はてなキーワード: 体験とは
というのは自分の意見だから「いる!!!!!!」っていうのはまぁそれぞれ。それに関してはどうでもいい。別に見たい人は見たらですわよね。
自分は見ないけど。
それもわかる。
その自衛がワードをミュートするとか、その配信者をブロックするとかそういうのだよね。
わかる。
某配信者が「創作体験の動画必要ですか?」みたいなアンケートをXで取ってて大半がYESと回答。
それを鬼の首を取ったかのように「大半が必要としている!批判するやつがおかしい!!!^^」といっている人がいた。
いやそれNO側がワードミュートもしくはブロックしてそのアンケート自体そもそも見えてねぇんじゃ・・・
まぁそんなのみんなわかってるよね。
何度も書くけど「見たい人が悪いわけでも嫌いなわけでもない」よ。
さらにこのゲー、超絶自由なカスタマイズシステム搭載。髪型から体型、スキルツリーの育て方まで、完全オーダーメイド可能。ただし初期キャラ生成時の遺伝子組み合わせは完全ランダムで、ある程度制約がかかってるのがミソ。その制約の中でどう自分をデザインするかが腕の見せ所。
隠しボスがやべえ。例えば「宇宙の真理」とか「死の意味」とかいう名称の最終兵器級の敵が出現する。倒すととんでもないアイテムが手に入るらしいが、そもそも遭遇条件が不明。ある日突然目の前に現れて哲学問答を迫ってくるパターンも。
超レアな隠しイベント「運命の出会い」が発生すると、ゲームの難易度がガラリと変わる。相性のいいプレイヤーとパーティを組むと、今まで苦戦してたエリアが嘘のように楽になったりする。逆に相性最悪のキャラと組むとデバフフルコースだが、それもまた経験値になる。
しかもこのゲーム、実はマルチエンディング仕様。あるプレイヤーは「平和な田舎で家族に囲まれて」エンドを迎え、別のプレイヤーは「未踏の星に人類の旗を立てて」エンドを迎える。ただし真エンドの存在は未確認。開発者(神?)の意図が完全に把握できてないから、みんな自分なりのエンドを目指してる。
驚異の物理演算エンジン「因果律」が全てのアクションに影響。プレイヤーの選択が数年後の地形やNPCの関係性まで変化させる。ちょっとした会話の選択肢が、知らぬ間に大きなシナリオ分岐を生んでることに後で気付いて背筋が凍る瞬間。
DLCが半端ない。突然「結婚」とか「起業」とか「海外移住」とかいう大型追加コンテンツが解禁される。有料アイテムは存在せず、課金要素ゼロなのにコンテンツの質が年々向上していく謎のビジネスモデル。
バグが多いと文句言う奴もいるが、実は仕様だったりする。例えば「理不尽な事故」イベントとか「不可解な病気」ステータス異常とか、一見バグに見える現象も、実は超高度な乱数生成システム「運命」によって意図的に組み込まれた要素。ただし開発陣が「これはバグです」と認めた事象も若干存在するらしい。
最大の特徴は「ゲーム内通貨の獲得方法」。単純労働でもOKだけど、クリエイティブなことや人を喜ばせることで爆発的に増える仕様。ただし所持金が多いほど管理が大変になる上、突然没収イベントが発生するリスクもある。通貨を他人に譲渡する「寄付」システムを使うと、謎の幸福度パラメータが上昇する。
隠しパラメータ「魂の成長度」が存在するらしく、苦難を乗り越えるたびに上昇するという噂。これが一定値を超えると、死後のニューゲーム+モードで前世のステータスを引き継げるとか。真偽は不明だが、修行僧レベルのプレイヤーたちが熱心に検証中。
とにかくこのゲーム、最初は「操作が複雑すぎる」「チュートリアルが不親切」と不評だったが、実は全ての操作体系が神経科学レベルで最適化されてることが判明。慣れると自分の思考が直接コントローラーになる感覚。没入感がヤバすぎて、つい没頭しすぎて睡眠不足になるプレイヤー続出。
公式攻略サイトは存在しないけど、歴代プレイヤーたちが残した哲学書や文学、アート作品がヒントになってる。ただし情報が多すぎるから、自分でフィルターかける必要あり。変な攻略法信じると悲惨な目に遭うので要注意。
究極の醍醐味は「自分だけの物語を紡げること」。同じクエストをクリアするにしても、100人いれば100通りの方法が存在する。他のプレイヤーの真似をする必要はなく、むしろ独自のプレイスタイルを確立した者が最高の報酬を得る仕組み。ただし完全な孤高プレイは難易度激上がりなので、適度に他人と協力するのが正解らしい。
開発陣からのメッセージがときどき届く。「自然の美しさ」とか「子どもの笑顔」とか「達成感」とかいう形で。これを受け取ると一時的に全てのステータスが倍増する。ただし感受性パラメータが低いと気付かないままスルーしちゃうからもったいない。
このゲームの真の敵は、実は「自分自身の諦め」だったりする。デバフ「絶望」がかかると全ての数値が低下するけど、逆にバフ「希望」をかけると限界突破する。面白いことに、他人にバフをかけると自分にも効果が波及する仕様。最強パーティは互いに希望を供給し合う仲間たちで構成される。
最終的には、このゲームを神ゲーたらしめてるのは「不完全さ」そのもの。時々起こるクラッシュ(挫折)やラグ(停滞期)、謎のバランス崩壊(不運)があるからこそ、それを乗り越えた時の達成感が桁外れなんだ。完全無欠のシステムより、むしろ欠落や矛盾がある方が深みが増すという逆説。
「不可逆だからこそ一瞬が輝く」
この矛盾を抱えながらも、それでも尚プレイを続けたくなる、中毒性の高い仕組みにある。
だから俺は言いたい。
「このゲームを糞ゲー扱いする前に、お前は本当に全DLCを体験したのか?」
「最高難易度で挑戦してみたのか?」
母親が作って出してきたグラタンから部活終わりの靴下みたいな異臭がする
チーズ嫌いの私の分はチーズ無しのグラタンで、異臭がしなかったので多分9割原因はチーズだと思うんだが
あまりにも臭いので「このチーズ大丈夫なやつ?」と聞いたら全然大丈夫なんだと
まじで日本女性にお願いなんやけど「男はプライドが高いからプライドを傷つけるようなことは控える」みたいな謎風習良い加減やめん?結果的に私らになんのメリットもない
プライド傷つかないと学習できひんやん人間って。プライドよしよしし続けた結果、アホみたいに自分のこと棚に上げて他人に傲慢な態度とってるやついっぱいおるやん。おかしいことしてたらおかしいって単刀直入に言わな伝わらんことは体験しまくってるやろ?こういうのほんまにお腹いっぱいなんよな。
まじで日本女性にお願いなんやけど「男はプライドが高いからプライドを傷つけるようなことは控える」みたいな謎風習良い加減やめん?結果的に私らになんのメリットもない
プライド傷つかないと学習できひんやん人間って。プライドよしよしし続けた結果、アホみたいに自分のこと棚に上げて他人に傲慢な態度とってるやついっぱいおるやん。おかしいことしてたらおかしいって単刀直入に言わな伝わらんことは体験しまくってるやろ?こういうのほんまにお腹いっぱいなんよな。
TENGA、気になってるけど使い捨てがネックでまだ試したことないんやね。確かに、使い捨てってちょっともったいない気がするし、環境への影響も気になるよね。
でも、ちょっと待って!TENGAには、使い捨てのイメージを覆す魅力がいっぱい詰まってるんよ。今回は、TENGAの新たな一面を知ってもらって、ぜひ試してみたくなるようなプレゼンをさせてほしい!
TENGAって、昔は「使い捨て」が主流やったけど、今は違うんよ。繰り返し使える充電式のTENGAとか、洗って繰り返し使えるTENGAもたくさん出てるんよ。
使い捨てに抵抗があるなら、これらの製品を試してみるのがおすすめやね。
旅行や出張にも持って行きやすいし、気分転換にもぴったりやね。
TENGAは、ただのセルフプレジャーアイテムじゃないんよ。TENGAには、男のセルフプレジャーを追求する熱い想いと、最先端テクノロジーが詰まってるんや。
TENGAの奥深い世界を知れば、きっとあなたもTENGAの虜になるはずやで。
4. まずは試してみよう!
百聞は一見に如かず。まずは、気になるTENGAを試してみるのがおすすめやね。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
全体として、今回の一週間のチャットは、日常の出来事から健康、テクノロジー、政治・社会問題、エンターテインメントまで、多岐にわたるテーマが盛りだくさんでした。
フルートの購入や大学での楽しい体験、盛岡や大阪・名古屋の地元グルメ(うどん、寿司、うな重など)、山登りやサウナの話題が出ました。さらに、古い携帯電話の懐古や喫煙の思い出も語られ、個々のライフスタイルや趣味が色濃く表現されていました。
確定申告の報告とともに、視野欠損や緑内障、眼科検査、花粉症やADHDの薬など、健康面に関する意見交換が行われ、自己管理の重要性が強調されました。
Bitcoinの価格変動、AI技術やOpenAIの発表、ノーコードプログラミングなど最新の技術動向が話題になり、また、旧型携帯電話へのノスタルジーや起業、セキュリティ、不正アクセスといった経済・ビジネス面での議論も見受けられました。
人権や派遣業の現状、オウム真理教にまつわるパフォーマンス、ディープステートやトランプのウクライナ会談、公共空間の変化、クレジットカードの手数料など、社会のさまざまな側面に対する批判や疑問が投げかけられました。また、情報商材や陰謀論に関する意見も飛び交い、現代社会の複雑さが浮き彫りにされました。
夢の中の哲学的な考察、映画や音楽ビデオ、SNSでのポケモン関連の懐かしさ、テレビ番組(「笑っていいとも」など)の話題など、娯楽や文化に関する軽妙な議論も豊富でした。
この一週間のチャットは、参加者がそれぞれの個人的な体験や関心、情報やニュースをシェアし合いながら、ユーモアを交えた多彩なテーマで活発なコミュニケーションを繰り広げた様子が伺えます。日常生活の些細な話題から、社会問題、最新技術、懐古的なエピソードまで、幅広い内容がバランスよく議論され、参加者同士の交流が非常に豊かであったと言えます。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
だよね……?
IGNの事前レビューで、あんまりモンハンやらない人集めてストーリー演出を褒めさせてたので不安には思っていたが、やはりモンハンワールドチームの悪い面が出てしまったか
正直モンハンにストーリー体験とか求められてなくて、クエストボードのキークエスト受注してるだけで戦えるモンスターが増えていくだけでいいんだよ
出産はしたくなくて産むつもりはないんだけど、私が辻ちゃんだったら産むなと思った
出産したくない理由はほぼ美男美女の遺伝子で解決できるからである
・障害がある子を育てる自信ない
→かわいい子なら施設とか街中でも愛されるし、発達障害は美男美女なら天才肌!個性的!みたいに周りが勝手に解釈してくれる
・先行き不安な時代、子どもにどんな教育や体験をさせればいいかわからない
→薬剤師や会計士がAIに取って代わろうと、ルッキズムはなくならない。美男美女なら芸能人は無理でも営業とかで無双できる
「賃金が上がれば少子化は解決する!!」みたいな論調だけどホントかな?世帯年収2000万ブサイク同士と世帯年収500万美男美女マイルドヤンキーなら後者のほうが子育て楽しそうじゃない?
オスカー作品であり、パルムドールも受賞した『ANORA』はR18作品である。
R18にもエログロとか色々あるけど、日本だとセックスで結合部が見えたらR18らしい。シェイプオブウォーターのときに1か所股間モザイクをかけて無理矢理レーティング下げてた公開して、ちょっと笑いが起きたのを思い出す。
アノーラの場合は、結合部は結果的に見えなかったように思うが、とにかくケツから始まり、おっぱいが出て、男の股の上で腰を回す、そういうお店の描写から始まるので「なるほどR18!誰がどう見ても成人指定!」という作品だ。
ただ近年の「文化的な映画」によくある生々しく痛々しい性描写じゃなく、基本痛みは伴わない双方合意の快楽的な性描写しかないし、女性向けAVくらいには綺麗に撮影されている。ポップ、キュート、セクシーって感じなので安心してほしいが、面は食らうかもしれない。
セックスワーカーがロシア陣の御曹司と「店」で出会い、そのまま結婚に向かう…というのが予告にもあらすじにも出ているストーリーだ。
ただロシア人大変だね〜すったもんだで結婚頑張るよ〜!みたいな話ではない。そんなもんでオスカーはとれない。
低予算で無名しか出ないが、脚本がよく、作品自体の印象が二転三転していく。
最初は酒!女!薬!ヒャッハー!なのが、画面が岩井俊二っぽくなったり、三谷幸喜のようなハートフルドタバタ劇になったり、ドライブマイカーレベルで文学的になったり…とりあえず見て、感想をほしい。基本的に序盤は薄着か裸だが、中盤からは全員厚着していることから言っても、映画内の温度差がすごい映画だ。
ちなみに町山さんがなんかXでアノーラに受賞にキレているが、アノーラであんなブチ切れてる人は町山さんくらいしか見たことがない。他賞の結果を見てもアノーラの受賞は妥当も妥当で大本命だった。どうしたんだろう。どうか主演の努力を認めてあげてほしい。それはアノーラを肯定することに直結する。
作品として一番見てほしい年代は高校卒業〜20代、30代の女性だろう。ディズニープリンセスを見てきた女性を、一気に現実に引き戻す。それでいて背中を押すような映画だ。18歳になったら見たらいいと思う。分類はエンタメ映画なので「よくわからんかった映画」にはなりにくいだろう。わからんかったなら、それも貴重な映画体験になるだろう。
『名もなき者』がティモシー・シャラメで、そこそこ入っていたので席がなくなるのは同日公開のアノーラだろうと思って自分は公開後、アノーラを即鑑賞した。
結果的に名もなき〜はオスカー無冠となったので席が消えそうである。アノーラは維持できるかもしれない。それはそうと今週末はウィキッドで、こちらも傑作らしいので、ま、できれば両方見よう。
メンギフとは、YouTubeの「メンバーシップギフト」の略で、配信者やメンバーが非メンバーに対して、そのチャンネルのメンバーシップの1ヶ月無料体験を贈ることができる機能のことです。メンギフを贈ることで、初見さんをはじめとした非メンバーのメンバーシップを宣伝することができます。
メンバーシップの内容は配信者によって異なりますが、配信内で他の視聴者より目立ったり、優先的に視聴者参加型の配信に参加できたりなど、さまざまな特典が利用できます。
立場というものがあるし、失うものがでかいとなれば自重するのが自然なこと。
それはそれで良いことなんだとは思う。
しかし。
メリハリに欠けていた。
ワクワクするようなことがない。
毎日、同じような業務をこなし、独身四十過ぎともなれば休日もルーティーン化してしまう。
刺激に飢えていたのかもしれない。
たいていのことは体験してきたつもりだった。
そのときふいに「あ、野ぐそしたことないな」と気がついたのだ。
ほんの冗談みたいな思い付きだったものの、翌日日曜にやることもなく、昼間から怠惰にビールを飲むよりは有意義なことなのではないか?と酔った頭でそう考えた。
何処でする?
不思議とそこでの迷いはなく、自分のイメージでは何故か野ぐそ=山と決まっていた。
ではどの山にするか?
スタイルはどうする?
ジーパンは駄目だ、脱ぎにくい等と熟考を重ね、翌日の昼過ぎには家を出た。
車で一時間ほどの距離にある登山用の山で、登山客も程々。無人の山では駄目だ。それでは野ぐそであって野ぐそでない。これは理屈でない。しかし重要な直感であった。
腹のコンディションは悪くない。事前に牛丼の大盛りを平らげ、昨日から排便はない。
幸い当日は小春日和のような陽気な暖かさのある春の日で、私は軽装で山を登り始めた。
じんわりと汗をかき、首にかけたタオルで顔と汗を拭いながら進み、登山客はたまにちらほらとすれ違う程度であった。
ちょうど30分ほど登ったところだろうか。
……きた!!
今度は運動による発汗とは別の汗がじんわりと全身から滲み、私は茂みを探すように付近へ目をやった。
道を逸れ、少し進めば適度な茂みは周りに溢れていた。近くに登山者が居ないことを確認すると私はそっと茂みに入り素早くしゃがみこんだ。
濃い草木のにおいに囲まれたまま和式便所方式に足を広げ、踏ん張った。
うん○はゆるゆると私の肛門から溢れ出る。驚くほどすんなりと排便を終えたものの、私は未だドキドキしていた。
私はそれ以来、すっかり野ぐそに嵌まってしまった。気づけば毎週末、野ぐそに出掛けるようになり、適度なスリルとそれに伴う快い解放感…!
実際、野ぐそほど犯罪ではないのにスリルを味わえる行為はないのではないか?と思っている。
私は今でも、週末が近くなると野ぐそのことばかりを考えている。
https://anond.hatelabo.jp/20250303114828
まともに生きてりゃモテるとまではいかなくても恋人の一人くらいできるだろ
仮に今まで恋人ができなかったのだとしたらそれは性格が悪いか運が悪いか容姿が悪いかのいずれか
言うまでもなくこれらの原因は自分にあるのだから責めるのなら女ではなく自分だろ
以前から腐るほど言われてきていることだけどそんなに恋人が欲しいのなら恋人を作る努力をしなよ
以前別の増田も言ってたよ
ただ恋人がいる男はもみあげ異様に伸ばした気色悪い髪型なんてしないし、絶妙に自分に似合わないメガネを付けたりしないし、服装もチー牛ファッションをしないってだけ
普通の人間は中高大の間に「他人からよく思われる姿とはどのようなものか」ってことをきちんと学ぶんだよ
時にはイタい格好して白い目を向けられたり異性に対して不躾なことを言って嫌われたり、そういうみじめな失敗体験をしながらきちんと社会的なコミュニケーションスキルをお勉強してきているの!まともな大人の男は!
してないよね?
わかるよ、だってその独りよがりな他責思考ってコミュ力のない人間に特有のものだもん
こういうこと言いたくないけどさぁ
自分の怠惰さを棚に上げて「女どもは非モテの苦しみがわからない!矮小化するな!」って本気で馬鹿なんじゃねーかと思うよ
いや非モテの苦しみを察しているからこそ、自分はそうならないようにきちんと周りの世界と積極的に付き合ってきてたんでしょーが
年相応の社会的な成長努力を自分から放棄しただけのくせによくもまぁ恥ずかしげもなく「女を憎んでやるううう!」とか言えるよね
自分で自分の言動を振り返ってみてみっともないなって思わないの?
だからみんなきちんとお勉強して受験して大学まで卒業して、場合によっては資格まで取ってきちんとした職場を探せるようにしてるんでしょ?
お前も社会的なコミュニケーション能力の面において若い頃からきちんと「お受験」しておけばよかったってだけの話
他人の顔色伺ってランクやったり、巻けてイライラして時間を溶かしていた日々。
モンハンを遊んでゲームってこんなに面白かったんだって気づかされた。
好きな武器を作って、好きなキャラデザして、好きな服装にして・・・・。
けど、同じ1時間遊ぶとしたら、モンハンの方が圧倒的に充実した楽しさなんだ。
ランクゲーって勝つか負けるかだから、ギャンブル依存症みたいな感覚になってしまっていた。
勝つと気持ちいいけど負けるとイライラする。ソロじゃ何一つ楽しくない。
相手が人間かCPUかでこんなにもゲーム体験ってかわるんだなぁ・・・・。
というわけでしばらくFPSはやらん!
英単語が残念だったからChatGPTにリライトしてもらったよ!
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アケメネス朝(Achaemenid Empire)は、紀元前550年頃に興ったペルシア帝国として広く知られている。しかし、それとは異なる「アケメンエス朝(Akaemenes Esthe)」という、歴史に埋もれたもう一つの帝国が存在していたことは、あまり知られていない。その歴史は、支配の力だけでなく、癒しと精神の充実を追求した独特の国家運営によって彩られていた。
アケメンエス朝は、紀元前6世紀頃に、ペルシア地方のある都市「パルマッサージュ(Palmassage)」を中心に勢力を広げた。その創始者である「キュロス・アールアーミ(Cyrus Arami)」は、ただの軍事的天才ではなく、心身の癒しを国民に与えた賢明な王であった。彼は戦争に疲弊した兵士や民衆に対し、独自の技術を用いた「ダスト・アラーム(Dast-e Aram, 静穏の手技)」を広め、国家全体を癒しの空間へと変えたのである。
この時代、各地には「アタル・ハーネ(Atar Khaneh, 香りの館)」と呼ばれる特別な施設が設置され、貴族から庶民に至るまで、心と身体を癒す場として機能していた。これは、後のメンエス文化の礎とも言えるもので、特に王族が愛した「アフシャーン・グルーシュ(Afshan Gulush, 蒸気の芳香)」は、王宮の内部に広がる香りとして歴史に名を残した。
キュロス・アールアーミの後を継いだのは、その手技に秀でた「ダリウシュ・ダストガル(Dariush Dastgar)」であった。彼は軍事的拡張を図ると同時に、国家のすべての施設に「ダスト・タラーヤン(Dast-e Talayan, 黄金の手)」と呼ばれる施術技術を導入した。この技術は、戦士たちの身体を戦いに適応させると同時に、戦の後の疲れを癒すために欠かせないものとなった。
また、ダリウシュは「サンゲ・ギルシャーン(Sang-e Gilshan, 温石の癒し)」を正式に国家の施術法として認め、戦士たちの回復を早めるための国家プロジェクトを展開した。彼の時代には、各都市ごとに専門の「マールカバーン(Malkaban, 施術官)」が任命され、国家全体のリラクゼーションを管理する仕組みが整えられた。
ダリウシュの後を継いだのは「クセルクセス・シャーミン(Xerxes Shamin)」である。彼の時代には、国家の癒しの文化がさらに発展し、「アラーム・ヌグシュ(Aram Nugush, 深き静穏)」と呼ばれる特別な宮廷療法が確立された。この治療法は、王族や貴族のみに許される秘術であり、施術の間は穏やかな音楽とともに、極上のオイルが全身を包み込むという贅沢なものだった。
クセルクセスはこれを外交にも利用し、敵国の王をもてなす際には、彼らを「ゴンバデ・エステ(Gombade Esthe, 癒しの館)」に招き入れ、極上の癒し体験を提供した。これにより、戦わずして多くの国を従属させるという「ナーマ・エ・アーロマ(Nama-e Aroma, 香りの書簡外交)」が完成したのである。
しかし、時代が進むにつれて、アケメンエス朝の癒しの文化は次第に衰退していった。特に紀元前4世紀、アレクサンダー大王の遠征によって、パルマッサージュは占領され、国家の施設はことごとく破壊された。アレクサンダー自身もその施術を体験し、一時はその虜となったものの、戦場での厳しさを優先し、最終的にはこの文化を廃れさせてしまった。
だが、アケメンエス朝が生み出した「アラーム・ファルハング(Aram Farhang, 施術文化)」は完全に消えることはなかった。その後の王朝や文化に影響を与え、ローマ帝国の浴場文化や、中世イスラム圏のハマム文化へと形を変えて受け継がれていった。そして現代においても、その精神は生き続け、「メンズエステ」という形で、疲れた現代人の心と身体を癒し続けているのである。
アケメンエス朝は、単なるペルシアの一王朝ではなく、「癒しと統治」を一体化させた類まれなる国家であった。その施術技術とリラクゼーションの概念は、戦乱の世の中で民衆に安らぎを与え、さらには外交手段としても機能した。現代の私たちが受ける施術のルーツが、この歴史の片隅に眠っていると考えると、ロマンを感じずにはいられない。
TypeScript ベースのフルスタックフレームワークが増えてきたね。
フロントエンドもバックエンドもTypeScript 実装できてとっても嬉しいね。
しかし、バックエンドとフロントエンドと密結合な事実はとても怖いんだ。
フロントエンドの成長速度はとても早い。
React がデファクトになりつつあるが、 React ベースのフレームワークは群雄割拠だ。
むしろ、 React を排する新しい技術も出てくるくらいの戦国時代なんだ。
フレームワークを選定時、各言語でも多くて3つ程度に絞られるのではないか。
成熟しつつあるバックエンドと成長中のフロントエンドを一緒のライブラリで運用すること。とても怖い。
特に TypeScript はフロントエンドを祖に持つので、フロントエンドの事情がフレームワークの開発ロードマップの意思決定に強い影響を与える。
フロントエンドに破壊的変更が加わった時、バックエンド側にも影響を与える。
他フレームワークにおけるフロントエンドの実装について、あの Ruby on Rails ですらバージョン上がるごとにフロントエンドに破壊的な変更が入る。
まぁ View の取り扱いの黒魔術は魔境だから極力触りたくないが、バックエンドの側面のみを切り出した API モードであれば爆速の開発体験とテスト機構により信頼性が高い。
それなら、フロントエンドとバックエンドを別々に管理にしたい。
いや俺は、TypeScript のアプリケーションが嫌いなのかもしれない。
フォルダ設計も、テスト機能の整備も、ORMの設定も、最初から設定する必要があるから。面倒なんだ。
どうせ TypeScript アプリケーションの設計は設計者の自己満足になる。
そして、設計者は運用の責任を全うせずいなくなる。ドキュメントすら残さない。
それなら、規約で縛るフレームワークの方が、後任がキャッチアップしやすい。
設計者が知識を普及もしくはドキュメントを整備して知識の移転に心を砕いてくれれば、設計方針を汲み取りやすいのだが、そうしてる設計者はいるのだろうか。
後任のために、せめてものドキュメンテーションを心がける。
夢の分析
「俺って割とずっと寝てるのに、他の連中ってずっとなんか食ってね?: この部分は、あなたが「寝る」という行為を至福の象徴として捉え、それに対して「他の連中」の「食う」行為を苦痛の象徴として対比していると解釈できます。「寝てる」は、現実からの逃避、至福の時、精神的な安定などを表し、「食ってる」は、現実での苦痛、満たされない欲求、終わりのない苦しみなどを表していると考えられます。
「俺が食い足りないのかな?と思い、友人に『それ食わして』という」: この行動は、あなたが周囲の人々の苦痛を一時的に体験しようとする、あるいは彼らの苦痛を理解しようとする試みと解釈できます。しかし、その試みは、あなたの至福を脅かすものではなく、あくまで一時的な好奇心や同情心からくるものと考えられます。
「寄生虫みたいなもんを大量に食わされた」: この部分は、周囲の人々の苦痛が、あなたの想像をはるかに超えるものであることを示唆しています。「寄生虫」は、彼らの苦痛が単なる肉体的なものだけでなく、精神的な侵食や依存を含んでいることを表していると考えられます。「大量に食わされた」という状況は、あなたが彼らの苦痛を完全に理解することは不可能であることを示唆しています。
この夢は、あなたが現実生活で、周囲の人々の苦労や苦痛に対して、ある種の優越感や無関心を抱いていることを示唆している可能性があります。あなたは、自分自身の至福な状態と、彼らの苦痛に満ちた状態を対比することで、自己満足を得ているのかもしれません。
しかし、夢はまた、あなたが彼らの苦痛を完全に理解しているわけではないことを警告しています。あなたが一時的に彼らの苦痛を体験したとしても、それはほんの一端に過ぎず、彼らの苦痛の深さを完全に理解することはできないでしょう。
この夢は、あなたが周囲の人々に対して、より共感的な態度を持つことの重要性を伝えています。彼らの苦痛を軽視したり、自分自身の至福を過剰に強調したりするのではなく、彼らの苦痛に寄り添い、理解しようと努めることが大切です。
また、あなた自身の至福が、周囲の人々の苦痛の上に成り立っている可能性も考慮する必要があります。あなたの至福が、彼らの苦痛を無視することによって得られているのであれば、それは真の至福とは言えないかもしれません。
2009年に最後の三助となったのは「橘秀雪」さんについての記事ですね。
日本の銭湯文化に深く根付いていた「三助」は、銭湯で客の体を洗ったりマッサージをする職業です。内風呂の普及とともに銭湯が減少し、三助の数も減りました。
橘秀雪さんは、東京都荒川区の銭湯で働く最後の三助と言われています。2009年の時点で、橘さんが最後の三助としてメディアで紹介されていました。
橘さんの仕事ぶりを記録したドキュメンタリー動画『三助~20万人の体を洗った男』が、男性向けブランド「AXE」のウェブサイトで公開されています。映像では、橘さんの技術や仕事に対する意識、思い出などが語られています。
最後の「三助さん」体験で歴史の生き証人風味を - BLUE ORANGE STADIUM: 2010年の記事で、橘秀雪さんが最後の三助であることに触れています。https://www.blueorange.co.jp/blog/archives/1349
最後の三助|TOKYO BATHING | 東京 銭湯 1 - PAPERSKY: 2010年の記事で、橘秀雪さんが最後の三助として紹介されています。https://papersky.jp/archive/the-last-sansuke/
“最後の三助”が語るインタビュー動画公開 - ORICON NEWS: 2023年の記事で、ドキュメンタリー動画が公開されたことを伝えています。https://www.oricon.co.jp/news/79265/full/
“最後の三助”が語るインタビュー動画公開 - ORICON NEWS: こちらも2023年のオリコンニュースの記事です。https://www.oricon.co.jp/news/79265/
三助 - Wikipedia: 三助についての一般的な情報が記載されています。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8A%A9
これらの記事から、橘秀雪さんが最後の三助として長年勤めてきたことがわかります。ドキュメンタリー動画も公開されているので、より深く知ることができるでしょう。
2009年に最後の三助となったのは「橘秀雪」さんについての記事ですね。
日本の銭湯文化に深く根付いていた「三助」は、銭湯で客の体を洗ったりマッサージをする職業です。内風呂の普及とともに銭湯が減少し、三助の数も減りました。
橘秀雪さんは、東京都荒川区の銭湯で働く最後の三助と言われています。2009年の時点で、橘さんが最後の三助としてメディアで紹介されていました。
橘さんの仕事ぶりを記録したドキュメンタリー動画『三助~20万人の体を洗った男』が、男性向けブランド「AXE」のウェブサイトで公開されています。映像では、橘さんの技術や仕事に対する意識、思い出などが語られています。
最後の「三助さん」体験で歴史の生き証人風味を - BLUE ORANGE STADIUM: 2010年の記事で、橘秀雪さんが最後の三助であることに触れています。https://www.blueorange.co.jp/blog/archives/1349
最後の三助|TOKYO BATHING | 東京 銭湯 1 - PAPERSKY: 2010年の記事で、橘秀雪さんが最後の三助として紹介されています。https://papersky.jp/archive/the-last-sansuke/
“最後の三助”が語るインタビュー動画公開 - ORICON NEWS: 2023年の記事で、ドキュメンタリー動画が公開されたことを伝えています。https://www.oricon.co.jp/news/79265/full/
“最後の三助”が語るインタビュー動画公開 - ORICON NEWS: こちらも2023年のオリコンニュースの記事です。https://www.oricon.co.jp/news/79265/
三助 - Wikipedia: 三助についての一般的な情報が記載されています。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8A%A9
これらの記事から、橘秀雪さんが最後の三助として長年勤めてきたことがわかります。ドキュメンタリー動画も公開されているので、より深く知ることができるでしょう。
2009年に最後の三助となったのは「橘秀雪」さんについての記事ですね。
日本の銭湯文化に深く根付いていた「三助」は、銭湯で客の体を洗ったりマッサージをする職業です。内風呂の普及とともに銭湯が減少し、三助の数も減りました。
橘秀雪さんは、東京都荒川区の銭湯で働く最後の三助と言われています。2009年の時点で、橘さんが最後の三助としてメディアで紹介されていました。
橘さんの仕事ぶりを記録したドキュメンタリー動画『三助~20万人の体を洗った男』が、男性向けブランド「AXE」のウェブサイトで公開されています。映像では、橘さんの技術や仕事に対する意識、思い出などが語られています。
最後の「三助さん」体験で歴史の生き証人風味を - BLUE ORANGE STADIUM: 2010年の記事で、橘秀雪さんが最後の三助であることに触れています。https://www.blueorange.co.jp/blog/archives/1349
最後の三助|TOKYO BATHING | 東京 銭湯 1 - PAPERSKY: 2010年の記事で、橘秀雪さんが最後の三助として紹介されています。https://papersky.jp/archive/the-last-sansuke/
“最後の三助”が語るインタビュー動画公開 - ORICON NEWS: 2023年の記事で、ドキュメンタリー動画が公開されたことを伝えています。https://www.oricon.co.jp/news/79265/full/
“最後の三助”が語るインタビュー動画公開 - ORICON NEWS: こちらも2023年のオリコンニュースの記事です。https://www.oricon.co.jp/news/79265/
三助 - Wikipedia: 三助についての一般的な情報が記載されています。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8A%A9
これらの記事から、橘秀雪さんが最後の三助として長年勤めてきたことがわかります。ドキュメンタリー動画も公開されているので、より深く知ることができるでしょう。
女性への好意(刺激)がそのまま車へ汎化して転移するという古典的条件付けが根拠かな。ドキドキした体験が車へと引き継がれる。今だと注意を引くという狙いもあるのかな。
# 映されたい欲望
夏の終わりの日曜日、健太は会社の資料に目を通しながら、窓から差し込む陽光に苛立ちを覚えていた。32歳、平凡な会社員。毎朝同じネクタイを締め、同じ満員電車に揺られ、同じオフィスの同じ席でExcelと向き合う。帰宅後は同じソファで同じビールを飲む。その単調なリズムの中で、彼は自分の中に潜む別の自分を、長い間無視し続けてきた。
「こんな生活、何か足りない」
そう思いながらも、具体的に何が欠けているのか言葉にできない歯痒さが健太を苦しめていた。
その夜、いつものようにノートパソコンの画面が彼の顔を青白く照らしていた。ポルノサイトのページを無目的にスクロールする指先に、わずかな躊躇いが宿る。「アマチュア」というカテゴリに目が留まった瞬間、胸の奥で何かが震えた。
素人が自らの姿を晒す動画。プロの演出ではない、生々しい欲望の形。コメント欄には賞賛と嘲笑が混在している。画面の向こう側の見知らぬ誰かに見られ、評価される。その構図に、健太の心臓が早鐘を打ち始めた。
「これだ」
長年抑え込んできた欲望が、その一言と共に解き放たれた。見られること、晒されること、羞恥と快楽が混ざり合うあの感覚——それを合法的に、誰にも迷惑をかけずに体験する方法が、今彼の目の前にあった。
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決意して立ち上がった健太の手は、わずかに震えていた。部屋の電気を消し、間接照明だけが柔らかな光を投げかける空間を作り出す。スマートフォンを三脚に固定し、何度も角度を調整する。顔は映さない、それだけは譲れなかった。しかし体は——体は見られたかった。
鏡の前に立ち、Tシャツの裾をつかむ。脱ぐという単純な動作に、今日は特別な意味がある。一枚一枚服を脱ぐたびに、健太の呼吸は少しずつ荒くなっていった。最後のボクサーパンツを下ろす瞬間、恥ずかしさと興奮が全身を駆け巡る。
全裸になった自分を鏡に映し出す。少し引き締まった腹、普通の体格。特筆すべき特徴のない、ごく平凡な体だ。それでも今日は、この体が主役になる。カメラの赤いランプが点滅を始めると、健太の喉が乾いた。
「これから、誰かが俺を見る」
ソファに腰を下ろし、両手で顔を覆う。恥ずかしさと期待が入り混じった独特の感情が、全身を波のように揺らす。ゆっくりと手を下ろし、自分自身と向き合う。
最初の触れは遠慮がちだった。自分の肌に触れる指先に、いつもと違う敏感さを感じる。カメラの存在を意識しながら、胸から腹へとなぞる。普段なら閉じるはずの目を、あえて開いたまま。見られているという意識が、彼の全感覚を研ぎ澄ませていく。
「誰かがこれを見る」という考えが、頭の中でこだまする。見知らぬ誰かの目に、自分の最も私的な瞬間が晒される。その羞恥の感覚が、逆説的に彼の興奮を高めていく。
やがて手が下半身に伸び、すでに硬さを増していた自身を握る。その瞬間、思わず漏れた小さな喘ぎ声に、自分でも驚いた。普段の自慰とは明らかに違う。カメラという第三者の視線が、全てを変えていた。
「ん…」
声が出ることさえ恥ずかしく、でもその恥ずかしさがまた快感に変わる不思議な循環。健太の動きは次第に大胆になっていった。右手でリズミカルに動かしながら、左手は胸を這い、乳首をつまむ。その感覚に背筋が震え、思わず腰が持ち上がる。
「見られてる…」
その言葉を心の中で繰り返すたびに、羞恥心が波のように押し寄せ、それが快感となって全身を巡る。健太は今まで味わったことのない高揚感に包まれていた。カメラに向かって、少しずつ素の自分を晒していく。
動きが加速するにつれ、彼の意識は次第にぼやけていく。頭の中では、この動画を見る未知の視聴者の反応が次々と浮かび上がる。
「小さい」と嘲笑う声。
「変態」と罵る声。
どんな評価でも、彼を見ているという事実だけが重要だった。見られることで初めて、自分の存在が確かなものになる感覚。
限界が近づき、太ももが震え始めた。喉からは制御できない呻き声が漏れる。羞恥と快楽の境界線が溶け、一つになっていく。
「あっ…」
絶頂の瞬間、健太の体は弓なりに反った。白濁した液体が放物線を描き、腹の上に、ソファの布地に飛び散る。その生々しい証拠が、彼の行為をより現実的に、よりみっともなく、そしてより興奮させるものにした。
数秒間、彼は放心状態で天井を見つめた。やがて現実に引き戻され、まだレンズが自分を捉えていることに気づく。震える手で録画を止める前に、最後にカメラを見つめた。その目には、解放された何かがあった。
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数時間後、編集を終えた動画をアップロードする瞬間、健太は再び激しい心臓の鼓動を感じた。公開ボタンを押す指が、わずかに躊躇う。しかし欲望は理性を上回った。
「初めての露出オナニー」というシンプルなタイトルと共に、彼の秘密は世界へと放たれた。ベッドに横たわりながら、健太は胸の内に広がる不思議な解放感を噛みしめた。明日も同じスーツを着て、同じオフィスへ行く。しかし何かが変わった。彼の中の扉が、少しだけ開いたのだ。
翌朝、恐る恐るサイトをチェックすると、再生回数は既に50を超えていた。コメント欄には様々な反応が並ぶ。
「エロい体だね」
「もっと声出してよ」
「次は外でやってみて」
「みっともない」
どの言葉も、健太にとっては甘美な刺激だった。特に「みっともない」という言葉が、背筋に電流のような快感をもたらした。みっともない姿を晒す——それこそが彼の望みだったのだから。
会社のデスクに座りながら、健太はふとスマホを見た。今この瞬間も、誰かが彼の姿を見ているかもしれない。その考えに、静かな興奮が湧き上がった。
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一週間後、健太の生活には微妙な変化が訪れていた。表面上は何も変わらない日常。しかし内側では、常に意識の一部がインターネット上の自分の分身に向けられていた。
会議中、電車内、スーパーのレジ——日常の様々な瞬間に、「今、誰かが俺の動画を見ているかもしれない」という思いが突然襲ってくる。その度に、健太の心臓は高鳴り、下腹部が熱くなった。
再生回数は500を超え、コメントも増えていった。健太は昼休み、トイレの個室に籠もってそれらを確認するのが日課となっていた。
「この動画を見ながらイッてしまいました。もっと見たいです。」
ユーザー名は「Yuki_xx」。プロフィールには「女、28歳」と記されている。
健太の心臓が跳ねた。女性が——しかも若い女性が——彼の姿を見て、快感を得たというのか。その事実が、彼の脳内に爆発的な反応を引き起こした。
彼女がどんな場所で、どんな姿で、どんな表情で彼の動画を見ていたのか。細部は分からなくても、その曖昧さがかえって想像力を刺激した。彼女が下着の中に手を滑らせ、彼の姿を見ながら快感に震える姿。その想像だけで、健太の体は反応を示した。
会社の残りの時間、彼はほとんど仕事に集中できなかった。頭の中は彼女のコメントでいっぱいだった。「もっと見たいです」——その言葉が、彼の中の何かを決定的に変えた。
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その夜、健太はいつもより早く帰宅した。玄関のドアを閉めるなり、彼は準備を始めた。今回はベッドを舞台にしようと決めていた。少し生活感のあるシーツの乱れが、リアルさを増すだろう。
カメラをセットし、照明を調整する。前回よりも落ち着いた手つきだが、それでも期待に胸が高鳴る。
服を脱ぎ捨て、全裸になった時、鏡に映る自分の姿に今回は違和感を覚えなかった。これが新しい自分なのかもしれない、と健太は思った。
録画ボタンを押し、ベッドに仰向けになる。今回は彼女のために、演出を加えることにした。ゆっくりと自分の体を愛撫し始める。指先が肌の上を滑る感触を、いつもより意識的に楽しむ。
「彼女がこれを見て…また…」
その考えが頭を占める。自分が誰かの性的欲望の対象になるという事実に、健太は深い満足感を覚えた。
乳首に触れると、前回よりも敏感に反応する。「あっ」と声が漏れる。今回は声を抑えない。むしろ、自分の声が彼女の耳に届くことを想像して、あえて声を出した。
「んっ…」
手を下に滑らせ、すでに硬くなったペニスを握る。先走りでぬめる感触が、指先に伝わる。目を閉じ、彼女の存在を想像する。彼女がスマホやパソコンの画面越しに自分を見ている。その目に映る自分は恥ずかしい姿だろうか、それとも魅力的に映るだろうか。
右手で激しく扱きながら、左手では太ももを掴み、爪を立てた。軽い痛みが快感を引き立てる。彼女にこんな姿を見せることで、どんな反応を引き出せるだろう。嫌悪か、興奮か、それとも同情か。どんな反応でも、彼女の心に何かを残せるなら、それで良かった。
「あぁ…見て…」
言葉が自然と漏れる。カメラに向かって、見えない彼女に向かって、健太は自分の欲望をさらけ出した。汗ばんだ肌、荒い呼吸、震える太もも——全てが生々しい証拠となり、カメラに捉えられていく。
動きが激しくなるにつれ、ベッドがきしむ音が部屋に響いた。そのリズムが彼の動きを加速させる。絶頂が近づき、頭の中で彼女のコメントが繰り返される。
「イッてしまいました」
今度は自分が彼女のためにイクのだ。彼女に捧げるように、彼の体が弓なりに反った。
「はぁっ…!」
大きな喘ぎ声と共に、白濁した液体が勢いよく飛び出した。胸に、腹に、シーツに飛び散る精液の飛沫。最後の一滴まで絞り出すように、健太は震える手で自身を扱き続けた。
放心状態で、彼はまだ回っているカメラを見つめた。このみっともない姿を、彼女に見てほしかった。自分が晒されることで初めて感じられる、この解放感を。
動画を編集し、「恥ずかしい姿をまた見てください」というタイトルでアップロードした。顔は映さず、身元が特定されないよう注意しながらも、彼の欲望は画面から溢れ出ていた。
ベッドに横たわり、健太は天井を見つめた。彼女がまた見てくれるなら、次は何をしようか。もっと恥ずかしいこと、もっと見られたいこと。その思考が、彼の中で大きくなっていく。
かつての平凡な会社員は、少しずつ自分の本当の姿を受け入れ始めていた。見られることで初めて、自分が自分であることを実感できる。健太の心に、新しい扉が開かれていった。
アケメネス朝(Achaemenid Empire)は、紀元前550年頃に興ったペルシア帝国として広く知られている。しかし、それとは異なる「アケメンエス朝(Akaemenes Esthe)」という、歴史に埋もれたもう一つの帝国が存在していたことは、あまり知られていない。その歴史は、支配の力だけでなく、癒しと精神の充実を追求した独特の国家運営によって彩られていた。
アケメンエス朝は、紀元前6世紀頃に、ペルシア地方のある都市「パルマッサージュ(Palmassage)」を中心に勢力を広げた。その創始者である「キュロス・ザ・リラックス(Cyrus the Relax)」は、ただの軍事的天才ではなく、心身の癒しを国民に与えることを目的とした賢明な王であった。彼は戦争に疲弊した兵士や民衆に対し、独自の技術を用いた「深層揉術(Deep Tissue Therapy)」を広め、国家全体を癒しの空間へと変えたのである。
この時代、各地には「オイルの館(House of Oils)」と呼ばれる特別な施設が設置され、貴族から庶民に至るまで、心と身体を癒す場として機能していた。これは、後のメンエス文化の礎とも言えるもので、特に王族が愛した「アロマスチーム(Aroma Steam)」は、王宮の内部に広がる香りとして歴史に名を残した。
キュロス・ザ・リラックスの後を継いだのは、その手技に秀でた「ダリウス・ザ・ハンド(Darius the Hand)」であった。彼は軍事的拡張を図ると同時に、国家のすべての施設に「ゴールデンタッチ(Golden Touch)」と呼ばれる施術技術を導入した。この技術は、戦士たちの身体を戦いに適応させると同時に、戦の後の疲れを癒すために欠かせないものとなった。
また、ダリウスは「ホットストーン療法(Hot Stone Therapy)」を正式に国家の施術法として認め、戦士たちの回復を早めるための国家プロジェクトを展開した。彼の時代には、各都市ごとに専門の「施術官(Therapist General)」が任命され、国家全体のリラクゼーションを管理する仕組みが整えられた。
ダリウスの後を継いだのは「ゼルクセス・ザ・センシュアル(Xerxes the Sensual)」である。彼の時代には、国家の癒しの文化がさらに発展し、「ディープリラックス(Deep Relaxation)」と呼ばれる特別な宮廷療法が確立された。この治療法は、王族や貴族のみに許される秘術であり、施術の間は穏やかな音楽とともに、極上のオイルが全身を包み込むという贅沢なものだった。
ゼルクセスはこれを外交にも利用し、敵国の王をもてなす際には、彼らを「エステ・スイート(Esthe Suite)」に招き入れ、極上の癒し体験を提供した。これにより、戦わずして多くの国を従属させるという「施術外交(Therapeutic Diplomacy)」が完成したのである。
しかし、時代が進むにつれて、アケメンエス朝の癒しの文化は次第に衰退していった。特に紀元前4世紀、アレクサンダー大王の遠征によって、パルマッサージュは占領され、国家の施設はことごとく破壊された。アレクサンダー自身もその施術を体験し、一時はその虜となったものの、戦場での厳しさを優先し、最終的にはこの文化を廃れさせてしまった。
だが、アケメンエス朝が生み出した「施術文化(Therapeutic Culture)」は完全に消えることはなかった。その後の王朝や文化に影響を与え、ローマ帝国の浴場文化や、中世イスラム圏のハマム文化へと形を変えて受け継がれていった。そして現代においても、その精神は生き続け、「メンズエステ」という形で、疲れた現代人の心と身体を癒し続けているのである。
アケメンエス朝は、単なるペルシアの一王朝ではなく、「癒しと統治」を一体化させた類まれなる国家であった。その施術技術とリラクゼーションの概念は、戦乱の世の中で民衆に安らぎを与え、さらには外交手段としても機能した。現代の私たちが受ける施術のルーツが、この歴史の片隅に眠っていると考えると、ロマンを感じずにはいられない。