はてなキーワード: 特権とは
あのさあ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2480038
単にやくざは入れ墨をすることが多く、暴力団排除の一環として、入れ墨を入れている人の入浴を断るようになっただけで、罪人がどうこうとか関係ないのに。
→ まとも(だけどちょっと間違ってる、別に暴力団排除の一環ではない)
現状、日本でタトゥーを入れる人は他人を威嚇する目的で入れている人が多い。喧嘩や揉め事でタトゥーを服の袖からチラチラ見せたりする。他人を威嚇しておいて風呂で差別するなと言われても同情はあまりできない。
→ 温泉NGの理由になってない、じゃあ素行悪い人と犯罪者は温泉出禁なのか?
タトゥー入れたら公衆浴場入れなくなること覚悟して墨入れしてるはずなのに、謎ルールとか言って公衆浴場入りたいな〜(チラッ)するの本当にめちゃくちゃダサいよな〜〜って普段から思ってる
→ 回答になってない、ただの悪口
→ 温泉NGの理由になってない、温泉って一流企業や公務員しか入れない特権領域なんですね笑
昔から入れ墨入った職人が大勢来るような下町の銭湯だと牽制と均衡が保たれてるんだけど、特定のプールや温泉が解禁するとそこだけに反社半グレが集まってしまい…的なことはあるかもしれない
私はしないし私はそれをしている人に近づきたくない、それだけ
→ お前は温泉界のなんなん?
ヤクザを排除したくて、それを見分けるための基準として刺青を採用しているだけの話でしょ。神戸の銭湯ではほぼ確実に刺青の人に出会うよ。特に灘温泉水道筋店は山口組総本部がすぐ近くなので、集団で来てるww
→ うん
タトゥーと無縁の人々に対して威圧感を与えるから、だよね。イメージと言えばイメージなので、それがなくなるのなら問題ない。なくならないうちは議論の余地がある。
→ まあ
本件って「何で入場NGなのか」という疑問に対して「アウトローや犯罪者が多いから」みたいな回答してる人居るんだけど
これめちゃくちゃ頭悪くて、じゃあアウトローや犯罪者は入場NGなのか?と言えばそんなことないんだよね
わかるかなあこの頭の悪さ、国語できなそう
普通に調べると「反社会的イメージにより、周りの人に威圧感を与えてしまうから」って出てくるんだけど
重要なのは「周りの人」なわけよ、嫌ってるのは店じゃなくて他の客ってこと
実際にアウトローや犯罪者が多いかどうかすら関係ない、「周りの客が嫌がるから」以上でも以下でもない
ちなみに、店によってはタトゥーの大きさでNGかどうかを決めてるところもある(全身はNGとか)
隠せばOKのところもあるし、変な話だけど外国人のタトゥーはOKのとろこもある
これはわかるよね、「周りの客が嫌がるかどうか」でしかないから
(周りの客にも何種類か居て、本当に怖がってる人と、子供が怖がるって人と、「ルール違反だ、けしからん!」みたいな輩がいるらしい)
タトゥーNGが広まったのは80年代半ばかららしく、思ったより新しい傾向なんだよね
2015年時点でNGな割合は56%、完全許可が31%、隠せばOKが13%で、今はもう少し許可寄りになっているとのこと
一応言うと俺はタトゥー嫌いだけどな
最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。
フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれた作曲家。リストはハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリで成功を収めた関係上フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノの表現可能性を著しく拡張したからだ。膨大なリストのピアノ作品から7選ではきついので、リストの活動時期に区切って7選ずつということにした。
クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的、内向的な音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。
リストのピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパンの場合作品数は200強。単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソン、アシュケナージ、横山幸雄も作ってますね)、レコード会社の企画モノで複数のピアニストを起用して制作されることもある。横山氏みたいにぶっ続けの連続演奏会を開いてしまうことも不可能ではない(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。
しかしリストの場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数のピアニストを起用しているNAXOSのリスト・ピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない(もし完結していたら教えてください)。その点で単独でリストのピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリー・ハワードのCD(Hyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせて99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能/https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。優れたピアニストであるハワードでも、短期間に、といっても10年以上あるが、大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワードの全集を推薦するわけにもいかない。とはいえ、ハワードのおかげで取り敢えずリストのピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ハワードのCDを一巻ずつ紹介している古くからのサイトがあり、本当に頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。良くない演奏もバシバシ指摘している。
リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲の理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風を意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽の場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リストの場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマールの宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着けて作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのもの。父を失って本格的にピアニストとして稼がねばならなくなり、大スターになっていくが、仕事ばかりで事実上の奥さんとは破局する。そして後年の恋人カロリーヌと出会い、ヴァイマールの宮廷楽長に就任するまでだ。
作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲の区別にとって大事になる。しかし、リストの作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリスの音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)である。Wikipediaにもサール番号順のリストの作品一覧があるので参照されたい。
彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品。リストはハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラム(NAXOS全集20巻)は未聴。パガニーニの影響を受けたあとの改訂版(24の練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。
2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版)
タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体はこちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔のサバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リストも熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響を可能な限りピアノで再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者の演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニ・ベルッチ(CD未所持)は公式YouTubeに演奏動画をアップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスしやすいだろう(録音は一番良い気がする)。
3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版)
1828~34年に欧州でコンサート・ツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂的ファンを獲得した。リストもパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品からの編曲だ。ヴァイオリンの技法をピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章の編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニの原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲は24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。
かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympiaの再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏の非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフの演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベルな演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。
困ったことにペトロフの映像は中々手元を写してくれない。ニコニコ動画で「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフがカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。
4. 旅人のアルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺:ヴェネツィアとナポリ」(1859年改訂版)
ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界を代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リストは1834年頃からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダルは芸能人の特権。
特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的なパリ帰国も挟みつつ)スイスやイタリアへの旅行に順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。
旅人のアルバムは、スイス旅行で見聞きした風景や民謡をモチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景や芸術作品から受けた霊感を表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。
旅人のアルバムはほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹の小説中に登場したせいでクラシック音楽のCDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである。巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドス(SONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リストの最高傑作の一つである「ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマ問わず色々いる。
5. ベッリーニのオペラ「ノルマ」の回想 S.394(1844年)
幻想交響曲もそうだが、リストの作品の多くを他作品の編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかもいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。
今ならフィリペツの映像(https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾ、マルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスのベンジャミン・グロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。
40年代に作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサートで披露して喝采をさらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種。リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風。特に「ため息」は有名でよく弾かれる。
第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。
スイス、イタリアでマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリストは演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。
41~43年の夏にリストとマリーはライン川の中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院で子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたもの。シャルルマーニュの武将ローラン戦死の誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞:https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数のヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年のバージョンをアンスネス(EMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードもライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。
華麗なオペラものやシューベルトの歌曲の編曲(魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。
よく「女は金で手に入る」とホビットがイキってるけど金だけの繋がりで自分を愛さない嫁に精神的に耐えられるわけないんだよ
料理好きな夫が癌で余命宣告されたら夫のレシピスクラップブックを断捨離で捨てた妻の投稿がXで炎上して無数の男があれだけ発狂してたんだぞ
普通の夫婦ですらこれなんだから、金目当ての女と結婚した日にはそれとは比較にならない過酷な扱いを受けるだろ
金だけあっても男は幸せになれない
実際、金で女を手に入れた武勇伝など需要がなく「サイゼリヤテスト」など無欲な女を手に入れたい願望むき出しの言説ばかりバズり続けてるからね
現実はサイゼリヤテスト関係なく、大半の男は女から言い寄られることなく人生を終える
だから所属先やら地位やら身長やらで女を釣るしかなく、仕事や勉学に必死こいて打ち込んでるわけよ
男自身に「〇〇夫人」として夫の地位や知名度や人脈を我が物にして振る舞える特権や、「あのプレイボーイが最後に選ばれた私」「あの奥さんから旦那を略奪した私」「他の女の旦那よりも高身長」といった自尊心を満たせる価値がないと、女から金だけ吸われたら用無しにされる
よく「女は金で手に入る」とホビットがイキってるけど金だけの繋がりで自分を愛さない嫁に精神的に耐えられるわけないんだよ
料理好きな夫が癌で余命宣告されたら夫のレシピスクラップブックを断捨離で捨てた妻の投稿がXで炎上して無数の男があれだけ発狂してたんだぞ
普通の夫婦ですらこれなんだから、金目当ての女と結婚した日にはそれとは比較にならない過酷な扱いを受けるだろ
金だけあっても男は幸せになれない
実際、金で女を手に入れた武勇伝など需要がなく「サイゼリヤテスト」など無欲な女を手に入れたい願望むき出しの言説ばかりバズり続けてるからね
現実はサイゼリヤテスト関係なく、大半の男は女から言い寄られることなく人生を終える
だから所属先やら地位やら身長やらで女を釣るしかなく、仕事や勉学に必死こいて打ち込んでるわけよ
男自身に「〇〇夫人」として夫の地位や知名度や人脈を我が物にして振る舞える特権や、「あのプレイボーイから最後に選ばれた私」「あの奥さんから旦那を略奪した私」「他の女の旦那よりも高身長」といった自尊心を満たせる価値がないと、女から金だけ吸われたら用無しにされる
もちろん、ポリコレ派ではない黒人が黒人化イラスト描いてたり肌の白いキャラのコスプレしてたりしてもなーーーーーーんも不愉快には感じないけど、日本人の褐色コスプレやら色素薄めの褐色キャラのイラストやらがブラックフェイスだのホワイトウォッシュだのと散々叩かれている世界で、黒人がのびのびブラックウォッシュや文化の盗用してる光景は非常にグロテスクなので、アジア人差別をやめろ、アジアンライヴズマターだぞ、と言い続ける必要があると思う。
(そういえばあいつら、『水星の魔女』のときはどう見ても南アジア系のスレッタを黒人扱いしてたよな。第1話に出てきたスレッタの父親の名前や容貌を見た時点で、南アジア系って気づかないか? まあ世界が白と黒でしかできてない1bit脳だから仕方ないのかもしれないが、二度と同じ口で多様性とか言わないでほしい)
お前に言われたくないとキレられるから言えないので、ここで吐き出させて欲しい。
あのな、片付けや掃除ができないズボラはそれを認識して、できるだけ楽できるように生活しなくちゃいけなわけ。
俺は片付けとか掃除とか大嫌いだけど、ずっと実家暮らしだったお前より、その点のノウハウはあるわけ。
例えばな、布団は毛足があるものを買うな。
埃が出る。
毛布は捨てろ。衣類も同じだ。
それから、フードついた服は買うな。
生地に言及しちゃったが、モフモフや綿ディスしたので意外かもしれないが、俺は天然素材推しだ。
羽毛と同じ暖かさで洗える中綿とか、全部嘘だ。どうせズボラは洗うことはない。
アクリルよりウールのほうが毛玉にならない。毛玉が成長するより前に繊維が切れるからな。
洗えるセーターなら、手洗い指定を無視しても大丈夫だ。オシャレ用洗剤じゃなくても大丈夫だ。
毛髪とか陰毛とか石鹸くらい平気なように、羊毛だって多少は平気だ。ダウンだって洗える。ケラチン舐めるな。
ただし、漂白剤だけはやめろ。
漂白剤ってのは、塩素系だけじゃなく、ワイドハイターとかオキシクリーンとかも全部ダメだ。
毛は多少手荒くしても平気だが、シルクは丁寧な扱いが必要だ。天然繊維でシルクだけは避けろ。
シルクのパジャマとか枕カバーとか、着てるだけで汗のプロテアーゼで痛む。
挽肉は買うな。切断面が多いほど汚染リスクがあるし酸化も速い。ズボラはすぐ痛ます。
捨てるはずの脂身で増量されてる。
安全を捨てて、なおかつ蛋白質の摂取量を減らして脂肪を摂取するという愚策だ。
コスパだけ考えるなら全食菓子パンにすりゃいい話で、そうじゃないだろ?
蛋白質100gあたりの単価で考えろ。
ボディビルダーみたいなストイックな飯にしろとは言わないけど、楽で健康にいこう。
魚焼きグリルに入れてタイマーか、鍋に入れてタイマー、それで完結する料理を増やせ。
待ってる間に他の家事ができる。
一汁三菜とか諦めろ。
水道水を飲め。浄水器は塩素抜かれたフィルターなんか定期的に交換しなきゃすぐ細菌の巣だ。シャワーノズルすら洗わずにすぐピンクにしちゃう我が家に不用。
洗い忘れて翌朝急いで洗うような我々に麦茶なんか無理だ。
水道水が嫌なら毎回熱湯を注ぐ緑茶のほうがマシだからそれにしよう。
平日に酒は飲むな。
家事嫌いが酒飲んで気持ちよくなって皿洗いなんかできるわけないだろ。
とにかく床にモノは置くな。棚に入れろ。
整理しなくていいから、それだけ守れ。
残り湯がもったいないから洗濯にとかたいした節約にならん。日本で水を節約したところでサハラに雨が降るわけじゃない。
ズボラは毎日洗えないんだから珪藻土マットにして、定期的に捨てろ。
休日に掃除をしろ。休日に遊びに行けるのは、平日に家事を怠けないものだけの特権だを
一日は貯めた家事をして、もう1日は自堕落に休む、それが正しいズボラの土日だ。
植木はどう考え直せ。
ちゃうちゃう。「低賃金で働く程度の人材を募集したら犯罪者が来た。そんなん犯罪して当然や。募集したほうが悪い」という理屈を認めるのならば、低賃金で応募した「日本人」も同程度に犯罪免責されるべきでしょ? でも日本人はそこまで犯罪しない。少なくとも凶悪犯罪していない現在がある。
つまり「低賃金で募集したやつが悪い」っていう詭弁は、クルド人に日本人より上の優遇(犯罪特権)を与える論法なわけよ。それこそが詭弁よ。
どう見ても異性を所有したい欲やセックスや生殖への欲望の男女差が不均等なんだよね
男は初対面の知らない女相手でも見境なく射精できるから買春や盗撮素人ポルノ動画だけでなく温泉コンパニオンやハッテン場という男特有の文化があるが、女は男のようにセックスで快感を得られない
だから男は自分たちの消費するポルノと同じ乳や尻や穴やフェラチオなどのパーツや機能が付いてれば3次元でもブスでもなんでもいい
前述のように女はセックスで快感を得られない上に24時間365日体制で家事育児夫の上下の世話、気の合わないもしくは階層の事なる姑や子供繋がりのママ友人間関係、子供に何かあったら全責任を負わされるなど、男に比べて結婚のメリットとがない
なのであえて結婚する女の結婚相手は自由恋愛で惚れ込んだ男、不倫略奪婚やバツありヤリチンおじさんなど「多数の女に選ばれた男が選んだ私」という自尊心を満たしてくれる男、社会的地位や権力や人脈や高身長イケおじなど「〇〇の妻」特権や他者へのマウンティングを享受できる男に絞られる
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このような文章は障害者の方々を傷つける可能性があります。障害者の中には、社会の理解と支援を必要としている人々が多くいます。彼らの気持ちを考えれば、決してこのような差別的な発言をするべきではありません。
障害者が特権的な存在で、それをいいことに好き放題やっているという認識は、完全に誤りです。障害者もまた、社会の一員として尊重されるべきです。彼らが特権的な存在であるという認識を改めることが、差別をなくすための第一歩です。
無罪でやりたい放題だという認識自体が差別そのものです。障害者が責任能力を持たない場合でも、それは彼らが特権を持っているわけではなく、単に法的な対応が異なるだけです。このような認識を持つことは、障害者に対する理解を阻害し、差別を助長します。
多様性を尊重し、弱者に優しい社会を実現するためには、全ての人が平等に尊重され、支援されることが必要です。これは社会全体が負うべきコストであり、障害者に対する理解と支援を欠かさないことが重要です。