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はてなキーワード: 存在とは

2024-12-14

anond:20241214054026

ノーベル平和賞なんて一番どうでもよいリベラルによるリベラルのためだけの賞じゃん

どうでもいいよねそんなの

リベラルの全方位日本アンチは長年の素行観測実績

これもう39歳以下の世代からは「リベラル=日本嫌いな人たち」という認識も根強いからね

そして攻撃欲求の塊たるお前は相変わらずの罵倒

まさに俺の説を裏付けてる存在

鬼滅のキャラ造形すごい

吾峠先生絶筆状態だとかの話を聞いて、ふと次回作みたいな〜って思っちゃった。鬼滅のあのキャラクターを思い返すと、あれは吾峠先生しか描けない何かがあると思って、それがまた見たくなっちゃ

まず炭治郎

主人公で間違いない行動はしてるしみんなから慕われてる、それはわかる。けど普通に長男から諦めないとか、心を開かない上司に付き纏うとか、おぉこわ。

あと絶対ネガティブなこと言わない。ずっと光として描かれてて闇堕ちする危なさは感じられなくて、だからこそ最後鬼になるのがキャラも読者もギャーーーー❗️って感じだったんだろうな。そこの高低差エグい、絶望感の演出

炭治郎ってリアルでは存在しなくない?炭治郎と考え方似てるねーとか言われてる人見たことない


・禰󠄀豆子

まず竹咥えてるヒロインたことないか

しかデザイン上とかではなく、マジで噛んだらヤバいからってちゃん理由あるのがさら

少年漫画ヒロインにある特有攻撃されて動けなくなるダメージ耐久の低さ(モンハンでいうひるみ)がなくて、足飛んでこうがまず目先の敵殺すで〜っていう姿がストレスなく見られる


・善逸

うるさいね。こんなうるさいキャラが育ての師匠兄弟子のせいで割腹してその仇取るために兄弟子殺すって展開が壮絶すぎるね。


・いのし

頭に猪被ってるキャラデザを主人公パーティに入れるセンスどうなってんだい


・冨岡義勇

問題の人。

ジャンプ読んでるなら分かる。見た目からしてこれはカカシポジだと。


違うし。

21歳。1番饒舌だったのは1話の炭治郎への説教、そのあとは喋ることがあまりなく、というか喋らなすぎて誤解を生みまくり、柱の間で浮いた存在になってたっていう事実。(しかもこれ15巻とかぐらいで判明する)

しかも柱じゃないか・・・メソってたのを15歳に励まされ、メンタル回復👈よかったね

そんな頼りなさも見えたところで無限からの怒涛の活躍でやっぱ強かったんかよーーー!😭✨で株の再上昇、最後まで戦い抜いて生き残る男。

読者の中でこの人は頼れる存在なのかなんなのかで定まらないまま意味不明言動をして混乱させるも、その実力で信頼を取り戻す男。

ていうかそもそも凪っていう守り特化のオリジナル技まで開発してる実力持ちなのに柱じゃない・・・😞でしてるのどうして。でも悪い人じゃないからね、言葉が足りなくて色々な誤解を生んだし嫌われてるとかあるけど、悪い人じゃないからね。

と思ってたらファンブックで判明した柱から好感度それぞれ大体ちゃんと低いのニヤニヤする

実力面と社会性への信頼の高低差すごすぎる

ナルトが火影に頼まれカカシのメンケアする回とかある?


あとの柱

冨岡義勇が柱として初めて登場したので禰󠄀豆子を見逃す冨岡のイメージでいたら、普通にめちゃくちゃ責められました。

そりゃそうだよね、鬼殺隊に、鬼ィ⁉️だよ

よく考えればそうなんだけど、もう炭治郎チームの気持ちいるから読んでるときは禰󠄀豆子のこと刺さんでもええじゃないですか?そんな炭治郎のこといじめんでもいいじゃないですか?と思って自分自身「柱・・・コイツら後で裏切るな?」と勝手に疑いをかけていた。

読者的に禰󠄀豆子の弾劾回で柱のイメージマイナスだったはず。

からの、心を燃やせ!だったり、祭り〜!だったり、無一郎の無は無限の無、温泉回などがあって柱・・・、いいヤツじゃん・・・😊に持ってく吾峠パワー、恐すっげ。

でもいや待て、蛇と風はどうすんだ口悪いし人相も、😠と思ってるところで無限城編、

怒涛の風と蛇の活躍ぶり、やっぱ柱すげ〜っの気持ち

涙あり、てかデカ涙ありで今までの全ての気持ちをひっくり返すのが凄すぎる。

風の話考えた作者酷くないですか?

蛇はマジで口が裂けてたっていうのが衝撃やったね

あとおばみつがダメそうってところらへんのハラハラ感、緊張感ヤバくなかった?自分のことも鬼殺隊だと思ってた、臨場感感じすぎて



鬼滅は敵キャラへの作り込みの熱意がすごいっていうか、会議場面を除いて無惨、猗窩座以外は基本出てきたらそのまま倒されるから敵が爪痕を残すのって相当難しいと思うんだけど、キャラ立ちすぎていたっけそんなん?みたいなのがない気がする

そもそもデザインがまず敵すぎる、倒さなきゃいかんね...っていう人外デザインしてる

目6個あるとかそりゃ倒さなきゃでしょ

TikTokでたまにおすすめAIで上弦の実写化してみましたみたいな動画が流れてくるけど普通にいや怖いー

になる、あの分身する上弦の鬼とか顔怒りすぎててこっちがキレそうになった


だけどさ、猗窩座の話衝撃すぎて敵キャラで出していい湿り気ではない

猗窩座はこのやろー!おれの煉獄さんを〜❗️から

実は過去家族が死んでどん底だった自分を救ってくれた師匠とその娘さんに出会い結婚まで行った矢先、井戸に毒を盛られて不在中に2人とも死んでしまい、その後仇を取ったはいいけど、無惨に鬼にされて目的もないのにずっと生き続けてましたってどう、?どう?

何よりこの猗窩座は今から救われることはないんだ、人間ときにすでに仇は取ってるから

ただなんの目的もないまま鬼になってたっていうのがさ、しかもその記憶も忘れて強さを求め続けてたっていうのがさ、もう全てやるせないし。この人はすでに戦う意味をなくしたまま戦ってたっていうのが虚しすぎる。よくある敵の仇とか世界を壊したい、死にたくないとか明確な理由がないまま戦って何があるっていうんすか、虚しいんだよ猗窩座って。

だけど猗窩座自身が忘れていた過去が猗窩座の入れ墨だったり戦い方だったり、技の名前だったり、強いやつがどうたらって言う口癖に出てるのが〜

いまこれで全部今繋がってるの分かりますか?星座見えますか?猗窩座っていう星座みえますか?

やっぱり猗窩座ってキャラクターとしての完成度高すぎるよね。みんな創作するときお手本にしていこうぜレベルだと思うんだけど、マジで真似されてこんなキャラぽんぽん出されたら、みんな学校とか会社こなくなっちゃう?



あとの鬼もすごいのいっぱい、いる。

鬼兄妹も、お兄ちゃんと妹で竈門兄妹との対比になってて、だけど兄妹同士の絆は鬼も人間も変わんなかったんだよねー、フー....


逆に無惨って同情するとこ大してなくて、早く殺しましょう!殺しましょう!いけー!!!!!ドンドン

って応援状態クラス対抗リレーめっちゃ応援する気持ちで腕とかぐるぐる回してる男児熱量で討伐応援できちゃう、これもまた、無惨のカリスマってヤツかもね




次回作見たいよー

鬼滅のキャラ造形すごい

吾峠先生絶筆状態だとかの話を聞いて、ふと次回作みたいな〜って思っちゃった。鬼滅のあのキャラクターを思い返すと、あれは吾峠先生しか描けない何かがあると思って、それがまた見たくなっちゃ

まず炭治郎

主人公で間違いない行動はしてるしみんなから慕われてる、それはわかる。けど普通に長男から諦めないとか、心を開かない上司に付き纏うとか、おぉこわ。

あと絶対ネガティブなこと言わない。ずっと光として描かれてて闇堕ちする危なさは感じられなくて、だからこそ最後鬼になるのがキャラも読者もギャーーーー❗️って感じだったんだろうな。そこの高低差エグい、絶望感の演出

炭治郎ってリアルでは存在しなくない?炭治郎と考え方似てるねーとか言われてる人見たことない


・禰󠄀豆子

まず竹咥えてるヒロインたことないか

しかデザイン上とかではなく、マジで噛んだらヤバいからってちゃん理由あるのがさら

少年漫画ヒロインにある特有攻撃されて動けなくなるダメージ耐久の低さ(モンハンでいうひるみ)がなくて、足飛んでこうがまず目先の敵殺すで〜っていう姿がストレスなく見られる


・善逸

うるさいね。こんなうるさいキャラが育ての師匠兄弟子のせいで割腹してその仇取るために兄弟子殺すって展開が壮絶すぎるね。


・いのし

頭に猪被ってるキャラデザを主人公パーティに入れるセンスどうなってんだい


・冨岡義勇

問題の人。

ジャンプ読んでるなら分かる。見た目からしてこれはカカシポジだと。


違うし。

21歳。1番饒舌だったのは1話の炭治郎への説教、そのあとは喋ることがあまりなく、というか喋らなすぎて誤解を生みまくり、柱の間で浮いた存在になってたっていう事実。(しかもこれ15巻とかぐらいで判明する)

しかも柱じゃないか・・・メソってたのを15歳に励まされ、メンタル回復👈よかったね

そんな頼りなさも見えたところで無限からの怒涛の活躍でやっぱ強かったんかよーーー!😭✨で株の再上昇、最後まで戦い抜いて生き残る男。

読者の中でこの人は頼れる存在なのかなんなのかで定まらないまま意味不明言動をして混乱させるも、その実力で信頼を取り戻す男。

ていうかそもそも凪っていう守り特化のオリジナル技まで開発してる実力持ちなのに柱じゃない・・・😞でしてるのどうして。でも悪い人じゃないからね、言葉が足りなくて色々な誤解を生んだし嫌われてるとかあるけど、悪い人じゃないからね。

と思ってたらファンブックで判明した柱から好感度それぞれ大体ちゃんと低いのニヤニヤする

実力面と社会性への信頼の高低差すごすぎる

ナルトが火影に頼まれカカシのメンケアする回とかある?


あとの柱

冨岡義勇が柱として初めて登場したので禰󠄀豆子を見逃す冨岡のイメージでいたら、普通にめちゃくちゃ責められました。

そりゃそうだよね、鬼殺隊に、鬼ィ⁉️だよ

よく考えればそうなんだけど、もう炭治郎チームの気持ちいるから読んでるときは禰󠄀豆子のこと刺さんでもええじゃないですか?そんな炭治郎のこといじめんでもいいじゃないですか?と思って自分自身「柱・・・コイツら後で裏切るな?」と勝手に疑いをかけていた。

読者的に禰󠄀豆子の弾劾回で柱のイメージマイナスだったはず。

からの、心を燃やせ!だったり、祭り〜!だったり、無一郎の無は無限の無、温泉回などがあって柱・・・、いいヤツじゃん・・・😊に持ってく吾峠パワー、恐すっげ。

でもいや待て、蛇と風はどうすんだ口悪いし人相も、😠と思ってるところで無限城編、

怒涛の風と蛇の活躍ぶり、やっぱ柱すげ〜っの気持ち

涙あり、てかデカ涙ありで今までの全ての気持ちをひっくり返すのが凄すぎる。

風の話考えた作者酷くないですか?

蛇はマジで口が裂けてたっていうのが衝撃やったね

あとおばみつがダメそうってところらへんのハラハラ感、緊張感ヤバくなかった?自分のことも鬼殺隊だと思ってた、臨場感感じすぎて



鬼滅は敵キャラへの作り込みの熱意がすごいっていうか、会議場面を除いて無惨、猗窩座以外は基本出てきたらそのまま倒されるから敵が爪痕を残すのって相当難しいと思うんだけど、キャラ立ちすぎていたっけそんなん?みたいなのがない気がする

そもそもデザインがまず敵すぎる、倒さなきゃいかんね...っていう人外デザインしてる

目6個あるとかそりゃ倒さなきゃでしょ

TikTokでたまにおすすめAIで上弦の実写化してみましたみたいな動画が流れてくるけど普通にいや怖いー

になる、あの分身する上弦の鬼とか顔怒りすぎててこっちがキレそうになった


だけどさ、猗窩座の話衝撃すぎて敵キャラで出していい湿り気ではない

猗窩座はこのやろー!おれの煉獄さんを〜❗️から

実は過去家族が死んでどん底だった自分を救ってくれた師匠とその娘さんに出会い結婚まで行った矢先、井戸に毒を盛られて不在中に2人とも死んでしまい、その後仇を取ったはいいけど、無惨に鬼にされて目的もないのにずっと生き続けてましたってどう、?どう?

何よりこの猗窩座は今から救われることはないんだ、人間ときにすでに仇は取ってるから

ただなんの目的もないまま鬼になってたっていうのがさ、しかもその記憶も忘れて強さを求め続けてたっていうのがさ、もう全てやるせないし。この人はすでに戦う意味をなくしたまま戦ってたっていうのが虚しすぎる。よくある敵の仇とか世界を壊したい、死にたくないとか明確な理由がないまま戦って何があるっていうんすか、虚しいんだよ猗窩座って。

だけど猗窩座自身が忘れていた過去が猗窩座の入れ墨だったり戦い方だったり、技の名前だったり、強いやつがどうたらって言う口癖に出てるのが〜

いまこれで全部今繋がってるの分かりますか?星座見えますか?猗窩座っていう星座みえますか?

やっぱり猗窩座ってキャラクターとしての完成度高すぎるよね。みんな創作するときお手本にしていこうぜレベルだと思うんだけど、マジで真似されてこんなキャラぽんぽん出されたら、みんな学校とか会社こなくなっちゃう?



あとの鬼もすごいのいっぱい、いる。

鬼兄妹も、お兄ちゃんと妹で竈門兄妹との対比になってて、だけど兄妹同士の絆は鬼も人間も変わんなかったんだよねー、フー....


逆に無惨って同情するとこ大してなくて、早く殺しましょう!殺しましょう!いけー!!!!!ドンドン

って応援状態クラス対抗リレーめっちゃ応援する気持ちで腕とかぐるぐる回してる男児熱量で討伐応援できちゃう、これもまた、無惨のカリスマってヤツかもね




次回作見たいよー

鬼滅のキャラ造形すごい

吾峠先生絶筆状態だとかの話を聞いて、ふと次回作みたいな〜って思っちゃった。鬼滅のあのキャラクターを思い返すと、あれは吾峠先生しか描けない何かがあると思って、それがまた見たくなっちゃ

まず炭治郎

主人公で間違いない行動はしてるしみんなから慕われてる、それはわかる。けど普通に長男から諦めないとか、心を開かない上司に付き纏うとか、おぉこわ。

あと絶対ネガティブなこと言わない。ずっと光として描かれてて闇堕ちする危なさは感じられなくて、だからこそ最後鬼になるのがキャラも読者もギャーーーー❗️って感じだったんだろうな。そこの高低差エグい、絶望感の演出

炭治郎ってリアルでは存在しなくない?炭治郎と考え方似てるねーとか言われてる人見たことない


・禰󠄀豆子

まず竹咥えてるヒロインたことないか

しかデザイン上とかではなく、マジで噛んだらヤバいからってちゃん理由あるのがさら

少年漫画ヒロインにある特有攻撃されて動けなくなるダメージ耐久の低さ(モンハンでいうひるみ)がなくて、足飛んでこうがまず目先の敵殺すで〜っていう姿がストレスなく見られる


・善逸

うるさいね。こんなうるさいキャラが育ての師匠兄弟子のせいで割腹してその仇取るために兄弟子殺すって展開が壮絶すぎるね。


・いのし

頭に猪被ってるキャラデザを主人公パーティに入れるセンスどうなってんだい


・冨岡義勇

問題の人。

ジャンプ読んでるなら分かる。見た目からしてこれはカカシポジだと。


違うし。

21歳。1番饒舌だったのは1話の炭治郎への説教、そのあとは喋ることがあまりなく、というか喋らなすぎて誤解を生みまくり、柱の間で浮いた存在になってたっていう事実。(しかもこれ15巻とかぐらいで判明する)

しかも柱じゃないか・・・メソってたのを15歳に励まされ、メンタル回復👈よかったね

そんな頼りなさも見えたところで無限からの怒涛の活躍でやっぱ強かったんかよーーー!😭✨で株の再上昇、最後まで戦い抜いて生き残る男。

読者の中でこの人は頼れる存在なのかなんなのかで定まらないまま意味不明言動をして混乱させるも、その実力で信頼を取り戻す男。

ていうかそもそも凪っていう守り特化のオリジナル技まで開発してる実力持ちなのに柱じゃない・・・😞でしてるのどうして。でも悪い人じゃないからね、言葉が足りなくて色々な誤解を生んだし嫌われてるとかあるけど、悪い人じゃないからね。

と思ってたらファンブックで判明した柱から好感度それぞれ大体ちゃんと低いのニヤニヤする

実力面と社会性への信頼の高低差すごすぎる

ナルトが火影に頼まれカカシのメンケアする回とかある?


あとの柱

冨岡義勇が柱として初めて登場したので禰󠄀豆子を見逃す冨岡のイメージでいたら、普通にめちゃくちゃ責められました。

そりゃそうだよね、鬼殺隊に、鬼ィ⁉️だよ

よく考えればそうなんだけど、もう炭治郎チームの気持ちいるから読んでるときは禰󠄀豆子のこと刺さんでもええじゃないですか?そんな炭治郎のこといじめんでもいいじゃないですか?と思って自分自身「柱・・・コイツら後で裏切るな?」と勝手に疑いをかけていた。

読者的に禰󠄀豆子の弾劾回で柱のイメージマイナスだったはず。

からの、心を燃やせ!だったり、祭り〜!だったり、無一郎の無は無限の無、温泉回などがあって柱・・・、いいヤツじゃん・・・😊に持ってく吾峠パワー、恐すっげ。

でもいや待て、蛇と風はどうすんだ口悪いし人相も、😠と思ってるところで無限城編、

怒涛の風と蛇の活躍ぶり、やっぱ柱すげ〜っの気持ち

涙あり、てかデカ涙ありで今までの全ての気持ちをひっくり返すのが凄すぎる。

風の話考えた作者酷くないですか?

蛇はマジで口が裂けてたっていうのが衝撃やったね

あとおばみつがダメそうってところらへんのハラハラ感、緊張感ヤバくなかった?自分のことも鬼殺隊だと思ってた、臨場感感じすぎて



鬼滅は敵キャラへの作り込みの熱意がすごいっていうか、会議場面を除いて無惨、猗窩座以外は基本出てきたらそのまま倒されるから敵が爪痕を残すのって相当難しいと思うんだけど、キャラ立ちすぎていたっけそんなん?みたいなのがない気がする

そもそもデザインがまず敵すぎる、倒さなきゃいかんね...っていう人外デザインしてる

目6個あるとかそりゃ倒さなきゃでしょ

TikTokでたまにおすすめAIで上弦の実写化してみましたみたいな動画が流れてくるけど普通にいや怖いー

になる、あの分身する上弦の鬼とか顔怒りすぎててこっちがキレそうになった


だけどさ、猗窩座の話衝撃すぎて敵キャラで出していい湿り気ではない

猗窩座はこのやろー!おれの煉獄さんを〜❗️から

実は過去家族が死んでどん底だった自分を救ってくれた師匠とその娘さんに出会い結婚まで行った矢先、井戸に毒を盛られて不在中に2人とも死んでしまい、その後仇を取ったはいいけど、無惨に鬼にされて目的もないのにずっと生き続けてましたってどう、?どう?

何よりこの猗窩座は今から救われることはないんだ、人間ときにすでに仇は取ってるから

ただなんの目的もないまま鬼になってたっていうのがさ、しかもその記憶も忘れて強さを求め続けてたっていうのがさ、もう全てやるせないし。この人はすでに戦う意味をなくしたまま戦ってたっていうのが虚しすぎる。よくある敵の仇とか世界を壊したい、死にたくないとか明確な理由がないまま戦って何があるっていうんすか、虚しいんだよ猗窩座って。

だけど猗窩座自身が忘れていた過去が猗窩座の入れ墨だったり戦い方だったり、技の名前だったり、強いやつがどうたらって言う口癖に出てるのが〜

いまこれで全部今繋がってるの分かりますか?星座見えますか?猗窩座っていう星座みえますか?

やっぱり猗窩座ってキャラクターとしての完成度高すぎるよね。みんな創作するときお手本にしていこうぜレベルだと思うんだけど、マジで真似されてこんなキャラぽんぽん出されたら、みんな学校とか会社こなくなっちゃう?



あとの鬼もすごいのいっぱい、いる。

鬼兄妹も、お兄ちゃんと妹で竈門兄妹との対比になってて、だけど兄妹同士の絆は鬼も人間も変わんなかったんだよねー、フー....


逆に無惨って同情するとこ大してなくて、早く殺しましょう!殺しましょう!いけー!!!!!ドンドン

って応援状態クラス対抗リレーめっちゃ応援する気持ちで腕とかぐるぐる回してる男児熱量で討伐応援できちゃう、これもまた、無惨のカリスマってヤツかもね




次回作見たいよー

人生みたいな夢見た

俺の人生そのまんまみたいな夢を見た。

夜だというのに大学構内は忙しなかった。翌日の文化祭準備のために多くの生徒が遅くまで残っていたから。

資材を運んだり、組み立てたり、雑談したりと、大学カオス空間に変貌していた。

一方、俺は、とくに団体所属していないので広い教室にひとりだった。帰っても良かったんだが、寂しかったので、やることもないのに無駄に残っていた。

手持ち無沙汰に耐えかねて、校舎を回ることにした。その棟は騒ぎの中心からはすこし離れて、マイナー文化祭への熱量の乏しい団体展示が集う比較的閑散としたところだった。

暗い校舎を歩いていると、どこかの団体の一室で三人の女性が熱心に話していた。熱心に話していたというか、レズセックスをしていた。

見てはいけないと思って通り過ぎようともしたが、好奇心と下心には勝てなくて盗み見していると、彼女らが中学同級生たちだと気づいた。彼女らとは好きだったわけでも、友達だったわけでもなく、なぜこの夢に出てくるのか不思議に思う。ただ、俺は中学に馴染めず疎外されていたように感じていたから、その孤独を思い出して少し悲しくなった。

彼女らは情事に耽る。俺のことを見ていないのは昔と同じだ。だから俺はちょっとだけでも俺のことを見て欲しくなり、わざと物音を立てて存在を示した。

彼女らは一斉に俺のほうを見て、三人のうち少し仲良かった時期のある一人がばつの悪そうに話してくる。俺は彼女らの行いを責めて、気まずさを誤魔化そうとした。すると彼女適当に謝り、俺を追い払った。その場を去る俺の背後で、また情事が始まった。

その後、お笑いサークルの友人二人に出会った。俺の記憶にない、夢の中だけの想像上の人物だ。彼らのセンスは一級品で、友人も多い。いわゆる一軍だ。暇な俺は彼らの配信設備の準備を手伝うことにした。

しばらくお笑いサークルの部室で、準備をしつつ楽しい時間を過ごしたが、夜になると彼らはどこかへ去っていった。仕方ない。彼らは多忙なのだ

多くの人に囲まれて去っていく彼らを尻目に、俺はお笑いサークルの部室に取り残された。

以上。これだけ。

生成AIがつくった音楽意図せず聞いていたという話

パソコンで何かをするときYoutube音楽をまとめた動画を聞いていることがある。最近タイトルがない曲を大量にアップロードしている音楽動画がたくさんあることに気づいた。どうも調べてみると、生成AIで作った音楽をまとめて投稿しているらしい。私は何の気なしにAIで作った音楽集を聞いていた。それだけならどうということもない話だが・・・

イラスト音楽、どちらもAIで生成できる

実は私はイラストを描いてお小遣いを得ているような人間だ。イラストレーターとして独り立ちできるような根性も実力もないが、細々と副業程度で描いている。イラストと生成AIについてはX(Twitter)周辺でかなり紛糾する話題になっているし、はてな匿名に生成AIイラスト投稿もいくつか見かけるからたことがある人も多いと思う。簡単に言うと、著作権無視してネット画像を漁った上で生成したイラスト著作権はどうなっているのか?こうして生み出されるイラスト仕事が奪われるのではないか?というのが議論の骨子である。私はしがないながらもイラストレーターなのでイラスト関連の生成AIについてはかなり敏感になっていたのだが、音楽については完全に視野の外にあった。そんな私が生成AI音楽出会ったのだった。

音楽に疎い人は、生成AIと気づかない

言いたいことは、見だしにある通りだ。音楽に疎い人は、生成AIで生み出された音楽と気づかない。例えばどこかの飲食店BGMとして流れている音楽に、生成AI音楽が紛れていても、音楽オンチの私は絶対に気づかない。

世の中には音楽に救われる人もいる。音楽歌詞メロディをしっかりと味わう人もいる。しかし正直なところ、私は音楽なんてなくたってどうってこともない人間だ。音楽オンチ音楽については冷淡でいる。だから生成された音楽があっても気づかないし、見つけてもなんとも思わなかった。同じことはイラストにも言えるだろう。イラストに興味がない人ならば、いくら生成AIだかと言われてもピンとこない。だったらイラスト制作会社が生成AI使ったってなんの反発も受けないし、やるだろう。安くつくから。面倒な発注をせずにちゃちゃっと作っちゃえば、パッと見きれいなイラストが作れる。細部を見るとおかしなところがあっても、ほとんどの人は気にしない。

将来的に俳優脚本ユーザーサポート医療などで生成AIを使う場面は増えてくる。そうなると有益から使うという考え方と、著作権お仕事を守らなければならない考えが今以上に激しくぶつかり合う場面が出てくるかもしれない。ユーザーサポートAIで代行するのは楽だとしても、お仕事なくなるんじゃない?医療診断でAIを使うとお医者さんは間違いが減らせて患者さんも助かるけど、それって医者治療方針を最終判断するだけの存在にならない?俳優著作権があるけれど、そういう人を使うより文句も言わず何でもやってくれるAI俳優CM出てもらったほうが安くつかない?

とまあ色々書いてきたけど、結論とかなにもないです。寝る前に布団の中でグルグル考えていたこと書いただけです。おやすみなさい。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

anond:20241213233759

「「土地を返せば紛争解決する」という意見は、一見シンプル道理に合うように見えますが、イスラエルパレスチナ歴史的宗教的政治的背景を考えると、単純化されすぎています。以下に論理的反論を挙げます

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1. 土地帰属に関する歴史的宗教的複雑性

イスラエルパレスチナの双方が、現在イスラエル領土歴史的宗教的に「自分たち土地」と主張しています

ユダヤ人は、古代イスラエル王国がこの地に存在し、宗教的にも約束の地として捉えています

一方、パレスチナ側も数世紀にわたりこの地で生活してきたため、自分たち土地と考えています

反論: 「土地を返す」とは、どの土地をどの時点の基準で返すのかを明確にしなければ意味がなく、問題解決するものではありません。


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2. 返還後の安全保障懸念

過去に、イスラエルが譲歩して一部の土地返還した際、たとえば2005年ガザ地区撤退後に、ハマス支配を強め、そこからイスラエルへのロケット攻撃が増加しました。

反論: 土地返還するだけでは安全保障上のリスクが残り、紛争解決にはならない可能性があります

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3. 「土地返還=和平」とは限らない

紛争根本的な原因は、単に土地ではなく、民族的アイデンティティ宗教政治的対立にあります

たとえば、パレスチナ側の一部勢力は「二国家共存」を拒否し、イスラエル国家としての存在のものを認めていません。

反論: 土地返還あくまで一部の問題解決するに過ぎず、根本的な対立構造が解消されなければ紛争は続く可能性があります


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4. 現実的交渉プロセスの難しさ

イスラエル国内でも安全保障宗教的理由から土地の譲歩」に反対する声が根強く、政治的合意が困難です。

同時に、パレスチナ側も内部で統一された意思決定が難しく、和平交渉が進まない背景があります

反論: 土地返還するという案は、現実政治的社会的状況を無視しており、実現性に欠けています

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5. 国際法的な議論

イスラエルは、1948年建国時に国連決議(181号)を基に合法的設立されました。その後の領土拡大については議論があるものの、すべてを「奪われた土地」とするのは誤解を招く可能性があります

反論: 「土地を返せ」という主張は、国際法歴史的背景を考慮しておらず、単純化されすぎています

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結論

土地返還が和平に寄与する可能性はあるものの、それが紛争を完全に終結させる万能の解決策ではありません。紛争の原因は土地問題だけではなく、双方のアイデンティティ安全保障への懸念歴史的な不信感など多岐にわたるため、「土地を返せば紛争に巻き込まれない」という主張は現実を十分に反映していないと言えます

俺が80年代発売のマイナー小説シリーズ読み始めたら急にその小説について書き出す増田が現れたんだけどやっぱ思考盗聴って存在するんじゃ?

検索しても増田でその小説について触れたのそいつが初めてなんだけど

2024-12-13

白痴日本耐震基準を守って高断熱高気密にするのは難しいんだ!」←これ

耐震性を確保するために耐力面材(構造合板)で家をすっぽり覆ったら気密性も高くなった、というのが今の家だとも知らない完全な無知底辺

日本の家は「耐震性を高くするために」海外ツーバイフォー技術を学んでいます

日本独自日本気候にあった技術なんてものはハナから存在していません。(在来構法自体中国建築の真似だし)

こんな奴らが何をどう人生間違えたら「日本の家を守る俺エライ」の妄想に取り憑かれるようになるんだろうな。

お前がいるせいで日本は確実に損をしてます日本のことを考えるなら早く◯ぬように。

anond:20241213233854

政府効率化っていうのはリバタリアニズム的な考え方の一部だけど、マイナ保険証っていうのは完全移行されれば手続き効率化の側面があるとはいえ本質的な考え方は政府裁量により把握・管理できる部分を肥大化させる社会主義寄りの政策だよ。デジタル監視社会が進展してる中国想像したらそっちに近いことが分かるはず。リバタリアニズムであればこういった国家による強制保険みたいな個別制度は生まれず、より上のレイヤー統合的に最低保障をする、つまり負の所得税ベース給付内で各自対処させるような考え方になるはず。保険会社も民間のし存在しなくなり各自ちゃんと調べなきゃいけなくなる。それが小さな政府

anond:20241213221622

「この発言は、多くの点で問題があります

1. 一般化と偏見:

* 無辜市民存在否定: イスラエルには様々な人々が暮らしており、その中には紛争に巻き込まれたくないと願う無辜市民も数多くいます。この発言は、そうした人々を無視し、一方的見方をしていると言えるでしょう。

* 特定集団への偏見: イスラエル国民全体をひとくくりにして否定的なレッテルを貼ることは、ステレオタイプであり、差別につながる可能性があります

2. 事実無視:

* 複雑な状況の単純化: イスラエルパレスチナ紛争は、歴史的政治的な背景が複雑に絡み合った問題です。この発言は、その複雑さを無視し、極端に単純化してしまっています

* 報道情報への偏り: この発言は、特定報道情報にのみ基づいており、客観的事実を歪めている可能性があります

3. 倫理的問題:

* 人権侵害: 無辜市民存在否定することは、人々の尊厳を傷つけ、人権侵害する行為です。

* 対立煽動: このような発言は、人々の間に憎しみや対立煽り平和解決を困難にする可能性があります

4. 批判的な思考の欠如:

* 異なる意見への拒否: この発言は、異なる意見視点を受け入れることを拒否し、自分自身の考えしか認めない排他的な態度を示しています

結論として、この発言は、事実誤認に基づいた偏見であり、多様な意見存在する社会においては容認されるべきものではありません。

より建設的な対話のためには、

* 客観的情報に基づいて議論する

* 相手意見に耳を傾ける

* 多様な視点から問題を考える

ことが重要です。

補足:

* このような発言は、特定集団だけでなく、いかなる集団に対しても行うべきではありません。

* 歴史的な背景や複雑な状況を考慮し、多角的視点から問題を捉えることが重要です。

* 人々の尊厳尊重し、平和的な解決に向けて努力することが求められます

もしよろしければ、イスラエルパレスチナ紛争について、より深く議論してみたいと思います

魂が浮遊

生きることは誰に強制されている訳でもないのに、生活なおざりにして、特に楽しい訳でもない仕事バリバリやってしまうのは、一体何なのだろう…

そして、いつも何となく不調で、これは完全は仕事人生を振り過ぎていると自覚がある。

一体何に追い立てられて生きているのだろう。何かの深淵を覗くのが、もしくは、何かに立ち向かうのが怖くて、仕事依存してる気もする。不健康なのだ流れるまま、止められない。

周りの人、親切な人、大切にしてくれる人、いるんだけど、そういう存在でさえも砦として掴みきれず、蒸発してしまいそう。

小5の頃、ほんの少しのあい特別支援学級にいた

交通事故で膝の骨が粉々になり、半年くらい車椅子生活を強いられていたことがある。俺はその間、一時的に「ひまわり学級」いわゆる特別支援学級に登校することになった。もといた教室までの階段を登れなかったし、エレベーターもなく、車椅子が入れるフラットトイレも1階にしかなかったのが理由だ。

でもひまわり学級は身体障害者向けと言うよりは少し知能や精神問題のある児童のためのものだった。3〜6年生のそういう児童が集められて、各自の進行度に合わせたプリントを進めたり、先生が一対一で教科書を読んで説明したりする。先生は二人いて、一人は児童勉強を見て回り、もうひとりは大人しくしていられない子どもを落ち着かせたり指導をする、という感じだった。

俺は車椅子用に広めのスペースを開けてもらった教室の右後方からそれを眺めながら「こりゃヤバいところに来たな」と純粋に焦った。常に奇声が上がっているし、自閉症ダウン症の子もの顔つきは申し訳ないけど同じ日本人とは思えず怖かった。先生たちが優しくしてくれるかというとそうでもなく、教科書を読み上げて事務的言葉をかけてくるだけで、聞きたいことがあってもすぐに他の子ものところに行ってしまうし、基本的自習に近い状態が続いて勉強もどんどん遅れていく気がした。授業と休み時間が交互に来る、という感覚希薄で、無為時間がダラダラと続いて一日がひどく長く感じる。最初のうちは大休憩にもとのクラス友達が顔を出してくれたが、ひまわり学級の異様な雰囲気の気圧されるのか一週間もすると来なくなった。下校時も親が迎えに来るので学校での俺は孤独だった。当時、ひまわり学級のクラスメイトや先生人格のある人間とは認識できていなかったんだと思う。

そんな日常が変わるかもしれない兆しを見せたのは、数週間経ってからだった。

新しい児童ひまわり学級に移ってきたのだ。そいつ女子で見た目は普通というか頭はまともそうに見えたし、何なら顔が結構好みだった。ついでに言うと胸もデカかった。当時の俺は別に巨乳に対して性的興味を覚えなかったが、それより何よりとにかく奇声を発したりよだれを垂れ流したりしないクラスメイトができたのが嬉しくて「なんでこのクラスに来たの」と声をかけた。

そいつは冷めきった顔で俺の足のギプスを見て、「あんたは怪我? じゃあ普通人間だ?」と言った。冗談かと思って半笑いになったが相手全然笑ってなかった。

わたしは違うよ。頭イカれてるから

そう言って今度は笑った。超でかい声で笑った。びっくりしたし、やっぱりこいつもだめだと思った。

でも結局このイカレ女が俺の初恋相手だったんだと思う。プリントに見向きもせず窓際の席でずっと校庭を睨んでいる彼女の横顔を毎日3時間くらいは眺めていた。顔が好みだったから。

会話した記憶はあまり残ってない。一度、そいつが6年生なのに俺と同じ教科書を使ってたのが気になって「どこまで進んでるの?」とか聞いたときに「なんであんたに教えなきゃいけねーんだよ!殺すぞ!」って超でかい声で怒鳴られたのが怖くて、あまりしかけられなかった。

そいつは生傷を作って来ることが結構あった。その頃は「荒っぽい性格から喧嘩とかもするんだろうな」なんて思っていたが、今思うと虐待を受けていたのかもしれない。

俺がひまわり学級にいる期間内運動会があった。もちろん俺は競技に出れるような状態ではなかったが、一応ひまわりの連中と一緒に出席だけはした。イカ女子が借り物競争に出て、借りるものが書かれた紙を見ると会場全体をキョロキョロして、俺の方に向かって走ってきて「あんたにする!」とでかい声で叫んだ。俺は正直ちょっとときめいた。いかれてはいるが顔が好みの女の子車椅子を押してもらえると思うと、思わずときめいてしまった。

でも違った。彼女は「走れ、走れ」と怒鳴るだけだった。俺は必死車椅子を走らせたが、校庭の砂の上だし、そもそも普段そんなにスピードは出さないので勝手がわからず、隣であいつに怒鳴られながら一分くらいかけてなんとかゴールした。ゴールすると会場から障害者の健闘を称える盛大な拍手が巻き起こった。俺は恥ずかしくて顔が熱くて燃えそうだった。イカ女子はまだ怒っていて「なんであんた遅いの?負けたじゃん!」と超でかい声で怒鳴られ、俺は悔しくて泣いてしまった。昼休み、見に来ていたうちの親がそのことで怒ってイカ女子の親に抗議しに行くといい出した。やめてくれと頼んでも聞いてくれなかったが、結局何も起こらなかった。あいつの親は来ていなかったのだ。

彼女は午後の選抜リレーにも出る予定だったが、昼飯から戻ると席から消えていた。俺は気になって、トイレに行くと言ってひまわり学級の教室車椅子を走らせた。俺の直感通り彼女教室にいた。ただ上半身裸だった。体操着を脱いで私服に着替えているところだった。

ごめんと言って逃げようとしたが、車椅子を回すのに手間取っているうちに彼女が半裸のまま近づいてきて胸ぐらを掴まれた。そして超でかい声で怒鳴った。

わたし帰るから! あんたが遅いせいで負けてやる気なくなったから帰る!!」

目を閉じようとしたができなかった。体は引き締まっているのにとにかく胸がでかい。乳輪が盛り上がっている。

「帰るなら、俺も一緒に帰ろうかな」

なぜか知らないが俺はそう口走ってしまった。怒鳴られるかと思ったが彼女はびっくりした顔でじっと俺を見ていた、それから過去一優しく笑って、

「無理でしょ。あん車椅子なんだから、遅いんだから無理」

 怒鳴らずにそう言って俺を開放し、そそくさと着替えて走って教室を出ていってしまった。追いかけようとしたが、もちろん車椅子では追いつけなかった。上履きを履いていなかった彼女の、裸足の足の裏がぺちぺちと廊下の樹脂を鳴らす音が誰もいない校舎に響いていた。

戻って先生イカ女子が帰ったことを報告すると「いいよいいよ」と興味なさそうに言うだけだった。彼女が消えたひまわり学級の観戦席には、奇声を発したり虚空を見て独り言を言い続ける子どもたちと疲れた様子の先生がいて、俺の車椅子のために広めのスペースが開けられていた。でもなぜだろう、唐突にここは俺の場所ではないと思った。最初からそうだったんだと思った。

その日のうちに俺は元のクラスに戻してもらうよう親に頼み、翌日から学校に行く日数を減らして代わりに病院でのリハビリを始めた。ギプスを付け替えて、松葉杖練習をして階段を登れるようになるまで2週間かかったが、とにかく俺は元のクラスに戻ることができた。何ヶ月もいなかった俺をクラスメイトたちも何事もなかったかのように受け入れてくれ、ほっとした。変な感じにならないか少し怖かったのだ。まあ元からクラスで目立つ存在ではなかったから、いてもいなくても変わらなかったのかもしれない。

それ以降、俺がひまわり学級に顔を出すことはなかった。だから俺がイカ女子を見かけるとき彼女はいつも歩いていた。登校中か、下校中か、校庭をかけているか。俺は声をかけられなかった。あんたは無理、松葉杖で遅いから無理、と諦めたように言われるのが怖かった。

あれから随分立つが、今でも彼女が夢に出てくる。胸のでかい女子小学生はいつも歩いている。そして俺は決して追いつけないのだ。車椅子も、松葉杖もないのに。

グスコーブドリの逆襲

増田はグスコーブドリの逆襲というタイトル童話を知っているかな。

昔々、豊かな森に囲まれた小さな村がありました。その村には聡明で優しい心を持った青年、グスコーブドリが住んでいました。彼は村のために尽力しており、自然を愛し、村人たちからも愛されていました。しかし、ある日、村の平和を脅かす存在が現れました。それは、宇宙からやって来た謎の男、シャア・アズナブルでした。彼は何かを探しており、その手掛かりを得るために村を混乱に陥れようとしていました。

ある晩、グスコーブドリは森の奥で奇妙な光を発見しました。そこにはシャアが操る巨大なロボットがありました。彼はそれを使って美しい森を破壊し、何かを手に入れようとしていたのです。グスコーブドリは村を守るために立ち上がり、独自知識と森の神秘的な力を結集して対抗しました。

グスコーブドリはシャアに戦いを挑みましたが、シャア技術冷徹さに圧倒されそうになりました。しかし、シャアの本当の狙いは宇宙の遥か彼方にあり、村には直接的な害を及ぼすことはないと知ったグスコーブドリは、シャアにある条件を提案しました。村と森を守る代わりに、彼が探しているものを一緒に見つける手伝いをすることです。

シャアはグスコーブドリの提案を受け入れ、二人は協力して宇宙秘密を解き明かす冒険の旅に出ました。そして、その過程で互いの信頼を深め、最終的にシャアは村を襲う意図を捨て去り、宇宙の未知なる可能性に目を向けるようになりました。

こうして、村には再び平和が戻り、グスコーブドリは村人たちからさらに大きな尊敬感謝を受けました。そしてシャアもまた、真の友情を知ることができました。

教訓:対話と協力には、お互いに新たな道を切り開く力がある。

ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.

anond:20241213120116

対象の頂きおじさんみたいな事件存在するから

詐称系は避けた方が無難

anond:20241213202841

あー、なら崩壊スターレイルやろうぜ

一人プレイオンラインRPGって性質上、取り返しつかない要素がほぼ存在しない(最初主人公の男女選択くらいだ)し

ターン制の観念を覆すくらいよく練られた戦闘システムから解説動画とか漁って研究するのも楽しい

まあ中国メーカー無料ゲーだから舐めてかかって雑に遊ぶくらいでも構わんし、JRPGよりJRPGしてるとこあるから親しみやすいはずだ

あ、序盤の世界観ちんぷんかんぷんのうちは文章理解できなくてとっつきにくい部分はあったわそういえば

店員さん怖い

普段アウトレット投げ売りされてるアウトレット専売商品しか買わないブランド(そもそも田舎にはアウトレットしかブランド店なんて存在しない)の東京本店で、期間限定ノベルティが貰えると聞いて、たまたま東京用事があったので、ノベルティ乞食と冷やかしをしに行ってきた。


入った瞬間に店員さんに話しかけられたので、素直に東京に来たついでにノベルティ乞食と冷やかしをしにきた旨をもう少し言葉を選んで伝えた。

すると、ありがとうございます!たくさん楽しんで行ってくださいね!せっかく◯県からいらっしゃったなら普段見れないものたくさんあるでしょうから東京旅行の思い出に試着とかもたくさんしてくださいね!と大変笑顔で言われた。

それからも、本当に全く買う気がなかったのにずーっと付きっきりで案内されるので、何度もアウトレットしか買えない細客ですからね!お金ないですからね!とアピールし続けたが笑顔で「思い出にたくさん見てたくさん試着して楽しんでもらえればいいですよ!」と延々と接客をされ、申し訳ないがまあええか…と結局2時間以上付きっきりで接客されまくり、なぜか20万円近くお買い上げをしており、接客って怖いなあと痛感した。

本当に、全く買う気がないというか、最近買いすぎたのでむしろ買わない気で行ったのに… さすがにびっくりした。全く買う気のない人間に対して買う可能性を見抜いて?声をかけて張りつこうと思った判断力も、本当に買わせる接客術も怖い。さすが東京本店

anond:20241213170417

あなたが述べた「ハマスの残虐性が完全に負けるほどイスラエルが異常」「非対称な被害」という観点には、問題があります。以下にいくつか挙げます

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1. 責任所在と行動の目的の違い

ハマス武装組織であり、その行動は国際法や人道法に反することが多い(例えば民間人を標的にした攻撃人間の盾の利用)。一方、イスラエル主権国家として、自国民安全を守る責任があります軍事行動が過剰に見える場合があったとしても、それは防衛戦略の一環としての意図があると主張されます。したがって、「異常」と断じる前に、行動の文脈目的考慮する必要があります

2. 非対称な被害の原因

被害の「非対称性」は、主にイスラエル軍事力の規模と技術的優位性によるものです。しかし、イスラエル攻撃対象を選ぶ際、ハマス戦術(例えば、民間施設武器や指令所を隠すこと)がその非対称性悪化させているとも言えます。このような状況で、イスラエルの行動のみを批判するのは公正ではないとの意見もあります

3. 原因の重要性は排除できない

現在紛争の背景には、長年の歴史的対立政治的問題存在します。原因や責任所在無視することは、問題本質解決する妨げになる可能性があります。例えば、ハマス攻撃がなければ、イスラエル軍事行動も行われなかった可能性が高いという点も考慮すべきです。

4. 人命の重さに対する議論の偏り

非対称性問題視する一方で、双方の側で失われた命の重さを同等に捉える必要がありますハマスが行う民間人への直接的な攻撃と、イスラエル軍が行う結果的民間人犠牲の間には質的な違いがあるという主張も考えられます

5. 解決策への集中が必要

被害非対称性に注目しすぎると、問題解決に向けた建設的な議論が難しくなる可能性があります。むしろ、双方がどのようにして暴力抑制し、持続可能平和を築けるかに焦点を当てるべきではないでしょうか。



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もちろん、このような議論感情的になりやすく、一方的正義を追求することが対立を激化させる場合があります大事なのは、双方の行動の背景と結果を冷静に分析し、偏りのない視点を持つことです。

傍若無人の人とは縄張り内部の人間をさす

いじめられっ子パーソナルスペースを侵されたり、存在無視されるのは傍若無人にはあたらないという主張が各地に根深く残っているのでしょう

からあげクン東京を救う

その日、僕は仕事帰りに新宿駅西口ローソンに立ち寄った。湿度の高い夜で、街全体が汗ばんでいるように感じられた。何か小腹を満たすものが欲しかったが、食欲はそこまで強くなかった。僕はふと目に入ったホットスナックコーナーに足を止め、何気なくからあげクンの箱を手に取った。

いつもと同じパッケージだ。赤い箱に、小さく愛嬌のある目が描かれている。それを無造作レジへ持って行き、会計を済ませた後、袋を片手に店を出た。

外の空気はむっとしていて、思わず一歩後ずさりしそうになる。僕は駅前の人混みを避け、路地に入り、手軽な夕食を開けた。その瞬間だった。

「やあ。」

――声が聞こえた。

僕は一瞬、自分空耳を聞いたのだと思った。あたりを見回したが、誰もいない。路地は暗く、湿った風がビルの隙間を通り抜けているだけだ。

「こっちだよ。」

今度ははっきりと聞こえた。僕の手の中にあるからあげクンの箱からだ。

ちょっと待ってくれ。」僕は箱を凝視した。「今、喋ったのか?」

「そうさ、ぼくだよ。からあげクン。」箱の中からからあげクンが顔をのぞかせた。その姿は、パッケージに描かれているマスコットのものだ。小さな丸い唐揚げの体に、意外にも生き生きとした目。

「驚いたかい?」

「驚いたも何も、どうして唐揚げが喋るんだ?」

「それはぼくがただの唐揚げじゃないからさ。」からあげクンは小さく跳ねた。「ぼくはホットスナック界の守護者なんだ。今日は君に手伝ってほしいことがあって、こうして話しかけているんだよ。」

僕は呆然としながらもからあげクンの話を聞き始めた。

       ★

東京が、今、ある深い闇に呑まれかけているんだ」と、からあげクンは言った。その声は実に穏やかで、しかしどこか決定的な力をもっていた。「このままいくと、人々の心は冷たさに覆われ、都市は内部から崩れてしまうだろう。原因はサラダチ⚪︎ンだ。」

サラダチ⚪︎ンって、セブンイレブンで売っているあのパック入りの?」

「そう、あの冷たい繊維質の塊さ。彼は東京を凍らせようとしているんだよ。」

からあげクンは歩きながら、彼自身存在意義について話し始めた。

「ぼくらホットスナックは、文字通り人間に“温かさ”を届けるために存在しているんだ。カリッと揚がった衣とジューシーな中身。小さいけれど確かな幸せ。だけど、サラダチ⚪︎ンは違う。彼は冷たいまま人々の心を凍らせる。」

「いや、ただの健康志向象徴なんじゃないの? 脂っこいホットスナックよりもヘルシーだと言われているけど。」

からあげクンは首を振った。「いや、健康に見えるだけなんだ。本当は選択余地を奪っていくんだよ。サラダチ⚪︎ンを選ぶ人は、何かを妥協している。味を、温かさを、そして喜びを。それが積み重なると、東京は本当に冷たくなってしまうんだ。」

       ★

その夜、僕たちはサラダチ⚪︎ンが潜んでいるという噂のセブンイレブンを目指した。からあげクンの話では、彼は冷蔵ケースの奥深くに眠りながら、自らの存在を拡大しているらしい。冷蔵庫が冷たければ冷たいほど、彼の力は増していくのだという。

セブンイレブンに到着すると、店内には妙な静けさが広がっていた。冷蔵ケースから冷たい風が漏れ出し、まるで見えない霧が漂っているようだった。棚の商品はどこか青白く、無機質に見える。

「ここにいるね。」からあげクンは静かに言った。突然、冷蔵ケースの奥から低い音が響いた。それはただの機械音ではなく、何か生き物が潜むような、不気味な音だった。

「来たな、からあげクン。」冷たい声が空気を切り裂くように響いた。

僕は思わず体が震えるのを感じた。冷たい空気が肌を刺すようだった。冷蔵ケースの奥深くからゆっくりサラダチ⚪︎ンが姿を現した。その光沢のあるパッケージと、完璧に整ったフォルムは、一見すると美しかった。だが、その目には底知れない闇が宿っていた。

「君はまだ温かさなどという時代遅れ幻想にすがっているのか。」サラダチ⚪︎ンは冷たく笑った。「この街必要なのは選択肢ではない。合理性だ。冷たく、計算された満足。それが私の力だ。」

「冷たさは心を動かさない。人間には温かさが必要なんだよ。」からあげクン毅然と答えた。「君の合理性は、喜びを奪い、人々を空虚にしてしまう。」

       ★

からあげクンは一歩前に出た。その小さなからは、じわりと温かい光が漏れ始めていた。それはまるでホットスナック特有の、揚げたての熱そのもののようだった。

トルストイはこう言っているよ。『幸福な家庭はみな似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である』ってね。君が作り出す冷たさは、不幸すらも均一化するんだよ。でも、人間には不完全で温かい何かが必要なんだ。それが本当の幸福を生むんだから。」

サラダチ⚪︎ンは冷笑を浮かべた。「詩的だが無意味だな。さあ、冷たい闇に飲み込まれるがいい。」

その瞬間、店内の温度が急激に下がった。冷たい霧が広がり、僕の視界がぼやけた。だが、その中で、からあげクンの光はますます輝きを増していった。

「この冷たさを温めて、消してみせる!」からあげクン叫び、全身を光の塊に変えた。

無駄だ!」サラダチ⚪︎ンが叫ぶ。「冷たさこそが正義だ。この街必要なのは理性と計算だ。お前の光など、その脂ぎった熱など、ただのノイズにすぎない!」

しかし、つややかなパッケージじわじわと膨らみ始め、内部のチキンが熱によって変化していくのが見て取れた。冷たく白かったその表面が、次第に黄金色に変わり、薄くパリッとした衣が彼の体を覆い始めた。

揚げ油の香ばしい匂いが店内に広がり、僕の鼻を刺激した。パッケージが破れ、中から現れたのは、ジューシーで脂ぎった揚げ鶏だった。

       ★

気がつくと、僕たちはローソンの前に戻っていた。近くのセブンイレブンは何事もなかったように営業を続けているが、あの冷たさは消えていた。

東京は救われたのか?」僕はからあげクンに尋ねた。

「少しだけね。でも、冷たい闇はまた現れるかもしれない。そのときはまたぼくが戦うよ。」

彼は静かにローソン自動ドアの中へ戻っていった。その背中は小さなホットスナックのものだったが、そこには何かしら大きな希望が宿っているように見えた。

東京の夜は、再び少しだけ温かさを取り戻していた。

anond:20241213164141

なんで?存在が判明しただけでおまえにゃ十分だろ

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