はてなキーワード: 自然とは
まず、あなたが感じている孤独や不安は、とても自然なものです。SNSで反応が減ったとき、自分の価値まで揺らいでしまうことがありますよね。
ユダヤ教では、「なぜ神がこれを与えたのかを確実に知ることは人間にはできない」と教えています。
つまり、「反応が減った=神が罰している」とはまったく限りません。
むしろタルムードでは、試練は以下の三つの目的のどれかであることが多いと言います。
1. 人の内にある力を引き出すため(タルムード・ベルラホット 5a)
2. 心の方向を静かに見直させるため
3. 新しい段階に行く準備としての間
SNSで反応がないという状況も、もしかしたら外の声が静かになったことで、自分自身の声を聞く時間なのかもしれません。
「人は外見を見て主は心を見る」(サムエル記I 16:7)
お祭りの一形態であるネット炎上で暖をとろうとしていたら、迅速な消火活動でボヤに終わってしまい残念です。
消化不良なのでソフトウェア開発の文脈で本件を整理しておきたいと思います。
なぜ「チンパンジーを従業員」とする例え話は炎上し、何がダメだったのでしょうか。
それは、何故マンホールが部署に配属されなかったか、という問題に帰結します。
労務管理ソフトを手がけるIT企業「SmartHR」(東京都港区)が、「チンパンジーが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?」という記事をQiitaのアドベントカレンダーに投稿した。
記事の内容は、"マネジメント職の職責は、事前に与えられ決められた作業を行うことではなく、臨機応変にチームを守ることだ"という趣旨のものだった。
従業員をチンパンジーに例えるように読めてしまう為、不適切では?という文脈で軽く炎上、記事は削除され現在は謝罪文が掲載されている。
理不尽なマネジメントを強いられるマネージャーという文脈において、最も想定しやすいのが新しい社員の配属だから、「XXXが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?」という記事になったと想定できます。
さて、この一文だけでほぼ説明は終わってしまうのですが、この例え話はXXXを何に置き換えても、結局のところ新しく配属された社員を理不尽に感じる、としか読み取ることが出来ません。
これは、どのように予防線を張ろうとも、どのような説明をしようとも、「社員に問題があったときに、あなたはどうするのか?」という問いとして読むしかありません。
そこで、問題の社員を表現するXXXに、チンパンジーを置けば、炎上するに決まっています。
なぜか。非常に品の無い界隈の話で恐縮ですが、人間をチンパンジーに例える文化圏が日本にはまだ残っています。
もしかすると非常に上品な方たちのみで形成されている共同体では非常識なのかもしれませんが、残念ながら人を罵倒するときにチンパンと呼んだり豚とあてこする文化圏は間違いなく存在するのです。
百歩譲って、問題の社員を無機物で表現するのであれば、まだ許されていた可能性が高いでしょう。
この場合、まったく意味が分からない行為を上司に押し付けられた、としか解することができないからです。
マンホールを転がして席に立てかけたところ机ごとMacbook Proをぺしゃんこにした。同僚が躓いて怪我をした。意味が分からな過ぎて怯えて社員が辞めた。
これすら、本来は社名の入った記事として出すにはリスクが高いはずです。なぜならば「社員に問題があったときに、あなたはどうするのか?」という問いの本質は変わらないからです。
問題のある社員を表現するときには、非常に気を使って書く必要があります。
ソフトウェア開発の話題で非常に有名な表現にブリリアントジャーク(Brilliant Jerk)があります。
High Attitude, High Performance — The Rock Star
Higher Attitude, Low Performance -The Team Player
ココで着目して欲しいのは、能力のある嫌な奴(The Brilliant Jerk)ではありません。
非常に協調性が高く、低い生産性の人物をThe Team Playerと表現していることです。
成果主義であれば、Low Performanceであればいずれ職場からいなくなるのが自然です。
しかし、高い協調性(非常に良い態度)があるなら、それはチームプレイヤーとして欠かせないのかもしれないよ?という予防線の張り方をしているわけです。
その上で、真っ向から、態度が悪い嫌な奴はチームに入れると全体の生産性が落ちる、という筋の話をしているわけです。
そして、職場からThe Brilliant Jerkを排除せよという書き方にもなっていません。
もうそういうヤツに居場所はない、リーダーなら協調性がありコミュニケーションがとれるべきであるという、「リーダーかくあるべし」論に着地している所が優れているのです。
つまり、「XXXが配属されてきたら、あなたはどうマネジメントする?」というタイトルの記事を書くべきではありませんでした。
「XXXな状況になったときに、マネージャーはどうあるべきか?」というタイトルの記事を書くべきでした。
微に入り細を穿つ描写で、チンパンジーが職場で暴れてチームを壊す筆致を見せる必要は全くありませんでした。
どう贔屓目に見ても、それはチームを壊す厄介者が配属された時に、如何にして(合法的に)チームを守るのか、という寓話としてしか読み取れません。
「あーあ、あんな奴がいるから、会議室を潰して追い出し部屋を作らなきゃならない俺は大変だなあ」みたいなことを令和に書いて許容されると思う方がどうかしています。
人物ではなく現象ですと注記して許されると思うのは、どう見ても未成年を描いておきながら登場人物は全員成人ですというのと同じです。
私個人としては、表現の自由の最前線で戦う方達を畏敬の念でもって(経済的に)支えることしかできないわけですが、労務管理ソフトを手がけるIT企業がそんな気概を持つ必要性は全くないと思慮する次第です。
(たぶんだけど、ボリュームが多いので全部読まずに雰囲気で説明されてそのまんま出したんじゃないかなーと言う気はします。法務とか広報は通ってないんじゃないかな)
社長から急に巨大なクリスマスツリーを飾れと言われて困る、くらいの現象にして「令和にもなってクリスマスのような宗教的な話題を載せるのは大丈夫なの?」とか言われるくらいが良かったんじゃないのかな、と言う気がします。
ソフトウェア開発に携わる人たちには、驚き最小の原則(Rule of least surprise)を忘れて欲しくないと常々思っています。
私は趣味の悪い野次馬根性のネットウォッチャーです、これから炎上させにくい記事の話をしますと冒頭に書いてあるのはそのためです。
直観的に、ああこれはチンパン従業員をマネジメントする話をこれからするんだろうな、と思われた時点で負けなわけです。
そして、労務管理を行う会社が、問題のある社員をマネジメントするのは大変だよねと読みとれるような寓話を書いてはならないわけです。
何をどう誤読しようとも、社長に無茶振りされて中庭に巨大なクリスマスツリーを電飾するか消すかで翻弄される中間管理職を書くべきだったわけです。
良く読めばわかるように書いてあるというのは、誤読して欲しい時にだけ使うのです。
それにしても、割と今回は穏当な指摘が多かったと思います。
これ、外資の日本支社だったら、同僚から速攻で訴えられて普通に負けると思います(偏見)。
しかし、縁故採用に見える話を社名載せて出して大丈夫なの?とか、不透明な資金調達してますが凄腕の社長ですみたいな表現どうなの?とか、もっとこう火種があったと思うんだよなあ。
もっと面白い炎上をたくさん見たいので、こういう直球のノープラン炎上で企業名のある記事が減ってしまいかねないのは避けていただきたく。
もっとさあ、ローパフォーマーを特定して左遷してチームの生産性を改善した話とか書いて大炎上してくださいよ。
いちおう、本番環境でやらかしちゃった人アドベントカレンダーにしれっと書いて大炎上ルートは残されているので、そっちでなんとかならんか?
考えてみると上級のメスに種付けするためには現代では特別な才能か不断の努力が必要なわけで、チンポ様に最高の体験をさせようと思ったら自然と勝ち組の男になるのかもしれない
「バルール」は、美術用語で色価(しきか)と訳され、絵画における色の明暗や位置関係の調和を指します。具体的には、画面上の色彩の相互関係や配置が、主題を効果的に表現しているかどうか、また視覚的に心地よく感じられるかどうかを示す概念です。この概念は、自然な光の表現や空間の奥行きなどを表現するために使われます
これさ
愚かな人間の都合など完全無視、LLMのための高効率プログラミング言語「Sui」(粋)
https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/2069573.html
別にいいんだけど、どうにもブクマカ含めて、しっくり来る批判できてないんだよな
それが気になってしょうがない
俺ごときが言ってもアレだから、Gemini3.0先生に頼んだよ(一時チャット、Pro 3.0 思考モード)
ユーザーが提供した情報と、一般的なLLMの技術特性に基づき、プログラミング言語「Sui」についての冷静かつ客観的な評価をまとめます。
感想: 一言で言えば、**「思想実験としては極めて面白いが、実用性とLLMの学習原理を無視した『早すぎた最適化』」**です。
作者の「人間ではなくLLMを主客にする」という視点の転換は、アーティスト的・哲学的な問題提起としては鋭いですが、現在のLLM(Transformerアーキテクチャ)の動作原理を工学的に捉えると、メリットよりもデメリットが上回る可能性が高いです。
メリット:
・トークン効率の改善: Python等と比較して記述が圧倒的に短くなるため、出力速度の向上と課金コストの削減(トークン節約)は確実に達成できます。
・構文エラーの激減: 括弧やインデントの複雑なルールを排除しているため、「閉じ忘れ」などの単純なSyntax Errorは減るでしょう。
・コンテキストウィンドウの節約: 長いプログラムでもコンテキスト(メモリ)を圧迫しにくくなります。
・学習データとの不一致: LLMは「大量の人間用コード(Pythonなど)」を学習して賢くなっています。未知の言語「Sui」を書かせるには、Few-shot(プロンプトでの例示)に頼るしかありませんが、これではLLM本来の推論能力やコーディング能力(事前学習の重み)を活かせません。
・ブラックボックス化: 生成されたコードがバグっていた場合、人間が読んで直すことが不可能です。「LLMに直させる」にしても、LLM自身がSuiのロジックを深く理解していないため、無限ループ(幻覚の連鎖)に陥るリスクが高いです。
・CoT(Chain of Thought)の阻害: 最近の研究では、LLMは「冗長な思考過程」を出力することで論理的整合性を保つことがわかっています。極限まで圧縮された記号列は、LLMの「考える余地」を奪い、論理破綻を招く可能性があります。
正しいと思う所(Agree)
理由: 人間にとっての「読みやすさ(可読性)」は、機械にとって単なるトークンの無駄遣いです。if x > 10: よりも ? x 10 の方が情報密度が高いのは事実です。
理由: TransformerのAttentionメカニズムにとって、遠く離れた ( と ) の対応関係を維持するのは計算コストが高く、ミスの原因になりやすいです。ネストを排除する方向性は機械的処理として正しいです。
正しくないと思う所(Disagree)
・「可読性を排除しても良い」:
理由: ソフトウェア開発においてコーディングは「書く」時間より「読む・直す」時間の方が長いです。AI生成コードであっても、最終責任は人間が負う現状では、人間が検証不可能なコードは「危険なバイナリ」と同義であり、プロダクトには採用できません。
理由: 前述の通り、現在のLLMは「人間語の確率分布」を学習したモデルです。「LLMにとって自然な言語」とは、実は「人間にとって自然な言語(英語やPython)」そのものです。Suiは「計算機にとっては最適」ですが、「現在のLLMにとっては異言語」です。
パース(解析)は容易になりますが、LLMは「前の行の文脈」を読んで次の行を出力するため、行を独立させすぎると文脈の連続性が失われ、複雑なアルゴリズムの構成力が落ちる可能性があります。
LLMが最も苦手とする「深いネスト構造の維持」を回避する策として有効です。アセンブリ言語に近いフラットな構造は生成難易度を下げます。
これが最大の問題点です。LLMは変数名(user_id, total_price など)に含まれる「意味」を使って推論を行っています(Semantic Grounding)。すべてを記号化すると、LLMは変数の役割を見失い、論理的なバグを埋め込みやすくなります。
トークン効率は最強ですが、1文字の違いで意味が激変するため、LLMの確率的な「ゆらぎ」による1文字ミスが致命的なバグになります。冗長さはエラー訂正の役割も果たしています。
goto 文の多用はスパゲッティコードを生みます。LLMにとっても、構造化プログラミング(if/forブロック)の方が、「ここからここまでがループ」というチャンク(塊)として認識しやすいため、一概にジャンプ命令が良いとは言えません。
>現在のLLMは「人間語の確率分布」を学習したモデルです。「LLMにとって自然な言語」とは、実は「人間にとって自然な言語(英語やPython)」そのものです。
ここ!マジで覚えてね
LLMはこれまでの機械よりも人間に近いと思ってほしい、人が苦手なことはAIも苦手
機械は論理的でロジックに強くて〜っていうのはAIには通用しない
ついでに、「LLM用プログラミング言語」の潮流について
「LLMのための言語」という文脈は、大きく2つのトレンドに分かれます。Suiは後者に属しますが、主流は前者です。
・DSPy, Guidance, Microsoft Guidance:
・プロンプトエンジニアリングを構造化し、LLMの出力を型(JSONなど)に強制したり、思考プロセスを制御するためのフレームワーク。
・SGLang:
・これらは「人間がLLMを操るための言語」であり、実用化が進んでいます。
・Gorilla LLMなどの試み: API呼び出しに特化したファインチューニングなどがありますが、独自の「新言語」を作らせるよりも、既存の Python や JSON を正しく出力させる方向(Constrained Decoding)が業界の標準解です。
・擬似コード: 論文レベルでは、Pythonの代わりに中間的な擬似コードを出力させ、それをコンパイラで処理する手法も研究されていますが、Suiほど極端な記号化は稀です。
後者については
現状の最適解: 現在のLLMを使う限り、「LLM用言語」の最適解は Python です。なぜなら、世界中のGitHubのコードを学習しており、LLMが「最も流暢に話せる言葉」だからです。無理にSuiを話させるのは、日本人にエスペラント語で詩を書かせるようなもので、パフォーマンスは落ちます。
総評: Suiは、「既存のLLM(GPT-4など)に書かせる言語」としては失敗する可能性が高いですが、「未来のAIネイティブなコード生成のあり方」を示唆するアート作品としては高く評価できます。作者の「愚かな人間に合わせるな」というパンクな精神は、エンジニアリングの枠を超えた鋭い批評性を持っています。
お前らは安易にオレオレ言語作るんじゃないぞ、作るにしてもAIに聞きなよ?
聞く時は忖度させるんじゃないぞ?
この作者もAIに乗せられたのかもしれんし
______
プロンプト
以下が「LLM用プログラミング言語」としてメリットがありそうか、感想を教えて下さい。
https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/2069573.html
https://github.com/TakatoHonda/sui-lang
・思想的に正しいと思う所、正しくないと思う所を理由込みでまとめてください
・最近のLLM用プログラミング言語についてもまとめてください
・そもそもLLM用プログラミング言語という目標自体の評価をしてください
(省略)
一見すると自閉症スペクトラムなのかな?と思うんだけどちょっと違うんだよね
脳の何かが多い/少ない/構造が違うだと思うんだけど
・体に不自然に力が入っている
・真っすぐ自然にしているのが苦手
・発話が不自然(抑揚、力加減、リズム) → リアクションが極端に大きかったり奇妙
・リアクションが大げさ
・視線が合わない
全体的に「体の動かし方が下手」「力の入れ方抜き方が苦手」「感情の振れ幅が大きい」「過敏」あたりかなあと思うんだけど
これ、小学生低学年くらいの子に似てるんだよね、あいつらクネクネしてるじゃん?あのクネクネしちゃう気持ちわかるんだよな、しっくり来る体勢がないというか
ADHDやASDに何となく近い現象が起きている感じはするんだけど
話してみると普通に話が通じるケースも多いので、「やや被ってるけど同一じゃない」んだよね
繊細さも持ち合わせているからこそオタクになりやすいのかなあとも思うんだけど
ちなみにこういうオタクっぽい性質を持ってるのにオタクじゃない人も普通にいる
世の人ってこういう人たちのグループ化をなんとなくしてると思うんだけど、言語化も原因もわからないから「っぽい人」で括ってるよね
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「敵やライバルが自分の弱点を喋るなんて不自然!」って言うやついるけど、じゃあなんで現実は失言だらけなんだよって話なんだよな。
世の中、聞いてもないのにベラベラ話すやつばっかだぞ。
政治家も経営者も一般人も、SNSで勝手に自爆するし、会議でも飲み会でも、自分で自分の穴を掘って転がり落ちていく人間なんて山ほどいる。
「自分の弱点を話すとは不自然だろ」っていう主張こそ、むしろ現実知らなすぎなんだよ。
人間にはそもそも「他人に自分のことを知ってもらいたい」って欲求があるし、自慢でも愚痴でも弱音でも、なんなら言わなくていい秘密まで勝手に口が滑る。
つーか、そういう人間がいるからこそ秘密が漏れるし、守秘義務なんて仕組みが必要になるわけで。
で、これをリアルに創作へ持ち込むと、逆に「キャラがバカすぎてリアリティない」って言われる。
ここが面白いところで、現実を忠実に描くほどリアリティが失われるという矛盾が発生する。
要するに、「敵が弱点を喋るのは不自然!」という意見のほうがファンタジー寄りなんだよね。
現実はそんなやつらばっかり。
人工知能(AI)の急速な進化は、私たち人間に突きつけられた実存的な問いである。「計算能力において機械が人間を凌駕したとき、人間に残される価値とは何か」。この問いに対し、多くの議論は「創造性」や「直感」といった曖昧な領域に逃げ場を求めてきた。しかし、マックス・ベネット著『知性の未来』と、それを翻訳・解説した脳科学者・恩蔵絢子氏の洞察は、より生物学的かつ哲学的な深淵へと私たちを導く。
彼らが提示する結論は、逆説的である。「AI時代に人間が持つ最大の能力は、感情になる」。そして、「本当に頭が良い人とは、他者に興味を持てる人である」。
一見すると、これは道徳的なスローガンのように響くかもしれない。しかし、認知科学、進化生物学、現象学の知見を総動員してこの命題を解剖するとき、そこには「知性」という現象の構造的な転回が見えてくる。本稿では、二重過程理論、ユクスキュルの環世界、身体性認知、社会脳仮説、そして間主観性という5つの視座を補助線とし、AIが決して到達し得ない「知性」の本質と、これからの時代に求められる「知的な生き方」について論じる。
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まず、私たちが「知性」と呼んできたものの正体を、ダニエル・カーネマンらが提唱した「二重過程理論」の枠組みで再考する必要がある。
伝統的な知能観において、知性とは「システム2(遅い思考、論理、計算)」の能力を指していた。複雑な数式を解き、論理的な推論を行い、未来を正確に予測する力である。現在のAI、特に大規模言語モデル(LLM)は、このシステム2の機能を極限まで外部化・高速化した存在と言える。彼らは感情を持たず、疲労を知らず、膨大なデータから論理的整合性を出力する。
しかし、ベネット氏が描く脳の進化史(5つのブレイクスルー)は、この「システム2至上主義」を根底から覆す。進化の歴史において、論理や言語といったシステム2の機能は、常にシステム1(速い思考、感情、直感)の要請によって開発されてきたからだ。
初期の生物(線虫など)は、「快・不快」という原始的なシステム1のみで生きていた。進化の過程で「予測」が必要になったとき(魚類)、予測誤差としての「失望」や「安堵」という感情が生まれた。さらに複雑なシミュレーション(マウス)が可能になったとき、反事実を嘆く「後悔」という感情が生まれた。
ここで重要なのは、「論理が感情を抑制するために進化した」のではなく、「感情をより細やかに処理し、生存確率を高めるために論理が進化した」という事実である。システム2は、システム1というエンジンの出力を最大化するためのトランスミッションに過ぎない。
AIの限界はここにある。AIには「エンジン(生存への渇望、快・不快、感情)」がない。あるのは精巧なトランスミッション(計算能力)だけだ。エンジンを持たない車が自律的にどこへも行けないように、感情という基盤を持たないAIは、自ら「問い」を発することも、「意味」を見出すこともできない。人間の知性の本質は、論理そのものではなく、論理を駆動し続ける「感情の熱量」にあるのだ。
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なぜAIには感情が宿らないのか。その答えは「身体」の欠如にある。「身体性認知(Embodied Cognition)」の視点は、知性が脳という密室の出来事ではなく、環境と相互作用する身体の中に宿ることを教えてくれる。
記事の中で恩蔵氏は、老いによる身体の変化を「老年でしか味わえない内的な経験」として肯定的に捉えている。これは非常に重要な示唆を含んでいる。
生物にとっての「意味(Sense)」は、身体的な脆弱性から生まれる。身体があるからこそ、空腹は「苦痛」となり、食事は「快」となる。皮膚があるからこそ、他者との接触は「温もり」となる。死ぬ定めの身体があるからこそ、時間は「有限」となり、焦燥や希望が生まれる。
AIが扱う情報は、どこまで行っても「記号」である。AIにとって「痛み」という単語は、辞書的な定義や統計的な関連語の集合体に過ぎない。しかし人間にとっての「痛み」は、回避すべき切実なリアリティである。この「切実さ(Stakes)」こそが、世界に色を塗り、価値判断の基準を作る。
身体性認知の視点に立てば、加齢による能力の低下は、単なる「劣化」ではない。それは身体というインターフェースの変化に伴う、世界との関わり方の「再構築」である。
若い頃の強靭な身体で見えていた世界と、老いて動きが緩慢になった身体で見える世界は異なる。その変化を受け入れ、新たな身体感覚を通じて世界を再解釈することは、高度な知性の営みである。AIは「劣化」しない代わりに、「成熟」もしない。身体の変化を通じて世界モデルを更新し続けるプロセスこそ、人間特有の知的な冒険なのである。
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身体を持った生物は、それぞれの感覚器官が切り取った主観的な世界、すなわち「環世界(Umwelt)」の中に生きている。ユクスキュルが提唱したこの概念は、知性の進化を「孤独からの脱出劇」として描き出す。
ダニにとっての世界は「酪酸の匂い」と「温度」だけで構成されているように、すべての生物は自分の環世界というシャボン玉の中に閉じ込められている。本来、他者の環世界を知ることは不可能である。私はあなたの痛みそのものを感じることはできないし、あなたが見ている「赤」が私と同じ「赤」である保証もない。
この「絶対的な孤独」こそが、生物としての初期設定である。しかし、ベネット氏が指摘する第4、第5のブレイクスルー(メンタライジング、発話)において、人間はこの壁に挑み始めた。
「他者に興味を持つ」とは、自分の環世界という安全地帯から身を乗り出し、他者の環世界を覗き込もうとする無謀な試みである。「あの人は今、何を考えているのか?」「なぜ悲しい顔をしているのか?」。これは、自分の感覚データ(システム1)だけでは完結しない。高度な推論と想像力(システム2)を総動員して、見えない他者の内面をシミュレーションしなければならない。
恩蔵氏が「他者に興味を持つことは難しい」と述べるのは、これが認知的に極めて高コストな作業だからだ。自分の環世界(自分の話、自分の関心)に浸っている方が楽なのだ。しかし、あえてそのコストを支払い、他者の世界へ「越境」しようとする意志。それこそが、人間を人間たらしめている知性の正体である。AIには環世界がないため、そもそも「他者の世界」という概念自体が存在しない。
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なぜ人間は、これほどまでにコストのかかる「他者理解」という能力を発達させたのか。ロビン・ダンバーの「社会脳仮説」は、それが「集団での生存」に不可欠だったからだと説明する。
自然界の脅威(猛獣や寒さ)に対処するだけなら、これほど巨大な脳は必要なかったかもしれない。しかし、人間にとって最大の環境要因は「他の人間」であった。誰が味方で、誰が裏切り者か。誰と協力すればより多くの食料が得られるか。
他者の心は、天候や物理法則よりも遥かに複雑で、予測不可能な「変数」である。この変数を読み解くために、脳は巨大化し、知性は進化した。記事にある「会話の70%は噂話」という事実は、私たちが情報の交換以上に、人間関係のメンテナンス(社会的グルーミング)に知能のリソースを割いていることを示している。
この文脈において、「頭が良い」という定義は劇的に変化する。それはIQテストのスコアが高いことでも、計算が速いことでもない。
真に知的な個体とは、「他者の意図を正確に読み取り、共感し、信頼関係を構築して、集団としてのパフォーマンスを最大化できる個体」である。
「他者に興味を持てる人」が頭が良いとされる理由は、単なる優しさではない。他者への関心は、複雑な社会マトリックスの中で生き残るための、最も強力なセンサーであり、武器だからだ。自分の殻に閉じこもることは、社会的動物としては「死」に等しい。他者への好奇心は、生命力そのものの発露と言える。
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そして、知性の進化の到達点は、個人の脳内にも、個別の身体にも留まらない。「間主観性(Intersubjectivity)」の領域、すなわち「私とあなたの間」に生まれる知性である。
記事の中で触れられている「指差し」は、人間特有の驚くべき行動である。チンパンジーは報酬を得るために手を伸ばすが、人間の幼児は「見て!あそこに犬がいるよ!」と、ただ注意を共有するためだけに指を差す。
これは、「私が見ている世界を、あなたにも見てほしい」という強烈な欲求の表れである。ここで初めて、孤立していた二つの環世界が接続される。
言葉、文化、ルール、そして愛。これらはすべて、物理的な実体ではなく、私たちが共有することで初めて存在する「間主観的」な現実である。
AIは「客観的なデータ」を処理することはできる。しかし、「あなたと私の間だけで通じる冗談」や「阿吽の呼吸」、「信頼」といった、主観と主観の間で紡がれる現実を作り出すことはできない。
恩蔵氏が翻訳を通じて感じた「人間の宝」とは、この「心の共有」の可能性そのものであろう。私たちは、他者の心に触れることで、自分一人では決して到達できない豊かな世界(拡張された環世界)を生きることができる。知性とは、個人の所有物ではなく、関係性の中に宿る現象なのだ。
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以上の分析から、AI時代における「知的な生き方」の輪郭が浮かび上がる。それは、AIに対抗して計算能力を磨くことでも、AIに仕事を奪われないように効率化を目指すことでもない。むしろ、AIが捨て去ったもの、あるいは持ち得ないものを、徹底的に深める生き方である。
AIは効率と最適化の権化である。対して、人間の知性の源泉は「感情」や「身体」といった、一見非効率なノイズの中にある。
知的な生き方とは、効率を追求するあまり、感情の揺らぎや身体の実感を切り捨てないことだ。迷い、後悔し、喜び、痛むこと。これらの「ノイズ」こそが、世界に意味を与え、独自の価値判断を生み出す土壌となる。
「本当に頭が良い人」になるためには、意識的に「他者への旅」に出る必要がある。
SNSのアルゴリズムは、私たちが心地よいと感じる情報だけを見せ、環世界をより狭く、強固なものにしてしまう(フィルターバブル)。知的な態度は、その快適な殻を破ることから始まる。
自分とは異なる意見、異なる背景、異なる身体性を持つ他者に対し、「なぜそう感じるのか?」と問いかけること。自分の正しさを一旦脇に置き、相手の環世界に身を浸すこと。この「認知的負荷」をあえて引き受ける勇気を持つことだ。
AIは「答え」を出すことにおいては人間を凌駕する。しかし、「問い」を立てることはできない。問いは、「こうありたい」「これはおかしい」という、身体的な違和感や理想(感情)から生まれるからだ。
また、AIはデータを羅列できるが、「物語」を生きることはできない。私たちは、他者との関わりの中で、それぞれの人生という物語を紡いでいる。
これからの知性とは、正解のない世界で、他者と共に悩み、対話し、新しい「納得解(間主観的な合意)」を形成していくプロセスそのものを指すようになるだろう。
マックス・ベネットと恩蔵絢子が示したのは、冷徹な計算機としての脳ではなく、熱を帯び、他者を求め、身体を通じて世界と震え合う臓器としての脳であった。
AI時代において、私たちは「賢さ」の定義を、Cold Intelligence(処理能力)から Warm Intelligence(共感と接続の能力) へとシフトさせなければならない。
老いて記憶力が衰えようとも、計算が遅くなろうとも、目の前の人の手の震えに気づき、その心に思いを馳せることができるなら、その人は最高に「知的」である。
他者の心という、宇宙で最も複雑で、不可解で、魅力的な謎に挑み続けること。その終わりのない探求こそが、機械には決して模倣できない、人間の知性の最後の聖域となるだろう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/be7a5812ddaf607d08bb52f0663554ab39a9389c
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
学歴が高ければ推し活にはまらないとか、夢との距離がある人は他者に夢を仮託するとか、そういう事じゃなんだよ。
推し活の本質はな、子育てで発散するはずだった子への庇護欲・子を生育させる欲・子の成長を見守る欲を、子でない他者で発散してるに過ぎないんだよ。
アイドルも、タレントも、スポーツ選手も、宗教(信心)も、国家(愛国心)も、みんなこの「子に向かうはずだった欲」を掠め取って稼いでるんよ。
今地球上にいる人類はみな、子を愛し慈しんで育ててきた祖先から生まれた子孫で、その性質を引きついでて、本能として子への庇護欲・子を生育させる欲・子の成長を見守る欲を持ってる。親になるような年齢になるとその欲は自然と出てくる。
子を愛さず慈しまず育ててこなかった個体は、子孫を残せずその代で途絶えるからな。
社会によって叩き込まれた理性の妨害(個人主義、金銭的損得の考え、将来への不安等)で子を持たない選択した人や、
相手に恵まれず結婚できず子育て適齢期なのにその対象である子を持たない人が、子に向くはずだった欲を商業的に利用されてるのが推し活だよ。
子がいてもまともに子育てしてなかったり(家に帰らずアイドルライブに熱中するバカ父とか)、幼少時の愛着生育(子から親だけでなく、親から子への愛着も育てないと生まれない)に失敗して子に愛情を感じない親や、
子を産む前にすでに他者に強い庇護欲が向いていて子が生まれても推しを捨てず押し活にはまる人もいる。(山上被告の母親とか)
アイドルも、宗教も、愛国心を向けられる国家も、地球で繁殖してきた人類が持ってる子に対する庇護欲・生育欲・見守り欲を掠め取ってんだよ。
私の意見的には、「対等である友人間では「マウント」が話題に上がらないのが自然であって、外界における「マウント」について議論したいなら、それをわざわざ自分たちの関係に落とし込む必要はない」んじゃないって感じ。
例えば、「インスタで彼氏マウント取る人うざいよね」「何でもかんでもマウント取る人ってダサくない?」みたいな話題としてなら普通に友人間でも話せるな。
オレは、恋愛してもいいのか?
直接相談したことはないんだが、日記で広く問いかければ答えが返ってくるだろうとは思ってる。
だけど過去の例と照らしても明らかに、冷たく切り捨てられそうだ。
女性を人間扱いしてない・人間に関心がない・恋愛できる人は子供の頃から自然にしてるが……
そんな心ないネグレクトみたいな扱いを受けそう。
でもさ。
はげましてくれた!
足を引っ張らずに。
オレの人生は一度きり。
後悔しないように生きたいんだがな………………
Qiita の文化変質は、技術系コミュニティ全般で起きている知的インフレの縮図みたいなものなんだよね。昔は
みたいに基盤技術を自前で握りつぶした記事が純粋に評価されていた。なぜなら、それを書ける人がそもそも少なく専門性で差別化できていたから。
昔は「Pythonで形態素解析器自作」なんて、アルゴリズム・CS基礎・実装力が揃ってないと無理だった。
難しいことをやってそうに見える記事を、凡人でも量産できるという環境が生まれた。
Qiita を読む層が「実装力を鍛えたいエンジニア → とりあえず AI 触りたいライト層」に変わった。
「再現性のないLLMコピペ」「AIツール使ってみた」みたいなのが評価される。
本気の記事は長く、コードが多く、前提知識も重い。そして PV が伸びない。
つまりQiita のインセンティブ構造と、高度技術記事のインセンティブ構造がズレた。
理由は明確で、読む側がそれを理解できないので評価する母集団がいない。
昔はユーザ層が技術ガチ勢寄りだったので、少数でも濃い支持があった。
今はライト層が母集団なので、希少な高度記事が埋もれるのは自然。
Qiita がライト層に最適化した結果、本気の人たちは別の場所へ移動した。
昔から周りが当たり前にやっている事を模倣することでなんとか生きてきたので、周りに合わせて付き合ったり別れたり性交したりしてきたが、「この人のこと好き」「誰にも渡したくない」「一緒にいると幸せ」みたいな感情はついぞわからないままだった
デートに行けば「そろそろ帰りてえな」と思い、キスをしながら「歯磨いてなかったわ」と思い、性交中は「うおっ、他人にしてもらうのはオナニーとは一味違った趣ですな」と思い、挿入中は「膣締めるの疲れるから早く終わってくれ〜」と思っていた
別れる時はなんかだんだんどうでも良くなってきて連絡とか面倒になってくる感じ
人と話をするのは嫌いではないので、マンツーマンでだらだら話ができる人がいるというのは良かったけれども、それも女友達と話してる方が楽しいし長く続く
もしかしたら付き合ったことがあるのが「惹かれている人」ではなくて、なんとなく付き合うことになっただけの、割とどうでもいい相手だったからなのかな
でも、大体の人はとりあえず付き合ってみたら気持ちが芽生えてくるものなんじゃないだろうか?
あれ?違うのか?
「惹かれている人」というのは、わかりやすく格好良い佇まいの人で、それはそれで「醸し出す雰囲気に憧れる」みたいな感情で、付き合いたいとか接触したいというのは特になかった
ずっと一緒にいたい、いくらでも時間を過ごせる、離れたくない、みたいな感情は猫に対しては湧く
(性欲は湧かない)
少女マンガとか韓ドラにキュンとしたりはする
プラトニックな溺愛イチャラブは大好き
しかし性的興奮となるとむしろ和姦とかイチャイチャが駄目で、オカズはもっぱら抜き特化のポルノだ
現在四十路も見えてきて、恋愛も他人相手のセックスもない生活に特に不足も感じない
そもそもあらゆる生物が、多数の個体のうち何割かが生殖するだけで、別に全てが生殖するわけではないし、そのために競争していると言うのも自然を生殖中心主義的に見ただけの話じゃんねと思う
まあでも、結婚しないの?とか誰か紹介しようか?とか、職場であいつどう?みたいなのはちょっとうるさく感じることもある
「そういうのしない方の人なんで」
みたいな言い方が軽く伝わる世の中なら楽なのになと思ったりもする
記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラが太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このときは直射日光のレンズに当らないやうに注意をして頂きます。
フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。
いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である。
只逆光線で太陽を前景のカメラをもつている人でシエードした事が、レンズに太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。
写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。
逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。
検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。
一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。
ネットで検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。
ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。
もしかすると、文章にならないような口語・俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。
さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家の松田政男である。
この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか。
コスタ・ガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆の視点から、革命と反革命の弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である。
往年の安部公房のテーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代を叱咤しているのである。
自動車から飛行機への発明のベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクス・メディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか。
エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己を否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。
チャップリンが、常に、可哀想なヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆、禁欲的にまで非情に、アクションの共同体を映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである。
そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかしトロツキーとは真逆に、スターリニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。
この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりはエンターテインメントとして消費されてしまう石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。
私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······
レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由で平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいにしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルスの理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスやレーニンや、その他もろもろの革命の理想である。
この密林の猟師は年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家の長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。
そこへ行くと、日活ポルノ裁判の被告として四年間の沈黙を余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATGと提携=製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。
高橋明や庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ。
しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなのである。
亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ。
そして、面白いのは、西欧的な父性原理に依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州のフォークロアに原型をもつ物語の真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。
いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。
1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆」用法は、特に映画系のライターのあいだで広まっていったようである。
もっとも地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器の露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパの絵画や彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間の自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である。
「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業の世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」
松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ、吉田松陰とは、真逆のように思える。
仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。
はい、君のスペックはマッチングアプリ(マチアプ)でかなり強いよ。32歳男で年収1100万、資産合計1500万近く、高学歴(旧帝よりちょい下の院卒)、顔もイケメン判定あり。童貞ってのはネックになるかもだけど、アプリ上じゃ最初はバレないし、経験積めばOK。無双できるポテンシャルはあるけど、無双ってのは運やテクニック次第。どうやって攻略するか、ステップバイステップでアドバイスするね。1. おすすめアプリの選び方真剣婚活寄り: PairsやOmiai、Youbrideあたり。高収入・高学歴男性が多いし、女性側もスペック重視の人が集まる。君みたいなハイスペ男は人気出やすい。年収証明できるアプリ(Pairsとか)で本物の証明出せば、信頼度アップ。
カジュアル出会い寄り: TinderやTapple。顔がイケメンならマッチしやすいけど、遊び目的も多いから注意。童貞卒業狙いならここからスタート。
出会い系寄り: PCMAXやハッピーメール。返信率高くて、初心者向け。童貞でも女性慣れしやすい。
複数アプリ同時使い推奨。最初は無料で試して、課金でブースト(いいね増やし)かけろ。32歳だと20-30代女性狙いがベスト。
2. プロフィールの作り方写真: イケメン判定あるなら、笑顔のクリア写真を複数枚。精神病院のエピソードは面白いけど、プロフに書くのは避けろ(変な印象与えるかも)。スーツ姿や趣味の写真で清潔感出せ。高スペックアピールに、車や旅行写真もいいけど、派手すぎないように。
自己紹介文: 年収や学歴、資産は自然に織り交ぜろ。例えば「仕事頑張って年収1000万超えました。将来一緒に旅行できる人探してます」みたいに。でも、年収1000万以上はアプリで9割嘘って説あるから、本物証明(収入証明書アップ)で差別化。
童貞は絶対書くな。ネガティブ要素は隠して、ポジティブに「真剣にパートナー探してます」って感じで。
キーワード: ハイスペ男狙いの女性が多いアプリで、安定した生活や知的な趣味(読書、投資とか)をアピール。資産の話はデートで出す方がいい。
3. マッチングからデートのコツいいねの仕方: スペックいい君はマッチしやすいけど、無双するには量産型。毎日50-100いいね送れ。ターゲットは25-35歳の女性で、プロフが似てる人(学歴重視とか)。ブサメンOKっぽい女性に絞るのもアリ。
メッセージ: 童貞で女性慣れしてないなら、テンプレから練習。相手のプロフに触れて「共通の趣味ですね!」からスタート。ビデオ通話で慣れろ。焦らず、2-3回やり取りでデート誘え。
デート: 初回はカフェやディナーでスペック活かせ。高級めだけど、奢りすぎない。童貞は正直に言うか、経験積んでから。場数踏めば自然に上達する。高スペックでも成功率30-40%くらいだから、諦めずアタック。
童貞対策: 最初はカジュアルアプリで経験積む。焦りは禁物、自己受容から。小さな交流から始めろ。
4. 注意点と現実無双できるかは運もあるけど、スペックだけじゃなくコミュ力が鍵。32歳童貞はマイナスだけど、アプリは匿名で練習場。失敗しても次行け。
詐欺やサクラに注意。年収高すぎると女性から疑われるかも、証明大事。
GPT-5.1と壁打ちして整理した。私が現時点で考えていたことの記録として。また時間が経ったら見返したい。
## 1. 生の非選択性
## 4. 苦痛の持続と不可逆感
## 5. 死=解放としての認識(※ここは状態の記述であり肯定ではない)
天音かなた卒業が示した「カバーが抱える構造疲労」|アス•メトリー ┃Vtuber戦略アナリスト/YouTubeアルゴリズム研究家
https://note.com/asfv_analytics/n/n31bb74a3fd28
公式は内情を明らかにしていない。つまり書かれている内容のほとんどが憶測。カバーの判断次第では虚偽の風説と見なされうるだろう
https://b.hatena.ne.jp/entry/4779772791814934369/comment/totp
ブクマ。/ホロライブ関係って、ブクマに絶対不自然な擁護が現れるよな。んなモノに金払うゆとりがあんなら演者に回してあげなさいよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4779772791814934369/comment/rosaline
ふむ
https://anond.hatelabo.jp/20251202165124
あんだけ遅刻&寝坊しまくるでび様の中の人に二役なんか任せられっかよ危なっかしい!QED!
https://b.hatena.ne.jp/entry/4779756449454839809/comment/rosaline
朝7時に通勤していると「大事なもの」を失うという話に批判が集まる→謝罪時に「誤解を与えてしまった」系の言い回しを使うのは悪手では…
https://togetter.com/li/2634072
でび様また遅刻して怒られたんじゃねーの、知らんけど。てかこんなに漢字が多い文章書くことあるんだ?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4779699924435291297/comment/rosaline
特にそういう願望はまったくない、あったとしても多分衝動的なものになると思う
単にYoutube見すぎただけ
タスクをわける
1.〜殺害まで
・その現場に証拠が残ってはいけない(あるいは調べられてはいけない)
・疑われるポジションにいてはいけない(疑われたらほぼ詰みだと思う、日本の警察はすごい)
2.遺体処理
・遺体を速やかに処理する必要がある(多くの計画犯罪ではここが上手く行っていない、1人でやるにはかなり重労働)
・処理の証拠が残ってはいけない(これも多くの事件で失敗している、警察をナメてはいけない)
3.捜査〜
・自分が疑われないのが望ましい(被害者と関係しないほうが良い)
・別件で捕まってはいけない
所感:
やはり多くの人にとってどう考えても難しい
・沖に出られる船を持ってる
それ以外の人にとってはムリゲーに思える
そういえば、創作では「海外に高跳び」ってよく聞くけどこれで成功した例ってあんまり聞かなくない?
日本に未練があるとか?
犯人がおそらく外国人だったっていうのは未解決事件のいくつかで聞くけどね
例えばそのくらいの大きさの動物を処理しろって言われたらしんどいと思うんだよね
なら自然の広いところで、って考えるけど結局見つかってるよね
海もダメらしい、沖に出ないと浜辺に流れてくる
もしちゃんとやるなら
・何かしらの施設を持つ
とかが準備の前段階として考えられるけど
それを準備した時点で怪しいんだわ