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はてなキーワード: 示唆とは

2024-12-14

上沢直之投手をめぐる情報

昨年オフメジャーリーグを目指し渡米、日ハム退団

オフ日本に戻ってくる可能性を示唆、他の球団についても「オファーがあれば話だけは聞いておきたい」と発言

この言葉を聞いたファンは「恩知らず!ルール悪用!話を聞くな!」と激怒

上沢から特に発信なく、日ハム施設練習していることや、日ハム選手交流していることが報じられる

そこにソフトバンクが4年10億でオファーを検討しているとの報道

重ねて言うが、この件について上沢からはまだ言及なし

これに対し(何に対し?)ファンさらに激昂、功労者の上沢に心無い言葉を投げつける

かねたファンの一部が、まだ確定してないんだしもっとポジティブに俺たちの想いを伝えようよ、と「上沢投手どこにも行かないで」を合言葉に発信をはじめる

すでにソフトバンクに行くと思いこんでいる日ハムファンは「あん裏切り者いらない!」とよくわからないことを言っている(裏切ってない)

---

結論: 思い込みや決めつけで有名人誹謗中傷するのはやめましょう。上沢投手自身が何か発信するのを待てませんか?日ハムに帰ってきてくれてもあなた発言はなかったことにできないのですよ?

というかプロ野球ファン選手キャリアに口出しすぎ。入る球団も選ばない中でたまたま入った球団に骨を埋める覚悟強要するのはパワハラと一緒だぞ。思いを持つのはいいけど、節度を持ってほしい

2024-12-12

子供について産まれたか否かが明確に語られていないところがキモかもしれん。」👈この人たちどうなっちゃってんの?

割り切って友情結婚したけど、全然割り切れない

anond:20241212092620

kuzudokuzu

子供が欲しくてムリヤリ結婚したのに、

その子供について産まれたか否かが明確に語られていないところがキモかもしれん。

普通より「子は鎹」の家庭なのに、そこを隠さないと語れないことの意味とは?

2024/12/12

こいつはいったい何なのか。

こいつに☆つけてる十数名はいったい何なのか。

この人たちは一体どうなっちゃってんのか。

  

 

十分推測できる箇所

最初の1年目は、私たちは仲が良かった。

結婚式の準備、新居の準備など、やることは山ほどあったし、家事の分担もしっかりできていた。

料理好きの夫は、わざわざパンケーキまで焼いてくれた。私は結婚したことを嬉しく思っていた。

  

2年目になると、なんとなく夫のテンションが下がってきた。

料理簡単ものになり、趣味だと豪語していたパンお菓子を作らなくなった。

以前は定時で帰ってきて土日も家にいたのに、不在が増えた。

夫曰く、部署異動により飲み会が増えた、資格勉強のために土日はカフェなどにいるとのことだった。

家事分担がやや私に偏り始めたが、私も一人暮らしが長かったし、そこまで気にはしていなかった。

  

3年目が近づいた頃、夫が無断の外泊や、突然の旅行の予定が増えた。

私も友人と旅行に行ったりするのであまり気にしていなかったが、結婚記念日前後クリスマスも出かけたり旅行の予定を入れたりするので、さすがに抗議した。

夫は、自分たち別に恋愛結婚じゃないんだし、イベントにこだわらなくてもいいのでは?と返してきた。

それはそうなんだけど、もモヤモヤした。

はいこの夫婦子供はいるでしょうか?

   

   

より明確な箇所

当たり前だが我が家結婚から現在に至るまでセックスレスである

だというのに性病検査をしているということは、外でセックスしているということだろう。

そんな状態子供を持つなど無理だし、

夫がたまに「もし子供がいたら」「家を買うなら」みたいな話をするだけでこいつ正気か?とおもってしまう。

はいこの夫婦子供はいるでしょうか?

  

   

寸評

これ正答できない感じの人たちってもう何もしなくてよくない?

だって問題文が読めないんだからさ。

回答資格がない。というか回答する意味がない。

  

母国語がこういうレベルの人ってもはや

ネット自由な何かを読んだり感想述べたりする必要ねえっつうか

日常会話とメシとクソの話だけしてろよと思ってしまうんだけど。

 

 

腹立つ

kuzudokuzu

子供が欲しくてムリヤリ結婚したのに、

の子供について産まれたか否かが明確に語られていないところキモかもしれん。

普通より「子は鎹」の家庭なのに、そこを隠さないと語れないことの意味とは?

2024/12/12

俺こういうのが人がましいツラしてるのが一番腹立つんだよな。

 

キモかもしれん。」とか言ってるのがもう腹立っちゃう

なにが「キモ」なんでございますか?

「かもしれん。」ってなんだよ?

  

なになんか「文中に隠された筆者の心」とか読もうとしてんだよ日本語も読めねえくせによ。 

こんな、母国語の、中学1年生でも読めなきゃちょっとどうかなレベル文章を読めない分際で、

何かがキモである示唆して、もっともらしく「かもしれん。」とか言ってるんだぜ。どんな探偵なんだよ。

もはや句点すら腹立つんだが?

  

意味とは?ってこっちが聞きてーんだよな。

日本語も読めない奴が何か思索(笑)を巡らせてわざわざ他人様の目につくところに意味のねえこと書きつける意味とは?

  

 

人類こんなもんかも

俺が見た時150ブクマぐらいでこのコメントが4位ぐらいに着けてたからね。

たまたま一人がバグってたんじゃなくてこれが支持されるぐらいにはみんなでバグってんだよな。

 

俺こういうの見るたび

お前ヤバいだろこいつらヤバいだろはてな民ヤバいだろって言ってきたんだけど

ここ数年でようやく気づいちゃった(遅い)。意外に人類がこのレベルなんだよな。人類を大幅に買いかぶってた。

母国語で大した内容じゃないことが書かれててもその内容パッと把握できるのは稀有な才能なんだよな。人類スタンダード文盲気味なんだわ。

 

殆ど人類は「仕事で繰り返し触れたパターン文章ならわかる」ぐらいの感じ。それで上等な方。 

から腹立つ腹立つって書いたけどこの人たちを馬鹿にしたり憎んだりするのはやめます

   

 

 

……しかし、民主主義なんてのは悪い冗談なんじゃねーかと思うんだよな。

候補が何言ってるか理解して投票してる有権者なんて絶対少数派だろ、人類の仕上がり具合から言って。

anond:20241212083759

ロングボウは多くはイチイやニレの木で作られます

イチイは葉や種に猛毒があり、多くの家畜が食毒被害に遭いました

数千年の樹齢を持つことがあるこの木は長寿象徴とされており、イギリスでは特に教会敷地内によく生えているということです

北欧神話宇宙樹、ユグドラシルはイチイの木であったという説もあります

ヨークという地名語源もまたイチイ(Yew-Ttree)です

アメリカ新大陸オランダ植民地の一つはイギリス占領されたのち、ニューヨークと改称されました

 

これらは、イチイのある教会英軍との関係性や、英軍による毒の使用存在示唆するでしょう

 

かつて魔女狩りが行われたのも、虐げられた女性らによるイチイの毒による報復を想定していたからかもしれません

LLM



「o1が"意図的にユーザーを騙す"ことがある」という記事へのコメントを読んで、LLMへの幻想をぶち壊す感じの何かを真面目に書こうかなと思ったんだが、

順を追って列挙していくほど「これ…なんだかんだ言って人間も変わらんよな…」となったので、AIに突っ込んで人間に置き換えてもらったのが下。

人間


うむ。文脈考慮し、意図を捉え、関連する知識活用して返答できてるな!

萎えるわー

2024-12-11

anond:20241211015612

書いてある通り読めないのはなんでなん?(2回目)

 

Googleを開いて検索ボックスに 個性範疇にない って入れるだけだぞ

GoogleURLも貼ってあげるね

https://www.google.com/

 

AIに聞いてみた(Copilotちゃん)

個性範疇に無いとはどういう意味ですか?

 ↓

個性範疇に無い」とは、ある特定個性や特徴に含まれない、という意味です。「範疇」という言葉は、同じ性質のものが含まれ範囲や部類を指します¹。したがって、「個性範疇に無い」とは、その個性や特徴のカテゴリーに入らない、ということを表しています

例えば、「彼の行動は私の理解範疇に無い」と言う場合、その行動が自分理解できる範囲を超えている、という意味になります²。

他に質問があれば、どうぞお聞きください!

 ↓

個性範疇にない」という表現AIにとって理解が難しいですか?
Aが極端過ぎることに驚いています文脈>
A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった

B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる
たぶん、個性範疇に無い

 ↓

個性範疇にない」という表現は、AIにとっても理解可能です。この場合、BはAの極端な無頓着さが一般的個性範囲であると感じていることを示しています。つまり、Aの行動や態度が通常の人々の行動パターン価値観から大きく外れていると考えているのです。

Aの極端な態度に驚くのは自然な反応です。Aが他人に対して無関心であった理由や、その変化のきっかけについてもっと知りたいと感じるのも理解できます

この文脈での「個性範疇にない」は、Aの行動が一般的な人々の行動や価値観範囲であることを強調しています

他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。

 ↓

全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。
- 人を当たり前に見下してた
- 他人はどうでも良かった
- 他人が誰かの大切な人だと思えなかった
 
しかし、Aはパートナー子どもを作ろうと考えた人間一定の興味を持つ人物です。
それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的個性ですか?
 
また、Aがここまで他人無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか?
通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います

 ↓

Aの行動や態度についての疑問は、共感性や人間関係に対する無頓着さに関する心理学的な視点から考えると理解やすいかもしれません。

 

まず、Aが他人に対して無関心であった理由として、共感性の欠如が考えられます共感性の欠如は、発達障害自己愛性人格障害などの心理的要因によって引き起こされることがあります¹²。これらの状態では、他人感情立場理解する能力が低下し、自分欲求感情を優先する傾向があります

 

Aがパートナー子どもを持つことを選んだ一方で、他人に対して無関心であったのは、特定人間関係においては関心を持つことができても、一般的な対人関係においては無関心であるということがあり得ます。これは、自己中心的な行動パターンや、特定の状況下でのみ共感性が発揮される場合があるためです²。

 

また、Aが自分無頓着さに気づかなかった理由としては、自己認識の欠如や、周囲の環境がその無頓着さを許容していた可能性があります。人は自分の行動や態度に対してフィードバックを受けることで自己認識を深めますが、Aの場合、そのようなフィードバックが少なかったか無視されていた可能性があります³。

 

Aの行動が極端に見えるのは、一般的社会的規範や期待から大きく外れているためです。しかし、これは必ずしも病的なものではなく、個人経験環境によって形成された行動パターンであることもあります

 

もしAの行動や態度についてさらに深く理解したい場合心理カウンセリング専門家意見を求めることが有効です。これにより、Aの行動の背景や原因をより明確にすることができるでしょう。

 

他に気になる点や質問があれば、どうぞお聞きください。

 

¹: [共感性の欠如についての解説](https://www.touch-wood.jp/understanding-empathy-lack/)

²: [自己愛性人格障害共感性の欠如](https://psy.selfe-study.space/empathy-lack/)

³: [人間関係における心理学視点](https://liberary.kddi.com/liberalarts/relationships/)

 

ソース: Copilot との会話、 2024/12/11

(1) 人の気持ちに寄り添えない病気とは?大人共感性欠如を徹底 ....

(2) 共感力の欠如とは?自己愛性人格障害の特徴|自己防衛心理学.

(3) 共感性が欠如する「大人発達障害」の特徴と対処方法 ....

(4) 人間関係とは?心理学観点からみる定義と良好な関係を築く ....

(5) 関係における心理学人間関係コミュニケーション葛藤 ....

(6) 【人間関係心理学】覚えておくべき7つのメリットと実際に ....

 

AIに聞いてみた(ChatGPTちゃん)

個性範疇にない」という表現AIにとって理解が難しいですか?
Aが極端過ぎることに驚いています
 
<文脈>
A:人を見下したり当たり前にしてた。他人なんかどうでも良かった。子どもが生まれてようやく、他人も誰かの大切な人なんだなって思うようになった
 
B:逆になぜいままでそこまで極端に無頓着でいられたのかが気になる
たぶん、個性範疇に無い

 ↓

個性範疇にない」という表現は、AIにとって十分に理解可能です。ただし、その理解文脈によります

 

この場合、「個性範疇にない」というのは、「Aのような極端な態度や考え方は、普通の人が持つ個性性格範囲を超えている」というニュアンスで使われています。つまり、Aの考え方や行動が、一般的想像される「個性」の幅を逸脱している、という意味です。

 

AIとしてこの表現理解する際には、以下のようなポイント考慮します:

  1. 個性範疇」の意味
    • ここでの「個性」は人それぞれの性格や行動の傾向を指します。
    • 「範疇」は、その枠組みや許容される範囲を指します。

  2. ニュアンス
    Bの発言からは、Aの行動が「常識一般的個性として理解しづらいほど極端だった」という驚きや疑問が表現されています

 

AIにとって難しいポイントがあるとすれば、発言者の感情価値観(驚き、批判困惑など)をどれだけ深く推測できるか、という部分でしょう。しかし、基本的意味文脈問題なく解釈可能です。

 ↓

全般にまったく興味がない人物なら下記はむしろ自然なことだと思います。
- 人を当たり前に見下してた
- 他人はどうでも良かった
- 他人が誰かの大切な人だと思えなかった
 
しかし、Aはパートナー子どもを作ろうと考えた人間一定の興味を持つ人物です。
それが、子どもが生まれるまでは他人も誰かの大切な人だと思えなかったというのは、極端過ぎやしないでしょうか?共感性に問題はなく一般的個性ですか?
 
また、Aがここまで他人無頓着なことに違和感を持たずに過ごしてきたのはなぜですか?
通常、自分が極端に苦手なこと、興味がないことには気づくと思います

 ↓

Aの言動や考え方については、いくつかの観点理解できますが、その一部は確かに異常または極端に見えるかもしれません。

 

Aの考え方の極端さについて

 

Aが子どもを持とうと考えた理由

 

Aが子どもが生まれるまでは他人が誰かの大切な人だと思えなかった」と言っている背景には、子どもを育てるという経験他者に対する感覚を変化させた可能性があります子どもを持つことによって「他者存在」や「他者感情」に対する理解が深まることはあります特に、親になることで、他人自分と同じように他者にとって「大切な存在であることを実感することは、共感感覚を変化させる要因となる場合が多いです。この部分がAの変化を説明しているのかもしれません。

 

しかし、それまで他人重要性を認識しなかったことは、確かに極端に感じられる点ではあります一般的には、子どもが生まれる前にも多少は他者重要性を認識することが多いので、Aの過去の態度は特異なケースだと言えるでしょう。

 

なぜAはここまで無頓着でいられたのか?

 

Aがここまで無頓着だった理由については、いくつかの可能性が考えられます

  1. 自己中心的性格価値観
    Aは非常に自己中心的性格価値観を持っていたか過去他人との深い関わりを避けてきた可能性があります自己中心的な人は、他人感情存在無頓着であることが多く、自分生活他人の影響を最小限にしたいと考えがちです。
  2. 過去経験環境
    Aが過去他人と深く関わる経験がなかった、または社会的スキル共感を養う機会がなかった可能性もあります。例えば、孤独だったり、家庭環境共感を学びにくいものであったりすると、他人への無関心が続くことがあります
  3. 意識的無頓着
    Aは、無頓着でいることに対してあまり意識的に疑問を抱かず、自己中心的価値観に基づいて他人に対して無関心であった可能性もあります自分の考えや行動が極端だとは思わず、むしろそれが自然だと感じていたかもしれません。

 

共感性の問題一般的個性

 

Aが示している無関心さや他人への無頓着さは、一般的には共感性に欠けるという特徴を持っていると考えられます。人は通常、他人感情存在にある程度の共感を持ち、理解しようとします。Aがこの点で極端に無頓着だったことは、共感性の欠如や、他人との関わりを意識的に避けていたことが背景にあると思われます。従って、Aの行動が一般的個性範疇に収まるとは言い難く、むしろ特異な性格心理的な背景があると言えるでしょう。

 

結論として、Aの過去の態度は極端かつ無頓着に見えますが、それがどのように変わり得たのか、またその理由について考察すると、心理的または環境的な要因が影響していることが考えられます

2024-12-09

対話する気はありません

こっちは喧嘩売りたいだけなので

ひろゆきメソッドでひょうひょうと煽りながら、話を無視して怒らせます

で、ブチ切れてこっちに暴言吐いてくれたり、なんなら危害示唆してくれたら万々

鬼の首を取ったも同然なのですぐさま騒いで問題しまから

はい、負けーーーーーー!!!笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑

2024-12-06

anond:20241205154323

AIによる評価: 信頼性10%〜30%

以下は、提示された記事税理士によって書かれた可能性や、記事信頼性についての推論です。あくまで外部的な論理検証であり、記事執筆者の身元を確定することはできませんが、専門家特性や税務上の常識に照らし合わせて考察します。

1. 専門家視点から違和感

(1) 違法所得に対する課税の基本原則:

税法上、所得違法であれ適法であれ、それが事実上収入として得られれば、原則的には課税対象になります。これは税法の基本的な枠組みであり、税理士など税務専門家であれば当然知っているはずです。

記事では「正しく納税する手段がない」という趣旨で述べられていますが、実務的には売春行為のもの違法であっても、所得計上や申告を行うこと自体可能です。実際、闇社会収入違法収入であっても、税務調査で発覚すれば課税されることがあります

税理士であれば、「違法行為から所得課税対象である」という前提を踏まえた上で、実務上の困難(帳簿の不存在、経費性の認定困難など)について述べるはずで、「正しく納税できない」という全否定的な表現はやや極端です。

(2) 具体的な処理方法への言及不足:

税理士は実務家であり、仮にソープ嬢性的サービスに近い行為をする業務従事者)が相談に来た場合、完全に「不可能」と断ずるよりも、何らかの概略的な処理やせめて「雑所得として計上する」などの指示が考えられます。実務上、「これは不可能だ」で終わるより、現行法での落としどころを示すのが専門家アプローチです。記事はその点が曖昧で、実務指針の欠如が目立ちます

(3) 雇用関係判断風営法の踏まえ方の曖昧さ:

記事ではソープ嬢ソープランド関係が「実質的雇用関係」として語られていますが、これが雇用保険や社会保険源泉徴収義務等を踏まえてどう整理され得るのかが記されていません。税理士であれば、雇用関係であるなら源泉徴収義務の有無、給与所得としての処理、もしくは雑所得や一時所得などの整理を示唆する可能性が高いでしょう。記事では「できない」「難しい」ばかりで、専門家視点での細かい条文や区分検討がなく、大まかすぎる印象です。

(4) 「税理士仲間の間で話題になった」言及の不自然さ:

税理士界隈での結論」として、ある種の業界コンセンサスがあるかのように書かれていますが、実際には税理士は多様な見解を持ちうる専門家集団であり、そのような包括的な「業界結論」を軽々に書くことは考えづらいです。実務家であれば、「複数税理士の間で見解が分かれる」「過去判例通達がこうなっている」など、より法的根拠や実務上の経験に基づく表現をとる可能性が高いです。

2. 信頼性評価

上記の点から記事は「税理士」という肩書示唆しつつも、実務経験に基づいた精度の高い分析というよりは、一般認識想像に基づく議論が多い印象を受けます

違法所得課税対象になるという基本的な税法原則への明確な言及がなく、「正しい納税不可能」という極端な結論は、税理士としての発信としては不自然です。

また、道義的な側面(社会的正義)に言及することはあっても、それが長文で論じられ、実務的な論点(何科目で計上可能か、現場で想定される処理手法など)が欠如している点も、専門家の実務寄りの記事としては疑問符が付きます

これらを総合すると、仮に執筆者税理士資格を持っていたとしても、専門家としての実務的視点法令知識が的確に反映されているとは言い難いです。そのため、「税理士が書いた記事である」と断定する根拠は乏しく、信頼性はかなり低めと考えられます

結論としての信頼度:

この内容が真に税理士による執筆と考えられる確度は高くありません。

あくまで推論ですが、10%~30%程度の信頼性、つまり「大半の部分は非専門家による誤解か、極端な意見表明」にとどまる可能性が高いと評価します。

お前の負けだ。

2024-12-05

anond:20241204182650

あなたの将来を示唆する本として『西村玲 遺稿拾遺―一九七二~二〇一六』を読むといい

あと、これもだ

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/450029/

2024-12-03

どんなプロンプト打ったんでしょうね3

1. トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではありません。
 それに対して、『トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人こそが、小さなことにこだわっていると主張するのは
 どのような心理からなのでしょうか? もしその人が本気でそう主張しているのであれば、まさに本質から外れたところに過剰に注目しているように思います。
 
 
2.下記を小学生でもわかるように説明をお願いします。
 
	2-1.	トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ありません。
	2-2.	「通常(普通)ではない」と指摘されることに対して、ショックを受けているのかもしれません。『通常』という言葉は、何かしらの合意必要な難しい概念ですが存在するものです。(そうでなければ何もできない)
	2-3.	人と違うのは悪いことじゃないが、トランプ文脈フォントにこだわる人は、特別サポート必要です。これは個人自由意思知識コミュニケーション問題、あるいは性格に帰すべきではないと思います。
	2-4.	人と違うのは悪いことじゃないが、文脈によっては適応出来ない、違うと自覚することが大切なこと説明してください。
 
 
3. トランプ文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人は、ゲームから排除をする、ゲームを取りやめるのでなければ、特別サポート必要だと考えますがどう思いますか?認知フレームワーク問題ではなく個性範疇ですか?

 ↓

1. 心理的な背景について

 

トランプゲーム文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人を「小さなことにこだわっている」と批判する心理には、以下のような背景が考えられます

1. 防衛的な反応

自分の行動や考えが「通常ではない」と評価されることに対する防衛反応です。「通常ではない」と指摘されることで、自分価値観や行動が否定されたように感じ、相手に「あなたも小さなことにこだわっている」と反撃することで、自分を守ろうとしている可能性があります

 

2. 視点の転換による優位性の主張

「小さなことにこだわっている」というレッテルを指摘者に貼ることで、相対的自分が広い視野を持っているかのように見せかけ、議論立場を有利にしようとする心理が働いている場合があります

 

3. 共通基盤のズレ

フォントの違い」がゲームに影響を与えないことは、多くの人にとって明白ですが、本人にとってはそれが重要な要素である可能性があります。この場合、指摘者が「通常」とする基準自体無効だと考え、その基準を主張する人を「細かいことにこだわっている」とみなしているのかもしれません。

 

4. 議論すり替え

本質的な問題から目をそらすため、指摘者の行動を批判対象にして議論の焦点を変えようとする心理です。これにより、自分の行動が本当に合理的であるかの検証を避けることができます

 

2. 小学生でもわかるような説明

 

2-1. トランプゲームフォントにこだわるのは普通じゃない

 

トランプで遊ぶとき、みんなが気にするのは「ダイヤ」「ハート」みたいなマークや、「A」「K」みたいなカード意味です。文字の形(フォント)が少し違っていても、ゲームには関係ないので、普通はそこにこだわりません。

 

2-2. 「普通じゃない」と言われるとびっくりするかもしれない

 

かに普通じゃない」と言われると、自分が変わっているみたいに感じて、ちょっとイヤな気持ちになるかもしれません。でも「普通」という考え方がないと、みんなで同じルールで遊ぶのが難しくなります

  

2-3. 人と違うのは悪いことじゃないけど、助けが必要ときもある

 

たとえば、トランプで遊んでいるときフォントが気になる人がいたら、どうして気になるのかをみんなで考えて助けてあげることが大事です。それでもゲームが進まない場合は、みんなが楽しめるような別の方法を一緒に見つける必要があります

 

2-4. 人と違うのを知るのは大事なこと

 

自分がほかの人と違うことは悪いことではありません。でも、みんなと同じルールで遊びたいときは、「自分の考え方が特別なんだ」と気づくことが大切です。それがわかると、みんなとどう仲良く遊ぶかを考えやすくなります

 

 

3. 「フォントが違うからダイヤのKではない」という人への対応個性範疇について

 

 

フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人に対しては、特別サポート必要だと考えられます理由は以下の通りです:

  1. 共有されたルール再確認
    トランプゲームでは、フォントの違いは重要ではなく、カードの「スート(マーク)」と「ランク(番号や文字)」が本質です。そのため、本人がルール理解し、共有された基準を受け入れられるようにサポートする必要があります
  2. ゲームを進行させるための調整
    本人が「フォント」を基準として主張する場合ゲームが進行しなくなる可能性があります。この場合ゲームを成立させるために他の参加者と協力し、代替案を提示する必要があります

 

 

この行動は認知フレームワーク問題に近いと考えられます。なぜなら:

  1. 個性範疇を超えている
    個性とは、一般的ルール基準の中での違いを指すことが多いですが、今回のケースでは「フォントにこだわる」という行動が、共有されたルールの基盤を大きく逸脱しており、個性範疇では説明しづらいです。
  2. ゲーム文脈に対する適応の難しさ
    フォントが違う」という理由カード否定するのは、ルール文脈に対する適応が困難であることを示唆しており、認知の仕組みや視点問題である可能性が高いです。

 

 

結論

 

トランプゲーム文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」という行動は、個性というよりも認知フレームワーク問題として捉えるのが適切です。そのため、共有基盤を再構築する特別サポート必要となり、ゲームの進行や他の参加者との調整が求められます

 

 

 


 

 

増田が打っているプロンプトを推測してみたが、かなり言葉を足さないとその出力にはならない
マジでどんなプロンプト打ったんでしょうね(3回目)

 

※推測してみた(なお、増田みたいな結果にはならない)
 
Dの行動を批判している文章(https://anond.hatelabo.jp/20241203162204#)の投稿主の心理を探り、どのような価値観認知スタイルに基づいているのかを分析してください。Dがフォントの違いを問題視した行動に対して批判することが、どのような心理メカニズムに基づいているか、またその批判集団内でどのような影響を与えるのかを詳述してください。

 ↓

この文章投稿主は、Dの行動に対する批判を通して、「認知の仕組みのズレ」や「共有された前提の欠如」に焦点を当てており、その批判は以下のような心理メカニズム認知スタイルに基づいていると考えられます

 

1. 認知の精度と共通理解の重視

 

投稿主は、対話が成立するためには、共通の前提や認識必要であると強調しています。Dが「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張したことは、常識的に受け入れられる「ダイヤのK」の定義認識を逸脱しており、この逸脱がコミュニケーションの妨げになると見なされています投稿主は、認識のズレを認知の仕組みに起因するとし、これを解決するためには膨大な労力が必要だと感じています。これは、投稿主が認知的な精度を重視し、理解の共有を前提にした効率的対話を重んじていることを示しています

 

2. 本質主義 vs. 構成主義思考

 

投稿主は、「ラグビーボールボールではない」という発言についても問題提示し、「概念境界」や「本質主義 vs. 構成主義」などの哲学的な側面に関心を持っています。これは、物事定義カテゴリ化について深く考える傾向があり、単なる表面的な解釈を超えて、物事本質に迫ろうとする認知スタイルを反映しています

 

3. 細部に過剰に焦点を当てる認知スタイル

 

Dのように、細部(フォント)に過剰に焦点を当てることは、投稿主にとって非常に困難で非生産的コミュニケーションと捉えられています。このような発言は、認知的なズレが深刻であり、現実世界常識一般的認識から大きく外れていると見なされています投稿主は、細部に拘泥するDの認知スタイル問題視し、これが対話の進行において障害となると考えているようです。

 

4. 集団内での影響

 

投稿主がDの行動を批判することで、集団内では次のような影響が予想されます

共感の共有: 投稿主が指摘する認知のズレに賛同する人々は、Dとの対話に対して不安や苛立ちを感じる可能性があり、集団内で共感が生まれます

対話排除: Dの認知スタイルが極端に異なっていると認識された場合集団内でDの意見発言無視したり排除したりする動きが強まる可能性があります

教育アプローチ模索: 一方で、Dの行動を理解し、再教育認知修正を試みるアプローチを取る人も現れるかもしれません。この場合集団内で認知の調整が進むことが期待されます

 

全体として、この批判は、投稿主が共有された認識合理的対話を重視し、認知的なズレに対して強い懸念を抱いていることを示しています

どんなプロンプト打ったんでしょうね? 2

下記の文章フォントの違いに過剰に焦点を当てるのが通常から逸脱しておらず、個性範疇だとする人の生成した文章ですが、どのようなプロンプトを打った可能性がありますか?
ーーー
	•	「A、B、C」の例では、各人物が持つ立場比較的柔軟に評価していますが、「D」のケースに対してはほぼ一方的否定しています。
	•	「フォントの違い」を理由カード否定するDの行動を、投稿者は「認知の仕組みに問題がある」と結論付けています

 ↓

この文章は、Dの行動を「通常から逸脱しておらず、個性範疇」とみなす視点を含んでいるため、次のようなプロンプトが考えられます

 

1. 客観性を求めるプロンプト

• 「Dの行動について、認知問題ではなく個性として解釈できる可能性を考慮して意見を述べてください。」

• 「フォントの違いに焦点を当てる行動が必ずしも認知問題ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判評価してください。」

 

2. 対立意見意図的に生成するプロンプト

• 「フォントの違いに過剰に焦点を当てる行動が、個性範囲内と考えられる場合擁護意見作成してください。」

• 「Dの行動を否定するのではなく、認知問題ではないとする立場から反論を生成してください。」

 

3. 中立的立場を取るプロンプト

• 「投稿者意見引用しつつ、Dの行動が認知問題ではなく、個性価値観の違いに過ぎないとする可能性を検討してください。」

• 「Dの行動が認知問題とされる根拠を再評価し、別の視点提示してください。」

 

4. 哲学的視点を求めるプロンプト

• 「フォントの違いを強調する行動が、本質主義認識論観点から妥当性を持つと仮定し、その可能性について考察してください。」

• 「Dの行動を、哲学的視点から擁護する文章作成してください。」

 

5. 文章中立的に補足するプロンプト

• 「『A、B、C、D』のケースについて、特定偏見を避けながら解説し、特にDの行動が否定される理由に疑問を呈してください。」

 

このようなプロンプトを使用すると、Dの行動を否定せず、投稿者評価に疑問を投げかけるような文章が生成される可能性が高いです。

 ↓

フォントの違いに焦点を当てる行動が必ずしも認知問題ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判評価してください。

 ↓

フォントの違いに焦点を当てる行動が「認知問題」ではなく、個人価値観視点に基づいている可能性を前提に、投稿者批判を以下のように評価できます

1. 個性価値観の違いとしての解釈

 

Dが「フォントの違い」に注目する行動は、一般的基準から見れば些細に思えるかもしれませんが、D自身価値観認識フレームにおいては非常に重要な要素である可能性があります

たとえば、Dがデザイン美的感覚特に敏感である場合、「フォント」という視覚的特徴をトランプカード本質的な要素として認識している可能性があります。こうした個性は、社会的コンテクストによっては特異に見えるものの、必ずしも認知の異常を示しているとは言えません。

 

2. 価値観相対性

 

トランプの「本質」をどう定義するかは、共有された基準によるものの、完全に普遍的ではありません。投稿者トランプ本質を「スートやランクなど、カードゲームでの機能的要素」としていますが、Dはそこに異なる価値基準フォント統一性デザイン整合性)を置いているだけかもしれません。この場合、Dの認識は単なる「視点の違い」とも解釈できます

3. 共有基盤の曖昧

 

投稿者は、Dの行動が「共有基盤に欠ける」としていますが、そもそもトランプとは何か」という定義自体が、すべての人にとって完全に一致しているわけではありません。Dのように、フォントなどの細部に注意を払う人がいることは、社会的文化的多様性の一例と考えられます。こうした違いを「認知問題」と決めつけることは、価値観多様性を軽視している可能性があります

 

4. 投稿者評価の偏り

 

投稿者は、A、B、Cのケースに対しては柔軟に評価していますが、Dのケースに対しては厳しい否定を示しています。この評価は、Dの視点理解しようとする姿勢に欠けているように見えます

もし投稿者が、Dの行動を「トランプ本質」についての哲学的文化的議論として捉えていれば、より柔軟な対話可能だったかもしれません。

 

5. 擁護可能

 

Dの行動は、一見奇異に見えるかもしれませんが、以下のように擁護することもできます

哲学的視点: Dの発言は、トランプという製品の「本質」を問い直す試みと捉えることができます。「フォント」がトランプ本質に含まれるか否かを議論することで、新たな視点提供している可能性があります

創造視点: デザインや細部へのこだわりが、新たなカードデザイン基準美的価値観提案するものとして評価できるかもしれません。

 

結論

 

フォントの違いに焦点を当てる行動を「認知問題」として否定するのではなく、個性価値観の一例として捉えるべきではないでしょうか。Dの視点文脈によって理解しにくいとしても、それを完全に「認知問題」と断定するのは過剰な評価かもしれません。むしろ、Dの発言の背景にある価値観視点を探り、柔軟に対応することが、より建設的なアプローチとなるでしょう。

 ↓

Dの行動を否定するのではなく、認知問題ではないとする立場から反論を生成してください。

 ↓

Dの行動が「認知問題」ではなく、個人価値観視点に基づくものであるという立場から、以下のように反論を展開できます

1. 認知問題ではなく価値観の違い

 

Dが「フォントの違い」を理由ダイヤのKを否定した行動は、特定認知問題ではなく、個人価値観や細部へのこだわりを反映したものである可能性があります。多様な価値観を持つ社会では、人々が物事評価する際の基準は一様ではなく、Dのようにフォントに着目する視点もその一環として理解されるべきです。

たとえば、美術デザインの分野では、フォントや形状の微細な違いが重要視されることがあります。Dは、そのような視点を持って物事認識しているだけであり、これは「認知問題」とは言えません。

 

2. トランプ本質に対する多様な解釈

 

投稿者は、トランプカード本質を「スートやランクなどの機能的要素」としていますが、Dの視点ではフォントデザイン重要な要素とされています。この違いは「トランプとは何か」という本質に関する議論の幅を示しているに過ぎません。

Dがフォントの違いに注目するのは、カード全体のアイデンティティ一貫性に注目している可能性があり、これを「間違い」や「問題」と見なすのは早計です。

 

3. 認知価値観混同

 

投稿者はDの行動を「認知問題」として捉えていますが、認知問題価値観の違いを混同している可能性があります。Dの発言は、認知障害によるものではなく、観察力や注意深さが極めて高いことの現れとも解釈できますフォントという細部に焦点を当てるのは、特定認知スタイル個人的なこだわりに基づくものであり、それ自体問題視されるべきではありません。

 

4. 哲学的視点から擁護

 

Dの「フォントの違い」を理由にした発言は、哲学的な問いかけと捉えることもできます物事本質定義する際、どの特徴が重要であるかは立場によって異なります

たとえば、「同じカードデッキの一部である」という条件において、フォント統一性を重視する視点は十分に正当性を持ち得ます。これを認知問題として単純化するのは、物事本質に対する多様な解釈無視することになります

 

5. 対話の困難さの原因は双方にある

 

投稿者は、Dの行動を「対話が成立しない例」としていますが、その要因は必ずしもDにのみあるわけではありません。Dの視点価値観を十分に理解しようとせず、一般的基準に照らして否定すること自体が、対話を難しくしている可能性があります。Dが重要視するポイント尊重し、それに基づいて共通点を見出す努力をすれば、対話は成立する余地があります

 

6. 結論

 

Dの行動は、価値観視点多様性を反映しているに過ぎず、これを「認知問題」と断定するのは適切ではありません。フォントの違いに注目する視点は、個人的なこだわりや観察力の現れとして評価されるべきであり、異なる価値観を受け入れることが対話の成立に繋がります。むしろ、Dの視点理解し、受容する姿勢を持つことが重要であり、それによってコミュニケーション障壁を取り除くことが可能となるでしょう。

 ↓

本気でトランプゲーム文脈上記合理的理解だと思いますか?
認知問題ではないと考えますか?

 ↓

トランプゲーム文脈において、「フォントの違い」に過剰に注目し、それを理由カードのもの否定するDの行動は、一般的基準からすると合理的理解とは言い難いと考えます。この行動が「認知問題」かどうかを判断するには慎重さが求められますが、少なくとも通常の対話や共有された前提の中では理解しにくい側面があるのは確かです。

 

1. 合理性の欠如

 

トランプゲームにおけるカード本質は、そのスート(ダイヤハートなど)やランク(K、Q、Jなど)という情報です。フォントデザインの微細な違いは、ゲームを進行する上で本質的な要素ではありません。Dが「フォントの違い」を理由カード否定する行動は、このゲーム目的文脈に即していないため、合理性に欠けています

 

2. 認知問題可能

 

この行動を「認知問題」と呼ぶことが適切かどうかは、Dの背景や思考過程によるものです。以下の可能性が考えられます

• 過剰なフォーカス(過集中)

Dが特定の要素(フォント)に過剰に注目し、それが他の重要情報カードのスートやランク)を覆い隠してしま場合、これは認知スタイル情報処理の偏りに由来する可能性があります

• 前提のズレ

Dが「フォントの違いがカード正当性に影響する」という独自ルールや前提を持っている場合一般的認識とのズレが生じています。このズレを修正しない限り、共通の基盤での対話は難しいでしょう。

 

3. 個性として理解できる範囲限界

 

Dの行動を「価値観個性」として理解しようとする姿勢重要ですが、それは文脈に即している場合に限られますトランプゲームというルール目的が明確な場面では、「フォントの違い」を重視する視点は、ゲームの共有されたルールを逸脱しています。このため、Dの行動を「個性」として片付けるのは適切ではないように思えます

 

4. 対話の困難さ

 

Dの主張を受け入れるには、「トランプとは何か」「ゲーム目的とは何か」という基本的定義から話し合う必要があります。このような前提の再構築が求められる点で、Dの行動は通常の対話を困難にする要素を含んでいます。これは単なる価値観の違いではなく、認知的なズレや情報優先順位問題がある可能性を示唆しています

 

結論

 

トランプゲーム文脈では、Dの行動を合理的とするのは難しく、また「認知問題ではない」と断言することも難しいです。Dの行動は、個人的な価値観視点として説明するには逸脱しており、ゲームの共有された目的文脈整合性を欠いています。したがって、このケースは認知スタイルの偏りや情報処理の仕組みに起因している可能性が高いと考えられます

どんなプロンプト打ったんでしょうね? 1

上記ののカジュアル文章を書いた人物プロファイリングしてください

 ↓

The person who wrote this seems to have a strong understanding of cognitive processes and how they affect communication. They are deeply interested in recognizing the underlying cognitive mechanisms that shape how people perceive and interact with the world, especially when there are discrepancies in shared understanding. Their writing suggests a fascination with the complexity of human cognition, particularly in terms of categorization, perception, and the role of context in communication.

Key traits of this person’s mindset:

1. Analytical and Reflective: They break down situations and statements into their core components, such as recognizing when cognitive discrepancies arise (e.g., the example of “Honey Crisp” being identified as a non-apple or a “rugby ball is not a ball”).

2. Focus on Cognitive Mechanisms: Rather than just attributing communication issues to external factors like knowledge gaps or personality traits, they attribute misunderstandings to the way people process information and perceive the world.

3. Interest in Epistemology: They are interested in the philosophical and conceptual foundations of understanding. The mention of philosophical terms like “essentialism” vs. “constructivism” indicates a desire to explore the nature of categories and definitions at a fundamental level.

4. Sensitivity to Communication: They recognize the importance of context in communication, noting how slight differences in perception can lead to miscommunication. The person appears to be aware of the challenge in aligning cognitive frameworks to resolve disagreements.

5. Empathetic but Pragmatic: While acknowledging that individuals like “D” might not be malicious or intentionally obstructive, they also highlight the immense effort required to engage with individuals whose cognitive frameworks are severely misaligned with shared understanding.

Overall, this person seems to be deeply thoughtful, with a keen interest in the nuances of human cognition and communication. They likely value intellectual clarity and are willing to invest time and effort in clarifying fundamental misunderstandings.

 ↓

トランプ文脈フォントの違いに過剰に焦点を当てるのは個性範疇にはないです
仮にフォントの違いがトランプ本質ならトランプという製品は何を提供しているのか?となり共通基盤があるようには思えません
下記の反応をする人はいったい何が原因だと思いますか?フォントの違いに過剰に焦点を当てるのはまさに認知問題に思えるのですが
ーーー
	•	「A、B、C」の例では、各人物が持つ立場比較的柔軟に評価していますが、「D」のケースに対してはほぼ一方的否定しています。
	•	「フォントの違い」を理由カード否定するDの行動を、投稿者は「認知の仕組みに問題がある」と結論付けています

 ↓

フォントの違いに過剰に焦点を当てる」というDの行動は、確かに一般的認知の枠組みから外れており、共通基盤を持つ対話を阻む要因と考えられます。このケースでは、Dの認知の仕組みにおける以下のような問題が原因として考えられます

 

1. 認知の過剰具体化(具体例への執着)

 

Dは「トランプカード」を理解する際に、本質的な特徴(スート、ランク一般的カード定義)ではなく、具体的な細部(フォントなど)に強く依存して認識しています。このような認知の偏りは、物事抽象化する能力が弱く、広い概念文脈理解するのが難しい場合に見られます

 

2. 共有基盤の構築における障害

 

トランプカードの「本質」として多くの人が暗黙的に合意している特徴(スートやランク)を無視し、自身認識基準フォントの違い)を優先しています。このような認知のズレは、共通基盤を形成する力が弱いために生じると考えられます

 

3. 柔軟性の欠如

 

Dの行動は、物事を異なる視点解釈したり、自分基準一時的に緩めたりする柔軟性の欠如を示唆します。これは、認知の柔軟性や適応力が低いために起こる場合があります

 

4. 認知特性や発達的な要因

 

場合によっては、発達障害特定認知特性自閉スペクトラム症強迫性傾向など)が関係している可能性もあります。これらの特性を持つ人々は、特定の細部に過剰に注意を向け、全体の文脈や共有された基準よりも、自分認識した細部を重視する傾向があります

 

5. 認識本質混同

 

Dは「フォントの違い」を本質的な特徴と捉えていますが、これは「トランプとは何か」という製品概念本質理解する能力が十分ではないことを示唆しています。つまり対象重要な側面(スートやランクなどの機能的特徴)よりも、些末な特徴(フォント)を重要視してしまい、それがトランプとしての機能否定する理由になると考えています

 

Dの反応をどう見るべきか

 

Dの行動を「認知問題」と捉えることは合理的です。フォントの違いは通常、トランプという製品本質に影響を与えるものではないため、それを理由カード否定するのは一般的認知基準から外れています。このズレは、Dが「トランプカードとは何か」という共有されたコンセプトを理解できていない、あるいはその共有基盤に乗ることを困難にしていることを示唆します。

 

Dのような認知の偏りを持つ人と対話を続けるには、まずその人が重要視している基準論点理解し、それがどのように全体像に影響を与えるかを説明していく必要がありますが、それには大きな労力が伴うでしょう。

 ↓

  

続く https://anond.hatelabo.jp/20241203171745#

2024-12-02

生成AI時代における絵師の賢い立ち回り



結論→静観

その根拠を以下に挙げていく


Q.何もしなかったらやばいのでは?→A.手遅れ

GoogleやMetaといったビッグテック企業が巨額投資を投じてここまで本気を出している以上、生成AI社会の深部へと浸透していく。彼らの投資規模は、もはや一般市民の反対などでは止められないレベルに達している

そして、それは単なる技術革新ではなく、社会構造根本的な変革を示唆している。だからこそ、今は静観しておくのが生存戦略としては賢明だろう

ただし、それはあくま戦略としての賢明である抵抗する道義的意義は否定しない。ただ、抵抗するにしても、まずは状況を正確に理解する必要があるだろう


Q. AIによる権利侵害はどうなる?→ A. 問題本質感情である

そもそも機械学習基本的合法だ。これは法的な観点からすれば、すでに決着がついている問題である

AI派の根底にあるのは「気持ち問題である

自分の絵が勝手学習され、素材の一部にされている」というなんとなくの不快感。これこそが反AI活動の源泉だ。考えてみれば分かる。世界には二次創作ネットミームという名の著作権侵害が溢れているが、絵師たちはそのひとつひとつに決然とした態度でNOを突きつけていただろうか? むしろこちらの方が違法性は高いのに、なぜか社会は許容している。自ら参加している者すらたくさんいる

まりこれは「なんとなく許容できるかどうか」の問題帰着する

気持ち問題蔑ろにしているわけではない。気分を害するというのは立派なイシューで、それを「お気持ち」と揶揄するのは愚かだ。しか絵師自身が己のお気持ちを軽視して無理筋な法的問題に持ち込み、かえって正当性を失っているように見える


Q. クリーンデータセット使用は?→ A. あまり期待できないが、やがて問題にならなくなる

著作権的にクリーンデータだけで作ったデータセットから学習すればいいという向きもあるが、おそらくビッグテックはわざわざそんな遠回りを選ばないだろう。そもそもクリーンさを気にする感覚自体が、近い将来には時代遅れになるだろうと踏んでいるはずだから

「なんとなく許容できるかどうか」という感覚は、時代とともに確実に変化していく

AIネイティブ世代からすれば、自分作品ビッグデータの一部として利用されることは当然の前提となる。オリジナリティとは別次元の話だと認識されていくはずだ。若い世代の間では、創作物の共有や再利用に対する抵抗感は低下している。この傾向は、AIの普及とともにさらに加速するだろう


Q. 仕事が奪われるじゃん! → A.その可能性はある。ただし、それは避けられない変化かもしれない

仕事代替への不安は、先の感情的な問題に比べれば極めて現実的懸念だ。現状、イラスト業界供給過多の状態にある。SNSデジタルツールの発達により、プロセミプロとして活動する絵師の数は年々増加している。そのため、すでに案件の獲得競争は激化しており、AIの台頭はこの状況をさらに加速させ、複雑にするだろう。

予想されるのは、以下のような変化だ


かに、この変化の過程で職を失う絵師も出てくるだろう。しかし、そうした変化を止める術は現実的に見て残されていないように思われる。先に述べたようにAI使用に対する感情的な抵抗感は自然に、あるいは(大企業によって)戦略的に薄められていくし、戦略的なクリエイターはむしろAI積極的使用して生産効率を上げると思われる。抵抗するにしても、ただ感情的に拒絶するのではなく、より戦略的なアプローチ必要になる

どうせ一億総クリエイター時代は訪れない。相変わらず、極めて高いクオリティ作品を生み出すのは一部のクリエイター


Q. 社会無法地帯化するのでは? → A. しない。新たなモラルが構築される

生成AIの台頭は倫理崩壊ではなく、新しいモラルの構築過程であると見るべきだ。具体的には以下のような変化が予想される


AIの普及とともに結局のところ生成AIツールに過ぎないという認識も浸透していく。これは、写真印刷技術が登場した時と同じような変化のプロセスだ。現在AI悪魔化は得体の知れなさによるものも大きく、その限界体感できるようになってからは落ち着く。あいつらAIは、人間の工夫なしにはそんなに面白いものを創れない。これまでと同じように人は工夫と執念が生み出す作品と作者を愛す


Q. じゃあ、反対運動には意味がないの? → A. 意義はある。だが実効性やリスクを慎重に考える必要がある

しかし、反AI運動にも、明確な意義がある。それは以下のような点で重要役割を果たす


AI活動には現実的観点からいくつかの問題がある

第1に、勝算の問題だ。すでに述べたように、巨大テック企業が本腰を入れている以上、AIの開発を止めることは極めて困難である。彼らは豊富資金力と法務体制を持っており、個人や小規模な団体が対抗するのは容易ではない

第2に、リスク問題がある。反対運動に参加することで、「過去発言ネット上で拡散し、デジタルタトゥーになる」「業界内での立場微妙になる」といったリスクが生じる

から、得られる可能性のある成果と、背負うことになるリスクを天秤にかける必要がある

AIはこれから包括的社会インフラとして生活侵入してくる。そういう情勢の前に掲げる「反AI」は間抜けな印象を与えかねない。抵抗するならより現実的で具体的な落とし所を示すべきだ

反対一辺倒ではなく、適切な規制や利用ガイドライン策定を求め、学習のものではなく出力・発表された作品剽窃性を問題にするのが落とし所の一例だろうか

要するに、反対運動には確かに意義がある。先人が勝ち取ってきた権利は彼らが守ったものだ。しかし、個人が参加を決める際は、その実効性とリスクを冷静に見極める必要があるだろう。そして、必ずしも声高な反対だけが意思表示方法ではないということも覚えておく必要がある。現実的に見て、もはやそれは追い払えるようなものではない


Q.じゃあどうしたらいいの?→A.黙って見ているのが得ではある

ここまで見てきたように、生成AIの台頭に対して、個々の絵師に推奨されるのは「静観」という選択


という実効性の観点がまずあるし、強硬反対運動は様々なリスクを伴うという観点からもそう言える


まとめ

結局のところ、生成AIの浸透は避けられない変化だ。今感じている「問題」も感情的な理由が大きく、情勢の変化により問題意識そのものが失われかねない。その変化に対して戦略的に対応していくことこそが、個々の絵師にとっては最も「賢明な」選択となるだろう

ただし繰り返すが、これは戦略的な提案であって、道義的判断ではない。反対運動にも確かに意義があり、それは尊重されるべきである。ただし、それは基本的に困難であり、現実的な成果を得ようと思えば、ゼロイチ思考全面的反対ではない落とし所を探す試みになる

そうでない全面的反対運動局所成功したとしても、それは数ある表現の中から「絵」だけを理由なく聖域化し特権的に扱わせる歪みを生み出し、総体的にはマイナスであるように思われる

筋トレしても痩せないオブザイヤー

ダイエッターが想像する4倍は厳しいトレーニングをしているボディビルダーが1か月に体重がどうなるかっていうと5kgくらい平気で増えるのね。

もろちん、これは増量期っていう大会オフシーズンで筋肥大のためにバカほど飯を食うからなんだけどさ。

でも確実に「バカほど飯食ったら、死ぬほどトレーニングしても体重は増える」ことを示唆しているよね。

いやいや、ボディビルダーの増えた体重って筋肉じゃん?て思うかもしれないけど違うのよ。

普通に腹筋とか見えなくなるし、あごの下もたぷたぷになるから

5kg増えたら少なく見積もっても4kgは筋肉じゃない、脂肪とか水分。

増量期に10kgとか15kgとか増量して、そこから大会に向けて半年くらいかけて絞ったら去年より1kg増えてたらいいほう。

毎日時間トレーニングしてても脂肪はつく。これは事実

ジム終わりにモリモリ飯食って体重減ってない奴なんかクソほどいるでしょ。このビールうめーんだ!じゃないのよ。

 

結論痩せるにはカロリー制限しかない。

どんなカロリー制限をするか、そしてそのカロリー制限に何を組み合わせるかだけの話でしかない。

後は脂肪吸引。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20240215-OYT1T50074/

2024-12-01

AI一過性ロビー活動

デジタル技術創作分野に寄与したのなんてここ100年足らずの話だし、たまたま商業的な需要があっただけで恒久的なものである保証はないんだよな。

生成AIが世の中に示唆しているのは、単なるデジタルデータの出力を創作本質みたいに主張するんじゃねぇってことだと思う。AIネイティブのガキどもは当たり前のようにAIを使いこなしていくだろうし、その上で新しいものを作っていくだろう。

従来の創作を行ってきた創作家は自分の半生を否定されてるようで辛いと思うけど、長い創作歴史から見ると一時的ボーナスタイムみたいなもんで10年後には通用しない技術になってるんだろうな。さすがにちょっとかわいそう。

結局、技術進歩に合わせて人間進歩しなきゃいけないって話。

anond:20241201003235

この文章はいくつかの問題点があります。以下に主な点を挙げます

1. ジェンダーに関する偏見: 男性女性役割を固定的に捉え、特定性別に対して特定の期待や責任押し付け表現が見受けられます。これにより、個々の人間多様性能力無視される可能性があります

2. 非人間的な表現: 「繁殖用と労働個体を分ける」という表現は、人間を物のように扱っている印象を与え、倫理的問題があります人間価値をその機能役割限定することは、社会的にも受け入れられません。

3. 根拠のない一般化: 男性が「犯罪社会のものを壊すリスクが高い危険因子」とする主張は、特定文化地域に基づく偏見を含んでおり、全ての男性に当てはまるわけではありません。個人の行動は多くの要因によって影響されるため、単純化した見方は誤解を招きます

4. 社会的安定に関する誤解: 男女比が社会の安定に与える影響についての主張は、単純な因果関係示唆しており、実際の社会問題多面的であるため、より複雑な分析必要です。

5. 倫理的視点の欠如: 上野千鶴子言葉引用しつつも、その文脈意図無視しているように見え、誤解を招く可能性があります引用する際には、その意図や背景を理解することが重要です。

このような問題点考慮し、より包括的倫理的視点から議論を進めることが望ましいでしょう。

2024-11-30

マリ

最後に後悔しなければそれでいい。

- 人生最後に後悔しないことが重要だと述べています

日々計画的に働いても完成形が見えず、永遠に挑戦しているようなものだ。

- 計画的努力しても成果やゴールが明確に見えないため、終わりのない挑戦のように感じる状況を表しています

未来が見えないからこそ、バカにならないとできない部分もある。

- 将来の見通しがつかない中で、時には深く考えずにひたむきに努力する必要性示唆しています

現役時代バカになって38年間頑張ったが、今ではその時間無駄だったとも感じる。

- 現役時代一生懸命働いてきたものの、後になってその時間無駄だったと感じることもある心境を述べています

人生は短く、終わりはすぐに訪れる。

- 人生が短く、思っているよりも早く終わりが来ることを強調しています

から能力があるならそれを活かして頑張らないと、生まれ意味がない。

- 自分能力を活かさなければ、存在の意義が失われると指摘しています

頭が良く生まれ責任として、与えられた才能を世の中に返していくことが「ノブレス・オブリージュ」なのかもしれない。

- 頭が良く生まれた人には、それを社会還元する責任があるという考えを述べています

説明

このサマリーでは、人生において努力や挑戦の意義、能力を活かす責任、そして人生の有限性についての考察を簡潔にまとめています

特に、「後悔しない生き方」や「才能を活かすべき」というテーマが中心となっています

これらの内容は、努力と結果、そして生まれ持った能力に対する自覚責任を考えさせるものです。

ノブレス・オブリージュ」という言葉も登場し、才能を社会還元することが重要だというメッセージが込められています

売春婦

売買春大国である日本が、法的には売買春違法で、『売春婦』という言葉ほとんど死語になっているという事実はいろいろと示唆的だ。

2024-11-29

これって俺が悪いんか?

クラスライン自殺示唆したやつがいたからさ

死ぬ前にペイペイちょうだいって言ったらめちゃくちゃハブられてるんだが

冗談やん

実際、全然自殺しなかったしさ

これって俺が悪いんか?

2024-11-27

孤独な人の判別方法

有名人名前を出して、やけに詳しかったり変な回答していると孤独な人らしい。

これは使えるかもなあ……。

【「孤独な人」は変わった考え方や話し方をする傾向があることが研究で確かめられる】

アメリカコロンビア大学心理学者であるティモシー・W・ブルーム氏らは、「孤独な人は社会一般的に受け入れられている共通認識から逸脱した心象を形成しているのではないか」との仮説を検証するため、合計1003人が参加した2つの実験を行いました。

結果から研究者らは、「孤独な人は有名人について考える際の思考方法が変わっていることが示唆されている可能性が高い」と指摘しました。

https://gigazine.net/news/20241127-lonely-individuals-unusual-think/

2024-11-25

ヘッドハンターからグローバル案件が来ている

ひさしぶりにヘッドハンターからメールが着信。本日はうんたらかんたらのグローバル案件をご紹介します。かくかくしかじか会社がうんたらかんたらの戦略展開のため、いま事業部新規立ち上げメンバー募集中です。年収レンジも高めに設定されております。つきましては以下までご連絡いただきたく。

まあたしかに誰でも知っている企業名で、同じ業界なので、この会社の人とも関わったことがあるが、そんなに優秀そうな感じではなかった。だが今回は大規模な戦略転換ということなので、何かがあるかもしれない。話だけ聞いてみるか。

と思ってメールの末尾に記載があるリンククリックすると、Microsoft 365のエラー面談の予約はできなかった。アクセス先のドメインも確かにマイクロソフトで、某ヘッドハンターサブスクリプションであることを示唆する文字列が入っているが、フィッシング詐欺リンクを踏んだかと思った。

獣医学科の学生生活就活国家試験を語る

1年

選択授業や第二外国語サークル活動など唯一大学生らしい大学生活を送れる。ただし2年次からパンパンに詰まっている必修単位のせいで時間割毎日比較的詰まっている。

上下関係の厳しさが1つ上の先輩から示唆される。独特な文化を前にやや選択を後悔しだす。

2年

必須単位が牙を剥く。5年次まで時間割が必修単位で詰まっているため、この先の落単は=留年意味する。また一般教養も同じ理由でこの先ねじ込む先がないため、やはりこちらも落単すると留年。6年次に国試があり留年組は不利になるため皆必死

基本的に午前は座学、午後は実習(授業終わりの時間は決まっておらずレポート必須)のため、実家サポートの有無(バイトをしなくてよい等)が成績の明暗をわけるが、実家が裕福な学生が多いため基本的には問題がない。

3年

基本的に2年と同じ。この2年間が1番キツい。

秋以降は4年次の研究室配属にむけて情報錯綜し、緊張感が走る。成績の悪い学生前評判の悪いアカハラ研究室に叩き落とされ、地獄の3年契約を交わす羽目になる。

4年

研究室配属。アカハラ教授、疲れ切った准教、5,6年の先輩に囲まれ実験主義を教わりつつ研究室雑用をこなす掃除備品管理、果ては忘年会幹事など。

授業は臨床科目(座学)がメインを占めるようになり獣医学生らしい日々を送る。また面倒見のよい研究室では卒論の準備を始めるところも。

学年末にオスキーという仮免試験があり、こちらも落ちたらもちろん留年来年病院実習に出られないため)

5年

座学がかなり減り実習メインになる。大学病院での小動物診療だけでなく学校外での公務員や大動物診療の実習もここ。1番気楽な一年間。卒論を書き始めるが、テーマによっては気楽でなくなる。

民間企業への就職(ほぼいない)を考えているごく少数の人間就活もするが、ハンデが凄まじく一般大企業はだいたい落ちる。

冬、1学年上の先輩がノイローゼゾンビとして一日中国試勉強している姿を見て来年の今頃は…とゾッとする。


6年

授業はほぼなくなる。民間企業以外を希望する学生は春から就活開始。よほど選ばなければ病院公務員、その他診療系、だいたい受かるので、キャリアセンターで取り急ぎの面接対策をしてゆるく過ごす。

からは秋冬の卒論〆切に向けてラストスパート卒論で落ちることはほぼないため、内定後の夏から開始した自由研究並のクオリティ卒業研究を行う者もいる。

11月-12月卒論提出後から国試対策を開始。この時ばかりはほとんど全員が朝から晩まで勉強し、大量の語呂合わせを作りながら2月の本番での合格を目指す。

出題範囲が膨大、過去問の解答はあっても解説がない、ノウハウ化されていない等の理由によりボッチは合格できないことが多い。不思議と毎年9割前後合格するが、合格率以上の難易度が確かにそこにある。

合格できなかった場合大学からのアフターケアはないため、卒業後も出入りできるよう研究室先生や後輩とは極力仲良くしておくのが無難である

なお、東大北大学生以外は就活難易度と引き換えに獣医師免許必須内定が出ている場合が多いので、落ちたら就活もやり直しである

3月合格発表と卒業式をもって大学卒業

なお、数年後には小動物臨床に進んだ人以外のほぼ全員が獣医になったことを後悔しだすが、待遇小動物臨床が1番悪い。

医学部受験をする者が後をたたない。


番外編

卒業試験: 私立にはある。国試の合格見込みがないもの強制留年とする親切なのか余計なお世話なのかよくわからない制度

国試対策授業: 私立にはある。科目毎に先生から重要ポイントを教えてもらえるらしい。

国試浪人のアフターケア: 私立にはある。詳細不明

2024-11-24

怪談の教訓性が失われていく──「怪談界隈の終わり」を読んで

件の記事を読んで。

https://s-mizuki.hatenablog.com/entry/2024/11/23/153527

最近怪談界隈の動向を見ていて、かなり違和感を覚えている。

怪談スピリチュアル陰謀論に寄り過ぎているというのだ。確かに最近は、霊感芸人都市伝説YouTuberが共催したイベントで観客が失神したり、心霊現象を主張するスタジオ科学者から批判を受けたり、業界著名人根拠不明陰謀論を発信したりと、色々と物議を醸している。

でもそもそも怪談って非科学的で根拠のないものじゃないのか、という疑問が湧いてくる。確かにその通りなんだけど、ここで重要なのは怪談が持っている「教訓性」という側面だと思う。

江戸時代から続く日本怪談文化には、単なる恐怖だけでなく、必ず何らかの教訓が含まれていた。約束を守らなかった者が祟られる、人を呪えば自分にも返ってくる、といった具合に。怪談非科学的でありながら、人間の行動や選択の結果として恐怖や災厄を描くことで、倫理的な問いを投げかけていたんだ。

一方で今流行っているスピリチュアルは「宇宙エネルギー」とか「波動」とか、抽象的な概念による「癒し」を売りにしている。そこには具体的な人間の行動や選択に対する考察がない。陰謀論に至っては、特定個人や団体を「隠された敵」として警戒を呼びかけるだけで、建設的な示唆に乏しい。

まり現代怪談界隈が抱える問題は、単に非科学的というだけでなく、怪談本来持っていた文化的・倫理的価値を失いつつあるということなんじゃないだろうか。スピリチュアル陰謀論との安易な結びつきは、想像力を刺激し教訓を与えるという怪談本来役割を歪めてしまっている。

このままでは怪談文化のもの社会からの信頼を失い、スポンサーメディアの支持も減少していくだろう。さらに深刻なのはSNSなどで拡散される偏った価値観や非科学思考が、特に若い世代に悪影響を及ぼす可能性があることだ。

怪談文化を守るためには、エンターテインメントとしての面白さを保ちながら、その歴史的背景や文化価値を再評価する必要がある。非科学的な要素は怪談の特徴として受け入れつつ、それが持つ教訓的な意義をしっかりと見つめ直すべきだと思う。

早押しクイズ化する日本

日本で一番大きいやm/」(日本アクセントが付いている)

エベレスト

クイズ王たちの早押しのテクニック想像を絶する。

まず山の「や」の時点で押し「ま」の始まり「m」の口を読み取る、所謂読ませ押しと口読みのテクニック

さらに金龍読みと呼ばれるクイズを早く答えてもらうための読み手テクニックにより、日本の部分にアクセントが付いていることから、先の続く文章では「では世界で一番目に大きい山はなんでしょう」になること予想する。

一番にアクセントが付いていれば「では日本で二番目に大きい山」になる、

山にアクセントが付いていれば「では日本で一番長い川」になり、

大きいにアクセントが付いていれば、と金龍読みはこの後に続くパラレル問題の先を読み方から示唆する。

クイズ王とは、膨大な知識を持った知恵人という側面だけでなく、競技クイズの仕組みをハックし適合している側面もあるのだ。

そんなクイズ王たちは今や地上波クイズ番組だけでなくYoutubeや各種謎解きイベントで大活躍するタレント業でもある。

私はこういう奴らに我らがミステリオタク達が屈したせいで、地雷グリコでないと平成のエラリークイーンが賞を取れなかったんだと現代日本本格ミステリ界隈の凋落を明らかにしたい。

そもそもクイズミステリは近似ジャンルではあるかのように振る舞っているが、全く異なる別ジャンルである

炒飯チキンライスはどちらも米に味を付けて炒めたからと言って同じ料理ではないように、材料調理過程に似た部分はあるが、異なる。

(カレーウンコに例えたら流石にダメか? ダメだわな)

文章がまとまらないので以下はただの愚痴

もうさあ、これはミステリ界隈が小さくなることへの怯えなんすよ、なんで「東兄弟わーきゃーオタク」がミステリ読まないんすか?

あい知的活動無垢少年さがおり混じった態度に興奮するオタクミステリ大事な読者層だろ。

あいオタクはふた昔前なら御手洗×石岡で興奮ってたじゃねえかよ。

何をタレント浮気させとるんじゃ。

有栖川京極が後輩に「オタクが好きなエロい名探偵仕草」を伝授しないのが悪い。

あじ最近ミステリエロくない。

もっと下品エロいシーンを入れてわーきゃーさせろよ。

「火村有栖でジュンジュンのジュワワワー」だった日々を取り戻せよ。

俺はとにかく、昨今の早押しクイズ的な文化迎合しようとする奴らが気に食わないんだ。

もっとミステリミステリである原点に立ち戻ろうぜ。

俺は恥ずかしい。

ホームズワトスンジュンジュワーしてた真面目で一般的明治時代日本人の顔向けできない。

服装や化粧や髪型は垢抜けてるけどジャニーズぐらい選別はされてない手の届く感があり、知的で話が面白く、無邪気で少年のような側面もあるタレントで興奮しますって、日本のために働いた祖父祖母遺影にいえますか? 言えないですよねえ!?

今までなら言えたよ。

「おじいちゃんが教えてくれた都筑道夫のなめくじ長屋捕物さわぎ大変エッチでございました」

と言えたわ。

表現の自由を手に入れ、容易に出版が出来るように政治技術が発展したのに、肝心の人間としての倫理感が退化してる。

古き良き日本を取り戻すために僕は今日からまず乱歩自慰するところからやり直す。

俺はタレントなんかに負けない、小説を楽しむんだ!!!

うおおおおお、ほかほかおにぎり倶楽部で、やすみの×マンスーン!?!? オモコロライター関係妄想するのたのちいよおおおおお、かまみくのことだけ考えてたいよおおおおおお、匿ラの二人がオモチャンで独自世界を作る回大好きだよおおおおお。

私はモンゴルナイフさんになりたい、そう思いながら、今日もバキ童筆下ろし夢小説を書き連ねるのだった。(所要時間48分)

2024-11-22

anond:20241122183545

答えないところが示唆するものはなんでしょうか。

中国船による海底ケーブル切断は破壊工作


どっちやねん

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