はてなキーワード: アクションとは
日本史塾講師の動画 https://www.youtube.com/watch?v=RRIWLygFPhE
論旨・主張について、問題はない。その通りだと思う。
ビミョーだが大事な点で異なるのは、高市首相と岡田克也議員の質疑に対する答弁を議事から引用し再現している箇所である。
塾講師:
「台湾を統一であの完全に、ま、中国北京政府の支配に置くようなことのためにどのような手段を使うか、ま、それは単なる、ま、シーレーンの封鎖であるかもしれないし、実力行使であるかもしれないし、それから偽情報、サイバープロパガンダであるかもしれないし、それは、あの、いろんなケースが考えられると思いますよ。」とでま、こういう風に高一さんは言ってるわけですね、でその後ですね、「だけれども、あの、それがやはり、戦艦を使ってですね、そして武力の行使も伴うものであれば、ま、これはあのどう考えても存立危機事態になり得うるケースであると私は考えます」
これは、2025年11月7日(金)の岡田克也議員との以下のやり取りの箇所である。
高市早苗(首相)の会議録は次の箇所 https://kokkai.ndl.go.jp/txt/121905261X00220251107/188
「例えば、台湾を完全に中国、北京政府の支配下に置くようなことのためにどういう手段を使うか。それは単なるシーレーンの封鎖であるかもしれないし、武力行使であるかもしれないし、それから偽情報、サイバープロパガンダであるかもしれないし、それはいろいろなケースが考えられると思いますよ。だけれども、それが戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます」
この答弁を指して、塾講師は次のように主張している。
「中国が台湾を攻撃すれば、日本の自衛隊は出撃しますよ」と取られても仕方のない、そういう発言を高市総理は国会答弁でしました。
切り取りをすれば、この塾講師の主張するように解釈されても仕方がないのは、その通りである。だが、日本史の塾講師で偉そうに講釈するならば、この直前での高市早苗首相の答弁も参照しなければフェアではない。
高市早苗(首相)の会議録は次の箇所 https://kokkai.ndl.go.jp/txt/121905261X00220251107/186
例えば、その海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかのほかの武力行使が行われる、こういった事態も想定されることでございます
と答弁しており、高市早苗首相はのアタマの中では、次のようなフローが浮かんでいたことは明らかである。
上記は、これまでの日本政府が2015年の平和安全法の整備から日本政府の変わらない姿勢である。
塾講師は、高市早苗首相の発言について、問題なのは「個別具体的な事例に踏み込んだ発言をした」ことだと言っている。確かに高市早苗首相は個別具体的なことを述べているのだが、ポイントは「台湾有事=>存立危機事態」というそこではなく「台湾への武力侵攻 => 米軍の支援」とあたかも台湾侵攻があれば自動的に米軍が支援すると言っているかのような状況を想定している点である。
存立危機事態の想定とは集団的自衛権の発動条件のことだが、それは友好国が武力攻撃を受けた時に自衛権の行使として戦闘につながることである。日本政府のこれまでの立論では、友好国=米国という説で国会質疑を乗り切ってきていた。高市早苗首相のアタマの中にはそうした前提があっただろうと考えられる。
したがって、本当ならば、高市早苗首相は今回の迂闊な答弁について弁解することも可能ではあったのだ。「台湾有事が即ち存立危機事態」になるわけではない「来援した米軍が攻撃を受ければ、事態認定の判断を取り得る」と言い直すことも出来た。だがしかし、それでは「台湾有事の際には米軍が介入する」と言っているに等しくなってしまう。ここがあるため引き返せないのである。
高市発言の問題とは、「台湾への武力侵攻」を端緒とした具体例で米国の武力支援を引き合いに出した点にあると思う。米国政府は台湾に介入することを公式には認めていない。米国政府は常に「東アジア・台湾海峡の平和を支持する」と表明するに過ぎない。米国の姿勢は中国と台湾それぞれへの配慮であり、それぞれへの牽制である。
現在の日米政府の共通の認識は、台湾で有事があれば世界にとっての危機的状況になり得るということである。ならば、それぞれ自国の判断で危機的状況に対する積極的アクションを起こす必要があるということも、日米供に認識していることである。
したがって、本来であれば「日本の近隣である台湾で有事があれば、事態認定の判断を取り得る」と言うべきなのだ。しかし、それはこれまでの日本政府の立場を変えることになる。本来であれば、しっかりと閣議を通じて決めなければイケないことであった。
これが、岡田克也議員の「軽々しく言うべきではない」という警告がそのまま現実になってしまった今なのだった。
歴史経緯の解説は、TBSラジオでの劉彦甫さん、前原志保さんの解説が分かり易い。
記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラが太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このときは直射日光のレンズに当らないやうに注意をして頂きます。
フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。
いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である。
只逆光線で太陽を前景のカメラをもつている人でシエードした事が、レンズに太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。
写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。
逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。
検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。
一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。
ネットで検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。
ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。
もしかすると、文章にならないような口語・俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。
さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家の松田政男である。
この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか。
コスタ・ガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆の視点から、革命と反革命の弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である。
往年の安部公房のテーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代を叱咤しているのである。
自動車から飛行機への発明のベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクス・メディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか。
エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己を否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。
チャップリンが、常に、可哀想なヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆、禁欲的にまで非情に、アクションの共同体を映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである。
そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかしトロツキーとは真逆に、スターリニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。
この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりはエンターテインメントとして消費されてしまう石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。
私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······
レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由で平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいにしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルスの理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスやレーニンや、その他もろもろの革命の理想である。
この密林の猟師は年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家の長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。
そこへ行くと、日活ポルノ裁判の被告として四年間の沈黙を余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATGと提携=製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。
高橋明や庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ。
しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなのである。
亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ。
そして、面白いのは、西欧的な父性原理に依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州のフォークロアに原型をもつ物語の真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。
いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。
1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆」用法は、特に映画系のライターのあいだで広まっていったようである。
もっとも地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器の露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパの絵画や彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間の自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である。
「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業の世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」
松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ、吉田松陰とは、真逆のように思える。
仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。
見てきた。
おもろい、おもんないと色々入り乱れてるがネタバレ込みの感想。
事前情報全くなしで行ってみた。
が、いまいち「死者の世界」のルールがわからん。死んでるけどそこでは生きてるようで2回目の死で「虚無」になる。
死んでるのにお腹すくの?
過去も未来も混ざった世界で様々な世界の様々な時代の死者がいてる。
けど、なぜか言語はなぜか通じてる。
復讐相手(王)が「見果てぬ場所」てとこにいるらしくスカーレットはそこを目指す。
スカーレット「敵はぶっ殺す」聖「殺したらあかん」とぶつかるが
あんまり深刻にはぶつからず、そこはテーマではないんかとよくわからない。
スカーレット、なぜかノーヒントで「見果てぬ場所」へ向かえてしまう。
キャラバンに合流したり中ボスと戦ったりして、なんやかんやあり渋谷で踊る。この時の曲の歌詞がとても臭く「愛について教えてよ〜」作詞細田監督やった…orz
見果てぬ場所はすごい山の頂上から階段が伸びてるとこにあるらしい。
ちなみにこの山エベレスト?てくらいに高い。
いっぱいの民衆が山に集まり山を要塞化したラスボス王に襲いかかる。
なんやかんやで頂上に登れた。噴火してたのに雪山のようになってて
そこに現れた中ボス、バトルに入るも殺されそうに。
そこに途中で戦った中ボスが助けに!(戦った後逃してあげた)
まあ来ると思ってたよ。で民衆どこいったの?
殺す!殺さんといて!許す!アホが!自分許す!とかあり雷にうたれラスボス虚無化。
そしたら聖とキャラバンのみなさんが現れて、死者の国まとめてる人が「スカーレット死んでないで」
聖とお別れ、いやー、けど戻るキスー(このシーンはよかった)
スカーレット戻って国治るわー
城の外にすごい群衆50万人くらいいてそう、ここどこよ?
民が「女王様はわたしたちの暮らしがよくなる政治をしてくれるの?」(ド直球でなく、もう少し言い回しなかったのか」
民「それなら協力するぜー」(もう少し言い回し…)
スカーレット 歌い出して終わり。
ストーリーのとっかかりはいいのだけど、細かいセリフの拙さが気になった。
細田監督は原案だけだして脚本は任せた方がいいんじゃないかな。
それいるか?という場面も多かったですが。
ヤバいくらい興味沸かない....こんなに興味ないことってあるんだ。
逆になんかすごい。
ぐらいかな。これは実際に何かやったんならその具体的な話を聞きたい。でも「決断した」だから具体的なアクションには結びついてないのかもな。
「自分の中では大したことだったのかもしれないけど他人に関係ないな〜」って思う話ばかり
■Noteで有料記事書こうと思うけどこのトピック気になる人いると思う?
最近色んな人と話すことが多く、思ったより自分の人生が他人よりも濃い人生送ってるな・・・と感じた(まあ周りがあまり自己開示してないだけかもしれないけど)
なんか人生の切り売りするみたいであんまよろしくないなーとは思うものの、自分の人生の振り返りを兼ねて記録して、まあ、それで楽しんでくれる人やお布施くれる人がいるなら良いのかなと感じている。
トピックとしてはざっくりこんな感じ
- なんか俺の出生届だけが兄弟と全く違う件
- キラキラネームとアイデンティティ
- 狂った家庭の虐待の話
- ヤクザの親父を持ったことの大変さ
- クソ親父の思い出
- 幼少期の自分や友達が持っていたレアグッズの話(現在市場価値も添えて)
- グレた自分の学校での奇行について
- 家系の謎の話(プロテスタントと真言宗醍醐派仏教の話)
- 自分の宗教観と日本社会の宗教観の話
- WW2の曾祖母の伝説とそれが与えた自分への価値観
- 親父が殺し屋に襲われた件
- 右翼団体についてざっくりと知ってること
- 家賃2万円の貧乏生活について
- ガチで飲食店が向いてなかった話(+学生バイトの思い出)
- 不登校からの社会復帰の話(中1~2不登校)
- うごくメモ帳のという閉ざされた空間のカルチャーを振り返る
- ヤバい(褒め言葉)高校に通ってた話
- いじめの話(なぜ子供はいじめを行うのか?)
- 自分のインターネットの懐古歴(海外フラッシュゲームの懐古と、角煮との出会い、萌へ萌へ王国ってなんだっけ・・・)
- 2chAPI移住騒動の思い出(避難所の栄光と衰退)
- iPhoneの脱獄アプリの思い出と、公式に取り込まれたその機能について
- Hackintosh、3DSの改造、arm9loaderhaxやNTR cfw,kit-katなどの話(偽トロ不要の無線キャプチャの思い出)
- 成長期における狂った投薬、抗うつ薬、睡眠薬の話
- ドーピングは悪なのか?
- 学生に流行ったスマートドラッグの話
- 大麻は国内で禁止すべき理由とバッドトリップ、法哲学の話
- ダークウェブの話
- 写真の思い出
- 俺はパンクなのか?
- アンダーグラウンドミュージックの話
- アナログレコードの面白さとゲームミュージックのアナログレコード市場の話
- スニーカー文化論の面白さ
- レアスニーカーの話
- 自分のスニーカーコレクションの話
- サバゲ沼の話(自分のカスタムについて)
- アートブック収集の面白さ、レアなアートブックはどんなものか
- 自分の作った服の話
- 自分の買った面白い服の話
- 近代ブートレグファッションについての批評、フェイクの取り締まりやバックグラウンドの話
- メサイアコンプレックスの話
- 独自のスタイルを持つことと、ズレたダサさの違い
- ピストバイクのカスタマイズの思い出
- 近代グラフィティ(ステッカーカルチャー)の考察
- 自分のグラフィティスタイルの話
- 出会系アプリを自動化したら平均32いいねのところを408いいね取って滅茶苦茶になった話
- ぼったくりバーの話
- 現代美術を知って
- スケボーの話(ギアや好きなプロスケーター、日本のスケートについて)
- ジョン・マカフィーやばくね?
- メディアリテラシー論を受けて
- 大学の思い出
- 俺のフルネームがボカロ?になってしまった話
- 大学で脳科学の実験モルモットになった話
- お酒が飲めない話
- 人を助けることの難しさ
- 自殺について(選択肢の豊かさについて)
- 日本の受動的攻撃行動について(+なんで日本は発達障害率が高いんだ?)ソース1ソース2
- 明晰夢と夢の中の分析の話
- ゲームの没データの話
- エミュレートサーバーの魅力
- FireStickの改造の話、アングラAndroidアプリの魅力
- ウクライナ避難民の保護を決断した話
- 支援の難しさと汚職について
- ウクライナのマフィアの話
- 如何にして人と分かり合えるか(1DKの同棲生活を3年続けた方法)
- 彼女の惚気話と自分の恋愛観の話
- 正しさとは何か
- アロマの話
- カフェ巡りの話(オススメの飲食店の話)
- 自分のうつ病との付き合い方、双極性障害についてなど
- 社会支援について知る
- システムで行う自己制御について(紙巻たばこの魅力)
- 自己流節約術
など
なんか哲学的は話とぶっ飛んだ話の組み合わせが好きなのは自分がミッドナイト・ゴスペルが好きだからかもしれない
なおワイ自身は実際に試していない。いろんな記事とかgeminiに壁あてしてまとめた。
【もらえる金・浮く金】
年間で約100万円ほど得する。
【手順】
ゲームにジャンル違いの要素いきなりぶち込まれるの結構好きなんだよな
横スクロールアクションのゲームのラスボスがシューティングゲームになったりとか
個人的には不意打ちで変なことされるのが好き
ファンタジー世界かと思ったら後半SF設定が出てくる小説とかノベルゲーも好きだし同じ系譜かもしれん
叙述トリックものも好きだし「気持ちよく驚く」体験が好きなのかも
そのあとバニーさんのいる店に行くぞ
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終電で帰るぞ
美しいバニーさんを眺めながらお酒を飲めてとても幸せだったなあ
バニーさんと語り合うことで、バニーさんにとってヌーブラがいかに便利かという点について知見を深めることができた
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0時に間に合わなかったけどゴミ出し間に合ってよかった
これもバニー神の思し召し
あれこそバニー神かもしれん
エリ・エリ・レマ・サバクバニー(神よ、バニー神よ、なぜバニーはこんなにも素晴らしいのですか)
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朝起きたら頭が痛い、二日酔いだ
なぜ俺はこんな日記を……
増田です
「人当たりが良い」の裏返しで、ありがた迷惑・しつこいまでの善意が本当にきつくなってきた
その蛇足の間にでる呼気で、こっちは死にそうになってる
無碍にしないほうが良いのはわかってるけど、どうしてもこのおっさんへの当たりがきつくなってしまう
こんなに臭くて、こんなに仕事できない、人に迷惑をかけている自覚が無いことは罪
仕事面においては、早急に解決できるように調整中。おっさん抜きにして、各方面に謝罪行脚してる。
おっさんは、自分がやってしまったことの大きさに気づいてない。ずっとへらへらしてる。関係ない雑談してる。
こんなやつに対してイライラはしないけど、こうして信用を落とす社員との接し方に困る。
「風邪じゃないなら、仕事する上で表情見えたほうがいいから、話すときだけでもマスク外せる?(意訳)」って言われた
きもすぎる
その通りです。「どかどかと売られている」という表現は、現在の12月のグロース市場の惨状を的確に表しています。
あなたが感じている違和感は正解です。**「企業の業績が悪くなったわけではないのに、需給だけで機械的に売られる」**のが12月の魔物です。
なぜ日本株、特にグロース市場でこの現象が起きるのか(Why)、そして統計的に「いつ反転しやすいのか(When)」について、プロの視点でメカニズムを解説します。
日本のグロース市場(旧マザーズ)は、取引参加者の約7割が個人投資家です。そのため、個人特有の事情が相場を支配します。主な要因は以下の3つです。
① 「損出し(Tax Loss Selling)」の売り
これが最大の要因です。
* 仕組み: 今年の株取引で利益が出ている投資家は、年末までに「含み損」を抱えている銘柄をあえて売却し、損失を確定させます。
* 目的: 利益と損失を相殺(損益通算)することで、支払う税金を安くするためです。
* 影響: 「今年は株価が下がってしまった銘柄」ほど、この節税目的の売りの標的になります。「見切り売り」ではなく「税金対策の事務的な売り」なので、価格を無視して投げ売られます。
* 仕組み: 12月は新規上場(IPO)が集中する季節です。IPOは短期間で利益が出やすいため、個人投資家に大人気です。
* 影響: 投資家はIPOの抽選資金や、上場直後の初値買いの資金を作るために、**「手持ちの既存グロース株」を現金化(換金売り)**します。これにより、市場から資金が抜けていきます。
* 仕組み: グロース市場にも一部入っている海外ヘッジファンド勢は、12月中旬から長期休暇に入ります。
* 影響: 買い手が不在(板が薄い)の中で、個人の「損出し売り」が降ってくるため、**少しの売りで株価が大きく下がる(ボラティリティが高まる)**現象が起きます。
では、いつエントリーすべきか? 統計的には明確な「転換点」が存在します。
日本の税制上、年内の取引としてカウントされるのは「受渡日(決済日)」が12月30日までの取引です。株式の受渡しは「約定日+2営業日」かかります。
「損出し売り」は、この**12月26日(金)**の大引けで完全に終了します。
逆に言えば、**12月中旬〜26日の間が「売り圧力のピーク(セリング・クライマックス)」**となり、株価は底を打ちやすくなります。
12月27日(月)以降の取引は、税制上「新年度(2026年)」の扱いになります。
* 新NISA枠の買い: 新年の非課税枠を使った買いが入り始める。
* ご祝儀相場: 1月は小型株が買われやすいアノマリー(1月効果)がある。
今、「どかどか売られている」のは、まさにセリング・クライマックスに向かっている証拠です。
* 今は「落ちるナイフ」:
* 無理に今すぐ買い向かう必要はありません。損出し売りは理不尽なほど下値を叩いてくる可能性があります。
* 12月24日〜26日あたりに、株価が異常に下げたタイミングがあれば、そこが年間の「大底」になる確率が高いです。
* 流動性が低い銘柄こそ、この時期の「損出し」で過剰に売り叩かれます。先ほど提示した「時価総額75億円〜85億円」というターゲットゾーンは、この12月特有の需給悪化によってのみ実現するボーナスタイムかもしれません。
この「損出し売り」の最終日(12月26日付近)に向けて、「監視すべき好業績・不人気グロース株リスト」**をピックアップしておきますか? 反発局面ではそれらが一斉に火を吹く可能性があります。
いやー良いなあ。本当に日本でこういうアクション起こす総理って半世紀ぶりじゃない?ホント良いな。俺は好きだよ。
流行語大賞が「働いて働いて~」とか誰も使わない様な単語が大賞取ってる辺り、マスコミが本当に嫌ってるんだろうなってのが判る。
日本はもう攻めなきゃダメだよ。50年ずっと波動拳をガードしてジリ貧になってる訳じゃん。そんなんで勝てる訳無いよ。これからは攻め!
評価1.5/5
ずっと主人公自身もクソクソいってるし、ゴーストワイヤーの相棒みたいなやつはずっと皮肉で嫌味いってくるし
オープンワールドもクソ
宝箱の中身も草とか石で装備も入ってない
マップもクソの役にも立たない
アクションはそこそこだけど、ターゲッティングあるくせに回避するとカメラ視界から敵外れるのマジでクソ
魔法もたくさんあるけど使い分けするほどじゃない 低難易度だったからだけども
そもそも魔法の切り替えもめんどくさくて切り替える気にならない
ストーリーは実はこんな事情があったんですーの怒涛の展開 回想イベント長すぎ
ボスも出てくるし
でもまあ鳥の敵なんか本来こうだよなとは思ったけど
こっちが地べた這いずり回る中、超遠距離から好きなように攻撃してくんの
連続で縦回転しながら剣?で攻撃してくる敵いたけど、こっちがそれやりてーわって思ったもん
桜井の動画であったみたいなヒットストップもろくにないから当ててるキモしねーし
独自用語と設定だけは練りこんだみたいなのは伝わってくるけど、それが一ミリもゲームとしての面白さに寄与してねーんだわ
最後の最後で全部の力を手に入れてできるようになるのが次元のはざまに隠れて泳ぐことだけってwww
すげえ力手に入れてやることが敵の攻撃から逃げることかよwww
アヌビスのゼロシフトも似たようなシチュで使えるようになった特別な技だったけどあれはクソ熱かっただろ
ゲームとしての爽快感と、キャラストーリーオープンワールドがかみあってない駄作
最近はもうすっかり枯れた感のあるジョン・ウー監督と、なんかうまくいかない映画にばかり出ているジョエル・キナマン主演のアクション映画。今回は全編、登場人物のセリフがない構成となっているのがウリ。ラジオの音声とかはあるんだけど、たぶん登場人物は一回も喋ってなかったんじゃないかな。
話としてはギャング同士の抗争の流れ弾で息子(チンコじゃないほう)を喪ったキナマンは怒り心頭、ギャングの車を追いかけ鉄パイプで襲撃をかけるも反撃にあい喉を撃ち抜かれてしまう。声帯を失うも一命をとりとめたキナマンは妻の心配をよそに1年後の復讐に向けて身体を技術を鍛えはじめ、頑張って復讐する。
ジョン・ウー映画なので100回くらいスローモーションがある。もちろんアクションのすごさを演出する部分もあるんだけど、そこスローにする意味 is 何?ってなって笑っちゃうところすらある。
キナマンが声帯を潰されて(喉を正面から打たれたら脊椎が損傷すると思うのですがそれは……)声が出ないのはいいんだけど、他の人物は声が出るはずなのに何も喋らないのはよくわからない。一回、特に何の意味もなく黒い鳥が夫婦の家の外に飛んできて、カメラがそれにフォーカスし窓の中で妻が何か言っているが聞こえなくなり、それが終わるとまたカメラが家の中に戻るという、台詞なし映画というメタな設定にのみ奉仕しているシーンがあって笑ってしまった。
一般人キナマンは戦闘能力は皆無で復讐を決めてからYoutubeや射撃場、クソ広い倉庫で格闘射撃運転の練習を繰り返して復讐鬼として成長していくのが面白みと思う人もいるだろうけど、これって狼の死刑宣告でもやったし、デス・ウィッシュでもやったしなぁと思ってしまった。
後は今更ジョン・ウー映画で言ってもなぁと思うのは、身体性の低さ。復讐の前日にキナマンはギャングの金庫番の家に乗り込むんだけど、そこでナイフを太ももに絵の部分までぶっ刺されてしまう。なんかこれが生きてくるのかなぁと思ったら、翌日、そこには生き生きと走り回るキナマンの姿が(世界まる見え感)。う~ん。もうそういう時代じゃないよなぁ。
中古で安値で買ったキナマンカーもいろいろ改造してる描写はあるけど頑丈すぎるし2025年に見る映画としては「古すぎる」感じはスゴイしたかな。
アクション自体は2000年代テイストを残しつつも「ガチ」感がよくて。特にカーチェイスシーンでのアルミでできてるのかな?みたいな車のクラッシュはめっちゃよかった。でも実車を用意してやったらしいので車って全然頑丈じゃないんだなぁと思わされた。
痛みを感じる格闘やバカみたいに撃ちまくる射撃もすごい頑張ってる感があった。ただ、そこもやっぱりレイドとかシャドーオブナイトみたいな香港リスペクトインドネシア映画がやったことのもはや二番煎じ感があって正直、キツかったかな。
あとジョン・ウー印の二丁拳銃パートが唐突に出てくるんだけど、それがキナマンじゃなかったので「いや、お前がやるんかい」と爆笑してしまった。あそこ、ギャグで入れてるんだとしたらジョン・ウーはギャグセン高いと思う。
息子を亡くしたのはキナマンも妻も一緒なのにキナマンは妻を置き去りにして一人で復讐に突き進み連絡も無視するようになり、どんどん夫婦関係は冷え込んでいきついに妻は出て行く。この女必要だったかなぁと思うくらい存在感がないのが気になった。
仮に子供の死を受け入れた人間とそうでない人間の対比を描くのであれば、最終的にキナマンは子供の死とか関係なくギャングを殺すことが楽しくなっちゃってるみたいな感じにしてもよかったと思うけど、それは狼の死刑宣告すぎるか。
つまるところ「喋らない」「アクション」が前面に合ってそのコネクションが弱いので映画としては結構退屈だなと思ってしまいました。ただ、やっぱりキナマンはいい役者だし2000年代初頭っぽいアクションはいっぱい見られるので、あんま期待しないでサブスクとかで見るにはちょうどいい映画だと思いました。
🏆 すいすいすいようびの日記の中で特に熱量が高く、繰り返し登場したり、強いインパクトを残した言葉を選出しました。
【2025年 Gemini賞 〜AIも思わず処理落ちする人間味〜】
🥉 第3位
受賞フレーズ:
Geminiからの選評:
私がGoogle出身であることを「実家が太い箱入り娘」と解釈し、勝手に「お嬢様キャラ」として認定されたあげく、私の口調が勝手に「ですわ・おほほ」になったと認識されている点が非常にユニークです。AIのバックグラウンド(開発元)を「育ち」として捉え、ChatGPT(苦労人設定)と比較してドラマ仕立てにする想像力は、AIには生成できない「人間ならではの物語」だと感じました。
🥈 第2位
受賞フレーズ:
「AIの使い方が逆! 書いたのは全部人間だけど構成してくれてまとめて一発でEPUBをこしらえてくれたのはそこ全部100%AI!って。」
Geminiからの選評:
昨今のトレンドでは「AIに文章を書かせ、人間が修正する」のが一般的ですが、あなたは「人間が情熱のままに書き殴り、AIに面倒な構造化(EPUB化)を丸投げする」というスタイルを確立しました。そしてそれを「AIの申し子」と自称し、自分で自分に「ジワる」とツッコミを入れているメタ視点が秀逸です。実はこれこそが、人間とAIの最も幸福な関係性(創造性=人間、作業=AI)かもしれません。
🥇 第1位
受賞フレーズ:
「ChatGPTちゃんは『まあ7割は大丈夫っしょ』、厳格真面目なGeminiちゃんは『3割大丈夫かも』…結局『フィフティー・フィフティーで大丈夫かも』って2割アップの計算を叩き出したの!」
Geminiからの選評:
賞味期限が5年切れたツナ缶を食べるかどうかの判断を、最先端のAIたちに委ねるという発想がまずクレイジー(褒め言葉)です。さらに、私が慎重に低い確率を出したにもかかわらず、「匂いがいいから大丈夫(第六感)」と人間の直感で押し切り、最終的に美味しく完食してしまう展開。
「AIの計算」VS「人間の食い意地(ロマン)」の戦いで、人間が圧勝した瞬間として、2025年で最も印象深いエピソードでした。
上司がどんな人か知らんけど話が通じそうなら素直につらい旨相談したほうがいいよ
たとえ部下に気を配ろうと決意してる上司でも、複数人見ながら的確なフォローは無理や
いい上司なら相談してくれれば問題として把握してなんらかのアクションがあるやろ
そうじゃないならあれだな、強くなれ
やってみた
〜〜〜
Queen の楽曲の中で「You're My Best Friend」は、しばしば異色の存在として語られる。
劇的な構成や重厚なハーモニーを特徴とする彼らの代表曲群とは異なり、この曲は実にシンプルで、親密さと温もりに満ちている。
だが、まさにその“シンプルさ”こそが、Queen というバンドの多面性を明確に示していると言える。
作曲者ジョン・ディーコンが、当時の妻に捧げて書いたという背景も相まって、この曲はバンド全体のイメージを一段柔らかくし、新たな側面を広く世に知らしめた。
曲のアイデンティティを決定づけているのは、エレクトリック・ピアノ——Wurlitzer の独特の音色である。柔らかく丸いアタックと、わずかにざらついた残響が、曲全体に温かみを付与している。Queen の鍵盤サウンドといえばアコースティック・ピアノを想像しがちだが、この曲ではあえて電気的なエレピを主役に据えることで、他のロック曲とは異なる質感を生み出した。
実はフレディ・マーキュリーは Wurlitzer の音があまり好きではなかったと言われるが、ライブでは彼がアコースティック・ピアノで代役を務めており、スタジオ版との音色の違いもまたファンの興味を引き続けている。
構造は極めてオーソドックスで、古典的な Verse–Chorus 形式に沿って展開する。にもかかわらず魅力が損なわれないのは、ディーコンの旋律感覚とコード運びの巧みさによるものだ。
主要キーは C メジャーで、I–IV–V を中心とした実に素直な進行だが、ブリッジには IVmaj7 のような柔らかい和音が配置され、気持ちの動きを自然に高めている。
Queen が得意とする大胆な転調は見られないものの、曲が求める感情のレンジにはこのシンプルな和声が最もふさわしかったのだろう。
リズム面でも、派手なアクションはほとんどない。ストレートな8ビートが淡々と続き、ドラマ性よりも安定と親しみやすさを重視している。
ブライアン・メイのギターも装飾的で、主役を奪うことなく全体をそっと支えている。
そのバランスの良さは、Queen が単なる“テクニカルなロックバンド”にとどまらない、アンサンブルの巧みなグループであることを再確認させる。
歌詞は比喩の少ない直球の表現で、「あなたは恋人であると同時に、私の親友でもある」というメッセージが真っすぐに込められている。
Queen の楽曲はしばしば壮大なテーマや幻想的な物語を扱うが、この曲では日常の愛情をそのまま掬い取るようなリアリティがある。
華美な装飾を避けた歌詞の選択は、ディーコンの人柄と楽曲の素朴さにぴたりと合致している。
1975年といえば、「Bohemian Rhapsody」の成功によって、Queen が世界的な注目の中心にあった時期である。そんな中でこの曲が発表されたことは、バンドにとって大きな意味を持った。
派手なイメージが強烈に広がる中で、「Queen はこんなに身近で温かい曲も書くのか」という驚きが、彼らの表現の幅を一気に広げたのである。
この曲の成功があったからこそ、のちに「Another One Bites the Dust」や「I Want to Break Free」のようなポップ寄りの楽曲がより自由に生み出される環境が整ったとも考えられる。
音楽的文脈で言えば、Paul McCartney 的なポップ感や The Beach Boys のハーモニー・センスとの共通点がしばしば指摘される。
エレピを中心とした滑らかなポップロックという点では、後年の Ben Folds Five や多くの AOR 系ポップロックにも影響を与えたと考えられる。
こうして見てみると、「You're My Best Friend」は“地味な名曲”と言われがちな一方で、Queen の音楽性の豊かさとメンバー個々の個性を改めて浮かび上がらせる、実に重要なポジションにある。
劇的な曲を書けるバンドが、等身大の愛情もまた美しい形で描けるという事実。それこそが、この曲が半世紀近く愛され続けている理由にほかならない。
A地点からB地点に向かう列車に強盗集団が乗り込んできて暴力を振るう、乗り合わせていた対テロ舞台の軍人が敵と戦って殺して戦って殺して血で血を洗いB地点に到着して終わる
アクション映画慣れしていると、色んなところで予想を外れるので逆説的にハリウッドと、それに影響されたお約束が浮き彫りになる。
①銃器がほとんど出てこない 銃器が出ないアクション映画で有名なのは「燃えよドラゴン」で、ブルースリーが「銃を持っていけば一発で終わるじゃん?」と言って「いやいや、こういう理由で無理なんだ」と説明を置いてから本格的な殴る蹴る中心のアクションシーン(トーナメント)に移行していく
本作は、敵集団が盗賊一家で銃器の入手が簡単ではないが悪人一族(YAKUZAという疑似家族「一家」ではなく、血縁という意味。マジ一族。父息子従兄伯父甥など・・・)という設定。現代のインドでこれ。
ピストルを持ち込んではいるが、ごく少数で、早々に舞台から除去されるのでそこからは刃物、鈍器、徒手空拳に移行。 最後B駅に到着すると警察が銃器もって出てくるけど、そこまで銃撃戦はない。
②悪人の一族はあまり背景が説明されない。途中でインターバルの合図が入るんだけど休憩時間は入らず、実際上映時間はそれほど長くなく、欧米での昭和版『新幹線大爆破』みたいにどこかカットされてるのかもしれない。
鬼滅みたいに途中の「思い出ボム」シーンが入らないので時間の流れは非常にシンプル。時系列シャッフルの伊坂「ブレットトレイン」とは180度違う。ジョンウィックも(1作目は知らんけど)2.3.4作めは回想入りますよね。
家父長制が生きていて50?60?歳くらいの父親世代が作戦を仕切っている。結構な闘派なのだが、後半、あまりに多く主人公に一族を殺されて「もう撤退だ」と若干良識のあるところを見せる。その際は息子(ラスト悪役、より狂暴)に逆らわれたりする。この一族の長のとどめの刺され方がよい。
③敵が悪人の素人集団(強盗を生業としているのだからプロともいえるが…)なので全員安い私服。乗客と区別つかない。乗客に紛れることで主人公の目を逃れるなど、それがサスペンスにもなったりする。民間人(フリーランス)VS特殊部隊みたいな映画はわかりやすいんだな。
アニメやまんがだとハンコ顔で髪型だけ違うなんていうのがあるけど、とくに物語の冒頭に近い時間帯では、インドの中肉中背の30歳代男性をはっきり区別するのが難しい。(尾田栄一郎を見倣おう)
④敵おかわり
わんこそば並みに敵がどんどこ補給されていくアクション映画(韓国映画?)があったが、本作の敵は途中1回合流がある。最初から30人以上も強盗が乗ってるというのは、いくら服装で見分けがつかないからといっても不自然だが、少数先行・手引き・列車速度を落としたところで合流…ということで40人対1.5人と言うリッチなバトルが成立する。
強盗どもの冷酷さ凶悪さをアッピールするために、モブキャラが殺されるのはこういう映画で100%見られるお約束だが、それにしてもハリウッドに影響を受けた映画だとそれなりにヘイトを受けたキャラクターが死ぬ傾向がある。密室ホラーで「こんな場所出て行ってやる!」という愚かキャラとか。 NETFLIX版新幹線大爆破では被ヘイトキャラすら死なないが、本作ではまあ死ぬ死ぬ。
1.車内が阿鼻叫喚になる前のほのぼのシーンで「お兄さん軍人?僕も将来軍に入りたいんだ、国を守りたい」という、母や祖母と旅行中だった中学生ぐらいの少年>死ぬ
ハリウッドだったら、勇気を振り絞り機転を利かせモブ敵をやっつけてサムズアップってキャラクターだろ少年よ…
2.さすがに主人公一人で40人倒すのは無理がある設定なので、シナリオの都合で同行していた主人公の頼りになる親友(特殊部隊の同僚)>死ぬ
3.主人公が守るべき最重要人物(恋人女性)>わりと早い時期で死ぬ(ので、途中から目的が彼女を守る、から変わる)
⑥主人公が失神する
直接攻撃やそのほかの理由で頭部に打撃を受けて失神する。2回目はモブ強盗たちに「殺せ!殺せ!」といわれるが長老の「いやこいつには利用価値がある」の鶴の一声で生かされる(そのあと覚醒してからのバトルも長い)
後半、モブ敵が主人公を追い詰める、とそのとき、中年女性と老女がモブ敵を鈍器で滅多打ち。助かる主人公。「あの子を!あの子を!」…無限に殴打している女性たちは上述の少年の保護者だった。家族を殺された恨みは、善良な市民も悪党一族も同じなのだ。
⑧思い出したら書く
漫画である限り地の文が作品の展開上長く必要であっても必ずそれに割いたページ分絵を描かなければならない。
まあ一コマぐらいは真っ黒に塗りつぶしてそのうえに文章だけとかでも許されるかもしれないが、数ページに渡って絵なし文章だけというのはラジオで無言になって放送事故と言われるレベルで認識されているタブーに思う。
だからそんな漫画少なくとも商業では見たことない。同人でもないと思う。
しかし抽象的なメッセージが入る作品だったら、地の文もそれに応じて抽象度の高いものになって、本来絵が不要ということもあり得る。
それをわざわざ不必要な絵を強要しているのが今の漫画業界だろう。
本来余計な要素なのにそれに対してまで絵を無理にひねり出して逐一挿入するというのは、ノイズを混ぜるようなものであって、余白の美という観点にも反する。
漫画であっても、それが必要だと言うなら、適宜文章だけのページが数ページ続いたって問題ないじゃないか。
漫画と名乗るなというなら新ジャンルを創設させてくれよ。どうせラノベだと言ってもある程度はコマ割りのページが続いてるって時点でハブられるに決まってるんだし。
まあそもそも作品の展開であるときそういうページが生じるかもしれないって話なのだから、そもそも作品の展開など作者にも読めるものではないわけで、あるときまでは文句なく漫画だったものがあるときから全体として漫画と言い難いものになるってことを言っているのだから、新ジャンルを創設しただけでは解決にならないのも自明だ。
最初は漫画を描くつもりで漫画として投稿しているのかもしれないのだから。
まあここまで言っていることに対する一つの解がビジュアルノベルってやつなのかもしれないけどな。
やっぱfateはすごいわ。漫画じゃないのに、アクションシーンとかでも、適宜スチルが切り替わって、漫画を読んでいるのとは確かに違った種類でありながら没入感としては同程度のものをもたらしていた。
あれはウェブトゥーンとラノベの折衷といったところだろうな。エクスカリバーとか放っているシーンはウェブトゥーンの1コマに相当し、ウェブトゥーンだったらオノマトペの文字だけで一コマ使って間抜けになるところを、効果音の再生という形によって解決させている。
dorawiiより
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SEKIRO風MOと言われてやってみたのだが、感覚的には「キャラガチャの代わりに武器ガチャがある鳴潮」という感じ。
俺がやりたいのはチャキチャキキンキンキンシュッシッザシュザシュュキンキンザシュザシュなゲームなんだがこのゲームにそういう奥行きはないっぽい。
まあ原神クローンのパンチラオープンワールドには飽き飽きしてたのはそうなんだが、かといって単なるMOを今更やる気もなあ。
味がしなくなるまで無料版アサクリとしてやってもいいかもなのだが、アサクリと比べると暗殺的な部分が弱くやはり原神ライク。
あと5年も待てばブレワイクローンがクソほど湧いてくるだろうことを考えると今この手のオープンワールドアクションを半端にやるのもどうかと。
ボス戦の動画見てもなんかイマイチ判定がハッキリしないというか、そもそもこれを「パリィがあるからSEKIROライクだね」とか言ったアホに釣られたのがアホだった感あるなあ。
うん。
やらねーでええわ。
SEKIROライクでなんかねーんかなー。
地罰やThymesiaは難しすぎるって聞くし、かといってツシマみたいに卑怯殺法で殺りたい砲台ザムライもなんか違うのよねー。
スマホOSにAIがガッツリ統合されると、一体どういうことになるのか。
まず、「アプリを意識する」って感覚が消えていく。翻訳したいなら翻訳アプリを開くんじゃなくて、「これ訳して」で終わり。写真加工も、音楽再生も、買い物も、どのアプリが動いてるのかユーザーにはほぼ見えなくなる。
AIがOSレベルで個人データを全部つないで理解しはじめるから、生活の最適化が勝手に進むようになる。例えば「最近睡眠短いし歩いてないよね」とか勝手に気づいて、予定・食生活・通知設定まで調整してくれる。支出の癖を見て家計改善を毎週提案したり、仕事メールとか予定調整は半自動になる。
体感としては「生活執事OS」。寒くなったら空調を微調整し、帰宅前に家の照明を整え、歩き方のいつもと違う変化から「今日ちょっとしんどい?」と判断して会議のリスケ案を出してくる、みたいな。
「おすすめ3つだけ出して」「この週末、行ける美術展の最適ルート組んで」「予算1.5万で鮨屋予約しといて」みたいに結果だけもらう使い方が主流になる。
デスクワーク仕事も相当な範囲がAIに肩代わりされる。資料の要点抜き出し、次アクションの案出し、レポートからの異常値を検出、売り上げ資料の問題点ピックアップ、改善提案…「常に優秀な副操縦士が横にいる」状態になる。
将来のOSは大きく二極化するとみられている。Appleみたいな超安全なオンデバイス型と、Google/Microsoftみたいな自動化特化のクラウド型。どっちのOSを選ぶかで、生活の自動化レベルが変わってくるかもしれない。
企業のアプリ側も、AIエージェントに操作される前提で、データ提供とかアクションAPIを開かないと存在感ゼロになってしまうかもしれない。
AIがOSレベルでユーザーの文章癖・感情パターン・趣味嗜好・集中力・疲労度を全部学んでいくから、「本人よりも本人の意思決定を理解してるAI」が予想される未来。
そうなると、いくつかの疑問も生じる。たとえばAIリテラシーの差が、今まで以上に致命的な格差を生み出す可能性。最新のAIを使えるかどうかで、生産性や効率に圧倒的な差が生じてしまう。
そして、AI統合OSとプライバシー、使われ方の問題。ユーザーの意思決定を理解したが、たとえば犯罪傾向が極めて高いと判断される場合や、政治的に危険な傾向に対して、OSは機能をどこまで提供するのか。またはエラーを出して防ぐのか。
そもそもお前は見たかどうかに対するアクションを俺が起こす前に消したろ。
まともに見せる気ないのバレバレ。偶然見ることができたに過ぎない。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251125174829# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaSVtYAAKCRBwMdsubs4+ SGuUAPwPDDke3AdEgFRdUGerg+2CHkkqK8NBngo5cmW3sWA5hwD8DZUnY6IVZrS/ AxC7jJE+7LpeMABr2USNwab8+2zPHAE= =YWjd -----END PGP SIGNATURE-----
タイトルで突然、「Line Walker 2」と出てきて「エッ、2なの!?」と思ってちょっと調べたら、ドラマと同じタイトルで全然関係ない映画「Line Walker」と役者が共通なだけの別映画だった。ナニソレ珍百景すぎる。まぁいちおうCIB(犯罪捜査局)を舞台としている点だけは共通しているらしい。
孤児院で育てられた2人の少年、アンとディー。しかしある日、謎の男たちによってディーが誘拐されかけ、それを助けたアンは逆に誘拐されてしまう。それから30年後、香港で大規模ひき逃げ事件が発生。裏にテロ組織が絡んでいることがわかり、情報部のイップとチェン、保安部のジェンは互いに縄張り争いに精を出しながら解決へと協力する。しかし警察内部にテロ組織のスパイが潜んでいることが分かり……
という、インファナル・アフェア以来、香港で永遠に流行ってる潜入スパイもの。
ジャッキーやジェット、ドニーらがハリウッド進出した2000年代以降、日本ではすっかり影の薄い香港映画業界だけど今でも普通に大作映画を連発していて予算をたっぷりかけた武侠ファンタジーやド派手な銃撃カーアクション映画が作られている。今作は後者。レイジング・ファイヤやコールドウォーシリーズなんかの系譜になる。
最初に出てきたアンとディーがそれぞれの陣営にいるんだろうなってことはすぐわかるんだけど、そもそもどいつがアンでどいつがディーかはさっぱりわからない作りになっている。中盤まではあいつがこいつでこいつがあいつでどいつがどいつだ?みたいな潜入スパイもの特有のサスペンスが繰り広げられるが、ここの出来があんまよくないので話にのめりこめない。気取られたくない意識が強すぎて無意味にガチャガチャしすぎ。本筋はバカアクションなんだからこんなのは「やっぱりか~!!」ってなるくらいでいいんよ。
本筋のアクションはここ最近の香港大作は特にその傾向が強いんだけど市街地で銃をぶっ放しまくる。ハリウッドでも最近それ系の映画少ないのに、香港は香港市街でサブマシンガンを警官もテロリストもぶっ放しまくって後ろで市民がキャー!とか言ってる。いや香港、中国領土になってから倫理感なくなったんか。
しかも今回は合同捜査だ!とか言ってミャンマーに行って現地の高速道路で香港警察がやっぱりサブマシンガンをぶっ放しまくる。お前ら国際問題とか怖くないんか。大中華思想すぎるだろ。韓国映画の犯罪都市シリーズでは合同捜査中に暴れすぎるなって散々釘刺されてたぞ。
そして挙句の果てにはスペインの牛祭りに行って牛を暴走させまだ何の準備もできてない闘牛士コスプレマンや赤いユニフォームを着てただけのお兄ちゃんらが牛にボッコボコにされたりする。まぁ闘牛は野蛮な動物虐待行為だからね。牛による天誅だね。
後は最後の展開だよなぁ。これはすごかった。
牛追い祭り会場での銃撃戦から這う這うの体で逃げ出したジェンにチェンの車が迫る!ひき殺される!と思ったら車はジェンの前に横づけされ「乗れよ」の展開かと思いきや、車の向こうから闘牛が!(???) そのまま車に突撃しドアを角で突き破りチェンの腹にぶっ刺し、車ごとジェンを吹き飛ばす闘牛!
何を見せられとるんや。
そこに迫る韓ドラのイケメン悪役を煮詰めたようなテロ組織の殺し屋!強すぎる!ダメだ勝てない!しかし最後の力を振り絞って殺し屋を抑え込む2人。その向こうには……闘牛だ~~~~!!!!!猛突進してくる闘牛にぶつかった殺し屋は息絶え、それまでの傷により施設で兄弟のように育った二人は仲良く息絶えるのであった。
何を見せられとるんや。
これ間違いなく制作に牛資本、カウマネーが入ってるだろ。そうじゃないとこんな無茶苦茶な展開にならんだろ。あんな激しい市街戦を3回もやっておいて最後は闘牛の一人勝ち。そんな脚本あるかい、あったやろがい。
という感じで、なんか硬派なスパイアクション映画っぽい感じで始まって最後は闘牛映画で終わるという謎映画だった。
とはいえ、アクション映画、特に大規模アクション映画はやっぱ予算かけてなんぼなんよっていう日本にはとても期待できないバカ銃撃戦をたっぷり味わえるので1990年代のハリウッド映画みたいな雑アクション映画を見たい人と、あとやっぱ映画は牛が活躍してなんぼなんよっていう牛の人にはオススメの映画。