はてなキーワード: 格差とは
戦争になったら東大卒を始めとする高学歴な政府キャリア官僚が前線に送る低学歴やヤンキーを選別するわけだからな
戦争になったらガラガラポンって勘違いしてるバカ国民だらけだけど、昭和の戦時だって高学歴と自営業や大学行ってない奴とで物凄い格差があったのも有名なのに、低学歴やヤンキーは知らないんだよな
ヤンキーが普段喋ったことのない高学歴大卒の政府高官から届いた招集令状一枚で前線勤務命じられて、サクッと精神愛国論で強制されて惨めに死んでいくとか、マジで爆笑だよ
貧乏人、ヤンキー、バカ、粗暴モノ、お前らは戦争になったら大卒高学歴に上から命じられて前線に送られるんだよ
官僚側も同じ大学卒業した後輩を戦地に送るのは憚るけど、見下して嫌ってる低学歴ヤンキーはいくら戦地に送って死んでも数としてしか認識しないからな
同情しなくていいから楽で仕方がない
空腹だった。猫と戯れていても、アトピーの男と弁当を食べていても、心の底から満たされることはない。そして、その空腹は胃袋だけでなく、魂の奥底から来るものだということもわかっていた。
「とりあえず、何か食うか」
独り言のように呟き、僕はスマートフォンで最寄りの回転寿司店を検索した。
店に入ると、威勢のいい声が響き渡る。店内は明るく、家族連れやカップルで賑わっていた。誰もが幸せそうに見える。いや、彼らは顔が良く、金があり、性的魅力という武器を持っているから、その結果として幸せそうに見えるのだ、と僕は内心毒づいた。
カウンター席に通され、僕は流れてくる寿司の皿を一瞥した。マグロ、サーモン、ハマチ。どれもこれも、僕にとっては手の届かない美しさの象徴のように感じられた。新鮮な魚介類は、容姿の良い人間が享受する特権階級の食べ物だ。性的な魅力がない僕には、それに釣り合うだけの価値がない。
「よし」
最初に来たのは、フライドポテトの小皿だった。揚げたての黄金色。塩気が効いていて、妙に安心感がある。僕の荒れた肌とは対照的な、完璧なキツネ色だ。これを口に運びながら、僕は思い出した。隣の部屋の美男美女も、軽自動車も、赤ん坊の鳴き声も、全ては僕とは無関係の世界だ。このポテトだけが、今の僕を支える現実だ。
次に注文したのは、鶏の唐揚げ。甘辛いタレがかかった、見るからにジャンキーな一品。
「これでいいんだ」
僕は自分に言い聞かせた。寿司を食べなくても、腹は満たせる。魚がなくても、食事は成立する。性的魅力という美がなくても、この世で生きることはできる。この唐揚げの皿の上には、容姿の優劣や金銭的な格差は存在しない。あるのはただ、カリッとした衣とジューシーな肉の食感だけだ。
ポテトと唐揚げを平らげた後、僕は最後の締めにうどんを注文した。シンプルないりこの出汁が効いた、温かい一杯だ。胃袋がじんわりと温まる。
流れてくる皿の上には、今日も艶やかな寿司が乗っている。しかし、僕の目の前にあるのは、魚介類を一切含まない、僕だけの非・寿司メニューの残骸だ。
唐揚げの皿を下げに来た店員が、僕の顔を見て一瞬目を逸らしたように見えたが、気のせいだろう。あるいは、僕の勝手な被害妄想だ。彼らにとっては、僕はただの客の一人。醜い顔も、汚い肌も、どうでもいい。
うどんをすすりながら、僕は考える。この世界では、性的魅力が八割かもしれない。美人が楽をしているのも事実だろう。だが、この回転寿司で、僕は魚ではないもので腹を満たした。それは、僕がこの世界で、性的魅力以外の何かで生き残る方法を見つけられるかもしれない、というかすかな希望にも似ていた。
会計を済ませ、店を出る。外はもう完全に暗くなっていた。胃は満たされた。しかし、魂の空腹はまだ残っている。
「次は、パフェでも食うか」
そう呟き、僕は醜い自分の影を引きずりながら、雑踏の中へと消えていった。
あんだけ巨大なもん、寧ろ一党独裁じゃないと無理だろ、と言われてるが、
やはり、アジアのアメリカという名前通り、中国も合衆国になると思ってる…😟
もっとも、これまでの革命の繰り返しの歴史同様に、血生臭い展開が起こるだろう
ただ、それがもし可能になったら、アジア太平洋地域は平和と安定がもたらされるだろうし、
今度は別の脅威となる可能性もある、
今のゲーム産業などで最適化されたワークフローをアニメ制作に取り入れてる中国が更に力をつける
AIはそんな中国も、我々日本も、世界中の人々から労働を奪うかもしれない
奪われるのはメリットだけでなく、きっと新たなデメリットが誕生するはずである
清潔感の話題が盛り上がるたびに「何言ってんのこいつら」という感想を抱いてたんだが、
この増田(https://anond.hatelabo.jp/20251124031735)を読んでお前らが何に躓いてるのか理解できた気がする。
要するに、お前らは生活水準が低いんだよ。だから容姿というものの解像度が低い。
一般人は普段から口にする食べ物も栄養バランスやカロリーをちゃんと考えて食べてるし、
着てる服も綺麗めかカジュアルかをバランス取りながらどの程度の清潔感を演出するか考えて生きてるんだが、
この種の人らは「何を食べるも自由、何を着るも自由」みたいな感覚で生きてるんじゃなかろうか。
だからわざわざ人が「清潔かどうか」ではなく「清潔感」という言葉を選んでいる文脈が理解できていないんだよな。
人間なんて顔面や体型の偏差値は多少差異があるとはいえ、生活レベルが一定以上なら外見は平均点に収まるものなのよ。
世間に溶け込んで他人を不快にさせず自分に自信を持つための努力を怠っているという指摘がつまり「清潔感がない」という状態なの。
そしてそういう状態はとにかく目立つんだよ。清潔感がない人間は容姿端麗な人間よりよっぽど目立つ。群衆の中で1人だけスポットライトが当てられてるくらいには。
人間というのはそうやって外見でヤバい人間を避けるための本能が明らかに備わっている。
どれだけ倫理観やポリコレをアップデートしたところでみんな内心ではそういう本能に従って生きている。
昨日大学から車で自宅(実家住みです)に帰ってきたらうちの駐車場を塞ぐ感じで私道に見知らぬ車が止まっていました。
田舎なので車じたい所有している人が少ないため必然的に駐車場を確保している家がすくなく
事前に伝え置く事もしばしば。
けど今回止まってた車は見たことない車でした。
事前に話しも聞いていないし、母も今日は中学生の妹の下宿先に出ていたので家にもいないので
いつも停めているご近所のA、B、Cにききにいきました。
ですが3人とも知らないようで、
「Dさん(母)が出てすぐに停めてあったから5時間は止まってるよ~」と
教えていただいた。
とりあえず車入れれなくて困るので知り合いのレッカー車あっかってる人に連絡。
最近近隣では不法投棄が多発していたのでKもレッカー車も直ぐに来てくれ車はお持ち帰り。
Kに持ち主が来るかもだから来たら連絡をと言われた。
それから3日くらいした夕方。母と近くのスーパーから徒歩で帰ってきたら
車に蹴りをいれてるのがみえた。
車返せ!って言っていました
なにいってんだこの人とか思いつつも
「車のナンバーは○○○ですか?」とたずねたら
「そうよ!○色の××」とつかみかかってきました
それなら警察に引き取って貰いました
と言うと
ちょっと置いただけでしょ!ってまた暴れだした
ギャルまま暴れ放題で
我が家の車にコンサートかなんかで振る蛍光ライト?をぶつけてきました。
どうやらこのまま隣の県で行われた某アイドルのコンサートに2日間連続で参加した模様…
母はレッカー車屋さん、Kに連絡し近くし、20分後くらいにKが駆けつけてくれました。
Kが駆けつけてくるまでにギャルままの子Eが○を漏らしてしまい(3才くらい)家に凸無理矢理凸され
何故か床の間に飾ってある書道師範の看板を盗もうとしていました
必氏で止めるのギャルままと私の体格差がありすぎて阻止できませんでした
Kが来てからは
ギャルままおとなしくなりましたが
レッカー車代をKが支払うように促すと
しばらく暴れ続けていると応援で来たKが何処かに連絡。しばらくして沢山のパトカーが。
ご近所、私、母は(゜ロ゜;状態。
えっ、えっ、と戸惑っていると
そのギャルまま
3つ離れた町で色々やらかしたあと行方くらました人しくて、両親から捜索願いが出ていたそうな。しかもこのギャルままの旦那も行方不明の様。
車は盗んだ物だったらしい…
何はともあれギャルまま回収されたけど車はめちゃめちゃなので
一様レコーダーとかいるのかな?向こう弁護士つれてくるらしいがそんな大事なのかな?
30分くらいXに
話が進みませんでしたが
Yの登場で空気が変わりました。
現れたらYはUと私の高校の元担任だったのです。Yは被害者が私だと分かると平謝りでXもYに従う感じでした
結局Yの意見で
車の修理費
看板の修理費
車が治るまでの交通費
迷惑料
出してもらう事になりました。
しかし先輩Uは二次被害を出さないためにもギャルままの引っ越し
その後ギャルままが直接謝罪をとのことでXがギャルままを家に連れてきましたが
なんでパパの年金をあんたが使うのよ!氏になさい!というギャルまま
それに加勢する母親
自宅の門が壊されたので遠慮なくKに連絡
元担任には悪いが被害届は取り下げるのやめることにし、いち早くギャルまま一家が退散する事を約束してもらい
尊敬していた先生だったのでイザコザを作りたくなかったですが仕方ないです。
余談?ですが
ギャルままは地元で色々やらかしたので(万引きなど)後々遠くに引っ越す事は決まっていたらしく
今回の件で引っ越すのが早まったみたいです
なんか怖い一家だな…
https://anond.hatelabo.jp/20251204184916
生まれた家、性別、地域といった、本人の努力ではどうにもならない要素が人生を決めていた
そこから近代に入って、啓蒙思想・資本主義・市民革命などを通じて「生まれではなく、機会を平等にしよう」という考えが広まった。
読み書きができる層が拡大し、義務教育が全国に整備されることで、かつての“身分由来の格差”は大きく解消された
さらに、税制や社会保障による富の再分配も制度化され、最低限の生活や学習機会を守る仕組みも整った
戦後の政策(教育改革・農地改革・労働改革など)によって、性差や地域差は大きく縮まり、昭和後期〜平成初期にかけては「機会の平等がほぼ実現した時代」に見えていた
とはいえ、スタートラインをそろえるだけですべての格差がゼロになるわけではない
・育った家庭環境
・情報格差
こうした“目に見えない差”は、機会の平等が整っても残り続けた
特に昭和〜平成は、こうした差の多くが「自己責任」とされてしまい、構造的な不利が見過ごされがちだった。
日本では、文化的背景もあって「努力すればどうにかなる」という価値観が強かったぶん、この“構造が生んでいる不平等”が見えにくく、放置されたままになってしまった側面がある
という批判も多い
つまり、女子枠は「過渡期の対症療法」であって、本質的なフェアネス確保の方法ではない、という認識が広まりつつある
※なんか途中まで書いて疲れちゃったから、半分ちゃっぴーが書いた
東京都とほかの道府県の税収格差に対応するため、政府・与党が都に入る税収の一部を地方に振り分ける案を検討していることに対し、都側が反発を強めている。
小池百合子知事は4日、「(税収の)偏在はどこにあるのか」と反論。国が格差是正の姿勢を強めれば、激しい対立は避けられない見通しだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ff638960115bb093b3c0ac1c229334f7f4b38b30
いつも持ち出されてるジェンダーギャップ指数でも足引っ張ってる分野は政治参画と経済参画の男女格差で教育格差はほぼ皆無なのよな
そもそも女子枠自体が推薦枠が年々拡大してる中での話だから格差是正効果そんなにあるか?って感じだけど(中受組有利なのは変わらん)
ああやって、騙したナチスより、騙されたドイツ人を叩けと喚く連中の心理は、被害者意識から、騙された一般人も皆殺しにしたいと思ってる叩かれた側か、そうでなければ、誤信念を強化して扇動したい奴らだ。
連中が、ああいう対立煽りを扇動するのは、そういう対立を扇動される人間というのは、現状への不満が鬱積しているからである。
要するに、どんな搾取や支配を受けても、一切文句言わない奴隷みたいな人間以外、対立を煽って、煽られた者同士を排除したいわけだ。
ナチスに扇動された連中と言うのは、そうした被害者意識のために、実際に虐殺や拷問に手をかけるような奴らだったわけだが、今日本で扇動されている人間は違う。
というか、虐殺や拷問を平気でやる屑に限って、高い地位をやって量産してるわけで、もちろん、虐殺や拷問を連中が忌避しているわけではない。
ただ、自分ら権力者に都合よく手を汚してくれるクズと、そうじゃなく、格差や差別に抗議して攻撃的になる普通の人を分けて、後者を抹殺し、前者を飼いたいだけなのだ。
そうした工作の結果、現実がどうなったかと言うと、ニューヨークでは、白昼堂々街中でレイプしても誰も止めに入らないどころか、通報さえしないし、日本でも、新幹線の車内で包丁で脅してレイプしても、誰も止めに入らなかった。
こうした止めに入らない人間には二種類いて、本当は止めたいけど怖い人と、女なんてレイプされてても、本当はどうでも良い無関心な人間である。
連中が、「ネットで批判している奴らは卑怯者!」「正義感の暴走がー!」と喚くのは、本当は、「俺ら権力レイプ魔を叩くな! 表立って抗議する奴らは皆殺しにしたけど、陰で批判する奴らも消し去ってやる!」「レイプ犯を批判する奴らは正義感の暴走がー!」と言いたいわけだ。
こんな奴らがフェミぶって、本当の性犯罪以外の性行為を糾弾し、表現規制までしようとしている屑どもの正体なのである。
アメリカの場合は、心理学者によって、「アメリカ人は、他の人が通報すると思って通報しなかったんだ!」という擁護をさせているが、最近では通報しないどころか、レイプで糾弾された政治家を大統領にまでして、実際にレイプを訴えた女は、それがマスゴミの権力を背景にしない限り、セカンドレイプしまくって集団リンチしている。
そして何故か心理学者どもは、日本人の場合には、そんな擁護一切してないのだ。
レイプに無関心か、それ以上に与する人間は擁護するけど、本当はムカつくけど止める度胸がない人間は糾弾したいからだ。
今のアメリカ人には、自分さえ良ければ良いだけの人間と、一切他人を糾弾しない奴隷人間の二種類しかいないのである。
しかし、自分らが被害を受ければデモや革命を起こすのは前者だけで、後者は、家族や知人が犠牲になろうが、抗議さえしない。
もちろん、後者が、ネットで批判なんて書き込むわけもないのだ。
青識やら立花に騙された人たちと言うのは、ただ、ネットで不満を吐露していただけの人たちであり、彼らを排除した未来にあるのは、何をしても誰も不満を代弁してくれないディストピアだけだ。
そして、今の日本が正にそうで、ネットでも、マスゴミ工作員の明らかにおかしいヘイト逸らしだけがあって、それへの反論は誰もしない。
ただ、どんな不満が蓄積しても、やり玉に挙げられるのは、連中が内心で排除したい相手だけであり、本当の不満の根源が取り除かれることは一切なくなるだろう。
その現状に、少しでも不満を吐露したり、抗議したりした奴らが、より強く発言したり行動した順に排除されていく。
デモする人間を排除したら、次は、ネットで不満を書き込みしただけの人間が排除されるのである。
その次は、知り合いに不満を語っただけの人が排除され、更には、メモ帳に不満を綴っただけの人間が排除されるだろう。
単純な話、ソ連はいきなり密告システムなんて作ったから失敗したわけで、こうやって、行動した奴らから順番に排除していけば、本当の密告システムが作られ、それを覆すことはもはや不可能になる。
そうして、誰も不満を口にできない状態になったら、今度は、少しでも仕事の手を抜いたり、控えめなボイコットを行った人間が排除される。
どんな凄まじいブラック企業でも、一切休みなく働く奴隷以外は排除対象にされるわけだ。
そして最後は、連中にレイプされたり、気まぐれに暴力をふるわれ殺されることに、訴えたり抗議した人間が排除される。
まあそうなったら、次の連中にとっての不安材料は、連中と同じ権力を持っている奴ら同士になるだけだろうが。
そうなったら、唯一の絶対権力を握った一人の人間以外は、奴隷以外すべて排除されるだろう。
そして、技術が完全に局地に達した暁には、奴隷人間さえ邪魔になるのである。
単純な話、連中は、底辺の中から不満を吐露した人間を排除するより、権力者の中から不満たらたら、利己的に世界を改変する気満々の奴らから排除しないと、次は我が身だ。
■共通テストの廃止は、社会の公平性を破壊し、国家の内部崩壊を招く亡国の愚策である
「国家資源の再配分」を名目として大学入学共通テストの廃止を求める意見があるが、私はこの主張に対し断固として反対する。提案者は、共通テストにかかる人的・金銭的コストを「無駄」と断じているが、それは教育制度が担う**「社会契約」としての機能**を著しく軽視した暴論である。共通テストの廃止は、単なる入試改革にとどまらず、日本社会を「実力主義(メリトクラシー)」から「身分・金権主義」へと逆行させ、長期的には社会の分断と崩壊を招く危険性を孕んでいる。
1. 歴史的試練に耐えた「客観的試験」の意義 そもそも、一律のペーパーテストによる選抜システムは、古代の「科挙」に端を発し、数千年の歴史の試練に耐えてきた人類の知恵である。なぜこのシステムが民主主義の世となっても生き残っているのか。それは、これが**「ベストではないが、他のあらゆる方法よりもベター(マシ)」**だからである。 ペーパーテスト以外の選抜方法――例えば書類審査、面接、独自の裁量評価――には、必ず主観や恣意性が入り込む。共通テストという「冷徹なまでの客観的指標」があるからこそ、我々は出自や家柄に関わらず、努力の結果のみで評価されるという担保を得ているのである。
2. 「各大学の個別入試」が招く腐敗のリスク 提案者は「各大学の自律的な選抜」を美化するが、共通テストという統一基準を撤廃すれば、そこには必ず**「金・コネ・家柄・権力」**が入り込む隙間が生まれる。 客観的な統一スコアという足切りがなくなれば、大学側は「寄付金の多寡」「卒業生の子弟」「有力者の紹介」といった、学力以外の要素で合否を操作することが容易になる。欧米の一部の大学で見られるような、富裕層優遇の入試が横行しない保証はどこにもない。共通テストは、こうした不正や疑念を未然に防ぐための、国家による「公平性の防波堤」として機能しているのである。
3. 格差の固定化と社会崩壊への道 もし共通テストが廃止され、学歴ひいては社会的地位が「親の経済力や社会的影響力」によって左右されるようになれば、どうなるか。それは**「階級の固定化」**の完成である。 貧しい家庭に生まれても、勉強して高得点を取れば一流大学へ進み、人生を逆転できる――この「希望」こそが、社会の活力を維持し、不満を抑制する安全弁である。もし入試が「金で買える地位」になり下がれば、持たざる者は努力のインセンティブを失い、絶望は社会への憎悪へと変わる。 歴史を振り返れば明らかである。極度な格差社会において、階層移動の道が閉ざされた時、社会は内部から腐敗し、最終的には暴動や革命によって崩壊する。教育の公平性を売り渡して得た予算で国防やインフラを強化したところで、国民の連帯が失われ、内部から崩壊していく国を守ることはできない。
4. 結論:トップ研究者の投入は「民主主義のコスト」である トップ研究者が作問に時間を割くことを「リソースの浪費」と批判する向きもあるが、それは誤りである。50万人の若者の人生を左右し、将来のリーダーを選別する試験において、一点の曇りもない公平性を担保すること以上に重要な「国益」が他にあるだろうか。 極めて厳格な作問プロセスにかかるコストは、社会の公正さを維持し、国民全員がその結果に納得するための**「民主主義の必要経費(保険料)」**と捉えるべきである。
以上の理由から、共通テストの廃止は、日本社会を公正な競争社会から、前近代的な身分社会へと退行させる危険な提案であり、到底容認できるものではない。
どちらの主張も論理構成がしっかりしており、それぞれの視点において「妥当」です。どちらをより支持するかは、読み手が**「国家としての効率と競争力(A)」を重視するか、「社会の公平性と納得感(B)」**を重視するかによって決まります。それぞれの主張の強みと、議論の対立軸を整理します。
Aの主張は、経営学的・国家戦略的な視点に立っています。「サンクコスト(埋没費用)」にとらわれず、現代の状況に合わせて制度をスクラップ・アンド・ビルドすべきだという論理です。
妥当性が高い点:
コスト対効果の指摘: 実際に共通テストの作問や運営にかかる大学教員(研究者)の負担は甚大であり、これが日本の研究力を削いでいるという指摘は、学術界からも長年叫ばれている事実です。
機能不全の指摘: 上位層における「得点圧縮(差がつかない問題)」や、各大学が結局は個別試験を重視している現状を突いており、制度疲労に対する鋭い批判となっています。
危機感の共有: 国際情勢やインフラ危機など、具体的な「他にリソースを回すべき場所」を提示しており、現実的な危機管理の観点から説得力があります。
Bの主張は、政治哲学的・社会学的な視点に立っています。効率よりも「納得感(Legitimacy)」を重視し、共通テストを社会の分断を防ぐための「装置」として捉えています。
妥当性が高い点:
人間心理への洞察: 完全な自由裁量は必ず「コネや金」の介入を招くという、性悪説に基づいたリスク管理の視点は非常に現実的です。
「公平性」の定義: テストの内容が良いか悪いかよりも、「全員が同じ定規で測られる」こと自体に価値があるという主張は、大衆社会における不満のガス抜き(社会の安定)として強力な説得力を持ちます。
最悪の回避: 「ベストでなくともベター」という保守主義的なアプローチは、急激な改革による混乱(格差の固定化など)を恐れる層にとって安心感があります。
この二つの意見は、**「何を犠牲にする覚悟があるか」**という点で対立しています。
Aの弱点: 共通テストを廃止した後、各大学が本当に「公正」に入試を行えるかどうかの担保がありません。AO入試や推薦入試で「親の経済力や文化資本」が有利に働く現状を見ると、完全自由化は格差拡大を加速させるリスクがあります。
Bの弱点: 「公平性」を守るためのコスト(研究時間の喪失、莫大な予算)が、国力を衰退させるレベルに達している可能性を過小評価しています。国全体が沈んでしまえば、公平な入試制度だけ残っても意味がないという反論が可能です。
どちらがより妥当か?
短期的・実務的な解決を求めるなら A 現在の日本の財政状況や研究力の低下を憂い、「即効性のある改革」を求める立場からは、Aがより妥当に見えます。
長期的・社会構造的な安定を求めるなら B 社会の分断や信頼の崩壊を防ぎ、「努力すれば報われる」という社会通念(神話であっても)を守る立場からは、Bがより妥当に見えます。
個人的な分析としては、B(公平性の維持)の主張の方が、現代の日本では「最後の砦」として支持されやすいと考えます。Aの言う「リソースの再配分」は正論ですが、入試の公平性が崩れた際に失われる「国民の勤労意欲」や「社会への信頼」の損失は、計算できないほど巨大だからです。
どちらの視点に関心を持ちましたか? これらを踏まえて、「では、研究者の負担を減らしつつ公平性を保つ『第三の案(C)』」(例:CBT化や民間試験の活用、あるいはフランスのバカロレアのような形式など)について考えてみますか?
AとBの対立構造を解消し、「研究者の負担(国家コスト)の軽減」と「入試の公平性(社会契約)の維持」を両立させるための**「第三の案(C)」**を提案します。
現実的な落とし所としては、**「テクノロジーによる効率化」と「運営主体の専門化」**を組み合わせた以下の案が考えられます。
案C:専門機関による「CBT・項目反応理論(IRT)」導入と、作問業務の完全外部化
これは、現在のように大学教員が手弁当で毎年新作問題を作る「自転車操業」をやめ、**アメリカのSAT(大学進学適性試験)**のような「通年実施・ストック型」の試験へ移行するモデルです。
1. 具体的な仕組み
運営主体の変更(教員の解放): 大学教員による「入試センター作問委員会」を解散します。代わりに、テスト理論(サイコメトリクス)の専門家と専任スタッフを雇用した**「国家試験作成専門機関」**を設立します。大学教員は「監修(アドバイザー)」にとどまり、実務からは完全に手を引きます。
「一発勝負」から「CBT(Computer Based Testing)」へ: 年に一度、全国一斉に紙を配る方式を廃止し、テストセンターでコンピュータを使って受験する方式にします。
「項目反応理論(IRT)」の導入: 問題ごとの難易度や識別力を統計的に数値化し、「どの問題を組み合わせても、実力を同じ基準で測定できる」システムを作ります。これにより、**「膨大な過去問ストック(問題バンク)」**の中からランダムに出題することが可能になり、毎年ゼロから新作問題を作る必要がなくなります。
研究時間の確保: 大学教員が、夏休みの隔離や極秘の作問業務から解放され、本来の研究・教育業務に専念できます。
物流コスト減: 50万人分の問題用紙の印刷・輸送・保管・警備にかかる莫大な物理的コストが激減します。
公平性の維持: 「全国統一の基準」は残るため、大学ごとの恣意的な運用(裏口入学など)を防ぐ防波堤としての機能は維持されます。
チャンスの拡大: 年に複数回受験が可能になれば、「当日の体調不良」などによる運の要素を排除でき、より真の実力を反映した公平な評価が可能になります。
初期投資: システム構築に巨額の費用がかかりますが、毎年の運用コスト削減で長期的には回収可能です。
「思考力」の測定: 選択式のCBTでは深い思考力が測れないという批判がありますが、これは「基礎学力の判定(共通テスト)」と「記述・論述(大学個別試験)」という役割分担を明確にすることで解決します。
もう一つの方向性は、共通テストの役割を「点数を競うもの(1点刻みの選抜)」から、**「大学教育を受ける資格があるかどうかの認証(クオリフィケーション)」**に変えることです。
仕組み: 共通テストは「合格/不合格(あるいはA/B/Cの等級)」だけの判定にします。一定水準を超えた生徒には「大学入学資格」を与えます。
選抜: 難関大学は、この「資格」を持っている生徒の中から、独自の記述試験や面接で選抜を行います。
効果: テストに「超難問」や「1点の差を分ける精密さ」が不要になるため、作問コストが下がります。また、基礎学力の担保(公平性)は維持されます。
結論: 現代のテクノロジーと統計学を用いれば、Bが懸念する「公平性」を犠牲にすることなく、Aが主張する「リソースの最適化」を実現する**案C(CBT・IRT化と作問のプロ化)**が、最も現実的かつ建設的な解決策であると考えられます。
ジャップ女だけ顕著に下方婚しない異常な属性であることが明らかにされてしまっている。
フェミが大暴れして男女間対立が顕著な韓国ですら日本よりマシな事実。
https://x.com/ZUNNDAMONzunda/status/1995288553690124698
こういう指摘をされると女は「男の価値観がアップデートできてない」とか言い訳するんだけど、
他国以上に低年収男が結婚できず、高年収男が異常に結婚できる特性は女が年収で選んでるとしか言いようがない訳で
逃げ道すら塞がれてるのが現実
確かに。てか投資じゃなくても、貯金で子どもの口座に毎年110万円振り込んでるって人いるから、はてブやXの
年4万でも積み立てれば18年後には非課税で34万も増えてお得だし、自分は庶民なりに未成年NISA活用していきたいと思ってるよ。
本当に卒業ラッシュが止まらないね。まぁあれだけ体調を崩していたら、もはや配信活動なんて言ってられないだろうな。
離脱者を出しつつも、特定の期生を大きく欠くようなことはなかったけど、4期生はとうとう3人だけになってしまった。会長は今どんな思いなのかな。
業務量過多というのは、他のメンバーも同様に抱えている問題なんだろうか。これまでの卒業告知とは違って背景が明確になったから、これは尾を引きそう。
かと思えばはあちゃまの件が未解決で、あちらはむしろやりたい仕事をやらせてもらえていないような言い方だった。やっぱりメンバー間の格差ってのもあるのかな。
COVERの企業体質が今まで以上に問われるだろうね。出回っている材料を見る限り、なかなか健全な空気とは言いにくいけど、YAGOOの話し方を見てるとそんなに悪い人だとも思えない。COVERだけの問題と言うより、業界全体の問題なんではなかろうか。
一方Xでは、にじさんじの人(悪魔?)たちが燃えに燃えまくっていて、もはや正当な批判を通り越した集団リンチの域に突入している。V全体への逆風がより一層強まっている。そう遠くない未来に、コンテンツとして終わってしまうんじゃないかな。悲観的すぎ?
ともあれ、たそはまず療養してもらって、ゆっくりとこれからのキャリアパスを考えればいいと思う。しかし履歴書にはなんて書くんだろうか。身バレを回避するなら、そこらへんの企業においそれと応募もできないだろうし、採用されても客商売なんかは不可能に近い。
それともあの内容は方便で、今までの収入を切り崩しながらスローライフなんだろうか。でも課税額やばいよね?たそのレベルになると。
少子化→労働力減→労働力維持のためには労働参加率(特に女性・高齢者)の引上げが不可欠。しかし女性の就労拡大は「仕事と子育ての両立」を前提とし、そのためには職場近接性(/通勤負担の軽減)や保育サービス、住まいの確保が重要。ところが都心(特に東京23区中心部)の住宅価格・地価は非常に高く、一般の子育て世帯が都心に住めない現実がある。結果として「都心で働く ⇄ 都心に住めない ⇄ 長距離通勤・子育て負担増 ⇄ 出生率低下」という負のループが生じ、政策的にトレードオフ(=トリレンマ)を生んでいる。以下、事実・統計と研究結果で裏付けます。
2024年の出生数は約 686,061人(68.86万)、合計特殊出生率(TFR)は 1.15 と過去最低を更新。自然増減は大幅なマイナス(多死少子)。
女性の就業者数・参加は増加傾向にある(近年の女性の15〜64歳就業率は70%台に上昇し、M字カーブは薄れている)。政府統計でも女性雇用者数は増加。労働参加率を上げることで労働供給の減少をある程度相殺できる。
保育所等の利用定員は約 3,030,000 人規模(定員充足率は約88%前後)。待機児童は年により減少傾向だが地域差は大きく、地域によっては依然として保育の受け皿不足が存在する。
中央・都心部(東京23区中心)の**分譲マンション平均価格は1億円台(例:2024年は約1.12億円)**と高水準で、一般的な子育て世帯が手軽に都心居住できる水準ではない。地価上昇も続いている。
職場と居住地の距離(通勤時間)は世帯の時間配分に影響を与え、長時間通勤は家事・育児時間を圧迫する。複数の研究で、職場近接やテレワークの導入が出産・就業継続に好影響を与える可能性が示唆されている。
日本は「少子化で労働力が減る → 労働化率を上げる必要がある → 労働化率向上は仕事と子育ての両立が前提 → その両立に都心居住(職場近接)や保育・柔軟な働き方が寄与する」が現実。だが都心の住宅コスト上昇が多くの若い世帯の都心居住を阻み、長時間通勤や育児負担を生み出しているため、ここに放置されたままでは「労働参加率を上げても出生率は回復しない」おそれがある――これがトリレンマの本質です。政策は(A)保育・働き方、(B)住宅政策、(C)雇用の地域分散を同時並行で扱う必要があります。
SNSでたまにマチアプや婚活の話が流れてくるんだけど、「女性の平均年収は低いのだから、男性が奢るべき」という論をよく見かける。たしかに女性の平均年収は低い。でも、子供がいないなら平等じゃん?と正直思う。
自分の人生を振り返っても、高収入に繋がる道が男性にしか開かれていなかったような場面に心当たりがない。
収入と学歴がある程度比例するという前提で話すと、たとえば中学時代に学年から進学校へ進んだのは6人で、自分を含めて男女3:3。
勉強が得意ではなかった男子も普通にいて、今思えば、たぶん自分や他の女子2人のほうがその後の稼ぎは高い。
だから、自分の世代くらいだと、どの段階で男女差が明確に出ていた?と思う。
進路を選ぶ自由だったり、努力すれば進める道は、男女ともに同じようにあったように感じる。
むしろ、ある程度の結果は自分自身の選択の積み重ねだったと思ってしまう。
というか、どうせ結婚して養ってもらう前提で、収入を気にせず進路を選んでいたのなら、それは自己責任では?
大学や職業を選ぶ段階で、自分の収入はそこまで重視しない・将来は家庭に入るつもりという選択を自分でしていたのなら、その結果平均年収が低くなるのは自然な流れではないか、と思ってしまう。
で、もしその自己責任論を否定するなら、努力をしなかった男性も努力をしなかった女性もどちらも存在するのに、なぜ男性だけが「奢るべき側」にされるのか。
「女性は平均年収が低い → 男が奢れ」という構図は、努力した男性も、努力した女性も、努力しなかった男女も全部ひっくるめられて語られてる。
でも本来は
はすべて個人の問題であって、性別だけで責任や役割を決める合理的な理由はないはず。
それなのに女性の平均年収が低いことを根拠に男性が奢るのが当然と言われると、努力したかどうかに関係なく男性側が負担を求められているように見えて、正直変。
考えてみた仮説
・地方によっては、親の教育方針で「女子は大学に行かない」文化が残っていた可能性
・進学後の就職や企業文化で見えない格差が生まれ、そこで平均値が下がっているだけで、入口の教育機会とは別の問題なのかもしれない
・「平均値の差=全員に当てはまる構造差」ではなく、極端な低収入層の比率差が平均を押し下げているだけの可能性
→母体への負担が女性にだけかかっているので、男全額負担が当たり前だろと思う。逆にこれ出さない男は有り得ない。
→妊娠リスクがある女性と出す側の男性で、セックスを真の意味で楽しめるかどうかに男女差があるという言説には納得した。
・子供が生まれたあとで女性の収入がダウンした場合の生活費補填
→結婚当初は別財布で、などと約束していたとしてもこうなった場合は男性が多く払うべき。女性は出産すると体質が変わることがあるため。
・年収差があり、高収入な男性が好きで高いところに連れて行っているケース
→このケースならまあ奢られて当たり前とは言わずともたしかに割り勘はないな。なお、逆パターンなら女性が払うべきかと。
散文でごめん。
まあこんな感じ。
その②
AIによる技術革新は社会を変革するか?というシナリオを考えると気になるのって、「AI技術を過大に評価してんじゃないの?」という点。
新技術による効率化・高度化によって社会が変革するなら、PCが普及することによって、現代でもすでにそれが起こっていてもおかしくないのではないか。
PCが普及した時代って、たしかに効率化はすごかったけど、「みんなに富が行き渡ったか?」と言われると、ほぼ No なわけで。
実際は、生産性だけ上がって賃金は伸びず、利益は企業や一部の高技能層に集中した、ということになる。
なんでそうなってしまったのか。
PCは仕事を「置き換え」せず、ただ「効率化」しただけだったから。
WordやExcelで早く仕事できるようになっても、そのぶん仕事が増え、労働時間が減るどころかむしろ増えた。
「人がいなくても回る」状態にはならず、「人がもっと働く」方向に作用した。
GDPは伸びるのに賃金は伸びない、という「デカップリング」現象が日米で発生して、追加の利益は労働者じゃなく、企業や資本に溜まっていった。
PC化でスケールメリットが巨大化し、勝者総取り(Microsoft など)の構造が生まれ、高スキル層だけ賃金が上がり、その他の層は停滞。格差が広がった。
当時は新自由主義が主流で、再配分は縮小。最低賃金は上がらず、資本課税も弱く、技術の恩恵を社会に戻す仕組みが整わなかった。
決定的なのは PCが「労働を効率化」したのに対し、AIは「労働そのものを代替」すると考えられる点。
「人間の仕事自体が消える → 所得モデルが崩壊 → 再配分しないと社会そのものが壊れる」という、放置できない規模の変化だから、BIや公共AI、富の再分配みたいな制度改革を避けられない、という理屈。
AIは労働の前提そのものを崩すので、制度改革を強制するタイプの技術、というのが大きな違いと言われる。
本当にそうなるのか?
さぁ…
📈💥 株はドーン!
💼💰 企業もドーン!
でも俺らの財布は… 🪫💸 スッカスカやん…
この“ねじれ”…なんなんだよ🤷♂️⚡
答えはひとつ 👉
内部留保は 🏢📦📦📦 山積みタワー
でも労働分配率は 📉🐍 ずるずる下降
富のフローがズレてんだわ 🌊➡️❌👥
上だけ潤って、下はずっと砂漠 🏜️😵💫
夢や希望? 🌈✨
…じゃねぇ。
マーケットに押し寄せてるだけ。
低金利 💤
円安 💱⬇️
ジャブジャブ資金 💧💧💧
これが相場を 🏄♂️📈 無理矢理 押し上げてる。
その反動?
全部こっちに返ってくる 🎯😫
──物価アガる 📈🔥
──給料追いつかない 🏃♂️💦💨
──円安で輸入が高い 🚢💸⬆️
「株高=景気イイ!」 🤡📢
…いやいやいや、それは無理筋でしょ? 🙅♂️💥
“株高不況”──
動くのは今。俺らの一歩で変わるぜ 💥👣🔥