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2024-12-14

マジックテープの財布を愛用してる34歳の俺が良さを力説する。

マジックテープ財布を30代男性が使うメリットは、意外なほど多岐にわたる。以下にそのポイントを力説する。

1. 機能性が抜群

マジックテープ財布の最大の特徴は「簡単に開閉できること」。忙しい30代男性にとって、スピード感重要だ。例えば、レジで長蛇の列ができる中、サッと財布を開いて支払いを済ませられる。ボタンやファスナーの財布と違い、片手でも開けられるため、スマートさを演出できる。また、マジックテープの「バリバリ音」が支払いの準備完了を周囲に知らせる効果もあり、無駄な動きを省ける。

2. コスパが良い

マジックテープ財布は一般的リーズナブル価格帯で販売されている。30代といえば家族を養ったり、趣味お金を使ったりと出費がかさむ時期。その中で無駄遣いを避け、しっかりした財布を持つことは経済的にも賢い選択だ。壊れても交換が容易であり、長期間コストパフォーマンスを考えると非常に優秀。

3. 耐久性が高い

マジックテープ財布はアウトドアシーンやスポーツ用途でも人気があるほど丈夫に作られている。30代男性仕事育児趣味などで動き回ることが多い。そのため、頻繁に使うアイテムがタフであることは重要だ。汚れや水濡れに強い素材が使われることが多く、多少荒く扱ってもビクともしないのがポイント

4. ファッションに対する意外性

かに、「30代でマジックテープ財布はダサい」と思う人もいるかもしれない。しかし、ここが狙い目だ。むしろその「ダサさ」を逆手に取れば、ユニークキャラとして一目置かれる可能性がある。特にアウトドアブランドレトロ感のあるデザインの財布を選べば、趣味人としてのセンスアピールできる。

5. 子どもとの相性が良い

新生児の子守をしている30代男性にとって、マジックテープ財布は非常に実用的だ。片手が塞がっている状態でも簡単操作できる上、赤ちゃんバリバリ音に興味を示すこともある。これを利用して泣いている赤ちゃん一時的に落ち着かせることも可能だ。

6. セキュリティ性の高さ

マジックテープの特徴であるバリバリ音」は、財布が不意に開けられた場合でもすぐに気づける。電車や混雑した場所スリ被害を防ぐ効果も期待できる。音がすることで「誰かに財布を開けられている」という状況に素早く反応できるのだ。

7. ユースケース多様性

普段使い以外にも、旅行スポーツ時に最適だ。旅行中は軽量で丈夫な財布が必要だが、マジックテープ財布はその条件を満たす。小銭やカードをしっかりと収納でき、どんな状況でも実用性を発揮する。

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30代男性マジックテープ財布を使うのは、実用性、経済性、そして意外なファッション性を兼ね備えた選択だ。他人の目を気にせず、真に自分ライフスタイルに合った財布を選ぶのが、30代の余裕を感じさせる大人の魅力でもあるのではないだろうか。

anond:20241214165636

名古屋東京まで1時間

大阪まで50分でいけるから

ちょっと遊びに行くのも簡単

心理的距離って、物理的な移動時間とは全然違うもんなんだなってことが都心に住んでみてよくわかった。

東京駅まで30分で着く杉並区に住んでたとき都心に住んでる今とでは感覚が全く違う。気が向いた時に歩いてすぐ行ける範囲がどんなものかってのが生活感覚としてはすごく重要なんだと思う。

anond:20241214164742

名古屋東京まで1時間

大阪まで50分でいけるから

ちょっと遊びに行くのも簡単

住むならこんなに良いところはない

メシもうまい

anond:20241214100216

臭い人は性病からだと思う

簡単に誰とでも寝る人が性病になるのは当然の摂理

anond:20241214093742

http://shuchi.php.co.jp/article/777

>さて、この処方箋簡単だ。インフレ期待を起こせばいい。これほど簡単なことはない。

日本銀行お金をいっぱい刷り、これからも当分そうしますよ、といえばいい。

>いままでの日銀による金融緩和は、お金はとりあえず刷るけれどすぐやめますからね、

>と言い続けていたのでインフレ期待はまったく上がらなかったのだ。

>読者諸賢におかれましては、とにかくデフレはよくないもので、

日銀がその気になればすぐに解決できるんだということだけでもこの一文から読み取っていただければ幸甚

男が日焼け止めに求めること

水で簡単に落ちるけど日焼け止め効果は高い

以上

というか男向けの日焼け止めというもの真剣に考えるべきだよな。

まあどうせ化粧会社は男向けって言っても、アルコール成分を多めに増やして清涼感を上げるとかくらいしかしないんだけどな。

ブスとバカデブ絶対東大にいけ、間違っても夜職に関わるな

そのまま

ブスとバカデブは夜職に関わってはいけない。特にデブ

そのままの意味、夜職に入ろうと思ってはいけないし、ホストなどの夜遊びもしちゃいけない。


ホストに来る客で良く居るのが、「お金払えなくなったらガルバではたらこ♪慣れたらキャバセクキャバ最後風俗♪」みたいなバカ

内心では夜職を見下してるから簡単に稼げると思ってる。

まずブスデブバカガルバで働けない、体入ですら弾かれる。ブスは特にだらしないから勤怠が悪いが常識

風俗なら最低限、クレカの限度額なら稼げるかもしれないが、そもそもガルバから……と言ってる、立派な貞操観念がある時点で無理。

そういうブスバデブは大体常識的な金銭感覚を持っているため、低賃金のおじさん宜しく同伴店外アフター乞食要求が多すぎて嫌われる。

でそういうブスバデブは大体相手立場になって物事考えられないため、ガルバキャバセクキャバも働けない。


夜の業界で働けない上に、遊んでも夜の業界の人に迷惑をかける。

そういうブスバデブマンコを広げれば簡単に金を稼げるが、滅茶苦茶頑張って50万までが限度。コスパが悪すぎる。

200万300万稼ぐホス狂風俗嬢は馬鹿にされがちだが、一般職で100万稼げる程度のコミュニケーション能力と忍耐、

効率よく金稼げるだけの頭の良さは必要。ブスバデブほどそういう人を馬鹿にしてる。

おっとり刀、みたいな誤解されやす言葉はもう死語にした方がいいよ。

気のおけない仲、とかさ。

直感的じゃない言葉は、さっさと捨てようよ。

いやわかるよ。

言葉簡単に捨てるべきじゃない、って感じ方は。

でもさ、実際のところ真逆に捉えられがちな言葉を使い続けることの不具合放置するのってどうなの?

それともあれかな、知識マウントを取りたいだけなんかな。

だとしたら馬鹿馬鹿しいと思う。

生成AIがつくった音楽意図せず聞いていたという話

パソコンで何かをするときYoutube音楽をまとめた動画を聞いていることがある。最近タイトルがない曲を大量にアップロードしている音楽動画がたくさんあることに気づいた。どうも調べてみると、生成AIで作った音楽をまとめて投稿しているらしい。私は何の気なしにAIで作った音楽集を聞いていた。それだけならどうということもない話だが・・・

イラスト音楽、どちらもAIで生成できる

実は私はイラストを描いてお小遣いを得ているような人間だ。イラストレーターとして独り立ちできるような根性も実力もないが、細々と副業程度で描いている。イラストと生成AIについてはX(Twitter)周辺でかなり紛糾する話題になっているし、はてな匿名に生成AIイラスト投稿もいくつか見かけるからたことがある人も多いと思う。簡単に言うと、著作権無視してネット画像を漁った上で生成したイラスト著作権はどうなっているのか?こうして生み出されるイラスト仕事が奪われるのではないか?というのが議論の骨子である。私はしがないながらもイラストレーターなのでイラスト関連の生成AIについてはかなり敏感になっていたのだが、音楽については完全に視野の外にあった。そんな私が生成AI音楽出会ったのだった。

音楽に疎い人は、生成AIと気づかない

言いたいことは、見だしにある通りだ。音楽に疎い人は、生成AIで生み出された音楽と気づかない。例えばどこかの飲食店BGMとして流れている音楽に、生成AI音楽が紛れていても、音楽オンチの私は絶対に気づかない。

世の中には音楽に救われる人もいる。音楽歌詞メロディをしっかりと味わう人もいる。しかし正直なところ、私は音楽なんてなくたってどうってこともない人間だ。音楽オンチ音楽については冷淡でいる。だから生成された音楽があっても気づかないし、見つけてもなんとも思わなかった。同じことはイラストにも言えるだろう。イラストに興味がない人ならば、いくら生成AIだかと言われてもピンとこない。だったらイラスト制作会社が生成AI使ったってなんの反発も受けないし、やるだろう。安くつくから。面倒な発注をせずにちゃちゃっと作っちゃえば、パッと見きれいなイラストが作れる。細部を見るとおかしなところがあっても、ほとんどの人は気にしない。

将来的に俳優脚本ユーザーサポート医療などで生成AIを使う場面は増えてくる。そうなると有益から使うという考え方と、著作権お仕事を守らなければならない考えが今以上に激しくぶつかり合う場面が出てくるかもしれない。ユーザーサポートAIで代行するのは楽だとしても、お仕事なくなるんじゃない?医療診断でAIを使うとお医者さんは間違いが減らせて患者さんも助かるけど、それって医者治療方針を最終判断するだけの存在にならない?俳優著作権があるけれど、そういう人を使うより文句も言わず何でもやってくれるAI俳優CM出てもらったほうが安くつかない?

とまあ色々書いてきたけど、結論とかなにもないです。寝る前に布団の中でグルグル考えていたこと書いただけです。おやすみなさい。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

2024-12-13

anond:20241213222413

飢饉やら戦争やらで簡単に途絶えるもんだし

5代も遡れば同じご先祖遺伝子持ってる人間なんていっぱいいるか大丈夫

200年前の日本人口なんて2500万人しかいなかったんだし

anond:20241213204816

フムスなんて簡単につくれるよ

普通スーパーにもボイル済み(というか戻し済?)のひよこ豆(ガルバンゾ)売ってるはずだし

輸入食品扱ってるとこなら桃缶みたいな缶詰型でもっと安くて多いのもあるし、自分で茹でるなら乾燥状態のがネットさらに安く買える

フードプロセッサーに豆と練りゴマレモン汁とオリーブオイルにんにくと塩ぶちこんで回すだけだ

俺はスメール実装されてコレイちゃんからピタレシピもらってワァ:( ;´꒳`;):ってなってた時期によく自分ピタパン作ってフムスと甘辛だれにカレー粉混ぜて味付けた豚肉レタストマト挟んでコレイちゃんから貰った体で食べてたぞ

海無し県住みの田舎もんだって中東を味わうくらい余裕ですわ

anond:20241213175321

【答え】

「えっ脳がメロンパンになる病気って…どういうことなの?」の文からAI文章になってます

簡単だったかな?

クイズ】なんで缶のおしるこカロリーが高いのか

多分砂糖がたんまり入ってるんだろうなぁ

100gで88kcal

180g入りだから160kcalくらい

あとあずきも入ってるしなぁ

仕方ないなぁ

太りたくないけど、飲みたいから飲むかな

ゴクッゴクッ

あれれ?

このおしるこ、甘くないぞ??

「やあ、こんにちは。君が飲んでるのは缶の鯛茶漬けだよ」

あっ見知らぬおじさん、どうしたの?

「さっき仕事を無断で遅刻して15時に出勤したらクビになったんだ!」

そ、そりゃ解雇もされるよね…。

それより、僕が飲んでるのはおしるこなはずなんだけど…

「それは違う!おじさんは自販機を補充するベンダーって仕事してたんだけど、そこの自販機の鯛茶漬けのラベルお汁粉に変えておいたのさ!」

そんなことできるの!?違法じゃないの?

「もちろん違法さ!だから解雇されたのさ!」

かに…納得のいく理由だね…

「じゃあ今から君の家に遊びにいっていい?」

いやダメだよ…ママが怒りそう

 

「おじさん、実はNintendo Switch次世代機を持ってるんだけど」

えっ!?本当に?

「本当さ。なんせ犯罪者からね!守秘義務なんて簡単に破るんだよ!」

カッコよく言ってるけど普通にアウトだけどね…

「さあ、君の家に行こう!」


(僕くんの自宅)


「おお、意外と大きい家に住んでるんだね!」

意外とか一言多いよ…それより、次世代機見せて!

「もちろん!これさ!!」

えっ…なにこれ…ただのお菓子の箱じゃん

「ごめん。おじさん嘘ついた。お詫びにこれでも飲んでくれ」

あっありがとう…ってこれおしるこじゃん!

「もちろん中身は鯛茶漬けだよ」

いらないよ!もうおじさん出ていって!居座ったら住居侵入罪通報するよ!

「ごめん、本当はあるんだ…Nintendo Switch次世代機。これだよ」

えっ、これ…すごい!

見た目はNintendo Switchに近いけど、明らかに画質がいい!そしてこのソフトは、マリオの新作!?

「そうだよ。おじさんは実は任天堂取引がある会社で、解雇されたついでに開発機を盗んだのさ。

 でもその代わり、脳がメロンパンになる病気なっちゃった

「えっ脳がメロンパンになる病気って…どういうことなの?」

僕が恐る恐る聞くと、おじさんは急に真剣な顔になった。

文字通りさ。脳がメロンパンになるんだよ。ほら、触ってみる?」

そう言っておじさんは頭を差し出してきた。

「え…触っていいの?」

僕は恐る恐るおじさんの頭に手を伸ばした。すると、ふわっとした感触とともに、かすかに甘い香りが漂ってきた。

「え、これ本当にメロンパンじゃん!」

驚いて叫ぶ僕に、おじさんは満足げに笑った。

「そうだろう?実はこの病気任天堂の極秘プロジェクトに関わっている人間けが感染するんだ。

脳がメロンパンになると、ゲームの発想が異次元になるらしいよ」

「いやいや、それってデメリットしかなくない?だって頭の中メロンパンで考えられるの?」

「おじさんも最初はそう思った。でもメロンパンの脳って、実は天才的なんだ。

ほら、このマリオの新作、見てごらんよ!」

僕は半信半疑次世代Switch操作してみた。画面に映し出されたのは、見たこともないマリオだった。

なぜかマリオ帽子クリームパンになっている。ジャンプするとクリームが飛び散り、敵を倒すたびにカロリーが増えていく。

「え、これ、なに?」

「“スーパーマリオカロリークエスト”だよ!任天堂の新たな挑戦だ!」

僕は唖然としたままプレイを続けた。妙にクセになるゲーム性があった。

「おじさん、これ…すごいけど、やっぱり脳がメロンパンの人が作ったゲームだよね…」

おじさんはニヤリと笑った。

「そうだろう?君もメロンパン脳にならないかもっとすごいゲームが作れるぞ」

「いや、怖いよ!僕は普通の脳で十分だから!」

するとおじさんは寂しそうに肩を落とした。

「そっか…。じゃあ最後にこれを飲んでくれ」

また渡された缶を見てみると、そこには「新作おしるこ」と書かれていた。

「どうせまた鯛茶漬けなんでしょ?」と疑いながら飲んでみると、なんと今度は本当に甘いおしるこだった。

「おいしい…!これは普通の…いや、待って、頭がなんか熱い!?

次の瞬間、僕の視界が急に甘い香りに包まれ、何かが変わっていく感覚が…。

「ようこそ、メロンパン世界へ!」

おじさんの声がやけに遠くに聞こえた気がした。

その日から僕の人生は、メロンパンとともに新たなステージに進んだのだった。




クイズ時間です】

さて、どこでAIの文に変わったでしょうか?

答えはトラバを見てね!

anond:20241213153840

(俺は横だしP2Wも存続のための必要悪だとおもうから具体的な名前はいわないけど)

よくあるパズルゲーは最初簡単みえてもだんだん課金広告閲覧も含む)で手に入るお助けアイテム必須になっていくのが多いよ

課金で済むし通信量も少ないか年末年始実家にいるときとかまた遊んじゃうとおもう

anond:20241213110235

自炊魔法錬金術と同じで高度な技術を要する

素人簡単に真似できるものではない

今年の漢字の四年周期の感じな増田真魚仁賀の祈雨主審寝よの仁賀の茂登子(回文

おはようございます

今年の漢字決まったわよね!

なにかななにかな?って

クワクがもう止まったと同然な結果発表を結果ハッピャーが華麗にも発表していたけど、

そもそもあの崩した毛筆書体が「金」だって言うことはフィフティーフィフティーで分かりにくいものよね。

大谷翔平選手ワンチャンのお利口な始球式を美事空気を読んで成し遂げたデコイだって読めないわ。

そんなもう決まりきった4年間の周期の漢字定期!

そんなところを感じてしまうわ。

無難な感じね。

まあオリンピックイヤーはもうもれなく金だっつーことを皆薄々気づきまくりまくりすてぃーで

今年も金なんでしょ?って

もうこすり倒し続けている

谷でも金!亮子でも金!とは笑ってられないわよね。

あれ自由記述今年の漢字にするなら集計も簡単でしょ?って思うし、

1回やってみたらいいのよ。

私は今年の漢字はビャンビャン麺の「ビャン」よ!

既に漢字で書けてないけれどインターネッツ界隈ではその「ビャン」にキャンセルすることは無いと思う話題沸騰だったと思うの。

たぶんみんなビャンビャンって言いたいだけなのよ。

手偏にガンダムでもよかったけれど今年の漢字

でも、

だって私はその肝心の「ビャンビャン麺」って食べたことないもの

世の中にそんなビャンビャン麺って本当にあるの?って感じだし、

コンビニカップラーメン売り場のコーナーの陳列棚の上から下左右見渡しても「ビャンビャン麺」のビの字も見つからないわ!

一瞬「ビ」って見付けたけれど「ビーフン」だったしあれは米粉よ!ビャンビャンしてないし。

その今年の漢字をあまりにもみんなが予想していたものと裏切らない度100パーセントを達成するように、

ものの見事に「金」になっちゃったわよね!

あれ本場漢字中国では今年の漢字!とかってやってんのかしら?

それも気になるところだけど。

漢字圏の国はやってそうな年末楽しいイベントよね。

でもやっぱり今年の漢字安直に「金」と決まってしまう世の中の危うさは皆普通一般的無難な変な感じを選んでも後ろ指を指されない程度の大人しめな投票なっちゃってるのかも知れないわ。

皆と一緒のものを選んで安全を確保するっていう具合に。

いくら漢字表意文字アイコン的に1文字で多くの意味を一瞬で捉えられる情報量が詰まっているとは言え、

1年を漢字文字で担わせるのは負担が大きいのよ。

例えば

牛丼屋さんで牛丼栄養満点だ!って

たんぱく質牛肉

炭水化物ご飯

野菜紅ショウガ

これで栄養満点だ!って言われても

紅ショウガ野菜としての担わせる負担デカく大きくない?

紅ショウガ単体で野菜栄養素は担えないの。

それと一緒で漢字文字で今年1年の出来事を現すっていうのがそもそもとして無理があるのかも知れないわ。

創作漢字文字熟語とか創作漢字二字熟語とか

私がなにげに見た短歌テレビ新聞雑誌を切り抜いたものでアトランダムで作った川柳

人妻が男の気持ち攻めきれず」っていうのが優勝で、

何かこの人妻だったら攻めきれる度100パーセントじゃない?

でも攻めきれなかったってところがジワるわ。

から文字熟女でも二字熟女でもいいのかなって。

まあそれはともかく、

みなが予想していた「金」に選ばれて、

もう一度選ばれた漢字選考候補に挙げない投票できないって仕組みにしたらもう「金」が選ばれることがなくなるから

日本の使われている漢字が枯渇するまで続けられると思うわ。

なんかでもあれが清水寺の偉いお寺のお師匠様が書く金の漢字がどうしても金に読めないぐらい達筆すぎてそれはそれでいいのかしら?って思うところもあるし

なんとかは筆を選ばずとは言うけれど、

もうちょっと読みやすい「金」でもいいんじゃない?って思うし、

あの筆の太さなら細かい総画数が多い漢字が書けない問題も新たに直面するからなおのさら

「ビャンビャン麺」の「ビャン」って漢字今年の漢字になったなら

半紙が真っ黒になっちゃうわよね。

何書いてあるのかよく分からないビャン!って

でもまあみんな年末になればすっかり今年の漢字のことも忘れちゃって

現に今年何年だったっけ?ってみんな覚えてないでしょ?ってのもあると思うの。

干支が覚えられているのはお正月三が日までで

今年の漢字が覚えられているのは今年中だってことまでで

でも例外があってオリンピックイヤーは必ず今年の漢字は「金」になるから

みんなの記憶に残りやすいし絶対忘れないじゃない!

オリンピックイヤーは絶対今年の漢字「金」ですな!って

たぶんこれから忘年会シーズンで、

カウンターテーブルに座敷などで

今年の漢字は「金」ですなー!「金」でしたねー!って

田村さんと谷さんが話していたら笑えるけれど。

正に田村さんも「金」の今年の漢字を気にしているし

谷さんも「金」の今年の漢字を気にしているしってことで

忘年会盛り上がると思うの。

今年の一皿漢字文字も「ビーフストロガノフ」ってもうみんな忘れちゃってるでしょ?

みんなビーフストロガノフって言いたいけれど

実体はなに?って食べたことない人も多いかもしれない憧れを込めつつ、

本場の「ビーフストロガノフ」ってどこで食べられるのかしら?

名前は良く聞く料理名だけど

実際何屋さんの何を専門にしている料理店に行けば、

「ビャンビャン麺」や「ビーフストロガノフ」を食べられるのかしら?って思うの。

あと私が憧れ続けているティーボーンステーキ

あれも完全ファンタジーステーキよね。

世の中にそもそもとして存在しうるのかしら?

今年の私の漢字は憧れを込めつつ「ティーボーンステーキ」ってやってもいいかもしれない。

思いっ切りティーボーンステーキ屋さんの大将に、

ティーボーンステーキ700グラム!」って凄い勢いで注文してみたいわ。

そして大将もそんな大きなステーキを焼くのが久しぶりだから張り切っちゃって

「へい!ティーボーンステーキ700グラムいっちょう!」って張り切って焼いてくれるの。

おまち!って出てきた鉄板に盛られたティーボーンステーキ700グラム鉄板の縁には大将の親指が入っていて、

いやラーメン鉢に大将の親指が入っているレヴェルを超えて

大将大将!親指鉄板で熱くないの?って心配ちゃうわ。

ティーボーンステーキ700グラムを焼くのに大将張り切りすぎ!って女将さんがフォローするのよ。

そして女将さんは付け合わせのお芋の煮っ転がしの小鉢を渡してくれるの。

私は早速そのティーボーンステーキ700グラムかぶりつこうと思ったけれど、

先に食べてしまおうと思った、

付け合わせのお芋の煮っ転がしのお芋が小さくてお箸でつかみにくくてそこに苦戦している皮肉さがあって、

もー!お箸で煮っ転がしのお芋が上手につまめないジレンマにも駆られて

でもティーボーンステーキも冷めないうちに食べたいし!って

二兎追うものは一兎をもーなんてティーボーンステーキは牛だけど!って思うの。

私は付け合わせのお芋の煮っ転がしは一旦置いといてティーボーンステーキに夢中になるはず!

そんな大将女将さんがやってる小料理屋で美味しいティーボーンステーキいってみたいわね。

女将さん生ビール頼むといつもニコニコして

手間の掛からない儲けのあるものを注文して頼んでくれると顔に出るところが面白いわ。

そんな女将さんの笑顔に「金」を与えたいわなんて安直オチにはしたくないけれど

いかに「金」って漢字が使いやすいってことをいつも4年に1度ぐらいのペースで思い出すには

やっぱり今年の漢字は4年に1回のペースで「金」になるってのが決まりになっているんだわ。

うふふ。


今日朝ご飯

ホットドッグしました!

キャベツがたくさん挟んであってソーセージが挟まっているやつ!

おー!しんなりキャベツの千切りとソーセージが美味しいマッチングよ。

ここなんかお店行列がたくさん出来ていて久しく寄れていなかったけれど

前を通ったらタイミング良く買えてよかったし、

今日は幸先いい感じよ!

デトックスウォーター

ホッツハチミツインレモンウォーラー

なんか甘みが欲しかったので

あんまり使わないハニー感のあるハチミツを入れてみました。

ホッツハチミツアンドレモンウォーラー

朝起きた身体を温めるわ。

電気ポットの朝沸いているお湯のタイマーは便利過ぎる利器ね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-12-12

スマホ無限にやってしまうのは『したいこと・すべきことを決めて』、『決めたことをやる』ということに対して、無意識に抱く忌避感が増えてしまたからかもしれない。

したいことについて、いまは何かしたいという気持ちがない。すべきことならたくさんある。けれど、どれも大なり小なり負荷があって、それに見合う意志の強さが必要だろう。

ただスマホを見続けることについて、頭にも体にも負荷はまず必要ない。なにかを決める必要もないし、やる必要もない。逃避先としてなんて優れているんだろう。

無理なときに無理に頑張るのは事態悪化させるだけで、そういったとき逃避することが必要になることもあるのかもしれない。

でも自分がいま無理なときに陥っているのか、ただやらない言い訳にすがって甘えているだけなのか、それを判断するのは簡単じゃないように思う。

自分ちょっと前までは本当に無理だったのかもしれないが、最悪は脱したような感じもするし、もっと負荷を増やしていったほうが良いんだろう、きっと。

こういうの見て行政が悪いみたいなこと言い出す人たまにいるけどそう簡単民事ポンポン口出しできるわけねーだろって感じだよなあ

だいたい行政文句言うアホってAの案件には口出ししろ、Bの案件では余計なことするな、のダブスタタイプいか無視しても問題ない存在

anond:20241212173717

セックスが好きで好きで仕方なくて今の仕事にも誇りを持っていて

将来もポルノスターになりたいがビジネス多角化させるために通うってなら

現状の建前は芸能枠みたいなので、消去的に支持しますけど

そうじゃないなら休学して昼職すればいいじゃん

 

マジで高等教育受ける必要性ないよ。こういう人たち

アカデミアの人間ミスコン黙認してるだけあってどうかしてますわな

 

若さや性を売って簡単に金を稼げるを覚えさせる輩(anond:20241212173416)も滅びてよい

水商売接客が出来るなら、同性の同僚はともかく(フツーにキャスト同士で揉めてるし)

異性の同僚や上司なんて転がし放題よ

実際、それで、IT経験バツイチ子持ちアラサー↑で、

転がしまくって初アサインでフルリモートかつ残業ゼロ仕事を勝ち取った人おったよ

 

けどまぁ秒でやめたよね、給与が安い&やり甲斐がないか

 

やり甲斐スキルアップやある程度の給与求めるなら、英語が出来るんだし、

◯◯やった方がいいとかXXやった方がいいって言ったけど、

子どもいるから家にストレス持ち帰りたくないとか言ってやらないよね

 

苦労する=スキルアップ出来る ではないので、無駄な苦労はしない方がいいが、

かといって、若さや性を売って簡単に金を稼げるは覚えさせてはいけない

後の就業に大きな影響与えるし、年取ったら水商売風俗給与安いし自尊心傷つくぞ

AIのやつ手のひらクルクルしすぎ

自分AI反対派なのよ。


著作権とか芸術性とかは正直どうでもいい。

AI技術が発展すると仕事が難しくなる上に作業量が増えるのよ。絶対に。

昔は手紙を他部署に届けるだけの人が会社内にいたのに、今じゃ業務連絡はメールでポイだもん。

技術の発達は簡単仕事を奪って労働者価値を下げる。当然、給料相対的に減るから貧困格差も加速する。

自分死ぬわけにいかいかAIは使うけど、労働環境悪化社会崩壊が目に見えてるからスタンス的には反対派。




最近X(Grok)で画像生成が簡単に出来るようになった。そしたら、AI反対!とか抜かしてた人が手のひらクルクル画像生成で遊んでやがる。

おまけに、文章生成はセーフとかクリーンAIからとか訳わかんない主張もある。



AI絵師は盗人w」「AIのくせに絵師名乗るなよw」とか言いながら結局あいつら、羨ましいがってたんだよ。

AI画像生成となると、サイト次第で英語必要だったり課金必要だったりPCスペックや最低限知識必要で、全員がAI享受を受けられなかった。



からどうだ、AI画像生成が誰でもカンタンに出来るようになってきたら、どいつもこいつも使いやがる。

そして手のひらクルクル大回転。

使うのは構わないが最後まで主張は通せよ。

個人だけじゃなくて、企業社会も「AI怖いですねぇ」みたいな顔して水面下ではAIジャンジャン進めてやがった。

(国は最初からAI推進だったかも、まあそうよね…)


AI絵師イラストレーター嫉妬したように、反対派の殆どAI使えないやつがAI絵師嫉妬してただけだった。

AI技術に関しては、夢があると思う。

スマホ世界が変わったように、AI技術想像できなかった未来があるかもしれない。

電脳世界が実現するかもしれない。

働かない社会もあるかもしれない。

すごく夢がある。




ただ、使う人間本体ゴミすぎるからどうしようもない。マウント取るし、欲に任せて行動するし、他人任せの自己中だし、人類協力もクソもない。

ちょっとAI技術の発展は早すぎる。

もう少し初期インターネット時代みたいに緩やかに変わって欲しかった。

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