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はてなキーワード: 自然とは

2024-12-14

anond:20241213151928

なら好きカードアニメ漫画入れるなよ

ふつーに旅行焼肉ラーメン自然カフェ読書とか女らしいもん入れとけや

下手に漫画アニメ入れてオタク理解のある人がいいですとか自己紹介してりゃそりゃそうなるよそっちの方が初手メッセージアプローチやすいんだしみんなそうだろ

婚活まともな男出会えないとか言ってるやつはTinderやってろ

最近話題記事を読んだ。

https://anond.hatelabo.jp/20241211175102

この人はアニメ好きのインドア派を選んだせいで意味不明な男を7人も引いてしまったようだが、コミュニケーションが全くできない大ハズレ男にしか出会えなくて呆れている婚活女性の話はよく見聞きする。

多少マシな場合でも、男性に異性としての魅力を感じないパターンはよくあるようだ。

あんたらTinder婚活しろ

なぜTinderか。

Tinder言わずと知れたヤリモクアプリから婚活には不向きと思われがちだ。

しかし、そのヤリモクにもいろいろいる。

もちろん、最短距離でS○Xを目指して、ヤれないことが分かったらその時点でサヨナラという効率的なヤリモクもいる。

ただほとんどの男はそれではS○Xにたどり着けない。

そこで、「彼女を作って、彼女とS○Xしよう」と考える男が出てくる。

こいつだ。

この男を捕まえて結婚しろ

Tinderで生き延びている時点で、見た目やコミュニケーション能力は平均くらいのラインはいる。

会ってみて、完全にナシの男である確率は低い。

少なくともPairsやwithにいる恋愛初心者のような、全くと言って異性として見れない男よりはマシなはずだ。

男側も最初はヤリモクでも、彼女にした女と長く続けば自然と情も湧くし、一緒にいる時間に心地よさを感じるようになるものだ。

ヤリモクで付き合ったけど、意外と居心地がいいか普通に付き合ってそのまま結婚するというパターンも十分にあり得る。

ただ単に出会った場所Tinderだったというだけなのだ

Tinderにいる男は浮気が怖い?

そんなんどこで出会おうが変わらないから気にしないで。

浮気する男はどこにでもウヨウヨいる。

恋愛初心者が、初めて彼女ができて調子に乗って浮気し出すというのもあるあるだ。

あとこれが一番大事なのだと思うのだが、いかにも浮気しなそうな男を好きになれないんでしょ?

じゃあTinderやっとけ。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

すごくおばさんだった

生成AI(※)嫌いが多い

たまたまSNSで見知らぬ人とちょっと絡みが発生しそうになって、プロフ見に行ったらAI嫌いの人だった

配信とかもやってる人みたいで、ちょっとアーカイブ再生してみたら、おばさんとしか思えない声、喋り方だった

いや、おばさんが悪いんじゃないけど、自分の中のおばさん(とかおばさん入口女子)って、一番、自然でないものを拒むイメージがある

ほとんどがうちの母と母に影響受けまくった姉の印象だけど

母は早逝したので姉のそれは別口かもしれないが

しかったのもでかいとおもうが、変な宗教っぽやつ、プラッチックの密封容器、洗剤とか色々ハマりつつ

旨味調味料を嫌い(そのくせ昆布かつお節もケチるので旨味が無い料理を作る。塩も控える)、無農薬に惹かれ(売ってなかったり高かったら普通に野菜買う)、肉より魚を選びがち(そのくせ生協合鴨とかは買う。魚に関しては今自分も魚好きなので子供時代自分との相性)。自然っぽさがあればそれでよく、夏場はそうめんばっかりで(好きだからいいけど)、めんつゆ普通に売ってるやつ。(こだわりのやつとか売ってなかったか見つけれなかったか

馬鹿しかないとは思うが、自分も何か否定的情報が流れてくると、自然ぽさが少ないものは他と比べて避けようと思ってしまうし(コーヒーは避けないが、甘味料とかはだめかなと思ってしまう)、

自然信仰みたいなのはあるのだろうなと思う。ポッと出のものよりも何千年と人類が使って来たもののほうが信頼度が高い気がする。(実際気がするだけで、検証すらしてないもののほうが多かったりするのだろうが)

自分たまたま仕事コンピュータに関連深い業種で、学部化学とか(触りだけ)つまんでて、避けようと思った時に、ちょっと考えることが出来るので、変なこだわりは少ないほうだとは思うけど、

わかった上で気休めでも根拠がないけど安心っぽいとか、逆に根拠はないが体にいいっぽいに倒れることは多いし、よほどのことでないかぎりは、そういう気休めとかもあったほうが生きていきやすいんだろうなと思うし、話のネタが他にあんまりなかったりするのもでかいのかもなぁ




※ 生成AIって言い方もよくないのかもしれない

AIなんてそもそも何かは作るもので、コンピュータもそんな感じだ。出力がないと意味がないんだし、動いたら何かは出るんだし。

賢そう、怖そうみたいなイメージついちゃってんのかも。はちみつとか(作ってるわけじゃないけど)ハチの巣とか(作ってるけど何に使えるか知らない)みたいにもっと人間使役してるとか、人が強奪してるみたいなニュアンスだったら嫌悪感減るのかも?

言語ではどうなんだろう

2024-12-13

このマンガがすごい!1位「君と宇宙を歩くために」の受賞から読み解く空前の「俺は発達障害ブーム

をやろうと思ったのですが、私の知識不足企画倒れが決定しました。

多分、俺以外の誰かがやると思うので期待して待ってます

直感的にそれがあることは分かっていても知識検証能力の不足によって尻尾を掴めないのがとても歯がゆいですね。

ある種の前世症候群の如く「そうか!俺は実は発達障害だったんだ!」と「目覚めて」しまっている人達の急増はもはや社会問題と言っていいわけですからね。

この状況に対して何らかの調整弁を働かせなければ本物の発達障害人達が「発達障害自称するただのワガママな人」と同列に扱われて苦労するのは目に見えています

誰かが正義の一石を投じてこのブーム暴走を食い止めて欲しい限りです。

正直、漫画ランキングに対してのツッコミなんかでそんなことをやっても仕方がないのは事実ですけどね。

本当に動き出すべきは「本物の発達障害を診ている精神科医師」達だと思います

実際どうなんでしょうね?

偽物が次々にドアを叩いてくれるぐらいの方が自分たちの客が増えるからラッキーとか思ってたりするんですかね?

それとも、偽物であるか本物であるかを調べる機会を得るためには玉石混交状態でいいので篩に一度かけさせて欲しいという感じなんでしょうか?

昔は学校教育の中で「コイツ脳の構造が生まれつきヤバイだろ!病院いけ!」みたいな話をオブラートに包んで親御さんに相談したり、保険医勝手病院に連れて行ったりも出来ましたが、今はそういうのは難しいでしょうね。

そうなると自然発見が遅れるリスクがあるわけですから、「気になった時点で一度発達障害かどうか確かめる機会を増やしたほうがいい」という意味では、この「俺俺発達障害」のブームは結果としてプラスなんですかね?

まあ、単なるワガママによる人格破綻であっても、ある種の思考の癖によって本人や周りが生きづらくなっているなら、そこに精神医学心理学技術を介入させて軌道修正を行ったほうがいいわけですから自称だろうが発達障害理由医学的なサポート必要とする姿勢は正しいんですかね?

かに自分発達障害である可能性を視野に入れたうえで検査を受け、そこで出てきた医者アドバイスを素直に聞くというのは実際正しい気はしますね。

でもそこで「デパスで元気になるから」と薬に頼る道を安易に選んでしまパターンゼロじゃないのが恐ろしい。

マイナンバー保険証の件で再燃しましたが、世の中にはちょっと精神病っぽければいくらでも向精神薬を投げつけてしまうような医者も少なくはないと聞きますからね。

単なる「自称発達障害普通の人」がそういった医者にひっかかって「薬物の力を借りなければ脳内物質コントロールが出来ない体になってしまった人」になるリスクも無いとは言えません。

うーん。

この問題について真剣社会は考えてくれるのでしょうか?

私が思うに、単にこれは次なる「社会の闇に切り込み現代社会の生きづらさを描くセンシティブ漫画」の人気ジャンルとして立脚するだけなんじゃないかという懸念さえありますね。

実際、一時期の青春文学などにおいては医者から処方された薬物を濫用するという場面が現代人の闇(ニチャァ)の描写として流行たことはありましたからねえ。

完全自殺マニュアル後の自殺コンテンツブームの如く、自称精神病薬物乱用コンテンツブーム雨後の筍の如く乱立し、それがこのマンガがすごい!として持ち上げられるという流れもあるかもですね。

まあ、それで一度キッチリ社会問題として顕在化することまで含めてのPDCAサイクルとも言えるんですかね。

いやー本当誰かバシっと買ってくれないもんですかね「俺は発達障害ブームについて。

素人が雑な知識グダグダ管巻いてもやっぱいい感じにはならんですのよ

グスコーブドリの逆襲

増田はグスコーブドリの逆襲というタイトル童話を知っているかな。

昔々、豊かな森に囲まれた小さな村がありました。その村には聡明で優しい心を持った青年、グスコーブドリが住んでいました。彼は村のために尽力しており、自然を愛し、村人たちからも愛されていました。しかし、ある日、村の平和を脅かす存在が現れました。それは、宇宙からやって来た謎の男、シャア・アズナブルでした。彼は何かを探しており、その手掛かりを得るために村を混乱に陥れようとしていました。

ある晩、グスコーブドリは森の奥で奇妙な光を発見しました。そこにはシャアが操る巨大なロボットがありました。彼はそれを使って美しい森を破壊し、何かを手に入れようとしていたのです。グスコーブドリは村を守るために立ち上がり、独自知識と森の神秘的な力を結集して対抗しました。

グスコーブドリはシャアに戦いを挑みましたが、シャア技術冷徹さに圧倒されそうになりました。しかし、シャアの本当の狙いは宇宙の遥か彼方にあり、村には直接的な害を及ぼすことはないと知ったグスコーブドリは、シャアにある条件を提案しました。村と森を守る代わりに、彼が探しているものを一緒に見つける手伝いをすることです。

シャアはグスコーブドリの提案を受け入れ、二人は協力して宇宙秘密を解き明かす冒険の旅に出ました。そして、その過程で互いの信頼を深め、最終的にシャアは村を襲う意図を捨て去り、宇宙の未知なる可能性に目を向けるようになりました。

こうして、村には再び平和が戻り、グスコーブドリは村人たちからさらに大きな尊敬感謝を受けました。そしてシャアもまた、真の友情を知ることができました。

教訓:対話と協力には、お互いに新たな道を切り開く力がある。

ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.

不妊だと思ってたのに離婚したらすぐ妊娠できた

ブライダルチェックで子供を望むなら早いほうが良いと言われた。

大きな問題があったわけじゃないけど、AMHが相当低かった。

旦那検査もしたけど、旦那には全く問題ないと言われた。

元旦那とのセックス全然気持ちよくなかったけど、子供が欲しかたから頑張った。

だけど、3年頑張って1回しか自然妊娠せず、その子流産してしまった。

その後不妊治療を頑張って、100万円以上費やして、体外受精もやって、2回妊娠できたけど、やっぱり流産してしまった。

不育の検査もしたけど、結局原因は分からなかった。

いろいろ限界だった。不妊で不育ってなかなか厳しいよ。元旦那への愛情貯金精神的余裕も全部なくなって、私から離婚を切り出した。

元旦那最初こそ反対してたけど、私の意思が固いのに気付いて受け入れてくれた。

離婚して半年くらい経った頃、酔った勢いで男友達ホテルに行ってしまった。別に排卵期でもなかったし、不妊だったし、勢いで避妊せずにしたら、妊娠してしまった。

びっくりしたけど、でも不育だからどうせまた流産するだろうと思ったのに、すくすく育っている。

どんなに頑張っても越えられなかった7週の壁も超えて、一度も確認できなかった心拍確認できてしまった。

友達に正直に話したら、俺はずっと好きだったよ、順番が違ってごめんだけど、結婚してほしいって言われた。

彼は良い人だし、せっかく妊娠9週まで来られたからこのまま結婚しようと思ってる。

不妊治療はつらかった。流産のたびに手術もした。

元旦那は悪い人じゃなかったけど、妊娠できなかった、流産しちゃった、って報告をするたびに「そっかー…」って落胆した顔を隠そうともしないのが、少し腹立たしかった。不妊治療流産の手術の話も、「痛い話は苦手だから」と言って全然聞いてくれなかったし、たまに聞いてくれても的外れコメントばかりしてたから、そのうち話す気にもなれなくなった。

でも、私に原因があると思ってたから、元旦那のことを責められなかった。

なんで一回だけのセックス妊娠できたんだろう?まだ医学的に解明されてないだけで、男性側が原因の不妊・不育があるんじゃないかなって思った。

元旦那との気持ち良くないセックスはかなり苦痛だったけど、彼はセックスがびっくりするくらい上手かった。もし子供がほしいなら、身体の相性って大事だよ。これから結婚する人参考にしてほしい。

ケツが寒い

この頃寒いので電気毛布を導入したんだが、ケツが寒い

というのも拙宅にはお猫様がいて、同じ布団を共有する間柄、人間自然と端に寄せられてしまう。

すると横向きに寝る都合上、ケツが必ず布団からはみ出てしまう。

ケツで感じる冬の冷気、これはこれで風流ものだがそれ以上に身にしみる。ケツや腰を冷やすことで腰痛リスクが上がるのも怖い。

どうにかお猫様の邪魔にならずケツを温められないものか。

anond:20241213034040

1連と10連で変わらないっていうのはむしろモダンガチャ設計

石を溜め込んでぶっぱなす方が有利っていう脳汁バドバな回し方を推奨する設計はお利口じゃない

1連分たまるごとに考えなしに回してても、自然バランスよく手持ちが整っていくっていう設計がイマドキ

そういうゲームはむしろ溜め込んで推しの時に全ブッパなんてすると、手持ちキャララインナップが偏りすぎてゲーム体験が劣る、下手するとハードモードになるって問題を抱えがちだからソシャゲガチャ常識で慣らした人ほど苦労するんだけどね

ただ……DeNAのやつはソシャゲバブル脳のまま作ってるようで天井が高価すぎるな

そのままいくと死亡パターンだろう

ガチャは安い、つまりキャラ確保のハードルは低いんだけど、その分育成が大変でそっちにも石を割きたくなる、って設計にしたほうがガチャ依存度や射幸性は低くなる

2024-12-12

anond:20241212111627

ある属性人間からトラウマレベルな事をされてその属性が嫌いになってしまうってのはまったく自然なことだけど、この記事に関してはフェミからの反応がないのが不思議だわ

女性叩けば自動的に沸いてくるもんだと思ってたから。まあ流石にあいつらも同じ事してるからなんも言えんのか

彼氏収入は悪くないのに、結婚不安を感じてしまます

35歳、女性です。現在実家暮らしをしていて、アルバイト収入を得ています。私はこれまで正社員になったことはありませんが、アルバイト先の仲間や家族に支えられながら、自分なりに日々頑張っています。ただ、今の生活いつまでも続くわけではないと思うので、将来的には安定した結婚生活を送りたいと考えています

そんな中、彼氏(38歳・会社員)と付き合い始めて2年が経ちました。彼は年収が600万円程度と、それなりに稼いでいて、性格も真面目で優しい人です。デートはいつも気遣ってくれて、費用も彼が多めに出してくれるため、とても助かっています普通ならこの条件で満足するべきなのかもしれませんが、私は最近、彼との結婚不安を感じるようになりました。

というのも、彼の仕事が忙しいため、デート時間を十分に取れないことが多く、「結婚しても寂しい思いをするのでは」と心配していますさらに、彼の住んでいるマンションは綺麗ではあるものの、正直もっと広い家に住みたいという気持ちがあるのも事実です。私は結婚したら子供も欲しいと思っているので、彼の収入だけで生活していけるのか不安です。

また、私は今まで家事をあまりしてこなかったので、結婚後にすべてを私に任されるのではと考えると気が重くなります。母は「結婚すれば自然とできるようになる」と言いますが、それだけで乗り切れるものなのでしょうか?私のアルバイトでは彼を支えるほどの貢献は難しいですが、家事の分担や生活費についてしっかり話し合える相手理想だと思っています

このまま彼と結婚してもいいのか、それとも別の人を探した方がいいのか、迷っています。彼には何も悪いところはないのに、私だけがこんなことで悩むのはおかしいでしょうか?

anond:20241212215953

嘘松。本当に友人が自殺したなら、詳細な出来事や状況をここまで長々と具体的に書ける精神状態ではないはず。感情的に混乱している中で、文章を書くことが難しいはずなのに、これほど詳細に物語を進められるのは不自然

anond:20241212093505

訊いてみた!

この文章は、AIによって書かれた可能性は低いと思われます理由としては、以下の点が挙げられます

個人的体験感情表現: 文章は非常に個人的で、具体的な体験感情が豊かに描写されています特に結婚生活の変化や夫との関係の摩擦について、詳細に感情表現している点は、AIが生成する一般的文章とは異なります

一貫性のあるストーリー展開: 文章時間軸に沿って、結婚から現在に至るまでの経過を詳細に語っており、感情や状況がリアルに描かれていますAIがこのように複雑な感情ストーリーの流れを自然に描くのは難しいです。

具体的な人物描写状況設定: 夫とのやり取りや家の状況、イベントに対する反応などが具体的に記述されており、特定社会的感情的背景を反映している点が、人間経験に基づいて書かれた印象を強く与えます

感情の揺れ動きと自己反省: 文章の中で著者が自分内面的な葛藤感情の変化を表現しており、この自己認識反省AIによって生成される文章においては比較的難しい要素です。AIが生成する文章は、こうした複雑な感情の変遷を描くことが難しいため、このような表現人間の手によるものだと考えられます

これらの点を総合的に考慮すると、この文章AIによって書かれたものではなく、実際の人間によって書かれたと推測されます

anond:20241212185626

俺は煉獄杏寿郎だ!自然体で正々堂々勝負するのが俺たちの道だ!さて、お前の言う「P2W」とは何だろうな。Pay to Win、つまり金で勝利を買うゲームのことを指すな。

【好きだ!】誠実な努力と実力で勝利を掴むゲーム、それは素晴らしい。真心を込めてプレイすることができるRPGならさらに良い!実力が試される戦いは、熱く燃えるものだ!

【嫌いだ!】公平な競争台無しにするP2Wのような要素、これには俺はどうも賛成できない。ゲームというのは、己の力で挑戦し、勝利を掴み取るものだ!ゲームに限らず、どんな道においても努力なしに手に入れたもの価値はないと俺は思う!

お前の意見はしっかり伝わっているが、どんな道を選ぼうとも、自分自身の力で道を切り開くことが一番だ!頑張れよ!

anond:20241212161418

あんなに威風堂々と、ツイッターで思いの丈を語りまくっていたHさんが、ある日忽然とネットから姿を消したのを発端に、

次々と暇アノンの仲間が裏切りに走るは、時事系Youtuber消息不明になるわでは、

絶対に背後に宗教団体クラス組織が暗躍していると考えるのは自然なことでしょう。

石碑建立ビジネス

山奥の安い土地を買って石碑置き場区画販売するビジネス

世の中から忘れ去られがちだけど世の中に忘れさせたくないこと(自然災害犯罪企業不祥事食品へのゴキブリ混入、芸能人不倫わたしの好きな食べ物など)を石碑にして後世に伝える。

名誉棄損にならないように伏字モザイクなどを活用する(モザイクの石碑は飽きの来ない美しさ)

各種石碑をまとめて置くことで来場者は自然といろいろな忘れさせたくないものに触れるため忘れられない効果のアップが期待できる。

建立者からは石碑建造費と区画使用料(100年一括払いなど各種オプションをご用意)を徴収する。

anond:20241212151440

びっくりした、マジでこれなんだな

Aが自分無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか無視されていた可能性があります³。

意識的無頓着

Aは、無頓着でいることに対してあまり意識的に疑問を抱かず、自己中心的な価値観に基づいて他人に対して無関心であった可能性もあります自分の考えや行動が極端だとは思わず、むしろそれが自然だと感じていたかもしれません。

でも、なぜ気付かないのか?についての疑問は解決したよ

婚活市場にいる男の人ってのはバトル型とクリア型がいる気がする。

https://anond.hatelabo.jp/20241211175102

カフェオレティースプーンでちまちま飲む」ってのが面白かった。

なんだこの、すごく悪いことしてるわけでもないのに絶妙に伝わってくる変なヤツ感(笑)

 

私がアプリ積極的に使ってたのってもう8年ぐらい前なので今と市場状況も違う気がするけど、

この人が出会ってしまった男性の多くは「バトル型」の男性なんだろうなと思って読んだ。

 

一部の男性っていうのは、なんかしらんが「勝とう」としてくる。負けたら負けみたいな。

そもそも人間関係なんて勝ち負けではないというのに、なんかしらんが勝とうとしてくる。

そういう男性モテないどころか人間関係も良好に築けない。

ゲームで言えば「ポケモンバトル」型って感じ。

対峙したらHPが表示されて「テッッテッテッテ!テッッテッテッテ!トゥルルルルーーーン!」って相手が落ちるまで戦う。

(ぜひ初期の音で再現してくれ)

もちろん女性は闘いに来てるんじゃない。手持ちポケモンなんていないのに勝手に向こうが「じんつうりき」とか使ってくるからただダメージを受けて帰るしかない。

一方で、クリア型の男性は「相手告白される」「ホテルに連れ込む」など、ご自身の考えるあるクリア条件を満たすために接してくれるので向こうの条件がクソじゃない限りは変なことにはならない。少なくとも、「なみのり」とか意味わからんことはしてこない。相手クリア条件が「この女性自分と相性が良いか知るために楽しむ」とか「結婚できる素敵な相手を見つけるために楽しむ」とかに設定されていれば自然楽しい場になるはず。

 

増田出会った男性はみんなどこか「負けたら終わり」って思ってそうだよね。だからなんか見下したようなこと言ってくる。意味ワカランことを言って「こいつにぎゃふんと言わせてやろう」としてくる。それは「この人よりも優位になりたい」>「この人にすごいと思われたい」みたいなpure気持ちから始まって歪んでしまたかわいそうな感情なのかもしれないけど、こっちは知ったこっちゃねえ。

 

私はありがたいことにアプリでへんなやつに出くわしたことはあまりないけど(まったくないとは言わない)、今「しまったオレバトル型かも」って思った人はちょっと自分を改めてみてもいいのではないかと思った。もちろん、じゃあクリア型がいいのかと言えば別にそんなこともないよ。

 

バトル型でもクリア型でもない、誠実タイプを目指しなさい。

anond:20180131155044

おれあたまわるいからよくわかんないけど

ヒグマサメにもヴィーガニズムを広めてくれるのかな

人を食う動物自然にいるなら動物を喰う人がいても自然じゃないの

anond:20241212021622

ボカロはしゃべれないの?

音程つけないなら同じことにならんの?(不自然さはともかく)

2024-12-11

HITMANのカプ厨だからエロ同人がほしい

でも同人自体存在しないっぽい

HITMANの主人公ハゲ頭の暗殺者

最強の暗殺者になるべく遺伝子操作されて創り出された存在で、現場証拠品の体毛を落とさないよう全身無毛(まつげはあるけど、絵的な表現だけで設定上は無毛)

どう見ても目立つハゲなのだが、そこら辺にいる人をしばいて衣装を奪うことでどんな者にもなりきれて関係者以外立ち入り禁止ゾーンにも自然と溶け込める

ハゲパートナーダイアナという女性

暗殺組織エージェントで、ハゲ仕事を与え色々ヒントを話してくれる

ステージ最初彼女が言う「準備は一任するわ」は有名なセリフである

ダイアナ子供の頃に両親を殺害されたことがきっかけで法の外に正義を求めて暗殺組織入りしたのだが、両親を殺害したのはハゲである

しかし禍根はなく、殺しのためだけに生み出されて感情を持たないハゲ赤ちゃんみたいに思っている

ハゲ感情を持たないはずなのに長年一緒に仕事をしているダイアナを大切に扱い、最終的に組織を抜けて二人で新規暗殺業を立ち上げる

ハゲステージ暗殺を終えると、徒歩で帰ったり車で帰ったり水上バイクで帰ったり多彩な脱出方法があるのだが、メンドーサではダンス広場ドレスを着て待機しているダイアナのもとへ行き情熱的なダンスを繰り広げながら退場というのがカプカプしい

二人は現在40代ぐらいの外見だが、ハゲ遺伝子操作されて老けにくい体のため実年齢はもっと上だし見た目以上に肉体機能若い

ダイアナがおばあちゃんになって老衰してもハゲは今と変わらない容姿で看取るんだろうな

anond:20241210152650

黒染めか、カッコいいな

ゲームでも自然に○染めパとか言ってるもんな

やはり日本語は柔軟で角の立たない表現が得意だ

増田ユーザーはそんな日本語を用いていかに角の立つ言動をできるかを競うエクストリームスポーツ家といったところか

anond:20241210180013

うーん、よくわからんけど、貧乳キャラを超巨乳に描いて「直しました」って投稿したり、眼鏡キャラ眼鏡を消し去って「直しました」って投稿したりするのと同じってこと?

創作物にある程度自分嗜癖を加えるのはごく普通のありふれたことだけど、それを善悪感をベースにして侵略的・攻撃的に表現することは、あんまり洒落にならんね。

まあその創作する人がその嗜癖で有名な人だったら、例えば成人キャラをことごとくロリっぽく描くことで定評のある人なら、ギャグで済む余地があるかもしれんけど。

世にあるすべてのキャラロリであるべきだ!みたいな思想を大真面目に吹聴するくらいになるとヤベーってなるけど、でも普通の人は(苦笑)で済ますし、それが社会に影響を与えることもないと思うけどなあ。

その影響の与えなさ具合は、別に肌の色に関してだって本質的には変わらないんじゃない?

地球に生きる大抵の人はイラスト上の肌の色なんかに強烈に現実社会ポリコレを反映させるべきって思うほど一枚岩でも虚実を混同してもいないでしょ。

すべての人が、表現本来自由もので、受け取る側が選べばいい(=ケチつけて駄々こねる必要ない)ことを知っている。

マンガアニメ系のキャラクターやイラスト文化に造形が深くなれば自然現実創作混同しなくなり、異なる常識があることを理解するものだし。

混同しがちな一般ピープル向けのアニメ作品を作ってる会社だけちょっとそういうクレーマー側の思考にすり寄ってあげればいいだけ。

たとえばディズニーとか、少年漫画とかね。

そういうおもねった表現が嫌なら、もっとディープオタク向け世界にある作品群に移動すればいいだけ。

そういうところではポリコレクレーマーの影響力もだいぶ薄れてくる。

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