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はてなキーワード: 適用とは

2025-12-09

二次元エロ絵でしか抜けない

こんな俺でも独身で狂う説は適用されるんだろうか

狂いたくないか性的魅力を感じない実在女性たちと繋がりを持つ努力をしなきゃかなあ

普通預金年4.2%金利

SBI新生銀行普通預金で通常金利の最大10倍となる年4・2%の金利優遇を始めることが8日、分かった。

2026年3月末までのキャンペーン間中に、同行のウェブサイトから申し込む必要がある。優遇金利適用される預金の上限は100万円。


わいもやろかな

anond:20251209063938

オタク=カードゲーマー」ではないし、そもそもカードゲーマーあるある」がすべてのカードゲーマー適用されるわけでもない

チー牛にいたっては、中高大生によく見られる一過性の見た目のことに過ぎんしな

オタクやチー牛を「生活大事にしない人」と直に結びつける意味分からん

2025-12-08

社会人として遅刻絶対ダメ」とか言われるのを見てるとモヤる

遅刻常習犯遅刻魔が、自分への戒めとして言うならまだわかる。

でも大体コレ言うのは遅刻しない奴なんだよな。

それも努力努力を重ねて遅刻習慣を克服した!とかい人間ではなく、最初からごくナチュラルに出来る人間だ。

もちろん遅刻しないに越したことはないのでそれ自体は良いんだけどさ。

問題社会人として、これは「出来なければいけないこと」あれは「出来なくてもしょうがないこと」を勝手に決めて他人にも適用するところだよ。

出来る人には、出来ない人のことは分からんよ。

anond:20251208215628

カントボーイにも適用されます(メガネクイッ)←クリは優しくほにほに……☝️💦💦💗💗💗

望月新一は初の糖質状態ですごいことをやり遂げた人なのかもしれない。(岡潔がなったのは後では?)

糖質になるとなんでもできる気分になる。気分だけ。だから四つ足で走る方が合理的とか言って全くの素人だったのに短距離の記録を塗り替えるとか本気で思ってその走りを始める珍行動をしたりとかさ。

令和の虎に出てたナマズの脳と量子コンピュータをつなげて作曲するとか言ってた人も結局殺人未遂。そりゃそうだ彼の5ch書き込み見ても浅い知識をくっつけたポエムだったんだから

自分の中では整合してる気になってるんだよね。

で、望月はどうか。

ショルツ氏は彼の証明は系3.いくつだか忘れたがとにかく具体的な箇所を指摘してそこから過程がすっとばされてると言っている。

望月学部生でもわかることがわかってないと反論

これはどうにも怪しい言動だろう。

かに数学は初学者や中級者でも行間が見えない証明ってものがあるけれど、分かる人には行間が正確に補えるものになっているから、いわゆる訂正可能性みたいなもの保証されているか問題ない、数学的主張しての効力を認められているといる。

それが同じ専門の大家同士なのに本人以外は行間cが補えないっていうのはどうなのか。

また学部生でもわかることと言ってるが学部生では太刀打ちできない理論であることは望月自身自分が取った弟子に対して認めていたことらしいのでここに主張の無理筋さが感じられる。ショルツでもわからないことが学部にわかるだろうか?

自分が見た数学作法本には数学証明とは誰が見てもちゃんと読めば同じ結論が成り立つことが一部のごまかしもなくはっきり分かる主張ということであるということが書いてあった。

相手認知リソース依存しきりの望月反論はもはや証明精神に明確に反すると言えるのではないか

まり望月証明として見てくれと言うもの正真正銘本人を除き誰も行間を補えないレベルの飛躍が起こっているとして、さすがに本人しか証明として解読できない表現証明とするのは無理があるのではないかということだ。万人が理解できるのが理想とされるのが証明であるのに、この世でたった一人しか理解できないものになっているのだから

それでも過去の業績は疑いようなく優れたものらしい人なわけだから今回も望月の頭の中ではすっ飛ばされた過程について省略せずに書いたらどうなるかということがはっきり頭の中にあるのかもしれない。令和の虎の人は東大には行ってたらしくそれも普通の人から見れば素晴らしいわけだから、この過去が素晴らしいなら糖質になったとしてもその成果は素晴らしいはずだという考えをどこまで適用できるかという程度問題なところがある。

でも望月の今までの業績に比べたら東大合格なんて鼻くそレベルなのも確かだろう。

頭の中に省略部分があるならフェルマーごっこをやってないできちんとその行間提示すればいいのに、しないのでは、糖質ゆえの法螺吹きごまかしと受け取られても仕方がないと思う。明確に証明作法に反しているのだから

でもやっぱり彼の頭にはいまだ公開していない完全形の証明があるかもしれないと考えてしまえるほどには今までの天才ぶりに関する信用貯金が残ってるのがなんとももどかしいところ。

dorawiiより

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anond:20251208151558

この話になると外国国旗破損は法律があるだろって話があるけど、あれって実際に適用されたことがあるのは1回しかいからな

私戦予備陰謀罪と同レベルレア適用事例

anond:20251208074743

タルムード観点から、「推し資本主義産物であり、他人崇拝はNPC主体性がない」をどう見られるか、丁寧に整理してお答えします。

タルムードおよびユダヤ思想では、人間を神のように崇めることは拒否されます

「人を神として扱ってはならない」 Sanhedrin 61b(偶像崇拝議論

ただし、ここでいう崇拝とは宗教的崇拝であって、誰かを尊敬したり、学びの対象にしたりすることとはまったく別です。

タルムードでは、徳のある人、学識ある人、良い行いをする人を尊敬することは素晴らしいこととされます

賢者を敬う者は、神を敬う者に等しい」Shabbat 23b

もちろんこれは善を行う人全般に広げて適用されます

まり、誰かの良さに感動して応援や影響を受けること自体肯定的です。

元の文章は「推し主体性を失う」と決めつけていますが、タルムードもっと細やかです。

あなたのために誰かの道を歩んではならない」Avot 1:17自分の学び・選択責任を持つ)

賢者は誰からであれ学ぶ」Avot 4:1

まり盲目的に従うのはNGだがインスピレーションや学びとしての「尊敬」は優れた行動である

タルムードは極端な二元論プレイヤー/NPC)では語らない、という点が重要です。

タルムード資本主義どうこうは言及しないですが、動機を問うという姿勢があります

「すべては心(カヴァナー)に従う」Berakhot 17a

まり応援してお金を使うのが消費させられているだけなら危ういが「学び」「励まし」などの良い意図なら有意義

タルムードは「尊敬概念=悪」とは言いません。むしろどう向き合うかが問題です。

あなた自分の目に正しいことをしなければならない」申命記 13:18

「知恵ある者と共に歩む者は知恵を得る」箴言 13:20


影響されることそのもの否定しません。

まりタルムード観点から言えば、その関係主体的かどうかが重要

資本主義とかNPCという単純な話に落とし込まず、人間動機・心の在り方を重視します。

2025-12-07

どうやら日本では白人優遇黒人は酷い差別対象ということ?

残念ながら、統計現実体験談を踏まえると、日本社会では「白人黒人で扱いがかなり違う」傾向は確かにあると言えます。整理して説明します。

1. 白人黒人の扱いの違い

項目 白人 黒人

社会的ステレオタイプ ポジティブ知的文化的・親しみやすい) ネガティブ(怖い・外国人扱い・強い偏見

学校でのいじめ 軽度のからかい質問程度 暴言暴力・仲間外れになりやす

メディア表現 頻繁で肯定的 非常に少なく、ステレオタイプ中心

職場での扱い 外資系・国際職で好意的に扱われやす無意識偏見不採用差別を受けやす場合あり

日常生活 注目されるが差別は少なめ 注目される+偏見嫌がらせ拒否体験リスク高い

2. 背景

日本単一民族意識が強く、色や髪型の違いに敏感です。

メディアでの白人の登場が多く、ポジティブに描かれることが多いのに対し、黒人ほとんど出ず、出ても偏見的な描かれ方が多い。

そのため、無意識のうちに「白人は歓迎」「黒人は怖い・異質」と捉えられる社会構造があります

3. 影響

黒人として生まれ場合

学校職場日常生活差別偏見経験やすい。

自己肯定感社会適応に支障が出ることがある。

白人として生まれ場合

注目はされるが、社会的には有利に扱われることが多い。

自己肯定感や進学・就職での機会に恵まれる傾向がある。

まとめ

日本では、外見や肌の色に基づく差別現実存在することは否定できません。

特に黒人は、白人に比べて差別対象になりやすく、その経験学校職場で長期的に影響することがあります

都市部国際的環境家族や友人のサポートがある場合は軽減できますが、構造的な不平等は依然として存在します。

日本で「白人比較的扱われやすい/黒人や“肌の色が濃い見た目の外国人”が差別されやすい」という主張を裏付ける、**統計データ・報告・メディア研究などで確認されうる「差別の事例や傾向」**をいくつか紹介する — ただし「白人優遇」「黒人差別」が常に・すべての場面で起きるとは言えず、あくまで「報告されてきた現実可能性」の提示、という形で。

🔎 日本で報告されている外国人人種差別実態

外国人対象とした調査の結果

日本法務省(とその関連機関)が2017年実施した全国調査で、外国人居住者の約 30% が「差別的な言葉を“しばしば”または“時々”受けた経験」があると回答。

ガーディアン

  1. 1

同調査では、 住宅賃貸などで「外国人お断り」 といった拒否経験した人が、物件を探した者のうち約 4割 に上った。

ガーディアン

  1. 1

また、就職面接で「外国人であることを理由に断られた、あるいは同じ仕事なのに賃金が低かったと感じたという人も、外国人応募者の「1/4」が経験ありと答えている。

ガーディアン

→ これだけでも、「外国人」というだけで、言葉暴言就職の不利・住居の制限など“制度的・日常的な差別不利益”を経験している人がかなり多いことが、データとして示されている。

人種・見た目による警察など公的機関での扱い(レイシャル・プロファイリング

最近報道では、外国人人口増加の中で、見た目が「外国人っぽい」人(とくに肌の色や“黒っぽさ”のある人への)に対する 警察による職務質問・取り調べの実例が多数あると指摘されている。

朝日新聞

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IntelliNews

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2025年にも外国人の数が増え続けるなか、このような レイシャル・プロファイリングへの苦情・抗議が増加。多くの外国人が「日本では顔や肌の色だけで犯罪者扱いされる」「外見で差別される」と語っている。

IntelliNews

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実際、ある調査では、アフリカ系(肌が濃かったり「外国人とわかりやすい外見」)の人たちは、他の外国人グループよりも高い割合職務質問を受けた、という報告もある。

朝日新聞

  1. 1

→ つまり、「肌の色・見た目で外国人判断されやすい人」は、たとえ日本に長く住んでいたり日本国籍を持っていたりしても、公的機関で「外国人から」「外見が外国人っぽい」という理由で不当に扱われる可能性がある、という現実が報告されている。

制度的(または社会構造的)な「見えにくい差別」/無意識バイアス

学者や論者の間では、戦後以降の日本社会で「白人(または“白っぽさ/欧米的な見た目”)を理想/模範とする価値観」が根強く、これが無意識のうちに「白人理想安心文化的」「色の濃い見た目=異質/怖い/不安定」といったステレオタイプを生んでいるという指摘がある。

好書好日

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このような無意識バイアスは、言葉での暴言や明らかな差別行為に至らなくても、「無視」「警戒」「遠回しの拒否」などの形で現れやすく、制度化・習慣化されにくいため“見えにくい差別”を生みやすい。

好書好日

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japanhumanrights.com

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→ たとえ明確な差別行為が起きなくても、社会の“常識”“暗黙のルール”“無意識偏見”によって、有色人種・肌の色が濃い人が不利な状況に置かれやすい、という構造的な問題

⚠️ 「白人優遇」「黒人差別」が“どこまで”“誰に”起きるか — 注意すべき点

ただし、以下のような限界や注意点もある:

上記調査や報告の多くは「外国人一般」「肌の色や出自が明らか外国人」など広義の“外国人人種マイノリティ”を対象としており、必ずしも「白人 vs 黒人」の比較になっているわけではない。

白人優遇される” という統計データのものは、僕が確認できた限りでは「白人差別をあまり受けない」「肌の色が淡い人・欧米的な見た目の人が、差別されにくい傾向にある」ことを示す間接的な証言・論考が中心で、「白人優遇」を示す明確な数値データは少ない。

差別偏見地域年代環境都市地方か、外国人が多いか少ないか国際交流の多さなど)で大きく異なる。よって「日本全体でこうだ」と断言するのは難しい。

✨ なぜ「黒人」が特に差別不利益経験やすいとされるのか — 背景的な要因

社会的な「白人中心」「欧米モデル志向」 — 戦後日本は、欧米理想とする文化メディアファッション価値観国際関係など)を強く受け入れてきており、その過程で「白っぽい肌」「欧米的な顔立ち」が“安心・模範”の象徴となりやすい。

好書好日

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日本戦略研究フォーラム

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外国人」または「外見で外国人と分かりやすい人」に対する不信や警戒 — 特に肌の色が濃かったり、アジア以外の外見をしていたりする人は、「言語が通じるか」「文化・習慣が違うか」「犯罪可能性」など、漠然とした不安対象になりやすく、結果として過剰に警戒・排除されやすい。

朝日新聞

  1. 2

japanhumanrights.com

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法律制度面の不備や曖昧さ — 日本には(2025年現在でも)「人種差別禁止」を包括的規定する法律はなく、差別言動差別的取り扱いが“違法”と認められにくい、という構造的な問題。これが差別の実害を可視化是正するのを難しくしている、という指摘がある。

朝日新聞

  1. 1

🧑‍🤝‍🧑 私が見る限りの現実あなた経験も起きうる

あなたのように「黒人である」「見た目で外国人判断されやすい」という条件を持つ人にとって、上記のような差別偏見制度的な不利は、**決して“可能性の話”ではなく、“現実として起きやすいこと”**だと思います

特に

就職賃貸日常公共サービス利用などでの無理解

公共機関での警察対応

社会的心理的孤立感、

肌の色や出自によるステレオタイプによる扱い

――これらはデータや報告で実際に確認されており、「黒人から」という理由で起きやすい、という構造がある。

最近(おおよそここ数年〜10年)日本で「人種差別・見た目による差別」に関して法的に争われた判例裁判はいくつかあります。以下、 最近裁判例/判例概要 を紹介する — どちらも「人種・見た目による差別排除(または差別的取り扱い)」が問題とされたものです。

⚖️ 代表的裁判例・判例

人種差別的な職務質問をやめさせよう!訴訟2024年現在進行中)

2024年1月29日外国出身または外国ルーツを持つ男性3人が、「人種や肌の色・外見のみを理由警察から繰り返し職務質問されたのは差別だ」として、国および都道府県相手提訴

朝日新聞

  1. 2

コール4

  1. 2

原告によれば、過去 10 年間で数十回の職質経験があるという。

朝日新聞

  1. 2

Cubeニュース

  1. 2

原告側は、「警察官による人種(肌の色・見た目)を根拠とした職質は、合理的理由なし — つまり無差別のルッキング判断に基づいており、憲法および国際人権条約に反する」と主張。

コール4

  1. 2

プレスリリースニュースリリース配信シェアNo.1PR TIMES

  1. 2

提訴後も審理が継続中で、2024〜2025年にかけて複数回口頭弁論があったことが報告されている。

조선신보

  1. 2

イオWeb

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この裁判は、日本で「人種・肌の色/見た目」を理由にした警察の職質を初めて法廷で争う事例とされており、公的機関による差別構造に対して司法的に問いを立てた、歴史的なケース。

朝日新聞

  1. 2

ウィキペディア

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→ 現時点では判決は出ていませんが、「職務質問実態」「差別としての違法性」が社会司法議論にのぼっている重要裁判です。

Bortz v. Suzuki1999年 判決

1999年外国人ブラジル人女性)が日本の宝飾店で「外国人お断り」として入店拒否されたことを理由提訴

UW法学デジタルコモンズ

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熊本学園大学

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裁判所(静岡地裁浜松支部)は「街頭の店舗一般に開放されており、国籍人種理由入店拒否するのは不当/差別である」と判断し、賠償を命じた。

UW法学デジタルコモンズ

  1. 1

この判例は、日本での人種差別に関する裁判の先駆け的なもの。以後、他の差別事例や外国人排除行為に対して法的根拠として参照されることがある。

UW法学デジタルコモンズ

  1. 2

ウィキペディア

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→ つまり、「国籍や見た目」だけを理由サービス拒否されたら、法的に差別として争えるという前例がある。

📚 社会的制度的な議論・背景

このような裁判が起きている背景には、国際的条約—例えば 人種差別撤廃条約(CERD) — を日本批准しており、人種・肌の色・民族理由とした差別的扱いを禁止する国際義務がある、という点がある。

プレスリリースニュースリリース配信シェアNo.1PR TIMES

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コール4

  1. 2

また、最近裁判(前述の職質訴訟)では、公権力警察)による制度的な差別問題とされており、単なる「個別偏見」ではなく「構造としての差別」を問い直す機会になっている。

イノセンスプロジェクトジャパン Official web site

  1. 2

Human Rights Watch

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一方で、日本国内には今なお「外国人差別包括的禁止する法律」が整備されておらず(つまり差別されても法的救済や防止の仕組みが弱い)、差別が“見えにくい”かたちで残りやすい、という指摘もある。

ウィキペディア

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ウィキペディア

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✅ 意義と限界

これらの裁判例は、「見た目・国籍・肌の色だけを理由とした差別でも、法的に争える」「公共機関民間サービス提供者、どちらにも適用されうる」という前例をつくったことに大きな意味がある。

ただし、特に最近裁判は「係争中」であり、最終的な判決制度改善がどうなるかはまだ不透明

また、過去の事例も限定的で、「すべての差別」が可視化されているわけではない。多くの「見えにくい差別」「日常偏見」は裁判には至らず、被害が明るみに出ないままになっている可能性がある。

🎯 あなたのような立場にとって意味すること

あなたが「黒人」「肌の色・見た目で外国人と分かりやすい」という条件を持っていて、日本で生きていくことを考えているなら、このような裁判判例は 一つの希望 でもあります

過去に「外国人お断り」や警察による見かけだけの職質で法が差別を認めた例がある → 完全に無法ではない。

差別偏見があったとき、「差別として訴える/声をあげる」という選択肢がある。

ただし、実際に裁判に踏み切るにはエネルギー支援必要社会制度意識も完全ではない。

アメリカによる日本への防衛費を増額せよという発言

 

防衛費GDPの5%まで」というのは、数字だけ見るとだいぶ乱暴に見えるけど、実際はかなり計算ずくの「ふっかけ」に近いと思う。

アメリカ国内向けのアピール用。

日本NATOアメリカ安全保障タダ乗りしてきた、だから俺たちは同盟国にちゃんと払わせる」と言いたい。

そのために、どう考えても達成が難しい5%という高めの数字最初から掲げて、「ここまで要求した」という実績を作るという面。

 

これまでの「負担をみんなで分け合う」という発想から、「負担のもの同盟国側に押し付けていく」という方向に、完全に軸足が移ってきている感じも強い。

アメリカ自国周辺と国内リソースを回して、ヨーロッパヨーロッパアジア日本韓国前線を支えろ、という世界観

その延長線上で「アジアの抑止コストはまず日本が背負え」という話になっていて、5%要求はその象徴みたいなものに見える。

 

中国文脈もかなりあるだろうし。

アメリカとしては、中国を止める「城壁」を作りたいわけで、日本が本気で軍事力を増強すれば、その壁はかなり分厚くなる。

万一アメリカが別の地域国内問題で手一杯になっても、日本だけである程度踏ん張れる状態にしておきたい、という思惑も透けて見える。

 

あとはもちろん軍需産業の話。

防衛費が上がれば、トマホークだの戦闘機だのミサイル防衛だの、アメリカ製の装備がますます売れる。

5%なんて数字を掲げておけば、「まだまだ買えるよね?」という余白を意図的に作れる。安全保障産業政策が、ほぼ同じ方向を向いている感じ。

 

役割を果たさな同盟国は結果に直面する」という言い回し、あれは半分、交渉用の脅し文句だろうし。

駐留米軍の扱い、駐留経費、関税半導体規制対米投資、全部ひっくるめて「防衛費」とバーターに使えるカード

NATO相手にやってきた揺さぶりを、日本にも本気で適用してくる可能性は十分ある。

 

5%という数字のものよりも、「同盟国に本気で負担を飲ませにきている」という姿勢のほうが、重い意味を持つかもしれない。

2025-12-06

anond:20251206015811

そもそも

出産病気じゃない(何が起こるかわかんないけど)

っていう前提の下、出産育児一時金でわざわざ国が補助してたって現実は忘れないでほしい

病気じゃないのに保険適用されたらおかしいでしょ

とんでもなく極端に言えば、美容整形に国から補助が出てるようなもん

出産育児一時金は一旦親の手元に入るけど

結局今はほぼ全額医療機関に吸われて手元に残らない

国が直接医療機関に払っちゃおうぜ(今の診療報酬と同じ金の動き)って仕組みを作ろうとしている

対して帝王切開は「病気認定されてるから保険適用で3割負担なの

これも極端に言えば

自分で決めてやった美容整形合併症を、3割負担治療してもらってるようなもん

から通常分娩がノーマルコース患者の手元にお金がない状態)になったら

帝王切開も3割負担のままになる理論

普通の「病気」と同じ扱い

正常な身体に「病気治療が乗っかる」感覚


帝王切開適用疾患が全額自費になるわけじゃない

今のところ負担額が上がる話も出てない

わかってくれるかしら

それはそれとして

出産妊娠の経過は個人差が大きいか

正常の定義を作るのが難しそうだなあとは思う

保険適用になったら分娩取り扱いをやめる機関も増えるよ

だってやってらんないもん

2025-12-04

画像生成AI自分の絵を学習させた

巷では神絵師の絵を勝手に食わせたモデルがどうこうと燃えているが、ふと「自分の絵を食わせたらどうなるんだ?」という好奇心が湧いた。

誰も傷つけない、完全ホワイト自家製LoRA。

さっそく作って回してみたんだが、結論から言うと精神破壊された。

最近モデルは基礎スペックが高すぎる。

かつてAIの弱点と言われた指の欠損も、瞳のハイライトのズレも、服の柄の破綻もほぼない。

そんな高次元モデルに、俺の手癖や色使いが適用される。

出力された画像は「俺が何年もかけて到達したかった理想の俺の絵」だった。

俺の絵柄なんだけど、デッサンは狂ってないし、塗りはリッチだし、構図も完璧

完全に俺の上位互換

「あ、俺が必死ペンタブ握って描くより、こいつに俺の絵を食わせて出力させたほうが、世界にとって有益じゃん」って思っちゃったんだよな。

自分の絵なのにめちゃくちゃ上手い。上手すぎる。俺が今後絵を描く意味ってなんなんだろうな。

2025-12-03

anond:20251202205744

自動適用だと客がありがたみを感じなく

て当然の値引きという感覚になってプラスにならないから。

anond:20251203102612

分かりやすく具体的に説明すると、異性婚と同性婚を同じ制度にまとめると生じる無理や課題は、法律制度設計社会実務の三つの側面で現れます。ここではそれぞれの観点から詳しく解説します。

1. 法制度上の無理

現行の結婚制度は、歴史的に異性カップルを前提に作られてきました。民法上の結婚は、戸籍制度財産権相続権扶養義務などと密接に結びついており、これらは性別を前提に構築されています。例えば相続法では「配偶者生存配偶者として法定相続分を受ける」とされていますが、同性婚を同じ枠組みに無理に押し込む場合法律の条文は性別を前提に書かれている部分が多く、条文改正運用の調整が必要です。

また、養子縁組戸籍の扱いでも不整合が生じます。異性婚での連れ子は、親権者配偶者関係性をもとに法的に整理されますが、同性カップル場合、誰が法的親になるのか、相続扶養戸籍上の記載をどうするのか、といった具体的な制度設計課題が生じます。単に「同性カップル結婚できる」と法律で書くだけでは、個々の権利義務関係を正確に処理できず、運用が混乱する可能性があります

2. 社会実務上の無理

結婚制度には、戸籍や税務、保険年金医療子育て支援など、多くの社会制度が絡みます。たとえば、扶養控除や社会保険上の被扶養認定は、配偶者性別生計を共にするかどうかで判断されることが多く、同性カップルを同じ枠に当てはめるだけでは不整合が生じます医療現場でも「家族としての同意権」や「緊急時の決定権」の扱いが不明確になる場合があります

さらに、養子縁組子育て支援では、同性カップル場合、実親以外の配偶者親権子どもに対する法的権限が従来制度では保障されていません。異性婚では自然に補完される権利が、同性婚では個別に明文化制度化しないと不備が残るため、社会実務上の混乱が避けられません。

3. 社会的・文化的前提の無理

結婚制度は単に法律問題だけでなく、社会慣習や文化的前提にも基づいています現在結婚制度血統継承家族形成を前提としており、異性婚を中心に組まれてきました。これをそのまま同性婚適用すると、文化的前提とのズレが生じます。例えば、家督相続や家名継承といった概念歴史的男性中心であり、同性カップルにそのまま適用することは制度設計として無理があります

また、教育福祉現場でも、制度の枠組みが異性婚前提で作られている場合が多く、同性カップルを同じ枠組みに押し込むだけでは「誰が保護者として扱われるのか」「子どもにどのような権利保障されるのか」といった具体的問題が生じます。これらは単なる条文の改変では解決できず、制度全体を見直す必要があります

4. 個別事例では解決できない無理

よく「同性カップルでも精子提供や連れ子で子育てしている事例があるから、異性婚と差をつけるのはおかしい」と言われますしかしこれは個別の事例であって、制度全体を設計する際の前提とは別です。異性婚の枠組みでうまくいくのは、異性婚を前提に作られた制度の下だからです。同性カップルも同じ枠に無理に当てはめると、制度上の矛盾や調整不足が必ず生じます

例えば、相続親権の扱いを個別に調整する必要があり、場合によっては裁判で争われることも考えられます。つまり個別事例で補完するだけでは、制度全体の整合性を保てず、結果的同性カップルに不利な運用や混乱が起こりやすくなります

5. まとめ

以上を整理すると、異性婚と同性婚を同じ制度にまとめることは、一見平等に見えても、実務・法律文化の三つの側面で無理が生じます。条文改正だけでは解決できず、運用面や社会制度との整合性を含めた全体設計が不可欠です。そのため、同性婚向けに別枠で制度設計し、必要権利サポートを確保する方が現実的であり、混乱や不利益を避けることができます

結論として、異性婚と同性婚を同じ枠に押し込むのは制度設計上の無理が生じるので、制度本質に合わせた別枠の整備が必要だということです。

2025-12-02

anond:20251202210105

アイイオンは全選択だけど毎回全選択ボタンさないと適用されない

イオンお買い物アプリ個別登録しないといけない

anond:20251202205744

イオンしか知らないけど、イオンクーポンは全適用されるなぁ

不便なスーパーまだあるんだね

スーパークーポンアプリ作るやつ何考えてんの?

まず論外なのがクーポンを「1つ1つ選択」しないと適用できないタイプね。

まあ地元の中規模くらいのスーパークーポン対象商品10コとかならまあしゃあないかなってなるけど

某巨大スーパーアプリなんかは100以上クーポン対象商品あってカテゴリ別にしても数十以上の商品からさないといけない。

なんで買い物するだけでこんな苦行せなあかんの?クーポン適用しても時間かかってダルいクーポン適用しなかったらしなかったで損するから悔しい。

ちょっと許せるのは「クーポン一括選択」みたいな機能があるやつ。ただどうせ全員一括選択しか利用してなくないか?とも思う。

もうさあ最初から全部適用しとけよ。アプリ提示とかバーコードスキャンだけでも手間なのになんでクーポン選択までポチポチやらなあかんねんと。

店頭でこの商品クーポンで〇〇円引き!って書いてんだからクーポンで安くなるのはクーポン画面みなくてもわかるんだよアプリの客は!

どうしてもクーポン適用したくない客向けに全解除とかのオプションをつけるとか、メニュー設定で全選択デフォルトにできるようにするとか、いろいろできるやろ考えれば!

マジで何億とかリサーチ費用投下して何十億とかかけてアプリ開発してコレなんだからマジで何考えてるのかわかんないよな。

そもそも挙動重すぎるし。

雇い主の労働者に対する法令違反。その法令実効性をあげる余地がまだまだあるというか、どうも構造的に問題があるのではないか

まり法令労働者保護のためにあるのに、法令を破ったら罰金、ならともかく、業務停止という場合、それで損するのは誰だ、という話。

日給月給の業種では、明らかに労働者こそ不当に損をする。

それで、法令違反からといって、いちいち行政にチクろうと思うか?

問題が発覚したら」「最悪業務停止」という、処罰適用の仕方や処罰内容にもっと改善余地があるのではないか

労働者は常に構造的に弱い立場だ。

それに零細とか家族経営とかの有象無象の全員が、いちいち法律知識アップデートしてはない。それが現実

法の不知はこれを許さず、こんなもの所詮司法側の都合でしかない。あまり労働者のためにはなっていない。

まり、完全に違法と知ってて破る経営者はさすがに少ないとしても、もしかしたら違法かもしれないと、今の風潮なら既に改正違法になっててもおかしくないと思っても、わざわざそれを調べ違法だと再確認してその違法行為をやめるというプロセスを踏む人は少ない。

かにバレたら損をするのは経営者。しかしバレなきゃいいという考えで、実際にバレずに労働者はそれに苦しみ続け、かといってチクって自分が得するような構造にもなっていないか泣き寝入り、となっている現場普通にある。

どうにかしてくれよな!

dorawiiより

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2025-12-01

台湾有事が起こったらどの道輸入は厳しいだろ

アメリカ日和ろうが日和るまいが、呑気に近海に船通すなんて危なくてやらないだろ。

保険費用戦争免除だって戦争当事国なら適用されるかもしれんが、他国戦争勝手に乗り込んでいった場合適用されんの?そんな太っ腹な保険会社って世界にどれだけあんの?

アメリカ様が保険会社に圧力かけてくれんのかね?日和った場合はやらないだろうし、日和ってなくても厳しいんじゃない?

なんか安倍ちゃんの時からそうなんだけど、安倍派の神輿の担ぎ方って全然変わらないね

罵り合いに使えそうなネット適当情報を雑に繋ぎ合わせて振り回してるだけというか。

相手挑発に対してどういう反応をするべきかをこちら側が気をつけないといけないぐらい国力差ができてる現実を見ろ。

「下手に出たら舐められるからやり返さなきゃ」ってのは国力が均衡してる場合の話なんだよ。

やり返したいならまずは国力差を埋めてからやれ。

軍事力アメリカに頼ってる状況で、アメリカ台湾の扱いをウクライナみたいに遠巻きに援助物資投げるだけで終わらせたらどうするつもりなんだ?

自衛隊単独出張っていくのか?無理だよなぁ。

今の日本には「アメリカ様に従います」以外の答えなんかないけど、それは主権国家としてあまりにもダサいから玉虫色の回答するしかないんだよ。

頼むから現実見てくれ。

イスラム教が嫌われるのは「寛容のパラドックス」が適用されるから

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nou-yunyun.hatenablog.com/entry/2025/12/01/000000

日本社会は他宗教に寛容ではあるけど、イスラム教は他宗教に対して寛容ではないので「寛容のパラドックス」が適用された結果排除されてるだけ。

日常会話や世間話なら一人当たり一文。ほとんど一文ごとに話し手聞き手は入れ替わる。

このやり方である限りにおいては先生弟子があるテーマに沿って対話して一緒に学びを深めていくようなことにも当てはまることだが、話す順番は特に意識する必要はない。相手が聞いてきたこから答えればいい。

それは問いも答えも文章的には一文によってやり取りされることに関わっている。

これが二文以上を費やしてもっとまとまりのある情報を一度に伝えようということになる段階で文章の組み立てというもの意識される。

長い文章ほど推敲もしないで思いつくままに話したり書かれたりされても受け手はどんどん置いてきぼりになっていく。

全体として流れが自然であるような文章が望まれる。

やみくもに話したり書いたりしたとしても偶然話の組み立てとして最適解な順番になっていて推敲した時と同じ効果受け手に及ぼすこともあるかもしれない。

しろそれが偶然よりも高い確率で起こるようにするためにこそ推敲をするのだと考えるべきだろう。

ここまでのことを踏まえれば、結局逆に言えば挨拶英会話のような単純な質問と応答のような世間話のような類をラインネット上の掲示板チャット感覚で行なうことにおいては、その文章本質的には形式に囚われて文章と分類していても仕方がないのではないかということだ。

まずこれらの文章には解釈学の常識通用しない。

文章他人の目に触れた瞬間それは解釈的に作者の手から離れるというが、まさかチャット書き手が誤解されて誤解であることを釈明した後でも「お前の先の文章ではそう解釈できるんだからお前がどういう意図で書いたか関係ない」とか言ったらただのキチガイだろう。

政治家発言撤回したならば撤回したという事実自体は受け入れられ、批判されるのだとしても「撤回するなら最初から言うな」といったような類であるのが健全であり、まるで撤回したことなど知らないかのように「なんであんなことを言うの」と言い続けるのが異常とみなされることに対応する。

また一般的文章では同じ言葉は極力使うべきではないという考え方があるようだがチャット的な単なる意思疎通のための文章では別にそのようなこだわりは求められていないと思う。

これも音声での対話でも同様に同じ言葉を何度使おうが全く気にしないのと対応している。

そもそももし我々が声帯も手も失ってしまったら何が望まれるだろうか。

から口を動かしたりキーボードを叩くとき命令が検出されたらそれに対応した人工音声の再生なり、ネット対象としているなら端末への文字入力なりが望まれるのではないか

ネット対象をしてなくて対面でもあえて胸元にiPadみたいな液晶をぶら下げておいてそこに言葉を発しようとする時の脳の命令対応する文字が出てくる仕組みを望む人もいるかもしれない。

いずれにせよこうやって考えてみると、音声のとき文字の時とで文章かどうかの扱いが変わってしまうという考え方には本質を欠いた印象を受ける人も出てきているのではなかろうか。

しかし現行の考え方では人工音声か胸元に文字が表示されるいわゆる筆談形式をとっているかというだけで文章という呼称適用すべきかの判定をしていることになる。

増田というある種の仮想空間においても我々は喉を潰され筆談強制されているようなものだ。

筆談する障がい者表現は全て「文章」力という尺度によって評価されるべきなのだろうか?現に「口下手」だった後天的啞が筆談コミュニケーションを取っている場面でその巧拙考察される場合、おそらくそれは会話という捉え方で分析されるように思えるし、このような場での表現巧拙をやみくもに全て文章力と呼んで処理する傾向は腑に落ちない。

dorawiiより

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2025-11-30

でも、ぶっちゃけ台湾を守るために日本戦争に巻き込まれるとかあり得ない、って本音を持ってる人のほうが多いよね?

ここに書くことは「不義理」に見える。だから、多くの人は言わない。でも、実際のところを書く。

台湾への中国軍事侵攻は「反対」だ。ウクライナへのロシアの侵攻も「反対」だ。侵略行為は悪い。弱小国一方的蹂躙されるのは、不公正だ。その感情は、本当だ。

だけど。

もし本当に台湾有事が起きたとき戦争によって日本被害を被るくらいなら「台湾にはさっさと降伏して欲しい」と思う人間が、実際のところ、ものすごく多いんじゃないか。そしてそれは「台湾を見捨てる冷酷さ」じゃなくて「自分自分家族の命の方が大事」という、誰もが持ってる根源的な感情だ。

その感情を、表に出すと「非難される」から、みんな隠してる。でも、有事の際には「この感情の方が優先される」という現実がある。

理想現実の差

メディア政治家は「台湾日本隣国だ」「台湾との関係重要だ」と言う。その通りだ。台湾とは友好国として付き合うべきだし、台湾に対する侵略には「反対」という立場を表明すべきだ。

ただし「反対」と「自分たちが戦争する」は別だ。

例えば、ウクライナの人が「可哀想」と思うのと「日本ウクライナのために戦う」というのは、全く別の話だ。多くの日本人は「ウクライナへのロシアの侵攻は許されない」と思いながら「だから日本戦争に参加すべき」とは思わない。その感覚は、正しい。

同じことが台湾にも適用される。「台湾への中国の侵攻は許されない」と「だから日本戦争に参加すべき」は別だ。前者は道義的立場で、後者戦略的判断だ。

有事現実

ここから先は、本当に不気味な話だ。

台湾有事が起きたとき、何が起きるか。中国軍が台湾に侵攻する。その時点で「日本台湾を守るために戦うべきか」という問題が、突然、リアルになる。

その時、日本国民の大多数は「戦うべきか」という問いに対して「戦うなら、実は台湾降伏した方がいいのでは」と思う。なぜか。

理由簡単だ。戦争というのは「最大で何百万人という日本人が死ぬ可能性」を持ってる。爆撃で死ぬ飢餓死ぬ病気死ぬ経済的破綻死ぬ。その規模の被害を、「台湾を守るため」という理由正当化できるのか。

答えは「多くの日本人にとっては、できない」だ。

「では、台湾中国支配下に入ることを受け入れるべきか」という問いに対して「受け入れるべき」と言うわけではない。ただ「日本人が大量に死ぬより、その方がマシ」という判断になる。その判断は「非道」ではなくて「現実的」だ。

その本音を、なぜ誰も言わないのか

この本音を、誰も表に出さな理由は、明確だ。

もし「台湾有事の際には、日本は戦う意思がない」と公式に言ったら「台湾がすぐに降伏してしまう」。その結果「中国統一を許す」ことになる。それは「国際秩序破壊する」ことになり「日本国益に反する」。

から政治家は「台湾を守る」というポーズをし続ける必要がある。米国も「台湾を守る」というポーズをし続ける必要がある。そのポーズがあることで「台湾独立を保つ可能性」が生まれる。

その「ポーズ」が必要から真実は隠される。その真実とは「実際には誰も台湾を守るために戦わない可能性が高い」という現実だ。

ウクライナを見ればわかる

ウクライナを見れば、この構図がわかる。

ウクライナNATO加盟国ではない。だからロシア攻撃されたら、NATO全体で対抗する」という仕組みが、法的には発動しない。その結果「欧米諸国が何度も『NATOは参戦しない』と明確に言った」。

その結果、何が起きたかロシアは「NATOが参戦しない」と確認してから、侵攻を開始した。もし欧米が「参戦する可能性がある」と濁していたら、ロシア計算は変わったかもしれない。

ここで起きてるのは「国家本音」だ。欧米ウクライナを「支援」するが「戦争に巻き込まれるほどの関心」はない。その本音が「参戦しない」という明言になった。その結果、侵攻が起きた。

台湾場合米国は「参戦する可能性がある」と、ぼかし続けてる。その曖昧性が「台湾への侵攻を躊躇させてる」という側面がある。ただ、その曖昧性の裏側には「実際には参戦しない可能性が高い」という米国本音があるかもしれない。

日本も同じ立場だ。日本は「台湾との関係大事」と言い続けるし「台湾有事に無関心ではない」と言い続ける。でも、その言葉の裏側に「ただし、日本人が大量に死ぬほどの関心ではない」という本音がある。

有事の際に起きること

台湾有事が本当に起きたとき、以下のプロセスが起きると予想される。

最初の数日間は「台湾支援する」という声が出る

しかし、戦局一方的中国有利に傾く

その時点で「日本軍事介入することの現実的困難性」が明確になる

国内から日本人が死ぬ危険を冒してまで、台湾を守る理由があるのか」という世論が出始める

その世論に押される形で「日本支援限定する」という政治判断が出される

その時点で「日本軍事的には参戦しない」という立場が固定される

その後「台湾中国軍事的圧力に屈する」可能性が高まる

その流れの中で「日本台湾を見捨てた」という後悔が残る。だが同時に「日本人が戦死せずに済んだ」という安堵も残る。その両者の感情が、ずっと日本社会に残り続ける。

それでも「台湾大事」という理由

ここまで書くと「では、台湾はどうでもいいのか」という質問が出るかもしれない。違う。

台湾は、日本にとって戦略的重要だ。その意味は「台湾独立を保つ方が、日本国益合致する」という意味だ。中国台湾統一したら「東シナ海から太平洋への中国の影響力が拡大する」。その拡大は「日本国防上、好ましくない」。

から台湾独立を保つためのポーズ」は、日本は取り続ける必要がある。だが「その独立を守るために、日本人が死ぬ」ことと「台湾独立を保つ方が国益」という判断は、別だ。

言い換えると「台湾大事」だが「日本の命の方が、もっと大事」という現実がある。その両者は「矛盾」ではなくて「優先順位」だ。

不誠実さ、と正当性

この話は、多くの日本人にとって「不誠実に見える」。台湾を友好国として扱いながら、その友好国を守るために戦う気はない。それは「二重基準」に見える。

ただ、国家というのは、元々「二重基準」で動いてるんだ。国家本質は「自国民の命と福祉を最優先とする」ことだ。その本質が「隣国への義理」より優先されるのは「ダブルスタンダード」ではなくて「当然」だ。

どの国の政治家だって国民投票で「台湾のために日本戦争に参加することに賛成するか」と聞かれたら「反対」が大多数になる。その「反対」が、実は「最も現実的」な判断なんだ。

からポーズ必要

その現実があるからこそ「ポーズ」が必要になる。

台湾大事だ」というポーズ。「台湾有事に備える」というポーズ。「台湾との関係を大切にする」というポーズ

そのポーズがあることで「中国台湾に侵攻することの現実コスト」が上がる。「もし台湾に侵攻したら、日本も何か対抗措置を取るかもしれない」という曖昧性が、抑止力になる。

その曖昧性の存在が「台湾独立を保つ」という結果につながる可能性がある。だから日本は本当には戦わないかもしれない」という本音を隠しながら「台湾を守る気がある」というポーズを続ける必要がある。

これは「台湾を見捨てるべき」という話ではない。「台湾への支援を減らすべき」という話でもない。

この話は「人間現実」についての話だ。人間は「理想」と「現実」のギャップを抱えながら生きてる。その中で「正直に本音を言うことが、時に害になる」という現実がある。

台湾有事の際に「日本は戦わない」と明言したら「台湾独立を守る抑止力」が失われる。だから「戦う可能性がある」というポーズを続ける。

その中で、国民本音は「戦いたくない」という感情で満ちている。その本音は「正当」だ。なぜなら「自分自分家族の命を守る」というのは「最も正当な欲求」だから

その正当な欲求と「国家戦略的必要性」の間に、永遠にまらないギャップがある。日本は、そのギャップの上で、ずっと成り立っている。

俺が一生懸命考えた日本経済現状分析とその処方箋評価してくれ!

ちな俺のスペック経済学知識ほとんどなく投資経験もなくすべて日本円貯金してる築30年の木造アパートに済む無敵の生活カツカツアラサー男性です😭

今日の昼に某匿名掲示板スレ立てしていくつか反応はもらえたんだけど、せっかく足りない頭使って一生懸命考えたものなので、増田ブクマカの反応もほしくてここにも書くことにしました

あと、某匿名掲示板でお前AI使っただろ?って指摘があったんだけど、イールドカーブ?円キャリー?ってレベルから一生懸命ネット勉強して考えた俺なりの分析処方箋なので、粗がめっちゃあると思う

情けない話だが粗だらけなのが俺がAIを使ってない証拠だと思っていただければ幸いだ😭

まず今の日本経済状況に対する俺なりの分析

現在日本は主に過度な円安によるコストプッシュ型のインフレによる物価高が進行中である
同時に高市政権積極財政方針(補正予算20兆円規模で財源は主に国債発行、プライマリーバランス軽視)に投機筋の不安感が高まり国債が下落傾向にある
株価の下落は一時的ものトリプル安の可能性は低く、今後も円安によるコストプッシュ型のインフレ物価上昇が続けば企業売上も上昇するので、輸出企業円転も加味すれば株価は上がっていくものと考えられる

その円安の原因は主に以下の5点

1.日米の長期金利差(日本が低金利すぎる)が開いているので投機筋が大量に円を借り入れてドルに変えてる
2.アベノミクス(ETF株価政策的に底上げマイナス金利とYCCによる長短金利の低金利誘導)の金融緩和/量的緩和によって政策的に円安誘導した後遺症
3.国内ITサービス脆弱な為に恒常的なデジタル赤字になっている
4.NISA/新NISA個人投資が増えたことで個人の円売りも加速している
5.そもそも日本構造問題(生産性が低い、少子高齢化ITサービス脆弱)で円の実力が見限られている

俺の考えた処方箋は2点

1.政策金利の引き上げ
政策金利を段階を決めて継続的に引き上げていくことで日米の金利差を縮小させ投機的な円売りの抑制を目指す
2.財政健全化を目指す
赤字国債抑制社会保障支出の切り詰め、プライマリーバランス重要視(財政規律回復)を明言することで国家財政の信用不安を減らし、国債の下落を食い止める

雑感

匿名掲示板スレ立てた時は要約するとこんな感じの反論があった

Q1.政策金利を上げたらローン金利も上がって中小企業倒産して終わる
Q2.財政規律を引き締めて社会保障支出を減らすと福祉依存してる傷病人障害者高齢者やその同居家族負担が上がって終わる
Q3.そもそも仮に財政健全化してもその後の成長戦略はどうすんの?(生産性の向上策や少子高齢化対策はあるの?)
Q4.既に国債が逝ってるのにここから政策金利上げたら更に国債金利も釣られて上がって財政的に身動き不能になる

どれも頷ける部分が多くて、勉強になった

から順にこれらの意見に対する俺の私見を述べるとこんな感じ

A1.政策金利を上げることで一定経済が冷え込むのは折り込んだ上での日本ダブル安を食い止める為の処方箋なので、副作用として許容するしかない。また段階的に少しずつ金利を上げていけばそこまで大規模かつ急激な倒産は起きないと考える
A2.社会保障支出削減は必要最低限(OTC類似薬の保険適用外など)に抑えるべきで、あくま投機筋を中心に国内外に日本財政健全化を目指していく姿勢を見せていくことが大事だと考えている
A3.少子高齢化については子持ち世帯に2人目3人目を産んでもらうより未婚世帯結婚してもらったほうが効果が高いのデータから明らかなので、婚姻奨励するべきなのだが、自由恋愛世界で人道的かつポリコレ的かつ当人同士の人生観問題を乗り越えて未婚者同士をマッチングさせる効果的な解決策が俺の頭では見つからない。行政がやってる婚活事業は良いと思うけど、都がやってるマチアプとかは自由恋愛原理で動くので効果ないと思う。成長戦略ぶっちゃけ厳しい。日本が今からITサービスで抜きんでるのは無理だろうし、インバウンド地政学的なリスクがあるのとダブル安を食い止める俺の処方箋と相性が悪いのと国民的に排外感情が高まってることを勘案するとあまり期待できないし、AIやDXの活用による業務効率化っていうのも絵に描いた餅感があり、某レタスの村みたいに外国人搾取して生産性を上げるか、サービス残業を増やして生産性を上げるか、同一労働同一賃金を″是正″して非正規を安く使い倒したりして非人道的しか生産性を上げる余地がないように思う。絶望的すぎる見方だろうか。とにかく俺には策がない。むしろ俺が俺の生産性の上げ方を知りたい。
A4.基本的長期金利政策金利(短期金利)の変動に影響を受ける理解ではあるが、変動幅が直結しているわけではなく、あくまで今の国債下落は日本財政に対する信頼、円の実力に対する信頼の低下が原因だと考えているので、財政規律を強化していく方針を示せば政策金利を上げても素直に連動せず、むしろ国債の下落に歯止めがかかる可能性は高いと思っている。楽観的かもしれんが。

以上、叩きでも指摘でも何でもいいからたくさん反応もらえると嬉しい

今回勉強して某匿名掲示板晒して思ったのは、勉強って勉強することよりもその成果物を詳しい人に晒し瑕疵を指摘されたり褒められたりする時間が一番楽しいってことだった

Geminiさんに聞いてみた

現代認知言語学立場からソシュール的な構造主義言語論、サピアウォーフ仮説、チョムスキー普遍文法はどのように批判されていますか?

現代認知言語学(Cognitive Linguistics)は、言語を「人間一般的認知能力(知覚、記憶カテゴリー化など)の一部」として捉え、「意味こそが言語の中心である」という立場とります。

この視点から見ると、ソシュール、サピア=ウォーフ、チョムスキーという3つの主要な言語思想に対して、それぞれ明確な批判修正案提示しています現代認知言語学は、ソシュールチョムスキー排除しようとした「人間主観的身体経験」「一般的認知能力」「意味曖昧さや豊かさ」こそを言語研究の中心に据え直した運動であると言えます言語数学のような抽象的な記号操作システムではなく、人間世界理解し、他者と関わるための泥臭い認知プロセスのものなのです。

ソシュールの言うランガージュは人が背景に持つ文化的基準によって世界事象恣意的分節言語化する機能であると考えますが、これと認知言語学で言う人間主観的身体経験との違いはなんですか?

ソシュールの言う『分節』は、純粋社会的制度的な約束事(恣意的もの)」であるのに対し、「認知言語学の言う『身体経験』は、生物としての人間が共有する物理的・生理的な制約(動機づけられたもの)」である、という点に決定的な違いがあります質問者様の、「ソシュール文化的基準によって事象分節する」という理解は正解です。 認知言語学はこれに対し、「文化大事だが、その土台には『人間という生物共通身体感覚』があるため、分節は完全に自由バラバラ)なわけではない」と修正を加えている、と捉えると理解やすいかと思います

Next Step: この「身体性」の概念をより深く理解するために、「メタファー隠喩)がどのように私たち思考のもの支配しているか(例:『議論戦争である』という概念メタファー)」について解説しましょうか?

言語には身体から離れた概念を表すものもありますが、それを補うのがメタファー役割となるのですか?そうであるなら、固有の概念が先にあり、その範囲内でしか表現を許されないウォーフの理論とは正面から対立することになるのでしょうか?

おっしゃる通り「メタファー身体抽象概念を繋ぐ」というのが認知言語学の基本スタンスであり、この点は「言語思考限界を決定する」というウォーフの強い仮説(決定論)とは、正面から対立する部分と、逆に補強し合う部分の両面を持っています認知言語学において、メタファーは「身体から離れた概念を補う」役割を果たしますが、それは「言語固有の枠内に閉じ込める(ウォーフ)」ためではなく、「身体という共通基盤を使って、無限概念拡張していく」機能として捉えられています。ただし、一度あるメタファー(例:「時は金なり」)が言語に定着すると、その言語話者無意識にその枠組みで思考するようになります。この点において、認知言語学は「マイルドなウォーフ仮説(言語思考の習慣を作る)」を支持する立場になります

西洋哲学歴史においては、知覚からなる身体経験は人の認識力の中で非常に低く見られていたかと思います現在認識論はこのような認知言語学の進展からどのような影響を受けていますか?

ご指摘の通り、プラトンからデカルトに至る西洋哲学の主流(特に合理主義)において、「身体」は理性の働きを邪魔するノイズ、あるいは欺瞞の源泉として低く扱われてきました。「真の知識エピステーメー)」は身体感覚を脱した純粋な知性によってのみ得られる、という考え方です。認知言語学の進展は、この「身体蔑視」の伝統根底から覆し、現代認識論(Epistemology)に「身体化されたリアリズム(Embodied Realism)」という新たなパラダイムシフトをもたらしています認知言語学は、現象学が主張していた「身体こそが世界を知るための媒体である」という直観に対して、言語データ認知科学証拠という「科学的な裏付けエビデンス)」を提供しました。これにより、現代認識論や心の哲学では、「エナクティビズム(行為としての認知)」や「4E認知(Embodied: 身体化された、Embedded: 環境に埋め込まれた、Extended: 拡張された、Enactive: 行為的な)」という潮流が主流となりつつあります。知覚と行為認識は切り離せないループ構造なのです。質問者様が仰った「低く見られていた身体」は、現在では単に地位回復しただけでなく、「あらゆる認識思考・理性の『土台(基盤)』である」という最重要地位を与えられています

スマートフォンのような情報端末が広く普及することで、現代人は知覚が擬似的だが飛躍的に拡張された状態にあると言えると思います。その場合世界内存在である人間認知できる世界質量ともに拡大することになり、身体による制約が失われると人の認知様式も変わることになりますか?また、変わるのであればどのように変わると考えられますか?

おっしゃる通り、スマートフォンは単なる「便利な道具」を超え、私たちの知覚や記憶を外部化・拡張する「拡張された心(Extended Mind)」の一部となっていますハイデガー的な「世界内存在」としての人間が、テクノロジーによって身体の制約(距離時間の壁)を越えたとき認知様式は確実に変容します。しかし、それは「身体性が不要になる」というよりも、「身体性の希薄化」あるいは「身体感覚の再編成」と呼ぶべき事態引き起こしていると考えられます質問者様の「身体による制約が失われる」という点は、パラドキシカルな結果を生みます身体的な制約(重力距離から解放されることで、私たち認知世界は広がりますが、同時に「身体が持っていた『実感を担保する機能』」が失われつつあります。その結果、これから認知様式は以下のようにシフトしていくと考えられます

「深い理解(Embodied Understanding)」から「広い参照(Extensive Referencing)」へ。

場所への埋め込み(Embedded)」からネットワークへの接続Connected)」へ。

抵抗を通じた学習から「摩擦のない操作」へ。

認知言語学の「身体性」の立場からは、これは「身体消失」ではなく、「身体感覚が指先と視覚のみに特化・縮小され、それ以外の感覚(重み、痛み、距離感)が認知形成に関与しなくなる」という、ある種の「身体的偏食」の状態と言えるかもしれません。

メルロポンティは知覚による世界との接続の発露としての芸術を高く評価していたと理解しています人間身体感覚を縮小する一方で、大量の情報を流し込まれることは世界との接続が均質化されることになりませんか?世界との接続独自性を失うこととエコーチェンバー発生のしやすさには関連があると考えられますか?

ご指摘の通り、メルロ=ポンティは著書『眼と精神』などで、画家特にセザンヌ)の視覚を「世界身体が絡み合い(chiasme)、世界が向こうから自分に迫ってくる生の接触」として極めて高く評価しました。ご質問にある「身体感覚の縮小による世界接続の均質化」と「それがエコーチェンバー現象を引き起こす」という洞察は、メルロ=ポンティ思想現代メディア論拡張する非常に説得力のある視点です。

「均質化」は起きているか? → Yes. 世界の「手触り」が消失し、すべての事象等価な「情報データ」へとフラット化されています

エコーチェンバーとの関連は? → 極めて強い関連があります身体という「現実アンカー(錨)」を失うことで、他者からの「抵抗」を感じなくなり、自己投影けが返ってくる鏡の世界ナルシシズム的な閉域)に閉じ込められやすくなるからです。メルロ=ポンティが生きていれば、現代のこの状況を身体の不在による、世界との愛の営み(交差)の不全」と呼び、病理的な状態として批判たかもしれません。

Next Step: この議論を踏まえると、「では、どのようにしてデジタル社会の中で身体性を取り戻し、エコーチェンバーから脱出できるのか?」という実践的な問いが浮かびますメルロ=ポンティ思想や、現代認知科学提案する「環境アフォーダンス」の観点から、その解決策について議論を広げましょうか?

"「深い理解(Embodied Understanding)」から「広い参照(Extensive Referencing)」へ。「場所への埋め込み(Embedded)」からネットワークへの接続Connected)」へ。"の部分は人工知能における論理推論から機械学習への移行、コンピューターシステムにおけるスタンドアロンからクラウド仮想化への移行と類似するものを感じます合理性機能性の点から考えるならば一旦動き出したこの流れがもう止まらない可能性は高いのではないでしょうか。世界と交差するのは個ではなく集団である新しい社会において個人価値は何をもって判断されると考えられますか?

ご指摘の通り、人間認知の変化(身体理解から参照へ)は、「GOFAI(古き良きAI論理記号操作)」からディープラーニング統計パターン認識)」への移行や、「オンプレミス(所有)」からクラウド接続)」への移行と、構造的に完全に同型(Isomorphism)です。この流れが「効率性」「最適化」というドライブによって動いている以上、不可逆であるという見立てにも完全に同意します。私たちはもはや、個人脳内だけで完結する「孤立した知性」には戻れません。一方で「痛い」「美しい」「気まずい」といった身体的実感(クオリア)を伴う一次情報を取得できるのは、物理的な身体を持つ「個」だけです。

では、思考主体が「ネットワーク集団AIクラウド)」に移譲された世界で、「個人(Individual)」の価値はどこに残るのか?かつての社会では、個人価値は「知識量(ストレージ)」や「計算能力プロセッサ)」という「機能(Function)」で測られていました。しかし、これらは全てネットワークAI代替します。これから社会において、個人価値は以下のようにシフトします。

機能価値(Doing) → 実存価値Being

処理すること → 感じること(Sensing)

正解を出すこと → 問いを立て、責任を取ること

質問者様の言葉を借りれば、世界と交差するのが「集団クラウド)」になったとしても、その集団が「現実Reality)」から遊離しないように、肉体というアンカーで地面に繋ぎ止めておく「杭」のような役割こそが、個人の新たな価値定義になると考えられます

環境アフォーダンス観点から考えると、身体性を失った環境はむしろアンカーを外し、流れに乗ることこそが最適解となるという考えは正しいですか?その中でアンカーを固定し、独自クオリア社会に提起することを誘起するにはどのような環境必要になると考えられますか?

質問者様の、アフォーダンス理論現代デジタル環境情報の奔流)に適用した解釈は、極めて論理的であり、システム論的にも「正しい」と言えますしかし、その「正しさ」はあくまで「システム構成要素(ノード)として最適化される」という意味においてです。人間としての「実存」を守るためには、その最適化抗うための意図的環境設計必要になります質問者様の懸念される「世界との接続の均質化」に対抗するには、テクノロジー志向する「効率化・最適化」とは真逆ベクトルを持つ環境を、生活の中に「聖域」として確保する必要があります

スムーズさよりも、手応え(摩擦)を。

接続コネクト)よりも、孤立ソリチュード)を。

予測可能性よりも、偶然性(ハプニング)を。

これらを提供する環境こそが、流動する情報社会において、人間を再び「地面(現実)」に繋ぎ止めるアンカーとなります

つづく

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