はてなキーワード: 空想とは
・BODIES BODIES BODIES/ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ
最後までみたけどながら観だったし
途中でネタバレ見た
理由→三十分みててもどいつもこいつも自慢話ばっかり(後で作成陣のやりたかったことには繋がるが)誰も好きになれず
ライトの色がパリピであるホラーであること以外画面に新しさも感じられず
根拠ないのに登場人物の思い込みのセリフだけで話筋が決まって(後で作成陣のやりたかったことには繋がるが)いくし
ながら観だったので吹き替えでありがたがったが女子の言い合いのキャンキャン声がうるさかった
でも最後のアホネタバレ→「受信してる」の悄然+とてつもない徒労・虚無・アホ!感はすごい好き
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これは30分位で観るのやめた
・「生徒それぞれに向き合う、ハートフルなスクールですねぇ〜」と思う反面「これは実家が激太なトットちゃんだからこそ出来たことであり自分がこの時代に生きていたらぞんざいに扱われて終わりなんだろうな」という思いがずっと頭の中にこびりついて物語に入りきれなかった
・身近にアッパー系コミュ症がいるので相手の頭の中にあるものをコミュニケーション無し・会話のドッジボール状態で相手の喋りたいように喋られる苦痛は凄まじく 「女児」「後に黒柳徹子として大成するという確定」があったとしても「やっぱキチィわ…」ってなった
・「序盤はハートフルな物語からの徐々に大きくなる軍靴の音…そして蔑ろにされ始める多様性…」的な話と聞いていて見ていたがハートフルパートが30分続いて「ちょっと…長い、かも…」ってなった
・アニメがすげぇ!と聞いていたが電車の中の空想パートで「おっこれか?やっとんなあ(すごいが予想を超えてきはしないな)」ってなった
「レイプされて生まれた子を愛せますか」ある母親の深刻な問いかけ
https://gendai.media/articles/-/53531?page=1&imp=0
既婚女性が元彼に脅されてレイプされ、夫の子か元彼の子がわからない子を妊娠。必死で流産しようとするが叶わず、夫の子であれと願って育てたが夫の子でないことがバレ、結果、妻も「托卵」された夫も、子供も不幸になった話
アフターピルがあればこの不幸は防げたと思う。間違いなく
アンフェは「アフターピルがあればそれを悪用した托卵が増える!」と抜かすが、それは大間違いであり、逆である
アンフェは「托卵する女」について大きな誤解をしている
「ぬいぐるみは本当のパパに買ってもらうからいらない、と言った性格悪い托卵娘が見捨てられる」とかの嘘臭いスカッと系まとめサイト記事のせいで誤解してるのかもしれないが、
実際「計画的な托卵」をして夫を嘲笑う…そんな女はいないのである
托卵する女は「浮気相手とうっかり中出し、または避妊に失敗した後妊娠しちゃったけど多分旦那の子だよね…と自分をも騙しながら産んでしまう」という、無計画な奴ばかりなのである!
中には、冒頭の記事のようにレイプされたとか、泥酔してお持ち帰り(つまりこれもレイプ)されたケースもあるだろう
わざとじゃないからと男にとって托卵の悪質さは免責されるものではないが、少なくとも、「わざと」やるメリットなどない。夫の遺伝子が欲しくなければ最初から好みの遺伝子の男と結婚すればいい。托卵すれば罪悪感を抱え、いつバレるかとビクビクしながら子育てしなければならず、バレたら慰謝料請求され母子共々追い出される。リスクしかない
「わざと」やるメリットなど、「夫が不妊で、子供ができないことを責められている」パターンくらいしかない
その場合わざわざアフピルを悪用する必要などない。だってできれば夫の子の方がなんの後ろめたさもなくて良いのだから
大体、よく拡散されてる托卵漫画だって「浮気相手の子だったら誰も幸せにならない」と言ってる。なるべくなら夫の子であってほしいのである
アンフェ男さんが誤解してることがもう一つある
これはyoutubeのスカッと系にもよくあるパターンだが、夫の実子と托卵子の兄弟がいた場合妻は托卵子の方を可愛がるというもの
そんなわけないだろうと思う
自分の過ちの象徴より、なんの後ろめたさもない出自の子供の方が純粋に可愛がれるに決まってる
しかもバレたら離婚され慰謝料請求されるので、子供を逆恨みするまである
冒頭の記事の母親も、レイプでできた子であり、離婚原因になった子である子供を愛せず虐待していた
つまり、托卵子は父親だけでなく母親にすら望まれない可哀想な存在なのである
先程言った「ぬいぐるみは本当のパパに買ってもらうからいらない、と言った性格悪い托卵娘が見捨てられる」話、あれは明らかに作り話である。あまりにも善悪がはっきり別れすぎてる
子供は約束など守っていられないので、本当のパパの存在など教えるメリットがない。「本当のパパ」のことをうっかり口に出したことで托卵がバレたという話だったが、子供なんて本当の親がどこかにいると妄想しがちなのだから、子供の空想で誤魔化せば良かったのに
極め付けに最後の、「私とママに謝ったらまた一緒に暮らしていいよ。あのぬいぐるみももらってあげる」と言った娘が、「なんで性格の悪い他人と暮らさなきゃいけないんだ」とかつての父親に目の前でドアを閉められてびっくりしてたというオチ
では、ガザニガの話をしてやろう。
彼は脳科学者で、著書『脳の中の倫理』で、人間の脳には「倫理モジュールがある」と書いている。
このモジュールは、味方を害すること、詐欺をすること、不公平な扱いをすること、ボスに逆らう事、掃除ができていないこと、などの事項に反応し、それによって嫌悪の感情を引き起こす。この嫌悪の感情こそが、「悪」だと感じることだというわけだな。
個人的には、掃除ができてないことは生まれつき「悪」だと感じる、という話が好きだね。どんな原始的な社会でも、掃き清められていない善の神殿などないわけだ。納得感があるよな。
この話のポイントは、脳が引き出しているのは、あくまでも嫌悪の感情だということだ。
毒虫を見てキモッ、と思うのと同様、悪を見てキモッ、と思うのが社会性動物たるヒトである。
実際、論理的に整合性が取れない場面でも、ヒトは感情にもとづいた行動をしたがる。著書には沢山の例が載っているが、例えば、キモイ悪を罰するために、自己利益や善の擁護を投げ捨てたりする。
あのな、ヒュームやミルは、論理的合理的に善を語ろうとしたよ。その成果は偉大だが。
しかしそれは、「合理的に言って、どういう倫理を定めることが、最もメリットか」を語ったに過ぎないんだよ。法を制定するときには便利だが、しかしこれは、本当に「善」とか「倫理」の正体を、事実として語ったものなのか?
善・倫理とは、理想なんかではなくて、ヒトという生物に所与の性質、気持ち、傾向である、と言ったほうがいい……かもしれないんだよ。少なくとも現実の反映を語るならそっちだよ。現実を反映したほうがいいかは所説あるが。たぶんヒトがサルだったときから、論理的合理性を獲得する前から倫理は存在したんだよ。
いまや古典となったミルの議論の先が、現代において、どうなっているかしっているか。
NHKスペシャルで有名になった倫理学者のサンデルは、ミルやロールズ批判から出発して、いまではコミュニタリズムと呼ばれる立場を唱えている。
論理的合理的な絶対善というのは、結局のところ、確定させられない、というのがサンデルの結論だ。
だから社会的合意によって決まるのが、善であり倫理である、というのがサンデルの意見だ。
だた、生物として同一種であるヒトの感情が、だいたい全体で似通っているため、全体の倫理の方向性が一方向になっているように見えるだけなんだよ。倫理の同一性、見かけの絶対性を支えているのは、脳がもたらす感情なのだ。
殺しをスカッとするから善と思ったやつが居たらどうするか? それが多数にならなかったのが現実なんだから、それでいいんだよ。
想像のみで証明が全く無い。有権者の判断力を軽んじ、自分が空想した手法に騙される軽薄な存在であると馬鹿にしている。有権者がしっかり自分の頭で考えて誰にも騙されずに投票したという受け止め方ができていない。
>再選に至ることは誰も予想していませんでした
予想していないのはあなた一人だけ。
>選挙カーは1候補者につき使える台数も決められているので、実質2倍の台数を使えることになっている。
選挙カー1台が2台に増えた所で得票にどれだけ影響するのか。
>それは斉藤氏が画策したことではなく、立花氏が勝手にやったこと、という流れを創り出しています。
流れを創り出すも何も純然たる事実では。
>SNS側でも同時に
SNS上でデマやゴシップが出回るのは今回の選挙特有ではない。
>多くの斉藤氏を支持している人たちから袋だたきにされるという現象も頻発し、SNSでの言論も封殺されていきました。
政治の話に異論が出るのは当然で、それを言論の封殺と表現する事は針小棒大。異論が出なかったとしたらそれこそ不自然でエコーチェンバーに陥っている。
斉藤氏当選は立花氏やデマのおかげ、という陰謀論を自分が唱えている自覚が無い。あなたの投稿も多くの流言飛語の一つ。
>有権者にはこれが「斉藤氏を批判しているだけ」と受け取られる形に繋がっていきます。
>イメージがまた作り上げられていきました
>ストーリーができあがりました。
>真面目で頑張っているのは斉藤氏しかいない、という結果になった
>という思想に繋がっていった、という感じです。
>そうすることで、多くの人の心が動かされることは実証されたと思います。
あなたは立花氏や有権者の心理を想像しているが何も証明が無い。
>結果的に真面目で頑張っているのは斉藤氏しかいない、という結果になった
>斉藤氏には類が及ばない
正しくは「累が及ばない」。
患者は大きな業績という空想(圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること、名声や影響力をもつこと、または素晴らしい恋愛を経験すること)にとらわれています。自分が、普通の人とではなく、自分と同様に特別で才能のある人とのみ関わるべきであると考えています。患者はこのような並はずれた人々との付き合いを、自尊心を支え、高めるために利用します。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は過度の賞賛を受ける必要があるため、患者の自尊心は他者からよく思われることに依存しています。このため、患者の自尊心は通常は非常に壊れやすいものです。患者はしばしば他者が自分のことをどのように考えているかを注視しており、自分がどれだけうまくやっているかを吟味しています。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は、他者による批判、また恥辱感や敗北感を味わう失敗に敏感であり、これらを気にしています。怒りや軽蔑をもって反応したり、荒々しく反撃したりすることがあります。または、自尊心を守るために、引きこもったり、表向きはその状況を受け入れたりすることもあります。患者は失敗する可能性のある状況を避けることがあります。
診断
自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには、以下の5つ以上に示されるように、自分の価値についての過大評価、賞賛への欲求、共感性のなさが持続的に認められる必要があります。
- 自分の重要性や才能について、誇大な、根拠のない感覚を抱いている(誇大性)。
- 途方もない業績、影響力、権力、知能、美しさ、または素晴らしい恋という空想にとらわれている。
- 自分が特別かつ独特であり、最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている。
- 無条件に賞賛されたいという欲求をもっている。
- 特権意識をもっている。
- 目標を達成するために他者を利用する。
- 共感性に欠けている。
- 他者を嫉妬しており、また他者が自分を嫉妬していると信じている。
- 傲慢かつ横柄である。
そして『自己愛性』のパーソナリティ傾向です。「私は特別、私はすごい」という思いが前面に出るパーソナリティ傾向のことですが、
こうした万能的な自己像が損なわれることを恐れて、対人関係を回避する、試される場を回避するといった受身的な形で表れる
自己愛性の高さもあります。ひきこもりの背景要因となる自己愛性とはこの傷つきやすく受身的・回避的な自己資性パーソナリティ傾向だと思われます。
これは、甘やかして育てら れた人、傷つくことなく育てられた人のパーソナリティ傾向と誤解されがちですが、
実際 には健全な自己愛の展開を阻まれたり踏みにじられたりした経験を通じて、
特に思春期青 年期のある局面で均衡を欠くほど高い自己愛性を顕わにするという形成過程を持つのが普通です。
だから自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分が特別であるということにこだわりながら、傷つくことを非常に恐れているのです。
なお、ひきこもる中でこうした自己愛性が二次的に高まっていく心理過程もありうると思われます。
もう一つの可能性に対しての解釈多様性みたいなのが薄いんですよね。
漫画の世界においては「あの1枚の漫画によって世界は分岐した」というのが本当に確かな説得力っていうか、マジでそれぐらいの力があったんだと信じさせる何かがあったんだけど、映画だといまいち伝わってこない。
そもそもあの漫画はどこから来たのかについての解釈の余地というか、「インターステラー的な何かが起きた可能性」というのを感じさせるだけのパワーみたいなのがイマイチ薄いんだよね。
あの状況における作品世界自体で起きていることは「もう一つの世界が存在した可能性についての想像」なのは事実なんだろうけど、それが観客席からだと「本当にあったかもしれないもう一つの世界」として等価の存在として映る所がルックバックの醸し出す凄みの秘密だと思うんだよね。
「どこまでも都合が良いような世界、でもそれがもしかしたら本当にありえたのかも知れない」って事がより強い悲しみを生むけど、同時にそれが「いま自分たちが生きている世界はこっちなんだから前を向かなければ」という気持ちのトリガーになるっていうか。
元ネタであるワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドなんてまさにそういう映画だったと思うわけよね。
なんつうか「こういう空想の中で自分たちを慰めることも出来る。創作活動を続けるってのはそういうことなんだ。創作活動最高と言え」みたいなパワーがあるわけですよ。
そこがイマイチ足りてないっつうかさ、もっと深く踏み込めば、あの事件に対してどう向き合うかって話だった訳じゃないですか。
まあ映画版はそのへんについて「パクりやがってよぉ!」の言葉を入れてくれているので敬意は凄い感じるわけなんですけど。
それでもやっぱ足りないっていうか、根本的な構造としての「漫画の世界における漫画の力」と「映画の世界における漫画の力」だとやっぱエネルギー量に致命的なまでの差があるなと。
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドという映画が「映画の中で映されたハリウッドという土地の持つエネルギー」によってあの荒唐無稽さすらある並行世界を描いたことの再現は出来てないなと。
こんだけ頑張ってもらえるんだからタツキ先生も喜んでますよって感じましたよ。
でもやっぱちょっとだけ足りないんですよね。
観客の頭の中で「並行世界への扉」を開くだけのパワーが足りてなかった感じなんすよ。
なんつうんですかね、繰り返しになるんですけどワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドという映画の中においては、あの映画の中で起きたことこそが事実だったわけじゃないですか。
「俺達の住んでいる地球の事実」と「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドの事実」はそれぞれ存在できていて、どっちが上か下かっていうのとは違ったと思うんですよ。
その等価性があったからこそ、「でも俺達の地球で起きている事実が俺達の生きる現実でしか無いんだよね」という読後感みたいのに繋がるっていうか。
ルックバックという作品のキモってどうしようもなくそのワンポイントに集約されていると思うんですよね。
アイドルの持つ輝きが〜とか抜かすならアイドルの持つ闇を否定するなダボ
純然たるラピュセルを穢したくて穢したくてたまらないもしくは穢してしまうことを畏れてしまうような、そんな繊細さと豪胆さを持つ奴らしか生き残らなかったような業界で、カスみてえな空想を描くことに終始してんじゃねえ。
VTuberですら仮想であるという前提とYouTuberであるという身勝手な自由度を提示できるからアイドルごっこをしても許されてるのに
ただの若者の時間の浪費でしかないものに光なんてあるわけねえだろボケ!!!
若者の、太陽よりも眩しい命の灯火が!お前らアイドル好きの腐った理想に染められることが何よりも許せねえ!!
気色が悪いんだよテメェら、あわよくば国の糧になれるかもしれない、国の礎になるかもしれない、そんな人達が無駄に適当に雑にアイドルという枠組みで時間を浪費させられていることに喜びを感じてるバケモノ共が!
まだ自覚できてなかったのか?!お前らがいる限りアイドルという職業に光を見出せることはない!お前らはヘドロのように人生を浪費しながらその中に出来た肥溜めですら一枚の金銭に変えてアイドルの暗がりを照らす成金ファイヤーしてしまう人生の無駄そのものだって!
お前ら肥溜めは黙って草花の肥料にさえなってくれていればこの国の栄養源だったのに、お前らは馬鹿だから肥溜め発ホスト行きのゼニ着火ファイアーの自己満足をして!事後満足をして!二郎を血液に詰まらせて死ぬ!!!日本の想定よりハイペースに!!!
アイドルが希望になったことなんてねえよ!!フリフリ女に引き寄せられた蛾とウンコがウリャオイしてたらワーオジャパニーズ盆チャントしてただけだよ!!
それでも今時の奴らはちゃんと結婚を認めてくれるからいいよ、もう少子化だからな!お前らは少子化だってわかってるのに処女信仰を肥大化させようとしてるゴミクズだからな!!!!!
何が偶像だバカが!!偶像がギリギリビキニでトゲトゲバランスボールに乗って指示棒ツンツンされるの見て喜んでんじゃねえ!!バリ島で水着着てキャハハの姿を見て奮い立ってんじゃねえ!!!
テメェでバリに行け!テメェでバランスボールに乗れ!テメェで指示棒ツンツンされろ!テメェでギリギリのビキニを着ろ!意外と似合っててゾッとしろ!!!
電池を交換しなければLEDすら光らねえ!!常に限界のある100ルーメンの光だ!!
だから!デケエステージに立ってるのに見えない奴らもいる!!ステージの方が光がつええから!!
アイドル商売に幻想を見せるな!どんなゴミカスから搾取して!それを二度と返さないというのを魂で理解させろ!!
音楽なんざ気休めだ!水着なんざ一発抜きゃ忘れる!テメェとテメェが肉体でぶつかり合ってすら尚、本質的な交流は生まれないのだから!ただ偶像が歌い踊るだけの幻想に!超幻覚を見ることを推奨されているカスみてえな商売は!許しちゃならねえんだよ!!
客もプロデュースもSNSで馬鹿にされて病んでるバカもまるッと含めてクソの掃き溜めに!!
何を光を見出すことがある!!
何に光があると思う!!
あの無尽蔵の化け物達が集まって圧倒的な熱量が光を産んだというのなら!!
アイドル商売はクソだ!!クソだから輝く!!闇が深いからこそ100ルーメンのアイドルが一生を捧げるに等しい灯火になる!
ああ幼き日の隣の席の無邪気なあの子の方がステージで下手くそな盆踊りを披露してるドテカボチャよりも美しいよ!
だが!我々はあのドテカボチャが!ドームに立ちたいと!スタジアムを圧巻させたいと!バスケよりもあの盆踊りに夢中にさせたいと願うから!眩く輝かせる為に物々しく不気味に質素に汚泥に塗れて生きている!!
だから、アイドルの光の部分なんていうスッカスカのものを語らせるのをやめなさい。
ですが、どうやら人は輝いているのです。
そんな小さなものだけを語るというのなら、その光を作るために、その光が光だと理解するために我々がどんな汚泥の中を、死体の中を、悪夢の中を、地獄の中を、生きてきたのかを語っていただかなければならないのです。
正しい人でありなさい。
それが、僕に課せられた唯一にして最大の教条だった。
幼い頃から、僕は常に「先生の家の子」であることを意識させられてきた。両親は僕を品行方正な模範少年に仕立て上げることに腐心していたし、周りの人(大人も子どももだ)は皆、僕の素行や成績の優秀さを褒めそやした。
今思えば、僕は他人の眼差しに見張られ、他人の期待に縛られて暮らしていた。だが、当時の僕は、それに不満や苦痛を感じることは(少なくとも意識の上では)全くなかった。むしろ、どんな時も「正しい人」として振る舞うことに、ある種の誇りすら感じていたように思う。
友達をえり好みするのは「正しくない」ことだ、という両親の教えに従って、僕は誰にでも人当たり良く接していた。その甲斐もあってか、ほとんどの級友は僕に好意的だった。先生たちも僕を気に入っていたようで、贔屓と言われるような特別扱いを受けることも少なくなかったが、誰も文句を言わなかった。僕は何の迷いもなく、己に与えられた特権を享受していた。それが自分の「正しさ」に支払われた報酬だと受け止めていたからだ。
そんな僕が、一人だけ「友達」と呼べない少年がいた。隣の小さな家に住んでいた彼は、見た目も成績もパッとせず、不器用でどんくさい、いわゆる劣等生だった。当時の僕にとって「優れていること」と「正しいこと」はほとんど同じ意味だったから、僕は「正しくない」彼のことをうっすらと見下していた(そしてそれを「正当な評価」だと信じていた!)。
だが、もし彼がただの冴えない少年だったら、僕は彼とも親しくしようとしただろう。僕に「誰かを嫌う」という悪徳を犯させた(当時は本気でそう思っていたのだ)のは、彼の蝶に対する異常な情熱だった。
あの頃の僕たちにとって、蝶の収集は最大級の関心事だった。少年たちは蝶を捕まえては標本を作り、互いに自慢し合っていた。
はじめのうち、僕はあまり熱心な収集家ではなかった。捕らえた蝶を完璧な標本に仕上げる作業は楽しかったけれど、蝶を捕まえること自体にはさして魅力を感じていなかったのだ。
だが、彼は違った。彼は「蝶狂い」としか言いようがないほど、生活のすべてを蝶捕りに捧げていた。「蝶を探していた」という理由で遅刻して先生に怒られるのは日常茶飯事で、彼の母親が夜に戸口の前で息子が戻ってくるのを待っているのを見たのも一度や二度ではなかった。
それほど蝶に入れあげているにもかかわらず、彼は自分の標本を他人に見せようとしなかった。標本を級友たちとの「社交」の手段と捉えていた僕は、そんな彼に不気味さすら感じていた。こいつは一体何のために蝶を集めているんだ? 遅刻の罰として教室の前に立たされている彼の、何を考えているかわからない顔を見るたび、僕は疑問に思わずにはいられなかった。
ある日、僕は虫取り網を片手に近所の森に出かけた。新しい標本を作るために蝶を仕入れに行ったのだ。あらかじめ目星をつけていた場所で狙い通りの蝶を捕まえ、さっそく家で標本にしようと帰りかけた時、近くでガサガサと物音がした。音の方を見ると、一人の少年が森の奥へ向かっていた。彼だ。彼は僕に気づくこともなく、上の方を見ながら歩みを進めていく。僕はほんの少し迷ったあと、彼の後を追いはじめた。誰かのあとをつけるなんて全く「正しくない」ことだと思いながらも、なぜかそうせずにはいられなかったのだ。
十分以上歩いただろうか。少し開けた川べりで、彼はようやく足を止めた。僕は木の陰に隠れて、彼の様子をうかがった。彼は静かに網を構え、宙の一点を凝視している。彼の視線を追った先には、一匹のコムラサキがいた。生きたコムラサキを見るのは、これが初めてだった。
彼はじっと、コムラサキの隙を狙っている。爛々とぎらついた瞳には、きっと蝶の姿しか映っていない。こんなにも獰猛な空気を纏った人間を、僕は見たことがなかった。
不意に、彼が動いた。突き出された虫取り網がひらりと宙を舞い、すぐに地面に伏せられる。彼はかがみこんで網の中を確認した。僕からは蝶の姿は見えなかったが、狩りの結果はすぐに分かった。彼が、長い安堵の息とともに、うっとりと微笑んだからだ。
彼が立ち上がる前に、僕は踵を返した。早足はいつの間にか駆け足になり、何度も転びかけながら、それでも走り続けた。「逃げなければ」という言葉が、身体の中に繰り返し響いた。何が怖いのか、そもそも全身に満ちたこの感情が恐怖なのか、何もわからないまま、僕は家まで走り通した。捕まえた蝶がいなくなっていたことに気づいたのは、自分の部屋に戻ってからだった。
それから二ヶ月ほど経った頃、紙箱を手にした彼が僕の家を訪ねてきた。彼が何か言う前から、僕には箱の中身が分かっていた。彼はあの日のコムラサキを見せに来たのだ。僕は彼に気づかれないよう息を整えてから、紙箱の蓋を開けた。
箱の中のコムラサキは、お世辞にも良い状態とは言えなかった。展翅には粗が多く、足も欠けている。褒められたものじゃないな、と思いながら顔を上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。驚嘆と賞賛を欲しがっている顔だ。それに気づいた途端、胸の中にどす黒い感情が湧き上がった。
せっかくのコムラサキがこんな不完全な標本になってしまったことへの落胆、その粗雑さに全く無頓着で恥じる素振りもないことへの呆れ、そして何よりこんなやつに一時でもおそれめいた感情を抱いてしまった自分への怒り。そういったものが渾然一体となった感情だったと、今にして思う。だが、子どもだった僕は、それらを「不快なもの」として一括りにすることしかできなかった。そして、その不快感を、標本への批判という形で吐き出したのだ。
僕は、彼のコムラサキの欠点を、ことさら辛辣な言い方で並べ立てた。彼の顔はみるみるうちに曇っていき、最後にはすっかり不機嫌な表情になった。
紙箱をひったくって部屋を出ていった彼の後ろ姿を見て、僕はかすかな罪悪感を覚えた。人を傷つけるのは、明らかに「正しくない」ことだ。
違う。僕は彼を傷つけたわけじゃない。僕はただ事実を述べただけなのに、彼が勝手に傷ついたのだ。直すべきことを指摘するのは「正しい」ことだから、僕は何も恥じる必要はない――
僕は自分にそう言い聞かせた。都合の良い言い訳だと、心のどこかでは分かっていたけれど、気づかないふりをした。僕はただ、「正しい人」でいたかったのだ。
彼のコムラサキの標本を見てから、僕は本格的に蝶の収集に取り組み始めた。少数の個体を完璧に仕上げることで満足していたのが、より多くの種類の蝶を捕まえたいと思うようになったのだ。
勉強や友達付き合いに割く時間を限界まで減らし、僕は蝶の採集に出かけた。珍しい蝶も、そうでもない蝶も、とにかく片っ端から捕まえた。両親は泥だらけの服で帰ってくる僕を見て顔をしかめ、級友たちは僕と遊べないことに不満げだった。採集自体も、楽しさより苦痛のほうが大きかったが、やめようとは思わなかった。
僕の目的は、彼よりも優れた収集家になることだった。彼が捕まえるよりも多くの種類の蝶を、彼が作るよりも美しい標本にする。それは僕にとって、ほとんど初めての私的な欲望だった。誰に求められたわけでもないのに、「正しい」ことでもないのに、せずにはいられない。自分でも理由のわからないまま、僕は取り憑かれたように標本作りを続けた。
時折、蝶を探しに行った先で、彼の姿を見かけることがあった。彼はいつでも心底楽しそうに野山を駆け回っていて、その姿を見るたびに嫌な気持ちになった。僕が彼に声をかけることはなかったが、彼が僕に気づくこともなかった。彼はいつも蝶しか見ていなかった。その事実もまた僕を苛立たせていたのだが、あの頃はそんなことは思いもよらなかった。
季節がいくつか過ぎる頃、僕は蛹の採集にも手を出していた。森に分け入って成虫を捕まえるよりも、自分の部屋でじっくりと蛹や繭を羽化させる方が性に合っていると気づいたのだ。時には予想外の成虫が出てくることもあったが、それもまた楽しみの一つだった。
そんななか、とんでもないことが起こった。偶然手に入れた繭から、クジャクヤママユが羽化したのだ。クジャクヤママユといえば、僕たちの間では秘宝のような扱いの、まさに幻の存在だった。ゆったり広げられた翅に浮かぶ特徴的な斑点を確認した時には、全身の震えが止まらなかった。
何も考えられない興奮状態の後に、真っ先に頭に浮かんだのは彼の顔だった。彼が教室の片隅で、級友のクジャクヤママユの話に目を輝かせていたのを見たことがある。あの様子だと、きっと彼はまだクジャクヤママユを見たことがない、ましてや持っているはずがない。
千載一遇の好機だと、僕は思った。このクジャクヤママユを完璧な標本にして、彼に見せるのだ。何が「正しい」標本なのか、誰が「正しい」収集家なのか、彼に見せつけてやるのだ。この思いつきは、僕をひどく高揚させた。
僕はこれまでにないほど慎重かつ丁寧に、クジャクヤママユの展翅に取り組んだ。その出来栄えは、今までのどんな蝶よりも素晴らしいと自負できるものだった。もうしばらくすれば、非の打ち所がない美しい標本が仕上がるはずだ。僕はすっかり舞い上がっていた。
常に地に足をつけていることこそ「正しい」。そう知っていながら、浮かれきった僕は級友にクジャクヤママユのことを話してしまった。噂はあっという間に広まり、大勢の少年たちがクジャクヤママユを見せてくれと押しかけてきた。
僕は彼らの頼みを「完璧な状態で見せたいから」と全て断った。それも嘘ではなかったが、一番の理由でもなかった。最初に見せる相手は彼だと、最初から決めていた。
僕は実のところ、彼がどうしてもと乞うならば、未完成の状態でも見せてやってもいいとさえ思っていた。にもかかわらず、彼は何も言ってこなかった。コムラサキの一件以来、彼が僕を避けているのは分かっていたが、彼の僕への嫌悪感がクジャクヤママユへの興味を凌駕していると考えると、妙に胸がモヤモヤした。
その日は、何ということのない平凡な一日になるはずだった。少なくとも、蝶の採集を終えて帰宅し、自室に入るまではそうだった。だが、そこで僕を待っていたのは、変わり果てた姿のクジャクヤママユだった。
翅がもげていた。触角も片方取れていた。展翅板の上には、粉々になった翅の残骸が散らばっていた。
どうして。何で。誰が。どうすれば。
絶望的な言葉の断片が、次々と頭の中に浮かんではぼろぼろと崩れていく。早く直さなければ、と震える手で修復道具に手を伸ばす。今までの経験は「これは無理だ」と告げていたけれど、その声さえ聞こえなかった。
日が落ちかけた頃、僕はとうとうクジャクヤママユの修復を諦めた。僕は絶望的な気持ちのまま寝台に倒れこみ、腕で目を覆った。このまま何も考えずに眠ってしまいたかった。そして朝になって、すべてが夢だったと気づきたかった。
そんな幼稚な空想を打ち砕くように、女中さんが僕の部屋の戸を叩いた。彼が来ていると言うのだ。僕はのろのろと起き上がり、玄関に向かった。
僕の酷い顔を見て驚いたのだろうか、彼は何も言わずにこちらを見ていた。僕は半ば操り人形のような心地で、クジャクヤママユが台無しになったことを告げた。すると彼は、それを見せてくれと言った。僕は頷き、彼と共に重い足取りで階段を上っていった。
僕はクジャクヤママユの残骸を彼に示した。ろうそくの明かりでも、彼の顔に全く血の気がないのがわかった。彼はしばらくクジャクヤママユを凝視していたが、ゆっくりと僕の方を向いて、言った。「ぼくが、やったんだ」と。
僕が凍りついていることに気づかず、彼は堰を切ったように喋り始めた。どうしてもクジャクヤママユが見たくて、僕がいない間に部屋に入ったこと。見ているうちに魔が差して、クジャクヤママユを盗んだこと。返そうとした時には、クジャクヤママユがつぶれてしまっていたこと。
彼の話を聞くにつれ、僕は胸がどんどん冷たくなっていくのを感じた。同時に頭に浮かんだのは「彼は裏切ったのだ」という言葉だった。何を裏切ったのかはわからない、ただ彼が裏切り者だという考えだけが、強く強く繰り返された。
「そうか、そうか、つまり君はそんな奴なんだな」
そう告げた声は、自分でも驚くほど平板だった。こんなに誰かを軽蔑するのも、こんなに誰かに失望するのも、初めてだった。
彼は必死に許しを乞うてきたが、僕はありったけの皮肉を添えて彼の謝罪を切り捨てた。彼は一瞬、殺さんばかりの形相で僕を睨みつけた。そんな表情を誰かから向けられたのは初めてだったので、僕はほんの少したじろいだ。だが、彼はそれに気づくことなく、何も言わないまま、僕の部屋から出ていった。
僕はろうそくを吹き消し、再び寝台に横たわった。毛布に繭のようにくるまると、両目から涙があふれだした。
僕はどうして泣いているんだろう。当然、大事なクジャクヤママユを失ったからだ。でも、本当にそれだけだろうか。僕は、何を失ったんだろう――嗚咽の合間にそんなことを考えながら、僕の意識はゆっくりと沈んでいった。
次の日、僕は級友たちに、不手際でクジャクヤママユが駄目になってしまったと話した。彼らは、ぜひとも見たかったのにと嘆き、僕らしからぬ失態に戸惑った様子だった。だがそれも一時のことで、しばらくすると彼らの興味は別のものへ移っていった。
そして、その日以来、彼を野山で見かけることはなくなった。遅刻することもなくなり、真面目に授業を受けるようになった。ほどなくして、彼が蝶の収集を一切やめて、標本もすべて捨ててしまったらしいという噂が聞こえてきた。級友たちが、あいつとうとう正気に返ったのかとか逆におかしくなってしまったのだとか好き勝手を言っているのを聞き流しながら、僕は教室の隅でぼんやり座っている彼を盗み見た。
彼は罪を犯した、言い逃れできないほど「正しくない」人間だ。彼の罪を糾弾し、正当な罰を与えることこそが「正しい」行いだ。そう考えながら、僕はそうしなかった。彼をかばうためでも、ましてや許すためでもない。僕はただ、逃げたかったのだ。
あの夜、僕はまぎれもない被害者で、彼は明らかな加害者だった。誰もが、僕が彼を非難するのは「正しい」ことだと思うだろう。けれども僕はあの時、「正しい」ことをしようと思ったわけではなかった。正しいとか正しくないとかいう基準から外れた場所にあるむきだしの感情――「彼に裏切られた」という気持ちにまかせて、僕は彼を言葉で刺したのだ。
思えば、彼に関わる時の僕は、いつも「正しい人」から遠ざかっていた。標本箱の中の蝶のように完璧な優等生ではいられなくなり、破れた翅で不格好に飛び回る、身も心も薄汚れた自分になってしまうのだ。そして、その先にはいつも彼がいた。僕よりはるかに劣っているはずの彼は、森の中では僕よりはるかに美しく羽ばたいていた。にもかかわらず、彼は自ら泥の中に墜ちていった。それらすべてが許せなくて、耐え難くて、そう感じる自分自身を認めたくなかった。だから、僕は彼との関わりを絶ち、自分が「正しい人」でいられる場所へと逃げ出したのだった。
結局、僕は逃げ切れなかった。「正しい」ままで生きることなど不可能だということを悟り、自分の中の「正しくない」ものを受け入れて飼いならすことを覚えた。世間ではそれを「大人になる」と呼ぶのかもしれない。
彼とは、学校を卒業してから顔を合わせていない。今では蝶への興味もすっかりなくなって、作りためた標本はほとんど全て人に譲ってしまった。
それでも、一つだけ手元に残したものがある。翅のもげたクジャクヤママユだ。痛々しくて不完全で、なのになぜかひきつけられる。そんなクジャクヤママユこそ、僕にとっての少年の日の思い出なのだ。
【追記】「十二国記ってアンチ女性向けファンタジーなんだな」ってタイトルが良くないって言われて、その通りだって思ったから消す。申し訳ない。増田のノリに毒されてた。
どう言えばいいんだろうな? 甘やかされる系ファンタジーに厳しいっていうか、自分が書いていることに自覚的って言うか。
男女問わず、思春期に空想しがちな「ここからどこか素敵なところに連れていってくれ」という願望やそれに基づいた創作に厳しいってことなんかなあ?
ブクマカの「登場人物すべてに潔癖で厳しい」って趣旨の指摘を見て、私が一番言いたかったのってこれだったんだって気づいた。
フェミニズム小説ではって指摘についてはその通りで、前のエントリではそれについて触れたんだけど、やっぱりリンク張るだけじゃ分かりづらいよね。
十代のころに背伸びしてラノベとか少年少女小説から遠ざかってたから偏見です、これについてもごめんなさい。
ファンタジー小説と自分に都合がいいファンタジー・空想って言葉もいい加減に使ってた。
ー以下追記前ー
ここでいうアンチってのは否定的とか叩いているとかそういう意味じゃなくて、対案とか批評的なとかそんなニュアンスね。
なんでそんなこと思ったのかっていうと、異世界に行って素敵な男性と出会ってお姫様として幸せに暮らすっていう女性向けファンタジーのシチュエーション(正確にはいかにもありそうだなーって偏見なんだけど)を話をひねった設定が多いって気づいたんだ。
例えばシリーズ最初の「月の影 影の海」ってのは、内気な女子高生である陽子が景麒ってイケメン男性に異世界に連れて行かれる場面から話が始まるんだけど、よくある異世界ものと違って、向こうの世界については何の説明もされずにほぼ身一つで放り出されるんだよね。で、最終的には彼女が新しい王だってわかるんだけれども、彼女が武器を持って立ちあがり、囚われのお姫様みたいに鎖につながれた景麒を救い出すところでお話が終わってる。
で、この世界の王様ってのは忙しくて、反乱が起きたら自ら戦場に立つし、妖魔と剣で切ったはったやるし、官僚のトップと口でやりあわなきゃいけないし、美しいだけの世界じゃないんだ。
なんというか、「覚悟」を決める話なんだよ。
異世界で他人に裏切られ続けて荒み切った果てに、「他人を信じるな」と嘲笑する謎の存在蒼猿(実は彼女自身の内なる声)と決別し、裏切られてもいいから他者を信じる道を選ぶシーンは超かっこいい。それに、陽子の元の世界の父親は「女は女らしくしろ」という何かのカリカチュアみたいなキャラクターで、フェミニンなものがこの話ではそこまで肯定的に扱われていないんだよね。女性として扱われたのは、売春宿に売られそうになったときくらいか。これ以降のストーリーでも彼女は女王としての服装を窮屈だと感じ、街に出るときは男装を好むし、この世界の女性は妊娠・出産をしない。
他に批評的だなって感じたのは「風の万里 黎明の空」のふたりの副主人公、祥瓊と鈴だ。祥瓊は反乱軍に父王が処刑され、命こそ救われるのだが村では無能な下働きとして虐待され、しかも正体が露見して危うくリンチされかける。安全のため隣国の女王の下働きになるも、そこの女王にも冷遇される。
一方、日本出身の鈴は言葉の通じない異世界で仙人の奴隷同然の暮らしをさせられ、ついに意を決して出奔する。二人とも、女王となった陽子に憧れたり憎悪を抱いたりして、陽子の治める国に向かって旅をする。
これだけ見ると、いじめられたかわいそうなヒロインが返り咲く話の序盤のように見える。読者はこう予想するだろう。いずれも二人とも陽子によって救われるだろうと。だが、中盤で二人はそれぞれ別の人物によって己の落ち度を諭される。祥瓊は長い華やかな王宮暮らしの中で、四十年も父の暴政を止めようともせず、自分の国のありようを知ろうともしなかったことを淡々と告げられる。外国人のほうが自分の国の歴史に詳しいのがどれだけ恥ずかしいことかわかるかと。
鈴は、自分だけが不幸を我慢すればやり過ごせると思い込み、百年間何もしなかっただけであり、彼女の不遇の嘆きはただの不幸自慢であるのだと責められる(この世界では特定の条件を満たすと寿命がなくなる)。
このあたり、小野不由美が読者層の中高生に説教をかましている側面も感じる。
そして祥瓊と鈴が救われるのは陽子によってでもないし、イケメンによってでもない。自分の落ち度に気づき、目覚め、やはり剣を持って立ち上がる。
(ところで、祥瓊を冷遇した女王は気が強く悪役令嬢っぽさを持ちながら筋が一本通った倫理観の持ち主で「図南の翼」では主役を張っている。というか悪役令嬢ものの起源の一つなんじゃないか?)
つまるところ、十二国記のシリーズ前半は幻想に逃げる少女に対して戦うよう促しているのだ。そしてサポートキャラの最高の内面イケメン楽俊とは恋愛関係になっているわけではなく、対等な友人だ。「男性に過度に頼るな、対等たれ」と言っているように見える(あと、シリーズ後半になると時代小説や政治小説っぽくなって、中高年の男性にウケる要素がどんどん増えていく感じだ。きらびやかな幻想とたもとを分かったせいか、少女向けレーベルからははみ出てしまっている。最新作「白銀の墟 玄の月」は講談社X文庫ホワイトハートから出てないよね?)。
似ているなって思ったのがミヒャエル・エンデの「はてしない物語」だ。これは物語後半で主人公バスチアンが崩壊したファンタジー世界の救い主となって本の中に入り込み、高性能イケメンのチート野郎になるんだけれど、チートを使うたびに元の世界のダメな自分のことをどんどん忘れていき、記憶喪失のまま永遠に物語世界に閉じ込められる危機に陥るんだよね。同じ末路を迎えた人間の描写はぞっとする。児童文学の中でここまでいわゆる恐ろしい末路を描いたのも珍しい。
これってまさにやっていることが同じで、小野不由美が少女小説のフォーマットを使って女性向けフィクションに対して批評的な作品を書いたように、エンデはファンタジーの形式を使いながら現実逃避するポルノ的ファンタジーを批判しているのがすごい。アンチファンタジーだ。しかも、それがめっぽう面白いんだ。
私はポルノ的ファンタジーがダメだとは思わない。エッチなものも含めてポルノってのは、なんでも願いが叶う世界の中で遊ぶことで、願いが叶わないことが多い現実と戦うためのパワーを充電する遊び場だ。ここが虚構だってわかって遊んでいる限り、心の健康を保つのにはプラスだ。
でも、ときどき自分に「これは嘘だぞ」って言い聞かせないと危ない。幸せイチャイチャラブラブなアブノーマルプレイなしのポルノでも、これも本当のセックスと間違えたらいけない。相手の気持ちいいところが全部わかって、自分の気持ちいいところ全部責めてもらえるセックスなんてこの世にはなくて、「あれやってみたい」 「こうしてほしい」 「今のは良かった」 「ありがとう」ってちゃんと言わなきゃ伝わらない。
ああいうイチャラブエロ漫画はインスタグラムみたいにいいところだけ繋いで作った虚像なんだよ。小野不由美も十二国記外伝「魔性の子」で「異世界に逃げるな、お前の生きる世界はここだ」という話をしている(「帰山」の中の難民支援でも「自立する気概を失うレベルまで支援してはならない」って趣旨のことを言ってる)。
つまるところ、自分で欲しいものを能動的につかまなきゃダメなんだよな。
なんてことを日曜日にファミレスで友人にぶちまけてしまった。あー楽しかった。
ハイスペックイケメンを素朴女子が救う話の起源について話題になったから書いたわけじゃないんだけど、「ジェイン・エア」は一つのオリジンよね。この話を裏面から見たジーン・リース「サルガッソーの広い海」や批評「ジェイン・エアは幸せになれるか? 名作小説のさらなる謎」も面白いよ。
陽子が異世界に入るときに剣を授けられるので、これって男性原理の象徴じゃないかと冗談半分で書こうとしたんだけれども、実際に剣とは別に回復アイテムの玉(二つではないけれど)も授けられるし、鞘は失くしてしまう。鞘を女性原理と見るか包皮と見るかはともかく、フロイト的な解釈が全くのデタラメではない気がしてしまった。
鞘を女性原理と見るならば、作中でそれを無くす(機能を失う)ことは女性原理が弱まることを意味するし、包皮と見るならば、その喪失は男子割礼・成人の儀礼を意味していると読めなくもない。
ほら、作中でも過酷な旅でげっそり痩せて、身体から丸みが失われたともあるし。
こんなことを書いて申し訳ない気持ちもあるのだが、剣と同時に球も授けられるなんて話として出来過ぎているし、そうした作品を他に私は知らない。あったら教えてください。
以上だ! いつか男性向けハーレムものと女子向けの後宮ものの差異について書きたいぜ!
→ 追記! 昔書いたやつ
https://anond.hatelabo.jp/20200609075504
生理妊娠出産がないとか逆に女性向けっぽいと感じた要素はここです
読み返して思ったけど、アンチ「一昔前の」とかアンチ「世間的に女性受けしそうと思われがちな」ファンタジー、アンチ「童話から想像される」ファンタジーって気がしてきた。
今年、俺の中で流行したモノを順不同で紹介してやろう。
流行に敏感な男の1年を振り返ってみよう。
崩壊3rd、スターレイル、原神、ゼンゼロの4作を「今年初めてプレイ」した。
ネットで何故か知らんが崩壊3rdが話題になったのを聞いて第1部を全てプレイ。
そのあとに原神に手を出すも色々としんどくなり離脱。
暫くしてゼンゼロによって熱を取り戻し、そのタイミングでピノコニーが大絶賛されているのを聞いてスタレをプレイした。
スターレイルはピノコニー編まで無事完走。同じくゼンゼロも現在のストーリーはすべてクリア。
現在はスタレの幕間を埋めている所だ。
ルアン・メェイの創造物に再開できたりするのは楽しんだけどさあ・・・そもそもの忍佐殺アトモスフィやシノビマントラのクオリティがちょっち足りてないよね。
引っ越した先のベランダが狭すぎて服が部屋干しになってしまい俺は部屋干し臭に悩まされていた。
そこで使い始めたのがオキシクリーン。
絶望した俺がググってみるとどうも洗濯機には漬け置きモードがあるらしい。
使ってみた所、全自動で漬け置きが完了するのでQoLがアップ。
トドメとばかりに衣類乾燥除湿機を導入した所、部屋干しでも全然匂わない状態になった。
miHoYoゲーの影響で中華SFへの興味が高まっていたのもあるし、予約無しで借りられたというのもある。
面白いね。
ネタバレになっちゃうからあんまり言えないけど(👈️Outer Wilds信者かい!)
なんかこうマジでスケールがデカいし、展開も多様だし、あとちょっとオタクだよね。
面白いね。
ネタバレになっちゃうからあんまり言えないけど(👈️同じネタ2回つかうんかい!)
新NISAはひとまずオルカン全力で放置したのだが、暫く推移を見て興味が出てきちょっと手を出した。
始めた時期が悪くて上がり幅よりも下がり幅が大きくなってしまい心が折れて塩漬けモードに。
塩漬けしつつも色々と勉強している頃、興味を持って「FX戦士くるみちゃん」を読んだら伝説的な時期の伝説的な地獄を目の当たりに。
素人の無根拠な丁半博打なんぞ何の価値もねえなと悟りを開き、今はもうオルカンに投資信託して終わらせてる。
退職金貰った直後に投資ブームが起きてそのタイミングで爆死したら目も当てられなかったので良かった。
ミドルエイジクライシスにより生きる意味を見失った果てに「じゃあもうアナニーでも生きがいにするか」とアナニーをやろうとするが、怖くなり中止。
代わりに乳首を開発することを選んだ。
ネットで人気の高い自動乳首舐めマシーンを購入し、オナニーのたびに乳首の上をグルグルと回転させてみた。
開発失敗である。
miHoYoゲーと並行してプレイ。
もともとスレスパやビビッドナイトみたいなゲームは好きだったのでプレイ。
ぶっちゃけある程度プレイしたあとの感想は「選択肢がある程度見えててテンポがいいウマ娘」ぐらいに収束した。
ウマ娘をクソほどやりこんで最後の方は大嫌いになった思い出があったので一通り親愛度10にした所で終了。
推しのアイドルは秦谷 美鈴ちゃんですので実装されたら戻ってきます。
「早く寝る ただそれだけで みなぎる力」という有名な言葉があるが、マジでそう思う。
早く寝ると全てが捗るので早く寝るようにしている。
具体的には夜11時になったらパソコンの電源を落として小説を読むか寝るかという時間にした。
寝るためのコツとして液晶は見ないようにしろっていうのをよく聞くけどさ、アレってマジで効くんだな。
液晶みたまま「眠くなってこないな~~~」とかやってたのマジで健康的じゃなかったよ。
ミドルエイジクライシスに陥った上にチクニーにも失敗した俺は日々悩んでいた。
「なんでこんな人生を選んだんだ。なんで俺の上司はあの程度のスペックでブリリアントジャークを気取ってるんだ」と日夜呻いていた。
とにかく手当たり次第に自己啓発本に描かれているメンタル術を試しまくった所、「どうも自分で自分を褒めて他人に期待するのを辞めるといい」と気づく。
「今日もちゃんと出勤して偉い。今日も栄養バランスちょっとは考えて偉い。筋トレしたから偉い。11時にパソコン切って寝てるから偉い。偉すぎる!」
おかげでミドルエイジクライシスも解消されていき「もうアナニーしかない!エネマグラで尻を掘るんだ!」と自暴自棄に陥らずに済んだ。
モンスターコマンダーズ(AI相手にTRPG出来るゲーム)でAIとリレー小説を書く楽しさに目覚めた。
そこからはAI小説を使って色々な空想を書き散らしたり、GPTに生成させた文章を増田に投稿したりして遊んでいた。
AI小説でエロ小説書けばオカズを自力供給できると頑張ったりもしたが、パターンが一通り出尽くした辺りで今のAIの限界を悟る。
つーかさ、せっかくAI使ってもやれることが小説で終わりじゃまだまだだよね。
というわけで文章打ち込んだら漫画が出来るようになるまで余った情熱は取っておくことにしたのである。
とにかく完成度が高いな。
終了すると聞いて慌て見てるんだけど、ハズレに該当する回がないっていうか大体どの回も楽しいんだよね。
ゲーム作ってる人からすると「いや、それは違うんだよね。古いねえ桜井さん」みたいなのあるかもだけど、俺は完全に門外漢だから全部ほーんって感じで楽しめてる。
言いたいこと先にまとめて一人でバーって喋ってるからテンポがいいのもいいよな。
ゲームさんぽみたいにちょっとダラダラしてる番組も雑談ムードで楽しいけど、淡々とスピーディーに進む奴の方が俺は好きっぽいな。
はじめに隠さずに言うべきことがある。
バイト先に15分ほど遅れて行き気まずい空気が流れた。ハァハァと息を切らし店内に顔面が汗と雨の水滴にまみれた中年男性が勢いよく転がりこんできたのだ。
季節外れのカッパの参戦にみんなが顔を見合わせていたのがチラッと見えた。
やがて年配の女性の方Aさんに案内されロッカールームでトレードマークの赤い色の服を着る。
世間と隔離され己の立場と言うシビアな現実の始まりを合図する瞬間である。
この時は後半戦に始まる筆舌に耐えがたい地獄のような出来事が待ち受けているとはこの時、私は知るよしもなかった。
20分ひたすら何もしなかった。いや、実際は何もやらせてもらえずひたすら店内で赤い服を着てカカシのように立ちすくんでいた。実は担当者トレーナーさんがいなくて、クルーのみんなが忙しく働く中で黙って微動だせず突っ立っていただけなのだ。
俺の哀れな姿に見かねたのか年配の女性のAさんから店内の掃除クルーと配膳が俺の担当にあてられた。
レシート番号札に書かれてある番号をお客様の立札に運ぶように言われた。
1発目で間違えず配膳したら「お!センスありますね」とAさんが親指を立ててグッドポーズをしてニコニコしてた。俺もつい嬉しくなりグッド返しをしたら見てくれず恥をかいた。
ゴミ箱掃除は溜まったゴミを集めて捨てるのが俺の仕事だ。しかし詰まった無理ゴミ箱をを引き出したら容量を超え地面にゴミが床に散乱してしまった。
Aさんが駆け寄ってくれアラアラと言った感じですぐに代わりに掃除してくれた。まるで赤ちゃんがミルクをこぼし後始末するママみたいな出来事が店内で行われた。
この店は都内でもかなり忙しい店のようでなぜ俺みたいなコミュ力0の陰キャな人間がこんな忙しい戦場に飛ばされたのであろうか。
やがて今回のトレーナーの方Bくんが来てくれた。俺なんかよりかなり若い男で愛想も良く明るくて安心した。
今日はこれまでの仕事内容と異なり三輪バイクに乗り配達をすることになった。あと忘れない為にメモ帳を持ってきたが書くペンを忘れ白紙のままであった。交通安全に関する動画を見て初めてのクルーの赤い色の三輪バイクだ。
しかしついてないことに天候は雨。最悪だ。屋根はついてるが横から容赦なく雨が叩きつけられる。Bくんの教え方が上手でヘルメットの首紐の外し方などもBくんが細かく教えてくれた。
初めてのバイク走行。俺がバイクにまたがるのは高校18歳の時に原チャリセピアGⅡ以来の騎乗依頼だ。とにかく前のバイクについていくのに必死。もしはぐれたら連絡先も知らないし土地もわからない。迷子になったら終わりと思いなんとかしがみつくようにBが運転するバイクに着いていった。
あととにかくヘルメットの中が痒い。ウォーズマンみたいなヘルメットを被ったがむず痒くてデコハゲが出発進行の汽笛を鳴らしていた。
しかし俺は何かヌルリとした嫌な予感がしていた。その予感は悪くも的中してしまう。
なんとこれまで静寂だったデリバリー配達にお客様から終了間際に大量注文が入ってしまったのだ。
トレーナーのBくんに「さすがに1人でやれますよね?」と笑顔で圧をかけられ俺も無理と断ればよかったのに「はい」と言ってしまった。
議員時代からの悪い癖だ。その場しのぎでなんてなくわかったフリをしてしまう。Bくんはイソイソと配達クルーに急いで行ってしまった。
夜で暗い中、いきなり初日で1人バイク配達だ。せめて最初は後ろからコーチをしてほしかったが緊急ミッションだ。星レベルは⭐︎4ランクの高めだ。なぜならまだ専用携帯アプリも習ってないしパスワードすらしらないのに美女が裸でアフリカのスラム街に飛び込むくらい危険すぎる。
もうどうなってもしらんぞ!と思ったがこんな俺すら必要だったのであろう。バイクで緊張の中で出発したが店のマネージャーさんが雨の中外にすっ飛んできた。俺が注文商品を入れ忘れて出発してしまったのだ。そんなわけあるか!と疑い深いキミは思うと思うが恥ずかしながら実話だ。
汚名挽回の為になんとかどしゃぶりの中、ズボンもパンツもびしょ濡れになりながら配達を完了させた。初めてウーバーイーツをしてそれが役にたった。
最後に店にたどり着いて夜空を見上げるとそこは冬を伝達するような冷たいスコールの拍手が全身を濡らすのにそう時間はかからなかった。
物覚えが悪く忘れやすい
創作活動、とりわけ「一次創作(完全オリジナル)」の創作が趣味な人で、こんな人を見かけたことはないですか?
・キャラクター設定はあるが、肝心の「お話(本編)」がない。
・マンガや小説等の形になった「お話」は無いが、設定だけは延々と語る。
・他者が作ったオリキャラ(よその子)と絡みたがる。
今はもう見かけることは無いと思いますが、昔はこういう「キャラしか作れない創作屋」がたくさんいました。
「うちの子厨」とも呼ばれ、界隈の一部からは「痛々しい」と影で叩かれることもありました。
確かに、「創作」と言うよりかは、「ネット版お人形遊び」と言った方が正しいでしょう。
とは言えこういう人種はネット上だけの存在。
……と思われるでしょうが、現実でいました。こういう人。
ふと思い出したのでこちらに記しておきたいと思います。
心当たりがある方に読んでもらえたら幸いです。
A子と知り合ったのは、確か入学したばかりの頃、友達の紹介であったかと思います。所属する部活動を選んでいる最中の時だったか…すみません記憶があいまいです。
当時は私も恥ずかしながらマンガを描くのが趣味で、それで一度意気投合したかと。
そのA子の痛さを簡単にまとめると。
私が部活で短いマンガを描いたとき、読んでくれたはいいものの、感想は無くA子は「この後はこうした方が良い」「この案はどうですか!?」ってすごい勢いで迫られました。
描いたのはただ現代日本が部隊のほんわかな雰囲気のギャグ漫画なのですが、彼女の提案した設定は「このキャラは実は侵略のためにやってきた異世界人」「異世界を救うためにやがては主人公をその世界に連れていく」等などのトンデモ話ばかり。苦笑いするしかなかったです。
A子の設定話は帰りのバスの中でよく聞かされました。しかも同じキャラクターの同じ設定の話を。私は虫が大の苦手なんですけど、そのキャラの虫に関する設定をだらだらと話していたのは覚えています。
語り方も手をわきわき動かしながらで、今となっても本当にキモかった。
後は「このキャラは超美少女で暗い過去があって~」「このキャラは神と同等の力を持つ武器を持ってて~」と厨二病全開の設定祭りです。
異世界の話を盛りたがるあたりそういうのが好きだったんでしょうね。
A子も小説という形でキャラクターを動かしていたようですが、その話が原稿用紙1枚分程度の長さしかありませんでしたね。しかも序盤。
そんなもの読まされてもって感じなんですけど、いきなりそれ書かれた紙渡されて「読む?」って言われて…断れるわけないですよね。
突然クライマックスですが、何故そうなったのか、これから主人公はどうするのか、さっぱりわかりません。帰り道散々聞かされた設定は、どこにも記されていません。
起承転結も無い作文に「どう?」って聞いてくるものですから、何とか当たり障りのない感想を言ってあげました。
ある日A子から「合作しませんか!?」ってこれまた勢いよく言われました。
その時私は「まだ自分の作品だって満足に作れてないのに合作は難し過ぎる」といって断ったのですが…
A子は「何で?二人で考えればいいもの作れるのに!」「案を出し合った方が効率もいいですよ!」「何でダメなんですか!?」的なことをまくし立てるように言ってきて、こちらの話には聞く耳持たず。さすがにうんざりしました。
合作はしなくて済みましたが、それ以来私はA子と距離を取ることにしました。
彼女は携帯サイトを作っていました。今となっては懐かしいコンテンツですね。(彼女と交流していた同じ部活内の人が教えてくれました)
サイトを作ってようやく創作活動を本格的にやり始めたのかと思いきや。
彼女の作ったオリキャラがイマジナリーフレンドとして掛け合いをブログに投じている。
鬱々とした管理人(彼女)をイマジナリーフレンドが懸命に慰めている。
イマジナリーフレンドとは、小さい子どもが遊び相手として作る空想上の友達のことです。空想の一人遊びです。
普通であれば小学生までの子どもが楽しむもので、中学生のうちに自然消滅するものです。
初めて見ました、イマジナリーフレンドをネット上で公開するの。
彼女にとって、創作とはなんだったのか。ともかく距離置いて良かったなと心から思いました。
(現在このサイトは完全削除されていると思います)
最後にこの話、いつの頃の話だと思いましたか?
中学生?高校生?
大学生です。
18歳を超えた大学生のお話です。
冒頭で記した現実版「うちの子厨」の末路の1つです。
しかし今にして思えば、昔流行った「うちの子」文化は、「イマジナリーフレンド」と紙一重の存在だったかもしれません。
今でも「うちの子」文化を楽しんでいる人がいるなら、彼女のような痛々しい人はいないことを願うばかりです。