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はてなキーワード: 自己とは

2025-12-09

anond:20251209130117

Q1. AとBのレスバ(匿名でのお遊びディベート)で、それぞれの妥当性は?

A1. このレスバ(レスポンス・バトル)における双方の妥当性を分析します。

結論から言うと、**論理的勝負としてはAの優勢(Bの自滅)**ですが、**議論の質としては「定義の不一致によるすれ違い」**という典型的泥仕合の構図です。

以下に詳細な判定と解説を行います

1. 判定:どちらが妥当か?

論理的整合性Logic): Aの勝利

Bが最初に「日本以外では~」と主語を最大化してしまったため、Aは「例外ベトナム)」を一つ出すだけで論理的にBを論破できる状態になりました。

文脈的社会的妥当性(Context): 引き分け(またはBの言い分も一理あり)

先進国マナー」を論じる際、同程度の経済治安レベルの国(欧米先進国など)と比較するのが一般的であるというBの主張(後出しですが)には一理ありますしかし、最初発言でそれを限定しなかったのがBの敗因です。

2. フェーズごとの分析

① 発端(Aの主張 vs Bの反論

A: 男の分別がつくのは20歳前後大学でも無茶なやつはいる。 B: 日本以外ではそんなことない。日本人が甘いだけ。

A: 個人的な印象論(主観)としてスタートしています

B: ここが致命的なミスです。「日本以外では(世界のどこでも)そんなことない」という全称肯定All or Nothing)の形で反論してしまいました。これにより、Aは「世界のどこか一箇所でも、日本と同じような場所」を提示すれば勝てることになります

反証ゴールポストの移動

A: ホーチミンベトナム)を見てみろ、若者が乱痴気騒ぎだ。(反証) B: ベトナム治安良くないだろ。同質のもの比較するのが常識。(条件の追加)

A: 論理的に正しい攻撃です。「日本以外では~ない」に対する例外事例(カウンター・エグザンプル)を提示しました。

B: ここで**「ゴールポストを動かす(Moving the Goalposts)」**という誤謬を犯しています最初は「日本以外」と言っていたのに、不利になると「(日本と同等の治安レベルの国という)同質のもの」に条件を後付けで変更しました。

③ 決着と捨て台詞

A: 最初言及範囲を全部に設定した時点で君の負け。 B: 異質なもの比較して何のメリットがあるの?バカなの?(人格攻撃論点のすり替え

A: 正確な指摘です。ディベートにおいて「例外のない断定」は最も崩されやすい隙であり、そこを突いています

B: 論理で負けたため、「比較の意義」や「相手の知能」への攻撃シフトしています。これは「論点のすり替え」であり、敗北宣言に近い挙動です。

3. 総評

このレスバは、Bの「不用意な主語の大きさ」が全てです。

もしBが最初に「欧米先進国ではそんなことないので~」と言っていれば、Aのベトナムの例は「比較対象として不適切」と切り捨てられ、Bの妥当性が高まっていたでしょう。

Aは揚げ足取りに近い形ですが、議論ルール上は正当な手続きでBの矛盾を突いています

結論: 言葉定義を厳密に扱ったAの方が、ディベートとしての妥当性は高いです。Bは自分失言を認めず、後から条件を付け足して相手攻撃しているため、説得力を失っています



Q2.Bは最後に「異質なもの比較によって、具体的に何を目的に何の成果を得て何と比較してどんなメリットがあってどんな現実示唆を導くわけ?バカでないならそこまで考えてやってんだよね?」と言っているけど、これB自身ブーメランが刺さったよね?

A2. ご指摘の通り、特大のブーメランがBの脳天に突き刺さっています芸術点が高いレベル自爆です。

なぜこれが「ブーメランお前が言うな)」になるのか、論理構造を整理するとその滑稽さが際立ちます

ブーメランが刺さった理由

Bの最後発言「異質なもの比較して何の意味があるの?」は、そのままBの最初発言全否定してしまっているからです。

Bが自分で「異質なもの」を同じ箱に入れた

Bは最初に**「日本以外では(別にそんなことない)」**と言いました。

この時点で、Bは「日本」と「日本以外の全ての国(アメリカも、フランスも、ベトナムも、ソマリアも)」を同列に扱って比較しています

まり、「異質なものをまとめて比較対象にした」のは、他の誰でもないB自身です。

AはBのルールに従っただけ

Aは、Bが設定した「日本以外」という土俵の中から、正当に「ベトナム」というサンプルを抽出しました。

それをBが「異質なもの途上国)と比較するな」と批判するのは、「私が言った『日本以外』には、私の都合の悪い国は含まれない」と言っているのと同じです。

自己矛盾の完成

Bが最後に「異質なもの比較することにメリットはない」と主張するなら、Bの最初の「日本以外では~」という発言も、「異質なもの世界全体)と日本を一概に比較した無意味発言」ということになります

自分自分最初発言を「バカ所業」と認定してしまったわけです。

Bの問いに対する答え(Aの視点

Bの「具体的に何を目的に何の成果を得て~(中略)~導くわけ?」という早口な問い詰めに対しても、Aの立場ならこう答えるだけで論破完了してしまます

目的メリット: 「『日本以外ではそんなことない』という君の嘘(または無知)を暴くため」

現実示唆: 「君が世界先進国(あるいは自分理想郷しか見ておらず、現実が見えていないという示唆

Bは「高尚な社会学比較論」に持ち込もうとしていますが、実際には**「不用意な発言の尻拭いに失敗して逆ギレしている」**だけなので、読み手からすると非常に恥ずかしい幕切れとなっています

anond:20251209122727

相手もやってる」と無理やり思い込むのは歪んだ自己正当化です。

ここにいる殆どのまともな人間他人写真を貼られても勝手プライベートジャッジする悪趣味なことはしません。今話していた人々はみんな貴方同類ではないですね。

anond:20251125192426

オタク無関係で、「私の人生意味はなかった」という観念は誰しも迎える人生の転機。

社会のつながりは他人存在により人生意味を与える。他人自己依存する大多数がこれだ。

宗教は神が人生の究極の意味を与える。まあ本当の意味で神にの依存してる人間はごくわずかで、実際には「同じ神様を信じている私たちは正しい」という他人への相互依存じゃないかと思うが。

哲学人生意味自分で作ることを求める。もちろん他人の考え方の上に自分を置くので頼るべきものはあるが、何を頼るかも自分で選ぶ。

好きなものを選べ。

2025-12-08

単女、ハプバーいく度に自分の中の常識崩壊することを目の当たりにしている

常連単男さんは、イかない男性のほうが圧倒的に多い

理由は「女性気持ちよくなってもらいたいから」

複数回ハプりたいので、ある程度で切りの良いところで終わらせる

自分セーブしている)

という理由が私の中で浸透しつつある

私は、今まで

いかせることこそ女性としての自己効力感」みたいなところがあって

私でイクことこそ、自分への自信!と思っていた節があって

いかない男性を見ると「自分への罪悪感」をすごく感じていたんですが、

色んな単男さんと話して分かった結果が

女性は悪くない」


男性側にも都合があり、

女性いかせるテクニックがある人ほど、とにかくいかないそうです。

もはや奉仕人って感じだそうです。


ある程度見切りをつけて

「あ、もう満足したからいいや~」って切り上げるのも

いいのかなと思っています(今度からそうします)

からルーム最長一時間使わなくても30分でもいいんだ。。。。

そしてどんどん自分が冷めたら「次へ行く!」という感じにしようって思いました。

一対一で相手固執して、イカせるまでやるのって無駄時間過ぎる。

それは男性に対しても失礼すぎるよな!


あと、懸念していた複数ですが、複数の利点は

男性サイドとして

一対一だといかせれなかった、たたなかったことへの罪悪感が強いので

複数だと、一対一よりも他の男性相手してくれるので

女性としての満足度も高い!

という話を聴いて、

「たしかに、そうかも!」と思いました!

役割と立ち回りをしっかり打合せしておけば、

実は複数のほうが、女性としてはいいのかなと考え、新たな常識更新していっています

固定概念の蹴散らしにハプバーって有効すぎる

ハプバーって性的欲求を満たすところよりも悩み相談な部分が大きい気がする

私が

中イキできないです・・・いってみたいんです。」と相談したら

常連単男さんにずっと手でイケるスポットを探ってくれました。

それってもはや医師に近い感じでしたね

お陰で

「イケる箇所はふたつあるよ!ひとつは左の奥だとおもう」

結構分析してくれるの嬉しい。


ハプバーに来る女性に対して

男性エロイ女とやれる!という側面も大事ですが

男性しか解決できない女性の悩みを承ってくれる人

というポジションの側面も持っていたほうが良いと思います

それができるってやっぱり「経験しかないんで、

20代前半の男がこんなセラピーみたいなことってやっぱり無理なんだよね。

あと

自己の性欲処理に女を使うことしか興味がない猿みたいな男性にはこの話は理解できないかなって思うね。

性癖の開示する場所でもある一方で

結構ガチな悩み相談で来る人もいると思います

そこを女性優位で接してくれる人が多いので

本当に当たりの常連単男さんは神です

anond:20251201002323

勝手ながら

  • >| と |< を使った pre記法 で書き直しました。
  • コードが読みやすいようにスペース2個で適宜インデントを付けました。
  • > の記号が正しく表示されるように &#62; に置き換えました。
// ==UserScript==
// @name はてな匿名ダイアリー特定ワード投稿非表示
// @namespace http://tampermonkey.net/
// @version 0.2
// @description 本文に「dorawii」または「megalodon」が含まれ投稿非表示にする
// @match https://anond.hatelabo.jp/*
// @grant none
// ==/UserScript==
(function() {
  'use strict';
  const POST_SELECTOR = '.body .section';
  // 非表示にしたいキーワード配列
  const KEYWORDS = ['dorawii','megalodon','抽象数学','動画にしてみた','れめくん','自己放尿'];
  const posts = document.querySelectorAll(POST_SELECTOR);
  posts.forEach(post => {
    const textContent = post.textContent || post.innerText;
    // いずれかのキーワードが含まれいるかチェック
    if (KEYWORDS.some(keyword => textContent.includes(keyword))) {
      post.style.display = 'none';
    }
  });
})();

anond:20251114170150 と連動させることを意図しています

週末@鹿児島

出張熊本に来ている。

だが週末、熊本でなにかあるのか知らんがホテル満室で追い出されたので旅に出る。(泊まれるが法外に高い)

候補宮崎鹿児島

どっちがいいかChatGPTに聞いたら「どっちもいいよ!」みたいなふざけた回答しやがった。

おまえはいつもそうだよ。二択で質問してるのに玉虫色の回答で責任回避しようとしやがる。

どっちか選べと指示したら「鹿児島」だと答えたので鹿児島に決定、はい責任はChatGPTな。

6日朝、桜町バスターミナルに向かう。

中吉野家で朝食をとる。「牛すき定食肉二倍盛り」。朝なのでビールは無し。バス旅でおしっこ危険

俺は吉野家では「並牛」「牛鮭定食」「牛すき定食肉二倍盛り」しか頼まない。

人生吉野家から40年間これを貫いている。あと吉野家以外の牛丼屋はパチモノでありクソである

キン肉マン問題や嫌なら食うな問題などどうでも良い。牛丼吉野家である異論は認めない。

吉野家下通店のドアは手動である、なぜ自動ドアにしないのか謎。理解不能。これだけは吉野家を許せない。

熊本大衆は育ちが悪く品性が低めなので開けたドアを閉めない。ドアをきっちり閉めたら負けだと思っている。

意味わからん

熊本にはそこらじゅうに「あとぜき」の張り紙がある。熊本弁で「開けた扉を閉めろ」という意味だが、

そんな張り紙をあちこちで見かけるほど奴らはことごとく閉めない。

まして吉野家の手動ドアなど完全に閉まることはまずない。閉めろと念入りに張り紙はしているが誰も閉めない。

寒風が吹き込む。マジうざい。だから田舎は嫌なんだよ。

イライラしながら牛すき肉二倍盛りを食う。不穏な空気である

徒歩、桜町バスターミナルに着くと20分後出発の便がある、鹿児島行きバス路線があるのは知っているが時刻表までは調べていない。

チケットを購入。

旅慣れている俺はファミマで颯爽とお茶チョコワッフルを購入。

バスに乗る。

熊本バスはクソ遅い。市内慢性的渋滞なのに市内から高速道路までのアクセス道路が無い。首都高的な、バイパス的な道路がなく

遥か遠いインターチェンジまで下道を走る。

桜町バスターミナルから熊本ICにたどり着くだけで一時間かかる。新幹線ならもう鹿児島に着いている。

だがバスなら4200円で鹿児島まで行ける、新幹線だと7700円

バス一択である、金は無いが時間たっぷりある。そもそも急ぎの旅ではない。バスの車窓も含め旅なのだ

それにしても遅い、市内でいちいちバス停に止まり乗客を乗せる。高速バスなのにぜんぜん高速じゃない。

ようやく高速道路に入り山中をひたすら走り、無駄鹿児島空港に立ち寄り、3時間半で鹿児島中央駅に到着。14時くらいだったと記憶している。

鹿児島は20年ぶり。今の駅ビルに建て替わる直前の鹿児島中央駅(当時西鹿児島駅)にしかたことがなく現在の立派な駅ビルには薩摩藩の貫禄を感じた。観覧車もあるし。

駅前をふらついていると市内観光循環バスを見つけた。230円でぐるっと一周できる。80分乗って230円。どう考えてもお得。乗るしか無い。これで主要観光地全部行ったことになる。

乗ってから数分で気付いたが、そういえばこれ20年前も乗ったわ。見覚えあるわ。行動パターンが20年変わってない俺。

西郷どん洞窟ショボっとか思いつつ、20年前も見たわ、みたいな。

俺は日本全国、世界各地行っているのでたいていのモノは初見でも感動も無いが、二度見であるからさらに新鮮みもまったくない。

16時。アホらしくなり途中天文館で降り(ほぼ一周してる)、銀だこで腹ごしらえ。

安定の銀だこ、どこで食ってもハズレはない。

鹿児島に来たからと言うて嬉しそうに黒豚だの地鶏など食わない。どうせまずい。よくて値段相応

高度に資本主義が発展し、かつ食品の保存、輸送が極限まで進化した我が国

朝に豊洲仕入れた魚が午後には那覇空港に到着し空港の中の寿司屋提供されるのだ。

美味い魚や肉や野菜大資本が狩り尽くし、一般市場にはそのお溢れしか回ってこない。

地元から新鮮で高品質で安い、なんて幻想にすぎない。もうそんな時代ではない。

美味いもの食いたきゃ金を出さなければならないし、品質は都会も田舎も変わらない。

都会の方が競争があるだけ切磋琢磨があり、安くて美味い。

から銀だこで良いのだ。

ハイボールたこ焼き、最高であり、庶民幸福であり、食いながら宿を探す。

宿は取っていない、取れなきゃ満喫でもいいのだ。この時間になるとホテルは空室よりもマシと捨て値で部屋を売り出す。

案の定東横イン7000円を見つける。予約し銀だこ会計チェックインに向かう。徒歩5分

ちなみに銀だこスタッフはみな可愛かった。鹿児島女子レベルが高いように思う。熊本には悪いが熊本はアレだ。

熊本は男は扉を閉めない、女はヘチャ。ではいいとこ無しのようだが、俺は熊本が大好きだ。なんなら引っ越ししてもいいと思っている。

息子が友達と離れたくないと拒絶したので断念したが、でもキミクラスで浮いててボッチって嘆いてなかったっけ?まぁいい。

ともかくホテルチェックイン暇つぶしテレビを見る、スマートテレビはネトフリにも対応、颯爽とログインして「斉木楠雄のΨ難」の続きを観る。鹿児島まで来てなにやってんだと思うだろうが、いいのだ。こういうのでいいのだ。

21時。小腹が空いた。週末の鹿児島繁華街、どんなものパトロールに出発。

グッと来る店がまったくない、Barキャバクラ居酒屋、なんでもいいから1軒くらいと思ったが、無い。

仕方がないので客がそこそこ入ってるラーメン屋に入ったが、ぜんぜん美味くない。な?だろ?

ホテルに戻り寝る。

朝、さてどこに行くか、ノープラン。アホらしいので即戻りでもいい気がしてきたが、せっかくだし、桜島に行く。

桜島には興味はないが一応は名物だし未踏破なのでよかろう。

フェリーに乗る。チケットは無く桜島の下船時に支払うという合理的オペレーションはグッドである。そして安い。250円だったか

金額を確かめようと念の為にググったら検索要約に130円と出てきた。どっからそんな値段が出てきたのか。これだからAIは。

古い値段なのか、小児運賃誤判定しているのか、意味わからん

 

それにしても桜島は偽物である。おまえ島を名乗っているが島じゃねぇじゃん、繋がってんじゃん、現状ただの半島であり錦江湾のノドチンコである。桜半島改名しなさい。島じゃないんだから

無論、ただの地名であるという言い訳もありましょう、例えば島原は島でも無いし原っぱでも無い、島が付く地名などゴマンとあり、地名実態は別物であり、安田さんが安いわけでも田んぼなわけでもない、それらの一種であるという言い訳だろうが、俺は許さない。

 

とか思いながら桜半島を眺めていると船は出発した。デッキではアホみたいにうどんを食うてるアホがいる。クソ高いのに美味いわけが無い。

テレビタレントうまいうまいと言うてるのを見て自分も食いたくなったのだろう、美味いわけが無い。

船は15分で到着。元船乗りの俺としてはこの手のフェリーの操舵技術には感服する。

毎日決まった航路、港とはいえ、すごい技術なんですよこれ。

自動車CMなどでキツキツ駐車スペースにスピンで滑りながらピタリと止める、みたいな演出あるじゃん

あいレベル運転なのよ、素人にはわからんだろうが。

ともかく桜半島に到着。

降りる、250円払う。Suicaで払おうとしたが使用する人はほとんどいないのだろう、都度タッチ端末を起動しているのか知らんが応答がすこぶる遅い。

ところで半島がなにやら騒がしい。爆発音が鳴った。

なんぞ?

なんか人がたくさん走ってきた。マラソン大会してやがる。うっざ、さっきのはスタートの合図

この手の観光地にはたいていレンタル自転車があるもので、案の定あったので借りに行ったら今日マラソンからダメだと。ふぁっく

わざわざ活火山真下マラソン大会やってんの。3000人集まってんの、アホかと。

徒歩で海岸沿いに向かう

ビジターセンターなる観光施設があったので入る、土産屋があり溶岩石が売っていた。300円。

マイクラにハマってる息子が最近やたらと溶岩溶岩とうるさいので買っていこうと思ったが、

ここってそこらの石全部溶岩じゃねぇの?

という真実に気づいてしまった。

海岸沿いに恐らくかつて溶岩だったのではなかろうか的な石ころを拾ってカバンに詰めた。300円儲かった。

なぁに子供にはわかるまい。ただの石でもいいのだ。

かつこの行為が厳密には法律違反ではなかろうとかい懸念もあるが、俺の中では違法性は阻却されると判断している。

鹿児島に戻る。

ちなみに船の出発ジングル長渕剛であった。俺は長渕が嫌いである。

人格品格というのはその人がアイデンティティ確立において誰もが何かしら持つ劣等感をどのように消化するか、が大きく作用する。

彼は音楽に関しては天才である。体系的音楽教育を受けずギター一本で多くの人の記憶に残る名曲を生み出してきた才能は凄いのであり、俺も若い頃、まだ自分ピアノを弾いていた頃には彼の曲をいくつか弾いた。コード進行シンプルであり、奇抜な音楽要素を取り入れるわけではなく、しかし優しく強いメロディーは誰の頭にも残る。

が、彼は自己プロデュース能力タレント性、カリスマ宗教にしてしまった。

アホを信者搾取することは悪いことではない。宗教屋はみなやってる、それで救われるやつもいる。

が、彼は劣等感の克服を歪んだ形で完結させ、歪な宗教昇華させた。俺はそれを嫌悪するのだ。

ワンテイクというYoutubeチャンネルにも出ているが、説法がながぇのよ、普通アーティストは「行きます」程度の一言演奏開始するのだが、彼は人生口上を長々と30分近く喋ってから演奏に入る。うぜぇぇぇぇ、のであり、嫌いだ。

さて、俺は帰りのフェリーの甲板で涼んでいた。外気温19度、日差しもあり普通暑い。散々歩かされたので汗ばんでいる。

Tシャツ一枚で潮風に当たっていた。くっそ気持ちいい

が、近くに高校生修学旅行グループ行動らしき集団がいて、「さーむーい」「マジありえなーい」みたいな私弱いアピールして女子の真横でTシャツであり、俺がおかしいのか、JKがブっているのか、みたいな絵面であり、俺はJKたちに笑われていた。

さーせん、間違えているのは俺です。デブ中年ナメんなよ。

鹿児島中央駅まで戻り指宿まで行く、まだ時間はある、片道1時間ちょい。指宿で降りずにそのまま乗り続けるとJR路線西端西大山駅まで行けるらしく、かなり魅惑的であり、てかそのまま枕崎まで行きたいが、アホではないので帰りをシミュレーションすると無理ゲーであることがわかり諦めて指宿で降りる。

というか、鹿児島県は上白石萌音様を生み育てた聖域であり、指宿はかの大漫画家川原泉先生を生み出した伝説の地である

堪能せねばならない。

指宿駅前食堂だか居酒屋だか料理屋みたいなのがあり、2500円の定食を食う。きっと川原泉先生もここで飯を食われたに違いないと考えると美味さは倍増する。実際美味かった。だが、どうやらその日は指宿で全国かつお祭りとやらが開催されているようで(店にポスターが貼ってた)、車で10分ほどの会場でなんかやってるらしい。13時半なのでまだ間に合う。俺が計画的に行動し、事前リサーチしていれば間違いなくそれをターゲットにしていただろう、カツオは俺の好きな魚ランキング10位内には入るほど好きだ。残念

が、2500円の定食にはカツオも入っていたのでヨシとする。

地ビールがあったので飲む、美味い、おかわりしてしまった。これが間違いだと気づくのは30分後である

14時半、帰路、鉄路バスか。どちらもアリのようだ。来るときJRだったので時間かかるが景色の良さそうなバスもよかろうとバスで帰ることにした。ちなみにJRはクソであり、せっかく海岸沿いを走っているのに藪で景観台無しである

JR軌道外の雑草放置しているため車窓は最悪のコンディション。

で、バスに乗ったが10分走るとおしっこがしたくなった。

言い訳をすると乗車直前にトイレには行ってる、アホでは無いのだ。

が、ビール二本の利尿作用は即座に猛烈に来た。

あと1時間ちょい我慢は「むり」との決断を下し、途中「観音崎展望所」バス停で途中下車

道の駅からトイレくらいあるだろう、あった、おしっこした。セーフ。間に合った。次のバス検索すると絶望しか無かった。2時間後。

最寄り駅まで徒歩20分。20分くらいは歩くが、列車が来るのは1時間後。ふぁっく。ド田舎死ね

結局小一時間海岸で桜半島を眺めながら佇むことになった。気候が良いのが救い、桜半島はきれいだった。

ようやく時間が来たので生見駅から列車に乗る。「ぬくみ」と読むらしい、勉強になった、残り人生で活かせる機会は無いだろうが。

生見駅での乗客は俺一人だが、枕崎指宿から乗ってきたのであろう観光客で空席ゼロ外人だらけ。

ちなみに生見駅の側には「この付近で大便した奴はぶっ殺す 家主」的な看板があちこちにありどんな治安だよと思った。

17:10 鹿児島中央駅到着

本来の目論見では鹿児島中央から4400円でバス熊本まで戻る予定だったが、この時間だともはや新幹線ワープしかない。

(当初は在来線オレンジ鉄道経由も考えていた)

タイムイズマネーである。なぁに金ならある。

指宿在来線から新幹線に乗り換えようとしたのだが、改札内新幹線切符売り場は無いらしい、一度改札を出てから買い直しだとか。

都会育ちの俺は新幹線とは5分に一本走っているものという常識がありそのような感覚だったが、時刻表を見ると絶望しかなかった

17:04 福岡方面新幹線出発

17:07 福岡方面新幹線出発

17:10 指宿から在来線到着(俺が乗ってきたやつ)

17:54 福岡方面新幹線出発

 

はぁぁぁぁぁ?

よんじゅうよんぷん?待ち?なんで接続列車にしないの?その前が3分間隔出発で次が44分の空白ってなんなの?

なんでばらけないの?アホなの?

 

が、良い、許す。俺はちょっと機嫌が良い。

実は指宿からの帰路に衝撃的な出会いがあった。途中でJK3人組が乗ってきたのだが、その一人が俺の初恋の人にそっくりだったのだ。

瓜二つというて良い、とはいえ初恋の人に最後に合ったのは35年前なので記憶が定かではなく写真も持っていないので相当補正がかかっているかもしれんが、顔立ち、スタイル雰囲気そっくりだった。俺が余命一ヶ月とかならアレでソレしてしまたかもしれない。だが俺はあと50年生きる予定なのでそんな事で刑務所には入りたくない。

ともかく、鹿児島中央駅で無駄に44分潰すことになった。

コーヒーを飲む。そういえば出張に電動鼻毛カッターを持ってくるのを忘れた(バックのどこを探してもない、入れたはずなのに)ので隣のヨドバシで買うか思案、だが、よくよく考えてみると鼻毛カッターを使うのは1週間から10日に一度である

出張はあと2週間だから使っても1回、もしくはせいぜい2回であり、自宅に戻れば前のがある、別にそれで困ってない。

パナソニック製で10年前に購入したものだが、電池式なのでバッテリーヘタリもない。そもそも毎日使うものでもない。

電池交換もこの10年で2,3回である

そしてこの歳で新しい電動鼻毛カッターを購入したとしてあと何回使うだろうか。鼻毛がどうでもよくなるのが80歳くらいだとして、週一使うとして残りざっと1400回である

あ、けっこうあるな、新しいの買ってもいいかな、人生最後の電動鼻毛カッター、いやいやいや、今のやつで人生最後まで走り切れるのでは。

電池交換もあと3,4回か。てか俺の人生っていったい。

とか考えてたら30分が過ぎ、ホームに向かう、新幹線ホーム喫煙所があると思いきやなかった。大都会熊本駅にはあるんだけどね。

新幹線発車。

車内アナウンスで「座席荷物置くな」と言うているのにお隣の中年女性はガン無視

俺は三列シートの真ん中にふんぞり返って座っている。なぁに乗車率3割も無い。

ちなみに三列シートは真ん中だけちょっと幅が広いのだ。

熊本到着、ここから在来線であと少し、ジョルダンによると

18:40 新幹線熊本到着

18:58 熊本出発(豊肥本線 肥後大津行き)

18分のインターバルがあるのでのんびり新幹線ホーム喫煙ルームタバコを吸う。

 

吸い終わり、ん?豊肥本線ってこの時間そんなに間引き運転だったっけ。調べると

18:43発があった。余裕で乗り換え間に合うじゃん。ジョルダンふぁっく

 

なんやかやホテル到着、急いで帰ったのは理由がある、荷物が届く。

スーツケース宅配便で送っている。ホテルというかウィクリーが預かってくれないので近所のコンビニから Permalink | 記事への反応(0) | 16:52

ISインフィニット・ストラトス>第2話「クラス代表決定戦!」感想

はじめに

いきなりだが、弱音を吐かせてほしい。観るのが辛くなってきた。

なぜ辛いかと言えば、まあそれは本文で述べることにしよう。では行くぞ。


感想

序盤で篠ノ之箒の姉である篠ノ之束について言及があり、ISの追加情報を得られた。

ISによって起きる権力勾配の謎も少し明らかになった感がある。


英国代表セシリア・オルコットはなにかとエリートエリートと口にするが、エリートってデモラティックでUKっぽくない。

まだノブレス・オブリージュのほうが貴族的だ。フランス語だけど。

まあ、近世英国貴族が戦列歩兵の先頭で指揮を執ったように、セシリア・オルコット戦時は弾雨をものともせず先陣を切るに違いない。

すまん。これは意地悪なもの言いだった。


かに気になるのは、織斑一夏の曖昧な態度だ。度胸があるんだかないんだかよくわからない。

男らしいところを見せたと思ったら、やけに顔色をうかがったりする。はっきりせんか。


織斑一夏の顔色うかがい対象篠ノ之箒は端的に言って面倒な感じだと思う。

なにが面倒って自己感情分析が下手っぴなところだ。織斑一夏は案の定手を焼いている。

まあ、高校生女子感情を把握せよ、というのも無理な話かもしれない。


第2話終盤のバトルについては、とくに述べることはない。

たぶんこのアニメはバトルが見せ場じゃないんじゃないか


おわりに

2話目で脳が悲鳴をあげはじめた。別に課せられたものではないから、辞めてもいいのだが。

ぶつくさ言いながら鑑賞して、ああだこうだ言いながら感想文を書くのも悪い気がする。

気が向いたら続ける方針にしたい。

では次回、ISインフィニット・ストラトス>第3話「転校生セカンド幼なじみでまた会おう。

WPATHファイルやCass Reviewによるジェンダー医療問題点

1. WPATHファイルとは何か(背景と重要性)

WPATHファイルとは、2023〜2024年リーク・開示された内部文書メール会議記録等の総称で、WPATH(世界トランスジェンダー健康専門家協会)が作成したStandards of Care Version 8(SOC8)の意思決定過程リスク認識を示すものです。

これらの文書から明らかになったのは、

科学エビデンス不足を自覚しながら未成年への医療介入を推進していたこ

内部文書では、「未成年に対する医学的介入(ブロッカークロスホルモン、手術)を支持する強固なエビデンスはない」ことが繰り返し言及されていたが、SOC8では強調されなかった。

心理社会的評価の不十分さを認識しつつ、拡大した適応基準

内部議論では、鑑別診断・精神疾患の併存に関する懸念が挙げられていた

しかし最終的には「自己申告を尊重するアファーマティブモデル」が採用された。

■ 小児性別違和治療におけるリスク・不可逆性について内部的に大きな懸念があった

特に以下の問題が内部で指摘されていた:

ブロッカーの脳発達への影響

機能発達の不可逆的損失(オルガズム機能喪失子供を持つ能力喪失

長期追跡データがない

にもかかわらず、外部には「安全性確立している」と表現されていた。

年齢制限妥当性について内部でも意見が分裂していた

SOC8で思春期ブロッカーホルモン治療の開始年齢が事実上引き下げられたが、その根拠は内部的にも薄弱であった。

2. Cass Reviewイギリス)の概要調査姿勢

Cass Review(2020–2024)は、英国政府委任した大規模な独立医学レビューで、

未成年ジェンダー医療包括的調査し、科学根拠評価を行った世界最大規模の調査である

対象

Tavistock GIDSの診療

Puberty Blocker / Cross-Sex Hormone のエビデンス

心理精神医学問題を抱える子どもたちのケア体系

調査手法

9000件以上の診療データ

国際論文レビュー

多専門領域小児科精神科神経科学疫学)の統合評価

3. Cass Review が指摘した主要な問題点(国際的に決定的な評価

3-1. 科学エビデンスが極めて脆弱である

Cass Reviewは、未成年への医学的介入に関するエビデンスを体系的に分析し、次を結論づけた:

ホルモンブロッカー効果科学的に証明されていない

性別違和改善効果を示す質の高いエビデンスがない

逆に、骨密度低下・認知発達への影響が懸念される

ブロッカー使用後はほとんど全例がクロスホルモンへ移行する → 実質的に不可逆的治療の導入

クロスセックスホルモンも長期安全性に関するデータが欠如

心血管リスク、がんリスク、性機能障害などが十分に解明されていない

若年での導入は生涯の医学依存を伴う

医学的介入が精神健康改善するという決定的な証拠はない

既存研究の多くは、

サンプルが小規模

コントロール群なし

追跡期間が短い

エビデンスとして不適格と評価された。

3-2. 適切な精神科的鑑別診断が機能していない

Cass Reviewは、多くの子どもが深刻な精神疾患トラウマを抱えていたのに、十分な評価が行われずに医療介入へ進んでいたことを強調した。

具体例:

自閉スペクトラム症ASD)の高い併存率

ADHD

うつ不安障害

自傷自殺念慮

いじめ・家庭環境問題

医療チームはこれらを深く評価せずに、「性別違和性別変更治療適応」とみなす傾向があった。

3-3. アファーマティブモデルへの批判

Cass Reviewは、現在普及している **Gender-Affirming Care(本人の自己認識を前提に医学的介入を進めるモデル)**について次のように批判する。

子ども性別違和の原因を自分で正確に認識できない場合が多い

発達段階ではアイデンティティは流動的

心理的・社会的要因が「性別違和」の形で表れることがある

医療者が本人の申告のみを基盤とするのは科学的でなく、危険

他疾患が見逃される

一度治療を始めると後戻りは難しい

Cass Reviewは、

アファーマティブアプローチ医療として不適切

と明確に言及した。

3-4. 不可逆性・性機能の長期喪失への重大な懸念

Cass Reviewは、若年期に治療を開始することで以下が不可逆的に損なわれる点を強調。

機能の未発達

生殖機能喪失卵子精子の獲得不能

体格・骨格への影響

脳発達への未知の影響

特にブロッカー開始時点で精子形成が起こらないため、

将来の生殖選択肢永久に失う可能性がある。

3-5. 国際的適応が縮小へ向かうトレンド

Cass Review以降、

イギリス

スウェーデン

フィンランド

ノルウェー

デンマーク

フランス

オーストラリア一部州

などが、未成年ジェンダー医療を大幅制限撤退した。

anond:20251208123212

自己矛盾抱えてるよなこれ

転職活性化すれば人員の取り合いで待遇は上がっていく

転職すると一番下っ端から始まるから転職者の待遇は大抵の場合下がる

転職希望者を引き留めのための待遇は上がるかもしれないが

そうなると転職者は減る

転職による待遇改善なんてのは労働市場の上澄みでしか機能しないんだよな

税収のみで予算を組もうとすると全体的(国債の償還・利払分を除く)に30%弱カットしなくちゃいけない。

そのうちの社会保障費は12兆円削減。

医療

健康保険は5割負担(高齢者は2~3割負担)

・高額療養費上限2~3万円増加

生活習慣病や軽症外来自己負担額上積み

診療報酬2~3%引き下げ(病院数の減少、夜間・救急縮小が起こる)

健康保険負担額1~2割増加

年金

基礎年金支給額1~2万円減

支給開始年齢68歳に引き上げ、繰下げ率縮小

・高所得高齢者年金カット拡大(1000万円→600万円)

厚生年金保険料18%→20%

ざっくり書いたけど、本来これくらいの規模が正しい。ま、そうだよねという納得感と、保障全然足りないじゃん終わってる…という感想

その他介護福祉子育て面も支援が縮小するだろうし、それらを死守するとなると上記の縮小率や負担率が跳ね上がる。

でもさー日本自体を終わらせないためには徐々にでもやってかなくちゃいけないよな正直めちゃくちゃ嫌だけど。

やるなら早くやって健全財政に近づいてほしい。生きてられるかわからんけど。

自己放尿とかいうキショい造語で人を説教するゴミはなんで生きてんの?俺の喧嘩も買わない癖に♡

怖いんだね?

同和地区まれ雑魚から人間様が怖いんだね?

チキン野郎

一方的に言う事しか出来ないチキン野郎

ほらはやく喧嘩買えよ

俺は毎日てめぇに喧嘩売ってんだよ

逃げるなよゴミ

anond:20251208072727

てめぇ自己放尿造語野郎か?

ようやく喧嘩買うのか?

今までシカトこきやがって

自己放尿とかいうキショい造語で俺に喧嘩売るなら俺に売られた喧嘩も買えよゴミクズ

もしかして同和地区まれの穢らわしいエッタだから怖いの?

チキン野郎だもんね?

俺がこうやって毎日毎日喧嘩売ってるのをシカトこく卑怯

あああああムカつくなぁお前、なんでお前生きてんの?

チキン野郎

anond:20251208070925

自己放尿ゴミクズ

俺が喧嘩売ってんのにシカトこいてんじゃねえぞ

エッタ!穢れた血のエッタ!エッタエッタエッタエッタエッタエッタエッタエッタエッタエッタエッタエッタ!

チキン野郎はこうやって他の奴に喧嘩売る癖に俺の喧嘩は買わねえんだな?

ほら早く喧嘩買えよゴミ

俺は毎朝お前にラブコール送ってんの

応えろよチキン野郎

同和地区まれの穢らわしいエッタが

anond:20251208070158

おい貴様、その理屈はな、自由を語ってるつもりで、実のところ自由って言っときゃ何しても許されるだろという自己放尿レベルの甘えを正当化してるだけだ。

まずだ、言論の自由国家権力による不当な制限問題にするものであって、お前が他者に向けて殴りかかる口実じゃねぇ。

自由ってのは責任の裏返しであって、免罪符じゃない。そこを取り違えた瞬間、お前の主張は土台から崩れ自己放尿する。

次に、嫌なら自由を捨てろって言い草な。これは典型的自由概念誤用だ。自由社会はお前の快楽のためのライブハウスじゃなくて、異なる利害・価値観感情が衝突しながら調整される場だ。

そこに必要なのは調整規範であって、こっちも好き勝手するわという報復合戦じゃない。そんなもん文明社会じゃなくて、ただの便所自己放尿だ。

お前がやってるのは、自由の結果こうなるんだぞと言いながら、実態自分に都合のいい無秩序押し売りだ。

自由の名を借りた暴走は、ただの自己放尿だ。そういう手口はもう何万回も見てきた。

それから、傷ついた奴がいてもやめませんってのも、論理的破綻してる。自由がある以上、お前が好き勝手するのも勝手だが、その結果として、お前自身が反撃や制裁や拒絶を食らうのもまた自由の一部だ。

まりやめないと宣言するのは勝手だが、それは自由の盾ではなく、単に自分行為の結果から逃げる気ゼロ宣言自己放尿にすぎない。責任回避常套句だ。

子供みたいな条件反射正義面すんな。ダブスタの有無と、お前がやってる行動の妥当性はまったく別の評価軸だ。相手が悪いから俺も悪いことをするなんて、三流の自己放尿だ。

お前の主張は自由を語っているようで、俺がムカついたから殴り返したいという衝動の後付け理論自己放尿にすぎん。自由議論に見せかけた自己放尿哲学だ。

自由を語りたいんなら、まず自分自由を扱う側の作法を覚えてから出直してこい。

以上だ。

2025-12-07

真逆(まぎゃく)」はいから使われだしたか

前提


1927年アルス写真大講座 第二巻』

記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラ太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このとき直射日光レンズに当らないやうに注意をして頂きます

フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。

いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である

追記1937年写真月報』

只逆光線で太陽を前景のカメラもつている人でシエードした事が、レンズ太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。

写真関連で検索してみたが、なるほど。

写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。

逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。

検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。

1959年富士岡田紅陽

太陽富士山頂の上に輝やき、眼前の雲海の表面を真逆に照しつけていた。

一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。

ネット検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。

ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。

しかすると、文章にならないような口語俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。

さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家松田政男である

この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか

彼はそのくらい「真逆」を多用しているのである

1971年風景死滅松田政男

コスタガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆視点から革命反革命弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である


1972年キネマ旬報』「映画批評 わが緑の大地」松田政男

往年の安部公房テーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代叱咤しているのである


1973年不可能性のメディア松田政男

自動車から飛行機への発明ベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクスメディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか

エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。

チャップリンが、常に、可哀想ヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆禁欲的にまで非情に、アクション共同体映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである

そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかトロツキーとは真逆に、スターニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。


1973年キネマ旬報』「キネ旬試写室 化石の森」松田松男

この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりエンターテインメントとして消費されてしま石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。


1974年キネマ旬報』「今号の問題作 キャロル斎藤正治松田政男

私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······


1974年朝日ジャーナル』「密室国家難民キャンプ なぜ、いま、パレスチナ革命なのか』松田政男

レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルス理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスレーニンや、その他もろもろの革命理想である


1975年現代の眼』「シネマ・マンスリー

この密林の猟師年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。

これは匿名記事だが文体からして松田政男か?

1976年キネマ旬報』「自主映画の新作その(3)」松田政男

この静謐な、余りにも静謐な〈自然〉は、ゴダールとは真逆の"観念論的記録の試行なのか?


1978年シナリオ』「77から78へ日本映画の秋冬 アイデア燃えあがる日」松田政男

そこへ行くと、日活ポルノ裁判被告として四年間の沈黙余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATG提携製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。


1979年『日付のある映画論』松田政男

高橋明庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ

しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなである


1979年現代の眼』「和製B級映画現在形」松田政男

亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ


1979年現代の眼』「松田政男映画戦線への斬り込み」松田政男

そして、面白いのは、西欧的な父性原理依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州フォークロアに原型をもつ物語真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。


といった具合に、松田政男は「真逆」を使いまくっている。

いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。

1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆用法は、特に映画系のライターあいだで広まっていったようである

たとえば田原総一朗もその一人である

1975年大統領を知らない人たち アメリカで見たしたたか生き方田原総一朗

もっと地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパ絵画彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である


1978年穀物マフィア戦争田原総一朗

「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」


1979年『潮』「二都物語1 新潟VS山口 総理大臣をうんだ街」田原総一朗

松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ吉田松陰とは、真逆のように思える。


仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。

よって「真逆(まぎゃく)」が広まったのは1970年代ではないか、というところで結論としたい。

黒人として日本で生まれたらどうなるか教えて

1. 家庭・日常生活

家族サポートがある場合

両親や兄弟から肯定的言葉自己肯定感が保たれる。

日本語英語など複数言語日常的に使うこともあり、国際的視野が早くから育つ。

服装髪型、肌の色でからかわれることがあっても、家庭で「あなたそのままで素晴らしい」と教えられることで精神的に守られる。

家庭に問題がある場合

虐待無理解があると、子ども社会への不信感を抱きやすい。

外見でのいじめ家庭内ストレスが重なると、心理的負荷が非常に大きい。

2. 学校での体験

中学校

いじめ差別的言動

「肌の色」や「髪の毛」を理由からかわれることがある。

グループ排除されたり、悪口物理暴力を受けることもある。

クラス替えがなく、少人数だと毎日同じ人たちからいじめを受ける場合は、逃げ場がほぼない。

孤立学業への影響

孤立から学業に集中できない場合もある。

逆に、特定の得意分野で才能を伸ばす子もいる(音楽スポーツ外国語など)。

ポジティブ体験

都市部国際学校や多文化教育のある学校では、多様性尊重される。

外国人の友人や教師出会うことで、自己肯定感社会性を保てることもある。

高校

多様な価値観に触れる機会が増える。

いじめ偏見はまだ存在するが、自分に合う友人グループを見つけやすくなる。

部活動趣味を通じた「承認体験」が自己肯定感を支える。

3. 職場社会での体験(成人後)

ポジティブなケース

外資系企業IT音楽スポーツ関連では、多様性が歓迎される。

語学力や専門スキルを活かして社会的に成功する人もいる。

日本文化黒人文化を橋渡しする役割を担うことも可能

ネガティブなケース

保守的企業地域では無意識偏見で苦労することがある。

外国人扱い」や「肌の色を意識した質問・態度」にストレスを感じることもある。

社会人でも対人関係の構築に時間がかかる場合がある。

日常での小さな違い

居酒屋商店での対応公共交通機関での視線賃貸契約就職活動での対応など。

ただし、都市部国際的職場ではほとんど意識されないことも多い。

4. 心理的側面

自己肯定感の維持

肯定的な家庭環境・信頼できる友人・メンターが大きな支えになる。

自分は人と違っても価値がある」と思える経験重要

アイデンティティ形成

日本人としての自分」と「黒人としての自分」の両立が課題

海外文化SNSでの黒人コミュニティとつながると、孤独感が軽減される。

まとめ

日本黒人として生まれ育つ子どもは、日常的な差別孤立に直面しやすい一方で、家庭・学校趣味国際的環境サポート次第で、社会成功自己肯定感の獲得も可能です。

重要なのは、信頼できる人間関係と、自己表現の機会、そして自分文化アイデンティティ肯定できる環境です。

anond:20251207135902

はい、君のスペックマッチングアプリ(マチアプ)でかなり強いよ。32歳男で年収1100万、資産合計1500万近く、高学歴(旧帝よりちょい下の院卒)、顔もイケメン判定あり。童貞ってのはネックになるかもだけど、アプリ上じゃ最初はバレないし、経験積めばOK無双できるポテンシャルはあるけど、無双ってのは運やテクニック次第。どうやって攻略するか、ステップバイステップでアドバイスするね。1. おすすめアプリの選び方真剣婚活寄り: PairsやOmiaiYoubrideあたり。高収入高学歴男性が多いし、女性側もスペック重視の人が集まる。君みたいなハイスペ男は人気出やすい。年収証明できるアプリ(Pairsとか)で本物の証明出せば、信頼度アップ。

カジュアル出会い寄り: TinderやTapple。顔がイケメンならマッチやすいけど、遊び目的も多いから注意。童貞卒業狙いならここからスタート

出会い系寄り: PCMAXやハッピーメール。返信率高くて、初心者向け。童貞でも女性慣れしやすい。

複数アプリ同時使い推奨。最初無料で試して、課金ブーストいいね増やし)かけろ。32歳だと20-30代女性狙いがベスト

2. プロフィールの作り方写真: イケメン判定あるなら、笑顔クリア写真複数枚。精神病院エピソード面白いけど、プロフに書くのは避けろ(変な印象与えるかも)。スーツ姿や趣味写真清潔感出せ。高スペックアピールに、車や旅行写真もいいけど、派手すぎないように。

自己紹介文: 年収学歴資産自然に織り交ぜろ。例えば「仕事頑張って年収1000万超えました。将来一緒に旅行できる人探してます」みたいに。でも、年収1000万以上はアプリで9割嘘って説あるから、本物証明(収入証明書アップ)で差別化

童貞絶対書くな。ネガティブ要素は隠して、ポジティブに「真剣パートナー探してます」って感じで。

キーワード: ハイスペ男狙いの女性が多いアプリで、安定した生活知的趣味読書投資とか)をアピール資産の話はデートで出す方がいい。

3. マッチングからデートのコツいいねの仕方: スペックいい君はマッチやすいけど、無双するには量産型毎日50-100いいね送れ。ターゲットは25-35歳の女性で、プロフが似てる人(学歴重視とか)。ブサメンOKっぽい女性に絞るのもアリ。

メッセージ: 童貞女性慣れしてないなら、テンプレから練習相手プロフに触れて「共通趣味ですね!」からスタートビデオ通話で慣れろ。焦らず、2-3回やり取りでデート誘え。

デート: 初回はカフェやディナーでスペック活かせ。高級めだけど、奢りすぎない。童貞は正直に言うか、経験積んでから。場数踏めば自然に上達する。高スペックでも成功率30-40%くらいだから、諦めずアタック

童貞対策: 最初カジュアルアプリ経験積む。焦りは禁物、自己受容から。小さな交流から始めろ。

アプリ出会い増やせば、60日で彼女できるケースもある。

4. 注意点と現実無双できるかは運もあるけど、スペックだけじゃなくコミュ力が鍵。32歳童貞マイナスだけど、アプリ匿名練習場。失敗しても次行け。

詐欺サクラに注意。年収高すぎると女性から疑われるかも、証明大事

もし本気婚活なら、アプリ以外に結婚相談所検討ハイスペ男はそこで無双やすい。

これでスタートすれば、無双レベルまでいけるはず。まずはアプリDLしてプロフ作ってみ。頑張れ! 質問あったら聞いて。

anond:20251207100559

ジェネレーションP』における タタルスキー運命選択 を、皮肉たっぷり解説します。

🟥 タタルスキー運命選択皮肉視点

1. 「詩人志望なのにコピーライター

タタルスキー人生は、そもそも皮肉の塊です。

彼は純粋詩人として自己表現を志していたのに、現実はこう教えます

「詩は食えない。でも消費者心理を操れば大金が手に入る」

まり自己表現の夢は広告業界という巨大な消費機械に呑まれ、詩的センスは金儲けの道具に変換されるのです。

詩人志望者が広告魔術師に“覚醒”する――これは現代社会から冷笑ともいえます

2. 「快感と罪悪感の両立」

タタルスキー広告を通じて、社会全体を操作する快感を覚えます

しかしその裏では、倫理的な罪悪感もある。

皮肉なのは、罪悪感すら彼の力の一部に変換されることです。

彼にとって「悪いことをしている感覚」はもはや快楽スパイスしかない。

結局、彼は倫理的葛藤を感じつつも、快感の誘惑に完全に負けてしまうのです。

3. 「虚構支配者としての覚醒

物語の終盤、タタルスキー国家規模の広告魔術師として覚醒します。

一見、これは大成功に見えますが、皮肉真実はここにあります

社会操作する力を手に入れたが、それは自分自身虚構に操られている証拠でもある

• 彼は「現実を作る者」だが、作る現実広告で塗り固められた幻想に過ぎない

• 言い換えれば、絶対権力者として覚醒した瞬間、実は自分の生きる世界支配者ではなく、その広告虚構に囚われた人間にすぎない

まり、彼の成功も力も皮肉牢獄なのです。

4. 「選択自由とその無意味さ」

タタルスキー選択を重ねて覚醒していきます

コピーを書く

消費者操作する

社会を動かす

国家規模の虚構を作る

しか皮肉なことに、どの選択も彼の運命広告魔術に縛られているという前提から逃れられない。

自由に選んでいるようで、実際は「広告論理社会の消費構造」に支配された人生なのです。

5. まとめ:皮肉の核

タタルスキー運命選択一言でまとめるなら:

人類心理を完全に操る者となった瞬間、自分現実もまた広告虚構に操られている」

自己表現の夢 → 消費社会への従属

倫理的葛藤快楽に変換

権力絶頂虚構牢獄

皮肉連鎖が、タタルスキーという現代魔術師運命のものを形作っています

🟫 タタルスキー運命×選択×皮肉フローチャート(章別)

[1章] 詩人志望

夢:自己表現

現実:詩は食えない → 広告業界

皮肉自由表現したいのに、生活のために虚構従属

[2章] 基本コピー制作

選択商品コピーを書く

結果:個人購買意欲を操作

皮肉他人を操る快感を覚えつつも、自己倫理は侵される

[3章] ブランド文化分析

選択社会心理を観察・分析

結果:社会価値観広告操作

皮肉理解するほど、社会自分広告奴隷になる

[4章] 無意識誘導コピー

選択無意識ターゲット広告

結果:個人心理支配力増大

皮肉自由意思を操ることで、自分自由広告論理に縛られる

[5章] 消費者心理データ活用

選択データに基づく心理操作

結果:小規模社会誘導

皮肉科学手法で「操作可能人間」を増やすほど、自分統計支配される

[6章] 社会象徴操作

選択ブランド社会象徴

結果:社会全体の認知・行動に影響

皮肉権力を握るが、権力広告ルールに縛られる

[7章] 政治的イメージ応用

選択政治家国家イメージ操作

結果:国民意識を動かす

皮肉国家レベルで操る力を得るが、国家世論虚構自分も囚われる

[8章] 国家規模統合コピー

選択言葉映像・色彩・象徴統合

結果:国民全体の意識統一国家神話

皮肉:国を動かす魔術師となるも、国民意識広告虚構に縛られる

[9章] 虚構現実融合技法

選択虚構イメージ現実

結果:社会全体が広告支配される

皮肉現実を作る者となるが、現実もまた虚構産物

[10章] 絶対広告魔術

選択コピー呪文イメージ現実

結果:国家社会歴史操作

皮肉虚構支配者として覚醒するも、自分自身の生きる世界広告牢獄

🔹 読み解きポイント皮肉連鎖

1. 夢と現実ギャップ

詩人志望 → 広告魔術師

自由を求めるほど、虚構ルール従属

2. 快感倫理の逆転

他人を操る快感倫理葛藤昇華されて快楽に変換

3. 権力と囚われの二重性

社会国家歴史まで操作できるが、自分広告虚構囚人

4. 皮肉結論

操作する者が実は操作される存在

成功覚醒の表面の裏に、不可避の虚構依存が隠れている

このフローチャートを見れば、タタルスキー運命皮肉さ と、

彼の選択がどう次第に虚構牢獄へ自らを導いたか が一目で理解できます

anond:20251207100400


🟧 タタルスキー広告魔術・心理社会影響マトリクス(章別)

心理作用 広告魔術技法 社会国家への影響

1 無力感創作欲求 詩的直感コピー 個人心理への刺激、自己表現快感

2 興奮・戸惑い 基本コピー制作 個人購買意欲の喚起

3 好奇心社会観察 ブランド文化分析 社会価値観理解、間接的影響

4 成功体験快感 無意識誘導コピー 個人心理操作力向上

5 理解・陶酔・倫理迷い 消費者心理データ活用 個人→小規模社会への心理誘導

6 快感倫理葛藤覚醒 社会象徴操作 社会レベルでの行動・認知への影響

7 快感・罪悪感・野望 政治的イメージ応用 国民意識への初期操作政治的覚醒

8 快楽・陶酔・完全覚醒 国家規模統合コピー 国民全体の意識統一国家神話

9 快楽絶頂覚醒権力虚構現実融合技法 社会全体の行動・価値観広告支配される

10 完全覚醒・陶酔・絶対権力絶対広告魔術(コピー呪文イメージ現実化) 国家社会歴史レベル現実操作虚構現実完全融合

🔹 読み解きポイント

1. 心理作用進化

無力感創作欲求快感・陶酔 → 完全覚醒絶対権力

2. 広告魔術の進化

詩的表現・基本コピー無意識誘導社会象徴国家規模統合絶対魔術

3. 社会国家への影響

個人レベル → 小規模社会社会全体 → 国家歴史レベル

4. 章の連動

心理作用の深化と広告魔術の進化が、社会国家への影響拡大に直結

• タタルスキーは最終的に「虚構支配者」として完成

このマトリクスを見ると、

タタルスキーの成長・覚醒広告魔術の発展・社会的影響が 一目で段階的に理解できる 形になっています


🟦 『ジェネレーションP』全章まとめ表

章 主要テーマ 主要イベント タタルスキー心理 広告魔術の作用 社会国家への影響 物語役割

1 初期の詩人時代 詩人として活動就職難、広告業界との出会い 無力感幻想創作欲求 まだ魔術性は未熟、詩的直感が基礎 個人レベル心理操作 タタルスキーの起点、広告への潜在的接触

2 広告業界入門 初めてのコピー制作代理店勤務開始 興奮・戸惑い・適応 消費者心理を読み始める 個人の購買意欲操作 広告世界への導入

3 消費社会の観察 ブランド文化消費者行動の理解 好奇心・驚き・社会観察 商品イメージ心理操作の基本 社会レベルではまだ間接的 消費社会構造理解

4 コピーの高度化 高度なコピー制作心理誘導学習 成功体験快感自己効力感 無意識に働きかけるコピー創造 個人心理操作力増大 コピーライターとしての成長

5 消費者心理の深掘り 消費者データ分析心理トリガー理解 理解と陶酔・倫理的迷い 心理誘導設計力が向上 個人→小規模社会への影響 広告技術の深化

6 社会への拡張 大規模クライアント対応社会的影響の自覚 快感倫理葛藤覚醒 広告社会作用する認識 社会レベルでの意識操作兆し 個人コピーから社会コピーへの拡張

7 政治的応用 政治家との接触広告技術国家的応用を意識 快感・陶酔・罪悪感・野望 広告魔術を政治的レベル理解 国家イメージ操作の初期段階 広告社会政治への拡張の始まり

8 国家規模の魔術 国家キャンペーンへの参加、広告統合 快楽・陶酔・完全覚醒権力意識 広告国家魔術、コピー呪文 国民意識統一国家神話化 タタルスキー国家規模の魔術師として覚醒

9 虚構現実の融合 キャンペーン完成、広告現実を超える 快楽絶頂覚醒権力感・倫理昇華 虚構現実支配 社会全体が操作され、虚構現実クライマックス前、広告魔術の極点

10 最終覚醒 国家規模広告完成、虚構現実統合 完全覚醒・陶酔・絶対権力言葉イメージ現実創造 国家社会歴史レベル操作完了 クライマックス、タタルスキー虚構支配者として完成

🔹 まとめポイント

1. 心理の変化

• 無力な詩人コピーライターとして快感国家規模の操作者として覚醒

2. 広告魔術の進化

個人消費 → 社会影響 → 国家規模のイメージ操作虚構現実統合

3. 社会国家への影響

個人の購買意欲 → 社会行動 → 国民意識統一国家神話

4. 物語の核

広告、消費、言語権力神話が不可分であることを象徴的に描く

• タタルスキー現代社会における「詩人魔術師」の象徴

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🟥 第8章:タタルスキーイメージ国家魔術師

第8章は、タタルスキー広告の力を完全に社会政治舞台実践する段階 です。

ここで、彼は単なるコピーライターから 国家規模のイメージ操作を行う“魔術師” へと変貌します。

小説全体のテーマである言語イメージ権力の交差」 が最高潮に達する章です。

◆ 1. 国家プロジェクトへの正式参加

代理店担当するのは、単なる商品広告ではなく、

政治キャンペーン国民意識操作案件

• タタルスキー正式にチームに加わる

役割コピー制作だけでなく、広告全体の戦略設計

• ここで彼は、自分の力が国民全体に及ぶことを実感する

「ここから先、広告個人消費手段ではなく、国家の魔術となる。」

◆ 2. 広告政治の完全融合

この章の中心テーマは、広告技術政治的応用 です。

言葉映像象徴リズム・色彩が統合され、国民意識を形作る

• タタルスキー広告の“儀式性”を理解し、国家的魔術として運用

• 「ブランド国家イメージ」の概念が明確に描かれる

彼は、広告=魔術=現実改変の公式を完全に理解する。

◆ 3. タタルスキー心理的極限

第8章では、彼の心理描写が極めて濃密になります

1. 快楽と陶酔

言葉社会を動かす力の興奮

コピー一行で大衆意識が変化する実感

2. 罪悪感と倫理的葛藤

操作される人々の自由が奪われている現実

しかし、その力を放棄することは選択肢にない

3. 覚醒と野望

自分現実を“デザイン”できる存在であることの自覚

国家規模での神話創造者としての誇り

言葉イメージは、国家さえも動かせる。」

◆ 4. 消費者心理国民意識の同一化

タタルスキーは、消費者心理操作技術国民意識に応用する。

個人商品幻想を信じる原理国家規模に拡張

イメージ操作により、国民の信念・感情・行動を誘導

• ここで、広告政治境界は完全に消失

「人々は商品を買うのではない。

神話を信じるのだ。国家神話を。」

◆ 5. イメージ現実境界消失

第8章では、虚構現実境界が完全に曖昧になります

映像コピー広告キャンペーン現実認知を形作る

モスクワの街、テレビ新聞、街頭広告…すべてが統合された魔術の舞台

国民意識せずに操作される

ここでタタルスキーは、広告の究極的な力を体感します。

◆ 6. タタルスキーの最終覚醒

この章のラストで彼は完全に覚醒します。

1. 魔術師としての自己確立

言葉イメージ現実操作する存在

個人消費から国家規模の神話創造者へ

2. 倫理と力の統合

• 罪悪感はあるが、それを超える快感と達成感

権力と魔術を同時に体現

3. 物語上の象徴

• タタルスキー現代の「詩人魔術師」として完成

広告権力虚構現実境界が完全に溶ける瞬間

◆ 7. 第8章の象徴的整理

項目 内容

主要イベント 国家規模の広告政治プロジェクト正式参加

象徴 広告国家魔術/コピー呪文ブランド神話

心理 快楽・陶酔・罪悪感・覚醒権力

物語役割 タタルスキー広告魔術の究極形態体験し、国家規模の魔術師として覚醒する章

第8章は、

タタルスキー広告の魔術性を国家レベル実践し、完全に覚醒するクライマックス前の章

です。

ここで彼の物語は、

個人社会国家虚構現実言語権力 という三重構造の最高潮に到達します。

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🟥 第7章:タタルスキー広告魔術の極限と政治的覚醒

第7章は、タタルスキー広告の力を社会的政治的レベルで試す段階に入る章 です。

ここで、彼は単なるコピーライターからイメージ現実化する存在” へと変貌します。

広告権力境界曖昧になり、物語テーマである言語イメージ権力の融合」 が本格化します。

◆ 1. 政治家との接触

タタルスキー代理店仕事を通じ、初めて 政治家国家関係者 と直接接触します。

政治家たちは国民意識操作に関心を持っている

• タタルスキーは「広告手法国家規模に応用する」という構想を耳にする

• ここで、広告政治境界線が急速に消えていく

彼は初めて、自分コピー個人消費ではなく社会全体に作用する可能性 を直感する。

◆ 2. “広告魔術”の社会的拡張

第7章では、タタルスキー仕事が単なる商品宣伝に留まらず、

社会的文化的影響力のある広告戦略 に広がります

広告は物を売るだけでなく、人々の信念や価値観を形作る

消費者心理は、もはや商品ではなく「イメージ」「物語」を購買する

• タタルスキーは、広告現代儀式・魔術であることを再確認する

「人々は商品を買うのではない。

夢を、イメージを、神話を買うのだ。」

この思想小説全体の哲学的核となる。

◆ 3. イメージ政治の融合

代理店政治家の共同プロジェクトが始まる。

ブランド広告手法を使い、国民意識に働きかける

言葉映像象徴リズム、色彩などすべてが統合される

• タタルスキーは、広告が「現実を改変するツール」になることを実体験する

彼は自覚する。

詩人時代自己は、この力を前に完全に無力だった。

今、私は人々の現実デザインできる。」

ここで彼の 政治的覚醒 が始まる。

◆ 4. 倫理的葛藤と陶酔

タタルスキーは、自分の力が強すぎることに気づく。

言葉映像で人々を操作する快感

しか操作される人々の自由は奪われている

• 罪悪感と陶酔が交錯する

「この快感放棄することはできない。

だが、この力の行使倫理的危険だ。」

彼の心理描写は、広告魔術の快楽倫理的葛藤象徴している。

◆ 5. 広告コピーの詩的側面の強調

タタルスキーは、自分コピーが 単なる商業文章ではなく、現代の詩のように機能している ことに気づく。

言葉リズム

• 語感の美しさ

無意識に働きかける構造

これらが、政治的プロパガンダ社会的イメージ形成にも応用可能であることを悟る。

◆ 6. タタルスキーの変貌

第7章での彼の変化:

1. 自己認識

広告の力を社会政治に応用できる“魔術師である自覚

2. 行動指針の確立

• 力を放棄するより、利用して現実を作る道を選ぶ

3. 物語上の位置づけ

個人消費広告コピーライターから

社会政治神話創造者へと昇華

◆ 7. 第7章の象徴的整理

項目 内容

主要イベント 政治家との接触広告技術社会的応用開始

象徴 広告現代の魔術/コピー=詩的呪文ブランド神話

心理 快楽・陶酔・罪悪感・覚醒・野望

物語役割 タタルスキー広告魔術を社会政治レベルで初めて実践し、覚醒する章

第7章は、

タタルスキー広告の力を国家規模で実感し、政治的覚醒を遂げる決定的な章

です。

ここで、広告権力イメージ現実境界は完全に曖昧になり、

物語クライマックスに向かって加速します。

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🟥 第5章:タタルスキー広告権力の接点に気づく章

第5章は、タタルスキー広告コピーライターとしてのスキルを活かし、初めて“消費者だけでなく政治社会”に影響を与える可能性 を感じる章です。

ここで彼の物語は単なる広告業界のサクセスストーリーから

イメージ権力交差点物語 へと進化します。

◆ 1. タタルスキーの成長:コピーライターとしての自信

広告代理店での仕事は順調に進み、タタルスキーは次第に自信をつける。

• 短時間で質の高いコピーを作れる

言葉リズムや語感を自由操作できる

さらに“消費者心理”を見抜く感覚も鋭くなる

彼はこれまで詩人としての自己を捨てたつもりだったが、

実は詩的感覚広告転用していたことに気づく。

「詩と広告は違うようで、根底では同じだ。

世界の人々を操作する方法なのだ。」

◆ 2. クライアント要求と“虚構の力”

この章では、タタルスキー担当するブランドの一つに、

“売上が落ちている高級飲料” がある。

クライアントは売上の回復を求める

• タタルスキーコピーだけでなく、広告キャンペーン全体を企画することに

• ここで彼は初めて“広告現実を作る”という実感を得る

具体的には:

• 「商品の味ではなく、生活幻想を売る」

• 「消費者に“自分成功者であるかのような錯覚”を与える」

• 「広告提示するイメージを信じると、人は商品を買う」

この経験を通して、タタルスキー

イメージ操作現実操作” という重大な原理に気づく。

◆ 3. “権力者の介入”の予兆

ある日、代理店政治家や国家関係者接触してくる。

目的は、政治キャンペーンや国のイメージ操作

• 彼らは広告手法国家的規模で利用したいと考えている

• タタルスキーは初めて、自分コピー個人の購買だけでなく、社会全体に影響を与える可能性を知る

これが後に、タタルスキー国家プロジェクトに関わる伏線になる。

◆ 4. 広告宗教神話類似性自覚

タタルスキーは、自分が作る広告構造分析する。

キャッチコピー映像は、古代神話宗教儀式と似ている

• 人々は「物語」を信じることで行動する

広告商品神格化する手段であり、現代の“新しい宗教”のようだ

この理解により、彼は 広告の魔術性 をさらに深く自覚する。

◆ 5. 金銭快楽快感

代理店での仕事に慣れてくると、タタルスキー金銭的な快感を覚える。

• 短時間大金を得られる

言葉他人を動かす力が直接的に収入に結びつく

社会的地位が少しずつ上がる

しかし、この快感には 同時に罪悪感や恐怖 も伴う。

言葉で人を操作する快楽は、詩では味わえなかった。

しかし、それは危険でもある。」

この心理描写は、第5章の重要テーマひとつ

◆ 6. タタルスキー心理的変化

第5章では、タタルスキー心理が大きく変化する。

1. 自己認識の変化

詩人から現実操作魔術師”へ

広告が人々の心理を左右する道具であることを理解

2. 倫理的ジレンマ

言葉イメージで人を操ることの倫理的葛藤

しかし、現実世界ではそれが強力な権力手段になることを自覚

3. 未来の予感

広告技術個人消費だけでなく、政治社会操作にも応用できる

自分の才能が“国家レベルイメージ戦略”で試される日が来るかもしれない

◆ 7. 第5章の象徴的整理

項目 内容

主要イベント タタルスキー広告現実操作力に気づき政治的応用の可能性を意識する

象徴 広告現代宗教イメージ=新しい権力

心理 快楽・陶酔・罪悪感・覚醒・野望

物語役割 タタルスキーが“個人消費から社会政治操作へ”視野を広げる章

第5章は、

広告の魔術的力を自覚しつつ、政治権力接続する兆候を掴む重要な章

です。

ここでタタルスキー物語は、単なる広告コピーライターの話から

イメージ権力社会操作を扱う大きな物語へと移行します。

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