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はてなキーワード: ホラー映画とは

2025-12-08

映画ブラックニングを見た

黒人差別問題に切り込む傑作ポリティカルコレクトネスデスゲーム映画だと思うんだけど。82点。

 

解放記念日大学時代同級生黒人集団山中キャビンに集まると突然デスゲームが始まって~という1000回見たお話

ホラー映画黒人が登場してもすぐ死にがち問題を取り扱っており、タイトルバック最初ゲーム質問は「黒人最後まで生き残るホラー映画を答えろ」で正解できずに悲劇が始まってしまうところからもそれはあきらか。

 

デスゲームものから当然、仕掛け人 a.k.a 犯人がいるんだけどこいつかなぁという人物犯人です。しか犯人当てに製作者は重きを置いていないのはすぐにわかる。作中でなぜかめちゃくちゃ「androidスマホを使っていること」を強調する人物が登場しそいつが「androidの充電器ない?」とペンションで聞くと「androidなんか使っている人いるわけない」というめちゃくちゃなこと言い出す展開があるんだけど、これって「apple広告戦略iPhone使っているのは善人にしなければならないらしい」という昨今めちゃくちゃ流行ってる映画業界あるあるをぶち込んだギャグなんだよね。なのでもう最初からそいつ犯人ですよと作品は示してくれてる。

こんな感じで自虐的でもあり、社会風刺的でもあるある意味ではめちゃくちゃ真面目な映画なんだけどそれを全編コメディとして描かれているのがすごい。ある意味で言えば黒人スタンダップコメディ映画化したみたいな作品。身内ごとだからってめちゃくちゃやりすぎだろとめちゃくちゃバツの悪い思いをしながら爆笑してしまった。

例えばペンションにつくとキングアリソンに対して「おい、お前の肖像が飾ってあるぞ」と話を振る、視線の先にはシマウマ写真が。アリソン黒人白人ハーフって設定なのね。笑えんって!しかアリソンキングに対して「貴方彼女のじゃない?」と回答する、キング白人女性と付き合ってるのね。笑えんって!

その後もラッパーチップスを買い集めるデブフラッパー女性とか、めちゃくちゃ甘いジュースを作った人に対して「糖尿病黒人病気からって~」って言うとか、すぐにヤクをやりだすとか、クローバーを切るよな黒人ならとか、とにかく彼らは常に「そりゃ黒人的だ」「黒人的じゃないね」と延々と黒人ジョークを言い合っていて、このへんテンポもいいし会話の内容も興味深くて楽しい

 

そしてデスゲームが始まると黒人蘊蓄が延々と繰り返される。フレンズに登場した黒人俳優とかNAS楽曲についてとか黒人国歌の2番を歌えとか。黒人国歌の2番のネタなんだけどシンプル黒人はみんな「適当に歌ってた」「知らないよそんなの」と答えるのに対して白人とのハーフアリソンけがちゃんと歌えるところも皮肉が効いてる。

そして最終問題として「もっとも黒い者を差し出せ」という生贄問題となり、これまで黒人ジョーク自分の黒さを競っていた彼らはいかに自分が「黒人らしくないか」を競い始める。アフリカ人からお前だろ、いや俺はゲイから黒人らしくない(めちゃくちゃ言いよる)、私は親が白人から違う、白人女性と付き合ってる云々。マッチョイズムにも通底するコミュニティ内でのマウンティングの醜さをコミカルに炙り出してて笑えるけど笑えない。

そして最終的に選ばれた人の理由が「トランプ投票した」こと。この瞬間、空気は凍り付き「お前は黒人じゃない」と総スカン。彼は生贄に捧げられてしまう。しかしこの問題は「もっとも黒いもの差し出せ」。ここで彼を差しさなければ別の展開もあったのかなぁと思ってしまう。はい差し出された彼が犯人です。

まぁその後いろいろあって最終的に犯人井戸に突き落としておしまい

大学時代スペードという黒人コミュニティ必須トランプゲームミスを連発して「スペードもできないなんて、お前黒人じゃねぇよ」とゴリゴリ差別されてやけ酒飲んだ帰りに人をひき殺してしまたこから人生歯車が狂ってしまった犯人が「ほなお前らはどんだけ黒人なんですかね」とデスゲームを仕掛けたのだった。

 

そして最後に「警察呼ぶ?」「呼ばないだろ撃たれるだけだ」と笑いながら話すのもめちゃくちゃ面白いけど笑えないし、じゃあ消防車だとなって最終的に消防車が来たと思ったら全員が"放水"で画面外に吹き飛ばされて終わるのもブラックコメディとして完璧

実際にデスゲーム殺戮がおきたりスティングする部分は端折ったけど普通に水準程度にはできてたし退屈することはない。なによりやっぱ、本当の意味黒人黒人による黒人のためのポリコレ映画って感じでめっちゃよかった。特にポリコレ居丈高に「お前ら」ごとにするんじゃなくて自虐的に「俺たち」ごとにしている姿勢に好感が持てた。

これは黒人コミュニティ内での黒人らしさマウント合戦自虐的目線コミカルに描いたものだけど、これは男性社会マッチョイズムマウントの話にも変換できるし、日本人社会残業時間社畜マウントの話にも変換できるめちゃくちゃ普遍的テーマだなって色々考えさせられてすごいよかった。

普通にオススメ

2025-12-07

心霊現象信じてなさすぎて

心霊現象信じてなさすぎて、自分経験した体で怖い話してくる人のこと「そういう嘘つくタイプの人なんだ〜」って思っちゃう

ていう話を友達にしたら、「いやいや心霊現象はほんとうにあるよ!!」って自分体験した幽霊の話してきて、マジで無敵だなこの人って思った。

追加

誤解があったらあれなんだけども、心霊スポットホラー映画お化け屋敷普通に怖い。なんなら平均以上に怖がりな方だと思う。

でもそれって、「安全が確保されてようが激しいジェットコースターは怖い」みたいなもんなんじゃないか人間生存本能だか想像力だか知らないけど、そういう脳の作用によって怖いっていう感情が生み出されてるだけであって、だから幽霊がいるとか信じるとかにはならなくないか

2025-11-28

映画ドールハウスを見た

あらゆる工夫を凝らしたウェルメイジャパニーズホラー

ホラー好きなら見て損しないと思う。85点

 

とにかくタイトルバック完璧すぎる。2025年に見た映画の中で一番よかった。

 

長澤まさみ家で遊ぶ娘と友人。長澤は買い物に出かけると良い娘らに家から出ないように言い含め、刃物を高い戸棚にしまい、ガスの元栓は締め、風呂場にも水が張られていないことを確認し家を出る。途中で怪しいおじさんに出会ったり、スーパー最近不審者が出没しているという情報を聞き不安になりながら帰る長澤。家に帰ると人の気配がない。一緒に遊んでいた娘の友人の家を訪ねて話を聞くとかくれんぼ最中にいなくなってしまい、長澤の元に向かったと思ったので解散したとのこと。ママ友ネットワークで探しても見つからない。病院勤務の夫に電話をし、夫があわてて帰ると家にはパトカーが。事情聴取を終え2人残った長澤は同様のあまりコップを倒してしまう。テーブルクロス洗濯しようとドラム式洗濯機に突っ込むも違和感を感じ、ゆっくりテーブルクロスを取り出す。ドラム式洗濯機の中に何かを見た長澤。徐々に表情が変わり大きな悲鳴を上げる。カメラは家の外に出て響き渡る悲鳴に次々と家から出てくる近所の人たち。

ドールハウス

 

長澤まさみってこんないい役者だったっけって思っちゃった。

特にドラム式洗濯機の中に娘を見つけた時の表情と悲鳴は「だからホラー映画にはプロを使えって言うんだよ!」って言いたくなるくらい完璧だった。ドラム式洗濯機の中を映さないのも英断。ちなみに過去には実際にドラム式洗濯機子供が閉じ込められてなくなる事件があった。水が漏れないように密閉されているので窒息死してしまうらしい。

 

まぁその後、ヘラっちゃった長澤はフリマ呪い人形を購入。それを喪った娘に見立ててモリモリメンタル回復するも夫との間に第二子誕生すると呪い人形への扱いがぞんざいに。第二子が成長ししまわれていた人形発見友達にするも次々不可解な事件が起こり始め、霊能力者が出てきたりして呪いの解除に挑むのであった。

人形は病弱な娘の将来を儚んで心中するも自分だけ助かってしまった母親を癒すために、人形師であった父親が娘の骨と髪を取り出し製造した人間人形母親とともに埋葬されたが盗み出されていたことがわかり、人形母親の墓に埋葬することで解呪できるであろうことがわかり、様々な困難が降りかかるも夫婦はそのミッションに挑むのだった。

 

という、人形呪われホラーテンプレート完璧になぞっていく。

 

呪い人形子供が仲良くなっちゃって人形が喋るとか言い出したりなんかどんどん様子がおかしくなっていく展開なんか100回見たし、不気味に思った母親がそれを捨てようとするんだけど何度やっても戻ってくる展開も100回見たし、子供の友人が人形に意地悪して人形復讐される展開も100回見たし、呪いの解除のために墓に向かう展開は1000回見たけどもだ。

ジャンル映画ってそういうもんじゃん?その展開に持っていくために登場人物の行動から整合性論理性を奪ったりしない限りは、仮にテンプレであっても必要な展開なら入れればいいと思う。

霊能力だって「来る」でも「貞子vs伽椰子」でもいろんなホラーに出てくるテンプレ展開だけど呪いの強力さを示すために必要ギミックだと思うし、大体最終的にうっかり退場しちゃうけどどう動くべきかの道しるべとしても必要だと思うし。

そういうテンプレ展開を支える工夫があるかが大事で、この作品にはそれがある。

 

特にウオオオオオ!!ってなったのは、人形に恐怖した長澤が人形ゴミ捨て場放棄し家に帰ってパン生地を伸ばしているとと廊下から物音が。出てみると丁字路の突き当りに紙袋かぶった人形が(この紙袋伏線アリ)。激昂した長澤はパン伸ばし棒で人形を殴打!殴打!殴打!する、長澤の横顔を映すカメラの奥の部屋に座っている人形が写る。気配を感じて振り向く長澤。座る人形を見て恐る恐る自分が殴っていたものを見るとそこには第二子が……

っていう夢だったのさっていう話なんだけども。

この殴打する長澤まさみの向こうに座っている人形が写り込むパートめっちゃいいよね。主人公よりもちょっとだけ先に観客がアッ……ってなるやつ。しかも木製の伸ばし棒でボコボコに殴ってるからさぁ。ヤバイヤバイヨって出川みたいになっちゃう。ここはめっちゃキモ冷えた。

 

霊能力者による解呪パート中に地震が発生し真っ暗になってしまった部屋でポラロイドカメラフラッシュだけで駆けまわる変顔a.k.a怪物人形を捕えようとするパートも割とありがちではあるけどやっぱめっちゃ怖いし。

呪い人形母親の墓が円筒状になっていて、明らかにドラム式洗濯機と対になっているっていうのもわかりやすいけど、こういうのが大事なんだよなぁってなるし。そしてその蓋を開けるという行為最後悲劇の引き金になっているというのも、タイトルバック呼応していてよい。

 

最後にさんざん言ってきた「解呪ホラーテンプレをひっくり返すスイングがあるんだけどこれは、若干賛否両論あるだろうけどよかった。

過去の文献から呪い人形母親に愛されていた子供が愛ゆえに心中に巻き込まれるも最後は愛する母親とともに埋葬されたと思われており、しかしのちに盗掘者によって盗まれしまったのではないか。墓に帰るために呪い人形と化してしまっているのではないかと推測され、だから人形を墓に返そうとなる。よくある展開である

しか人形は第二子に「首を吊られている自分」「骨を取り出すために釜茹でにされている自分」を不気味に書かせている。何より、何度捨てられても帰ってくる能力がある人形が墓には戻れない理由がわからない。本当に帰りたいならさっさと帰っているはず。

実際には人形生前母親虐待されていたことが人形と娘の会話の録画テープから発覚する。人形母親を愛してなどおらずむしろ憎んでおり、一時は自分を愛してくれた夫婦が最終的にそんな母親の墓に人形を捨てようとしたこと人形呪いは爆発し夫婦は完全に人形に捕らわれてしまう。

最終的に夫婦人形を娘として迎え入れ、第二子のことは忘れさってしまう。祖母の車の中で両親を求める第二子とそれを背後に人形ベビーカーにのせて幸せそうに歩く夫婦の絵でこの作品は終わる。

幸せだった家庭は人形の家――"ドールハウス"にされてしまったというバッドエンド。

うむ、よくできておる。

 

なんかこういう作品って捻りとして呪いを解こうとしてやったことすら実は呪いによって仕組まれていたみたいな構造にしたがったりするけど、この作品ではみんな頑張って呪いを解こうとするんだけど別に誰が悪いわけじゃなくて単純に逆効果だったっていうのが割と好き。最初理不尽展開だなぁと思ったけど理不尽でもええじゃないか

そもそも母親の元に戻れてよかったね💛」ってエンディング自体母子はそろっているべきだっていう、幸せボケした輩の上から目線解決しかねーんだし。

 

いっぱいありすぎてここには書いてないけど布団もっこりしてるからめくったらなんもおらんけどやっぱいるシーンとか足音がするからドアあけたらいないシーンとかホラー演出宝石箱や~って彦摩呂が叫ぶくらいにはミチミチにいろんなホラー表現が詰め込まれているので見ていて飽きない。

とにかく予算をかけて撮られているし脚本もしっかり作られてる。昨今流行りの考察という名の投げっぱなし要素もほとんどなく作品内でちゃんと完結させられてる。まぁ最後呪い爆発のところは若干分かりづらかったかな。あそこは俺も自信なし。

ガチで作ればホラー映画ってやっぱ面白いんだよなって思えた作品だった。

ちゃんとしたホラー映画好きにはオススメ

2025-11-24

君も2025年屈指のホラー映画「果てしなきスカーレット」を観よう!

久しぶりに映画を鑑賞したので、感想備忘録としてまとめておく。

ネタバレ注意。

年の暮れも近づいて寒風が吹きすさぶなか、これほどの恐怖と癒しを味わえるとは思わなかったので、いい記念になった。


スカーレット』について論じる前に、前提に触れておきたい。

少年少女主人公に据えて普遍的かつドラマチックな物語(以降、ドラマと呼ぶ)を展開する場合シナリオテーマ必然的に「これから大人なる子供たちへの応援歌」になる。

何故かと言えば、大人にならない人間はおらず、あらゆる受け手に刺さるテーマからだろう。

こうなると、あらゆるシナリオ上の敵は「大人になるための障害物」「大人になることへの恐怖」ということになる。

最終的に、物語の中で主人公はこれらの強大な敵を乗り越えて、大人になっていくということだ。


では、シナリオの中で「大人になる」にはどうしたらいいのか。

これはたくさんのドラマに触れてきた人なら自明のことだと思うが、親を超えればいい。

まり、大抵の子供のドラマにおいて、テーマは「親殺し」になる。

古今東西子供が主役のドラマは星の数ほど生まれているが、脚本家には何を「親」にして、どう「殺す」のかが問われるだろう。


ここで、『スカーレット』の話に戻ろう。

先の前提を鑑みて『スカーレット』のシナリオ俯瞰した時、スカーレット主人公)はどう「親」を「殺した」のか。

結論から言うと、スカーレットは親を殺せなかった。正確には「殺さなかった」。

「殺し方がうまくなかった」とか「殺しはしたが中だるみした」とかではない。「殺さなかった」のである

ドラマとしてはなかなか壮絶な失敗である

カレーを作ろうとしたがルーを買っていなかったレベルの失敗で、これは叩かれても仕方がない。


なぜこんなことになったのか。

おそらく、これは脚本が下手とかそういう次元問題ではないと私は感じた。


話は脱線するが、果てしなきスカーレットハムレット翻案したものなので、ハムレット構造にも触れなければいけない。

実のところ、ハムレットも「親殺し」の物語である

ハムレット行間のある物語であるため、様々な解釈があるが、端的に言えば主人公は「父の呪いからまり、「父の呪いを断ち切って」己の遺志だけを残して死んでいく。

詳しくはここでは割愛するが、ずっと父の呪いに悩まされ、懊悩していたハムレットであったが、最後純粋義憤によって剣を取って悪を処断し、理性的政治家として死んでいくのである


もう一度『スカーレット』に戻ろう。

ハムレットテーマを踏まえると、『スカーレット』は「どう親を殺すか」という問いだけではなく、この「ハムレットがどう悩み、どう大人になったか」を翻案するという大変重い十字架を背負って出発している。

相当腕の立つ脚本家でも悩ましいテーマだろう。

ハムレットは数多くの翻案作品があり、翻案を明示していなくてもハムレットフレームワークとして利用したと思われる作品は数多くある(ディズニーライオンキング等)。

彼らに正面から戦いを挑まねばならないわけである


残念ながら、『スカーレット』に関しては「戦って負けた」とは言えない。不戦敗である

何故そう言えるのか。


ここからネタバレになるが、何と『スカーレット』では、父の呪い最後にやってくる。

物語大団円最後最後に父の亡霊が「自分人生を生きろ」と告げ、スカーレット子供のころに描いた父の似顔絵母親に破り捨てられたもの)に変化して消えていく。

恐怖である。「親殺し」どころか、これで主人公は「親の命令に囚われて一生を生きる」ことが確定してしまった。

死者の国を旅し続けて、数多の試練を乗り越えた末に、似顔絵を描いた幼少の自分精神に戻ってしまったのである

その後王になったスカーレットは、集まった民衆に向かって無邪気に父から受け継いだ理想をそのまま語り、条件付きの平和約束する。

自分に協力するのなら」平和約束する、と語るのだ。


いやいやいや。なぜそうなる。

ハムレット読んだ?そんな話でしたっけ???

単純に突っ込むとこれで終わりなのだが、冷静に登場人物を振り返っていくと、この物語内包している恐怖が浮かび上がってくる。


劇中冒頭の処刑時に主人公に聞こえない遺言を呟き、終盤まで主人公を惑わせつつ、最後呪いを仕掛けてくる「偉大な父」である

劇中、なぜか腑抜けとして扱われているが、親しみやすい人柄で子(スカーレット)と民衆からの信頼は篤い。


特に正義もなく極悪非道を貫いているサイコパスラスボスである

民衆から慕われている王(アムレット)を民衆の前で殺害できる政治的超能力を有している。

死の間際、スカーレット顔面に唾を吐きかけてくるレイパー役も担っている。


あらゆる悪人に手を差し伸べて怪我を癒す看護師であり、道中でスカーレットに守られ続ける存在である

子供を守って通り魔に刺されて死者の国にやってきて、愛の歌だけでスカーレット現代渋谷飛ばしダンスと歌でスカーレット精神的に生まれ変わらせた。

死の間際、スカーレットに「いきたい!いきたい!」と言わせて死者の国から旅立たせる白馬王子様役も担っている。


スカーレットはなぜこんなにも性的メタファーを遠慮なく使われているのか、SNSでは非難も起きていたが、冷静になってほしい。

上記キャラクター構造的に全員「父」である

アムレットは一生を呪ってくるリアルな父、クローディアスは自分を愛してくれずネグレクトする悪魔の父、聖は本来まれている理想の父だ。

この物語は「父の言いつけを守り、悪しき父に耐えることで理想の父に愛される」という構造になっている。


そう、描き手は「父から愛される」ことを心の底から望んでいる。

からそもそも戦う気がないのだ。

「親殺し」ではなく、「親の言いつけを守ることで親の愛という永遠平和約束される世界を取り戻す」物語なのである

王になったスカーレット民衆に条件付きの平和約束したのも、このように解釈すれば納得がいく。

「描き手がそのように愛を受けてきた」からだ。

描き手はおそらく、条件付きの愛しか知らない。


何故スカーレットは唾を吐かれたり「いきたい、いきたい」などと言わされているのか。

「可愛らしい女の子でなければ愛を受けられない(自分が愛されないのは女の子ではないからだ)」

女の子なのだから、遠慮なく父の愛を受けられるはずだ(息子ではない存在なら愛を受ける資格があるはずだ)」

性的に求められることが愛だ(自分が愛されないのは性的に求められない存在からだ)」

というドグマが描き手に存在しているからだろう。

まり、描き手は自分の代わりに少女主人公に父から虐待と愛を存分に受けさせている。

それによって癒しを感じているのだろう。


私は過去細田守作品ほとんど知らないが、この作品がこの有様なら、おそらく主人公に関わる男性陣は全員「父化」しているのではないか

ネグレクトしてくる悪魔の父か、なんだかんだで主人公を愛してくれる理想の父かのいずれかだ。


・・・というわけで、私はこの作品を一押ししたい。

無自覚ファザコンによって繰り出されるシナリオからあふれ出る愛の歪みは大変な癒しを齎してくれる。

ヒトの歪みを大画面で摂取して、あなたも癒されてみないか

2025-11-18

ホラー映画好きな人ってなんで苦手な人にも見せようとしてくるの?

2025-11-17

映画オールド・マンを見た

不思議映画体験だった。57点。

 

U-NEXTで見たのであらすじを引用する。

深い森の奥に隠遁する老人の住む小屋に、迷子になった青年ハイカーがたどりつく。青年は助けを求めるが、老人は「おまえは殺人鬼かもしれない!」と猟銃を突きつける。緊張感が漂うなか、老人に隠された“恐ろしい秘密”が徐々に明らかになり始め…。

おわかりいただけたろうか(本当にあった呪いのあらすじ)

このあらすじから何となく感じる違和感ねじれのようなものがこの映画のすべてと言える。

あらすじだけ見ると「やべー老人の家に迷い込んだ青年が怖い目に合う作品」の青年主人公作品に思える。が、このあらすじ最初主語は「老人」なのである。実際に映画も老人が目が覚めるシーンから始まる。老人が目を覚ますラスカル(おそらくアライグマと考えられる)がいない。ラスカルを探しているとドアが叩かれ、青年が現れる。彼は「道に迷った、助けてほしい」と言ってくるが……という導入。

 

その後、老人は青年に向けて自分だけ銃を持っているのをいいことにネチネチネチネチとパワハラを繰り返す。

例えばこうだ。

老人「お前は俺が話していいというまで話すな!わかったか!(理不尽)」

青年「……わかりました」

老人「おい、油断するな。俺がいつ話していいと言った!(理不尽)」

しかもこの老人ボケているのか詮無きことを延々と話し続ける。パワハラボケ老人、最悪の存在である

 

そして途中で青年に「もの食った(飲んだ?)らひどい目にあったことがあったんだよなぁ」などと言いながら、青年に物を食わせる展開があり(これもひどい話だ)、これで青年意識を失って拷問パートに入るんだろうか、などと思っていたら別にそんなことはなく、いっぱいお喋り(パワハラ)をした結果、なんとなく仲良くなりはじめる。

そうすると今度は青年側の違和感気づき始める。まぁ、これは生まれつきの顔の問題もあるんだけどどうも無機質でのっぺりとした顔をした青年だんだん怖くなってくる。しかも彼はこの家に来るまでの記憶がないと言う。しか家族ともうまくいってなかった模様。デカナイフも持ってるし。

もしや彼のほうが殺人鬼かなにかで老人がやべー奴かと思いきや、この青年のほうがヤバい奴だったのかと思いきや別に何も起こらず老人が青年パワハラセラピーをしながら徐々に老人と青年シンクロし始める。もしやこれは「アイデンティティ(映画)」なのでは?と思い始め、それは頂点に達した時、青年が消え、冒頭で行方不明になっていたラスカル帰宅する。

ラスカルアライグマではなく黒ずくめの男で顔は何と青年と同じ。彼は老人の過去の罪を責め立て謎の水を飲ませ彼を箱に押し込める。その先は老人の過去で、過去の老人は青年で(ややこしい)、青年の老人は妻の不倫現場を目撃、不倫相手を猟銃で銃殺、妻をデカナイフで刺し殺す。

そう、青年は山奥の家に逃げ込んできた大昔の老人で老人は青年未来の姿なのだった。ふーん!

老人は自身の犯した罪を思い出し、ラスカルに導かれるように眠りにつく。そして映画冒頭のカットが再び繰り返される。

 

まりこの作品は、罪の意識にさいなまれる老人が当時の自分をネチネチネチネチといたぶり、その後の自分自分がいたぶられ罪の意識に苛まれて眠りにつき、また同じ一日を繰り返すとセルフSMプレイ映画だったということになる。どんな映画だ。

でも何となく最後までのっぺりと見られた。たぶん老人役の役者がよかったからだと思う。ドント・ブリーズ盲目おじいちゃん。これキャストが効いてて「ドント・ブリーズおじいちゃんからこれは青年がさぞひどい目に合うホラー映画なんやろなぁ!」という勝手先入観がうまく働いていた。

実際には……こういう映画なんて言うんや?うん、みたいな映画だったんだけど。

 

まぁ積極的おすすめするような映画じゃないんだけど、これ何の映画なんやと思いながら見られる割と面白い映画体験ができる映画なのでめっちゃ暇だけどもう大概の映画見ちゃったしなぁってときオススメ

2025-11-12

映画】みなに幸あれを見た

昨今の日本の村ホラーの中ではかなり頑張ってる方だと思うんだけど。

それが逆にテーマ性との接続を損なってる気がして集中できなかった、59点。

 

「誰かの不幸の上に自分たち幸せが成り立っている」というありふれたテーマ不条理ホラーに落とし込んだ作品。とにかくこの不条理な村ホラーの部分のアイデア豊富さや演出がよくて「なんかキモくて怖い映画見たいな」って人には普通におすすめできる。

不条理な村ホラーってのはアレね。「なんかこいつらの会話おかしくね?」「なんかこの住民の行動おかしくね?」みたいな心理的生理的嫌悪感を含む違和感が徐々に大きくなっていって事件が起きてヒャーってなるやつ。今作ではこの住人が主人公家族なんだけども、この家族キモさ、異常さが本当によくて。よくこんなにキモアイデア詰め込んだな~って感心させられる。

 

内容的には

主人公祖父母の家に行ったらなんか様子が変で探ってたら2階に目と口が縫い合わされた老人が幽閉されてて、実はその老人を不幸にすることでこの家は幸福を保っていたことがわかる。主人公がその老人を逃がすが、老人は交通事故で死亡。家族は急に不幸になり主人公は新しい贄を連れてくるように家族に頼まれて~

的な話。

 

実際には主人公の家だけではなくその村全体がそうで、もしかたらこ世界中で本当に起こっているかもしれないよ的な感じで、弱者搾取するこで成立する世界を強烈に風刺している。そしてこの作品メッセージ性の優れているところとしては「お前らも弱者を踏みつけにしてるだろ」というだけではなく、幽閉されていた贄の老人のように「お前らも目と口を塞がれて幸福搾取されてるぞ」という加害者被害者両方の立場提示してくるところ。

 

ただこのメッセージ性と村ホラー接続が俺の中ではイマイチだったと感じた。

まず祖父母の家に入った瞬間から祖父母の行動がヤバすぎて、例えば「なぜか2人して主人公の指をしゃぶりまくる」「暗い廊下の奥から祖母が走ってきてそのまま壁にぶつかる」「突然豚の鳴きまねを始めて豚は幸せだみたいな説法を始める」等々、テーマ関係ない部分のアクが強すぎて話が入ってこんのよ。

もろちん、指しゃぶるのは若者をしゃぶりつくす老人の比喩かもしれないし、豚説法は「弱者を食い物にすることを肯定する」意図があるんだろうしわかるんだろうけど、それらの普遍的テーマと「頭のおかしい家の話」という個の事象が衝突しているように感じる。

昔、ホラー脚本家三宅隆太が「ホラー映画登場人物はなるだけ普通であるべき」みたいな話をラジオでしていて、「主人公が常に赤いマフラーギターを抱えている人間だったら、怖い目に合うのはこいつが異常だから私たちには関係ないと思われてしまう」という話をしていたが、まさにそんな感じ。

同じく、主人公家の贄が死んでしまった(死ぬシーンもめちゃくちゃ見晴らしのいいあぜ道でノ―ブレーキで突っ込んでくる軽トラもよくわからんけど)結果、祖父祖母も弟も母親もみんな耳とか目とか口とかから血を噴出しまくって「早く次見つけてこないと間に合わなくなるよ」と主人公を追い込む展開。いや、それは自分たち幸せ他人の不幸の上に成り立ってるとかじゃなくて、もう「他人を不幸にしないと死ぬ呪い」じゃん。

いや確かに今日本が東南アジア圏の後進国の人たちから搾取をやめますってなったら死ぬかもしれんけどここまで急激にめちゃくちゃなことにはならんやろ。

しかもこの作品には「代々贄がいなくて幸せになれない幼馴染」が出てくるんだけど、そいつの親父は普通に老衰だし幼馴染本人も「本当は絵描きになりたいけど貧乏から農業しなきゃだよね~」くらいの不幸度合いなんだよ。贄いなくてもぶっちゃけどうにでもなるだろこれ。なんで主人公家はあんだけ急激に不幸通り越して破滅しそうなんだよ。

まぁこれも贄に頼り切った結果、もう贄なしでは存続不可能状態になってしまっているという先進国を鋭く風刺しているんだよ!!!と言われたらそうかもしれんけど、風刺内容としては妥当でも作中のルールとしての整合性としてはおかしくなーい?って感じ。

あとは贄システムを拒絶して出て行った叔母が山奥で頭おかしくなってていろいろあって主人公彼女殺害してしまう展開、特にいらんかったな。まぁ「贄システム拒否できない」というダメ押し展開ではある、殺害シーンのショッキングさは「めっちゃ撮りたかったんやろなぁ」ってのはわかるんだけど、叔母の現状や思想テーマにはコネクトしてなかったので、逆にノイズに感じた。

 

全体的に「見せたいもの」「言いたいこと」をかなりうまく表現できているんだけどそれをうまく盛れていないいない印象だった。めっちゃおいしいチキンカツ肉じゃが白身魚ムニエルを全部ご飯にかけてどんぶりしました!みたいな感じ。

この奇妙さをしっかり味わえる和ホラーはめったにないので見てみるといいとは思う。

2025-11-11

映画】呪界を見た

寝るまで100分しかなかったのでその時間ちょっと余裕をもって見られる日本語のものを探した結果見てしまった。

6点(100点満点中)

 

まず「呪界」というタイトルを見て、「結界」に対しての「呪界」なのかな?と思ってみたら開始3秒で「あ、樹海と呪界をかけてるのか」と気付いてしまうくらい鈍感なコンディションで見たことはあらかじめ言っておきたい。

 

この映画はいわゆるモキュメンタリーに属すると思うんだけど、

1.樹海行方不明になる主人公たちの担当教授へのインタビュー

2.唯一生還した女性へのインタビュー

3.発見されたビデオカメラ映像

4.普通俳優を使った映像(再現VTR?)

の四つで構成されている。

3と4はシームレスに繋がれていてカメラ映像劣化しており途切れ途切れだったのでその間を再現VTRで埋める構成になっている。ちなみに再現VTR9.5でカメラ映像が0.5くらいの割合カメラ映像薄すぎるだろ。どうやってVTR再現したんだよ。

ツッコミが始まってしまうのだが、これを筆頭に問題が多い、というか意図は何なの?と問いたい部分が多すぎる映画だった。

 

1.カメラワークの謎

冒頭で担当教授へのインタビューが終わった後、樹海へ向かうまでの再現VTRが始まるんだけど最初俺はこの映像自体が実際の映像(のてい)だと思って見てたのね。後々、ビデオ映像ほとんどが復元できなかったという話が出てきて、実際のカメラ映像が使われるので再現VTRだってわかるんだけど。

なんでそう思ったかっていうと、再現VTRなのにめちゃくちゃカメラワークがヘタクソなのよ。家庭用ハンディカムでお父さんが撮ったみたいな感じ。常になんかグラグラフラフラしてるし登場人物にめちゃめちゃ接写してみたり話してるところに別の演者が通りがかって背中が画面の7割を覆っちゃった状態でも回し続けたり、なんか遠い枝の隙間から撮ってみたり。これが「誰かの視線」だったらわかるんだけど、それにしては不自然ショットが多い。

これが実際の映像ですのパートならいい。もちろん不自然ショットは悪いんだけど、素人が撮ったなぁって演出は実際に素人が撮ったんだでいい。でも再現VTRパートでそれを採用する意図は何なの?

なんか意味があるのかなと思って見てたけど別に何もなかった。ただカメラがヘタクソなだけだった。

普通俳優を使ったホラー映画として見るにしても没入感を削いでるんじゃねぇかな、知らんけど。

 

2.インタビューの謎

まず開始数秒で思ったのが「担当教授の喋り方演技すぎるなぁ」ってこと。なんかねぇ、無駄に情感たっぷりに間を取って喋るのよ。ツイキャスのイケボ配信者みたいな喋り方ずっとしてて集中できんわ~って思いながら見てた。

で、唯一生還した女のインタビューも「怖かった」「今も怖い」「当時のことはなんかよくわからん」くらいの情報量しかない。いや、もしかしたらリアルインタビューしたらそういう感じなんかもしれんけど、これってモキュメンタリーインタビューパートの中に何らかのヒントがあってほしいじゃん。ない。

登場人物再現映像では仮名で、インタビューパートでは本名なので音抜きで表現されるんだけど、何か所か環境音は入ってるのに声だけ音抜かれてるところあって処理が雑だなぁと思いましたまる

あとインタビュアーの声が入らずにテロップで表示されるんだけどあれってインタビュアーの声のパートを切って編集で繋いでるんだよね、普通はね。でもこの作品だと映像一切切らずにテロップに対して被写体が返答してるのでどういう仕組みやこれ?ってなっちゃった

 

3.登場人物の謎

ホラー映画登場人物コロナワクチンで5Gと共にバカ感情的で不合理な行動をとるようなプログラム政府によってインストールされているので、そういった行動には目を瞑るとして。

樹海でやる研究内容が「樹海自殺しようとしてる人を探してインタビューしてみよう」ってイカレすぎたものなんだけど、実際には主人公の女は樹海行方不明になったと思われる父親を捜す目的カムフラージュするに偽の研究内容をでっち上げてる。素直に父親を捜したいって言った方が同情引けるし、これを隠してることで話がどんどんややこしくなる。

なんか一人でフラフラ徘徊して遭難の原因を作るし、自殺者の遺留品と思われるものをみんなが止める中いきなり漁りだして周囲をドン引きさせて不信感を抱かせてギスギスさせるし。このパーティーおかしなことになるの、大体こいつが全部悪い。

 

4.行方不明の謎

途中で自殺志願者と思われる男を発見するんだけどその後、そいつがなんか追いかけてくる展開になる。男交じりの大学生で、そもそも5対1なんだから反撃しようって流れになると思うんだがそうはならずに、みんなでワタワタと逃げ惑ってる間に散り散りになって最終的に主人公が一人になって闇の中から腕を掴まれてギャー終わり、になるんだけど。

いかけてきた男はどうやら主人公父親ぽいんだけどでもそいつ1年前に死んでるの確認されてるんだよなぁってことがエンディング直前に急にテロップで明かされるのはどうなんだってはいったん置いといて、主人公父親に連れていかれましたとして。

他のみんなどこ行ったん?

一人は帰ってきたけど。

もしかして暗い中樹海で走り回ったか遭難しちゃってて、今もあの樹海をさまよっているのです。たぶん。ってことなん?それはそれで「樹海怖い~夜の樹海を移動するのはやめよう~」としては正しいけど。

 

つまるところ全編通して「なんでそうしているのか」という意図が全く不明

しかしたら監督も「俺は何撮ってるんやろなぁ」と思いながら撮ってたのかもしれない。呪われていたのは実は監督でしたとかいメタオチであることを期待して3点足しといたので実質3点。

ホラー映画舐めんな。

2025-11-04

映画】犬屋敷怪奇を見た

13点。

バカが撮った映画

 

とりあえず「実は倫理観がないYoutuber犯人でした~✌」のオチもうやめろ。承認欲求をこじらせた人間はなんでもやるから気を付けようねは耳タコだけどまぁテーマとしていいとして、だからといって「頭がおかしいとしか思えない事件」は「Youtuberだったらしょうがないよね」ではオチんよ。

 

犬の一人称視点映像で始まるんだけど最初から何もかもが不自然映画撮ってるやつヘタクソか?と思って見てるとすぐに「どうせこれ犬じゃなくて人間なんやろ」と気付く。「まさか」じゃなくて「どうせ」なのがミソ。

家にお巡りさんがやってくるんだけどなぜか異常に上がりたがる。無理やりトイレを貸してくれと家に上がり込み、なぜか地下室の扉に直行するお巡り。開けると中から拘束された女が飛び出してくる。驚くお巡りの後ろでどう見ても紙製にしか見えない工業用のロングハンマーを片手で振り上げる母親!うんち!

そうして家の地下にはいろんな人間「犬」として飼われており、家族キチガイ一家だったことがわかる。で、電気ビリビリしたり、ピーラーで顔の皮剥がして「は~い、グロ皆さんお好きでしょ~」とやすっぽいサービスシーンを提供して、最後に「こいつらYoutuberでした~」で終わり。

なんもオチてないよ。

なんかギスギスした一家だなからキチガイ一家であることがわかるスイングは多少面白いし、キチガイ演技も楽しくはあるけど結局この映画も「で?」なんだよな。あと細かいところの作りが雑すぎる。

 

なんでホラー映画って真面目に撮られないんだろう。

犬の主観視点だと思ったら実は犬でしたも主観視点映像適当からなんのサプライズにもならんし、ホラー展開で段ボール製にしか見えないハンマー使うし、別にトンカチでよかったし、オチももっとちゃんと考えられただろ。

ホラー映画いつまでも映画界で下の方に見られるって怒ってる人いるけど、これじゃしゃーないよ。

2025-10-29

映画ファイナルデッドブラッドを見た

もはやホラー映画界のディズニーランド。観客が見たいものを見せてくれる上にサービス精神も満点、74点。

 

個人的には映画界のストレステストなんじゃないかと思っているファイナルデスティネーションシリーズの最新作。

とにかくこの作品群は視聴中、極度の集中に晒され続ける。

 

めっちゃ簡単に言うと「大事故で死ぬはずだった人が主人公予知夢などによって死に回避した結果、死がそいつらを追いかけてきてちゃん死ぬはずだった順番にサービス精神満点な殺し方で死なせていく」という話。そして概ねその死は「日常に転がっているちょっとした危険」が積み重なって死に至る。

例えばこんな感じ。

風の強い日に芝刈りをしている人の家がある。その家のガレージ前ではガキどもがサッカー練習をしており、一人は道路を背にボールを受けている。道路とガキの間にはゴミ箱が置かれており自動回収のゴミ収集車が向かっている。

ちょうど女性がそこを通りがかったとき強風が吹き、芝が舞いガキの目に入りガキのボールは目測を誤り女性シュート女性ゴミ箱ダイブゴミ収集車自動回収されすりつぶされて死ぬ

巷では「死のピタゴラスイッチ」などと呼ばれているが、こういった死のタネが作中にとにかくめちゃくちゃ出てくる上に「これ危険ですよね!!!」と自己主張が激しい。芝刈り機、ガスコンロ割れガラス、可燃性の洗浄剤ちゃんしまわれない包丁扇風機の近くに垂れている紐、前を走る丸太を積んだトラック、整備が不十分なトランポリン、虫眼鏡役割を果たしそうな猫避けのペットボトルボルトが緩んでいるシャンデリア、置きっぱなしの鍬、高所のガラスの入替作業日常に潜む危険がこれでもかと出てくる。

もう本当にめちゃくちゃ出てくるのでどれが本当に死に関わるタネでどれがブラフなのかがわからない。出てきたはいいけど何もありませんでした~のパターンもある。

なので観客は「どれだ、どれで死ぬ、これか、いや違うのか、こっちか、いややっぱりあっちなのか」と常に身構えた状態で画面を見ることになる。そして見事な手順をたどって死に至りスッキリして「整う」のだ。

これが気持ちいいと思えない人はまず向いてない。

 

作品シリーズ通してほぼすべて同じパターン構成されており、まず最初に多くの人が「死ぬべき」大事故が発生し、多くの人の悪趣味な死にザマをたっぷりしっかり見せてくれる。ウェルカムドリンクならぬウェルカム虐殺をお出しされる。しかしそれは主人公の見ていた予知夢主人公はそれを訴えて周囲の人間を救う。

その後、それで助かった人たちが愉快な死に方をしていき「これは助かったやつが本来死ぬべき順番で死んでいっているのでは?」と発覚しなんとかかんとかそれを避けようと奮闘し最終的になんとかなる。

そしてようやくみんな助かったねよかったよかったハッピーエンドと思った瞬間に最後のやつがめちゃくちゃ愉快な死に方をしてギャー!終わり!というデザートまで完璧な配分になっている。

今作は最後のギャーの規模がめちゃくちゃデカくなっていてフルコース食い終わったらサーティーワン店舗ごとプレゼントされたような気分になった。ありがてぇ。

 

今作ではこの予知夢を見るのが助かる本人ではなくその孫となっているのがこれまでとの違い。

祖母もその大事故を予知夢回避しており、大事故の時点で妊娠していたため彼女の子供、そしてその子供たち(孫)も本来まれるべきではない死の対象だったということで一族全員死亡するまで帰れま10という展開になる。

 

大事故で死ぬべきだった主人公祖母田舎にずっと引きこもって襲い来るピタゴラ死を研究予兆を見抜く能力を身に着けそれを回避し続けることで「死の次に順番を渡さない」という形で家族を守っていた。

でも主人公過去予知夢を見て祖母に助けを求めたことで「死が狙っている」というゴリゴリオカルト主人公に信じさせるために家を一歩出た瞬間、愉快な死に方をしてしまう。このことで死のファミリー連鎖が始まってしまうのだが、ババア家出なかったら死の連鎖まらなかったよね!?と思ってしまった。ガンでもうすぐ死ぬって言ってたからなんにせよ次に回るしなぁって判断だったのかな。死の対象老衰で死んだらどうなるのかの言及がなかったからここはよくわかんなかった。

今作は「血のつながり(原題はbloodlineで血族を表す)」で人の死の順番が決まっているので「じゃあ次こいつやな」と思っていたら実はその子不倫でできた子だからセーフでした~という世界一嫌なスティングがあるんだけど、結局そいつ面白死しちゃう。ここは批判ポイントなんだけど

不倫でできた子って言ってたけど実はちゃん父親の子だった

・死を誤魔化そうとするやつは酷い目に合うというセリフがあったのでそれで死んだ

のどっちかだと思う。ちゃんと血が繋がってたら順番通り死ぬはずだから、多分後者心停止してから復活したらいけるらしいという情報を元に弟を仮死状態にしたろ!と奮闘していた結果、死を怒らせたというのが一番筋が通る展開だと思う。

まぁ、今作では最後のギャー!のために何十人も死んでると予想されるので「死は対象者以外狙わない」というのはかなり眉唾ではある。

 

このシリーズサービスポイントでありここが面白い部分でもあるんだけど、今作ではさすがに気になったかなっていうのは、「膨大な前振り」「死のピタゴラスイッチ」を見せなきゃいけないという使命感(サービス精神)が出すぎていて、「逆に」まだ死なないなが予想できてしまうシーンが多かったこと。

サービスシーンはいっぱいあるんだから途中に1個でも「前振りの途中でいきなり死ぬ」シーンがあるともっと緊迫感が増したんじゃないかと思う。

あと、さすがにアメリカ建物機械規格外すぎるだろ。セレモニーで人集まったらどんどんボルトが抜けるスカイツリーとかドア越しの自動販売機の巨大スプリングを引っこ抜く磁力を発揮するMRIかめちゃくちゃすぎるだろ。さすがに笑う通り越してドン引きですわ。面白いからいいけど。

 

そんなこんなでシリーズものだけど基本単話完結で今作は過去シリーズの原点話だから余計に予習する必要はなし。

人が露悪的に面白い死に方をして行くのが見たい人はオススメ

2025-10-28

チェンソーマンの土台にはB級映画があるんだからマノスフィア的な視

B級映画(要はサメ映画でもいいし、ジャンプケア満載のホラー映画でもいい)というのはマノスフィア的な側面があって、グラマラス彼氏地方旅行に来た浮かれポンチの女性を惨たらしく殺すところから話が始まって、化け物(クリーチャー)たちは彼女たちを追い詰め殺そうとするわけでなので、ある種の理不尽暴力弱者日常を脅かすという構図においては否定しようもないところはある

ただ、その化け物には必ず生まれにおいて人間の都合だったりとか、社会に対しての絶望があるわけでして、それはマノスフィアっていう単なる男女差別領域じゃなくて貧困とか狂信とか社会における圧力が背景にあるわけだ。そこで一場面をえぐってそういう描写だけに言及するのは片手落ちだし批評家仕事ではないよね

チェンソーマンに至ってもデンジゴミ箱に捨てられたところから話が始まってるわけで、その奥にある理不尽絶望を見て見ぬふりしていて、批評として有害であるかもなあとおもった

2025-10-27

映画】霊薬を見た

ネットフリックスでなんか上位だったから見た。

う~~~ん。現代ゾンビ映画指標で見たら悪い部類に入るかもしれないけど将来性に期待して51点。

 

原題は「Abadi Nan Jaya」でインドネシア語永遠栄光というような意味

インドネシアの有名な愛国歌であるIndonesia Pusaka」の中の有名なフレーズでもあり、この楽曲は作中でも確か流れていたはず。

インドネシア映画の中である程度予算をかけて初めてつくられたゾンビ映画とのことで、過去ジャンル作品へのリスペクトが感じられきっちりゾンビ映画のツボは抑えながらも地域性が見られる点はなかなか興味深かった。

 

まず良かった点はゴア描写に手を抜いていないところ。

けっこう銃を撃つシーンがあるんだけど毎回ちゃんと当たると部位欠損していてGood。ここを手を抜く作品は信用できない。車で轢かれたゾンビの腸飛び出しもよき。ある程度リアリティのあるゴア表現が続き、"ちゃんと"ゾンビ映画しようという気概が感じられた。

今回のゾンビは目が完全に濁っていておそらく視力がない。なので音に反応する形になっている。

そんな中で警察署に立てこもった主人公たちが行き詰っているときに遠くから礼拝の声が聞こえ(インドネシアイスラム教圏)ゾンビがそちらに向かって走り出し、これが神の救いか!と思ったら礼拝の声が消え悲鳴が聞こえるという皮肉な展開もよい。

また、急に大雨が降りだし聴覚を奪われたゾンビたちが立ちすくむ中脱出するシークエンス中に急に雨が止み再び追いかけられるという展開になるのだが、俺たちからすれば都合のいい雨やなと思うんだろうけど、現地の人からすれば「スコールあるある」みたいな緊張感がおそらくあるんだろうと思う。

こういう地域性を活かした展開はよかった。

 

ほかは、まぁ悪かったかな。

ホラー映画あるあるバカで考え無しな登場人物たちが大集合してわっちわっちゃする。こいつらどうせ耳しか聞こえてないんだからずっと静か~~~に立てこもってればそのうちどっか行ったんちゃうんか?という疑念が絶えない。知り合いがゾンビになるんだけどいろいろあって殺さずにおいておいた結果、大ピンチになる。

わかったわかった、もうそれとっくに見たよ。という展開がほぼほぼを占めているので、それこそがゾンビ映画というのもわかるのだがどうしても得点は上がらないという形になってしまった。

 

今回の作品田舎漢方薬企業が作った新作漢方作品が原因でゾンビ化するというジェネリックバイオハザードみたいな感じだったんだけど、これも漢方ビジネス一般化していて民間療法日本の1000倍は信じられていて一種社会問題にもなっているインドネシアならではの切り口だなと。

最後最後でその試作品が実は大都会にも送られていて……という続編を期待させるオチで終わるのもテンプレでよい。

今作の経験を活かして大都会ならではの規模感で続編を取るならそれはそれで期待したい。

くらいには力が入った作品だったし、応援したいと思えるくらいには頑張ってた。なので51点デス!

2025-10-20

映画】デス・オブ・ミーを見た

う~ん、47点くらい?

 

最近さぁ、自分の中のコンプライアンス意識ポリコレ意識の発達を感じるんだよね。

そしてこれはあんまいいことじゃな気がしている

 

マギー・Qと弟ヘムズワースがタイの島にバカンスに行ったらそこが因習島でひどい目にあう話。

因習もの(今回は島だけど)にありがちな、なんかずっとよくわからん恐怖が続く部分はホラー映画として及第点はあげられると思うんだけど、よくわからん状態が続きすぎるのはやっぱ集中力訴求力を削ぐよなと感じる。大事なのは予測をさせてそれを裏切ることなんじゃねぇかな。モンティ・パイソンも言ってたけど。

 

ざっくり展開を書くと、マギーとヘムが酩酊して目が覚めて何かあったっけと思ってスマホを見たらヘムがマギーを絞め殺して埋めている映像が収録されててビックリ仰天。その後、マギーが泥吐いたりヘムがダイナミック切腹したりなんやかんやあって、その島では妊婦を生贄に捧げることで不幸を回避している島だったことがわかり、マギーはそれに選ばれていたんだけど逃げ出した結果、島は滅びてマギー溺死したと思ったら復活しました、終わり。

いくつか問題はあるんだけど、自分の中での一番の引っかかりは「これ差別的すぎないか?」ってこと。「アメリカ人夫婦他国田舎に行ったら生贄にされる話」なんていうのはホラー映画界のテンプレではあるんだけど、タイ田舎のたぶんありもしない因習でっち上げて不気味に描くことってタイ人にタイしてあんまよくないことじゃないか?という気がすごくした。国内因習映画では別に感じないんだけど、今作はかなりそれを感じた。

たぶん、この映画がそこそこ予算かけて真面目に作ってるからだと思うんだよね。儀式の内容はともかく、空気感とがリけっこうアリティがあったんよね。この実際にありそう感が逆によくなかったのかも。

で、儀式の内容なんだけど、妊婦を生贄捧げる=マギーしか妊婦がいなかったからしゃーなし、ではなく、マギー不妊症だったんだけど呪術的なサムシング強制妊娠させられるのね。ほなら別にマギーじゃなくても現地の女が儀式の生贄になったらよかったんちゃうか?いや、ファミリーは基本捧げない方向性にしても、なんかの時のためのバックアップとして強制呪術妊婦は用意しておくべきやろ。失敗したら島が滅びるレベル儀式なんやから。実際にマギーが逃亡した結果、島が滅びてるわけで。やっぱタイ田舎人間リテラシーがなってないわ(ド直球の差別)。

 

冒頭にも書いたけど謎の展開がずっと続く割りにネタバラシは割とあっさりしてる上に、あんま明確な答えをくれない。

たぶんだけど、最初にヘムに絞殺されて埋められたのは事実マギーはそこで死んでて謎の薬の効果で不死になってたってことだと解釈した。その後も薬の影響で幻覚事実をないまぜに混同し続ける描写が続き事態がずっとフワフワし続ける。

その結果、う~ん、これ何の話?となってしまった。

 

マギーと弟ヘムが出てる時点である程度やる気のあるホラー映画だけあって映像も演技もよかった。謎手術シーンやエキゾチック切腹シーンも干潟死体産卵じゃない散乱シーンもわりとちゃんゴア表現してくれるしやる気はスゴイ感じた。たぶん因習島民も現地の人使ってるんだろう。総じて見ごたえはあった。

日本のほぼすべてのホラー海外のC級ホラーと比べたら見る価値自体は十分にある。

2025-10-15

anond:20251015093952

「クマ」なんか比べ物にならんくらい怖い「銃器を持ったキチガイ」が闊歩してるアメリカですらフィジカルじゃないホラー映画が毎年毎年量産されてんだから物理的脅威があるからって心理的心霊ホラーが怖くないなんてことはないんだよ

2025-10-14

映画ほんとうにあった怖い話~変な間取り~を見た

いや、意外とよくできてたし普通に怖いところもあった71点。

アマプラで視聴した。

(おそらく)低予算ホラー映画ということで肩ひじ張らずに見られたという部分に若干の加点があるのは認める

 

実は「事故物件怖い間取り」「事故物件ゾク怖い間取り」と実は同じ原作であるというワンダー。

松原タニシ覇権やな。

キングディックみたいな「同じ作品いろいろ使いまわされる系作家」になれる才能ある。

 

それぞれ同じ家を舞台にした3部構成になっており、それぞれ別の怖さがあってよい。

 

第一話は古民家的な家に泊りに来た姉妹の話が妹視点のやや画像が荒いPOV(主観)方式で描かれる。

なんかじめ~っと不気味な感じが続き、姉が寝たと思ってドッキリしかけようとふすま空けて枕投げたら全然知らん女が寝てて襲い掛かってくるシーンとか嫌すぎてヒョエ~~ってなった。

心霊動画系ってこういうのでいいんだよおじさん「こういうのでいいんだよ」

その後、姉がおかしなっちゃうシーンの演技もキモいとやりすぎの丁度いいところとってて、ディレクション偉いわぁ~ってなった。

 

第二話は彼女結婚しようと思って家買ったけど不妊が発覚して別れた男がAI元カノ名前つけたら頭おかしくなる話。

実のところAI要素は「対話AIってなんかこわくね?」程度の解像度物語に直接関わってくるわけではない。導入程度なのでそこはちょこっと残念だったかな。

元カノAIと話すことで現実妄想区別がつかなくなった男が、家族を錬成しその家で過去に起きた惨劇をなぞりつつその家庭を破壊していくさまが描かれる。たぶん、この男本当に子供が欲しかったんだろうし、たぶん別れた理由もクソほどモラハラたからなんだろうな、嫌な男だな。と思えて、これは一種のヒトコワ系としてよくできてるなと感じた。

 

第三話は最近ベタテンプレである心霊Youtuber心霊物件に挑んだ映像が発掘された」というていで、例の家で何があったのかを明かすある種の解決編的な話になっている。

こいつキモいみなみかわみたいな顔してるなと思ったらキモいみなみかわだった!という衝撃がありつつ、マジで売れてないYoutuberみたいな顔したYoutuberが不気味な家の不気味な現象に挑むんだけど、その中でガンガン現象が起きるわ、どんどん人は死ぬわ、死んだと思ったら霊になって帰ってくるわ、結局怖いのは人だったよっていう話になるわ、こっくりさん、裏拍手といったホラーミームてんこもりてんやわんやであるサービス精神が旺盛すぎるだろ。

なぜ彼はその取材データを廃棄せずに袋詰めして埋めたのだろうか。コレガワカラナイ。

 

総括すると3話とも「心霊ビデオテープもの映画化」という天井が低い作品の中では一定以上のクオリティ担保されており、演技の質も高く、「心霊ビデオテープもの」の観客が見たいと思っているもの完璧提供できている、という点において高得点を付けざるを得ない。

吉野家牛丼食いに行ったら吉野家牛丼が出てきたときのような満足感があった。

心霊ビデオテープものはこういうのでいいんだよおじさんならこう言うだろう

心霊ビデオテープものはこういうのでいいんだよ」

映画エイジ・オブパンデミックを見た

割とフツーに楽しめる56点くらいのホラー映画だった。

 

世界一映像化されたギネス記録持ちの巨匠スティーブン・キングコロナ禍を予言したパンデミックホラー映画

というわけでは全然なく、原作原題は「Children of the Corn」で原作邦題は「トウモロコシの子供たち」

俺はまったく知らなかったんだけど、このトウモロコシシリーズ1984年の1作目を皮切りに9作目まで作られている、アメリカではジェイソンやフレディのようなアイコン的なホラーシリーズらしい。この作品はそのリブート版で、作品的にはシーズンゼロの前日譚にあたるらしく、アメリカではエグいくら酷評されていた。

 

酷評の多くは「原作どこ行ってんオブザイヤー」という感じだが、それ以外の部分で最も「確かに」となるのはストーリーテリングの拙さ。特に人間関係描写の薄さ。俺も最初から最後まで「これは誰でどういう関係何だっけ??」と思いながら見た。まぁどうせみんなす死ぬだけだからいいんだけど。

そういうC級ホラー映画を見るメンタリティでいればそれなりに楽しめた。

おそらく低予算だったのだろうけど、個人的にはホラー特有の省略の妙味が楽しめたのはよかった。

冒頭から「既に」ヴィラン少女は頭おかしいし周囲の子供たちは不穏だし、事態が始まると「既に」町は大荒れで、「既に」大人たちは保安官事務所監禁されており、次のシーンでは「既に」大人たちは大穴に落とされている。その後も「既に」吊るされているジャーナリストや「既に」用意されている凶器など、常に3分クッキングのように「準備は裏でやっときました」が続くので割とテンポよく見られた。

ホラー映画らしく主人公の女はバカで愚かだけど基本常に囚われているのであんま余計なことはしないのはマル。

ゴア表現も多くはないけどちゃんと入ってたし、キング特有のクゥルフ要素である「歩く者」も登場しサービス精神も旺盛。口煩い訓話もなければ本編の時間も短いのでキング特有の「なんかよくわからんけど不穏な状況から脱出」というエッセンスをうまく表現できてると俺は思ったかな。なお、キングファンは大酷評な模様。

 

あかん、もう何も見るもんなくなったけどなんかホラー見たい!って時に見るのがオススメ

あとは、今日はなんかいやぁなガキどもが大人を殺しまくる映画見たいなぁってときにもオススメ

2025-10-07

RA.1000のススメ

公開から2ヶ月近く経ってしまったけど、RA.1000の目玉企画ひとつであるDJ HarveyとAndrew Weatherallによる6時間半にわたるB2Bセッションの録音を聴き終え、とても素晴らしかったのでここに感想を記したい。

好きな人けがこっそり楽しむにはあまりに勿体なく、DJカルチャーに明るくない人にも伝わるように書いたら恐ろしく長くなってしまたことを最初に断っておきます

それではサンクラのリンクこちら。

https://on.soundcloud.com/qtDLB6biRpSlOPR3Mp


RAについて

Resident AdvisorはアンダーグラウンドDJ電子音楽クラブカルチャーにおいて世界最大級音楽メディアです。

彼らが2006年スタートした「RA Podcast」は毎週更新ミックスシリーズで、多種多様DJアーティストゲストに迎えてオリジナルコンテンツを積み上げてきました。

2025年8月1000回目を迎えるにあたって包括的特別編として「RA.1000」を公開。歴史的価値の高いライブ音源からコンセプチュアルな新作まで10組のアーティストによる幅広いラインナップが無料公開されました。

中でもDJ HarveyとAndrew Weatherall2012年に行ったB2Bライブ録音はRA.1000企画の目玉といえるスペシャル音源です。

またRA.1000の公開に合わせて過去1000本を超える膨大なアーカイブが公開されており、これがはっきり言って文化遺産レベルの達成です。積ん読ならぬ積ん聴き。秋の夜長にどうぞ。

https://1000.ra.co/archive


DJ HarveyとAndrew Weatherallについて

彼らの経歴等は長くなるため割愛。ウェザオール2020年に死去しており、今回が死後初のミックスリリースとなりました。

強調したいのは両者ともジャンルを横断してダンスミュージックの地平を拡大してきた先駆者であること、特にウェザオールは彼がいなかったらダンスミュージックのみならず現在音楽シーンはまた違った形になっていたと断言できる人物です。

そして両名ともコマーシャル的な成功より眼の前のお客を熱狂させることに情熱を注ぐタイプDJということ。

その2人が過去に行ったB2Bの録音が2025年に発表されたことに界隈はザワつきました。しかもハーヴィーがB2Bを行ったのは後にも先にもこの一回きりとのこと。

もし中田秀夫監督清水崇監督リング呪怨の直後に共同制作した未公開作品がいま発表されたらホラー映画ファン歓喜するでしょう?分かりづらい例えをしてしま申し訳ないがそんなイメージです。

宮崎駿高畑勲に例えようかとも思ったけどちょっとビッグネームすぎた。


B2Bについて

B2B(Back-to-Back)は複数人で曲のかけ合いを行うDJスタイルのことで、一対一で1曲ずつのプレイ基本的な形です。

DJ同士がその場のノリで自然発生的にやる場合もあれば、Harvey × AWのように「夢の共演」としてメインに企画されることもある。

勝敗を決定する趣旨はなく、一緒に一夜を作り上げる共闘関係ではあるが「どちらがより遠くへ行けるか」という意識は(DJに限った話ではないけど)当然存在し、そこには音楽による提起、アンサー、挑発協調意趣返しがあり、対話文脈が生まれます。どこに向かいどう着地するかはDJ技量次第。これは修正できないひと筆書きの物語です。

このセットについて、海外フォーラムでは「Are they playing side by side and alternating?」と議論があるようだけど、自分基本的には1曲ずつかなと思います。(理由は後述)

ただしプレイ2012年であることに加え、ウェザオールが存命でないため、誰がどの曲をプレイしたのか本当のところはHarveyにしか分かりません。

以下に感想を詳しく書きますファンによる不確実な憶測を多分に含みます


■気に入ったポイント時系列レビューするよ

・43:52〜

The J.B.'s – Doing It To Death

おそらくHarvey。スタートからの探り合いののちにウェザオールが仕掛けた「スピリチュアルお経」に対するアンサー。

JBDJセットに組み込まれること自体は珍しくないが、このトラックは思わずクスッとなるエディットが仕込まれている。(オフィシャルクリアランスを取ってるとはとても思えない)

それにしても最初の仕掛けにしてはあまりにぶっ飛んでるAWと即座に変化球を返すハーヴィーの瞬発力よ。

飛び道具上等といったところか。

・1:34:51〜

Boys From Patagonia - Rimini '80

おそらくウェザオール。0:40頃のカマし合い以降はウェザオールの低重心で硬質なモードにHarveyが同調し、お手本のようなジリジリとしたビルドアップからのコレ。そこに至る(Harveyの協調による)緻密な助走ありきの到達といえる。アクセル踏み込むタイミングを見定めたら容赦ない加速。

上モノのピロピロ笛がシンセリードに切り替わって音階を昇る瞬間は自分もウォウ!と叫んでしまった。

・1:54:30〜

Lindstrøm - Rà-Àkõ-St (Todd Terje Extended Edit)

おそらくHarvey。ウェザオール主体の軸で一定ピークを迎えたことで新たな軸を模索する動き。

オリジナルよりBPMを落としているのだがそれが重めの音調となってここまでの流れに違和感のない繋がり。

2012年当時はNu Discoと呼ばれる北欧アーティストが中心となったトレンド成熟を迎えつつあった時期で、Harvey自身がその流行を作り出した一人といえる。

ついでに言うとハウステクノエレクトロのセットとしてはBPMが遅く、それもひと昔前の空気を感じるところ。

Harveyはそろそろかっ飛ばしたいはずだがウェザオールがそれを許さない。

・3:11:15〜

Bang The Party - Bang Bang You're Mine (Tom Moulton Edit)

これはどっちだろう?前後の繋がりからHarveyな気がする。

依然としてエレクトロ圧が強いが、この時間帯になるとHarveyも適応して自身の得意なディスコハウスグルーヴを入れ込みつつ構築。ウェザオールもウィングを広げてジャンル横断感が加速。

ウェザオールもローをカットしたりハイハット差し込むようなイコライジングは行うが、Harveyのそれはもうちょっと能動的、ハウス的なツマミぐりぐり系なので分かりやすい。(とはいえB2Bなので相手の曲をイコライジングする局面も当然あり得る)

・4:09:20

Tooli - No Reason (John Farnham - Age of Reason)

ピアノ!四時間超にしてたぶん初めてのピアノソロ。これも多分Harvey。

なんてクールな曲だろうと思って調べたら原曲は80sのちょっとダサめな(申し訳ない)ポップロックhttps://youtu.be/adVR3MT8fGg?si=F2979n8bV_VK2vYN

これも権利チェックで弾かれる系のエディット盤だが、自分はこういうのが聴きたくて長年音楽を掘ってるまである

ウェザオールは眉をひそめたかもしれないが、無しを有りにする角度の付け方は大好き。

・5:11:46〜

Something For Kate - Killing Moon (T-Rek Desert Disco Dub Mix)

ウェザオール印。

どこまでもクールに、ダークにいくよというウェザオールの芯のブレなさ。ダブとロック(チャグ)の一貫性

ただ終盤の90分はウェザオールの色が薄まった気もする。もしかすると途中で抜けてるかも?

以降はどっちがどっちか分からない。

・6:13:10

The Brand New Heavies - I Don't Know Why (I Love You) (A Tom Moulton Mix)

Harveyによる締めのスイーツ

絞ったLoを解き放つたびに加速するストリングスとホーンとボーカルオリジナル音源100だとしたら120にも130にも響かせてやろう。

モータウン味を感じると思ったら原曲スティービー・ワンダーで納得。



あとがき

6時間半をどうやってぶっ通しで聴くかだけど、自分は一人で遠方まで運転する予定を作りました。自宅だと長尺はキツいし、ある程度の音量で聴きながら体でリズムを刻んだり叫んだりしたかたから。

最低2時間くらいはまとめて聴けるようにするとより没入できると思います


作品としてリリースされたミックス自分現場体験してきたDJプレイを含めて、トップクラスに素晴らしい音楽体験でした。

今回Harvey × AWを取り上げたけど、自分Theo ParrishRA.1000についても同じ熱量で語りたいくらいだし、というかRA.1000について日本語で読める言及ネット上に見当たらず、この文化的喪失危機感を覚えたので増田に書き殴ってやろうと思った次第です。

ありがとうRA願わくば日本のエディトリアルが復活してくれたらとてもうれしい。(翻訳最高でした)

RA.1000をきっかけにダンスミュージックに興味を持つ人が増えてくれたらとってもうれしい!

2025-10-06

映画】見える子ちゃんを見た

面白さは辛めにつけて60点。

アイドル主演のホラー映画は80点満点みたいなところがあるので80点満点中60点ということで

アイドル主演のホラー映画の割にはよかったが……という感じ。

 

よかったところは映画として話の軸がわかりやすスッキリしていたこと。

悪かったところはヴィジュアル

 

これ公開時に田舎住みの俺増田氏が都会の駅に行ったら見渡す限りの壁一面がこの映画宣伝ジャックされており

逆にうわ~これダメそ~~~と思ったのを強く覚えているが、その印象よりはだいぶよかった。

 

まずよかったストーリー面だがいわゆる「心霊映画」としての整理のされ方。

「見る」ということを軸にかなり美しく作品構成されていた。

霊が見えてしま主人公だが、しかし霊が見えていることが霊に気づかれると憑かれてしまう。

なので何とかかんとかそこらへんをウロウロしてる霊を見て見ぬふりする様をコメディテイストで描く、というのがこの作品一種面白どころだと思う。ぶっちゃけ私的にはここはあんま刺さらなかった。コメディにするならもうちょっと徹底的にやってほしい。怖がらせるのか笑わせるのか中途半端で逆にシュールだなと感じた。

しかし引き寄せ属性の友人が霊に取り憑かれてしまたこから見て見ぬふりするのではなく、霊に対峙していくことの重要性に気づいていく。

その中で臨時教員であり超強力な霊に憑かれている遠野が現れ、その霊にまたも祟られてしまった友人を救うために決死の戦いに挑む。遠野に取り憑いていたのはウルトラ過保護な彼の母親生前から病的なまでの執念で彼を「見」守り、洗脳に近い形で彼を支配していた母親は死してなお霊になって彼の人生を縛っていた。

主人公とその友人の霊感女の助けを借り、支配される対象ではなく一人の人間として母親を見ることで対峙母親呪縛から解き放たれる遠野

そして主人公パートで度々登場するも無視されていた主人公父親が、喧嘩して無視という形で反抗を続けているうちに死んでしまった霊で実はこの映画シックスセンスだったことが判明し、主人公はそのことを受け入れブルース・ウィリ……父親無視しながらも(霊だからね)謝罪父親成仏するのでした。

めでたしめでたし

見てはいけないものが見えるというワンアイデアから、見るってどういうことか、見て見ぬふりするだけでいいのかという普遍的な問いを浮かび上がらせる手腕はフーンやるじゃんって感じだった。「心霊」と「見る」は切っても切り離せない関係だしね。

 

悪かったのはヴィジュアル映像表現

この作品には複数幽霊的なサムシングエルスが登場するんだけど、こいつらが「どう見ても生身の人にしか見えない奴」と「超高速振動しているとしか思えない輪郭がぼやっとした奴」の2パターンに分かれる。どうやら原作では「めっちゃバケモノ」が見えることで、それを無視するというシュールギャグみたいな部分があったらしいが、実写でそれをやるとシュールになりすぎるし金もかかる。

それを回避するためにこの表現になったと思うんだが、この超高速振動人間はまぁ怖くはねぇわな。

見るからにわかるし。霊かと思ったら人間でしたの展開にも活きないし。

しょっぱな、クラスで挙手を採るとき本来はいないクラスメイトを数えちゃって……という展開でもそいつが超高速振動しているので「いや、一目見たらわかるやろ」となってしまう。この表現、よくなかったんじゃない?

最後神様降臨するシーンもふわーっとしたもやがふわーっと通り過ぎると遠野母親が超高速振動さらに激しくなっていくっていうさすがにシュールすぎない?て感じで、今作のホラー表現もっと頑張れたはず。LDH主演のミンナノウタはLDHファンガ失禁レベルで頑張ってたぞ!

あと、生身の人間しか見えない奴とそうじゃない奴の違いはなんやねん。都合良子ちゃんか?という気持ち

 

異能青春ものとしてある程度の出来の良さは担保しつつ、異能の部分がホラー調であったがゆえにそこが微妙だったので点を引かざるを得ないという悲しきモンスター

あとはアイドル映画からしょうがないけど演技回りがね……まぁここは元から20点ひいてるからいいんだけども。

ここ数年の日本ホラー映画だったらミンナノウタ、きさらぎ駅Reに続いてよかったかな。

アマプラに来てたのであんま怖くない日本ホラー映画見たいなって人におすすめ

まんじゅうが怖すぎる

昨日の昼休、同僚とホラー映画話題で盛り上がったんだ(ちなみに俺はショーン・オブ・ザ・デッドが好き)。

そんで不意に同僚が「俺、まんじゅうが一番怖いんだよね」って言ったんだよ。

は?って思うじゃん。なにそのオーガニックな恐怖。

ゾンビとか幽霊ならわかるけどまんじゅうって。

甘味界のピースメーカーやん。

でも同僚は真顔で言うんだよ。

「いやマジだから!あれ見ると心拍数200になる」なんてことを言うわけだ。

こっちは笑いながら「まじ?w」って言ったら「あんま軽く言うなよ!まじで怖ぇんだよ!」って机ドンしてくる。

いやお前が怖ぇわ。

で、今日の昼休にイタズラで買ってきたのよ。

コンビニにあるちっこいやつ。

同僚のデスクに気付かれないようにそっと置いて「今日おやつだよ〜」って声掛けた。

その瞬間——同僚、饅頭を手に取って大絶叫。

「うわああああああああああああああああ!!!!」

立ち上がって、椅子ごと吹っ飛ばして、上司のお気にの観葉植物を薙ぎ倒して、しりもち着いた。

俺らもう腹抱えて笑ってたんだけど、次の瞬間大の字になって倒れてた。

やばいネタじゃねえ!!!」ってみんなで駆け寄ったら、同僚の右手から出てきたんだよ。

饅頭の包み紙。

そこには震えた文字でこう書いてあった。

ほんとは緑茶が怖い

ストレスって異常にコントロールできなくない?

例えば明日苦手なことがあったとして(発表とか)

それに対して準備して、理屈では「別に大した発表でもないし、失敗しても問題ない」みたいな理解をしていても

ストレスがぎゅーーーって全身を蝕むことがある

あれなんなん?

根源的恐怖?

 

なんか、脳で理解する恐怖ってあるじゃんホラー映画見た時のような、ジェットコースター乗ったときのような、正しき恐怖

あれじゃなくて、その手前の不安からくる恐怖とかストレスって、脳と一致してない

体が勝手に反応してる感じがある

で、別に大した事ないのに脳まで釣られて疲れてしま

2025-09-17

ホラーが隆盛しすぎて食傷気味

子供の頃から怖い話好きで怪談レストランやら平成うわさの怪談シリーズやらを読みまくり中高生では洒落怖、SCPにどっぷりハマり、大人になってからホラー小説や実話怪談ものを読みまくりホラー映画もいろいろ見た

モキュメンタリー最初の方は面白かった

でもなんか最近あんまり楽しめなくなってきた

あーはいはいまたモキュメンタリーor因習ものね…みたいな

男神も見に行くかどうしようか…以前なら迷わず行ってただろうけどなあ

2025-09-16

映画きさらぎ駅きさらぎ駅:Reを見た

きさらぎ駅:Reがアマプラにきてて、おっ、きてるじゃ~んと思って見た。

そしてその後、翻って1作目であるきさらぎ駅も見返した。

 

評価を付けるなら、きさらぎ駅は64点で、きさらぎ駅:Reは79点って感じ。

元々きさらぎ駅は見てたんだけど、まったくハマらんB級ホラーやなぁってうすぼんやりした記憶しかなかった。

きさらぎ駅:Reが思いのほか良作で、もしかしたらきさらぎ駅も良作だったのでは?と思って見返してみたら

あんまハマらんB級ホラーだった。ただ見返してみると随所にK・U・F・Uは感じた。

 

まずきさらぎ駅

悪い点:視覚効果ゴミさ、ホラーパートの展開のつまんなさ、主観視点ゴミ

良い点:構成

まず悪い点だけどB級ホラー映画あるあるのクソチープなCG使い。人体爆発しても血痕一滴の凝らない。バカなのか。

ホラーパートも安っぽい驚かせ一択きさらぎ駅の怖さってそれじゃないじゃん。

そして前半パートは伝聞形式主観視点きさらぎ駅事件追体験できるんだけど、その主観視点の使い方がもう、ひどうてひどうて。情報を伝えたいという目的と緊迫したシーンの噛み合わせが悪すぎる。急いで逃げるシーンで妙にぬるぅ~っとした振り返りとかが入って、えろう余裕ですなぁ(京都人のため息)という感想が溢れてくるし、お前それどういう状況でどこ見てるん?みたいなシーンがてんこ盛り。もうチンチンシナシナですよ。

逆に構成はかなり頑張っていて、主観視点きさらぎ駅事件追体験する前半パートと、実際に主人公きさらぎ駅事件に遭遇する普通映画的な後半パートという構成になっていて、同じことの繰り返しだけど視覚的に飽きないKUFUがされている。

後半の主人公パートでは前半の主観視点の時の情報を活かしてきさらぎ駅事件攻略していくという展開になるのは、最近流行りのやり直しもの、繰り返しものっぽくて面白い

そして食い合わせは最悪だった主観視点視覚的な差別化だけではなく、主観的=主観者の嘘が入り込む余地があるという叙述トリック的な効果を狙っていてそれがある程度ちゃんとハマっていて驚かされる。まぁ、なんでそんなことしたん?はまったくわからんのやけど。

映像作品としてはおもんないけど、物語作品としてはよくできてるって感じ。

俺の中では前者が大きくて正直ハマれなかった。

 

んで、続編のきさらぎ駅:Re。

悪い点:CGのチープさ。

良い点:構成

正当進化した、いや正当変異した続編って感じでかなり好印象だった。

まずあいかわらずアホみたいなCGは健在なんだけど、1作目よりレベルは上がっていてため息レベルは下がってる。

なにより今回は人体爆発したらちゃんと血痕が残る。エラい!まぁ、なにその血痕?ってレベルなんだけど。

そして今回も構成頑張ってて、前半は1作目できさらぎ駅から脱出成功した本田ぼうけつのその後に密着したドキュメンタリーパート。ぼうけつは行方不明から帰還した奇跡の子として祀り上げられた後1作目の主人公を救うためアレコレした結果、キチガイだとネットで叩かれて苦労してて、1作目に登場した人物たちのその後もなんか悲惨な感じだったり、前半パート主観視点おばさんがやっぱりキチガイだったことがわかったりして1作目その後、として満点を叩き出してる。

そして、後半パートではやっぱりきさらぎ駅に挑むわけだけど面白いのはここでぼうけつは1作目の後半パートに戻ること。つまり、1作目の主人公(主観視点おばさん情報あり)と2作目主人公きさらぎ駅2周目)がタッグを組むんできさらぎ駅を全力攻略するという展開になる。

しかもその後、ぼうけつが2周目なのでNew Game+になってしまっていて難易度が激上がりして1周目では存在けが匂わされていた隠しボスとの戦闘まで発生するし、1作目では疑似ループだったのが全員死んだらまた1からやり直すという本格ループものになっているなど、ゲームとしてのサービス精神がすごい。

また、今回は記憶持越しでガンガンループするのでゲーム攻略性が高まっているのと、モブキャラたちとの絆も強まっていく激エモ展開まで加わっていて序盤中盤終盤隙が無いよね。

そして1作目同様、単なる説明パートだと思われていた前半パートを最終的に大回収するラストの展開。ここはもう完璧

1作目には特になくて、今作から盛り込まれテーマ性という点でも前半の提示を後半でしっかり回収していたのも好印象。

 

1作目ありきの2作目としてはここまでちゃんとしてる作品ってそうそうない気がする。

しかもここまでたっぷり入って81分。ちなみに1作目は82分でよりコンパクトに。

 

俺の中で1作目のきさらぎ駅は工夫を凝らした展開は評価できるけどぶっちゃけ陳腐でチープなB級ホラーしかない印象だった。しかし、2作目のすばらしさは明らかにこの1作目を踏み台にしているため、遡って1作目の評価を上げざるを得ない。

これまで映画見ててこういう体験したことあんまなかったから、これはかなりいい映画体験だった。

ぶっちゃけ1作目も2作目もちょっとびっくりするところはあるけど怖くはないのでホラー苦手勢にもオススメ

2作見ても2時間半とかだかし、なんかの拍子で見つけたら見てみてほしい。

2025-08-30

映画「8番出口」良かったね

8番出口のルール構造自体ゲームですでに知られているわけで

観客は実況動画を眺める視聴者さながらの気分で心の中でツッコみながら気楽に見ることができて、それでいてゲームではなく怪異として描き直してホラー映画になってる

見た後の感覚映画きさらぎ駅」に似ている。「きさらぎ駅」をリッチにした感じ

映画ならではの人間ドラマも入っていたけどお涙頂戴になりすぎず重くもなく丁度いい塩梅

ゲーム原作映画として至極の出来では

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