はてなキーワード: 意味とは
生成AI(※)嫌いが多い
たまたまSNSで見知らぬ人とちょっと絡みが発生しそうになって、プロフ見に行ったらAI嫌いの人だった
配信とかもやってる人みたいで、ちょっとアーカイブ再生してみたら、おばさんとしか思えない声、喋り方だった
いや、おばさんが悪いんじゃないけど、自分の中のおばさん(とかおばさん入口の女子)って、一番、自然でないものを拒むイメージがある
ほとんどがうちの母と母に影響受けまくった姉の印象だけど
母は早逝したので姉のそれは別口かもしれないが
寂しかったのもでかいとおもうが、変な宗教っぽやつ、プラッチックの密封容器、洗剤とか色々ハマりつつ
旨味調味料を嫌い(そのくせ昆布もかつお節もケチるので旨味が無い料理を作る。塩も控える)、無農薬に惹かれ(売ってなかったり高かったら普通に野菜買う)、肉より魚を選びがち(そのくせ生協の合鴨とかは買う。魚に関しては今自分も魚好きなので子供時代の自分との相性)。自然っぽさがあればそれでよく、夏場はそうめんばっかりで(好きだからいいけど)、めんつゆは普通に売ってるやつ。(こだわりのやつとか売ってなかったか見つけれなかったか)
馬鹿でしかないとは思うが、自分も何か否定的な情報が流れてくると、自然ぽさが少ないものは他と比べて避けようと思ってしまうし(コーヒーは避けないが、甘味料とかはだめかなと思ってしまう)、
自然信仰みたいなのはあるのだろうなと思う。ポッと出のものよりも何千年と人類が使って来たもののほうが信頼度が高い気がする。(実際気がするだけで、検証すらしてないもののほうが多かったりするのだろうが)
自分はたまたま仕事がコンピュータに関連深い業種で、学部は化学とか(触りだけ)つまんでて、避けようと思った時に、ちょっと考えることが出来るので、変なこだわりは少ないほうだとは思うけど、
わかった上で気休めでも根拠がないけど安心っぽいとか、逆に根拠はないが体にいいっぽいに倒れることは多いし、よほどのことでないかぎりは、そういう気休めとかもあったほうが生きていきやすいんだろうなと思うし、話のネタが他にあんまりなかったりするのもでかいのかもなぁ
※ 生成AIって言い方もよくないのかもしれない
AIなんてそもそも何かは作るもので、コンピュータもそんな感じだ。出力がないと意味がないんだし、動いたら何かは出るんだし。
賢そう、怖そうみたいなイメージついちゃってんのかも。はちみつとか(作ってるわけじゃないけど)ハチの巣とか(作ってるけど何に使えるか知らない)みたいにもっと人間に使役してるとか、人が強奪してるみたいなニュアンスだったら嫌悪感減るのかも?
他言語ではどうなんだろう
こっちが「すいません一人なんですけど入れますか?」って聞いたらようやく
ああはい、って案内してくれたと思ったら
店員「これが昼のメニューになります、こっちがカフェのメニュー」
と指さしてくれた昼のメニューはでかい黒板のようなものに書かれてて
でも床に直置き椅子に立てかけられててテーブルに隠れて半分以上見えてない
内心え?これ自分で持ち上げて見に行くの?と思い持ち上げて見に行く
その間も隣でぼけっと突っ立ってる店員
カフェのメニューは壁に吊り下がっててまあまあ遠くてここからじゃ見えない
内心エエッとなる俺
同じ空間なのに、何その意味わからないルール?百歩譲っていいとして
なんでこっちがあくせく動いてルールを聞き取りしていかなきゃいけないんだよ
「お前なんなんだよその態度、ふざけてんのかよ。何がしたい?」
って聞きたいのをグッと堪えてやっぱりいいですと言って店を出た
絶対言っちゃいけないのはわかってるけど言いたくなる
「「土地を返せば紛争が解決する」という意見は、一見シンプルで道理に合うように見えますが、イスラエルとパレスチナの歴史的、宗教的、政治的背景を考えると、単純化されすぎています。以下に論理的な反論を挙げます:
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イスラエルとパレスチナの双方が、現在のイスラエル領土を歴史的・宗教的に「自分たちの土地」と主張しています。
ユダヤ人は、古代イスラエル王国がこの地に存在し、宗教的にも約束の地として捉えています。
一方、パレスチナ側も数世紀にわたりこの地で生活してきたため、自分たちの土地と考えています。
反論: 「土地を返す」とは、どの土地をどの時点の基準で返すのかを明確にしなければ意味がなく、問題を解決するものではありません。
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過去に、イスラエルが譲歩して一部の土地を返還した際、たとえば2005年のガザ地区撤退後に、ハマスが支配を強め、そこからイスラエルへのロケット攻撃が増加しました。
反論: 土地を返還するだけでは安全保障上のリスクが残り、紛争の解決にはならない可能性があります。
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紛争の根本的な原因は、単に土地ではなく、民族的なアイデンティティ、宗教、政治的な対立にあります。
たとえば、パレスチナ側の一部勢力は「二国家共存」を拒否し、イスラエルの国家としての存在そのものを認めていません。
反論: 土地返還はあくまで一部の問題を解決するに過ぎず、根本的な対立構造が解消されなければ紛争は続く可能性があります。
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イスラエル国内でも安全保障や宗教的な理由から「土地の譲歩」に反対する声が根強く、政治的合意が困難です。
同時に、パレスチナ側も内部で統一された意思決定が難しく、和平交渉が進まない背景があります。
反論: 土地を返還するという案は、現実の政治的・社会的状況を無視しており、実現性に欠けています。
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イスラエルは、1948年の建国時に国連決議(181号)を基に合法的に設立されました。その後の領土拡大については議論があるものの、すべてを「奪われた土地」とするのは誤解を招く可能性があります。
反論: 「土地を返せ」という主張は、国際法や歴史的背景を考慮しておらず、単純化されすぎています。
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土地の返還が和平に寄与する可能性はあるものの、それが紛争を完全に終結させる万能の解決策ではありません。紛争の原因は土地問題だけではなく、双方のアイデンティティや安全保障への懸念、歴史的な不信感など多岐にわたるため、「土地を返せば紛争に巻き込まれない」という主張は現実を十分に反映していないと言えます。
」
をやろうと思ったのですが、私の知識不足で企画倒れが決定しました。
多分、俺以外の誰かがやると思うので期待して待ってます。
直感的にそれがあることは分かっていても知識と検証能力の不足によって尻尾を掴めないのがとても歯がゆいですね。
ある種の前世症候群の如く「そうか!俺は実は発達障害だったんだ!」と「目覚めて」しまっている人達の急増はもはや社会問題と言っていいわけですからね。
この状況に対して何らかの調整弁を働かせなければ本物の発達障害の人達が「発達障害を自称するただのワガママな人」と同列に扱われて苦労するのは目に見えています。
誰かが正義の一石を投じてこのブームの暴走を食い止めて欲しい限りです。
正直、漫画ランキングに対してのツッコミなんかでそんなことをやっても仕方がないのは事実ですけどね。
本当に動き出すべきは「本物の発達障害を診ている精神科医師」達だと思います。
実際どうなんでしょうね?
偽物が次々にドアを叩いてくれるぐらいの方が自分たちの客が増えるからラッキーとか思ってたりするんですかね?
それとも、偽物であるか本物であるかを調べる機会を得るためには玉石混交の状態でいいので篩に一度かけさせて欲しいという感じなんでしょうか?
昔は学校教育の中で「コイツ脳の構造が生まれつきヤバイだろ!病院いけ!」みたいな話をオブラートに包んで親御さんに相談したり、保険医が勝手に病院に連れて行ったりも出来ましたが、今はそういうのは難しいでしょうね。
そうなると自然と発見が遅れるリスクがあるわけですから、「気になった時点で一度発達障害かどうか確かめる機会を増やしたほうがいい」という意味では、この「俺俺発達障害」のブームは結果としてプラスなんですかね?
まあ、単なるワガママによる人格破綻であっても、ある種の思考の癖によって本人や周りが生きづらくなっているなら、そこに精神医学や心理学の技術を介入させて軌道修正を行ったほうがいいわけですから、自称だろうが発達障害を理由に医学的なサポートを必要とする姿勢は正しいんですかね?
確かに、自分が発達障害である可能性を視野に入れたうえで検査を受け、そこで出てきた医者のアドバイスを素直に聞くというのは実際正しい気はしますね。
でもそこで「デパスで元気になるから」と薬に頼る道を安易に選んでしまうパターンもゼロじゃないのが恐ろしい。
マイナンバー保険証の件で再燃しましたが、世の中にはちょっと精神病っぽければいくらでも向精神薬を投げつけてしまうような医者も少なくはないと聞きますからね。
単なる「自称発達障害の普通の人」がそういった医者にひっかかって「薬物の力を借りなければ脳内物質のコントロールが出来ない体になってしまった人」になるリスクも無いとは言えません。
うーん。
私が思うに、単にこれは次なる「社会の闇に切り込み現代社会の生きづらさを描くセンシティブな漫画」の人気ジャンルとして立脚するだけなんじゃないかという懸念さえありますね。
実際、一時期の青春文学などにおいては医者から処方された薬物を濫用するという場面が現代人の闇(ニチャァ)の描写として流行ったことはありましたからねえ。
完全自殺マニュアル後の自殺コンテンツブームの如く、自称精神病薬物乱用コンテンツブームが雨後の筍の如く乱立し、それがこのマンガがすごい!として持ち上げられるという流れもあるかもですね。
まあ、それで一度キッチリ社会問題として顕在化することまで含めてのPDCAサイクルとも言えるんですかね。
先週の土曜日、朝起きて玄関を開けると、ポストの上に一枚の手紙が置かれていた。薄い白い封筒に、黒のボールペンで「〇〇様へ」とだけ書かれている。差出人の名前もなく、表面にはそれ以上の情報はない。
正直、こういうのは映画やドラマの中だけの話だと思っていた。現実でこんな手紙を見つけたら、普通なら警戒するだろう。でも、興味本位が勝った。封を開けてみる。
「お願いだから、気づいて。」
…何に気づけばいいんだ?何の話?意味が分からない。まるでホラー映画の冒頭みたいだ。
その日は1日中、手紙のことが頭から離れなかった。「気づいて」って何?何か忘れていることがあるのか?重要な出来事を見逃しているのか?家の中を見回しても異常はなし。身の回りの人にも特に変わった様子はない。
夜になっても答えは見つからず、半ば諦めて眠りについた。
翌朝。
玄関を開けると、また手紙が置いてあった。昨日と同じ白い封筒。震える手で開ける。
「もう遅い。」
…何が遅いんだ!?怖くなってすぐに警察に相談しようかとも思ったが、ふとあることに気づいた。
慌てて電話をかけると、「忘れてるかと思ったよ」と少し拗ねた声が返ってきた。手紙のことを話すと笑いながら、「そんなことするわけないでしょ!」と呆れられた。
じゃあ、あの手紙は一体誰が?
…今でもその答えは分からないままだ。ただ、あの手紙のおかげで母の誕生日を思い出せたのは確かだ。
これが偶然か、誰かのいたずらか、それとも…?
女性差別っていう概念がキャズム越えてIQグレーゾーンに生き渡ったからわけわかんない使われ方するようになってる。
まず私、パンパンのダウン着て電車のロングシートに座る男のこと叩いてたんだよね。
デブというのは日本だと男のほうが三倍くらい多くて、あと女でデブだと美緒48歳で家から出ないことも多くて目に見えないんだけど、男のデブは元気に屋外にいるから電車の中で遭遇することも多い。
ものすごく邪魔で、しかもデブ+パンパンのダウンで通常の人間の1.7倍くらいの横幅をとっているやつがいるから本当に死んでくれって書いてた。
高速バスでデブの男が隣だと本当に死んでほしさがすごいらしい。私は高速バス使わないから知らないけど電車の乗車時間でも不快なのに高速バスの長時間だったら相当きついだろうなと思った。
基本、全方位に悪口を言うアカウントなんだよ。邪魔とか迷惑とか不快とか。それでもっと不快だったエピソードのリアクションがフォロワーからきて、それを掲載してコミュニケーション取るっていう。
それが脚が虫刺されとかでものすごい汚いことになってるのにショーパンはく人って何考えてるのか全くわからない、私があんな虫刺されになったら治るまで脚隠す、みたいなこと投稿したら、
それ虫刺されじゃなくて劣化したカミソリで逆剃りしてるから脚ボロボロになってんだと思うよって指摘する人とか、理由がなんだろうと脚がボロボロだったらショーパンは無理っていう同意とか、反応がいろいろきて、
そのなかに「ひどいこと言ってる人がいる。女性差別」みたいな反応があったんだよね。その人、私が汚い脚を叩く前からフォローして私の汚言を読んでた人だったんだけど。
女性差別!?全方位叩いてた女の私が女性を差別!?叩く対象はほとんどダウンパンパンデブ男みたいな対象だった私が、女性差別者!?
私が女性以外を叩き続ける様子は楽しく読み続けるけど、女性を叩いたら差別!?
肌が弱い人を差別してるとかならわかるわ。言ってることがわかる。でも女性差別になるのは本気で全く意味が分からない。絶対に知恵遅れの錯乱発作じゃん。
前に都知事選で蓮舫が負けて小池百合子が勝ったから女性差別とか言ってる人がいて「どうしてこの世にはこんな基地外がいるんだろう」と思ったけど、女性差別って単語は本当に最悪のところまでリーチしたね。
男性差別もそう。それはお前が男性だから差別されているんじゃなくて、汚いとか臭いとか具体的な不快要素を持っているところが差別されているんだよ、性別なんていうでっかいもので差別されているんじゃないよ、って思うけど、
本当に知能が低いところにリーチしてしまって濫用されてる。もうね、死んだほうがいいよ。「蓮舫が負けて小池百合子が勝ったから女性差別」みたいな人たちは全員、死んだほうがいい。
俺が最初に入ったのは、食品メーカーの営業職。大学時代は「人の役に立つ仕事がしたい!」なんて考えてたけど、正直、就職活動ではそこまで深く考えてなかった。「まあ、そこそこ大きい会社だし、安定してそうだな」くらいのノリだった。
朝8時に出社すると、先輩たちはすでにデスクで仕事してた。「おはようございます!」って声を出しても、返事はほとんどない。なんかピリピリしてて、誰も笑ってない。「あれ、こんな感じなの?」って最初はただの緊張感だと思ってたけど、結局それがずっと続くんだよね。
最初の外回りは上司と一緒だったんだけど、その時点で「あ、ここダメかも」って思った。
「売上落ちてるみたいですけど、原因なんですか?」ってめちゃくちゃ高圧的。店長も苦笑いしながら答えてたけど、明らかに嫌がってた。車に戻ったあと、「営業は押しが大事だからな。隙を見せるなよ」ってドヤ顔で言われた時、俺の心は半分折れてた。
入社して3カ月くらい経つと、毎日家に帰る電車の中で「俺、これでいいのか?」ってずっと考えるようになった。朝5時起きで夜10時帰り。休日も「来週の営業資料作っとけよ」ってメールが飛んでくる。
唯一の息抜きだったNetflixも、疲れすぎて画面を見る気力すらなくて、寝落ちしてばっかりだった。
で、ある日とうとう限界がきた。
あれは5カ月目の月次会議。みんなの売上が未達で、部長からの怒鳴り声が飛び交う中、上司が急に泣き出した。「俺だって辞めたいよ!でも、家族がいるんだよ!」って叫んで、会議室がシーンとなった。
その瞬間、俺は「あ、辞めよう」と思った。「この会社で頑張る意味なんてない!」って心の中で叫んでた。
退職の意思を伝えたら、部長にめっちゃ怒られた。「お前、社会人舐めてんのか?」とか言われたけど、正直どうでもよかった。同期も「なんで辞めるの?まだ頑張れるでしょ?」って言ってきたけど、それにも特に感情は湧かなかった。
ただ、退職届を提出した日の帰り道、久々に空が明るく見えたのを覚えてる。ちょっと泣きそうになった。
辞めた後は半年間バイトしながら、職業訓練校に通った。そこでExcelとか簿記とかを覚えて、IT系の営業アシスタントに転職した。
今の会社は、びっくりするくらい普通。朝はちゃんと始まって、昼はみんなリラックスして雑談してる。上司も「無理しないでいいよ」って言ってくれる。前の会社が異常すぎたんだなって、今になって気づいた。
たぶん「辞めたいけど、どうしよう」って悩んでる人がいると思う。
俺も最初は「辞めたら終わりだ」って思ってたけど、実際に辞めてみると、世界は全然変わらなかった。むしろ、辞めたことで新しい道が開けた。
『ビフォアサンライズ』→『ニューシネマパラダイス』
って感じだった
さとうもかの予定とかりとる革命ってこういうシチュエーションなのかな
自分の言った暴言が自分にブーメランで帰ってきてそれをちゃんと受け止めるのはスカッとジャパンでもあり偉いとも思った
文体は甘いが、描いてる出来事はシビア。でもそれを受け止めたから幻想を逃れて自分の人生を歩めるって話でもあるよね。自分の人生を生きるための、相手の瞳にそう映りたかった幻想の自分殺し、夢殺しにちゃんと向き合った話。
キツい感じで終わるけど、だからこそその先には地に足をつけて生きていける未来が暗示されているという意味ではヴィットリオデシーカの『ひまわり』でもあるかも。
綾子は年齢も経歴も当時の著者に近似しすぎてるからそういうことなんだろうけど著者の本来の夢は漫画家でそれは(執筆時点では)諦めていたことを考えると0.5パーセントは進にも投影されているんだろうか。なりたかった集英社系列の漫画家、である谷川史子が表紙なのも、漫画家の夢に対するレクイエムなのか。
谷川史子の絵かわい〜
元々応援の意味が強かったのかもしれない(言葉的にも)。自分が知ったのはアイドル文化での利用なので。
手の届く(一方的な援助とかでも)のが推し。で二次元などで手は届かないが身近な存在に拡張。アニメなどの推し(まあライブとか以外でも課金しやすい)
買って支える投票するみたいなのがうっすらか結構分厚くか含まれてる。(個人の感覚)
推しという言葉が広まる前に元々好きだった人達は、自分ごときが支えないでもよいし、推してる感はない。
若い世代や他界隈からの人たちだと、身近であるや支えなきゃならない、一緒に成長していく(こっちは疑似体験だが)要素が含まれないことも増えて来てそっちが主流になりそうな(なってる)気はする。
意味わからん。「アーティストのコンサートのチケット抽選にはずれていけない。でも物販は買いたいから、同じコンサートに当選できて行くという友達にかってきてもらった」
余計な買い物だって、荷物になって迷惑なのだから、成功できたら新幹線代とかお礼とかの名目で代金に上乗せしたものを渡す、それがいわゆる買い子の手数料だろ。
トラバみてもだいたいおまえの書きたかった方の意見と同意だった(この釣りがっせんおもろ~い)だ
だけど男増田は釣り師としては「ここ初めて来たんだけど、釣りってなに?(きょとん)」顔を演じつつ真実味をつけないといけないわけ
280blocker.netの定義ファイルでカバーできない奴。
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この件。
中国人キャラクターの「語尾アル」の元祖は誰なのか情報募集、最古は『のらくろ大事件』の中国人奇術師ほか部門ごとに発表へ - Togetter [トゥギャッター]
大まかな流れとしては、
→外国人居留地で日本語・英語・中国語などが混じりあってピジン(特に横浜ピジン)が生まれる
といった感じである。
横浜ピジンと日中ピジンの直接的な影響関係はわからないが、ピジンは自然発生的なものなので、仮にまったく関係がなかったとしても、収斂進化で似たような形になりそうではある。
まずは最初のツイートへの一つの回答として、明治5年初演の歌舞伎『月宴升毬栗(散切りお富)』に登場する詹五九と亜松金という中国人を挙げておく。
ちなみに詹五九は実在の人物で、身長が2m40cmくらいあり、矮人と一緒にヨーロッパへ渡って、見世物として話題になったという。
松金「あなた踊りをどるよろしい。」
これが横浜ピジン的な口調であるが、「見るあります」と敬語になっているだけで「〜〜アル」と変わりなく、「踊るよろしい」などの言い回しも「中国人が使うカタコトの日本語」のイメージそのままではないだろうか。
なお「大さん(たいさん)」というのは「たくさん」という意味で、
[ 2 ] 〘 副詞 〙 ( 「たいそう」と「たくさん」をまじえた語か ) たいへん。
辞書にもこのように書かれているが、これも横浜ピジンの一種である。
こうした横浜ピジンが、明治期の小説では(中国人に限らず)外国人の役割語として広まっていたようだ。
日本娘、たいさん多淫あります、日本、卿、此娘と肉交あります、ペケ……娘……小生、サランパン、するよろしい、卿、娘と、マロマロよろしい……ペケー……
これはイギリス人の医師・グラマン氏が、日本人の妾の浮気を疑って言った台詞である。
「サランパン」は横浜ピジンで「壊れる」、ここでは「離縁」の意味。
「マロマロ」も横浜ピジンで「通りすぎる」とか「出ていく」というような意味らしい。
「ペケ」は今でも「バツ」の意味で使われているが、実はこれも語源は横浜ピジンである。
つまり、この台詞は「日本の女はとても多淫だ、そこの日本人の男はこの女と不倫しているんだろう、だめだ、女よ、おまえとは離縁だ、二人で出ていけばいい」といった感じか。
「私、当麻と同類ある、津の公園、彼処で別れたです。何かする目的、当麻。津、市、留りました。私、一人、此方へ来たです。貴女の話、当麻から聴きました。貴女の人相、委しく聴いて、記憶して居りました。私カーテス、実名あります。私と一処に稼ぐよろしい。日本ドロボウ未だ未だ幼稚あります。私、計画大さん大きいあります。これから味方になりませんか」
これもイギリスからやってきた悪人・カーテスという人物の台詞。
最初の「同類ある」は「〜〜アル」の形式かと思うが、それ以降が敬語なので判断しづらい。
著者の江見水蔭は当時の売れっ子作家だが、この役割語としての横浜ピジンを多用していたようだ。
水夫長らしい支那人は、茫然として甲板の隅に立つ美代雄に向ひ、達者な日本語で。『水夫見習、のお前あるか』『然うです』と美代雄は答へた。『翌日から勉強するよろしい。朝起きると、便所、前、中、後、三箇所ある、便所の掃除するよろしい』『えッ、便所の掃除?』美代雄は憤然とした。『左様、掃除するよろしい。それ、済む、皆々、靴、磨くある』『えッ、靴を磨くんですか』『それから、米飯食べろ食べろ皆々給使する、それある後食べろ食べろ器、洗ふ事あるよろしい』
と、これは完全に「〜〜アル」型の中国人とみなせるだろう。
いわゆる「英国紳士」的なキャラクターだと敬語で「〜〜あります」になるので、「〜〜アル」は水夫のような下っ端でないと出てこない、という事情はありそうだ。
『ソレ、十六円九十銭、安いあるよ』と是も拙い日本語で答へた。
『那個、很貴』
『安いあるよ。ホント安いあるよ』
と「〜〜アル」型の中国人が登場している。
明治43年は1910年なので満鉄設立以降であり、この場面も満洲にやってきた日本人が露天商から謎の箱を買うというところである。
江見水蔭のなかでは「日露戦争以前の横浜ピジン的な外国人描写」と「日露戦争以降の日中ピジン的な中国人描写」は繋がっていたのではないか。
「〜〜アル」型の中国人の描写は他に、明治41年の遠藤柳雨『志士と佳人』。
困った人間あるね、日本、婦人、何うして左様、銭儲け嫌あるかね、船長の夫人なる、お金ザクザク貰へるあるよ、お前さん、お金、欲しくないあるか
といったものもあった。これも『錨』と同じく中国人の水夫の台詞である。
というわけで、「〜〜あります」と「〜〜アル」を明確に区別しないのであれば明治5年の『月宴升毬栗』までは遡れるし、「〜〜アル」に限っても明治年間の作品で確認できるので、『半七捕物帳』や宮沢賢治『山男の四月』よりも遡れるよ、という話でした。
現在50代。30代は完全に何もなく、40代に使えるものは使えるうちに使っとこうとソープ行ってみたけど精神的な満足感がなくて、肉体的に満たされても大して意味ないんだなと感じた。