はてなキーワード: 違和感とは
何年も前に、アンビリバボーかなんかで、「男性の体に違和感を覚え、性転換をした女性」の話を見たのをずっと覚えてる。今みたいにLGBTが流行り出して一般的にも知られるようなる、それよりも前のこと。
まだ幼稚園くらいの少年が、男性器に強い違和感を覚えて、風呂場で爪切りで切り取ろうとしたのを親が発見したみたいな話だった。すごく衝撃を受けた。子のそんな姿を目撃してしまったら、親はそれが気の迷いや趣好ではないと認めざるを得ないと思う。
近年、トランスジェンダーが話題に上がるようになって、「心の性は存在しない」「その性としての規範を押し付けられる苦痛から逃げたいだけ」「ただの性癖」みたいな意見をよく耳にするようになった。
確かに、「性自認というのは生まれつきの体で生きることによって形成される後天的なもの」と聞くと、そんな感じもしてくる。でも、そういう意見を聞く度、いつかテレビで見た少年のことが思い浮かぶのだ。
未就学児の、まだアイデンティティも確立しきらない年齢で、他人からの扱われ方などではなく「自身の身体」に強烈な違和感を持った少年は、なんだったんだろう。
調べてみたところ、心の性は生物学的にも存在する可能性があるらしい。正確に言えば、脳にも男性らしい形、女性らしい形があり、ホルモンや遺伝子の関係で身体は女性なのに脳は男性、と言ったチグハグが生じてしまった際に、性自認と実際の体にギャップを感じるという仕組み。(明確に判明しているわけではなく、可能性があるくらいなのは分かっていてほしい)
そういう人が本物のトランスジェンダーなのでは、と思ってしまう。
ただ、今の世の中では、環境によって後天的に得た「性自認もどき」でトランスジェンダーを自認し、女子トイレに入りたいだとか、女性として競技に出たいだとか無茶言っている人が多いのも事実だと思う。
そういう人を非難するために、「トランスジェンダーなんて存在しない」みたいな論調が拡散されるのを目にすると、本物のトランスジェンダーが可哀想だ、という気持ちになってしまう。これはこれで一種の差別な気もするが。
今Twitterで話題になってるノンバイナリーに対する非難とか、すごい気分悪い。当事者の声を無視して、女性として嫌な気持ちになったことがあるだけの人たちが、「女性として差別されるのが嫌だから女性から逃げた」とか言ってるの吐き気。分かんないなら黙ってればいいのに。
ところが前日の金曜、参加予定の人から突然
「インフルエンザになったので不参加で…」
と連絡が。
私はめちゃ心配して「お大事に」と返信し、会場に人数変更をお願いしたりとバタバタ。
なのに周りのみんなは妙に冷静で、なんとなく違和感…。
どうも“他の面子と話が噛み合わなかった理由”が全部そこに書いてあったのでちょっと書いておくよ。
「来週は忘年会だけどどうしよう…」
「行きたいような行きたくないような…」
完全に“不参加の理由探し”が始まってる。
いや、その人は肝機能の都合で「食事制限してるから食事なしで参加できる?」って参加の相談しただけ。
結果参加は見送ってもらってますよね…?
どう解釈すれば“参加しない人の分まで割り勘になる”って発想になるんだろう…。
ここで私の中の違和感が一気に爆発。
外出できる元気はあるのね…?
昨日ふつうに出掛けてたじゃん?
いやいや行動力!
この日はメッセで「明日はたまたま◯◯さんのの誕生日だからサプライズでプレゼント準備しよう」という話題を私が初めてふったんだよね。
つまり、11/29の日記の“プレゼント代”への不満と整合性が完全に迷子。
その“個室”どこから出てきた…?
ここで周りが四面楚歌。
実際は12/5に不参加連絡してたよね?
嘘をつくひとは嘘をついてる感覚って無いもんなんですかね?
忘年会自体はめちゃくちゃ楽しかったので結果オーライなんだけど、
ってメッセージ送るつもりだったんですよね。
周りの人はリアタイで日記読んでたんだろうな…なんか…いろいろ察してしまって、言葉が出なかった。
なんだかなあ…。
仮説ね。
住信SBIネット銀行をNTTドコモが買収したでしょう?
ってことはよ?
第二のゆうちょ銀行って考えることができるよね?
もっと広げたら政府系ポイントがdポイント、政府系キャッシュレスがd払いと。
ちょっと過去まで遡れば、JALも公的資金を入れて再生した企業。
っていう経済仮説。
人工知能(AI)の急速な進化は、私たち人間に突きつけられた実存的な問いである。「計算能力において機械が人間を凌駕したとき、人間に残される価値とは何か」。この問いに対し、多くの議論は「創造性」や「直感」といった曖昧な領域に逃げ場を求めてきた。しかし、マックス・ベネット著『知性の未来』と、それを翻訳・解説した脳科学者・恩蔵絢子氏の洞察は、より生物学的かつ哲学的な深淵へと私たちを導く。
彼らが提示する結論は、逆説的である。「AI時代に人間が持つ最大の能力は、感情になる」。そして、「本当に頭が良い人とは、他者に興味を持てる人である」。
一見すると、これは道徳的なスローガンのように響くかもしれない。しかし、認知科学、進化生物学、現象学の知見を総動員してこの命題を解剖するとき、そこには「知性」という現象の構造的な転回が見えてくる。本稿では、二重過程理論、ユクスキュルの環世界、身体性認知、社会脳仮説、そして間主観性という5つの視座を補助線とし、AIが決して到達し得ない「知性」の本質と、これからの時代に求められる「知的な生き方」について論じる。
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まず、私たちが「知性」と呼んできたものの正体を、ダニエル・カーネマンらが提唱した「二重過程理論」の枠組みで再考する必要がある。
伝統的な知能観において、知性とは「システム2(遅い思考、論理、計算)」の能力を指していた。複雑な数式を解き、論理的な推論を行い、未来を正確に予測する力である。現在のAI、特に大規模言語モデル(LLM)は、このシステム2の機能を極限まで外部化・高速化した存在と言える。彼らは感情を持たず、疲労を知らず、膨大なデータから論理的整合性を出力する。
しかし、ベネット氏が描く脳の進化史(5つのブレイクスルー)は、この「システム2至上主義」を根底から覆す。進化の歴史において、論理や言語といったシステム2の機能は、常にシステム1(速い思考、感情、直感)の要請によって開発されてきたからだ。
初期の生物(線虫など)は、「快・不快」という原始的なシステム1のみで生きていた。進化の過程で「予測」が必要になったとき(魚類)、予測誤差としての「失望」や「安堵」という感情が生まれた。さらに複雑なシミュレーション(マウス)が可能になったとき、反事実を嘆く「後悔」という感情が生まれた。
ここで重要なのは、「論理が感情を抑制するために進化した」のではなく、「感情をより細やかに処理し、生存確率を高めるために論理が進化した」という事実である。システム2は、システム1というエンジンの出力を最大化するためのトランスミッションに過ぎない。
AIの限界はここにある。AIには「エンジン(生存への渇望、快・不快、感情)」がない。あるのは精巧なトランスミッション(計算能力)だけだ。エンジンを持たない車が自律的にどこへも行けないように、感情という基盤を持たないAIは、自ら「問い」を発することも、「意味」を見出すこともできない。人間の知性の本質は、論理そのものではなく、論理を駆動し続ける「感情の熱量」にあるのだ。
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なぜAIには感情が宿らないのか。その答えは「身体」の欠如にある。「身体性認知(Embodied Cognition)」の視点は、知性が脳という密室の出来事ではなく、環境と相互作用する身体の中に宿ることを教えてくれる。
記事の中で恩蔵氏は、老いによる身体の変化を「老年でしか味わえない内的な経験」として肯定的に捉えている。これは非常に重要な示唆を含んでいる。
生物にとっての「意味(Sense)」は、身体的な脆弱性から生まれる。身体があるからこそ、空腹は「苦痛」となり、食事は「快」となる。皮膚があるからこそ、他者との接触は「温もり」となる。死ぬ定めの身体があるからこそ、時間は「有限」となり、焦燥や希望が生まれる。
AIが扱う情報は、どこまで行っても「記号」である。AIにとって「痛み」という単語は、辞書的な定義や統計的な関連語の集合体に過ぎない。しかし人間にとっての「痛み」は、回避すべき切実なリアリティである。この「切実さ(Stakes)」こそが、世界に色を塗り、価値判断の基準を作る。
身体性認知の視点に立てば、加齢による能力の低下は、単なる「劣化」ではない。それは身体というインターフェースの変化に伴う、世界との関わり方の「再構築」である。
若い頃の強靭な身体で見えていた世界と、老いて動きが緩慢になった身体で見える世界は異なる。その変化を受け入れ、新たな身体感覚を通じて世界を再解釈することは、高度な知性の営みである。AIは「劣化」しない代わりに、「成熟」もしない。身体の変化を通じて世界モデルを更新し続けるプロセスこそ、人間特有の知的な冒険なのである。
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身体を持った生物は、それぞれの感覚器官が切り取った主観的な世界、すなわち「環世界(Umwelt)」の中に生きている。ユクスキュルが提唱したこの概念は、知性の進化を「孤独からの脱出劇」として描き出す。
ダニにとっての世界は「酪酸の匂い」と「温度」だけで構成されているように、すべての生物は自分の環世界というシャボン玉の中に閉じ込められている。本来、他者の環世界を知ることは不可能である。私はあなたの痛みそのものを感じることはできないし、あなたが見ている「赤」が私と同じ「赤」である保証もない。
この「絶対的な孤独」こそが、生物としての初期設定である。しかし、ベネット氏が指摘する第4、第5のブレイクスルー(メンタライジング、発話)において、人間はこの壁に挑み始めた。
「他者に興味を持つ」とは、自分の環世界という安全地帯から身を乗り出し、他者の環世界を覗き込もうとする無謀な試みである。「あの人は今、何を考えているのか?」「なぜ悲しい顔をしているのか?」。これは、自分の感覚データ(システム1)だけでは完結しない。高度な推論と想像力(システム2)を総動員して、見えない他者の内面をシミュレーションしなければならない。
恩蔵氏が「他者に興味を持つことは難しい」と述べるのは、これが認知的に極めて高コストな作業だからだ。自分の環世界(自分の話、自分の関心)に浸っている方が楽なのだ。しかし、あえてそのコストを支払い、他者の世界へ「越境」しようとする意志。それこそが、人間を人間たらしめている知性の正体である。AIには環世界がないため、そもそも「他者の世界」という概念自体が存在しない。
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なぜ人間は、これほどまでにコストのかかる「他者理解」という能力を発達させたのか。ロビン・ダンバーの「社会脳仮説」は、それが「集団での生存」に不可欠だったからだと説明する。
自然界の脅威(猛獣や寒さ)に対処するだけなら、これほど巨大な脳は必要なかったかもしれない。しかし、人間にとって最大の環境要因は「他の人間」であった。誰が味方で、誰が裏切り者か。誰と協力すればより多くの食料が得られるか。
他者の心は、天候や物理法則よりも遥かに複雑で、予測不可能な「変数」である。この変数を読み解くために、脳は巨大化し、知性は進化した。記事にある「会話の70%は噂話」という事実は、私たちが情報の交換以上に、人間関係のメンテナンス(社会的グルーミング)に知能のリソースを割いていることを示している。
この文脈において、「頭が良い」という定義は劇的に変化する。それはIQテストのスコアが高いことでも、計算が速いことでもない。
真に知的な個体とは、「他者の意図を正確に読み取り、共感し、信頼関係を構築して、集団としてのパフォーマンスを最大化できる個体」である。
「他者に興味を持てる人」が頭が良いとされる理由は、単なる優しさではない。他者への関心は、複雑な社会マトリックスの中で生き残るための、最も強力なセンサーであり、武器だからだ。自分の殻に閉じこもることは、社会的動物としては「死」に等しい。他者への好奇心は、生命力そのものの発露と言える。
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そして、知性の進化の到達点は、個人の脳内にも、個別の身体にも留まらない。「間主観性(Intersubjectivity)」の領域、すなわち「私とあなたの間」に生まれる知性である。
記事の中で触れられている「指差し」は、人間特有の驚くべき行動である。チンパンジーは報酬を得るために手を伸ばすが、人間の幼児は「見て!あそこに犬がいるよ!」と、ただ注意を共有するためだけに指を差す。
これは、「私が見ている世界を、あなたにも見てほしい」という強烈な欲求の表れである。ここで初めて、孤立していた二つの環世界が接続される。
言葉、文化、ルール、そして愛。これらはすべて、物理的な実体ではなく、私たちが共有することで初めて存在する「間主観的」な現実である。
AIは「客観的なデータ」を処理することはできる。しかし、「あなたと私の間だけで通じる冗談」や「阿吽の呼吸」、「信頼」といった、主観と主観の間で紡がれる現実を作り出すことはできない。
恩蔵氏が翻訳を通じて感じた「人間の宝」とは、この「心の共有」の可能性そのものであろう。私たちは、他者の心に触れることで、自分一人では決して到達できない豊かな世界(拡張された環世界)を生きることができる。知性とは、個人の所有物ではなく、関係性の中に宿る現象なのだ。
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以上の分析から、AI時代における「知的な生き方」の輪郭が浮かび上がる。それは、AIに対抗して計算能力を磨くことでも、AIに仕事を奪われないように効率化を目指すことでもない。むしろ、AIが捨て去ったもの、あるいは持ち得ないものを、徹底的に深める生き方である。
AIは効率と最適化の権化である。対して、人間の知性の源泉は「感情」や「身体」といった、一見非効率なノイズの中にある。
知的な生き方とは、効率を追求するあまり、感情の揺らぎや身体の実感を切り捨てないことだ。迷い、後悔し、喜び、痛むこと。これらの「ノイズ」こそが、世界に意味を与え、独自の価値判断を生み出す土壌となる。
「本当に頭が良い人」になるためには、意識的に「他者への旅」に出る必要がある。
SNSのアルゴリズムは、私たちが心地よいと感じる情報だけを見せ、環世界をより狭く、強固なものにしてしまう(フィルターバブル)。知的な態度は、その快適な殻を破ることから始まる。
自分とは異なる意見、異なる背景、異なる身体性を持つ他者に対し、「なぜそう感じるのか?」と問いかけること。自分の正しさを一旦脇に置き、相手の環世界に身を浸すこと。この「認知的負荷」をあえて引き受ける勇気を持つことだ。
AIは「答え」を出すことにおいては人間を凌駕する。しかし、「問い」を立てることはできない。問いは、「こうありたい」「これはおかしい」という、身体的な違和感や理想(感情)から生まれるからだ。
また、AIはデータを羅列できるが、「物語」を生きることはできない。私たちは、他者との関わりの中で、それぞれの人生という物語を紡いでいる。
これからの知性とは、正解のない世界で、他者と共に悩み、対話し、新しい「納得解(間主観的な合意)」を形成していくプロセスそのものを指すようになるだろう。
マックス・ベネットと恩蔵絢子が示したのは、冷徹な計算機としての脳ではなく、熱を帯び、他者を求め、身体を通じて世界と震え合う臓器としての脳であった。
AI時代において、私たちは「賢さ」の定義を、Cold Intelligence(処理能力)から Warm Intelligence(共感と接続の能力) へとシフトさせなければならない。
老いて記憶力が衰えようとも、計算が遅くなろうとも、目の前の人の手の震えに気づき、その心に思いを馳せることができるなら、その人は最高に「知的」である。
他者の心という、宇宙で最も複雑で、不可解で、魅力的な謎に挑み続けること。その終わりのない探求こそが、機械には決して模倣できない、人間の知性の最後の聖域となるだろう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/be7a5812ddaf607d08bb52f0663554ab39a9389c
ガールズグループのメンバーがノンバイナリー公表してバスト切除したってニュース見てああと思った
普通に生きてこれたのは
男の視線変わってああ男ってまじ胸しか見てないんだなって実感したな
胸さえなければみんな自由に生きられるのにね
ガールズグループのメンバーがノンバイナリー公表してバスト切除したってニュース見てああと思った
普通に生きてこれたのは
男の視線変わってああ男ってまじ胸しか見てないんだなって実感したな
胸さえなければみんな自由に生きられるのにね
昨今、生成AIが急速に発展している。多くの人々が日常的に利用していることからも分かる通り、かなり便利なものであり、「もはや生活に欠かせない」という人も少なくない。
某ボーカロイドとの結婚話を思い出させるように、「生成AIと結婚した」なんて話すら聞くほど、AIに親しみを覚える人もいるらしい。
ここで私が書きたいのは、そうした生成AIそのものの礼賛ではない。
我々の生活に浸透しつつある生成AIがどのようにビジネスに利用され、その過程でどれだけ多くの人が「生成AIビジネス」に騙されているか、という話だ。
なお、これは酒に酔った勢いで書き殴っているので、多少の論理構成の破綻はご容赦いただきたい。
生成AIビジネスと一口に言っても、その形態はすでに数多にわたっている。私の知る限りでも、
といったものがある。
初期に流行ったのは、生成AIの画像生成機能を使って漫画を量産し、それを販売するタイプのビジネスや、某動画配信サービス上でDeepFake動画を配信して最終的にアダルトサイトに誘導する手口だった。
正直、最初に見たときは「よくこんなことを思いつくな」と感心もした。
その後は、AIで作っただけの電子書籍や「AI活用ノウハウ」資料を量産して売るような商売が中盤戦として横行し、
最近では「AIでコンテンツを開発して販売する」こと自体を売りにするサービスも増えてきた。
ちょっとした自動化ツールやラッパーに「AI◯◯」というラベルを貼るだけで、値段が跳ね上がるような世界になっている。
こういったビジネスが存在することそのものに対して、私はそこまで強い嫌悪感を抱いているわけではない。
技術を使って金を稼ぐことは、資本主義社会では当たり前の営みだからだ。うまくやったやつが儲かる、それ自体は仕組みとしてそういうものだと割り切っている。
そのものというよりも、**それに対して一定以上の賛同や尊敬を向けてしまう人々の「AIリテラシーの無さ」**だ。
「AIがやってるからすごい」「なんか未来っぽいからすごい」という理由だけで思考停止し、
「これはすごいに決まっている」と信じ込んでしまう態度に、強い違和感を覚えている。
私はエンジニアという立場もあって、日常的にコーディングエージェントを多用している。
例えば、
といったツールを、実際にコードを書かせたり設計させたりしながら使い比べている。
だからこそ、Gemini が普及した途端──
もっと言えば、「無料でそこそこ使えるコーディングエージェント」が出た途端に、Gemini がまるで**「一番優れている存在」**であるかのようにもてはやされる状況に、どうしても納得がいかない。
コードの設計力や実装力、バグの出方、長期的なコードベースとの相性、そういった観点から言えば、私は今でも Codex を高く評価している。
タスクによっては、明らかに他のエージェントの方が適していると感じることも多い。
にもかかわらず、
というだけの理由で、「Gemini が一番いい」「これさえあれば他はいらない」という空気が形成されていく。
本来であれば、
評価軸が
ここにもやはり、道具を適切な距離感で評価できない姿勢を感じてしまう。
ここまで好き勝手に書いてきたが、こういうことを考えるようになったきっかけになったエピソードを一つだけ挟ませてほしい。
最近は、生成AIごとの得意分野や癖を活かして、一つのタスクを複数の生成AIに並列でやらせ、その成果物を比較して一番マシな案だけを採用するという手法がある。
いわば「個体値ガチャ」のようにAIを回すやり方だ。私はこの発想自体はかなり理にかなっているし、素直に素晴らしいと思っている。
同じ理由で、いわゆるオーケストレーション系の手法もとても良いと思っている。
ただ、これを人力でやろうとするととにかく面倒くさい。
そこで、ある程度このフローを自動化してくれるGUIアプリがあることを知った。
という三拍子が揃っていた。
とはいえ、このあたりはアップデートを重ねれば改善できる話でもあるし、その点だけを永遠に責め立てるつもりはない。
コンセプト自体は本当に良いと思っているからこそ、余計に惜しいとも感じている。
私が本当に警鐘を鳴らしたいのは、そのアプリそのものではなく、その開発者の周りに群がる人たちの方だ。
宗教団体の信者のようにメリットしか語らないレビュアーたちが、
「革命的だ」
「これ一つで人生が変わる」
と持ち上げる一方で、価格の高さやUXの悪さ、セキュリティリスクといった問題点についてはほとんど触れない。
これでは、せっかくのコンセプトが面白いアプリなのに、肝心な欠点がいつまでも修正されないだろう。
しかも厄介なのは、ここに群がっている人々の多くが、同じくAIビジネスを主導する側の人間だという点だ。
自分と利害が一致する相手を互いに持ち上げ合い、「これは素晴らしいものだ」という空気だけを増幅させていく。
その構図が、余計にタチが悪い。
まあ結局、ここで私が何を言いたいのかというと、そろそろAIに対するリテラシーを本気で身につける時期なんじゃないか、というただそれだけのことだ。
結局のところ、ここで言っていることは従来の「情報リテラシー」とほとんど同じだ。
ただ「AIすごい」「AIがこう言っているから正しい」に思考停止するのではなく、
そのAI発の情報や、AIを巡る言説が本当に妥当なのかを自分で判断する力が必要になってくる。
そして、自分が少しでも「ん?」と疑問に思ったものに対しては、いったん距離を置き、俯瞰して眺める態度が大事だと思う。
「これは誰が得をする話なのか」
「自分は何に惹かれているのか(機能なのか、ブランドなのか)」
そのくらいの距離感を持ってはじめて、ようやく私たちは生成AIとも、生成AIビジネスとも、まともな付き合い方ができるようになるのかもしれない。
話が色んな方向に飛ぶのでご注意を。
月曜から夜ふかしという番組で大山のぶ代に声の似ている方が紹介されていたのを記憶していた。それで少し考えたけど(既に水田わさび氏の演じる回が放送されているので仕方ないが)大山のぶ代によるドラえもんが新しく演じれなくなった時点で、テレ朝はドラえもんを終了させなくてはならなかったのでは?と考えるようになった。酷な現実だが、ドラマはキャストビジュアルと声がどうしても必要だけど、アニメでは究極的にキャストビジュアルは不必要で声だけが必要でしょ?(という解釈が出来るでしょ?という意味で申し上げている)大山のぶ代の声は後にも先にも恐らくは唯一のもので、それを演じれる者がいなくなった時点で時代にピリオドが打たれたと言って過言じゃない。と言うか、個人的にピリオドを打たなければならなかったと考えている。
何でこんなことを言い出すのかと問われれば、新キャストに対する制作側の非常に厳しい指導を見ていて強い違和感を抱いたから。制作側(局側)はドラえもんをどうしても続けたいという意向が強かったのだろうが、これからの時代にああいうポリシーが肯定されても良いというのは、何か違うんじゃない?と思った(上手く言語化出来ない)。「昔の方が良かった」論ではなく、物凄く嫌な言い方をすると「既得権益にどっぷり浸かっている」論で見ている(この論で言うと現在のちびまる子(TARAKO)やポケモン(松本梨香)等は少なからず該当するが、ポケモンはアニメというよりゲームの印象が強いので若干例外な気もする)。
ドラマの話で例えると、例えばフジのショムニの最初期キャストと最新キャストは全然違う、同じくフジのHEROも踊る大捜査線も。古畑任三郎と言えば田村正和だけど、じゃあ新キャストで制作側が新作検討するだろうか?(私の論の抜け穴として、TBSの水戸黄門や渡鬼は、前者は何度もメインキャストをチェンジしてるし、後者は泉ピン子ではなくとも何とかなってしまうのではないか?と思ってる節があるので、やはり上手く言語化というか主張出来ない)
アニメに話を戻すと、キャストビジュアルは決して重要ではなく、第一優先は声じゃない?(この理屈で言うと、宮崎駿が庵野秀明をキャストとして採用した理由や経緯がよく分からない)。であれば、暴論を承知で言うけどドラえもんは「大山のぶ代の声を可能な限り忠実に再現出来る者にバトンタッチしなければならなかった」のではないかと考える。
多分だけど、私がどちらかと言うと右派思考をしているからこんなことを言い出したのだと思う。
直接関係は無いが、ホリエモンが劇に手を出したのは肯定して良いことだと思ってて、新陳代謝を促している例だと思う。
一つのものを長く続けるのは結構だが、数を増やす(選択肢やチャンス)のも必要だと思う。緒方恵美氏が「声優は選ばれた者しかなれない」といった旨を言っていた気がするが、果たしてそれが本当に正義?演じることってそんなに難しく村社会でならないといけないもの?
寧ろ、トムとジェリーみたいなキャストレス(準キャストレス/例えるならチャールズ・チャップリン)アニメーションが日本で流行らないことの方が、些か問題だと思う。
如何でしょうか?
GPT-5.1と壁打ちして整理した。私が現時点で考えていたことの記録として。また時間が経ったら見返したい。
## 1. 生の非選択性
## 4. 苦痛の持続と不可逆感
## 5. 死=解放としての認識(※ここは状態の記述であり肯定ではない)
🟥 第3章:タタルスキー、広告コピーライターとして“覚醒”する章
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第3章は、タタルスキーが 初めて“プロのコピーライター”として本格的な仕事を始める 章です。
ここで、彼は 広告言語の魔術的な性質 を体で理解しはじめます。
という重要な章です。
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• ボロボロの服
• ソ連的な内気さ
• かすかな不安
オフィスに入ると、昨日と同じような 軽躁的で混沌とした空気 が流れている。
• 誰もが急いでいるようで、何をしているのかわからない
タタルスキーは「これはソ連とは別の論理で動く世界だ」と直感する。
⸻
◆ 2. 最初の正式な仕事:外資系ブランドの“ロシア向け翻訳”
• 外資は“アメリカ的なノリ”をロシアでもそのまま通用させたい
アメリカ的イメージをロシア的無意識の中に植え付ける“媒介”になること。
ここに、後のストーリー全体を貫くテーマがすでに露出している。
⸻
それは短い英文だが、
直訳すると完全に意味不明で魅力がない。
彼は頭を抱えるが、その瞬間、脳内で
が動き出す。
• ロシア語の語感
• 古い詩の記憶
これらが混ぜ合わさり、
ここが第3章の核心。
タタルスキーは気づく。
この理解は、後に政治と宗教と広告が融合する最終局面に繋がる“重大な伏線”になる。
⸻
• 「この曖昧さが逆にイイ!」
広告世界に詳しい彼らは、すぐにタタルスキーが“異常に適性が高い”ことを理解する。
(※タタルスキーはここで“イメージ産業の本質”を初めて理解する。)
⸻
タタルスキーは、自分の生み出したコピーを見て奇妙な感覚に陥る。
• これは本当の意味では何も言っていない。
• 罪悪感でもあり、陶酔でもある。
タタルスキーはすでに
へと足を踏み入れている。
⸻
◆ 6. “外資ブランドとロシア社会の接続”という大きなテーマが出現
西側ブランドは単なるスナックやドリンクを売りたいわけではない。
• 夢
• 西側への憧れ
として位置づけられる。
⸻
代理店は“前払い”のような形で金を渡す。
• これまでの収入とは桁が違う
タタルスキーは金を眺めて悟る。
「現実は変わった。
⸻
◆ 8. 第3章のまとめ(象徴的整理)
項目 内容
主要イベント タタルスキーが本格的にコピーライターとして仕事開始
物語的役割 タタルスキーの“広告魔術師としての覚醒の第一歩”
第3章は、タタルスキーが
です。
最近、訪問営業のトラブルに巻き込まれたので、記録として残しておく。11月下旬の夜、インターネット回線の営業を名乗る人物が突然来て、「この建物全体で回線を変えることになった」と言われ、某光回線の契約を進められた。その時点でいくつか違和感はあった。昼間に不在だったお宅は夜に来たと言われたが、その日は家にいた。数日前に青いチラシを入れたと言われたが、毎日ポストを確認していのに見ていない。管理会社の依頼か尋ねたとき、答え方に迷うような反応があった。今思えば、その時点で慎重になるべきだった。
12月6日に工事が行われたが、作業員の説明が「建物全体の工事」には聞こえず不審に感じ、工事後に管理会社へ確認したところ、そのような回線変更の話は聞いていないと言われた。そこで初めて、これは訪問営業だったのかもしれないと気づいた。
解約しようと光回線会社に電話したが、案内された解約窓口がなかなかつながらない。保留のまま待っても出ない番号が複数あった。消費生活センターにも相談し、説明と実際の内容が食い違う点で主張できる可能性があると助言された。その後、別のサポート窓口にも連絡したが、最終的には契約時の営業会社へ伝えてほしいと言われた。営業会社の番号を教えてもらい、営業時間内に電話したところ「折り返します」と言われたが、その後連絡は来ていない。
契約時には「工事費はかからない」と説明されたが、実際には分割+割引で実質負担がないだけで、金額自体は存在するとの説明になっていた。工事が終わってしまった後は通常の解約扱いになり、工事費・使用料・違約金が発生する可能性があると言われた点も納得がいっていない。現時点では、説明と実際の状況がかみ合っておらず、解約窓口もつながらず、営業会社からの折り返しもない状態が続いている。
怖い。
まず先に断っておくと詐欺に遭ったことは本当だが、この文章はAIに書いてもらっている。
理由はまだ傷が癒えきっていないことと、自分の言葉で振り返ることができるほどまだ冷静ではないからだ。
ちょうどAmazonで注文していたから、疑いなんて一切なかった。
URLを踏んで、開いたページのロゴは完璧にクロネコ。フォントも、黒×黄色の配色も、文面も“本物”。
追跡番号っぽい数字が一列あって、それを見たときにはもう「これは本当のやつだ」と思い込んでいた。
“そういうものだと思った”のが一番の失敗だった。
カード番号。
有効期限。
全部入れて送信。
……画面が固まった。
次のページに進むでもない。
戻るでもない。
「あれ?」と思った瞬間には、もう取り返しがつかなくなっていた。
翌日、昼。
スマホが鳴った。
「本日の深夜、海外で約10万円のご利用があります。ご本人様でしょうか?」
血の気が、すっと引いた。
呼吸がうまく出来ない。
指も震える。
深夜なんて爆睡してたのに。
合計 107,840円
頭が真っ白になって、
パスワード変更。
全部仕事中。
全部俺のせい。
でも、何の救いにもならなかった。
すると必ずこうなる ↓
固定費が全滅する
引き落とし日にカードが止まってたら
→ 支払い失敗 → 催促メール → 最悪停止
再発行まで1~3週間。
その間、ずっと不便
同じ失敗をする人が、これ以上増えないようにこれを書いている。
忙しい日ほど。疲れた夜ほど。
だれでも、だれでも、だれでも落ちる。
次に来るそのメールは、本物のフリをした“狩りの罠”かもしれない。
周りに言えない恥ずかしさ。
夜になると、あの時入力した数字を相手が眺めていたと思うと吐き気がした。
スマホに触るのが怖い。
ネット通販の決済画面を見るだけで動悸がする。
後から見返せば変なんだ。
そして何より、配送業者がクレカ情報を要求するはずがない。でも、その瞬間の俺は、「現実に起きていること」だけしか見てなかった。
もう一度言う。
首相の「地方は東京を見習って」発言に違和感 平井知事、県議会で言及
https://www.nnn.co.jp/articles/-/651252
いや、最悪のトンデモ発言だね
でも東京にはそんなこと知るかと、都会は女性が子を産めとか言われない快適な環境で地方はクソと言い人生謳歌してる女性がたくさん居るわけだけど
その発言の裏に暗にあるのは
『私ら産まないから、お前らが産め。私の快適な生活を崩壊させないために』
と、地方に自分たちがやりたくない出産を強いてるに過ぎないんよね
東京に人が流入しなかったらこんなもん速攻で凡ゆるサービスが人材不足で破綻して行って当たり前よな
何ならこれは外国人受け入れにも言えることでさ
日本人『私らはもう産まずにやっていくから、お前らの子供(労働力)をよこせ』
と、海外の人に自分たちがやりたくない出産育児を強いてるわけだ
いや、清々しい屑よな
そもそも産みたくないから産まないなんて選択は生物的に終わってる
こんな極論にはどうせ、「そんなクソな種族は滅んでも構わない」とかなんとか抜かすんだろうけど
いざ身近なサービス、例えば物流が人材不足で止まってネットで買ったものが届かなかったり警察不足で治安が悪化したり医者不足で医療にもかかれなくなったり医療費がクソほど上がったり、地方の衰退で畜産物農産物が全て海外からの輸入頼りになり馬鹿みたいに物価が上がったりしたら、政府のせいだとか愚痴愚痴言うんだろう
産まないことによる見通しや覚悟なんてないだろうから、手に取るようにわかるわ
なんならこんな見下した意識で取り込んできた外国人に、減少した日本人はいずれこの国を明け渡すことになって、日本人の国は終わりを告げるんだろう
その時には新たな政府に不平不満を言える立場かどうかすら保証はない
日本人が日本人の国をやっていくならさ、やっぱり女性は産むべきよ
グロテスクと言われようが生物的にも道理だし、なんなら日本に限らずどの国にも言えること
他所の女性に出産育児を強いて人材だけ買い取るような状況はそれこそフェミニズム的にもグロテスクに思うし情けない
無論海外からの帰化制度はあって良いし、人材不足でどうしようもない分の外国人労働者の受け入れ、人としての学術や技術の共有や文化的交流、海外支援など、そうしたものはあるべき
地方も都会も隔てなく、子を産み育てやすい環境づくりは当たり前にしていかなければならないことで、逆に選択肢として女性は子を産まなくても良いなんて価値観は、地方や海外から人材を吸い上げて成り立ってる裕福な都会の破綻した世迷言と結論づけて良いと思う
「水の星へ愛をこめて」ってさ
売れないアイドルの曲をタイアップされてリアタイのガンダムファンは違和感なかったの?
それともやっぱり最初から名曲!後期OPにふさわしい!みたいな扱いだったの?
https://superprofile.bio/xemhoangtuquyfulllau
https://superprofile.bio/hoangtuquythuyetminh
https://superprofile.bio/xemphivudongtroi2fulllau
https://superprofile.bio/phivudongtroi2thuyetminh
https://superprofile.bio/xemlaulongdienhuong
https://mez.ink/truytimlongdienhuongthuyet
でも日本人ですら過半数が論文を書いたことがない人なんじゃないの?
馬鹿か天才かに限らずこの種の概念の要件には少数派であるというのがあるんじゃないの?全体の過半数を超える集団を天才と呼ぶのに違和感を持つなら馬鹿と呼ぶのにも違和感を持つべきに思うが
dorawiiより
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37歳夫婦で持ち家あり、ローン無し、車一台で総資産4000万(現金と株で半々くらい)を達成できた。
その理由としては、いくつかあるけれど、
夫婦両方
ブランド品、車などに興味無し。生活必需品や家電なども、ニトリなど安いものでも使えれば十分と考える。スーパーも地域で安いところによく行く(特別無理はしていない)し、買う肉も一番安い鶏肉が多い。また、毎月の収支が黒字じゃないと強い違和感を感じる。
・田舎が好き
2人とも田舎出身で、土地代や物価が安く、生活コストが低い。また、そういう所の方が静かでむしろ好き。都心部は美味しい店や買い物できる所が多く、楽しいが出費が増える。
一番高い買い物だったが、土地込みで2200万ほどの建売(4LDKで4人暮らしには十分)にした。最初、注文住宅も検討したが、それだと合計4000万は超えたと思う。家は定期的に色々コストがかかる為、負債。そもそも2人とも家にこだわりはなく、建売でも満足出来ている。
・投資を始めた
主にNISAを使ってインデックス投資の積立を30歳くらいから続けていた。これが数百万の含み益が出ている。投資の知識はお金の大学(今のYouTube リベラルアーツ大学)から学んだ。
私(夫)
・ビジネスが好き
過去にブログと、あとは中古せどり物販でスモールビジネスを2回当てている。スモビジでも軌道に乗ると年収1000万を超えてくる。
もともとビジネスに興味はなかったが、20代の時に会社が嫌すぎて、自分の力で稼ぐ必要性を感じ、実践してビジネスの世界にどハマりした。
ずっとサラリーマンだけを続けていれば、これだけ資産が増えるのは無理だろう。サラリーマンとしては大体平均年収位だったが、今は独立している。
ちなみに、スモールビジネスは色々挑戦しているが短期撤退も多く、自分に合ったものに集中する感じで選別している。
また、学歴だが、大学は2ヶ月の勉強で入った、いわゆるFラン大である(専門学校を10月で中退し、入れればどこでも良かった)。給料の高い大企業に入った事はない。(履歴書で面接が通らない、通りにくい)。
嫁
仕事は介護職で高収入ではないが、ずっと実家暮らしの為、ひたすら貯金できたとの事。
ちなみに介護職でも夜勤メインなら割と高収入になるっぽい。生理が止まったりと体調は悪化するので、結婚後は昼職メインに変更した。
まとめると、
・お金を使わない
人気者が憎い!エリートが憎い!儲けてるのがなにより憎い!!って
80年代のイケてるセンスの看板でデコりたい乙女ジジイなのかな?
そうだとしたら、ロックンロールごっこを闊達にお楽しみのザマは、大変ご壮健のご様子で、結構なことですね。
年末の寒さ厳しき折、御身体お冷やしにならぬよう、十分にご自愛ください。
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ポリティカルコメディの佳作。増田政治クラスタは見たら笑ったり怒ったりできると思う。72点。
衆議院解散直前に地盤ガチガチの大物議員が倒れ急遽娘、宮沢りえを担ぎ出すことに。10年秘書を務める窪田正孝は政治の世界も世間も知らない素人娘のサポートにてんやわんや。なにもかもうまくいかない選挙活動を続ける中お互いの心境変化があって……
というお話。
個人的に若干ノイズだったのが宮沢りえの役が「バカ政治家」をカリカチュアしすぎていて現実感が薄いこと。
作中でどうやら父親に金を出してもらってネイルサロンを開いてそこのオーナーをやっているらしいことが示されるが、それ以外のパーソナルな情報をごっそり削ぎ落とされているので「そういう存在」として突然生み出されたような違和感がある。
政治家の娘でずっと秘書をやっていたので世間のことがわかっていない。はわかる。
政治家の娘だけど政治に関わっていなかったので政治のことがわかっていない。もわかる。
政治家の娘だから世間のことがわかってないし、政治に関わってないから政治のこともわからない。
は、そんな奴おるかなぁ……?になってしまう。
いちおうネイルサロンで従業員雇ってお商売やってるわけじゃん。いろんな人と話するわけじゃん。たぶんワイドショーとか好きじゃん(偏見)。世間一般的な炎上政治家リテラシーは備わってるんじゃないかなぁと思うのは、もしかしたら自分が所属するレイヤー以外を俺が甘く見すぎてるだけかもしれないけど。
それくらい宮沢りえは過去のバカ政治家炎上事件タスクを次々こなしていく。まぁそれが楽しいんだろと言われれば、確かに笑いましたけど!?と逆ギレするしかないんだけど、一方でこんなことするかなぁという気持ちもあったというお話。
ただ宮沢りえが自体はバカで無神経で甘やかされて育ったお嬢様を溌剌と演じていたし、政治の世界の波にもまれてワールドイズマインだった自分が崩れていくさまを細やかに演じていてよかった。
例えば、爆笑エピソードとして記者に「少子化問題について一言お願いします」と問われた宮沢りえが「結婚してないのに子供を産まないのは怠慢ですよね!」と答え、それを日本国旗アイコンが絶賛するというシーンがあるんだけど。これ実際に2025年に参政党の神谷が街頭演説でやってて反応もその通りで笑っちゃう、2022年の映画なのに。
また、途中で目的が変わって意図的に炎上しに行く展開になるんだけどその中で、敵対陣営の街頭演説中に乗り込んでいって拡声器で怒鳴りたてて妨害するというめちゃくちゃしよるシーンがあるんだけど、これも2024年の補選でつばさの党がやって大問題になったことと類似する。
気になる人も多いと思うけど逆にそれが面白いと思ったのはこういうズレを笑うタイプの作品に登場しがちな「世間の目」役のキャラが今作では登場しない。
地方議員も後援者も選挙事務所の面々もみんな政治の世界にどっぷりのアウトローたちだし、そこに紛れ込んでくる異分子である宮沢りえは世間感覚ゼロのヤバ女。アウトローたちは普通の感覚で見ればおかしいことを言ったりしたりするのを宮沢りえが「それってマジ?」とツッコミ、宮沢りえが政治的におかしなことをするとアウトローたちがツッコむという構図が楽しかった。
そういう意味ではこの作品では世間の目で見てまともなことはほとんど行われない。
また非常にシニカルにかつ現実的に政治の世界を捕えていて、賄賂の分配は非常にロジカルに単なる業務として行われているし、なによりフフってなったのは公示日に新人秘書に「当選しますかね」と聞かれた窪田が「するよ。世論調査の結果もらってるし、見てない?」と答えるところ。既に圧倒的地盤があるので、それをひっくり返されるだけのトラブルがなければ当選することは最初から決まっているという地方政治のある種の冷たさ。シビれるね。
後半の展開としては父親の政治スキャンダルが報じられさらにそれが事実で他の政治家のように秘書が尻尾切りされてシャンシャンになるところを目撃したり、実は父親の意向ではなく擁立で利害が対立した地方議員たちが「全員で操って各自の利権を最大化するためだけ」に自分が選ばれたことを知ったりして、すっかり政治の世界に嫌気がさした宮沢は落選することを決意する。
また窪田も病院で自分の生き方を振り返っていた宮沢の父親から「お前の考える自分の娘の幸せはお前が自分の幸せを押し付けているのではないか。もし(窪田の)娘がお前が考えるのと違う道を行こうとしていてもそれを受け入れてやれ」と言われ"選挙"の正しさを見失っていた自分に気づき宮沢に協力し共に落選を目指す。
ここから政治スキャンダルの証拠を暴露したり、さらに自分でもスキャンダルを起こしてそれを拡散してどんどん炎上しようとするのだが、そのたびに別の大きな社会的問題が発生し話題はかき消え、スキャンダルは別方向から評価されむしろ評価が上がって行ってしまう。
このあたりのドライヴ感はめっちゃ楽しい。こんな都合良くいかんやろ~とも思うのだけれど、小泉内閣の後半に支持率が下がりそうなタイミングでなんか別の大きなトラブルが起きてそれの対応に奔走しているうちにまた支持率が持ち直して、みたいなことが実際あったよなぁとも思ってしまう。政治という大きなうねりの中では個人の意思など問題にならないのだ。
そして最終的に宮沢は当選する。秘書の一番偉い人はこう言う「投票率低いからね」。そう、最低得票数が決まっている以上、投票率が下がる=浮遊票が減れば公示日に「当選する」と言われていた通り何もしなくても看板議員は当選する仕組みになっているのだ。言外のメッセージとして非常に強いものを感じる。
特筆してなかったけど窪田正孝はいい役だった。達観しながら諦観していて"政治的"常識人でありながら一児の父としてかろうじてつま先を現実に残している。
特によかったのは宮沢が選挙の裏側の汚さをマスコミに暴露すると騒ぐシーン。
宮沢に対して「たぶんメディアは相手にしない」と告げつつも「仮に報道されてもこちらとしては把握してないとリリースを出すし、本人に問題があるので信頼できる情報とは言えないとしてこちらが把握している過去のあなたのスキャンダルをどんどん出していくことになる。そうなった場合、仮に落選することができても貴方のその後の人生にも多大な影響を与えることになる」とめちゃくちゃ申し訳なさそうに腰を低く脅迫する。
こいつ終始腰が低いのにデリカシーないしズバズバだしめっちゃいいキャラなんだよな。
宮沢との共闘前の印象的なシーンとしては、ノンデリ発言で宮沢ともめた後に事務所の屋上から「みんなからの扱いが雑で許せない。政治の世界もおかしい!改善されないならもう辞める!」と訴える宮沢に対して屋上に向かい「いまさらやめられない、そういうもんだ」と政治のうねりの中にいる人物として言外にシステムの冷徹さを示し、宮沢をビルから突き落とし(下には緊急用マットが敷いてある)、その後自分も飛び降りるシーン。
最後に自分も飛び降りるところで「こいつはなんだかんだ自分も渦中に寄り添える奴なんだな」と言うのが示されていてこういう人物描写好き。他人にやらせるだけのやつじゃないっていう。秘書の鑑。
全体的に静かなトーンで進行して敢えて面白おかしく描こうというよりも世間の常識は永田町の非常識という言葉があるようにそのズレがコメディとして成立していると確信して作られている強度が高い。真面目に作られているからこそ笑えるコメディ。