はてなキーワード: 固定化とは
事実そのような側面はあるが、別にどうでも良いだろ階級なんてなくからないしリベラルやフェミニストが積極的に自分らの有利になるよう固定化しようとしてる
お前はどうしたいんだ?
都会(特に東京)と田舎の文化格差とそれによる「人生の差」「不利益」について語る際、話題にあがりがちなのは美術館がどーのこーのだったり、映画館がどーのこーのだったりする
田舎出身で地元に大学も職もなく、成人してから大都市に住み働く身として感じるのは、都会と田舎の文化格差は間違いなく存在するが、その文化格差は美術館が近いとか音楽祭が開催されているとかそういう問題ではなく、
田舎で育った我々は教室で勉強しようものなら「ガリ勉キモい」と蔑まれ、教育熱心な親は地域からどころか先生からも白い目で見られる環境で18年間育った。
そして18才で小4から1日10時間勉強を続けてきた都会っ子たちと「よーいドン」で「平等な試験」を受け合否を判定されたわけで、これこそがまさに都会との格差であり深刻な不利益だった。
田舎出身者からするとこんなグロテスクな事実から目を背けてフェルメールやら劇団四季やらタサキ真珠やらの話をする人間は吐き気がするような馬鹿だと言わざるを得ない。
むしろ田舎に本籍があっても日本は都会っ子と同じ試験を受けることができて、平等に評価される。試験内容は教科書通りで、わりと簡単。
こんなに平等で恵まれてるので、教室のプークスクスなんか気にせず「トメィトゥ」と発音し勉学に勤しめば都会っ子と十分戦えるし、まあ医者にも弁護士にもエリサラにもなれる(医学部は階級固定の世界だけど)。
でもちょっと面白い話をします、今から。今から40年の間、この40年の間。たぶん皆さん、若い人生まれてない。これ、長いスパン、40年の間にアメリカが軍事侵攻した国はどのくらいあると思います? 13カ国です。13カ国に侵攻したんです。つまり侵略みたいな感じですね。そのうちのひとつ、アフガニスタンで僕はアメリカのために、アメリカのために闘いました。中国はこの40年間に軍事侵攻した国の数、どのくらいあると思います? ゼロです。ゼロなんです。ゼロなんです。じゃあもうひとつ。アメリカがアメリカ国外に、アメリカの外に軍事基地をいくつ置いてる、いくつつくってると思います? アメリカの軍事基地です。750。750。80カ国に。そのうちのひとつがここです。っていうか、その80カ国の中で一番でかいアメリカ基地を持ってるのがここです。
中国は、中国の外にいくつ基地を持ってると思います? 1個です。1個。1個ですよ。ジブチというアフリカの上のほう。そこにはアメリカ軍も実は基地を持ってる。実は自衛隊も恒久的な軍事基地持ってんですよ。この9条の国が軍事基地持ってんです。で、これを固定化したのが旧民主党政権です。僕は反対したんだけど、友達いっぱいいたから。日本はもう軍事基地を外に置く、そして岸田内閣の計画通り防衛費が倍増されたら、日本は本当の本当の軍事大国になるわけです。今、中国の話聞いてどうでしたか? これ。そんなに怖がる必要ありますか? 怖がるなとは言わない。さっき言った軍事ってね、スーパーパワーだから。でもそんなに、そんなに怖がる必要ありますか? そこなんです。怖がらせると誰が儲かるか? もちろん、日本がもっと武器欲しい、欲しい、欲しい、欲しい。武器産業儲かりますね。それと政治家です。恐怖というのは、国民の恐怖というのは一番票になるんです。でしょ? これは古今東西、ひとつの法則です。国民を怖がらせる、それで一番力を集中させる手段なわけであります。これはしょうがないかもしれない。で、みんな怖いもん。怖がるもん。恐怖はあるもん。でもほどほどにしましょう。ほどほどに怖がりましょう。そのために今、僕はひとつのファクトを提示しているわけです、今の中国の軍事基地の話。中国は果たして侵略したことがあるか? それは中国は、ね、珊瑚礁を埋め立てたりしてますよ、それは。実は日本も同じようなことをやってんですよ、実は。沖ノ鳥島ってところで。でも、他国を侵略してないんです、まだ中国は。この40年間。ちょっとそこは頭に置いて、その怖い、怖いに少し、少しだけブレーキをかけてください。それが皆さんの生活にもっと予算を投資する。もうね、イージス艦1隻買うお金があったら、高校無償化できるし、大学も無償化できますよ、これ。そういうことなんですよ。ぜひ応援ください。
少しでも自浄を期待してるから、選挙明けに責任取らされてすぐ降ろされそうな石破がかわいそうだよ、
どうせなら
・裏金やったやつ
・それ以外(まともかどうかは不明)
くらいに選挙期間だけでも分裂してくれれば"まだ自民的な存在"に票を入れやすいのにな
政党ごとの議員上限数30くらいに制限するのもどうかなとおもってGeminiに聞いてみた。いまいちだったけど、今の与党に対する処方箋としてはどうだろうか。
ーーー以下Gemini回答ーーー(タグとか知らんかったので直コピペ)
日本の政党の議員数を30人程度に制限した場合のメリットとデメリットについて、詳細に検討してみましょう。
政党の多様性減少、政治の安定化: 政党数が大幅に減ることで、政党間の対立が激化し、政治が不安定になる可能性が低減します。政策決定がスムーズに進み、政治の安定化に繋がる可能性があります。
小政党の消滅防止: 議席獲得がより困難になるため、小政党は合流や解散を迫られ、政治勢力が再編される可能性があります。これにより、特定のイデオロギーや地域の利益を代表する小政党が消滅し、多様な意見が反映されにくくなる可能性があります。
政策決定の効率化: 議員数が減ることで、意思決定プロセスが簡素化され、政策決定のスピードが向上する可能性があります。
議員の専門性向上: 少ない議員数で国政を運営するため、各議員はより幅広い分野の知識や経験を身につけることが求められます。議員の専門性向上に繋がる可能性があります。
多様な意見の反映不足: 議員数が大幅に減ることで、多様な意見が国政に反映されにくくなる可能性があります。特に、少数意見や地域特有の課題などが軽視される恐れがあります。
政治の硬直化: 政党数が減り、政治勢力が固定化されると、新しいアイデアや政策が生まれにくくなり、政治が硬直化する可能性があります。
有権者の選択肢減少: 選挙で選べる政党数が減るため、有権者の選択肢が狭まり、政治に対する関心が低下する可能性があります。
地域代表性の低下: 議員数が大幅に減ることで、地域ごとの代表性が低下し、地域特有の課題が国政に反映されにくくなる可能性があります。
政党の独裁化: 議員数が少ない政党では、少数の有力者が党の方針を決定しやすく、民主的な意思決定が阻害される可能性があります。
その他
議員1人あたりの負担増: 議員数が大幅に減ることで、1人あたりの業務量が増え、議員の負担が過大になる可能性があります。
選挙制度との整合性: 議員数を制限する場合、現在の小選挙区制や比例代表制など、選挙制度との整合性をどのように図るかが大きな課題となります。
憲法との整合性: 議員数の制限が、国民の代表制や政治参加の自由といった憲法上の権利を侵害する可能性も考えられます。
まとめ
議員数を30人程度に制限することは、政治の安定化や効率化といったメリットがある一方で、多様な意見の反映不足や政治の硬直化といったデメリットも考えられます。
この問題を考える際には、単に議員数を減らすことだけでなく、どのような選挙制度を採用するか、議員の選出方法をどのように工夫するか、といった点を総合的に検討する必要があります。
結論としては、議員数を30人程度に制限することは、メリットとデメリットを十分に考慮した上で、慎重に議論を進める必要があると考えられます。
具体的な数字: 30人という数字はあくまで一例です。他の数値を想定して、メリットとデメリットを比較検討してみましょう。
選挙制度との関係: 議員数を制限する場合、どのような選挙制度が適しているのか、様々な制度を比較検討してみましょう。
国際的な事例: 他の国では、議員数を制限している国はありますか?その国の政治状況を参考にしましょう。
日本社会は、ある程度「権威主義的」と見なすことができます。この評価は、政治、ビジネス、教育、家庭生活など、さまざまな側面に見られる特徴によって支えられています。以下に、日本が権威主義的だとされる具体的な例を挙げます。
• 長期政権の継続: 日本の政治では、長期にわたり同じ政党(特に自民党)が政権を維持する傾向が強いです。自民党は戦後ほとんどの期間で政権を維持しており、これは政治的な安定をもたらしている反面、変革や多様な意見の採用を難しくしていると批判されています。政権交代が少なく、権威的な政治構造が固定化されていることが、民主主義の機能を制約していると指摘されることもあります。
• 縦割り行政と官僚支配: 日本の官僚制度は非常に強力で、行政機関内での権威的な階層構造が存在します。官僚が政策決定に大きな影響を持ち、政治家よりも官僚が実質的に行政をコントロールしていることも多いです。このような官僚支配は、トップダウンの指導や決定が優先される権威主義的な要素を持っています。
• 年功序列と上下関係の強調: 日本の企業文化は年功序列制度が根強く残っており、職位や年齢に基づく権威が強調される傾向があります。このため、上司や年長者に対して従順であることが重視され、新しいアイデアや異議申し立てを行うことが困難な環境が生まれます。若い社員や新入社員が自由に意見を述べることが難しく、トップダウンの意思決定が主流です。
• 企業と個人の関係性: 日本の企業は、従業員に対して忠誠心を強く求める傾向があります。終身雇用制度や企業内での社内教育が一般的で、会社が生活の中心となることが期待されるため、個人の意思よりも組織の利益が優先されやすいです。このような企業と個人の関係性も、権威主義的な側面と関連しています。
• 画一的な教育: 日本の教育システムは画一的で、受験制度を通じて統一されたカリキュラムや教育方針が全国的に採用されています。生徒たちは一様なルールや規範に従うことを求められ、個性や異なる意見の尊重が少ない環境が形成されがちです。教育現場では、教師や教育機関の指示に従うことが重視され、批判的な思考や創造性の発揮が難しいことが問題視されています。
• 体罰と厳しい規律: 学校では、いまだに体罰や厳しい規律が存在することも指摘されています。教師が生徒に対して絶対的な権威を持ち、命令に従うことが期待されるため、権威主義的な文化が学校教育の中でも再生産されています。
• 村社会の文化: 日本社会では、同調圧力が強く、「空気を読む」という考え方が重要視されます。個人の意見や異なる考え方が表面化しにくく、周囲に合わせることが求められるため、異端視されることを恐れて自由な表現が抑制されることが多いです。この同調圧力は、個人の意見を尊重しない権威主義的な側面と関連しています。
• 社会的ヒエラルキーの強調: 社会や職場において、年齢や立場による序列が非常に重視され、権威に従うことが当然視される文化が根強く残っています。これにより、階層的な社会構造が維持され、上位者の意見や決定が強く支持される状況が続いています。
まとめ
日本社会には、政治、ビジネス、教育、社会文化の各分野において権威主義的な要素が存在しています。これらの要素が、社会の変化や個人の自由な発言を抑制し、改革や多様性の受容を困難にしていると考えられます。日本社会が権威主義的とされる背景には、長い歴史に根ざしたヒエラルキーと伝統的な価値観が影響していると考えられます。
標記の通りクソザコ字書きなので、程度の低い話をする。
今日のXの揉めっぷりは大層だが、騒いでいるのはほとんどが絵描きに見える。
文字情報は画像情報よりずっと昔からあって、それだけ古くからAIにもぐもぐされてきただろう。いまさら自分の文章を食われたところで、どこかで食べた味の劣化版でしかないと思う。
それに「美しい文章」はそれぞれの言語の「文法」というものである程度固定化されていて、AIには学習しやすいんじゃないだろうか。少なくとも「頭痛が痛い」みたいなアホな事は起きなさそうだ。
小説作成AIをぽちぽちした事はほんの数分だけあるが、まあそれなりの文章が爆速で出てくる出てくる。
展開とかも調整できるんですって。すごいね。
慣れれば素晴らしい相談相手になるだろう。こんなキャラなんすよ、と入力したら、整合性の取れた行動の案とか言いそうなセリフとか出してくれる。
推敲や誤字脱字チェックなんてよほど正確そうだ。
推しの行動原理などキャラクター情報を入力して、好きな展開を書かせて、キャラクターの名前だけ置き換えればいい。
つかお題ガチャじゃん。あれ楽しいもん、インスタントに推しカプが摂取できて。脳が死んでる時にやると時間が溶ける。
テンプレ小説なんて溢れてるし、エロ小説なんてその最たるもの。濁点で喘がせてハートたくさんつけておけば、一次創作でも二次創作でもそれでインプレもいいねもめちゃくちゃ取れる。
結局そういうものが求められている。
じゃあそういうのを作ればいい。生成AIで。
赤ちゃんに「これ(○)は『まる』だよ」と教えた時点で、根本的な独自性は失われる。もしかしたら赤ちゃんが「アッバ」と声に出した通り、「まる」は「アッバ」かもしれなかったのに。
ただ、これはある程度のくくり(生まれた国や言語による)の中で、社会的なルール・共通の認識を得るためには避けて通れない。隣の人が「まる」をずっと「アッバ」て言ってたら怖い。
多くの先人によって作られたものを見て「こんな表現があるんだ!」と驚いて、その真似をして、つまみぐいのハイブリッドが自分の感性だ。
そのつまみぐいのハイブリッドこそが、奪われてはならない「わたし」そのものなのだ。
今日は朝から空がずいぶんと黒ずんでいた。こりゃ本格的に雨が降るかなと危ぶみながら車のブレーキを踏んだ。
その時、いつも通る交差点にまたがる電線が青い事にはじめて気がついた。
黒い空に青い電線が不自然なくらいはっきりと浮かび上がって、だれが何のために、どうして青くしたんだろう、と通勤中はそればかり考えていた。
電気工事をしただれかは知っているし、ここを通る人達は知っていたかもしれない。でも、今日の朝にあの場所で気がついたのはわたしだ。
ちなみにこれをなんとか短歌にしたかったが、うまく詠めていない。この辺がクソザコ字書きである。
こうした感動を書いた結果、うわっつらだけを真似られて、どこかのだれかの小説に使われるのだとしたら、それはやっぱりおもしろくない。
ひねりにひねって考え出された美しい表現も、
度肝を抜かれるようなどんでん返しも、
エロ小説は濁点ハート喘ぎでの文字数稼ぎをやめろ。クリックしたときのウキウキを返してほしくなるから。
話がとっ散らかった。この辺もクソザコ字書きなのだ。考えがまとまらず、フラフラとブレながら、それっぽい事を書いて「それっぽい事書けとるわ」と悦に浸っている。
・文章は既に絵よりたくさん食われているから今更食われても蛇足でしかない
「弱者男性の盗用」は、近年増田社会で注目されている問題です。以下にこの概念について解説します。
1. 定義:
「弱者男性の盗用」とは、経済的、社会的、または心理的に不利な立場にある男性(弱者男性)の経験や苦悩を、実際にはその立場にない人々が不適切に利用したり、表現したりする行為を指します。
2. 問題の背景:
3. 具体的な例:
4. 問題点:
5. 議論の複雑さ:
「弱者男性の盗用」は、増田社会の複雑な問題を反映しています。この問題に対処するには、個人の経験を尊重しつつ、社会全体の構造的な問題にも目を向ける必要があります。また、「弱者」という概念自体を固定化せず、個々人の多様な経験や背景を理解することが重要です。
別にトレンドをめちゃくちゃ意識する必要はないんだけど、「服なんて適当に着とけばいいだろ」って価値観が固定化してるのがよくない。
同じアイテムでもどういう着こなしでコーディネート組むかは刻々と変わっていくものだし、それ以前に基本を学ぼうという姿勢がないよね。
ファッションって紐解いていけば全部文脈で理解できちゃう分野なのに、顔や体型を言い訳にしてそれを学ぼうと思ってないところが悲しい。
顔や体型を誤魔化せるのがファッションなんだよ。そこを誤解してる。
カッコいい人間なんて何着てもカッコいいんだよ。
ニュージーランドの教育は個性尊重、日本のような全体主義的な性質もなく、子どもたちにとって最高の教育システムが提供されていると信じてやまない日本人がどうもいるようだが全くそんなことがない話をする。
ニュージーランドの義務教育は日本とほぼ同じだが、高校課程までが義務教育、と言ってもやめても構わないがやりたければ無条件で受けられる、となっている。
小学校や中学校まではおそらくだが勉強が嫌いにならないことや、ニュージーランド社会で生きていくために最低限の教育だけをしているのだろうが、日本の教育とは質も量もかけ離れている。
ニュージーランドに来た日本人の多くが子供に対して与えられる教育の内容と質に愕然としているか、「そんなことはないこれこそが子どもたちを真の意味で伸ばす教育だ」とイデオロギー的に信じ込んでいるかどちらかだろう。
ニュージーランドの教育は家庭の経済によって格差が露骨なほどに現れる。金持ちの集まる学校ほど潤沢な資金で優秀な教師を雇って質の高い教育を施すことができ、貧乏人の学校ほど最低限(必要十分ではまったくない)の教育しか施されないため、貧困が凄まじい勢いで固定化されている。
などという話はもうかなり昔から言われていることだが、国はもうどうすることもできない現状なのでもうどうしようもない。
いずれにせよ、ニュージーランドの教育は、教師と子供の間に不可侵の壁が出来上がり、突っ込んだ教育が一切できないために放置せざるを得ない、というのが個性尊重や進んだ教育の正体でもある。
今回したい話は、子どもたちの出席率が90%を下回ると親が国から罰金や告訴を受けるかもしれない制度が2026年から始まるというものだ。
ニュージーランドではスクールホリデー中の渡航費が高いため、少し早めに学校を休んで海外旅行に行く、という人がそれなりにいるのだが、これをやったら罰金になる制度が始まる。
罰金を払って安い航空チケットを買うか、罰金を払わずに高い航空チケットを買うという選択肢になる。
またこの他にも、学校を15日以上休むと両親が国から訴追を受ける可能性が発生する。これも法律として制定されるので、回避しようがない。
日本から来た親が感じているこの国の教育の素晴らしさの一つに出席しようが欠席しようがあまりとやかく言わない、教育以外の大事なこと(笑)も子どもたちに経験させることができるというのがあるのか無いのか私は知らないが、今後こういったことはできなくなる可能性が高い。
これらの制度を作っている政治家はデビッド・シーモアというニュージーランドの極右政党ACTの党首だ。
極右政党と言っても軍国主義者というわけではなく、超保守とでも言えばいいと思うが、この政治家はニュージーランドのアンタッチャブルでもあるワイタンギ条約の破棄も目指していることでマオリからは蛇蝎のごとくに嫌われている。
そんな彼が目指しているのは、子どもたちの学校出席率90%だ。そしてマオリ以外からも嫌われることを目指していると言っても過言ではないだろう。
学校に行きさえすればいいのかというとそんなことはないが、この国の問題の一つに半数以上の子どもたちの出席率がかなり低いというものがある。
そこで親には訴訟や罰金をちらつかせることで子どもたちの出席率を上げようと言うのが今回の法律の要点でもある。
とても民主的とは思えないこの制度に対してマスコミはなにかしているかというと特に何もしていない。
おそらく今後ニュージーランドに日本よりもいい教育を期待して来る人はいなくなるか、いたとしたら温かい目で残念だったなと言うようになるのかもしれない。
今回のナショナル政権ははっきり言ってひどいの一言であり、全く何もできていない。
もしかするとジャシンダ・アーダーン率いるレイバーの負の遺産があまりにもひどくてそれどころではないのかもしれないが、レイバーは今の政権がいかに無能かを騒ぎ立てている。何いってんだと思わなくもないが、実際ダメだと思う。
デビッド・シーモアのせいで私の宿敵でもあるウィンストン・ピータースが全く目立たなくなってしまったが、彼はやばいときはどんどんと影になっていくので、彼なりの政治センスの可能性もある。
デビッド・シーモアはちなみに言うと国民が次の首相になってほしい政治家の一人でもあった。この国の人々のセンスのなさが凄まじい。