はてなキーワード: エステとは
英単語が残念だったからChatGPTにリライトしてもらったよ!
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アケメネス朝(Achaemenid Empire)は、紀元前550年頃に興ったペルシア帝国として広く知られている。しかし、それとは異なる「アケメンエス朝(Akaemenes Esthe)」という、歴史に埋もれたもう一つの帝国が存在していたことは、あまり知られていない。その歴史は、支配の力だけでなく、癒しと精神の充実を追求した独特の国家運営によって彩られていた。
アケメンエス朝は、紀元前6世紀頃に、ペルシア地方のある都市「パルマッサージュ(Palmassage)」を中心に勢力を広げた。その創始者である「キュロス・アールアーミ(Cyrus Arami)」は、ただの軍事的天才ではなく、心身の癒しを国民に与えた賢明な王であった。彼は戦争に疲弊した兵士や民衆に対し、独自の技術を用いた「ダスト・アラーム(Dast-e Aram, 静穏の手技)」を広め、国家全体を癒しの空間へと変えたのである。
この時代、各地には「アタル・ハーネ(Atar Khaneh, 香りの館)」と呼ばれる特別な施設が設置され、貴族から庶民に至るまで、心と身体を癒す場として機能していた。これは、後のメンエス文化の礎とも言えるもので、特に王族が愛した「アフシャーン・グルーシュ(Afshan Gulush, 蒸気の芳香)」は、王宮の内部に広がる香りとして歴史に名を残した。
キュロス・アールアーミの後を継いだのは、その手技に秀でた「ダリウシュ・ダストガル(Dariush Dastgar)」であった。彼は軍事的拡張を図ると同時に、国家のすべての施設に「ダスト・タラーヤン(Dast-e Talayan, 黄金の手)」と呼ばれる施術技術を導入した。この技術は、戦士たちの身体を戦いに適応させると同時に、戦の後の疲れを癒すために欠かせないものとなった。
また、ダリウシュは「サンゲ・ギルシャーン(Sang-e Gilshan, 温石の癒し)」を正式に国家の施術法として認め、戦士たちの回復を早めるための国家プロジェクトを展開した。彼の時代には、各都市ごとに専門の「マールカバーン(Malkaban, 施術官)」が任命され、国家全体のリラクゼーションを管理する仕組みが整えられた。
ダリウシュの後を継いだのは「クセルクセス・シャーミン(Xerxes Shamin)」である。彼の時代には、国家の癒しの文化がさらに発展し、「アラーム・ヌグシュ(Aram Nugush, 深き静穏)」と呼ばれる特別な宮廷療法が確立された。この治療法は、王族や貴族のみに許される秘術であり、施術の間は穏やかな音楽とともに、極上のオイルが全身を包み込むという贅沢なものだった。
クセルクセスはこれを外交にも利用し、敵国の王をもてなす際には、彼らを「ゴンバデ・エステ(Gombade Esthe, 癒しの館)」に招き入れ、極上の癒し体験を提供した。これにより、戦わずして多くの国を従属させるという「ナーマ・エ・アーロマ(Nama-e Aroma, 香りの書簡外交)」が完成したのである。
しかし、時代が進むにつれて、アケメンエス朝の癒しの文化は次第に衰退していった。特に紀元前4世紀、アレクサンダー大王の遠征によって、パルマッサージュは占領され、国家の施設はことごとく破壊された。アレクサンダー自身もその施術を体験し、一時はその虜となったものの、戦場での厳しさを優先し、最終的にはこの文化を廃れさせてしまった。
だが、アケメンエス朝が生み出した「アラーム・ファルハング(Aram Farhang, 施術文化)」は完全に消えることはなかった。その後の王朝や文化に影響を与え、ローマ帝国の浴場文化や、中世イスラム圏のハマム文化へと形を変えて受け継がれていった。そして現代においても、その精神は生き続け、「メンズエステ」という形で、疲れた現代人の心と身体を癒し続けているのである。
アケメンエス朝は、単なるペルシアの一王朝ではなく、「癒しと統治」を一体化させた類まれなる国家であった。その施術技術とリラクゼーションの概念は、戦乱の世の中で民衆に安らぎを与え、さらには外交手段としても機能した。現代の私たちが受ける施術のルーツが、この歴史の片隅に眠っていると考えると、ロマンを感じずにはいられない。
先日、友人に勧められた痩身エステに行ってきました。半年ほど通った結果、なんと12キロの減量に成功!(63キロ→51キロ)
この結果だけを見ると、「やっぱりエステってすごい!お金をかければ痩せられるんだね!」といった感じになると思いますし、友人には感謝…となるところですが。
正直なところ、私はどうにも納得がいかない部分がありました。今回は、その理由についてお話ししようと思います。
理由はとてもシンプル。友人がブライダルエステの一環でこのエステに通い、半年で8キロ痩せることに成功。とても良かったからと私に勧めてくれたのです。
後から聞いた話ですが、友人は紹介特典として1万円分のクーポン券をもらっていたようです。でも、それについては何も言わず…まあ、私は大人なのでそこは気にしないことにします。
半年間、毎月5万円ほどかかり、合計すると30万円弱。プライベートジムに通うのとそれほど変わらない金額ですし、ほとんど努力せずに痩せられたので「まあ、いいか」と思っていました。最初のうちは…
さて、ここからが本題です。
最初の1か月は、リンパマッサージのような施術を受け、血流を良くするというものでした。特に食事制限もなかったので、当然ながら体重はまったく変わらず。
1か月が経過しても効果が見られなかったので、少し不安になりスタッフに相談したところ、2か月目から「毎日1錠飲むように」と錠剤を渡されました。
言われた通り飲み続けたところ、2か月目でなんと6キロ減!その後も毎日飲み続け、3か月目、4か月目…と順調に体重は落ち、結果的に半年で12キロの減量に成功しました。
特に食事制限をしたわけではありません。ただ、この薬を飲み始めてから、明らかに食事の量と回数が減ったのです。意識したわけではなく、自然と食欲がなくなっていく感じでした。
さすがに怖くなり、薬について調べてみることに。
え? これってサプリじゃなくて、れっきとした医薬品なの?と驚きました。しかも、美容サロンではなく美容クリニックだったので、薬を処方できる環境だったというわけです。
リベルサスはもともと糖尿病患者が使用する薬で、最近ではダイエット目的でも使われるようになり、かなり普及しているとのこと。
私が飲んでいたのは一番少ない3mgのタイプで、副作用はほとんどないそうです。実際、私も半年間飲み続けましたが、特に問題はありませんでした。(ただし、個人差はあるかもしれません)
【納得できなかった理由】
私が最も驚いたのは、その価格。
「リベルサス 通販価格」で検索してみたら、下記のようなサイトがいっぱい出てきて、そこに書いてある値段みると・・・・・
https://dr-land-omiya.com/articles/rybelsustsuhan/
なんと、このリベルサス3mgは1か月分で7,000円前後で購入できるのです!高いところでも1万円程度。
つまり…私が通った痩身エステの減量効果のほとんどは、このリベルサスのおかげ。
もしこの薬を飲んでいなかったら、全く痩せていなかった可能性も高い。ということは、エステとは名ばかりで、実質的には薬を飲んで痩せるプログラムだったのでは…?
「それなら、最初からリベルサスを買って飲めば、毎月7,000円で済んだのでは?」
「通う必要もなく、時間も取られず、交通費もかからなかったのでは?」
そんな思いがぐるぐると巡りました。
そして、ふと気づいたのです。
それを知っていて、1万円のクーポンが欲しくて私にエステを勧めたのでは…!?
そんな黒い感情が心の中を渦巻きましたが、今ではなんとか落ち着いています。
この気持ちはぐっと飲み込んで、今でもその友人とは普通に付き合っています。しかも、「あなたのおかげで痩せられたよ!ありがとう!」なんて笑顔でお礼まで言ってしまいました。
女って、本当に怖い生き物ですね…
アケメネス朝(Achaemenid Empire)は、紀元前550年頃に興ったペルシア帝国として広く知られている。しかし、それとは異なる「アケメンエス朝(Akaemenes Esthe)」という、歴史に埋もれたもう一つの帝国が存在していたことは、あまり知られていない。その歴史は、支配の力だけでなく、癒しと精神の充実を追求した独特の国家運営によって彩られていた。
アケメンエス朝は、紀元前6世紀頃に、ペルシア地方のある都市「パルマッサージュ(Palmassage)」を中心に勢力を広げた。その創始者である「キュロス・ザ・リラックス(Cyrus the Relax)」は、ただの軍事的天才ではなく、心身の癒しを国民に与えることを目的とした賢明な王であった。彼は戦争に疲弊した兵士や民衆に対し、独自の技術を用いた「深層揉術(Deep Tissue Therapy)」を広め、国家全体を癒しの空間へと変えたのである。
この時代、各地には「オイルの館(House of Oils)」と呼ばれる特別な施設が設置され、貴族から庶民に至るまで、心と身体を癒す場として機能していた。これは、後のメンエス文化の礎とも言えるもので、特に王族が愛した「アロマスチーム(Aroma Steam)」は、王宮の内部に広がる香りとして歴史に名を残した。
キュロス・ザ・リラックスの後を継いだのは、その手技に秀でた「ダリウス・ザ・ハンド(Darius the Hand)」であった。彼は軍事的拡張を図ると同時に、国家のすべての施設に「ゴールデンタッチ(Golden Touch)」と呼ばれる施術技術を導入した。この技術は、戦士たちの身体を戦いに適応させると同時に、戦の後の疲れを癒すために欠かせないものとなった。
また、ダリウスは「ホットストーン療法(Hot Stone Therapy)」を正式に国家の施術法として認め、戦士たちの回復を早めるための国家プロジェクトを展開した。彼の時代には、各都市ごとに専門の「施術官(Therapist General)」が任命され、国家全体のリラクゼーションを管理する仕組みが整えられた。
ダリウスの後を継いだのは「ゼルクセス・ザ・センシュアル(Xerxes the Sensual)」である。彼の時代には、国家の癒しの文化がさらに発展し、「ディープリラックス(Deep Relaxation)」と呼ばれる特別な宮廷療法が確立された。この治療法は、王族や貴族のみに許される秘術であり、施術の間は穏やかな音楽とともに、極上のオイルが全身を包み込むという贅沢なものだった。
ゼルクセスはこれを外交にも利用し、敵国の王をもてなす際には、彼らを「エステ・スイート(Esthe Suite)」に招き入れ、極上の癒し体験を提供した。これにより、戦わずして多くの国を従属させるという「施術外交(Therapeutic Diplomacy)」が完成したのである。
しかし、時代が進むにつれて、アケメンエス朝の癒しの文化は次第に衰退していった。特に紀元前4世紀、アレクサンダー大王の遠征によって、パルマッサージュは占領され、国家の施設はことごとく破壊された。アレクサンダー自身もその施術を体験し、一時はその虜となったものの、戦場での厳しさを優先し、最終的にはこの文化を廃れさせてしまった。
だが、アケメンエス朝が生み出した「施術文化(Therapeutic Culture)」は完全に消えることはなかった。その後の王朝や文化に影響を与え、ローマ帝国の浴場文化や、中世イスラム圏のハマム文化へと形を変えて受け継がれていった。そして現代においても、その精神は生き続け、「メンズエステ」という形で、疲れた現代人の心と身体を癒し続けているのである。
アケメンエス朝は、単なるペルシアの一王朝ではなく、「癒しと統治」を一体化させた類まれなる国家であった。その施術技術とリラクゼーションの概念は、戦乱の世の中で民衆に安らぎを与え、さらには外交手段としても機能した。現代の私たちが受ける施術のルーツが、この歴史の片隅に眠っていると考えると、ロマンを感じずにはいられない。
友人におすすめされた痩身エステに行ってきたんですよ。半年ほど通って結果12キロほど痩せました。(63キロ→51キロ)
この結果だけ見れば痩身エステすげー、やっぱり高いお金出すと痩せるんだね!友人グッジョブ!ってな感じになると思います。
でも、私貧乏性なのかどうにも解せません。その理由をこれからお話していきます。
これはシンプルです。ブライダルエステだかで友人が、このおすすめしてきたエステに通って、半年ほどで8キロくらいダイエットに成功して良かったから私にすすめてきたという、本当にシンプルな理由です。
後から聞いたら、友人紹介だかで1万円分のクーポン券がもらえるとのことでしたが、それについては、未だにだんまり決め込んでいます。まーそれは心の広い私なので許すこととします。
確か、半年ほど通って毎月50,000円くらいかかっていました。総額30万円弱くらいかかりましたが、プライベートジム行くのとさほど変わらないし、痩せるのにほぼほぼ苦労しないで痩せれたのでまーいいかと思っていました。はじめのうちは・・・
さて、ここからが話の本番なのですが、最初の1か月くらいはリンパマッサージみたいなので血流をよくするとかいって、ただただ、気持ちのいいマッサージを受けている感じでした。その間特に食事制限もしていなかったので全く痩せませんでした。
1か月も経過して全く体重が変わらなかったので、少し不安になって担当の方に話したら、2か月目から1日1錠飲むようにと錠剤を渡されました。決まった時間にちゃんと毎日飲むように言われました。
そして、言われた通りちゃんと決まった時間に毎日飲んでいたら、2か月目でなんと6キロのダイエットに成功しました。そして、3か月目、4か月目、5か月目、6か月目と毎日毎日薬を飲み続けたら、結果半年で12キロも痩せたのです。
特に食事制限をした覚えはありません。ただ・・・薬を飲んでから明らかに食事の量、回数が減りました。特に意識はしていないのですが食欲が勝手になくなっていく感じでした。
さすがに怖くなって薬のことを調べてみました。
え?これサプリじゃなくて、薬だったの?というか薬とか飲ませて大丈夫なの?と思いましたが、そういえばここは、美容サロンではなく美容クリニックでした。
そして、このリベルサスというのは糖尿病患者が飲むような薬で、それがここ2,3年でダイエットにも使われるようになって、かなり普及しているのだとか・・・
私が飲まされていたのは、リベルサスの3mmで一番少ないタイプのリベルサスで、副作用もあまりないらしいです。実際、私も半年飲んでいましたが全くと言っていいほど副作用はありませんでした。個人差はあると思いますが・・・
ただ、私がびっくりしたのはその値段です!!!
この値段こそが、私はこの痩身エステで解せない理由です。なんと私が飲んでいた3mmのリベルサスは1か月分で7000円前後で購入出来るみたいなのです!!!高いところでも1万円もしないくらいで購入出来ます。(リベルサス通販購入価格一覧:https://dr-land-omiya.com/articles/rybelsustsuhan/)リベルサス 通販購入、痩せる薬などで検索するといっぱい出てきます。
今回通った痩身エステなんて、12キロ痩せられたけどその効果のほとんどはこのリベルサスのおかげじゃん!これ飲んでなかったら、全く痩せてなかったでしょう!!!
というか、エステとかいって、結局薬飲ませて痩せさせるとかいいの?ありなの?
それなら、このリベルサスを買って飲んでおけば毎月7000円で済むじゃん!しかも、通わなくていいから時間も取られないし、交通費も掛からない。
きっと友人もこの事実を知っていたはず!!
それを知っていて1万円のクーポン券欲しさに私を売ったんだ・・・
というどす黒い感情が私の中に渦巻いていましたが、なんとか今は落ち着いています。
このどす黒い感情を押し殺して、今でもその友人とは付き合いがあります。しかも、あなたのおかげで痩せられたありがとうっていう感じで・・・
女って本当に怖い生き物です。
いや本当に後悔している。
みんなももう行くのやめた方がいいよ。
2万払って得られたのは性病。
本当に無駄な気が大きくなっていたんだよ。
仕事終わりに上司と飲み歩いて、解散してふと気が大きくなっていつもは行くはずのないチャイエスに初めて行ってしまった。
その時点で負けていた。
よせばいいのに全部やってしまった。
まじでうちの妻本当に厳しいんだよな。
これまでバレるわけないじゃんと思ってたまにいっていたけど、こうやって破滅が明るみになるわけなんだな。
普段の普通のとこと違って大陸人のとことかやっぱりちゃんと検査とか管理とかしてないだろうし。
息子になんて言えばいいのかな。
本当に失って初めてわかる、今までの自分の恵まれていた境遇、環境に。
とりあえず本当に別のムスコが限界だから、来週末に仕事と偽って休み取って泌尿器科いくわ。
この通院歴も家族にバレるのか?
どうすればいいんだ先輩諸君。
俺に道を示してくれ、頼む。
【追記】
みんな、教えてくれてありがとう。
厳しい現実的な意見から、建設的なアドバイスまで全部読ませていただいた。ありがとう。
>>この期に及んで、配偶者の健康ではなく自分の環境を失うことを心配している。
これは本当にそうだよな。すまない。
自分の我が身可愛さばかりで恥ずかしい。
人間追い詰められた時に本性が出るとは言うけど、本当に自分の矮小さにきづかされたよ。
ただ、離婚したくはないので、なんとか信頼を挽回できるように、一つつずつ自分の行動・言動を改めるようにします。
その道のマスターの方も、いろいろ親身になって教えてくれてありがとう。特に、
については、本当に参考になりました。ありがとう。
すぐに指示通り病院に行って、言われたように動くよ。
ただ、手の店については今回の反省を胸に、それでも行かないようにするよ。
せっかく色々と教えてくれたのに、それだけは活かせなくてごめんな。
すまない、普通にそれとこれとは話が別だと思ってた。
あくまで金を出してのサービスの一環で、そこまでその時のお相手に何も思っていなかったからな。
これに関してはこれまでの周辺環境でそういう認識の人がまわりにたまたま多かったのもある。
こいつ多分理解してねぇ
若者が東京都心で働くよりも地方工場で働いたほうが実質年収が多くなりがち、そしてその若者とは中高卒の男女すら含まれる
つまり、対象は若者の90%以上だ(心身障害者や反社などを除くため100%でない)
元増田も言っている、工場で働く若者の可処分所得は東京都心の若者と比較して年間60万円は違うと
60万円もの自由に使える金があれば楽器や画材が買える、高性能パソコンが手に入る、英会話スクールにだって通える、化粧品やエステで美容にだってこだわることが出来るだろう
そう言った若者が憧れる自由でキラキラした夢を叶えるための収入を東京都心は若者に与えているのか?という話だ。しかも中高卒を含めてだぞ
ひと握りの選ばれた高学歴や才能を持つ若者だけでなく、そこらに居る貧困家庭出身の無才の若者ですら夢へ近付くことのできる収入を東京都心は与えているのか?
本当に叶えたい夢があるのならばワンチャン叶えられる東京都心と、ゆっくりだが確実に一歩踏み出せる地方工場、これはそういう対比なんだよ
僕は都内のIT企業で働いていて、役職こそ管理職ではないものの、年収はおおむね750万円ほどある。正直、一般的にはそれなりに悪くない水準だと思っていたし、実際に自分自身も贅沢さえしなければ生活には十分ゆとりを感じている。しかし、いざ婚活を始めてみると、なぜか自分が思っていたほど女性からの評価が芳しくなく、「それしか稼げないの?」という冷たい反応をされることもあった。いわゆる“ハイスペ”には遠く及ばずとも、平均以上だと思っていた僕からすればかなりのショックだった。どうやら都市部の婚活市場では年収750万円では決して高収入に分類されるわけではなく、下手をすれば“弱者男性”扱いされてしまうらしいのだ。僕はこの現実を知ったとき、一体何が原因なのかと自問自答するようになった。そもそも750万円という金額が本当に低いのか、あるいは僕自身が何か別の面で期待外れなのか。自分が誇りに思ってきた数字が、婚活においては必ずしもアドバンテージになっていない現実に戸惑いを感じた。だが、これが現代の婚活市場の厳しい実態の一端なのだろう。多くの女性は男性を条件で仕分けする際、年収1000万円以上を理想に掲げることが少なくない。僕の750万円は、それらの女性にとっては妥協ラインにすら満たない場合がある。自分の中では“そこそこ頑張っている”つもりでも、市場のルールに照らし合わせると弱者認定されるなんて、複雑な思いだ。もちろん、全ての女性がそうではないとわかってはいても、やはり婚活で不利を感じる場面があるのは事実である。
僕なりに分析すると、婚活では「条件ありき」の人が多く、感情や相性以前にフィルタリングされる傾向が強いと感じる。大まかな目安として、相手を探すときに女性は年収や職業で手っ取り早く候補を絞り込むことが多い。その結果、僕のプロフィールを見た女性のうち、高収入を望む層からすれば750万円は魅力に欠ける数字になってしまうのだ。実際にやりとりの中で「実家はお金持ちなの?」とか「昇給の見込みはある?」などと探りを入れられたり、「将来は家を買えそうですか?」と露骨に経済的基盤を問われたりすることもある。もちろん結婚生活にはお金が必要なのは百も承知だし、将来設計を真剣に考えるからこその質問だというのもわかる。ただ、そのハードルが想像以上に高い。30代後半にさしかかっている今、さらに年収が跳ね上がる見通しが自分の中ではそこまで描けていないとなると、どうしても結婚相手の理想から外れがちになるようだ。共働きでいっしょに頑張ればいいのに、と思う僕の感覚と、婚活をしている女性たちの感覚にはまだまだギャップがあるのだろう。
一方で、僕自身にも問題がないわけではない。見た目は中の中くらいで、特別おしゃれに気を使うタイプではない。どちらかというと社内では地味な存在で、人付き合いもそこまで広くはない。婚活という場では、やはり外見やコミュニケーションスキルも強力な武器になる。女性に対してガンガンとアピールできるタイプではない僕は、収入にそこまで突出した魅力を加えられない場合、選ばれにくくなるのも仕方ないのかもしれない。実際にマッチングアプリなどを利用しても、プロフィール写真や職業・年収を公開している状態であまり興味を示されないこともある。もしかしたら、僕よりもう少し年収は低くても、トーク力があって積極的な男性のほうが人気が高い場合だってあるのだろう。結局は総合的な魅力が婚活市場ではものを言う。年収一つだけでは足りず、雰囲気や会話のテンポ、そして容姿への最低限の気配りといった部分も軽視できない。そこで僕が“地味”な自分を変えようと、服装や髪型に気を配り、エステに行って肌の手入れまで始めたのは、婚活において少しでも有利になりたいからだ。
ただ、こうして自分磨きをしても、いざ会話に入ればやはり「年収1000万円以上の人を探しているんですよね」というストレートな言葉を聞くこともある。それが悪いわけではなく、それぞれが自分の理想を追い求めるのは自由だと思う。でも、僕にとっては大きな壁だ。女性からすれば当たり前かもしれないが、「自分より年収が高い人で、なおかつ家事や育児を分担してほしい」「余裕ある暮らしをしたいから、最低でも1000万円台の年収は欲しい」といった希望を堂々と掲げているのを見ていると、僕の年収750万円はやはり埒外なのだろうかと感じざるを得ない。自分の仕事は手に職があって、ある程度安定しているが、爆発的に収入が上がる職種でもない。となれば、将来的に1000万円のラインを突破できる自信は今のところ薄い。そこを理解してくれる人を探すしかないのだが、そもそも高収入志向が強い層には見向きもされないのが現状だ。
僕は実際、結婚相談所でも「年収○○万円以上」のように検索条件を設定されてしまうとひっかからないこともしばしばだ。だからこそ年収を軸に選ぶ女性とは最初から相性が悪いのかもしれないし、むしろ早い段階で合わないと判明するのはお互いにとっていいことかもしれない。ただ、問題はそこに留まらず、年収軸が合わない女性を外したとしても、次の壁として年齢や容姿、コミュ力など、さまざまな要素でふるいにかけられるのだ。僕は30代後半になっており、相手の女性は同年代か少し年下を希望するが、彼女たちは往々にして“もっと条件のいい男性”を探していることが多い。この“条件のいい男性”の定義は幅広いが、やはり年収や学歴、職歴、ルックスまで総合的に見られることが多く、僕が唯一そこそこ自信を持っていた年収も、望まれる条件に届かないケースが少なくない。「750万円では不満」という声は直接的に聞かなくても、相手のリアクションやプロフィールの希望条件を見ていると察することがある。
また、自分が“弱者男性”扱いされるのを痛感するときは、女性側が「一般的にはそこそこの年収」と理解しながらも、なお「もっと上がいい」と言ってくることだ。しかも、そういう女性がなぜか“ちょっと高飛車な態度”を取りがちなことも多い。上から目線でジャッジされる感覚があるのは、婚活をする男性としてはやはり居心地が良くない。もちろん、全ての女性がそうではないし、中には一緒に働きながら共に家庭を支えていく意欲を示してくれる人もいる。でも、婚活市場全体を見渡すと、「さらに上、さらに上」という条件のインフレが起きていて、僕程度の収入では“もっとがんばってよ”と背中を押される立場になってしまう。ネットなどでは「750万円なら十分高収入だ」と言う人もいるが、それは会社や業界、地域によって価値観が異なるからだろう。少なくとも都会の結婚相談所やハイスペ志向の女性が多い場では“あと一歩及ばない男性”という扱いが現実にあるのだ。
実際のところ、僕はこれまでの仕事人生で必死に努力してきたつもりだ。年収750万円に到達するまで残業や休日出勤も多かったし、役職に就くことを目標に自己啓発もしてきた。それでも婚活においては、もっと若い時期から違う職種や外資系企業に転職し、バリバリ稼げる道を選ばなかった自分を後悔するような瞬間がある。なぜなら、そこに大きな差が生まれてしまうからだ。同年代でも外資系やベンチャーで成功して1000万円超を稼いでいる人たちは、婚活市場で女性から“勝ち組”として扱われがちだ。あるいは医師や弁護士、コンサルなど、資格や肩書きでわかりやすく高収入を証明できる男性が一気に目立つ。その陰で、僕のような「努力してようやく平均以上」に到達した層は埋もれがちになるように思う。自分では弱者とは思っていなくても、婚活市場のメガネで見られたときに、僕はあっさりと“弱者男性”に分類される。
もちろん、こうした状況に不満を抱くだけでは前に進めないし、自分の理想の相手にも巡り合えない。だからこそ、婚活の仕方をもう少し工夫する必要があるとも思っている。年収を最重視する女性ばかりを相手にすると疲れてしまうから、同じように共働きを希望している女性や、年収よりも性格の相性を重視してくれる女性が多い場を探すべきだと感じる。実際、そのような女性たちと話してみると、僕の現在の年収を大きな問題と捉えず、むしろ「安定していていいですね」と評価してくれることもある。ただ、それでも容姿やコミュニケーション能力がある程度高い男性がモテるのは変わらないらしく、根本的には世の中の風潮として“強者男性”が注目されがちなのは避けられないようだ。
また、年収に対する女性側の感覚を変えることは僕にはできないのだから、自分がさらにスキルアップして収入を上げる道を探るのも手だろう。現時点で750万円が限界と思っていたが、もしかしたら資格取得や副業、転職などでキャリアアップすることができるかもしれないし、5年後には年収1000万円を目指せる可能性もゼロではない。そうなれば婚活市場での立場も変わるだろうが、あくまでお金目的で近づいてくる女性を求めているわけではない。それでも、経済的な安心感を大切にする女性が多いのも事実だから、“努力次第で大台を狙える存在”になることで、多少は評価が変わるかもしれない。
何にせよ、「年収750万円」という数字は世間一般で見れば決して低いわけではないものの、都会の婚活市場では“中の上”にも届かず、むしろ“中の中”程度か、それ以下に認識されることがあるという厳しい現実がある。僕はそれを実感しているからこそ、理想だけを追いかける女性を恨むのではなく、自分が本当に必要とするパートナーとはどのような人なのかを改めて考え直す時期に来ているのだろう。いくら条件が整っていたとしても、結局は二人で過ごす時間が楽しく、困難を乗り越えられる相性が大切だ。
今は、条件重視の婚活に疲れた女性たちと出会える場を探しながら、自分自身もステップアップを図るという二正面作戦で進めている。その中で、年収以外の僕の魅力に気づいてくれる人と出会えたら最高だと思うし、さらには「あなたとなら共に頑張れる」と言ってくれる女性がいれば、年収750万円の現状でも十分に幸せな家庭を築ける自信がある。むしろ、結婚後にパートナーと力を合わせて世帯収入を増やすという方法だってあるのだから。最終的には、自分を“弱者男性”と決めつけるかどうかは他人の評価による部分が大きいのは確かだが、自分が本当に何を望んでいるのか、どんなパートナーと人生を共に歩みたいのかを明確にすることでしか、理想の未来は手に入らないのだと思う。僕は今の年収を出発点として、相手を条件で選り好みせず、地道に活動していくつもりだ。自分に合った女性は必ずいると信じて、これからも婚活を続けていこうと心に決めている。結局、結婚とはお互いの価値観や人生観を共有していくもの。スタートラインで少し不利に感じようとも、それを自分の武器に変える努力をすることで、幸せにたどり着けると信じたい。そう思いながら、僕は今日も婚活の場に足を運ぶのだ。
いくらでも無限に遊べるゲームではある。やることは無限にあるしね。「やることない」は漁船のアチーブ取ってから言え。
でも。遊べるけど、愛せないな。
愛せないから、レイドで嫌なことがあっても、気持ちを切り替えるエネルギーが湧いてこないよ。
もう愛想尽きちゃったの。
でも、暁月のフィナーレまでの壮大な物語と、
何度も何度もティッシュが山になるまで泣いた唯一無二の体験と、
それは、きっと死ぬまで愛せるだろう。
…
なのに、なに?
最初の一枚にエスティニアンのあんな大切なシーン選んで、それで大喜利しろって正気ではない。鬼滅の刃で例えるなら、煉獄さんと力合わせて下弦の壱を倒した時くらい大切な、章のクライマックスへ向かう直前の熱くも苦しいシーンなのに。
これで笑いを取れ、って?
広報も開発も、FF14をもう愛してないんだな、とふと思った。
愛されていない作品を愛すのは難しい。
唯一愛せる暁月までの思い出すらこうして汚されるなら、もう堪忍袋のすみっこに残っていた、最後の最後の"愛想"のひとかけらすら消えていく。
その対象の条件満たしてるけど、
「また一緒に遊ぼうね」と約束したフレンドがいるけど、
私はただ、焼き立てのバゲットが食べたかった。それだけだったのだ。婚活中という名の綱渡りの日々、ひとりで岩塩とオリーブオイルをつけてパンを噛みしめるくらい、許されてもいいだろう。そんなささやかな欲求すら、あの日、あの鉄の塊に踏みにじられた。
仕事の合間、いつものようにデスクでスマホを開き、通販サイトを眺める。検索窓に「バゲット」と打ち込むつもりが、指が一つズレて「バケット」と入力していたのだろうか。今となっては分からない。ただ、その時は画面に表示された「バケット」の写真を、なんだか曖昧に眺めていたのだ。どこか無骨で、異様に存在感のあるフォルム。それを「特大サイズのパンを入れるカゴか何か」と解釈し、私はその場しのぎの納得をして、購入ボタンを押した。値段には目をつぶった。婚活のためにエステや新しい服に散財することを考えれば、パンひとつに数万円かけたって不思議ではない…と、あの時の私は信じたかったのだ。
数日後、マンションのインターホンが鳴り響いた時も、まだ呑気なものだった。「ああ、バゲットが届いた」と、微かな期待を胸に玄関の扉を開けた。そして、目に飛び込んできたのは――鉄塊。黒光りするパワーショベルのバケット部分。クレーン車が唸り、作業服を着た男たちが「お届け物です」と無機質な声を張り上げる。
「えっ…?」声が裏返った。目の前にあるのは、人の頭どころか人生を丸ごと飲み込めそうな巨大な鉄の箱だ。私が注文したはずの「バゲット」は、地面にめり込む勢いで、玄関先のタイルを粉々に砕き、門扉を跡形もなく吹き飛ばしている。
「バケット、こちらで間違いないですね?」と作業員は言った。私は何も言えず、崩れかけた門扉をぼんやり見つめていた。どうしてこんなことになったのか。どうして、私はパンとパワーショベルの部品を見間違えるほどに、ぼんやりと日々を過ごしていたのか。
そう言いかけて、自分が惨めで仕方なくなった。作業員たちの目に浮かぶ、微かな嘲笑。彼らは私の発言には触れず、事務的に「配送指示書」を見せつけてきた。そこには私のフルネームと、堂々たる「バケット」の文字。逃れられない現実がそこにあった。
その後、鉄の塊はクレーンで吊り上げられ、また去っていった。だが、私の玄関と門扉は無惨に崩壊したままだった。近隣住民の窓が、カーテンの隙間から揺れているのが見えた。彼らは明日、誰かとこんな風に囁き合うだろう――「あそこの独身の人、なんか大きな鉄の塊を注文したらしいよ」と。笑いながら、陰湿に。
それ以来、私には「バケット」という言葉が呪いのように纏わりつく。朝のニュースで工事現場の映像が流れれば、鉄のバケットが私を嘲笑うように揺れている。パン屋で「バゲット一本ください」と言う時も、店員が「バケットとお間違えでは?」と疑っているような気がする。
あの出来事はただの間違いではなかった。私のぼんやりとした生き方、どこか詰めの甘い人生が引き寄せた、自業自得のカオスだったのだ。誰も知らない。私があの時、鉄の塊の前でどうしようもない羞恥と敗北感にまみれたことを。玄関の崩壊を見下ろしながら、ただ呆然と立ち尽くしたことを。
だから今も私は、ネットで「バゲット」と打ち込むたびに指が震える。もう二度と間違えてはならない。もう二度と、あの鉄の呪いに囚われてはならないのだ。
30代のDINKs夫婦(私は夫側)です。結婚は9年目になります。
2人で楽しい毎日を過ごしているのですが、深刻なセックスレスです。子どもはいらないわけではなく、どちらかというと欲しいのですが、なかなか行為に至ることはなくなりました。
欲という面では、私も40近くになり性欲が衰えた(*1)のと、妻はもともとあまりしたくないらしく、特に大きな問題はありません。
(こういうことを書くと、妻が家事で手一杯で疲れてるんじゃないか、とのご意見いただきます。しかし、家事は私のほうがやや多めに担当し夫婦生活にはかなり貢献していると自負しており、これは妻も認めるところです。)
私も若い頃は妻といたしかったので話し合ったりお願いしたりしていたのですが、習慣化することはありませんでした。
ただ、今後の夫婦生活に影を落とすのではないかと心配になります。
あくまで直感的なのですが、放置していい問題でも無いと感じます。例えば、具体的には、実は相手をされなくて寂しかったなどと浮気をされたりするのでないか(*2)と懸念しています。
諸先輩方はレス歴長いと思いますが、早めに解決しておけばよかったとか、放置していても問題ねーよなどご意見頂戴したいです。
(*1) とはいえ、メンズ専用のエステを年に数度嗜んでいたりします。本番等の濃いサービスのあるお店にはいかないですが、女性に直接的に体を癒やされるのはまだ必須と感じております。妻との行為だと気をかなり遣いますし、嫌がることを無理強いするようで気が引けます。一方で金銭が絡むほうが女性へ負担をかけることが自分にとって正当化されるのです
1 大規模な金融緩和によるインフレ誘導(投資拡大)と財政支出拡大で需要刺激する政策
2 輸入関税を上げる
トランプは関税政策をして中国に打撃を与えつつも国内産業の景気が良くなり賃金も上がった(企業側にある程度負担はあったが、ひとまず国内企業のシェアがあがった)
日本は関税は上げずに金融緩和をしたが外国企業の買収に多く使われた
さらに円安は関税政策と同様に輸入企業に打撃を与えたが税収が上がるわけでもなく
為替は関税と異なり不安定なので、国内産業は(多国籍企業と輸出産業以外は関税同様)あまり元気にならず賃金もあがらず
anond:20241213001612の補足編(多分続くので1とした)である。
こんな話題に食いつく人などいないと思ったが、いたので嬉しい驚きだった。今回はコメントを見てみたいと思う。あとやっぱりヴィルトゥオーゾ系の曲はまた別に七選作ろうと思う。超絶とパガ超パガ大が別にあるとはいえ、演奏会用練習曲集1つとノルマの回想だけではさみしい。
前期のブコメ。ちょっと笑ったが、実はリストの両親のスペルはListである(マジ)。
ピアノソロ曲じゃないけど、リストのピアノ協奏曲第1番を聴くと過度にゴージャスでなんか笑えてくる。フリードリヒ・グルダのチェロ協奏曲を聴いたときの笑いに似た感じ。
トライアングル協奏曲(命名はリストの政敵エドゥアルト・ハンスリック)ねw スター時代の曲だが、実は循環形式を大々的に活用した野心作で、ピアノソナタ ロ短調の前段階にあたる曲の一つという。
今はやるのか。前期編でうかつに音楽史上の重要性はバッハやベートーヴェンに劣ると言ってしまったのだが、音楽史上重要な作曲家というのは、ナショナリズムが時代様式となった近代以降現在までの歴史認識の上で成り立っていることが多い。バッハが再評価されたのはドイツ・ナショナリズムの高揚なくしては考えられない。ベートーヴェンだってそうだろう(彼の曲にはフランス革命への共感という要素が強くあるが、一方でドイツ民族の古典の頂点とみられている)。リストはナショナリズムの歴史認識からは扱いにくい。リストが音楽史上最も評価されているのは新ドイツ派の旗手として、特に交響詩様式を確立させたことであり、紛れもなくドイツ・ナショナリズムの文脈だ。ピアノの表現技法を著しく拡大させたという点については、扱いが薄い。ピアノは楽器の王者だが、一方で知名度の壁を貫通して義務教育レベルまで到達してくるピアノ曲がどのくらいあるか。タールベルクをはじめとして同じような貢献をした19世紀のヴィルトゥオーゾたちの名前はピアノ史を詳しく調べなければ出てこない。
リストの両親はドイツ系だが、ドイツ・ナショナリズムに含めにくいオーストリア人※でしかも当時のハンガリー生まれ(ということはハンガリーではリストは少数民族になる)、生活はパリでフランス語話者とつかみ所がない。ショパンもパリで活躍したコスモポリタン的な人物でほとんどの曲がピアノ曲だが、生まれも育ちもワルシャワからそう遠くない近郊地帯といっていいと思う。何よりポーランド分割に憤り、ロシア皇帝のお誘いを断ってでも「亡命ポーランド人」であることを貫き通した生き様は、ナショナリズムの歴史認識に乗せやすい。彼の「革命」(op. 10-12)などが記憶されているのも多分にそのせいのはずだ。
※オーストリアを支配するハプスブルクの支配は多民族帝国(チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、ルーマニアetcの「民族の牢獄」と呼ばれた)なのでドイツ・ナショナリズムによる国家統一は不可能である。歴史上「大ドイツ主義」が挫折したのはそのせい。
そう言い出したので慌てて西園寺公望が止めたという話がありますけど本当なんでしょうかね。無理を言ってでも連れて来てくれれば、日本の音楽界も違ったものになっただろうになぁ。
巡礼の年イタリアはチョ・ソンジンが最高だった。ダンテで涙出た(リサイタルで聴いた)けど、音源は出してないんだ。。。/ロルティも好きです。
浜松ピアノコンクールライブの映像があるがやばい(https://www.youtube.com/watch?v=_nG3CyuNC00/このライブ録音のCDがほしい)。本当に15歳だったのかこの人(結果は優勝)。
有名なラ・カンパネラはパガニーニ練習曲に含まれる曲。改訂を経て、軽薄だけどわかりやすく演奏効果の高い第3稿を決定稿としたリストは時代を見抜く目があったと思う。
いつも見ております。おかげさまでピアノ協奏曲のオレイニチャク盤に巡り会いました。ありがとうございます。
※コメントしたアーノンクールこと「コスモピアニスト」氏はショパンとラヴェルのCDのレビューを大量にHPに書いている(https://www.asahi-net.or.jp/~qa8f-kik/index.html)。
ショパンの元カノとマリーとの関係をぜひkwsk(もはや音楽関係ない。いや、むしろ音楽性に影響があったとか?w) あの時代の作曲家界隈のドロドロネタで本が書けそうですね。
サロンにありがちなドロドロした人間関係の方がもはや興味あるの分かる。正直私にはちんぷんかんぷんなので誰かマリーに焦点当てた本書いてくれないか。
え?入れたけど
学生時代にエステ荘の噴水を弾いて大人になりローマ近郊のエステ荘の噴水を見に行きました ^_^ https://maemuki.hateblo.jp/entry/2013/01/26/005305
リンク拝見しました。10年以上前にこの記事読んでました。実はこの記事を読んで本格的に「エステ荘の噴水」に開眼しています。そんな人が逆に読んでくださって本当に嬉しい。
話題についていけないならとっとと負けを認めればいいのに
言及でついた※から。後者の下についてるコメント(前者の反論?)がいうように勝ち負けの問題ではないから好きにやれば良い。それよりたったこれだけしかないんですか? もっとあるでしょ。MIDI音源で作ってる人も含めて。ピアノ編曲の善し悪し含めて知らん奴に布教してくれたら最高や。
が言う通りだと思う。
リストは手が大きい。彼の曲は日本の小柄な女性ではいくら手を広げても弾けない曲がある。そしてその曲の美しさよ。どうやっても届かないあの美しさに悔しさと羨ましさで恍惚となってしまう。
ロルティやペトロフ、あるいはヴォロドスのようにその恵まれまくった体から繰り出される力強い響きと(特にロルティは)恐ろしく繊細な音色のコントロールを見ると確かにそうだなあと思う。でも、ノ・イェジンのように、小柄な体で「ノルマの回想」を弾いている人もいる(映像あった/https://www.youtube.com/watch?v=gostiJcVod4)。小柄な日本人女性ピアニストがリストの曲に果敢にチャレンジしている動画も結構ある。昔何かのコンクールでリスト編の「ギョーム・テル」序曲を弾き出した勇者がいて驚いたことがあったが、その人も女性だった(多分これだったかな?/https://www.youtube.com/watch?v=GRYLy8O3VIQ)。アムラン同様大変なテクニシャンであるスティーヴン・ハフも痩身小柄な体型をしている。何度かコンサートに行ったが「ダンテを読んで」では顔を真っ赤にして渾身の力で演奏していた。多分手や体が小さいなりにやれることはあるのだと思う。日本人が無理してドイツ人のような歌唱法を真似して喉を痛めるみたいな話を声楽をやっていた人から聞いたことがあるのだが、似たような問題なのかな。
(追記)
anond:20241213202638 で以下のような有難い指摘があった(リストがハンガリー人としての意識からLisztと綴ったという旨)。なるほどと思うと同時に、自分の話は出典が思い出せなかったので、消しておいた(できれば何か出典があると助かる)。
マジャル語ではszの綴りで/s/を表すので
単なるsはマジャル語で/ʃ/になるから。
Listだとマジャル語読みでリシュトになってしまう。
それと多分同じ人だと思うが、ハンスリックの上の名前はまったくの誤記で、こちらも感謝する。訂正しておいた。
(再追記)ウォーカーの本でしたか! ありがとうございます!!!
ヴァイマールの宮廷楽長を辞任したリストは、ラティボル公に招聘され、公の弟グスタフ・ホーエンローエを通じてローマ教皇庁と接点を持つことになり、宗教音楽に取り組む意欲を持つことになる。「巡礼の年」や「詩的で宗教的な調べ」のように、前期・中期から既にリストには宗教的な要素が強い作品があったが、これ以降そのような作品はさらに増えていく。一方、子どもたちが相次いで亡くなったことで大きな精神的打撃を受け、1860年には遺書まで書いている(マリーとの関係はまだ悪かったようで、マリーのことは遺書にない)。カロリーヌは夫との婚姻を強制されたものであり無効であるとする枢機卿会議の決定を一旦勝ち取ることに成功するが、その後、婚姻が有効であると述べる証人が新たに現れ風向きが変わってしまう。というのも、ラティボル公の実子とカロリーヌの娘が結婚することになっていたのだが、カロリーヌの結婚が無効だったとするとカロリーヌの娘は私生児ということになり、大変都合が悪いわけで、グスタフが手を回して妨害させたようである(リストも後に状況を悟ったらしい)。愛する人と結ばれることに再び失敗し、重ねて精神的なショックを受けた。それでも、グスタフを初めとするローマのパトロンを見出し、ローマに腰を落ち着けて宗教音楽に熱心に取り組むことになる。ところが、1869年に度重なるヴァイマールからの要請で宮廷楽団の指導役として復帰し、さらに70年代からはピアノ教師としての活動も非常に活発になり(ローマでも週1ではやっていたらしい)、以降リスト曰く「三分割された生活vie trifurquée」、春はブダペストなどで音楽教師とコンサート、夏はヴァイマールの宮廷楽団の指揮、冬はローマで作曲とピアノのレッスンというスター時代に負けず劣らずの忙しい生活を死ぬ日まで送ることになった。晩年のリストのレッスンの記録をとっていた弟子アウグスト・ゲレリヒの日記(翻訳あり)を見るとリストの生活ぶりが良く分かる。
晩年のリストの代表作である。出版も最晩年。頻繁な不協和音の利用、レチタティーヴォ風の単純な旋律、独りごちるようなモノローグが目立ち、華麗な作風からの一変を感じることができるだろう。全7曲あり、第1・4・7は明るめで、宗教的な救いを示している。前期・中期作品でいうと、「孤独の中の神の祝福」」に近い作風である。それに挟まれた2・3・5・6は、「葬送――1849年10月」などと同じで、死を嘆くエレジーで、とても暗い。
この曲集の中で最も有名なのは第4番の「エステ荘の噴水」だろう。文字通りリストが住んでいたティヴォリのエステ荘の噴水を活写したものだ(その様子はググってくれ)。晩年作品の中では例外的に明るく、輝かしい作風で、しかも印象主義の先取りになっている画期的作品だ(ラヴェルの「水の戯れ」やドビュッシーの「水の反映」と比べると良い)。第2・3曲「エステ荘の糸杉にI・II」は大変暗い曲なのだが、続けて聴くと本当に救われる思いになる。絶望からの救済は、リスト本人が強く望んでいたことだ。
第三年だけの録音というのはあまり聴かないような気がする(エステ荘の噴水の録音はたくさんあるが)。第一年なども含めた全曲録音は前期の項目で書いたが、ベルマンとロルティが良いだろう。特に美しいロルティが好き。
1863年にリストは僧籍を取得し、聖職者となっている(ずいぶんな生臭坊主生活が死ぬまで続くが、リストのことなので仕方がない)。丁度その頃に作曲されたらしい。ローマに引っ越したリストを教皇ピウス9世が訪ねてきた時に(下級聖職者のくせにローマ教皇に足を運ばせる男なのである)、第1曲「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」を演奏したらしい。フランチェスコが小鳥に説教する様子を描く絵だったか詩だったかをモチーフにした曲で、小鳥たちのさえずりを模倣したトリルがかわいらしい。明るく、聴きやすい作風である。
第2曲の「波をわたるパオラの聖フランチェスコ」は、嵐の中の船出を拒絶されたフランチェスコ(アッシジの人とは別人)が自らのマントを船にしてメッシーナ海峡を渡ったとかいう伝説をモチーフにしている。波を模倣したうねるような力強いアルペッジョが印象的。出だしこそ暗いが、明るく、輝かしく、充実した展開を迎える。
両曲とも1865年にリスト自身がブダペストにおける久しぶりの公開のコンサートで初演された。サン=サーンスがいたく気に入って、オルガン編曲を作っている。
ニコライ・デミジェンコ(Hyperion/Helios)のCDにソナタ、スケルツォとマーチと一緒になって入っていて、よく聴く。
元々はヴァイマール時代にオルガン曲として作った曲だが、この時期にピアノ編曲された。BACHの主題といっても、バッハの曲が引用されているのではなく、ドイツ音階のBACH(シ♭・ラ・ド・シ)をモチーフにした勢いのある曲。暗い曲だが、豪壮無比な超絶技巧を披露する曲であり、重苦しい感じはない。
面白い曲なのに良い録音が中々ない。昔韓国のクン・ウー・パイクの録音を聞いた気がするが記憶に残っていない。アムラン(Hyperion/ソナタなどとカップリング)が良いと思う。若手だとリーズ・ド・ラ・サール(naive)の演奏は非常に録音も良く、技術的にも良い感じである(naiveは廃盤になるのが早く、入手が難しいのが困りものだが、配信あり)。(追記)ハワード全集の演奏も彼のヴィルトゥオーゾっぷりを味わえるものだったと思う。しかしアムランやラ・サールと比べると分が悪いか。
長女ブランディーヌの子ダニエラ(死んだ息子と同じ名前)のために作った曲(父は「自由帝政」時代の首相エミール・オリヴィエ。なお産褥熱でブランディーヌは死んだ)。当時のクリスマス・キャロルの編曲だが、リストオリジナルの曲も入っている。第1曲(編曲)がとても良い曲なのだが、リストお得意の左手高速オクターヴの連続があり、子どもに辛いのでは(しかもご丁寧に軽くleggieroという指示がついていてピアニストは悶絶する)。第11曲の「ハンガリー風」はおそらくリスト、第12曲の「ポーランド風」はカロリーヌを暗示しているのだと思われるが、後者は明らかにショパンのマズルカ的な作風。やっぱりショパンのこと大好きなんすね~
実はハワード全集しか聞いたことがない(しみじみとした良い演奏だと思います)。
5. 暗い雲 S.199(死後旧全集に収録/1881年作曲);不吉な星 S.208(死後旧全集に収録/1881年作曲);調性のないバガテルS.216a(1956年出版/1885年作曲)
反則だが、リストの無調音楽の代表格を一挙紹介。リストの無調音楽は、機能和声が崩壊しているという意味では無調だが(その意味ではワーグナーの「トリスタン和音」も同様)、シェーンベルクの十二音技法のような意味で無調というわけではない(ドイツというよりフランスの無調音楽の先取りっぽい)。行くあてが未定まらないまま、タイトル通り曖昧な響きに終始する暗い雲、西洋音楽で不吉とされる音の組み合わせをこれでもかと盛り込んだ不吉な星は、これでも生前に既に演奏されてはいたのだが、調性のないバガテルは「無調」と銘打った音楽史上初めて(ではなかったとしても極初期)の作品で、発見されたのも20世紀後半になってからである(1956年出版というのは誤記ではない)。ただ、元々メフィスト・ワルツ第4番として作られていたので、舞曲の要素があってそこまで聞きにくい曲ではない。リストの精神状態もあって暗い感じだが、とにかくリストの前衛音楽家っぷりがよくわかる曲である。
いずれも録音はそこそこあるが、代表的な盤はあまり思いつかない。不吉な星はポリーニの録音したソナタのCDにカップリングされているので聴いたことがある人もいるだろう。暗い雲も入っていたと思う。調性のないバガテルはまあまあ取り上げられているが、昔カツァリスが日本で大ブレイクしていた頃に出したメフィスト・ワルツ全集(Teldec)に入っている。
初稿(21世紀に新発見され出版)、第2稿(悲しみのゴンドラI)、第3稿(悲しみのゴンドラII)がある。よく演奏されるのは第3稿(II)で、ヴァイオリンやチェロのための編曲もある。
ヴェネツィア所在だったワーグナーを訪問した1882年に作曲された。完成した曲をワーグナーに紹介する手紙を送り出した直後、ワーグナーが亡くなり、リストはこの曲を虫の知らせだったと感じたらしい。「巡礼の年」のヴェネツィアとナポリと対比すると良い作品。
不安を煽るような曲だが、それほど聞きにくい曲ではない。色々なCDにカップリングされているが、個人的にはブニアティシヴィリ(SONY/ソナタのCD)が好きなのでよく聴く。
なお、ワーグナーの死を悼む作品もリストは作っている(R. W. ――ヴェネツィア S.201とリヒャルト・ワーグナーの墓に S.135)。前者は不安を煽る曲だが(ポリーニのCDに入っている)、後者は敬虔な追悼音楽で、「パルジファル」の動機が使われている。ピアノより弦楽四重奏盤を聴くと良いだろう。
7. 村の居酒屋での踊り――メフィスト・ワルツ第1番(1862年出版)
前期の曲と思いきや、実は後期の作曲(作曲開始も50年代末のはず)である。やはり最後は明るく華やかな(そして生臭坊主な)リストで締めたい。着想自体は1836年に書かれたレーナウの叙事詩「ファウスト」で、ファウストを連れて村の居酒屋にやってきたメフィストフェレスが、ファウストを誘惑するためにヴァイオリンを弾き出し、みんなノリノリになって踊り出し、魔法の音にあてられてファウストは女の子と一緒に森の中に消えていくというしょーもない内容である。技巧的な見せ場も多いのだが、ヴァイオリンの調弦を模倣した五度の音程を重ねるところ(地味に安定させるのが難しい)、中間部の重音トリル(ピアニスト泣かせ)と幅広い跳躍、終盤の怒濤の追い込み(メフィストフェレスがファウスト堕落に成功してめっちゃ喜んでノリノリで弾いている様子なんだろう)が主なところである。
有名曲なので演奏はたくさんある。今ならブニアティシヴィリ(SONY)が良いと思う。ソナタも悲しみのゴンドラも入っているのでお買い得。自由奔放にやっちゃってるが、そのくらいの方がこの曲に合っている。映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=n1tM9YSLYdc)。なお、評判の良いエコノム(Suoni e Colori)とルガンスキーのデビュー盤(Victor)は廃盤で聴いたことがない。早く再版しろ(激怒)
いかがだったろうか。リストのいずれも強烈な個性を持つ曲、もし良かったら楽しんでほしい。YouTubeに乗っている曲だけでも良い。音楽の楽しみが増えれば幸いだ。
(※その後超絶技巧七選も作ってみました。超絶技巧すぎてかえって推薦音源が少なくなったかも→anond:20241213224533)
追記:
前期のブコメに「愛の夢が落選した」というのがあった。申し訳ない。3つの演奏会用練習曲をその手の曲の代表例として入れたので。あと「コンソレーション」も同様に落選させた。同じような性格の曲集なのでどれを突っ込むか迷ったのだが、結局「ため息」のある3つの演奏会用練習曲にした。文字通りため息が出るような優美な「ため息」以上に愛の夢は優美で、明るく感動的な曲なのだが、実は元となっている歌曲の歌詞を見ると結構説教くさくて引くというのはここだけの話。
「エステ荘の糸杉に」が好きというブコメを頂戴した。リストのエレジーはどれも本当にもの悲しく、個人的にはちょっと辛い感もあるのだが、気持ちは大変よく分かる。