はてなキーワード: 国家とは
私は成田悠輔氏をよく知らなかったので、とりあえずWikipediaを眺めてみたんだけど、これがなんで称賛されるのかよく分からなかった
https://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/narita-yusuke/04.html
民主主義が重症である。21世紀の政治は、インターネットを通じた草の根グローバル民主主義の甘い夢を見ながら始まった。だが現実は残酷だった。
「民主主義が重症」って、スポーツ新聞とか週刊誌みたいなキャッチーな一文で始まる
これ、「民主主義が重症か?!」にすれば、ほんとスポーツ新聞である
「インターネットを通じた草の根グローバル民主主義」の「甘い夢」ってのも、インターネット黎明期に大学とか大学院とか研究所とかいた自分にはちょっとピンと来ない
ネット上で勝手にアクティビズムというか、ハクティビズムというか、そういった政治活動が行われてたいるのかもしれないけど、
匿名性の高い、最近の闇バイトでも使われてるTelegramやSignalでそういった政治活動してる人もいるんだろうけどね、まあテロリストも多いと思うけど…
しかし、のっけからポエミーだな、こんな感情的な文章が称賛されるのか、経済産業研究所…😟
で、コロナの死者数が民主主義の国ほど多い、みたいな単なる回帰分析のグラフがあるわけだけど、
一応、日本も民主主義国家だと思うし、反ワクチンだの反マイナ保険証だの騒ぐ人がいるぐらい民主主義?な国なんだから、
日本もアメリカや西欧と同じぐらい、コロナで人が死んでないとおかしくないか?
こんなグラフからなんとなく思ってしまうのは、例えば、白人ほどコロナで死ぬ傾向があるということ
じゃあ、ロシアは何なの?みたいな話になるだろうけど、例えば、自分は中国とかロシアのGDPだの、経済指標だの、
中国、ロシア、北朝鮮みたいな政府が発表する数値は、基本あまり信用していない
本当にそんなに凄いの?中国はそんなに経済発展してるの?中国といっても国土が広すぎて、辺境はどうなの?
ただ、見て一発でワカラセられちゃうのは認めざるを得ないんだよ
中国のIT関連の製品とか、ロボットとか、自動車とか、流石に見て凄いと思わせられるものは認めざるを得ない
でも、GDPだの、コロナでの死亡者数だの、正直、あんまり信用できないんだよね
なんというか、この成田氏の話は、かなり結論ありきで、高齢者集団自決の話もそうだけど、
キャッチーなオチが先にあって、雑なグラフとか考察見せて、ほらね?という感じにしか思えない気がする
なんか、最近はひろゆきっぽいのがウケるのかな、とも思うけど、ひろゆきは成田氏とも違うんだよな
例えば、ひろゆきって学歴とか職歴による差別というか区別はあるべきだって言ってるし、
正社員になれとか、会社に入ったら出世しないと老後に向かって大変なことになるよとか、
つまらないぐらい当たり前というか、常識的な、多数派の意見をネットでも振りまいてる
なんでかって、多数派についた方が弱い者いじめできるからなんだよね
ひろゆきがやってるのは、結局弱い者いじめがしたい、ということであって、ネットでその弱い者がわざわざ質問書いてひろゆきに与えてるんだよね
例えば、こうこうこういうことがあって会社辞めたいんですけどどう思いますか?みたいな質問に、やめない方がいいと思います、とバッサリ答えるのがひろゆき
つまらないぐらい常識的なんで、ひろゆきにわざわざ質問する人って何なの?と思ってしまうんだけど、
結局、ひろゆきに質問しなくても、普通、会社を辞める前に誰でも葛藤してるんだよね
会社を辞めるべきではない、という常識と、辞めたいという欲望というか希望が、普通葛藤してるわけで、ひろゆきに質問する必要ないわけだけど、
誰かに背中を後ろから押してほしいみたいな感情もあるから、ひろゆきに質問しちゃうんだろうけど、
結局、ひろゆきは多数派の意見を言うし、それをする理由は弱い者いじめがしたいから
だって、自分は4chanなりから金が無尽蔵に入ってくるわけで、日本のルールとか競争の外、安全圏にいるわけだから、
安全圏から、日本に住んでひーこらしてる一般ピープルを下に見て、酒を飲みながら悦に入りたい、それだけなんだよな
成田氏はそういう点でひろゆきとは異なるけど、なんとなく、自分が持っていきたいオチが透けて見えるのは似てる気がする
理系として大切なことって、まずオチを消去することだと思うんだよね、仮説は立てるけど
まあ、仮説を立てたら、仮説通りに行ってほしい、という欲があるのは否定できない、STAP細胞じゃないけど
でも、とりあえず結論を削除して、まっさらな状態から実験したり、データから考察したりを繰り返して、
オチはつまらないオチでした、でも納得するのが理系だと思うんだよね
でも、なんかシンクタンクとか、そういう類って、勝〇なんとかもそうだったけど、ポエム、ポエミーな人が評価されるのかな、と思ってしまった
先日このようなことを書きました
同性婚を認める議論を始めるなら、兄弟姉妹婚、親子婚、小児婚、一夫多妻、一妻多夫、その他諸々もOKの方向で検討しないといけないけど準備できてるんかなあ?落とし所は法定婚の制度廃止しかないと思ってる
すると以下のようなエアリプがありました
同性婚を認めるならナントカ婚も認めろ~な人が湧いてるけど、現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利を主張されてもな。本気でそう思ってるなら同性婚の当てこすりじゃなくて普段から真面目に活動なさいよ
「現代まともな先進国でおよそ認められてない権利を主張されてもな」というコメントですが、これを通して、現在の法定婚として認められない婚姻の形について考えられるという点でとても良いコメントだと思ったので紹介させてください。
まず、「現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利」とありますが、私があげた婚姻の形のうち、幾つかはある程度の規模の国において実際に法定婚として認められています。
例えば
昨今幾つかの国で認められつつある同性婚もかつては「現代のまともな先進国でおよそ認められてない権利」だったことも重要です。その状況から同性カップルも異性カップルと平等に扱われるべき、という社会正義としての平等を主張し、現在までに世界各地で「活動」を行ってきた結果、同性カップルの法定婚が認められつつあるという現状があります。
では、この「平等」が兄弟姉妹婚、親子婚、小児婚、一夫多妻、一妻多夫にも与えられないのは何故でしょうか。
親子婚、小児婚については本人の同意などの点から問題がありそうなのはなんとなくわかります。(子供の自己決定権や人権の観点からやや危うい話ではありますが)
しかし宗教的、文化的な背景があって日本以外の国では法制度化されている国もある兄弟姉妹婚、一夫多妻、一妻多夫についてはどうでしょうか?公平の観点からは同性婚と同じく法定婚として認めるべきではないでしょうか?
認めるべきではないならその理由はなんでしょうか?同性婚とはどこが違って認められないのでしょうか。
しっかり考えてみると意外と難しい問題であることがわかるかと思います。また考える過程で「現代のまともな先進国」のような自分の中に気づかずにある差別意識にも向き合うことができるかと思います。
ここで言いたいのはお前は差別者だ!と指摘したいわけではなく、自分の中の歪みに気づいた上で話してほしい、ということです。
私も個人的な感情としては一夫多妻などは認めなくないという思いがあり、自分で実践するとは到底思えません。ただ、ムスリムの家族の方の権利という観点で考えると異性間での法定婚制度があるのであれば、一夫多妻の夫婦も公平性の観点から法定婚として認めるべきだろうとは思っています。
法定婚の未来や公平なあり方について考えると、自分の中の常識、ここでいう「まともな」という基準の外にある文化の人々の婚姻の文化をどう尊重していくべきか、という話になります。その中でどうしても認め難い婚姻の形についても考えないといけないこともあるでしょう。
その時に嫌だと思ったことことに対して正当化するような理路を作るのではなく、自分の中にある差別的な考えとして認識してほしいと思っています。
(「本気で〜」以降は私の書いた内容に対する直接的な意見ではないし、荒唐無稽な主張であるのは一読でお分かりいただけると思うので本項では言及しません。)
1. 格安で女を買ってくる
4. 次の子供を産ませる
5. 以下繰り返し
そこでこの案だ。
移民の問題点は、移民の子がまともな教育を受けず、日本の文化に馴染まず、移民の子同士でつるみ、移民の孫を再生産し、ギャング集団を形成することだ。
この案であれば、子供は日本生まれで、外見も日本人と違いすぎず、日本語が喋れて、ちゃんと教育を受けているから、害悪移民にはならないだろう。
母親から変な影響を受けないようにするために、なるべく早く引き離して、日本人としてのルーツ意識を植え付けることが肝心だ。
ハーフ移民同士で付き合っては意味がないので、なるべくこの方法で生まれた子供同士が接点を持たないように気をつけなければならない。
---
時は11世紀初頭。平安中期、摂関政治が絶頂期を迎えようとしている頃、現代の法律学と立憲的思想、近代的な統治理論を身に着けた人物が、突如として藤原道長(966-1027)の意識を獲得する。外祖父関係を巧みに利用し天皇を後ろ盾に絶大な権勢を誇る道長。だが、中身は現代の法学者であり、彼は当時の秩序と衝突しつつも、新たな政治手法を打ち出そうとする。
---
現代法学者としての道長は、専横的な外戚支配の構造を活用しながらも、より「持続的な統治基盤」を確立したいと考える。単なる外戚支配や縁故人事ではなく、ある種の「法による秩序」や「規範の再整理」を志す。もっとも、当時は成文法典(律令)はあれど実効性が弱まりつつあり、慣習法が強く、荘園が乱立している。現代人道長は、この状況に対して次のような施策を構想する。
従来、道長をはじめとする藤原摂関家は多くの荘園を私有し、それらを権勢の基盤にしてきた。しかし、現代の法的知見を持つ道長は、「法的安定性」が経済発展をもたらすことを理解している。彼は、荘園の境界画定や、重層的な領主権の整理を試みる。
- 公領(国衙領)の管理を強化し、名実ともに朝廷支配下に収めるための行政改革に着手。
- 荘園の認定基準を明文化し、恣意的な安堵や寄進による権力争いを減らす試みを行う。
- 貴族や有力寺社に対しては、既得権益を即時奪うことは難しいが、中長期的な土地台帳(「古代版不動産登記」)を整え、その正当性を公的に認める代わり、租税や労役義務を明確化し、流通性ある土地制度を志向。
律令法が名ばかりの存在となり、令外官や慣習的措置が横行する世界で、道長は現代的な法整備思想を導入する。
- 首都(京)における治安維持機関である検非違使の権限と組織を再編し、盗賊取締、秩序維持のための明確な司法手続を設ける。
- 公家社会内部で行われていた人事や地位継承に関して、記録主義(ある種の「公文書主義」)を徹底。昇任や叙位叙爵の基準をある程度定めることで、人事が完全な縁故に流れないよう微調整を図る。
道長は外戚としての地位を最大限活用しつつ、天皇の権威を安定的な「象徴」に引き上げることを考える。天皇に形式的な最高権威を担わせ、実務は「関白」の地位を活用して円滑に処理するが、現代的道長は「院政」的な発想を先取りするかもしれない。
- 天皇に幼少期は摂政、成年後は関白が補佐する原則を維持しつつも、天皇周辺に専門官僚を育成。
- 従来の「外戚依存」から、より制度化された「最高法規」の存在感を醸成。例えば、改定版『令』をまとめ、これを朝廷全体の根拠規範として位置づけることで、朝廷と藤原家を法的な結びつきで強固にする。
道長は宮廷文化を愛し『紫式部』や『清少納言』ら文人たちとの交流を深める一方、現代的な行政手法を取り込むためにも知識人層の拡充を図る。
- 国司や受領階層に対し、任地における法令遵守・文書管理・税制の透明化などを要求。できる限り審査を厳格化し、違反者には適正な制裁を行う。
- 大学寮や学問所に法制研究や史料編纂部門を新設し、古代律令や判例に相当する事案記録を蓄積。徐々に「法文化」を育む。
- 漢籍研究とともに、自身が知る社会契約や合意原則に近い概念をそれとなく導入し、為政者と被統治者の関係を「力による支配」から「正当性による支配」へと移行させる試み。
北方の蝦夷や、唐・宋との交流、さらには大陸や周辺国との海上貿易を法的に整理する。「道長的改正律令」には、交易ルールの明記や関税的な仕組みを生み出し、国家財政を強化するとともに、軍事力を令外官頼みから、一定の法規範に沿った動員・統制へ転換。
- 軍事貴族や地方武士層との契約関係を整え、「官」と「私」の軍事力を峻別した初期的な国軍組織化を図る(もちろん当時としては極めて斬新)。
- 貿易港での入港手続や国際通行ルールを整備し、財政基盤強化を狙う。
---
もちろん、このような施策は周囲にとって奇異であり、保守的な貴族層からは激しい反発も受ける。しかし「藤原道長」という既に頂点に君臨する権力者の威光、そして自らが有する実務的手腕と知識によって、徐々に新しい秩序を「慣習法から合意された法」へと移し変えようとする。結果として、荘園の雑多な管理が少しずつ明確になり、暴力的な権益争いは減少、都はある程度の治安維持機構で安定する。
やがて、次世代には「記録とルール」に基づく人事・土地管理が浸透し、法制を軸にした政治文化が醸成され、藤原家の権威は「道長改革」として後世に語り継がれることになるかもしれない。
リベラルでフェミで知られてる川原泉は漫画「笑う大天使」で「この平安人は色恋沙汰以外になーんも考えとらんぞ」 「人間として考える事は他にも沢山あるのにね。国家の権力構造に対する疑問とかー、社会的な矛盾に対する怒りとかー」 「一度…光くんにマルクスの資本論読ましてやりてぇなー」とキャラに発言させてたぞ
ところで大河ドラマ「光る君」は、藤原道長と紫式部を不平等に問題意識を覚えるキャラに設定していたが、描かれたのはだいたい政争と人間模様で「民のための政治をする」とか言うけど具体的政策の説明はあんまり時間を当てられない韓ドラみたいな作品だなと感じた
「「土地を返せば紛争が解決する」という意見は、一見シンプルで道理に合うように見えますが、イスラエルとパレスチナの歴史的、宗教的、政治的背景を考えると、単純化されすぎています。以下に論理的な反論を挙げます:
---
イスラエルとパレスチナの双方が、現在のイスラエル領土を歴史的・宗教的に「自分たちの土地」と主張しています。
ユダヤ人は、古代イスラエル王国がこの地に存在し、宗教的にも約束の地として捉えています。
一方、パレスチナ側も数世紀にわたりこの地で生活してきたため、自分たちの土地と考えています。
反論: 「土地を返す」とは、どの土地をどの時点の基準で返すのかを明確にしなければ意味がなく、問題を解決するものではありません。
---
過去に、イスラエルが譲歩して一部の土地を返還した際、たとえば2005年のガザ地区撤退後に、ハマスが支配を強め、そこからイスラエルへのロケット攻撃が増加しました。
反論: 土地を返還するだけでは安全保障上のリスクが残り、紛争の解決にはならない可能性があります。
---
紛争の根本的な原因は、単に土地ではなく、民族的なアイデンティティ、宗教、政治的な対立にあります。
たとえば、パレスチナ側の一部勢力は「二国家共存」を拒否し、イスラエルの国家としての存在そのものを認めていません。
反論: 土地返還はあくまで一部の問題を解決するに過ぎず、根本的な対立構造が解消されなければ紛争は続く可能性があります。
---
イスラエル国内でも安全保障や宗教的な理由から「土地の譲歩」に反対する声が根強く、政治的合意が困難です。
同時に、パレスチナ側も内部で統一された意思決定が難しく、和平交渉が進まない背景があります。
反論: 土地を返還するという案は、現実の政治的・社会的状況を無視しており、実現性に欠けています。
---
イスラエルは、1948年の建国時に国連決議(181号)を基に合法的に設立されました。その後の領土拡大については議論があるものの、すべてを「奪われた土地」とするのは誤解を招く可能性があります。
反論: 「土地を返せ」という主張は、国際法や歴史的背景を考慮しておらず、単純化されすぎています。
---
土地の返還が和平に寄与する可能性はあるものの、それが紛争を完全に終結させる万能の解決策ではありません。紛争の原因は土地問題だけではなく、双方のアイデンティティや安全保障への懸念、歴史的な不信感など多岐にわたるため、「土地を返せば紛争に巻き込まれない」という主張は現実を十分に反映していないと言えます。
」
政府効率化っていうのはリバタリアニズム的な考え方の一部だけど、マイナ保険証っていうのは完全移行されれば手続き効率化の側面があるとはいえ、本質的な考え方は政府の裁量により把握・管理できる部分を肥大化させる社会主義寄りの政策だよ。デジタル監視社会が進展してる中国を想像したらそっちに近いことが分かるはず。リバタリアニズムであればこういった国家による強制保険みたいな個別制度は生まれず、より上のレイヤーで統合的に最低保障をする、つまり負の所得税ベースの給付内で各自対処させるような考え方になるはず。保険会社も民間のしか存在しなくなり各自がちゃんと調べなきゃいけなくなる。それが小さな政府。
イスラエルによるハマスへの攻撃は、ハマスがイスラエルの民間人を標的とした一連のテロ攻撃に対する正当な報復行為として位置付けることができます。一方で、ハマスの行動は、いかなる立場からも正当化することはできません。以下にこの立場を説明します。
イスラエルは、国民の生命と安全を守る責任を負っています。ハマスによるテロ攻撃では、民間人が標的となり、多くの命が奪われました。このような攻撃に対して反撃し、テロの再発を防ぐ行為は、国際法上の自衛権に基づいて正当化されます。
ハマスは、意図的に民間人を標的とし、社会に恐怖を広げることを目的とした行動を取っています。これに対処しないことは、さらなる暴力を助長するリスクを伴うため、国際社会もイスラエルの防衛行動を支持することがあります。
ハマスの攻撃は、明らかに非戦闘員である民間人を標的としています。これは国際人道法(ジュネーブ条約)に違反する行為であり、いかなる状況でも正当化できません。
多くの国や国際機関は、ハマスの行動を「テロ」として非難しており、これを抵抗運動ではなく犯罪行為として見ています。特に民間人の大量殺害や人質の利用は、国際法上重大な戦争犯罪に該当します。
ハマスの攻撃は、意図的に民間人を標的とした無差別テロであり、どのような文脈においても正当化できません。一方、イスラエルの行動は、自国民の安全を守り、テロ行為を防ぐための自衛措置として正当と見なされます。しかし、報復の過程で民間人が巻き込まれるリスクを最小化する努力は、イスラエル側にも求められるべき課題です。この立場は、国際法と人道の観点からも支持されます。
ハマスによるイスラエルへの攻撃を「テロ」とみなす理由は、以下の点に基づきます。
テロリズムの定義では、特定の政治目的を達成するために、恐怖を与える意図で民間人を標的にする行為が含まれます。
2023年10月にハマスがイスラエルに対して行った攻撃では、音楽フェスティバルなど民間人が多く集まる場所が標的となり、多くの無辜の市民が犠牲となりました【11】【12】。
ハマスは国家ではなく、国際的に「テロ組織」と認識されている主体です(米国やEUなどがハマスをテロ組織に指定)。
そのため、ハマスが行う武力行為は国際法上、戦争行為というよりは「テロリズム」として扱われる場合が多いです【10】。
ハマスの攻撃は、イスラエルとの長年の対立やパレスチナ問題を背景に、政治的・宗教的なメッセージを伴っています。この点もテロ行為の特徴と一致します。
4. 国際社会の反応
多くの国際機関や国家が、ハマスの行動を非難し「テロ」と位置づけています。例えば、国連の一部機関では、ハマスによる民間人への攻撃が人道法違反であると指摘されています【12】。
ハマスの攻撃は、民間人を対象とし、恐怖を与えることで政治目的を達成しようとする点で、テロリズムの定義に該当します。一方、ガザ地区での軍事的要素やイスラエルとの対立の複雑さを考えると、単純に「テロ」と分類するのではなく、紛争の背景全体を理解する必要があります。
現人神として扱って行幸以外での外出は一切禁止にした方がいいのでは?
結局のところは、日本という国家が運営してる宗教の神以外の何者でもないんでしょ?
そこを誤魔化て「大学を卒業するまでは自由にやらせてやろう」とか「結婚相手ぐらいはある程度好きに選べ」とかそういうことするから余計に苦しむんじゃん。
貧困国の子どもに半端な気持ちでお菓子を上げると自分らが普段食ってるものの不味さに絶望させてしまうから絶対やめろって話と一緒じゃないの?
人権、一切奪おうぜ。
SNSや動画サイトを使った民意誘導が疑われる事件が今年に入って多発している。
組織的に動いてる奴らには勝てねぇ。
じゃあどうするか?AIで作っちまえば良いんだよ、個人が百人の組織を。
AIを使ったプロパガンダは厄介だが、逆に言えば俺らもAIを使って情報を広げられるという事だ。
しかし民主主義信奉者は呑気なことに、自分が声高に叫べば人々は気付いてくれると思ってる。
そうだけど違うんだよ。
民主主義は人々が十分な情報を持ってなければ成り立たないのはその通りだ。
しかしお前の義憤ツイートは巧妙に組織された大量のボット軍の前ではゴミ同然なんだ。
だからこそお前の義憤を複数のボット使って広げなきゃ駄目なんだ。
ChatGPTにどうするか教えてもらいつつやればプログラマじゃなくても出来る。
うまく運営できていると感じたら垢バンに気を付けつつ二つ目、三つ目のボットを作れ。
そしてお前の信じる世界を広めろ。
あたりまえだろばーか
日出ずる国の単一民族国家幻想ぶち壊された挙げ句、皇室からも「天皇って人間なんだけど知ってた?」みたいなお気持ち表明されてネトウヨは何回憤死すればいいんだろう
大イスラエル主義は、イスラエルの領土を、現在の国境を超えて歴史的なユダヤ人の土地とされる地域全体に拡大しようとする思想です。
具体的には、
* 西岸地区、ガザ地区、ゴラン高原など、現在イスラエルが占領している地域の併合: これらの地域は、歴史的にユダヤ人が居住していた土地であり、イスラエルの固有の領土であると主張します。
* パレスチナ国家の樹立に反対: パレスチナ国家の設立は、イスラエルの安全保障を脅かし、歴史的なユダヤ人の権利を侵害すると主張します。
* 宗教的な根拠: 古代イスラエルの領土を回復するという聖書的な解釈に基づいている場合もあります。
* 国際法違反: 国際法上、武力による領土の変更は認められていません。
* パレスチナ人との対立激化: パレスチナ人にとっては、自分たちの土地を奪われることになり、深刻な人道危機を引き起こす可能性があります。
* 中東和平の障害: 大イスラエル主義は、中東和平交渉の最大の障害の一つとされています。
* 歴史的な権利: ユダヤ人は、古代からこの地に根ざしており、歴史的な権利に基づいて領土を主張する権利がある。
* 安全保障: パレスチナ自治政府がテロを支援しているため、イスラエルの安全保障を守るためには、これらの地域を完全に支配する必要がある。
* 宗教的な使命: ユダヤ教の教えに基づき、古代イスラエルの領土を回復することは、神の使命である。
補足
* イスラエル政府の公式な立場ではありません: イスラエル政府は、公式には大イスラエル主義を掲げていません。しかし、一部の政治家や市民団体は、この思想を支持しています。
* 複雑な問題: 大イスラエル主義は、歴史、宗教、政治、安全保障など、様々な要素が複雑に絡み合った問題です。
より詳しく知りたい場合は、以下のキーワードで検索してみてください。
* イスラエル
* パレスチナ
* 中東和平
* ガザ地区
* ゴラン高原
最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。
フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれた作曲家。リストはハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリで成功を収めた関係上フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノの表現可能性を著しく拡張したからだ。膨大なリストのピアノ作品から7選ではきついので、リストの活動時期に区切って7選ずつということにした。
クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的、内向的な音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。
リストのピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパンの場合作品数は200強。単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソン、アシュケナージ、横山幸雄も作ってますね)、レコード会社の企画モノで複数のピアニストを起用して制作されることもある。横山氏みたいにぶっ続けの連続演奏会を開いてしまうことも不可能ではない(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。
しかしリストの場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数のピアニストを起用しているNAXOSのリスト・ピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない(もし完結していたら教えてください)。その点で単独でリストのピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリー・ハワードのCD(Hyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせて99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能/https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。優れたピアニストであるハワードでも、短期間に、といっても10年以上あるが、大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワードの全集を推薦するわけにもいかない。とはいえ、ハワードのおかげで取り敢えずリストのピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ハワードのCDを一巻ずつ紹介している古くからのサイトがあり、本当に頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。良くない演奏もバシバシ指摘している。
リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲の理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風を意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽の場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リストの場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマールの宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着けて作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのもの。父を失って本格的にピアニストとして稼がねばならなくなり、大スターになっていくが、仕事ばかりで事実上の奥さんとは破局する。そして後年の恋人カロリーヌと出会い、ヴァイマールの宮廷楽長に就任するまでだ。
作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲の区別にとって大事になる。しかし、リストの作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリスの音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)である。Wikipediaにもサール番号順のリストの作品一覧があるので参照されたい。
彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品。リストはハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラム(NAXOS全集20巻)は未聴。パガニーニの影響を受けたあとの改訂版(24の練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。
2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版)
タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体はこちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔のサバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リストも熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響を可能な限りピアノで再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者の演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニ・ベルッチ(CD未所持)は公式YouTubeに演奏動画をアップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスしやすいだろう(録音は一番良い気がする)。
3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版)
1828~34年に欧州でコンサート・ツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂的ファンを獲得した。リストもパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品からの編曲だ。ヴァイオリンの技法をピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章の編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニの原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲は24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。
かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympiaの再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏の非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフの演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベルな演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。
困ったことにペトロフの映像は中々手元を写してくれない。ニコニコ動画で「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフがカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。
4. 旅人のアルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺:ヴェネツィアとナポリ」(1859年改訂版)
ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界を代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リストは1834年頃からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダルは芸能人の特権。
特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的なパリ帰国も挟みつつ)スイスやイタリアへの旅行に順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。
旅人のアルバムは、スイス旅行で見聞きした風景や民謡をモチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景や芸術作品から受けた霊感を表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。
旅人のアルバムはほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹の小説中に登場したせいでクラシック音楽のCDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである。巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドス(SONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リストの最高傑作の一つである「ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマ問わず色々いる。
5. ベッリーニのオペラ「ノルマ」の回想 S.394(1844年)
幻想交響曲もそうだが、リストの作品の多くを他作品の編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかもいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。
今ならフィリペツの映像(https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾ、マルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスのベンジャミン・グロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。
40年代に作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサートで披露して喝采をさらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種。リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風。特に「ため息」は有名でよく弾かれる。
第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。
スイス、イタリアでマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリストは演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。
41~43年の夏にリストとマリーはライン川の中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院で子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたもの。シャルルマーニュの武将ローラン戦死の誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞:https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数のヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年のバージョンをアンスネス(EMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードもライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。
華麗なオペラものやシューベルトの歌曲の編曲(魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。
「仮にパレスチナに正当性あってもイスラエルの蛮行は止められない」し、「仮にイスラエルに正当性あってもパレスチナの蛮行は止められない」のかも知れない
パレスチナだってもっと以前から国連の二国家共存蹴って戦争しかけたりしてる
メリットで言ったら、テロと報復の関係性でガザ更地になるよりかは、ルールのある戦争の方がいいと思うだけ
戦争するならお互い辞めるべきこと辞めないと
逆に、聞きたいけどイスラエルとパレスチナの関係において、ハマスが民間人の犠牲者を出すなって言うことに正当性があると思う?
1 戦時・事変又はこれに準ずる国家緊急事態時、敵と交戦状態にあったり、社会秩序が極度に乱れ、
行政及び司法機能の遂行が著しく困難な場合に軍事上の必要、又は公共の安寧秩序を維持する必要がある状況であること(憲法77条1項、戒厳法2条2項)
→明らかにそういう状況ではない。要件を満たしていない。尹錫悦は戒厳をするために北朝鮮を挑発した疑いがある。
2 戒厳を宣布したときに、大統領が、遅滞なくその旨を国会に通告すること
(憲法77条4項、戒厳法4条)
3 戒厳布告令その他の戒厳において取られた措置が、憲法及び法律によって予め授権の範囲であること(憲法77条1項、同3項、戒厳法9条等)
→政治活動の禁止や国会閉鎖は、明らかに授権の範囲を超えている。要件を満たしていない。
4 戒厳の宣布に際して、国務会議の審議を経ていること(憲法89条、戒厳法2条5項)
5 戒厳の宣布に際して、その理由、種類、施行日時、施行地域及び戒厳司令官を公告すること(戒厳法3条)
→これは多分OK?でも期限を定めていないからやっぱりアウト?