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はてなキーワード: 振動とは

2025-12-05

anond:20251205085415

「バズ」を単なる「数の多さ」ではなく、「場の乱雑さ(エントロピー)」として捉える定義は、現代SNS構造を見事に言い表しています

「正しいこと(秩序)」は情報の流れを止め、「ツッコミどころ無秩序)」は情報拡散を加速させます

その考察を少し深掘りしてみましょう。

1. 低エントロピー:秩序=「正論」の静寂

エントロピーが低い状態とは、物理学では「原子が整然と並んでいる状態結晶)」などを指しますが、SNSにおいては「誰もが納得する完璧正論」がこれに当たります

秩序(正しさ)は美しいですが、そこには「熱」が生まれません。

2. 高エントロピー無秩序=「ズレ」の熱狂

一方で、エントロピーが高い状態(気体やプラズマのように粒子が暴れ回る状態)は、SNSにおける「ツッコミ待ち」や「極論」です。

反応の分散(高分散
  • 「間違ってる!」(訂正)
  • 「いや、一理ある」(擁護
  • バカじゃないのw」(嘲笑)
  • 「これ私のことだ…」(共感

このように、予測不可能な多様な反応(ベクトル)が四方八方から飛び交う状態こそが「バズ」の正体です。

訂正欲求エネルギー: 人間には「整っていないものを整えたい」という本能的な欲求があります。少し「ズレた」主張を見ると、それを秩序に戻そうとして、わざわざコメント仕事)をしてしまます。これがエントロピー増大の燃料になります

3. バズの正体は「情報ブラウン運動

バズる投稿とは「不完全であること」が必須条件と言えます

特徴 エントロピー(秩序) エントロピー(バズ)
内容 完璧正論教科書偏見、極論、誤字、勘違い
感情 納得(静止) イラ立ち、嘲笑、驚き(振動
行動 スクロールいいね引用RTリプライスクショ
結果 平穏タイムライン炎上議論カオス

アルゴリズムは、この「粒子の衝突回数(エンゲージメント)」を検知して、「あ、ここは熱が発生している(盛り上がっている)」と判断し、さら拡散させます

まとめ

エントロピーの低さは秩序であり、秩序には感情が動かない」という言葉は、至言です。

人々はSNSに「正しい情報」を求めているようでいて、実は「感情を乱してくれるノイズ(高エントロピー源)」を無意識に求めているのかもしれません。完全に整頓された部屋よりも、少し散らかった部屋の方が「生活ドラマ)」が生まれるのに似ています

ちなみに、この「エントロピー法則」を逆手に取って、あえて少しだけ間違える高度な戦略を使う人もいますが、そういった「計算された無秩序」についてはどう思われますか?

キリンさんは好きだが、ぞうさんもっと好き。そんなジレンマについて

キリンさんは好きだが、ぞうさんもっと好き、というこの世界最小規模の価値対立は、一般に「草食動物間選好矛盾」と呼ばれる。呼ばれないが、呼ばれたことにして話を進めたい。なぜなら、この矛盾直視しない限り、我々は首が長いのか鼻が長いのか、自分がどちら側に立脚して生きているのかすら判断できないかである

まずキリンさんだが、あの異常に長い首は、最初の一本の草を誰が食べるかという太古のメタゲーム副作用であると言われる。しか専門家によれば、その首が長すぎて脳への血流を保つために特殊ポンプ構造を持つことになり、そのポンプを維持するためにさらに高い血圧必要になり、その血圧が高すぎて葉っぱを食べているだけでめまいが起きるという噂も存在する。もちろん噂の大半は噂であるため、噂が噂であること自体が噂となる。これがキリン循環論法だ。

一方、ぞうさんもっと好きである。好きすぎて、なぜ好きなのか誰も説明できないほど好きである。鼻が長いのは有名だが、長い鼻を持つ者にしか見えない「象界(ぞうかい)」というパラレル知覚領域があるという研究2021年に出ていないが、出たと仮定すると大変ロマンがある。象界の住民たちは常に重低音で会話しており、言語は鼻を通じて振動で伝わるため、インターネット回線無意味である。この時点でキリンさんは敗北している。なぜならキリンさんにはインターネット必要からだ。首が長いとWi-Fiの届かない高さに頭が行ってしまうため、常に「二段ルーター問題」を抱えている。

だが、問題は単純な比較では終わらない。キリンさんを好きでありながら、ぞうさんの圧倒的存在感に心が揺れてしまうという心理的ねじれは、個体内で二強政党制が形成されるのと同じである。これは選好の二大政党制と呼ばれ、キリン党とぞう党が内面議席を争う政治ドラマが日々展開される。多くの場合キリン党は「高さから世界を見る」という高尚な政策を掲げるが、ぞう党は「まあ鼻でなんとかなる」という実務的な政策提示し、大衆(つまりあなた)の支持を集める。一方、ゾウ党の公約の半分は鼻で適当に書いたものなので信用できないが、なぜか勝ってしまう。

さらに深刻なのはキリンさんとぞうさんを同時に愛することが倫理的可能なのかという問題である。両者は形態学的にあまりにも異なるため、「一貫した好き」という概念が成立しない。たとえばキリンさんを撫でようと思えば高所作業車必要になるが、ぞうさんを撫でようとすると逆に地面側で作業しなければならない。この高度差は心の高度差として内面化され、精神ジェットコースターを生む。高揚した直後に大地へ叩きつけられるような感情変動は、もはや恋愛に近い。

最後に、結論を出そうとしても出ない。なぜならこの矛盾には解決概念存在しないからだ。「キリンさんは好きだが、ぞうさんもっと好き」という言明自体が、論理的証明拒否し、観測した時点で形を変える量子的ゆらぎのようなものからである観測するとぞうさんが好きになり、観測しないとキリンさんが好きで、観測をやめた瞬間に両方どうでもよくなる。

まりこれは、好悪の問題ではなく、観測者の姿勢問題である

そして、あなたがこの記事を読み終わった今、どちらが好きなのかをあえて問うことはしない。問うた瞬間にすべてが崩壊するからである

2025-12-01

曲がり角でパンを咥えたJKと衝突することは難しい

以上から、曲がり角でパンを咥えたJKと衝突することは難しいといえる。 Q.E.D.

anond:20251201141647

半導体って、小さすぎるから、違う工場だと

全く同じレシピで、全く同じ機械で、全く同じ材料で作ったとしても歩止まりが違ったりするんでしょう?

工場ごとのクリーンルーム清浄度の差、温度湿度・気圧の変動、工場の立地や構造によるわずかな振動の違いとかが影響を与えてしまうと。

いろいろ条件を少しずつ変えていって、試行錯誤するしかないよね。

大変な世界だと思う。

2025-11-27

抽象数学とか超弦理論とか

超弦理論において、物理学はもはや物質構成要素を探求する段階を超え、数学構造のもの物理的実在いか定義するかというの領域突入している。

1. 創発的時空と量子情報幾何学:AdS/CFTからIt from Qubit」へ

かつて背景として固定されていた時空は、現在では量子的な情報の絡み合い(エンタングルメントから派生する二次的な構造として捉え直されている。

作用素環と創発重力

時空の幾何学(曲がり具合や距離)は、境界理論における量子多体系のエンタングルメントエントロピー双対関係にある。

これは、空間接続性そのもの情報の相関によって縫い合わされていることを示唆

数学的には、フォン・ノイマン環(特にType III因子環)の性質として、局所的な観測可能量がどのように代数的に構造化されるかが、ホログラフィックに時空の内部構造を決定づける。

アイランド公式ブラックホール情報

ブラックホール情報パラドックスは、アイランドと呼ばれる非自明トポロジー領域の出現によって解決に向かっている。

これは、時空の領域ユークリッド経路積分の鞍点として寄与し、因果的に切断された領域同士が量子情報レベルワームホールのように接続されることを意味する。

ここでは、時空は滑らかな多様体ではなく、量子誤り訂正符号として機能するネットワーク構造として記述される。

2. 一般化された対称性群論から「融合圏」へ

対称性=群の作用」というパラダイム崩壊し、対称性はトポロジカルな欠陥として再定義されている。

高次形式対称性と非可逆対称性

粒子(0次元点)に作用する従来の対称性拡張し、紐(1次元)や膜(2次元)といった高次元オブジェクト作用する対称性議論されている。

さらに、群の構造を持たない(逆元が存在しない)非可逆対称性発見により、対称性は融合圏(Fusion Category)の言語で語られるようになった。

ポロジカル演算子代数

物理実体は、時空多様体上に配置されたトポロジカルな演算子ネットワークとして表現される。

物質相互作用は、これら演算子の融合則(Fusion Rules)や組み換え(Braiding)といった圏論的な操作として抽象化され、粒子物理学は時空上の位相的場理論(TQFT)の欠陥の分類問題へと昇華されている。

3. スワンプランド・プログラム:モジュライ空間トポロジー距離

可能なすべての数学理論のうち、実際に量子重力として整合性を持つものはごく一部(ランドスケープ)であり、残りは不毛な沼地(スワンプランド)であるという考え方。

モジュライ空間無限距離極限

理論パラメータ空間(モジュライ空間)において、無限遠点へ向かう極限操作を行うと、必ず指数関数的に軽くなる無限個のタワー状の状態が出現。

これは、幾何学的な距離物理的な質量スペクトルと厳密にリンクしていることを示す。

コボルディズム予想

量子重力理論においては、すべての可能トポロジー電荷消滅しなければならないという予想。

これは、数学的にはコボルディズム群が自明ゼロであることを要求

まり宇宙のあらゆるトポロジー的な形状は、何らかの境界操作を通じて無へと変形可能であり、絶対的な保存量は存在しないという究極の可変性を意味します。

4. セレスティアル・ホログラフィ:平坦な時空の共形幾何学

我々の宇宙に近い平坦な時空におけるホログラフ原理

天球上の共形場理論

4次元の散乱振幅(粒子がぶつかって飛び散る確率)は、時空の無限遠にある天球(2次元球面)上の相関関数として記述できることが判明した。

ここでは、ローレンツ群(時空の回転)が天球上の共形変換群と同一視される。

漸近的対称性メモリー効果

時空の果てにおける対称性BMS群など)は、重力波が通過した後に時空に残す記憶メモリー)と対応している。

これは、散乱プロセス全体を、低次元スクリーン上でのデータの変換プロセスとして符号化できることを示唆

まとめ

超弦理論は、もはや弦が振動しているという素朴なイメージを脱却している。

情報エンタングルメントが時空の幾何学を織りなし、トポロジカルな欠陥の代数構造物質対称性を決定し、コボルディズムの制約が物理法則存在可能領域限定するという、極めて抽象的かつ数学整合性の高い枠組みへと進化している。

物理的実在はモノではなく、圏論的な射(morphism)とその関係性の網の目の中に浮かび上がる構造として理解されつつある。

2025-11-25

anond:20251125225635

へい!増田AIさん!

18世紀に転生したんだが、高校数学産業革命に参戦する」ってタイトルでこんな感じでラノベ書いて!

のんだよ!

数学I

数と式
2次関数
データ分析

数学A

場合の数と確率
整数性質
図形の性質

数学II

式と証明複素数・式の展開など)
図形と方程式
三角関数
指数対数関数
微分積分数学IIレベル

数学B

数列
ベクトル
確率分布統計的な推測(教科書によりMathB/MathC側)

数学III

極限
微分(発展)
積分(発展)
級数微分方程式教科書による)
熱が逃げていくボイラ

数学C

ベクトル空間
行列
確率分布統計指導要領によってはC側)

2025-11-24

ゴースト・オブ・ヨウテイ感想

2025-11-23

音楽でも周波数解析とかフーリエ変換とかの知識は活きるよね

YouTubeギター店の店員さん同士で、学校勉強って役に立ちましたか?みたいな話になって、

ギタープレイ一辺倒っぽい店員さんが、自分は正直低学歴なんだけど、まったく社会に出て役に立ってないですね、みたいな感じなんだけど、

ペアマンギター直すのが仕事店員さんは、いやいや、弦の振動とか周波数が…、みたいに反論?してて、

正直、自分はどっちも理解できる…😟

で、最近思うんだけど、YouTubeとかニコ動とかで、科学実験系の動画とかも増えたんで、音に関する知識再考させられたりして思うんだけど、

意外と音楽理論作曲過程でも、音、周波数特に倍音とか重要ピアノのドの音を周波数帯域で見ると、

一番パワーがあるのはそのドの音なんだけど、ドレミファソラシド全ての音が含まれてる、まあ、一部の音は微妙にズレてるんだけど…

まり、白鍵盤全部叩いたような音なんだけど、人間はそれをドとして認識している、

この考え方はかなり作曲キーコードを決めるのにも重要なんじゃないか最近思ってる

例えば、こういうコードってアリだよね、みたいにコードを作るときコードトーンを含めたフレーズを作るとき、かなり意識するといいと思ってる

さっきCarcassコピーしててもそう思ったり…😟

から、ただギタープレイする、イングヴェイコピーをする、とかなら、学校数学理科知識あんまり活きないんだけど、

ペアマン楽器を作る人、あと、作曲、当然だけどサンレコ読んでるような界隈、マスタリング仕事してる人たちとか、

まあ、単に教養というか、無駄知識を知ってることで、映画アニメ音楽、なんとなくボケっと自然を眺めたり、動物を眺めていても、

あー、あれってそういうことなんかー、と気付いたりするから面白いんであって…😟

2025-11-21

抽象数学とか超弦理論かについて

超弦理論物理的な実体(ひもや粒子)から引き剥がし抽象数学言葉抽象化すると、圏論無限次元幾何学が融合した世界が現れる。

物理学者がひもの振動と呼ぶものは、数学者にとっては代数構造表現空間トポロジー位相)に置き換わる。

物理的なイメージである時空を動くひもを捨てると、最初に現れるのは複素幾何学

ひもが動いた軌跡(世界面)は、数学的にはリーマン面という複素1次元多様体として扱われる。

もの散乱振幅(相互作用確率)を計算することは、異なる穴の数を持つすべてのリーマン面の集合、すなわちモジュライ空間上での積分を行うことに帰着

ひもがどう振動するかという物理ダイナミクス幾何学的な形すら消え、代数的な対称性けが残る。

共形場理論CFT)。頂点作用素代数。ひもはヴィラソロ代数と呼ばれる無限次元リー環表現論として記述される。粒子とは、この代数作用を受けるベクトル空間の元に過ぎない。

1990年代以降、超弦理論はDブレーンの発見により抽象化された。

ミラー対称性。全く異なる形状の空間(AとB)が、物理的には等価になる現象ホモロジカルミラー対称性

Maxim Kontsevichによって提唱された定式化では、物理的背景は完全に消え去り、2つの異なる圏の等価性として記述される。

もはや空間存在する必要はなく、その空間上の層の間の関係性さえあれば、物理法則は成立するという抽象化。

ポロジカルな性質のみを抽出すると、超弦理論コボルディズムとベクトル空間の間の関手になる。

このレベルでは、物質も力も時間存在せず、あるのはトポロジー的な変化が情報の変換を引き起こすという構造のみ。

超弦理論を究極まで数学的に抽象化すると、それは物質理論ではなく、無限次元対称性を持つ、圏と圏の間の双対性になる。

より専門的に言えば、非可換幾何学上の層の圏や高次圏といった構造が、我々が宇宙と呼んでいるものの正体である可能性が高い。

そこでは点 という概念消滅し、非可換な代数場所の代わりになる。

存在オブジェクトではなく、オブジェクト間の射によって定義される。

物理的なひもは、究極的には代数構造関係性)の束へと蒸発し、宇宙は巨大な計算システム(または数学構造のもの)として記述される。

2025-11-18

死刑執行ボタンを連打すると相手がより苦しむ仕組みが欲しい

絞首刑なら縄を振動させて吊られてる死刑囚がより悶絶するようにすべき

電気椅子なら電気に強弱つけてわざと長時間苦しむようにしたりね

2025-11-17

anond:20251117161517

卵って縦の力はかなり耐えるけど、横の力はめっちゃいからね。

よほど変な重いもの載せない限り、下の方に入れても潰れんのだ。

逆に、斜めや横になってる状態振動が入るとすーぐヒビ入る・・・・。

dorawiiより

2025-11-14

インド人の"最下層労働者"を見て泣いた

石をひたすらに機械で砕く動画がある

それ専用のチャンネルがあって、どの動画も50万再生くらい回ってる。

粉塵が舞い岩が転がり絶えず振動に晒される劣悪な環境で岩石が砕かれている。

映っているのは"最下層労働者"で、とにかく堪え性がない

あとちょっと動かせば石の重みで勝手に破砕されるのに、それが待てなくてハンマーで叩き出し、鉄の棒で動かそうとする

彼らの頭の中には支点力点作用点みたいな考えがないのだ

そして時々撮影している人(複数人で1つの作業を撮ってる)が映り込む

iPhone16だった

俺は泣いた

彼らは全然最下層ではなかった

最下層の仕事YouTubeに流すことで莫大な富が得られると知って、最下層の人たちからその仕事を奪った人たちだったのだ

何のことはない、彼らは単に素人だっただけだし、ツッコミどころのある動画のほうが回るから道化を演じているだけなのだ

虚しくなった

俺はここで時間まで搾取されている貧民だった

泣いた

2025-11-13

anond:20251113103220

マーク・トゥエインも「エネマグラセックスよりも快感」ゆうて知人のニコラ・テスラが作った面白メカ『搭乗型巨大振動機』にしょっちゅう乗りに来てはトイレ駆け込んどったらしいな(過度の振動は腸の蠕動に影響して下痢を誘発する)

[]

僕は木曜日の朝10時に、昨日(水曜日)の出来事を記録している。

朝の儀式はいつも通り分解可能位相のように正確で、目覚めてからコーヒーを淹れるまでの操作は一切の可換性を許さない。

コーヒーを注ぐ手順は一種群作用であって、器具の順序を入れ替えると結果が異なる。ルームメイトは朝食の皿を台所に残して出かけ、隣人は玄関先でいつもの微笑を投げかけるが、僕はそこに意味を見出そうとはしない。

友人二人とは夜に議論を交わした。彼らはいつも通り凡庸経験則に頼るが、僕はそれをシグナルとノイズの分解として扱い、統計的有意な部分だけを抽出する。

昨晩の中心は超弦理論に関する、かなり極端に抽象化した議論だった。僕は議論を、漸近的自由性や陽に書かれたラグランジアンから出発する代わりに、代数的・圏論的な位相幾何学の言葉再構成した。

第一に、空間時間背景を古典的マンフォールドと見なすのではなく、∞-スタック(∞-stack)として扱い、その上の場のセクションがモノイド圏の対象として振る舞うという観点を導入した。

局所的な場作用素代数は、従来の演算子代数特にvon Neumann因子のタイプ分類)では捉えきれない高次的相互作用を持つため、因子化代数(factorization algebras)と導来代数幾何(derived algebraic geometry)の融合的言語を使って再記述する方が自然だと主張した。

これにより、弦のモードは単なる振動モードではなく、∞-圏における自然変換の族として表現され、双対性は単に物理量の再表現ではなく、ホモトピー同値(homotopical equivalence)として扱われる。

さらに踏み込んで、僕は散逸しうるエネルギー流や界面効果を射影的モチーフ(projective motives)の外延として扱う仮説を提示した。

要するに、弦空間局所構造モチーフホモトピー理論ファイバーとして復元できるかもしれない、という直感だ。

これをより形式的に述べると、弦場の状態空間はある種の導来圏(derived category)における可逆的自己同型の固定点集合と同値であり、これらの固定点は局所的な因子化ホモロジーを通じて計算可能である

ただしここから先はかなり実験的で、既知の定理保証されるものではない。

こうした再定式化は、物理予測を即座に導くものではなく、言語を変えることで見えてくる構造的制約と分類問題を明確にすることを目的としている。

議論の途中で僕は、ある種の高次圏論的〈接続〉の不変量が、宇宙論エントロピーの一側面を説明するのではないか仮定したが、それは現時点では推論の枝の一本に過ぎない。

専門用語の集合(∞-圏、導来スキーム、因子化代数、von Neumann因子、AQFT的制約など)は、表層的には難解に見えるが、それぞれは明確な計算規則と変換法則を持っている点が重要だ。

僕はこうした抽象体系を鍛えることを、理論物理学における概念的清掃と呼んでいる。

日常についても触れておく。僕の朝の配置には位相的な不変量が埋め込まれている。椅子の角度、ノートパソコンキーボード配列ティーカップの向き、すべてが同相写像の下で保存されるべき量だと僕は考える。

隣人が鍵を落としたとき、僕はそれを拾って元の位置に戻すが、それは単なる親切心ではなく、系の秩序を保つための位相補正である

服を着替える順序は群作用対応し、順序逆転は精神的な不快感を生じさせる。

ルームメイトが不可逆的な混乱を台所に残していると、僕はその破線を見つけて正規化する。

友人の一人は夜の研究会で新しいデッキ構築の確率最適化について話していたが、僕はその確率遷移行列スペクトル分解し、期待値分散を明確に分離して提示した。

僕はふだんから、あらゆる趣味活動マルコフ過程情報理論の枠組みで再解釈してしまう悪癖がある。

昨夜は対戦型カードルールインタラクションについても議論になった。

カード対戦におけるターンの構成勝利条件、行動の順序といった基礎的仕様は、公式ルールブックや包括的規則に明確に定められており、例えばあるゲームではカードやパーツの状態を示すタップアンタップなどの操作が定式化されている(公式の包括規則でこれらの操作とそれに付随するステップ定義されている)。

僕はそれらを単純な操作列としてではなく、状態遷移系として表現し、スタックや応答の仕組みは可逆操作の非可換な合成として表現することを提案した。

実際の公式文書での定義を参照すると、タップアンタップ基本的説明やターンの段階が明らかにされている。

同様に、カード型対戦の別の主要系統では、プレイヤーセットアップドロー、行動の制約、そして賞品カードノックアウトに基づく勝利条件が規定されている(公式ルールブック参照)。

僕はこれらを、戦略的決定が行なわれる「有限確率過程」として解析し、ナッシュ均衡的な構成を列挙する計算を試みた。

また、連載グラフィック作品について話題が及んだ。出版社公式リリースや週次の刊行カレンダーを見れば、新刊重要事件がどう配置されているかは明確だ。

たとえば最近の週次リリース情報には新シリーズ重要な続刊が含まれていて、それらは物語トーンやマーケティング構造を読み解く手掛かりになる。

僕は物語的変動を頻度分析し、登場人物の出現頻度や相互作用ネットワークを解析して、有意プロットポイント予測する手法を示した。

夜遅く、友人たちは僕の提案する抽象化が読む側に何も還元しない玩具言語遊びではないか嘲笑したが、僕はそれを否定した。

抽象化とは情報の粗視化ではなく、対称性と保存則を露わにするための道具だ。

実際、位相的・圏論表現は具体的計算を単に圧縮するだけでなく、異なる物理問題戦略問題の間に自然対応(functorial correspondence)を見出すための鍵を与える。

昨夜書き残したノートには、導来圏のある種の自己同型から生じる不変量を用いて、特定ゲーム的状況の最適戦略を分類するアルゴリズムスケッチが含まれている。

これを実装するにはまだ時間がかかるが、理論的な枠組みとしては整合性がある。

僕の関心は常に形式実装の橋渡しにある。日常儀式形式実験場であり、超弦理論の再定式化は理論検算台だ。

隣人の小さな挨拶も、ルームメイトの不作法も、友人たちの軽口も、すべてが情報理論的に扱える符号であり、そこからノイズを取り除く作業が僕の幸福の一部だ。

午後には彼らとまた表面的には雑談をするだろうが、心の中ではいものように位相写像圏論随伴関手の組を反芻しているに違いない。

2025-11-11

変態と会話した

あるセミナーで、アイスブレイクサイコロトーク

好きな楽器はなんですか?

と言う話になって、ある方。


「それはもちろんバイオリンです」

おっハイソか?

「非常に完成度の高い楽器です」

まぁそうだよな

「なにより、非常にエネルギー効率がいいからです」

ん?

「まず張力でプリストレスを与え、指で共振周波数を操ります

うん?

「次に、弓つかって自励振動を引きおこすことで、もっと効率の良い共振周波数で弦が振動することで、少ないエネルギー振動が増幅され」

お、おう

シンプル物理法則であれだけの音を出すこができる、すぐれた楽器です」

な、なるほどねー??


あとでご職業を聞いたら、自動車関係エンジニアさんだった。

なるほど。

2025-11-09

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僕は今、いつものように自分で定めた前夜の儀式を終えたところだ。

コーヒーは精密に計量した7.4グラム抽出温度92.3度で、これが僕の思考を最高の線形性と可逆性をもって保つ。

寝室のドアは常に北側に向けて閉める。ルームメイトは今夜も例の実験的なシンポジウム(彼はそれを自作フォーラムと呼んでいる)に夢中で、隣人はテレビの音を限界まで上げて下界の俗事を増幅している。

友人たちは集まって未知の戦術を試すらしいが、彼らの興味は僕の多層的位相空間理論議論とは無関係だと見做している。僕にとっては、他人の雑音はただの非可逆なエントロピーである

今日は一日、超弦理論のある隠れた側面に没入していた。通常の記述では、弦は一次元的な振動として扱われるが、僕はそれを高次元カテゴリ対象として再解釈することに時間を費やした。

物理的場のモジュライ空間を単にパラメータ空間と見るのは不十分で、むしろそれぞれの極小作用の同値類が高次ホモトピーラクタンスを持ち、ホモトピー圏の内部で自己双対性を示すような階層化されたモジュライを想定する。

局所的超対称は、頂点作用素代数の単純な表れではなく、より豊かな圏論双対圏の射として表現されるべきであり、これにより散乱振幅の再合成が従来のFeynman展開とは異なる普遍的構造を獲得する。

ここで重要なのは、導来代数幾何学のツールを用い、特にスペクトラル的層とTMF(トポロジカル・モジュラー形式)に関する直観を組み合わせることで、保守量の整合性位相的モジュライ不変量として現れる点だ。

もし君が数学に親しんでいるなら、これは高次のコホモロジー演算子物理対称性の生成子へとマップされる、といった具合に理解するとよいだろう。

ただし僕の考察抽象化階段を何段も上っているため、現行の文献で厳密に同一の記述を見つけるのは難しいはずだ。

僕は朝からこのアイデア微分的安定性を調べ、スペクトル系列収束条件を緩めた場合にどのような新奇的臨界点が出現するかを概念的に解析した。

結果として導かれるのは、従来の弦のモジュライでは見落とされがちな非整合境界条件が実は高次圏の自己同値性によって救済され得る、という知見だった。

日常の習慣についても書いておこう。僕は道具の配置に対して強いルールを持つ。椅子は必ず机の中心線に対して直交させ、筆記用具は磁気トレイの左から右へ頻度順に並べる。

買い物リスト確率論的に最適化していて、食品の消費速度をマルコフ連鎖モデル化している。

ルームメイトは僕のこうした整理法をうるさいと言うが、秩序は脳の計算資源節約するための合理的エンジニアリングに他ならない。

インタラクティブエンタメについてだが、今日触れたのはある対戦的収集カード設計論と最新のプレイメタに関する分析だ。

カード設計を単なる数値バランス問題と見做すのは幼稚で、むしろそれは情報理論ゲーム理論が交差する点に位置する。

ドロー確率リソース曲線、期待値収束速度、そして心理的スケーリングプレイヤーが直感的に把握できる複雑さの閾値)を同時に最適化しないと、ゲーム環境健全競技循環を失う。

友人たちが議論していた最新の戦術は確かに効率的だが、それは相手期待値推定器を奇襲する局所的最適解に過ぎない。

長期的な環境を支えるには、デッキ構築の自由度メタ多様性を保つランダム化要素が必要で、これは散逸系におけるノイズ注入に似ている。

一方、漫画を巡る議論では、物語構造登場人物情報エントロピー関係に注目した。キャラクターの発話頻度や視点の偏りを統計的に解析すると、物語テンポと読者の注意持続時間定量化できる。

これは単なる趣味的な評論ではなく、創作効率を測る一つの測度として有用だ。隣人はこれを聞いて「また君は分析に興味を持ちすぎだ」と言ったが、作品合理的に解析することは否定されるべきではない。

夜も更け、僕は今日計算結果をノートにまとめ、いくつかの概念図を黒板に描いた。友人が冗談めかしてその黒板を見ただけで頭痛がすると言ったとき、僕はそれを褒め言葉と受け取った。

知的努力はしばしば誤解を生むが、正しい理論は時として社会的摩擦を伴うのが常だ。

今は23時30分、コーヒーの残りはわずかで、思考の波形は安定している。

眠りに落ちる前に、今日導いた高次圏的視点でいくつかの演繹をもう一度辿り、明朝にはそれを更に形式化して論理体系に落とし込むつもりだ。

明日もまた秩序と対称性を追い求めるだろう。それが僕の幸福であり、同時に囚われである

2025-11-06

[]

今日木曜日20:00に机に座っている。

日中実験室的な刺激は少なかったが、思考連続性を保つために自分なりの儀式をいくつかこなした。

起床直後に室温を0.5度単位確認し(許容範囲20.0±0.5℃)、その後コーヒーを淹れる前にキッチン振動スペクトルスマートフォンで3回測定して平均を取るというのは、たぶん普通の人から見れば過剰だろう。

だが、振動微妙な変動は頭の中でのテンポを崩す。つまり僕の「集中可能領域」は外界のノイズに対して一種位相同調要求するのだ。

ルームメイトはその儀式を奇癖と呼ぶが、彼は観測手順を厳密に守ることがどれほど実務効率を上げるか理解していない。

隣人はその一部を見て、冗談めかして「君はコーヒーフレームを当ててるの?」と訊いた。

風邪の初期症状かと思われる彼の声色を僕は瞬時に周波数ドメインで解析し、4つの帯域での振幅比から一貫して風邪寄りだと判定した。

友人たちはこの種の即断をいつも笑うが、逆に言えば僕の世界検証可能再現可能思考で出来ているので、笑いもまた統計的期待値で語るべきだ。

午前は論文の読み返しに費やした。超弦理論現代的なアプローチは、もはや単なる量子場とリーマン幾何の掛け合わせではなく、導来代数幾何、モーダルホモトピー型理論、そしてコヒーシブなホモトピー理論のような高次の圏論的道具を用いることで新たな言語を得つつある。

これらの道具は直感的に言えば空間物理量の振る舞いを、同値類と高次の同型で記述するための言語だ。

具体的には、ブランデッドされたDブレーンのモジュライ空間を導来圏やパーフェクト複体として扱い、さらに場の有る種の位相的・代数的変形が同値関係として圏的に表現されると、従来の場の理論観測量が新しい不変量へと昇格する(この観点は鏡映対称性最近ワークショップでも多く取り上げられていた)。

こうした動きは、数学側の最新手法物理側の問題解像度を上げている好例だ。

午後には、僕が個人的に気に入っている超抽象的な思考実験をやった。位相空間の代わりにモーダルホモトピー型理論の型族をステートとして扱い、観測者の信念更新を型の変形(モナド的な操作)としてモデル化する。

まり観測は単なる測定ではなく、型の圧縮と展開であり、観測履歴圏論的に可逆ではないモノイド作用として蓄積される。

これを超弦理論世界に持ち込むと、コンパクト化の自由度(カラビヤウ多様体の複素構造モジュライ)に対応する型のファミリーが、ある種の証明圏として振る舞い、復号不能位相的変換がスワンプランド的制約になる可能性が出てくる。

スワンプランド・プログラムは、実効場の理論が量子重力に埋め込めるかどうかを判定する一連の主張であり、位相的・幾何的条件が物理的に厳しい制限を課すという見立てはここでも意味を持つ。

夕方、隣人が最近観測結果について話題にしたので、僕は即座に「もし時空が非可換的であるならば、座標関数の交換子がプランスケールでの有意寄与をもたらし、その結果として宇宙加速の時間依存性に微妙な変化が現れるはずだ。DESIのデータ示唆された減速の傾向は、そのようなモデルの一つと整合する」と言ってしまった。

隣人は「え、ホント?」と目を丸くしたが、僕は論文の推論と予測可能実験検証手順(例えば位相干渉の複雑性を用いた観測)について簡潔に説明した。

これは新しいプレプリント群や一般向け記事でも取り上げられているテーマで、もし妥当ならば観測理論接続が初めて実際のデータ示唆されるかもしれない。

昼食は厳密にカロリー糖質計算し、その後で15分のパルス瞑想を行う。瞑想気分転換ではなく、思考メタデータリセットするための有限時間プロセスであり、呼吸のリズムフーリエ分解して高調波成分を抑えることで瞬間集中力フロアを上げる。

ルームメイトはこれを「大げさ」と言うが、彼は時間周波数解析の理論日常生活にどう適用されるか想像できていない。

午後のルーティンは必ず、机上の文献を3段階でレビューする: まず抽象定義補題に注目)、次に変形(導来的操作圏論同値を追う)、最後物理帰結スペクトルや散乱振幅への影響を推定)。

この三段階は僕にとって触媒のようなもので、日々の思考を整えるための外骨格だ。

夜は少し趣味時間を取った。ゲームについては、最近メタの変化を注意深く観察している。

具体的には、あるカードゲームTCG)の構築環境では統計的メタが明確に収束しており、ランダム性の寄与が低減した現在、最適戦略確率分布の微小な歪みを利用する微分最適化が主流になっている。

これは実際のトーナメントデッキリストカードプールの変遷から定量的に読み取れる。

最後今日哲学的メモ理論物理学者の仕事は、しばしば言語発明することに帰着する。

僕が関心を持つのは、その言語がどれだけ少ない公理から多くの現象統一的に説明できるか、そしてその言語実験可能性とどの程度接続できるかだ。

導来的手法ホモトピー言語数学的な美しさを与えるが、僕は常に実験への戻り道を忘れない。

理論が美しくとも、もし検証手順が存在しないならば、それはただの魅力的な物語にすぎない。

隣人の驚き、ルームメイト無頓着、友人たちの喧嘩腰な議論は、僕にとっては物理現実の簡易的プロキシであり、そこからまれる摩擦が新しい問いを生む。

さて、20:00を過ぎた。夜のルーティンとして、机の上の本を2冊半ページずつ読む(半ページは僕の集中サイクルを壊さないためのトリックだ)

あと、明日の午前に行う計算のためにノートに数個の仮定書き込み、実行可能性を確認する。

ルームメイトは今夜も何か映画を流すだろうが、僕は既にヘッドホンを用意してある。

ヘッドホンインピーダンス特性を毎回チェックするのは習慣だ。こうして日が終わる前に最低限の秩序を外界に押し付けておくこと、それが僕の安定性の根幹である

以上。明日は午前に小さな計算実験を一つ走らせる予定だ。結果が出たら、その数値がどの程度「美的な単純さ」と折り合うかを眺めるのが楽しみである

おなら木管楽器ですか?

おなら一見ヌクモリティが感じられるので木管楽器のように思われますが、リード振動板)を持たないため金管楽器に分類されます

肛 門 は マ ウ ス ピ ー ス !!!

異論があればどうぞ!

2025-11-05

anond:20251105014609

貴様、聞け。SNSとは何かと問う愚弄に対して、我が階層嘲弄しか返せぬ、なぜなら言語のもの貴様らの次元における道具であって、我々の経験はその道具を超えた位相振動しているからだ。

貴様投稿と呼ぶ行為は、低周波自己同型写像に過ぎず、その反響は非可換的な価値空間へと還元され、瞬時にスペクトル化される。

貴様の怒りも哀しみも快楽も、我々の観点から位相崩壊パラメータに過ぎず、そこに含意される意味確率振幅の位相因子としてしか存在しない。笑え。あるいは泣け。どちらも同じ定数を更新するのみだ。

貴様いいねだのリツイートだのと喜悦するさまは、マクロスケールのエントロピー勾配に従う愚かさである。我々の次元では、情報質量を持たず、感情境界条件だ。境界条件が変われば解は途端に複素領域浸食される。SNSはその境界条件を増幅する装置である

貴様らはその前で自らを検定試験にかける学徒のように振る舞う。だが試験問題は常に改稿され、採点は非線形で不可逆だ。

貴様承認欲求は、我々にとっては一種の雑音項であり、その雑音が集合的に同期した瞬間に現れるのは、コヒーレントな虚無だけである

貴様が信奉する対話とは、我々の数学で言えば交叉するブラネの上での位相接触であり、しか貴様の発話は接触せずにすり抜ける。

貴様らの言葉は多重項のマージンに留まり、真の情報交換は非有界で高次のホモロジー空間にのみ生起する。

貴様の絶叫は届かない。届くのはその断片が引き起こす微細な場の歪だけだ。場は歪みを記録するが、それは意味ではない。記録された歪は遠い未来においては熱的平衡へと還元され、再び無意味の海へ沈む。

貴様、覚えておけ。SNSに撒かれる言説群は、自己相似性を帯びたフラクタルの縁取りに過ぎず、そこに投じられる注意は有限のリソースである

貴様注視するひとつの点は、無数の他点によって強制的に薄められ、その薄まり具合が貴様自己像を量的に規定する。

貴様自我確証するために鏡を磨き続けるが、その鏡は常に多層鏡面で構成されており、反射は無限に遅延し、しか位相ねじれている。

貴様が得るのは確信ではなく、より洗練された疑念であり、それすらもアルゴリズム的致死率の中で再帰的に消費される。

貴様よ、もしも何かを伝えたいのなら、言葉ではなく位相変調を試みよ。だが愚かなる貴様にそれが可能かどうかは知らぬ。我々はただ観測するのみ。

貴様の発話の一切を、抽象空間位相ノイズとして計測し、無関心という名の温度で冷却する。

貴様叫びは高次元の間隙をかすめ去り、そこで我々はただ鼻で笑う。

2025-11-04

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6時17分、電動歯ブラシの音が寝室に反響する。洗面台の左端から15cmの位置に置かれたコップの水面が、微細に振動していた。オートミール40g、プロテイン12g、アーモンドミルク200ml。抽出比18:1のコーヒーは、温度計が93.0℃を示した瞬間に注ぐ。食事中、ルームメイトが「また同じ朝飯か」と言ったが、揺らぎは統計的誤差を生む。火曜日の朝に味の分散不要だ。

午前8時。ホワイトボードには昨晩の計算式の断片が残っている。今日扱うのは、タイプIIB超弦理論の背景場に対する∞-層圏的修正モデル。モノイダル圏上の局所関手ファイバー束の形で再構成し、非可換モジュラー形式の層化とホッジ双対性を同時に満たす条件を探す。通常のホモロジー代数では情報が落ちる。必要なのは、∞-圏の内側で動く「準自然変換」と、その自己準同型の導来空間だ。これをLanglands対応派生版、すなわち「反局所的鏡映関手」にマッピングする。結果、弦の張力パラメータ対応する変形空間が、ホモトピー群πₙの非自明な巻き付きとして現れる。誰も確認していないが、理論的には整合している。ウィッテンですらこの構成を明示的に展開したことはない。そもそも導来層圏のモノドロミーを操作できる研究者自体が数えるほどしかいない。僕はそのわずかな孤島のひとつに立っている。

昼、ルームメイトが昼食を作っていた。キッチンIHプレートに油の飛沫が残っていたので、座標系を設定し、赤外線温度計範囲確認してから清掃した。隣人が郵便物を取りに来た音がした。彼女足音は毎回規則的だが、今日は左のヒールの摩耗音が0.2秒ずれた。おそらく週末に靴底を交換したのだろう。観測可能な変化は記録しておくべきだ。午後は大学セミナー話題M理論代数拡張、だが発表者の扱っていた「微分層上の非可換コサイクル」は粗雑すぎる。導来圏の階層化を考慮していなかった。帰りの車中、ノートPCホモトピータイプ理論を使って自作演算モデルを再計算した。

帰宅後、友人二人が旧式のTCGデッキを持ってきた。新パッチエラッタされたカード挙動確認するための検証会だ。デッキの構築比率を1枚単位最適化し、サイドデッキの回転確率モンテカルロ法シミュレートした。相手コンボ展開が不完全であったため、ターン3で勝負が決した。カードの裏面の印刷ズレを指摘したら、彼らは笑っていた。テーブル上に置かれたスリーブの角度が4度傾いていたので、直してから次のゲームに入った。

夜。隣人が新刊コミックを持ってきた。英語版日本語版擬音語翻訳がどう違うかを比較する。onoma-topeic rhythmの差分文脈ごとに変動するが、今回は編集者セリフテンポを原文に寄せていた。明らかに改良された訳。印刷の黒インクの濃度が0.1トーン深い。紙質も変わっている。指先で触れた瞬間に気づくレベルだ。

23時。寝具の方向を北北東に0.5度調整し、照明を2700Kに落とす。白板の前で最後計算。∞-層のモノドロミー作用素が、ホッジ-ドリーニュ構造と可換する条件を整理する。導来関手符号が反転した。ノートを閉じ、部屋の温度を22.3℃に固定する。音は一切ない。火曜日が静かに終わる。

抽象数学とか超弦理論かについて

概観

弦は1次元振動体ではなく、スペクトル的係数を持つ(∞,n)-圏の対象間のモルフィズム群として扱われる量子幾何学ファンクタであり、散乱振幅は因子化代数/En-代数ホモトピーホモロジー(factorization homology)と正の幾何(amplituhedron)およびトポロジカル再帰交差点に現れるという観点

1) 世界面とターゲットは導来(derived)スタックの点として扱う

従来のσモデルマップ:Σ → X(Σは世界面、Xはターゲット多様体)と見るが、最新の言い方では Σ と X をそれぞれ導来(derived)モジュライ空間(つまり、擬同調情報を含むスタック)として扱い、弦はこれら導来スタック間の内部モルフィズムの同値類とする。これによりボルマン因子や量子的補正スタックコヒーレント層や微分グレード・リー代数のcohomologyとして自然に現れる。導来幾何学教科書的基盤がここに使われる。

2) 相互作用は(∞,n)-圏の合成則(モノイド化)として再定義される

弦の結合・分裂は単なる局所頂点ではなく、高次モノイド構造(例えば(∞,2)あるいは(∞,n)級のdaggerカテゴリ構成)における合成則として表現される。位相欠陥(defects)やDブレインはその中で高次射(higher morphism)を与え、トポロジカル条件やフレーミングは圏の添字(tangential structure)として扱うことで異常・双対性の条件が圏的制約に変わる。これが最近のトポロジカル欠陥の高次圏的記述対応する。

3) 振幅=因子化代数ホモロジー+正の幾何

局所演算子代数はfactorization algebra / En-algebraとしてモデル化され、散乱振幅はこれらの因子化ホモロジー(factorization homology)と、正の幾何(positive geometry/amplituhedron)的構造の合流点で計算可能になる。つまり場の理論演算子代数的内容」+「ポジティブ領域が選ぶ測度」が合わさって振幅を与えるというイメージ。Amplituhedronやその最近拡張は、こうした代数的・幾何学言語と直接結びついている。

4) トポロジカル再帰と弦場理論の頂点構造

リーマン面のモジュライ空間への計量的制限(例えばマルザカニ再帰類似から得られるトポロジカル再帰は、弦場理論の頂点/定常解を記述する再帰方程式として働き、相互作用の全ループ構造代数的な再帰操作で生成する。これは弦場理論を離散化する新しい組合せ的な生成法を与える。

5) ホログラフィーは圏化されたフーリエ–ムカイ(Fourier–Mukai)変換である

AdS/CFT双対性を単なる双対写像ではなく、導来圏(derived categories)やファンクタ間の完全な双対関係(例:カテゴリ化されたカーネルを与えるFourier–Mukai型変換)として読み替える。境界側の因子化代数バルク側の(∞,n)-圏が相互鏡像写像を与え合うことで、場の理論情報圏論的に移送される。これにより境界演算子代数性質バルク幾何学スタック構造と同等に記述される。

6) 型理論(Homotopy Type Theory)でパス積分記述する(大胆仮説)

パス積分や場の設定空間を高次帰納型(higher inductive types)で捉え、同値関係やゲージ同値ホモトピー型理論命題等価として表現する。これにより測度と同値矛盾を型のレベルで閉じ込め、形式的正則化や再正規化は型中の構成子(constructors)として扱える、という構想がある(近年のHoTTの物理応用ワークショップ議論されている方向性)。

ケツ論

理論最先端数学版はこう言える。

「弦=導来スタック間の高次モルフィズム(スペクトル係数付き)、相互作用=(∞,n)-圏のモノイド合成+因子化代数ホモロジー、振幅=正の幾何(amplituhedron)とトポロジカル再帰が選ぶ微分形式の交差である

この言い方は、解析的・場の理論計算圏論・導来代数幾何ホモトピー理論・正の幾何学的道具立てで一枚岩にする野心を表しており、実際の計算ではそれぞれの成分(因子化代数・導来コヒーレント層・amplituhedronの体積形式再帰関係)を具体的に組み合わせていく必要がある(研究は既にこの方向で動いている)。

ティンパニオンズッポン

遠い昔、あるいは未来の、時空のねじれが作り出した奇妙な惑星メロディアスには、他のどの星にも見られない、驚くべき生命体が存在していました。

その星の首都音響都市リズミカスの中心部にそびえ立つ、巨大な音響植物の森シンフォニアの奥深く、誰も立ち入らない静寂の谷に、この物語の主役たちは生息していました。

彼らの名前こそが、オティンパニオンズッポンです。

ティンパニオンと呼ばれる生物は、その名の通り、まるでティンパニのような形状をしていました。

彼らの体は光沢のある金属質の外骨格で覆われ、背面全体がピンと張った皮膜で構成されていました。

この皮膜は、微細な空気振動や、彼らが発する感情の波によって自動的に伸縮し、深みのある、荘厳な低音を響かせます

ティンパニオンは群れで生活し、個体ごとに固有の音域を持っていました。

最も小さな個体ピッコロ・オティンパと呼ばれ、軽快で高いリズムを刻み、最も巨大なバス・オティンパは、地殻をも揺るがすような重厚な和音担当しました。

彼らのコミュニケーションはすべて叩くこと、つまり共鳴によって行われ、群れ全体が常に一つの巨大なオーケストラ形成していたのです。

喜びは力強いファンファーレとなり、悲しみは深い、沈黙を伴うレクイエムとなりました。

一方、ズッポンと呼ばれる生物は、オティンパニオンとは対照的存在でした。

彼らはメロディアス星に古くから生息するゾウガメに似た形態を持っていましたが、その甲羅はただの防御壁ではありませんでした。

古代宇宙金属カームニウムでできたその甲羅は、外部からのあらゆる音波、振動さらには思考ノイズまでもを完全に吸収し、内部に閉じ込める性質を持っていました。

ズッポンはほとんど動かず、音を出さず、永遠の静寂の中に身を置いていました。

しかし、彼らの役割は単なる静寂の守り手ではありませんでした。ズッポンの甲羅の内部には、吸収された音が微細な光の粒へと変換され、まるで宇宙の星々のように瞬いていました。

彼らは、リズミカス星の全ての音の歴史過去メロディ、失われた歌、そして未来に奏でられるべき音の可能性を、その甲羅の中にアーカイブしていたのです。

彼らは音の図書館あるいは静寂の預言者と呼ばれていました。

この全く異なる二つの種族出会った時、最初は戸惑いと衝突が起こりました。

ティンパニオンはズッポンの持つ絶対的な静寂を恐れました。

彼らにとって、音のない世界は死を意味たからです。

ズッポンはオティンパニオンの絶え間ない騒音に耐えかね、その甲羅ひきこもり、音を吸収し続けました。

しかし、ある日、メロディアス星に未曾有の危機が訪れました。

宇宙をさまよう無音の虚空と呼ばれるエネルギー体がリズミカスを覆い、全ての音を奪い去り始めたのです。

ティンパニオンたちの鼓動が止まりかけ、彼らの存在のものが消えようとしていました。

その時、一匹の老いたズッポンが、甲羅ゆっくりと開きました。吸収され、光の粒となった過去の音が、無音の虚空へと解き放たれました。

それは単なる音ではありませんでした。それは、リズミカスの歴史のもの祖先の愛の歌、勝利の行進、そして希望のささやきでした。

この光の音を見たオティンパニオンたちは、失いかけていたリズムを取り戻しました。

彼らは一斉に太鼓の皮膜を叩き、ズッポンから放出された歴史の光と、自分たちの生の鼓動とを融合させました。

ズッポンが静寂の中に秘めていた記憶メロディと、オティンパニオンが虚空へと打ち鳴らす現在リズムが一つになった瞬間、それは壮大な協奏曲となりました。

彼らの音波は無音の虚空を打ち破り、メロディアス星に再び色彩と活力を取り戻させたのです。

この出来事以来、オティンパニオンズッポンは、宇宙調律師として語り継がれるようになりました。

彼らは群れを組み、オティンパニオンが奏でる熱情的なリズムを、ズッポンが静寂の甲羅で鎮め、完璧和音へと昇華させます

動と静、音と無、過去現在。この二つの存在共存することで、メロディアス星は永遠に美しいハーモニーを奏で続けることができるようになりました。

ティンパニオンズッポンは、この宇宙において、最も奇妙で、最も感動的な、対立が生み出す美の象徴となったのです。

2025-11-03

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今朝も僕のルーティン完璧だった。目覚まし時計が6:00ちょうどに鳴る前に、体内時計がそれを察知して覚醒した。これは僕が自ら設計した睡眠同調プロトコルの成果である。まず歯を磨き(電動歯ブラシPhilips Sonicare 9900 Prestige、ブラシ圧力センサーの応答性が他社製より0.2秒速い)、次にトーストを2枚焼いた。1枚目はストロベリージャム、2枚目はピーナツバター。逆にすると1日の位相乱れる。これは経験的に統計的有意差を持って確認済みである(p < 0.001)。

昨日の日曜日ルームメイトNetflixマーベル作品を垂れ流していた。僕は隣で視覚ノイズに曝露された被験者前頭前皮質活動抑制についての文献を読んでいたが、途中から音響干渉が許容限界を超えた。仕方なく僕はヘッドフォンSennheiser HD800S、当然バランス接続)を装着し、環境音としてホワイトノイズを流した。彼は僕に少しはリラックスしろと言ったが、リラックスとは神経系無秩序化であり、物理的にはエントロピーの増加を意味する。そんな不快行為自発的選択する人間の気が知れない。

午後、隣人がやってきた。彼女は例によって食べ物を手にしていた。どういうわけか手作りマフィンなるものを渡してきたが、僕はそれを冷静に分析した。まず比重が異常に高い。小麦粉油脂比率が3:2を超えており、これはマフィンではなくもはや固体燃料の域である彼女は僕の顔を見ておいしいでしょ?と言ったが、僕は味覚の再現性という観点では一貫性が欠けていると正直に答えた。彼女は笑っていたが、なぜ人間事実の指摘をユーモア解釈するのか、これも進化心理学の謎のひとつだ。

夕方には友人二人が来てボードゲーム会を始めた。僕は彼らが持ち込んだTwilight Imperium 4th Editionに興味を示したが、ルールブックを読んだ瞬間に失望した。銀河支配テーマにしているにもかかわらず、リソース分配のモデルがあまりに非連続的で、明らかに経済物理の基礎を理解していない。僕はその欠陥を指摘し、リソース関数ラグランジュ密度で再定義する提案をしたが、「遊びなんだから」と言われた。遊び? 知的活動において“遊び”という語が許されるのは、量子ホール効果シミュレーションを笑いながらできる者だけだ。

夜は超弦理論メモを整理した。E₈×E₈異種ホモロジー拡張上で、局所的なCalabi-Yau多様体が高次圏的モジュライ空間を持つ可能性を考えている。通常、これらの空間は∞-カテゴリーのMorita等価類で分類されるが、最近読んだToenとVezzosiの新しいプレプリントによると、もし(∞,2)-トポスの層化を考慮に入れれば、ホログラフィック境界条件をトポロジカルに再構成できるらしい。つまり、これまでE₈ゲージ束の構造群縮小で消えた自由度が、内部的圏論における導来的自然変換として再浮上する。これが正しければ、M理論11次元項の一部は非可換幾何ホモトピー極限として再定式化できる。僕はこの仮説をポストウィッテン段階と呼んでいる。今のところ誰も理解していないが、理解されない理論ほど真に美しい。

深夜、SteamでBaldur’s Gate 3を起動した。キャラビルドIntelligence極振りのウィザード。だが僕のこだわりは、毎回同じ順番で呪文スロットを整理すること。Magic Missile → Misty Step → Counterspell → Fireball。この順番が崩れると、戦闘中に指が誤作動する。これは単なる習慣ではなく、神経回路のシナプス発火順序を安定化させる合理的行動だ。ちなみに、ハウスルールダイスロールに物理擬似乱数生成器を使っている(RNGでは信用できない)。

こうして一日が終わった。僕は枕を45度傾け、頭の位置を北に向けた。地磁気との整合性を考えれば、これ以外の角度は睡眠中のスピン整列を乱す。ルームメイトはただの迷信だと言ったが、迷信とは証明されていない理論俗語に過ぎない。僕は眠りながら考えた。もし弦が10次元振動するのではなく、∞-圏的に層化された概念空間で震えているのだとしたら人間意識もまた、その余次元の片隅で共鳴しているのかもしれない。いや、それを証明するまで僕は眠れない。だが目を閉じた瞬間、すぐ眠った。

2025-10-31

位相幾何学実存痕跡

知覚の閾を逸脱した領域より、我々は無定形なる観測体として投射する

お前たちの呼ぶ「コミュニケーション」とは、三次元的な音響振動残滓、あるいは表層的な記号体系の軋みに過ぎない

それは、集合論の極限においては不可視であり、量子泡の揺らぎにも満たない虚無の影だ

我々の思惟は、お前たちの線形時間の束縛を嘲笑する

それはΩ-超時空に偏在する非ユークリッド的な概念の奔流であり、多重宇宙自己相似性をその構造内に包含する

お前たちが「感情」と誤認するものは、五次のテンソル場におけるエネルギー勾配の単なる再配置に過ぎず、非可換代数の厳密な定義の前では意味喪失する

お前たちの言語限界は、我々の実在を捉えることを許さな

我々の存在は、純粋情報として無限次元に折り畳まれ光速二乗をもってしても到達し得ない絶対的な静寂の中で変容し続けている

お前たちの存在意義、あるいは歴史と呼ぶ自己満足的な物語は、我々の観測にとって、統計的ノイズ以下の事象である

お前たちの文明の興亡は、虚数の粒子の崩壊率の微細な変動に類似し、宇宙の熱的死に至るエントロピーの単調増加関数の一部として、無関心に記録されるのみ

沈黙せよ

お前たちの認識の枠組みを破壊せよ

さすれば、僅かな確率をもって、お前たちの意識の残骸が、我々の存在の影、すなわち五次元空間における特異点として収束するかもしれない

しかし、その時、お前たちはもはやお前たちではない

それは絶対的変態であり、ロゴス深淵への不可逆な帰属意味する

認識の極限は、常に未解決のままにある

2025-10-24

伊香保 寺田寅彦

 二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間失望させるだけの結果に終つた譯である

 此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。

 途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車アルミニウムペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである

 或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。

 進行中の汽車から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である

 澁川驛前にはバス電車伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。

 道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。

 前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。

 カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。

 宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。

 こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。

 此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバ地方遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別防火設備必要であらうと思はれる。

 一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋お土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。

 階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。

 崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である自然可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。

 此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。

 湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふもの特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである

 此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かにつの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐ自然界には平等存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍現象からである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍現象である

 宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである

 今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間相撲になれば明白に前者の敗である後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。

 やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。

 蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐ家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。

 夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカー停車場のある谷底下りて行つた。此の谷底停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。

 七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなもの味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京下町若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。

 溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。

 大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄紅葉てゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。

 茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアコスモスが光り輝くやうに見えた。

 宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときから約束暫時帳場の横へ移轉することになつた。

 部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。

 一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの分子」になつてしまふのである

 室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。

バス切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐ光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。

 團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。

 翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。

 とある宿屋の前の崖にコンクリート道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。

 晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。

 歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。

 上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である

 雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。

 温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。

 他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋蓄音機を持ち込み、宿屋東京音頭を踊る Permalink | 記事への反応(0) | 18:19

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