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2024-12-14

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

2024-12-13

死んでくれ

何度も別れ際のことを思い出す

あなたと一緒に過ごすには、あまりにもあなたのことを知らなすぎた

もっとあなたのことを知っていれば、あなた言葉に悪意がないことを理解できたし、私の反論あなたが深く傷ついていたことも気づくことができた

知らないくせに、愛されてると傲慢になって、よくない言い方をした

それ以上に、好きなところが沢山あったから、本当はどうでもよかったのに



短い間しか一緒にいなかったのに、この家も、この街も、あなたを思い出すもので溢れている

幸せだったはずの思い出が、真っ黒になって心に沈む

早く引っ越したい


あなたに見せることは叶わなかったけど、今はあなたの好きな系統の服を着て、あなた好きな芸能人髪型にして、たくさんの男性と会っている

でも会えば会うほど、あなたのどこが好きだったのか、よく分かる

あの時、あなたは何度も自分のどこが好きなのかを聞いてきたね

私は上手く答えられなかった

今ならたくさん言えるのに

たくさん伝えたいのに


でも、もう私から連絡することはない

どんなに彼の事が好きでも、どんなに思い出に苦しめられても

彼が私と別れる決断をしたのは事実から

彼の心に、私はもういない

そんな人に縋っても、私が幸せになる未来はないのだ



からこの感情を、

匿名ブログなんかに供養して

私の心から死んでくれ

サイバーパンク: エッジランナーズがソフトだって

宗教上の理由でネトフリ入れない人も見られるようになるぞ

サイバーパンクシリーズは元々はTRPGゲームだったんだ

人体改造当たり前の未来世界舞台に、改造すればするほど戦闘力は強くなるけど人間性喪失していくというシステム

ビデオゲームであるサイバーパンク2077ではそういう要素は薄くなった

敵の中にはそうやって頭ぶっ壊れたやつもいたけど、主人公脳内に宿ったキアヌ・リーブスに魂を食まれつつあるものの、その他の改造によるリスキーさは特になかった

2077よりも、エッジランナーズは改造によるリスキーさをシナリオに取り入れていた

主人公社会底辺から成り上がるためにどんどん改造して、勝ち上がるも人間性を失って壊れていきバッドエンドを辿るストーリー

2077の作中ではたまにラジオから流れてくる程度だったなんの変哲もない曲が、エッジランナーズでは切なくて特別な曲になる

豊島ミホエバーグリーン読んだ

『ビフォアサンライズ』→『ニューシネマパラダイス

って感じだった

さとうもかの予定とかりとる革命ってこういうシチュエーションなのかな

自分の言った暴言自分ブーメランで帰ってきてそれをちゃんと受け止めるのはスカッジャパンでもあり偉いとも思った

文体は甘いが、描いてる出来事シビア。でもそれを受け止めたか幻想を逃れて自分人生を歩めるって話でもあるよね。自分人生を生きるための、相手の瞳にそう映りたかった幻想自分殺し、夢殺しにちゃんと向き合った話。

キツい感じで終わるけど、だからこそその先には地に足をつけて生きていける未来が暗示されているという意味ではヴィットリオデシーカの『ひまわり』でもあるかも。

綾子は年齢も経歴も当時の著者に近似しすぎてるからそういうことなんだろうけど著者の本来の夢は漫画家でそれは(執筆時点では)諦めていたことを考えると0.5パーセントは進にも投影されているんだろうか。なりたかった集英社系列漫画家である谷川史子が表紙なのも、漫画家の夢に対するレクイエムなのか。

進は漫画家になる夢のメタファー

谷川史子の絵かわい〜

母親子供二人を殺して自殺したというニュースに対する反応がこれ。人の心はあるのか?

仮にワンオペ育児だったとしたら怒りをぶつけるべき相手は夫であって子供ではないし、そもそもそのニュース母親ワンオペ育児だったとも限らないのに勝手ストーリーを作るな。

「一緒に連れていく」などというエゴのために、殺人を美化するな。

母親無罪教もいい加減にしろ

黄色

@hoshi1ninattayo

2歳と0歳の子無理心中をしたと見られるニュースに「何で子どもを巻き込んだ」というコメントを見つけて、息子が2歳頃までワンオペが続いて限界だった頃に「死にたいけど私が死んだらこの子はどうなるんだろう。いっそのこと一緒の方が」なんて考えがずっと頭の中をぐるぐるしてたことを思い出した。

https://x.com/hoshi1ninattayo/status/1866846931781374309

をん

@wonwonpien

あの事件すごく悲しいけど、自死遺族として生きるよりも物心つく前にお母さんと一緒に逝けてよかったんじゃないかと思う

子供を巻き込むな」って言う人たちはどうせ遺された子供責任取っちゃくれないし

https://x.com/wonwonpien/status/1867421373846761664

@PpXf3zaz3OPICuk

母親が1番子供達を愛してただろうし、子供達も母親が大好きだったはず。置いていけないよ。

追い詰められた中で一瞬でも正気に戻れた人が子供と一緒に生きてこれただけで、この母親自分だったかもしれない人はたくさんいるよね。

誰も彼女を救えなかったんだから彼女を責めるのは違うと思う。

https://x.com/PpXf3zaz3OPICuk/status/1867252753862639661


分離したリップクリーム妖精その名はおもけ

@omokesan

·

20時間

子どもたちには自分(母親)しかいないって状況だったら置いては行けないってなっちゃうだろうなぁ...

しろ母親として責任を持って子どもたちを殺す状況に追い込まれてたのが可哀想すぎる。

https://x.com/omokesan/status/1867160227751342290


ぽむぽむ

@pommaypom

·

16時間

私もワンオペで1度も夜勤してもらったことない

疲れと眠気、とにかく辛くて、夫は助けてくれないし、親は居ないので孤独だった

子供は大切で仕方なかったけど、死にたいと思ったのとは何度もある

親が自殺した子って他人に思われたり、子の未来考えると、一緒に行ったほうがって何度思ったことか

https://x.com/pommaypom/status/1867229019974070506


ぐでたまだむ

@gude_madam

·

16時間

夫が頼りになる人だったら息子を任せて私だけ消えようってなるんだろうけど、そもそも頼りになる夫ならここまで追い詰められなかったのかもしれない。残された夫は同情されるだけ。

https://x.com/gude_madam/status/1867221632101892129

美夏

@320_20230830

·

12月12日

「なんで子どもを巻き込んだ」と思う人は「子宮に沈める」という映画を見て欲しい。

状況は違うものの、家に取り残された子どもがどうなるか想像できないなら見ればいい。

https://x.com/320_20230830/status/1867070745928667399

はな🎊3y

@52jdm

·

20時間

わかる。私も連れて行かなきゃ可哀想って思ってた。夫や他人では泣き止まない我が子、私が相手すると安心して眠る我が子…私がいなくなって辛い思いをするのは可哀想って思うんだよね🥺夫が育児に関与してくれてる家庭や、子育て経験ない人にはこの感情からないと思う。

https://x.com/52jdm/status/1867170120537456815


LINA

@yoyo_8800

·

12月12日

子供置いていく方が無責任じゃない…?

絶対一緒に逝く方法選ぶと思うわ…

https://x.com/yoyo_8800/status/1867077156398043505

労働者民主主義

シルバー民主主義ならぬ労働者民主主義に警戒感がある

多数派になった者が自分たちに都合のいい制度ばかりを決め、少数派から搾取することが問題なのだ

 

労働者経営者という対比で見ると当たり前のように、経営者強者であり労働者弱者であるという先入観で見られる

しか会社経営してみればわかるが、雇用に関わる法律というのは本当にたくさんある

雇用に関して経営側の自由というのは驚くほど少ない

 

そんな現状で多数派である労働者意見ばかりを取り入れていては

経営者労働者から搾取されるという未来も起こり得る

 

搾取はいけないことですよねぇぇぇぇぇ???

anond:20241213023053

意味わかんないけど女がみんなそうだと思われたら若造未来可哀想だと思うのが老婆心て奴ではないのか?まあしばらくはトラウマになるだろうけど。女って属性に対してまで彼は恐怖を募らせてるけど、それは認識が誤ってるし、他のいい事を逃す人生になれば気の毒なのと、転職を重ねて良い環境と良い賃金を得るのは幸せに生きるのに間違いではないことと、同じ技術職だというのと、氷河期というので老婆を表したかった。情報情報として読むにはそれに対する知識が同じでないと難しいとは大学で習ったけど、本当にそうだな。気をつけるよ。

anond:20241212233517

今のおじさんをまもるから

未来のおじさんをまもることにつながる

2024-12-12

何年かけてでも、おじさんは馬鹿にしていいって世の中を変えないと

これからおじさんになる若い子を守るんや

今のおじさんが馬鹿にされてるとしても

未来のおじさんを馬鹿にさせるな

anond:20241212212929

①←「それ以前からイスラエル不正パレスチナ侵略してた訳やん。」この前提が先ず共有出来ない

パレスチナイスラエル歴史は複雑で一概にイスラエル不正パレスチナ侵略してきたとは言えないと思ってる

その上で今回のハマス攻撃は、イスラエルアラブ諸国が国交正常化していく中で、支援の縮小や孤立さらにはパレスチナ問題の国際的優先順位の低下を恐れて起こした

過去歴史を踏まえた報復としての連続性が弱くて、むしろ未来に対する組織の存続危機感から自滅的攻撃を仕掛けたって認識

②←パレスチナイスラエル過去ルールを守って戦争してきたかと言われたら違うだろうな

ただ、テロ報復関係性の中では、当事者間で民間人犠牲者を出すなって批判意味を持たなくなると思ってる

からルールを守って戦争したほうが良くないかって話

社員退職代行で辞められた社長の心の叫び

ここ最近会社を立て直してようやく軌道に乗ってきたと思ってたんです。美容系の仕事って、まあ大変なことも多いけど、やりがいのある仕事だし、お客様「ありがとう」一言で頑張れる。そんな気持ち社員みんなと一緒にここまでやってきたつもりでした。

なのに、突然の退職ラッシュしかも、全員が退職代行業者を通して辞めるってどういうことですか?直接「辞めたい」って話すのがそんなに難しいのかな?こっちだって人間から、「辞めたいです」って言われれば「そうか」って受け入れる用意はあった。でも、全員が退職代行って、なんだか人間として信用されてなかったんだなって感じてしまう。

業績は良好だったんですよ。本当に良好だった。お客様も増えて、忙しくて残業が増えたことは否定しないけど、その分みんなの給料だって少しずつ上げてきたつもりだった。最近では新しいプロジェクトも始めて、未来は明るいと思ってた。

でも、社員40人全員にこんな形で辞められるって、会社として何か根本的に間違ってたのかな。自分では「家族みたいな会社」って思ってたけど、それが逆に重荷になってたのかもしれない。人に対して期待しすぎるのは良くないって分かってはいるんだけど、全員から一斉に離れられると、さすがに心が折れそうだ。

誰か教えてほしい。どうしてこうなったんだろう。

リベラルフェミニストの横暴は留まるところを知らない

このまま奴らを放置したら日本未来はない

ネトウヨは既に死に体のご隠居クラブだが、こいつらは年甲斐もなく未だにはしゃいでる年よりなのに悪い意味若い連中だ

AIのやつ手のひらクルクルしすぎ

自分AI反対派なのよ。


著作権とか芸術性とかは正直どうでもいい。

AI技術が発展すると仕事が難しくなる上に作業量が増えるのよ。絶対に。

昔は手紙を他部署に届けるだけの人が会社内にいたのに、今じゃ業務連絡はメールでポイだもん。

技術の発達は簡単仕事を奪って労働者価値を下げる。当然、給料相対的に減るから貧困格差も加速する。

自分死ぬわけにいかいかAIは使うけど、労働環境悪化社会崩壊が目に見えてるからスタンス的には反対派。




最近X(Grok)で画像生成が簡単に出来るようになった。そしたら、AI反対!とか抜かしてた人が手のひらクルクル画像生成で遊んでやがる。

おまけに、文章生成はセーフとかクリーンAIからとか訳わかんない主張もある。



AI絵師は盗人w」「AIのくせに絵師名乗るなよw」とか言いながら結局あいつら、羨ましいがってたんだよ。

AI画像生成となると、サイト次第で英語必要だったり課金必要だったりPCスペックや最低限知識必要で、全員がAI享受を受けられなかった。



からどうだ、AI画像生成が誰でもカンタンに出来るようになってきたら、どいつもこいつも使いやがる。

そして手のひらクルクル大回転。

使うのは構わないが最後まで主張は通せよ。

個人だけじゃなくて、企業社会も「AI怖いですねぇ」みたいな顔して水面下ではAIジャンジャン進めてやがった。

(国は最初からAI推進だったかも、まあそうよね…)


AI絵師イラストレーター嫉妬したように、反対派の殆どAI使えないやつがAI絵師嫉妬してただけだった。

AI技術に関しては、夢があると思う。

スマホ世界が変わったように、AI技術想像できなかった未来があるかもしれない。

電脳世界が実現するかもしれない。

働かない社会もあるかもしれない。

すごく夢がある。




ただ、使う人間本体ゴミすぎるからどうしようもない。マウント取るし、欲に任せて行動するし、他人任せの自己中だし、人類協力もクソもない。

ちょっとAI技術の発展は早すぎる。

もう少し初期インターネット時代みたいに緩やかに変わって欲しかった。

筑波に来るような奴が未来の王になれるわけねぇだろ!

王になりたかったら自分領地を勝ち取るしかないんだよ!

幼い頃は、空飛ぶ車や、リニアモーターカーが当たり前のような未来が実現しないかと思い焦がれていたが、今となってはマッサージ屋で強張った筋肉を取り外して液体に浸け、柔らかくなった筋肉をまた戻す未来が来ないかと思い焦がれている。

千葉県「いい加減、不敬罪必要だ」

やべえな

https://x.com/orimoto777/status/1866738116784202092

折本つのり(千葉県議会議員

@orimoto777

悠仁さまの合格をお祝い申し上げます

ただ、コメント欄が見るに堪えない。なぜ素直にお祝い出来ないのか。未来天皇陛下公然貶める輩は日本人ではない。反撃できないのを良いことにつけ上がっている。

いい加減、不敬罪必要だ。悠仁さまを全力でお護りせねばならない。

水星魔女改善案

1. キャラクター

スレッタ:水星での経験に基づく価値観社会への考えを回想等で明確に。恋愛友情家族重視の背景を描き、行動原理説得力を。周囲からの酷い仕打ちに耐えたり流されるだけでなく、意思を持って状況打開。母親真意に疑問を持ち、自分で考え行動する場面を増やし、成長を描く。

ミオリネ:ベネリットグループ総裁の娘としての立場地球との格差への問題意識を行動・葛藤を通して描写父親への反発理由理想社会像を明確にし、「籠の鳥」脱却。父親過去の罪への苦悩、答えを出す過程を描き、深みを。

シャディク:戦災孤児としての過去スペーシアンへの複雑な感情回想シーンで丁寧に。テロリストへの道を選んだ動機・苦悩を掘り下げ、共感理解を得る。ミオリネへの恋愛感情以外に、掲げる理想社会変革への想いを明確にし、「百合当て馬」脱却。

ラウダ:愛人の子としての境遇を描き、グエルへの依存劣等感内面を掘り下げ、行動原理説得力を。殺人未遂後に平然とするのではなく葛藤し周囲との関係修復することで「小物」脱却、成長を描く。

社会弱者ステレオタイプ化を回避個性、状況への葛藤を丁寧に。特に体制反抗キャラ内面を掘り下げ、行動に説得力共感を得る。

グエル優遇によるアンチ増加のバランス悪い脚本脱却。各キャラに均等にスポットライトを当て、成長・葛藤を描き、バランス良い物語に。

2. メカニック

シュバルゼッテ: 「噛ませ犬」脱却、性能を活かした活躍の場を用意。開発経緯・機体特性説明し、メカとしての魅力を。

デミバーディング: 「輸送機」脱却、戦闘・救助等、多用途性を活かした活躍を。ニカとチュチュ関係性深堀りで、存在意義向上。

メカ: 個性的なデザイン、印象的な活躍で、「やられ役」脱却、魅力的に。

3. ストーリー

クワイエット・ゼロ: 目的、仕組み、影響など物語の根幹に関わる設定については明確な説明を。ノートレットの理想デリングの思惑、プロペラの目論見、動機目的を明確にし、深みと説得力を。現状は無責任

罪と罰: 罪を犯したキャラには償いの過程を。特にプロペラデリングやペイル社CEO等、殺人の罪を犯した大人キャラ責任曖昧にしない。ラウダの殺人未遂も「無罪放免」でなく、成長する過程を描き、納得感を。

宇宙議会連合: 雑な悪役脱却、成り立ち、内部権力闘争スペーシアンとアーシアン関係性掘り下げ、深みとリアリティを。

SF設定: リプリチャイルド等、ご都合展開でなく、物語テーマキャラ葛藤に深く関わる要素として丁寧に。

4. テーマ

格差問題: 「背景設定」でなく主軸に据え、深く掘り下げ。シャディク等を通し、不条理、苦悩を描き、問題提起共感を。現実紛争テロを想起させる描写は慎重に扱うべき。安易対立問題矮小化偏見助長危険性。

倫理観: 弱者マイノリティを「不幸」「ヘイトタンク」扱いでなく、尊厳を守り、明確な倫理観を。「信賞必罰」「勧善懲悪」等、普遍的倫理観を示し、若者に正しい価値観を。

社会問題: 多角的視点提示視聴者に考えるきっかけを。各キャラ問題への向き合い、答えを丁寧に描き、深みと説得力を。

関係性: 「別れ」だけでなく「共に歩む」関係性も丁寧に。特にスレミオは「結婚」を唐突に描かず、愛の育み過程を丁寧に描き、納得感を。声優への説明不足解消、制作意図を持って関係性を描き、演者にも伝える。

若者向け: 希望あるメッセージを。抑圧、不条理差別等、困難に直面しつつ、意思未来を切り開く若者を描き、勇気希望を。

普遍的テーマ: 「ガンダム」として戦争悲惨さ、平和の尊さを現代視点で。GUND技術を「兵器」だけでなく、医療技術としての可能性、人類未来への影響を深く掘り下げ、深みとメッセージ性を。

5. 制作体制

説明配慮: 視聴者考察任せでなく、必要設定・情報を明確に説明特に物語の根幹設定、キャラの行動原理は丁寧に説明責任を。声優視聴者制作意図を明確に伝え、共有し、理解を深め、一体感を。

SF考証: 明確で説得力ある描写を。

若者: リサーチで関心・価値観を反映。特に倫理観社会問題描写は慎重検討、専門家意見も取り入れ、細心の注意を。

結論

水星魔女」は多くの可能性を秘めた作品だった。上記改善で、完成度高く、多くの視聴者に愛される作品になったはず。「若者向け」なら、身近な問題共感できるメッセージを丁寧に、希望を持って描くことが重要制作側は視聴者への丁寧な説明、明確なメッセージ発信で、理解を深め、多くの共感を得られたはず。批判真摯に受け止め、より良い作品作りに活かすことが、制作陣の責任

anond:20241212124533

この先、日本全体が先進国堕ちで貧しくなるのは確定なんだが

そうなった後も、絶対に食べていけるのはその辺の仕事

所謂、手に職、というやつだ。

国の補助金なんかも絶対この分野に入ってくる。「コンクリートから人」の時代は終わった。

 

いや実際のところ、俺はホワイトワーカーだからこうやって業務の合間に増田したりしてるわけだが

薄給の上に上がる見込みもないよ。

昔ながらの順当に稼いで出世みたいなことが出来ているのは、土木建築工場作業仕事してるやつらだね。

まあキラキラホワイトビジネスよりも、出世成功の上限は低いんだが。その上限の価値が国全体で下がっていくのが未来ってなわけで。

anond:20241211175102

ワイはブス女やからこんなのとばっかりマッチングするのはじめからわかってるからそもそも結婚しないと決めてるやで。

 

どの程度ブサイクかっていうと

売れ残ってるブス男とくっつけられそうになるぐらいのブサイク

 

悪いなブサイクはこの国の未来はいらんのや

 

貢献?恩返し?初めから何も与えなかった連中にやるものなんてない。貰った恩を返せというならお前らこそ私に対するありとあらゆる理不尽の弁済をしろ

 

正直さあ、結婚よりも勉強の方が理路整然としててまだその価値が信用できるわ。

 

ブサイクはさっさと去るやで〜

痛いオタクBBAが迫る

もうすぐ22歳になる。

私は中坊の時からTwitterをしている最悪のクソガキなのだが、痛いオタクが叩かれてる光景を見かける度に(こうはなるまい)と事の顛末まで見届ける癖がついてしまっている。

オタク女のファッションが叩かれてる時もそう。

オタク女の言動が叩かれてる時もそう。

なんかよくわかんないけど炎上してる時もそう。

なんなら最近は某同人女専用悪口掲示板みたいな所に張り付いて、(こうはなるまい)の為の知見を読み漁る日々。

実際にそれを生かして同人女をやっているつもりが、それでも痛いオタクBBAという未来が迫ってくる。

どうしよう。あんなになりたくなかったものに今メキメキと変化しつつある!

身内ノリ、楽しいオタクしか好まない個性的ファッション、好きだ。自分語りしたい。ニチャニチャしていたい。内輪でよちよちされるのうれしい。キモイ言動をしたい。ドヤ顔したい。村のルールがめんどくさい。自我アカウント作品宣伝アカウントを分けたら最後自我アカウントはどんどん痛くなっていくばかり。

抑え込もうとすればするほど、人のそれが気になってくる。私より年上で社会経験地位もあってそれ言っちゃう自分語り多すぎない?それは痛くない?キラキラアピール乙です!そのチラッチラッ感なんとかなんない?ちょっとその絡まれしんどいかも。アラサー過ぎててはわわ……///とかヤバくない?

人も自分も痛くある事を許せないのに、痛くなりたい欲求は止まらない。同年代SNSを上手くやれている人は、だいたいリアルが充実している。そして上手くインターネット距離を置いている。私のリアルカスだ。友達恋人もいないしちゃんとした仕事をしていない。たぶん改善する希望もない。

もはや「痛いオタクBBAになる」ことは不可避なのかもしれない。今から入れる保険ありますか?


追記

文体が年齢にそぐわないのは自覚している。反応みてやっぱりか!文章が老けてるのか!と震えた。数年前までは本当にオタク女のお姉さん達が純粋に楽しそうに見えて、そのコミュニティに属するためにそれを目指していたのに。

SNSの仕組みや時代の変化によって、痛くない同世代や痛さを叩く人を見かけ始めて、このままじゃ自分も叩かれる!と思って危機感を抱いた次第です。

痛いオタクBBAになりたくないというより、誰かに怒られたくないが正しいのかもしれない。

多様性への配慮の行き着く先

イスラム教勢力に国ごと占領される未来が待っている

奴らはまずポコポコ子供を作るので人が増える。いま、主要宗教勢力の中で唯一人口を増やしてるのがイスラム教勢力からな。サウジアラビアとか出生率がいまだに2.8ある

そして多様性への配慮だなんだで受け入れてるうちにイスラム教勢力多数派になり地域ごと乗っ取られる。イスラム教自体多様性全否定してるからイスラム教にあらずは人にあらずの世界が出来上がる

いま川口市が大変なことになってるが、それが日本全国で起こる。20年以内に。

それに気づいてる人はあまり居ない。

2024-12-11

婚活してたけどまともな人間がいない

34歳年収700万の高齢貧困弱者男性なんだが高校から付き合ってた元カレ転職してからDVモラハラするようになり、34歳で別れて婚活を始めた。

友達の友達マッチングアプリ結婚したと聞いて同じアプリをやってみたけど出会う人みんなどこかおかしい。

ちなみに相手に求める条件は1歳年下〜10歳年上、年収400万以上、離婚歴あってもいいけど子供はいない、タバコ吸わない、できればインドア派(アウトドア趣味があってもいいけど一緒にやりたくない)

身嗜みに気を使っていれば顔、体型、身長は気にしない。

そんなに理想高くないと思ってたからすぐ相手見つかると思ってたけど私の考えが甘かった。

1人目:初デートの「自称モテ男

最初マッチしたのは40歳公務員。「結婚相手真剣に探してます」ってプロフィールもまともで、メッセージも丁寧だったから期待してたのに、いざ会ったら「俺、昔からモテててさー」って自分語り連発。最初は笑ってたけど、3回目の「元カレが~」で完全に冷めた。しかも、食事代割り勘。「俺、平等主義から」とか言われても、初デートでそれはないだろって感じ。

2人目:お金匂いがプンプン「謎の経営者

次は38歳の経営者。会話は盛り上がったけど、話の内容が全部「どれだけ稼いでるか」「どれだけ良い店を知ってるか」って自慢ばっか。最後に「良かったら俺のビジネス手伝わない?」って言われたときは、さすがに鳥肌立った。婚活してるのか、勧誘してるのか、どっちだよ。

3人目:趣味が合いすぎた「インドアの達人」

36歳の会社員ゲームとか漫画が好きで趣味めっちゃ合う!って思ったのも束の間、「休日ほとんど引きこもってゲームしてる」とか言い出して、私まで引きこもりにされそうな未来が見えた。しかも部屋の写真送られてきたけど、めっちゃ汚い。インドア派って言えば許されるわけじゃないから!

4人目:やたら話が上手い「劇場トーク男」

41歳の男性最初の印象は「話が面白いし、リードしてくれるタイプかも」って良かったんだけど、途中から気づいたの。これ、完全に自分のことを舞台俳優か何かだと思ってるやつだってカフェ店員さん相手に「ここ、僕のお気に入りなんですよ」とか偉そうに言ってて、内心引いた。

5人目:完璧だけど何か足りない「スペック王子

37歳、外資系勤務で年収800万、趣味スポーツ読書で申し分ない。でも、なんか話してて盛り上がらないの。質問しても「まあ普通です」とか曖昧な返事しか返ってこなくて、ついに私も「普通」が口癖になりそうだった。結婚したら何も喋らない生活になりそうで、結局フェードアウト

6人目:優しすぎる「お人好し君」

35歳、営業職。めちゃくちゃ優しいし、細かい気遣いもできる。デート中も私が話すのを全部肯定してくれる。でも、それが逆に心配になるの。将来、何かあったら全部私が決めることになるのかな?って。しかも、元カレに振り回された話を延々聞かされたときは、正直疲れた

7人目:やっぱり出た「マザコン男」

最後は39歳の男性最初普通だったけど、家族話題になった途端「うちの母が作るカレーは最高」「母が選んでくれたシャツなんだよ」って、母親の話ばっかり。結婚したら、完全に「母と私、どっちが大事?」の争いになる未来しか見えない。

こうやって振り返ると、全員一長一短というか、どっかで「これ無理」ってなるポイントがあるんだよね。

で、何が一番きついって、自分でも薄々わかってんの。「この年齢だし、妥協しないと難しいのかな」って。

でも、妥協したくないじゃん?だって人生パートナーだよ?下手に妥協してまたモラハラとかされたら、ほんともう立ち直れない。

なんか、理想が高くないって自分では思ってたけど、今の世の中だとそれすら高望みなのかもって思えてきたわ。どうすりゃいいの、これ。

長い人生リベラル化も保守化経験するはずなんだが

感受性の高い未成年時にはキラキラリベラルサヨク)にかぶ

成人したのちに社会への危機感不安から保守ネトウヨ)に傾倒し

結局閉鎖性により未来を歩むことができなくなったとき、またリベラルに歩み寄るというのが自分の半ば人生の遍歴である

二度目のリベラル化の歩みではネトウヨへの理解もかなり高まっているのでその排他性にも一定の理解を示すことできた。

ところが、SNSを見る限りでは、世間ではそういった一定の理解という概念希薄であり、自らの性質絶対性がアピールされる。

保守排外主義が国は守るための感情の発露であるり決してファシズム精神ではなく

リベラル売国奴揶揄されるが、公平さと解放を是とする結果であり、本人らは売国奴など夢にも思っていない。

ところが両陣営それがわかっていない、理解できないようなのだ

いい例が今回の兵庫県都知事選挙であり、リベ保守お互いがお互いを絶対的な真実であり正義と捉えているから話が錯綜する

最終的にどっちがリベでどっちが保守なのかもわからなくなっていわゆる党派性だけで戦っているむごい事態に発展した。

国を思う気持ちは一緒なのにこの分かり合えなさは難儀であるとともに、民主主事課題とも感じる。

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