はてなキーワード: 産業とは
そんだけ長期見てきた人らにめっちゃ後足で砂かけてくやん
4年間いろんなVを並行して見漁っていたんだろうけど
結局キミですら愛想つかすような人間がゴロゴロいたってことでしょ
だったらその4年間毎日原神にログインしてフレーバーテキストの隅々まで読み漁って考察やらキャラ解説やらの動画見て自主研究する時間のためにYouTubeを使っていた方が豊かな娯楽体験が得られたんじゃないか?
似たようなアニメ顔キャラクターを日々眺めるならさ、こうした高予算の上澄み系ゲームは公式からのコンテンツ供給が膨大だから、日々中身の薄いゲーム配信をだらだら繰り返すVよりも濃度は高いと思うけどね
属人的な魅力頼みのエンタテイナーであるVをハシゴするよりは、ウン十ウン百億かけて大規模に製作されてる大型アニメ調運営型ゲームを数本並行して4,5年ハシゴしてたほうが普通に充実する気がしない?
どうしても疲れた脳と体で何も考えず画面を眺めながらゲラゲラ笑う昭和のテレビっ子みたいな娯楽消費スタイルしかする余裕ないんだっていうなら仕方ないけども
もしVというエンタメ形態そのものに飽きてきている節があるなら今は有力なオタクゲーマー向けタイトルが両手で数えられるくらいある恵まれた時代だから趣味をシフトさせるのは難しくないっピ
偉いかねぇ
ガチャをかたくなに拒否するのはただ価値観の変化についてけない硬直した頭だったと言えるんじゃないか?
もちろん昔のソシャゲみたいな陳腐なゲーム設計に結びついた射幸心煽るだけのガチャは断固拒否するべきもんだが
最近の進歩的なガチャゲーは基本無料ゲームと理想的なマリアージュを見せる柔軟で良心的な支払い方式になりつつある
固定観念にとらわれずガチャを取り巻くゲーム状況をアップデートしていくっていう業界の課題に向き合わなかった結果が今なんだよ
今のゲーム産業の売上の8割は、アバターやズンパス課金のFPSとかも含めた、基本無料のライブサービスゲームから来てるんだよ
「前橋市は高崎の植民地」という認識は、事実と異なる誤った情報です。このような認識が広まっている原因としては、以下の点が考えられます。
両都市が歴史的に近接しており、経済や文化的な交流が深かったため、誤解が生じた可能性があります。
両都市とも群馬県の中核都市として発展してきたため、都市間の競争が激しく、その中で生まれた都市伝説のようなものが広まった可能性があります。
不確かな情報がインターネットなどで拡散され、それが事実として受け止められてしまった可能性があります。
前橋市と高崎市は、それぞれ群馬県内の独立した市であり、一方の市が他方の市の植民地という関係ではありません。
両都市は、歴史、産業、文化など、それぞれ異なる特徴を持っています。
両都市は、県の中核都市として、お互いに協力しながら地域の発展に貢献しています。
都市伝説は、根拠のない噂や誇張された話が、人々の間で真実として広まってしまう現象です。
インターネットの普及により、情報が氾濫し、真偽の判断が難しくなっています。
特定の視点や感情に基づいて、情報を歪曲して捉えてしまうことがあります。
前橋市が高崎市の植民地という認識は、事実無根の情報です。両都市は、それぞれ独自の文化と歴史を持ち、群馬県の発展に貢献しています。インターネット上の情報には注意し、複数の情報源から情報を収集することが重要です。
クルド人はユダヤ人とイスラム教徒の混血だと思うんよね(根拠は地理)
金融関連の事件では(特に保険産業)法曹や警察や司法機関は通常が動かないのが日本国
なんなら全国ネットワーク
彼らは金融と天皇制と結びついた既得権益勢力で、天皇制が操り難くなると公安ぐるみで治安を悪くして反対運動を抑えこもうとする
埼玉県は今年春から金融弁護士の加村啓二(かむら けいじ)が公安委員長になったから最低最悪だ
裁判所が動かんわ
http://yamazakiproject.com/from_secretariat/2024/08/06/6987。
日本では、この表にあるようにイスラエルの武器、これは防衛省が1月に購入を決めて、こういう落札が1円とかありますが、これは7つのうち5つがイスラエルの武器なんですけれども、国際司法裁判所がイスラエルに対し虐殺を止めるための暫定措置命令出している中で、日本の防衛省はこういう行動を起こしているんですね。国際司法裁判所の決議というのは、国連に加盟したどの国も守る義務があるんです。そいうところが何の説明もなしに、こうした形でどんどん日本が進んでいるのが実情なんです。
それに対して国際連帯運動として広く行われているのはBDS運動、イスラエルの占領地(入植地)の製品をボイコットする、投資引き揚げ、制裁する。この運動が世界的に広がって、EUではEU議会執行部が全体に対して情宣して、実際に(BDS運動を)守るように運動をしていました。けれど、2015年に安倍首相がイスラエルに行った時に、新聞のインタビューで「BDS運動をどう思いますか」と聞かれて「我が国はそういう差別はやりません」と答えて、アメリカと同じような路線を示して、安倍首相になってから、いかに日本がBDS運動を始めとするパレスチナの運動に対する敵対的な関係に変わっていったかということがよく分かるような状態でした。
私たちはパレスチナの命を懸けた闘いの助けによって、逆に今日本で何をすべきか、私たちが今問われているんじゃないかと思うんですね。パレスチナの命がけの闘いに助けられているのが私たちだ。私たちはパレスチナのBDS運動ばかりか、日本の軍国主義的な軍拡路線が結びついてドローンの購入に至る一つの流れなんですね。だから他人ごとではない。
パレスチナに平和を」と望めば望むほど、パレスチナ国家の承認、それから日本の中にあるイスラエルの姿、世界第二位の産業用ロボット生産の日本企業ファナック社のロボットがイスラエルで使われてパレスチナの人たちを殺している。
質問に対する答えですが、イスラエルの報復は当然予想していました。犠牲の多さも予想していたと思います。もう占領され併合される瀬戸際にあって、絶望よりも戦うしかなかった戦いを選んだと言うふうに私は現地を知るものとして思います。様々なマイナス面はありながら、ガザの解放勢力が一致、団結して戦った「洪水作戦」は、占領に対する抵抗権をしっかりと行使した勇気ある奇襲作戦だと思っています。パレスチナの世論調査によると、現在も人々は過酷なジェノサイドの犠牲にあいながら、ガザ地区でも西岸地区でもハマースに対する支持は10月7日以前よりより高い支持と評価が続いています。絶望による死か、それとも戦いによる死か?人々の選択肢は限られているせいでしょう。先日、ネタニヤフと矛盾を拡大しているイスラエル軍のハガリ報道官まで、ネタニヤフの「ハマース壊滅に反対し「ハマースは人々の心に根付いた思想であり壊滅できると考えてるのは誤っている」と言い出す始末です。」 日本の中で想像することは難しいですがむこう側に身を置いて想像してみてください。
高校卒業しても数IIIとか数IVとか言ってるやつは19万円がちょうどよいのじゃ。
恋人は大学で数学基礎論から数学VIまで修めたうえで、代数学I&II、解析学I&II、現代数学、数理演習I~IIIまで必修で納めているのじゃ。
選択科目次第ではもっともっと数学を勉強しているし、毎日数学を使って仕事をしているのじゃ。
数学に限らず、積み上げてきたものが違えば、必然的に能力も違うし、賃金に差がつくのも当たり前のことなのじゃ。
大体において国家資格を持ってたって、使ってないのだから賃金を嘆くのはそもそも筋違いなのじゃ。
厳しいことを言うようじゃが、仕事に関連する増田の勉強量は高校3年まででストップしているから、19万円分なのじゃ。
たとえ医師だって、トラックの運転手をさせたら月の稼ぎは30万円ちょっとじゃ。
そのことは、象牙の塔からでなければ理解できないと思うのじゃ。
そうしたら、ひたすらシャーレをオートクレーブしているだけの仕事は、19万円でもありがたいと思えるはずなのじゃ。
なにせ、明るく清潔で、屋根のある環境で、においもなく、座って作業することが認められているはずなのじゃ。
漁船から放り出される心配もなく、腐った魚の内臓を掃き捨てることもなく、冬の水に手を突っ込むこともなく、朝早くもなく、20kgの荷物を2つ3つ担ぐこともなく、天候不順で収穫が落ちることもなく、週末には雨が降らなくても休みで、イオン以外にも遊びに行けるはずなのじゃ。
でもわしは、そういうことを、増田が少しは理解していて愚痴を書いてると思うのじゃ。
みっともないけど、まあそういうこともあるよねって思っているのじゃ。
増田みたいな人は、今まで何人も見てきたのじゃ。
甘ったれるなとは思わないのじゃ。
甘えようが頑張ろうが、どのみち今後這い上がることもできないのじゃ。
人を収入で下に見るような相手と結婚して、下に見られながらも我慢して、したたかに生きていくものなのじゃ。
全ては、せっかく大学に入ったのに工学部を選択できなかった時点で決まっているのじゃ。
そして進路選択は、生まれる家庭環境によって大いに影響されているのじゃ。
できることはせいぜい、SNSをやめて、よそ様の生活を見ないように心がけることだけじゃ。
ひどいこと書いてごめんね。
体に気を付けてください。
今って技術戦争だの経済戦争だの言って「エリート万歳!高度人材確保だ!」って感じだけどさ、実際社会を回してる地味職(医療とか物流とか)の扱い、冷たすぎじゃね?これ、単なる格差じゃなくて、もはや「賃金差別」って言うべきレベル。
で、怖いのはこの状況を隠そうとして、「お前ら努力してないからだろw」みたいなヘイトスピーチ的な話がガンガン流れてるってこと。正直、見ててしんどいわ。
医療、教育、物流、建設、農業とか、要は社会の骨組み担当の職業が軽く見られがち。けど、これらが回ってないと、俺たちの生活なんて一瞬で詰むわけ。
でも現状はどう?待遇低いし、労働環境キツいし、誰がやりたがるの?って感じ。具体的に見てみると:
• サプライチェーン支える超重要ポジだけど、低賃金で過酷労働おつ。
• 生活必需品を安定供給してくれるけど、雇用不安定で働く人バテバテ。
3. 建設業
• 街作りも災害復旧もお任せだけど、若手不足で技能継承がピンチ。
4. 農業
• 食料安全保障の要だけど、収入不安定すぎて後継者いないっす。
これらの仕事、重要性はガチなのに「いや単純労働だしw」ってナメられがち。さらに、「低収入のやつは社会インフラにタダ乗りしてる」みたいなデマが広まってて、正直ブチギレ案件。
1. 人材不足
• 若い人が「やりたくねー」って感じで誰も来ない。
2. サービス低下
• 人が足りなくて仕事のクオリティ下がる、地域サービスも維持できん。
3. 地域への影響
この問題を解決するには、金持ちや大企業にもっと税金払ってもらうしかないっしょ。でも、それやろうとすると「海外に逃げられるぞw」みたいなこと言うやつがいるんだよな。
でも、OECDの調査とか見るとさ、富裕層ってそんな簡単に海外行かないのよ。理由は:
• 日本の社会インフラ(教育・医療)がクオリティ高すぎて離れたくない。
むしろ、税金ちゃんと使って社会安定させる方が、金持ちにもメリットあるって話。
多国籍企業にもちゃんと課税する流れは、最近ちょっと進んできた。たとえば、国際法人税率を最低15%にしようって動きとか。これのおかげで:
• 税率の競争を抑えられる。
でもまだ課題はある。タックスヘイブン対策とか、デジタル企業の課税方式をどうするかとかね。
日本って資源ないし、人口減ってるし、もう技術重視で産業改革するしかない。でも、それが「エリートだけ得する」とか言われて、話が進まないのが現状。
• 富が増えて再分配の元が増える。
こういう良い循環が生まれるから、社会全体の底上げになるんだよね。
解決策としてはこんな感じ:
社会インフラ職の待遇改善とか産業改革とか、めっちゃ難しいけど大事な話。表面的な対応じゃなくて、ちゃんとした改革を進めないと、社会全体がヤバい方向に行っちゃうよねって話。
税理士から見るソープ嬢の納税問題 https://anond.hatelabo.jp/20241205154323
ニセ税理士と日本社会の今後について https://anond.hatelabo.jp/20241205195415
これらの記事を、大変興味深く読んだ。興味深くというのは、記事の内容そのものというよりも、それに対するコメントの熱量というのが、
なんというか、大変に盛り上がっており、なぜこれほど盛り上がっているのかということが、あまり自分の中でしっくり来なかったから、である。
自分は税務や労務のプロでもなんでもないので、細かい専門的内容にはコメントのしようがないのであるが、
とはいえ、ここのメインテーマというのは、要は収入が発生しているのであるから、それについて課税すべきかどうかという問題である(と理解した)。
そうすると、これはシンプルに税金を払うべし、ということで決着が付きそうな、ただそれだけの話題のように思える。
にも関わらず、数百を超えるブコメがついているという、その事実に興味をもったのである。
それで自分なりに色々と考えてみたので、そのことをここに書いてみる。
さて、唐突にフィンランドの話をする。といっても、北欧における風俗産業についての話ではない。鉄道料金の徴収の話である。
今から10年以上も前の話(なので、今もそうか知らないが)、フィンランドの首都、ヘルシンキ駅での体験だ。
ヘルシンキ駅は非常に大きなターミナル駅である。ちょうど常磐線が発着する上野駅に近いイメージだ。しかし、上野駅、というか日本の鉄道全てと大きく異なる点がある。
なんと、改札がないのである。
ヘルシンキ駅の駅舎に入ってしばらく歩くと、いきなり鉄道のホームが出てくる。入口も何もなく、いきなり列車に乗り込むことができるのだ。
そして各車両にはICカードリーダのようなものが備わっており、どうやら乗客はICカードをそれらにタッチすることで運賃を支払う仕組みになっているようなのだ。
ようなのだ、と書いたのは、当時私は出張でヘルシンキに来ており、予め列車のフリーパスカードのようなものを配布されていたので、このあたりの事情について、実はいまだに
正確に把握していない。なので、正確なシステムは、もしかしたらちょっと違うのかもしれない。
ただ一つ言えることは、ヘルシンキ駅には改札がなく、そして下車駅にも改札がなく、つまり目的地に着くまで、一度も料金徴収のチェックを受けることがなかった、ということだ。
支給されたカードはフリーパスのようだったので、カードリーダで料金徴収されることもないため、出張の後半になってくると、(これ、かざす意味あるのか。。。?)と思うようになった。
というか、この仕組みなら、乗車運賃を払わなくても、ただ乗りできてしまうではないか。フィンランド鉄道は、フィンランド人の善意で成り立っているのだろうか。
とういことを考えた我が同僚は、出張の後半になってくると私と同様に、このカードリーダシステムに疑問を持つようになり、というか、シンプルにカードを持参することが面倒くさくなって、
ところがである。ある日、いつものように彼が手ぶらで列車にのっていると、突然車掌から声をかけられたというのである。そしてカードを見せろと言われたので、
カードは持っているがホテルに置いてきてしまった、実際は料金は会社が払ってくれているはずだ、と弁明したそうなのだが、有無をいわさず高額な罰金を支払わされたという。
この話をきいて、ははん、と納得した。
まず、車掌は誰がカードを持っているかどうかを判別などはしていないだろう。ある一定のタイミングで、適当にその辺の乗客を狙って検札しているのだと思われる。哀れな我が同僚は、
もしも、100%確実な方法で料金徴収を実現したいのであれば、車掌は全員に検札をすればよい。しかし、それは時間的に無理がある。というか、100%を目指すのであれば、そもそも入場ゲートを設置すればよい。しかし、それにはコストがかかる。
そこで、ある一定の割合で検札を実施し、そこで料金未払が発覚した場合に、高額な罰金を徴収する、というシステムにしたのだろう。これが私の推測である。
車掌に無賃乗車がばれる確率と、その場合に支払わなければならないコストを期待値として、それが正規運賃を支払うコストに比べて見合わないほど高額であれば、乗客は正規運賃を支払うインセンティブが働く。鉄道会社は、自動改札システムのような高額な設備投資をせずに、車掌のおっちゃんに適当に(より正確には、適切な期待値となるような頻度で)検札を実施させれば目的を達成できるので、大変賢い仕組みだと関心したのである。
とここまで書いておいてあれだが、これは完全に私のデタラメの想像である。そもそも、いまもヘルシンキ駅に改札がないのかも知らない(調べれば分かると思うけど)。
ではなぜこのことを書いた、というか、思い出したかというと、税務調査というのは、このフィンランド鉄道の仕組みに良く似ていると思ったからだ。
税金は必ず払わなければならない。このことは間違いない。納税は国民の義務である。フィンランド鉄道にただで乗ってはいけないのと同じだ。というか、フィンランド鉄道のようなザルの仕組みであってはならない。しっかりとした改札を設けて、100%確実に徴収すべき性質のものだ。
ところが、国民全員が完全に正しく納税しているかどうかを100%の精度で確認することは、そう簡単ではない(と信じられている)。そこで、結果的にフィンランド鉄道のごとく、ランダムにピックアップして、脱税しているかどうかを調べるという方法を取ることになる。そして、徴税システムのインセンティブが、「効率的な徴収」」にあるとするならば、確実に大金を稼いでいて、かつ脱税の実態が簡単に証明できるところから順に調べていくことが合理的ということになる(全乗客からランダムに検札するフィンランド鉄道と、ここが大きく異なる点だろう)。
とはいえ、わたしは税務の素人であるし、ましては税務署の人間でもないので、いま書いたことも本当かどうか、何もわからない。
さて、ここでようやく本題に入る。すなわち、冒頭2記事のブコメ諸氏の熱量について、私なりの方法で腹落ちさせる、という試みである。
私を含めて善良なる市民たる我々は、キチンと納税(=乗車料金の支払い)をして列車に乗っているのである。その列車に、あろうことか、運賃を払わずに我が物顔で列車に乗り込んでいる輩がいるのである。ところが肝心の車掌は、他のもっと身なりの良い乗客の身体検査ばかりしていて、こちらの乗客など構おうともしない。それでは専門家(税理士)はなんと言っているのかと聞くと、なんとも怪しい返事しかしない(なんとならば、税金を払わなくてもよいかもと取れるような発言さえしている)。これでは、真面目に運賃を払っているこちらとしては、腹の一つも立てたくなるものだ。
ということで、なんというかフィンランドの思い出まで書いておいて出すような結論でもなかったなと思いつつも、一応、当初の目的を果たしたことで満足するとする。
列車料金と納税のアナロジーでお気づきの方もいるかとも思うが、この話は給与所得者の場合において、多少の修正を要すると思われる。すなわち、給与所得のほとんどの人は、源泉徴収というかたちで所得税を納めているのであるから、いわば運賃を前払いしているようなものなのである。そこで、給与所得者は、それ専用の列車に乗っている、としたほうが良さそうだ。この列車に乗っている人たちは、あらかじめ会社が複雑な計算をして運賃を支払ってくれているので、あまり難しいことを考えずに列車に乗れる。
一方、風俗嬢をはじめとした個人事業主などは、いわば運賃は後払いだ。今年、2024年の所得が確定してから、来年の2025年春に確定申告をして、税金が徴収される。車掌たる税務署の職員から検札を受ける可能性があるのは、こちらの列車に乗っている方の人たちだ。
私が一連の記事を見て、いまいち自分ごとのように熱い市民感情を発揮できなかったのは、おそらく自分とは別の列車に乗っている人=自分とは関係のない人、という意識があったからだと思われる。
さて、仮に風俗嬢としての年間収入が500万円あったとして、納税額(=乗車料金)はいくらほどになるのだろうか。経費としてどのくらい控除できるだろう。衣装代やメイク費用など計上できるのだろうか。個人事業主として、家賃分をいくらか按分することはどれほど現実的か。そもそも青色申告できるのか。できたとして、どのような事業として定義されるか。こうしたことを現実的に真面目に考えると、節税として合法的にできそうなことはほとんどなさそうに思われる。シンプルに雑所得として申告したとして、所得税・住民税額は数百万円になるかもしれない。
そして、いざ自分があちら側の列車の乗客になったとして、検札にひっかかる可能性が限りなく低い中で、数百万円という乗車料金をキチンと支払う胆力があるものだろうかと、自問自答してみるのであった。
藪蛇になる可能性があるので、まず現状の管理者やその口座から管理費用を捕捉する。
特に問題なのが産業(農業、用水など)に面している場合で、この場合は管理コストが大きくかかる。
道はケースバイケースなので一旦置いとく。
ここで重要なのは絶対に官公庁に問い合わせてはダメということ。自前で調べれみて分からなければいったん保留しろ。
鉄塔だの基地局だの、何らかの利用がされていてお金が振り込まれている可能性がある。
その場合手続きが必要な場合がほとんどなので根掘り葉掘り確認しよう。
これは常に行うべき。いつでも手放せられるようにしておこう。
山は大きい。大きいということは密度が低い。ということはエリア辺りの所有者も少ない。すると対応する人間も希少となる。
そのエリアで広く活用されていれば相談できる人が民間にも官公庁にもいるが、そうでなければ全員で調べ物から開始することになる。
すっかり行かなくなってしまったが文学フリマ東京が年々、盛り上がりを増して規模を拡大させていると聞く。評論系の島は特に人口を増やしているらしい。
XのTLで、「文学フリマは盛り上がってるのに出版不況は終わらない」みたいな対比で語っている人のツイートが流れてきたのを見た。
そこって対置されるもんなんかな、と疑問に思った。文学フリマで金を使うのと、商業の書籍に消費者として金を落とすのはぜんぜん違う事だ。
あそこに集ってるのはみんな「書きたい人」であって「読みたい人」ではない。そこを兼ねている人、ですらないと私は思っていた。
私が文フリに行かなくなったのはそのしょうもなさを感じていたからだ。
商業じゃねえんだからみんな好きなように書きゃいいさ、というのは当たり前なのだが、しかし「俺の話を聞いてくれ!同調してくれ!褒めてくれ!」という承認欲求と、「読む人が楽しんでくれたらいいなぁ」というサービス精神のバランスが著しく前者に寄っているテキスト、端的に言えば「お客さんを想定してそこに媚びる」という作業があまりにもない作品は読んでて疲れるし恥ずかしくなってしまう。
とくに評論系、たとえば素人で映画などのエンタメや文芸のたぐいを批評してる人の文章。「ああー、この人は物知りで鋭い視点を持った賢い人だと思われたくてしょうがないんだろうなぁ……」という剥き出しの、内容に釣り合ってない自己愛で見てられないことが多い。
私が哀しいのは、みんな自分を褒めてほしくて何か書いて文学フリマに持っていくが、誰かを褒めたくて文学フリマに行く人はそうそういないということだ。あそこは店しかない商店街だ。
一見、活発に紙幣が飛び交って何冊も同人誌が売れて「完売しました!」のポストがSNSで踊っても、しかしそのほとんどは(横のブースで本を出したりしてる)同じコミュニティの友人・知り合い同士で挨拶がてらにお義理に買ったり互いに購入し合ってるだけなんじゃないか。自分が相手に買ってもらいたいから、褒めてもらいたいからしゃあなしに相手のものを買ってやってる、何の広がりもない循環。
少なくとも私は、友達に同人誌に誘われたりして文フリに出てた時分には、そうやってネット上の知り合いや大学の後輩が出してる興味のない本を5、6000円ぶんも買って鞄を重くしてげんなりしながら帰っていた。一冊も読んでない。
そんな循環の中で買われた本だから、もちろんSNSでは褒めてもらえる。知ってる人から。おざなりな言葉で。「俺はちゃんと褒めたんだからお前も俺のことをちゃんと褒めろよ」あるいは「この人は買ってくれたしポジティブに言及してくれたから私も褒めとかないとな」という強制コミュニケーションとして。
そんなポトラッチみたいに金と賞賛をぐるぐる回し合う、何もかもが社交辞令の薄笑いで回ってる場所でその社交辞令に気づかず「褒められた~嬉しい~」とヘラヘラできる人は良いのだろうがしかし、そんな馬鹿が何百人もいるとも思えない。
だんだん、みんなにとっても「自分の居場所になっているコミュニティからつまはじきにされないように、内心イヤになってても行っとく買っとく」場みたいになってく(あるいはもうなってる)んじゃないか。そうなるとどっかで一気に、今の膨張の揺り戻しが来るよ。
まぁ別に、「インディーズでやってる界隈」ってぜんぶ多かれ少なかれそういう部分があると思うから、ことさらに文フリを悪く言う必要もないんだけどね。小さいライブハウス借りて音楽やってる人とか、地下芸人なんて言われるお笑いの人とか。客席にプレイヤーしかいない趣味のお稽古事発表会みたいな現場はどんな界隈にもある。
そこで、プレイヤー同士で品評し合って褒め合って気を遣い合って、どんどん「そのコミュニティでしか通用しない価値観」みたいなもんだけ先鋭化して、商業とかトレンドみたいなものから離れていくのに快感を覚えたりしてね。
いくらでも身内のエコーチェンバーなコミュニティに閉じこもってられる時代だからこそ、本当に義理じゃない、虚しくない言葉とかお金を使ってもらえる方向で作品を発表してった方が絶対いいよ。自分に気を遣う必要がない人がわざわざくれた誉め言葉って、すげえ嬉しいよ。マスに向こうよ。商業を目指そうよ。
そんなことを思う今日この頃です。ま、商業出版特に活字の文芸・批評とかいうオワコン産業(どころか別に始まってた時期もないキッズリターン産業)を目指せってのも無責任なポジショントークなんだけどね。