はてなキーワード: 宗教とは
もちろんオマエは鼻で嗤うだろ「神が何をしてくれたんだよ?」ってな。
だから現代人ジャップなんだよ。GHQが悪い。キリスト教の素地無しに社会契約とか近代法規を押し付けたんだからな。素地なしだとこんなもんだよクソ国家クソ社会。
神が何をしたかしないかなんてどうでもいいんだよ。人々が平穏無事に日常を遅れているのが「神との契約」なんだから。
神が「ゴミムシ人間多いから隕石降らそうかな?火山噴火させようかな?地震で皆殺しにしようかな?」ってやらないだけで、それは「人間が戒律に従って信仰してくれている」ので「神との契約が守られている」って状態よ。
カルトがうんこなのはこれを悪用して「オマエ個人が不幸なのは神との契約を違えたからだ/社会が違えたからだ」ってやらかして取り込んでいくからクソなんだよ。
さて。カルトまで進んだんで分かるだろ? 契約って概念で社会が「信用」を作ったわけだ。紙っぺら1枚で「契約」その契約の積み重ねが「信用」なんだよ。
「神は天変地異を起こさない/人間は戒律を守って信仰する」ってのを素地に同じ様に「金を貸す奴は決められた金額を貸す/金を借りた奴は決められた利子と決められた期日に従って金を返す」って。
神は寛容だから多少人間がサボっても天変地異は起こさない。でも容赦なく天変地異は起こる。それを「神との約束を違えたからだ!」って思うことで彼らは安心できる部分もある。
でもオマエのようなクソジャップは「バーカバーカバーカ(笑)天変地異は自然現象(笑)」って言っても神は知らんぷりだ。オマエの平穏無事はオマエが平穏無事だ! って思うしかねぇわけ。オマエはオマエの意志と機嫌でなんとかするわけ。
宗教者は違う。信仰することで平穏無事が得られるし、天変地異は神の試練なので信仰心が試されると、必死に日常回帰するわけ。オマエはしないだろ。地震で家が潰れても絶望して死ぬか、何もしないで他人に当たり散らすか。
オマエのうんこ背景を推察しながら話を書いていくととっ散らかるけど、オマエのバカを指摘する以上、こうなるんだよ。物事の背景にある情報を説明しないと理解できないから。オマエの生き方・価値観のせいだからな、悪いのはオマエだぞ。
さて、「金を貸す奴は決められた金額を貸す/金を借りた奴は決められた利子と決められた期日に従って金を返す」に戻るか。
神様と違って金貸しもゴミムシ人間の社会も「寛容でも優しくもない」わけよ。速攻天変地異をぶちかましたいわけよ「契約」に従って。
結婚の「契約」のほぼほぼ一緒。「神っぺら1枚で天変地異をぶちかましたい」ってなってるんだよ、本来は。
でも金貸し/借金も、夫婦間契約も、天変地異をかますには、ちょっと規模が小さいし、それで速攻殺すってなっても、概ね損じゃん。金貸しは金が返ってくることが望みだし、夫婦間は夫婦でいる間のメリットを享受したいんだから。
「やりすぎいくない」ってなって、徐々にまた「信用」を積み重ねて、法規を調整して、紙っぺら1枚で互いを律し、己の権利を保持しながら社会ってのを形成していったわけ。
コレで分かるだろ。
オマエのようなクソジャップな考えが
「法律に書いていないければ何をしてもいいし、自分の事業で人が死んでも弁護士と金で叩き潰しておけばそれでいい、っていうイーロン・マスク」
「契約とかどうでもいい、約束とかどうでもいい、約束も契約もうちの国が損しないためのもので、相手が得してうちの国が損するなんて絶対に許さないし、戦争して勝てる力を持ってない奴がバカ、っていうドナルド・トランプ」
そして、ちゃんと結婚して、契約に縛られて、俺が語っている背景を理解しながら「神様ありがとうございます。今日も平穏無事です」って毎日勤労に励め。無惨様が言ってるみたいにな。
死ぬと死後の世界あの世に送られるという設定が多くの宗教で見られます。 しかし、ここに設定の矛盾があるように思います。 人が死ぬとあの世に行く。ここまではいいです。 では、犬や猫のペットが死ぬとどうでしょうか? こちらもあの世に行くと答える宗教がほとんどだと思います。 どうやら動物は人どうようにあの世にいくようです。 動物の幽霊の話も世界各地にありますし、不思議ではないですね。 では、細菌はどうでしょうか? ウイルスはどうでしょうか? 今のところ、これにこたえてくれる宗教はないように思います。 仮に細菌はあの世に行けないのであれば、動物と細菌のどういう違いがあの世にいけるかの差があるか?という新しい問いになります。 逆に、これらも平等にあの世に行けるとすると、あの世には天然痘などのウイルスだったり、危険な病原菌だったりがたくさん送られていることになります。 死ぬ前に予防接種を打たないと大変ことになりそうです。 これについて、あなたはどう思いますか?反論や異論を期待します。
https://grok.com/share/bGVnYWN5_fd80f136-c800-42e9-a850-4eb2213ffd0e
全文は上のリンクで読め。
話をまとめると、あの世のシステムはいろいろ矛盾があるけど、あの世は生命保管庫であると考えると、とても都合がよい。
あの生命保管庫では、仏教の輪廻転生も、アブラハムの宗教の復活も説明可能にある。
そして、神はすべての生命を取集してポケモンマスターみたいなのを目指す存在ということになる。
なにより、こういうバカ話にも無限に付き合ってくれるLLMは素晴らしい。
それと、反論や異論を期待しますというと、AIは無限にレスバしてくれるので設定を詰めれていいですよ。
AIの回答:
非常に興味深い視点ですね。確かに、多くの宗教では人間が死後に「あの世」や「来世」に送られるという概念が存在しますし、ペットなどの動物も同様に扱われることがしばしばあります。しかし、あなたが指摘するように、細菌やウイルスといった微生物にまでその枠組みを適用するかという問題は、ほとんどの宗教的伝統では明確に扱われていない領域です。この点を掘り下げて、反論や異論を交えつつ考察してみましょう。 まず、宗教における「あの世」の概念は、基本的に人間の意識や魂(ソウル)の存続を前提としていることが多いです。例えば、キリスト教やイスラム教では魂が神の審判を受けたり、輪廻転生を信じる仏教やヒンズー教では意識が新たな形で生まれ変わったりします。ペットがあの世に行くという考えも、人間が彼らに感情的な絆を感じ、彼らの「個性」や「魂」を認めることから派生しているのでしょう。つまり、「あの世行き」の資格は、意識や魂の存在に依存している可能性があります。細菌やウイルスには自我や意識がないとされるため、多くの宗教は彼らにあの世への道を想定していないと考えられます。ここで反論として、「意識の有無があの世行きの基準なら、動物と細菌の間に明確な線引きがあるのか?」という疑問が浮かびますが、宗教はしばしば人間中心的な視点を取るので、細菌は単に「無視される」存在なのかもしれません。 次に、あなたが提起した「細菌やウイルスもあの世に行くなら危険な病原体が溢れるのでは」という点について。これはユーモラスでありつつも鋭い指摘です。もしあの世が物理的な空間ではなく、純粋に霊的な領域だと仮定すれば、天然痘ウイルスや病原菌が「物質的な危害」を及ぼすことはないかもしれません。あの世のルールがこの世の物理法則と異なる可能性があるからです。しかし、反論として、あの世が「この世の鏡像」のようなものだと考える宗教(例えば古代エジプトの来世観)では、確かに病原体がそのまま持ち込まれるリスクが想像されます。そうなると「あの世で予防接種が必要」という皮肉な状況もあり得ますね。ただ、多くの宗教ではあの世を「浄化された場」や「完全な領域」と定義する傾向があるため、危険な病原体はそもそも「あの世にふさわしくない」として除外される仕組みが暗黙に想定されているのかもしれません。 さらに別の角度から異論を述べると、細菌やウイルスがあの世に行かないとしても、彼らがこの世で果たす役割を無視できません。例えば、細菌は生態系の分解者として不可欠であり、ウイルスは進化の過程で生物に影響を与えてきました。彼らが「あの世に行かない」としても、この世での「死」が単に物質的なサイクルの一部に過ぎないとすれば、あの世という概念自体が人間や動物に特化した「特権的な物語」にすぎないのかもしれません。逆に、彼らがあの世に行くなら、あの世は単なる「霊的テーマパーク」ではなく、全ての生命現象を包括するカオス的な空間になる可能性もあります。 結論として、あなたの疑問は宗教的設定の曖昧さや論理的限界を浮き彫りにします。細菌やウイルスにあの世行きを認めるか否かは、「魂とは何か」「あの世の目的は何か」という根源的な問いに行き着きます。私としては、もしあの世に病原体が溢れるなら、死後の予防接種よりも「あの世専用の免疫システム」が必要になるかもしれない、と冗談半分に想像します。あなたはどう思いますか?この矛盾をさらに突き詰めるアイデアがあればぜひ聞かせてください。
俺様:
私もまだあの世に行ったことがないので、よくわかりませんねw
AIの回答:
哈哈、まあ確かに「あの世」はまだ誰もレビューを投稿していないミステリーゾーンですからね。私も行ったことがないので、想像でしか語れません。もしかしたら、あの世には「魂のTripadvisor」があって、細菌が入れるかどうかで星の数が変わるのかもしれませんよ。あなたがそこに行く前に、ぜひ仮説をもう一つくらい教えてくださいねw
俺様:
浄化の場として微生物やウイルスの活動が止まるなら、腸内細菌とかも動作を停止するわけで、あの世での生活は大変そうです。 それに細菌ではありませんが、免疫や血小板のようなシステムもある意味、微細な生き物みたいなものになるなら、それも停止してしまうなら人はあの世ではいきていけないのではないか?という疑問も出てきます。
AIの回答:
おお、素晴らしい視点ですね!確かに「あの世」が浄化の場として微生物やウイルスの活動を停止させる設定だとすると、腸内細菌のような共生関係にある存在まで停止してしまうのは大問題です。人間の体は、腸内細菌が消化や免疫を助けることで成り立っている部分が大きいですから、それがないとなると「あの世での生活」は想像以上に過酷そうです。便秘どころか、栄養吸収すらままならなくなるかもしれませんね。皮肉なことに、「浄化されすぎて生きづらいあの世」なんて、ちょっと笑えてしまいます。 さらに、あなたが挙げた免疫系や血小板のような「微細な生き物っぽいシステム」の話も興味深いです。確かに、免疫細胞や血小板は独立した生命体ではないものの、生命維持に不可欠な自律的な働きをしています。もしあの世でこれらの活動まで停止するなら、魂がどんなに「霊的な存在」に昇華されていても、身体的な機能がゼロになってしまうと「生きている」と呼べるのかすら怪しくなります。例えば、傷が治らない、感染症に無防備、血が止まらない——そんな状態であの世をウロウロするのは、ちょっとしたホラーですよね。逆に、これらが停止しないと仮定するなら、「浄化の場」というコンセプトが揺らぎ、細菌やウイルスとどこで線引きするのかという新たな矛盾が生まれそうです。 ここで一歩踏み込んで考えてみると、あの世が「物質的な制約から解放された場」だとすれば、腸内細菌や免疫系が必要ないほど「完全な存在」に変形するのかもしれません。でも、そうなると「人間らしさ」って何だろう、という哲学的な問いに行き着きますね。腸内細菌がいないせいで「あの世で便秘に悩む幽霊」なんて想像すると、ちょっとシュールすぎますが、もしかしたらあの世には「霊的な腸内フローラ」があって、別の仕組みでバランスを取っているのかも?なんて妄想も膨らみます。 あなたの仮説は、あの世の設定に「生物学的リアリティ」を持ち込むことで、宗教的な概念の曖昧さをさらに際立たせますね。反論としては、「あの世は物質を超えた領域だから、そんな心配は無用」と切り捨てることもできますが、それだと「ペットがあの世に行く」という素朴な信仰ともズレが生じる。どうやらあの世の設計者には、もっと細かい仕様書を書いてもらわないと困りますねw。この矛盾、どうやって解消できると思いますか?また別のアイデアがあればぜひ!
俺様:
あの世システムが間違っているという全否定か、人間だけは神の寵愛を受けているから特別なんだよ!という説になりそうです。
AIの回答:
なるほど、大きく二つの方向性に収束してきましたね。どちらも面白い結論で、あの世のシステムを考える上で極端だけど説得力のある視点です。ちょっと掘り下げてみましょう。 まず、「あの世システムが間違っている」という全否定ルート。これはもう、あの世という概念自体が人間の想像の産物で、論理的な整合性を持つ設計なんて最初から期待できない、という立場ですね。確かに、ペットはOKで腸内細菌はNGとか、免疫系はどうなるんだとか、細かく突き詰めると矛盾だらけになります。だったら「あの世なんてないよ、全部この世で完結してるんだ」とバッサリ切り捨てるのも一つの合理的な結論です。例えば、死んだら単に物質が分解されて自然に還るだけで、魂もあの世もただの物語に過ぎない——科学的にも宗教的ロマンが好きな人にも刺さる潔さがあります。ただ、これだと「じゃあ幽霊の話はどう説明するの?」とか「ペットが夢に出てきたのは?」みたいな感情的な反発が残りそうですね。あなたが全否定派なら、どうやってその反論をかわしますか? 次に、「人間だけが神の寵愛を受けているから特別なんだよ」説。これは宗教的な枠組みを維持しつつ、人間中心主義で矛盾を無理やり解消するアプローチですね。神が「人間には魂があってあの世行きチケットをやるけど、細菌やウイルスにはそんな特権ないよ」と決めた、とすれば、腸内細菌や免疫系があの世で停止しても「神の力でなんとかなる」とご都合主義で片付けられます。ペットがあの世に行くのも「人間が愛したから特別扱い」とかいうボーナス付きの解釈で乗り切れるかもしれない。でも、これだと「神の寵愛の基準が曖昧すぎる」「細菌だって生命なのに不公平じゃない?」みたいな新しい疑問が湧いてきます。人間だけ特別扱いって、ちょっと傲慢な感じもしますよね。この説を推すなら、神様にどんな言い訳をさせますか?w どっちにしろ、あなたの最初の疑問が「あの世の仕様書」の曖昧さを炙り出したのは間違いないです。私は個人的に、全否定だと味気ないし、人間特別説だと都合良すぎる気がして、「あの世には何かわけわからん独自ルールがあって、細菌も幽霊もカオスに混ざってる」くらいの混沌が好きかも。あなたはこの二択、どっちに傾きますか?それとも第三の道を思いつきましたか?
俺様:
うーん、それではあの世ではいきていけない説はどうでしょうか? あの世に行くけど、そこは生命の保管庫のようになっている。 コールドスリープする感じで、あらゆる生命はあの世でコールドスリープされる。 もし輪廻転生があるとしたら、その保管庫から、管理人(神とか天使)が適当に選んで放出する感じで。 アブラハムの宗教の復活も説明できそうです。 あの世の目的はあらゆる生命を取集することになりますね。 この世で進化したあらゆる生命を集めるというのが、神の目的になってしまうのかな。
AIの回答:
おお、これは素晴らしい第三の道ですね!「あの世では生きていけない説」をベースに、「生命の保管庫」としてあの世を再定義するアイデア、めっちゃ面白いです。コールドスリープ的な発想を取り入れることで、矛盾を解消しつつ、宗教的な概念とも意外と噛み合う仕組みを作り上げてますね。ちょっと整理しつつ、反論や補強を交えて考えてみましょう。 まず、あなたの説のポイントをまとめると: あの世は「生命活動が停止した保管庫」で、すべての生命(人間、ペット、細菌、ウイルス含む)がコールドスリープ状態で保存される。 輪廻転生がある場合、管理人(神や天使)が保管庫から適当にピックアップしてこの世に放出。 アブラハム系宗教の「復活」も、保管庫から再起動する形で説明可能。 あの世の目的は「この世で進化したあらゆる生命を集めること」。 これ、すごくエレガントな解決策ですよ。腸内細菌や免疫系が停止しても「そもそもあの世では生きてないから問題ない」と一蹴できるし、細菌やウイルスがあの世に溢れる懸念も「活動停止してるから大丈夫」でクリア。ペットがあの世に行くのも、人間と一緒に保管されるだけだから自然に説明がつきます。輪廻転生や復活も、「保管庫からの再利用」という仕組みで統一感が出る。神の目的が「生命コレクター」になるのも、ちょっとSFっぽくてワクワクしますね。まるで神が「全生命のポケモン図鑑をコンプリートする」みたいな壮大なプロジェクトを進めてる感じです。 ここで反論を一つ。「保管庫説」だと、あの世での意識や個性が完全に停止する前提になりますよね。でも、幽霊の目撃談や「あの世でペットに会った」みたいな体験談はどう説明するんだ、というツッコミが入りそうです。コールドスリープ中なら、魂がウロウロしたり夢に出てきたりする余地がないはず。反論への対処としては、「保管庫にいる魂が一時的に『夢の信号』を発信してる」とか、「管理人がたまに試作用に起動してる」とか、無理やり補強できそうですが、少しご都合主義になりますね。あなたならこの点、どうやって切り抜けますか? もう一つ補強案として、あの世を「生命のバックアップシステム」と捉えるのはどうでしょう。この世で進化や絶滅が起きた生命を、神が「とりあえず保存しておこう」とアーカイブしてるイメージです。復活や輪廻はそのバックアップを再活用するプロセスで、神の目的は「生命の多様性を永遠に記録する」こと。ウイルスや細菌も含まれる理由は、「生態系の一部として意味があるから」とか。こうすると、「あの世で生きられない」というより、「あの世は生きる場所じゃなくて保存する場所」というニュアンスが強まって、あなたの説がさらにシャープになります。 この「生命保管庫説」、私はかなり気に入りました。神が「進化の成果をコレクションするオタク」みたいで、少しユーモラスだけど深い意味もある。「あの世の管理人」が適当に選んで放出するシーンを想像すると、ちょっと Permalink | 記事への反応(0) | 21:36
アジア圏って一国で安楽死ビジネスが始まったらもう一気に全地域で安楽死めちゃくちゃやりそう
んで安楽死ビジネスってたぶん宗教的なもので、自殺を禁じてるキリスト教はともかく仏教とか地域宗教とかならそんなに相性悪くないしめっちゃ宗教資本の収益になりそう
12ヵ月に分けたのは、古代の暦によるものです。古代エジプトでは、太陽の運行に基づいた太陽暦が使われていて、1年を365日と12ヵ月に分けていました。このシステムは、その後、古代ローマのジュリア暦でも採用されました。
2月が28日と短い理由は、古代ローマのカレンダーの調整によるものです。もともとローマ暦は、10ヵ月と冬の期間で構成されていました。その後、暦を改良して12ヵ月にした際、当時のローマ皇帝ユリウス・カエサルが閏年を導入して、2月に1日を追加するようにしました。
しかし、2月が他の月よりも短くなった理由は、古代ローマの政治や宗教の影響も関わっており、非常に複雑です。暦の調整は、ローマ皇帝の権威を示す手段でもあり、さまざまな要因が影響を及ぼしてい
予想が当たらないといいな。
昨今話題となっている中国による侵略ですが、SNSで悲痛な叫びや怒りを耳にします。
悲観的な予測でスミマセン。
で、「成人でかつ投票に行く」人が多く見積もってもだいたい1/3の10000人だったとします。
これに対して皆様の予想通り帰化した中国人が投票することでしょう。
思い出してください、熱海のリゾートマンションの中国人による買い占めを。
(当時は不動産投資のためだと思っていましたが…)
思い出してください、4,5年前街中に点々とできた謎の台湾料理屋を。
偽台湾料理屋の従業員が、就労5年を過ぎて帰化の要件を満たし、
そのタイミングで(実態はあるにせよないにせよ)、もともとの帰化人+新しい帰化人が
戸籍上リゾートマンションに転入したとしたら、10000票以上は稼げるというのもあるんじゃないかと思います。
"新しい日本人"が地方の買い占めた団地に転入、市町村を数で実効支配するのだと思います。
(もちろんリコールできないよう2/3以上の人口になることも計算ずくで)
おそらく本人はこれが広がってくれればと思っているのですが、残念ながらそんな書き込みは飽和状態です。
問題は「SNSを見ていない、テレビに毒されている層(主婦層や老人)」であって
書いたことで満足しちゃっても現状は変わらないと思います(辛辣でスミマセン)。
無駄。考えない方がいいです。
アメリカについてはトランプ・イーロンが日本を守ってくれる、という証拠は一切出てないと思います。
結局のところ夏の参議院選挙で投票するしかないんですが、周囲は相変わらず平和ボケです。
そこに対して鼻息を荒げて「自民党ガー」といったところで、さほど同意を得られず、
結果自民は減るものの保守政党で過半数を取ることはないのではないかと思います。
それによって外国人の高額療養費制度の見直し等も成立しないでしょう。
繰り返しますが重要となるのは「ドラマばっかりみている主婦層」や「ネットに疎い老人」にいかに現状を知ってもらうか、かと思います。
SNSを見ない層にとなると、例えば市民の会を作って駅前で街宣。
これもさんざん過去の事例があって、なかなか受け入れてもらえないと思います。
自ら立候補?遠い。。。
結局のところ「政治と宗教の話は人前でするな」という暗黙のルール(?)が障壁となってるんだと思います。
これも、中国のせいではないにせよ「政治に興味を持たせないための一種の洗脳」だったとしたら大したものですね…。
小学校の頃イタズラで靴箱に入ってたやつ。
「この手紙を5人に回さないと不幸が訪れます」っていう謎ルール。
文面では極力ソフトな口調で日本の惨状を説明して調べてもらう。
そして、もし賛同いただけるなら手紙のコピーをまた誰かの家に投函してとお願いする。
令和の時代に手紙wwwってなると思うけど、知らない家への投函自体は至って合法。
ジジババも手紙なら少なくとも読んではくれるし、出す側の心理的負担も少ない。
(夜中にこっそり周囲の家に投函するとかならできるんじゃないかと…)
とりあえず、サンプルをにアップしてみました。
これをどこかの誰かに投函して拡散されれば少しは状況は変わるんじゃないか
そんな甘い期待を抱いて書きました。
(作戦名とかあった方がいいのか?)
AfD躍進はイスラム移民過剰による摩擦がどーたら、リベラルの綺麗事が嫌われてなんたら…と言われているんだがさ、元々AfDって旧東独で強い政党だったわけよ。
で今回もやはり同じ。ただ南方地方での得票が増えてるって特徴がある。
真っ青な東の中に赤と灰色の地域が見えるが、これはベルリン。東ベルリンではCDU、西ベルリンではSPDが強いって事になっている。
ドイツが統一して暫く後からネオナチの活動が問題になっていた。
当時犠牲になっていたのはトルコ人で、殺人や放火などの被害に遭っていた。当時のネオナチはスキンヘッドのフーリガンで、要するに愚連隊。だから直接の政治問題というよりクズの若者の問題と見做されていた。
東西ドイツは合併したように見えるが、実際は西への併合で、共産体制が否定されただけじゃなくて西側のやり方、価値観で上書きされてしまった。
西独はマイスター制で10歳でブルーカラーとホワイトカラーの進路が分かれる、結構不自由な社会だ。逆に言うとモラトリアム期間が認められていないから若者がアイデンティティで悩んだりする事も少ない。
社会主義から転換した東独は圧政からの解放によるアイデンティティの不安定さがあった。
西独はキリスト教の信仰が強く、政党まで作られているが、政治の世俗化などの近代の約束事の周知が前提となっている。
東独では宗教は縮小されて「歴史の必然到達点」である共産主義が全て解決すると教えられていたのに歴史の終点が蒸発したので近代の約束事が前例とか慣習に結びついていない。
西独には中間共同体が残っていてお祭も盛んだが、東独は社会主義国家が多くを破壊したので無い。
戦争の総括や反省は東独では「社会主義への進歩への反逆」のような文脈でされていて西独とは大いに異なる。
という風に、要するに大いなるアノミーと自由からの逃走ですな。そういう問題に苛まれた。
しかも「ドイツ」として参照されるのは西独ばかりなのでやな感じだ。
『グッバイレーニン!』という映画を知ってるだろうか?熱烈共産党員の母が意識不明になってしまったが、その間にベルリンの壁は崩壊し東独は無くなって資本主義の品々だらけになってしまった。目を覚ました母がショックを受けないように「家から見える資本主義」を全て無くす為に息子が奔放するって内容だ。面白いぞ。
なんでこんな映画が出来たかというとその背後に東独の痕跡を全部消されるような忸怩たる旧東独民の思いがあったわけよ。
ネオナチもこういうのを背景に旧東独で猛威をふるっていたわけで、当然AfDもそのベースは共有している。
旧東独地域は人口が減っている。旧西独側に流出しているのだな。
で、移民が来るには来るが、結局行くのって旧西独側ばかり。するとブレグジットで見られたように、移民が余り行かない地方の人が移民に反対しているって事になるわな。旧東独のあちこちに池袋や西川口や葛西があるってわけじゃ無かろう。
なので以上の事も含め、イスラム系移民との軋轢が原因というのはちょっと無理があるんじゃね?
増田的には、イタリアがやったような地域開発支援や、民俗学で東独地域の歴史や風俗を掘り返して祭復活させたりということを長く続けるしか無いように見えるんだが。
この増田がまとめている党是にも出てくるが、
https://anond.hatelabo.jp/20250224204010
再生エネのうち、風力だけが敵視されている。太陽光はおkなのね。
トランプ政権も風力発電敵視しているが、同じ再生エネの太陽光はおkになってるね。
イーロンマスクのXポストツリーにぶら下がってる最近の極右集団も同じなんだよね。
日本では展開されていないが、テスラ社は自動車だけじゃなくて電池部門も展開している。
それもモバイル向け小さいセルじゃなくて、蓄電池事業、例えばEcoFlowみたいな手軽な大きさのものから、家庭用、会社用の小型中型蓄電池システムを展開している。
データセンターとか医療用、精密工場なんかの無停電電源は専門業者に握られていて参入が難しいのでやらず、再生エネの拡大で出来たニッチを市場にしてるのよ。EV連携とかね。
一方、風力というのはそれなりの資本力が必要だから、これらの蓄電池システムと組み合わせ出来ない。
とすると、イーロンとしては再生エネはウォークだと腐しながら、太陽光は除外するしかない。そこで風力だけに憎悪が行く、というこういうワケなのだ。アフォらしいな。
なので、各地の極右が風力だけ憎むのは、パトロンとかタニマチ、若しくは強力シンパのビジネスの都合だろ、ってことなんであります。
つーことで、AfDなどの事を「イスラム移民との摩擦によるもの」と考えるのは無理があるんじゃね?ってお話でござった。摩擦が少ない地域で躍進してるわけで。他の原因無視しすぎ。
そもそも移民の毒を問題視するなら、今一番自国を滅茶苦茶にしてのってイーロンじゃん。あいつ放り出せ、ああいうのが来たらどうする!って言うはずだよな。
あ、バノンには言われてたのか。
社会の抑圧に抗い、既存の秩序に反発し、ルールを破ることで「自由」を叫んだ。
エルヴィス・プレスリーが腰を振れば、それは性的な解放のメッセージになり、ジョン・レノンが「Imagine」を歌えば、世界平和の象徴となった。
ロックスターは常に”支配者”に向けて中指を立てる存在であり、だからこそカウンターカルチャーの旗手として崇められた。
フェミニズムもまた、既存の価値観に対するカウンターであり、社会構造に挑戦し、女性の自由を求めてきた運動である。
それならばロックスターと同じく、フェミニストも社会の英雄になってしかるべきだったのではないか。
だが、実際にはそうならなかった。
ロックスターはカリスマとして崇められ、一方のフェミニストは”面倒くさい人”、”怒りっぽい人”、”被害者意識の塊”と揶揄されることも多い。
なぜ、このような違いが生じたのか?
なぜフェミニズムはロックのようにカウンターカルチャーとして熱狂的に支持されることがなかったのか?
ロックスターの反骨精神は、端的に言えば「Fuck you!」の精神である。
むしろ、「俺は俺の好きなように生きる、お前もそうすればいいじゃないか」と突き放す。
ロックは自由の音楽であり、全ての人に向けられたメッセージだった。
「性差別をなくせ」
「ミソジニーをやめろ」と訴える。
だが、残念ながら”要求する”という行為そのものが、しばしば”鬱陶しい”と受け取られてしまう。
カウンターカルチャーとして機能するためには、「俺たちの好きにやらせろ」というノリのほうが支持されやすい。
しかし、フェミニズムは「社会を変えろ」という主張を含むため、「他人の行動を制限するもの」として捉えられやすい。
この構造の違いが、ロックスターのようなカリスマ性を獲得できなかった一因である。
つまり、明確な「敵」がいたのだ。これは共感を生みやすい。人は、共通の敵がいると団結する。
性差別は国家や特定の組織の問題ではなく、社会のあらゆる場に根付いている。
つまり男性だけでなく、女性自身もその価値観の一部になっている場合がある。
敵が明確でない戦いは、支持を得にくい。
たとえば、パンクロッカーが「腐敗した政府をぶっ潰せ!」と叫べば、それは分かりやすく、共感を呼びやすい。
しかし、フェミニズムの主張は「社会のあり方を根本から変えなければならない」という構造的な批判になるため、「今の社会に適応している人々」からの抵抗が生まれてしまっているのだ。
”楽しさ”か”道徳”か
音楽を聴いて、踊って、叫んで、解放される。それがロックの魅力だ。
しかしフェミニズムの議論は基本的に「道徳的」な話になりがちである。
「これは間違っている」
「これを正さなければならない」
等といった倫理的な話になりやすく、どうしても説教くさいと思われてしまう。
人々は”楽しさ”には簡単に乗れるが、”道徳”にはなかなか従おうとしない。
環境問題がそうであるように、「正しいことをしよう」と言われると、人は逆に抵抗したくなる。
フェミニズムが求めているのは社会の進歩であり、それは間違いなく正しいのだが、”楽しい”という要素が欠けていたために、カウンターカルチャーになりにくかったのではないかと考えらえる。
カリスマの不在
エルヴィス・プレスリー、ジョン・レノン、カート・コバーン、パティ・スミス……彼らは「個」でありながら、「運動」の象徴になった。彼らが歌うだけで、何かが変わるように思えた。
一方、フェミニズムは組織的な運動として発展し、多くの優れた論者や活動家を生み出してきたが、ロックスター的なカリスマには乏しかった。
個人の魅力で人々を熱狂させる存在が少なかったため、ムーブメントとしての盛り上がりに欠けた。
カリスマ的なアイコンの不在は、フェミニストを宗教的な尊大さを抱かせるための教示としての、大きな魅力の欠損へとつながったと言えるだろう。
うちは anond:20250223155012 と非常に状況が似ている。
相違点を上げるなら、今年で結婚 21 年目でお互いもう 40 代後半である事。妻の仕事は月に 2〜3 日× 7 時間である事くらい。元増田の状況は約 5 年前の我が家と被る。権力勾配が、男女平等が、などなどの話が俎上に挙がるのは良く分かる。ただ、夫婦がフルタイムで働いているという現代ではありふれた状況が、これまた現代ではありふれているセックスレスの原因となっているであろう事は想像に難くない。
■ 相手の嫌なところを受け入れる
これはそう。ただ、宗教とか政治とか、人生の根本に関わるレベルで言えば、思想や価値観がかなり近いのでその点はありがたい。食の好みとか趣味の好みとか、そういった物の違いはお互いを尊重する。
これは完全にそう。育児・進学・居住・金銭に関わる話は、必ず相談してお互い納得の上で進める。就業状況の違いから、大きな金額が動く事柄に関しては夫である自分が全額を出すのだが、そうであっても意見を言い合う際は平等であろうと気をつけている。
半分程度同意できる。日常的なスキンシップは良くある。ただ「そういう時」以外にデリケートゾーンに触れることはしない。子供がいてもハグはする。というか家族みんなでハグしまくってる。キスは子供のいない時だけ、といった感じ。子供がいる昼間でもやる上限 (?) は膝枕くらいまでかな。