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2024-12-14

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

2024-12-13

anond:20241213174606

×家事が大変

 

○私が家事やってる横で手伝いもしないの腹立つ

 

◎私が家事やってること自体にそももそ気づいてなさそう、自動で片付くと思ってるらしいのバリ腹立つ

 

 

世の女どもは真実に「大変」とか余計な情報盛るからおかしなことになる。

俺はちゃん真実から家事をしない妻に怒っているぞ。

大阪王将ナメクジ事件を起こしたファイブエム商事だが、不正受給で晒されとる

https://jsite.mhlw.go.jp/miyagi-roudoukyoku/content/contents/001482414.pdf

令和5年6月16日(有)ファイブエム商事取締役

 松川 実

取締役

 松川 実

飲食サービス業

(有)ファイブエム商事

宮城県仙台市若林区大和

町5-2-15雇用調整助成金令和5年5月19日

2,573,006円

全額返還

出勤簿等を改ざんし、事実と異

なる内容で虚偽の申請書類を作

成して当該助成金不正受給

したもの

令和5年6月16日(有)ファイブエム商事取締役

 松川 実

取締役

 松川 実

飲食サービス業

(有)ファイブエム商事

宮城県仙台市若林区大和町5-2-15

緊急雇用安定助成金

令和5年5月19日

9,686,601円

全額返還

出勤簿等を改ざんし、事実と異

なる内容で虚偽の申請書類を作

成して当該助成金不正受給

したもの

なお、このファイブエム商事だが、

https://trend-labo.net/2022/08/27/5mclose/

大阪王将閉店】ファイブエム商事契約解除の理由給付金不正受給や塩水スープか?

https://kabumatome.doorblog.jp/archives/66024452.html

28. 全力で名無しさん2024年10月24日 21:29

保健所入る前日の深夜、徹夜店舗大掃除して証拠隠滅してるんだけど本当に告発者が守られないなこの国

なんかどっかの機関に密告したらしいけど相手にされなかったかtwitterでやったらしいけど

窃盗罪あるのはちょっと信用マイナスだけど店舗で猫飼ってるようなやばい店だったか告発自体はかなり信憑性あったよ でも個人から企業に潰された

1545. 全力で名無しさん2024年10月25日 00:19

>>28

判決文読んだ?

630. 全力で名無しさん2024年10月24日 21:53

真実がどうかはわからんが、「ナメクジだらけ」という告発に対して、店側は嘘であると、本当なら証拠を出せと反論してきたところ、本人は証拠が出せなかった、証拠が出せない以上、裁判所客観的に見て嘘と判断せざるを得ず、事の大きさに鑑みて刑事責任ありと判断したというところかな

スマホで1枚でも写真をとっていれば違う結果になっていたと思われる

告発するなら証拠を押さえておくことがマストで、それをしないと最悪刑務所行き&多額の賠償金請求されますよという事例

841. 全力で名無しさん2024年10月24日 23:31

>>30

害虫は清掃してればええんよ

ナメクジは清掃程度では退治できねえのよ

から保健所他に誇大じゃね?と問い詰められて「目立ちたくて誇大に言いました」って認めたから逃げ場なくアウトなんよ。

野良猫厨房で飼ってただけで致命傷なんで、誇大に書かなきゃ多分負けてねえのよ。

みたいな話もあり、外国人を雇い、入管法労働法に触れるような行為をしても普通に証拠隠滅すると思われ。

2024-12-12

anond:20241212003420

この増田自身真実の愛やらなんやらに異様にこだわってるのに、顔整い達をそれにこだわって恋愛市場で踊ってる愚か者達と馬鹿にする、増田も顔整いなのかな?と読んでくと俺は恋愛よく分からんとか言ってるし、ぼくは真実の愛を知ってると天啓を得た童貞処女妄想文章なのかもうよく分からん

婚活恋愛って今ハードモードだよ

美がインフレしたせいか今ってセックスの値段が安くなってる。時代純愛

ルッキズムがうんぬん言ってるけど、みんな基本は最低ラインだったり自分のこだわりラインを超えれば終わりで、ルッキズムに極端にこだわる層は一部。男でも女でもセックス!沼らせ!モテモテ!とか言っている精神童貞精神処女が、マウントとりたいがために大きな声をあげている。若いやつに多い。まあしょうがない。そのあたりは顔整いなどと言われてdisられている。

年収なんかも別に一定ラインまでは大事だが、最重要ポイントではない。年収ルッキズム清潔感職業学歴っていうのは基本的にはレベルのこと。とくに生活レベル。ここのレベル感が合わないといろいろと厳しくなる。

あと昔は恋愛は「女が男を評価する」という時代だったけど、今は男も女を "恋愛的に" 評価している。外見だけじゃなくて。やれればいいだけの男と恋愛したい男(やれればいいだけの男も「いい女」を見つけると恋愛したい男カテゴリに入る)は違う。そのへんがわかっていない下品女性は、男から「ヤること」すら、お断りされる。下品女性は顔の美醜に関わらず声が大きく、過激なことを言う。おそらく愛着障害である

女がいい男と「ヤることすらできない」時代が到来してきている。いい男のセフレや二番目や不倫相手でもいいのに「ごめん俺彼女いるから」とか「今仕事忙しくて」とか「ゲームの方が優先」とか断るわけだ。

そういう「いい男」が市場にいない。いい男っていうのは単に浮気しないわけではない。別に浮気不倫できるけど、めんどくせーし彼女奥さんのことを愛しているからしないわけだ。いい男の彼女奥さんがそれぐらい愛せる存在からだ。

まりいい男といい女は単独では存在できない。セットである。「いい男がいない」というのは「自分はいい女ではない」という自己紹介だし、「いい女がいない」というのも「自分はいい男ではない」という自己紹介だ。

で、そういう「いい男」「いい女」っていうのは上位層しかいない。あとは準いい男・準いい女などの光る原石と、クズゴミしかいない。

から婚活恋愛ちょっと足突っ込んでみるようなもんではない。

みんなリアルに魂や人生を賭けている。ハードモードだということを理解した上で突撃しなければならない。

自分の全性格やどうしようもない部分も含めた生活習慣からまり生き方・考え方・ダメな部分・うまくいってないところ・今後の人生設計、そういうのを提示し合うのが恋愛だし婚活だ。

俺は契約結婚とかそっち側はわからないが、もし恋愛結婚(多少妥協するにしてもだ)したい人は、わりと人生の中で大きく賭けないといけないと思う。生半可な気持ちでやれば生半可な結果が返ってくるだけだ。

追記

超上位層はもう神格化されたような存在が熾烈な争いをしているわけ。もうみんな疲弊している。

外見はもう外見だけじゃなくて生活レベル所作も語彙も知性も地位若さも部屋の綺麗さも生活習慣も運動習慣も全部入る。正直ドン引きだわ。

こういうのは、モーニングルーティン!成長成長!なんて言っているちょっとおかしサイボーグみたいな現代適応したやつらに多いのではないか。わりと自己中(無論全員ではないし学ぶべき点は非常に多い)

モテようとしている奴らはこのへんを必死学習して「うおおおおお俺モテるぜええええ」などとやっている。クズだがかなり努力家だ。そういう奴が総取りしている。

だがそのあたりの、属性だけは持っている「いい男風」「いい女風」みたいなやつが「女神」や「真実の愛」を求めてずっとさまよって「彼女できない(作ろうと思えばいつでもできる)」「彼氏できない(作ろうと思えばいつでもできる)」みたいなアホなこと言ってんの。こいつらは、顔もいいし外見もきらびやか金もあって地位もあり親も太かったりするが、キモい。愛を知らないロボットみたいな奴だ。そういう奴らが漁場を食い荒らしていると思ってほしい。

暇つぶしにな。いいか暇つぶしだ。マッチングアプリなど暇つぶしだ。「なんかいいね来た」「まあ暇だから会うか」「がっついてるなこの人。余裕なさすぎじゃん。あーあー、そういうことする?」そういう感じ。

暇つぶしセックスするか。暇つぶし恋愛でもするか。飽きた。なんだこいつ。まあ他にもいるからな。うーん、こいつもか。だめだな。うーん。

こういう感じだ。魅力度はSランクなのに精神童貞精神処女みたいな。心を全部明け渡そうとしない。そこまで相手を信頼しない。自分を渡さない。命を賭けない。賭けるに値する相手と遭遇できない。

あとはまあ、今までの復讐みたいなとこもあるかもしれない。手痛い裏切りからの「いつか見返してやるからな!」の復讐心が、他の人々の地獄を新たに作り出している。魔王みたいな奴らだ。

下層の住民たちはそういう偽神たちの暇つぶし翻弄されているわけだ。そういうのに耐えられない人々は推しなどを自分人生コラボさせて心の安寧をはかる。「彼女推し」「彼氏推し」みたいに。悪いわけではない。

婚活地獄に陥っている人はいま挙げた超上位層や上位層のカモにされたり、「カモにもされない」という点で地獄に陥っているのではないか

「偽神からいい具合にカモにされたいのに、全然餌としても見られないから、もうそんなにカモられなくてもえぇ!神じゃなくてえぇから生活レベル条件だけ妥協しようとしたら全然相手にされねぇ!それはそうとなんだこのゴミクズたちは。邪魔なんだけど。ウザい!ハッ、まさか、これが自分の実力だとぉーーーーー?!こんなことが現実であるはずがない!!婚活辞めます!!!」みたいなのが婚活地獄女性だ。たいへんだよ、本当に。

自分地位!安寧!この世のすべてを手に入れることができるワンピースはないのかと思っている。モブのくせに。しかもタダで。

まあ俺は恋愛とかよくしらんけど、本気で全力で魂削って必死でやっている奴らがしのぎを削っている戦場で、経験も浅いくせにナメてる奴が「こんにちは〜」って呑気に入ったら普通に撃ち殺されるのは当然だと思わないか

追記

おそらくスマホからだと読みにくい。PCで読みやすいように改行などしたし文が長く複雑だからスマホからだと怪文書のように見えるかもしれない。

2024-12-11

長い人生リベラル化も保守化経験するはずなんだが

感受性の高い未成年時にはキラキラリベラルサヨク)にかぶ

成人したのちに社会への危機感不安から保守ネトウヨ)に傾倒し

結局閉鎖性により未来を歩むことができなくなったとき、またリベラルに歩み寄るというのが自分の半ば人生の遍歴である

二度目のリベラル化の歩みではネトウヨへの理解もかなり高まっているのでその排他性にも一定の理解を示すことできた。

ところが、SNSを見る限りでは、世間ではそういった一定の理解という概念希薄であり、自らの性質絶対性がアピールされる。

保守排外主義が国は守るための感情の発露であるり決してファシズム精神ではなく

リベラル売国奴揶揄されるが、公平さと解放を是とする結果であり、本人らは売国奴など夢にも思っていない。

ところが両陣営それがわかっていない、理解できないようなのだ

いい例が今回の兵庫県都知事選挙であり、リベ保守お互いがお互いを絶対的な真実であり正義と捉えているから話が錯綜する

最終的にどっちがリベでどっちが保守なのかもわからなくなっていわゆる党派性だけで戦っているむごい事態に発展した。

国を思う気持ちは一緒なのにこの分かり合えなさは難儀であるとともに、民主主事課題とも感じる。

anond:20241210192244

もし虚偽の書き込みが元になって暴動が発生した場合はてな責任を問われかねない。

この理論でいくと、もし真実書き込みを虚偽扱いしたブコメが元になって日本人による暴動が発生した場合も、はてな責任を問われるの?

医療脱毛真実についてお話しま

アリシアクリニックが倒産したらしい。最近どんな状況なのか追ってはいなかったが、まあせやろなという感じである

自分は数年前に某大手医療脱毛クリニックの経営元に勤めていた。

医療脱毛ってのは客が行く店舗があって、それの母体である医療法人ってのがあって、さらにその医療法人と手を組んで広告打ったりコンサルしたりしてる会社があるわけだ。

でもって客から一括なりローンなりで巻き上げた金がどこに行くかっていうとほぼほぼ広告費ね。あと人件費。先にこれらに金を使って、新店舗どんどん作って、客を集めて金を稼いでまた広告出して、の繰り返しの自転車操業自分が勤めてたとこだけじゃなくアリシアや他のクリニックもそうだと思う。

破産が近づくと、店舗ではどうだか知らないが本社では何となく空気感が変わり始める。

まず人事異動えげつない。上もコロコロ変わるし、一部署丸っと消滅したりする。そんなんだから業務フロー概念破壊されて、日常の本当に些細な業務とかがかなり回りづらくなる。

経営方針も変わる。質を謳っていたのにバカみたいな低価格プランを出し始めたり、まだパイが残ってそうなところ(男性とか高校生とか)向けプランに力を入れ始める。こうなったらもうどうしようもないです。ある日突然クリニックの担当医が消えて看護師も何も知らないまま出勤したら閉院になってたとか、ローン組んでるのは別の会社からクリニックが潰れてもローンは払い続けてねとか。悲惨ですね。

じゃあどういうクリニックを選べばいいのか?簡潔にまとめるとこうだ。

①都度払いができる

公式HPに「◯◯店オープン!のニュースが並びまくってない」

姉妹店もまともかどうか確認する

①は簡単、何かあった時のリスクヘッジ。できるところはかなり少ないし割高にもなるけど、数十万の虚無借金を抱えるよりはよほどマシだろう。

②は開店!閉店!を繰り返してるクリニックは確実に資金繰りヤバいので。

③は、たとえば◯◯株式会社医療法人▲▲と医療法人△△を抱えていて、それぞれ▲▲クリニックと△△クリニックをやっている、みたいな場合がある。片方の様子がおかしかったらもう片方も共倒れするのでやめた方がいい。

結局のところ誰が悪いのかといえば、一概にはいえないけど経営者だとか出資者だとかその辺である店舗看護師は悪くない。医療法人のトップも悪いが、美容系のクリニックをやる医師倫理観なんぞ存在しないので責めたところでダメージゼロだと思う。

借金拵えた皆さんはご愁傷様です、美容医療ビジネスをこき下ろして次の被害者を減らしていきましょう。以上。

anond:20241211114527

ぶっちゃけ嘘つかんでも真実の側で十分追い出すための動機はあるでしょ

産業界違法企業に牛耳られてるのが公になってないか政治的には今は勝ってないってだけで

レスバや批判価値を感じなくなってしまった

今までレスバや批判や不満表明に人生の大半を捧げてきたように思う。

しかしいろいろ不満やストレスがたまって爆発し、自分立ち位置悪化した結果、自分と向き合い自分性格の悪さを直視した。

ふと気付くと前のようにレスバの集団に飛び込めぬ。何を言ってるんだと思ってしまう。そんなことしてなんになる。人は本当に死ぬんだぞと。いつか本当に死ぬんだと。そんなレスバばっかりする人生でいいはずがない。なんでそんなに情熱を傾けられるのか、なぜ自分はそれに熱中していたのか、忘れてしまった。それは自分の中から消え去ってしまった。

レスバや批判というのは生きる価値を感じさせてくれるのだと思う。浅いようで意外と深いのだ。こんなやつらがたくさんいるから、自分は生きにくい。生きにくいのになんとか頑張っていけている自分には価値があるのだと思える。そういう証明を試みている行為だ。

自分価値を感じるためにレスバするのだ。

一方真剣に世の中を変えようとすると、批判に晒される。一生懸命やっているだけじゃ足りないのだ。罵倒され嘲笑され馬鹿にされ虚仮にされ、うまくいかない。神聖でない部分を徹底的に攻撃されて、人としての不完全さを批判される。ダメになりかける。

AIとただ対話しているだけの方が楽しいしかしどうにも虚しい。孤立している。孤独であるレスバしているときはそうでもなかった。

もうレスバや批判時代は終わりが来るかもしれない。終わりが来ないにしても、精神がおイカレになったと断定されるだけになる。

己の中で誰かに責任押し付けたり悪をなすりつける時代が終わりを迎えたとき、己の悪と対峙することになる。その悪は巨悪だ。少なくとも自分にとってはそれは真実だ。

自分はこれから己の悪を克服しなければならない。虚しさと絶望自分が築いてきた巨塔だ。しかしそれにしても、己の全尊厳をかけて誰かとレスバし、批判に明け暮れ、ニヒル他者嘲笑して、やり込めたいものだ。

前橋市はなぜ高崎植民地なのですか

前橋市高崎植民地」という認識は、事実と異なる誤った情報です。このような認識が広まっている原因としては、以下の点が考えられます

歴史的背景:

都市歴史的に近接しており、経済文化的交流が深かったため、誤解が生じた可能性があります

都市間の競争:

都市とも群馬県の中核都市として発展してきたため、都市間の競争が激しく、その中で生まれ都市伝説のようなものが広まった可能性があります

情報源の誤り:

不確かな情報インターネットなどで拡散され、それが事実として受け止められてしまった可能性があります

実際の状況

独立した市:

前橋市高崎市は、それぞれ群馬県内の独立した市であり、一方の市が他方の市の植民地という関係ではありません。

異なる特徴:

都市は、歴史産業文化など、それぞれ異なる特徴を持っています

協力関係:

都市は、県の中核都市として、お互いに協力しながら地域の発展に貢献しています

なぜこのような誤った情報が生まれるのか

都市伝説:

都市伝説は、根拠のない噂や誇張された話が、人々の間で真実として広まってしま現象です。

情報過多:

インターネットの普及により、情報が氾濫し、真偽の判断が難しくなっています

特定視点:

特定視点感情に基づいて、情報を歪曲して捉えてしまうことがあります

まとめ

前橋市高崎市の植民地という認識は、事実無根の情報です。両都市は、それぞれ独自文化歴史を持ち、群馬県の発展に貢献していますインターネット上の情報には注意し、複数情報から情報収集することが重要です。

2024-12-10

誤情報もあるだろうが、シリア悪名高いセドナ刑務所の隠された地下への入り口が見つかったんだってな(1時間くらい前に)。

一体、何が出てくるんだろう。遺体処理場と言われてるが、拷問の末におかしくなった精神異常者を閉じ込めてるとの話もある。

そもそも刑務所内の管理部屋?(監視カメラ映像とか見れる部屋)で監視カメラ映像見てるとまだ部屋あるやんけ!ってなって、地下を探すことになったらしいが。

まじでこういうところの情報を金のあるメディア様には追ってほしいねインターネットだけじゃ真実かどうか分からん

2024-12-09

立花が言うバカとか野菜ってのは立花批判している人たちもそうだと思うんだよね

必死批判しているのは真実を隠しているからだ!」みたいな考えに至る人もいることは容易に想像できるのに、それでも安易立花は嘘つきだって衝動的に書き込む人が絶えないのは、立花を利してるよね

衝動的じゃない、理性に基づき冷静に判断しているって思ってるかもしれないけど、そんなに単純ではない、少なくとも兵庫県文章問題について外野がアウトかセーフか判断し得る状況ではないと思うんだよね

例えば、局長3月12日文章を送付した兵庫県警は公益通報の第3条第2号として受理していないと回答しているんだけど、たぶん知られてないよね

兵庫県警に対して公益通報だろ!みたいな批判がないことを考えると

ウィキペディアにも書いてあるから見てね

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E5%BA%81%E5%86%85%E9%83%A8%E5%91%8A%E7%99%BA%E6%96%87%E6%9B%B8%E5%95%8F%E9%A1%8C

局長3月12日文章を送付した後、4月4日に改めて文章を送付しているんだけど、4月4日のは公益通報ではないですよね、とは斎藤知事は言ってないんだよね

3月12日局長から文章を送られて3月27日定例会見までに、局長文章公益通報だと取り上げた人、メディアはなんとゼロ

先述したように送付先の一つ、兵庫県警は公益通報として捉えていないと答えるくらい

なので4月4日局長は改めて実名文章を送ることになったんじゃないの

極端な話だけど、局長3月12日立花にも文章を送っていたら立花斎藤槍玉に上げてたかもしれないと思いませんか?

実際にはオールドメディア揶揄される方が3月12日からずっと遅れてからそれをした

文章問題はそれ以外にも既に公開されている情報だけでもかなりややこしく、十分な情報があるわけでもなく、しかも私達は弁護士資格すらない

まり有罪無罪判断し得るわけもなく、立花に乗っかるのも、立花批判するのも、判断することは不可能なはず

それなのにネガティブ・ケイパビリティ的なものが失われているのか、なぜか私達は強い言葉を使いたくなるらしい

うちの親は、昔はちょっと陰謀論くさい本なんかも読んでいたけど、信じ込むことはなかったみたいだ。

からの習慣みたいなもの大事にすることがあるが無宗教で、新興宗教胡散臭いものを嫌う。基本的人間をあまり信用していないのかもしれない。

スマホを使うようになってからも、余計な機能を使おうとはしない。お陰で、YouTube真実に目覚めたりもしていない。テレビがそこそこ好きで、ネットは嘘つきと詐欺師の溜まり場だと思っている節がある。

から病気になれば病院に行くし、医者の言うことを信じる。東洋医学代替治療を信じない。たぶん内心そういうもの馬鹿にしている。

こういう姿勢は、まあ、助かる。

今後痴呆の症状が出てくると変わってしまうかもしれないが。「まだマシ」なのだ

anond:20241209163506

それジジイが言ってることが真実だぞ

疑え

勘繰れ

お前は騙されてる

anond:20241209083035

この前に逮捕までいった事件があったのによくやるね。受理した後の警察の行動が早くなっている時期なのに。名誉毀損って**それが真実であろうがなかろうが**成立する、刑事罰対象になるものなわけなんだけど。

父のいふ

思ひ出きこゆ

我の色

真実なりと

知ることもなく

海外の有名な俳優だったか言葉に、人生価値あるのは金や地位名声ではなく、一緒に笑い合える家族友人だ みたいな言葉があった

若い時に聞いていたらただの耳障りのよい綺麗事だと聞き流しただろうし、今も よく聞く言い回しだなとは思う

けど、まあ真実ではあるんだろうな、と思うようにはなってきたな

幸福感の効率を考えた時に、信頼できる人間関係があり、笑うことができるというのは大きいのだろうと

生憎自分は人付き合いも悪く人を信じる楽観的な性格もしていないので、よくある幸福こそが難しく感じてしま

それでも伴侶がおり、家族仲は比較的良好で

幸福感を得るための効率としては、まあうまくやれてる方なのかもしれないな

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