はてなキーワード: 趣味とは
それは真っ赤な嘘でぇー😩
あおやまちゃんはイケメンデカチ🙌ポのことなんて知らなくてぇー😫
デスMNKオバハンやボスMNKがいくらイケメンデカチ🙌ポをしゃぶりたかったとしても、あおやまちゃんの真似しても何にもなんないんだってば🥺
当方ある業界のフリーランス(10年以上)。40代。既婚子無し。
稼ぎの大半を毎月インデックス投資にぶっ込み続け、気づいたら資産1億達成。
別に特別優秀だったり熱意があったわけではないが、仕事は好きだしクライアントにも恵まれた。
9時〜18時まで在宅で仕事して夜は趣味やトレーニングにあてる。
もちろんいずれ仕事は減っていくだろうが、今ある資産を運用しつづければ安泰かなという安心感があるので
全然ガツガツしていない。契約切られたらしばらくゆっくりしようかなと思う。
プライベートでは特に浪費はしないが、たまの旅行や食事、車にはまあまあお金使う。
性格的に目立つのが好きじゃないので、資産自慢するでもなし、SNSやYoutubeで承認欲求満たすでなく、
ひっそりとお金持ってるおじさんとして生きているが、
さすがに近しい知人友人には「あいつ結構金持ってそうだな」とは思われているっぽい。
だからなんだというわけでもないし、こちらも鼻にかけたり見下すつもりはないけれど(態度にうっすら出てる可能性は否定しない)、
やはりどうしても静かに疎遠になっていく。
であれば似たような境遇と性格の人と繋がりたいが、この手の人達はネットの世界にはまず出てこない。
彼らはSNSで自慢しないし、異業種交流会にも来ないし、オンラインサロンにもいないから。
「同じステージにいる人が見つからない」という孤独が発生する。
普通だったら子育てや小遣いの少なさ、や上司・部下からの圧力、将来の不安など、
悩みを、近い境遇の友人や同僚に愚痴ることで癒やされるのだが、
自分にはその手の悩みが一切ない。
悩みがないことが悩みなのだ。これは大真面目に言っている。
家庭の事情に追われることもない。
だからこそ奇妙な話なのだが、悩みがないことが悩みになっている。
何かに怒る必要もなく、誰かに愚痴る必要もなく、無理に頑張る必要もない。
人間関係の潤滑油は、案外「不満」や「疲労」や「愚痴」なのだと気づく。
そしてそれがない自分は、どこか別の世界にいるような感覚になる。
会社員投資家やスタートアップ経営者の億万長者ではまた違うのかもしれない。
フリーランス・一人親方ゆえのセカンド・サードプレイスのなさがより孤独感を強めている気がする。
それが今の悩み。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/syu-m-5151.hatenablog.com/entry/2025/12/08/152614
この2つのリンクは、**「技術広報(エンジニアの発信・コミュニティ活動・技術イベントなどは、組織や個人にとってめちゃくちゃ重要だよ」**という話と、その**感想記事**です。
言っていることはこれだけです:
こういうのは
❌「暇な人の趣味」
ではなく
という話。
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内容は:
---
> ✅ **1本目:理屈で「技術広報は超重要」と説明**
> ✅ **2本目:体験談で「実際に人生変わった」と補強**
この関係です。
👉 “実務ノウハウとしては空疎に近いが、思想・動機づけとしては意味がある” が正確な評価です。**
理由はシンプルで、この2記事は **どちらも「やり方」ではなく「姿勢・価値観」の話だから** です。
つまり、
え~趣味が合わないなあ
それは真っ赤な嘘でぇー😩
あおやまちゃんはイケメンデカチ🙌ポのことなんて知らなくてぇー😫
デスMNKオバハンやボスMNKがいくらイケメンデカチ🙌ポをしゃぶりたかったとしても、あおやまちゃんの真似しても何にもなんないんだってば🥺
Nano Banana Proの絵を眺めてると、あー、こういう絵が描きたかったんだよ、みたいな感想を持ってしまう…、
という感じなので、これはもう、駄目だわ…😟
最近の自分の中でAIは、おっちょこちょいだけど、やれば凄いことができる可能性がある先生、という立場に完全になってしまって、
こういう曲が作りたいけど何勉強したらいいの?こういう絵が描きたいけど何勉強したらいいの?みたいになってる、
プロじゃないから、趣味だから、自分の能力向上のためにAIを使ってはいるけど、これは職業のプロだとつらい…😟
プログラミングの方がまだまだ感がある、肝心なところで間違えたりする
オタクならオタクなほどオタクの意味の変容に敏感だしにわかオタクなんぞアイデンティティにならないことを理解してるはずで、
5年は前になる。
近所のスーパーでキャベツ一玉68円とか、卵10個パック198円とか、そういう物価だった頃だ。
体調を崩して仕事を辞め、貯金を切り崩した後は、幸い申請が通った障害年金と、リハビリとして始めたアルバイトで暮らすようになった。
その時考えていたのが、「いつ生活保護を受けることになるかもわからないから、支出をその範囲で抑えられるようになっておこう」ということだった。
いつまた働けなくなるかもしれないし、年金が打ち切られるかもしれない。
役所で一度相談し、説明を受けたことはあったので、金額はその時教えてもらっていた。
ちなみにその時は水際対策で断わられたわけではなく、まだ貯金がある段階で、働けなくて収入の当てがないと相談したところ、手続きの仕方などを保護担当の人が親身になって教えてくれた。
おかげで「お金がなくなったら生活保護があるし、役所で追い返されることもない」という安心感が持てて、そこから体調も安定し始めた。
話を戻して、当時住んでいた自治体では生活保護費は住宅扶助を上限まで使って13万円だった。
簡易キッチンとユニットバスの狭いワンルームなのだが、1万円近く超過している。
なので、13万円以内で生活するには生活費を諸々込みで67,000円に抑える必要があるわけだ。
バイト先への交通費は別にしておいて、通信費はスマホ(格安SIM)と家のネットを合わせて約9,000円。
水道代はほぼ基本料金なので隔月2,400円。電気・ガス代は(※当時)平均5,000円。
これを固定費として、月々15,200円の支出は確定していることになる。
ここから食費、雑費、被服や美容費など捻出するわけだが、人付き合いがなく出かけることがないので交通費がかからず、近隣に図書館があり、元々趣味が読書なので娯楽にも対して金がかからないのもあって、案外暮らせるものだった。
障害者手帳のフリーパスでバスに乗れば交通費はさらに節約できたし、割引になる美術館や自治体主催の無料の講座などに参加したりもできた。
一方で、歯医者の定期クリーニングや美容院の予定が入ったりすると一気に苦しくなるのも事実だった。
衣服代も予算を圧迫するので、靴はとにかく安いものを探し、ワークマンの980円のキャンバスシューズに行き着いた。
工夫をすれば暮らせるが、収入がある時は普通にやっていたこと(歯医者での定期クリーニングや、三か月に一度の美容院)が「贅沢」となり、小綺麗な格好をするのが難しくなるため、友人同士の集まりやおしゃれなカフェなど、身なりを値踏みされそうな場所からはちょっと足が遠のく。
月13万円はそんな生活だった。
しかし、その「工夫をすれば暮らせる」さえ、あくまで5年前の話だ。
それからロシアのウクライナ侵攻が始まり、円安も進み、物価がどんどん上がっていった。
まいばすで78円で買えていた板チョコが今は税抜148円だ。
光熱費は、使用量は減らしたのに基本料金と単価がバカみたいに上がり、倍になった。
いつも鶏むね肉を100グラム68円で売っていたスーパーでは、100グラム98円になった。
サバ缶は158円が258円になった。
まいばすの味がしないバナナなんぞ78円が気付いたら128円だが、それでも相当安い方だ。
chatGPTに相談すると「業務スーパーや作り置きを活用しましょう」などと言ってくる。
あのな、この世の困窮してる人間のそばに業務スーパーは必ずあるのか?
誰にでも徒歩やバスで行く体力があり、自炊する気力や知識や環境があると思ってるのか?
そういう話をしてるんだ私は。と、小一時間chatGPTを詰めてしまった。不毛な時間だ。
経済的に余裕がなく、さまざまな事情で自炊も難しい人が、安く食べたい、とにかく腹を満たしたいという時にそこにあって手が届くのは、現実的には安い菓子パンでありPBのカップヌードルだったりするのだろう。
普段からちゃんと食事をしている人がたまの間に合わせに食べるならいいが、常食するには体に悪すぎる、それらの食物でも「食えることは食えるんだからいいだろう」と言うのは、奇しくもマリー・アントワネットが言ってないとされる「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」という状態だ。
おおマリー、お菓子は安くとも体に悪く、民衆のQOLを下げてしまうのよ。
マリア・テレジアも草葉の陰で泣いている。
今は何も調べずにこれを書いているが、多分生活保護費が引き上げになったとかってことはなく、(むしろ引き下げの話をしてるくらいだ)同じ金額のまま、物価は爆上がり、交通費も光熱費も上がり、カツカツからキュウキュウで皆生きているんだろう。
(私はもう無理だと思ったので、貯金を諦めて生活費の上限を上げた。金がなくて食えなくなったら最悪死ぬからもういい)
とはいえ、これがどのくらい政治のせいなのか、友人も妹もいないタイプのメロスである私にはわからない。戦争とか温暖化の影響を、一体誰がどうしたらどうにかできるんだろう。
何もわからない。
ちょっとした趣味の話題について、身内向けに「ゆっくりムービーメーカーに台本読ませる」みたいな感じの動画を作成してるんだが、なんか妙に手間がかかっている気がしているのでなるべく省力化したいんだけど、どこぞのAIに最低限課金すればそんくらいのことは台本テキスト用意さえすればやってもらえるもんなんやろか。
はてな識者の皆さん力を貸してくれ
あなたの意見は完全に正しいので、その内容をそのまま彼に伝えたら良いと思う。ちなみに俺は男で車必須の地方住みで子供ありなのにしばらく車なしで生活していた。しかし、最近決断して「こんな高い車(格安の中古車だけど車無し民にとっては維持費を含めたら非常に高額という感想)を所有するんだから車を趣味にしよう」と思って頑張っている。そうするともっと走ってて面白い車が欲しい、みたいな欲求が少しだけ出て来た。でも嫁は反対するから、買い換えない。
滋賀県に住んでいる。
周りはほとんど車を持っている。
「姉の彼氏が社会人なのに車持ってなくて、親が少し懸念を示してる」といったニュアンスの話があって、とても驚いた。どうやら、車がただの利便性だけでなく、「一人前の大人として必要なアイテム」としても機能している文化圏があるらしいというカルチャーショックを受けた。
まず私は運転できないから、車があっても別の交通手段を使うし、夫の職場は自転車で10分くらいだから、準備や駐車時間、通勤ラッシュをを考えたら自転車のほうが早い。多分車を買っても自転車通勤すると思う。私の職場も徒歩圏内だ。そして、「子供が産まれたら車が欲しくなる」という意見もあるが、子供を産む気がないのでこれにも該当しない。
そうなると、購入費や維持費を考えたら、タクシーを使った方が明らかに安い。それに、多少高くついても「自分で運転しなくていい」「移動中の時間を自由に使える」というメリットを考えたら絶対タクシーのほうがいい。それに、ある程度長距離の移動なら新幹線とか鉄道を使いたい。その方が事故率が低くて安全だから。そう考えると車を持つのはコスパ悪いの極みなんだよね。
でも最近、夫がそろそろ車を買おうかなと言い始めたので、なんとかして阻止したい。あんな危険でコストがかかる乗り物いらないよ…。
しかもよくわからないのが、夫は車に興味がなくて、「中古の軽自動車とかでいい」って感じの人。なんなら車自体は私の方が好きだと思う。もし石油王とかになれたら、運転手付きのマセラティとか欲しい。だから逆に夫が、マセラティとはいわないまでも、クラウンとかを欲しがるならまだ趣味とか見栄として理解できるんだけど、中古の軽とかコンパクトカーなんて、見栄にもならないし、この通り生活には車いらないし、無駄な出費でしかないって思っちゃう。
最初にこれを感じたのは金正日の趣味が映画鑑賞と聞いたとき。金正日は自分専用の映画館を持っていて、好きなときに好きな映画を流せるらしいけど、それでもそこに映っているのは誰でも観れるハリウッド映画や寅さんでしかない。莫大な富や権力に裏打ちされた娯楽ではない
時給何千万円ともいわれるイーロン・マスクはフロムのエルデンリングに浪費した
メッシはプライベートな時間にもサッカーゲームをプレイするらしい
昔であれば王侯貴族は自分のために作曲者や画家を雇って芸術作品を作らせていた。でも今は大金持ちから大金をもらって一人だけに作るよりも、世界中から少しずつ吸い取ったほうがずっと儲かるから、才能は大衆娯楽ばかりに費やされる
31くらいの頃、結婚したけどまだまだ仕事も趣味もしていたいから子供いらなーい!っつって20代の勢いのまま突っ走ってて、35過ぎてさて産みますかとなったときにできなくて泣きながら不妊治療してる知り合いたくさんいるからいずれ子供ほしいならすぐ行動しないとだめだよ。
わかりました。では「日本でインド系(南アジア系)として生まれた場合」に想定される生活体験や社会体験を整理します。黒人や白人と比べながら具体的に見ます。
インド系・南アジア系は、日本では肌の色がやや濃く、顔立ちも日本人とは明らかに異なるため「外国人」として見られやすい。
差別や偏見の度合いは黒人よりはやや軽い場合が多いですが、白人ほど優遇されることは少ない。
「頭が良い」「ITや理系に強い」というポジティブなステレオタイプを持たれることもある一方で、「少し怖い」「怖そう」と思われるネガティブステレオタイプも存在する。
小中学校
日本人の同級生からは「外国人扱い」されやすく、からかいや言葉の暴力を受けることはありうる。
肌が黒めでなければ、黒人ほどの激しい暴力や排除は少ないことが多い。
学習面では「賢そう」というポジティブな偏見で評価されることもある。
アカデミックな場面で評価されやすい傾向があり、進学指導や教師からの期待は白人や黒人に比べて比較的中立〜好意的。
部活動や趣味の場では、日本人と同様に友人関係を築けることも多い。
IT・理系・金融などの専門職では、インド系出身者が多く、職場での受け入れられやすさは比較的高い。
一方で営業・接客・アナウンサー・メディアなど「顔や印象を重視する職業」では、白人ハーフほど優遇されることは少なく、肌の色や顔立ちで警戒されることもある。
日常生活では、肌の色やインド系の外見で注目されることはあるが、黒人ほど強い偏見や嫌悪を受けることは少ない。
4. 日常生活
街中で外国人として目立つことはある。特に地方では珍しさから注目されやすい。
スーパーや公共機関で無視されたり、声をかけられなかったりすることは稀だがゼロではない。
外食店や賃貸などで「外国人だから断られる」という経験は黒人よりは少ないが、報告されることはある。
5. 心理的側面
黒人に比べると自己肯定感を大きく損なうような差別体験は少ないことが多い。
一方で「外国人扱い」される経験は積み重なると心理的ストレスになる可能性がある。
まとめ
肌の色が目立つため目立ちますが、日本での偏見や差別は黒人に比べると比較的軽度な場合が多いです。
メディアでも白人はポジティブに描かれることが多く、外国人のステレオタイプ(親しみやすい、賢い、文化的に優れている)として扱われやすい傾向があります。
小中学校
「外国人扱い」や「英語ペラペラ?」などの好奇心からの質問はあるが、身体的暴力や強い差別は黒人に比べて少ないことが多い。
クラスでの目立つ存在にはなりますが、必ずしも孤立するとは限らない。
英語や外国文化に強い関心を持たれやすく、教師や友達から注目されることもある。
肌の色や見た目での深刻ないじめは少なめ。
白人として目立つことはあっても、友人関係で排除されることは少ない。
部活動や趣味を通じた肯定的な経験が得やすく、自己肯定感を維持しやすい。
外資系企業や国際的な職場で優遇されることがある(英語や外国文化への期待)。
「外国人枠」として扱われる場合があるが、黒人ほど偏見や嫌がらせは少ないことが多い。
ただし、田舎や保守的な地域では、やはり「目立つ存在」として視線を浴びたり、期待や質問を受けることはある。
4. 日常生活での目立ち方
街中で注目されることはある(外国人観光客として見られるのと似た扱い)。
店員や公共機関での対応は比較的穏やかで、差別や無視は少なめ。
メディアに出る白人像が好意的であることも多く、心理的負担は黒人より少ない場合が多い。
5. 心理的側面
「異なる見た目」という意識はあるが、差別的暴力や嫌悪感は黒人ほど経験する可能性は低い。
海外文化への関心や語学力、国際的ネットワークを活かしやすい環境に育つことが多い。
まとめ
白人として日本で生まれる場合、見た目の違いで注目されることはあっても、黒人に比べていじめ・差別・暴力のリスクは低めです。
肌の色や文化的背景は日本で目立つ要素ですが、ポジティブなステレオタイプの影響も大きく、自己肯定感や社会参加には比較的有利なことが多いです。
1. 家庭・日常生活
日本語・英語など複数言語を日常的に使うこともあり、国際的な視野が早くから育つ。
服装や髪型、肌の色でからかわれることがあっても、家庭で「あなたはそのままで素晴らしい」と教えられることで精神的に守られる。
外見でのいじめと家庭内のストレスが重なると、心理的負荷が非常に大きい。
小中学校
グループで排除されたり、悪口や物理的暴力を受けることもある。
クラス替えがなく、少人数だと毎日同じ人たちからいじめを受ける場合は、逃げ場がほぼない。
逆に、特定の得意分野で才能を伸ばす子もいる(音楽・スポーツ・外国語など)。
都市部の国際学校や多文化教育のある学校では、多様性が尊重される。
外国人の友人や教師と出会うことで、自己肯定感や社会性を保てることもある。
多様な価値観に触れる機会が増える。
いじめや偏見はまだ存在するが、自分に合う友人グループを見つけやすくなる。
ポジティブなケース
外資系企業やIT、音楽・スポーツ関連では、多様性が歓迎される。
ネガティブなケース
「外国人扱い」や「肌の色を意識した質問・態度」にストレスを感じることもある。
居酒屋や商店での対応、公共交通機関での視線、賃貸契約や就職活動での対応など。
ただし、都市部や国際的な職場ではほとんど意識されないことも多い。
4. 心理的側面
自己肯定感の維持
肯定的な家庭環境・信頼できる友人・メンターが大きな支えになる。
海外文化やSNSでの黒人コミュニティとつながると、孤独感が軽減される。
まとめ
日本で黒人として生まれ育つ子どもは、日常的な差別や孤立に直面しやすい一方で、家庭・学校・趣味・国際的な環境のサポート次第で、社会的成功や自己肯定感の獲得も可能です。
ある海外作品について、どことは言わないユーザー参加型のwiki?的なモノ?で「日本語版にはないけど、英語版だとこうなってるんだぞ」という記事があった。
そして、少し前に恐らくそのwikiをソースとして「英語版だとこうらしいぞ!」とSNSでとても話題になった。
発信源と思われる記事は既に修正されてる。wikiはそういう小回りが利くのが強みだ。
けど、みんなせいぜいバズったときに見るくらいで、後から追いかける人なんてほぼいないでしょ?
特定の人や作品を論いたいわけではないから存在しないセリフを例に使うけど、"Hi, how are you doing?"(「こんにちは」とか「調子どう?」程度の挨拶)を「あらゆる人生の困難を負い、今私はここにいる。それを素通りか? 大した態度だよ。挨拶してくれたっていいだろうにな?」くらいに訳す傾向がある。物語の中ではそのくらいのニュアンスを込めて意訳することもできるかもしれないけど、ちょっとばかし盛りすぎかもしれない。
確かに少々盛りすぎにも感じるけど、でも、決してこの方が悪いわけでもない。
その方の編集より前にネットで似たような事を書いていたwebサイトもwikiもあったことを確認した。
果たしてその方が参照していたかは知らないけど、ネット全体を見渡した時、大きな流れの中で「英語版はこうらしいな」という噂に噂が重なって少しずつズレていったんだと思う(なぜ誰も元ソースに当たらなかったんだ…)
だから多少盛る癖があったとしてもその方個人がダメとは思わない。
情報が100ずれていたとして、その方の訳はせいぜい2ずらした程度かもしれない。それまでにどこかで98ずれてきていたわけだ。
それに、ユーザー参加型のwiki?はみんなで誤まってみんなで正して少しずつ正しい情報へ近づくことを期待する集合知のシステムだから、誰かが悪いと言うのは違う。
間違うことが悪になっちゃったら誰も参加しないだろうし。俺だってやだし。
それを言ったら記事が間違っていたと嘆く俺が正しい保証だってないし。元ソースには当たったけども。
wikiは正常に機能している。既に正しい内容に修正されている。
結果的に誤まった記事を書いた人も悪くない。それは結果論だし、そもそも良いの悪いのの話ではない。
でもそうなってくると間違った情報が広まってしまったことへの悲しさはどうしたらいいんだろうねって…。