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はてなキーワード: モチーフとは

2025-12-09

なんで女叩きしながらアイコン美少女アニメなんだろう

女は劣った性別で男は優れた性別という主張をしているのだから高学歴高収入高身長で生まれつき顔の整ったイケオジなんかのアイコンにしておくのが適しているように思うが、女叩きしているアカウントアイコンはほぼ美少女アニメだ。

男叩きしている女のアイコンイケメンアニメかというとそうでもない。むしろゆるキャラアイコン(ちいかわやサンリオキャラが使われていることがやたら多くて、おぱんちゅうさぎもたまにいる)や、セーラームーンのような昔の少女漫画、猫など愛玩動物写真、といったものがよく使われている。女性が好む「かわいいものという全体の傾向はあるが、男性と比べるとモチーフはかなりばらけている。

異性叩きをしながら異性アイコン使用というのは男性特有の現象のようなので、誰か理由を追求してほしい。

2025-12-08

AI謹製技術者の俺が考えた最強の企画書

僕、めっちゃAI使う。文章はもちろん。

AIの導入で描けない絵が描けたり、以前なら大変苦労したであろうモチーフ簡単に作れたり

いいことしかないやんって有頂天だった。無敵だった。

映像業だからさ、あーでもないこーでもないってやってる深夜3時とかでもAIでさ

機嫌ひとつ変えずに「いい感じ」に作れちゃうわけよ。

「素材」が。そう。あくまで「素材」が。

まだ2025年末期、プロンプト一つ二つで「カンパケ」が出てくる時代じゃない。

やっぱり内容を汲み取る人の手が、経験が、「完成」をさせる。

近い未来はそうじゃないかもしれないけど、今はそうなんだ。

AIで無敵感を感じているのは僕だけじゃない。

結構な人がAIによって目覚めてしまった。

特に何もできなかった人たちが。

最近100%AI製の企画書がくる。

俺が考えた最強の企画書

一見整合性なりそうで全くない。やべー企画書

出し側はいいやんって感じで軽ーくこれ作って置いてよって感じで

本当に軽ーく送ってくるんだ。

人間は、技術者は、プロンプトで動くんだっけ?

うん。そうだね。動くかもしれない。

でも人の血が通ってないでたらめな指示書で僕は動きたくない。

みんな気づいてしまった

これからは絵が描けなくても好みっぽい絵を描いてくれる。

映像が作れなくてもそれっぽいものを何十時間やす人間より早めに出してくれる。

我々から見たらまだ至らないものを悪気もなく出す。

俺、できるっしょ、わかりやすいでしょ。的確でしょ、これ通り作ってよって。

ああこういうことがもっと当たり前になっていくんだな。

そんなものが来るたびに僕は心の濁すんだろうな。

僕が作ってきた「素材」もそんなもんだったかもな。

繊細すぎるかな。そんなに濁りやわだかまりAIに投げて綺麗にオブラートに包んでしまおうか。

でも今日はここに投下して見たいと思った。

天才数学者秋山仁vs高橋弘樹】破天荒人生カリスマの“頭の中”とそこから見える人生のヒントとは?【ReHacQ】

高橋ちゃん正気を取り戻してまた数学動画を作ったのは評価できるけどね、

俺はもっとこう、高度な内容を希望してるのよ

抽象数学とか超弦理論とかさぁ

もっとこう、あるだろ

ラングランズプログラムとかモチーフ理論とか

 

追記:

高橋ちゃん無限にそうなってると示さないと証明できないじゃないか、といったことは高評価するぞ

こう、変数化したり、色々あるから

 

追記2: ピタゴラスの定理証明

任意ベクトルx,yに対し、

||x+y||^2 = (x+y)・(x+y) = ||x||^2 + 2x・y + ||y||^2

ここで、直交する場合は、x・y がどうなるかというと、

x・y = ||x|| ||y|| cosθ に θに90度を入れればいいので、x・y=0

xとyを三角形の2辺となるように配置すると、ベクトル定義より、x+yは斜辺に対応するため、||x+y||=c。

よって、||x|| = a, ||y| = b, ||x+y|| = cなので証明完了

2025-12-04

美大で教えていると、現代芸術表現の在り方が難しい局面にあることを感じざるをえない… 端的に言うと、極めて私的モチーフからし表現を出発できない学生が増えている

https://b.hatena.ne.jp/entry/https://togetter.com/li/2635184

15年くらい前から漫画についてはそうだなと思う

ただし「日常あるあるジャンル」は永久不変

2025-12-03

anond:20251203151045

「新しいタイプの活発的な若い女性」という意味でのモチーフ自体は同じ

ただ、1990年代リバイバルしたギャル1970年代ギャル

時代が考える新しいタイプ女性全然うからジャンルとしては別ジャンルと言っていいくらいには違う

当時のギャルのほうが年齢層が高かった

ようやっと果てしなきスカーレット見たけどギレルモ・デルトロのよさが再確認できた

デルトロフランケンシュタインフランケンシュタイン二次創作同人誌みたいな内容だったけど

原作を膨らませて一部は置き替えながらも作中での整合性に手を抜いてなかった

果てしなきスカーレットの最大の問題点ハムレットダンテ神曲二次創作をする際に

自分の盛り込んだ設定と元ネタの設定の整合性の手を抜いたことだと思う

いろんな擁護勢の文章読んだけどどいつもこいつも言ってることは

細田守はこういうことを描いているんですよというモチーフ読みだけど

問題はそのことが作中の論理にハマっていないことなんだよね

桃太郎の途中で犬が銀貨30枚で桃太郎を鬼に売って涙を流す展開が入ってきたとして

いやぁこれはイスカリオテのユダ裏切りを表しているんですねぇって言われても

なんで犬が鬼に桃太郎を売る必要があるんだよそんな前振りなかっただろ!としか思えないし

一部のオタクくんは「この設定自分には読み解けた!」ってだけでシコれるんだろうけど

普通の観客が見たがっているのは設定じゃなくて物語なんでね

2025-12-02

anond:20251202103508

オルフェンズは幕末モチーフなんだよ。で、バエルは「錦の御旗」なんだよね。

史実鳥羽伏見の戦い趨勢を決めたのはまさに錦の御旗だったので、それを知っていれば普通に説得力がある。

作中でもセブンスターズたちは、ガエリオ告発があってなお「どちらにも味方しない」という決断をしている。

それはバエルに権威があったからだよ。

ガエリオ告発がなければマクギリスに押し切られてそのまま味方させられてただろうし、

そもそもガエリオがいなければ、ラスタルはマクギリスと戦う大義名分さえなかった。

大人チャレンジピューロに行ってきたよ【衣装デザイナー編】

 

チャレンジピューロって?

今年から始まったピューロランドの子供向けワークショップアトラクションで、言わばサンリオキッザニアです。

 

パティシエ体験

衣装デザイナー体験

キャラクターデザイナー体験

以上の3つが用意されており、それぞれ事前に参加券を購入して体験することができます

3〜15歳の子供が参加できます

https://www.puroland.jp/ride-amusement/challenge_puro/

 

 

大人チャレンジピューロって?

まりにも好評だったのか10月より16歳以上の参加が可能になりました。

言わばサンリオ大人キッザニアです。

大人の枠は各日の初回と最終回のみです。

今回、衣装デザイナー体験に参加して参りましたので、その知見を共有いたします。

ここに記載するのは大人ガチるための夢のない知見ですので、お子さんが参加される場合にはその自主性や体験を損なわないように留意してください。

また、記憶だけで書いているので細かい数字等が正確でない可能性があります

 

 

衣装デザイナー体験について

ぬいぐるみキティちゃんに着せる服をデザインする体験です。

白地の衣装リボンが貰えるので、マーカーペンを使って自分で着色する体験ができます

デザイン後は、衣装に加えてキティちゃんぬいぐるみ本体身体などに提げるための紐を貰えます

参加料は3000円です。

体験+キティちゃんぬいぐるみでこの料金は破格だと思います

 

 

受付

開始時間体験が始まるので、必ず開始時間の前(15分前から)に受付してください。

私が参加した会では、15分前に全員集まっていたため、時間を前倒しして開始されました。

 

 

席決め

衣装デザイナー体験はその定員が6名です。

席は壁のモニターを前にして横3列、縦2列となっています

席は自由に座って良いのですが、我々の会では自然と受付順から奥に座って行きました。

我々の会では2人組が3ペアでしたので、以下のような配置になりました。

 

モニター(前方)】

①①③

②②③

 

私と同行者は最後に受付したので③として縦に座る形に……。

作業中にコミニュケーションするには少し不便な配置でした。

また手前側の席は外からも見えやすいので、体験中に外の子から大人がやってるー!」との声も。

席を気にする場合はなるべく早く行くと良いかもしれません。

着席すると、モニターを使った体験内容の説明があります

 

衣装の型選び

説明のあとは衣装選びです。

衣装は3種類の型が用意されていて自由に選ぶことができます

用意されているのは、エリ付きのワンピース、ソデ付きのワンピース、つなぎズボンの3種類です。

大人が周りの目を気にする場合は)迷う時間はありませんので予め決めておくのが無難です。

真っ白な衣装と一緒に同じく真っ白なキティちゃんリボンが配られます

リボンマジックテープ式でキティちゃんにつけることができます

 

着色の時間

体験の枠自体は30分なのですが、説明とお披露目会を除いた衣装作りの時間は約15分、さら衣装キティちゃんに着せる時間に約4分取られているので、着色可能な賞味時間はおおよそ10しかありません。

そのためデザインを考える時間はありません。

予め描きたいデザインを考えておくのが無難です。

体験中の撮影は許されていませんが、スマホデザイン確認するのは許されていますので、予め参考画像スマホに用意しておきましょう。

 

 

着色の道具

用意されたマーカーペンを使って着色していきます

およそ5mm程度の太さで、布に書くので若干の滲みがあります

時間的な制約もあり細かい装飾はほぼ不可能です。

ペンの他にリボンハート型のスタンプを利用することができます(私は使用せず)。

 

 

着色上の注意点

ペンで指が汚れると衣装にも色移りすることがあります。その場合は係のお姉さんからウェットシートを貰って拭きましょう。

 

最初衣装は正面を表、背面を裏にしたペタンコの状態です。

ほとんどフラットですが、縫い目の部分には段差があるので線のがたつきに注意してください。

両サイドは山折り状態なので、細かい装飾は入れづらいかもしれません。

 

時間マジでありません。

私は正面のみ描き込んで、背面の書き込みを最低限にしました。

背面はお披露目会でしっかりお披露目されますが、身体に提げる分には外から見えないので、端折るのは有効です。

 

リボンはかなり立体的です。

私はアミカケでの塗りを試みましたが、ペン先が大きいこともあって難易度が高いです。

全部1色でしっかり塗りつぶしている人や、黒などでフチ取ってから塗りつぶしている人などはきれいに見えました。

 

 

キティちゃんに服を着せる

着色の時間が終わるとキティちゃんが配られるので服を着せていきます

キティは白いので色移りが大敵です。

指示があると思いますがウェットシートで手を拭きましょう。

私はエリ付きの衣装を選んだのですが、腕を通す穴があり、その直下キティの腕で衣装が隠れます

こだわりがある人はデザインする時に留意してください。

みんな服を着せ終わると何種類かの色の中から好きな色の紐を貰えます

 

 

披露目会

いよいよお披露目会です。

大人枠の場合はこの時間のみ撮影が許されています

係のお姉さんが順にぬいぐるみを預かって正面と背面をお披露目したあと、お立ち台の上に乗せてくれます

この時、係のお姉さんから衣装の紹介コメントを頂けます。私のモチーフは明瞭でしたのでありませんでしたが、実在アイドル衣装などの凝ったものだと、軽くモチーフ確認されてから紹介されることもあります

 

お立ち台の上に乗るとキティちゃん衣装への感想をくれるのでよく聞きましょう!

また、他の参加者から褒めの言葉を頂くのも嬉しいものです。褒め合いましょう!

 

 

感想

同行者に誘われて参加しましたが非常に楽しいものでした!

ピューロランド内でも身体に提げているとしばしば話しかけられます

特におみやげレジのお姉さんにはめちゃ褒めて貰いました。

 

 

美大受験か?

係のお姉さん二人に見守られる中、本気の大人達がペンを持って机に向かって黙々作業する状況、ミスが許されない画材、非常に短い時間制限、予習と練習の成果……。

様々な要素が受験っぽかったです。

特にペンカスカスだったのを交換してもらうために手を挙げて願います!したとき受験っぽさのピークを迎えました。

 

今回は大人の会について書きましたが、子供の会ではちゃん和気あいあいしているので安心してください

子供が夢を描くには十分すぎる題材ですが、大人が”完成品”を求めると途端に難しい課題になるというのは面白いところです。

 

非常にやりごたえのある体験なので、みなさんもお誘い合わせの上、ぜひ参加してみてください!

2025-12-01

魔法騎士マジックナイトレイアースアニメ版から入って、海ちゃんが好きだっだよね。

そんで海ちゃんとクレフのカップル萌えてて…

見た目はクール美少女だけど感情表現豊かで友達想いの海、見た目はショタ美少年だけど長い時を生きる賢者のクレフ

はっきりくっついた訳ではなかったけれどお似合いだと思ってて…

でも後で原作を知って、原作にはクレフとの恋愛要素はなく、アスコットという目隠れガチショタから片想いがあり、そっちとくっつきそうな可能性を示して終わっていると知る。

で、さらに後年、CLAMP作品はその殆どジョジョ花京院と承太郎元ネタにしていると知る。

何と言う時間トラップ

レイアースにおいては光(ウェーブの赤い髪、相手役のランティスは承太郎と同じ声優)、風(ウェーブの髪、緑色の目、機体が緑)、エメロード姫ウェーブの髪、緑色の目、名前エメラルドCCさくら雪兎と同じ声優相手役のザカートは承太郎と同じ声優)、イーグルランティスコンビを組んでいてエメロード姫と同じ声優、機体が緑)が花京院で、それぞれの相手役が承太郎と思われる。

ちゃんはどうなんだと心配したが、レイピア使い、三枚目といった要素を取り出していくと

どうも花京院でも承太郎でもなくポルナレフのようだ

良かったー!推し花京院じゃないみたいで良かったー!!

とか言っても海ちゃんもやはり花京院である可能性は否定出来ないが

アニメのクレフとの関係否定してアスコットという別キャラをくっつけようとした事実からは、

どうもCLAMP自己投影対象である花京院モチーフキャラ以外の女キャラにはハイスペ男キャラをくっつけてなるものかという意思を感じるんだよな…

それにCCさくらでクレフと声優が同じエリオルはプレセアと声優が同じの観月とくっついていて

観月は左右非対称な髪形からして花京院だろう

そうするとクレフも承太郎で、承太郎要素のあるキャラ花京院以外とくっつけたくなかったと考えると説明が付くから

やっぱり海ちゃんポルナレフいいんじゃないだろうか

最近はとにかく原作至上主義で、メディア化による原作改変は絶対悪のように言われる風潮だけど

しかCLAMP作品場合そもそもの「原作からして、ジョジョと別作品とを組み合わせたツギハギパクリ二次創作みたいなものだしなー

レイアース三魔神の属性から魔導王グランゾート元ネタだと言われていたし実際にそうだと思う

主人公達と現地民との交流を増やしたりもしてて、アニメの方が普通に良かったと思う

2025-11-29

進撃の巨人ポリコレかぶれたせいで100万人以上の読者が逃げた

進撃の巨人一般には商業的に成功した作品であるが、売上が激減して大失速した作品でもある

全盛期には全巻売上が年間1000万部だったのに、終盤は180万部にまで激減

その頃にはもう既に大体の人が既刊を持っているからだ、と思うかもしれないが、新刊売上も減った

全盛期には新刊の売上が発売日から5週で200万部ほどだった

ところが終盤には95万部にまで下がった

100万人以上の読者が読むのをやめてしまった

理由は明白である

作者がポリコレかぶたからだ

少年時代の作者がネトウヨで、第二の父たる町山智浩ラジオによってネトウヨ卒業したというのは有名な話だ

進撃に登場する眼鏡キャラ指導者役はほとんどが町山をモチーフにしている

外見や誕生日まで町山をなぞり事前に町山に許可を取ったキャラはクサヴァーだけだが、ハンジやシャーディスやジークなどメインキャラに何人も町山がいる

ハッキリ言えば、進撃の売れたところはネトウヨ時代に由来し、失速したところは町山に由来する

閉鎖された環境鬱屈としている少年が外の世界から来た大敵と戦い活躍という序盤の売れた部分はネトウヨファンタジー

作者自身が山に囲まれ田舎町でそうありたいと願った夢だ

強大な敵と卑小な人間という対比は視覚的にもわかりやす大人気になった

しかし、徐々に町山の影が迫る

主人公らの住む島は、被差別民族「ユミルの民」の流刑地であり、「外の世界」に取り残された同胞らは差別迫害され苦しんでいるという高度に政治的真相が語られだす

かつて巨人に変身できる能力を持つ民族として他民族を踏み潰しまわり栄華を誇ったユミルの民は、近代化が進む中で巨人に対抗できる兵器を開発できるようになった他民族管理抑圧される側となった

外の世界の人々は軍備を整え次第、島を丸ごと潰すつもりであり、そうなる前に主人公は外の世界の数十億人の他民族全てを踏み潰し滅ぼす決意を固める

巨人と戦うシンプル漫画として始まったのに、ややこしく多くの読者がついていけない内容になった

そしてヒロインミカサは髪をショートカットにして男にしか見えないポリコレブスになり、島にはほぼ同一民族しかいないため白人だけだったが外の世界ポリコレ黒人がメインキャラに食い込み、更にはゲイであることを示唆するグリースも登場する

大人しく男に従うだけの都合のいい女になってはいけないとか、産む機械にさせるぐらいなら処刑されたほうが救いであるとか、フェミ要素も随所に盛り込まれ

ポリコレよくばりセット漫画と化していった

民族差別ジェノサイド政治ジェンダー、町山による災禍が進撃を蝕んでいった

ヒット作品政治を混ぜるとどうなるか、その最たる例が進撃だろう

2025-11-27

https://note.com/charm_viola6115/n/n904376361c9e

ここで書かれている作品は4重構造の救済の物語になっていて多くの登場人物に多層的な役割が与えられてるって話。

映画マニアを名乗ってるだけあって、マニア的な見方なっちゃうんだなと思った。

設定マニア役割マニアモチーフマニアの人はそうかしらんけど、普通の観客って「設定ベース」じゃなくて「キャラクターベース」で作品を見るんだよね。仮に「キリストモチーフ登場人物がいたとして、でも「その人物」のパーソナリティキリストでなければ、なんか急にキリスト的な行動にとられても「いやお前の行動おかしくね?」ってなるんだよ。

でも設定マニアは「うおおおお!!!キリスト!!キリストじゃないか!!びゅるるるるる」ってなるんだと思う。

果てスカが叩かれているのはそのパーソナリティ一貫性のなさ、キャラクター薄っぺらさが問題なんだよね。それはつまり彼が言っていることが正しいのだとすれば「多くの役割を一人の人物押し付けようとした」結果でしかない。

シンデレララプンツェルムーラン白雪姫ディズニープリンセスから一人の中に押し込んだろ!ってしたら「うんうんこの行動はラプンツェルを表しているね」「おっ、ここはムーランかな」「シンデレラであったね」、いや多重人格かこいつってなるだろ。しかもそれが8人分。それをうまく作中で接続できる脚本力があれば細田はもうとっくに宮崎駿越えてるのよ。

そして一つの作品に全世界を救う4つの救済をギュウギュウに詰め込んでみました!無駄のない完璧な設定!っていうのも、そんなことは並の脚本家には不可能だし、残念だけど細田がそのレベル脚本家じゃないのはもう過去作品からも明らかじゃん。何なら、いつも「細田の言いたいこと」の部分が叩かれる。それは社会が追い付いてないからじゃなくて細田自我作品昇華する腕がないからだと考えるのが妥当だろ。

3回も見て大学図書館でお勉強したのは偉いね~って感じだけど、むしろそのことが「自分で調べて理解したことに対して人間評価は異常に甘くなる」っていうナントカクルーガー効果だかikea効果だか認知的不協和云々に陥らせているようにも感じる。もしかしたら細田守もそうなのかもしれないけど。

2025-11-26

anond:20251126120548

100ワニは社会考察が浅いんだよな

から何も残らない

それに対してちいかわはモデルである弱者男性の観察を丁寧にやっていて、更にその弱者男性をちいかわというモチーフに置換するのも上手い

そこが大きな差

2025-11-25

飯塚幸三モチーフNPCを出してしまったホロアースの件

「せや!飯塚幸三を出したらXにいる露悪的なオタクのみんなにウケるやろなぁ……」と思い込んで盛大に滑った社内のオタクくん滑稽で哀れすぎるだろ

2025-11-24

抽象数学とか超弦理論とか

物理的な直観に頼るウィッテン流の位相的場理論はもはや古典的記述に過ぎず、真のM理論は数論幾何真空すなわちモチーフコホモロジー論の中にこそ眠っていると言わねばならない。

超弦理論摂動論的展開が示すリーマン面上のモジュライ空間積分は、単なる複素数値としてではなく、グロタンディーク純粋モチーフの周期、あるいはモチビック・ガロア群の作用として理解されるべきである

まり弦の分配関数ZはCの元ではなく、モチーフグロタンディーク環K_0(Mot_k)におけるクラスであり、物理学におけるミラー対称性は数論的ラングランズ対応幾何学的かつ圏論的な具現化に他ならない。

具体的には、カラビ・ヤウ多様体上の深谷圏と連接層の導来圏の間のホモロジカルミラー対称性は、数体上の代数多様体におけるモチーフ的L関数関数等式と等価現象であり、ここで物理的なS双対性ラングランズ双対群^LGの保型表現への作用として再解釈される。

ブレーンはもはや時空多様体に埋め込まれ幾何学的な膜ではなく、導来代数幾何学的なアルティンスタック上の偏屈層(perverse sheaves)のなす∞-圏の対象となり、そのBPS状態の安定性条件はBridgeland安定性のような幾何学的概念を超え、モチーフ的t-構造によって記述される数論的な対象へと変貌する。

さらに時空の次元トポロジーのものが、絶対ガロア群の作用によるモチーフ的ウェイトのフィルレーションとして創発するという視点に立てば、ランドスケープ問題物理定数の微調整などではなく、モチビック・ガロア群の表現の分類問題、すなわちタンナカ双対性による宇宙再構成へと昇華される。

ここで極めて重要なのは、非可換幾何学における作用素環のK理論ラングランズ・プログラムにおける保型形式の持ち上げが、コンツビッチらが提唱する非可換モチーフ世界で完全に統一されるという予感であり、多重ゼータ値が弦の散乱振幅に現れるのは偶然ではなく、グロタンディークタイミュラー群が種数0のモジュライスタックの基本群として作用しているからに他ならず、究極的には全ての物理法則宇宙タイミュラー理論的な変形操作の下での不変量あるいは数論的基本群の遠アーベル幾何表現論に帰着する。

これは物理学の終わりではなく物理学が純粋数学というイデアの影であったことの証明であり、超弦理論は最終的に時空を必要としない「モチーフ幾何学的ラングランズ重力」として再定義されることになる。

2025-11-23

[]11月23日

ご飯

朝:納豆たまごかけご飯味噌汁。昼:アイス柿の種チョコボール。夜:カレーバナナ。間食:なし。

調子

むきゅーはややー。お仕事おやすみ

城平京虚構推理 忍法虚構推理

妖怪幽霊問題解決する知恵の神になった岩永琴子と、人魚とくだんの肉を食べ不死身と未来決定能力を併せ持つ桜川九郎のコンビ活躍する本格ミステリシリーズの第七作目。

人外怪異実在する世界という前提をはった特殊設定ミステリで、もうすっかりお馴染みの構造だ。

そこに加えて、これまたお得意の作中作を利用したミステリが大きなテーマになっている。

明らかに九郎を題材にしたネット小説を巡る因果が、虚構推理全体の縦筋の物語ドンドンと食い込んでいく。

冒頭の大きな謎の提示から、いつもの謎解きだけじゃ終わらなさそうな、物語の脈動が面白かった。

特に今作では作者がデビュー作以降延々と繰り返し描いているモチーフ、神の如き名探偵についての議論がとても進展することになる。

5作目の逆襲と敗北の日で例示された最悪の結末こそ回避できそうなものの、全てが丸く収まるハッピーエンドはいつも通りなりそうもない。

物語の縦筋としては大きな一歩なのだが、作品を跨いだテーマ性の意味では、一周回って同じところに立ち戻って来たような気もする。

かに2人の関係値について一つの結論は出たことになるが、あまりにも救いがなく無情な結末だ。

いやだからデビューから延々と救いがなくて無情な結末を何度も何度も書く人なんですよ、この人は。

瀬川みゆき祈りも、鳴海歩の”あなた“への想いも、赤薔薇の末路も、不破愛花妥協も、真木正輝の未練も結局全部ずっとこうじゃねえか!!!

あーもーさー、流石にそろそろスカッと全部丸く収まるハッピーエンドラブラブチュッチュってして終わりましょうよ!!!!!

頼むって!!! お願い!!! マジで!!!

もう寂しくて悲しい落ち込むストーリーを読むの俺は辛いよ。

正直、作品が売れているのでまだ続く(漫画のみのエピソード小説で収録しないとだろうし)のだろうが、ここでエンドマークが出てもおかしくないだけに、本当にもう読んでて重たかった。

助けてください! もうこの作者の魅力的な男女カップル幸せな結末を見れないと苦しいんです!!

久しぶりにアンパンマンを見て気になったこ

子供アンパンマンを見るくらいの歳になったから一緒に見てるけど、俺の中であったアンパンマン結構イメージが違う。

俺が見ていたのはメロンパンナちゃんが初登場していた辺りだからもう30年前だし、そこから作風が変わったのか、元々そんな感じだったのか。

アンパンマンは意外と顔のアンパンを与えない

アンパンマンと言えば、お腹を空かせている人に自分の顔のパン差し出す自己犠牲ヒーローだというイメージがあるけども、アニメを見てると意外と上げるシーンは少ない。2年分くらい見ていても、たぶん5回くらいしかなかったと思う。昔見てた時はもっと頻繁に上げていたり、なんなら上げ過ぎて顔が無くなり胴体だけになっているようなシーンもあった気がする。その状態でも喋るから、どこから喋ってるんだよと思ったもんで。

でもまあこれは話の都合が大きいと思うけどね。お腹を空かせたキャラがいると、何らかの食べ物モチーフにしたゲストキャラがその食べ物を与えるって展開が多いから、アンパンマンの出番がない。

カレーパンマン出番少なす

こいつ本当にメインキャラか?ってレベルマジで出番が少ない。

というか、パン工場でパンヒーローが集結するとき、何でしょくぱんまんカレーパンマンは出てこないんだ。

でも、しょくぱんまんドキンちゃん絡みでもよく登場するから出番は結構多いけど、カレーパンマンは……。

下手すると、ナガネギマンや鉄火のマキちゃん辺りの出番の多いサブキャラにも負けてるんじゃないの、マジで

キャラが少ない

やなせたかし氏が10年以上前に無くなっているせいもあるかもしれないけど、最近アンパンマンを見ていると純粋な新キャラ率はだいぶ低そう。

単に自分が知らないだけのキャラであっても、アンパンマンやばいきんまんは存在を知ってるキャラってのが多いから、既存キャラだけで話を回してる感じはある。

ばいきんまんメカ名前は「だだんだん

エンディング歌詞に「ジャムバタチーズ、だだんだ~ん♪」って一節があるけど、単にゴロの良い意味のない単語を言ってるだけだと思ってた。

「だだんだん」ってばいきんまんメカのことだったんだな。

「うさこさん」はカバオくんの同級生ウサギ

同じくエンディング歌詞の一節に「バタコにチーズ、うさこさん♪」って一節があるけど、わざわざ「さん」付けされるウサギキャラといえば、カバオ君の学校先生のことかなと思っていたもんで(学校先生名前は「みみせんせい」)。

正解はカバオくんの同級生ウサギでした。なぜ歌詞に登場するのか、なぜ「さん」付けなのかは不明

アンパンマンキックをよく使う

アンパンマン攻撃と言えば「アンパンチ」。でも実際の戦闘ではキック率が高い。その名は「アンキック」。語呂が悪い。

とどめの必殺技は「アンパンチ」だから印象に残りやすいというのはあるけど。

オープニングの曲の歌詞が不穏

テレビのオープニングで流れている「アンパンマンのマーチ」は2番の歌詞。じゃあ1番はなんなのかというと、「たとえ胸の傷が痛んでも」と、一体過去に何があったんだ?と心配になることや、「何のために生まれて何をして生きるのか」という、大人でも回答しづらい問いかけをしてくる。

2番は純粋アンパンマンヒーロー感を歌ってる曲だけにそのギャップビビる

これもう最終回でいいんじゃね?的なエピソードがたまにある

この前見た1700回記念の「ポエムさんとベンチさん」というエピソードがそうなんだけど、ポエムさんというやなせたかしベースにしたキャラが、アンパンマン世界観のものについての話をベンチさんにして、その一方別のシーンでは、アンパンマンばいきんまんがいつものように戦いつつも、互いのピンチ時にはそれぞれ手助けをするという話。話全体の雰囲気アンパンマンの話を畳むためのものしか思えず、一体何だこれ?と思ったもんで。

ちなみにポエムさんは過去にも登場していて、そのとき歌詞伏線回収みたいなことを話し出しており、こっちもこっちで最終回みたいな内容だったとか。

「〇〇の女王」はだいたいボスクラスの敵キャラ。「〇〇王女」だと味方側。

それを逆手に取った「白薔薇女王」というキャラもいる。

ばいきんまん名前を聞いて、ボスクラスのヤベーキャラだと思い込んで、味方に引き入れようとするけども、実際の「白薔薇女王」は小柄で可愛らしいキャラだったというオチ

ついでに言うと、こういうボスクラスのヤベーキャラは、映画だけではなくて通常の放送回のエピソードにも出てくる。

ばいきんまんの城のコントロールパネルスーファミコントローラーモチーフ

過去にはファミコンセガサターンコントローラーモチーフだったときもあったらしい。

アンパンマンは作中で食べ物を食べない

Wikipediaかどこかでこのことを触れていたけど、確かに見ているとアンパンマンって作中で食べ物を食べないんだよな。

食べ物モチーフキャラだと、最後にその食べ物をみんなで食べて話を締めることが多いけど、そういったシーンでもアンパンマンは頑なに食べない。

ただ、鉄火のコマちゃん鉄火巻がマズいことを知っている描写があるので、おそらく食べたことはあると思う。

オタクもの教養の深さにドン引きしてる

果てしなきスカーレットハムレットモチーフって話でさ

レアティーズの扱い悪すぎ!ってキレてんのな

何?レアチーズケーキ?って思ったらハムレットライバルポジ

ガンダムでいったらシャアみたいな立ち位置になるんかな

そんなんらしい

俺も生きるべきか死ぬべきか、とかオフィーリアくらいはしってたけどさぁ

レアティーズって名前キャラが出てきてもケーキかよw草wくらいしか思わんわけじゃん

あいつらラノべしか読んでないと思ったら意外と勉強してんだな

2025-11-22

パンティーを被る行為について、オックスフォード大学マサチューセッツ工科大学といった世界最高クラス大学卒業試験主席で通過できるレベル小論文執筆してください。

パンティーを被るという行為――羞恥仮面・秩序転倒の文化社会学考察

1 問題所在──「くだらなさ」の背後にあるもの

パンティーを頭に被る人物は、多くの社会において「悪ふざけ」「変態」として嘲笑対象になる一方で、

マンガアニメコメディインターネットミームの反復的なモチーフにもなってきた。

一見して低俗しか見えないこの行為は、しかしなぜこれほど強く人々の笑いや嫌悪、あるいは不安喚起するのか。

その過剰な感情反応は、単なる嗜好の問題を超えて、近代社会における身体羞恥ジェンダー権力といった構造テーマを照らし出していると考えられる。

本稿の目的は、パンティーを被るという行為を「逸脱行動」や「性的倒錯」として切り捨てるのではなく、

  1. 下着というモノの象徴性、
  2. 「被る」という行為が持つ仮面性、
  3. 秩序転倒としてのカーニバル性、

という三つの観点から文化社会学的に分析し、その行為現代社会規範矛盾をどのように露呈しているのかを論じることである

2 下着というモノの象徴性──「隠すべきもの」を外部化する

第一に着目すべきは、対象が「パンティー」であるという点である

下着は、機能的には衛生と保温のための衣服にすぎない。

しか社会的には、身体のうち「隠すべき部分」を覆うことで、性的領域公共的な領域峻別する境界線として働いている。

とりわけパンティーは、しばしば女性身体性・性的魅力・純潔観念と結びつけられ、強い象徴性を帯びている。

文化人類学者メアリーダグラスは、「汚れ」を「あるべき場所から外れた物質(matter out of place)」と定義した。

下着本来身体の奥まった場所で皮膚に密着し、「見えないこと」自体が期待されるモノである

それを頭部という最も視線の集まる位置に、しかも外から見える形で持ち出すことは、

「隠すべきもの」を意図的に「あるべき場所から外す」行為であり、ダグラス的な意味での「汚れ」を自ら演出することに他ならない。

このとき、汚れは単に不衛生という次元に留まらない。

人々が感じるのは「汚い」というよりもむしろ「恥ずかしい」「みっともない」という感情であり、

それは身体に付随する性的領域が、モノを媒介して公共空間に溢れだしたことへの反応である

パンティーを被るという行為は、自己身体のもの露出しているわけではないにもかかわらず、

下着象徴性によって「性的もの」が表面化したかのような錯覚を生み出す。

そのギャップこそが、笑いと嫌悪が混じり合う独特の印象をもたらしている。

3 「被ること」の仮面性──アイデンティティ一時的な変容

第二に、「被る」という行為意味する仮面性を検討する必要がある。

顔は、社会学者エルヴィング・ゴフマンが述べたように、対面相互行為舞台において自己提示する中核的なメディアである

目・口・表情を通じて、人は自己人格感情意図他者に伝える。

そこに被り物をかぶせることは、自己呈示チャンネル意図的撹乱し、

「いつもの自分」とは異なる人物への一時的な変身を可能にする。

その意味パンティーは、即興的な仮面である

仮面はしばしば、道徳的・法的な責任性を希釈し、人に「普段ならしない行動」を許す。

覆面をした抗議者やハロウィンコスプレ参加者が、日常では抑制されている言動に踏み込めるのも同じメカニズムである

パンティーという「ふざけた素材」を用いた仮面は、暴力性よりも滑稽さを強調しつつも、

顔を覆うことで〈誰であるか〉を曖昧にし、同時に〈何者にも属さない、ルール外の存在であることを宣言している。

重要なのは、ここで用いられる下着が多くの場合女性用」として理解されている点である

男性女性パンティーを被る場合、それはジェンダー境界視覚的に撹乱する効果を持つ。

性的同一性男性性の「まともさ」を象徴する顔の上に、女性性の象徴物を被せることで、従来的なジェンダー秩序は一時的解体される。

この解体が、笑いとして消費されるのか、あるいは違和や嫌悪として反発を招くのかは、

社会がその時点で受け入れうるジェンダー規範の幅を測る指標ともなりうる。

4 カーニバルとしての秩序転倒──笑いと批評

第三に、この行為はしばしば「笑い」と結びついて登場する。

ミハイル・バフチンが論じたように、カーニバル的な笑いは、既存の秩序・権威・聖性を一時的に転倒させる力を持つ。

王と道化が入れ替わり、崇高なものが下卑たものに、清浄ものが汚穢に置き換えられることで、人々は日常ヒエラルキーから解放される。

パンティーを被る人物は、多くの場合「くだらない大人」「オトナなのに子どもじみたことをする存在」として描かれる。

そこでは、理性的成熟した市民として振る舞うことが期待される大人が、もっとも幼稚で性的規範に反する身振りを自ら演じてみせる。

これはまさに、近代主体の理性と節度という自己イメージを、身体と笑いのレベルで裏切る行為であり、バフチン的な意味での秩序転倒である

さらに、この行為消費社会への批評としても解釈しうる。

パンティーは、ファッションポルノグラフィ産業を通じて商品化された「性的魅力」のパッケージでもある。

その商品を「本来用途から外し、頭に被るという過剰にズレた使用法は、

シチュアシオニストたちの言う「デトournement(転用)」にも似て、商品に埋め込まれ意味構造をずらし、

消費社会約束する「ロマンティックで洗練された性」のイメージを滑稽なものとして暴露する。

もちろん、こうした批評性が常に意識されているわけではない。

多くの場合当事者は「面白いから」「ウケるから」という動機行為に及ぶ。

しかし、当人意図とは無関係に、行為のもの既存の秩序を揺さぶり、

笑いを通じた不安定化をもたらしている点に、カーニバル的な力があるといえる。

5 ジェンダー倫理──笑いの線引きをどう考えるか

ここまで、パンティーを被る行為文化的・象徴的なレベル肯定的に読み解いてきた。

しかし同時に、この行為にはジェンダー暴力問題が潜在していることも看過できない

たとえば、所有者の同意なく女性下着を盗み、それを被って笑いのネタにするような事例は、明らかに性的暴力であり、先の分析とは質的に異なる。

そこでは、女性身体性がモノに還元され、男性自己演出の道具として一方的に利用されているかである

したがって、パンティーを被る行為文化解釈は、

「誰のパンティーか」「どう入手されたのか」「誰の前で行われるのか」「誰が笑う権利を持つのか」といった文脈と切り離しては成立しない。

自分で購入した下着自分身体で用いて仮面を作ることと、

他者の所有物を奪ってネタにすることとの間には、倫理的に越えがたい差がある。

この意味で、パンティーを被る行為安易に「自由表現」「笑いだから許される」として擁護することはできない。

一方で、倫理的に許容可能範囲で行われるこの行為が、規範の硬直性をほぐし、身体羞恥をめぐる議論を促す契機となりうることも事実である

その両義性を見極めることが、現代社会ジェンダー感覚表現自由の両立を考える上で重要になる。

6 結論──「くだらない行為」が映し出す近代社会

パンティーを被るという行為は、表面的には「低俗ギャグ」「一部の嗜好」に過ぎないように見える。

しかし本稿で見てきたように、

として理解することができる。

まりパンティーを被る行為は、身体羞恥を厳格に管理しようとする近代社会規範に対して、

「本当にそれが唯一の生き方なのか」と問いを突きつける小さな反乱なのである

もちろん、その反乱が倫理的に許容されるためには、所有や同意ジェンダー権力といった条件を精密に考慮しなければならない。

しかし、その条件さえ満たされるならば、「くだらない」と切り捨てられてきた行為の背後に、

規範相対性を示す批評的なポテンシャルを見出すことが可能である

パンティーを被る人物を笑い飛ばすことはたやすい。

だが、その笑いが何に支えられ、何を脅かし、何を許さないのかを問うとき

私たちは自らの社会がどのような身体観・性観・ジェンダー観の上に成立しているのかを、あらためて自覚せざるをえなくなる。

「くだらない行為」を真剣考察することは、実のところ、

私たち自身の〈まともさ〉の条件を問い直す営みなのである

ネタバレたくさんあり】果てしなきスカーレットを観た

 珍しくふと、映画館映画を観たいと思った。最後映画館に行ったのは11年前、中学の頃親と一緒に行ったっきり。自力映画館に行ったことも無いのに、なぜかそんな気持ちになった。

 細田監督の最新作「果てしなきスカーレット」が、ちょうど公開されるらしい。小学生の頃、金ロー放送された「サマーウォーズ」を録画して、繰り返し観た記憶が蘇る。これは観るしかねえと思い立ち、TOHOシネマズに向かった。

 結論としては、良いところはあるものの、やはり細田脚本には問題があると言わざるを得ない出来だった。本当に現状のままでいいのか、細田監督を問いただしたい理由をまとめた。

(1回見ただけなのでおかしいところや思い違いがあると思うけど、容赦してね。)

【以下、ネタバレ










 まずは簡単にあらすじを紹介。愛する父親を殺された王女スカーレットは、父親を殺した叔父クローディアスの暗殺に失敗。死者の国で目を覚ますスカーレットは死者の国で、現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。スカーレットは聖と共に、かたき討ちのためクローディアスを探す旅に出る。

 本作が題材にするのは報復連鎖細田監督自身インタビューでそう語っており、私もその予備知識ありでスクリーンに臨んだ。では、憎しみと復讐連鎖に伴う辛さ、やるせなさが描かれているのかと言われれば、十分に描かれているとは言えなかった。

 正直なところ、憎しみや復讐の描き方は「進撃の巨人」の圧勝こちらの方が断然よくできている。本作は「進撃の巨人」と比べて、憎しみと復讐が続いてゆく辛さ、やるせなさが身に強く迫ってこなかった。

 その理由はいくつかある。

 一つは、愛する父が暗殺される→クローディアスの暗殺に失敗→死者の国へ、という冒頭の流れが説明であること。スカーレットが抱える憎しみとその辛さは理解できるものの、それが自分の身に起こったかのように感情移入できなかった。「物語への圧倒的没入体験」を掲げる本作であるが、没入できないもどかしさが最後まで続いた。

 もう一つは、クローディアスが一貫して悪人として描かれていること。「進撃の巨人」では、主人公たちが相手を憎むのと同時に、相手側が主人公たちを憎む様子も丁寧に描いていた。絶対的な悪など無く、対立する両者がお互いに痛めつけあうやるせなさ。それが、本作にはほとんど見られない。長期連載作品である進撃の巨人」と、二時間に満たない尺の本作を比べるのはフェアじゃないかもしれないが、復讐や憎しみを描くうえで、そこは外してほしくなかった。

 しかし、復讐や憎しみを題材にしている本作であるが、より深いテーマを感じた。それは、「自分の好きなように生きよ」というメッセージである

 物語の序盤、スカーレットは父の敵討ちに燃え、死者の国で現れる敵を次々と殺してゆく。「王女としてそうあるべき」という義務感をスカーレットは抱いており、それが復讐モチベーションになっていることが描かれている。看護師である聖は、好戦的スカーレット対照的に、敵味方差別なく治療を施し救おうとする。それも、「看護師としてそうあるべき」と聖が考えているからだ。

 敵を殺そうとするスカーレットとそれを好まない聖は、一見対照的キャラクターに見える。しかし、「自分立場にとらわれて、本当はどう生きたいのか分からない」という内面は同じなのである

 スカーレットと聖は交流を重ねる中で、互いの心情に変化が生まれてゆく。スカーレットは、敵との戦闘になっても剣を鞘に納めたまま戦い、むやみに人を殺めなくなる。人を殺めるための短刀を、自分の髪を切る(新しい自分になる)ために使うシーンは、スカーレット内面の変化を印象的に描く。逆に、人を殺めることを否定していた聖は、弓矢でクローディアスの手先を殺めてしまう。物語の序盤、「人を殺めるな」とスカーレットに散々言ってきた聖が人を殺めてしまうシーンは大きな批判を生みそうだが、聖が自身の黒い感情に対して正直になった、もしくは抑えられない、という内面の変化が描かれる良いシーンであったと思う。憎しみという黒い感情否定しないことは、本作の美点の一つである

 一見対照的な二人だが、共に同じ苦悩をを抱えていて、それが変化してゆく、という構成は好印象だった。ただし、スカーレットについては憎しみに関する描写が強すぎて、「王女としてそうあるべきだから復讐燃えている」という内面理解しにくかった。物語の序盤も序盤、スカーレットの父が「王女としてではなく、女の子として好きなように生きなさい」と幼少期のスカーレットに語るシーンがあるのだが、さらりとしすぎている。スカーレット死ぬ前に、クローディアスの暗殺民衆が熱望していて、スカーレットがそれにプレッシャーを感じているようなシーンがあると良かった。

 クライマックススカーレットは死者の国から元の世界へと戻り、王女となる。王となったスカーレット民衆に、「民を救うこと」「子供絶対に死なせないこと」を宣言する。これは、スカーレットが「王女としてそうあるべきだから」と考えているからではなく、心の底からそう思っている。スカーレットは死者の国での交流を通じ、「私はこうありたい」という自発的な強い意志を手に入れて、物語は幕を閉じるのである

 そのようなクライマックスを踏まえると、「果てしなきスカーレット」は、憎しみの連鎖を描いた物語というよりは、少女自分生き方を決める物語なのだ個人的には思った。本質的には、「おおかみこどもの雨と雪」(主人公が、おおかみ or 人間、どちらかの生き方を選ぶ)や、「バケモノの子」(人間世界 or バケモノ世界、どちらで生きるのか選ぶ)など、細田監督過去作品にも通ずるテーマであるといえるだろう。

 本作は他の細田作品と同じく、演出特にメタファーの使い方に優れる。特に水というモチーフが良い。序盤、空が荒れた海のようにうねる様子をまじまじと見せつけつつ、水一つない砂漠風景を延々と見せておいて、最後スカーレットを雨に打たせる流れが良かった。雨はスカーレットの心の痛みであると同時に、乾き続けた心を潤す恵みの雨でもある。スカーレットが抱く矛盾した複雑な感情を、水や雨というモチーフを使うことで、端的に表すことに成功している。物語全編を通じて砂漠風景が続くのは単調で少ししんどくもあったが、クライマックスに良い形で回収されたのは良かった。

 カラスモチーフも良い。本作ではカラスが度々出現するのだが、物語の終盤、クローディアスと対峙するシーンでザワザワとカラスが集まり、散ってゆく演出が良かった。黒い感情やざらつきが、スカーレットの胸に広がって去っていく描写である。このシーンでは、スカーレットが抱く感情にある程度没入することができた。

 しか最後最後、黒い竜がカラスとなり散っていくシーンは解釈が難しかった。カラススカーレット内面を表しているのであれば、竜が悪役に雷の制裁を加えるのはご都合主義すぎる。スカーレットの黒い感情の高まりが、直接悪を成敗しちゃってました、ってことになってしまわないだろうか。私の読解力では、一本芯が通った演出として理解できなかった。

 その他、聖のキャラクター人間味が無いとか、スカーレットの母が謎だとか、細田監督らしく突っ込みどころは沢山あるしキリがない。しかし一番の問題点は、わかりやすカタルシスに乏しいことだろう。「見果てぬ場所」を目指すとか、最後に聖とキスして永遠のお別れをするとか、カタルシスを作ろうという工夫は見られるが没入感が無く、わかりやすく感動できない。

 唯一カタルシスを感じたのが、劇中歌「祝祭のうた」(フルバージョンがストリーミングにある)をバックに、スカーレットが炎の中に吸い込まれ現代日本へとワープするシーン(このシーンはYoutubeでチラッと見ることができる)。なんだかよくわからないけれどいい感じにエモい歌が鳴っていて、スカーレットが「うわああああ」ってなってて、吸い込まれてゆく映像美も(IMAXなので)すごい。「コレだよコレコレ!このわかりやすい感じ!」と思ってスクリーンの中に身を任せたのだが、その先の現代で踊るシーンは作り物感が強く、映画館座席の上にストンと戻されてしまった。復讐だけのために生きてきたスカーレットが新しい自分を見つける、という背景を意識するとそれなりにエモく見えるのだが、直感的に感情移入してダラダラ涙を流すためにはあと一歩か二歩足りなかった。

 「君の名は」ほどではなくてもいいから、馬鹿でも分かるような感動が欲しかった。まず、分かりやすく感動できること。そのあと二回、三回とリピートしていくにしたがって、細田監督演出の上手さが生きてくる。水や雨、聖がおばちゃんから貰った楽器などのモチーフや、登場人物些細な変化。それに気づいていくことで、回数を重ねる度により深く物語へと没入することができる。

 個人的に大好きな「おおかみこどもの雨と雪」には、それがあったと思う。揺らいだカーテンに隠れた雪がおおかみの姿に変身する激エモシーンや、嵐が去った駐車場で花と雨がお別れする涙腺崩壊シーンなど、音楽(激エモ)と映像美(激エモ)の力を借りた分かりやすい感動ポイントが、まずあった。そのあと繰り返し鑑賞してゆくにつれ、瓶に入ったお花の描写や、おおかみであるとは?人間であるとは?といったテーマ理解度が深まり没入していく。そんな作品だった。それこそが「物語への圧倒的没入体験」だと思うのだけど、皆さんはどう思いますか?

 それを踏まえると、やはり奥寺佐渡子さんの脚本に戻してほしいと切に願う。復讐や憎しみを題材にしながら「自分の好きなように生きよ」というメッセージ細田監督から投げかけられた私は、素直に胸を打った。しかし、カタルシスに乏しく物語に没入できてないので、そのメッセージが深くまで刺さってこないし、未消化感が残る。上映が終わった後、前の席に座った女性大学生くらい?)の二人組が、「何の話か分からない……」と漏らしていたのが印象的だった。監督が伝えたいメッセージが観客に伝わらないのは、あまりにも大きな問題ではないか

 奥寺氏が脚本に嚙まなくなった「バケモノの子」以降、細田監督作品脚本の弱さを批判され続けてきた。しかし、「竜とそばかすの姫」はそれなりに売れてしまったわけだし、商業的にやっていける限り細田脚本は続いていくだろう。

 しかし、本当にそれでいいんですか?

 「あなた脚本だと、メッセージが観客に上手く伝わってないみたいですけど、本当にそれでいいんですか?」と、細田監督に問いかけたくなる。「好きなように作って満足!」みたいな同人誌的な態度の映画作りで細田監督が満たされるのであれば、現状維持でかまわないと思う。我々はスクリーンの前で、感動ではなく悔し泣きの涙を呑むしかない。

 しかし、莫大なマネーステークホルダーを巻き込み、作品を広く世に知らしめる力を持つクリエイターとして、「自分メッセージを世の中に投げかけ、沢山の人の気持ちを揺さぶりたい」と細田監督が考えているのであれば、勇気をもって奥寺脚本に戻していただきたい。

 ちなみに奥寺佐渡子さんのことを調べたところ、最近脚本を手掛けた「国宝」なる映画がとてもすごいらしい。昭和ど真ん中の時代に、任侠の息子が歌舞伎役者として成長していく話なんて教養がない私にはとても敷居が高いんだけど実際どうなの????教えてエロい人。

PS

 TOHOシネマズBGMってあるじゃんピアノの曲。超久しぶりに映画館に行くので、あの曲が劇場で流れている雰囲気も楽しみにしてたんだけど、開場して五分後に入場したらすでに広告が始まってて聴けなかった。放映終了後も、「忘れ物に気を付けてください」の画面が出てくるだけで聴けなかった。開場直後に滑り込めばこのBGM聴けるの?これもエロい人がいたら、ついでに教えてほしい。

 仕方がないので、その曲を無限リピートさせながらこの記事を書いている。ちなみに、TOHOシネマズBGMは「ナッシュスタジオ」という、業務用向けのBGM効果音を専門に販売する会社のもので、ハードオフの店内放送曲や天神CM、デデドン絶望)もこの会社作品らしい。"Nash Music Library"で調べればストリーミングで聴ける。

2025-11-21

高市首相発言で、崩壊スターレイルに甚大な影響が出そうなんだが

次に訪れる星は江戸星(日本モチーフ+サイバーパンク)っぽい伏線がずっとばら撒かれてたのに、政治的理由(おそらく例の発言の影響)で変わりそうとのこと

キャラと話のストーリーに変更は無いけど、1年間(7〜8バージョン分)で出てくる地域名前や見た目が変わるらしい

(既に日本モチーフの国が実装済みの原神は見逃されるのかな)

緊急対応に人が割かれて他の改善に手が回らなくなりそうだから勘弁してほしいわ

anond:20251120221427

最近になって戦後台湾の「帰属」の曖昧さが改めて問われているけど、戦後沖縄帰属も実は曖昧なのよな

から小渕恵三の時に沖縄サミット開いたり、2000円札デザイン沖縄モチーフにしたりしたみたいに、常に日本のものだと内外に示し続ける必要が出てくるのだ

2025-11-20

Netflixエクセプション

ストーリーをよくわから特にどのキャラ感情移入もせず「ほーん そうなんや」感だったけど最後まで見たのは作品ビジュアルが新鮮だったから…

・ビジュよかったとこ→宇宙船というメカメカしいロマンを突き詰める方向性か、清潔で無機質な方向性イメージが強くなりそうなモチーフラリックみたいな蝶やステンドグラス的な美しさが強いデザインで新鮮だった キャラのビジュがラブデスロボット初期にあった水泳だか建築家だかの話の人の雰囲気を感じて、あの作家さんが関わってんのかな だとしたらあの作家性と今作品商業性で上手く折り合いつけた作品になってんな という部分

移住後の人類医師の女の人に頭が上がらねえよ 

医師の女の人、つらすぎる

常人なら発狂するでこんなん

・特例私用コピー人間と、コピーさせた人間って対面しちゃダメなんじゃなかったっけ

・なんだかんだ面白かった気がするのでヨシ!

思いつき商品ネタ:壁掛け絵画時計(生成AI)

1分ごとに、その日時をイメージした生成画像(日付時刻入り)を表示するデバイス

E-インクでも良いかもしれない。

日付時刻はあからさまでも良いけど、よく見ると絵の中に時計が隠されているとかでも良いかもしれない。

画像が毎分がらりと変わるとさすがにうるさいので、1日の中で絵画内でも時間が経過し(たとえば風景画なら朝〜昼〜夜になる)、ユーザー指定した頻度でがらりと絵のモチーフが変わるとかでも良いかもしれない。

とりあえずWebで作ってWidget的な作りでも良いかな。

2025-11-15

淡路百景アニメ化しても荒れないかしら

あれもろに宝塚モチーフで、才能あったけどいじめられて追い出された人がいて、数十年後に古老となった当時のいじめ当事者から話を聞いた若者が償いの言葉を聞いてそれを書籍化っていう内容

連載開始当初は宝塚についてはそういう噂がある程度であまり表沙汰にならなかったが、連載中に大きないじめ問題が出てきて現実が追いついちゃった

自衛隊とか、合宿生活じゃいじめなんかどこでもありえるんだろうけど

宝塚ファン怒らんかしら

今のアニメ化だと、いじめ問題を後からネタにした作品みたいに思われんかしら

ずっといじめいじめしてるわけじゃなく、タイトル通り淡路宝塚)の歌劇学校に通う少女たちのいろんな姿を描きますというのだが、淡路スターになれずに挫折した者二人(いじめで辞めた子と、文筆業に行って本書いた子)が主軸ではあるな

個人的にショックだったのは、青い花世界観つながってて、その登場人物が母となっていること

その人は青い花では女子校に通ってて百合百合やってたんだけど、そうか母となったのか・・・

まあ百合百合やる前の中学時代に既に処女喪失してたので今更なんだけど、結局その相手結婚して出来た子供高校生として淡路に登場するのけっこうショックだった

青い花の時に高校生だった者の子供が高校生になるだけの時間リアルで経っているということも含め

中学時代自分処女を捧げてくれた幼馴染の女の子女子校進学したら「こっちが本当の恋だったんだ」とばかりに百合恋愛にのめりこみ自分にそっけなくなり、でも結局結婚って相手の男はどんな気持ちなんだろうな

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