「感情移入」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 感情移入とは

2025-12-09

anond:20251208231242

こういう話をしつっこく投稿してるのってあきら性癖なんだけど、これってマゾなの?(AVでヌクときに「あ!オレって女優のほうに感情移入してる?!」って相原コージが大昔に一コマ漫画で描いたような気づき)

2025-12-03

anond:20251202192748

スタッフ人数から逆算みたいなのって自分が肩入れしてる側に都合よく感情移入するために適当数字拾ってるだけだよね

2025-11-27

anond:20251127142942

どこに感情移入してるかだ

ネトラレ物の多くは男の主人公感情移入するだろう(男は)

2025-11-26

こっちを見てる表紙絵

少女マンガ、TL、レディコミ、女性向けなろう系などの表紙絵は、

主人公女の子イケメンが抱き合ったりキスしてるものが多い。

それは恋愛性愛テーマということでごく当然だが、奇妙なことには二人ともばっちりカメラ目線なのである。なぜお互いを見つめあうのではなく自慢げな不敵な笑みすら浮かべてこっちを見てるのか。不自然だし気持ち悪い。

まあつまりそれはトロフィーを掲げてる姿なのだろう。主人公主人公感情移入する読者は、恋愛がしたいのでもセックスがしたいのでもなく、いい男に選ばれた自分を他の女に見せつけたいのだ。

これってフェミニズム的に問題じゃないのかな。

巨乳すぎるから性的消費だーというのもわからんことはないけど、「女の成功はいい男に選ばれることだ」なんて、はるかアナクロ有害メッセージ発してるだろ。

まあそんなのどうでもいいんだろうけどね。

anond:20251126121708

これは親友たちに囲まれるワニには感情移入できずに人語を発することもできず介護者に囲まれたちいかわに自己投影する弱者男性感想

2025-11-25

anond:20251125094248

復讐や赦しがテーマなので、大人向けだとは思いましたね。

ストーリーほとんどが死後の世界の話なので、世間一般に言われる設定の雑さは気にならなかった。

幽霊に衣食住がどうなってるとか考えるだけ無駄みたいな感覚

お話としては単純明快なわかりやすさで、映像美も良かった。

謎の語り手婆さんがいろいろ喋ってくれるおかげで、

数日前にみた天使のたまごっていう映画と比べたら圧倒的に理解できる。


映画主題というか主張も理解できるんだけど、

主人公に魅力を感じないというか、感情移入できないせいで、感動がないんよね。

チェンソーマン・レゼ篇のレゼとデンジみたいな悲恋に涙してしま自分でも、

スカーレットには何も感じなかった。

からもう一度観たいとは思えない。

2025-11-24

anond:20251124214158

楽しいけどなんかそれだけだよね

誰にも感情移入できなかった

2025-11-22

自分性的嗜好とやりたいことが違ってるかも

オナニーするときのおかずは二次元だとイチャラブか快楽堕ち、三次元だとオイルマッサージか拘束プレイを使いがちなんだけど、「女体をいじくり回したり気持ち良くさせたい」って嗜好があると思ってたのよ。

でも、俺自身気持ち良くさせられてる女の子の側に感情移入してる節もあることに気がついて、単にMなだけなんじゃないかとも思えてきたんだ。

それでも風俗かいく機会があったら第一おっぱいにむしゃぶりつきたいと思ってるし、二次元エロで興奮できるのはトロ顔の女の子だったりと、結局俺は性に何を求めてるのかアラサーで分からなくなってしまった。

当分行く機会もないと思うけど風俗とかどういうタイプに行けばいいんだろうか。

ネタバレたくさんあり】果てしなきスカーレットを観た

 珍しくふと、映画館映画を観たいと思った。最後映画館に行ったのは11年前、中学の頃親と一緒に行ったっきり。自力映画館に行ったことも無いのに、なぜかそんな気持ちになった。

 細田監督の最新作「果てしなきスカーレット」が、ちょうど公開されるらしい。小学生の頃、金ロー放送された「サマーウォーズ」を録画して、繰り返し観た記憶が蘇る。これは観るしかねえと思い立ち、TOHOシネマズに向かった。

 結論としては、良いところはあるものの、やはり細田脚本には問題があると言わざるを得ない出来だった。本当に現状のままでいいのか、細田監督を問いただしたい理由をまとめた。

(1回見ただけなのでおかしいところや思い違いがあると思うけど、容赦してね。)

【以下、ネタバレ










 まずは簡単にあらすじを紹介。愛する父親を殺された王女スカーレットは、父親を殺した叔父クローディアスの暗殺に失敗。死者の国で目を覚ますスカーレットは死者の国で、現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。スカーレットは聖と共に、かたき討ちのためクローディアスを探す旅に出る。

 本作が題材にするのは報復連鎖細田監督自身インタビューでそう語っており、私もその予備知識ありでスクリーンに臨んだ。では、憎しみと復讐連鎖に伴う辛さ、やるせなさが描かれているのかと言われれば、十分に描かれているとは言えなかった。

 正直なところ、憎しみや復讐の描き方は「進撃の巨人」の圧勝こちらの方が断然よくできている。本作は「進撃の巨人」と比べて、憎しみと復讐が続いてゆく辛さ、やるせなさが身に強く迫ってこなかった。

 その理由はいくつかある。

 一つは、愛する父が暗殺される→クローディアスの暗殺に失敗→死者の国へ、という冒頭の流れが説明であること。スカーレットが抱える憎しみとその辛さは理解できるものの、それが自分の身に起こったかのように感情移入できなかった。「物語への圧倒的没入体験」を掲げる本作であるが、没入できないもどかしさが最後まで続いた。

 もう一つは、クローディアスが一貫して悪人として描かれていること。「進撃の巨人」では、主人公たちが相手を憎むのと同時に、相手側が主人公たちを憎む様子も丁寧に描いていた。絶対的な悪など無く、対立する両者がお互いに痛めつけあうやるせなさ。それが、本作にはほとんど見られない。長期連載作品である進撃の巨人」と、二時間に満たない尺の本作を比べるのはフェアじゃないかもしれないが、復讐や憎しみを描くうえで、そこは外してほしくなかった。

 しかし、復讐や憎しみを題材にしている本作であるが、より深いテーマを感じた。それは、「自分の好きなように生きよ」というメッセージである

 物語の序盤、スカーレットは父の敵討ちに燃え、死者の国で現れる敵を次々と殺してゆく。「王女としてそうあるべき」という義務感をスカーレットは抱いており、それが復讐モチベーションになっていることが描かれている。看護師である聖は、好戦的スカーレット対照的に、敵味方差別なく治療を施し救おうとする。それも、「看護師としてそうあるべき」と聖が考えているからだ。

 敵を殺そうとするスカーレットとそれを好まない聖は、一見対照的キャラクターに見える。しかし、「自分立場にとらわれて、本当はどう生きたいのか分からない」という内面は同じなのである

 スカーレットと聖は交流を重ねる中で、互いの心情に変化が生まれてゆく。スカーレットは、敵との戦闘になっても剣を鞘に納めたまま戦い、むやみに人を殺めなくなる。人を殺めるための短刀を、自分の髪を切る(新しい自分になる)ために使うシーンは、スカーレット内面の変化を印象的に描く。逆に、人を殺めることを否定していた聖は、弓矢でクローディアスの手先を殺めてしまう。物語の序盤、「人を殺めるな」とスカーレットに散々言ってきた聖が人を殺めてしまうシーンは大きな批判を生みそうだが、聖が自身の黒い感情に対して正直になった、もしくは抑えられない、という内面の変化が描かれる良いシーンであったと思う。憎しみという黒い感情否定しないことは、本作の美点の一つである

 一見対照的な二人だが、共に同じ苦悩をを抱えていて、それが変化してゆく、という構成は好印象だった。ただし、スカーレットについては憎しみに関する描写が強すぎて、「王女としてそうあるべきだから復讐燃えている」という内面理解しにくかった。物語の序盤も序盤、スカーレットの父が「王女としてではなく、女の子として好きなように生きなさい」と幼少期のスカーレットに語るシーンがあるのだが、さらりとしすぎている。スカーレット死ぬ前に、クローディアスの暗殺民衆が熱望していて、スカーレットがそれにプレッシャーを感じているようなシーンがあると良かった。

 クライマックススカーレットは死者の国から元の世界へと戻り、王女となる。王となったスカーレット民衆に、「民を救うこと」「子供絶対に死なせないこと」を宣言する。これは、スカーレットが「王女としてそうあるべきだから」と考えているからではなく、心の底からそう思っている。スカーレットは死者の国での交流を通じ、「私はこうありたい」という自発的な強い意志を手に入れて、物語は幕を閉じるのである

 そのようなクライマックスを踏まえると、「果てしなきスカーレット」は、憎しみの連鎖を描いた物語というよりは、少女自分生き方を決める物語なのだ個人的には思った。本質的には、「おおかみこどもの雨と雪」(主人公が、おおかみ or 人間、どちらかの生き方を選ぶ)や、「バケモノの子」(人間世界 or バケモノ世界、どちらで生きるのか選ぶ)など、細田監督過去作品にも通ずるテーマであるといえるだろう。

 本作は他の細田作品と同じく、演出特にメタファーの使い方に優れる。特に水というモチーフが良い。序盤、空が荒れた海のようにうねる様子をまじまじと見せつけつつ、水一つない砂漠風景を延々と見せておいて、最後スカーレットを雨に打たせる流れが良かった。雨はスカーレットの心の痛みであると同時に、乾き続けた心を潤す恵みの雨でもある。スカーレットが抱く矛盾した複雑な感情を、水や雨というモチーフを使うことで、端的に表すことに成功している。物語全編を通じて砂漠風景が続くのは単調で少ししんどくもあったが、クライマックスに良い形で回収されたのは良かった。

 カラスモチーフも良い。本作ではカラスが度々出現するのだが、物語の終盤、クローディアスと対峙するシーンでザワザワとカラスが集まり、散ってゆく演出が良かった。黒い感情やざらつきが、スカーレットの胸に広がって去っていく描写である。このシーンでは、スカーレットが抱く感情にある程度没入することができた。

 しか最後最後、黒い竜がカラスとなり散っていくシーンは解釈が難しかった。カラススカーレット内面を表しているのであれば、竜が悪役に雷の制裁を加えるのはご都合主義すぎる。スカーレットの黒い感情の高まりが、直接悪を成敗しちゃってました、ってことになってしまわないだろうか。私の読解力では、一本芯が通った演出として理解できなかった。

 その他、聖のキャラクター人間味が無いとか、スカーレットの母が謎だとか、細田監督らしく突っ込みどころは沢山あるしキリがない。しかし一番の問題点は、わかりやすカタルシスに乏しいことだろう。「見果てぬ場所」を目指すとか、最後に聖とキスして永遠のお別れをするとか、カタルシスを作ろうという工夫は見られるが没入感が無く、わかりやすく感動できない。

 唯一カタルシスを感じたのが、劇中歌「祝祭のうた」(フルバージョンがストリーミングにある)をバックに、スカーレットが炎の中に吸い込まれ現代日本へとワープするシーン(このシーンはYoutubeでチラッと見ることができる)。なんだかよくわからないけれどいい感じにエモい歌が鳴っていて、スカーレットが「うわああああ」ってなってて、吸い込まれてゆく映像美も(IMAXなので)すごい。「コレだよコレコレ!このわかりやすい感じ!」と思ってスクリーンの中に身を任せたのだが、その先の現代で踊るシーンは作り物感が強く、映画館座席の上にストンと戻されてしまった。復讐だけのために生きてきたスカーレットが新しい自分を見つける、という背景を意識するとそれなりにエモく見えるのだが、直感的に感情移入してダラダラ涙を流すためにはあと一歩か二歩足りなかった。

 「君の名は」ほどではなくてもいいから、馬鹿でも分かるような感動が欲しかった。まず、分かりやすく感動できること。そのあと二回、三回とリピートしていくにしたがって、細田監督演出の上手さが生きてくる。水や雨、聖がおばちゃんから貰った楽器などのモチーフや、登場人物些細な変化。それに気づいていくことで、回数を重ねる度により深く物語へと没入することができる。

 個人的に大好きな「おおかみこどもの雨と雪」には、それがあったと思う。揺らいだカーテンに隠れた雪がおおかみの姿に変身する激エモシーンや、嵐が去った駐車場で花と雨がお別れする涙腺崩壊シーンなど、音楽(激エモ)と映像美(激エモ)の力を借りた分かりやすい感動ポイントが、まずあった。そのあと繰り返し鑑賞してゆくにつれ、瓶に入ったお花の描写や、おおかみであるとは?人間であるとは?といったテーマ理解度が深まり没入していく。そんな作品だった。それこそが「物語への圧倒的没入体験」だと思うのだけど、皆さんはどう思いますか?

 それを踏まえると、やはり奥寺佐渡子さんの脚本に戻してほしいと切に願う。復讐や憎しみを題材にしながら「自分の好きなように生きよ」というメッセージ細田監督から投げかけられた私は、素直に胸を打った。しかし、カタルシスに乏しく物語に没入できてないので、そのメッセージが深くまで刺さってこないし、未消化感が残る。上映が終わった後、前の席に座った女性大学生くらい?)の二人組が、「何の話か分からない……」と漏らしていたのが印象的だった。監督が伝えたいメッセージが観客に伝わらないのは、あまりにも大きな問題ではないか

 奥寺氏が脚本に嚙まなくなった「バケモノの子」以降、細田監督作品脚本の弱さを批判され続けてきた。しかし、「竜とそばかすの姫」はそれなりに売れてしまったわけだし、商業的にやっていける限り細田脚本は続いていくだろう。

 しかし、本当にそれでいいんですか?

 「あなた脚本だと、メッセージが観客に上手く伝わってないみたいですけど、本当にそれでいいんですか?」と、細田監督に問いかけたくなる。「好きなように作って満足!」みたいな同人誌的な態度の映画作りで細田監督が満たされるのであれば、現状維持でかまわないと思う。我々はスクリーンの前で、感動ではなく悔し泣きの涙を呑むしかない。

 しかし、莫大なマネーステークホルダーを巻き込み、作品を広く世に知らしめる力を持つクリエイターとして、「自分メッセージを世の中に投げかけ、沢山の人の気持ちを揺さぶりたい」と細田監督が考えているのであれば、勇気をもって奥寺脚本に戻していただきたい。

 ちなみに奥寺佐渡子さんのことを調べたところ、最近脚本を手掛けた「国宝」なる映画がとてもすごいらしい。昭和ど真ん中の時代に、任侠の息子が歌舞伎役者として成長していく話なんて教養がない私にはとても敷居が高いんだけど実際どうなの????教えてエロい人。

PS

 TOHOシネマズBGMってあるじゃんピアノの曲。超久しぶりに映画館に行くので、あの曲が劇場で流れている雰囲気も楽しみにしてたんだけど、開場して五分後に入場したらすでに広告が始まってて聴けなかった。放映終了後も、「忘れ物に気を付けてください」の画面が出てくるだけで聴けなかった。開場直後に滑り込めばこのBGM聴けるの?これもエロい人がいたら、ついでに教えてほしい。

 仕方がないので、その曲を無限リピートさせながらこの記事を書いている。ちなみに、TOHOシネマズBGMは「ナッシュスタジオ」という、業務用向けのBGM効果音を専門に販売する会社のもので、ハードオフの店内放送曲や天神CM、デデドン絶望)もこの会社作品らしい。"Nash Music Library"で調べればストリーミングで聴ける。

2025-11-20

Netflixエクセプション

ストーリーをよくわから特にどのキャラ感情移入もせず「ほーん そうなんや」感だったけど最後まで見たのは作品ビジュアルが新鮮だったから…

・ビジュよかったとこ→宇宙船というメカメカしいロマンを突き詰める方向性か、清潔で無機質な方向性イメージが強くなりそうなモチーフラリックみたいな蝶やステンドグラス的な美しさが強いデザインで新鮮だった キャラのビジュがラブデスロボット初期にあった水泳だか建築家だかの話の人の雰囲気を感じて、あの作家さんが関わってんのかな だとしたらあの作家性と今作品商業性で上手く折り合いつけた作品になってんな という部分

移住後の人類医師の女の人に頭が上がらねえよ 

医師の女の人、つらすぎる

常人なら発狂するでこんなん

・特例私用コピー人間と、コピーさせた人間って対面しちゃダメなんじゃなかったっけ

・なんだかんだ面白かった気がするのでヨシ!

2025-11-12

ストーリー目当てにアクションRPGを遊ぶ人が理解不能なんだが俺って変わってるのかな?

アドベンチャーミステリーストーリー目当てにするのはまあ分かるんだよね。

物語の行く末を追っていくゲームからさ。

でもRPGアクションって違うじゃん?

基本的に大部分の時間は敵と戦ってる時間じゃん?

物語を先に進めるのとゲーム部分って全く連動してなくて、伏線について頭を捻るよりも装備品で耐性パズルするかどうかじゃん?

まあパズルゲームしろSTGしろ9割のゲームがそうなんだけどさ、つまり俺は9割のゲームにおいてストーリーはメインじゃないと思ってるわけよ。

でも世の中にはいるじゃん?

「俺はストーリー目当てにFGOやブルアカをやってるんだ」みたいなのが。

はぁ?

お前がプレイしてる時間の8割ぐらいは戦闘じゃん?

ストーリーなんて全体の2割程度。

周回やランキングガチ勢だったら1割もないレベルだろ?

なんかもうおかしくないか

それならその時間小説漫画でも読めば10倍大好きなストーリーが味わえるだろ?

マジで理解できない。

だって別にゲームストーリー必要ないと思ってるわけじゃないよ?

でもストーリーを目当てに遊ぶんだったら、それはストーリーと密接に根ざしたゲームであるべきだと思ってる。

Outer wildsとか逆転裁判とか、ストーリーを追いかけること自体ゲーム性そのものみたいな作りのゲームだと「俺がこの物語を解き明かしたんだ」って感動は確かにあるよ。

でもドラクエみたいな結局はレベルを上げて雑魚ボコってボスをやっつけるゲーム場合におけるストーリーって、戦闘を楽しむための背景でしかないじゃん?

強くなる過程ごっこ遊びを支える頑丈な屋台骨があるのは良いことだと思うよ。

スカスカストーリーゲームとか「これクッキークリッカーでいいよな?」ってなりかねないのも分かるし。

でもストーリーゲーム性の間のつながりが薄いゲームを「ストーリー目当てに遊ぶ」ってのは理解不能だわ。

俺がドラクエ遊ぶのはレベルを上げて強くなってくのが楽しいからだし、もちろんせっかく強くなるなら強そうな見た目や設定のボスを倒せるようになることが目標のほうが楽しいとも思ってる。

だってもしラスボスキングスライムだったらクソゲーじゃんドラクエなんて?

んでまあプレイのおまけ程度に思っててもなんだかんだ感情移入してしまうこともあるからさ、「このRPGストーリーめっちゃ好き」みたいなのは分かるのよ。

でも「ストーリー目当てにRPGやる」は理解できない。

マジでわからん

それならまだ「エロ同人寝取られる気分になりたいかソシャゲプレイして好きになったキャラはお迎えしてキッチリ育てた上で脳破壊に向けた位置エネルギーを貯めてる」のほうが理解できる。

マジで分かんねーんだわ。

あれか?単なる格好つけなのか?

もしかして俺が変わってるだけかな?

ポラリスコード男尊女卑の男社会が招いた惨敗

ポラリスコード』は単なる失敗作ではない。

「男の稼ぎ優先」「女性ユーザー無視」「男の雑なエゴ設計」が積み重なった、男社会産物だ。

決算を優先して未完成品を市場に投げ込み、女性感情を軽視したコンテンツ運用広告施策で「やっつけ仕事」を晒した結果、業界男尊女卑黒歴史に刻まれた。

女性の声が届かない男中心の組織が、ジェンダー無視のツケを払わされた典型例。

決算に合わせた強引リリース女性ユーザーに対する男たちの露骨裏切り

稼働日を3月27日にぶつける男上層部の決定。これ自体が男のスケジュール至上主義産物だが、問題はその後。不具合だらけの状態承知で稼働させたのは、女性ユーザーに対する明確な男の裏切りだ。

バグフルコンボが認められない、ガチャで当たった可愛いキャラが使えない、ストーリーは「後日」「未定」——これを「初期不良」と呼ぶのは、男の論理優先思考の甘え。

女性感情ゲームを楽しむのに、そんな男の数字遊びで台無しにされた。

ロケテスト複数回実施した痕跡があるのに、女性プレイヤー体験共感や没入感が改善されていない。

これはテスト結果(女性フィードバック)を男上層部無視したミススケジュール最優先の男の経営判断が、女性の心を切り捨てた。

男女論で言えば、男は短期利益、女は長期満足を求めるのに、コナミの男たちは女性視点を欠如。ツケを払わされたのは、現場女性ユーザーだ。

ガチャ課金設計、男の搾取本能女性軽視の極み

300円ガチャに「機能しない報酬」を混ぜて解析もせず実装。これは男の詐欺搾取思考のもの

女性ユーザー金銭的に食い物にする男の姿勢が透けて見える。努力で得た成果を課金台無しにする設計は、男の「勝ち負け」論理女性の「楽しさ」を破壊した致命傷。

スコアリングカードレアリティ依存で、実力でトップに立てない仕様これは男社会の「金で解決思考産物

女性が求める公正さと努力報酬放棄し、課金に置き換える男の短期主義が、ブランド破壊。男女の違いを無視した結果、長期的信頼を失った。

コンテンツ貧困、男の視点で作った「見せかけの女キャラ」、女性の心を掴めず

稼働時のキャラクターは男デザイナーの切り抜き絵に過ぎず、背景も人間関係も語られない「男のオカズキャラ」。

女性物語感情を与えないのは、男の「見た目だけ」思考女性共感を自壊させた。

女性キャラ感情移入して楽しむのに、男たちは数字ビジュアル優先。

競合がMVショートストーリー女性ファンを掴む中、ポラリスコードは「画像一枚と告知」SNS拡散前提の男の浅いプロモ

女性が求める「キャラ日常」やVtuber連携を欠くのは、男企画者の想像力欠如。男社会の「女の心わからん」体質が露呈した。

コラボ戦略の失点、中途半端な女Vtuber選定、男のケチ臭い見せ方失敗

Vtuberコラボ」をやりながら、実効性の低い層を選んでお茶を濁す男の怠慢。

コラボキャラを3DMVに反映しない愚行は、女性ファン共感放棄。男たちは「金かかるから」と最小工数ケチり、マーケティング失敗。

結果、女性層の話題ゼロリソース浪費。男の「効率優先」が女性熱量無視した罪。

音ゲーとしての核心欠落、男の既視感寄せ集め、女性の新鮮さを奪う差別化失敗

楽曲譜面デバイス、男の「俺の好み」設計中途半端独自性主張に失敗し、女性の「ワクワク」を生めず。

コア女性層が求める「努力が報われる公正さ」を損ない、男の課金誘導寿命縮小。

男女論:男は競争、女は調和を求めるのに、男中心設計女性離れを加速。

根幹の問題:男社会組織文化と男リーダー意思決定失敗

デザイナースタッフの男たちが原因だが、本質は男中心の組織スケジュール優先、QA軽視、場当たり運用

男の「数字で勝つ」文化未完成品を市場に。批判は「男構造」へ。背後の男経営リーダーが、短期業績と男プライドを優先し、女性UX犠牲にした組織的男裏切り。女の声が入る多様性欠如が招いた。

ポラリスコードは男社会への警告——ジェンダー無視の過ちを繰り返すな

ポラリスコード』は男尊女卑の負の見本。表層機能女性を騙せない時代女性ユーザー感情で学び、声を上げた。市場は男の利益より信頼を評価

必要なのは、男経営責任説明、透明アップデート、そして女性視点最優先の設計転換。

次に男のエゴ作が出たら目をつぶらない。この記事を読んだ女性拡散を。ポラリスコードの失敗を、男社会変革の糧に。

2025-11-09

東島

40歳仮面ライダーグッズに2400マンもつぎこめるって金持ちすぎて感情移入できねえわ

しかバイトだろ?

年間200マン

こどおじならいけると思うがそうじゃないっぽいし

2025-11-05

今度推しの子アニメ第3期が始まるから1期から見返してるけど

1期は凄く面白いな。OPアイドルがまず良い。典型的勧善懲悪でスカっとするシーンがたくさんある。

2期は何か微妙だった。OPが何かダサくてダメだった。ミステリー風景が出てくると途端きな臭くなるのを除けばクオリティ自体は高かったと思う。劇中劇感情移入しづらかった。ただ重曹ちゃんあかねちゃん関係が尊かった。

原作既読。とりあえずラストの展開をアニオリ改変してくれる事を望みつつ第3期も楽しみにしようかなと思ってる

2025-11-02

anond:20251102152611

いやです。なぜなら以下の文章が書かれている本が日本語の本とされているから。

芸術的要求の―吾々の近代立場からいえば様式要求の―心理学というものはまだ書かれたことがない。それは世界感情歴史ともいうべきものであろう。

そしてそれはかかるものとしての宗教史と同じ価値もつであろう。

私の解釈によれば、世界感情とは人間宇宙に、即ち外的要求として、換言すれば、絶対的芸術意欲として顕われる。

そして外面的には芸術作品として、即ちその特性が同時に心理的要求特性であるところのもの様式として凝結する。

かくて芸術様式的発展において、種々なる民族神統記(テオゴニー)におけるが如く、いわゆる世界感情の種々なる発展過程が読みとられるのである

ヴォリンゲル抽象感情移入」より

https://bookmeter.com/books/102290

dorawiiより

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2025-11-01

ホロライブと、はあちゃまと、アンチの件さ

なんか大事になってるなぁ

 

はあちゃまの該当部分見たけど、あれは完全に精神不安定状態

本人は否定しているが、誰が見てもそう、周り全員に当たり散らしてる

まあそういう女性は少なからずいるし、ストレスの多い仕事だろうし、若いしで、さもありなんで

周りが冷静になるべきだし、普通に精神状態を安定させる以外に手はないと思うんだけど

 

どうも、運営やホロメンが「アンチのせいで」という流れにしてしまっていて心配ではある

悪意あるアクティブアンチはもちろん悪いんだけど、今回の件とは切り離したほうが良いんじゃないか

それはそれ、これはこれ

 

アンチ問題っていうのは実際あって

特にXやTikTokなんかにはびっくりするくらいガチアンチが潜んでいるんだけど

正直大多数のファンの目にはそこまで濃い奴らは視界に入ってこない(多くが見えないところでやってるからね)

そういう界隈に狙って赴くか、そういうスレまとめサイトを見なきゃ大した事ないんだ

関係者の目には入るかもしれなけど、それを完全に防ぐのはかなり難しいし、粛々と対応するしかない

 

面倒なのは、今運営が言ってるような「風説の流布」をしてるのは純粋アンチじゃないことだ

こういうのは情報リテラシーの低いファン杞憂民とか、別のライバーファンとか)が中心なわけで

まりSNS適当なことぶっこいてる大多数のネット民」の一人でしかない

そういう、自覚なき炎上の加担者が一番厄介なのに、「反アンチ」と言ったところで、すれ違いが起こるんだよね

 

自覚なき炎上加担者の特徴

・「正義感」で誰かを攻撃する

・「軽い共感」や「感情移入からのむやみな拡散

・不確かな情報妄想して憶測不安を振りまく

・不確かな情報で怒る

 

基本的SNS炎上はこういうふうにして起きる

例えば、「運営けしからん」みたいなのもこれに該当する

その時の状況、条件、誰がどう言ったか、行動したか、そういうのが全く曖昧状態で、誰かに乗っかって「そこに居ない人」を叩くことで一致団結するみたいなのって最悪なんだよね

例えばライバーが漏らした運営への不満だって、詳細はわからないのに感情的に乗っかる人が大勢居る

運営けしからん」もそうだし、「あのライバーが悪い」もそう

ついでに言えば「もっとこうするべきだった」「こうしないから悪いんだ」みたいな言動も、炎上の加担者はよくやる(はてなーもよくやってる、自覚してるなら止めないけど)

 

こういう「自覚なき炎上の加担者」って必ずしも多くはないんだけど、少なくもないというか、1〜2割くらいは居る印象なんだよね

ファン10万人いれば、1万人以上はコレだから、正直どうしようもない

毎度こいつらにかき回されてるんだけど、どうしても「最も過激なことを言ってるアンチ諸悪の根源だ」と安易に片付けがちなんだよね

 

まあムズいよね

 

ライバーヘラる → 炎上の加担者が暴れる → ズレた対応

この流れも何回目なんだって感じだけど

まあムズいよね

 

___

 

とりあえず、みこち声明運営と同期してるから、またアンチが盛り上がるだけだと思う

餌にしかならない

2025-10-31

anond:20251031210528

マンガ好きだったけど自分囲碁やってみようとはまったく思わなかったな

でもスラムダンクとかはちゃん人口増えたんだよな

なんかやっぱ霊とかじゃなくてライバル存在で魅力的なキャラがいないと感情移入できないのかもな

2025-10-30

映画スーパーマンを見た

エンターテイメントサービス精神旺盛のジェームズ・ガン映画だった。84点

 

この映画は失敗作といっていいと思う。

いろんな要素はあるけど根本は2つ。

1.現代スーパーマンを撮るということ

2.ジェームズ・ガンスーパーマンを撮るということ

 

1について。

この作品はおおよそ2つの強大な危機提示される。

1つめはボラビアという腐敗国家による小国への侵略

2つめは次元の裂け目によるメトロポリス崩壊

これら2つはレックス・ルーサーが糸を引いているのだが、映画内では特にコネクトしない。

この巨大な危機はそれぞれ別の主題があると考える。

1は「現代スーパーヒーローが本当に救うべきなのは誰なのか」という問いかけ。

2は「スーパーヒーロースーパーパワー世界危機を救う」というお約束

そしてこれらをうまくコネクトできていないことで、作中でこの大きな2つの主題を別々でこなす必要に迫られている上に、SNSでの攻撃陰謀論現代スーパーヒーローが考えるべきこと、移民問題現代映画で語るべきことをすべて盛り込んでいるので作品がめちゃくちゃ忙しくなっている。

 

2について。

ガンは露悪の作家であり、チームの、最低でもコンビ作家である

その特性スーパーマンと食い合わせがすごい悪い。スーパーマンは完全に善意の人だし、一人で戦う。

そこでガンはスーパー犬のクリプトジャスティスギャングを投入した。

おそらくクリプトだけならまだ大丈夫だっただろうけど、露悪でチームの作家であるガンのよさを一番引き出せるジャスティスギャングを出さないということはガン的に難しかったのだと思うのだが、その結果、彼らの見どころをちゃんたっぷりつくらないと行けなくなった。

実際彼らはめちゃくちゃ魅力的だ。ガイ・ガードナー下品バカだけどナイスガイだし、ホークガールイカれてるし、テリフィックは天才不憫で着てるジャケットに「FAIR PLAY」とデカデカと書かれているのもイカす。そして全員めちゃくちゃ強いくて格好いい。

だが、その結果、やっぱり映画がめちゃくちゃ忙しくなっている。

 

つの問題共通点は「作品がめちゃくちゃ忙しくなっている」ことだ。

特にこれは冒頭40分くらいに顕著で、

スーパーマンの来歴と敗北と氷の基地での復活

スーパーマンVSウルトラマンの初戦

スーパーマン侵略したボラビアを攻撃したことの是非

ケント日常

スーパーマン談義

ルーサーの氷の基地への侵略

・KAIJUとスーパーマンジャスティスギャングの対決

スーパーマンが大バッシングを浴びる

とこれだけで十分映画一本撮れるだろ!という内容がギュッとされている。

実際、トレーラーに出てくる「面白そう」なシーンはほぼここに全部入ってる。

その結果、全てのシーンにタメも余韻もなく「スーパーヒーロー映画RTA」のようになってしまっている。

エンタメ要素だけ見れば十分満足できるんだけど、サクサクすぎて印象に残らない。

コース料理食べに行ったら5分毎に次の料理が出てくる感じ。急ぎすぎィ!まだ子供が食べてるでしょうが

 

まぁ大バッシングからちょっとずつ話が落ち着いてきて最終的にはいテンポになるんだけど、この序盤は面白シーン連発のはずなのに全然アガらず、逆になんか盛り下がってしまった。

皆様ご存じ系ヒーローオリジンどうする問題を今回は「冒頭3分で全部ナレーションでやる」という力業解決しているのだけれど、それでも私たちは「今回のスーパーマンはどんな人なの?」ということはわかんないわけ。初戦でボコボコにされてそれをタコス屋のおっちゃん(後にキーマンになる)に助けられる展開がある。トレーラーでも印象的に扱われていたシーン。そこで、この人は前に助けた人なんだよと説明があるんだけど、そのシーン見たかったわ~説明だけじゃ感情移入できないわ~ってどうしてもなっちゃう。

登場人物を増やしていろんな設定を盛り込んで全部消化しようとした結果、どれも美味しいはずなのにちょっと食い足りない感じになってるのはスゴイもったいない。やっぱりジャスティスギャングは次回以降か、SVBのワンダーウーマンみたいに最終戦で助けに来るみたいな感じでよかったんじゃないかと思う。

後はトレーラーでも印象的に扱われていた少年スーパーマンの旗を掲げるシーン。あそこで初代スーパーマンテーマが流れて流石にエモすぎるだろ!となった結果、どうなるのかというところ。あそこはガンによる「世界スーパーマン一人に背負わせない」というポジティブメッセージとDCUの世界説明として完璧機能していると同時に、さすがにあのエモさでガン特有の「ズラし」をするのは違うんじゃないかという両面でモヤモヤした。

 

今作ではスーパーマンの真の使命として「地球で愚かな民を支配し、種付けしまくれ!」と両親が言っていたことが明らかになりこれによってスーパーマンバッシングされ収監されることになる。しかスーパーマンはそのことを知らず「自分は確かにエイリアン(移民)だが、この国で育ってこの国を愛している。誰からまれそいつがなにを言ってるかなんか関係ないんじゃないか」という移民バッシング批判とガンの命題である家族という呪いからの脱却」へのアンサーを出していて、これ自体はガンらしくてよかった。

SNSスーパーマン批判キャンペーンを展開しているのがガチおさるさんだというのもSNSディズニーを一度は追い出されたガンらしい皮肉が効いていてよい。

あと、やっぱクリプトね。スーパーマンレベルの力を持った犬なんだけど、マジで犬。しかバカな犬。かわいいバカ犬。クリプト見るためだけにこの映画見ていいまであるクリプトをこうしたのガン天才やと思うわ。

そしてレックス・ルーサーかいうめちゃくちゃ一般人天才増田やってそう(ヘイトスピーチ)。今作では基本的スーパーマンを圧倒する頭脳を見せるのに、ウルトラマン操作コマンド式にしたり、国を買い取って自分王国を作ろうとしてたり、ブロンドで乳がデカバカ女ばっかりと付き合ってるし、スーパーマンを憎むのは「あいつばっかりちやほやされてムカツク」という承認欲求から。そして最終的にクリプトボコボコにされて泣き出しちゃう。か、かわいいニコラス・ホルト天才やな。

ガン映画の一番の魅力である登場人物のすばらしさに関しては言うことなし。満点。 

GotGで見せたアクション面白さも健在だし、エンタメ映画として必要ものは高い水準で全部入ってる。

 

この映画は俺は失敗だと思ってるけど、面白映画を見たいなら絶対に見るべきだと思う。

なんか失敗扱いになっちゃったけど俺はDCEUも好きだったし、DCUも応援したい。今のところ全部面白いし。

今作はDCU最初映画ということでいろいろ無理やり詰め込んだ結果こうなっちゃったのかなとも思うし、今後しっかり腰を据えた映画がこのクオリティで作られていくことを期待したい。

2025-10-22

上から目線というやつが大好きな人は葬送のフリーレンとか好きになるんだろうなあ、。

上から目線が大好きな人は葬送のフリーレンとか好きになるんだろうなあ。

ワイはそういう要素がないから、面白さが全然わからん

ということに同僚のMくんに教えられてやっとわかった。

ワイ「葬送のフリーレンってよくわからん

Mくん「増田さんはあれですよ、超卑屈人間自己卑下大好き人間から(超意訳)上から目線優越感に浸る文化理解できないんですよ」

と言われてやっと理解できた。

かにフリーレンって千年生きたエルフが、人間を見下ろす構図なんだよな。

寿命の短い人間を、長命エルフが上から眺めて、ああだこうだと感傷に浸る。

それがエモいとされてるわけだ。

でもワイにとっては、それが全く刺さらない。

しろ不快なんだ。

なんで人間側の視点じゃなくて、千年生きた側の視点なんだよ。

人間消耗品いか? 入れ替わり立ち替わり出てきて、フリーレンの感慨のための舞台装置か?

Mくんはさらに言った。

増田さんは自分底辺だと思ってるから、上から見下ろす視点感情移入できないんですよ。フリーレン見てる人は、自分フリーレン側だと思って見てるんです」

衝撃だった。

みんな自分フリーレン側だと思って見てるのか。

ワイは完全に人間側だと思って見てた。いや、人間ですらなく、モブ側だと思ってた。

フリーレンに名前すら覚えてもらえない、その他大勢人間の一人として。

でもみんな違うんだ。

みんな自分特別な側だと思ってる。千年生きる側、物語主人公側、俯瞰して人生を語れる側。

からフリーレンの達観した物言い共感するし、エモいと思える。

ワイには無理だ。

ワイは人間側だ。短命側だ。フリーレンに忘れられる側だ。

から、あの作品を見てると、ずっと見下されてる気分になる。

Mくんは笑いながら言った。

「でも増田さん、その卑屈さって実は傲慢の裏返しですよね。自分特別底辺から、他の人とは違うって思ってるでしょ?」

ぐうの音も出なかった。

かに、ワイは自分の卑屈さを特別視してる。

みんながフリーレン側に立てるのに、俺だけは人間側だと思ってる。それって、ある意味選民思想の逆バージョンじゃないか

でも、それでもやっぱりフリーレンは好きになれない。

あの作品好きな人否定するつもりはない。

ただ、ワイには合わない。上から目線人生を達観する余裕なんて、ワイにはない。

そもそも、千年も生きてないのに、達観した視点物事を語る人間が苦手なんだ。

お前まだ30年しか生きてないだろ、って思う。

フリーレンは千年生きたから許される。でも、人間が同じことやったら、ただの若造知ったかぶりじゃないか

Mくんは最後にこう言った。

増田さんは、物語癒しを求めてないんですよ。物語現実の延長を求めてる。だからファンタジーが楽しめない」

その通りかもしれない。

ワイは物語の中でも、自分立ち位置を探してしまう。

そして、いつも端っこにいる。

フリーレンみたいな作品を見ると、自分いか物語の外側にいるかを思い知らされる。

それが辛いから、好きになれない。

でも、世間ではフリーレンは大ヒットしてる。

ということは、多くの人が自分主人公側だと思って生きてるってことだ。

自分特別で、長生きして、他人を見下ろせる立場にいると。

それって、幸せことなのかもしれない。

ワイにはその幸せ理解できないだけで。

から、葬送のフリーレンが好きな人を羨ましく思う。

自分主人公側に置いて物語を楽しめる人を。

ワイは多分、一生モブから物語を見続けるんだろう。

そして、それでいいと思ってる。

上から目線人生を語るより、下から見上げて、それでも生きていく方が、ワイにとっては誠実な気がするから

2025-10-21

主人公の家が豪邸で萎え

まどマギ見て主人公の家のでかさにビビる

広大な洗面所とか

しか住宅地じゃないところに庭付き一軒家

そして良い家族

不自由無い暮らししててとても感情移入なんてできない

もっとこうあるだろ

貧乏長屋とか

金はあるけど家庭不和で愛に飢えてるとか

そういう設定のほうが主人公に向いてると思うんだよな

何かしらの欠損がないとフィクション主人公らしくないよ

2025-10-19

海外日本アニメウケる理由がわかった”

https://president.jp/articles/-/103837

日本アニメにはまず濃密な人間関係ベースとしてあり、そこにファンタジーSFや学園モノといった趣向が被さる二重構造になってるということでいいのだろうか。

いわば等身大人間たちがお芝居をしている感じ。だからガッツリ自己投影感情移入やすいと。(かつ、それが欧米では新鮮に受け取られている。日本ではむしろ食傷だが)

翻ってハリウッド作劇術によるような一枚岩のよく整理された物語においては全てのキャラクター特定機能を帯びており、観客は完全に蚊帳の外スクリーンの外である(まあ本来あたりまえだが)。

藤田和日郎作品にもこの“欧米”っぽさを感じる。おとぎ話として自己完結しており、キャラクターは話を進めることにそれぞれ真っ直ぐ奉仕してるので全体にしらんがなと思ってしまう。

巨大ロボットに乗って敵と闘いつつ中学生みたいな恋愛もする、そしてその恋愛が主たる任務遂行にも絡んでくるというとっちらかった二重構造日本マンガアニメ独自のものなのだろうか。

ハリウッドヒーロー恋愛はするが、それはわちゃわちゃ近づいたり離れたりというものではなくて「さらわれた恋人を助ける」的な大目標であったり、あくまオフ息抜きだったりする。

2025-10-18

dorawii@執筆依頼募集中

ドラゴンボールアドバンスアドベンチャーってゲームミニゲーム二次元格闘モードがあったんだが、

家ではゲームは1時間とか縛られてたから、塾へ早めに向かって、その塾の建物と別の建物の間の隙間で、それぎりぎりまでやるルーチンだったわ。

から見ればCPUの対戦にそこまで時間作るのかって感じだが、相手自分キャラ双方に感情移入して、自分の中で筋書き作って筋書き通りに楽しむ。

そんな筋書きの自演自作による追体験に妙にはまったんだわ。現実逃避創作を消費するのと根は似た心理なのだろうか。

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2025-10-16

女性にとって、芸人日常アニメ

女性向けの日常アニメってあんま無いよなーって思ってたけど、それに当たるのがコンビ芸人なのかなって、最近TLに女性漫才オタのツイート流れるようになって思った。

そういえば、令和ロマン女性ファンが多い印象あるけど、近年の漫才漫才の中に2人が戯れあって仲の良さを見せるパートが増えた気がする。

それに、くるま謹慎した際も、くるまに対する相方ケムリの心情を解釈して感情移入するツイートが多く見られた。

これって、男オタが日常アニメを見てキャラ同士のやりとりに尊さを感じたり、カプのお互いに対する感情解釈したりするのと似てるよね。

男性における日常萌えアニメと同じ位置にあるのがリアルのおじさんというのは少し不思議な感じがするが、まぁ納得感はある。大抵の男性中高生美少女が好きなのと同じ感じで、女性清潔感のあるおじさんなら好みそうなイメージがあるし。

まぁ、ここで語れるぐらいのサンプルが令和ロマンしかいないか信憑性は高くないと思ってください。

2025-10-13

ピエール瀧社会復帰が気になったので

あと、小林薫の声が好きなので、(というか、ジコ坊が好きなので)

ホウセンカ」を観てきた。気になった事とか感想ネタバレありで書く

まず、ピエール瀧は良かった。

「お前がそれ言う?」みたいな感じで楽しめた。

アナ雪を観たことないかオラフとの比較はできない。地上波でやってた時に観とけばよかった。

小林薫・・・・、小林薫ってこんなにおじいちゃんだったのか、というくらい自然だった。74歳なら当然か。

満島ひかりも好きだけど、UQUEENとしてのひかりが好きだったんだなと気付いた。

冒頭で、まだ何の感情移入も出来てない段階で、長々と花火映像を見せられて、

オープニングテーマ的な歌を聞かされたんだけど、あれは辛かった。あれってどうなん?ああいうもん?

これが普通なのだとしたら、自分現代アニメって楽しめないのだな・・・と少し寂しく感じた

それともタイアップとか大人の事情で無理やり捻じ込んだんだろうか。

あと、阿久津のキャラクター造形に納得がいかないというか。

あれだけ用意周到で強かなのに、貯金はしてないってあり得んくない?

まぁ「大金を得るために、強盗をする」という話を成立させるために仕方ないのだとは思うけど。

ツミ兄貴孤独な老人になってたのは良かったけど、

もうちょっと悪人っぷりを見せつけて欲しかったな気がする

しろ、阿久津に良いように使われて被害者じみてないか

アイツにも瀧の声を聞かせてやれよ

ケンスケについては・・・・ 特にないな

血まみれの2億で助かったことに苦悩するシーンとかあったら個人的には面白かったんだけど

あとは、物置置いた土地、どうなったんだろう。どうにもならんか。民法面白いな。

しかし40年弱?放置しても大丈夫だった、あの物置すごいな。

イナバ物置100人乗っても大丈夫伊達じゃない

物置に名前が書いてあるのかは確認できなかったけど、書いてあった?

色々書いたけど、結構楽しめたので見て損はないと思います。以上。

2025-10-12

自他境界輪郭が定まってきた

自他境界輪郭が定まってきた。

専門家でもないし、ネット情報鵜呑みにしているため、あくまで私の精神面が成長したというのをそれっぽい単語を用いて使っているだけです。用法定義が間違ってたらごめん。

自分の自他境界が薄いというのは社会人になってから気づいた。

ここ最近ではかなり思考修正ができてきたと思う。

自他境界がハッキリしている人たちと会話する機会に恵まれ対話を重ねていくことで気付かされ、矯正されてきたというのが正しいかもしれない。

それでも十年近くかかったし、同世代と話していると自他境界曖昧だと思う人はそれなりにいて、根深問題なんだなと思った。

自分がどのように認識して、どのようなプロセス改善されてきたか日記として残しておきたい。

私の場合自罰的・感情移入・尽くしタイプだ。

相手が不機嫌になると自分が悪いのではないかと思い込む

相手の話を自分事のように思い込む

・話のトーンに引き摺られやす

相手要求を断れない、または合わせようとする

相手を遊びに誘うことができない

などが主な自覚症状である

育った環境のせいか、ご機嫌伺いのような癖が抜けず相手に対して100%パフォーマンスを見せなければ、という思考状態だった。

プライベートでも仕事でも乗り気じゃなくても断ることができず心から嬉しいような演技をしてしまう。どうしても断らないといけなかったりしたときには相手が不機嫌にならないようにフォローをしにいくほどのご機嫌伺いマンだった。

どうやって改善したのかというと、正直ハッキリ分からない。劇的な出来事があった訳でもない。

ただ、先ほども述べた通り、周りにいた自他境界がハッキリしている人達対話していくうちに思考ベースラインを都度見直ししてきたのが良かったのだと思う。

例えば、以下のような流れを繰り返していった。

1.他部署から仕事の依頼をされる。

2.上司報連相する。

3.「~だから、厳密にはウチの仕事じゃないよね?」と上司説明してくれる。

3.その場は言い訳したりしつつも(じゃあ誰の仕事なんだ?なんで請けてしまったんだ?)を思考していく。

4.自分が請けなくても仕事は回ること、今回はその責任はないことを言い聞かせる。

また、請けることで得たかった安心材料が何かを考える。

認められたい・助けることで好かれたい・断ることで嫌われたくないなど。(ここが一番難しい)

5.次回以降同じシチュエーションがあれば、仕事を断ってみる。少しドキドキする。

4は自分の醜いところに向き合う必要があるので恥ずかしかった。

「認められたい」は承認欲求の現れだから(あることが悪いことだとは思わないが)、自分犠牲にして他人自分の隙間を埋めてもらう必要はない、と言い聞かせた。

(余談だが、承認欲求が人より大きい自覚もある。そういう人だと底に穴が空いてるのがそもそも問題なので、水を注ぐより底の修理を優先するべきだと考えている。まだ悟りには至ってないが、私は認められたかったんだね、と自覚するだけで効いてきている気がする。)

「助けることで好かれたい」についても、好かれてどうしたいのかを想像してみた。

好かれることで飲み会に誘って欲しいのか、冗談を言い合える仲になりたいのか、他の人にいい人だと広めて欲しいのか、異性であれば下心を叶えたいのか。

そして驚いたんだが好かれた先のビジョンが全くなかった。正直飲み会に誘われても困るし、冗談を言い合える仲になりたいとかもないし、いい人だと広めて欲しいがそこまでの野望も能力もないし、下心もない。

あと、こういうとき仕事を頼む人は本当に代わりにやってくれる人を探しているだけであって、助けてくれたことを恩義に感じる人はかなり少ない。よってあまり意味は無い。

好かれることは経過であって結果ではない。まさに目的手段が入れ替わっているのが思考していて自分でびっくりした。

好かれなければと強迫観念のように思っていたのに、好かれても嬉しい要素があんまり無かった。

もちろん、仕事に限らず属しているコミュニティ自分価値を上げたい=好かれたいとは未だに思ってしまうが、世の中そんな簡単に尽くしたからといって上がるようにはなっていない。適正な範囲で少し努力するくらいが凡人には合ってるのだと思う。

最後に、自他境界薄いあるあるだと思うのが「断ることで嫌われたくない」だと思う。

これは自分に置き換えるというのをよくやった。

自分仕事を正当でない部署の人に頼んだが断られた。これで嫌い!にはならない。せいぜいま、そうだよな……で諦めるくらいだと思う。

お菓子とか物をあげてしまタイプの人であれば、自分お菓子をもらえなかったら嫌いになるかを考える。ならないのが普通だと思う。

しかしたら偶に、だから嫌い!になる人もいるかもしれないが嫌われたからといって、いい大人になった今、徒党を組んでいじめられたりとかは考えづらい。LINEブロックするなり、上司相談してNG組み合わせリストとして運用してもらうとか、最悪仕事を辞めればいい。

自分だったら嫌いにならないのに、嫌われてしまう!と咄嗟になってしまうのが自他境界薄い人間の難しいところである

長々と仕事の例で書いたが、プライベートでも似たように思考するなり置き換えするなりしていった結果、遊びを断ったり、遊びに誘ったり(断られてもそうなのね、で流したり)がなかなかのレベルでこなせるようになってきたと思う。

何もしてないのに不機嫌になる人も怖くはない。不機嫌になる人自身問題からだ。

他にも、友人と会話してて寄り添うためにトーンに同調したりするが帰宅した頃にはケロッとしているし、なんなら切り替えて他のことをやれる。

本当に、人間として成長できたのが嬉しい。

物事をハッキリ言える・捉えられるようになったのでストレスも減った。

表で仲良くしつつもSNS呪詛を垂れ流すようなことも必要ないので人間関係も安定している。

とはいえ、まだ他にも課題が残ってはいるのでこれからも引き続き矯正していこうと思う。

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