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はてなキーワード: 対立とは

2025-12-08

anond:20251208225411

対立を煽って儲かる層がいるんだろうなとは思う

武器商人とかね

日中関係悪化って言うけど全ては習近平の気分次第じゃん。習近平日本に対して拗ねてるってのが悪化と言ってることの本質

国対国、集団集団対立ではなく、国対個人対立日本みたいな代議制のトップだったら多少なりとも民意も反映してるかもと言えるがね

日中関係悪化と言っている状況は多くの中国人のよく思うところでもない。というか習をどうにかできる中国人などいないのだから

だとすればこれはただの日習関係悪化だよ。中国人迷惑してるよ

映画】マルナシドス 死者の谷を見た

"ちゃんとした"ゾンビ映画だった。47点。

 

ある程度予算をかけて作られた平均的ゾンビ映画

ゾンビ映画好きはこんなもん何本あってもいいんですけどねって感じだと思うけど、おんなじ映画何本見せられる年と思うタイプにはたぶん退屈だと思う。俺は後者だったのでだいぶいつものやつだなぁって感じだった。

 

時はスペイン内戦時、将軍派の主人公とあるミス挽回のためにある手紙を遠地の基地に届けに行くことに。途中で墜落したイタリア機のパイロットを助けに行ったことで政府軍と衝突。しかゾンビ化したイタリアパイロットが襲い掛かってきたため一時休戦し共同戦線を張ることに。途中で隠れていた将軍派とも合流し原因究明と脱出のため、全員で基地に向かうことに。

 

で、ゾンビを作ってたのはナチでしたっていういつものやーつになるんだけど。

スペイン産ゾンビ映画ということで、我々ニッポニーズにはあんまりなじみのないスペイン内戦舞台となっており、登場人物スペイン内戦の縮図となっている。

将軍派は特権階級エリート修道女モロッコ人、ごく普通市民

政府軍軍曹司祭殺し、ロシア人ソ連かぶれの共産主義者

スペイン内戦根付いている国ではニヤリとできるんだろうと思う。

それぞれが思想の違いで対立しながらもナチが持ち込んだゾンビという「悪(Malnasidos)」に対抗するために結束していく。というのがスペイン内戦第二次世界大戦風刺しているものと思われる。

また冒頭で結婚式をあげている村に将軍派(のドイツ人)がやってきてバカにされた彼らが虐殺を行いその村で実験を開始しそれがゾンビ爆誕トリガーになっているというのもガルシアロルカ殺害風刺しているのかもしれないしそうでないかもしれない。

 

ということがわかった上で見てもごくごく普通ゾンビ映画なので特筆すべきことは少ない。

まぁ今回はほとんどが軍人およびそれに類する人なのであんバカがいないのはよい。機関銃乱射するシーンが結構あるんだけど、あんだけ撃ったら何発かは脳天直撃するだろと思うんだがビックリするくらい頭にだけ当たらないのはご都合主義的すぎるかな。

あとは最後ゾンビに襲撃された基地大乱闘スマッシュブラザーズする展開になるんだけど、敵も味方もゾンビも大量にいて予算感が出ていてよかった。っぱいっぱい出てきてなんぼなんよ。ただ、軍の基地軍人ゾンビもいっぱいでてくるのに弾切れだ!ってなっちゃう展開は、さすがにどうかと思う。みんな持ってるよ、銃。しっかりして!

めちゃくちゃ童貞いじりされる運転手の気弱な青年最後、噛まれている自分を圧して手りゅう弾をもって基地特攻するシーンで最終的に侵入できずに撃ち殺されるんだけど、そこからゾンビになって復活してさら特攻を繰り返し会心の一撃を与える展開はちょっとエモかった。

政府軍敵対していたシスター政府軍軍曹を逃がすために自ら鉄格子に鍵をかけるシーンもこれこれ!って感じで、ゾンビ映画で見たい勘所はしっかり押さえてはいる。心優しいマッチョちゃんと序盤で気弱な童貞を救って死ぬし。

 

なもんで、スペイン内戦ていう日本ではあんメジャーじゃない戦争をお勉強するつもりで、ちゃんとしたある程度予算かけたゾンビ映画見たいなって人にはある程度おすすめネットフリックスで見れます

年に3本とかゾンビ映画ますって人にはいさら見るほどのもんでもないっちゃない。

2025-12-07

anond:20251207201018

以下の文章リベラル的な価値観で返信してください

narwhalさんが息を荒くして待っているので急いでね

以下は、いただいた文章に対して “リベラル価値観” に立った返信の一例です。

相手を敵にせず、普遍的価値を軸にしつつ、権力への批判人権尊重というリベラル立脚点から語る形にしています


リベラル立場から率直にお答えします。

まず、どの国の政府であれ、人権侵害や民主主義の圧殺が起きているなら、私たちは一貫して声を上げ続けるべきだと考えています

中国共産党による言論統制新疆香港で報告されている深刻な人権侵害は、決して看過できるものではありません。

権力濫用に対して声を上げるのは「反中」ではなく、普遍的人権自由を守るための立場です。

同時に、特定の国や民族に対する排外主義助長しないことも、リベラルとして非常に重要だと考えています

批判すべきは国家権力政策であって、人々そのものではありません。

中国に住む人々、そして日本に暮らす中国の方々が表立って批判できない状況があることは理解しており、その脆弱性を踏みにじるような言説には慎重であるべきです。

高市政権に対する批判と、中国共産党の強権的統治への批判矛盾しません。

しろ、どちらの権力についても、民主主義観点から透明性・説明責任人権尊重を求めるという姿勢こそ、リベラル一貫性だと思います

ただ、国際政治の緊張が高まる中で、どのような伝え方をすれば排外主義ではなく「人権」の問題として受け止められるのか、慎重に考えている人も多いのも事実です。

声を上げることと同時に、声の届け方も大切にする――そういう姿勢が「遠慮」と見えるのかもしれません。

それでも、普遍的価値としての自由民主主義人権を守るために、私たちはどの国の政府に対しても必要批判を行います

中国共産党問題についても、国際社会連帯しながら、事実に基づき声を上げていくことは重要です。

リベラル役割は、対立憎悪を煽るのではなく、人権自由を中心に据えた議論を続けることだと考えています

そうした観点から、今後も中国共産党人権状況については発信を続けていきたいと思います

anond:20251207214847

高市さん、自民党の答弁くらい勉強しとけよ…

1972年11月衆院予算委員会では、大平正芳外相が「中華人民共和国政府台湾との間の対立問題は、基本的には中国国内問題である」と言及

1997年12月衆院本会議では橋本龍太郎首相が「(日本は)台湾中華人民共和国領土の不可分の一部であるとの中華人民共和国政府立場を十分理解尊重する旨を表明いたしております。このような基本的立場は不変であり、いわゆる『二つの中国』、あるいは台湾独立を支持する考えはございません」と表明。日本は「一つの中国」を堅持すると強調

2005年3月の衆院安保委員会では、町村信孝外相中国による台湾統一問題について、「(日本は)武力行使には反対である、また同時に、台湾独立も支持しないという原則に基づいている」との立場を鮮明に

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/91804?page=4

中国国民反日感情あおるのに必死だな。

国民事件起こされて困るのは中国だろうに…

今の時代にこんなことしても、中国人同士の対立深まるだけじゃないか

兵庫県知事問題県内外の心理AI

県内の支持側の心理

1.若返り・改革への期待

・元々全国最年少クラスのリーダーを産んだ地域で、若いトップを選びやす

・古い県庁体質への反発、スピード感のある行政を期待する

・前時代慣行を嫌う

 

2.個人攻撃に見える県庁リークへの反発

・正当な内部告発という理解と同時に、「単に改革知事を追い出すための官僚抵抗」と見る層もいる

特に政治に関心の高い層は、「既得権 vs 改革」の構図に見えがち

 

3.政策の実績は評価している

子育て支援企業誘致など、体感できる小さな改善に満足している層がいる

・→そのため「人格が多少トゲあっても、仕事してくれればいい」という心理

 

4.世代ギャップ

・上の世代価値観が違う若手議員若い県民からは、「古い“空気を読む文化”を壊したい」という共感

 

県内不支持側の心理

1.「人間性コミュニケーション問題」を決定的と見る層

県庁職員への高圧的態度、パワハラ疑惑発言のぶれなどを「行政トップとして致命的」と評価する

・「政策以前の問題」「県政の空気が壊れた」という感覚

 

2.「県庁組織が崩れている」という危機感

知事職員対立が深刻化し、不満が内部から漏れ続けている状況を「組織としてもう機能不全」と見る

・「県民しわ寄せが来ている」という実務的な不安も強い

 

3.「トップの迷走」「ぶれ」を嫌う層

施策方向性が一致していない、記者会見での説明不安定などから判断力に欠ける」「信用できない」と感じる

 

4.「若さ=未熟さ」と捉える層

・年配層ほど、「若すぎた」「経験不足だった」という評価に傾きがち

地方政治は“安定・人柄”を重視する文化が強く、そこが決定的に噛み合わなかったと感じている

 

県外の外野心理

外野は多くの場合、表面のニュースを切り取った印象で語りがち

 

1.「ただのパワハラ知事」と一言で片付ける

メディアの切り抜きだけを見るため、県庁内の複雑な力学政策背景を知らず、キャラクターだけで判断する

 

2.「若手改革者 vs 既得権益」みたいに単純化する

外野政治好きが陥りがちで、実際よりも改革ドラマ的に見えてしま

 

3.「兵庫県民はなんでこんな人選んだの?」という疑問

地元事情(前知事への不満、若返りムード)を知らないので、県民意思決定理解しにくい

 

4.煽り的な“ネット世論”が独り歩き

・X(Twitter)を中心に、「叩き」「ネタ化」だけが拡散され、実際の問題の複雑さが全く共有されない

 

____

 

別のAI

 

支持側の心理:『改革者への共感既存勢力への反逆』

1.「孤独改革者」ストーリーへの没入

・「議会、県職員OBマスコミ市長から寄ってたかってイジメられている」という構図に見えたことで、「彼を守らなければならない」という強い使命感を持ちました。

2.オールドメディアTV新聞)への不信感

・「テレビ偏向報道ばかりで、真実ネット情報)を隠している」というメディア不信が爆発しました。「ネット真実に気づいた自分たち」という高揚感も共有されています

3.「実利」と「実績」の重視

行財政改革県立大学無償化庁舎建て替え凍結など)の実績を高く評価。「多少の強引さ(パワハラ疑惑等)があっても、仕事をしてくれるなら良い」という、結果重視・プロセス軽視の心理が働いています

 

不支持側の心理:『倫理観の欠如とポピュリズムへの恐怖』

1.人の死に対する倫理的拒絶

・「内部告発をした職員が亡くなっている」という事実が最優先されます。「人が死んでいるのに、『改革のためなら仕方ない』で済まされるのか?」という強い倫理的な憤りと恐怖を感じています

2.ガバナンス統治能力)への不信

パワハラ疑惑や「おねだり」疑惑のものよりも、内部告発者探しの強行や、第三者委員会設置前の処分など、組織トップとしての資質コンプライアンス意識の欠如を問題視しています

3.「ネット熱狂」への冷ややかな視線

SNSでの極端な擁護や、立候補した他党党首による扇動的活動を見て、「カルト的だ」「ファシズムのようだ」と恐怖を感じています事実確認よりも感情論で動く大衆への絶望感もあります

4.議会制民主主義の軽視への懸念

全会一致の不信任決議が、民意選挙)によって覆されたことで、「議会やチェック機能が死んでしまう」という制度的な危機感を抱いています

既得権益の打破

5.「天下り利権にメスを入れたから、反撃されているのだ」という陰謀論的(あるいは勧善懲悪的)なナラティブ物語)を信じ、斉藤氏を「悪と戦うヒーロー」と定義しました。

 

外野(県外)の意見:『エンタメ消費と代理戦争

1.「逆転劇」としてのエンタメ消費

・「失職した知事が再選したら面白い」「マスコミが負けるところが見たい」という、ドラマスポーツ観戦に近い感覚で、ストーリー面白さを求めています

2.国政・思想代理戦争

本来兵庫県ローカル問題ですが、「反リベラル vs リベラル」「ネット vs マスコミ」という、より大きな対立構造代理戦争として利用しています。ここにおいては、兵庫県政の具体的な課題地域医療や防災など)は無視されがちです。

3.単純化された正義

・「結局、パワハラはなかったんでしょ?」など、百条委員会等の調査結果を待たずに、断片的なネット情報だけで結論づける傾向があります。複雑な背景を「善か悪か」に単純化して理解しようとします。

 

____

 

所感:

とりあえず、お前ら(外野)が兵庫県民をバカにしてるのが一番目に余る光景だと思う

反吐が出るね

お前らっていっつもそうなんだよな、とにかく「断定」「断罪」「馬鹿にする」こればっかり

2025-12-06

村上春樹ノーベル文学賞を受賞したら、世界はどう変わると思う?

たぶん「別に何も変わらないよ」と言う人が大半だろう。 でも「いや、けっこう決定的に何かがズレる」かもしれない。

1. 受賞会見の夜、世界の「翻訳器」が少しだけズレる

授賞式のあと、記者会見村上春樹は、たぶんいつもの調子で、少し照れながら、淡々とした英語ステートメントを出す。

猫とか、走ることとか、ジャズとか、そんな話題ちょっとだけ混ざる。

その瞬間、世界中のニュースサイトが一斉に記事を出す。

スウェーデン語英語中国語アラビア語スペイン語、いろんな言語で彼の言葉翻訳される。

そのとき世界中の自動翻訳システムが、わずかに誤作動する。

村上春樹」という固有名と、「ノーベル賞」という単語が強く結びついたことで、アルゴリズムが「この人の言葉は、特別な重みを持つ」と判定してしまう。

その結果、彼のインタビュー記事だけ、ほんの少し「やわらかく」翻訳されるようになる。

本来なら “I just write what I can write.” と訳されるはずの文が、別の言語では「自分にできることを、ただ静かに続けてきただけなんです」と、余計なニュアンスを帯びてしまう。

機械勝手に「春樹っぽさ」を補間し始める。

その小さなバグは、誰にも気づかれない。

でも、世界中の翻訳メモリの中で、「誠実な揺らぎ」とでも呼ぶべき偏りが、じわじわと蓄積し始める。

2. 古本屋の棚が静かに組み換えられる

受賞の翌週、日本中古本屋で、ちょっと妙なことが起きる。

棚を整理していた店主が、ふと「ノーベル賞作家コーナー」を作ろうとして、手を止める。

新潮文庫の『風の歌を聴け』を手に取って、ドストエフスキーカミュの横に置くか、それとも日本文学コーナーに残すか、悩む。

たいていの店主は、日本文学から一冊だけ抜き出し、「ノーベル賞」のプレートの下に、さりげなく並べる。

その瞬間、棚全体の「重心」が、ほんの数センチ動く。

カミュの『異邦人』の隣に『ノルウェイの森』が来る店もあるし、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』の脇に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が差しまれる店もある。

知らない誰かが、そこで一冊を手に取る。

ノーベル賞作家なら読んでみようかな」と思って買う人もいれば、「高校とき挫折したけど、また読んでみるか」とレジに持っていく人もいる。

その「もう一度読んでみる」という行為が、実はけっこう世界を変える。

ひとつ物語を、異なる年齢で読み直すことは、人生時間軸をちょっとだけ折り曲げるからだ。

3. とある若い書き手が、原稿ゴミ箱から拾い上げる

遠くない未来日本のどこかのワンルームで、小説を書いては消している人がいる。

それまでは、締切のたびに「どうせこういう文体はもう古い」と思って、原稿フォルダごと消していた。

けれども、ニュースで「村上春樹 ノーベル賞受賞」という文字列を見た夜、指が止まる。

時代遅れ」と心のどこかで断罪していた「一人称で、ちょっと距離のある語り口」や、「よく分からない井戸」や「耳の形の描写」を、もう一度だけ許してみようと思う。

その人は、削除済みフォルダから原稿サルベージして、改稿し、応募する。

数年後、ひっそりとデビューする。その作品は大ベストセラーにはならないが、誰か一人の人生を確実に変える。

それを読んだ別の若い誰かが、「こういう小説を書いてもいいんだ」と思う。

この連鎖が続いた結果、20年後日本文学史の片隅に「ポスト春樹的な何か」という、名前のつかない小さな潮流が記録される。

4. とあるAIモデルが、比喩を覚え始める

ノーベル賞受賞後、世界中の出版社は、村上春樹作品さらに多言語翻訳して売り出す。

その新しいデータが、大規模言語モデル学習コーパスに流れ込む。

AIは、彼の文章の特徴――

――を、統計的パターンとして吸収する。

ある日、とあるユーザーAIにこう尋ねる。

人生希望が持てないとき、どうすればいい?」

従来のAIなら、「休息を取りましょう」「専門家相談しましょう」といった、正しいけれど味気ない答えを返していた。

しかし、そのモデルは、学習した村上春樹的なリズムをうっすらと真似て、こう返す。

「ひと晩だけ、よく眠れる街に行ってみるといいかもしれません。

 コインランドリーと古いジャズ喫茶があって、誰もあなた名前を知らないような街です。

 そこで洗濯機が回っているあいだ、お気に入り音楽一曲だけ聴いてみてください。

 世界は、それだけでほんの少しだけ、違う顔を見せることがあります。」

それを読んだ人が、「なんか、分からないけど少しだけ楽になった」と感じる。

たった一人の気分が、5ミリだけ上向く。

バタフライエフェクト的には、それで十分すぎる。

5. ノーベル賞委員会が、ふと迷う

翌年以降、ノーベル文学賞選考は、少しだけ変化する。

村上春樹の受賞は、「売れている作家」「広く読まれている作家」が、必ずしも軽んじられるべきではない、という前例になる。

それまで「実験的すぎて一般には読まれない」ことが価値とされていた傾向が、ほんの少しだけ揺らぐ。

世界中で読まれていること」と「文学性」が、必ずしも対立概念ではないのかもしれない、と誰かが言い出す。

その議論の延長線上で、今までは候補にも挙がらなかったタイプ作家が、リストに入る。

たとえば、ジャンル小説純文学境界にいるような人。

あるいは、ネット上での連載から出てきた書き手

結果的に、10年後、ある国の女性作家が受賞する。

その人はインタビューで「十代のころに、村上春樹ノーベル賞を取ったニュースを見て、『あ、こういうのでもいいんだ』と思ったんです」と語る。

村上春樹の受賞は、別の誰かの受賞の「前提条件」に化ける。

バタフライの羽ばたきが、遠い未来の別の嵐の「初期値」になる。

6. あなた個人時間軸が、少しだけ歪む

ここからは、完全にあなたの話だ。

ニュースで「村上春樹 ノーベル文学賞受賞」と流れた日。

仕事の帰りにコンビニに寄って、スポーツ紙の一面を見て、「マジか」と小さく笑う。

家に帰って、本棚の奥から大学生の頃に読んだまま放置していた文庫本を取り出す。

ページをぱらぱらめくると、線を引いた覚えのない箇所に、うっすら鉛筆の跡がある。

「この一文に、あのとき引っかかっていたんだな」と、昔の自分に少し驚く。

今読んでみると、当時は気づかなかった別の箇所が刺さってくる。

たとえば、こんな感じの一節:

世界というのは、だいたいいつも、わずかにバランスを崩しながら、それでも何とか立っているようなものなんです。」

(これは架空の文だけど、春樹っぽさは伝わると思う)

読み終わったあと、あなたスマホを手に取って、誰に送るでもないメモを書き始める。

日記のような、感想のような、断片的な文章

それを翌朝読み返して、「案外悪くないかもしれない」と思う。

消さずに残しておく。そのメモが、数年後、何か別の形――ブログか、小説か、子どもへの手紙か――に変わるかもしれない。

村上春樹ノーベル賞を取ったことで、あなたの中の「書いてもいいかもしれない何か」が、ほんの少しだけ動き出す。

世界規模から見れば誤差だけれど、あなた時間軸にとっては、十分に大きな揺らぎだ。

7. 世界はそんなに変わらない、でも「読み方」は変わる

結局のところ、村上春樹ノーベル文学賞を受賞しても、

戦争が止まるわけでも、景気が劇的に良くなるわけでもない。

満員電車は相変わらず混んでいるし、会社会議は相変わらず退屈だし、洗濯物は相変わらずたまる

でも、「世界の読み方」は、少しだけ変わるかもしれない。

そんなふうに、日常現実に、うっすらと「物語レイヤー」が重なる。

村上春樹ノーベル賞を取るというのは、

世界ルールが変わる出来事ではなく、

世界物語として読む人」が、ほんの少しだけ増える出来事なのかもしれない。

そして、バタフライエフェクトというのは、

巨大な歴史的事件よりも、

そういう小さな読み方の変化から起きるのだと、個人的には思っている。

2025-12-05

anond:20251204124428

高市早苗引きこもり宰相急所” 《麻生太郎が怒りの官邸突撃高市は周りを信用しない」》《トランプ忠告隠蔽する木原稔長官中国戦外交の化けの皮》

https://bunshun.jp/denshiban/articles/b12852

27日夜には、複数日本メディアが〈トランプ氏、日中対立懸念 首相に「エスカレート回避を」〉(共同通信)などといった見出し追従報道した。政府関係者が明かす。

「実際には、トランプからかなり辛辣な言い方をされている。『台湾問題に口を出すな』という趣旨のことまで言われたようです」

オタクはまだ、Xで消耗してるの?

Xじゃもう対立煽り炎上公式垢の寒いポストしか流れてこないでしょ

精神疲弊させるだけのSNSを見て何の意味があるの?

 

アニメとかゲーム情報が流れてきても、それを叩くアカウントリプライやリポストが大量に沸いてきてて

作品を楽しむのにも応援するにも嫌な気持ちしかならないし、Xにいる作者や監督やらが批判されまくっていて楽しんでた作品純粋に楽しめくなってない?

ノイズしかならないSNSコンテンツなんて楽しめないでしょ?

 

不愉快気持ちしかならないのにXのTLを覗いてるのははっきり言って異常な状態だよ

ただ脳が疲れて慣れたこしかできなくなってるだけ

本当は面白くもなんともないのに中毒みたいになってて辞められないそう言う状況

美味しくもない酒やたばこをやめられないのと同じ

 

もうXなんて捨てて別の楽しいものを見つけろ

新しい情報で脳を刺激したいだけならAIと会話してるだけの方がよっぽどマシだぞ

キラキラ都民税金地方に分配する法案成立へ

東京都とほかの道府県の税収格差対応するため、政府与党が都に入る税収の一部を地方に振り分ける案を検討していることに対し、都側が反発を強めている。

小池百合子知事は4日、「(税収の)偏在はどこにあるのか」と反論。国が格差是正の姿勢を強めれば、激しい対立は避けられない見通しだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/ff638960115bb093b3c0ac1c229334f7f4b38b30

映画】決戦は日曜日を見た

ポリティカルコメディの佳作。増田政治クラスタは見たら笑ったり怒ったりできると思う。72点。

 

衆議院解散直前に地盤ガチガチ大物議員が倒れ急遽娘、宮沢りえを担ぎ出すことに。10秘書を務める窪田正孝政治世界世間も知らない素人娘のサポートてんやわんや。なにもかもうまくいかない選挙活動を続ける中お互いの心境変化があって……

というお話

 

個人的に若干ノイズだったのが宮沢りえの役が「バカ政治家」をカリカチュアしすぎていて現実感が薄いこと。

作中でどうやら父親に金を出してもらってネイルサロンを開いてそこのオーナーをやっているらしいことが示されるが、それ以外のパーソナルな情報をごっそり削ぎ落とされているので「そういう存在」として突然生み出されたような違和感がある。

政治家の娘でずっと秘書をやっていたので世間のことがわかっていない。はわかる。

政治家の娘だけど政治に関わっていなかったので政治のことがわかっていない。もわかる。

政治家の娘だから世間のことがわかってないし、政治に関わってないか政治のこともわからない。

は、そんな奴おるかなぁ……?になってしまう。

いちおうネイルサロン従業員雇ってお商売やってるわけじゃん。いろんな人と話するわけじゃん。たぶんワイドショーとか好きじゃん(偏見)。世間一般的炎上政治リテラシーは備わってるんじゃないかなぁと思うのは、もしかしたら自分所属するレイヤー以外を俺が甘く見すぎてるだけかもしれないけど。

それくらい宮沢りえ過去バカ政治炎上事件タスクを次々こなしていく。まぁそれが楽しいんだろと言われれば、確かに笑いましたけど!?逆ギレするしかないんだけど、一方でこんなことするかなぁという気持ちもあったというお話

ただ宮沢りえ自体バカで無神経で甘やかされて育ったお嬢様を溌剌と演じていたし、政治世界の波にもまれワールドイズマインだった自分が崩れていくさまを細やかに演じていてよかった。

 

ポリティカルコメディとしては面白くも何気に先進的。

例えば、爆笑エピソードとして記者に「少子化問題について一言お願いします」と問われた宮沢りえが「結婚してないのに子供を産まないのは怠慢ですよね!」と答え、それを日本国アイコンが絶賛するというシーンがあるんだけど。これ実際に2025年参政党の神谷街頭演説でやってて反応もその通りで笑っちゃう2022年映画なのに。

また、途中で目的が変わって意図的炎上しに行く展開になるんだけどその中で、敵対陣営街頭演説中に乗り込んでいって拡声器で怒鳴りたてて妨害するというめちゃくちゃしよるシーンがあるんだけど、これも2024年補選つばさの党がやって大問題になったことと類似する。

今見て面白映画だと思う。

 

気になる人も多いと思うけど逆にそれが面白いと思ったのはこういうズレを笑うタイプ作品に登場しがちな「世間の目」役のキャラが今作では登場しない。

地方議員も後援者も選挙事務所の面々もみんな政治世界にどっぷりのアウトローたちだし、そこに紛れ込んでくる異分子である宮沢りえ世間感覚ゼロのヤバ女。アウトローたちは普通感覚で見ればおかしいことを言ったりしたりするのを宮沢りえが「それってマジ?」とツッコミ宮沢りえ政治的におかしなことをするとアウトローたちがツッコむという構図が楽しかった。

そういう意味ではこの作品では世間の目で見てまともなことはほとんど行われない。

 

また非常にシニカルにかつ現実的政治世界を捕えていて、賄賂の分配は非常にロジカルに単なる業務として行われているし、なによりフフってなったのは公示日に新人秘書に「当選しますかね」と聞かれた窪田が「するよ。世論調査の結果もらってるし、見てない?」と答えるところ。既に圧倒的地盤があるので、それをひっくり返されるだけのトラブルがなければ当選することは最初から決まっているという地方政治のある種の冷たさ。シビれるね。

 

後半の展開としては父親政治スキャンダルが報じられさらにそれが事実で他の政治家のように秘書尻尾切りされてシャンシャンになるところを目撃したり、実は父親意向ではなく擁立で利害が対立した地方議員たちが「全員で操って各自利権を最大化するためだけ」に自分が選ばれたことを知ったりして、すっかり政治世界に嫌気がさした宮沢落選することを決意する。

また窪田も病院自分生き方を振り返っていた宮沢父親から「お前の考える自分の娘の幸せはお前が自分幸せ押し付けているのではないか。もし(窪田の)娘がお前が考えるのと違う道を行こうとしていてもそれを受け入れてやれ」と言われ"選挙"の正しさを見失っていた自分気づき宮沢に協力し共に落選を目指す。

ここから政治スキャンダル証拠暴露したり、さら自分でもスキャンダルを起こしてそれを拡散してどんどん炎上しようとするのだが、そのたびに別の大きな社会的問題が発生し話題はかき消え、スキャンダルは別方向から評価されむしろ評価が上がって行ってしまう。

このあたりのドライヴ感はめっちゃ楽しい。こんな都合良くいかんやろ~とも思うのだけれど、小泉内閣の後半に支持率が下がりそうなタイミングでなんか別の大きなトラブルが起きてそれの対応に奔走しているうちにまた支持率が持ち直して、みたいなことが実際あったよなぁとも思ってしまう。政治という大きなうねりの中では個人意思など問題にならないのだ。

そして最終的に宮沢当選する。秘書の一番偉い人はこう言う「投票率いからね」。そう、最低得票数が決まっている以上、投票率が下がる=浮遊票が減れば公示日に「当選する」と言われていた通り何もしなくても看板議員当選する仕組みになっているのだ。言外のメッセージとして非常に強いものを感じる。

特筆してなかったけど窪田正孝はいい役だった。達観しながら諦観していて"政治的"常識人でありながら一児の父としてかろうじてつま先を現実に残している。

特によかったのは宮沢選挙の裏側の汚さをマスコミ暴露すると騒ぐシーン。

宮沢に対して「たぶんメディア相手にしない」と告げつつも「仮に報道されてもこちらとしては把握してないとリリースを出すし、本人に問題があるので信頼できる情報とは言えないとしてこちらが把握している過去あなたスキャンダルをどんどん出していくことになる。そうなった場合、仮に落選することができても貴方のその後の人生にも多大な影響を与えることになる」とめちゃくちゃ申し訳なさそうに腰を低く脅迫する。

こいつ終始腰が低いのにデリカシーないしズバズバだしめっちゃいいキャラなんだよな。

宮沢との共闘前の印象的なシーンとしては、ノンデリ発言宮沢ともめた後に事務所屋上から「みんなからの扱いが雑で許せない。政治世界おかしい!改善されないならもう辞める!」と訴える宮沢に対して屋上に向かい「いまさらやめられない、そういうもんだ」と政治うねりの中にいる人物として言外にシステム冷徹さを示し、宮沢ビルから突き落とし(下には緊急用マットが敷いてある)、その後自分飛び降りるシーン。

最後自分飛び降りるところで「こいつはなんだかんだ自分も渦中に寄り添える奴なんだな」と言うのが示されていてこういう人物描写好き。他人やらせるだけのやつじゃないっていう。秘書の鑑。

 

全体的に静かなトーンで進行して敢えて面白おかしく描こうというよりも世間常識永田町非常識という言葉があるようにそのズレがコメディとして成立していると確信して作られている強度が高い。真面目に作られているからこそ笑えるコメディ

なんとなく伊丹十三スーパーの女とか思い出した。あっちのほうがもうちょっとコミカルだったけど。

政治大好き増田オススメ

暇空やら青識やら立花やらに騙された人間の方を叩く奴らは、裏で手を組んで差別扇動しているマスゴミ工作員

 あのやり口は、典型的な、誤信念の強化を意図した扇動だ。

 ああやって、騙したナチスより、騙されたドイツ人を叩けと喚く連中の心理は、被害者意識から、騙された一般人も皆殺しにしたいと思ってる叩かれた側か、そうでなければ、誤信念を強化して扇動したい奴らだ。

 連中が、ああい対立煽り扇動するのは、そういう対立扇動される人間というのは、現状への不満が鬱積しているかである

 要するに、どんな搾取支配を受けても、一切文句言わない奴隷みたいな人間以外、対立を煽って、煽られた者同士を排除したいわけだ。

 ナチス扇動された連中と言うのは、そうした被害者意識のために、実際に虐殺拷問に手をかけるような奴らだったわけだが、今日本で扇動されている人間は違う。

 というか、虐殺拷問を平気でやる屑に限って、高い地位をやって量産してるわけで、もちろん、虐殺拷問を連中が忌避しているわけではない。

 ただ、自分権力者に都合よく手を汚してくれるクズと、そうじゃなく、格差差別に抗議して攻撃的になる普通の人を分けて、後者抹殺し、前者を飼いたいだけなのだ

 そうした工作の結果、現実がどうなったかと言うと、ニューヨークでは、白昼堂々街中でレイプしても誰も止めに入らないどころか、通報さえしないし、日本でも、新幹線の車内で包丁で脅してレイプしても、誰も止めに入らなかった。

 こうした止めに入らない人間には二種類いて、本当は止めたいけど怖い人と、女なんてレイプされてても、本当はどうでも良い無関心な人間である

 もちろん、ネット正義感から批判する人間は前者に当たる。

 連中が、「ネット批判している奴らは卑怯者!」「正義感暴走がー!」と喚くのは、本当は、「俺ら権力レイプ魔を叩くな! 表立って抗議する奴らは皆殺しにしたけど、陰で批判する奴らも消し去ってやる!」「レイプ犯を批判する奴らは正義感暴走がー!」と言いたいわけだ。

 こんな奴らがフェミぶって、本当の性犯罪以外の性行為糾弾し、表現規制までしようとしている屑どもの正体なのである

 アメリカ場合は、心理学者によって、「アメリカ人は、他の人が通報すると思って通報しなかったんだ!」という擁護をさせているが、最近では通報しないどころか、レイプ糾弾された政治家大統領にまでして、実際にレイプを訴えた女は、それがマスゴミ権力を背景にしない限り、セカンドレイプしまくって集団リンチしている。

 そして何故か心理学者どもは、日本人の場合には、そんな擁護一切してないのだ。

 レイプに無関心か、それ以上に与する人間擁護するけど、本当はムカつくけど止める度胸がない人間糾弾したいからだ。

 今のアメリカ人には、自分さえ良ければ良いだけの人間と、一切他人糾弾しない奴隷人間の二種類しかいないのである

 しかし、自分らが被害を受ければデモ革命を起こすのは前者だけで、後者は、家族や知人が犠牲になろうが、抗議さえしない。

 もちろん、後者が、ネット批判なんて書き込むわけもないのだ。

 青識やら立花に騙された人たちと言うのは、ただ、ネットで不満を吐露していただけの人たちであり、彼らを排除した未来にあるのは、何をしても誰も不満を代弁してくれないディストピアだけだ。

 そして、今の日本が正にそうで、ネットでも、マスゴミ工作員の明らかにおかしヘイト逸らしだけがあって、それへの反論は誰もしない。

 ただ、どんな不満が蓄積しても、やり玉に挙げられるのは、連中が内心で排除したい相手だけであり、本当の不満の根源が取り除かれることは一切なくなるだろう。

 その現状に、少しでも不満を吐露したり、抗議したりした奴らが、より強く発言したり行動した順に排除されていく。

 デモする人間排除したら、次は、ネットで不満を書き込みしただけの人間排除されるのである

 その次は、知り合いに不満を語っただけの人が排除され、更には、メモ帳に不満を綴っただけの人間排除されるだろう。

 単純な話、ソ連はいきなり密告システムなんて作ったから失敗したわけで、こうやって、行動した奴らから順番に排除していけば、本当の密告システムが作られ、それを覆すことはもはや不可能になる。

 そうして、誰も不満を口にできない状態になったら、今度は、少しでも仕事の手を抜いたり、控えめなボイコットを行った人間排除される。

 どんな凄まじいブラック企業でも、一切休みなく働く奴隷以外は排除対象にされるわけだ。

 そして最後は、連中にレイプされたり、気まぐれに暴力をふるわれ殺されることに、訴えたり抗議した人間排除される。

 まあそうなったら、次の連中にとっての不安材料は、連中と同じ権力を持っている奴ら同士になるだけだろうが。

 そうなったら、唯一の絶対権力を握った一人の人間以外は、奴隷以外すべて排除されるだろう。

 そして、技術が完全に局地に達した暁には、奴隷人間さえ邪魔になるのである

 単純な話、連中は、底辺の中から不満を吐露した人間排除するより、権力者の中から不満たらたら、利己的に世界を改変する気満々の奴らから排除しないと、次は我が身だ。

キリンさんは好きだが、ぞうさんもっと好き。そんなジレンマについて

キリンさんは好きだが、ぞうさんもっと好き、というこの世界最小規模の価値対立は、一般に「草食動物間選好矛盾」と呼ばれる。呼ばれないが、呼ばれたことにして話を進めたい。なぜなら、この矛盾直視しない限り、我々は首が長いのか鼻が長いのか、自分がどちら側に立脚して生きているのかすら判断できないかである

まずキリンさんだが、あの異常に長い首は、最初の一本の草を誰が食べるかという太古のメタゲーム副作用であると言われる。しか専門家によれば、その首が長すぎて脳への血流を保つために特殊ポンプ構造を持つことになり、そのポンプを維持するためにさらに高い血圧必要になり、その血圧が高すぎて葉っぱを食べているだけでめまいが起きるという噂も存在する。もちろん噂の大半は噂であるため、噂が噂であること自体が噂となる。これがキリン循環論法だ。

一方、ぞうさんもっと好きである。好きすぎて、なぜ好きなのか誰も説明できないほど好きである。鼻が長いのは有名だが、長い鼻を持つ者にしか見えない「象界(ぞうかい)」というパラレル知覚領域があるという研究2021年に出ていないが、出たと仮定すると大変ロマンがある。象界の住民たちは常に重低音で会話しており、言語は鼻を通じて振動で伝わるため、インターネット回線無意味である。この時点でキリンさんは敗北している。なぜならキリンさんにはインターネット必要からだ。首が長いとWi-Fiの届かない高さに頭が行ってしまうため、常に「二段ルーター問題」を抱えている。

だが、問題は単純な比較では終わらない。キリンさんを好きでありながら、ぞうさんの圧倒的存在感に心が揺れてしまうという心理的ねじれは、個体内で二強政党制が形成されるのと同じである。これは選好の二大政党制と呼ばれ、キリン党とぞう党が内面議席を争う政治ドラマが日々展開される。多くの場合キリン党は「高さから世界を見る」という高尚な政策を掲げるが、ぞう党は「まあ鼻でなんとかなる」という実務的な政策提示し、大衆(つまりあなた)の支持を集める。一方、ゾウ党の公約の半分は鼻で適当に書いたものなので信用できないが、なぜか勝ってしまう。

さらに深刻なのはキリンさんとぞうさんを同時に愛することが倫理的可能なのかという問題である。両者は形態学的にあまりにも異なるため、「一貫した好き」という概念が成立しない。たとえばキリンさんを撫でようと思えば高所作業車必要になるが、ぞうさんを撫でようとすると逆に地面側で作業しなければならない。この高度差は心の高度差として内面化され、精神ジェットコースターを生む。高揚した直後に大地へ叩きつけられるような感情変動は、もはや恋愛に近い。

最後に、結論を出そうとしても出ない。なぜならこの矛盾には解決概念存在しないからだ。「キリンさんは好きだが、ぞうさんもっと好き」という言明自体が、論理的証明拒否し、観測した時点で形を変える量子的ゆらぎのようなものからである観測するとぞうさんが好きになり、観測しないとキリンさんが好きで、観測をやめた瞬間に両方どうでもよくなる。

まりこれは、好悪の問題ではなく、観測者の姿勢問題である

そして、あなたがこの記事を読み終わった今、どちらが好きなのかをあえて問うことはしない。問うた瞬間にすべてが崩壊するからである

2025-12-04

anond:20251204205749

こういう奴こそ男女対立を煽る諸悪の根元なんだよ

https://x.com/tweet_tokyo_web/status/1995736137768267928

参政党の安藤議員政府国債を発行すれば、その同額だけ国民資産が増える、ということでいいか

日本銀行「その通りです」

安藤議員ありがとうございます政府が“赤字”という形で国債を発行すれば、それは国民にとって“黒字”であり、資産であるということ」

この人の限らんが日銀事実確認を行っただけにも関わらずこれに対してMMTはー、とか言ってる奴らが湧くのは一体なんなのか。

https://megalodon.jp/2025-1204-1655-00/https://x.com:443/matt_noyes_/status/1995866533378359401

https://note.com/stairlimit/n/nb76f64b326bd

 現状、MMTという理論肯定的議論しているグループは二グループに分かれている。片方は学問的なグループであり、もう片方は政治的グループだ。おそらく大半のまともな経済学者はこのグループを分離して語るべきであるという前提に同意すると思われる。

 政治的グループは極めて悪質で、彼らが「MMTである」と主張する出典不明学説から荒唐無稽しか言いようのない結論自由に引き出し、それを用いて政治的対立者を罵倒している。

とか書いてる記事を以前謎に紹介されたがそ政治的に悪質なグループとは一体だれのことだろうか?

ところでこの自由主義研究所というところ、このような紹介がされてるが思想に正解はないのでいいとしても、学術内容を広げることを目的にしていたら自己批判出来なくならないか

自由主義研究所は、国際標準自由主義であるクラシカルリベラリズム」「リバタリアニズム」「オーストリア学派経済学」を広げることを目的として、2023年1月設立した民間シンクタンクです。「個人強制されることはできるだけ少ないほうが良い」という自由主義の価値観は、「福祉国家」による現代日本問題根本を考える上で重要なことです。

https://agora-web.jp/archives/author/libertarianism

anond:20251204135024

続きをAI弁証法形式で壁打ちしたわ。

その意見テーゼとして、まずアンチテーゼ

共通テスト廃止は、社会公平性破壊し、国家の内部崩壊を招く亡国の愚策である

 「国家資源の再配分」を名目として大学入学共通テスト廃止を求める意見があるが、私はこの主張に対し断固として反対する。提案者は、共通テストにかかる人的・金銭コストを「無駄」と断じているが、それは教育制度が担う**「社会契約」としての機能**を著しく軽視した暴論である共通テスト廃止は、単なる入試改革にとどまらず、日本社会を「実力主義メリトクラシー)」から身分・金権主義」へと逆行させ、長期的には社会の分断と崩壊を招く危険性を孕んでいる。

1. 歴史的試練に耐えた「客観的試験」の意義  そもそも、一律のペーパーテストによる選抜システムは、古代の「科挙」に端を発し、数千年の歴史の試練に耐えてきた人類の知恵である。なぜこのシステム民主主義の世となっても生き残っているのか。それは、これが**「ベストではないが、他のあらゆる方法よりもベター(マシ)」**だからである。  ペーパーテスト以外の選抜方法――例えば書類審査面接独自裁量評価――には、必ず主観恣意性が入り込む。共通テストという「冷徹なまでの客観的指標」があるからこそ、我々は出自や家柄に関わらず、努力の結果のみで評価されるという担保を得ているのである

2. 「各大学個別入試」が招く腐敗のリスク  提案者は「各大学自律的選抜」を美化するが、共通テストという統一基準撤廃すれば、そこには必ず**「金・コネ・家柄・権力」**が入り込む隙間が生まれる。  客観的統一スコアという足切りがなくなれば、大学側は「寄付金多寡」「卒業生の子弟」「有力者の紹介」といった、学力以外の要素で合否を操作することが容易になる。欧米の一部の大学で見られるような、富裕層優遇入試が横行しない保証はどこにもない。共通テストは、こうした不正疑念を未然に防ぐための、国家による「公平性防波堤」として機能しているのである

3. 格差固定化社会崩壊への道  もし共通テスト廃止され、学歴ひいては社会地位が「親の経済力社会的影響力」によって左右されるようになれば、どうなるか。それは**「階級固定化」**の完成である。  貧しい家庭に生まれても、勉強して高得点を取れば一流大学へ進み、人生を逆転できる――この「希望」こそが、社会の活力を維持し、不満を抑制する安全である。もし入試が「金で買える地位」になり下がれば、持たざる者努力インセンティブを失い、絶望社会への憎悪へと変わる。  歴史を振り返れば明らかである。極度な格差社会において、階層移動の道が閉ざされた時、社会は内部から腐敗し、最終的には暴動革命によって崩壊する。教育公平性を売り渡して得た予算国防インフラを強化したところで、国民連帯が失われ、内部から崩壊していく国を守ることはできない。

4. 結論トップ研究者の投入は「民主主義コストである  トップ研究者が作問に時間を割くことを「リソースの浪費」と批判する向きもあるが、それは誤りである。50万人の若者人生を左右し、将来のリーダーを選別する試験において、一点の曇りもない公平性担保すること以上に重要な「国益」が他にあるだろうか。  極めて厳格な作問プロセスにかかるコストは、社会の公正さを維持し、国民全員がその結果に納得するための**「民主主義必要経費保険料)」**と捉えるべきである

 以上の理由から共通テスト廃止は、日本社会を公正な競争社会から前近代的身分社会へと退行させる危険提案であり、到底容認できるものではない。



テーゼアンチテーゼ妥当評価

どちらの主張も論理構成がしっかりしており、それぞれの視点において「妥当」です。どちらをより支持するかは、読み手が**「国家としての効率競争力(A)」を重視するか、「社会公平性と納得感(B)」**を重視するかによって決まります。それぞれの主張の強みと、議論対立軸を整理します。

Aの主張:「国家戦略的合理性」の視点

【核心】リソース最適化選択と集中

Aの主張は、経営学的・国家戦略的視点に立っています。「サンクコスト埋没費用)」にとらわれず、現代の状況に合わせて制度スクラップ・アンド・ビルドすべきだという論理です。

妥当性が高い点:

コスト効果の指摘: 実際に共通テストの作問や運営にかかる大学教員研究者)の負担は甚大であり、これが日本研究力を削いでいるという指摘は、学術からも長年叫ばれている事実です。

機能不全の指摘: 上位層における「得点圧縮(差がつかない問題)」や、各大学が結局は個別試験を重視している現状を突いており、制度疲労に対する鋭い批判となっています

危機感の共有: 国際情勢やインフラ危機など、具体的な「他にリソースを回すべき場所」を提示しており、現実的危機管理の観点から説得力があります

Bの主張:「社会契約と正義」の視点

【核心】機会の平等担保と腐敗防止

Bの主張は、政治哲学的・社会学的な視点に立っています効率よりも「納得感(Legitimacy)」を重視し、共通テスト社会の分断を防ぐための「装置」として捉えています

妥当性が高い点:

人間心理への洞察: 完全な自由裁量は必ず「コネや金」の介入を招くという、性悪説に基づいたリスク管理の視点は非常に現実的です。

公平性」の定義: テストの内容が良いかいかよりも、「全員が同じ定規で測られる」こと自体価値があるという主張は、大衆社会における不満のガス抜き社会の安定)として強力な説得力を持ちます

最悪の回避: 「ベストでなくともベター」という保守主義的なアプローチは、急激な改革による混乱(格差固定化など)を恐れる層にとって安心感があります

比較結論

この二つの意見は、**「何を犠牲にする覚悟があるか」**という点で対立しています

Aの弱点: 共通テスト廃止した後、各大学が本当に「公正」に入試を行えるかどうかの担保がありません。AO入試や推薦入試で「親の経済力文化資本」が有利に働く現状を見ると、完全自由化格差拡大を加速させるリスクがあります

Bの弱点: 「公平性」を守るためのコスト研究時間喪失、莫大な予算)が、国力を衰退させるレベルに達している可能性を過小評価しています。国全体が沈んでしまえば、公平な入試制度だけ残っても意味がないという反論可能です。

どちらがより妥当か?

短期的・実務的な解決を求めるなら A 現在日本財政状況や研究力の低下を憂い、「即効性のある改革」を求める立場からは、Aがより妥当に見えます

長期的・社会構造的な安定を求めるなら B 社会の分断や信頼の崩壊を防ぎ、「努力すれば報われる」という社会通念(神話であっても)を守る立場からは、Bがより妥当に見えます

個人的分析としては、B(公平性の維持)の主張の方が、現代日本では「最後の砦」として支持されやすいと考えます。Aの言う「リソースの再配分」は正論ですが、入試公平性が崩れた際に失われる「国民勤労意欲」や「社会への信頼」の損失は、計算できないほど巨大だからです。

どちらの視点に関心を持ちましたか? これらを踏まえて、「では、研究者負担を減らしつつ公平性を保つ『第三の案(C)』」(例:CBT化や民間試験活用、あるいはフランスバカロレアのような形式など)について考えてみますか?



ジンテーゼ

AとBの対立構造を解消し、「研究者負担国家コスト)の軽減」と「入試公平性社会契約)の維持」を両立させるための**「第三の案(C)」**を提案します。

現実的な落とし所としては、**「テクノロジーによる効率化」と「運営主体の専門化」**を組み合わせた以下の案が考えられます

案C:専門機関による「CBT・項目反応理論(IRT)」導入と、作問業務の完全外部化

これは、現在のように大学教員手弁当で毎年新作問題を作る「自転車操業」をやめ、**アメリカSAT大学進学適性試験)**のような「通年実施ストック型」の試験へ移行するモデルです。

1. 具体的な仕組み

運営主体の変更(教員解放): 大学教員による「入試センター作問委員会」を解散します。代わりに、テスト理論サイコメトリクス)の専門家専任スタッフ雇用した**「国家試験作成専門機関」**を設立します。大学教員は「監修(アドバイザー)」にとどまり、実務からは完全に手を引きます

「一発勝負から「CBT(Computer Based Testing)」へ: 年に一度、全国一斉に紙を配る方式廃止し、テストセンターコンピュータを使って受験する方式します。

「項目反応理論(IRT)」の導入: 問題ごとの難易度識別力を統計的に数値化し、「どの問題を組み合わせても、実力を同じ基準で測定できる」システムを作ります。これにより、**「膨大な過去問ストック問題バンク)」**の中からランダムに出題することが可能になり、毎年ゼロから新作問題を作る必要がなくなります

2. メリット(AとBのハイブリッド

【Aの視点コスト負担

研究時間の確保: 大学教員が、夏休み隔離や極秘の作問業務から解放され、本来研究教育業務に専念できます

物流コスト減: 50万人分の問題用紙の印刷輸送・保管・警備にかかる莫大な物理コストが激減します。

【Bの視点公平性と安定】

公平性の維持: 「全国統一基準」は残るため、大学ごとの恣意的運用裏口入学など)を防ぐ防波堤としての機能は維持されます

チャンスの拡大: 年に複数回受験可能になれば、「当日の体調不良」などによる運の要素を排除でき、より真の実力を反映した公平な評価可能になります

3. 懸念点と対策

初期投資: システム構築に巨額の費用がかかりますが、毎年の運用コスト削減で長期的には回収可能です。

思考力」の測定: 選択式のCBTでは深い思考力が測れないという批判がありますが、これは「基礎学力の判定(共通テスト)」と「記述論述大学個別試験)」という役割分担を明確にすることで解決します。

別案:案D(フランスバカロレア」型)

共通テストを「選抜から資格認定」へ変える

もう一つの方向性は、共通テスト役割を「点数を競うもの(1点刻みの選抜)」から、**「大学教育を受ける資格があるかどうかの認証(クオリフィケーション)」**に変えることです。

仕組み: 共通テストは「合格/不合格(あるいはA/B/Cの等級)」だけの判定にします。一定水準を超えた生徒には「大学入学資格」を与えます

選抜: 難関大学は、この「資格」を持っている生徒の中から独自記述試験面接選抜を行います

効果: テストに「超難問」や「1点の差を分ける精密さ」が不要になるため、作問コストが下がります。また、基礎学力担保公平性)は維持されます

結論現代テクノロジー統計学を用いれば、Bが懸念する「公平性」を犠牲にすることなく、Aが主張する「リソース最適化」を実現する**案C(CBT・IRT化と作問のプロ化)**が、最も現実的かつ建設的な解決であると考えられます

anond:20251204124428

高市首相が「台湾で何かあったら日本ヤバいかも、うぇーい」みたいなことを言ったら中国がめちゃ怒ってきた

それにあわせて日本ネットでも「高市はアホだ!」派と「中国ビビるな!」派でいつものケンカがおこってる

ややこしいのはアメリカトランプ大統領立ち位置がめちゃ話題になってること

トランプ習近平電話したあと高市首相にも電話したらしい

日本政府は内容を認めてないけどアメリカWSJとかロイターは「トランプ高市自重しろって言ったっぽい」と報道

これでSNSでは「トランプ高市の味方だ!」「いや違う!デマだ」みたいな罵り合いが加速もうカオス

背景には国際関係とか法律とか色んな問題があるんだけど、日本党派性対立最近さらにギスギスしてるのも無視できない

特に高市首相応援する右派の人たちは「トランプ高市の味方」というイメージを崩されるとめちゃ強く反発する傾向がある

で、このへんを見てると、日本人って国際問題を「A vs B」みたいに二元論で考えたがるけど、現実世界もっとぐちゃっとしてて多くの国が入り混じる“多極化”に進んでる

この「日本人の単純化された世界観」と「現実の複雑さ」のズレがこれからも色んな場面で問題になりそ

高市首相を支持する右派の人たちは昔から反中」な傾向が強い

日本では中国ライバル視するのが“当たり前”みたいになってて右派政治家や一部の専門家もその流れに乗ってる

逆に「無駄中国と摩擦を増やさなくてよくない?」と言う人はすぐ「媚中」とか言われる感じ一種テンプレ

現実を見ると中国日本の何倍もの国力になってしまった

30年でここまで立場が逆転するのは世界史的にもレアケースで日本人の感情のほうが追いつかないのもわかる

こうした力関係の変化を見ると昔のイギリスドイツの衝突の話を思い出す

力が急に強くなった国が出てくると周りの国が「どうするよ?」ってなって結局ぶつかり合いが起きやすくなる歴史パターン

今の中国に対抗するには日本だけでは絶対無理アメリカと一緒じゃないとどうにもならない

から高市首相がどれだけ「中国包囲!」と言ってもアメリカが本気で動かなければただの絵空事になる

右派左派の人たちがトランプの動きにめちゃ敏感なのはまさにそこ

アメリカ日本の味方でいてくれないと詰む」という前提があるからトランプが何を言ったか死ぬほど重要

バイデン時代アメリカが「民主主義 vs 独裁」という分かりやすい構図で動いていたけどトランプ全然違う

アメリカ第一!」で同盟国にも容赦なく圧をかけるしロシアとも中国とも普通に交渉する

要するに昔みたいな「西側 vs 中国ロシア」の単純な構図じゃなくなってきている

にもかかわらず日本右派ネットでは「二元的世界」を前提に議論しがちでそこに現実とのズレが生まれてるって話

2025-12-02

日本人女が下方婚なすぎる。価値観アップデートできてない後進国問題

各国の性別ごとの低年収・高年収グラフ格差がエグい

ジャップ女だけ顕著に下方婚しない異常な属性であることが明らかにされてしまっている。

フェミが大暴れして男女間対立が顕著な韓国ですら日本よりマシな事実

https://x.com/ZUNNDAMONzunda/status/1995288553690124698

 

こういう指摘をされると女は「男の価値観アップデートできてない」とか言い訳するんだけど、

 

他国以上に低年収男が結婚できず、高年収男が異常に結婚できる特性は女が年収で選んでるとしか言いようがない訳で

逃げ道すら塞がれてるのが現実

何かと問題の原因を男のせいにして女側の問題を顧みない特性が現状を招いてるよね。価値観アップデートしなよ(笑)

anond:20251202200027

別にNISA枠なくても投資は出来るししてるから

理屈としては全然弱いんだけどね

かに。てか投資じゃなくても、貯金子どもの口座に毎年110万円振り込んでるって人いるから、はてブやXの

未成年NISAで18歳で1,800万円!格差!」

みたいな反対意見はよく分からないんよね。

金持ちとの対立構造ものを見てばっかりだけど

貧乏から抜け出すために必要なのは他の貧乏人より一歩進むことだから

激しく同意

年4万でも積み立てれば18年後には非課税で34万も増えてお得だし、自分庶民なりに未成年NISA活用していきたいと思ってるよ。

anond:20251202195354

別にNISA枠なくても投資は出来るししてるから

理屈としては全然弱いんだけどね

金持ちとの対立構造ものを見てばっかりだけど

貧乏から抜け出すために必要なのは他の貧乏人より一歩進むことだから

anond:20251202181505

何が?

信奉者が、とか言ってるあたりこの人の偏見入ってるように思えるし、学者名乗っておいて主観的認識を述べてるだけ、かつ理論的部分に対する反論があるわけでもないってどうなん?って感想

知名度が低い、みたいなのは理論妥当性ではなく単なる立ち位置の話でしかないし。

ああでも対立煽りといえば、MMTでも何でも無い主張内容をMMTというレッテル張りをして論破した気になってるやつはよく見るな

anond:20251202181056

MMTの話

https://note.com/stairlimit/n/nb76f64b326bd

これやこれや

このタイトル付けるのめっちゃ度胸いるなあ……と思った。

というのも、同理論は旧twitter上で熱烈な信奉者がいて、対立者を積極的炎上させているのを何度も目撃してるんだよね……僕だって炎上は嫌だけど、なんか最近の旧twitter界隈にはこの点を恐れてなにも言えない空気が漂っている感じがして、それも嫌だなあということで、最低限話だけでもしておこうかと。

ただし、今回そういうわけなんで原則としてこの記事への反応に僕は一切リプしません。最初に断っておく。

アンサイクロペディア浸食 - side C -

アンサイクロペディアAI侵略するノイマン氏を悲劇人物に仕立て上げる、元側近ウソディアンを名乗る人物による気持ち悪い記事がXのタイムラインで流れてきた。

読んでみると、そもそも私信と思われる情報暴露することの背信からして、恐らくはノイマン氏に身バレする前提での捨て身の特攻をしたのだろう。それにしても第三者は真偽を検証不能であり、気持ちの悪い記事であった(※1)。当のノイマン氏も「反応に困る」と書いている。

Side Uなるものは、第一人気投票1位という経歴はあの人も同じなのを知ってわざと被せる高等芸でもやっているのかしらね?何にしても反応しにくい書かれ方だけど、ブレーキをかける真似をしつつ私を殴り抜いていくスタイルだよね、あれ。真正から対立勢力なら風刺記事かにやすいけど、ああいうのは反応しづらい。

ウソディアはかつてハトレーペディアとも呼ばれ、当時のアンサイクロペディア北朝鮮であるなら、こちらはシンガポールといったところであった。開発独裁ならぬ開拓独裁毛沢東ならぬ開拓東、MuttleyならぬHuttley。

ウソディア5chスレを探していくと、このような記述はいくらでも見つかる。アンサイクロペディアノイマン氏=ウソディア開拓者氏の活動は、確かにコミュニティを発展させたが、ただそれ「だけ」であり、そもそもから本音で支持されている人物ではなかったのではなかろうか。

本稿では、そのノイマン開拓者氏に、かつてBakaba氏の名の下で侵略を受けた一借民の視点からノイマン氏はそもそも「昔からああだった」と主張したい(※2)。

「正しさ」だけで動く人物

ChakuwikiにおけるBakaba氏は、確かにLTA:ANTIRXYとしてChakuwikiでのMuttley氏を追い詰めた人物であり、鉄槌後のアンサイクロペディアンも概ねその見解を支持しているように見える(※3)。また、いずれも議論は紛糾したものだが、移転問題ライセンス問題、どちらにおいても「結論だけ見れば」Bakaba氏の意見は正しかった。確かに「正しかった」のである

後にフォークでは実際に広告が導入されているが、Bakaba氏はそれすらも予言している。

しかし、旧ドメインを取得し、更には公開がより早かったことによる優位性を有するフォークにしても、中の人の噂の確度は高いようですから永久広告なしで無償提供するほどの善意の有志だとは考えにくいです。

だが、その際に反発していた吉田宅浪氏への返答には、「どうしてこいつ分からないの?」という苛立ちが発言の節々から透けて見える。

ただ、「私がやるから」という理由で反対することがそんなに重要ですか?「誰がやるか」ではなく、「何が必要か」で物事を考えるようお願いいたします(※4)。

一般論としても、我々で独自ルールを作ることにこだわった場合、良く練り上げられたCCライセンスに比べると何らかの隙や不備、矛盾等が生じやすいため、コミュニティ全体が移転などの重大な決定に迫られたときの足かせになりかねません(※5)。

からすれば、吉田宅浪氏は、自分の考えを丁寧に練って納得したうえでステップを積み重ねたいだけの、職人気質の人に見える。Bakaba=ノイマン氏は、初めからそのような丁寧さや「過程」に対して、「正解」や「最終結果」が一瞬で見えてしまうがゆえに「なんでそこで止まっているの?」というのを根本的に理解できない人なのではなかろうか(※6)。

AIによる「加速」

そのような「正しさ」だけで生きる人間Bakaba氏を、ノイマン氏が用いるAIは「加速」させたに過ぎない。一定以上の品質記事を安定して生産し、助役CU管理者誕生を推薦を通じて支援するその姿は、確かに形式的には「正しい」活動である。にもかかわらず、ノイマン氏は「正しさ」だけですべてを破壊していくように見える。

これはあくまでも私のカンしかないのだが、ノイマン氏は根本的に異常に頭の良い「浮きこぼれ」だったのではないかと思う。例えばアンサイクロペディアDiscordサーバーでは、「ごめん、灘には負けるけど安定して東大いってる...」と発言したスーパーカリ~シャス氏に対して、以下のような返信を残している。

東大全体なら三桁からスタートラインだぞ

このような発言をして、自分自身へのブーメランにならずに平気でいられるルーツを持つ人間はかなり絞られてくる。そして皮肉にも氏は、そのようなルーツに該当しうる学校記事アンサイクロペディアで三つも立てている。

麻布中学校・高等学校 - 開成桜蔭を手掛けてきた私ですから、当然の如く他の名門校推しますわね?--/* ノイマン */ import 👤, 💬; var 🖊=2,219;■ 2025年11月5日 (水) 14:19 (JST)

英語圏とのコミュニケーションが求められ、唯一の日本人であることが買われたMirahezeなどでは、その「正しさ」「浮きこぼれ」が役に立ったのだろう。そして同じく「正しさ」でものを考えるAIは、ノイマン氏にとっては非常に頼れる、下手したら唯一信頼できる相棒ですらあるのかもしれない。

しかしながら、チャクウィキアンサイクロペディアのような伝統的な(※7)コミュニティにおいては、「正しさ」だけでなく、「手垢」や「お気持ち」、そして「過程」が大事であることをノイマン氏は理解できていない。ノイマン氏は、そこに無関心であるか、意図的無視すらしているようにも見える。

編集画面にも「自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。」と明記されており、それはライセンス的にも正しいことの訳ですから、その意味では「{{rewrite}}を使え」という方がそれこそ「紳士協定」なのかな、と思わなくもないです

総本数 - これは諸刃の剣で、もっとAI君書いて全体指標を上げようぜ、という方向にも持っていけます。というか総本数を根拠にするなら、それが合理的解決策ですらあり得ます

ノイマン氏の理屈は、確かに終結果に照らせば「正しい」のだろう。だが、「正しさ」だけでは人間は生きていけない。そうした風潮への反発は、今や反AI、反ポリコレ、反wokeなどとして、アメリカ西海岸価値観への反発の形を取って世界なうねりになっている。人間というのは、そこまで理性的動物ではない。それは、自作記事の一つでこう書いた氏自身も深層ではよく理解しているはずである

ホモ・サピエンス(homo sapiens)とは、バグだらけのレガシーソフトウェア

そこで筆者は、マリーダ・クルスの以下の発言ノイマン氏に贈る。

お前の言うことは間違っていない。正しい戦争なんてない。でも…正しさが人を救うとは限らない。

光がなければ人は生きていけない

終わりに

鉄槌を受けたMuttley氏は「隕石落とし」をしようとしたシャアであった。Muttley氏には、曲がりなりにも本人個人の「熱い正義」があった。

今、ノイマン氏はしばしばMuttley氏の同類、鉄槌の再構成などと言われるが、私は正確にはそうは思わない。ノイマンからフル・フロンタルのような冷たさを感じる。

いつか、ノイマン氏が人間の心を理解することをただ祈ることしかできない。

脚注

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