どっちも同じじゃねーかバカヤロウって思ったけど、絶妙に違うんだよ。
…書けねぇこと書くんじゃねぇよバカヤロウってビートたけしに言われそうだ。
何だか今、どこか死んでいく人間と葬式やそうした文化の間に馴染みを感じられないんだ。
とにかく今、葬式が何だか疎ましいもののように感じているんだ。これはほんとうに必要なものなのかと。
顔を合わせるのが十年ぶりの親戚もいるわけだ。
さらに突っ込んで言えば、親戚筋と最後に出会ったときに、自分は半ば引きこもりだったから、その当時の記憶を持ち合わせている人間に対峙する必要があって、それに骨が折れたというのもある。
社会復帰しました、という体というかこの身で培ってきた能力すべてを差し出す必要があって、それに苦慮するのだ。ほんとうに気苦労した。
だけど絶妙に当事者であるが、ほんとうの当事者ではない立場からの葬式であって、全部飲み込むのが筋だろう。
ほんとうに、ほんとうに身近で世話になった人との別れにはこんな言葉は出てこない。
こんなやわな舐め切った言葉は出てこないのは分かってる。それだけは有り難いと思っている。これはきっと準備をさせていただいているんだろうなと思っているんだよ。
今回は親が喪主を務めて費用負担もした。それだけの経済的負担の能力があるから喪主が務まるんだよなと改めて実感した。
今回の葬られた者は遺産を何一つ残さなかった。死ぬと金がかかって仕方がないものなんだと痛感した。けれども今できることは喪主となってまた数段年を食ってしまったんじゃないかと思う親の肩もみくらいだった。
正直、ここに書くのも情けない話なんだ。俺も経済的な負担をできる人間であればもっと胸を張っていられたと思う。何というか、すごく恥ずかしかった。それは親戚筋にも、親にも、自分自身にもだった。
最後にあの人について、一つ言わなくてはならないことがある。
それはこの人生という途方もない時間を、自ら降りることなく過ごしたことは何であれ賞賛に値する、ということだ。
望むと望まざるに関わらず人間として有機体を持って生まれ落ちてきたんだ。その時点で滅茶苦茶に暴力的じゃないか。
途方もない時間を過ごしてさ、通説ではいい時と悪い時があるらしいけど、それでもむしろ悪いことの方が圧倒的じゃないかと思わされる現実だよ。
それを身一つで往生したこと、そのことだけはまだ命が残っている者としてちゃんと香を上げるべきだと思うんだ。
自分がもうそちら側に片足を突っ込みはじめているというのに、今更先祖を敬うとかそういうことを再考する必要が出てきてしまった。
嫌なことだね。何もかも昔のまんまだったら、こんなに苦しむこともないのにさ。でも昔のまんまだったらもっと悲惨だったろうな。
【内訳】
ああ、楽しかった。
とはいえ、このゲームをどのように発見したのかは忘れてしまったのだ。
それは今から数年前のことだ(Steamの購入履歴を確認したら2023年だった)。
Steamのウィッシュリストに入っていて(なぜウィッシュリストに入っていたのかは残念ながら思い出せない)、低価格で(今、定価を確認したら2000円だった)、ドット絵でレトロ調なゲームが好きだから、Steamのセール時期に合わせて様々なゲームと一緒にこのフェノトピアを買ったのだ。
買ったままに放置していたけど、今年になって何かアクションゲームをやろうと思い、Steamの積みゲーの中からフェノトピアを見つけてプレイを開始したという次第だ。
購入したのが随分と前のことだったのでどんなゲームだったのかを思い出すためにプレイ前にゲームのPVを見たが、ドット絵で描かれたキャラクターや背景が綺麗で可愛らしかったので、雰囲気重視で難易度低めのゆるいゲームだと思っていたのだ。
このゲーム、難しい。
とはいえ単に難しいだけではなく、様々な面でゲームとしての完成度が非常に高いのがよかった。
以下にその点を列挙する。
このゲームの完成度の高さとレトロ感を例えるのなら、1990年代半ばに発売された定価一万円超えのスーパーファミコンの名作ソフトといった感じだ。
こんな大ボリュームのゲームが、今の時代に2000円とは安すぎるだろう。
というより、2000円という安さで良い意味で裏切られたのだ。
さて、私のゲームプレイを振り返りながら、このゲームで困難に挑んだことを述べていこう。
道中では、ザコ敵の処理を面倒くさがって強引に突破しようとすると、かなりのダメージを食らってゲームオーバーになるのはしょっちゅうだった。
何度もコンティニューしてボスの行動パターンを把握して、回復アイテムを大量消費することでボスに辛勝してきた。
謎解き要素もなかなか歯ごたえがあったが、ストーリー進行に必要な謎解きで詰むことはなかった。
とはいえ、アイテム収集系の謎解きは、それなりの量を見逃したりあきらめたりしたけれども。
数々のおつかいイベントは楽しかったが、ストーリーが中盤以降になると序盤の村に戻ったりするのが面倒になって、ゲーム進行の方を優先したりもした。
そんなこんなでゲームは全般的に難しかったが、困難に立ち向かうのが好きな私は難易度設定を一切下げることなく、ネットで攻略情報を見ることもなくゲームをクリアしたのだ。
ゲームオーバーになる度に難易度を下げることができるとメッセージが出るけれども、それには抗い続けたのだ。
ゲームクリアして達成感を得たが、裏ボスの存在を示唆する場所だったり最強装備の入手だったりが気になって、まだプレイを続けることにしたのだ。
理由はそれだけではなく、フェノトピアの雰囲気が気に入ったから隅々まで遊び尽くしたくなったというのもある。
しかし、ハートルビーやスタミナジェムの全収集やその他の収集要素を自力で見つけるのは断念して、ついには攻略ブログを頼ることにしたのだ。
そんなこんなで、裏ボスと対峙できたが、裏ボス相手に一体何回コンティニューしたのだろうか?
100回は超えてないと思うが、50回くらいはしたと思う。
裏ボスを倒した後は、せっかくだからと「スピードランナー」と「ゼロトライアル」の実績に挑むことにした。
「スピードランナー」は自力で達成したかったが途中でどうやら無理だろうと思って、攻略ブログのチャートを頼ることにした。
とはいえ、ウロボロススキップやその他の裏技・バグ技の類は使わないことにした。
そうした製作者の想定外の技を使わなくても、4時間以内でのラストポイント到達は可能だと考えたからだ。
何度もセーブ・ロードを繰り返したので、実プレイ時間は30時間くらいになったけれども。
そのままラスボスに挑んで「ゼロトライアル」を達成したが、ラスボス戦でも50回くらいはコンティニューしただろう。
そうして、ついに全実績解除したのがつい最近のことだ。
さて、ゲームの難しさばかりを述べてきたが、楽しさも述べていくこととしよう。
例えばこのゲーム、通常攻撃やダッシュでいちいちスタミナが消費されることに苦労する。
しかし、スタミナ消費がなければひたすら攻撃を連打したりダッシュで逃げまくったりといった、雑なゲームプレイで攻略できてしまうことになる。
また、一般的はアクションゲームでは敵から攻撃を受けると2~3秒ほど無敵になって連続で攻撃を受けないのがよくあるけれども、フェノトピアにはそれが無く、連続でダメージを受けるのだ。
こんな感じでこのゲーム、随所に意図的に難しさを含ませているのだ。
ネット上レビューではこうした仕様に不満の声が多いが、私にとっては逆に良かったことになる。
アクションゲームはゴリ押し突破するのではなく、じっくりと敵の行動パターンを見極めて丁寧に対処する方が楽しいと考えるからだ。
謎解きも難しくて自力で解けなかったものがかなり多かったが、それが悪い点だとは思わない。
スーパーファミコンの大作ゲームでも、理不尽な解法を要求するものが多く、完全クリアには攻略本が必須というのも当たり前だったからだ。
謎解きに試行錯誤するのは、製作者との頭脳バトルに思えて楽しいものだ。
自力で解けなかったということは、それだけ難しくて頭脳を酷使してきたということだ。
おつかいイベントを主軸としたストーリー進行もいい(レトロゲームではよくあること)。
最強武器入手のわらしべイベントを自力で解くのは無理だったけど。
登場キャラクターの全員に最低2回は話しかけて、ダンジョンの分岐路で正規ルートを選ぶと「間違えた」と考える私だ。
もちろんおつかいイベントも楽しかったが、このゲームはセリフが豊富で世界観の構築に役立っているし、各ステージのオブジェクトや背景が美しく描かれているので、同じ場所を何度も往復しても苦にならない。
キャラクターとの会話を通じて、ストーリーの本筋とは関係ない名もなき街のモブキャラにも人生があるのだなと感じさせる。
ゲームプレイとは直接関係ないが民家などの内装も凝っており、家具の配置やインテリアなどでキャラクターが生きている様をほうふつさせられる。
あとは細々とした好きな点を思いついた順に列挙する。
| 好きなボス戦 | バーディー | バーディーのセリフが豊富で、ゲームオーバーになって何度戦っても楽しかった |
| 好きなBGM | ボス戦のBGM | 疾走感がいい。ゲームオーバーになって何度も聴くけど、それでも飽きない |
| 好きなステージ | ムーンライト渓谷 | 背景が色鮮やかでいい。飛び交うナイフクリルも優美だ |
| 好きな主人公のアニメーション | 釣り | 釣り上げるときのふらつきと、釣り上げた魚を得意げに掲げるポーズが好き |
| 好きなキャラクター | プラントさん | 彼の生き様にあこがれる |
| 好きな敵モンスター | ワラジムシ(Scaber) | ただのお邪魔キャラかと思いきや、まさかそんな設定があったとは…… |
さて、このフェノトピア、自分にとっては非常に面白かったが、他の人に勧めたいとは思わない。
昨今のガチャを中心としたスマホゲームとか、FPSのような一人称3Dアクションゲームとか、快適感や爽快感を売りにしたゲームとは楽しさが全く異なるからだ。
そうしたゲームを楽しんでいる人にフェノトピアをやらせたとて、楽しんでくれるとは限らないだろう。
このゲームにはオートセーブが無いだのファストトラベルが無いだのといった、昨今のゲームでは当たり前に搭載されている機能が無いことに批判もあるが、昨今のゲームをあまりやらない私にとっては、そんな機能いるのか? としか思えない。
まあそれも私がゲームにのめり込んでいた時期がスーパーファミコン全盛期だったからだろう。
とはいえ、ゲームはレトロであればあるほど面白いと主張したいわけではない。
1980年代くらいのRPGにありがちだった、方眼紙への手書きマッピングや「ふっかつのじゅもん」のようなパスワード手書きを、今現在にやりたいと思わないからだ。
このゲームで課せられる苦行はゲームの雰囲気通りにスーパーファミコン全盛期の苦行であり、それは私にとってはとても楽しいものだった。
アメリカ人の文書なのであれば日本人を問い詰めても仕方がないのでは?
今のアメリカ政府の人々はきっとイラン人のことを犬畜生とか書いていると思いますが
アイデンティティを持っていないから対アメリカ戦で大量の死者を出しその直後に属国としてアメリカのケツを舐めるのだと思います。
どこかの「誇りのあるペルシャ人」は毎日モスクで礼拝してるみたいです。
生活の全てをムハンマドの尻の穴に舌を突っ込むことで成り立たせている人々が
論理的な補完ということを御存知でしょうか。
もし私がその立場なら素直に「イラン在住のイラン人」と書きます。
まあ後付けの嘘ですよね。
「それは違うんだ」「事情が有るんだ」ということです。
恐ろしい相手には少しの勇敢さも見せないのに
恐ろしくない相手を誹謗する時にだけ勇者のように振る舞う玉無しのことです。
人間の値打ちは国に依存しないというのが私の考えですがあなたは違うみたいです。
イラン人にインフレの心配をされる国は地球上にごく限られていると思います。
また一つあなたの嘘が見つかりました。
無軌道な核開発のせいでイランは利益を吹っ飛ばしてしまいましたね
え?自分達が迷惑をかけたのに逆にそれらの国々を恨むということですか?
色んな言い掛かりの付け方がありますね。
私が何を言っても一切言い返してくれないようなのですが
そこは心の傷が深いということでしょうか?
言い返せなくて悔しいから触れたくもないということ?
車でテキサスへ向かう母子だったが途中で車がパンクしてしまう。そこはアメリカ女、自分でタイヤ交換に乗り出すがそのへんをうろうろしてた娘はガラガラヘビに噛まれて重体に。慌てて娘を抱えて走り回るとトレーラーハウスを発見し、そこの老婆に娘を預け、自身は車を急いで修理し病院を目指すことに。老婆から「代金は後払いで」と言われ、適当に流して車の修理に向かいタイヤ交換を終え娘を迎えに行くと老婆はおらず娘からはヘビの噛み跡が消えていた。そして病院で診察を受けるも容態は安定。そこに謎の黒人が現れ「ほな代金いただきます。日暮れまでに誰か別人の魂を捧げろ。じゃないとやっぱ娘死ぬ」と言われ証拠も見せられる。果たして主人公は娘のために他人の命を捧げることができるのか。
みたいな話。
う~ん。
ある種のミステリとして100回見た展開ではある。例えばちょっと前に見た「DROP」も、娘を人質にとられて知らんやつから娘を生かしてほしかったらデート相手を殺せって指令が来る話だったし。それを今作ではスーパーナチュラルな相手から指令が来るという形になっている。
その結果として定期的に取立人がいろんな方法でやってきて、例えば交差点で信号待ちしてるとガキが現れて窓を叩いてきて無視してると今度は頭を血まみれにしながら窓に頭突きを始めてぶち割ってくるとか、廃教会の前で黒衣の神父がフィンガーガン売ってくるやんと思ったら化学工場ばりに黒煙をモクモクあげながら炎上したりと、ホラー演出をねじ込むというエンタメ効果を補強しているのは、設定を活かせているという意味でヨシ。
一方で、こういう作品のキモであるはずの殺す殺さんの話はなんかかったるい。
取り立てが病院から始まるので偶々見かけた死にかけのジジイの家族に接触して病室に潜入。家族が目を離した隙に殺そうとするも、殺せない!ってなってトイレに逃げ込んだら家族が戻ってきてすぐにジジイは死亡。という、もう死ぬんやったら殺しとけばよかった~っていう皮肉な展開はちょっと面白かったけど、その葛藤も地味だしなんかタラタラしてる。
その後、バーでDV彼氏とその彼女に出会い、せやDV彼氏やったら殺してええやろ!ってなるのもナンカナーって感じだし、ガンショップに銃を買いに行くも地元民じゃないからダメって拒否されるも砂漠でレイプされた!ってでっち上げて近所の闇業者を紹介されて銃を買える展開もナンダカナーって感じ。
で、まんまとDV彼氏を誘拐し砂漠につれていくも逃げられ探すも見つからず途方に暮れた彼女は取り立てに来る悪魔に出会いもうダメだぁ、おしまいだぁとなってこの映画を見始めた人100人中96人が考えたであろう結論に達し娘にビデオメッセージを撮影する。はいはい、他人指定がないから結局自己犠牲で自殺するんでしょと思ってたらなぜか戻ってきたDV彼氏に石を投げられ気絶。そしてなぜか待っていたDV彼氏と再び対峙するも抜いたナイフで自分の首を切ろうとする主人公。フーンと思って見てると、なぜか再びガラガラヘビがやってきてDV彼氏の足をガブリアス。
崖から落下した瀕死のDV彼氏を見て主人公はこれ幸いと首を掻っ切り娘を迎えに行って街を脱出するのでした。
これ前に見たトジコメを思い出すんだよな。スーパーナチュラルの使い(そもそもヘビってのがモチーフ的だし)によって試練が与えられ、その試練の究極の自己犠牲という解答にたどり着けたのでスーパーナチュラルから許されてDV彼氏を殺す権利をもらえた的な。結局、結論として臓器くじじゃないけど功利主義的に自己犠牲の精神を見せたから死にかけのDV彼氏を殺したらええやんというのは本当に正しいのか。
もろちん、このDV彼氏の足にガラガラヘビが噛みつくところまでが実は最終試練でここで「殺す」「自殺する」のどちらを選ぶのかで真の倫理観が試されているという捉え方もできなくはないけど崖から大落下してさらにガラガラヘビにも噛まれているっていう、主人公が自殺したところでこいつも死ぬだけやんって状況だったら、倫理もクソも合理的に考えてこいつを殺すのが正しいってなっちゃうじゃん?
母性による究極の自己犠牲の果てに結局他人を殺して自分も娘も助かりました!相手はDV男だしいいよね!
ほんまにか?
まぁ最後の最後に車で走ってると娘が殺したはずのDV彼氏を見つけてヒッチハイクしてるオッサンおるなぁって言い出して、つまりどういうこと?ってなる、本当にあの決断で解放されたのかというあいまいさを残すエンドになってるけど、残されたところでじゃあどうすればよかったんっていう。さっさと死んどけばよかったんか?
まぁそんな感じかな。
主演の黒人女性が自身もプロデューサーとして噛んでるみたいな話も合って、そういう作品ってだいたい何らかのエンパワーメントを推進しているところがあって、この作品も母子のシングルマザーでDV彼氏に対して並々ならぬ怒りを持っていたり、DVサレ彼女に強い感情移入をしていることから、もしかしたら主人公自身がその被害者だった可能性を示唆していて、DV野郎は死ね!という強い思いがあったのかもしれないけど、それが作品のジャンルの面白さにうまく反映されていたかは謎。80分しかないのにめっちゃ長く感じた。あんまオススメじゃないかも。
辺野古ぶるーは、ヘリ基地反対協議会(反対協)の海上カヌーチームとして、名護市辺野古沖の大浦湾で米軍基地移設工事反対の抗議活動(規制海域接近・工事阻止)を行っています。以下に、人的ネットワーク(支援・参加団体・個人)と初心者カヌー教室を通じた動員を、情報源を明記して整理します。
辺野古ぶるーは反対協のカヌー部門として位置づけられ、外部からの人的・物的支援を受けながら活動を継続してきました。主なネットワークは以下の通りです。
橙色のMalibu社製カヌーに「関西生コン」と手書きされ、ハングル「동지」(同志)の表記があったと指摘されています。2017年には組合員11名を辺野古に派遣し、水上デモに参加。
情報源:篠原常一郎氏の現地調査(2015〜2018年、X投稿2026年3月18日)、八重山新報・Yahoo!ニュース(2026年4月上旬)。
・中核派:機関紙『前進』で辺野古闘争を重視し、活動家を現地に派遣。海上行動や集会に参加。
・革マル派:ゲート前座り込みや海上行動に活動家を参加させ、反対協と連携。
・革労協(主流派・反主流派):反戦・反基地闘争として辺野古に活動家を動員。
公安調査庁資料では、これらの団体が辺野古の抗議行動を「組織拡大の機会」と位置づけ、大衆運動に介入していると繰り返し指摘されています。 情報源:公安調査庁「内外情勢の回顧と展望」(平成30年など)、産経新聞報道(2026年4月)。
・地元・本土の活動家ネットワーク:小野純一さん(兵庫在住、辺野古ぶるーHTOGOチーム)のように、カヌー経験者を起点にチームを拡大。未経験者も講習で参加。
・情報源:共同通信未来系サイト(kyodomirai.org、2021年インタビュー)。
これらのネットワークは「超党派・市民運動」を標榜しつつ、外部の労働組合や極左団体からの人的支援で支えられています。
辺野古ぶるーは毎週日曜日にカヌー教室を開催し、未経験者・初心者を積極的に募集していました。教室で操船方法や転覆回復訓練を行い、その後抗議行動のための外洋(工事現場周辺海域)へ送り出す体制を取っていました。
・ホームページやチラシに「カヌー新メンバー大募集」「未経験者はカヌー教室へ」と明記。
・関西(甲子園浜など)でも合同教室を開催し、現地参加を促進(少なくとも2日間の基礎練習+転覆回復訓練)。
・情報源:八重山新報(2026年4月4日・9日頃)、Yahoo!ニュース(同)、共同通信未来系サイト(2025年8月記事)、kyodomirai.org(2021年小野純一さんインタビュー)。
・「カヌー体験」や「自然を守る」名目で集客し、結果として反基地抗議活動(海保との対峙・工事阻止)の人員補充に活用。
・参加者には「海の美しさを実感」「非暴力抵抗を実践」といった感想が見られますが、危険性(波・潮の流れ・海保との衝突リスク)は十分に強調されないケースが指摘されています。
・名護漁協組合長(安里政利氏)は「無謀」「カヌーは流されやすい」と危惧を表明。過去に疲労したカヌー乗船者が漁船に助けを求めるトラブルも発生。
・情報源:八重山新報・Yahoo!ニュース(2026年4月)、名護漁協コメント(同)。
2026年3月16日の転覆事故(反対協船2隻、同志社国際高校生徒参加)後、辺野古ぶるーの教室体制が「初心者を危険な現場に送り出す仕組み」として批判的に報じられました。事故後、活動報告は控えめになり、新規募集の告知が減少しています。
辺野古ぶるーは、関西生コンからの物的支援や極左団体の人的動員、初心者カヌー教室による動員体制で長年海上抗議を支えてきました。教室は「平和・自然体験」の入り口として機能しつつ、政治的抗議活動への参加を促進する構造でした。
• 報道:八重山新報、Yahoo!ニュース(2026年4月)、共同通信未来系サイト(kyodomirai.org)。
• 調査:篠原常一郎氏の現地取材(2015〜2018年、X投稿)。
これらの事実は、事故をきっかけに地元住民や漁協から「過激な抗議の危険性」として指摘されるようになりました。情報は公開報道・公式資料に基づいていますが、運動側と批判側の解釈が分かれる点もあります。
これ、本当によく見る。
思考実験の前提条件を無視することが賢い解決策だと思い込んでるタイプ。
そもそもトロッコ問題ってのは、「あちらを立てればこちらが立たない」っていう極限の倫理的ジレンマの中で、お前が何を優先するのかを問うてるわけ。
それなのに「僕ならブレーキを直します」とか「全員に叫んでどかせます」とか……。
バカかよ。
それを言ったら、物理学の摩擦のない床に対して「いや、現実には摩擦あるし」ってキレるのと一緒。前提を崩したら、それはもう実験じゃなくてただの「妄想」なんだわ。
そういう奴に限って、「誰も思いつかなかった解決策を提示するクリエイティブな僕」に酔いしれてるのが透けて見えるんだよね。
テストで「1+1は?」って聞かれて、「おにぎり!」って答えてるのとレベルは変わらんぞ。
「全員助かりました、めでたしめでたし」で終わるなら、アリストテレスもサンデル教授も苦労してない。
この問題の本質は、「どうしても誰かが犠牲になる状況で、お前はどういう理屈で動く(あるいは動かない)のか?」っていう泥臭い自己対峙なんだよ。
それを「裏技で解決w」とか言っちゃうのは、倫理の放棄どころか、思考そのものの放棄。
大喜利がやりたいなら、大人しくTwitter(X)で「#トロッコ問題で一番ふざけた回答した奴が優勝」とかタグ作ってやってろよ。
・共和国というのは、王様を置かず、いくつもの政治機関で権力を分け合う仕組みだ。
イメージとしては、「大統領も首相もいなくて、議会といろんな役職で分担している国」くらいで考えてもらえばいい。
ポイントは、「権力は分けておくから、誰か1人が王様みたいにならないようにしようぜ」という思想だ。
つまり、ローマの人たちは「王様はもうコリゴリ」という前提からスタートしている。
つまり、「国としては勝ってるけど、庶民的には全然勝ってない」という状態が長く続く。
そこに登場するのが、「グラックス兄弟」という改革派の政治家たちだ。
彼らはざっくり言うと、「富の偏りをなんとかしたい」と考えた人たちだ。
そして、彼らはグラックス兄弟を政治的・暴力的に潰してしまう(暗殺や暴動の形で消されていく)。
ここで重要なのは、「政治対立が、議論や投票ではなく、物理的な排除に踏み込んだ」という点だ。
これによって、
この時点で、ローマの共和国はすでに「ひびの入ったグラス」になっている。
見た目はまだグラスだけれど、一度ついたヒビは、後からの圧力でいくらでも大きくなる。
次の大きなターニングポイントは、「軍隊のルール」が変わったことだ。
もともとのローマ軍は、
という仕組みだった。
しかし、貧困や格差が広がると、「土地を持たない人」が増えていく。
彼はこういう発想をする。
これによって、兵士たちの「忠誠の向き」が変化する。
今までは国家のものだった軍事力が、「特定の個人に忠誠を誓う集団」に変わり始める。
ここで生まれるのは、「強いカリスマが軍隊を握れば、その人は国そのものを動かせてしまう」という可能性だ。
まだ帝政ではないが、「帝政を可能にする設計変更」が静かに行われた瞬間と言える。
彼はマリウスと対立する立場にいて、政治的にも軍事的にも激しく争う。
一言でいうと、「自分の軍隊を連れてローマ市内になだれ込んだ」ことである。
これは、それまでのローマの常識からすると完全な禁じ手だった。
スッラはまさにそれをやった。
その結果、
しかし、「軍事力を背景にした個人独裁」は、一度実物として実行されてしまった。
その後どうなろうと、
という事実だけは消えない。
まとめると、カエサルが登場する前の時点で、すでにローマには、こんな「地ならし」が済んでいた。
つまり、システムとしてのローマ共和国は、見た目だけ残して中身がかなり壊れていた。
あとは、「それをうまく利用して、自分の権力を安定的に築ける人」が現れるのを待っている状態だったと言える。
ここでやっと、カエサルが登場する。
でも、彼がやったことのかなりの部分は、「すでに誰かがやってしまったことの、もっと洗練されたバージョン」だった。
カエサルは、この「壊れた共和国」の隙間を、天才的な政治感覚で走り抜けた人物だ。
そして、彼が最後に「終身独裁官」という立場を手に入れたとき、人々の多くは、もはやそれを完全に想像の外の出来事だとは思えなくなっていた。
むしろ、「ここまでいろいろ壊れたなら、強いリーダーが出てきてまとめてもらうしかないのでは」と感じていた人も少なくなかった。
彼は、自分の作り出した権力構造を、長期的に安定させるところまでは到達できなかった。
そして、カエサルのあとに登場するのが、彼の養子アウグストゥス(オクタウィアヌス)だ。
この人こそ、「ヤバいのはそのあとに出てくる人」の典型だと言える。
アウグストゥスは、
という、「やりすぎライン」を熟知していた。
形式上は、共和国の制度を残し、自分は「第一人者」「一番尊敬される市民」というポーズを取り続ける。
しかし裏では、
ということを長い時間をかけて行い、結果として「帝政ローマ」を完成させる。
こうして、ローマは見た目は「昔のままの共和国っぽい」殻をかぶったまま、中身だけ完全に帝国へと変わっていった。
グラスは元の形をしているけれど、中身の液体は完全に別物になってしまったわけだ。
このローマの話を、現代のアメリカ政治――とくにトランプ現象――に重ねてみると、かなり不気味な共通点が見えてくる。
みたいなかたちで起きていると考えられる。
その上で、トランプという人物は、「それまでのタブーをかなり壊してしまった人」として位置づけられる。
という、ある種「粗削りな破壊者」でもある。
だからこそ、「彼がすべてを決定的に作り変えてしまった」というよりは、
「ここまでやっても、こういう反応が返ってくるのか」という実験データを世界に公開してしまった人、とも言える。
そうしたことを、冷静に学習し、かつ倫理的ブレーキが薄く、しかも知性と戦略性を備えた人物が登場したとき、状況は一気にローマの「アウグストゥス期」に近づいてしまう。
…というところだ。
ここで一番怖いのは、「アウグストゥス型」の人物は、むしろ多くの人にとって安心できるリーダーに見える、という点だ。
カエサルやトランプのようなタイプは、乱暴で、スキャンダルまみれで、敵も味方も疲れさせる。
だが、彼らの後に出てくる人は、もっと静かで、もっと穏やかで、「常識人」に見える可能性が高い。
その人はおそらく、こう言うだろう。
ここで重要なのは、「一時的に」という言葉が、どこまで本気か、ということだ。
ローマでも、アウグストゥスは最初から「永遠の皇帝」を名乗ったわけではない。
あくまで「共和政の再建」「秩序回復のための特別な役割」として権限を集め、その状態を少しずつ「常態」にしていった。
人々のほうも、疲れ切っている。
長い対立と混乱を経験し、もうこれ以上の不安定さには耐えられないと感じている。
だから、「ちょっとくらい強い権限を持つ人が出てきても仕方ない」と、自分たちを説得し始める。
こうして、「主権を手放すプロセス」は、暴力ではなく、安堵と引き換えに進行していく。
ここまでのローマ史と現代政治を重ねると、「本当にヤバいもの」の正体が見えてくる。
それは、
ではなく、
だ。
最初はみんな、「そんなことはありえない」「それは民主主義の否定だ」と拒否する。
けれど、何度もタブーが破られ、何度もスキャンダルが起き、何度も「これは前代未聞だ」と叫んでいるうちに、その「前代未聞」が日常のBGMになっていく。
そしてある段階で、人々はこう考え始める。
この心理状態こそが、「アウグストゥス型のリーダー」が最も入り込みやすい隙間だ。
彼(あるいは彼女)は、壊れた世界の中で、いちおう秩序と繁栄を提供してくれる。
見た目の安定が続くかぎり、多くの人は「何かを根本から取り戻す」という発想を忘れていく。
ローマでいえば、「もう共和政の時代に戻ろう」と本気で考える政治エリートは、世代を重ねるごとに少なくなっていった。
気がつけば、「皇帝のもとでの政治」があたりまえの前提になり、かつての共和国は「歴史の授業で覚える古い言葉」に変わってしまう。
ここまでを踏まえて、「ヤバいのはトランプじゃなくて、トランプのあとに出てくる人なんだよな」という直感を言い換えると、こうなる。
この「拡張された許容範囲」を、冷静に計算して使う人こそが、本当に危険な「次の人」だ。
トランプ本人は、敵も味方も巻き込みながら暴れ回る分、その危険性が視覚的・感覚的にわかりやすい。
「これはヤバい」と直感できるからこそ、反対運動も組織されるし、メディアも警戒する。
しかし、「そのあとに出てくる人」は、もっと滑らかに、もっと言葉巧みに、似たような力を使うだろう。
表情も穏やかで、スーツもよく似合い、言葉遣いも洗練されているかもしれない。
ただし、参照しているマニュアルは、トランプの時代に書かれた「ここまではやっても大丈夫だったリスト」なのだ。
ここで、「だからこうすべきだ」ときれいに言い切るのは簡単だ。
「市民ひとりひとりが政治に関心を持ち、権力を監視し続けなければならない」とか、「メディアリテラシーを高めよう」とか、教科書的な結論はいくらでも書ける。
けれど正直に言えば、ローマの例を前にすると、人間社会がそこまで賢く振る舞えるのか、かなり心もとない。
疲れと慣れと、目の前の安定への欲求。
だから、このエッセイでは「答え」を出さないまま終わるのが筋だと思う。
ただ一つだけ言えるとすれば、
「トランプ的な人物が現れたとき、その人だけを異常値として消費してしまう」のではなく、
「そのあとに出てくる、もっと静かで整った“次の人”を想像すること」自体が、最低限の予防線になる、ということだ。
古代ローマの物語は、もう二度と繰り返されない“昔話”ではなく、
「権力と社会が出会うとき、だいたいこういう順番で壊れていく」という、一種のテンプレートとして読み直すべきなのかもしれない。
「トランプみたいな人が一度通過したあとの世界で、まともそうな顔をして現れる誰か」のほうなんだよな。
その誰かの名前を、まだ知らないうちに。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4785297342373782082/comment/Midas
フランスもイタリアも(もちろんドイツもイギリスも)これまで安全保障の名目で巨額のマネーをイスラエルに投じ支援してきたのにイザとなったら「われわれの戦争ではない」とか言ってるの面白すぎ(間違いなく彼らの戦争
「自分たちには届かない」
ことが前提なので、ディエゴ・ガルシア島攻撃でその前提が崩れた
イランの弾道ミサイルはコンスタントに飛んでくるので射点も発射機も潰しきれてない
GCCからひっぺがした防空資源を集中してもイスラエルでの弾道ミサイル迎撃は捗々しくない
戦況がもうちょっと優位に進んでれば、また別のオプションもあったんだろうけどね
押さえきれない、勝ちきれないと見たらサクッと掌返すのはさすが
「クラファンで5500万円以上の支援金を集めたのに2700万円以上が未払いという前代未聞の事態」https://news.denfaminicogamer.jp/interview/260330o
・・・について、今後、クラファンに気をつけるための基礎知識と解説。
1. 【導入:信じられない事件】熱狂の果てに待っていた罠と「預り金」の行方
2. 【法律のルール:なぜすぐ捕まらないのか?】「ドロボー」と「話し合い」の境界線
3. 【契約の限界:紙の約束の弱点】「覚書」と「連帯保証」があっても逃げられる現実
4. 【法律の無力さ:究極の壁】「公正証書」のハードルと「お金がない」者勝ちの絶望
5. 【警告】クラウドファンディングの光と影:応援する側が気をつけるべきこと
6. 【付録:覚え書きと公正証書にかかる費用】書類の費用と弁護士費用、400万円〜500万円。
事件の舞台となったのは、数々の名作を生み出してきたゲームクリエイター、イシイジロウ氏が率いる実写アドベンチャーゲーム『シブヤスクランブルストーリーズ』の開発プロジェクトである 。 2025年、クラウドファンディングサイト「うぶごえ」というインターネット上のステージで支援の呼びかけが開始され、3,522人もの人々から、目標の約11倍となる「5400万円以上」もの大金が集まる歴史的な大成功を収めた 。
しかし、熱狂の裏側で、誰も予想しなかった「罠」が口を開けていた。クリエイターが銀行の残高を確認しても、そこには1円も振り込まれていなかったのだ 。
クラウドファンディング運営サイトの社長の口から飛び出したのは「誤って別の取引先に振り込みをしてしまった」という信じがたい言い訳だった 。
度重なる交渉の末、ごく一部は支払われたものの、依然として「2700万円以上」という家が一軒買えるほどの大金が未払いのまま、行方不明となっている 。
みんなの純粋な「応援」が込められた預り金が、突然行き場を失った。人の預かったお金を返さないなんてドロボーと同じじゃないか。なぜすぐに警察を呼んで、社長を捕まえないのか?しかし、現実はそう簡単にはいかない。そこには、私たちを守るはずの「法律のルール」が持つ、高くて分厚い壁がそびえ立っているのだ。
「悪いことをした人は、警察がすぐに逮捕してくれる」。私たちはついそう思い込んでしまうが、日本の法律はトラブルを大きく二つに分けている。「刑事事件(けいじじけん)」と「民事事件(みんじじけん)」だ 。
夜中に誰かの家に忍び込んで現金を盗んだり、最初から騙し取るつもりで嘘をついてお金を奪ったりすれば、それは明らかな「ドロボー」や「詐欺」であり、警察が捜査して犯人を捕まえる「刑事事件」になる 。
一方で、一般の人や会社同士の間で起きた「お金の支払いのトラブル」は、警察が「自分たちで解決してね」と見守るだけの「民事事件(話し合い)」として扱われる絶対的なルールがある 。
あなたが友人のA君に大人気のゲームを貸したとする。しかしA君は「間違えて別のカバンに入れちゃった」「明日必ず持ってくる」と言い訳を繰り返し、一向にゲームを返してくれない。
この時、あなたが怒って警察を呼んでも、警察官はA君を逮捕できない。なぜならA君は「盗んだ」わけではなく、「借りたものを返す約束を、理由があって遅らせているだけ」という建前になっているからだ。「当事者同士の話し合いで解決しなさい」と言われて終わってしまう。
お金を預かっている社長は「事務的なミスで間違えてしまったが、返すつもりはある」と主張している 。この主張が存在する限り、警察がすぐに「お金を盗んだ犯罪」として逮捕に踏み切ることは極めて難しい 。クリエイター側は警察の強力な力を借りられず、弁護士と共に「話し合いのルール」という果てしなく時間のかかるリングの上で戦うしかないのである 。
クリエイター側もただ黙って泣き寝入りしたわけではない。相手の社長と直接対峙し、考えうる限りの強力な約束を取り付けていた 。
一つは「覚書(おぼえがき)」だ。これは「○月○日までに全額を絶対に支払います」という約束を文字にしてハンコを押させた、当事者同士の正式な紙の約束である 。
そしてもう一つが「連帯保証(れんたいほしょう)」という極めて厳しい条件だ。これは、「もし会社がお金を用意できなかったら、社長個人のポケットマネーや貯金からでも、身代わりになって必ず全額を支払う」という、個人の逃げ道を完全に塞ぐための最強の約束である 。
常識的に考えれば、これほど強力な条件を突きつければ相手は逃げられないと思うだろう。しかし、ここにも現在の日本の法律が抱える、残酷な「もどかしさ」が潜んでいる。
約束の日が来ても、やはり全額は振り込まれなかった。「ひと桁間違えて振り込んだお金が戻ってこない」と言い訳をする社長に対し、怒ったクリエイターと弁護士は「本当に間違えたのなら、その証拠の銀行口座を見せろ」と迫った 。しかし社長は、「いや、見せられません」とこれを頑なに拒否し、扉を閉ざしてしまったのである 。
どれほど立派な「覚書」や「連帯保証」があっても、その紙切れが魔法のようにお札を生み出すわけではない。相手が「今は手元にお金がない」「証拠は見せない」と開き直ったとき、日本の法律では、勝手に相手の会社に押し入って金庫を開けたり、パソコンを奪って銀行口座を無理やり覗き見たりする「自力での解決」は禁じられている。被害者側は、相手のウソを暴くための強制調査さえ自分たちではできないのだ。
ここであなたはこう思うかもしれない。「じゃあ、裁判所に訴えて、無理やりお金を奪い返せばいいじゃないか!」と。
たしかに、相手が約束を破ったときのために「公正証書(こうせいしょうしょ)」という強力なアイテムが存在する。これは単なる当事者同士の覚書とは違い、国(公証役場)が「この約束は絶対に本物だ」とお墨付きを与えた特別な書類だ。これがあれば、何年もかかる裁判での「話し合い」をすっ飛ばして、いきなり相手の銀行口座や給料を凍結し、無理やりお金を奪う「強制執行(差し押さえ)」の手続きに進むことができる 。
しかし、ここにも絶望的な壁がある。この「公正証書」を作るには、相手が一緒に公証役場へ行って手続きをするか、実印を押して同意する必要があるのだ。お金を払わないでのらりくらりと逃げ回る不誠実な相手が、そんな自分に不利な最強の書類作りに素直に協力するはずがない。
さらに、百歩譲ってクリエイター側が何年もかけて裁判で戦い、見事勝利して「相手の口座から強制手にお金を奪ってよい」という国からの許可を得たとしよう。しかし、今の日本の法律が抱える最も赤裸々で残酷な限界はここからだ。
いざ裁判所の力を使って相手の銀行口座を開けてみたとき、その残高が「0円」だったらどうなるか?
相手が事前に別の人や秘密の口座にお金を隠してしまっていたり、「会社にも私個人にも、もう1円も残っていません」と開き直ったりしたら?
答えは、「1円も取り返せない」である。
銀行口座を差し押さえようとしても、そこに預金が存在しなければ回収することは絶対に不可能なのだ 。日本の法律には、空っぽの財布から無いお金を魔法のように絞り出す力はない。どんなに被害者が正しくても、どんなに悪意を持ってお金を隠された疑いがあっても、「お金がない(無い袖は振れない)」と言い張って隠し通した者が、最後には逃げ切れてしまう。
これが、被害者が時間とお金をかけて法律と戦っても直面してしまう、理不尽で無力な現代社会のリアルなのだ。
この事件は、単に「一つのゲームの発売が遅れる」という問題ではない。「夢を応援する」という素晴らしい文化そのものの土台をぶち壊す大事件である 。今後、あなたがクラウドファンディングを使って誰かの夢を応援したいと思う時、以下の点に強く警告を発しておきたい。
クリエイターが素晴らしい人であることと、お金を一時的に管理する「預り金」の金庫(サイト運営会社)が安全なのは別の話だ。サイトの経営状態や過去の評判を必ず調べよう。
これはネットショッピングではない。途中でトラブルが起きてお金が消え、お礼の品が一生届かないリスクが常にある 。生活に影響のない範囲で参加することが鉄則だ。
「ミスをした」と言いながら証拠を見せないなど、透明性のない対応をするサイトやプロジェクトには、絶対にお金を出してはいけない。
2700万円という大金を取り戻すための書類作りにかかる費用は、「国や役所に払う手数料(実費)」と「弁護士さんに払うサポート料」の2つに分かれる。
「覚え書き」なら実費はほぼ0円だが、「公正証書」の場合、今回の金額だと法律で決められた約2万6000円の手数料(証明代のようなもの)を国に払うことになる。
しかし、一番大きな金額の差が出るのは、法律のプロである「弁護士さんに払うサポート料」。覚え書きなら約5万〜15万円。公正証書なら約15万〜30万円。着手金は経済的利益(2700万円)の約5% = 約150万円。成功報酬は回収できた額の約10% = 約270万円以上。
セブンとゾディアックと羊たちの沈黙の犯人が悪魔やったらおもしろいやろなぁ、言うほどか?というファミリーホラー映画で55点。
新米FBI捜査官の主人公は悪魔的な直感で事件を解決するも相棒を失う。彼女の直観力の高さに目を付けた上層部は彼女を連続一家心中殺人ロングレッグス事件の担当に据える。証拠や暗号を次々に解きロングレッグスの正体に近づく主人公。そんなある日、ロングレッグスがなぜかうっかり逮捕され主人公と対峙する。地獄のふたが開き主人公は自分自身の過去と対峙することになる。
みたいな話。
まず最初に、俺はこれを吹き替えで見たんだけどさ。冒頭スクエアサイズの不気味な画角で主人公の過去の回想から始まってそこに顔は写らないけど白塗りのボサボサ頭のいかにもヤバそうな男が現れるんだけどその声が大塚明夫がやるニコラス・ケイジすぎて、ニコラス・ケイジやないかい!ってなっちゃった。
まぁ作品自体は新米女性FBI捜査官が猟奇的な事件に挑む羊たちの沈黙感から始まって、ロングレッグスが残す暗号はもう見るからにゾディアックだし、途中でロングレッグスが半ば自首的に投降してくる展開は完全にセブン。なので、そういう硬質なスリラー・サスペンスなんだなぁと思って見ているとそこから映画は急旋回。実はロングレッグスは悪魔の使い、もしくはサタニスト組織の一味であり、呪術によって一家心中を引き起こしていたことがわかる。さらにはその共犯として主人公の母親が関与していてほぼ実行犯だったことが明らかになる。
もうどっきりどっきりDONDON!!不思議なチカラがわいたらどーしよ?(どーする?) びっくりびっくりBINBIN!! 何だかとってもすてきね いーでしょ!(いーよね!)って感じ。実際、主人公の悪魔的な閃き力は悪魔の力だったっぽいのでマジでそう言う感じ。
実際、主人公が悪魔的な閃きを得る時に真っ赤な画面に蛇さんがシャーってやってるシーンが挿入されるので、こんなもん知恵の実食わされたんやろなぁってわかるし、なんかちょいちょい窓とかに山羊頭の影が写っててヒントは結構出てたんよね、今考えたら。
でもでもだよ。序盤、中盤の感じからしたら良質なサスペンス・スリラーを期待するじゃん。それが悪魔のせいなら無罪じゃなくて悪魔の仕業だったって言われてもなんか拍子抜け感がすごい。せめてその悪魔の仕業にもロジックがあればよかったけど、人形持っていけば勝手に死ぬみたいな感じでそれもなー。
キリスト教圏の人だったらひゃだ!悪魔怖い!ってなるのかもしれないけど、敬虔なカソリックの俺でもう~んってなったんだから日本の普通の観客ポカーンやったやろ。
一方でキリスト教的家父長制の崩壊を描いた作品でもあり、主人公は秘密裏に家に侵入したロングレッグスに父親代わりに育てられ、ロングレッグスが作った人形を送り込まれた家庭では父親が家族を殺害する。父親と言う文字通りの大黒柱を腐食させることで家庭の崩壊を導き出せる悪魔的な計略であり、キリスト教的家父長制の家庭で横行するDVのメタファーでもあると思う。実際、冒頭にデカ人形を膝にのせて喋ってる父親とかめっちゃ性加害感すごかったし。
ロングレッグスが自首した後、自殺(ゴアシーン頑張ってて最高)した後、母親が主人公の人形を撃ち壊すことで記憶を取り戻し過去から解放され、最後に悪魔の使いと化していた母親を撃つことで自分自身の過去と完全に決別するのは偽りの父からの解放こそが一人の人間としての自立だということだと感じたかな。
でもこれも日本の観客にはあんまピンとこなかったんじゃないかな。
冒頭で主人公の助言を聞かずに容疑者の家を訪ねた男の相棒が頭を撃ち抜かれたところから始まり、最後に主人公の制止を振り切って銃を撃とうとした母親の頭を主人公が撃ち抜いて終わるのも示唆的だったな。
そんな感じかな。あとは絵作りがめっちゃシンメトリーを意識していて尚且つ常に登場人物が中央に表示されていて常に絵作りがバキバキで不気味さを演出していてそれはよかったかな。硬質なサスペンス・スリラー・ミステリ-を期待してると全然違うものが出てきてエェーってなるけど、そういうホラー映画だと思って見るならそこそこオススメ。
準備した上である程度主体的に巻き込まれるか、準備せずに巻き込まれて蹂躙されるか。巻き込まれないという選択肢はない。
中国が台湾に対して洋上封鎖などの“グレーゾーン事態”を仕掛けたらアメリカは敵対的に対峙するし、日本はどうしたって巻き込まれる。
日本は世界ランキング1ケタ圏内の防衛予算を投じながら、建前上は「女子供」枠である。アメリカはそれを是としてきたが、中国があそこまで力をつけた今、日本には女子供のふりをやめて計算できる駒になって欲しいのである。
日米での核シェアはこれまでは長らく自称現実主義者の妄想だった。アメリカにそんな意志は毛頭なかったからだ。しかし状況は完全に変わった。
日本をお荷物から使える子分へと一夜にして生まれ変わらせるマジックタッチは憲法改正などではなく核シェアリングである。
増田に書いても仕方ないが覚え書きに。
エステベス・アベ教授は次のように書いている。“一見すると、ワシントンDCでの高市・トランプ首脳会談はトランプ政権にとって大きな勝利のように見える。両国間の新たな協定は米国にとって大きな目に見える経済的利益を伴う。しかし、私はこの会談が東アジアにおけるアメリカの覇権の終焉の物語における重要な章であると考えています。この会談は米国の同盟国に対し、米国への依存を減らすべきだという明確なメッセージを送ることになる。
“この会談では、日本の米国への屈辱的な依存と、米国が要求する多額のみかじめ料という2つのことが明らかになった。昨年、日本は米国への投資を5,500億ドル—日本政府と企業にはほとんど惜しむことのできない金額で約束せざるを得なくなった。トランプ政権は資金の行き先について大きな発言権を持っている。特定の投資取引が日本に利益をもたらすかどうかは、米国にとっては問題ではない。日本は他の米国の同盟国に教訓を与えている。米国に依存しすぎると家臣になってしまうということだ。韓国は明らかにこのメッセージを受け取っている。
“日本のトランプへの依存の一部は高市自身が作り出したものだ。2025年11月に彼女が、中国による台湾侵攻の可能性は日本にとって‘生存を脅かす状況’であり—したがって日本の軍事介入を正当化する—、慎重に作り上げられた現状からの転換を示した。彼女はおそらく、米国とともに中国と対峙する用意があることをトランプ大統領に伝えたかったのだろう。当然のことながら、中国は厳しい報復経済行動で対抗した。中国は日本にとって米国と同じくらい大きな貿易相手国である。高市氏が自らの創造の問題を解決できなかったため、日本には不安定なホワイトハウスに対してヘッジする真剣な選択肢がなくなった。他のすべてのアメリカの同盟国は中国との緊密な関係を築くことでアメリカに対してヘッジしようとしているが、日本はそれができない。
“日本が米国に独占的に依存していることは、日本の経済的、政治的地位を弱めている。米国への忠誠には大きな犠牲が伴います。米国は最終的に、最も忠実なアジアの同盟国を弱体化させることで失うものがたくさんある。韓国は米国から方向転換している。”
“日本が米国に独占的に依存していることは、日本の経済的、政治的地位を弱めている。米国への忠誠には大きな犠牲が伴います。米国は最終的に、最も忠実なアジアの同盟国を弱体化させることで失うものがたくさんある。韓国は米国から方向転換している。”
Trump-Takaichi Summit: Expert Analysis on U.S.-Japan Relations
Professor Margarita Estévez-Abe argues that the summit exposed Japan's dangerous overdependence on the U.S. and signals the erosion of American dominance in East Asia.
Vanessa Marquette
https://news.syr.edu/2026/03/20/trump-takaichi-summit-expert-analysis-on-u-s-japan-relations/
ポケモンはポケットモンスターシリーズ(所謂本編)は赤緑から欠かさず遊んでるし、外伝ゲーム、アニメ、漫画類も
初音ミクはポケミクまでいることは知ってるけど千本桜とGoogleのCMのことしか知らないぐらい。
貧乏人には高い買い物だけど、ポケミクにミクを教えてもらって毎日の通勤でずっと流してるので買っちゃった。
ポケミク以外のボカロ曲全般もそれなりに聴くようになってと趣味が豊かになって嬉しかったんだ。
楽しみな曲6選でも書いて気持ちを高めようと思う。
こうして27曲揃ってから改めて聴くと、全然1曲目っぽくないし、ミクらしさの解釈も色々あるんだけど、この曲にメロメロになったからポケミクを聴き続けることになったので、楽しみ。
・ミライどんなだろう
ポケモンのオタクなのでポケモンの名前が沢山出ると嬉しいしかない。
アニポケっぽい世界観なのでゲーム本編世界観っぽいライブミクがどう歌うのか気になる。
(ライブミクがゲーム本編の登場人物感があるの、たびだちのうたとクロスロードがそういう曲だっただけかもしれない)
・ゴー!ビッパ団
エモ曲も沢山あるけど、僕が一番エモーショナルな感情を揺さぶれるのはこれ。
「ふしぎなポケモンたちといつまでも旅を続けよう」のところで毎回鼻の奥がじっとして「まちがいなーーーい!!!」と一緒に歌いたくなる。
・PARTY ROCK ETERNITY
僕は悪タイプが大好きで悪タイプポケモンばかり使うトレーナーなので、わるだくみ、ちょうはつ、かみくだくなど悪技が沢山入ったこの曲が大好き。
悪ポケ自体はヘルガーしかでないし、ロケット団に悪タイプのイメージは薄いので、悪の組織の曲で悪タイプの曲はいつか別に欲しいなと言う欲求はある。
・アフターエポック
「怪獣のような心臓が」のところ、ポケモン遊びながらよく思うぐらい刻まれた歌詞になってしまったので。
アフターエポックのミクはパシオに行けそうなぐらい本編ゲームシリーズのキャラっぽいので、ポケマス初音ミクコラボしたらホウオウの服着たマジコスミクで実装されて欲しい。
・たびだちのうた
タイプミクいっぱい見た後普通のミクが出てきて、1008エンカウンターして、ライブミクになるの大好き。
あと悪ミクが一番好きなので、他のミクが旅をしてたりパートナーポケモンと趣味を楽しんでる中、悪ミクは悪の組織っぽい奴らと対峙してるの、悪タイプがポケモンの中でも異質なタイプ(現象とか性質じゃなく価値観じゃんって言う)なのをトレーナー側でも表現してるようで好きなんだ。
なぜ君は詫び寂び的ミニマリズムが大事な映画をモリモリにしてしまうのか、60点。
夫を亡くしたシングルマザーの主人公はそうは言うてもなぁという感じでマッチングアプリで3か月やり取りをした男性と初デート。妹に息子の世話を任せ高層ビルの上の方にある高級レストランに向かう。なんか感じよさそうな男性と話していると急にスマホにドロップメッセージが。よく見るとそれは主人公の家で、覆面の男が銃を持って侵入するところだった。そしてその相手から次々とメッセージで指示が届くようになる。それに従いながら犯人捜しを行う主人公。そしてメッセージはマチアプで出会った相手の殺害を求めてきた。いったい私、どうなっちゃうの~!?
というようなお話。
いや、おおむねよくできた映画ではあるんだよ。
いわゆるソリッドシチュエーションスリラー、サスペンスに分類される映画で「高層ビルの高級レストランの中で犯人からの指令をこなしながら犯人探しもする」という内容で、そのハラハラとして子供が(実質)人質に取られている。めちゃくちゃウザいウエイターや、謎のナンパ男、同じくマチアプで失敗した老カップルといった一癖ある登場人物がそこに絡んできて怪しいのはどいつだ、こいつを利用してこの窮地を乗り越えられないかとこっちもいろいろ考えながら見られてその体験は楽しい。
ドロップメッセージが来た時点でスマホはクローン化されており自分のスマホからは通報ができないし、指示の内容からどうやら犯人もレストラン内にいるようで他人のスマホを借りて通報するのも難しい。見られたら子供が殺されてしまうかもしれない。と、こっちがあーすればええやん、こーすればええやんと思うことは主人公も試してみるしそれに対する答えも用意してくれている。
ここまではめっちゃよかったんだけどさぁ。
で、ネタバレするんだけど、犯人の目的は最初からマチアプの相手で実はそいつは犯人グループのスキャンダルを握っててこの後それをチクりにいく予定だったのでその前に殺したろwってなって、主人公を利用することにしたという話になってくる。まぁ、悠長な話だし、こんな素人女にやらせて失敗する確率高すぎやろみたいな部分はまぁ置いておいて、レストラン内にいた犯人と対峙し、話を聞き、意を決した主人公はマチアプ男性に毒の入ったウォッカを飲ませる。
と見せかけて、犯人のデザートに毒を盛る。ここ、犯人も毒を飲んでいる(と見せかけられている)ターゲットを見ていたので手元がお留守になっていたという描写が入っているのも、ちゃんと細かくてよい。のだが、その後、主人公はドヤ顔でその種明かしをし、犯人はブチ切れて銃を懐から取り出してターゲットと主人公を撃ち、逃げ惑う主人公、追いかける犯人。最後に犯人の銃撃でひび割れた窓ガラスを主人公が機転を利かせてぶち割って気圧差で犯人は落下、一緒に落ちかけた主人公をすんでのところでマチアプ男性が救うのだった。という大見せ場1がある。
でもさぁ、これ結局、主人公が犯人を上回って毒を犯人に飲ませました、という反撃カタルシスがなくなっちゃってるよね。べつに毒飲ませなくてもその場で真実を暴くだけでも同じ展開になった。
そしてそこから主人公は家に向かって今度は家の中の襲撃犯VS妹→襲撃犯VS主人公のアクションパートになる。
これも、元々のソリッドシチュエーションサスペンスの文脈から浮いてる。犯人が分かる前まではかなり抑えたトーンのガチサスペンススリラーやってたのに犯人が分かってからはなんか急にこいつ雑になったな、予算余ったのか?ってなった。べつにそこまで含めてもっと静かなトーンでうまく知略を尽くしてやれんかったんか。
あと、冒頭、血まみれの主人公が謎の男に向けて銃を構えて「撃てよ!」と脅されるシーンから始まってカットが切り替わって現在になるので、犯人との死闘の末そうなるのかと思って見てたら、実はそれは元旦那で薬チュウで頭がおかしくなってて子供を撃とうとしていた、それを守るためだったんだけど結局主人公は撃たず、旦那はそのまま自殺しちゃったという話だったのがわかるんだけども、家に侵入していた襲撃犯との最後で主人公は襲撃犯に向けて同じように銃を構えて今度は撃つ。
これってさぁ、なんか対応関係になってる?この話の展開だったら「撃たなかったことで救えなかったが今度は救えた」という話になるべきだと思うんだけど、話的には「撃たなかったけど手を汚さずに救えたけど、今度は撃って手を汚して救えた」になってて、あんまうまくハマってないなって思った。むしろ悪くなってる。
まぁそんな感じかな。
少なくともメインの話の「高層レストランで犯人から脅迫されてミッションをこなしながら犯人探しをする」の部分は強度が高いのである程度の満足感はある。問題は、最後のドタバタを「サービス精神」とみるか「蛇足」とみるかだと思う。俺的にはなんかもうちょっと関精度高められたんじゃないかなという気持ち。まぁ、ソリッドシチュエーションサスペンス好きにはそこそこオススメ。
「……フッ、やはりな。補給路の寸断、敵陣中央への孤立。上官殿の描いた『筋書き』、あまりに透けて見えて興醒めだ。
総員、通信機を叩き壊せ! これより我らは軍籍を捨てた『野良犬』となる。帝国将校としての誇りは胸に、だが命じる飼い主(あの上官)はもういない!
……案ずるな。貴様たちの目は死んでいない。
覚えているか。あの凍てつく北の国境、零下三十度の雪中で一週間、泥水と一握りの乾パンだけで耐え抜いた夜を。あるいは、弾薬が尽き、銃剣すら折れ、互いの肩を貸しながら血の海を泳いで生還したあの地獄を。
世間は我らを『精鋭』と呼ぶが、あの上官は我らを『消耗品』としか見ていなかった。だが、私は知っている。貴様たちが隣の戦友のために、何度自らの命を盾にしたかを。
私に従えと言っているのではない。私と共に、あの理不尽な運命を食い破りにいこうと言っているのだ。
この部隊は、一度死んで、地獄から這い上がってきた者たちばかりだ。今さら、腐った飼い主に売られた程度で、驚くようなヤワな魂(タマ)はここにはいない。……そうだろう?
敵の包囲が厚い? 結構。ならばその中心を突き抜け、あの上官が呑気に構える『本陣』の背後へ回り込む。補給がないなら敵から奪え。道がないならこの一太刀で切り拓け!
いいか、我らを売ったツケは高くつくぞ……。あいつの喉元にこの軍刀を突き立てるまで、死ぬことは許さん。
獲物は目の前の敵軍ではない。我らを罠に嵌めた、あの腐った『牙城』だ。……全軍、反転!」
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反逆のカリスマが爆発する瞬間を描いてみました!