はてなキーワード: 製作とは
そんだけ長期見てきた人らにめっちゃ後足で砂かけてくやん
4年間いろんなVを並行して見漁っていたんだろうけど
結局キミですら愛想つかすような人間がゴロゴロいたってことでしょ
だったらその4年間毎日原神にログインしてフレーバーテキストの隅々まで読み漁って考察やらキャラ解説やらの動画見て自主研究する時間のためにYouTubeを使っていた方が豊かな娯楽体験が得られたんじゃないか?
似たようなアニメ顔キャラクターを日々眺めるならさ、こうした高予算の上澄み系ゲームは公式からのコンテンツ供給が膨大だから、日々中身の薄いゲーム配信をだらだら繰り返すVよりも濃度は高いと思うけどね
属人的な魅力頼みのエンタテイナーであるVをハシゴするよりは、ウン十ウン百億かけて大規模に製作されてる大型アニメ調運営型ゲームを数本並行して4,5年ハシゴしてたほうが普通に充実する気がしない?
どうしても疲れた脳と体で何も考えず画面を眺めながらゲラゲラ笑う昭和のテレビっ子みたいな娯楽消費スタイルしかする余裕ないんだっていうなら仕方ないけども
もしVというエンタメ形態そのものに飽きてきている節があるなら今は有力なオタクゲーマー向けタイトルが両手で数えられるくらいある恵まれた時代だから趣味をシフトさせるのは難しくないっピ
ニコ虐(映画でニコラスケイジ演じるキャラクターはいくら虐待しても良い、という風習)
ニコラスケイジ演じる主人公の非モテ&みじめな人間描写の解像度が嫌な方向に高すぎる さすがミッドサマーのA24
娘が二人いるんでその辺が現代日本の本物の(©山岡史郎)非モテとは違うんですが…夫婦の関係の終わってる描写とかまじえぐい
無数の人の夢に現れるようになって一躍話題の人になるニコラスケイジ
「有名になりましたね、何が夢ですか?」「ぼくは自分の専門の、蟻の社会進化論で単著を出すんだ!」「どこから出版するの?」「いやまだ原稿は書き始めてないんだ」
「いやバズってる夢の体験を書いてくださいよ」「そうじゃない」>結局蟻の進化ではなくそっちの方を書く(優柔不断)
「雑誌の取材だ!」「写真撮るから夢に登場するつながりでエルム街の悪魔っぽい爪つけてくださいよ」「つけたくない…」「そんなこと言わずに」(結局付ける)
「ぼくが書いた本のタイトルこんなダサいのではなく『ドリームシナリオ』の筈では?フランス版だから?」(実際は出版社がニコラスケイジに黙って)
「ぼくのサイン会こんなにたくさんの人が」「いやこれ別の人気作家のサイン会の行列でして」(ニコラスケイジは地下の倉庫レベルの会場でサイン会)
英語のヒアリング弱いんですが、バンバン出てくる固有名詞が訳出されてなくて米国人はもっと楽しめるんだろうな、と。
学部長に向かって「ひとのことミッドライフクライシスとかバカにするけどお前もKAWASAKI買っただろ!」 が字幕ではバイク買ったに(その後KAWASAKIのバイクが学部長のガレージに見えるシーンがあります)
まあ概ね評価は出てると思うが実写レベルではゴールデンカムイレベルに持っていってる。どっちも同じ雑誌だなぁ。
さらに同じ部分といえば、ゴールデンカムイと共に作者が脚本に絡んでいることと、スタッフが原作ファンということ、またどちらも再現したいものに口出しされないために製作主幹事が賭けていることかもしれない。推しの子にいたってはアマプラ制作と思われたが東映100%出資だった。
ゴールデンカムイに関しては脚本というより北海道の雄大な自然(植生にこだわった結果多くが北海道ロケになった)と役者たちの「爪痕残すぞ」レベルの怪演の数々、またキャストの原作理解度の高さ、衣装や小道具、舞台を始めとする裏方チームの異様な熱気を感じる部分が見どころになっている。
脚本は「原作ファン」「原作をできるだけ再現すること」「その上でコンプラと時間短縮すること」「キャラを損なわないこと」に力を入れたようだ。
推しの子の脚本や監督もまた「原作ファン」なのだがゴールデンカムイと違うのは「時間が短いこと」だろう。
まずゴールデンカムイの企画というのは金でぶん殴ったような動き方をしている。山﨑賢人を雪山に8ヶ月拘束して1本の映画と1シリーズのドラマを撮影している。それをおそらく、何年も続けるつもりだ。異常である。
ドラマで前日端的にやって映画で締める。いつもどおりの実写で時間がない。
取捨選択だけでは補足できない。何が必要で、何が要らないのか、さらに補うものはなにかを考えて「面白いものは何か」を突き詰めなけれないけない。
これは失敗した実写をたくさん見てきた。多くは低予算で、スケジュールも短く、かつ「なぁなぁ感」があるものだ。
しかし推しの子は予算があるし、ブレイク前夜の若手を使って、他の作品と重ならないようスケジュール確保をした。キャラクター研究も役者と深堀した。監督と脚本は漫画のシーンを全部記憶したそうだ。
裏付ける証拠として、あのちゃんのYouTubeがあるだろう。「MEMちょの気持ちを知りたくて」と撮影途中から始めたようだ。正直売れっ子なので役作り時間ないと思ってたが、しっかりしていた。故に実写のMEMちょ、滅茶苦茶いい。
キャラ解釈を守り、若手だけでは不安定な部分をベテランで固め、若手の新しい面を引き出すことができた実写は、連載原作でどうしてもブレたキャラクター性を再度固めている。
ストーリーに関しても、連載で人気や盛り上げる部分を意識するがあまり、おざなりになった部分を、実写スタッフは見逃さない。作品に真剣向き合った結果だし、間違っていない取捨選択をしている。
漫画は一人、編集入れても二人か三人、作画で四人程度の少人数で作るものだ。
だからこその作家性を楽しめるのだが、莫大な人と金が動くときに、そこには保険が必要になる。
大勢の人が一つの作品に関わると、もしかしたら作家性は薄まるのかもしれない。
しかし作品を守る意味も込めて、メディア化というものは真摯な映像作りが求められるのだろう。推しの子はメディア化の問題に真摯に向き合ったように見えた。
この終わりはきっと原作を追っていた人だけが受け止めればいいと思う。
終わってみて、ああすればよかったねってとこは変えてしまえばいいし、それこそがメディアミックスの意義ではないのか。
20年以上アニメオタクとして生きてきたが、最近のアニメは本当につまらない。
テーマがあっても世界観の大きさに比べてしょうもないスケールの作品。
既に過去のアニメ作品がやった通過点を劣化版の焼き直しした作品。
ライブ感で視聴者を繋ぎとめることやバズれば勝ちだと叫んでるかのような作品。
そんなのばかりで、もういい加減ウンザリしてきた。
日本という国自体が活気があったころは、アニメも実験的な作品や文学寄りの作品に溢れていたと思う。
今、新しくアニメを作ろう、となると何をするにしてもとにかく売れることが目的。
世間を驚かせよう、作品を作ろう、という情熱が働き甲斐搾取で消費尽くされて、
人手不足になった現代では、自爆覚悟のような異形な作品も出て来なくなってしまった。
既に何が売れるのか過去のデータで分かるようになってしまうものの、
売ることばかりが目的になってしまっているせいで、王道すら使いこなせずに墜落していく滑りアニメたち。
売れるのはあくまで結果であることは、原作に多用しがちな漫画から学ぶことはいくらでもできるはずなのに、
過去作の続編で中年たちの財布に頼ったり、別のコンテンツや有名監督に頼るばかり。
完全なる腑抜け業界になってしまったのが日本のアニメ業界だと思った。
腑抜けになるだけならまだマシだがスポンサーたちが失敗から学ばないせいで、
製作側も諦めて金だけもらって金の分だけ仕事するような作品だらけになった。
そのバカみたいな循環に付き合うことをやめない視聴者たちのせいで更に悪化していく。
(数年ぶり数回目)ガンダムらしさとは
最広義(なんでもあり)
普通:
公式がそう言ってる
アンテナが白くない
宇宙世紀じゃない
富野が認めてない
TV版機動戦士ガンダム(無印、1st)じゃない(劇場版はセーフの場合多々)
これじゃない
あるある:
一人で悩む
パーマ気味
V字アンテナ
顎が赤い
顔の横の穴が3つ4つ
頭部バルカン完備
目がふたつ
口がへ
白に赤青黄
靴が赤い
ブラが黄色い
敵のパイロットと恋
戦争してる
親が製作
親が偉い人
赤いのが出る
赤いのは敵のエース
弱すぎ量産機
有視界戦闘
フレクサトーンの音
人型じゃないデカいのが出る
鋏で挟みがち
水中用、水陸両用居がち
後半で別機体に乗り換える(ガンダム以外でも。それ言ったら親や仮面その他沢山も)
コロニー落とす
隕石もなんか色々する
母艦が馬っぽい
最終盤に母艦が沈みがち
わかりあえない
わかりあえそうであえない
ガンダムは凄く強い
玩具メーカー(とお子様と大きなお子様)のための合体変形サポートメカ
グーパンチ(蹴りもある)
補給が不足する
ミノフスキー粒子、または似たような謎粒子
人間を暗示や薬物等で強化する
三つ巴っぽくなったりもする
幼馴染ヒロイン
ヒロインは面倒見がよい
ヒロインとくっつかない
頼れるおっさん
敵側のかっこいいおっさん
敵側にもいい人が居ていい人なのを知ってしまう
凄く悪い敵将
敵の上のほうのやつらの拗らせ
砂漠で戦う
中身で戦う
月に行ったりする
ふらっと買い物に行って事件が起こる
バギーみたいなので走る
ご飯食べない
弾幕が薄い
別機体で出たり、出撃後に乗り換えたり
政府は腐敗
解放軍みたいなのも腐ってる
増田は、「松本が裁かれてる」と思ってるんだろうけど、そうじゃない、起こっているのは「松本のイメージが悪くなった」という話
松本がテレビに出られないのは倫理規則に引っかってるからじゃない、実際に起こっているのは、「製作サイドが使いづらい」・「出すとクレームが来る」なわけ
テレビタレントにイメージが求められるのは、テレビのお客さんが「スポンサー」であることからくる大前提的な要請だから変えようがない。
すべての芸能人は、自分にスキャンダルが出たら、スキャンダルの影響度と自分のテレビ上の価値を天秤にかけて、スキャンダルの影響度が大きいと判断したら、謝罪会見を開くとか、訴訟して白黒つけるとかして、そのスキャンダルの影響度を下げていく必要がある。
スキャンダルの影響が回復不可能なぐらい高くなると、もうテレビには出られない。
今回の場合、松本は裁判で訴えたが、結果として敗訴的和解をして、世間のイメージは回復不可能なぐらい悪くなった。
増田は、「 「不倫だ」「下品だ」へシームレスに論点をスライドするのはダメじゃね?」って言ってるけど、これは間違いだ。なぜかというと、テレビの問題はイメージの問題だからだ。裁判的な事実が問題なわけじゃない。
増田はレイプの有無でテレビに出られるか出られないかが決まると思っているが、それは間違いだ。
レイプが問題なんじゃない、初めからイメージが問題になっている。レイプの有無ではなく、総合的にイメージがどれぐらい悪くなるかが問題になっている。
確かに、レイプは無かったのかもしれない、でも「レイプしててもおかしくないようなことしてたよね」」「最初、事実無根って言ってたけど8割方は真実だったよね」という”事実”が出てる時点で、もう回復不可能なぐらい松本のイメージは棄損されてる。
極論、レイプしてる事実が明らかになっても、それでも大人気で、世間が批判に盛り上がらなかったら、そのタレントはテレビにそのまま出続けるだろう。それで何の問題もない。
実際、浜田がフレンチクルーラーで不倫しても、なんの謹慎もなかった。これはスキャンダルの影響度と自分のテレビ上の価値が圧倒的にテレビ上の価値の方が上だったから起こったことだ。
増田は、「松本が裁かれてる」と思ってるんだろうけど、そうじゃない、起こっているのは「松本のイメージが悪くなった」という話
松本がテレビに出られないのは倫理規則に引っかってるからじゃない、実際に起こっているのは、「製作サイドが使いづらい」・「出すとクレームが来る」なわけ
テレビタレントにイメージが求められるのは、テレビのお客さんが「スポンサー」であることからくる大前提的な要請だから変えようがない。
すべての芸能人は、自分にスキャンダルが出たら、スキャンダルの影響度と自分のテレビ上の価値を天秤にかけて、スキャンダルの影響度が大きいと判断したら、謝罪会見を開くとか、訴訟して白黒つけるとかして、そのスキャンダルの影響度を下げていく必要がある。
スキャンダルの影響が回復不可能なぐらい高くなると、もうテレビには出られない。
今回の場合、松本は裁判で訴えたが、結果として敗訴的和解をして、世間のイメージは回復不可能なぐらい悪くなった。
増田は、「 「不倫だ」「下品だ」へシームレスに論点をスライドするのはダメじゃね?」って言ってるけど、これは間違いだ。なぜかというと、テレビの問題はイメージの問題だからだ。裁判的な事実が問題なわけじゃない。
増田はレイプの有無でテレビに出られるか出られないかが決まると思っているが、それは間違いだ。
レイプが問題なんじゃない、初めからイメージが問題になっている。レイプの有無ではなく、総合的にイメージがどれぐらい悪くなるかが問題になっている。
確かに、レイプは無かったのかもしれない、でも「レイプしててもおかしくないようなことしてたよね」」「最初、事実無根って言ってたけど8割方は真実だったよね」という”事実”が出てる時点で、もう回復不可能なぐらい松本のイメージは棄損されてる。
極論、レイプしてる事実が明らかになっても、それでも大人気で、世間が批判に盛り上がらなかったら、そのタレントはテレビにそのまま出続けるだろう。それで何の問題もない。
実際、浜田がフレンチクルーラーで不倫しても、なんの謹慎もなかった。これはスキャンダルの影響度と自分のテレビ上の価値が圧倒的にテレビ上の価値の方が上だったから起こったことだ。
daij1n コメントの任天堂が一定の倫理観とかマジで?ポケモンユナイトはdota2のゲーム性マンマで、そのdotaはウォークラフト3の違法改造MODの代物。(dota2はValve社、ウォークラフトはブリザード社)デマって、こうしてできるのね
daij1n 任天堂でやばいのは他社企業の無断改造ゲームのdotaベースで作ったポケモンユナイトを堂々と出しておきながら、他社ゲームに対しては特許の請求範囲を分割・訂正審判で変更した後でゲーム会社に襲いかかるトロール。
daij1n 自分らはポケモンユナイトでdotaベース(ブリザード社ゲームの違法改造MOD、なので商品は正式にはdota2(Valve社)から)出しておきながら、自分らのゲームはパクるな、は倫理上無理がある。しかも、特許内容もクソ。
なんかパルワールド関連のブコメを見直してたらこんなのを見つけたがDotAは違法改造MODではない
あれはWarcraft3で公式にサポートされてたカスタムマップ製作機能を使って作られた物でRPGツクールで作ったRPGみたいなもん
一般的に言うと漫画という創作形態の高尚度合いは低くなりがちだ
ハイコンテクストで多方面の専門的な分野の知識があったほうがより楽しめる作りにする点で、やはり作家個人が創作の主体となる漫画よりは、プロの脚本家チームが作るオリジナルアニメやドラマ、さらに大規模な製作チームを組んで作るゲームや映画の方が有利だ
中でもアニメ系の文化背景を持つゲーム作品は、大作であればとりわけ高い文化的教養度が求められ、長期にわたって考察に興じるファンが現れやすい/複雑な世界設定を作り込みやすいジャンルでもある
アニメや映画系のサブカルチャーの歴史にどっぷり浸かった人が作るものなので過去の名作やミームのオマージュが散りばめられることが多い上に、サイエンスやテクノロジーが世界観に組み込まれていることも多く、更にメジャーな神話(北欧ギリシャインドケルトエジプト中国日本)やマイナーな概念、クトゥルフやグノーシス主義などのテイストを加えつつ、現代社会を反映したシニシズムが込められることも多々あり、一人ですべての元ネタを理解するのは困難という状況が起こりやすい
このような広範な教養が求められるものほど高尚であると感じられるはずだ
もちろん教養的要素が少なくとも、思想の強い漫画であって人間的崇高さをキャラクターに仮託している作品であれば高尚「っぽい」作品を作ることは個人規模の漫画やインディーゲームのシナリオでも可能だし、主流の創作メソッドでもある
現に意識の高い作家は「取材」期間を設けて、専門家に近い知識や考え方を作家本人の頭にインストールしようとする
これも作品をより真実味のある高尚「っぽい」ものにするためのプロセスだ
だがそのような付け焼き刃的アプローチを駆使したとして、人間一人の脳が掌握できる視野は限られており、洗練度や完成度という面では高尚さを出すにも限度がある
そのため結果として小規模な創作形態では、破綻のない程度のリアリティを見せつつ思想性や作家性を軸にすることで高尚っぽく見せることになるのだが、思想性や作家性に寄りすぎると安っぽくなることが多い
熱心なファンはストーリー構成部分から受け取った感動に従順になるがゆえに、その安っぽさが目に入っていないパターンが多いと予想される
折田さんを「選挙の裏で糸を引いていた裏ボス」のように扱う人がいるが、実際には以下の3人の働きが大きかった:
くらいで上記3人に比べれば脇役。斎藤知事からSNS運営を請け負った事実を暴露するという大仕事を最後にやってのけたので目立っているだけ。
11/13 「非公式ですが応援のLINEアカウントも我々チームさいとうの完全な手弁当、コストも自腹で、今は2800人越えてます」
とボランティアであることを強調している。事実かどうかは分からない。
https://x.com/oma_daresuki/status/1856549266766082110
なお、ボランティアたちはSNS上の投稿の拡散のみならず、動画の作成も行っていた模様。
そんな影響力のある祖品さんがLINEグループにYahooニュースやXのURLを共有したらどういう事態になるかは明白である。
なお後述の画像にもある通りこの人は街宣の現場にも出て斎藤知事の近くをうろちょろしていた。
https://archive.md/Qpt1H(元の投稿は削除済み)
朝比奈さんが幹部を務める倫理法人会は企業が加入する団体で、全国で7万社ほどの会員数を誇る。
https://www.rinri-jpn.or.jp/houjin/
朝比奈さんはXで「折田さん?誰それ?」とすっとぼけて無関係を装っているが、下記画像にあるように現場でも同行しており選挙カーに上っていた彼女を知らないはずがない。
https://archive.is/dcWA5 (元の投稿は削除済み)
https://x.com/ToshihikoOgata/status/1860171671937970663
ついでに朝比奈さんは自民党の西村康稔議員や元・明石市長の泉房穂さんとつながりがある。
https://x.com/futaminoasahina/status/1834394978069741805
https://x.com/izumi_akashi/status/1639998257991675904
立花さんの「応援」は単なる応援ではなく、事実の不確かな内容を選挙活動という名目で街頭演説しまくっていて、それを素材とした動画がYouTubeなどで大量に拡散されていた。
また、立花さんの立候補が公選法違反と言われているのは、公費で賄われるポスターや選挙カーを他候補の応援のために使ったから。公費で出るのは各候補同士の公平性を担保するためなのに他の候補のために使ったらダメでしょ、という理屈。
さらには立花さんは脅迫まがいの「選挙活動」を行ったことも問題視され、その被害者である奥谷謙一議員(斎藤知事の疑惑を追求する百条委員会の委員長)から刑事告訴もされている。
甲子園口駅で斎藤知事に感謝を述べた100歳のおばあちゃんを介添えした一人。株式会社アルティマの代表。
川眞田さんの写っている動画
ゲームで感動したっていう感想をよく聞くけど、ゲームの感動部分て、映画や小説的部分であって、ゲームでないとありえない感動って無くない?
また、ゲームという仕様上、感動の物語はゲームとしての仕掛けや手間をクリアしないといけないわけで、無駄なストレスや作業を乗り越えないといけない
これが本であれば本をめくって読むだけでいいし、映像であれば再生してれば感動の場面にたどり着く
ただゲームだけは製作者が作った仕掛けを乗り越える必要が出てきて、そのストレスに耐え切れずに途中でゲームを辞めるという選択肢が出てくる
本のように自分のペースで読めるわけでもないし、前に戻って読み直すことも出来ない
重要な場面だけ抜き出して他人と共有することも難しいので感動を伝えるのも難しい
もう1度感動の場面を見ようと思えば、本ならばそのページまで読み飛ばせばいいし映像ならそこまでスキップすればいいけどゲームではそう簡単にはいかない
ソシャゲがストレスフリーな方向に進化していくように、ゲームもストレスフリーな方向に進化していくなら、デバッグモードのようないつでもどのデータにでもアクセスし
フラグを自由に変えられるモードの実装が主流になるべきじゃない?
赤坂アカがヒキが下手なのは、単純にラスボスを倒すところと作品のゴールを一致させられないからだ。
最初は殺したいほど憎い何かを設定するのだが
なにが何でも、自分を犠牲にしてでもそいつを倒す!という方向に全力を向けられなくなってくる。
ゴールを決めていたというから最初は「おそらく今回こそはのつもりは刺し違えてでもラスボスと戦う」がやりたかったのだろう。
実際に、今回は一番うまく行きそうだった。
当初の設定ではカミキヒカルは本当にラスボスとしてよくできた設定になっていた。
「推しの子」であるアイに過剰で自分本意な愛をおしつけ、それが受け入れられないと逆上して殺す。
あんまりちゃんと描かれなかったがゴローちゃんはカミキヒカルになるリスクは高かった。
彼の幼少時の病んだ設定などはそのつもりで描いていたと思われる。
ゴローちゃんはアイだけじゃなくサリナというもう一人の推しの子がいたから狂わずに済んだだけだ。
ゴローちゃんがカミキヒカルをもっと深く理解しようといていたら、
あるいはカミキヒカルがアイに固執するあまりサリナを殺そうとしていれば
ちゃんと殺し合ったうえで、二人がそれぞれの思いをお互いにぶつけ合うことができた。
少なくともペルソナ4ではそういう展開を見事に描いていた。
なぜ推しの子はできそこないのペルソナ4になってしまったのか。
サリナちゃんとルビーが完全に同一人物でないことを上手に作品中で消化できなかったことは厳しかった。
それ以上に、映画製作編において、カミキヒカルが何のリアクションも起こさず待ちだったことが意味不明だ。
映画によってカミキヒカルを引きずり出す、という話なのはわかるが
「制作発表」をしている時点で、もっと早い段階でカミキヒカルは介入してくるべきだった。
映画が無事すんなりと制作されて、あっさりふたりとも死んで、もう制作完了してるから映画が放映されました、はさすがに無いわー。
キャラを愛しすぎるがゆえに、カミキヒカルを倒さなくてもなんとなく幸せになってしまう。
こいつを倒さないと絶対に先に進めないということがなくなってしまう。
それどころか、サリナの母親みたいにカミキヒカル以外にあれこれ設定してしまうせいで
しかも映画制作が順調に進みすぎてもうカミキヒカルに言いたいことが全部劇中の映画で昇華されてしまった。
じゃあもう、殺し合わなくてよくね?
アクアは死ななくても良くね?
せいぜいゴローちゃんの部分が消える=記憶喪失にでもなって助かるとかしないとダメじゃね?
最後に室井がなんかどっか行っちゃった犬を追いかけて行って凍死しておわるんだけどさ。
考察得意です面した映画レビュー系Youtuberでも「脚本家が犬が嫌いなのかな?」とか「犬死を表してる」とか
警察ドラマ内で出てくる犬って言ったら「国家権力の犬」のメタファーに決まってるし、
そこまでわかれば
最後の犬が勝手にどっか行っちゃってそのせいで室井が死んでしまう。犬だけ生きて帰ってくる。
っていう展開が何を表しているかは明白じゃんね。
織田裕二が勝手にいなくなっちゃったから、そのせいで柳葉敏郎が作品内から退場する。
そしたら織田裕二が帰ってくる。
そして実際に映画の最後の最後に織田裕二演じる青島俊作がスクリーンに帰ってきてこの作品は幕を閉じる。
織田裕二と柳葉敏郎の確執は有名で映画版の3では主役級の2人なのに共演シーンが数分しかなかった。
踊るプロジェクトを再始動するためには当然主役である織田裕二を復帰させないといけないが、
それには柳葉敏郎のプロジェクトからのパージが最低条件だった。
なんで室井さんが死ななきゃいけなかったんですか!という当然来るべき質問に対しての回答を
物作りの企業って客からの不満・要望を吸い上げて製品を改善するけど、ゲーム企業ってそれをしてる印象がないんだよね。
見ない・聞かない・蓋をする で、面白いものを作ってるつもりなんだろうけど、スタート時点で方向がズレてるんじゃないだろうか。
直近で言うとドラクエ3。
発売から一週間経つけど、不満点がまとめサイト各地で取り上げられている。
プレイヤーの不満点は大体似たようなことが書き込まれている。多種多様って訳じゃないんだよ。
プレイヤーが不満に思うのに、開発者が気にならないって変じゃないか?
大体はニンテンドーダイレクトで開発中操作画面とともに発表。
方向性がズレてたらもう引き返せない。
あるいは複数タイトルを平行開発していて、他作品から流用できる改善案が出ても差し込めないとか。
(スーファミ作の)リメイクに限っては製作発表だけにして、開発前に自社ホームページで専用フォーラム作って旧作の各システムの不満・改善点を期間限定、例えば二週間だけ募集する。
今の時代ならネットニュースで拡散されて、旧作ファンなら喜んで要望を書くだろ。
それを三、四ヶ月かけて精査してから開発に取りかかるのが理想なんじゃないか。
もしくはそういう専門部署を立ち上げて要望フォーラムを常に募集してくれよ。
『今週からFF5への要望を募集します』『今週からはクロノトリガーの良かったところを聞かせてください』みたいにさ。
そうすりゃ製作発表の時に「あの要望が通るかも」って期待値が高まるし、プレイヤーの集合知というか、本当に求めているもの・ウケてるもののノウハウが溜まるだろ。
あるいは古いゲームなら、やり込んでるプレイヤーが制限プレイ動画をYouTubeに上げてるだろ。
開発陣よりも詳しかったりするだろうから、連絡取って改善点聞くとかしようよ。
交通費とスペシャルサンクスでクレジット記載すれば喜んで協力するだろうからさ、アドバイスもらおうよ。
アメコミが、存在しない・コミックを買わない『ポリコレ読者』に向けて舵を切って凋落していったように、『ゲームが苦手な初心者』に向けて開発してませんか。
普通に作ってくれよ。
誰だってかつての名作を作ったあのゲーム企業が好きだったんだよ。
憎みたくないよ。
ソニーと言えば、アニプレックスを要し、ソニーミュージックでは積極的にアニメとのコラボをやってきた企業グループ。
特にアニプレックスは、当時まだ事例が少なかった時代から、パブリッシャー自らスタジオを開設し、比較的高い待遇を掲げて、アニメーターらの待遇改善にも先頭に立ってきた。
ノイタミナなど、予算を厚くコンセプトを強くした作品を作るが、芸術性の高い実験的なアニメから、アニオタが喜ぶHENTAI作品まで幅広く手がけ、あまり自重しない。
近年では自社のアニメスタジオを増強すると共に、買収などを進めながら、過去に自殺者なども出してしまった反省も踏まえて待遇改善と生産性改善に、バックオフィス改革やアニメーターが使用するソフトの内製を目指すなど、行動している。
そうして作成したコンテンツは、海外で強力なアニメ流通網をもつ。
代表的にはCrunchyrollを自社グループに有し、自社グループ系だけに留まらず、幅広いアニメを海外で流通させ、現在のアニメ業界の海外進出を強力に牽引している。
日本で作成したコンテンツを幅広く海外で販売することを指向する。
また、海外ではソニーピクチャーズを持ち、これは世界最大手の映画が会社の一つであり、音楽会社も持つ。コンテンツビジネスに精通している。
従って、ソニーはKADOKAWAを買収したとしても、コンテンツビジネスのことはよく分かっているから、今まで通りに好きにやらせることだろう。もちろん、それを海外に売り込むなどして収益を強化する活動はしていくだろうが、それは悪い事ではない。むしろ望ましいだろう。
振り返って、KADOKAWAも海外への日本コンテンツ輸出には積極的であり、北米に強いソニーと、アジアヨーロッパで強いKADOKAWAという棲み分けがある為、今回のKADOKAWA買収はシナジーが強いと感じられる。
さらに、従来からKADOKAWAとソニーのコンテンツ部門は比較的良好な関係を築いており、様々なコラボレーションで成功している。これらがより深化することが望まれる。
ソニーと言えば、PlayStationだったが、PS3時代の経験から、その中心をPS4の時代に日本からアメリカに移した。その結果、ビジネス全体がアメリカの理論で進むようになっており、
オリジナリティの高い作品を製作していた日本のスタジオを相次いで閉鎖するなど、国内体制の縮小が続いる。
ただし、ソニー全体のゲーム部門は好調であり、高い収益を上げているため、市場の意思としてはこの路線が維持されている。このことが逆に日本向けにリソースを割くこと、日本向けに特別な対応を行う事のモチベーションを低下差させている。
これがファンの目には、日本のゲーム市場を軽視しているように映っており、また国際基準に従った内容の規制、ポリティカル・コレクトネス対応などによる表現の規制なども日本の価値観からすると納得がいかない結果になることが多く、
しかし、外国市場のほうが何倍も大きくなってしまった今、日本向けに特別版を作られることも減った事から、不満が高まっている。
従って、大企業のコンプライアンスを押しつけ、融通が利かないように見えている。
ソニーがKADOKAWAを買収すると、これらの基準をKADOKAWAに入れてくることによって、KADOKAWAのコンテンツもポリティカル・コレクトネス対応などを求められ、歪んでいくのではないか
日本部門への投資が絞られて、単に過去のIPを売るだけになってしまうのではないか。
また、日本発のIPが放置されたように、ソニーはIPの使い方が下手である。ビジネスとしては個別のIPを積み上げるより、シェアを広げてプラットフォーマーとして君臨する方が儲かるのであろうが、しかし、
ファンとしてはそれらのために、現在楽しんでいるコンテンツを潰されたらたまらないので、やめてほしい。
ソニーミュージック系(ピクチャーズなど含む)が主導する買収なのか、SIE系(プレステね)が主導する買収なのかによって大きくちがうんやろなと思いました。
で、報道を見る限り、ソニーミュージック系の買収じゃねえかなって思うのでそんなに心配いらねえんじゃねってのがアニオタの俺の見え方なんだけどな。
だって、SIE系がKADOKAWAが持つゲームが欲しいなら、KADOKAWAとしてはゲームは本業じゃない訳で、そこだけ売却に応じると思うんだよ。すぐに金が欲しいならね。
でも実際にはグループ全体の買収にかかってるんだから、ソニーミュージック系が主導してるんじゃないかなって思うんだよね。
まぁ、空騒ぎですが。
マジどうなるんだろうね。